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基本権的給付請求権と基本権理論

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(1)基本権的給付請求権と基本権理論. 序. 目 論. 次. −西ドイツ基本権論ノートi. 一. 自由主義的基本権理解と基本権的給付請求権. 1 問題の背景 2 間題領域の限定. 二. 基本権としての給付請求権. 西. −最低限度の保障ー. 原. 1 法治国家と社会国家の対立 ー初期の社会的基本権否定論ー 2 ﹁現実的﹂.自由 ー共通の前提の形成ー 3 基本権的給付請求権否定論 三. 憲法委託としての社会的基本権. 1 主観的請求権としての給付請求権 2 ﹁社会的基本権﹂肯定論 3 社会国家的基本権理論 4 大学入学定員判決 四. 基本権的給付請求権と基本権理論︵西原博史︶. 博. 一三五. 史.

(2) ︽自由対制約︾の構図と︽立法により形態づけられた自由︾ の構図. 立法委託・プログラム規定・国家目的規定 2 社会的基本権の客観法的意義. 論. 五. 1. 早稲田法学会誌第三十入巻︵一九八八︶. 序 1 問題の背景. 一三六. −結びに代えてー. ﹁豚が空を飛ぶ権利を持っている様なもの︵﹂・キャロル︶﹂という比喩がある︒現代社会における自由権は︑そ. れを行使する実際上の前提を欠く場合︑この豚の権利と同じだろう︒多くの人的作用の相互依存関係にょり特徴づけ. られる現代社会には︑古典的な自由主義が想定した自らの生活領域を絶対的に支配する自立的個人は存在せず︑個人 の自己実現が数多くの物質的前提に依存するからだ︒. 理論的には個人の努力にょり作成されているはずのこの前提に配慮する国家の責務が西欧で意識され出してから︑. 約一世紀が経過した︒だが︑この責務を第一次的に誰の責任とするかには︑様々な対応があり得る︒社会的法治国家. ル憲法下での基本権の空転の克服という理論的課題の下︑基本権を直接執行可能な﹁直接に妥当する法︵基本法一条. 条項を定式化してこれを立法府に委ねたのが︑ボソ基本法制定時の西ドイッの行き方だった︒そこでは︑ヴァイマー. 三項ととして堅持するため︑歴史的発展の結果一定内容が凝固してきた自由権のみに基本権の地位を承認し︑立法 ︵1︶ 者による形態づけの必要性が残る社会権は︑一部の例外を除き︑基本法には採用されなかった︒. しかし︑日本国憲法にもある社会権の条文化は︑時代の流れだ︒給付行政が国民生活の中で不可欠な位置を占める. に至った現代国家では︑国家への一定の積極的活動の要求を憲法上の権利とし︑立法者が恣意的に決定でぎる不確実.

(3) ︵2︶. な状態から救出して安定させる試みの意図は︑理解に難くない︒社会権の母国西ドイッでも︑基本法に先立つラント. ゾツイアしレ. グルントレヒテ. 憲法には︑社会権条項が散見される︒また︑国際人権規約A規約で多くの国家活動に対する積極的義務づけが権利と. して定式化されたことも︑一定の影響を及ぼした︒この様な状況下︑連邦レヴェルでも基本法に﹁社会的基本権﹂ ︵3︶ を取り入れる試みが政治の舞台で何度か見られる︒ タイルハじペレヒテ 憲法学でも︑その様な現代国家の状況に対応でぎる理論が探し求められる︒西ドイッでこの問題は︑﹁配分参加権﹂︑ 付. 権﹂︑﹁社会的基本権﹂等の概念の下で論じられる︒具体的には︑扶助を受げる権利︑教育を受ける権利︑. ライストウングスレヒテ. ﹁給. 環境権︑勤労権等がそこに包括される︒だが︑これらの権利の存在︑性格等に争いがあり︑その論争の理解が本稿の 一課題となる︒. だが︑新たな性格の基本権の承認という次元でのみこの問題へ憲法理論的にアプローチすることは︑本来この問題. の持つ広範な影響力の過小評価になる︒ここで視野に収められる現代憲法を取り巻く状況は︑基本権概念︑国家観念 の根本的な再吟味を迫る︒. この間題連関は︑第一に︑伝統的基本権概念の動揺を意味する︒この現象は︑典型的にはヘーバーレ︵狽エ讐毘o︶ ︵4︶. による基本権の制度酌理解に見て取れる︒そこでは︑個人の国家に対する防禦権としての二兀的な基本権理解が批判. アウスゲシユタルテン. され︑︽自由対制約︾の構図の克服が試みられる︒基本権は︑立法を含む国家活動に対し不可侵領域を画定して制限. その一例に︑伝統的自由権の機能的解釈がある︒これは我が国でも︑自由権の社会権的効果という標題の下に論じ. を課すものより︑立法により限界づけられ︑ 形態づけられるものとなる︒この様に︑基本権の主観的権利としての ︵5︶ 側面と並ぶ︑立法権の活動の方向を示す指導原理としての客観法的側面の存在が︑様々な形で主張される︒. 一三七. られる︒西ドイッでは︑例えば我が国で最も防禦権的だとされる良心の自由に関しても︑機能的解釈として法と良心 基本権的給付請求権と基本権理論︵西原博史︶.

(4) 早稲田法学会誌第三十八巻︵一九八八︶. 一三八. ︵6︶ の衝突が起こり得る場面での代替的行動選択肢の立法的準備が権利内容として要求されたりする︒基本権のこの様な. 側面は︑個人が侵害に際し司法的救済を求め得る主観的権利としてより︑立法者に客観法的義務を課すものと理解さ ︵7︶. れる︒これが最も明確に意識されるのは︑いわゆる制度的保障が問題となる場面だ︒その典型例たるプレス・放送の 自由に関する論争も︑この文脈に位置づく︒ ドリツトヴイルクング. それと並び基本権の客観法的側面の問題とされるのは︑社会的権力による人権侵害に対する方策の問題だ︒従来こ ︵8︶. の問題は︑基本権の第三者効力という論点の下に扱われてぎた︒が︑この論点が間接適用説の登場により一応の決着. を見︑その後行き詰まった現在では︑基本権の客観法的側面の強調により︑基本権価値の実現を立法者に委ねること ︵9︶ でこの問題にアプ戸ーチすべきことが主張されている︒ ︵10︶ ここに次の大きな論点が出てくる︒自由主義が前提とする国家と社会の二分論の問題だ︒立法者が基本権価値を積. 極的に社会的領域で実現するため非国家領域に介入することが正当化されれば︑社会過程の自律性は失われる︒また︑. 社会的基本権の問題の契機となった給付国家の発展は︑経済的次元で様々な助成等を通じ︑国家と社会の融合を促進す. る傾向を持つ︒本稿ではこの問題に立ち入れないが︑背景にこの様な論点が潜むことは意識されなければならない︒. こういった基本権把握の一般的間題は︑西ドイッでは︑基本権理論の問題として憲法学の主要な論争の土俵の一つ ︵11︶ となっている︒我が国でもよく紹介されるベッケソフェルデ︵国︑≦.ωα鼻窪窃ao︶の整理によればこの論争は︑自. ︵13︶. 由主義的︵市民的法治国家的︶基本権理論︑制度的基本権理論︑基本権の価値理論︑民主的・機能的基本権理論︑社 ︵12︶ 会国家的基本権理論等の基本権理論の間の争いと理解される︒その争いの根が︑﹁原則的に無制限な自由﹂を出発点と. するシュミット学派と︑統合要素たる﹁価値体系﹂としての基本権を語るスメント学派の基本的対立にあることは︑. 周知の通りだ︒国家への給付請求権をめぐる議論にも︑この理論的対立は反映する︒ここでは︑この領域の議論を追.

(5) うことにより︑基本権理論の現状を探ってみたい︒. ゲゼツツゲロブングスアウフトラヨク. しかしまた︑変遷しているのは基本権理解のみではない︒基本権の客観法化と並び︑客観法的規定の主観法化も見. られ︑客観法的規範の司法による実現の道も探られる︒これは典型的には︑立 法 委 託の司法的実現可能性の ︵14︶ 問題に現れる︒連邦憲法裁判所が一九六九年一月二九日判決で︑基本法六条五項の非嫡出児に平等な地位を作成する. 立法委託に関連し︑立法不作為の違憲警告判決を下したことは︑この最も良い例だ︒この判決は︑立法者が立法委託. を実現しない場合︑その不作為が司法上確認できること︑その立法不作為を個人が憲法訴願を通じて争えることを前 提と す る ︒. 客観法的規定のこの様な司法的実現可能性を前提とすると︑基本権の権利性のメルクマールは︑非常にわかりにく. い︒この論点は︑我が国で言う社会権の権利性の問題につながる︒この問題は︑我が国では︑大須賀明の提唱した具 ︵15︶. 体的権利説により︑理論上は一応の解決を見ている︒彼は︑﹁憲法二五条は立法権に対してその作為命令の内容を実. ︵17︶. 現するための立法を行うことを憲法上義務づけている﹂し︑﹁立法上の不作為が憲法二五条に違反し違憲性を有する ︵16︶ ことの確認は論理的には可能である﹂︑とする︒中村睦男等が積極的に主張する国家賠償訴訟を通じての立法の不作為. の違憲確認という方策も︑論理的にはこの具体的権利性を前提とする︒ただ︑上の連邦憲法裁判所の判例を考える. と︑基本権でない立法委託につき立法者の不作為の違憲確認が可能なため︑人権としての社会権と客観法的な立法委 ︵18︶. 託との構造上の差はなくなる︒もちろん︑社会権が行政をも直接拘束すると理解することに社会権の権利性を見るこ. とも可能だ︒ただ︑大須賀も明らかにする通り︑法律による行政の原理を前提とすれば︑原則として﹁憲法二五条は ︵19︶ 行政権に対しては直接に妥当する法規ではない﹂と言わざるを得ないのだ︒. =二九. 本稿は︑この根本的な問題に解答を提示したり︑解釈論上の提言をなしたりすることを目的とするものではない︒ 基本権的給付請求権と基本権理論︵西原博史︶.

(6) 早稲田法学会誌第三十八巻︵︸九八八︶. 一四〇. ︵20︶ また︑上で提示した西ドイッでの理論の展開は︑ドイッ憲法研究に携わる者にとっては︑常識の域を出ない︒本稿の. 目的は︑基本権的給付請求権という狭い範囲に光を当てることで︑西ドイッの基本権に関する議論の特徴を把握する. 所にある︒個別的に見れば常識的なものが︑相互に関連させれば我が国憲法学にとり必ずしも常識的ではない帰結を. 導き出すことを指摘できれぼよしとし︑我が国とは異なる常識を常識として成り立たせている西ドイッ憲法学の論理. 問題領域の 限 定. を明らかにする方向性の提示を目標に置きたい︒. 2. 配分参加権や社会的基本権の概念は非常に多様なものを含む︒そこで本稿は︑﹁基本権的給付請求権﹂概念で考察. による積極的給付を求める請求権を個人に与えるか﹂の間題を表す概念とされるが︑その中でも様々な次元が区別で. ︵21︶. 範囲を示した︒これは若干の敷術を要する︒一般に配分参加権は︑﹁基本法が︑特に基本権と社会国家原理が︑国家. ぎるのだ︒. 最広義で配分参加権を理解すると︑それは国家の作為を求める権利になり︑事実上の物的給付・金銭給付のみでな. く︑規範的給付も含む︒アレクシ!︵零≧︒鐙︶は︑彼の言う給付権をそう理解し︑給付の対象の中で︑①刑法規範 ︵22︶. による他の市民からの市民の保護と︑②組織規範・手続規範の制定を︑③金銭給付・物的給付の提供︵狭義の給付 ︵23︶. 権︶から区別する︒そうすれば︑手続の保障を通じ基本権の実体面の実効化を図るへ聖ハーレの﹁手続的能動的地. ︵25︶. 位﹂の理論の様に参加の契機に重きを置く配分参加権の捉え方も︑社会的基本権の中で雇用関係に関連した︑国家に ︵24︶. 給付でなく保護を求める権利も︑配分参加権の問題となる︒ ︵26︶. ︵27︶. しかし︑この保護を求める権利︑一定の手続・組織を求める権利の間題は︑不作為請求権としての古典的基本権が. 持たない問題を共有はするが︑議論の文脈としては別の所に位置するだろう︒刑法的保護を求める権利にしても︑刑.

(7) 法規範をその様に基本権的に正当化し得るか︑むしろ︑原則として自由への侵害と見て厳格なコントpールの下に置. くべきではないか︑との疑問が成り立つ︒これは確かに一方で︑︽自由対制約︾の構図の維持か︑それの見直しと. ︽立法により限界づけられ︑形態づけられた自由︾のモデルの代置かという︑本稿を一貫して流れる問題の典型的争. 点とも言える︒だが他方︑この保護を求める権利の問題は︑法秩序の中での基本権の位置︑機能をめぐる︑最も根本. 的な問題に直接関係する︒基本権論の全貌を扱うことを目的とせず︑給付請求権という相の下での論争の理解を志す 本稿では︑狭義の給付権に関する議論の検討に間題領域を限らざるを得ない︒. 同様のことは︑組織・手続を求める権利にも妥当する︒能動的な参加の問題と︑積極的地位と関連する給付の問題 ︵28︶ は︑人権体系中でも異なる所に位置づく︒そして手続的保障の問題は︑奥平康弘も指摘する様に︑人権体系論の根本. 問題を提起する︒その様な問題の考察を目的としない本稿では︑狭義の給付権の問題を論ずることに留まらざるを得 ない︒. デリヴアテイフエ. オリギネヨレ. ︵29︶ その狭義の給付権も様々な次元を示す︒戸波論文で理論的深化の一面と紹介された様に︑マルテソス︵≦●ζ畦8参︶ ︵30︶. ︵31︶. により︑﹁先行する国家行為への反応﹂としての派生的配分参加権と︑﹁そこから独立の﹂本源的配分参加権の区別. がなされている︒前者に関し︑マルテソス自身も指摘する様に.まず平等原則がその様な請求権の根拠となる︒さら ︵2 3︶. には.所有権条項が派生的配分参加権︑特に既存の制度を前提に年金受給権等を基礎づける機能もしぼしば強調され ︵33︶. る︒さらには︑制度的保障の理論も︑社会保障制度における後退の禁止という形で︑配分参加権に関する既得権保護. の役割を果たす︒この様な手掛かりを通じて実現される派生的配分参加権の問題は︑当然過小評価を許しはしない︒. しかし︑配分参加権の問題の中心的論点は︑制度の新設や拡大を要求する本源的配分参加権に関係する︒そして︑派. 一四一. 生的配分参加権で用いられ得る伝統的理論要素で対応できないが故に新たな思考を発展させるしかない本源的配分参 基本権的給付請求権と基本権理論︵西原博史︶.

(8) 早稲田法学会誌第三十八巻︵一九八八︶. 一四二. 加権をめぐる議論にこそ︑基本権理論の根幹に関わるものが潜む︒そこで本稿では︑派生的配分参加権の間題は必要 に応じて参照するに留めたい︒. なお本稿は︑西ドイッ憲法学での議論の検討を中心課題とするが︑他のドイッ語圏に属す自由主義諸国の文献も参. 照した︒それらが西ドイッでの議論に相当の影響を及ぼしており︑それらを排除した場合西ドイツでの議論の検討が ︵34︶. いびつなものになるからだ︒. また︑内野正幸も指摘する通り︑西ドイッでの基本権的給付請求権に関する議論は︑基本権解釈論レヴェル︑憲法. 原理的考察のレヴェル︑さらには︑社会権条項の実定化とその際に採用されるべき定式をめぐる憲法政策論レヴェル. など様々な次元にまたがって展開され︑非常に解りづらい︒ここでは︑.それらの次元の相異に注意はしつつも︐それ. ぞれの論者の基本権的給付講求権に対する立場の理解に焦点を当て︑横断的に考察していきたい︒. * 文献略号は︑末尾参考文献一覧参照︒. た︶を盛り込もうとし︑結局草案中のその条項が削除されるに至った過程につき︑ま男2労トooひo︒占P. ︵1︶基本法制定過程で二条に﹁生活に必要な最低限の衣食住に対する保障﹂︵当初は行政による侵害に対し︑後に積極的保障の可能性も示唆ざれ. 栗城③ザ三二頁参照︒. ︵2︶ ラント憲法中の社会権の一覧につき︑謡圃●ω&霞黛ψo︒鉾. ︵4︶缶筈毘o︵一︶∪98駿・. ︵3︶. 西原八三︶二五三頁以下参照︒. ︵5︶代表的なものに︑朝塁器︵一︶︾ω●旨葭や訳.一四九頁以下噌鵠①の︒︒①︵ω︶導ψ&以幽凱=①のの①︵ω︶い9旨蜜. ︵6︶. ︵8︶. U帥二磯︵bo︶甲U砕昌αq︵一︶︸︾旨●一り開⇒︒蕊譲︷◎. ︵7︶ <騨ω魯①弩R︵一︶●この問題につぎ︑とりあえず︑浜田①︑野中ω︑石村等参照︒.

(9) ︵9︶即唇唱︵鱒γω●一葺中∴留ぼ旨霞︵ロ︶導ψ8奉連邦憲法裁判所のいわゆるリュ:ト判決での﹁客観的価値秩序﹂としての基本権の意義の強. ︵10︶. 切α︒響穿鉢⑦︵N︶Ψω︒N誤︷︒. くαq一・ω曾竃艮驚留︵一γψ一圏中・脚団げヨぎ︸ω8R脳藤田①︑栗城②参照︒. 一8 〇〇〇︵8㎝︶● 調も参照︒ω<霞お国. ︵11︶. ω目①昌斜ω︒8㎝・. ω昏巨詳︵一︶航ω︐旨9訳・一五五頁. ωく醇お国謡﹂巽野中②・一二七頁︑有沢・七入頁参照︒. ω魯目響︵ω︶りψ80 0・くαqド餌q魯ω3睡ぎ︵一γψま無こ嵩9訳一九五頁︑一九七頁︒. ︵B︶. ︵2 1︶. ︵14︶. 大須賀①・一八一︑一八二頁︑大須賀②・一〇一︑一〇二頁︒. 大須賀①.一 四 五 頁 以 下 ︑ 大 須 賀 ② ・ 七 一 頁 以 下 ︒. 中村二九頁以下︑七九頁等︒. ︵15︶. ︵17︶. ︵16︶. 例えば︑森佃.一九一頁以下︒ 大須賀②・一〇〇頁︒. ︵18︶. ︵19︶. 切一〇〇犀ヨ四βPω●一〇〇●. 本稿の対象に関連する研究は多いが︑同様の問題意識に支えられたものの中でも特に︑戸波︑青柳︑内野︑三並︑小山︑等参照︒. ︾一①×ざω●直O鷺h. ︵21︶. ︵20︶. 国菩①臨o§︺ω●o. oOR. ︵22︶. くαq一・里o魯ヨ貰詳ψ曽譲︷.田鵠窪段=霧器︵一︶一ψ鼠刈一訳一八一頁︒. 一四三. =o︒︒︒ ヘッセ・一八頁以下︑ω仲舘穿︵一︶堕ψ蕊oo宍甲望螢包ハ ︒ o︵⑳︶︸ω●島畦略∴頃霧器︵ω︶︾ω●εO窮. ︵泌︶. 幹嵩ど. 訳一八六頁. ︵23︶. く撃︑=⑦器o︵一︶ ω●漣鎗. くαq一︒缶讐包①︵一︶いの●謡Dく磯一・器3里①鼻目きpω●曽譲︷. ︾一〇図どψき濠●. ︵鱒︶u. ︵25︶. ︵26︶. 戸波・︵四︶七一頁以下︒. 奥平・二四六頁︒. ︵27︶. ︵29︶. ︵28︶. 基本権的給付請求権と基本権理論︵西原博史︶.

(10) 早稲田法学会誌第三十八巻︵一九八八︶. 国蔑. o o●ωooOい一薯帥づ斜ω︒㎝oo牢 o.曽卑くぴq一●力ま昌霞︵一yω●oo以噺●咽菊βぼ段︵鱒︶導o. ︵30︶ 竃醇8器︸ω●bo一.. ︵訂︶. く笹.8醤費頃蝉風oさω・ω心鍔甲菊亀5震︵一︶矯ω︒O一︷・甲譲昏斜ω●①累︷.. 一四四. o●曽め判例は︑既存の制度を前提に︑社会保険法上の請求権に︑所有権的地位を承認するようになった︒ゆく霞δ国紹導㌶8 ︵銘︶いo話震︾o. 自由主義的基本権理解と基本権的給付請求権. 法治国家と社会国家の対立. 二. ︵34︶内野・︵二︶一〇八頁︒. ︒究後退の禁止と既得権保護に附し︑℃8一9ω﹄9即象器二一︶uψo︒璽 ︵33︶露簿ρω﹄o. 1. −初期の社会的基本権否定論ー. 伝統的な自由主義的基本権理論は︑基本権的給付請求権に対し否定的な態度を採る︒議論の出発点を明らかにすべ く︑この基本権的給付請求権否定論の検討から考察を始めたい︒. 初期の否定論は︑社会的基本権の考え方自体が法治国家・立憲主義の伝統と相容れないと指摘し︑基本権の自由権. 的性格を維持する︒その様な推論は現在の議論水準から見れば相当乱暴だが︑この時期に提起された問題は今の議論. をある程度規定しているし︑自由主義的基本権観を貫徹した姿も示される︒そこで︑典型的なスイスの国法学者フー. バー︵訟・エ昏段︶の見解を見︑同様の論理を西ドイッのフォルストホフ︵頃悶03疹oδの議論に確認したい︒ ︵1︶. 一九四八年のフーバーの論文は︑﹁﹃社会権﹄を立憲国家の憲法の中に組み込むことが呼び起こす困難を示す︵ψ. 卜︶﹂ことを目的とする︒これで明らかな様に彼は︑自由権と理解された基本権を﹁立憲主義﹂の伝統の中に置ぎ︑社. 会権をその伝統と一致しないため憲法の中に位置づかないとする︒その際﹁立憲主義﹂の出発点は︑人問の自然的自.

(11) 由に置かれる︵ψo︒︶︒その自由は︑啓蒙主義的自然法論に源を有する︵ψo︒︶︑前国家的・超国家的な不可侵︑不可. 譲の権利で︵ψ㎝︶︑シュミット︵ρω魯巨εを引用しつつ︑﹁個人の原則として無制限な自由の領域﹂を前提とす. ︒︶︒国家の目的は個人の生命︑自由︑所有の確保にあり︑憲法の本質もそこに見られる︒ るものと提示される︵ω︒o. ﹁憲法はその確保を作り出すもので︑とりわけ国家権力の制約である︵¢oo︶﹂︒. 彼は︑憲法上の社会権が構造上この立憲主義に適合しないことを︑上の考察から帰結する︒まず第一に︑社会権が. ゲヴエ レン. 自然法的に基礎づけられない点が指摘される︵ψ舞︶︒さらに︑社会権がこの憲法の本質と相容れず︑憲法を変質さ ゲヴエじアライステン せる要素とされる︵ψo︒歪︶︒﹁自由の理念は立憲主義の理念であり︑黙示的に自由を度外視し︑単なる保障すること. から与えることへと自らを置き換える憲法は︑⁝⁝自らを解体する︵¢O︶﹂︒憲法が国民への給付の保障から成り立. つ国家の国家理念が︑立憲主義とは無縁な社会主義の理念とされ︵ω︒O︶︑二つの異なった国家理念の妥協として基. 本権カタ・グに自由権と社会権を盛り込む可能性も︑両グループの権利が部分的に対立し︑どちらかが退かざるを得 マ. スガロペ. ないため︑否定される︵ωピ︶︒この︑所与の自由を﹁保障する﹂ことと︑社会的権利を﹁与える﹂ことの差は︑彼に. とり本質的だ︒基本権の本質を﹁立法の基準設定によらずに保障される﹂ことに見る︵ω﹂O︶彼は︑社会権が﹁その. ﹁真の基本権﹂でないと強調する︒. 性質上︑立法の基準設定により与えられる権利﹂で︑立法者による現実化あるいは実定化を必要とする︵¢二︶た め︑. ︵2a︶. 彼が妥当し続ける理念として設定した﹁立憲主義﹂を﹁法治国家﹂で置換すれば︑フーバーの議論はフォルストホ ︵2︶ フの問題意識に接合する︒もちろん︑﹁社会的﹂とも特徴づけられる彼は︑フーパーほど単純に自由主義への固執を. 一四五. 是認はしない︒だが︑法治国家と社会国家の単純な対置と法治国家の優位の帰結には︑フーバーの論理との類似が確 認できる︒ 基本権的給付請求権と基本権理論︵酉原博史︶.

(12) 早稲田法学会 誌 第 三 十 八 巻 ︵ 一 九 八 八 ︶. 一四六. ︵3︶ 彼のこの問題意識が展開されるのが︑周知の一九五三年の国法学者大会報告だ︒法治国家と社会国家の憲法レヴェ. ルでの融合を否定し︑憲法︑立法及び行政の結合の中で初めて両者が結び付くとし︵¢お︶︑さらに基本法の﹁社会. 的法治国家﹂の定式が何らかの権利・特権や制度を導き出す法概念なととを否定した︵ω︒嵩︶この報告で彼は︑法治 国家←自由権と社会国家←配分参加権の線の対置を行う︒. 彼は︑法治国家憲法が﹁第一に限界づけ︵ψ曽︶﹂で︑﹁すべての古典的基本権は︑限界づけ︑国家権力がその前. で立ち止まらなければならない領域の設定である︵ω﹄凝︶﹂とする︒それに対し配分参加権は︑﹁個人を社会的状況. に委ねず︑提供により援助する給付︑配分︑分配を行う国家﹂すなわち社会国家に関連するハ¢紹︶︒そして︑・配分. 参加権が立法︑行政による﹁段階づけと類別化﹂を要し︑﹁執行のための成熟性のある抽象的規範で言い表せない. ︒緯︶﹂から︑﹁簡潔な短さに専念しなければならない憲法﹂の課題でないとされる︵¢紹︶︒その配分参加権を ︵¢o ︵4︶. プログラムの地位に置かず︑直接の法的拘束力を承認した場合︑彼が法治国家の本質的要素とする法律の憲法と執行. 権の間の仲介機能︵ω●o ︒刈︶が排除される︵ψ合︶︒この問題を基本法一条三項により克服する試みに対し彼は︑その. 条項が一般化を許さない特別規定だとして対抗する︵oo●亀い︶︒結局︑基本法の社会的法治国家への信条告白には︑ ﹁基本権の極端に個人主義的な解釈を妨げる﹂︸意義のみが認められる︵ω﹂o︒︶︒. 両者は︑社会国家的な要素を憲法や基本権解釈の次元から完全に放逐する所で共通する︒その際基本権は︑立法に. 先立ち所与の内容を持つ︑国家活動の制限としての自由権と理解され︑.〜給付権はこの枠組には適合しないことにな. る︒しかし︑フーバーの様に︑自由を自然的なものと単純に前提とすることが︑今日の国家状況の中で許されるの. か︒その様な自由は︑単に一部の持てる者の自由に過ぎないのではないか︒また︑フォルストホフの言う﹁個人を社. 会的状況の中に委ねず︑提供によって援助する給付︑配分︑分配を行う国家﹂としての国家の役割は︑本当に憲法レ.

(13) ヴェルで考えなくていいのか︒こういった問題点は︑自由主義的憲法解釈の傾向に属する論者たちによっても︑次第. ﹁現実的﹂自由. に考慮されるようになる︒ 2. ー共通の前提の形成. 一九七〇年代に入り︑学説︑判例上で配分参加権が憲法解釈論の表舞台に登場すると︑自由主義的基本権理解の論. 者も︑社会国家的基本権理論の提起する間題に何らかの対応を追られる︒かくして︑法治主義・立憲主義を前面に出. し︑それとの矛盾から社会国家的要素を憲法レヴェルから排除する様な議論は影を潜める︒フォルストホフが単に事. 実として確認した社会国家性も︑次第に規範的に基本権解釈に取込まれる︒そうして配分参加権をめぐる議論の共通. の土俵が形成され︑議論は︑相容れないイデオ・ギーの対立でなく︑一定の間題状況に対応するための基本権理論上 ︵5︶. の論争の様相を呈する︒当然そこでも︑法治国家の強調は︑特に社会主義や啓蒙絶対君主主義的福祉国家に対し一線 ︵6︶. を画す上で一定の役割を果たす︒だがそこでは法治国家は︑フォルストホフの言う様な構造上の改造を許さないだめ ︵7︶. レ. アじ. レ. 社会国家に道を開けないものでなく︑国家の内容と目的でなく形式であるため社会国家とも適合し得るものと捉えら れる︒. ここでまず︑議論の土俵を形成していった自由主義的基本権理論の対応に目を向けたい︒この土俵は︑﹁現実的﹂ ︵8︶ 自由をめぐる問題意識の形成と捉えられる︒すなわち︑国家的強制からの人問の解放だけでは人間の自由を実現する. のに不十分だという古くからの認識が憲法学上で再評価を受け︑自由を行使するのに必要な物質的前提に対する国家. 的保障の必要性が意識される︒それを前提とすれば︑社会的基本権も︑自由権の必然的対立物でなく︑自由権展開の. 一四七. 基盤となる︒社会的基本権の思想自体を内容的に問題視する者は︑この時期にはもういない︒社会国家条項の実現と 基本権的給付請求権と基本権理論︵西原博史︶.

(14) 早稲田法学会誌第三十八巻︵一九入入︶. 一四入. しての社会保障等の社会政策に対するコンセンサスは︑すでにでぎあがっていた︒争点は単に︑この社会的基本権の. 思想を憲法的に実現する形式と方法だ︒このように︑配分参加権を肯定する者が規範的帰結の前提とするこの自由行 ︵9︶. 使の事実上の前提が保障される必要性の認識が︑規範論的には基本権的給付請求権に否定的な態度を採る者の多くに も共有される︒. この認識を前提に現実的自由を保障する法制度の問題を自由主義的基本権理解の理論枠組に取り込む例として︑ベ ッケンフェルデとクライン︵軍=匿oぎ︶の見解を追ってみょう︒. ベッケンフェルデはこの問題連関を︑国家への新たな役割の帰属と捉える︒﹁国家に対し︑基本権的自由の必要な. 前提を作り出し︑確保する責任が︑憲法により認められる︵㌣o o﹄魔ととの理解だ︒これはまず︑基本法の前提と ︵10︶. する基本権理論から導き出される︒彼は︑一九七四年の基本権理論に関する論文で︑様々な基本権理論を検討した. 後︑基本法が配分原理に基づく自由主義的基本権理論を指導原理とすることを確認する︵ω﹄虞︶︒これは︑彼が原. 則として自由主義的基本権理解を採ることを明示する︒が︑彼はまた︑基本法がそこで立ち止まらず︑拘束的憲法原. 理としての社会国家条項の確定により︑基本権的自由を実現するための社会的前提にも目を向ける点を確認する. ︵o区.︶︒その意味で彼の自由主義的基本権理解は︑もはや自由行使の事実上の前提を所与とせず︑それの保障まで射. 程に含む︒国家の新たな役割も︑そこから導出される︒ ︵11︶ こう考えれば︑社会的基本権の思想に内容上の異議を唱える必要はない︒八一年の社会的基本権を扱った彼の論文. では︑同じ理論から︑社会的基本権の観念が﹁必要性と正当性﹂を獲得する︒そこで彼は︑自由の現実化の必要な前. 提を自由の一部分と認め︑そのためその前提の保障を目指す社会的基本権の観念を﹁市民的・自由主義的法治国家の. 自由保障と対立するものでなく︑変化した社会状況での事物論理上の帰結である﹂と評価する︵ω●O︶︒.

(15) ︵12︶. ︵13︶. だが彼にとりこの問題は︑あくまで国家の責任の問題で︑基本権解釈と区別された次元で扱われる︒現代国家の役. 割分析を行う一九七八年の小著では︑平和統一体︑決定統一体︑権力統一体で︑支配の秩序と自由の秩序との性格を. 持つ国家︵φ憲監︶が︑人問の基本的な生存目的を実現・確保するために考え出され︑作り出されている︵ω﹂o︒栖︶. ことを前提に︑﹁すべての者の共通の利益の守護者﹂の役割が国家に帰せられる︵¢器︶︒この役割は︑法的に保障. された自由を実際に行使するための︑﹁自ら所与でなく︑政治的努力なしで自ら維持されもしない一定の社会的・構. の特定の社会的条件に依存するからだ︒. 造的な枠組条件﹂の保障を含む︵¢8︶︒﹁人格的展開及び自己決定と理解される自由﹂の行使可能性が︑個人自身. しかし︑この様な国家任務が承認されれば︑自由権も伝統的な前国家的自由ではあり得ない︒もちろん彼の議論の ︵M︶. 根底には︑原則的に無制限な個人の自由と原則的に制限されたその領域での国家の権能という︑シュミット的配分原. 理がある︒彼が自由を﹁人格的展開と自己決定﹂と把握するのも︑そこに基礎を置く︒だが同時に彼は︑限界のない. 由としてのみ可能であるとし︑﹁秩序づけの決定機関﹂としての国家の必要性を認める︵ω・一①ご︒その限りで︑自由. 自由が強者の無制限の力でしかないことから︑その様な自由が確保された継続的な自由としては法的に制限された自. の前国家性に固執せず︑ヘーバーレの︽立法により限界づけられ︑形態づけられた自由︾の構図の一方の要素に歩み 寄りを示す︒. クラインは︑そこでもベッケンフェルデに一致する︒自由﹁形態づけ﹂の構図を︑行使可能となるには立法者が必. 要なヴァイマール憲法下のプログラム規定の地位に基本権を戻すと批判する彼も︑基本権的自由を﹁法により保護さ ︵15︶. れた︑法の中の︑法秩序により限界づけられた自由﹂とする︵ψ9︶︒この彼の自由主義的基本権理解は︑一九七四. 一四九. 年の著書で展開される︒その際の出発点は︑﹁自由主義的基本権理解は︑自由権に︵様々な仕方で︑多様な理由から 基本権的給付請求権と基本権理論︵西原博史︶.

(16) 早稲田法学会誌第三十八巻︵一九八八︶. 一五〇. 制約可能だが︑核は不可侵な︶個々の人間・市民が望む通りに行動し得る領域の保障を見る︵ψ脇ととの基本権理. 解だ︒そして︑給付や経済統制など現実の自由を作成する国家の多様な任務を承認し︵ωも8︶︑現実の自由に配慮を. o は︑国家の恣意からの自由をー少なくとも過去よりも!不要なものにしない︵o. 零とと︑基本権の防禦権的性格と. 示すが︑最終的には﹁今目多くの人間にとり国家から自由な領域での個人的展開が国家的配慮に依存するという事実. いう出発点に立ち戻る︒. それでは現代的間題は︑基本権との関係で︑どの様に考察に取込まれるのか︒クラインは︑その入り口を基本権の. 制約に見る︒﹁環境保護の様な現代的問題を評価する試みは︑基本権の制約に手掛かりを見出さなければならない. 列に併存し︑基本権により. ︵ω●9︶﹂︒彼にとっては︑社会的︑技術的条件の変遷の中での基本権の具体的射程は︑基礎に置かれる自由概念の間 グライヒランギツヒ. 題でなく︑基本権の制約の問題だ︒もっとも︑﹁政治的自由と市民的自由は相互に伺. 同一の制約の枠内で保障される︵¢匿︶﹂とする彼が︑基本権制約の問題にどうアプローチするのか︑制約を考える ︵16︶ だけで彼が例に挙げる環境保護の問題等に満足な解答を与え得るのかは︑彼の論述からは明らかでない︒. この様に変化した社会情勢や国家任務の中でも基本権の防禦権的性格を堅持するクラインの間題意識からは︑それ. が配分参加権の否定に結び付くことは︑簡単に推測でぎる︒しかし彼のみならずベッケソフ遇ルデも︑結局は憲法上 ︵17︶ の社会的基本権の否定に至り︑社会的基本権の観念が憲法委託の形でのみ憲法に取込まれ得るとする︒彼が正当性を. 認めたのは︑社会的基本権の﹁観念﹂でしかなかった︒この観念の実現を︑基本権の問題としてではなく︑国家の責. 任との関連で論じる彼の立場は︑憲法委託という実現形式に反映する︒次に︑彼ら自由主義的基本権理論の論者が基. 基本権的給付請求権否定論. 本権的給付請求権を否定する論拠を探りたい︒. 3.

(17) クライソの配分参加権否定の論理の一端はすでに示唆した9つまり︑配分参加権は必然的に立法者による実現を要. し︑︑そのためこれを基本権と承認すれば基本権の規範的性格が曖昧になり︑基本権がプβグラム規定の地位に引戻さ. れる危険があるとの論理だ︒基本権的給付請求権を否定する論者は︑この論理を共有し︑最強の論拠として繰返し主. 張する︒その出発点は︑フ!パーやフォルストホフが簡題にした︑給付請求権が所与の内容を持たず︑従って立法者. による実現を必要とし︑その限りで自由権と構造的に異なる点と重なる︒ここで︑現在の自由主義的基本権理論にょ る給付権否定の論拠を再構成してみよう︒. そこでまず前提となるのは︑基本権的給付請求権が直接執行可能でなく︑立法による具体化を必要とする点だ︒こ. れは︑二つの理由から導き出される︒第一点は︑内容的不明確性だ︒すなわち︑給付の内容︑程度︑時期︑その他多 ︵18︶ くの細目は︑憲法め条文で簡潔に定式化でぎない︒クライソが上の著書で︑﹁配分参加権から直接提訴可能な請求権. が獲得できない︵¢$︶﹂ことを理由に︑基本権的に保護された自由を拡大して社会的配分参加権を含ませようとし. た場合︑結局︑基本法が意図する直接の執行可能性が基本権から失われることを主張する︵の﹄o︒︶のは︑ここに根を. 持つ︒この認識は︑基本権的給付権に対しで消極の議論を組み立てる者が︑すべて前提にする︒. この内容的不明確性の論拠は︑仮に従来の憲法形式から逸脱し︑詳細な内容の給付請求権カタログを憲法に採用す. るなら克服でぎる︒だがその場合︑その時々の社会的条件︑特に社会の給付能力により変化すべぎ給付内容が硬直化. するか︑さもなければ憲法の安定化機能が犠牲になり︑社会的条件の変化が憲法危機を意味する︒憲法改正で社会的 ︵B︶ 基本権を取込む可能性をオーストリアに関し検討したトーマンドゥル︵↓拝↓o旨蹄&︶︑の一九六七年の著書が︑社会. 的基本権が適用・執行可能なためには社会立法の少なくとも本質的部分が憲法上の地位に高められる必要があるが︑. 一五︸. そうすると︑社会立法が状況に適用する可能性と必要性から︑憲法の安定化機能が犠牲になると指摘するのは︵ψ 基本権的給付請求権と基本権理論八西原博史︶.

(18) 早稲田法学会 誌 第 三 十 入 巻 ︵ 一 九 八 八 ︶ ︵20︶ ︒い︶︑この問題を意識する︒. ωo. 繍五二. 社会的基本権の実現が立法へ依存する根拠の第二は︑国家財政への関連性だ︒給付権の実現は国家の財政支出を意. 味する︒国家の給付能力が有限なため︑財政支出を伴う国家任務遂行の煩位決定が不可避だが︑この決定権限が財政 高権を持つ立法者に委ねられるとするのが︑西ドイッでの了解事項となっている︒. これらの前提にもかかわらず給付請求権を裁判所が実現すれば︑裁判所はこの立法者の機能を纂脱し︑政治的な指 ︵21︶ 導機関の役割を引き受ける︒これは︑権力分立に反すると考えられる︒マルテンスが一九七一年国法学者大会報告. で︑配分参加権と政治機関の役割の関係を問題とし︑現代給付国家の多様な任務遂行の際の優先順位の決定が公的予. 算に関する責任の範囲内で議会と政府に義務づけられ︑政治的責任を負わない裁判官の任務であり得ないが︑裁判官. が基本権を本源的配分参加権に作り変えるなら︑﹁裁判官が政治的な指導機関の役割を寡奪し︑権力分立の核心を踏. ︵22︶ みにじる﹂ことを論証する︵¢o︒㎝︶のは︑この点を衝く︒同様にベッケンフェルデも︑社会的基本権を扱う論文で︑. 給付請求権の実現を法的問題とした場合の問題を示す︒つまり︑国家的財政手段の投入・分配や給付請求権の程度決. 定といった︑本来民主的過程に委ねられる間題が基本権の実現に関する間題となり︑政治は憲法執行に改造され︑民. 主的意思決定の範囲が限定される︒彼にすればこれは︑﹁民主的・法治国家的憲法秩序の司法国家・裁判官国家での 代置﹂に他ならない︵ψ富︶︒ ︵23︶. このような権力分立の論拠を主張するのは︑自由主義的基本権理論に属する者に限られない︒例えば基本権の客観. 的原理としての意義を強調するヘッセ︵溶譲9器︶の教科書も︑﹁社会的基本権の構造が︑古典的基本権と全く異な. ︒分訳一〇二頁︶﹂点を確認し︑配分参加権に関し︑それが政治的意思形成を制約するため︑﹁自由権の1提 る︵¢o. 訴可能な⁝配分参加権への一般的解釈変更は︑政治過程の秩序と国家任務の基本法による配分の観点から禁止される.

(19) ︵24︶ ︵ω﹂認・訳輔四九頁︶﹂との結論を引ぎ出す︒これ億他の論文では︑﹁本源的配分参加権としての基本権どいう考え. 方と民主的な秩序との問の︵体系的︶矛盾﹂と表現される︒. このように所与の内容を持たない給付請求権を憲法上の基本権とする一つの可能性は︑この権利を﹁形態づけの留 ︵25︶. ︵26︶. 保﹂に服させ︑内容確定を立法者に委ねる方法だ︒しかしその場合︑裁判所による法的コソトβール可能性の間題が. 生ずる︒トーマンドゥルは︑この点を明示的に間題にした︒彼は︑社会的基本権が﹁形態づけの留保﹂を伴い立法者. による具体化の範囲内で実現されるものとして実定化されれば︑法的コントロールに服さず︑政治的コソトロールし. か可能でないと指摘する︒立法不作為の確認と具体化の司法的実現という二方法のコント質ールが考えられるが︑後. 者の場合上で指摘した権力分立の問題が生じ︑前者の場合も︑社会的基本権の具体的な内容︑範囲︑程度等の決定が. 政治的行為によってのみ可能なため︑裁判所がそれを行うと結局権力分立の問題が生じるとされる︵¢巽聴︶︒. これらの点から自由主義的基本権理論の論者は︑基本権的給付請求権が一般に司法適合性を欠き︑直接執行可能な. 主観的請求権でないとする︒ここに次の問題点が浮上する︒つまり︑その様なものを基本権とすると︑基本権の規範 ︵27︶. 的性格が不明確化し︑基本権が再びプログラム規定の地位に転落する危険があるとの危惧だ︒本節冒頭のクラインの. 主張もその文脈で理解できる︒彼はまた︑基本法制定者が社会的基本権採用を見合わせた点にも言及し︑それがプ・. る憲法委託に縮小せざるを得ないとの認識を前提に︑その様な縮小が一旦承認されれば︑それが基本権の給付次元に. グラム的性格というヴァイマール期の地位から基本権を最終的に救い出すことを目的としたものだと推測する︵ω・ ︵28︶ 紹h︶︒この問題意識は︑ベッケンフェルデも明示する︒基本権理論に関する論文で彼は︑社会的基本権が結局は単な. 限定可能か︑じきに基本権の全内容を捕えはしないか︑と危惧する︵¢駅O︶︒. 一五三. ここまでの論理を基本権的給付請求権否定の形式的論拠とするなら︑それに内容的な論拠が加わる︒社会的基本権 基本権的給付請 求 権 と 基 本 権 理 論 ︵ 西 原 博 史 ︶.

(20) 早稲田法学会誌第三十八巻︵一九八八︶. ︵30︶. 一五四. ︵29︶ が自由権と対立するとの主張がそれだ︒ヘッセの教科書は︑﹁社会的基本権の実現は︑他者の自由権の侵害につなが. る︵¢簿・訳一〇二頁︶﹂と指摘する︒これはまず︑トーマソドゥルも述べるように︑請求権の対象に対する国家の. 処分権限がない場合があることに由来する︒勤労権の内容として要求される職場が自由主義経済では国家の処分権に. 属さないこと等の例を考えれば︑その意味する所は明らかだろう︵ψo︒一︶︒ 轡九八○年の論文で社会的基本権に対し ︵31︶ 微妙な態度を示し︑結論的には社会国家目的の自由に対するアソビヴァレントな関係を指摘するイーゼソゼー︵仙●. 一の9の8︶は︑この社会的基本権と自由権の対立を二つの次元で詳述する︒彼は一方で給付受給者と他者の関係を問題. とし︑社会的基本権が私人の処分権限に属す財にまで拡張するため︑給付を受ける者の社会的基本権と給付の担い. 手・仲介者の自由主義的基本権との対立は必然的で︑社会的基本権の権利の徹底した解釈は﹁基本権的自律の国家的. 統制権限による代置へと突き進む︵¢ωおご﹂とする︒他方彼は︑究極的な所まで考え抜かれた社会的基本権が最終. この内容的論拠は︑社会的過程への国家介入の最適値に関する政治的な議論に接合する︒古典的な自由主義を信奉. 的には給付受給者の自由権をも止揚すると主張する︵ωるo︒O︶︒彼がそこで恐れるのは︑﹁すべての個人権的地位の止 ︵32︶ 揚とすべての社会的欲求の中央集権的な計画システムにょる客体化︵①げ創︶﹂だ︒. し︑国家の不干渉政策を支持するか︑それとも国家の積極的介入を支持するかで︑社会的基本権の思想に重きを置く. 経済の両極端が排除された︑量的な問題だ︒この政治的立場が理論に反映する仕方な︑興味あるテーマだが︑ここで. 程度が異なる︐この点は︑ある程度の国家介入を要求する基本法の社会属家条項の下では︑レッセ.フェール乏計画. ︵33︶. 他にも︑基本権的給付請求権のもたらす困難を示す文献は数多い︒しかし︑現在主張される基本的な反対論拠はだ. は理論面に集中しよう︒. いたい出揃ったと考えて差し支えないだろう︒もう一度整理しよう︒①基本権的給付請求権が直接執行可能でなく︑.

(21) 立法による具体化を必要とすること︵a.内容的不明確性のため︑b.国家財政への関連のため︶︑②そのため直接. 提訴可能な請求権を基礎づけないこと︑③にもかかわらず裁判所がそれを執行すれば司法による立法機能の寡奪が生. ずること︑④法的なコソト冒ールが可能でないこと︑⑤その様な基本権を承認すると基本権の規範的性格が不明確に. なり︑基本法一条三項との齪齪が生じ︑基本権が再びプ買グラム規定の地位に転落する危険があること︑⑥社会的基. 本権を詳細に憲法上実定化した場合︑この基本権の現状への適応必要性から憲法の安定化機能が犠牲となる点︑⑦自 由との対立可能性︵a.他者の自由と︑b.給付受給者の自由と︶︒. この認識は︑すべての基本権的給付請求権にあてはまるのか︒これらは必然的に基本権的給付請求権の否定につな ︵34︶. がるのか︒などの疑問が残る︒実際︑これらの反対論拠のいくつかは︑別の共通の前提として︑基本権的給付請求権. 閃o嶺渉oゑ︵一︶・影山二二五頁以下︑宮崎二一四頁以下︑岡田・︵三︶五〇頁以下︑等参照︒. 一五五. 一四九頁脚寓①ωωo︵鱒︶いo o●畠OW. を主張する者にも共有される︒以下章を改め︑この問題意識を胸に︑基本権的給付請求権に肯定的な見解の検討に進 みたい︒ ︵1︶=&9頁数は︑本文中括弧内に提示︒. ︵2︶高田/室井二二〇頁︒彼の理論の以下検討する部分もそこで簡潔に示されている︒. ︵3︶. ︵2a︶彼の法治国家論につき︑詳しくは︑岡田八四︶参照︒. 男o冨チo崩︵一γω. この一致の指摘に︑戸波・︵四︶七六頁︑匪①鼻葺磐Po D﹂Oご他︒. ω①●. ︒一略や ︵4︶くαq一・閏o屈︒︒爵o離︵鱒︶︶ω●一〇. ︵6︶. ︵5︶区一〇登ω・ωP. 以下で検討する文献の他︑↓o旨慧色︵一︶堕ω﹂9ζ節昌o霧︶ψ鵠導占■ψお一コ3ω①︵一︶堕ψ憲ωr訳・. ︵7︶丙一色Pω●oo舞. ︵9︶. ︵8︶. 基本権的給付請求権と基本権理論︵西原博史︶.

(22) 早稲田法学会誌第三十八巻︵一九八八︶. ︵. y. !N磯一. 切αO犀O昌︷α門αO ︵一y. ︵ト りγ ω● O轟Gゆ︒. ω︒ 一〇GQ︒. ︵ω︶樽O離二ヘッセニO頁以下︑㌍琶壽ぴψ①噛乙閃象昌霞︵N︶堕. ωぴO﹃①口︷α同α①. =o器①. ωαO闘①昌︷ぴ円儀O. ︵トつ︶. ︵11︶. ︵10︶. 切O鼻gまa①︵ω︶・. ︵鴛︶. ︵2 1︶. ωαO犀①昌︷O穫血①. ω●. O腔略. Q. ︾ぴ①一〇一昌一. ω●. 一一︷橋;. 同旨︑戸波・︵三︶七五頁以下︒. 国一︒昼この著作は戸波︑三並により詳細に検討されている︒戸波・ ︵三︶七〇頁以下︑三並 ︵二︶. ︵4 1︶ ︵15︶. 閤一①ぎ●. =OのωO ︵一︶●. 切αO即O昌︷α構島O. ︵藤︶. ︵Nγ. ω.. ①GQO.. 切α畠窪ま巳① ︵ 轟 ︶ い ψ お 斥 後 述 四 2 ︒. ︵16︶. ︵17︶. 日Oヨ騨5α一 ︵一﹀︒. ︵18︶. ︵19︶. 9帥H梓O口の︐. >皿oず. ︵22︶. 臼O菖卑β儀一. ︵21︶. ︵20︶. ︵23︶. ︵一γ. ω.. 一餌一︐. ①G QO●. <αq一. 頃餌びO目一〇. ハ門O彗髄昌山一. ω︒. =o器①︵⑳︶∪¢島お=①器o︵G︒︶埴¢Oごヘッセ・一七頁︒. ︾二〇げ. ︵⑩︶堕. ︵24︶. ︵一︶●. ︵25︶. 門O葺即口傷一. 囚一〇冒︒. ︵26︶. ︵27︶. ゆぴ畠魯ま包㊦︵ω︶●. 一ωO旨のO①D. ↓Oヨ帥口伽一 ︵一︶●. =①のω①︵一︶︒. ︵28︶. ︵30︶. ︵29︶. ︵31︶. O円簿ぴ一けN. ︵一︶Ψω. 〇四頁以下︒. 一五山ハ. ω刈賄犠.甲 O﹃鶴げ一酔賦. ︵鱒︶w. ω.. ﹃●.

(23) 2 ︵ 3︶ ωo. ︒ゴ>訂冨ぎ・ω﹄県節O轟蔑§︵一︶ψ薩罵沖露9内野・︵二︶一〇九頁以下︑戸波・︵三︶六八頁以. そこまで貫徹しないが︑その指摘に︑ 守弩器びω・置宍そのような勤労権が勤労義務につながる点の指摘に︑≦・ω魯昌費ψ鐸. 下参照︒. ︵33︶ ω霊p器さω︒一譲︷∴勾無審H︵Nyω●. ω●旨ヂい ■o話昌Nいω︒一9①勾︒. 基本権としての給付請求権. 4 ︵ 3︶以下で検討する文献の外に︑ω&弩辞. 三 1 主観的請求権としての給付請求権. −最低限度の保障. 前章の基本権的給付請求権否定の論拠は︑必ずしもすべての給付請求権に妥当はしない︒特に︑内容が不明確と言 ︵1︶. えない最低限度の保障は︑立法的具体化が不要で︑裁判による適用も可能と考える余地がある︒社会的基本権をめぐ ︵2︶. る議論の中で比較的早くから認識されたこの点は︑議論の進展に従い︑自由主義的基本権理論の枠組でも承認される. ようになるし︑新たな理論を構築する過程でも考慮に入れられる︒自由主義的基本権理論による最低限度の保障の承. シュタークは一九七六年の論文で︑基本権実現への国家的な組織と資金提供の意義を考察し︑後者の連関で配分参. ︵3︶. 認としてシュターク︵Oぼ・ωけ費身︶︑新たな規範論的基本権理論による承認としてアレクシーを取り上げてみたい︒. 加権の間題を扱う︒その際の考察方法は︑﹁制約理論﹂と彼が呼ぶ伝統的な︽自由対制約︾の構図に意図的に規定さ. れる︒基本権により保護された自由が視野から抜け落ちず︑組織法が新たな中間権力のために基本権の効力を失わせ ︵4︶ ることを妨げることを狙ってだ︵ω●蕊①︶︒彼の自由主義性は︑五年後の論文で﹁基本権の制度理論︑価値理論の言う. 一五七. 意味での自由行使の積極的義務づけにより︑憲法上の自由の保障は失われる︒拘束力条項︑基本権の手続的保護は空 基本権的給付 請 求 権 と 基 本 権 理 論 ︵ 西 原 博 史 ︶.

(24) 早稲田法学会誌第三十八巻︵一九八八︶. 一五八. 洞化する﹂点を理由に基本権の客観法的側面に対する主観法的側面の優位を主張し︵oo●80︶︑防禦権としての基本 権が現在なお果たす重要な役割を強調する︵¢認O︶点にも現れる︒. 彼は︑自由主義的基本権理論の例に漏れず︑原則的に配分参加権に消極的態度を採る︒その際強調される否定論拠. は︑財政関連性と財源の僅少性︵①b︶︑請求対象の不特定性︵①a︶︑拘束力条項︵基本法一条三項︶との対立︵⑤︶. の三点だ︒だが︑否定論拠の明確な把握は︑その間題が克服でぎればこれが否定される必要のないことを意味する︒. かくして七六年の論文で彼は︑判例の考察の結論として︑特定の状況で本源的配分参加権が基本権から導き出せるこ. とを認める︒判例の検討で彼は︑具体的に二つの権利に関する判例を積極に評価する︒第一は︑扶助を求める憲法上. の請求権に関するものだ︒生存最低限の保障のみに関する国家の憲法上の給付義務は国家予算に過大な要求をなさ. ず︑連邦憲法裁判所が生存最低限の程度を確定することで間題が解決するとされる︵ωぴ8︶︒そしてもう一歩進み︑ ︵5︶ 私立学校の国庫助成を求める権利を基本法七条四項の私立学校の保障から導出した連邦行政裁判所の判例も評価す. る︒彼によればこの問題は︑私立学校の担い手が国家から解放した財政負担に関わるため予算上の問題を起こさず︑. また生徒一人あたりの支出が統計的に確定可能なことに特色があり︑そのため配分参加権への反対論拠が妥当しない. とされる︵¢㎝認︶︒その様な考察から彼は︑憲法上の給付請求権が認められる要件を定式化する︒﹁a︑自由権のど. うしても必要な実体的確保︑b︑請求対象の確定可能性︑c︑立法者の予算に対する責任を侵害せずに必要な手段が. 財政上確保できること︑d︑それにより配分参加権が拘束力条項に服すること︒最初の三要件は︑並列的に存在しな ければならない︒第四の要件は︑先の三要件から出てくる︵ψ認①︶﹂︒. この様に彼は︑最低限度の保障に限ることで自由主義的基本権理解との給付請求権の構造上の不一致を克服し︑給. 付請求権を直接提訴可能な主観的権利としての基本権と認めた︒その様な考え方は︑全く違う前提から最低限度の保.

(25) 障を認めるアレクシーにもある︒ ︵6︶. ︵7︶. 法哲学的規範論から基本権にアプpーチする一九八五年の著書でアレクシーは︑独自の基本権理解を前提に︑基本. 権的給付権の問題を扱う︒そこで彼は︑従来社会的基本権として主張されたものが︑拘束的で主観的で断定的な権利. から︑非拘束的で客観法的でプライマ・フェイシーな権利まで︑強度の点で八つの可能性に亙ることを示し︑細分化. の必要性を説き︵¢合鰹一︶︑主観的権利で憲法上の権利である給付基本権の存在を間題にする︵ω﹂β︶︒その際︑. ﹁基本法め基本権は︑憲法上の観点から非常に重要であるため︑それを保障することあるいは保障しないことが議会 ライトイデヨ の単純な多数者に委ねられ得ない立場︵¢お①︶﹂だという基本権の指導理念を基礎に置く︒そして︑狭義の給付権. の問題につき︑賛成︑反対双方の論拠を提示︵¢ac︒ム臼︶︑衡量して結論を出す︒賛成の論拠としては︑自由の論. 拠を挙げ︑次の二つのテーゼに整理する︒イ︑法的自由は事実上の自由がなければ無価値なこと︑・.︑多くの基本権. 主体の事実上の自由は物質的基盤をその者の支配する生活領域に持たず︑本質的に国家活動に依存すること︒それ. に︑第二の賛成の論拠︑内容的観点︑社会的基本権が自由に展開する人間の人格と尊厳に向かう点が加わる︒これら. は︑前章で示した﹁現実的自由﹂への関心と軌を一にする︒それに対し反対の論拠として彼は︑社会的基本権が拘束. 的なら社会政策の権限が議会から裁判所に移り︑拘束的でなけれぽ基本法一条三項に反するというジレンマを指す形. 式的論拠︵前述①〜⑥︶と︑社会的基本権が他の実体的な憲法規範と一致しないか︑抵触することを意味する内容的 論拠︵⑦︶を挙げる︒. それらの論拠の重要性を認めて彼は︑それらを考慮したモデルに解決を見出す︒個人がどの様な社会的基本権を持. ち得るがは︑諸原理の衡量の問題となる︒彼によると︑給付権的な立場が断定的に基本権的に保障されると見るべき. 一五九. 場合は︑ω事実上の自由の原理がその保障を非常に差迫って要求する時︑③権力分立・民主性の原理︑及び︑③対立 基本権的給付請求権と基本権理論︵西原博史︶.

(26) 早稲田法学会誌第三十八巻︵一九八八︶. 一六〇. する実体的原理︑が︑給付権的立場の保障及びそれを考慮する憲法裁判所の判決により比較的軽微にしか侵害されな. い時だ︵ψお①︶︒その条件は︑最低限の社会的基本権︑つまり︑生存最低限︑単純な住居︑学校教育︑職業訓練︑. 最低水準の医療を求める権利の保障に際し充足される︵①区●︶︒もっとも彼も︑その様な権利の直接裁判所によを執行. を認めはせず︑手続上の実効可能性に関し︑憲法裁判所が取り得る手段として︑不作為の違憲性確認︑合憲の立法が なされるべき期間の設定︑憲法上命じられるものの公表等を示唆するに留まる︵ψ&奉︶︒. この様に両者は︑基本権的給付請求権への反対論拠を考察に取り込み︑それが妥当しない場合を考え︑最低限度の. 保障を基本権的な保障とし得ることを論証する︒その論述は判例に基礎を置く︒それが示す様に︑連邦憲法裁判所や. 連邦行政裁判所は︑配分参加権に関する議論の中で積極的な役割を果たしている︒最も有名だが︑シュタークは本源. エクシステンツミニムム. 的配分参加権の論証に成功しなかったと把握し︑アレクシーはプライマ・フェイシーな権利の存在を主張したと理解. する︑連邦憲法裁判所の大学入学定員判決には後に触れるとして︑ここで︑最低限度の保障︑特に生存最低限に関連 した扶助を求める権利に関する判例を確認したい︒. 連邦憲法裁判所は当初︑非常に限定的な範囲でその様な権利の可能性を考えていた︒一九五一年一二月一九日の基 ︵8︶ 本権的給付請求権に関する出発点をなす決定は︑﹁原則として個々の国民は︑立法者の行為を求める憲法訴願により. 追求可能な請求権を持たない︵ψεO︶﹂ことと︑﹁基本権の基本的思想は︑国家による扶助を求める請求権を個人に. 与えるものでない︵ω●一曾︶﹂点を前提とする︒そして︑﹁個人が扶助を求める権利を全く持たないわけではない︵¢. 一8︶﹂としながらも︑﹁立法者がこの︹社会国家実現の︺義務を恣意的に︑すなわち本質的理由もなく怠るとぎにの. み︑ここ︹基本法二〇条の社会国家条項︺から個人に対し憲法訴願で追求できる様な請求権が生じてくることがあり 得る︵・痒とと︑扶助を求める権利を基本権の間題から排除する︒.

(27) ︵9︶ それに対し連邦行政裁判所は︑やはり早い時期の判例で︑憲法上の権利としての扶助を求める権利の考え方を発展. させた︒その際この裁判所は︑その請求権を個別の憲法規定からでなく︑﹁憲法の指導的思想﹂﹁基本的思想﹂から引. き出す︒﹁憲法の基本的思想に従った扶助法の解釈は︑次の様な帰結を持つ︒すなわち︑法律が困窮者のために扶助. を行う者に義務を課すなら︑困窮者はそれに対応した権利を持ち︑その侵害に対し行政裁判所の保護を求め得る︵9. 一①N︶﹂︒この判決は︑扶助に関する法律の基本的考え方を︑秩序維持目的のものから扶助を受ける個人のためへと革. 命的に変えはした︒しかし︑行政裁判所の管轄からも明らかな様に︑あくまで法律を前提とした派生的な給付請求権 を扱ったに過ぎない︒. ︵10︶ その後連邦憲法裁判所は︑国家の扶助をなす義務を承認する︒一九七五年六月一八日決定は︑﹁困窮者のための扶. 助は︑社会国家の当然の義務に属する︒−⁝国家共同体は困窮者にとにかく人間の尊厳に価する生存の最低限の前提. を確保しなけれぽならず︑それを越えても︑困窮者を可能な限り社会に適応させ︑家庭での︑あるいは第三者による. ゲシユタルトウングスフライハイト. その者の適切な世話を促進し︑必要な世話をする施設を作らなければならない︵ψ旨o︒︶﹂と判示する︒だがそこで. も︑特に最低限に関連しない所では広く︑その義務を実現する方法に関する立法者の形態づけの自由が認められ. る︒その義務に対応する個人の扶助を求める権利の憲法上の位置は︑この判決では明らかでない︒基本法二〇条︵社 会国家︶との関連での基本法三条違反を問題とし︑それを結局否定するのみだ︒. この様に︑連邦憲法裁判所の扶助を求める権利に関する考え方は︑自制的で多義的だ︒だが︑連邦憲法裁判所の判 ︵11︶ 例は扶助を求める憲法上の請求権を承認したと理解するのが︑一般的な学説の受け取り方だ︒少なくとも︑立法者の. 一六一. 恣意的な癬怠の場合に憲法訴願により追求可能な扶助を求める権利が存在することは明らかだ︒学説上この権利は︑ ︵12︶ 通常︑基本法一条一項の人問の尊厳条項あるいは二条二項の生命の権利に位置づけられる︒扶助を求める権利を明文 基本権的給付請求権と基本権理論︵西原博史︶.

(28) 見・稲田法学△云灘⑳第三十八一巷︵一九入八︶. 一六二. で保障する憲法規定が存在せず︑判例では社会国家との関連での︵ぎ<R玄畳§αQ鼠什>貸8一〇〇︶一般条項的な基. 本権という形で給付請求権の基本権規範への帰属が語られるため︑この基本権がどの条項に位置づくかは︑その様な. 給付請求権の存否より重要性の乏しい閥題乏言える︒この扶助を求める憲法上の権利を問題視する意見は学説上も聞. かれない︒憲法構造上の位置などの形式的な問題に関してはともかく︑実体的には︑この不文の憲法上の権利は︑学 説上︑無言の承認を得ていると言って差支えなかろう︒. そこからも明らかな様に︑扶助を求める基本権の承認には︑憲法理論上の妨げはあまりない︒基本権的給付請求権. への反対論拠も︑生存最低限の保障が問題になり︑手続的には立法不作為の違憲性確認などが問題になる限り︑上の. 両者が示す通り説得力を欠く︒内容の不朗確さが依然残るが︑その点は連邦憲法裁判所が解釈の方法で確定でぎない ものではない︒. これ拡類推を許す︒最低限を問題にすることにより権利内容が裁判上確定可能で︑かつそれが立法者の財政権限に. 居︑学校教育︑医療などに関する最低限の保障が考えられる︒問題があるのは︑シュタークの肯定する私立学校の助. 過度な負担を課さない場合︑社会的基本権を否定する根拠はない︒その様な例としては︑アレクシーの挙げる︑住. 成請求権だ︒これは︑連邦行政裁判所の判決では本源的な給付権と認める形になっているが︑派生的給付権の問題と. 捉えるべきだろう︒個人の尊厳の保障に直接必要でなく︑個人の権利として定式化できず︑自由な私立学校制度の制 度的保障に基づいてのみ考えられるからだ︒. だが実際には︑最低限度の保障に限り給付請求権を基本権とする考え方は︑この問題に関する議論の本流には位置 ﹁社会的墓本権﹂肯定論. しない︒以下︑より広範に社会的基本権を承認していく考え方を検討してみたい︒ 2.

(29) 基本権的給付請求権の問題は︑憲法に社会権条項を取り込むべきか否かをめぐる議論の中でも展開される︒その. 際︑社会的基本権を積極的に肯定する論者に特徴的な点は︑社会的基本権概念を二重の意味で用いることだ︒. 一方でこの概念は︑狭義で︑直接提訴可能な憲法上の主観的権利と理解される︒だが狭義の社会的基本権は︑前章. の基本権的給付請求権の限界内でのみ肯定でぎる︒基本権として最低限度の保障を求める権利や︑すでに法律で具体 ︵13︶ 化された制度を前提とする派生的給付権等が︑狭義の社会的基本権と把握される︒. だが︑上位概念として広義の社会的基本権も語られる︒その内容に︑社会保障を求める権利を初め︑人間の尊厳あ ︵K︶. る生存に必要な身体的・文化酌な権利︑及び勤労権を初めとする︑団結権︑争議権や一定の労働条件を保障される権. 利などの労働者の権利が主張される︒これらの権利は︑自由権と違い裁判所による直接の適用が可能でない場合が多. b︒それでも社会的基本権が基本権と呼ぽれる︒そこには︑基本権に蘭する考え方の変化が見られる︒. 新たな考え方は︑端的には﹁基本権かどうかは︑その権利の適用可能性に必要な技術と手続によるのでなく︑その ︵15︶ 権利の国家と社会にとっての重要性による﹂との視点により特徴づけられる︒その裏には︑国家権力の制限でなく︑. 継続的な国家の基本的価値秩序として方向設定を行うものとしての憲法︑特に基本権規範の意義の意識︑さらには︑ ︵16︶ 憲法が倒家の重要な社会酌課題に関し沈黙するなら憲法が正統性を失うとの危機感がある︒. ここで︑社会的基本権を憲法に取り込むべきことを主張し︑それでもその社会的基本権に限定された範囲でしか請 求権の性格を肯定できないジレンマを抱えた議論を検討したい︒. 比較的早い時期に社会的基本権の欄題を論じたオ!ストリァの研究に︑憲法の伝統的な指導理念が克服されたと主 ︵質︶ 張する一九六九年のフ・レッタ︵犀罷o§鼠︶の論文がある︒彼は︑自然法的な不可侵の絶対的権利と表現されたも. 一六三. のが哺八・九世紀ブルジーワジーのイデオ・ギーに外ならず︑古典的・市民的自由は人問が確実な物質的生存を確保 基本権的給付請求権と基本権理論︵西原博史︶.

(30) 早稲田法学会誌第三十八巻︵一九八八︶. 一六四. できない限り無意味なため︑持たざる者の生存の基礎が社会的基本権の関心事だとする︵ω﹂︶︒それ故社会的基本. 権は︑憲法上の序列で古典的・市民的自由権と対置される必要があることになる︵ψω︶︒そのような政治的背景を. 明示した上で彼は︑その社会的基本権の法的構造の問題を論じる︒彼によれば︑社会的基本権は団結権の様に自由権. を内容としない限り主観的公権でないが︑すでに法律上存在する労働法︑社会法制度を制度的保障として憲法上確保. することは可能とされる︒その様な制度的保障は︑国家のダイナミックな社会政策義務と結び付く必要から︑法的拘. 束力ある国家の義務づけとしてのプログラム規定の形式でのみ可能なことになる︵ωふ︶︒ただ︑古典的基本権のか. なりの数︑特に所有権等が︑権利内容が一義的に定式化されてなくとも憲法裁判的保障を享受することを理由に彼. は︑﹁主観的権利と宣言的プβグラム規定の相違は︑質的なものと言うより量的なもの﹂とする︵ω︒窯︶︒彼が語る社 ︵18︶ 会的基本権は︑立法による﹁間接的実現﹂をみた権利でしかなく︑直接立法者を拘束しない派生的なものが中心だ︒. だが︑その社会的基本権を所有権などと同一レヴェルで語る彼の議論は︑興味を引く︒. その後の議論では︑より明確に社会的基本権の理論的起爆力が意識される︒西ドイッでも有名な一九七二年のスイ ︵19︶ スのヴィルトハーバー︵r≦まぎげR︶の論文は︑基本権性の基準を上の引用の様に権利の重要性に求めた︒だから. o.. といって彼は︑社会的基本権を広く捉えはしない︒﹁社会的法治国家における社会的基本権は︑最低水準と恣意の. 禁止と把握でぎる︒社会的基本権は︑個人が人間の尊厳に必要な最低限の社会的正義と経済的安定を確保する︵o. ︒一︶﹂︒自由権を脅威にさらすことを回避するためにこう限定された社会的基本権は︑それでも執行可能な最低限度. ωo. の保障と一致しない︒あくまで古典的基本権と社会的基本権との構造的相違が前提とされ︑その二元論が︑古典的基. 本権の客観法的理解により︑また社会的基本権に関し国家に対する給付請求権の基本権への凝縮により︑曖昧になっ. たと指摘されるに留まる︵ω﹄cρ鐸︶︒その上で彼は︑社会的基本権を法秩序に取り込む法技術的形式を探る︒その.

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