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キリスト教と自然法 統合に必要な政治倫理の基底をなすもの

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(1)社学研論集 Vol. 3 2004年3月 論. 17. 文. キリスト教と自然法 統合に必要な政治倫理の基底をなすもの. 坂 本. 進*. る位置を占めてきたか,キリスト教が自然法の はじめに 淵源やその復権,そして現代社会にいかに関 ヨーロッパが少なくとも19世紀を通じて世界. わってきたかを中心に概観し,さらに自然法思. の他の地域から区別された政治システムに纏ま. 想が平和的政治統合を視野に入れた欧州連合. り20世紀に統合の形を成し遂げえたのは,ギリ. (EU)の発展,就中政治倫理の形成にいかに. シャ的理性とキリスト教の精神とがその底流に. 必要とされるかを補完性の原理等を通して考察. 殊にキリスト教的ヒューマ あったからである0. する。. ニズムやデモクラシーの風土が統合の求心力と. 1. 自然法の歴史. して大をなした。 同様にして世界の他の地域に先駆けてヨー. 現在ヨーロッパのあらゆる国に見られる法認. ロッパにおいて法や契約思想の観念や習慣が発. 識の豊かなことは,その起源を中世11‑12世紀. 達したことも特徴的なことであり,これがヨー. のローマ法および教会法の刷新に発していると. ロッパ人をして相互の連帯を強固にしている。 ヨーロッパにおいて早くから斯かる契約思想が. 科学としての法学の出現や法原則で 言われる。. 芽生えたことは,直接的には彼の地で部族間や. (precedents)はこの時期に負っていると言わ. 民族同士の争いが絶えなかったことに拠ろう. この間とりわけ自然法の占める位置は れる(1)。. が,一方ではこれらの争いを出来る限り少なく. 極めて重要であった。 それは古来「人為法とし. するために,人間のみに与えられた理性の発達. ての実定法は常に権力者の意思表明である」,. ヨーロッパに に負うところが多いはずである。. と言う意識があり,「人間の良心」および「神. おいて人間の理性を唯一の法理念とする自然法. の啓示」としての自然法こそ真理を内臓せるも. の歴史は古く,とくに自然法は神の意思の表明. このため特 のと解せられていたからであった。. であり,神の啓示を基本とするキリスト教とは そこで本稿では自然法の きわめて関係が深い。. に中世において教会内部では伝統的に自然法が. 歴史と,自然法理論が西洋思想の形成にいかな. 国際法学者ダントレーヴによれば,自然法理. *早稲田大学大学院社会科学研究科 博士後期課程4年. ある理性(reason),良心(conscience),伝統. 支持されて来た。.

(2) IS. 論は幾世紀もの間カトリック教会に採用され,. アリストテレスAristoteles(384‑322bc)の. スコラ学者や教会法学者たちによる普通の教説 自然法理論 の一部をなしつつ神学に結びつけられていた. その理論は現実主義的・実証的自然法理論と. が,16世紀には神学から独立の合理主義的な体. 呼ばれ,ギリシャ法哲学は彼により頂点を極め. 理念の絶対的超越性を否定し, 系として自然法各派の思想家により解明される たと言われる。 ことになり,17世紀以降そのまま存続したと言. 理念を内在的に転化した(4)理念を現実の事物. われる(2)自然法はいわゆる法律学的な意味に. そのものの中に移転することにより,事物国有. おける「法」ではなく,自然法そのものはいか. の目標指向性‑エンテレケイア(5)‑を獲得. しかし なる経験的法源の中にも発見し得ない。 自然法は神の啓示によるもの,人間の理性およ. 彼は非常な楽天主義者 するに至ったと言う。. び道徳的価値を表明するものと解されて,実定. たO高坂直之によれば6),ギリシャ時代人間生. 法に先行して実定法を結実せしめ,実定法にお. 活を規律するのは書かれない自然法則であり,. この意味におい いて実現されるものとされる。. 時空的制約を受ける実定法の根本原理と,自然. で,現実に存在する国家の像の獲得に努力し. て「自然法とは人間社会の下絵・社会秩序の原 法則のそれとはまったくのシノニムであるとギ 一方実定法は人為 型である(3)」とも言われる。. アリストテレスは法 リシャ人は理解していた。. 的に作られたものであり一般的に強制によって を自然法(physikondikaion)と制定法nomi 実施されるものである。 したがって法としての. kondikaion)とに分類,前者は人為に依ら. 権威を維持するには,内在的正義を有さねばな. ず,地域的限定もされず,自然的正義によって. だから,「自然法こそ最高の意味にお らない。. 確定するものであり,後者は実定されることに. ける法であり,実定法の上に存在し,実定法の. より初めて一定の内容を持つことになるもので. 基準であり,その良心である」と表現される。. あるとして前者の自然法を普遍的なものと考え. 本章では自然法の歴史につき,自然法が西洋. たが,変化できないものとは考えなかった。 こ. 思想の底流に位置して果した役割を概観すべ. の自然法の弾力性が中世に入りスコラ哲学に引. く,まず自然法の父と言われるアリストテレス. き継がれトマスの自然法に発展したと言われ. を採り上げ,次いで中世初期から永年法思想に. 正義を「自然的正義」と「法律的正義」と る。. 多大の影響を及ぼした聖アウグステイヌスに言 に区分した。 自然法は実定法の「意味」であ 及,さらに近世以降の自然法論につきルソー,. り,その道徳的基礎たる規範であるとした。. そして,自然法とし プ‑フェンドルフを見る。. 「実定法は自然法を実現しようとするもの」,. て最も優れた表現と思想を有つと言われるスコ 人間の理念は「着き市民たることにおいて完成 ラ哲学におけるキリスト教的自然法については される」と説いた(7)ァリストテレスは最も実 トマス・アクイナス中心にキリスト教と自然法 証的であると同時に,最も形而上的である慣習 として次章以下で詳述する。. 法こそ法の最高の淵源であると考え,あらゆる 人為的法規は伝統によって承認され運営される と説き,成文法よりも慣習法の方がいっそう重.

(3) キリスト教と自然法 要な事柄に関係しているという。. 彼の法に対す. 19. ルソーJeanJacquesRousseau(1712‑1778). る観念はプラトンよりも多分にゲゼルシャフト. の自然法理論Oo). 的であったと言われる(8)。. ルソーに先行する哲学者たちは悉く社会の基 礎を検討するには自然状態にまで遡る必要性あ. 聖アウグステイヌスSt.. Aure仙sAugsutinus. りと主張したが,みな文明人を措くのみにて真. (354‑430)の自然法理論. の自然状態または自然人を措くものはいなかっ. 彼はトマスの出現まで中世における自然法理. ルソーはこの点を強調して,「本来自然状 た。. 論を代表するものと言われた。. 態においては,自然人は知性や理性,或いは自. 法と道徳の完全. 分離を否定しながらも両者の概念を明確に区分. 由を持たない。その理由は,理性は言語と繋が. 彼は法を宇宙をめぐらした永遠の経絡で した。. りを持ち言語は社会を前提とするが,自然人は. ある「永久法」とその永久法に基づく人為法で. 前一社会的段階にあるので前‑理怪的である。. ある「実定法」とに区分する一方,別途,法を. したがって理性の法である自然法についてのい. 「自然法」,「神法」,「人為法」に三区分した。. かなる認識もまったく不可能である。. このうち「自然法」は専ら第一原因である創造. あらゆる点で前一道徳的である0カ」と説いた。. 主の意を奉じ,それによって各自の良心に啓示. またルソーは,「人間性は歴史的過程の産物で. される法を意味し,万民法はこの一つであると. ある」,という前提を受け入れることが出来ず,. 古代哲学の理念は彼の極めて豊かな精神 した。. 「歴史的過程はその目標や目的についての先行. の中に延り,新しいキリスト教精神の中に形成. 知識がなければ進歩的なものとは認識されな. されたとされる。 彼によりプラトンが天国界に. い,人間に真の基準を与えるのは歴史的過程の. 住まわせた実体的理念は神の叡智となり,スト. 知識ではなくて真の公共的正義の知識である」. アの非人格的世界理性は人格的な全知全能の神. かくして人間の原初的状態としての自 とした。. となり,アリストテレスの全く理神論的な知性. 然状態と人間の法的状態としての自然状態とを. (nous)は世界を越える創造主となったと言. 区別した。結局,前近代的自然権,自然観への. う(9). 復帰に繋がった。 常に「自然に帰れ」を標模. 永久法は彼にとって最高理性・久遠の真理及. し,国家は人間的なものの秩序ではな.. び神自身の理性と同義であり,この法にした. ための奉仕者でしかない。 この故にこそ自然権. がって神の内的生命と活動とが進められかつ規. が実定法により侵害されるときは革命のための. 定されるとされた。 神の理性は秩序であり,そ. 権利も存在するとした。. の法はこの本質と価値との秩序を構成した。. 自然人は. く人権の. し. かしこの規範は神の不変かつ内在的本性と同一. プーフエンドルフSamuelvonPufendorf. であるからそれは神を超越するものではなく,. 1632‑1694)の自然法理論. 神と本性を共にし,神と同様に不変であると説. 人間は本来社交的動物(animalsociable)で. いた。. はあるが社会的(Social)ではないと説き的, 神に対する義務のカタログ即ち自然宗教の基礎.

(4) 20. 原理と,自己自身と他人とに対する義務とを提. キリスト教においては自然法とは神の意思の. 示した。 そしてあらゆる実定法を仮定的自然法. 表明であるとする。 それは人間の内なる「神の. として説明できるとした仕頚。 国際法はただ自然. 声」であり,「神の法(神法)」ないし「永久. 法からのみ成立する。 それは君主及び国家は自. 法」とも呼ばれる。 自然法は理性の内において. 然状態にあり,そこには国家も世界国家もない. 公布され,啓示によっても公布されるとされ. からであるとし,自然法は事実としての社交性. る。 さらにキリスト教においては人間としての. による外部的秩序に関するもの,それは神が人. 理性の法と,キリスト教徒を拘束する福音の中. 間をその全能の意思に従ってそのように創造し に啓示された法との区別がある。 またそれは人間が たが故に妥当すると説いた。. 新約聖書は啓示の記録であり,イエスの述べ. いまだ存在しない間は安当せず存在もしない。 伝えた法が言葉の正確な意味での法であること そして神の叡智が自然法の根源なのではなくて が論証されるn匂。 そして,啓示から学んだ理性 人間本性が自然法の根源であるとした。 このた. は新約聖書の中に示された法の完全に理性的な. め彼の自然法理論は永久法の概念を欠いたと言 性格を認知できるとされる。 すなわち新約聖書 われ,幸福主義的オプティミズムと称された。. の教えと他の総ての道徳的な教えとを比較すれ. 国家は法に拘束されたもので法と法律とは離反 ば,自然法の全体が新約聖書において得られる することがあり,法は個々の法律の上位に有る. こうしてキリス ことが明らかになるとされる。. と説く84. また法を上位のものから下位のもの. ト教においては自然法の全体は唯一新約聖書に. への指図と定義し,神が人間に社会的本性を付. おいてのみ得られる。. 与し「社交的」たらしめたからこそ自然法に拘 スコラ派のキリスト教的自然法においては二 束力があるとした。. つの秩序(理性と超自然)を形式的に区別しな. 服従契約によって国家を成立させ,自然法は. がらキリスト教の啓示を理性に不可欠な補助力. 強制力のない「不完全な法」と見なした鯛Oし. メスナ‑(JohanesMesner1891 と考えた。. たがって社会的生活を保証するために支配権力 1984)によれば,「キリスト教的自然法とは理 の必要性を説いた。. 性のみを通して我々に知られる自然法が超自然. 以上に対してその後各種の自然法批判が台頭. 的啓示に由来する自然法によって置き代えら. した。. れ,或いは数行されることを意味するのではな. 2. キリスト教と自然法. く,自然法の存在,本質的内容についての我々 の認識が信仰による理性の教導を通じて確定さ. 伝統的な自然法理論はキリスト教とともに発. ・‑(1カ」とあ れ,明確化されることを意味する・.. 展し,近世以降の世俗化の中でもキリスト教の. り,カトリックにとってキリスト教的自然法と. 社会倫理ならびに法や国家秩序の原理の一つと 言うときは教会がその神輿の使命によって自然 本章ではキリスト教 して守り続けられてきた。. 法そのものの確たる保護者であり,誤ることの. の歴史の中で自然法が如何に採り入れられ,維. ない解説者であるという確信を含んでいるとさ. 持,発展してきたかを概観する。. れる。.

(5) キリスト教と自然法. 21. ダントレーヴによれば,中世の自然法観念へ. スコラ哲学の問題提起. の最も適切な序論をなすものとして『カノン法. 中世の法精神すなわちスコラ的自然法精神は. 仝典0ゆ』が挙げられるという。 この中で『グラ. 人類に法的共同使命を確信して,そこに人道主. ティアヌス法令集』の冒頭の一節に「人類は二. 義の本質を認めようとするところにある。. つの法によって規律されている,すなわち,自. はキリスト教的世界観と人間観,歴史観と人格. 然法と慣習である。 自然法とは聖書および福音. 観等を包含する諸原理が法理の世界において樹. 書の中に含まれているものである」と言う文句. 立されることに他ならない。. が見出され,これが正に中世の自然法観念への. 発展につれて絶えず指導精神となり,ついに13. 序論をなす言葉として相応しいとしている(19)。. 世紀の完壁を誇る法理念にまで成長したOこの. 自然法が絶対的な拘束力を有し,他の総ての法. ためひとびとは「トマスに帰れ」,「アウグス. を支配するのは,それが神に由来するという神. テイヌスの再生」等を口々に叫んだ位の。. 法を有するからであり,それは時に他のすべて. て中世における政治理念からキリスト教の教義. の法に先行する。 「なぜならば,それは理性的. を除外してはそれは成立しないのと同じく,中. 存在としての人間のほかならぬ創造と同時に生. 世の法理念もその教理なしには全く論じ得ない. まれたものであり,しかも,時と共に変わるこ. と言われる朗。. それ. それは中世社会の. こうし. となく不変に存続するものであるから」(『グラ ティアヌス法令集』)としている糾.. 聖トマス・アクイナスThomasAquinas. ダントレーヴはさらにグラティアヌスを引用. (1225‑1274)の自然法理論. して,「グラティアヌスの定義の重要性は,自. トマスは近世になってとくに重要視されるに. 然法が聖書の中に体現されていることを意味す. 至った人間性の自由と尊厳の提唱にも劣らず理. るが,同時にまた,聖書が自然に矛盾しないこ. 性的精神主体としての人間像を反映した法律観. とを意味する」としている。. 「キリスト教はも. を持っていた。 そして「人格は仝自然界におい. はや一つの『愚挙』すなわち,人間の自然性の. て最も完全な存在である」として,アリストテ. 単純な否認や昔のアダム(人間の罪業性)の廃. レスに倣い四つの枢要徳‑節制,剛毅,正. 棄,ではない。 世俗的な叡智と神的なそれとは. 義,賢慮‑を唱えた甲。. 調和されなくてはならない。. 義」の徳には対人関係の正しさを現わすものと. 立しがたいものではない。. 理性と信仰とは両 キリスト教は哲学に. この内,特に「正. して広く社会正義を含めた。. よって補足され充実さるべきものである」と付. アリストテレスの自然法が専ら永久法の反映. 言している。そして,中世キリスト教の精神の. として時間的秩序の基礎付けにあったと言われ. みが自然法がこの新しい倫理観念において演ず. るのに対して,トマスの自然法は実践理性の基. ることを求められた役割を解明し得るとしてい. 礎原理として人間性が包蔵する自明の法則であ. るa). るとされる。 トマスの自然法理論は人間の本性 の形象が神と相似していることを出発点と Le頭,自由意思を持った存在である人間にとっ.

(6) 22. て永久法は自然的道徳律であると主張する。 神 を持たない非理性的な被造物は自由ではない仕 が人間の本性に注ぎ込んだ人間の本質を完成す 方で自然の強制に盲目的に服する,すなわち 「必然の秩序」であり,理性と自由意思を持つ ること‑これを人間は意図し実現しなければ 人間はその理性によってこのことを 存在は当為と言う自由な仕方でこれに参与す ならない。 認識し意識するとした。 そして「本質性の認識. る,いわゆる「当為の秩序」「道徳的秩序」を. の中に汝に真理として明らかにされた神の意思 主張するものであった。 前者にあっては,永久 法は必然の法則であり,後者にあっては,それ を実現せよ糾」と説いて,同一の存在が理論理 怪にとっては真理の存在となり,実践理怪に は自由の道徳的法則だった困。 また「意 とっては善の存在となると主張した。. トマスは法に関し「法とは公共団体に対する. 思は法律ですらない,むしろそれが理性と知性 配慮を託された人によって公布された共通善の. とによって神にまで導かれて始めて意思は正し ための,理性の指図である但g)」,「法とは共同体 『正義とはただ意 い法律となることが出来る。. の配慮を司るものによって制定され公布せられ. 思による規律に他ならぬ』という主張は神の意 たところの理性に依る共通善‑の何らかの秩序 思が叡智の秩序には由来しないと言うことを意 付けに他ならない榊」と定義する。 それは涜聖の罪である」と主張した。 味する。 聖トマスの定義の注目すべき点としてダント そして強制は法に固有のものであり道徳に固有 レーヴは以下の3点を挙げがカ。 のものではないとしている。. その第一は人間の品位と力との表現としての. 実定法に関しては「実定法は自然法と矛盾し 自然法の概念についてである。 すなわち彼は てはならない。 実定法が自然法すなわち普遍的「人間は被造物の中でただひとり知的にそして 規範と矛盾する限りそれは一般的な法ではな 積極的に宇宙の合理的な秩序に参与すべきもの く,良心を義務付けることは出来ない。 法律の. とされている。 人間は人間の理性的な天性ゆえ. 力と意味とは正に良心を義務付けることに有 にそうすべきものとされる。 理性は人間の本質 トマスが自然法の第一原理 であり,人間の偉大さをなすに与って力有る神 る」と説いている。 として「善はなさるべく,悪は避けらるべ の閃光である。 われわれに『善と悪とを識別』 し」,と説き,第二原理として「神および隣人 し得しめるものは『自然の理性の光』であ 中世 ‑‑人間の品位と力とは,かの『キリスト る。 への愛」を説いたのはよく知られている。 人の遵法精神は信仰を通して得たものであると 教的ヒューマニズム』と称されているような一 言われ,彼らには啓示に即応するのが法であ ・‑‑人間は つの人生観を生み出すものである。 り,法の実現は第一原因(causaprima創造. それゆえ人間の自然の 二つの世界に参与する。. 主)の意思を遵奉する事に他ならなかった。 因 法は,人間がすべての被造物と共通に有する資 質をも包含しているのである」と指摘する。 みにダンテの『神曲』はトマスの思想が豊かに 盛られたものとされる印。. その第二は自然法が道徳の基礎を供するもの. トマスは,「あらゆる被造物は何らかの形で と解されるその仕方であると言う。 それは人間 神法に参与する」としたが,それは例えば自由 の天性に帰属する品位と力からの直接の帰結で.

(7) キリスト教と自然法. 23. あるとする。 「聖寵は自然を廃することなく,. く新しい機能が採り入れられたが,当初は当時. それを完成する」と言うトマスの言葉は「キリ. の思潮から激しい反対を受けた。. スト教的ヒューマニズム」の極致であり,彼の. は勝利を得,以来カトリック的人生観とも称せ. 哲学の真髄であるとされる。. られるものの最も権威的な表現として存続して. また第三はトマスにとり自然法は道徳の基. いる。. 礎,あらゆる社会上および政治上の基礎であっ. 自然法なくしては中世における神的な叡智と. たのみか,これらの制度を判定すべき最高の基. 世俗的な叡智との総合はあり得なかったであろ. 準でもあったことであるとしている。. 理性こそ. しかし最後に. うし,現代ヨーロッパ史におけるこのころの中. 人間行為の最高原理であり,法は「理性の指図. 世法の俗化ないし国民化を伴っている大きな国. 命令」であるとし,高坂直之によれが功,「ト. 内革命,すなわち16‑17世紀におけるドイツ,. マスにおいては理性は究極において神性と一致 この点こそトマスの偉大さ するものであった0 すなわち超自 があったといわれる所以である。. イギリスの宗教革命,18世紀のフランス革命, アメリカ独立戦争等は起こらなかったであろう とさえ言われる糾。. 然界の真理は信仰によって感知し得る天啓の権 クザーヌスの自然法理論. 威に頼らなければならず,一方,自然界におけ る真理は理性の説明によって察知できる。. 信仰. 古代を通じて発展した中世の倫理思想は自然. は事物をその第一原因に連結させて把撞するか. 法に基づいていた。 この倫理思想は古代におい. ら,感性に聴く代わりに神の啓示に聞き,理性. ては宇宙全体が一つの理性によって普遍的に支. は感性を通して事物を認識し,これを因果に配. 配されると考えるストア学派によって代表され. 列し分類して概念の体系を作る」としている。. そこでは人間の行為は「自然と調和した正 た。. 彼はさらに続けて,「科学(理性)は被造物. しい理性」によって支配されねばならないとさ. から出発して神に向かい,神学は神から出発し. れた。. て被造物‑と下る。. アウグステイヌスが中世において世界の秩序. ゆえに両者は究極において. は調和するものであり,造物主が総ての真理の. を保ち,それを乱すことを禁止する理性と,意. 創造者である限り,天啓がわれわれの信念に対. 思としての創造主たる神の永遠法を説き,これ. して指示することと,理性が確証であると主張. に次ぐトマス・アクウイナスがこれを基礎に自. することとの間に何ら矛盾の存するものではな. 然法を「永遠法の分有」として主張し,自然法. この思想すなわち天啓は合理的でありなが い。 ら,理性は結局『正しい理性』あるいは『聖な. 思想はキリスト教倫理の中心となった。. る理性』でなければならないと言う思想が,ス. しば無視されたため,クザ‑ヌスはこれを改め. コラ哲学に不変の形式を与え,かつトマスの法. 個人に平等な自己完成‑の自然権を保証するこ. 秩序維持のために人間個人の「自然権」はしば. とを中心として自然法を新解釈,近代倫理学の. 理の礎石となり,トマスを『スコラ哲学の王』 と呼ばせてきた端緒ともなった脚」と言う。 うして,トマスにより自然法の観念にとって全. しかし. こ. 基礎を築いた。 クザ‑ヌスは触れることの出来 ない個々の人間の尊厳を自然法の中に見,人間.

(8) 24. をその本性から社会的存在として見ている。 す. 釈し,自然法を媒介として働いた諸々の力と関. なわち社会は個人の自由と秩序なくしては本性 係付けなくてはならない』とあるのを指針とす から促されている人間の発展を可能にすること べし」として,トレルチの歴史研究こそ唯一そ は出来ず,クザ‑ヌスは人間の発展と人間の自. すなわち,トレルチ のものであるとしている。. 然権の行使に対して一致と自由を不可欠の条件 はキリスト教倫理の発展における自然法の働き 彼は自然法をすべ としてみていると思われる。. を描き出すことから始め,自然法がキリスト教. ての人間の思惟に先行しその源泉である原理と にとり外来分子の侵入を意味し,古代世界の遺 それは人間の思惟が規定するものではな する0. 産がキリスト教の教義に適合せしめられたこと. く人間の本性に規定されるものである。. を意味した。 それは福音書にはまったく欠けて. すなわちクザ‑ヌスの自然法脚は以下のよう. いた社会的・政治的プログラムの基礎を成し. に要約される。. さらにトレルチには自然法への信念が西洋 た。. ①. 人間の本性は神によって造られた自然法. の政治思想を他から区別する標識であった。. の秩序を通じてその目標に達することが 出来,またそのように人間にすべてを与. 自然法の由来と意義帥. えた神の意思に根拠付けられる。. トレルチによれば自然法,より正確にはすべ. ②. 人間は本性によって自由な生へと規定さ. ての法的社会的な規則や制度がそこから生ずる. れている。. ひとつの倫理的な自然法則と言う概念はストア. もし人間が自由の中に生きて. いないならばそれは不当である。 それは. 彼らは世界総てを司る一つの 派の所産である。. 人間の理性的本性に反する。. 法則と言う,彼らの一般的な見解からこの概念. ③. 自然法は正義である。 それは人間にある. を導き出し,この世界の法則を精神の自己主張. 委託を与えた神の意思であってその委託. と作用とに個別的に適用する中から倫理的なら. は自然法の当為である。 故に自然法に従. びに法的な規則を構成した。 その際にストア派. わないものは神の意思をないがしろにす. は汎神論的な基盤をだんだん打ち捨て,倫理的. るものである。. 自然法則を殆ど有神論的な意味において,神の. 彼のこうした自然法論がその後のキリスト教. 意思の表現と見なした。 そこではすでにすべて. 的倫理思想の発展の基礎となったとも言う。. の人間を結びつける,神の意思から流れ出る. 3. トレルチのキリスト教的自然法と 機能論. エートスという,ユダヤ教‑キリスト教的理念 さらに の方向に向かう対抗的な動きがあった。 実定的な法規や慣習に代わって理性の普遍的な. ダントレーヴによれが母,「自然法の生命力. 法則性から導き出された倫理が登場する。 それ. と呼んできたものの研究において真に注目を要 は絶対的な自然法則と相対的な自然法則とを区 するのは自然法理論そのものよりも自然法の機 別する。 また,キリスト教は神の子の自由およ 能であり,デイルタイが,『自然法のドミナン. び無制限な愛の共同体というキリスト教的理想. スを理解するためには,自然法を心理学的に解. をストア派の絶対的自然法則と同一視した。 こ.

(9) キリスト教と自然法. 25. の点ではストア派もキリスト教もともに共通し. タ‑はこれを職業倫理の教説により達成する。. ていた。衝動的な生活に対するストア的な理性. かくしてルタートウムの相対的自然法は極端に. の支配と,平等にして自由な人格的結合と言う. 保守的である。 この点がルター的倫理のカト. ストア派の教説,これはキリスト教の聖別やキ. リック的倫理との根本的相違である,と言われ またこの自然法は支配権力の極端な神聖化 る。. リスト教的愛と本質的に同じものであると思わ そこからキリスト者はストア派の相対的 れた。 自然法則の教説を我が物とすることが出来た。. を求める。権力轟美の徹底した保守的・家父長 制的な自然法,そして,この独自的,宗教的な. こうしてキリスト教的自然法が成立した。. 心情の政治的社会的な事柄に対する心奥からの 無関心‑それは今日の状況下ではルター派的. 中世カトリックの教会類型. 教会制度の政治的,社会的無気力として現れて. 中世の教会と文化においては宗教的なものと. くるとされる。. 世俗的なものが大きな生の統一体へと成長し自 然法がはっきりと開花した。. その学問的な姿は. カルヴィ二ズム カルヴイニズムにおいては始めから自然法的. 聖トマスによって作成され今日に至るまでカト リックの中で復唱され存続している。. この教会. 要請とキリスト教的要請とが緊密に合致するこ. 的文化道徳の本質は自然から恩寵に至る段階行. とを信じており,自然法をよりキリスト教的理. 程にある。「恩寵は自然を前提とし,かつそれ. 念に,またキリスト教的要請を自然法的な要請. を完成する」を合言葉とし,相対的自然法の自. に接近させることを強いられた。. 然秩序を教会的文化全体の下部構造として発展. 的自然法の解釈との大きな相違点がある。. させてきた。しかし権力,法,秩序のすべてに. は現実の教会制を構築するには厳格なキリスト. 反対する,極めて革命的でラディカルな批判原. 教的諸理想を希薄化することが必要でこうして. 理へと密かな転換を図る。. ここにルター それ. 両者が接近を見た。 旧約聖書と新約聖書の夫々. こうしてあらゆるも. のの原理であると言う意識が生じて,カトリシ. の道徳の同等視がその表現であった。. カルヴァ. ズムとして勢力を不動なものにした。. ンはキリスト教的社会を樹立しようとしていた ので,自然法にはより直接的で積極的な関係が そこから彼は自然. ルタートウム. 与えられねばならなかった。. トレルチによればルター的倫理においては自. 法が持つ合理的・批判的,かつ,積極的・建設. 然から恩寵に至る,すなわち,自然法的生活形. 的な価値を非常に強調し,理性に反して,か. 態から教会と言う恩寵の王国に至る社会の段階. つ,神をないがしろにする公権力に反抗する権. 的な構成を知らない。 それは単なる個人的,質. 利をも導き出した。 かくしてカルヴイニズムは. 的相違を取り除かれた総てのキリスト者に対し. フランス,オランダ,英国そしてアメリカにお. て道徳が全く同一であり,かつ原理的に平等で. ける大革命において民主主義,人民主義という. あることを要求する。 俗人を律する自然法則と キリスト者を律する法則とを並置できない。. ル. ラディカルな自然法を作り出すまでに至った。 今日カルヴイニストはいわゆる自由主義的要求.

(10) 26. を持った党派的人間であり公的生活の改革者で 4. キリスト教的社会理論と回勅 あると言う。 および補完性原理(3功 「キリスト教的自然法」と「近代的・世俗的自 ドイツの法学者ロンメン(1897‑)によれ 然法」. ば,自然法はキリスト教的社会理論の建設のみ. 18世紀の古典的な近代的自然法は教会や宗教. ならずキリスト教的社会政策の基礎付けにとっ. の公準から独立した近代的な社会学的把握に端 ても極めて有意義であることが証明されたとさ を発するもので,近代的な諸制度の上部構造の. れ,レオ13世とピオ11世による社会回勅を引合. 深奥まで浸透し,世俗領域と教会領域における. 本章ではスコラ哲学,就中ト いに出している。. 超自然的な神の恩寵施設とその拘束に代わっ. マスの影響が大きいと言われる代表的なキリス. て,諸個人の結合を新たに建設するという理念. ト教社会哲学の基本原理書とされる三大回勅,. ここに於いて人は個人に対して共同 レルム・ノヴァルム,クワドラジェジモ・アン であった。 体が有する諸目的の合理的な考慮に従い根本思 ノ,オクトジェジマ・アドヴェこエンスを採り 想から法理論を展開しようとした。 かくして, 上げ,現在の欧州連合(EU)の憲法と称され 古典的な自然法を教会の自然法に結びつけ,近. るEU条約の真髄とも言われる補完性原理 代のラディカルな社会改革の盛り上がりを古代 (PrincipleofSubsidiarity)への発展の足跡を のヘレニズム的‑キリスト教的理念の変容と固. 辿る。. く結ぶ強い連続性が理解される。 これは現世の. 補完性原理とは社会に対して,「共同善」が. 合目的的な性格,善なるものと理性的なものの. 個々人又は社会組織が自ら成し得ることにつき. 勝利に対する強い宗教的な信仰に基づいてい. 権限や資格を根拠付けることは無い,という思. る。 この信仰はそれ自体が,キリスト教的‑ユ. 想である09)。. ダヤ的‑ストア的な有神論の後肴であり,変容. 回勅レルム・ノヴァルム(RerumNovarum). 啓蒙主義の文化とキリスト であることを示す。. (1891)は,19世紀末葉に怒涛のごとく世界を. 教的‑教会的文化との連続性は極めて大きいこ. 襲ってきた社会主義や共産主義に対して,レオ. とが理解される。. 13世(LeonisPapaeXIII)が自然法の原理とキ. 近代の世俗的自然法はキリスト教的およびス. リスト教的人格主義とを高く掲げて人格の位格. トア的社会理想に似てひとつの理想,理念法則. を防衛したもので,キリスト教としては勿論,. 近代の自然法的理想は古い封建的な諸 である。. キリスト教的自然法の歴史においても不滅の出. 拘束の崩壊と,自由な生活諸力の解放とともに. これは社会哲学の 来事と言われるものである。. 高揚したが,また急速に社会の自然的な面にお. 基本原理であり自然法的内容を持つ私的所有権. ける性格との対立をあらわにした。. 制度,労働者の境遇についての回勅である。 さらに回勅クワドラジェジモ・アンノ (QuadragesimoAnnoQA)(1931)は,社会秩 序の再建を企図した著者ピオ11世(PiusXI).

(11) キリスト教と自然法. 27. が自ら説くように社会哲学の最高原理である。. とを「補う」ように干渉し支援する。. これに同じく40年の周期で発布されたオクト. の意味はここに由来する。 この意味で補完性原. ジェジマ・アドヴェニエンス(OctogesimaAd. 理は「草の根民主主義」とも呼ばれる的.. s)(1971)はパウロ6世(PaulusVI)に. は自助‑向けての援助であるとされる。. よる正に現代の社会哲学の基本原理である。 補完性原理は地方への権限分散等により中央. れば,国家の最高権力は,もしか自ら関わって. 集権的行政の肥大化を抑え,地方への過剰介入. な問題の処理を,より下位のグループに任せる. や行政の非効率化を防止し,一気に多数のEU. べきだとするものである。. 法の成立をもたらした。 この思想はまさにトマ. 国家の統治における連邦的解釈の基礎を成すこ. ス・アクイナス以来のカトリック社会教説の中. とにもなり後世いわゆる補完性原理と呼ばれる. 心概念であり,自然法を遵守してきたカトリッ. 基礎となった的O特に19世紀末以来社会問題に. ク思想が辛くも統合にその痕跡をとどめるとこ. 適用されるに及びカトリック社会教説と呼ばれ. ろのものである。 これはキリスト教の平和理念. るようになった。. であるとともにデモクラシーの基本理念を謳っ. 補完性原理は国家に対する人格の自由保証原. たものでもある的。 社会の豊かさはそこに包含. 理であると同時に,社会の段階的秩序の中に於. される地域の多様性や文化の多様性にあり,こ. ける下位の共同体の自由保証原理であり,下位. の多様性が社会の豊かさの源泉でもあるので,. 共同体の「自助への補助」を通じて,育‑性,. 少しでも多く多様性を維持しようとする思想の. 多元的統一,統一的多元性,等によって特徴づ. 現れと理解される細。. けられる社会の憲政原理であるとされる的o. 補完性原理はその根拠を人間の自由と尊厳,. ヨーロッパ統合‑の以上の如きカトリックの. および大きな社会構成体では十分充足されない. 補完性原理が明示されてEUの基本原理にまで. ような課題と権利を比較的小さな生活共同体の. 高められていることから,「ヨーロッパ共同体. 構造の中に見出すoそれは一方では後者を大き. はカトリック的連邦制」であり,「カトリック. な前者の過度の干渉から守り,他方「上から下. 的ヨーロッパの市民的で世俗的な展開」である. ‑の援助」を意味しているとする。. 補完性原理. 「補完」. それ 換言す. いると本来の任務への精力集中を阻害するよう. やがてこれが教会や. と評価も下されるに至った的。. さらに現実の統. の基本はスコラ哲学の基本原理として発展させ. 合においてEU憲法の基本精神である補完性原. られた。トマス・アクイナスはカトリックの社. 理は社会の多元的統一を維持するところの社会. 会教義において社会組織は人々のために存在. の下からの階層秩序的原理とも称すべくカト. し,個人に出来得ることは社会が行ってはなら. リックの三大社会教義の一つに依拠したEUの. ず,小さな社会が出来ることは大きな社会がそ. 死命を制する原理となっている。. れを取って代わって行ってはならないとした。. 20世紀までのわれわれが親しんできた豊かさ. 要するに個人,家庭,民間組織,私有財産の尊. は「貧困からの脱出」に象徴されるように現在. 重と権利を守り主張することに主眼が置かれて. 価値を主眼とした物質的なものであった。. すなわち個人や下位の団体に出来ないこ いる。. し開発の進行と共に環境汚染は地球規模で刻々. しか.

(12) 28. と進み表面的な現在価値の増大は将来価値の減. て21世紀に「個」が生き生きとした「個」とし. 少により相殺されてオーヴァ‑オールでは価値. て生きられるか何の保障も何もない。 補完性原. の増大どころか大幅な減少を招来しているかも. 理は「個」の活動を極力妨げないと言う精神で. それにも増して物質文明の発展がも 知れない。. 出来てはいるが「個」を積極的に支援しようと. たらした人間の非人間化への進行の程度は移し. したがってEUにとっては いう立場にはない。. く,精神的な貧困化は極めて由々しい状況に置. 補完性原理に加えて「個」を守りかつ積極的に. 豊かさの概念は世紀末の現在 かれてしまった。. 支援することの出来る新たな原理の導入が必要. とくに先進社会を中心に大きな変容を遂げつつ. とされよう。. ある。 社会の豊かさは従来通り社会に包含され 補完 る地域の多様性や文化の多様性にある的。. 5. 統合における政治倫理の醸成に 必要な自然法. 性原理がより小さな集団に各々の意思決定権を 保持することを保障しているのは社会や地域文. ドイツの法学者ミッタイス(1889‑1952)に. 化の多様性を保つ可能性を残しているという意. よれば,現代に自然法が復活したのには,大別. 味で意義深い。 ガルトウングの組織的暴力に言. すれば以下の三つの要素が上げられるとしてい. う如く,とかく人間社会ではより強大な組織が. る的.. 文化や或いは時として人権までも侵害しかねな. 1.. とくにEUのような歴史 い危険性は絶えない。. 会法理論の中に常に維持され,最近の文. や文化も浅く,まさしく人為的,日的的に創造. 献の中で強力に復活させられた1918年. された組織を,加盟国の伝来の文化や習俗を活. 以来カトリック教会の現行法典である教. かしながら運営するた捌こ補完性原理は不可欠. 会法典(Codexiuriscanonici)も自然法. の行動準則と言える。. に対して相応しい地位を与えている。 さ. また補完性原理は個人主義的一面性を防ぐ一. らに,教会法理論によれば,法は単なる. 方,集団的一面性も防ぐ規範として中立的な原. 人間の作品ではなく,人間の窓意に服す. 理でもあると言われるが,EUにとりこの原理. るものではない。. がいっそう重要性を帯びてくるのは個々人の豊. 形而上的な妥当根拠を有する。. 文 かさの概念の変化が顕著となる今後である。. 2.. 化的多様怪が保護され社会的豊かさが保たれる. は法実証主義と結びついてローマ法以来. にしても,「個」の時代と言われる21世紀に社. 成果をあげてきたが,社会主義の法律観. 会的豊かさが保たれても個々人の豊かさも保障. は,労働者階級の闘争により,物質的生. されるわけではない。 EUは集団としての平和. 活条件のみか,自由と正義,人間の尊厳. や繁栄を企図Lはするが「個」に対する考慮は. を求める闘争となった。. エスニシティ一による文化 比較的稀薄である。. 3.. の多様化はひとつの方向を示唆しており,その. スによればいまだ法構造全体に対して中. 面ではひとつの救いとはなっているが,果たし. 心的意義を有するに至らず,ナチス時代. 教会法理論。 すなわち,自然法思想は教. 法は絶対的に通用する. 社会主義の法律観。 すなわち,自由主義. 国際法学。 すなわち,国際法はミックイ.

(13) キリスト教と自然法 には,国際法概念の解体にまで到達して. ればならないとする。. しまった。. かくしてミッタイスでは「自然法は実定法の. プ‑フェンドルフも,いった. い君主および国家は自然状態にあり,国. 良心糾」であると言うOすなわち自然法は実定. 際法は自然法からのみ成り立つとさえ. 法が法概念を充たし,法理念を目指すかどうか. 言っている的。. についての,換言すれば実定法が法的安定性と. ミッタイスは鯛,実定法は整然たる社会秩序. いう近い目標に到達し,かつ正義と言う遠い目. として機能し,自らの承認を要求できる場合に. 標を常に眼中においているかどうかの監視者で. 法概念缶領を充たすことが出来,少なくとも法的. 自然法こそが真に妥当する法である。 ある。. 安定性を保障すると言う。 実定法は内在的正義. 定法は自然法に対すれば単なる二次的,暫定的. を有さねば成らず,それは歴史的に正しくなけ. な効果しか持たない。 したがって実定法はそれ. ればならない。それは,首尾一貫して行動する. 自らが一つの尺度を必要とするものさしであ. ことであり矛盾の無いことである。. さらに彼に. る。 実定法は自然法の恩恵によってのみ妥当す. よれば,実定法は第一にそれ自らの歴史的,文. 自然法はすべての実定法規の上にそびえる る。. 化的諸前提からする内在的批判に服さねばなら. 王たる法である。 自然法は実定法によって破ら. それは法理念の観点からの批判であ ない糾。. れることはない。 実定法は自然法に逆らっては. り,法理念6功は法概念に対して超越的である.. 何物も遂行出来ない。 自然法は実定法を破ると. 法理念が目指す最高の価値とは人間が自らに固. 説く。. 有であると称するもの即ち人格である。. 両世界大戦後に自然法が再生ないし復興に. この人. 格は孤立した個人を意味せず,共同体における. 与ったのは,自然法がキリスト教の社会倫理と. 人格,他の人格と共に共同体に結合している人. して永年守り続けられてきたことの他に,熱心. 格を意味するとしている。 シェリングが「人は. なカトリック教神学者としてのメスナ一等によ. 人を求める」と表現しているところのものであ. る自然法復活運動が奏効したものであると言. るとしている。 ミッタイスはこうして首尾一貫. しかしその後カトリック神学者内部におい う。. 性の中に人間共同生活の基本原理を,そして正. ても自然法に対して批判が現れ,かつ元来自然. 義の根元現象を見出すと説いていが頚。. 法に批判的なプロテスタントとのエキュメニズ. この首. 尾一貫性こそが自然法の公理と称すべきである. ムの進行とともに,自然法の役割に対する見解. と言う。またこの公理が自然法の名において実. が徐々に変わりつつあることも事実のようであ. 定法を批判するときの指導的視点であるとい う。 すなわち実定法は,第一に内在的批判の方. すなわち,自然法論者の阿南成一によれ る。 が頭,①. 科学技術の発達した今日の複雑な社. 法によってそれ自身の構造が持つ法則に矛盾な. 会で具体的な個々の道徳問題を解決する基準と. くしたがっているかどうか,人間共同体が存在. して,多義暖味な概念を持つ自然法を持ち出す. を保ち得るための最小限度の条件(法的安定. のは誤りで,自己の行為に責任をとる「人格」. 性)を保障しているかどうか,それ自らの内部. としての人間を道徳神学の基礎に据えるべきで. で首尾一貫しているかどうか,が吟味されなけ. ある,②. 法学の世界では現代憲法において,. 29. 実.

(14) 30. より実質化された人権規定は,それまで少な. 世界社会の統合理念として再登場する能力を有. かった自然法の主張を実定法制度として結実さ し,その可能性も否定できないと述べているよ せている等自然法は歴史的役割を終えた,ゥ.. うに,とりわけ統合の進む自然法の揺藍の地. エキュメニズムの結果,自然法に批判的なプロ. ヨーロッパにおいてそれが究極的な平和的政治. テスタントの状況倫理思想の影響も大である,. 共同体‑向かって進むならば,自然法の演じる. 特に教会内の倫理的諸問題に対する教導の仕方 役割に期待するものは大きい筈である。 の中で,自然法が詳しく援用され,自然法的義. おわりに. 務として説かれたこと‑の疑問と反動が起き た,等々の理由から自然法への認識や関心が再. ヨーロッパは永久平和実現を悲願に平和的政. び薄らぎ,失綜宣告とは相成ったとしている。. 治統合を目標として歩んできた。 ヨーロッパが. 阿南成一はこれに対して,姿を変えた自然法. 統合実現に際してなお世界の他地域にも増して. 論,キリスト教に有ったような目的論,新しい. 平和的政治統合に向けて最短距離に位置するの. 存在論,の立場から自然法の重要性を主張して. は,問題の多様性や複雑性にも拘わらず加盟国. 譲らない。. 相互の共通性の豊富なことにある。. 近代に至るまで,永年,自然法が実定法の意. しかるに統合がスタートして半世紀を経ても. 味や良心として貢献をなし,かなりに人権規定. 未だに加盟各国の国益主張の声は鎮まることな. も実定法化された現在でも,自然法の基本的な. く,加えて2004年からの中・東欧10カ国の新規. 判断基準なくして万一市場原理に傾斜した法制 加盟を考えれば,およそ国益に多少とも影響す 度を維持すれば,それは最早果てしなく経済性. るとなれば,経済問題一つを採り上げても全体. のみを追求する,およそ人倫道徳とは無縁のも. 合意を得るのは今後一層の困難を極めるものと. のを追う法の世界に突入し,その行方も知れぬ. EU条約を始めとするEU内にお 懸念される。. 自然法理論 ものと堕するであろうと懸念する。. ける現行の多数の条約や規約にも拘わらず加盟. の主体をなす人権規定がかなりに実定法化され 各国主権の問題はそれらの能力を超える分野に て,自然法の役割が軽減されているのが事実と. あり国際的事項として取り扱われるからであ. しても,トマスの説くがごとくに自然法が固定. すなわち斯様な問題が発生すればそれは現 る。. 不動の規範体系でなく人間本性の欲求と理性と 行実定法を超える解決に委ねざるを得ないとこ によって形成される秩序体系であるから,今後. 現在EU憲法の策定が焦眉の急と ろとなる。. ともその役割は動態的に変容し,聯かも役割を. なっている理由がここにある。 しかし同時に. 減ずるものではないこと,自然法理論が仮に. ヨーロッパの底流にはキリスト教が育んだ文化. 「人権理論」や「正議論」に姿を変えたことは があり,実定法を以って処しがたい加盟各国間 良しとしても,それが神の啓示や理性を代弁す. の問題は増嵩し,自然法の存在意義をますます. 人間社会 る自然法の総てを網羅しているとは思えない。 問い直されねばならない理由もある。 また阿南成一も,歴史上社会の統合理念の役割. の絶対的基準である「正義」や「真理」を追及. を果してきた自然法であってみれば,近未来の. それ する自然法は人類の宿癖とも称されよう。.

(15) キリスト教と自然法. 31. は常に理想と現実との挟撃にその存在を脅かさ. 法の正当性の極限として「人権」や「正 る。. れ続けねばならない宿命に在るからである。. 義」は常に問題となる。 それらは言わば「自然. すでに宗教とりわけヨーロッパにおいてキリ. 法」に代わるものとも言える。. スト教が統合の行く手に何らかの発言をするよ. 「自然法」が「人権」や「正義」だけに名前を. うな時代ではない。 それは科学文明の発達につ. 変えて現代に受け継がれていると言えるだろう. れて宗教が自然と役割を後退し,政治が宗教に. か。 特に統合の進展するヨーロッパ社会に於い. 服する時代ではなく,勿論キリスト教が何ら政. て,加盟国が国家連合として国家の形を明確に. 治的目的や政策を持たないこともさる事なが. とどめる以上は,たとえひとつ憲法の下に纏ま. ら,宗教が現実政治に対して生きた言葉を発せ. ろうとも国家間の利害対立は解消せず,国益な. られなくなっていることにも起因していよう。. いし国家理性の名の下に何らかの対立が生ずる. しかし上記に観察の通り永年にわたりキリスト 教は法の良心である自然法を維持,発展するの. 神の啓 のを回避することは到底不可能である。 示による自然法の存在が真価を発揮しよう。. に多大の貢献をなし,これがとりわけ西欧社会. 〔投稿受理日2003. ll.25/掲載決定日2003. 12.4〕. しかし果して. において近代デモクラシーを呼び起こし,幾多 の革命を惹起したことを想起せねばならない。. 註. ダントレーヴに拠れ古が匂,「自然法は正義と. (1)高坂直之(1971)『トマス・アクイナスの自然. 言う絶対的な基準を求めようとする人間の欲求. 法研究』創文社,45頁H.. から出た所産である。 それは理想と現実との関 係についての或る特殊の観念に基づくものであ る0‑それは在るものと在るべきものとの間に必 ずしも対立ではないけれどち,裂け目が存する ことを前提として仮定する二元主義の理論であ. JBerman,"TheWesト. ernTraditioninthechallengeofSovietLaw",62 HarvardLawReview,1948,p. 228. (2)AlexanderPasserind'Entr芭ves,1951,NATURAL LAW,AnIntroductiontolegalPhilosophy,Hutc hinson'sUniversityLibrary,p. 9. (邦訳ダント レーヴ,『自然法』久保正幡訳,(1967))岩波現. しかし自然法による理想的な法の存在を承 る。. 代叢書) (3)A. フェルドロース,『自然法』原秀男,栗田. 認することは,実定法がこの理想法と抵触する. 睦雄訳(1974)成文堂,6‑7頁o. 場合には,理想法によって却けられねばならぬ. (4)パインリッヒ・ミッタイス,『自然法論』林 毅訳(1971)創文社,17頁(HeinrichMitteis,. と言う意味を必ずしも含むものではなかった」. uberdasNaturrechit,). とあり,逆に懐疑論のごとく,「自然法への批. (5)エンテレケイア:神の本質が存在に有るのに対. 判や放棄が近代法律学の興起を促す動因とも. して,被造物の状態は生成であり,生成の運動は. なった」,と言う。 価値と規範とが一致する点は法の究極の源泉 であると同時に固有の意味での道徳生活の端緒 をなすものであるが,この点こそ永年「自然. 可能的存在としての質料がその日的たる形相を実 現することであり,目的が実現され運動が完結し た状態をいう。 (6)高坂直之,前掲書,28頁。 (7)パインリッヒ・ロンメン,『自然法の歴史と理 論』阿南成一訳(1956)有斐閣,(HeinrichA. 法」の名によって支持されてきたものであると. Rommen,1947,TheNaturalLaw,LibertyFund,. いうのが共通したところであるように思われ. Indianapolis)15‑16頁。.

(16) 32. (8)高坂直之,前掲書,33貢。. 65)坂本尭,『宇宙精神の先駆‑クザ‑ヌス』. (9)パインリッヒ・ロンメン,前掲書,36頁。 LeoStrauss,1971,NaturalRightandHistory,. 1986、春秋社。 33頁。 P:d'ENTR丘VES,op. A. cit,pp. 12,14‑15.. (邦 TheUniversityofChicagoPress,pp. 267‑271.. Mエルンスト.トレルチ,「ストア的‑キリスト. 訳シュトラウス『自然権と歴史』塚崎智,石塚. 教的自然法と近代的世俗的自然法」(『キリスト教. 嘉彦訳(1988),昭和堂). と社会思想‑トレルチ著作集第7巻』住谷一. (ll)LeoStrauss,opcit,p. 271. (1功L. クリーガー『プ‑フェンドルフの政治思. 彦,小林純訳(1981)ヨルダン社所収). 想』倉島隆訳(1994)時潮社,87‑8頁(Leo. 250‑272頁。 (39拙稿『ヨーロッパ統合の思想‑キリスト教的. 平和観を視座に‑』((1999)社会科学研究科修 nardKrieger,1965,ThePoliticsofDiscretion,The )パインリッヒ・ロンメ 士論文)に詳述,67‑70頁。 Univ. ofChicagoPress. ン,前掲書,94頁。 (13)パインリッヒ・ロンメン,前掲書,96頁O. (qq)ヨハネス・メスナ‑,『自然法社会・国家・. (14パインリッヒ・ミッタイス,前掲書,41頁。. 326頁。. (1匂A,フェルドロース,前掲書,28頁。. 的浮田昭夫,「補完憧原理ThePrincipleofSub. LeoStrauss,op.cit,pp. 204‑205. Mパインリッヒ・ロンメン,前掲書,63‑64頁。. sidiarity:分権主義的原理か集権主義的原理(日. 経済の倫理』水披朗他共訳,(1995),創文社。. 本EC学会年報第12号『EC統合の深化と拡大』. (1功A. P.d'ENTR丘VES,op. cit,p. 33.『カノン法全. (1992)所収)41頁。 典CorpusIurisCanonici』1441年バーゼル宗教会柚田村正勝『新時代の社会哲学‑近代パラダイ 議にてカトリック教会法の幾つかの集成を一括指 ムの転換‑』(1995)早大出版部,273頁。 このうちで 牲2)桜井健吾,「補完性原理の萌芽」(水披朗他, 称するために採用された名前である。 『教会法矛盾条例義解類衆』は通常『グラティア 『自然法と宗教I』(1998)創文社270頁。 ヌス法令集』と呼ばれ,イタリアの修道士グラ ティアヌスの著作に掛かるものと言われる。 (19)A. P.d'ENTR豆VES,op. cit.,p. 33‑34,36. ¢A. P.d'ENTR丘VES,op. cit,p. 36. ¢1)A. 38. P.d'ENTR丘VES,op. cit,p. &2)高坂直之,前掲書,12頁. 幽高坂直之,前掲書,22頁.. JohnW. DeGruchy,op. cit,p. 66. (軸津田昭夫,前掲論文,40頁0 個Elazer,D. J,1995,FederalismandEuropeanidea, in:Brown‑John,C. Lloyd,(ed. )FederaLTypeS0 lutionsandEuropeanIntegration,University PressofAmerica,pp. 20,27.田村正勝,白井陽. 糾高坂直之,前掲書,35頁O. 一郎(1998)前掲書,59,60頁. 鯛田村正勝,前掲書,273頁O. 囲パインリッヒ・ロンメン,前掲書43‑44頁。. 紅7)パインリッヒ・ミツタイス,前掲書,55‑57頁。. ¢6)パインリッヒ. ロンメン,前掲書,47‑48,51. 的パインリッヒ・ロンメン,前掲書,96頁。. 頁。. 的パインリッヒ・ミッタイス,前掲書,58‑60頁0. M高坂直之,前掲書,41頁o. 60)法概念Rechtsbegriff;先験的概念。 始めから. e串パインリッヒ. ロンメン,前掲書,182頁。. 理性に由来する普遍妥当性を有する概念。 経験と. fpri)トマス・アクイナス,『神学大全13冊』第90問 共に有るが本質上個々の経験を超越。 パインリッ 第2項,4頁。. 58 ヒ・ミックイス,前掲書,p. (30)トマス・アクイナス,前掲書,第90間第4項, Cn)パインリッヒ・ミツタイス,前掲書,60‑61頁. 4頁。 01)A.P.d'ENTR丘VES,op. cit,pp. 41‑42,46.. (52)法理念Rechtsidee;法概念に対して超越的で. <S高坂直之,前掲書,59‑60頁。. 価値を目指すもの。 自然法は正しく法理念の表現. 03)高坂直之,前掲書,60‑61頁O. mim. (34高坂直之,前掲書,45頁。. (53)パインリッヒ・ミッタイス,前掲書,63‑64,. あり,目的を目指すものではなく,目標と最高の.

(17) キリスト教と自然法. 67‑68頁。 Wパインリッヒ・ミツタイス,前掲書,67頁。 (55)阿南成一(1991)『基礎法学叢書10現代自然 法の課題』成文堂,276‑290頁。 A. P. d'ENTR丘VES,op. cit,p.95‑96. その他の参考文献 アリストテレス,『ニコマコス倫理学上・下』高田 三郎訳(2000)岩波文庫 アーネスト・パーカー,『近代自然法をめぐる二つ の概念』田中浩他訳(1988)御茶の水書房 岡村尭,『ヨーロッパ法』(2001)三省堂 加藤新平,『法律学全集1法哲学概論』(1986)有 斐閣 中央出版社篇,『教会の社会教書』(1991)中央出版 社 松田光雄,『自然法の法理‑天賦思想の倫理的意 義』(1991)桧田温子 水披朗他篇,『自然法と宗教I』(1998)創文社 水波朗他篇,『自然法と宗教Ⅱ』(2001)創文社 JohnFinnis,1980,NaturalLawandNaturalRights, ClarendonPress,Oxford. 33.

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