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袈話題% Vol,24(8)p.607〜615

膵の語源について(3)*

土 屋 涼 一1)

1.大槻玄沢『重訂解体新書』名義解腕篇   第二十二の注釈と訂正

 胆と膵23巻5号2002年の411頁に大槻玄沢の『重 訂解体新書』名義解腕篇第二十二を紹介したが,その 記載内容について誤りと思われる箇所があり,前回と 同様まず図1と図2に名義解脆篇第二十二の全文を示 し,さらにここに全文を平仮名混じりの文章に直して 記述する。そして問題の所を取り出し注釈を加え説明 することにする(図1,2)。

 「月屯篇第二十二

 脱は新訳なり,パンクレアスは羅(註:ラテン語)

       ならなり。アルフレエス,キリール・ベッテは並んで蘭(註:

オランダ語)なり。按ずるに和蘭の二つの名は共に二 語を連合し之を称するものなり。アルは都(註:すべ て)なり,統(註:すぶ,すべて)なり。フレエスは         キリ−ル

肉なり。肉とは即ち濾胞を指すなり。(濾胞の聚結する ものも亦肉と稽す。其の義前に見る)。此の濾胞が統会 して一片の肉を為すの義なり。其の一(註:もう一つ の名)は即ち濾胞林の義なり。蓋し濾胞会草して一物 となり横に胃の下に居て自ら林となる因ってもって名 ずく。(此れなお漢が石液の鐘聚し磐結する者を以て鐘

       ごと      そ       おさ

乳林と名ずくるが猶き欺)。夫れ此の物は酸液を藏めて

     あいまな 

胆の苦汁と相須つて用を為す。以て飲食消磨之原酷げんばい

       すなわ よろし

(註:消化されること)となるなり。乃ち宜く一箇の臓   なず名を命け以て他臓と併稻すべし。然も漢入未だ説かざ        つくる所の者なり。故に今新たに一字を製り訳して脱と日

う。脱は徒孫の切なり。月は肉なり。屯は聚なり,結 なり。即ち濾胞屯聚して肉となるの会意なり。(字書を 按ずるに脱は鳥藏なり。鳥蔵を言うて鶏脱鶴脱と名ず く。即ち拠る所有るに似たりといえども然し亦必ずし も然るに非ざるなり。蓋し会意の偶然にして合する者 なり)。一名は濾胞林なり,此の物諸書に異名甚だ多し。

*Etymological Consideration of the Pancreas I)長崎大学(〒852−8051長崎市坂本1−12−4)

       とれん即ち大会濾胞・腹裏脱林・都轡(すべて肉)・会籏濾胞・

純月屯・素肉の類いなり。皆和蘭称呼の訳名なり。ラテ ンは別名なし。其の内に蓄藏する所の精液とその主功        ふくぜい

質性のごときは既に第三篇に詳し,復贅(註:繰り返 す無駄を)せず。蓋し此の物其の体質(註:実質)は 濾胞なり。常にその所在動脈之血を受け,酸稀液を泌 別し以て其の内に藏す。また脾に繋がる所之水脈これ に通じ,其の分泌する所の微酸稀液を輸し,以て此れ

 たすを稗く。宜しく脾篇と併せ考うべし。一説に脱の重さ

   いう

は三十又二銭,或いは四十銭。又日う,其の総管の十 二指腸に入る孔は,胃賓之下,四五指横径之虞に在り と。○註謹日く,暦元一千六百四十一年(我が寛永十 八年辛巳),名哲ホフマニュスなる者,雄鶏を解して,

       これ

始めて脱中の諸管を視る。乃ち諸をヘルシンギウス(入          そ名)なる者に伝ふ。厭の翌歳,其の人亦偶々一屍を解

して始めて之を視る。故に或いは之を呼んでヘルシン ギウス管と日う。」

となっている。

 まず「パンクレアスは羅なり」であるが,Dictenの 原書にもまたKulmusのそれにもpancreasという単 語が記載されており,これは確かにラテン語である。

しかし,もとはギリシア語のpagkreasから由来した ものでアリストテレスの働物誌 に世界ではじめて掲 載された用語である。ただしそこには いわゆる とい う意味の形容詞が冠されており,正式な学術用語では なかったことを推測せしめる。このことについては後 に詳述する。

 次に「漢人未だ説かざる所の者故に今新たに一字を

つく

製り訳して脱と日う。純は徒孫の切にして,月は肉な り,屯は聚なり結なり。すなわち屯聚して肉となるの 会意なり。」であるが,切は反切のことで,漢字の音を 示すため,他の2字の漢字を借りて表す方法のことで ある。はじめの父字,ここでは徒(to)の頭字音tと,

母字孫(son)の韻字onをあわせてtonと呼ぶといっ ているのである。筆者はこの名義解に接するまで,純 を何というのか迷っていた。大漢和辞典1)をみると,脆

607

(2)

脆篇第二十二 閨圏羅苦鹿弗巌斯︸青麟▲.蹄

蜘巴

M按和蘭二−各共連太鴎二土門篇乏也虎︐ 圏祈都也統ル囲噛幽着断魁断師指遠

胞握騨㌶銑︑賭赫此濾塵竃蒜爵二

     つ      む

 片肉ゼ義巫芦二則濾胞昧之義也蓋濾

 胞含芋駕二了物横︑居二胃.下而菖焉脹因L以 砲忌難麟鑛醐軒縫鱗夫此㎞藁醸施  而異鳩之苦汁相亮.希無以弘飲食消磨

 之原−酷一也乃壇蚕丁箇︐臓負以典一叫臓倍

 嘉轟殊へ漢L人所ユ木諒荒故今親製ジ一−宅・鐸

 目胞脱︑徒孫切月肉拠屯︑聚泌結心郎濾

 胞屯衆而馬丙之會意舷縫詩酷﹇難鐸纏 ﹂DL皇ー乙トF名義鮮Tlー  ﹁ー引斗

図1 『重訂解体新書 名義解』の腕篇第二十二の①

く ペニさドハウ に ド ド      レ ぱトにい  ト

ー唖㌔繊翻轟麹︑祐︑酬㎏論砂耕二名濾胞

 脹此賜⁝璽貢異名甚妄郎木會漉胞腹裏

 陣林都饗夏籏濾胞・騨腫康肉之妄皆和

    ピー子       ー ︐

蘭稲呼之鐸名咀羅旬則無別各頚頁内   し       ノ 所蓄〜菰老精液盈ハ共主功質性上則既詳二子 第三蔓不復藁益此勃其髄質濾胞︐而竜

受主ハ所在動脈之血つ泌♂別酸・稀工聾以藏一其

内文所裏腰之水康亘干些而輸違所芽 泌芝徹酸稀薄以蛋竃冥脾篇儀方轟

十一年蔵韓詠計名哲閨者璽

 む       む      ね     つ

﹁説雁重︒三十又二儀或甲+錯又已其 線管入十二指腸. 之ル在二胃嚢之下四五 措横径之庭σ註譜日暦元一千ナ百四       しご

雄鋸姑硯彫中竃ガ傷謙囲鷹陵鳥       レ 囲劔養萩翠璽㊦亦偶翼丁晃而嬉頑

考故に或.呼声之洞苛−車心−梁鳥新聲

.︾油豆丘ち.・

図2 『重訂解体新書 名義解』の月屯篇第二十二の②

の字と提唱した玄沢がトンと呼ぶとしたのであるか ら,これ以上は立ち入らない。

 さて会意とは漢字の作り方,使い方に関する根本的       りくしよな原則とされる六つの法則,すなわち六書の一っであ

    しようけい

る。六書は象形(目に見える事物を絵画的に描く方

   じ      かしや

  し法),指事(抽象的な概念を記号的に表す方法),仮借        かいい(同音の文字を当て字として使う方法)そして会意(意       けい 味を表す要素を組み合わせる方法)があり,さらに形 には実に7通りの読み方がある。慣用的にはジュンと

読み,たとえば 脆脆 を ジュンジュン と読んで,懇 ろな様 を意味する。その他 シュン,サイ,スイ,セ ツ,セチ,トン,ドン とも読む。名義解には鳥臓すな わち鳥の胃袋の意味にも用いられているとしている が,その時はシュンかサイまたはスイと読むとのこと である。しかも脆をトンと読むときは,粉餅あるいは 餌の意味になるようである。しかし腕をパンクレアス

胆と膵Vol24(8)2003

608

㌔口

(3)

を組み合わせる方法)と転注(定説がない,形声の特 殊な形?)の六つの方法である2)。脆を玄沢は会意とし たが,脆をtonとよぶとしたのであるから,屯が声符 で月が義符の形声字というべきと考える。しかしなが ら会意とするか形声とするか困難な場合があるようで ある3)。ちなみに肝も謄も形声字である。

 次に脾動静脈と分泌との関連に言及しているが,こ れは今日なお残された問題と思われる。「脱の重さは三 十二銭或いは四十銭」とあるが,一銭は一貫の千分の 一であり,3.75gであるので,120あるいは150gとい

うことである。続いてパンクレアス管の十二指腸開口 部の位置について述べている。

 以上は,DictenのAanmerkingenやKulmusの

Anmerkungenにも無い,玄沢自身の見解である。Kul−

musもDictenも,それぞれの注釈(Aanmerkingen,

Anmerkungen)は,本文のIV実質c)Ductus pan−

creaticusとV用益についてのみ追加説明したもので ある。IVc)は両者とも管の発見や名称の由来について 述べ,用語は多少異なるが内容はほぼ同一である。V 用益については分泌液のことであり,これも内容はほ ぼ同一である。名義解においては○以下の「註護日く」

からがDictenのAa㎜erkingenに相当するものと思 われるが,次に示すようにDictenのIVc)の注釈のみ 訳し,V用益は訳していない。なお暦元とは西暦のこ とで,わが国の寛永十八年にあたるが干支は辛巳(し んし,かのとみ)である。名義解には辛已(しんい)

が使われていた。さてIVc)の注釈についてKulmus書 においては「Hofmannが最初にこのDuctus pan−

creaticusを一羽の七面鳥で発見した。そしてそれを Virsungに教えたところ,彼は翌年人間に於て公開し て明らかにした。これからこの管はductus Virsun−

gianusと呼ばれるようになった」と記載した。しかし

DictenがKulmus書を蘭語に訳した時に,「Hof−

mann」が「Hoffmannus」に,「七面鳥」が「雄鶏」に,

「Virsung」が「Virzungius」となり「ductus Virsun−

gianus」が「ductus Virzungianus(Verzungiusの管)」

に変わったと思われる。

ll. Kulmusについて

 『解体新書』の原書である『Anatomische Tabellen

(解剖学表)』の著者Johann Adam Kulmus 1689−1745 については,前々回の小論文,胆と膵22巻12号,1134 頁においてドイツ人と記載した。しかし最近報告され た論文4)によるとKulmusが生涯の大半を過ごしたグ

年から1793年までポーランド自治都市であったので あり,著者石田によれば『ポーランド人名事典』には Kulmusはポーランド人として掲載されているとい

う。

 ポーランドには,Kulmus没後の18世紀末にプロシ ア,ロシアそしてオーストリアの三国によるポーラン

ド分割により1795年ついに滅亡,第一次大戦(1914−

1918)後の独立まで100余年の間,外国に支配された という不幸な歴史がある。しかしながらポーランドに おいてドイツ語は,とりわけダンチッヒは中世以来ハ ンザ同盟の中心的都市の一つであったから,第二国語 として使用されてきたと考えられる。何故Kulmusが

『解剖学表Anatomische Tabellen』をドイツ語で書い たかの一っの理由であろう。

 石田4)は先に紹介した『ポーランド人名事典』が,

1896年ドイツで刊行されたA.Hirsch篇の『医学者人 名事典』よりもKulmusについてずっと詳細に記載し ているとし,それを翻訳しており,また同氏がグダン スクで入手したギムナジウム記録簿の内容も紹介して いるので,それらをまとめて引用させて戴きKulmus の生涯を振り返ってみよう。

 クルムス・ヤン・アダムKulmus Jan Adam(ポー

ランド語読み)は1689年3月23日にヴロツワフ

Wroclaw(旧名ブレスラウBreslau)で生まれた。父

はパン焼き職人のアダム(Adam),母はマリア・フレ ゲル(Maria Flege1),兄はヤン・イェジイ(Jan Jerzy)

である。

 まずプロツワフのギムナジウムに通い,両親を亡く したあと,1704年に兄のいるグダンスクに転居し,そ このギムナジウムに通った。1711年にハレHalle,

1714年にライプチッヒLeipzigなどの各地を訪ねた 後,1715年5月にはバーゼルBaselにおいて Disser−

tatio de harmonia rnorum et morborum(論文:習 慣と病気の協調にっいて)という博士論文を提出し医 学博士号を取得した。その後オランダ内を学術旅行し ライデンLeidenでヘルマン・ブールハーヴェ(Her−

man Boerhave,1668−1738)の講議を聴講した。その

後グダンスクGdanskに戻り1721年4月結婚,翌年

1722年レオポルドアカデミーの会員となり,そして

『Anatomische Tabellen』を出版した。1725年5月に ダンチッヒ・ギムナジウム(高等学院)の医学自然学 教授に任命され6月に就任,最上学年の8,9年生に医 学と自然学,6,7年生には自然学を教えた。そしてこ の年からベルリン学士院の会員となった。彼は教え子 たちの学術論文をまとめて出版したり,主に解剖学の

胆と膵Vol.24(8)2003 609

(4)

1∵

1∴・﹇︐

i il   窮裡−亭 紫舵在﹄㌢解兇武恵       撰   形都ギ夫娩王曙校 弐竃薬督

自よ庁

.噛有丑+爾馬泥亜國ぺ所一せ有こ解槌圭旦皆 凪其邦語書毒推丑其再莉者束窪聾余一茨= 一閨語者ヂ卑於娃也︒余品欲鳥崇期遣批

昧覧︒博求其類妻馬末見其︹説⊂詳煮パ為之

曹 沓吊肴不鳥勘馬弐就一學技⊃謀〃\諸⇔窯

へ〜‖せ01ー

若狭侍腎

   誓

馴翼 鑑謹

   鐸

和蘭開國来一千七石三+一 手

rへ 亀慰碧﹄茎日  雀﹈

C

無笛㎏明哉天.生︑π馳些書く劫説㌢者眠

形︐艘内堅邑看﹄恒天こ・徳也

    図3 『解体新書』

玄白が訳したKulmusの自序の始

めの部分

   Am・1・1・ain・i Ap・沽・T・n55・nin 一 s、 a eshet cgi・い73・・

       図5Dicten書の扉絵      Dictenが翻訳したKulmus書の扉     絵を採用している

分野で多くの小論文や,また暦に関する書物を著した りした。さらに市嘱託物理学者等の公職の勤めを果た し,1745年5月29日に死去。彼の教授在任期間はちょ うど20年であった,というのである。

610

  図4 『解体新書」

Kulmusの自序の終わりの部分

ONTLEEDKUNDIGE

  Benevens de daar toe behoorende

 AFBEELDINGEN

      EN

  AANMERKINGEN,

Waar in hCt Za:mcnftcl dcs Mtnfchclyken Llchaarns,

 en heT gebruik van alle desヱelFs Deelen    afgebeeld cn gelterd word.

      DOOR

JOHAN ADAMKULMus・

Doaor en Ho。gtecraar aer Genees・tn NatUurkendt栖  de Sehoeien te Dantzitb, cn Mede lid van dc   Ke zeri) ke Academie dtr〃eetenfct・aPPen・

   In het Necderduitfch gcbragt

       o R

 GERARDUS DICTEN,

    ChirurgJ・tt te Lecrdt#.

     幽

  T・AMSTERDAM, By d・ JANss。・Ns v^。 W 、8。RG,.

    MDCCXXXIV、

   図6Dicten書の表紙

 1734年Amsterdam発行。図5と同

じ書店と思われる

III. Dictenが翻訳したKUImus原著

 『Anatomische Tabellen』執筆・刊行の目的につい て石田4)は,この初版をドイツ語で刊行したのは,1722 年ダンチッヒにおいてであり,彼がギムナジウム教授

胆と膵VoI.24(8)2003

(5)

叩鼠 八勝 管而

月 並 ハ 管 通 了 了

二 指腸

7 4

面のパンクレアスの図

左上 :

K u l mus

L e i p z i g1 7 5 9

年,右上 解 体 新書

1 7 7 4

年 左下 :

D i c t e n

Amste r dam 1 7 3 4

年,右下 :重訂ー解体新書

1 8 2 6

に任命される

3

年前のことであって,このことからギ ムナジウム学生の教科書として執筆したものではない であろう。しかし

1 8

世紀前半当時は,大学医学生,大 学卒の内科医の公用語はラテン語であり,内科医のた めの医学書はすべてラテン語で執筆されていた。同書 がドイツ語で刊行されたことは,読者層をドイツ語し か読めない人たち, 例えば外科医やギムナジウム学生 に限定していたことを示唆している,という。また

Kulmu s

が人体解剖をしたかどうかという問題につい ては不明であるが,当時オランダでは,大学の予科的 存在であったギムナジウムでは人体解剖は行われてい なかったので,ダンチッヒも同様であった可能性が強 いとしている。さらに残された問題として『解体新書』

の原著となった

Di c t e n

書は

r Anatom i s c h Ta b e l l en

の何時の版を

D i c t e n

が翻訳したのかについて触れて いる。 小川が

1 9 5 5

年に刊行した『明治前日本医学史第 一巻

J

(日本学士院編)で,

r

解体新書の本文は

K u l mus

の著したAn

a tomi s c h e T a b e l l e n

の第三版

( 1 7 3 2 )

を 和蘭の医者

Di c t e n

が翻訳したものである…」と述べて いることをあげ,石田自身もこれを踏襲してきたとし ている。しかし石田は前述の

1 8 9 6

年刊行のA.

Hi r s c h 

編 『医学者人名事典』に

r A n a t o mi s c h e   T abe l l e n J

の 刊行の年が記載されているとし,それには「ダンチッ

1 7 2 2

1 7 2 5

, 

1 7 2 8

,アムステノレダム

1 7 3 3

,ライプチッ ヒ

1 7 4 2

1 7 5 9

,アウグスフルク

1 7 4 5

1 7 6 6

,ローマ

1 7 4 8

・・」となっていて,アムステ

J

レダムから刊行され たのは

1 7 3 3

年であって,

1 7 3 2

年にアムステルダム刊 行の記載は見当たらなかったという。

さて

[

解 体 新 書』の凡例の後に杉田玄白の訳した

K u l mu s

の自序がある(図

3 )

。これはいうまでもなく

Ku l mus

の原著を

D i c t e n

が 蘭 訳 し た も の を 玄 白 が 翻 訳したものである。玄白の訳はほとんど誤訳であった ので,酒井

5)

が原文どおり訳したが,次のとおりであ る。

「この解剖図表はすでにまえに二度ドイツ語で出版 されたが, このたび書詳の希望により3 いっそう鮮明 な印刷と精巧な図版とともにやや趣向を変えて再び世 に出すことにした

いまから十年まえに手ムカどはじめて この本を公にしたときの趣旨は, もっぱら私の講議を 聴く人々,つまり解剖学を学ぶ初学者のために十分役 に立ち,同時に学校での説明があまり冗長にならずに すむことであった..

. J 

玄白訳のこの自序の最後には図

4

のごとく,

r

和蘭開

国来一千七百三十一年 若狭侍医杉田翼[注・玄白の 名,裁が玄白]謹誇」とある。これは

K u l mu s

が西暦

1 7 3 1

年にこの白序を書いたことを示すものであって,

胆 と 勝

V  0

. 1

2 4   ( 8 )   2 0 0 3   6 1 1  

(6)

s21i

;1

OEUVRES

       1川

        F       1

RUFUS D EPHESE,

   TEXTE《,OL.」LIO.N,NE svn L巳5 M占1 uscn[TS、

  TReDU[T POUI{ L:! PLLEMI已∬E l101S llN FfiMY《Jat5,

     AVEC U.NEEI TnOD, CTtON   PUBLtCATIONL ao.ltMa浴cSE

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    PARIS.

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    、)n(:1,1:r、XNIX

図8 Rufus全集の表紙

   DU NOM DES PAIITlES t)U CORPS.    157

 Ct:−rl,Is;:

i Ctilτらxα}ど捌xo泌εττα壮rp改1.叩.06ピ,,τ〆P。ぱゆσ ,何り一  λ P6・諏溺σ7s・ξワτεpω1τpo¢赤8よ己 oraVT?)s xeリらP, dπら。βκα}

17n,前7・鋤 6μ・σ7・・.Σ・・x〜・δ2・・吻・))・π伽ξ岬。v・産山・・百  x・7・1。i StxFcttac ixqh,atダxaλ・iTa・Si・らμξ・叫λら㌧6・・己ληθ緬  OPXdi。 e。フ、, ・。らδ鰯λ・,・,・・}』・。 ,恒・}拠φ,,・6μη一5

]?1pσ澗λ・L Eσ?山δ輌δεσμ。タ・di・ tv・輌,,咋・μεσ5・τ〆P 。v xa)

 1疋ε叫αro, ・dpa↓δP Ei )・aσ?tpat xa) Tδ al.UTffV EPTEp。岨㎡λαξ敬〜

 倫輌己ζ。 ,dπb。δ叫εμ吻xε ebTa}sξτ xat1 viv丁らμεσ〆Pα。,

17! xaλorl・,. Bπ冷・f」 x6λpa ・b drrevθv叩ピ, 。・apら・加9δP・… } 1//』T∂,  dplX6il・Tらおthtπε卿xらs犀〃inτoV何εPtPεpoVFτみγaa7pbs, r《レ  x・λ㌦π↑・ 魂ab・・fvτE x・)岬。丁・丁。il diλλ。・tl・Tifp・り, intTλ。。v・

r7fi Kα}baπb τδψ φPε・緬りttεpiπゴvταTi蔚・Tepa X丁泣 τεiveat・, aε一 175 pt・6・−il Ei tTapdi・h・ wp卵・。σピ吋・・靹・・一μ蛎

・7・} ・aFe  ・・πψ・λ。 ・・}dδ醐・ ,一一加』・δ・ξ・di・・

 Ivワ lster.《nt I ppelre n ls:Tucntre 5) pd/icnr CcstomttC)1lc l・eU t・「・「・11IcsLil・

 1・rellcts・ ・ 1 ;S・1・・L・ …e…11川・・ m ∫…〔P) 1。reeLa・e・lcnu…}・・P・is・eln・lcriI  l7「ハR【CSr ↓ Vr【 CS   it /eロt  ( eJ ! t U 」) . ハ iSi {t《.r,《,11 1匡1C. 

11nCC  qllシEl C.SL ln{1−

1 70 .i《,|:s 、i【1、 【1.1)《.,1−  L.rn∫csr∫〃r11∫c l11i  「:1…1  −slri〔c: cel  i1 1e−stir)  n  1s  |1・rll叩L…m・・ 111・r川・111川・・Plld ,・yl,le(・・捌・}p・1…1・巳・α1 r・ ・1【6  1111』.・・[・ 11]・・・…M【we、 1ntil・c・1・・1・V t…m・111・vt・n u・vettl・⑪ゾ輌 ・

tll n ,vlbC・川・m酎。〔川v, f}r,y), ,ti・耐(・・s・剛・)・㎞iaCipb,mc qm  l ●r 1 e |O liCn COlnllltl1、  《1e  Int S |t、S i〔11tLSIilt9 ロ5〔 liIe ■1ttr:^rteUX dCS t−

 testins・1u eFttc4Ctcr・bs Tnres{励e 曾、 rnestttthn];cnr,ftttLrc 。is・。1、叩一  FlrL7・1 …ntl rnre LnttL 1C・iise…1,h・・lvs,・1山sLlns;・・ぬ1伽・e d・5。u・・ni1

L72 11L・《vlitL n LE【lclv n]lpt・II: fiuiI 【1 e v;enl llc,lr 】11n↓rよ¢σdpatev・ Au colo1  ・11・・ ・【 鳩( 几・励(・c・t・t・L).・1・iidesr ii・1 ・ers lo siifgc eL ]e.fen tc・lcnt・

173L・tnnioua,fi。itg・f・{ttvO)loon)estceLte・1・1・PlVTIn・)t nissfi:lce.sua|n Fnccn・㌔

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 蒜竺灘㍍㌦㌔:;㌫㌃㌍て鷺蒜ぷ£

図9Rufus全集157頁の175項から176

  項にかけてpagkreasのことが述べ

   られている。

まさか玄白が数字を誤訳したとは考えられない。さら に小川の著書6)の55頁に「玄白たちがその本文を訳し たオランダ本の扉」として56頁にKulmus書に掲載 した扉絵を提示している。Dicten書の扉絵には翻訳の 対象としたKulmus書の扉絵を採用しているわけで,

その下欄には不鮮明ながら「Amstelodami」と「1731」

が読み取れる。

 いまここに1734年発刊のDicten書の扉絵のコピー

(図5)を示すが,この扉絵がKulmus書のもので1731 年にできたことが明白である。しかもDicten書のタイ

トルページには図6のごとく,1734年にKulmus書と 同じ書店が本書を作成したことを物語っている。その 書6)の78頁に小川は,Kulmusの「ドイツ語の初版が 1722年ダンチッヒで出て,25年と28年にもダンチッ ヒで,1732年には第三版がアムステルダム,1741年に は第四版がライプチッヒで出た。玄白や良沢らにより 日本で初めて訳されたものは右の1734年アムステル ダムで出版のオランダ語本であった」とはっきり述べ ている。ついでながら『医学者人名事典』ではライプ チッヒ出版は1742年となっていた。小川はおそらく

Dictenが翻訳の対象としたKulmus原書の扉絵が

1731年にできあがっていたことは知っていたにちが いない。小川のいうとおり1732年が正しい発刊の年で あって,『医学者人名事典』が発刊の年を誤ったのかも しれない。もしも事典が正しいとすれば,Kulmusが自

序を書き,かつ扉絵ができてから1年以上ないし2年 近くたってやっと発刊されたと思わなければならな

い。

 さて,パンクレアスの語源を探究するうちに,たま たまKulmus書, Dicten書,解体新書,そして重訂解 体新書のパンクレアスの4面の図を眺めることになっ た(図7)。一箇所に集めてみると,驚くほどよく似て いることがわかる。左上が,Kulmus書,左下がDicten 書,右上は解体新書,右下は重訂解体新書である。発 刊の年や発行所は各書まちまちである。Kulmusは 1759年『Leipzig』, Dictenは1734年『Amsterdam』,

『解体新書』が1774年,『重訂解体新書』が1826年,

後の2面はもちろんわが国で発刊された。筆者にとっ ては『重訂解体新書』の図が,もはや模倣を脱した域 に到達しているように思われてならない。

W. pancreas の語源について

 以上,漢字とはいっても本邦の国字である 膵 と それに関連する事項について述べてきたが,前述のご

とく 膵 はDicten書の蘭語alvleeschを翻訳したも のであり,pancreasと同義の言葉になるわけである。

またKulmus書においてみられたように,独語でGe−

krdsedrttseやRttckleinがあったにしても, pancreas という言葉は採用されていたように,その他の国でも

612 胆と膵Vo1.24(8)2003

(7)

pancreas は共通して用いられてきた言葉であった。

これは例えば肝においては人種により,国によりまた 地方によって,違った呼び方をしているのとまったく 対照的である。すなわち肝はギリシア語でheparであ るが,ラテン語ではjecurであり,フランス語では foie,ドイツ語ではleberであるといった調子である。

  pancreas の語源について,よく引用されるFitz−

gerald7)によると,まず「The pancreas was said to have been described first by Herophilus of Cha1−

kidon in about 300 B. C.」とある。この文章の根拠と

なっている文献はMarx KFH:Herophilus:ein

Beitrag zur Geschichte der Medizin. P. 29. Carlsruhe und Baden, D. R. Marx.1838.である。筆者はこの文

献を未だ読んでいないので,批判できないがHero−

philusが何と記載したのか,彼はこの臓器を何と呼ん だのであろうかという疑問を抱かざるを得ない。筆者 が読んだHeinrich von Stadenの労作 Herophilus:

The Art of Medicine in Early Alexandria 8)による と,Herophilusが現在書き残したと思われるものの中 には,パンクレアスについて記載したものは,まった く存在しないということであった。次にFitzgeraldは

「and the organ was named in 100 A. D. by Rufus of

Ephesus.」とあって, DarembergのRufus全集中 人 体各部の名称について という論文の中のパンクレア スの部をギリシア語の本文とフランス語訳文を掲載し ている。筆者もRufusの論文のコピーを手に入れ(図 8,9)『腸の最初の部分に横たわる脂肪性の腺様の臓器 παγxpεαs(pagkreas)』と言己載されており, pagkreas の前には いわゆる(kaloumenon) という言葉はな いことを確かめた9)。Fitzgeraldはさらに「Whether Hippocrates regarded the organ as the site of any disease is questionable」としているが,筆者がヒポク

ラテス全集1°)を調べた範囲ではパンクレアスの用語は まったく見出せなかった。

 筆者はInternational Journal of Pancreatology 1997に藤澤令夫(Norio Fujisawa)氏と共著で On the Etymology of Pancreas  と題する論文を発表し

た11)。その要旨を述べると,パンクレアスという用語は Aristotleの動物誌に初めてpagkreasの字でみられ

るが,kaloumenon(いわゆる)という形容詞が付いて いること,Herophilusの書き残したもののなかに,パ ンクレアスに関する記載はまったく存在しないこと,

Rufusの 人体各部の名称について の論文のなかに は,Pagkreasが確かにあって いわゆる という形容 詞はもはやないこと,Galenの論文の中に, Hero−

philusがパンクレアスと思われる臓器について積極的

に研究したという記載があること,したがって解剖学 的用語としてpagkreasはおそらくHerophilus以来 受け入れられたのであろう,というものであった。

 1994年3月任期満了にて退官した筆者は,専門とし てきた肝胆膵外科の医学史をまとめ,あわよくば東西 医学の融合を試みようという大それた夢を抱くように なった。そしてふと,まず肝や胆や膵という言葉が何 時人類は使うようになったのかという疑問に取り付か れた。ここから漢字および印欧文字の語源の探究が始 まったのである。肝と胆については別に報告するので ここでは省略する。

 さて膵の漢字については,これまでに述べたとおり である。問題はpancreasで,これが何時,誰が初めて 用いたのか?である。

 『ステッドマン医学大辞典改訂第2版』メジカル ビュー社の前文19頁「医学用語の起源」に,アリスト テレス(Aristotle, BC.384−322)が用いた医学用語と してあげているものの中にpancreasがあるのを発見 した12)。あの有名なギリシャ哲学者が何時何処でpan−

creasという言葉を使ったのか?その文献はあるの かないのか?筆者の知る限り,いままで誰も指摘しな かったのでぜひ知りたいと思った。しかしどう調べる か見当もつかず,途方にくれてしまったのである。そ の時ふと思いついたのが三高の同期の藤澤令夫氏で あった。彼に電話で相談したところ,すぐ調べて返事 してくれた。それはまことに明解なものであった。

Pancreasという言葉は確かにアリストテレスが記載 したものであって,彼の『動物誌』の中にあるとのこ とであった。筆者は正に狂喜し深謝した。

 やがて頼んであった文献のコピーが届いたがそれと ともに,Liddell&Scott:A Greek−English Lexicon,

のPagkreasの項のコピーも送られてきた13)。 Pag−

kreasの項には, Arist. HA 514 b 11, Ruf. Onom.175,

Gal. UP 5.2.とあったのである。 Arist. HAはAris−

totelesの『Historia Animalium』のこと,514は頁数 でアリストテレス著作集プロシア王立アカデミー版

(通称Bekker版)の頁, bとは右欄(aは左欄)で11 は行数である。

 Ruf. Onom.とは, Rufus全集中Peri onomasias ton toy anthropoy morion(人体各部の名称について)の

ことで,その175項を意味する。Gal. UP 5.2.とは GalenのDe Us Partium(人体各部の有用性につい て)という論文の第5篇第2章のことである。

 以上は藤澤氏より教わった。したがってこの希英大 辞典を使い慣れている人にとっては,ギリシャ語の語 源について調べるのは,いとも簡単であったのである。

胆と膵iVol.24(8)2003 613

(8)

ARISTOTELIS

Ol)ERA.

1.川D11

ACADEMI−A REGIA BORUSICA.

VOLUMEN PRIMUM,

ARISTOTELES C】R八lCCIC EX IIEC,0∩Nlr]ilONE IMMANU]ll[.]S, RICKKERI.

      YOI.UAIEN 1,]11US.

      ]Sl,]R()L]NI         A1°U【)Ol・]0】{【」IUSI ltRI村1・:ltVM

       A.IHII】.

      tX ttt「ド1↓IHA AVMIENIt a,

図10 アリストテレス著作集(Bekker版)の表紙

514      nEPI Ti ZgA I亘TOP∫ΩN ▲・

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r・入・#;・声・パλエ・ρ,声ヤ呂入・λ・才・二.・・む∋.●7エ,;苫寓cφ・ 17.声x・・1シxi「ρD・瓦 τ・−ts;tl c.. 1s.☆別P・…r c刀見,

》iyAtsノ c・D 、い・和巳・pc−. a,リ. t;x・イ ・〃・.日2」.」叩・ゾ・tFt 1 , i・1 9−・ ・・F頃か1「・・F・ (・e1ゆr,島c^酬1叩 PP ・い. nal。mイ ・‖e;. xy…] T ・・玩・)●・臼5・}融P・AJ・

図11a アリストテレス著作集(Bekker版)の514      頁

5山輌∫ζ・τ駆ぽ㌦oτ;;φλ招・・ ε1ζ働時甲。v い陥1 己π満岬9ψτ;ζμε蜘ζφλεβλζ妬

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・⑳εφ戸ξ甲品・c・・ixec・4・・・6晒娼如9・両μ●

γム榔♪w・ξπ嚇飾6・…;輌κ・・μ£M・岬。cr一

    図11b a図の右欄の拡大図。11行目にpagkreasがある

 1831年のプロシア王立アカデミー出版イマニュエ ルベッカー校訂(通称「Bekker版」という,図10)の アリストテレス著作集 4〕において486−638頁がnEPI TA ΣΩIA IZTOPIΩN(直訳は 動物たちに関する 諸研究 一般に 動物誌 ,ラテン語では  Historia Animalium という)である。さて514頁を開くと,各 頁ともそうであるが図11のごとく左右の二つの欄に 分かれている。左欄がa,右欄がbである。右欄の11

行をみると,果たしてτbκαλ  o VXt e vo v Z!dyzg2gg1{tLとあ

      sる。前行を入れてローマ字に代えるとh6 men 6pi tδ

 ノ       N

6piploon, h壱d6pi tb kal6umenon pagkreasである。

島崎三郎訳 5}によれば「1本は網膜に達し,1本はいわ ゆる『パンクレアス』に達する」としており,A.L.

PeckI6)は「one to the Omentum, and one to the pancreas as it is called.」としている。なおpagのg すなわちγであるが,γ,x, x,ξの前ではnの音にな る。このようなγを鼻音のγという。ローマ字へ書き 写す時はκはc,鼻音のγはnにする。したがってラ テン語ではpancreasとなる17)。

 さてka]6umenon pancreas[いわゆるパンクレア ス]の意味であるが,当然アリストテレスの時代にパ ンクレアスという言葉が知られていたことを思わせる

614 胆と膵  VoL 24(8) 2003

(9)

テレスが記載したのかどうか, いわゆる の意味にヒ トを意識して述べているのか?というのが問題であ る。というのはアリストテレスは動物の解剖はしたが,

ヒトの解剖はしなかったといわれているからであり,

もしも彼や動物誌の記載においてヒトの解剖を意識し た記述があるとすれば,その知識は何時どのようにし て得たのであろうかなど,いろいろと疑問点が湧き上 がるが,次の5点の検討が必要でないかと思われる。

 ①パンクレアスの言葉が出てくるのは,『動物誌』第 3巻第4章の1箇所である。それ以外の『動物誌』の記 述のなかで,ヒトの解剖との関係を示唆する記載があ

るのかないのか?

 ②『動物誌』が書かれた時期は何時か?

 ③アリストテレス以前にギリシアにおいて人体解剖 は行われたのか?

 ④アリストテレスに引き続きアレクサンドリアでヘ ロフィルスが撞頭し人体解剖が盛んに行われ,彼は後 世から解剖の父と称えられた人であった。彼の業績が

『動物誌』へ影響したということはなかったのか?

 ⑤アリストテレスあるいはヘロフィルスの後継者が

『動物誌』を改訂するようなことはなかったのか?

 これらはいずれも解答を得るにはきわめて困難な問 題に思われるが,どこまで解明できるか試みてみたい。

参考文献

1)諸橋轍次:大漢和欝典,巻九,262,大修館書店,1988.

2)阿辻哲次:漢字の字源,第2刷,232−233,講談社,1994.

3)白川 静:字統,3−6,平凡社,1984.

  究.日本医史學雑誌48:31−51,2002.

5)酒井しづ:新装版解体新書、第2刷,40−41,講談社,

  1999.

6)小川鼎三:解体新書 蘭学をおこした人々,55−56,78,

  中央公論社、1968.

7)Fitzgerald PJ:Medical anecdotes concerning some   diseases of the pancreas. The pancreas,(Fitzgerald   pJ, Morrison AB),1−29, Williams and Wilkins,

  Baltimore,1980,

8)Staden H von:Herophilus, The Art of Medicine in   Early Alexandria.153−209、 Cambridge,1989.

9)Rufus:Oeuvres Texte CoIlationn6 sur les Manu.

  scrits Tranduit pour la Premiere Fois en Francais.

  Publication Commenc巨e par Ch Daremberg,

  continu6e et termin6e par Ch Emile Ruelle.157,

  Limprimerie Nationale, Paris,1879.

10)Hippocrates:HIPPOCRATES, Loeb Classical

  Library, Vo1.1−Vm, Harvard University Press,1995.

11)Tsuchiya R, Fujisawa N:On the etymology of    pancreas . International Journal of pancreatology   21:269−272,1995.

12)吉 利和監修:医学用語の語源.ステッドマン医學大   辞典,19−23、メジカルビュー社,1985、

13)Liddell HG, Scott R:AGreek−English Lexicon,

  Vol. II,1284,1951.

14)Aristotle:Aristotelis Opera revised by Bekker,514,

  1831.

15)島崎三郎訳:アリストテレース動物誌(上),117,岩   波書店,]998.

16)Peck AL:Aristotle IX, History of Animals Book   I−III.181、 Loeb Classical Library,1993.

17)緒方富雄:語原ギリシア語法,11−25,医歯薬出版株式   会社,1982.

胆と膵VoL 24(8)2003 615

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