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対話としての『地獄の季節』 : 二人称のありよう

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(1)

対話としての『地獄の季節』 : 二人称のありよう

著者

北村 仁史

雑誌名

年報・フランス研究

31

ページ

13-26

発行年

1997-12-25

URL

http://hdl.handle.net/10236/9372

(2)

対話としての『地獄の季節』

一 二人称のあ りよう一 北村 仁 史 1 『地獄の季節』υ″θ ttjsθ “θ″θ′ψrは

,無

題の序章の第二番 目の語

,す

なわち 書 き出すやただちに一人称主語 〈私 〉je(日 本語では「おれ」 に も「ぼ く」 にも 可 変す るが統一 する なら「私」 に如 くは無い

)が

語 り始 め

,最

後 までエ ク リ チュールを主導す る 〈私 〉の横溢する私語 りの書物であることは自明であるが, しか しまた

,〈

私 〉の登場 に間髪 を容れず同 じ無題の序章の七 行 日に早 くも二 人称の vousが現れ

,語

り手である 〈私 〉の対話相手 となっている。以後

,こ

う して導入 された tuや vousと 語 り手である 〈私 〉との対話形式は『地獄の季節』 にたびたび現れるのであるが

,ま

,形

式的にはギユメに くくられた言葉 とギユ メなき言葉 とが あ り

,ま

た レ トリ ックの上で はたんな る詩的頓 呼法のよ うな も のか ら演劇性の より強い デ イアローグ的なる ものにい たるまで 多様 なお もむき を見せている。 ピエー ル 0ブ リュネルはその F地獄の季節』批評校訂版の序文 で

,必

ず しも 二人称 の現れ とは無関係 に

,ま

ず 各章にみ られる語 り手の自分 自身 との対話や 「錯乱 I」 Dαjr`srにおける「狂気の処女」VLrge f01に による特異な対話 など を分析 してか ら

,次

にサ タンとの対話 (序章

),死

刑 執行 人との対話 (「悪い 血」

M"ソ

αJ ssα “

g

8部

),「

かわいそ うな人々

,労

働者たち」 との対話 (「地獄の夜」助J′ルJ'`′ψ

r),教

会の人々や哲学者たちとの対話 (「不可能」

(3)

対話としての F地獄の季節』 ん'ノ′P7pθsfb′θ

),「

現 代の伝道者

,つ

まりは世の中の 全員」 との対話 (「閃光」 ι'ルαfハ を列挙 し

,「

ランボーの ことを鳴 り響 く対 話の合唱 と言い換 えてみた いほどだ」 と述べている(1は ところで

,『

地獄の季節』冒頭 に開かれた引用符ギ ユメは

,つ

いに閉 じ

%れ

ることがない{〕 。 これは著者 ランボ ーによる校正 Lの 単 なる不注意によるものな のか, それ ともこの書物 がついに終わることのない結 末の不在 を故意に暗示す るもの なのかは

,に

わか に即断で きないだけ に

,前

者 を取 るな ら冒頭 に開かれ たギュ メを無視 して読み進むことにな り

,ま

た後者の観点に立 てばこの引用符 が作品全体の読解 に何 らかの影響 を及ぼす ことになるだろう。 この ようなアポ リアは さてお くとして

,ラ

ンボーの テクス トにおけるギュメ 使 用 に関 して

,注

意 を引 く次 の 二 点 を確 認 してお きた い。 『前期 韻 文 詩』 Pθおfθsの「初めての宵」Prθ″′2rθ sθfr″ とい う詩篇は

,ガ

ルニエ新版にも冒頭 に開かれたギュメは印字 されていなが3が

,自

筆原稿の フアクシミリ(・ をみれは 短い二 本の縦の直線がは っき りと読み取れる。開かれ たギュメがついに閉 じら れるこ とのない最初の明 白な例で ある。 もう一点 として

,他

に ランボーのテク ス トで 冒頭 にギ ュ メが 開かれ て い る もの を探せ ば

, Fイ

リュ ミナ シ オ ン』 r′′ “鷹J“α′Jθ″sの「民主主義」 pご″θε″′J′ を指摘で きる(5"ゞ

,こ

れは末尾で確かに ギュメは閉 じられている。テ クス トが まるご とギユメに括 られ ている例 である が

,た

だ し

,そ

の 自筆原稿は行方 しれず

,私

たちが読 むことが で きるの は初出 以来の慣例に基づいて印届1されているテクス トにす ぎないけれ ども。 本稿 では

,必

ず しもギ ュメの問 題 に焦点 を当てるわけではな いが

,そ

れ と密 接 な関連がある と考 えられる

,『

地獄の季節 』に現れ た二人称 のあ りよ うに着 目して テクス トをた どりなが ら

,そ

れが どの ように現 れて

,ど

の ような働 きを しているのか

,を

考察 してみたい。 ところで

,書

物 の中心 に位置 して『地獄の季節」が ランボー の生 きた過去ヘ の清算 であるこ とを如実 に示す重 要な章であ るふたつ の「錯乱 」

,す

なわち私 語 りの主導権 を「狂気の処女」 に譲 り渡 して語 らせ る「錯乱 I」 と

,再

び―一人

(4)

称主語 〈私〉が語 り始めるけれど旧作『後期韻文詩』Dιr″fθ∬

rrsの

幾篇かを 引用変奏 しつつ散文と韻文を交互に配する特異な形式の「錯乱 Π ことばの錬 金術」Dαfr′s〃.A′ε乃加J′ ノι′ソ′乃′は

,一

人称主語 〈私〉が語る地獄め ぐりとい う作品の大枠 とは位相を異にするので

,別

個 に扱 うべ きであろ う。紙幅の都合 もあつて

,こ

こでは

,ふ

たつの「錯乱」以前の

,無

題の序章

,「

悪い血」

,「

地 獄の夜」までを検討することにする。 2 ついに閉 じられることのないギュメが開かれた直後

,『

地獄 の季節』の冒頭, 無題の序章は次の ように始 まる。

《Jadis,sije me sou宙ens bien,ma宙 e6tait un festin oむ s'ouvraient tous les coeur、oこtous les vins coulalent.

Un soir,j'ai assis ia Bcaut6 sur mcs gcnoux。 一Etje l'ai trouv6e amёre。 一Etje

l'ai lttuHёe。

Je me suis armё contre lajusdceo Je me suis enfui.O sorciё res,O misё re,6 haine, c'cst a VOus quc rnon tだ sor a 6t6 conf16!

くかつては

,私

の記憶 に狂いがなければ

,私

の生活 は宴だつた。あ りとあ らゆる 人の心が開かれ

,酒

とい う酒が溢れ流れた宴だつた。 ある宵の こと

,私

は美 を膝の うえに坐 らせた。一一苦 い味がす ると思 った。一― そ こでそいつ を罵倒 してやった。 私は正義 に対 して武装 した。 私 は逃亡 した。おお 魔女 たちよ

,悲

惨 よ

,憎

しみ よ,おまえたちにこそ,わが 宝物 は託 されたのだ!(5) 「宴」 と歌われるかつ ての楽園 の喪失

,芸

術的「美」や社会 的「正義」への 反発敵 対

,そ

れ らか らの 「逃亡」 を告げた後

,早

くもここに二 人称複数 強勢形 のvOusが現れている。超 人的存在ではあるがそれ 自体すでに半ば人間的形象 を もつ「魔女たち」 と

,擬

人化 され た抽象名詞 「悲惨」 と「憎 しみ」 に対 して一

(5)

対話としての『地獄の季節』 括 して 「お まえたち」 と呼びかけ

,熱

い連帯 と深い信頼 を宣言 する

cこ

こに見 られるのは

,ま

だデ ィア ロー グにはいた らない

,ポ

エ ジーにお いては古 くか ら の常套 手段で もある頓呼 法の ^種ともい うべ きレ トリ ックの方 法にす ぎず

,と

りわけランボーの忠実な読者であれば F前期韻 文詩

Jか

ら『イリュ ミナシオン』 にいた る まで頻繁に出会 う親 しい書法で もあ って

,も

とよリギ ュメが介 入する 余地はあるはず もない。しか しなが ら

,こ

う して導入 された

,デ

ィアローグ的 なるものを間奏 しなが らテクス トが進行 して ゆ くとい う F地獄 の季節」 の一面 をい ち早 く示す もので もあるだろう。 次 に同 じ無題の序章の後半末尾 を引用する。

′u rcsteras hyёne,etc.…》,Se reCrie le dё mon qui rne couronna de si airnabics pavots.《Gagnela mo■avec tous tes ap〆 dtS,Ctton

ё

gOTsme cttous ies〆chёS

capltaux.》

Ah!j'en aitrop pns:一 Mais,cher Satan,je vous en cotturC,une pruncllc moins

irTit6e!et en attendant les quclques petites iachet6s en retard,vous qui alincz dans l'6cnvain l'absence des facult6s descnpttves ou instrllcdves,je vous d6tache ces quclques hidcux feuillcts de rnon camet de damn6。

「お まえはハ イエナの ままでいろ――│てなことを

,か

つてはあんなに もかわい ら しい芥子の花冠で飾 りたてて くれた悪魔がわめ く。「お まえの食欲のすべて と, エ ゴイズムと,そ して七つの大罪の全部 を背負 った ままで

,死

んで しまうがい い。」 ああ

!

そんな ものはいや とい うほ ど味わつて来たの さ。一―そ れ よ り

,親

愛 な る魔王サ タンよ, どうかお願いだ,そんなに苛 々 した 目つ きを しないで くれ

!

い ずれみみ っちい臆病な試み をい くつかお 目にかけてやって もいいが,その前 に

,ど

うせ物書 きなんぞには

,描

写の才や教訓 を垂れた りす る能な どない方が,あんたは お好 きだろうか ら,そのあんたに,この私の地獄堕 ちの手帖か ら,おぞ ま しい数葉 をちぎり取 つて,お目にかけることに しよう。 上 記 ワ[用部 最 初 の パ ラ グ ラ フ に お い て

,か

つ て は語 り手 〈私 〉の 盟 友 の ご と

きものであったはずの「悪魔」による 〈私〉への背信的な言葉がギュメに括ら

(6)

れてい るの は

,ご

く普通 の句読法 に もとづ いた表記 であ ろ うの 次 に くる無題の序章の最終パ ラグラフでは

,前

節のギコ_メに括 られた「悪魔」 の言葉 を受けて

,語

り手 〈私 〉が 「悪魔」

=「

魔土サ タン」 (語が異な ること に軽いずれはあ るにせ よ

,自

然な読みではほ ぼ等号で 同定で きるだろう

)に

向 かって 反論する。 このパ ッセージは

,こ

の よ うな自嘲 と嘲弄の ない まぜ になっ たフ ィクシ ョンの背後で

,『

地獄 の季節』全 体の方向性 を規定 するとと もに書 物終局 での地獄 か らの脱 出を暗示 しなが ら

,

また同時 にその書 法の本質 をも開 示 して いるようにさえ思 われる重 要な一節で ある。「 親愛 なる魔王サ タ ンよ」 と呼 びかけ

,「

どうかお願いだ」 において vousは「悪魔 を祓 う」 という意味を も併せ持つ他動詞 cotturerの 直接 目的語 におかれ

,さ

らに「描写の才や教訓 を 垂れた りす る能な どない方が

,あ

んたはお好 きだろうか ら」では vouSは 関係代 名詞の先行詞た る強勢形 であ り

,最

後の動詞 「ちぎり取 って

,お

目にか ける」

d6麟cherの 間接 目的語の vousと 同格におかれている。vousが立て続けに三度繰 り返 される修辞 的な虐、の長い構文 か らなるこの最終節 は きわだ って芝居 がかっ たセ リフその ものであるにもかかわ らず

,ギ

ュメに括 られていない。 しか し

,テ

ィレ (ダッシュ

)が

存在 していて

,こ

とは さらに複雑である。ギュ メと違 ってティ レは

,対

話 におけ る話 し手の変更 を示 す用法以外 に も

,付

随的 要素の追加や前言の訂正 な どに も用い られるか らである。息の長い文直前のテ イ レの果 たす機能 に応 じて

,そ

の前 の短い文「ああ

!

そんな ものはいや とい う ほ ど味 わって来 たのさ。」は

,地

獄 をめ ぐる私語 りの地の文で あること と語 り 手 〈私 〉の「魔 王サ タン」への会話文である こととの 間をたゆ たわざる をえな い。一義的な読解 を拒 む晦渋 さは

,こ

の ような句読点 の レヴェルか らす でに始 動 して いる。いずれにせ よここで は

,語

り手 〈私 〉が 自ら呼 び出 した二 人称で ある他 者 に述べ た言葉 を地の文 と判然 と区別す る形式上 の記号 を必ず しも明記 せずに記述 して ゆ く

,地

の文 と会話文 を渾然 と融合 させ なが らテクス トを織 り な して ゆ くとい うスタイルを実行 しつつ

,以

後 もこの ようなス タイルが再現 さ れることを暗示 しているだろう。 ところで

,こ

の無題の序章の最 後にギュメが閉 じられていれ ば

,私

た ち読者

(7)

対話 としての『地獄の季節』 は とりあえず納 得で きるだろう, こうしてギ ュメに括 られた特 権的な序 章が閉 じられ

,以

後『地獄の季節』の本文が始 まると丁解で きるであろうか ら。 3 次 に 無 題 の 序 章 に続 く「悪 い血 」 にお け る 二 人称 の 現 れ と対 話 形 式 の あ りよ う をみ て み よ う 。 この章 は

,執

拗 に 自存 の 根 拠 を手 探 りす る語 り手 〈私 〉が凄 ま じい速 度 で め ま ぐる し く時 空 を縦 横 無 尽 に駆 け め ぐるの で あ るが

,最

初 に二 人称 が現 れ るの は

,八

つ の 部 分 に区切 られ て い る

,そ

の 五 番 目の部 分 で あ る。

Sur les routes,par dcs nuits d'hiver,sans g↑ te,sans habits,sans pain,une voix

6treignait inon coeur gc16:《

「 aibicsse ou force:te voHa,c'estla forceo Tu ne sais ni

oむtu vas ni pourquoitu vas,entrc partout,“ponds a tout.on ne te tuera pas plus

quc si tu`tais cadavre.》

街道 を行 く途上で

,冬

の夜 々

,宿

もな く,着る もの もな く

,パ

ンもない有様で, 凍えた私の心 を締めつける一つの声があった。「弱かろうが

,強

かろ うが,とにか くお まえはそ こにいる,それが力なのだ。お まえは どこへ行 くのか も,またなぜ行 くのか も知 らない。 どこへで もいいか ら入 って行け

,何

にで もいいか ら受け答え し ろ。お まえが死骸でで もあるかの ように

,誰

もお まえを殺 した りは しないだろ う。」 (「悪 い血」第5部

,第

2パラグラフ) 上記 引用部で は

,ラ

ンボーの自我が二つに分裂 して対話 しているお もむきが ある。 「凍えた私の心 を締めつけ る一つの声」が語 り手 〈私 〉に届ける, Fイ リュ ミナシオン

Jの

「精霊」

GaJ`を

街彿 させ る奇妙にも力強い言葉は

,ギ

ュメ に括 られてお り

,「

声」のほうが一人称 であって語 り手 〈私 〉 (この場合は聞 き手

)が

二人称 に対象化 されてい るデ イスクールの特徴 とともに

,「

悪 い血」 ではた つた二回 しか用い られない ギュメの特 権性 によって聖化 されてい るかの ような印象 さえ与える。親 しい二人称単数の tuが 主語で四回, 目的語 teで 二回 数え られる。 「悪 い血」の 同 じ第

5部

には

,こ

のあ と

,次

に引用する第

4, 5パ

ラグ ラフ

(8)

にもtuゃvOusが 頻繁に現れてテ クス トの対話性 を強調 してお り

, F地

獄の季節』 の中で最 も二人称の密度が高いパ ッセ ージとなっている。 さなが ら

,一

人芝居 の独演 が危ぶ まれるほどに濃密な演劇的昂揚 に沸 き立 っている とも言えるだろ う。

(...)Je me voyais devant une foule cxas〆rёe,en face du peloton d'cx6cudon,

pleurant du malheur qu'ils n'alent pu comprendre,ct pardonnant!一 Corrlinc Jeannc

d'Arc!――《P")tres,professeurs,ma↑tres,vous vous trompez en ine livrant a la justice.Je n'aijamais 6t`de ce pcuple― ci;je n'aijamais 6t6 ch“ tien;jc suis dc la race qui chantait dans ie supplicc;je ne comprends pas les iois;je n'ai pas de sens

moral,je suis unc brute:vous vous tЮ mpez.“》

Oui,j'ai:es yeux ferm6s a votre lumiё re.Je suis une∝te,un nёgre.Maisje puis Otre sauv6.Vous etes de faux nё gres,vous rnaniaques,f6roces,avares.Marchand,

tu es nёgre;rnagistrat,tu es nё gre;g6n6ral,tu es nё gre;empereur,vieille

d6mangeaison,tu es nё gre:tu as bu d'une liqucur non tax6c,de la fabrique de Satan。 (… .) (……

)私

には

,激

昂 した群衆の前で

,銃

殺執行の分隊 と相対 している自分の姿が 見えた。やつ らには理解のお よばない不幸 に涙 しつつ, しか も許 しを与 えている自 分の姿が !――まるで ジャンヌ・ダルクだ !一―「司祭や教授,お偉 い先生方 よ, このおれ を司直の手 にゆだねるなんて,きみたちは間違 っている。おれはいまだか つて この国民の一員であったことなどはないのだ。キ リス ト教徒だつたことも絶え てない。刑罰 を受けなが らも歌 をうたっていた種族の出なのだ。法律などわか りは しない。道徳心 もそなわってはいない。凶暴な人間なのだ。 きみたちは間違ってい る……」 そ うだ

,私

の眼は諸君の光明には閉 じられているのだ。私は畜生 だ,黒人だ。 に もかかわ らず救済 されることは可能だ。 きみたちは偽 りの黒人だ

,偏

執狂で

,残

忍 で

,け

ちんぼな きみたちは。商人 よ,きみ は黒人だ。判事 より きみは黒人だ。将軍 よ,きみは黒人だ。古 くか らのむず痒 い もの

,皇

帝 よ,きみは黒人だ。 きみは,サ タンの醸造所で作 られた

,無

税 の酒 を飲 んだ輩 だ。 (「悪 い血」第5部,第

4, 5

パ ラグラフ) 椰 楡 と 自嘲 の 入 り交 じ る演 劇 的 なパ ロデ ィ ー の な か で

,語

り手 〈私 〉 は 自 ら

(9)

20 対話 としての F地獄の季節』 を黒人 に擬 して

,キ

リス ト教 とそ れに支配 された西欧近代 丈明 の担い手 たちを 痛罵 し告発す る。第

4パ

ラグラフではまさに処刑 され ようとす る自らの姿 をジャ ンヌ 。ダルクに直喩 しなが ら叫 び発す る

,「

司祭 や教授

,お

偉い先 生方 よ

,

こ のおれ を司直の手にゆだねるなん て

,き

みた ちは間違 っている。」で始 まる言 葉はギ ュメに括 られてい る (「悪 い血」にお ける二つ 目のギュ メ)。 二 人称複 数形の sc trompcr(「 間違 っている」

)が

三度繰 り返 されているが代名動詞 なの で vOusは四度鳴 り響 き

,語

り手 〈私 〉の眼前 に居合わせているはずの この言葉 の聞 き手である相手 (二人称であ る指示対象

)の

存在 を強調す る。「激昂 した 群衆」 など多 くの登場人物 を含ん だ演劇的 フイクシ ョンの舞台装置が はっきり 見える だけに, なお さらこの言葉 は じっさいの台詞回 しの ように力強 くリアル に聞こえるのである。 次 に続 く「そ うだ

,私

の 眼は諸君 の光明には閉 じられ ているの だ。」で始 ま る第

5パ

ラグラフでは

,前

節 と同 じ指示対象 を二人称複数の所有形容詞 votreで 受けて か ら

,「

私は畜生 だ

,黒

人 だ。」 と自己宣言 したあ と

,

まず二人称複数 の vousで一絡げに して「 きみたちは偽 りの黒人だ

,偏

執狂で

,残

忍で

,け

ちん ぼなきみたちは。」 と扱 き下ろ し

,つ

いで親 しい二人称単数の tuで「商人」, 「判事 」

,「

将 軍」

,「

皇帝」 と順次社会的 身分 を上 昇 しなが ら次 々と個別的 に呼びかけては告発 して ゆ く。 しか し

,二

人称 を主語 とするこれ らの文 はいず れ もギ ュメには括 られて お らず

,形

式上 は私語 りの地 の文に吸 収 されて いる。 同パ ラ グラフ後続の

,ヨ

ーロッパ 大陸を去 って「ハムの子孫 らの真の王 国」

=

アフリカに入 り

,自

人に よ り征服 され服従す るとい う くだ りでは

,二

人称が姿 を消 したあ とも

,な

お演 劇的舞台装置は私語 りにおい て増幅 され

,一

人芝居の 面 目躍 如たる「地獄の季 節

Jの

白眉 ともい うべ き昂揚 した演劇 的パ ッセ ージを みごとに形成 しているだろう。 ところで「悪い血」にはこのあ と

,第

6部

,第

5パラグラフにvousが一度現 れる。

(10)

panni les naufrag6s,ceux qui restent sont― ils pas rnes anlis? 私は数 々の魂 をあ とに残 して きたが

,彼

らの苦 しみ は私 の出発 のせ いで ます ますひ ど くなるだろう。諸君 は難破 した者た ちの なかか ら私 を選んで くれた。 (「悪 い血」 第

6部

,第

5パラ グラフ) 唐突に対話 を導入す る インパ ク トに反 して

,必

ず しもvousの指示対象 は明確 ではないが

,本

稿では言及す る余裕がない。

4

次に「地獄の夜」 にお ける二人称の現れを見てみ よ う。前章 の「悪い血」 に 引 き続 き

,こ

の章は F地獄の季節 』全体の中で も語 り手 〈私 〉の生 々 しい虐、づ かい

=喘

ぎの リズムが と りわけ顕 著であ り

,

また「永 遠の刑罰」

,燃

え上が る 「炎」

,サ

タンの「熊手 」 など通俗的な意味 での リアルな地獄 のイメー ジの描 写 も目立 ってい る。 この ような語 りの流れにおいて二 人称 を登 場 させ る対話形 式の書 法は活発 に躍動 してい るが, しか し特徴 的なのは全部で 20あ るパ ラ グラ フのいずれにお いて もギ ュメが まった く用い られてい ない とい うことで ある。 まず

,二

人称が最初 に現れる箇所。

(…。)JC me cЮis en enfer,doncj'y suis.C'est l'ex6cudon du caFchisme.Je suis

esclave de rnon bapteme.Parents,vous avez fait rnon lnalheur et vous avcz faitle

vOtre。 (。…) (……)われ地獄 にあ りと思 う,ゆえにわれ地獄 にあ り。教理間答の実行 だ。私は 自分が受 けた洗礼の奴隷 なのだ。両親 よ,あなたがたは私の不幸 を作 り

,か

つあな たがた 自身の不幸 を も作 った。 (……

)(「

地獄の夜

J第

4パラグラフ) デカル トの coJto,Crgo sumを もじったあ と

,現

在の不幸の原因であるキリス ト教の洗礼 を自 らに強い た両親に呼びかけて

,二

人称 複数 を主語 とする文が現 れる。 これ以上 の物語的展開 もな く

,単

なる頓呼法の一種であ るに過 ぎないけ

(11)

22 対話 としての F地獄の季節』 れ ども, しか し

,そ

もそ も語 り手 〈私〉の本来 の聞 き手 である読者に してみれ ば

,唐

突に「両親」 を二 人称で喚 起す ることによって

,与

えられるインパ ク ト は強め られるにちがいないのである。 これ に続 く「地獄の夜」第

5パ

ラグラフは親 しい二 人称単数 の命令法 で開始 さオしている。

Tais―toi,mais tais―toi!。¨(3'cstia honte,le reproche,ici:Satan qui dit quc lc fcu

est ignoble,quc rna colё re cst affreusement sotte.― Assez!.“ Des en・eurs qu'on ine soufflc,magies,parfums faux,musiques puёriles。 (.… )

うる さいぞ,いいかげんに しろ !… …恥辱 なのだ,非難 なのだ,ここにあるのは。 サ タンの言 うことには,この炎は汚 らわ しく,私の怒 りなどはおそろ しく間の抜 け た ものだそ うな。一― もうた くさんだ !… …耳に吹 き込 まれた数々の過 ち

,魔

術, インチキの香料,幼稚 な音楽 な どは。 (……

)(「

地獄の夜」 第5パラグラフ) 冒頭 の命令文 「 うるさいぞ」 は

,引

用直前 の第

4パ

ラグラフ最終文「何か罪 を犯す のだ

,さ

あ早 く。 人間の法 により

,私

が虚無へ と落ちて い くため に。」

Unc面me,vitc,qucjc tombe au n6ant,de pariald humが ne.への前言否定 をも含めて,

私語 りを続ける語 り手 〈私 〉自身 を二 人称に対象化 しての自ら語 り続け ること への自戒の言葉 なのか

,そ

れ とも 〈私 〉の耳 にたえず よまよい ごとを吹 き込み 続けるサ タンに対 して業 を煮や して発す る命 令の言葉 なのか

,連

結辞の省略あ るいは意味の宙 づ りなど とも相侯 って

,両

義 的に揺れ ている。例えばブ リュネ ルはなにげな く前者に読んでいる(η。他方

,テ

ィレの用法 自体が疑わ しいにせ よ, 直後 のテ ィレで導か れる「―― もうた くさんだ!」 に「 うるさいぞ

,い

い かげ んに しろ!」 との意味的共通性 を読み取 るな らば

,後

,す

な わちサ タ ンヘの 命令文 とする解釈 も説得力があるだろう。 続 く第

6パ

ラグラフか らは

,「

悪い血」の第

5部

5, 6パ

ラグラフに似て, 多数の群衆が通過 し

,テ

クス トは演出に満 ちて活気づいて くる。

(12)

対話 としての『地獄の季節』

Lゝ―bas,ne s()nt―cc pas des ames honnetes,qui Fne Veulent du bien.“ Venez."J'ai un oreiller sur la bouchc,cHes ne rrl'cntendent pas,ce sont des fantOmes.Puis, jamがs personne ne pcnse a autrd.Qu'On n'approchc pas.Je scns ie roussi,c'est certain。 あそ こにいるのは,誠実 な魂 たちではないのか

,私

に好意 を寄せ ていて くれる人々 の……お出で くだ さい……口に枕があてがわれているか ら,あの連中には聞こえな いのだ,あの亡霊たちには。それに

,誰

も他 人の ことな ど気遣った りは しないのだ。 近づかない方がいいぞ。 この私 は きな臭いのだ,そいつはまちがいない。 (「地獄 の夜」第6パラグラフ) 少な くともテ クス ト表層では

,業

火の燃えた ぎる地獄の底を通 り過 ぎてゆ く, 語 り手 〈私 〉の 哀れな同胞 と読め る「亡霊た ち」にせ つなのシンパ シーを覚 え て

,こ

れ 時「誠実 な魂」 を呼 び寄せ るべ く

,二

人称複数の命令文「 お出で くだ さい… …」 とい う声 には ならない声がつぶ やかれる。 此岸 と彼 岸 を超越 したか の ような不思議 な世界にあってみ れば

,次

の 引用部 における現 世的な群 衆に も 通 じ合 う「亡霊 たち」で あろう。後続 の願望や命令 を表 す接続法 の独立節「近 づかない方がいいぞ。」 における主語の

onは

「亡霊たち」 を指示する二人称複 数 vousの 言い換 えにほかならないだろう。 次 に引用するのは

,「

わた しは幻灯魔術の大家なのだ。」Je s面 s mttre en fan― tasmagoHcsと い う自己宣言 を受けて展開される第11パ ラグラフ以降である。 Ecoutez!。 …

J'ai tous lcs talents!一 Ii n'y a personne ici ctil y a quclqu'un:je nc voudrais pas repandre rnon tr6sor.――Veut―on des chants nёgres,des danses dc houHs?

Veut―on qucjc disparaisse,qucjc plonge a la recherche de l'α ““

θα “

′Veut―on?Je feni de l'or,des remё des.

Fiez―vous donc a inOl,la foi soulage,guide,gu6rit.Tous,venez,一 ―ineme les

petits enfants,一 qucje vous console,qu'on κpande pour vous son coeur,一 le

cocur rneⅣcillcux!一 Pauvres homines,travailleurs!Je nc dcmande pas de priё res: avec votre coniance seulement,je semi heureux.

(13)

24

対 話 と しての 『地獄 の季節』 お聞 きくだ され!…… 私にはあ りとあ らゆる才能が備 わっている !一― ここには誰 もいないのに, しか も誰かがいる。私はおのれの財宝 を無駄 にば らまきた くはないのだ。―=お望みの ものは,黒人の歌か,それ とも天女の舞か

?

姿 を消 して指輪 を探 しに潜 ってほ し い と,お考 えなのか

?

お望み とあれば,黄金であれ,霊薬であれ,作って さ しあ げ よう。 だか らこの私 を信 じるが よい。信仰は負担 を軽減 し

,導

き,癒して くれる ものだ。 さあ

,皆

の衆,来るが よい。一一劫 子たち も,一一私があなたがた を慰め,あなた がたのために,おのれの心 を のすば らしい心 を !一一広 く分かち与 えてあげ ようか ら。―ずかわいそ うな人々

,労

働者たちよ

!

私は析 りな ど求めは しない。 ただあなたがたの信頼 さえあれば,それで充分 なのだ。 (「地獄の夜」 H, 12, 13パ ラグラフ) 複数の二 人称 を対 象 に した命 令 文「お聞 き くだ され !… …」 乱outez!.… は, た だ一 語のみで ひ とつの パ ラグラ フを構 成 し

,以

下 の 芝居 が か つた台詞 回 しの 開始 に アクセ ン トをつけ るとともに

,前

記第

6パ

ラグラフをよ ぎった「亡霊た ち」 を もひっそ りと呼び戻 しているように感 じられ る。続 く第 12パ ラグラフで は

,客

寄せ 口上 を模 した語 り回のなかに

,当

然の ように二人称が氾濫 している。 畳み掛けられる疑問文の主語 を担 う

onは

6パ

ラグラフにおけるの と同様に, 呼 び寄 せ られた 「亡霊 た ち」 をも暗 に指示 し

,よ

り直接的には語 り手 く私 〉の 熱 演す る客 寄せ 口上 に吸 い寄 せ られ て聞 き入 る群 衆 を指示 す る

,二

人称 複数 vousの 言い換 えにほかならない。 やは り二人称複数の命令文「だか らこの私 を信 じるが よい。」で始 まる第13 パ ラグラフにお いて も

,客

寄 せ日上 とい う枠組 みにさらにキ リス ト教伝道者 の 物言い をももじ り込 ませ た言葉の なかに

,二

人称は活発 に見え隠れ して いる。 原文上 ではパ ラ グラフ冒頭の命令 文のあ とにヴイルギュール (コンマ

)で

区切 られて続 く「信仰は負担 を軽減 し

,導

,癒

して くれるものだ。」h foi sodage, 3dde,3u6●t.には

,二

人称は書 き込まれていないが

,用

い られている動詞 soula_ gett g面

der,gu6Hrは

すべて他動詞であって

,共

通する直接 目的語二人称複数の

vous

が省略 されているまでのことである。 このあ とに

,い

ずれ も複数の亡霊 な

(14)

対話 としての『地獄の季節』 い しは 群衆 を指 示 す る

,命

令文

,直

接 目的語

,強

勢形

,所

有形 容詞 の二 人称が 続 出 してい る。 5 以上 に見て きた ように 二 人称が 積極 的 な役 割 を演 じて

,ま

さ にあの世 な らぬ 現世 的 な賑 わい を演 出 してい るけ れ ど も

,デ

ィア ロー グとい う には

,テ

クス ト 上 に発 話 に対す る返答の 記述が稀 薄であ って

,言

葉 の や りと り よ りも一 方通行 性のほうが 目立 ちすぎる嫌いがあるのは確かである。なるほど

, F地

獄の季節J には絶 対的孤独 者 ランボ ーただひ とりしか存 在せず

,他

者 として形象 している ものは一瞬 ランボーの意識 をよぎった幻影あ るいはラ ンボーの うちなる分身の 投影にす ぎないか らか も しれない。 しか し

,テ

クス トに書 きつ け られた二人称 はその存在 を主張 してや まないのである。た とえ本質的にはランボ ーの魂の う ちなる対話ではあるにせ よ

,と

うていモ ノローグな どではある はず もな く

,あ

りきた りなデ ィアローグ をもはるかに超越 した

,稀

有 の絶対的 デ イアローグと あえて言 うべ きであろう。 さて

,「

地獄 の夜」最 後の二人称の役割が悪魔 と神 にふるい分け られ ている のは

,偶

然では な く

,作

者 ランボ ーの演出上 の計算の必然であ ろうことを暗示 していて興味深い。語 り手 〈私 〉は

,親

しい二人称 tuを 用いて「道化者

Jと

椰 楡 しつ つ「サ タ ン」にはマゾヒス ト的なまで に自虐の一撃 を挑 発 しなが ら

,そ

の一方で猫 なで声の vOusで「神様」 にす りよつて救済 とはいわないまで も一時 的な加護 を乞いねだるのである。

(…。)Satan,farceur,tu veux ine dissoudre,avec tes charmes.Je r6clame.Je reclame!

un coup de fourche,une goutte de feu.

(……

)サ

タンよ

,道

化役者 よ,おまえの魔力で この私 を溶解させ ようとい うのか。

よかろ う。要求す るぞ

!

熊手のひ と突 きを

,炎

の ひ と滴 を くれるがいい。

(15)

26

対話としての『地獄の季節』

(…。)MOn Dicu,piti6,cachez― moi,je me denstrop mal!(… )

(……)神様

,ど

うかお慈悲です,私を隠 して ください。あられ もないこの身を, どうか!(・…・・

)(「

地獄の夜」第19パラグラフ) 繰 り返すならば

,ギ

ュメは「地獄の夜」には皆無であ り

,そ

の前章「悪い血」 ではい わば特権 的に三度 しか用い られてお らず

,予

め無題の序 章で暗示 されて いたよ うに

,語

り手 〈私 〉が 自ら呼 び出 した二 人称である他者に述 べた言葉 を 地の文 と判然 と区別す る形式 上の記号 を必ず しも明記せずに記述 して ゆ くとい う

,よ

り自由なス タイルが継続的 に実行 され ている。 この結果,1二人称 は規範 文法の句読法上 の制約 を免れて

,

より大胆に テ クス トに導入 され語 り手 〈私 〉 と掛け 合いなが ら

,テ

クス トの両 義性 を増幅 しつつ も

,独

特 な私語 りの野性的 で活発 な演出に加担する ことが nJ能 となって いるので ある。「地獄 の夜」 に続 く「錯乱」以降の章における二人称の考察 ともども今後の課題 としたい。

テ クス ト:αttν″s,6dition de Suzanne Bernard et Andだ Guyaux,Bordas,coll.Classiques Garller, nouveHc 6ditiOn revuc,1991.

(1) υ物′Sα JSο″θ″′er,6dition critique par PieΠ ℃Brunel,Jos6 Corti,1987,p.60。

(2)宇佐美 斉 訳 「 ち くま文庫 」版 『 ラ ンボー全 詩集

J(1996年

)の脚 注 に

,注

(1)の前掲 書 を的確 に要 約紹 介 しなが ら,この問題 が論 じられ て い る。

(3)注

(1)の前 掲 書 のみ この こ とを脚 注 に明記 し,また翻 訳 に も開 か れ た ギ ュ メを付 して い る。 (4)たとえば廉 価 な三巻 本 ι'α “ッ″`j″′々″た′ Paa″ “scrた。 Rjttbα “こ

6didon 6ぬЫic etcomment6e

par Claude Jcancdas,Ls 6dlons Textud,1996.の 第 一 巻Hペ ー ジ 。

(5)注(1)の前掲書52ペ ージ。

(6)作品の訳 はすべて注(2)の前掲書か ら借用 させ て頂 いた。

(7)注

(1)の前掲書 58ペ ージ。

参照

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