Title
「英語音声学」の射程 : 気音を中心に
Author(s)
西, 泉
Citation
沖縄大学人文学部紀要(15): 11-22
Issue Date
2013-03-15
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/11841
Rights
沖縄大学人文学部
「英語音声学」の射程一気音を中心に’
西 泉
要 約 本論では,英語の気音という現象を検討することにより,音素表示と音声表示と呼ば れる2つの抽象度が異なる表示レベルを導入することが必要であることを示す。2つの 表示レベルで言語の音を考えることにより,日本語など他言語の音をも理解すること の助けとなる。また,人間言語の基本的特性と考えられる離散無限性が音声学のレベル でどのように関与しているかについて,考察を加える。 キーワード:音声学,気音,音素表示,音声表示,離散無限性 1 . は じ め に「英語音声学」の講義においては2,英語に使われる個々の音(phone)を正確に発音でき
また聴き取れるようにすること3,それら個々の音をエPA(国際音声記号エnternational PhoneticAlphabet)で表記でき,さらにエPAで表記された音をなるべく正確に発音できることが目標となる。その他にも,イントネーションなどの超分節的(suprasegmental)な
特性にも触れる必要がある。さらに,複数を表す形態素sの発音がその前に来る音によって決 定されること,すなわち厳密な意味での音声学の領域を超え,音韻論の領域に立ち入ることは, 英語という言語を音の側面から眺めるとき避けて通れない。英語における複数形態素の発音が 3個の音(phone)によって具現化されるということは,既に音声学の領域を超え音韻論にか かわる問題なのである。 このように「英語音声学」は多くのトピックを扱う領域であるが,その中でも気音 (aspiration)は特別の意味を持つ4。すなわち,これは.1)発音のしくみ自体が比較的わ '英語音声学に括弧を付してあるのは,大学における講義科目としての,特に沖縄大学におけ る当該の科目を指すことによる。よって,本論は,筆者が2005年より開講している「英語音 声学」での経験に基づく部分もあり,実践報告と言えなくもない。しかし単なる実践の報告を 超え,2.1.で述べるように,一般言語学の視点からみたときの音声学のもつ意味をも考察して いる。この科・目を受講した学生からの貴重なインプットなくして,本論は成立し得ない。ひと り一人の受講生に感謝したい。 2筆者が勤務する大学において,「英語音声学」は,現在,前期に「英語音声学工」が後期に「英 語音声学工工」が開講され,それぞれ15回ずつ年間30回の講義から成る。 ^phoneの訳としては,「言語音」や「音」がある。この意味では,後者の訳語の読みは通常「おと」ではなく「おん」である。本論においてすべて単独で記される「音」はphoneであ
り,「おん」と読まれる。4音声学の術語には日本語の訳が定まっていないものが多い。aspirationに対・しても,「気
音」以外に,「有気音」や「気息音」などいくつかある。このこともふまえ,本論では,それぞ れの音声学用語に関して煩雑にならないかぎり括弧の中に英語で対・応する語を示している。な沖 縄 大 学 人 文 学 部 紀 要 第 1 5 号 2 0 1 3 かりやすく実感しやすいこと,2)英語の閉鎖音(stop)おいて気音を帯びる位置と気音を帯 びない位置があること,すなわちその分布(distribution)がはっきりしていること.3) 音声学ではある言語の音を記述するとき音素表記(phonemictranscription)と音声表記 (phonetictranscription)という2つの表示レベル(levelorrepresentation) が必要となるが,英語における気音が,2つの表示レベル導入の必要‘性を示す現象の一つとし て最適である,ことによる。 本論では,このような問題意識のもとで気音という現象を中心に,第2節においては,音声 学の持つ特徴とその射程を人間言語の本質的特’性という視点から,生成文法(generative gramma工)を中心に一般言語学の立場から考察していく。第3節においては,気音を発音する ときの特徴を英語の例をみながらそのしくみ説明する。第4節において,この気音が生じる分 布を考えることによって,音素(phoneme)とその表現型である異音(allophone)との関 係,さらに音素を決定するときに使われる音と音が対・立する(contrastive)という概念に ついて英語以外の言語も参照しながら考察を加える。第5節では,ここまでの議論をふまえて, まとめる。 2 一 般 言 語 学 の 視 点 か ら み た 音 声 学 2.1.離散無限‘性 Chomsky(2004:379)では,人間言語の特徴として離散的無限性(discreteinfinity) を挙げている5. Humanlanguageisbasedonanelementarypropertythatalsoseems tobebio1Ogicallyisolated:theprOipertyo至discreteinfinity,^ whichisexhibitedinitspu工estformbythenaturalnumbers1,2, 3,…Childrendonotlea工nthispropertyofthenumbersystem. Unlessthemindalreadypossessesthebasicprinciples,noamount ofevidencecouldprovidethem;andtheyarecompletelybeyondthe intellectualrangeofotherorganisms.Similarly,nochildhasto learnthattherearethreewordsentencesand造Oiurwordsentences. butnothree-and-ahalfwordsentences,andthatitisalways possibletoconstructamorecomplexone,withaderinite造Ormand meaning.Suchknowledgemustcometous造工cm,、theoriginalhand お,本論ではaspiratedsoundに対して,「気音を帯びた音」または「帯気音」のどちらも 使用する。unaspiratedsoundは「気音を帯びていない音」または「非帯気音」とする。 5本論における「人間言語」とは,コンピュータ言語などの人工言語を除いた自然言語のこと である。 6チョムスキーは,人間言語が離散無限システムを持つということは,他の生物と較べてヒト が固有に持つ特徴ではないかと推測している。岡ノ谷(2010:23-27)によると,ジュウシ マツの「さえずり」には6つの音要素の組み合わせからなる複数個のチヤンクを使い,それを 離散的な単位として有限状態文法が歌を生み出すと述べている。だとすると,ジュウシマツの 「さえずり」は離散的無限システムを持つ可脂性が高い。ただし,ジュウシマツは江戸時代よ り家禽化されたトリであることに注意すべきである。 − 1 2 −
ofnature.'′inDavidHume'sphrase,aspartofourbioユogical endowment. 単語を言語の最小の単位とここではまず規定し,どのような言語獲得の段階においても,子 どもは4単語からら成る(la)のような文は発話するが,次の(lb)のような3単語半の文を習 得することはあり得ない,と述べている。 (1) a.Johnユユkeshotcurryー b.★Uohnlikeshotcu すなわち,言語獲得期の子どもにとっても,言語が離散的(discrete)なものであるという ことが,生まれながらに備わっている知識として,3単語半の文を発することを不可能にさせ ているのである。この場合の離散的な単位とは単語(word)である7・ヒトの脳内にあると考
えられる,これらの単位を再帰的(recursive)に生成(generation)するシステムこそが
人間言語の創造性(creativity)を保証することになる。 また,ここでチョムスキーは,離散無限性とは自然数の体系が持つ特徴であり,子どもは自 然数を学ぶ必要はない,と言明する。言語に関する知識のうち,離散無限‘性がそのもっとも基 本的な特徴であることから,離散無限′性という自然数の概念をヒトが持つことは,人間言語の 特‘性から派生したのではないかという議論である8,9.上で述べた「再帰的(recursive)に生成するシステム」は,併合(merge)という脳内の
演算上の基本操作(elementaryoperation)のことである。離散的な単位である単語にこ
の基本操作を繰り返し適用することにより,人間言語の無限性が保証される。自然数のシステ ムも空集合‘から始めてつぎつぎとそれ自身を集合の要素とする集合を作り出すことによって, 自然数列を生み出すツエルメロの方法が,福井(2012:259)で紹介されている。竹内(2001: 79-81)は,集合論を使いツエルメロの方法と同様の方法で,順序数としての自然数を無限に 生成するシステムを説明している。このことから,人間言語が持つ特‘性である離散無限‘性は自 然数の概念と関連があることは,明らかであろう。7より厳密には,意味または機能を持つ最小の単位である形態素(morpheme)と考えること
もできるが,議論を必要以上に複雑にしないためにも,本論では,意味を持つ最小の言語単位 として単語(word)を扱う。 8岡ノ谷一夫が沖縄大学で2007年7月1日に行った沖縄外国文学会第22回大会の特別 講演によると,現生人類(ホモ・サピエンス)が進化の過程で言語を獲得したのは,20万年 前から10万年前までの間である。岡ノ谷(2005)は,人間言語の起源に関して興味深い仮説 を提案している。 9言語の持つ離散的システムと親近性が指摘されている自然数の体系については,福井(20ユ2: 259)で詳しく述べられている。さらに,福井は言語学を自然科学の一分野と考えた上で,そ の発達が物理学などの中核的自然科学(hardscience)と較べて,ガリレオ以前の段階にと どまっているのは,言語が持つ離散性がひとつの大きな要因になっていると述べている。「物理 学があれほどの成功を収めたのは,経験的要請が微積分学という新たな数学上の手法の発見を 促し,…しかし,これは物理学の対象が(一般的に言って)連続体であるからこそ可能であ ったのであって,…」(福井20ユ2:132)。沖 細 大 学 人 文 学 部 紀 要 第 1 5 号 2 0 1 3 2.2.二重分節と単語内における音素の配列 分節化された単位である単語自体が音素(phoneme)と、いう分節(segment)によって構成 されていることは良く知られた事実であるユ0.入れ子のようなこの二重構造のことをアンド レ・マルチネは,二重分節(doublearticulatiOn)と呼んだ。人間言語には,マルチネの 知見を借りれば,離散無限耐性が二層に組み込まれていることになる。文レベルでの無限性を保 証するものが,2.1.で述べた単語を結びつける再帰的システムである。単語内にも音素を,す なわち離散性を持つもう一つの単位となる分節を,組み合わせる条件や規則性が個別言語ごと に存在している。それは,音素配列に関する制約(phonotactics)と呼ばれるものである。 どのような音素の連鎖がそれぞれの言語で音節(syllabus)を形成し,またどのような音素 の組み合わせがその言語の音節として成立し得ないのかが,制約の集合により特徴付けられる。
たとえば,Akmajianetal.(2010:103)によると,英語の単語の語頭では,次のよう
な子音連鎖を許さない。 (2)*bt,☆nk,☆gb,☆pb,*pt,*pk,☆gn... これに対・し,次の子音連鎖は英語の語頭に来ることが可能である。 (3)br,dr,gr,b1,g1,pr,tr,kr,pi,kl,fr... このことは英語の母語話者には瞬時にわかることであり,音素配列に関する制約は母語話者の 脳に内在する個別言語に関する知識の一部であることは,明らかである。 3.気音の発音 3.1.感覚レベルで理解できる気音 気音(aspiration)を帯びるか否かは英語の音韻的特徴の一つとして,「英語音声学」で 触れられることが多い。その理由の一つとして考えられることは,気音が生じるときと生じな いときの発音の違いが感覚的に理解しやすいことが挙げられる。たとえば,英語の無声両唇閉 鎖音/p/に気音が生じるときは[p']と記され,上付きのhを補助記号(diacritic)として 使う。/1/が軟口蓋音化(velarization)されるときは,補助記号∼を使い[王]と表記さ れる。軟口蓋化されていない[ユ]と[王]を較べてもその差を舌の動きとしてわずかに感じられ、る程度である'1.これに対.し,[p']と[p]の違いは,竹林・斉藤(1998:83)などで紹介さ
れているように,薄紙を使って簡単に検証することができる。これを示したのが次の写真(4) である'2。1o音素(phoneme)を概念的にどのように特徴付けることが可能なのかは,4.1.で述べる。
ユユ斜線//を使う音素表記とカギ括弧[]を使う音声表記の違いについては,4.1・でく わしく述べるが,ここでは,Radefoged(2006)にならって,//内はより抽象度の高い簡 Pi各表記(broadtranscription)であり.[]内はより詳細な精密表記(narrow transcription)と考える。 '22012年度「英語音声学」を受講している山口夏菜さんが実演している。 − 1 4 −(4) a. [p^エュ] b. [spエユ]
剛腰⋮
隅
扉
[b工1.1 C、浦思黒
(4a)と(4b)は,それぞれ英語の単語p型ユとspi型を発音しており,前者の無声両唇閉 鎖音/p/は気音を帯びることにより呼気が/p/と母音/工/の間で吹き出す。後者の場合は英語に おいて気音を帯びる環境ではないので,薄紙は前方に吹き飛ばされることはない。(4c)では b型エを発音しており,有声両唇閉鎖音/b/の場合は,通常,気音を帯びることはない。有声閉 鎖音と気音の関係については,次節3.2.で再度詳しく言及する。 3.2.調音音声学的の視点から ここでは,気音がどのような発音のしかたによって,またどのような条件で生じるのかを見 ておきたい。上記(4)で示したように,英語を母語としない発話者にとっても,気音を帯び る閉鎖子音と帯びない閉鎖子音の差は,その発音のしかたの違いとして実感できる。 たとえば,Ladefoged(2006:56)では,次のように説明される。 …ユnpie,afterthe工eleaseofthelipclosure,thereユsamoment o五aspirat土on,ape工iOdofvoicelessnessafterthestoparticulation andbe五○rethestartofthevoicingforthevowel・工造youputyou工沖 縄 大 学 人 文 学 部 紀 要 第 1 5 号 2 0 1 3 handinfronto造yourlipswhilesayユngpie,youcanfeeltheburst o壷airthatcomesoutduringthepe工iOdofvoユcelessnessafterthe r e l e a s e o 造 t h e s t o p . , すなわち無声閉鎖音の後に強勢を持つ母音が続くp土eのような単語を発音すると,無声子音 である/p/のあとにある有声音/al/を発音するために声帯を震わせて有声音にしなければな らない。それが遅れるのである。その遅れている間に空気が唇から吹き出す。これが,調音音
声学articulatoryphoneticsの立場から観察される気音の記述である。
3.3.音響音声学の視点から 前節では調音音声学の立場から気音がどのように観察されるかを示した。ここでは,気音が 音の波としてどのように観察されるか,音響音声学の立場から,スペクトラムを使った実験結 果から検証する。 (5a)では気音を帯びている/t/の音,(5b)では気音を帯びていない/t/,さらに(5c)で は有声音/b/をスペクトラムで比較したものである。これは両唇閉鎖子音のあと母音/a/を発 音したもので,タイ語の例である。Poser(2004)によると,タイ語では,英語とことなり, 気音を帯びた無声閉鎖子音と気音を帯びていないそれとが対立する(contrastive)音素 (phoneme)を形成する。 スペクトラムとは,音の物理的特性を3次元のイメージとして示すことができる測定イ幾械で あり,縦軸が周波数(Hz)で横軸が時間を,さらに色の濃さが音のエネルギーを示している。 次の画像(5)は,Poser(2004)による。 (5)a.[t^al州
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血上』 I I I I 0.25 I I I I ! 1 I 1 │ I0 . 3 0 0 . 3 5 I I I I I I I I I IO 、 4 0 0 . 4 ぢ I I I I0.E (5a)では,(5b)とくらべると色が薄くなっている部分が存在することで,無声歯茎閉鎖 音/t/のあとに気音が生じていることが判明する。その色の薄い部分が気音である。タイ語の 場合,有声音の発音が生じるまでの遅れが70msほどであることが(5a)から観察される。 藤村(2007:139)によると,英語の場合,気音の強さによって数十msから100ms以上の 遅れが観測される。すなわち無声閉鎖音が開放されているにもかかわらず,つぎの有声音が始 まるまでの時間が英語の場合この時間だと言うことであり,その間に気音が生じている。この 閉鎖から有声音が開始されるまでの時間ずれをv、○・t.(voiceonsettime)で表すことが ある。(5a)で白く,薄く写っている部分,すなわち画像の下に縦線2本で示したところの経 過時間が70msであり,v.o.t.がプラス70msとなる。気音が強くそして長くなればなるほ ど,v.o.t・のプラス数値は増加する。気音が生じていない(5b)では10ms以下である。有沖縄大学人文学部紀要第15号2013 声音が語頭に来る(5c)の図では,閉鎖音自体が有声音であるため,閉鎖が開放される瞬間 からv.o.t.までの間に遅れが生じない。よって,v.o.t.がゼロもしくはマイナスの数値を持 つ。マイナスというのは,閉鎖されている間も,次の母音/a/を準備するために声帯が震えて いるからである。 4.音声学における二つの表示レベル 4.1.音素表示と音声表示 英語における気音という現象とそのしくみを理解することが,音声学において音素表示
(phonemicrepresentation)と音声表示(phoneticrepresentatiOn)という二つ
の表示レベルがなぜ必要なのかを考える前提の一つになる。さらに音素(phoneme)と異音 (aユユ○phone)の関係,一つの個別言語における音素の設定のしかた,その際必要になる対立 する(contrastive)音や相補分布(complementarydistribution),最小対(minimalpair)という概念を導く際にも助けとなる。音素には,音声学者や言語学者が一致できる厳密
な定義がいまだに与えられていない。これからも与えられることはないであろう。にもかかわ らず,言語の音を考えるとき,より抽象的なレベルでの表示とより具体的なレベルでの表示が 存在することを誰も否定していない。そのことを理解するために気音が役立つのである。 4.2英語の音素/t/の5つの異音 英米の大学において,基本的な音声学の教科書として長く使われ続けてきたLade造Odged (2006:33-34)では,音素の定義に関する煩雑な議論を避け,音素について直感に基づく簡 潔な説明をしている。 Whentwosoundscanbeusedtod土造造erentiatewordstheyaresaid tobelongtod迂遁erentphonemes.Theremustbeaphonemユc di五五erenceiftwowords(suchaswhiteandrightOrcatandbat) di這這eエユnoinlyasinglesound・Thereare,however,smaユユshadesof soundsthatcannotbeusedtodistinguishwords,suchasthe differencebetweentheconsonantsatthebeginningandendofthe wordpop・Fo工thefirstofthesesounds,thelipsmustopenand theremustbeapu造至Ofairbeforethevowelbegins・且至terthefinal consonanttheremaybeapuffo造air,butitisnotnecessary・工n fact,youcouldsaypopandneveropenyourlipsforhours,ifit happenedtobethelastwordbeforegoingtosleep・Thesoundat theendwouldstillbeap. ここで述べていることは,その音が,たとえ発音のしかたが異なっていても,単語の意味を変 えないのならその言語において同一の音素とみなせる,ということである。と言うことは,同 一の音素に,異なる音が存在し得ることになる。たとえば,アメリカ英語の/t/には次の(6) で示したように6つの異音(allophone)が存在することが観察されている13。 13この部分はAkmajianetaユ.(2010:92-95)に依った。これは,アメリカ英語の一方言 についての記述である。また,どこまで詳細に音を観察し,記述するかによって,異音の数も 増減する。 − 1 8 −(6) 音素 /t/ 異 音 [th Ct] [?] [仁] [t] [t] 例[IPA表示]異音が生じる環境・条件 tin[t^In] kit[k^t] kitten[k^J-Pn] 強勢を持つ音節の先頭に/t/があるとき気音を帯びる 語尾に/t/があるとき閉鎖が開放されない(声門閉鎖 が閉鎖音の前に起きる) 音節主音的[n]の前では声門閉鎖音となる
letter[lera、]母音の間にはさまれた/t/は,はじき音(flap)[r]と
なるtruck[璽八kl母音の間で,なおかつ次の音が[工]で音節の先頭に/t/
があるとき後寄り(retracted)の[t]となる stink[stink]上に記したすべての環境以外の場合,/t/は閉鎖が開 放されるが気音を帯びることはない ここで/t/の音が気音を帯びる環境である最初の行と気音が帯びることのない最後の行を比較 することで,/t/が単一の音でないことにまず気づかされる。次にその他に4つの異音が存在 することを理解するである。すなわち,母語話者が一つと感じる音素でも音声的レベルでは実 際には異なる音として発音されているのである。 4.2.ヒンズー語における気音 4.1.で示された,英語で観察される言語事実は,個別言語ごとに気音という点から相対化さ れる。すなわち,英語においては,気音を帯びるか否かは音素的な違いを生まぬが,他言語の 場合はそうではない。Akmajianetal.(2010:98)は,ヒンズー語の例(7)を紹介し ている。 ( 7 ) a . b. /kiiユ/ /kHil/ 、、naiユ'′ 、、parchedgrain'′ ヒンズー語においては,語頭の無声閉鎖子音が気音を帯びるか否かによってその単語の意味を 変える。(7a)の/kii1/は「爪」であり,(7b)/kHil/は「(保存のために)熱して乾燥さ せた穀物」を指す。すなわち,この言語においては,火と^は意味の変化を生じさせる,対立 する(contrastive)音であり,/k/と/kVというように2つの音素として表記されなけれ ばならないのである。英語では.(8a)で示すように語尾の閉鎖音は通常気音をともなわない が,フォーマルなスピーチでこの語を際立たせるために.(8b)のように語尾のkを気音とと沖 細 大 学 人 文 学 部 紀 要 第 1 5 号 2 0 1 3 もに発音したとしても「話す(talk)」という意味に変化は生じない。 ( 8 ) a . b. [to:k]、、talk'′ [to:k^]、、talk'′ すなわち,[k]と[k^]は音素的な対立をもつ音ではなく,英語では1つの音素/k/の2つの異 音なのである。 よって,ヒンズー語を学び始めたばかりの英語の母語話者は,語頭のkを英語と同じように, 気音を帯びた/kVと発音しようとする。気音を帯びない音素である/k/は英語話者にとって語 頭では発音しづらい。なぜなら,英語は,Itlと同じく無声閉鎖子音である/k/が語頭の位置 に来ると,必ず気音を帯びて発音する言語であるからである。そこで,ときとして,英語話者 は,軟口蓋閉鎖音である/k/と同じ調音位置を持つ/g/で代用しようとする。なぜなら,3.3. でも説明したとおり,有声閉鎖音である/g/は,その音自体が有声音であるため,v.o.t.がゼ ロまたはマイナスとなり,気音を帯びることは原理的に不可能だからである。しかしながら, 有声閉鎖子音で代用しようとしてもヒンズー語の場合はうまくいかぬ。なぜなら,この言語に おいて/k/,/kV,/g/はすべて音素であるから,/kVを同じく気音をともなわないという点で
共通する/g/で置き換えてもヒンズー語の話者には別の意味の単語として理解されてしまうの
である。 4.3.中国語における気音ヒンズー語における軟口蓋閉鎖音は,4.2.で示したとおり,気音を持たない無声子音/k/,
気音を持つ無声子音/kV,さらに気音を帯びることの不可能な有声子音/g/の3つが対立する
音素であった。 これに対・して,普通話(Putonghua)と呼ばれる北京方言に基づく中国語では,閉鎖音や破 擦音において有声音と無声音の違いは音素としての区別ではない。ここでは,閉鎖音のみに注 目するが,IPAで表記する[p]と[b]は一つの音素の2つの異音にすぎない。その代わり,閉 鎖音において,気音を帯びるものと気音を帯びないものでは,2つの音素となる。すなわち, 中国語では/pVと/p/が2つの音素として成立していて英語のように/p/という音素の2つの 異音[p']と[p]ではない。中国の首都である,「北京」の英語綴りを見てみよう。以前は,Pekingが標準的な綴りであ
ったが,現在ではBeijingと綴ることが多い'4.この首都名の語頭に来る子音は,中国語では 気音を帯びない無声両唇閉鎖音/p/である。ところが英語話者にとって,語頭に来る無声閉鎖 音はこれまでも述べてきたとおり,かならず気音をともなっている。英語の話者にとっては, 4.2.でも述べた通り,語頭に来る両唇閉鎖音を非帯気音として発音するには,原理的に気音 をともない得ない有声の/b/で代用するのがたやすい。閉鎖音や破擦音に関して有声と無声で 音素的な差がでない中国語では,ヒンズー語とは異なり,この置き換えが通用する。ピンイン の影響も受け,現在の英語綴りでは,無声音であるにもかかわらず気音を帯びていないという 特徴を表すために「北京」の語頭にある子音をbで綴るようになったと推測できるのであるユ5.'4現在でも,「北京大学」の標準的な英語表記は,PekingUniversityである。
^Poser(2004)は,この2つの綴りが存在する理由にはここで示した以外にも2つの要因が 考えられると述べている。また,「北京」の英語綴りが変化した経緯とその要因については 同僚の王に口頭で確認した。 − 2 0 −4.4.他言語の音 ここまで,英語の気音について述べるとともに,タイ語やヒンズー語,そして中国語の例に も言及した。より精密な表示レベルである音声表示を想定したことによって,ここまでの知見 は得られたと言える。 ここまでの議論を応用すると,なぜ日本語の話者は,英語の/工/と/1/の違いがわかりづら く,発音しづらいのかということも説明がつく。英語においては,/工/と/ユ/は2つの異なっ た音素であるが,日本語はそのどちらでもないはじき音であるIdが音素として「ラ行」の子 音rとして使われる。このはじき音は,4.2.で示したように,アメリカ英語の音素/t/が持つ 6つの異音のうちの一つである。 また,3.1.で言及した軟口蓋化した[王]という異音は,軟口蓋化していない[ユ]よりも英語 においてより基本的なzの音である。このことさえ知ることができれば,英語話者がこの異音 を持たぬスペイン語やフランス語,ドイツ語などを話すとき,どうしてエの音に関して「英語 なまり」が生じるのか,推察できるようになる。これも,音声レベル表示を想定したことに依 る。 5 . お わ り に この論文においては,人間言語の基本的特徴である離散無限‘性が音声学においても二重分節 を媒介として捉え得るところまで考察を進めた。次に,英語における気音という現象に検討壷を 加えることにより,音素という抽象的な音の表示レベルからより精密な音声表示というレベル を想定することにつなげた。2つの表示レベルが,英語の音の体系全・体をより良く把握できる 助けになることを示すとともに,それが他言語の音の特徴を理解する上で欠かせないことも示 し得た。 参照文献References Akmajian,Hdrian,RichardA.Demers,AnnK.Farme工,andRobertM.Ha工nish (2010)Lingulstics:Anintroductiontolanguageandcommunicatユon(6℃h edition)pp.67-108.Cambridge:TheMITPress Chomsky,Noam(2000)Newhorizonsinthestudya蚕エanguageandmind. Cambridge,U.K、:CambridgeUniversityPress Chomsky,Noam(2004)エ』languageandmind:Currentthoughtsonancient problems.In:LyleJenkins(ed.)Variationanduniversalsin b土○エュnguistics.North-HoユユandLinguisticSeries:Linguistic VariationsVolume62,379-405.Amsterdam:ElesevierB.V. Christiansen,MortenH.,andSimonKユエby(eds.)(2003)Languageevolution (S亡udiesintheEvolu亡土ono童Languageノ.Ox造Ord:OxfordUniversity Press 藤村靖(2007)『音声科学原論一言語の本質を考える』東京:岩波書店 福井直樹(2012)『新・自然科学としての言語学一生成文法とは何か』筑摩学芸文庫,東京:
沖 縄 大 学 人 文 学 部 紀 要 第 1 5 号 2 0 1 3 筑 摩 書 房 Jenkins,Lyle(ed.)(2004)Variatio'Danduniversalsinbユ○エユnguistユCs・ North−Hoユユandエ』inguisticSeries:エ』linguisticVariationsVolume62, Amsterdam:ElesevierB.V. Miller,GeorgeA.(1966)Thescienceofwords(Sclenti丘cAmericanLibrary SeriesノNewYork:W、H・Freeman&Company 岡ノ谷一夫(2010)『さえずり言語起源論新版小鳥の歌からヒトの言葉へ』岩波科学ラ イブラリー176.東京:岩波書店 Poser,Wiユユiam(2004) http://itre.cユs・upenn.edu/ myl/languagelog/archives/000583.html [website:referredtoon13^^January2013] Studde工t-Kennedy,MichaelandLouisGoldstein(2003)LaunchingLanguage: thegesturaloriginofdiscreteinfinity・工n:MortenH・Christiansen andSimonKirby(eds.)LanguageevolutiOn(StudlesintheEvolution ofLanguageノ.Ox五○ird:OxfordUniversityPress 竹内外史(2001)「新装版集合論とは何か−−はじめて学ぶ人のために』ブルーバツクスB1332. 東 京 : 講 談 社