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関恒樹 著『「社会的なもの」の人類学――フィリピンのグローバル化と開発にみるつながりの諸相』明石書店 2017年 331頁

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関恒樹 著

『「社会的なもの」の人類学

――フィリピンのグローバル化と開発にみるつながりの諸相

明石書店 2017年 331頁

SEKI Koki, An Anthropology of the “Social”: Globalization, Development,

and Connectedness in the Philippines, Tokyo: Akashi Shoten, 2017

渡邉 暁子

 「社会的なもの」とは何か。それは,生存を保障するための制度と思想であり,「一 方でフォーマルな制度として,他方でインフォーマルな人と人の多様なつながり」( 8 頁)として複数性・多義性を持つ。本書は,徴税と再分配を通じた非人称的連帯に もとづく福祉国家の綻びと限界が顕在化する今日の世界において,「社会的なもの」 をどのように再想像/創造してゆけばよいのかという問いを,フィリピン社会のエス ノグラフィーを通して考察するものである。  ネオリベラリズムの時代といわれる今日,世界は,20世紀前半までの「産業−福祉 国家のリスク」としての「伝統的なリスク」に加え,「予想不能,想定外の規模,因 果関係の特定不能」などの特徴を持つ「新しいリスク」に直面している(20頁)。こ れにより,フォーマルな制度のみによるリスクの包摂の限界が世界の各地で表面化し ている。そうしたなかで,著者はこれまで否定的な価値を付与されてきたインフォー マルなつながりの今日的意義に光を当て,上記の 2 つのリスクが併存するフィリピン において「社会的なもの」の変容と再編を,地域の固有の文脈に即して描き出すこと を試みている。特に,人びとのインフォーマルなつながりがどのようにフォーマルな 制度に開かれ,接合し,相互浸透するか,そして国家による管理と抑圧の装置として の側面を持つフォーマルな制度が,インフォーマルなつながりに浸透される過程で, いかに包摂的な共同性へと開かれていくのかというプロセスに着目している。このと き著者は,「社会的なもの」を文化人類学的考察の対象として分析する視点として統 治性を挙げ,「解放と規律化,主体化と従属化を同時にもたらす権力作用と,そこに 絡めとられる生のあり様」(12頁)を明らかにすることを本書の目的としている。  本書は 3 部計 9 章の構成となっており,2009年から2014年までに著者が発表して

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きた諸論考を,一冊の本として一貫したテーマのもとに論じるために加筆修正したも のである。著者は各部のなかで,対象とする人びと,リスク,それへの対応としての 「社会的なもの」の 3 点を明示しながら考察を加えている。第 1 部は,ネオリベラル な統治性を具現化した都市空間に注目し,貧困層が直面する,基本的な生活資源や 機会へのアクセスの制限から発生するリスクに対し,クライエンテリズムという概念 を用い,都市貧困層と地域政治家とのつながりを描いている。第 2 部は,漁村を対象 にし,資源管理レジーム下で特定の合理性を習得した人びとの自己管理を通して資源 利用者のコミュニティがいかに海域資源の枯渇による不確実性に対応しているかを提 示している。第 3 部はミドルクラスと海外移住に焦点を当て,コミュニティや家族, 同胞といった親密なつながりが,トランスナショナルな社会的場に内在するさまざま な脆弱性に応答していることを描いている。以下,各章を紹介していく。  第 1 章では,マニラ首都圏マリキナ市の貧困層を対象にした政府の社会政策に注 目し,不法占拠のスラム住民を合法的土地所有者へと変えていくコミュニティ抵当事 業について検討している。これは,単なる社会政策を超え,土地を合法的に所有する 市民として相応しい倫理,道徳,価値観,生活様式を醸成するためのシティズンシッ プ・プロジェクトであると著者は捉えている。ところが,こうした自己活性化とエン パワーメントを旨とする公共政策は,一方で,その施行過程において私的で個別な票 と財の交換関係にもとづく地域政治家との間で形成されるクライエンテリズム的な紐 帯に侵食されていく。著者はこれを否定的に解釈せず,むしろインフォーマルなつな がりによってこそ,都市貧困者が外部の資源にアクセスすることができると論じてい る。  第 2 章では,マリキナ市の貧困層への条件付現金給付プログラムを取り上げている。 第 1 章で扱ったコミュニティ抵当事業と同様に,受益者の間で政策に適した価値観や 道徳の内面化が図られていくことから,ここにもネオリベラルな統治性が見られると 著者は指摘している。とはいえ,同プログラムは,その恩恵にあずかれなかった新た な層を周辺化させるだけでなく,自然災害や不安定な就労,家庭崩壊などスラムの日 常生活に内在するリスクと脆弱性を軽減するには限界があり,むしろ条件や見返りな しで手を差し伸べる政治家や国家が貧困層の間で希求されていると考察する。  第 3 章では,フィリピン南西部パラワン州沿岸集落における海域資源管理の「制度 化のプロセス」を検討している。本章では,海面の境界線の明確化と囲い込み,海域 の区画化と類別化,義務と責任に関する観念の導入と内面化という 3 つの制度化を 通じ,「ネオリベラルな資源管理レジームというマクロな装置が,いくつもの法律や 条例に変換され,そして地区レベルのミクロな生業活動と,日常的な資源利用を大き く規定し,拘束する力となっている」(162頁)ことが紹介されている。このプロセス

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は,同時に,漁師たちの身体に作用する,環境に向けられた統治性の権力となり,コ ミュニティが自らを規律化していく過程でもあると論じている。  第 4 章は,第 3 章の地域を対象に,資源利用形態の再編の事例を通し,漁民たち が資源管理の制度を自らのコミュニティの個別の状況に合わせて読み替え,運用して いくという意味での制度の「文脈化」のプロセスを描いている。ここで登場するコミ ュニティは,閉鎖性を持つ伝統的共同体ではなく,利害の対立を内包しつつも地方自 治体や NGO などさまざまなアクターへと開かれた共同性によって特徴付けられると 指摘している。著者は,こうしたコミュニティ的紐帯と市民社会的公共性を,親密圏 と公共圏が相互浸透する領域における共同性としての「社会的なもの」として捉え, それが海域資源に依存しながら生きる人びとの生存に果たす意義を考察している。  第 5 章では,前 2 つの章と同様の調査地における漁師のライフヒストリーから,フ ィリピンにおける資源管理の制度化というマクロなプロセスと,ミクロなレベルで個 人がそうした制度に対してどのように対処しつつ,日々の生計活動を営んでいたかを 紹介している。ここでは,漁師の生計機会の選択が,単に資源管理レジームに内在す る合理性に順応したものではなく,エコ・ツーリズムによって家族の生計を維持しな がら他の生業への転身も念頭におく環境主義の合理性によって規定されるものでもな く,むしろ,コミュニティ内の社会関係を活用し,地域社会の提供するさまざまな資 源利用の機会の間を柔軟に転身する生活の構えを示唆するものであると分析している。  以降の章は,トランスナショナルな社会的場に舞台を移す。第 6 章では,夫の海外 就労によって生じる多様なリスクに対して国家が十分な補償を提供できないなか,そ の社会的コストを残された妻や家族がどのように経験していくのかを, 1 人の女性の ライフヒストリーから提示している。そこでは,夫の海外就労を起因として,妻が, 近隣住民のツテや頼母子講,草の根住民組織,NGO,メディアなどさまざまな非国 家アクターと結びつき,出稼ぎ者を家族に持つ者同士という親密なつながりを活用す ることによって,日常的な不安定性と脆弱性に対処する「草の根トランスナショナリ ズム」を実践している様子を描き出している。  第 7 章では,個から階層に対象が変わり,国内で働くミドルクラス・プロフェッシ ョナル(大学以上の学歴を持つ専門職や企業の管理職など)の人びとから,トランス ナショナルな社会的場に内包されるリスクとは何かを検討している。彼らの語りから, ミドルクラスのアイデンティティ構築の実践としての欧米先進国への移住願望は「必 ずしも経済的必要を動機とせず,むしろ国家や,それを構成する上層,下層など他階 層の人びとへの不信」(34頁)と,子どもの教育と将来のためという個人主義的動機 にもとづくものであり,そこには,脆弱な国家がもたらすリスクと不確実性を,ネオ リベラルな統治性で回避しようとする志向性が伺える。

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 第 8 章では,前章で取り上げたフィリピン人ミドルクラスのアメリカ合衆国への移 住によって,学齢期に移動し,しばしば米比を行き来する子どもたち(1.5世代)の 慣れ親しんだ環境から「根こそぎ」にされ「引き離される」経験とアイデンティティ 構築に焦点を当てている。そこでは,アメリカ生まれの第 2 世代とは対照的に,さま ざまな亀裂や矛盾,葛藤を内包したものであっても,「家族」という紐帯と相互依存 性がトランスナショナルな社会的場において1.5世代が経験する周辺化と排除に抵抗 する象徴的資源として動員されていることを明らかにしている。  第 9 章では,家族の戦略として海外移住を計画しつつも,フィリピン国内で海外出 稼ぎ者の人権擁護や福利厚生のために NGO 活動に従事するミドルクラス・プロフェ ッショナルの事例を検討している。本章では,家族や親族の紐帯を中心にしながらも, それが私的な親密圏を越えて,トランスナショナルな社会的場における,より広い共 同性としての「社会的なもの」へと結びついていくことが描かれている。とりわけ, 他階層に対する卓越化の反面,決して安全を保障された行為ではない海外移住の両 義性によって,ミドルクラスの人びととフィリピン国内の他者や他階層の人びとの間 に,「同胞」としてのゆるやかなネットワークが形成されていることが指摘されている。  全章を通じて,本書は,ネオリベラリズムが広まる今日のさまざまなリスクに対し, 要請される社会的連帯のあり方と可能性を,フィリピンという固有の場から論じるこ とを試みている。ネオリベラルな統治性の浸透のなかで,「社会的なもの」を構成す るアクターとしての国家は大きく後退し,むしろ個人,家族,住民組織,コミュニテ ィ,NGOなどのさまざまな非国家的アクターが活性化され,動員されることによって, リスクへの対処が目指される状況をさまざまな場面で見て取ることができた。  本書の意義は,第一に,文化人類学,地域研究のアプローチによって,地域の固 有性やミクロな日常を考察するなか,それらを家族/国家,プライベート/パブリッ クのように二分法的に捉えず,フォーマルな制度とインフォーマルなつながりが相互 浸透しながら新たに紐帯や連帯が生成されている過程を描いた点である。これは,脆 弱な国家と公共圏,国内社会階層間の深刻な格差と分断,クライエンテリズムの政治 などの特徴を有するフィリピンが,欧米の福祉国家をモデルとしたときに「社会的な もの」の不在や欠如として認識されてきたことに対し,新たな政治空間の視座を提供 している。  第二に,ネオリベラルな統治性とそれが要請する主体のありようを分析枠組として, フィリピン社会を多面的に捉えなおした点である。これは,各部のプロローグで補強 されており,第 1 部では都市,第 2 部では地方村落,第 3 部ではトランスナショナル な社会的場を取り上げて,そこに生きる人びとのリスクとそれへの対応を考察してい る。今日のフィリピン研究は,都市研究,村落研究,あるいは国際労働移動研究とい

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ったように,地域を 1 つ,ないしは国際労働移動では送り出し地域と受け入れ地域の 2 つに定めた研究が多く発表されてきた。これに対し,本書は,フィリピンの異なる 地域や階層に生きる人びとの行為を描くことによって,複層的で状況依存的に多様な 形態をとりうる「社会的なもの」を照射することに成功していると言ってよいだろう。  しかし,本書においては,以下の 2 点において議論の余地があることを指摘したい。 まず 1 つは,終章において「経済的なもの」という語が「ネオリベラルの統治性」に 置き換えられて突如使われ,それと「社会的なもの」がどのように相互浸透したかを 議論したことである。本書の趣旨は,「社会的なもの」のなかのフォーマルな制度と インフォーマルなつながりがどのように相互浸透しているかを検討することを目的と しているのであって,終章で「経済的なもの」の説明がさほどなされないまま,さら にそれらの相互浸透について考察を加えるのは,いささか性急であったろう。  もう 1 つは,第 3 部においてフィリピン人の同胞内の関係性にのみ焦点を当ててい たことである。トランスナショナルな社会的場を対象にするのであれば,同じ階層に いる他国の人びととどのようなつながりを取り結んでいるのか,かれらとの対比とし て自己をどう位置づけているかなどにも目が向けられると,なお一層在米フィリピン 人の実体に迫ることができただろう。例えば,石井[2014]は,海外就労の場におい て,家事労働者とパキスタン人のタクシー運転手といった職業的に下位にある階層で 異なる国籍の移民労働者同士が,同じ階層に属するという帰属意識からインフォーマ ルな互助網を形成していると指摘している。そこでは国籍の違いを超えて家事労働者 の逃亡を助けるという連携を行っていることが提示されている。この点をふまえると, 本書は国内外におけるフィリピン人同士のつながりを考察の対象にしているが,国外 においてはフィリピン人の同胞とのつながりだけではなく,他国の人たちとも(異な る意味や形態,要因によって)つながりを築き,自己を位置取りうると推測できよう。  以上の指摘を加えつつも,本書は,現代のフィリピン社会を実証的に分析した,示 唆に富んだ優れた文化人類学的研究,および地域研究である。本書は,都市,村落, 国際人口移動といった多様な側面を持つ,現代のフィリピン社会や政治を研究するう えで必読文献となる。また,フィリピンという国を超え,今日の不確実な世界を生き る人びとの試みを理解したいと考える人たちにも広く読まれる本になることを確信し ている。 参考文献 石井正子 . 2014. 「フィリピン人家事労働者に対する保護への取り組み」細田尚美編著『湾 岸アラブ諸国の移民労働者――「多外国人国家」の出現と生活実態』122-146. 明石書店 . (わたなべ あきこ 連絡先:[email protected]

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