Title
余暇の拡大と観光の概念に関する考察
Author(s)
松鷹, 彰弘
Citation
沖縄短大論叢 = OKINAWA TANDAI RONSO, 10(1): 105-
148
Issue Date
1996-03-01
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/10671
余暇の拡大と観光の概念に関する考察
1 はじめに 2 観光研究と観光の概念 2 - 1観光研究の成立2
-2
観光の概念2-3
余暇の定義と観光 3 余暇と観光の形成と発展3
-1
西欧における余暇と観光 3 - 2わが国における余暇と観光3-3
余暇社会の到来4
まとめ1
.
はじめに4
-1
余暇の拡大と観光の概念4
-2
余暇の拡大と沖縄観光松 鷹 彰 弘
本稿は、これまで観光について雑多に述べてきたことを要約して、できれば 筆者なりに「観光の概念j を規定してみようという、不遜な目論見のもとで着 手したものである。 これまで、漠然と観光全体の姿をながめる態度で観光を考察してきたが、「そ こには知識の集積はあっても法則はなししたがって、それは真の意味での学 問ということは難しいJ
(塩田正志「観光論の性格と体系J
1))との自覚はあり、 これまで自分の手懸けてきたことを、そのレベルはともかく整理・凝縮するこ との必要性は感じていた。また、先哲による概念規定にはそれぞれに敬服するのであるが、「猫に小判」のたとえの通り、浅才の及ぶところではなく、使いこ なしきれないというような実感もあった。 「研究対象に対する概念的構築をどのように立てるかは研究者個々の自由で はあっても、観光の一局面にのみ焦点をあてた概念規定には無理があるし、反 面、余りにも包括的な概念も普遍性をもつことは難しい
J
(小谷達男『観光事業 論1)j)…その加減の難しさもおぼろげながら理解しているつもりである。 「観光の一般的説明は説明として、それに加えて、研究目的に応じての概念 規定がなされることが多いJ
(前田勇「観光研究の手引3
)
J
)
との言葉に励まされ て、自分なりに進めてみたのではあるが、森を見て木を見ないといった未熟さ を随所に露呈することになり、引用させていただ、いた多数の著述に傷をつけて いないかと心配している。これをもって緒についたこととしたいと考えている。 2.観光研究と観光の概念2
-1
観光研究の成立 多くの社会科学の分野と同様に、観光研究は当初、実務家の資料の蒐集とそ の検討から出発した(除野信道『観光社会経済学j4
)
)
。観光研究が体系的に行 なわれるまでの経緯は、概略下記の通りである。 19世紀初頭に鉄道が出現すると、安価で信頼できる交通機関として貨物や乗 客の大量輸送を可能にした。 19世紀半ばには欧米各国で鉄道網が続々と拡大し てゆくが、鉄道と船を組み合わせると移動が広範囲かつ容易になった。このた め19世紀末から 20世紀にかけて、大西洋に豪華客船が出現して、米国から欧州 各国への観光者が増加する。観光の経済効果の大なることを認知した欧州各国 政府はその動態を分析して対米宣伝を強化し、ドル獲得を狙う。 観光に関して現存する最も古い論文は、イタリア政府統計局のボーデ、ィオ(L. Bodio)が雑誌に発表した「イタリアにおける外国人の移動およびそこで消費さ れる金銭について (Sullamo vimento dei forestieri in Italia e sul denaro che vispendono)J
.1899である(塩田正志r
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観光研究の成立と展開J
町。この他に も数多くの論文がイタリア、ドイツなどから発表されている。 1920年代後半から 30年代前半にかけてヨーロツパにおいて観光研究を体系化 - 106ーする試みが行なわれる。以下が観光研究における古典ともいうべき著述である。 A.Mariotti(ローマ大)
r
観 光 経 済 講 義 (Lezioni di Economia Turis -tica) J ,1
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A.Borman (ドイツ)
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観光学概論 (DieLehre von Fremdenverkehr) J,1
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R.Glucksmann (ベルリン大
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一般観光論(AllgemeineFrendenverkehrskun -de)J,1
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F A.].Nova叫1(プレトリア大.南アフリカ)r
観光事業論 (TheTourist Indus -try)J,1
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これら著作は、日本ではほどなく鉄道省国際観光局で翻訳されている。 わが国で観光研究が盛んになったのは、戦後しばらくしてのことであり、田 中喜一(大分大)r
観光事業論J
(
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)
がその晴矢である(除野)。その後は、 塩田正志『観光経済学J
,1
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年.岡庭博『観光論概要J
,1
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鈴木忠義『現代 観光論上1
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年.前田勇『観光概論J
,1
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年など多くの著作が発表されている。2-2
観光の概念 観光研究は新しい学問分野であるとはいえ、各国の研究者による活発な研究 活動が行なわれている。しかし現在までにテクニカル・タームとしての「観光J
の概念規定について、定説をみるに至っていない。小谷達男はその理由につい て、国による用語の語源的意味が大きく異なること、および観光研究がはじまっ た欧州において、当初の研究者の態度があまりにも自己の専門領域・関心領域 に拘泥したこと、をあげている。1
9
世紀に誕生した新しい社会現象を称するのに、それぞれに造語あるいは転 用語があてられた。英語では旅行の動態を重視したtourismが用いられる。英 語で旅行を意味する語にはtravel卯urney,
voyage,
trip,
excursi on,
sightseeingな どがある。 tour(ラテン語で「ろくろJを意味する tornusが語源)が旅行の意 味で使われるようになったのは比較的新しく1
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4
3
年以降である(OED初出)otour はとくに「観光・視察などのために計画に基づいて各地を訪れる周遊旅行J
(研 究社・新英和中辞典)である。 tourの派生語としてtouristが1
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年ころから英国で用いられるようになり仏、
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は1
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年 出である。この場合の-
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は、「交通と通信網の発達によって初めて可能になっ た近代に独自な集団的社会現象J
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のような意味合いを持つと考 えられる。 ドイツ語ではf
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であるが、これはfremden
(外来者・他子国 人)とv
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(往来・交通)の合成語である。 日本語の観光は、『易経』の卦の一つ「風地観J
の4
番目「観国之光利用賓子 王J
)
からきているが、もともとは「その地方のすぐれたもの、すばらしいもの を、その地方の代表者・権力者のところに来られる賓客におみせしてもてなす ことはよいことだJ
という意味だと解釈されている。明治期にt
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は「漫 遊」と翻訳されるが、大正以降に「観光」がt
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の訳語として定着する。 このように英語のt
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は「旅行」という行動の「形態J
を示し、ドイツ 語のf
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は「往来」という行動の「体様」を示す。日本語の観光は 「光を観る」という行動の「目的」を示す的など固による語源的意味が異なり、 これが観光の概念規定の確定を妨げる一因となっている。 また、異なる意味の用語があてられた背景を考えると、たとえばヨーロッパ やアジアのように文化的観光資源に恵まれ周遊に適した地域と、カナダ・豪州・ ニュージーランドのように広大な自然はあるが史跡に乏しく、観光が狩猟や魚 釣りと一括して論じられる地域の観光の違いなど、土地土地におげる観光の実 態の差異が作用していると考えられる。 観光研究者による観光の定義のうちもっとも古いものは1
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年に発表された シュレールン(
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による次のようなものである(塩田)。 「観光とは、一定の地区・州あるいは国に入り、滞在し、そして、出てゆく 外客の、流入・滞在および流出という形をとるすべての現象と、その現象に結 びついているすべての事象、その中でもとくに経済的なすべての事象をあらわ す概念である」 また、前項に述べた観光研究創始者たちによる概念規定は以下のようである。A
.
ポールマン:i
観光とは、気晴らし・娯楽・職務などの目的のため、定 住地を一時的に離れる旅行の総体概念。ただし通勤は含まないJ
(
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Borman
-108-『観光学概論
J
.1930)…行動概念で説明している。F
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W.
オジルヴィ:I
観光者とは一年を越えない期間、家を離れ、その期 間中旅行先において金銭を消費し、しかもその金は旅行先において取得したも のでないことJ
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Wツーリスト移動論.1.1934)A
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マリオッティ:I
観光は外国人観光客の移動、観光の本質は経済現象で あるJ
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W観光経済学講義.1.1927)…経済学者であるオジルヴイ、マ リオッティはともに経済学の対象としてのみ観光を規定している。R
.
グリュックスマン:I
観光とは、ある土地に一時的に滞在している人と、 その土地の人々との聞の諸関係の総体J
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一般観光論.1.1935) …社会学的立場から観光を経済学・社会学・地理学・鉱泉治療学・気象学・医 学・経営学のような諸学もふく含めた総合文化科学として捉えている。 観光研究は、国家的要請に応じて始められたものであり、観光客統計の把握 や経済効果の認識など、国際観光を念頭において操作的規定の必要に迫られた という事由はあった。ただ、研究対象に対する概念規定をどのように立てるか は研究者個々の自由であっても、観光の一局面にのみ焦点をあてた概念規定に は無理があるし、反面、余りにも包括的な概念も普遍性をもつことは難しい(小 谷)。 マリオッティ、グリュックスマンに代表される観光研究の視点の違いは現在 も続くが、第2次大戦前までの観光研究の一つの頂点をなしたスイスのザンク ト・ガレン大学のフンツイカーC
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とベルン大学のクラップC
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は、観光の学問的扱い方について、それを経済学の分科とみることを否定し次 のように述べている。 「観光論は経済学に帰属させられることができないのであって、そのわけは、 経済外的な性格であり、そして、経済理論と経済学的な考察方法とだけでは説 明することも理解することもできないような概念と現象の複合体を観光論が包 含しているからである。観光論は同時に一つの純粋な関係論でもないのであっ て、関係論の範囲を越えて存在する諸範鴫にまで及んでいる。それはともかく も経済学よりは社会学に近いものである。観光論はそういうわけで、本来、そ の科学的な取扱いにおいては特別の立場を要求しなくてはならないJ
CW一般観光論概要,
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フンツィカー=クラップは観光論を理念的には社会学を中心としたような、 そして、自然科学の諸部門を補助手段として援用するような総合文化科学の方 向を示唆しながらも、実用上はそれを経済学を中心として扱う個別科学の立場 の有用性を認めている(塩田)。 時代の推移とともに欧州の観光研究者の概念規定も少しづっ変わってきてい る。最近の定義では、観光を逃避欲求、人間性の回復欲望などのあらわれとし てとらえ、また経済行為よりも、広く文化活動とみなす考え方が多くなってい るように思われる。 たとえば、メドサン(J.
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の以下の規定は、行動科学的アプローチで ある点においてボールマンの系譜に属するものであるが、現代観光の方向に一 定の方向性を示しているといえる(小谷)。 「観光とは、人々が気晴らしをし、休息をし、また人間活動の新しい諸局面 や未知の自然の風光に接することによって、その経験と教養を深めるために旅 行をしたり、定住地を離れて滞在することからなる余暇活動の一つであるJ
。 わが国の研究者が行なった観光の概念規定でもっとも一般的なものとしては、 井上万寿蔵による「観光とは、人が再び戻る予定で、日常生活を離れ、レクリ エーションを求めて移動することJ
(
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1
年発行の『観光辞典』に記載)があげ られる。この説明は、観光をレクリエーションを求めて移動すること、として いるのであるが、移住と区別するために「再び戻る予定J
の条件を加え、移動 の長さ(距離)の基準として「日常生活を離れ」を加えているのである(前田)。 この説明に修正を加えた概念規定がかなりあり、主なものは次のとおりであ る。 津田昇:I
観光とは、人が日常の生活圏を離れて、再びそこへ戻る予定で、 他国や他地の文物、制度などを視察し、あるいは風光などを観賞、遊覧する目 的で旅行することであるJ
(津田昇『国際観光論.Jl1
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6
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年)…井上の“レクリエー ションを求めて"を具体的に説明している。 塩田正志:I
狭義での観光とは、①人が日常生活から離れて、②再び戻って くる予定で移動し、③営利を目的としないで、④風物等に親しむことであり、-110-広義の観光とは、そのような行為によって生じる社会現象の総体である
J
(塩田 正志「観光の概念と観光の歴史J
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年)…「風物等に親しむ」という表現で 行為の内容を示すとともに、「非営利目的」という条件を加えている。2-3
余暇の定義と観光 社団法人日本観光協会『これからの観光産業吋は、上記の井上等を含むわが 国の研究者により提起された主要な観光の概念を分析し、その概念の形成軸は ほぼ一定しているとする。すなわち、「日常生活圏ないし日常性からの離脱に係 わる視点と観光活動の内容ないし対象の範囲に係わる両視点を中心として各概 念規定は構成されている。しかし、この両視点とも環境の影響を受けやすい性 格を持っており、それがさまざまな概念規定を生んできた原因ともなっている。 交通機関の発達や生活時間の変化は、日常生活圏の物理的な範囲を拡大した。 また、価値観の変化やライフスタイノレの多様化などは、観光活動の多様化・個 性化を引き起こすとともに、観光活動の範囲を拡大した。このような観光概念 を構成する尺度の継続的な変化は、物理的な意味での概念規定の必要性自体を 弱め、活動内容の具体的な範囲設定を意味のないものにする j とする。そして 活動内容については、「余暇概念を越えた幅広い意味での教育活動(たとえば修 学旅行、研修旅行など)を含む必要性が高まっている。さらに、単一目的とて の観光だけでなく、他目的との複合行為(兼観光)も当然対象範囲に入ってく るj という。同書は「既存の観光コンセプトはこのようなコンセプトギャップ にうまく対応できていない」と主張している。 観光行動と観光事業との関係については、前田勇が次のように述べている九 「一般的に観光行動は、日常生活を離れて、楽しみのためといった条件を具 備している旅行である。しかしこれらは行動主体の側に属する内的条件であり、 客観性を有しにくい。また、観光行動の説明において、日常生活を離れるとい う条件は重要であるが“離れる"ということは主観的な世界のものである。空 間的には日常生活圏を遠く離れていても意識的に離れていない場合もある。し たがって、この条件を有しているか否かを外部から判断することはできにくい。 これらの条件は、行動生起の時点における行動主体の意志に関するものであって、その有無は直接には観察しえない。そこで、客観的に観光であるかどうか を判断できるような外的条件を設定することが必要となる。それは観光行動の プロセスである。つまり、どのようなものを利用したかを手がかりとするので ある。観光行動の説明として最も明確なのは観光事業の対象となる行動である という逆説的表現である。移動・滞在を対象として成立し発展してきた事業(観 光事業)の利用者は観光客である。観光事業の観点からは、通念的に観光を目 的とした事業を利用するものは観光客であり、かかる行動をとるものはその内 的条件にかかわらず観光行動とされるのであるん しかし、一方で前田は、井上によるもの、およびその修正型の説明は、観光 とは何であるかを一般的に記述したものであって、「その基本的特徴である“現 代的性格"について触れていない」として、この点を強調しているのが以下の ような観光政策審議会答申での観光の定義であるとする9)。 「観光とは、自己の自由時間(=余暇)のなかで、観賞・知識・体験・活動・ 休養・参加・精神の鼓舞など、社会生活の変化を求める人間の基本的欲求を充 足するための行為(=レクリエーション)のうち、日常生活圏を離れて異なっ た自然・文化などの環境のもとで行なおうとする一連の行動をいう
J
。 前田は、同定義は「観光を余暇活動のひとつであることを明確にしたうえで、 余暇活動をレクリエーションと非レクリエーションとに大別し、レクリエーショ ンのうちで移動を伴ったものであると規定している。これは現代観光の性格を 指摘したものとして優れた説明である jとする。しかし一方で「レクリエーショ ンの定義がやや一般性を欠いた“教養主義的"であるために、慰安的性格の旅 行が観光に含まれなくなってしまうといった問題が出てくる。“楽しむこと"に 対するやや否定的評価を感じさせるなど、観光の説明として適当とはいいがた い面もあるJ
と指摘している。 先進諸国において、余暇(レジャー・leisure)は、いまや個人のライフスタ イルから社会全体の制度や文化に至るまで、重大な影響及ぽす社会現象となっ ている。こうした余暇の動向に対応して、余暇研究はさまざまな学問分野にお いて行なわれている。しかし、余暇研究においても、一般に合意された余暇の 概念があるわけではない。余暇の概念はかなり暖昧であり、その多様な意味合 一112-いのために、余暇に関する議論が不毛な結果に終わることさえある(安村克巳 「余暇活動としての観光川
J
)
。 「余暇」概念は暖昧ではあるが、余暇研究で一般的に用いられる定義は次の ようなものである。1
)時聞による余暇の定義・・・時間概念としての余暇は、一般に総時間(日単位 であれば2
4
時間)から、食事・睡眠時間などの「生活必要時間」と労働・家 事などの「拘束時間J
を差し引いた残りとして説明される(余暇=総時間一 生活必要時間一拘束時間)。余暇に関する統計にはこの定義が用いられること が多い。また、拘束時間の減少は余暇時聞を増大させてきたと考える。2
)活動による余暇の定義…活動概念としての余暇は、レクリエーション、遊 びなど関連する概念をどう用いるかによりかなり多様である。 藤竹暁は、活動概念として余暇を考える場合の最大公約的条件として次の4
つの条件をあげている(藤竹暁『余暇時代と人生川j) ①自由時間内の活動 ②生活に必要な金銭を生まない活動 ③必要な義務を伴わない活動 ④それ自体が目標になる活動 現代における余暇の説明では、それが余暇時間としての時間概念を含んでい ることは当然の前提として、その時に何がなされるか、何を行いうるか、を問 題としていると考えることができる(香川)。デュマズディエ(J.
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・ フランスの社会学者)の以下の定義は、理解しやすい説明として広く利用され ている。 「余暇とは、個人が職場や家庭、社会から課せられた義務から開放されたとき に、休息のため、気晴らしのため、あるいは利得とは無関係な知識なり能力の 育成・自発的な社会参加・自由な創造力の発揮のために、まったく随意に行な う活動の総体であるJ
…彼は、余暇活動を「休息J
r
気晴らしJ
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自己の開発J
の3
つの機能を持った活動の総体としてとらえている。 小谷達男は、現代旅行には幾種類かの形態があるとし、次のように区分する。一公用旅行 旅行 i -私用旅行「 …業務旅行 ヒ ー一非業務旅行「 非レジャー旅行 ーレジャー旅行 そして、観光はこの区分に示されるレジャー旅行の範曙に属する。しかし、 余暇の概念も観光と同様に多種多様であり定説がない。このことが余暇の語を 援用して観光を説明しようとするときの障害になっている、という。そして彼 は、いまだ定説のないレジャーやレクリエーションの語を援用することなく、 また、その行動がレジャーやレクリエーションと深く関連していることも認識 しつつ次のように観光を概念規定する。 「観光とは、人々がその自由裁量時間において、気晴らし、保養、自己開発 などのために行なう随意的な旅行の総体である
J
。3
.
余暇と観光の形成と発展 「観光事業の利用者が観光客である」という観光事業からの観点、を別にすれ ば、観光が余暇活動の一つであることについては異論がないものと思われる。 以下に述べるように現代観光は、産業社会に進展にともなう人々の自由裁量支 出の増加と自由裁量時間(余暇)の増加を基本条件として可能になったのであ る。以下において西欧と日本における余暇と観光の形成と発展の様子を概観し たい。3
- 1
酉欧における余暇と観光 余暇の歴史を考えるには、余暇という変わらぬ実態があったとみるのではな く、余暇が社会生活のなかでどのようにとらえられていたか、という点に着目 するのが有効である(薗田硯哉「余暇生活の歴史J
12))。すなわち、余暇の社会 的意味がまず大きく変化するのは、産業社会の成立と発展にともなう余暇の発 生と変化である。 「余暇」は、歴史的にいえば、工業化とそれにともなう都市化の産物である (川北稔編r
r
非労働時間」の生活史.11幻)。前工業化社会における農村的な労働114
-形態では、「労働」と「余暇
J
は不可分に結合ないし融合しており、両者を切り 離して考えることはむずかしい。労働の時間と生活の時聞には判然とした区別 がなかったのである。しかし、工業化と都市化は、民衆の時聞を、資本家に売 り渡した「労働の時間」と、残った「非労働時間J
(生活の時間であり余暇であ る)とに分解してしまう。ここにはじめて「余暇の過ごし方J
の問題が、社会 的な課題となるべき理由が生じたのである(川北)。 その後の産業社会の成熟とともに余暇は大衆化される。現代では、余暇は労 働に従属する「余ったヒマjでなく、それ自身価値をもっ人間的課題として浮 上してくる。 以上から余暇(観光も)のあり方は、次に述べるように大きく 3つの時代に 区分して考えてみるのが妥当であろう。 (1) 近代以前の余暇 文明は余暇とともに始まった、とみることができる(薗田)。ここでいう「余 暇」は近代の個人化された余暇とは異なる、社会全体の余暇であり余剰である。 狩猟採集経済段階においては、生産の余剰は小さく、余暇はあったとしても 休息や単純な遊びに終始して、高度な文化を生み出すまでにはいたらなかった。 人類が定住して農耕を営み、生産物を飛躍的に増大させた段階から、真の余剰 と余暇が生まれた。農耕は集団の労働を必要としたので、家族は統合されて大 きな共同体がつくられた。専門的な祭司が出現し、儀礼と宗教がととのえられ、 それにともなってさまざまな芸能も生み出された。祭司はやがて支配階級とし て民衆の上に君臨し、国家をつくる。彼らは生産労働から離れて余暇(社会的 余剰)を独占した。こうして社会の上層部に生まれた余暇が土台になって、そ こにさまざまな文化が生み出された。 その一典型を古代ギリシャにみることができる。ギリシャのポリス(都市国 家)は生産活動に従事する多数の奴隷と、そのうえに立つ市民(自由民)とに よって構成されていた。市民はポリスの政治を行なうことが最大のっとめであ り、ポリスを外敵から守る軍事にたずさわる義務もあった。そのため彼らはさ まざまな身体運動を案出して身体を鍛え、精神の陶冶には音楽が重視された。 さらに、市民の知恵をみがくために学聞が活用された。知恵を愛する「フィロソフィア」と称された活動が、宇宙と人間世界の根源にある真理を求めて活発 におこなわれ、プラトンの対話篇やアリストテレスの自然哲学をはじめ、後に 西欧世界に大きな影響を与える膨大な知的遺産が残される。ギリシャ語で余暇 を意味する「スコレー (σ"XOλη)Jという語は、これらの知的・芸術的活動にあ てられる創造的余暇のことであり、 schola(ラテン語、学問・学派)やschool(英 語、学校)の語源となっている(薗田)。 余暇階級による文化創造活動はあらゆる文化圏でみられる。日本では平安貴 族の余暇生活である。貴族階級は天皇の宮廷を中心にサロンをつくり優雅な生 活を楽しんだが、この時代に中国の影響から次第に自立した日本文化(和歌・ 物語・日記など文芸、建築・衣裳など工芸)の発達をみるのである。 一方で、大多数の民衆は大自然と同調しながら、農耕を中心とした生活を営 んでいた。このような伝統社会では、労働の場は家庭か、家庭のごく近隣であ り、労働、家事、育児、雑事、休憩などの諸活動は、家族成員の役割に応じて、 ほとんど家庭のなかで営まれていた。したがって労働と余暇は未分化なままで、 とくに切り離して認識されることはなかった(安村)。また、製造や加工の仕事 においても手工業が中心の段階においては、労働と生活は混然として未分化の ことが多く、労働の合聞にくつろぎをもったりする余地もあり、労働時間と余 暇時聞がまったく異なる性格のもとに対立的にとらえる考え方はでにくかった (香川員「余暇と観光
J
1叫)。 観光を「楽しみを目的とする旅行J
(travel for pleasure)とするならば、そ れは人類誕生と同時に行なわれていただろう。異国あるいは他地域の聞に往来 があり、移動と滞在という具体的な現象が広く認められるようになり、それを 対象とする私的あるいは公的な事業活動が成立する段階からわが国でいう「観 光」なるものが登場してきたということができょう(前田)。観光事業成立前、 旅行者に対するいかなる制度的なサービスも存在しなかった時代では、旅行者 は何の介在者もなく直接、観光対象に接触していたのである。事前の情報も疎 く、危険な道中の苦労を重ねながらたどりつき、素晴らしい客体に接して得た 感動は、われわれの想像を越えるものであったろう(小谷)。移動と滞在は、個 別的・特殊的なツアーの時代から集団的・一般的なツーリズムの時代を経て、-1
1
6
マス・ツーリズムの現代へと進むにつれて大きな広がりをみせるようになる(前 田)。
(
2
)
近代の余暇と観光 18世紀末からのイギリスの産業革命を皮切りに、欧米諸国では生産活動が拡 大し、大工場の出現にともない企業組織が開発され、新たな労働形態である雇 用労働が生まれる。労働者が朝の定刻時に出動し夜の定刻時に退勤する「朝出 勤・タ退社J
が制度化され定着してゆく。雇用労働は個人の生活に大きな変化 をもたらすが、とくに家庭生活に活動時間の分化を生じさせる。すなわち労働 が家庭生活から切り離され、これによって生活時間のなかに労働の対立項とし て余暇が認識されるようになるのである。 初期産業時代の余暇は、文字どおり労働時間以外の「残余」の時間であった。 18世紀当時の労働時聞は 12時間以上にも及び、労働者の生活時間の大部分を占 めていた。労働者にとって生活必需時間を除くと自由時聞はわずかであり、労 働者の余暇は、苛酷な労働のために、もっぱら明日の労働に備えた休息であり、 酒場でうさを晴らすための時間であった。 一方で、産業社会の進展とともにいち早くカネ・ヒマの余裕を手にした資本 家など裕福層は、たとえばイギリスでは、もともとの余暇階級である貴族やジェ ントルマンのライフスタイルを真似て、さまざまな余暇活動を行なうようにな る。 1840年代になると鉄道網が拡大し、トーマス・クック創設(1845年)にな る旅行業やパリの「グランドホテルJ
(1862年創設)で代表される高級ホテルな ど、観光産業による観光上の便益機能 (coveniencefunction)が提供されるよ うになり、旅行が安全かつ快適なものになる。このような旅行が新たな社会現 象=ツーリズム(観光)として認識されてゆくのである。 初期産業社会の長い労働時間の改善は、すでに19世紀前半から労働運動の一 環として推進されていた。イギリスでは19世紀後半には週日の労働時聞は10時 間半、土曜半ドンが普及し、祝祭日の法制化もおこなわれる。すでに高度経済 成長の思恵で自由裁量支出の増加していた中流階層の労働者は、活発に余暇活 動を行なうようになる。日光浴や海水浴、登山、ハイキング、スキーなどがこ の時期に普及する。徐々に観光も行なわれるようになる。イギリスでは、労働者の余暇活動への評価についてさまざまな府余曲折を経 ながら、「理性にかなった娯楽」は積極的に奨励するというのが、中産階級の基 本姿勢となっていった。また産業革命期以降、レジャーの商品化・産業化が進 行して、これも余暇活動の肯定につながった。 ロンドンなど大都市に住む労働者たちは、雇用主や社会一般の肯定的な風潮 のなかで、週末を利用して苛酷な労働と劣悪な都市環境から逃れて、シーサイ ド観光地へと押し寄せる。観光業者に引きつれられてやってきた労働者たちは、
1
1
日でもよいからひとつ上のクラスの生活をするJ
のが目的であった。1
9
世紀末から2
0
世紀初頭にかけて、南岸のボーンマスやランカシア州のブラッ クプールなどで、自治体企業方式による市直轄の観光事業が行なわれる。その 後、多くの都市が参入して観光地聞の競争も激しくなり、地域経済の浮沈をか けた施設やアトラクションの開発が次々と行なわれた。観光業は巨大装置産業 となり継続的な量的拡大を迫られる。観光地域全体がコマーシャル・スペース 化してゆくのである(佐藤誠『リゾート列島町.D。 フランスでも1
9
世紀初めに産業革命が起こり、新しいフ。ルジョア層が保養地 に出かけ始めた。1
9
世紀中ごろには鉄道が敷かれ、急速に植民地的に避暑地が 形成される。例えば、ボルドー郊外のアルカッションは、鉄道が敷かれた半世 紀の聞に人口が1
0
倍になっている。昔からの観光地であったところはもとより、 産業革命による工場建設、鉄道の開設、宅地業者の開発などが全国的に行なわ れ、条件の良いところはほとんど一瞬のうちに手がつけられていったのである (望月真一『フランスのリゾートづくりl勺)。 フランスで成人男子を含む労働者の1
日の労働時間の限度を1
0
時間とする法 律が定められたのは、工業部門で1
9
0
0
年から1
9
0
4
年である。その後も労働組合 の時短要求は継続的に行なわれ、1
9
1
9
年には1
日の法定労働時聞が8
時間とな る。また、全ての労働者に日曜休日を与える法律が成立するのは1
9
0
6
年である。1
日の労働時間や1
週の労働時間の短縮による非労働時間の拡大は、少なく ともこの時代の労働時間の水準では、余暇というよりは疲労回復時間の拡大を 意味した。毎日の睡眠時間をもっと長くとり、それでも回復できない1
週間の 疲労の蓄積をゆっくり解消するという、労働力の再生産をはかるためのものだっ-1
1
8
ーた。しかし労働時聞を年単位で考えるとき、そこには余暇の発生という色彩が はっきり現われる。年単位で与えられる休暇は疲労回復では説明できないさま ざまな目的を担っているからだ(野田進・和田肇著『休み方の知恵.J17))。 資産家や名をなした文化人が、風光明娼な保養地に長逗留し、余暇を過ごす。 そこでは上流階級の社交界が花聞き、ときとして作家や芸術家に新しい着想を 与える。そのようなバカンスは19世紀から盛んであり、そうした保養地の代表 的舞台としては、スイスのレマン湖畔南向き斜面やイタリアの観光都市であっ た。北ヨーロッパの資産家は暗く寒い風土をのがれ太陽を求めてバカンスに旅 立ったのだった。ところが、 1900年7月、パリの地下鉄勤務の労働者が、バカ ンスのための10日間の有給休暇獲得したことが端緒となって、年休の法律の制 定を望む声が強くなった。そしてレオン・ブルムの人民戦線内閣成立直後の1936 年
6
月に、全ての労働者に2
週間の年次有給休暇を保障する有給休暇法(バカ ンス法)が成立する。その後も年休日数は着実に増加、現在では1982年の法律 改定で5
週間になっている。 ドイツの場合、 1920年代(ワイマール時代)の労働組合運動の進展とともに、 休暇制度が拡大し、 20年代末にはほとんどの労働協約が休暇についての規定を 置くようになる。しかし第2次大戦前には年休に関する法律は制定されず、連 邦休暇法の制定は1963年である。このようにドイツでは年休についての法律制 定は遅かったが、年休制度は早くから普及しており、法律制定後も労働協約に より休暇日数が大幅に増加、病気休暇・育児休暇などの休暇制度も充実して、 フランスとならぶ余暇先進国となったのである(野田・和田)。 (3) 現代の余暇と観光 第2
次大戦後に復興し経済発展をとげた先進諸国では、産業社会の高度化が 進展し、大多数の人々が余暇活動を享受する未曽有の余暇現象が出現する。と りわけアメリカでは、 1950年代になると「マス・レジャー (massleisure)の時 代jが盛んに議論される。 1960年代から70年代にかけては、わが国や西欧諸国 においても余暇社会の到来が話題にのぼるようになっている。 先進諸国では、余暇は労働と同様人々の生活において重要な意味をもっ時間 となった。余暇はもはや労働の「残余」という受動的時間でなく、個人が自由表 -1 労働時間等の国際比較(製造業生産労働者、 1993年) (単位:時間、日) 日 本 アメリカ イギリス ド イ ツ フフンス 1,966 1,976 1,902 1,529 1,678 総実労働時間 (10) (- 64) ( -437) ( -288) 1829 1,763 1,737 所定内労働時間 (-66) (-92) 137 213 165 所定外労働時間 (76) (28) 126 139 147 157 154 年間休日等の日数 ( -110) ( -178) (-241) ( -226) 92 104 104 104 104 週休日 ( -102) ( -102) (- 93) (- 97) 21 9 8 12 8 週休以外の休日 ( -102) ( -110) (70) (105) 11 19 24 29 26 年次有給休暇 (- 68) ( -110) ( -140) ( -121) 2 7 11 12 16 欠勤日 (-42) (一 76) (- 78) ( -113) 8.23 8.74 8.72 7.35 7.95 1日当たり労働時間 (120) (114) (196) (-62) 7.65 7.80 7.97 1日当たり所定内労働時間 (34) (72) 0.57 0.94 0.76 1日当たり所定外労働時間 (86) (42) 資料出所
EC
及び各国資料、労働省賃金時間部労働時間諜推計 (注) 1) ( )内は総実労働時間格差に対する要因別の寄与度。 2 )ドイツ、フランスの所定内、所定外労働時間は不明。 3)事業所規模は日本は 5人以上、アメリカは全規模、その他は10人以上。 4 )乗用パートタイム労働者を含む。 5 )要因分解は以下にする。 H=T'D H:年間総実労働時間、 T: 1日当たり労働時間D:
年間総実労働日数 日本との差ムHは、 ムH =ムT ・D'+T'.Lo.D (ただし、 T'=T+ムT/2、D'=D+ムD/2) D=365一d1-d2-d3-d4 dl :週休日、 d2:週休以外の休日、 d3 :年次有給休暇、 d4:欠勤日 Lo.D=
ムd1-Lo.d2ームd3ームd4 ムH =ムT • D'ームdl.T'ームd2・T'ームd3・T'ームd4・T' - 120一に活用しうる能動的な時間であり、可処分(裁量)時間 (discretionarytime) なのである(安村)。 表
-1
は、1
9
9
3
年における製造業生産労働者の労働時間などを国際比較した ものである。年間の総実労働時間では、ドイツ(1,5
2
9
時間)とフランス(
1
,6
7
8
時間)がきわめて短いが、年次有給休暇日数の多いことが主因である。わが国 は1
,9
6
6
時間であり、統計上はアメリカ(1,9
7
6
時間)を下回っているが、わが 国の数字には労働条件が悪く、労働時間も長い零細企業が含まれておらず、ま た日本独特のサービス残業の習慣も反映されていない。大都会の長い通勤時間 も考慮するとわが国の長時間労働の実態は依然として変わっていないといわれ る。 年次有給休暇については、わが国(11日、労働省の別の統計18)では平均付与日 数1
6
.
3
日、平均取得日数9
.
1
日)は、ドイツ(
2
9
日)、フランス(
2
6
日・フラン ス側のデータでは3
0
日)の1/3
程度であり、アメリカ、イギリスと比べても半 分以下である。わが国の場合、実際の取得日数が付与日数の半分程度であり、 しかも連続休暇でなく都度都度単発的にとられている。その背景には病気休暇 制度が不完備である、職場の人員配置の余裕や代替要員が少ない、人事考課制 度においてサービス残業や年休をとらないことがプラスに評価されることが多 いなどの実態がある。西欧諸国では年休が完全消化されているが、年休に対す る企業の姿勢の他、家族休暇を可能にするための学校休暇制度、共働き夫婦が 一緒に休暇がとれるロテーション休暇制度など、余暇を支える確固たる社会基 盤制度が存在するのである(野田・和田)。 ヨーロッパは国際観光の目的地としても出発地としても一貫して首位にある。 国際旅行入込客全体の60%
、年間約3
億人をヨーロッパ各国が受け入れている (表-2)。この内約85%
がヨーロッパの別の国を出発地としている。また、国 際旅行者全体の2
/
3
がヨーロッパ人であるといわれる(
B
.
グッドール+G.
アッ シュワース『観光・リゾートのマーケティングj18))。観光統計上のヨーロッパ の優位は、大陸内に多くの国々が近接しているためもあるが、ヨーロツパの国 際観光旅行の量的拡大(過去2
0
年間で2
倍以上)は、圏内観光ブームのそれ以 上の拡大に付随して起こったものであり、国際観光と圏内観光の比率は1: 8、国際観光は全体の15%にすぎない。 表-2 地域別旅行者受入れ数 (単位:千人)
;
主
要
1991 1992 1993 人 数 構成比 人 数 構成比 人 数 構成比 悦 ('!(1 ('!(1 ア フ リ カ 15,815(105.6) 3.5 17,735(112.1) 3.5 18,303(103.2) 3.6 ア メ カ 97,194(103.6) 21.3 104,010(107.0) 20.7 104,259(100.2) 20.3 東アジア・太平洋 53,891(103.1) 11.8 62,000(116.2) 12.5 69,462 (110.9) 13.5 ヨ ー ロ ツ ノf 279,837( 97.6) 61.3 306,554(109.5) 60.9 309,228(100.9) 60.3 中 東 6,674( 89.7) 1.5 8,465(126.8) 1.7 8,221(97.1) 1.6 南 ア ジ ア 3,279(103.1) 0.7 3,515(107.2) 0.7 3,466( 98.6) 0.7 計 456,690( 99.6) 100.0 502,899 (110.1) 100.0L一一5一一1一2一一,一9一一39 (102.0) 100.0 (注) 1 世界観光機関資料による。 2 ()内は前年比(%)を示す。 ヨーロッパでは観光フローを生み出している固と、通常それを受け入れてい る固とが異なる。つまり互恵主義 (reciprocity)はほとんど存在しないので、 出発地と目的地の関係は、観光移動の中枢=周辺モデ、ル(coreperipherymodel) として一般化される。基本的フローは「冷夏ではしばしば雨夏になる北ヨーロツ パの工業化、都市化された国々から、陽光と温暖の保証された、ただ経済的に は、一般に必ずしも十分に発展していない南の国々への、あるいはウインター スポーツのためのアルプスの山系の国々への観光移動J
である。このような観 光フローは、国際収支における旅行収支において、南ヨーロッパの黒字(スペ インなど)と北ヨーロッパの赤字(オランダとドイツなど)を生み出している (グッドール、アッシュワース)。 以上に用いられた統計数字には、旅行の目的に関する情報が一般に入手不可 能であるため、観光以外の目的も含まれている。しかし休暇とレジャー活動は 第l次的な動機でありヨーロツパにおける国際観光では70%にのぼっている(World Tourism Organization 1984)。国別ではギリシャ、ポルトガル、スペインへの 入国では観光目的が全体の85"'-'90%であるのに対してイギリスは50%であり、 - 122ー一国の経済発展水準が高いほど業務旅行 (businesstourism)の重要度が増して いることがわかる。 経済的条件(より高い生活水準)と時間的条件(余暇時間の増大)が自動的 に観光の増加をもたすとは限らない。ヨーロツパでは、より広い社会的・文化 的視野の拡大の欲求を含む観光主体側の需要に応じて、観光産業側がコスト低 下による移動性の上昇など、観光サービスを供給したことが大衆観光出現につ ながっている。「観光旅行はヨーロッパ諸国における深く根付いた社会的習慣で あって、それは良好な交通ネットワークと多様な施設、とくに広汎な社会クVレー プの観光を容易にしたホテル以外の宿泊施設の多様化から便益を得ている j (WT01984)と理解できるのである。 ヨーロツパの観光の大衆化とともに
1
9
6
0
年代に標準観光旅行の生産者として 頭角を現したのはツアー・オペレータ一川である。その成功の鍵は、グループ・ チャーター便による輸送の経済性とシーズン期聞を獲得しているので、パッケー ジに含まれるサービスが個別に購入するより総額で割安になっている点にある。6
0
年代、ツアー・オペレーターは観光地の開拓を行い、目的別のリゾートを成 立させた。ナポレオン3世時代にファッション化した余裕のできた新興階級の 保養地での賛沢、体を休め日常より少し充実した時を過ごすなどのライフスタ イル(望月)をもとにして、大衆観光のモデルになったのが地中海ホリデー・ パッケージである(ウィリアムス+ショー『観光と経済開発Jl20))。基本的呼び 物は、標準化された国際形態で提供される太陽と海、安い食料とワインである。 近年はゴルフコースやテニスコートなどの追加的レクリエーション施設が、需 要の微妙な変化に応じてつけ加えられてきた。スペインは、高度に開発された 地中海観光の実例であるが、このモデルはギリシャ、ポルトガル、イタリアで も用いられ、フランスにも当てはまる。このモデルで開発される観光リゾート は少し差別化される傾向があり、ホロウェイ (Holloway・1983)は「モンター ジュ(identikit)目的地」と呼んでいる。 モンタージュ目的地は、観光地において観光者が肉体的慰安を見いだす画一 性の度合いはどの程度までかという、広範囲な市場調査の結果生まれたもので ある (Holloway)。
多くの観光者にとって、どの国を訪問するかはさして問題ではなく、もっと も重要なのは、確実な陽光と気温、寝そべるための砂浜、泳ぐための温かい海 水、清潔で安いレストランやホテルが保証されていることである(Matley)01960 年代の外国旅行ブームの第一波のなかで、標準「パッケージ休暇 (package holiday)
J
がツアー・オペレーターにより創出され、スペインのホテル経営者 や不動産デベロツパーが、保証つきの太陽、安価な酒宴、享楽的なナイトクラ プを求めるイギリス人やドイツ人の需要と結びついた。これらの展開はマス・ ツーリスト市場に向けつくられるたものだが、市場が大きくなればなるほど観 光地の特徴も薄れていった。 1960年代の航空旅行ブームは、 70年代のエネノレギー危機により短命に終わっ た。価格要因はツアー・オベレーターの価格を決定する上で、今やより重要で あり、彼らが観光地を選択する際のもっとも重要な唯一の要素となっている。 組織化された観光におげる価格の中心的役割は、厳しい市場競争で各ツアー・ オペレーターの提供する商品がかなりの類似性を示していることを説明する助 けとなる。ツアー・オペレーターは航空機の座席利用率を最大化して輸送コス トを削減し、保証ずみの市場や地域で業務を遂行することで危険を最小限に抑 えようと努力した。その結果、以前よりもパイオニア的でなくなり、また観光 地の評判の高まりを長期的に待つだけの覚悟もしなくなっている(グッドール+ アッシュワース)。 1960年代のヨーロツパ観光の大量の増加は、観光産業の全部門に成功を保証 したわけではない。とくにホテル業界では、国によってはホテル数もベッド数 も減少したケースがある。宿泊施設も含む完全包括旅行(fully-inclusiveholiday) は現在では歓迎されないからであり、あらゆる形のホテル外休暇(観光村、キャ ンピングカー・キャンプ場、セカンドハウス、家庭観光、農業観光、ソーシャ ルツーリズム)への明白な切り替えがみられる。 いわゆる4S休暇 (sun,sand,sea,sex)の余命もいくばくもないといわれる。 フランスの大型休暇(grandevacances)の内容も急激に変化している。リビエ ラの予約は急減し、かわって田舎観光、活動観光への選好がみられる。また、 短期的休暇、追加的休暇の重要性やオーダーメイド休暇 (made司to-measure-124-holiday)の需要も増大している。 西欧先進国では、年次有給休暇はバカンスや保養を目的とする休暇であり、 それ以外の目的で利用されるべきものでないと考えられている(野田・和田)。 フランスの国立統計経済研究所(INSEE)のバカンスの定義は次の通りである。 「居住地の外への継続して 4日以上のあらゆる移動であって、職業目的、研 究目的または健康上の理由以外の理由によるものをいう。…それは親類の家や 観光地以外の場所での滞在を含む点ではツーリズムより広く、業務用の旅行が 含まれていない点ではそれよりもせまい」 INSEEの最近のデータによれば、フランスでは有給休暇を利用して国民の6 割が (3,000万人)がバカンスに出かげる。出発率が高いのは上級管理職や自由 業、低いのは農業関係者である。年齢層では、 30歳から40歳代の壮年層が最も 多く、 20歳台の出発率は相対的に低くなっている。年間平均日数は調査が開始 された64年以来ほぽ30日に定着している。この間、年次有給休暇の法定日数は 2週間も増加しているので、バカンス日数が30日を超える水準になると、バカ ンス費用などの他の要因によってブレーキがかかり頭打ちになると推定できる。 最近では30日前後の日数を2回に分けて、夏と冬の両方に出発する者の比率が 増加している。また、週末利用の5日以下の短期滞在も増加している。行き先 は海 (42%)・田舎 (28%)・都会(19%)・周遊 (3%)であり、日本で最も一 般的な周遊型はごく少数である。行き先では圏内バカンス8割・海外2割と国 内が圧倒的に多く、夏にはコートダジュールやプロパンス地方、冬はサボアや アルプス地方の人気が高い。 利用宿泊施設では、両親か友人の家あるいはセカンドハウス (40.5%)が群 を抜いて多く(友人と住居を一時的に交換を含む)、オートキャンプ・テント村・ キャンピングカー・バカンス用貸室貸家・自分の別荘がこれに次ぐ、ホテルの 利用は12.1%に過ぎない(フランスのホテル料金は安いが30日ではかなりの出 費になる、図-1)。交通手段は乗用車 (76%)、列車 (10%)、飛行機 (8%、 図 -2)。旅行仲介はなしが79%、旅行代理屈の利用は5.6%である(図 3 。) バカンスで楽しみなことは、歩く・散歩する・自然を楽しむ (42%)、スポー ツ (31%)、休息する・眠る・朝寝をする (30%)、リラックスする・無為・何
図-1 フランス人の89年夏のヴァカ ンスでの宿泊先の種類 ホテル テント村 7.2 」ーオートキャンプ場
己ューヴアカン山
8 ユースホステルその他 2.9 賃貸宿泊施設 図-3
フランス人の89年の 図-2
フランス人の89年の夏の ヴァカンスの交通手段 ヴァカンスでの旅行仲介 2.5 (野田進他『休み方の知恵』より転載)1
2
6
-もしない、静かにしている (19%)など。フランス人の余暇はなにか特別のこ とをするための休暇でなく、独自のライフスタイルとして年間の生活のなかに 自然に組み込まれているといえる。 ドイツ人も安上がりの旅行をする。宿泊は無料で過ごすものが多いが、有料 でも安価な宿泊施設である。同じところに長期滞在してハイキング、スポーツ などでのんびりするのが普通の休暇である。ドイツの場合圏内
4
に対して外国 6と外国旅行の方が多いが、これはマルク高で外国旅行の方が割安であるから である。ただし外国旅行でも、陸続きなので交通手段は自動車 (65%)が多く、 航空機 (14%)や鉄道 (11%)の利用は少ない。 西欧のバカンスは、「できるだけ費用をかげないで、自力で他人の手を借りる ことなく、家族とともに出掛ける、長い長いバカンス旅行である。長いバカン スが可能なためには、費用を安く押さえて家族で動く、可能な限りお仕着せで なく自力の旅行を実践することが必要なのであるんこのように西欧のバカンス は日常離脱型でなく日常延長型、金銭浪費型でなく時間浪費型、他者追従型で なく自主性型の観光行動の特徴をもつのである(野田・和田)。3-2
わが国における余暇と観光(
1
)
日本における余暇の問題については少し後で述べることとし、まずは拙稿 「日本人のマス・ツーリズムに関する一考察21>Jにもとづき、戦後の日本経済と 観光の状況を列記し、日本人の観光行動の特徴を考察したい。 ① 1945-55年(10年間):戦後の復興期…この時期の旅行といえば、復員や買 い出しであり、新城常三が旅の歴史の発展段階mでいう「外部強制の旅J
また は「内部強圧の旅jにとどまる。「自ら好んでする旅J
である観光はほとんど 行なわれていない。 ② 1958年秋~73年秋 (15年間) :高度成長時代…日本経済は毎年10%前後の成 長を続け実質GNP
世界第2
位にまで昇りつめる。高度成長を支えたクルマ の両輪は、消費者の消費拡大と生産者の商品開発である。家電製品が短期間 に日本中の家庭に普及し、大衆消費時代を生み出し経済成長を下から支えた。 生産者は新技術導入、工場への設備投資を競うように行ない経済成長に拍車をかける。乙の時期にはさまざまな産業が誕生するが、旅行業など観光産業 もその一つである。 1955年ころから法人需要による観光、とくに職場の団体慰安旅行が行なわ れるようになる。また修学旅行も復活する。 1964年の海外渡航の自由化以後 は海外旅行者数も増加する。当初の海外旅行ノfッケージの主要需要者も法人 の報奨・招待旅行であった。 1970年の大阪万博を契機に、観光に対する個人 需要も次第に増加する。旅行業はそれまでの駅前案内所における鉄道業務補 完業務から、包括旅行、手配旅行、企画旅行とつぎつぎに業務を拡大し、高 度成長時代末期には「団体販売の黄金時代
J
を迎える問。ところが、 1974年の 第一次石油危機で石油価格が4
倍に急騰、日本経済は戦後初のマイナス成長 に陥り、先行き真っ暗な状態になる。 ③ 1975-90年 (15年間): 4 %成長・安定成長時代…経済成長の主役は輸出に 変わる。 1987年に日本人I人あたりGNPは米国を抜き名実ともに世界ーの 経済大国となるが、外国とくに米国との貿易摩擦が深刻となる。また、国民 生活でも経済成長至上主義、大企業中心主義、何でもカネで買えばよいなど の風潮が広がってゆく。 観光では団体旅行にかわって個人旅行の比率が増加し、円高を背景にした 海外旅行が連続的に拡大する。また、多種多様な法人需要(業務出張、海外 研修、プラントや工事建設などプロジェクト単位の旅行、業界の視察旅行、 大会・会議、交際費・接待費がらみの旅行…)も増加する2九 旅 行 業 は 様 々 な 内容のパッケージツアーにより業務をさらに拡大、観光事業における影響力 を急速に強化させてゆく。このような旅行・観光の需給における法人主導の 状況や、一億総中流社会といわれる社会状況が日本人の観光行動にも影響を 与えている。 ④ 平成不況(91年5
月以降):3
0
年間にわたり高度成長のパラタ+イムがはびこっ た時代に終止符が打たれつつある。バブル経済の崩壊、長引く平成不況、政 治家・官僚と財界の癒着など日本経済や社会の歪みが問題化している。 不況下の円高は、海外旅行の増加と圏内旅行の横這いという「観光の空洞 化J
現象をも生み出している。 -128-表
-3
国民1
人当たり平均宿泊旅行回数及び宿泊数瓦漬¥ご
2 3 4 5 6 回 回 回 回 回 観 光 (l1.3094) (l.41119) l.3(915) (l1.4041) l.41 (100) 回 兼 観 光 (01.1210) (01.2204) 0(.9222) (01.0253) 0(.9211) 業 務 (01.2364) (01.0397) 0(.8341) (01.2369) 0(.8353) 家事・帰省 0.47 0.60 0.57 0.57 0.56 数 (89) (128) (95) (100) (98) 0.10 0.12 0.16 0.14 0.16 そ の 他 (56) (120) (133) (88) (114) 計 2.45 2.82 2.60 2.74 2.67 (103) (115) (92) (105) (97) 泊 泊 泊 泊 泊 観 光 (21.1433) (21.0540) 2(.9321) 2.32 2.32 (100) (100) 宿 兼 観 光 0.50 0.56 0.61 0.64 0.51 (122) (112) (109) (105) (80) 業 務 0.87 0.90 0.76 0.97 0.91 泊 (126) (103) (84) (128) (94) 家事・帰省 l.25 l.35 1.46 l.35 l.31 (86) (108) (108) (92) (97) 数 0.15 0.17 0.16 0.16 0.21 そ の 他 (63) (113) (94) (100) (131) 計 5.22 5.47 5.30 5.44 5.26 (105) (105) (97) (103) (97) (注) 1 総理府内政審議室において推計したものである。 2 ()内は前年比(%)を示す。 3 5年については、再推計したものである。 総理府内政審議室推計による平成 6年 (1994年)における l人当たりの平均 宿泊数 (2.67回、表 3 )および日本観光協会のデータ25)による参加率 (59.3%) などの数字は、西欧諸国とほぽ同様な水準になっている。しかし、全旅行に占 める観光の比率は約半分にすぎず、宿泊日数も年間5.26泊、観光 1回当たり1.65 泊である。日本人の旅行は業務旅行の比重が高く、観光旅行では宿泊日数が1
~2 泊と非常に短いのが特徴である。 野田進・和田肇は、日本人と欧米人の観光行動を比較して次のように述べている。 ① 日常性から遊離…労働者の企業・家庭生活にはストレスが多く風通しが 悪い。そのような淀んだ人間関係と日常性から逃れて、気の合った同志で 旅行をする。息のつまるような職場や家庭から離れて
1
日だけでもおもい きり騒いでウサばらしをする。 →欧米人の旅行は日常性と連続。余暇は家族と過ごすものであり、長期 滞在のリゾートでもふだんの生活と趣味を維持しながら、その地での新し い隣人との交友などを楽しむ(日常延長型)。 ② 金銭濫費…短期間で日常性からの離脱の効果を最も簡単にあげるために、 わずかな日数での集中的賛沢・祝祭的大盤振舞をする。この背景には都会 の共同住宅の狭い部屋でインスタント食品ですませている普段の生活があ る。 →欧米人の旅行は長い休暇だから金銭濫費などとんでもない。せいぜい 近所の散策かサイクリング、あとは何もせずデッキチェアーに寝そべって 暮らすのが何よりの賛沢(時間浪費型)。 ③旅行の主体性のなさ(他者追従型)…他人の企画した団体旅行に漠然と ついてゆく。観光代理店で大量に発売される規格化されたパック旅行に参 加する。 →欧米人の旅行では、旅行プランや手配も自分で行なう(自主性型)。 また、日本人の旅行は、仕事と遊びの区別がつきにくいことが多いとの 指摘も行なっている。会社の慰安旅行は、観光・レジャーの要素もあるが 仕事の一部でもある。研修・視察旅行という名目で、実は観光にウエイト のかかっていることも多い。修学旅行という、勉強か遊びかはっきりしな い団体旅行に日本人は子供のころからなれ親しんでいる、という。(
2
)
ヨーロッパでも、第2
次大戦の以前では、余暇や休暇の制度はそれほど発 達していたわけでない。何度も試行錯誤を繰り返し、余暇時間の大幅な拡大が 実現されてきたのは戦後のここ数十年のことである。 たとえば、フランスで労働時聞が急激な減少をみたのは、1
9
7
0
年以降のこと であり、その後の労働改革の成果によるものである。ドイツでも、今日の休日・130
-休暇の水準は、労組のスト、裁判所の判断、フランスなど外国からの批判の結 果として達成されたものである。そのような法的制度的改革を推し進めてきた のは、勤労者であり国民の世論である。社会状況の変化に応じて、勤労者や労 働組合あるいは国民が、どのような方向に向りた行動をとってきたかというこ とと密接なかかわりがある。そこには、彼らの生活価値観や労働観・余暇観や それにもとづく現実の行動がある(牧野暢男「日本人のライフスパンと余暇問 題(3)26)J)