相関者としての超越論的対象と物自体
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(2) 大学研究紀要第 43号 ^人 間科学編 (2007年 3月 甲南女了。. ). (A105)わ れわれの直観 は神 的直観 とは異 なって ,そ. ア・プリオリな制約. れ 自身 で そ の 対 象 を現 存 在 に 関 して産 出 し得 な い の. われてい るのであ る。. (経 験 一般 の可能性 の制約 )が 問. で 1,或 る もの を対 象 と して認識 す る こ とを可 能 にす. ところでカン トはこれに続 いて,対 象 についての概. る ようなア ・ プ リオ リな規 定性 は,対 象 が 表象 を可能. 念 の統一の超越論的根拠 として統覚 の超越論的統一 に. の場 合 は 単 に経験 的 に,感 覚 に関 して. 言及 し,そ れは「ひとつの経験 において常 に共存 じう. 可能 であ る)で はな く,表 象 が 対 象 を可 能 になる場 合. るところのすべ ての可能な現象か ら,あ らゆる これ ら. にす る場 合. (こ. 2。. こ ぅ して カ ン. の表象 の法則 に従 った連関を作 り出す」 もので,「 現. トの場合 ,対 象 が 認識 との 関係 で必 然的 に要求す る認. 象 を必然的に再生的なものにするばか りでな く,こ れ. 識 の ア ・ プ リオ リな規 定性 は,感 性 的直観 の 多様 な も. によってまた現象の直観 に対象 を,つ まり諸現象がそ. の をひ とつ の対象 につい ての概念 をなす よ うに総合的. こにおいて必然的 に連 関付けられるような或 るものの. に統 一 す るあ る規則 に従 った総合 の普遍 的 な機能 と統. 概念 を規定す るような法則 に従 った,す べ ての現象 の. 覚 の形式 的統 一 へ と還元 されて い くこ とになる。. 総合の必然的な統一の意識」 (A108)で あると語 る。. にのみ可 能 であ る と考 え られて い る. そ うしてこの く諸現象がそ こにおいて必然的に関連付 「わ れ われが三 角形 を対象 と して思惟 す るの は. ,. けられるような或 るもの〉が対象一般 としては超越論. われわれが三本 の 直線 の合成 を,そ の よ うな直観が. 的対象であるといわれる。それ は「われわれによって. いつで もそれ に従 って描 き出 され る よ うな規則 に従. もはや直観 される ことのない,… …リト 経験的な対象」. って意識 す るこ とに よってで あ る。 ところで この規. (A109)で あ り,「 われわれのすべ ての認識 にお い て. 則 の統 一性 はあ らゆる多様 な もの を規 定 し,そ れ を. 実際常 に一様 である=X」 として しか表象 されない よ. 統覚 の統 一 を可 能 にす る よ うな制約 に制限す る。 こ. うな「純粋概念」 (A109)に 過 ぎないが, しか しそれ. の統 一の概念が ,私 が三 角形 とい う前述 の述語 に よ. は「われわれのすべ ての経験概念 一般 に対象 との 関. って思惟 す る対 象 =Xの 表象 であ る。」 (A105). 係 ,す なわち客観的実在性 を与 えうるもの」 (A109) なのである。そ うす るとプラウスの言 うように超越論. カ ン トは 『反省』 にお い て ,「 判 断 にお い て規 定 さ. 的対象 は「経験判断が一般 に真あ るい は偽 とな り,無. れ うる もの ,論 理 的 な主語 は 同時 に実 在 的 な客観 であ. 意味 となった りしないために,経 験判断 として関係 し. しか も「そ の 表 象 が述 語 の 多様性 の総 合的統 一. の根拠 を含 む よ うな判 断 の 主 語 が 客観 で あ る」 (6356,. なけれ│ゴ ならない ような文 寸象」 として「常 に 自発的か 〕 つ ア・プリオリにあ らか じめ企投 された」 対象 と解 し. Bd.Ⅷ ,S.696)と 語 るが ,統 覚 の総 合 的統 一 に よつ. うる ようである。 こうした対象 は「認識 の多様 なもの. て直観 の 多様 な ものが 対 象 の概念 をなす よ うな統 一 ヘ. において見出されなければならない ような統一以外 の. もた らされ る ことに よつて実在 的 な客観 となる ような. 何 ものに も関わらない」 (A109)の であ り,認 識 と超. Xと して語 られ てお り,或. 越論的な対象 との関係 は,諸 現象が経験 において統覚. ,す べ ての 判 断 にお い て主 語 概 念. の必然的統 一の諸制約 に従 う とい うことに他 な らな. り,」. 或 る ものが ここでの対 象 る もの一 般 =Xは. にな りうる よ うな或 る もので あ り,判 断 にお い て規 定. い。そ うする と現象の超越論的対象に対する関係 は. され る或 る もの とい う こ とか ら切 り離 されて ,単 なる. 経験 において現象 はすべ て統覚 の総合的統一の制約 に. 思惟 の対 象 と して一般 的 に語 られて い るので はな い。. 従 うとい う超越論的法則 の別様 の表現 とい うことにな. この対象 は何 か或 る もの以上 の何 もので もな い と して. り,超 越論的対 象 は経験 における対象性 の統 一 として. も,こ の或 る もの につい ての概念 がその或 る ものの 直 観 の総合的統 一の必然性 を示す限 り,現 象 の 多様 なの. 最終的 には統覚 の超越論的統一に解消 される ことにな る」。超越論的対象 についてわれわれの悟性 は何 も知. を通 して規定 され うる もの とみ な されてお り,現 象す. りえないのであ り,そ れはただ感性的直観 における多. る或 る もの とい う制 限が は ず され語 られ る こ とは な. 様 な ものの統 一のために「統覚 の統 一の相関者」 (A. X. ,. の 例 と して この 箇 所. 250)と して用 い ることがで きるのみである。 この超. では三 角形 や物 体 を と りあげてお り,個 別的 な対 象 と. 越論的対 象 は決 して感性的な与件 か ら切 り離 される こ. して規 定 され る或 る もの につい て語 っている よ うであ. とはない。なぜ なら,そ れ らが分離 されるなら,そ れ. るが ,そ れ はそ う した対 象 につ い ての概念 の統 一 を一. によって超越論的対象が思惟 されるであろうものが何. 般 的 に可能 にす る よ うな ア ・ プ リオ リな制約 を主題化. も残 らない か らである'。 こ う した超越論 的対 象 は. す るためであ り,個 別的 な対 象認識 に一 般 的 に関 わる. 「それ 自体 で認識 の対象 であるのではな く,む しろ対. い 。 も っ と もカ ン トは対 象.
(3) 香川. 豊 三相関者 としての超越論的対象 と物 自体. 象 一般 の概念 の もとに現 象 を表象 した もの に過 ぎな. になる8)。. い」 (A251)と いわれる。かつてハ ル トマ ンが指摘 し たように,『 純粋理性批判』 のカテ ゴ リーの超越論 的. 「現 象 にそれ 自体現 象 で な い或 る ものが対応 しな. 演繹論 は「経験一般 の可能性 の諸制約 は同時に経験 の. けれ ばな らな い とい う ことは,現 象 一般 の概念 か ら. 諸対象 の可能性 の諸制約 である」 とい う同一性 の原理. おの ず と生 じる ところであ る。 なぜ な ら,現 象 は そ. に導 かれてお り,「 すべ ての対象 の諸制約が同時 に経. れ 自身 だ けで は,ま たわれわれの表象様 式 を他 に し. 験 の諸制約 ではな く,む しろ逆 に,す べ ての経験 の諸. ては,何 もので もあ りえず , したが って絶 え ざる循. 制約が同時に対象 の諸制約 であるとい うに過 ぎない」. 環が生ずべ きで ない と した ら,現 象 とい う言葉 はす. ので ある。「かの諸制約 の 同一性 の限界 は同時 に対象 ° の認識可能性 の限界 である。 」. で に或 る ものへ の 関係 を示 して い る。そ の或 る もの. ではカ ン トは 『純粋理性批判』 の第一版 のカテ ゴ リ. この もの は,わ れわれ の感性 の こ う した性 質 (わ れ. ーの演繹論 でなぜ超越論的対象 を語 り,第 二版 ではそ. われの直観 の形式 がそれ に基 づ い て い る)が な くて. れを語 らないのであ ろ うか。おそ らく第一版演繹論 の. も,そ れ 自体 にお い て なお何 か或 る もの ,す なわち. それに続 く議論 の展開か ら見て,現 象 と対象 (超 越論 的対象)の 関係 は対象一般 の概念 としてのカテ ゴリー. 感性 か ら独 立 した対 象 で あ るに違 い な い 。」 (A251. の直接 的 な表 象 は もちろん感性 的 であるが , しか し. -252). によってア・プリオリに規定 されるもので,カ テ ゴ リ ー に従 った統覚 の総合的統一の働 きが 自然 の統一 (超. われわれの感性 的直観 は対象 の現存在 を前提 に して. 越論的親和性 )を 可能にする根拠であるとい うことを あ らか じめ述べ るためであった と考 えられる。 この よ. お り,現 象 はそれ に よって 自 らを告知す る 〈或 る もの へ の 関係 〉を示 して い る。 この或 る ものは 自体 的 に見. うに現象 と対象 の関係 を持 ち込みなが ら自然 の合法則. るな らば 〈感性 か ら独 立 した対 象 〉と して語 られ うる. 的連関における統一の ア・ プリオリな根拠 を求めると. よ うな もので あ り,こ の或 る もの をわれわれ は現象 と. い う第 一版 の議論 の方向 は,経 験 そ の もの とい う よ. して認識す る。超越論 的対象が 〈対 象 一般 の概念 の も. り,む しろ経験 の対象 としての物 の合法則性 のア・プ. とに現象 を表象 した もの に過 ぎない 〉といわれ るの は. リオリな認識の可能性 を問 うとい う側面 を前面 に出す. この感性 的 な もの に よって規定 され る とい う側面 か ら. ことにな り,カ ン ト自身が 『プロ レゴメナ』で述べ る. であ る。 しか しカ ン トは,わ れわれの意識 の外 にあ る. ように,経 験 の対象 としての 自然がその もとにおいて. 超越 的 な対 象 の存在 を,た とえそれが何 であ るかわれ. のみ可能になるア・プリオリな制約 を求めるとい うそ. われ に未知 な ものであ ろ う と,認 めて い る。 そ の よ う. の議論 の方向 は,カ ン トにおいてはすべ ての経験 の制. な或 る もの をわれわれは現象 として認識す る と語 るの. 約が同時に対象 の制約 であ り,そ の逆ではない とい う. であ る。 そ して現象 として対象 が経験 にお い て主題 化. ことが明確 に語 られてい るにもかかわらず,そ の対象. され る とともに議論 の背後 に隠れて しまい ,そ の対 象. 認識 の限界が誤解 され,あ たか も物 自体 としての 自然 を語 りうるかの ような思 い込みが生 じる恐 れがあるη. は 自体 的 に主題 化 され る ことは ないの で あ る。 われわ れがあ えてそれ を思惟 にお い て表象す るな ら,そ れ は. と考 えられたか らであろう。 こうした誤解 を受けない. 「或 る もの一般 につ い ての まった く未規定 な思想 」 あ. ため,第 二版 の演繹論 では統覚の統一の相関者 として. るい は「感性 的直観 一般 の対象 の概念 ,そ れゆ えす べ. 超越論的対象 を述べ ることをやめ,カ テ ゴリーはもっ. ての現象 に対 し一様 であ る よ うな概念」 (A253)に 過. ぱら経験 にお ける思惟 の可能性 の制約 として語 られる. ぎないの であ り,そ れ 自身 の認識 は語 られ ないので あ. ことになる。. る。第 二 版 で改訂 された第一版 の ノウメノ ンとフェノ. ところで表象 (現 象),そ の対象 (超 越論的対象),. メノ ンの 区別 をめ ぐる議論 で は,ノ ウメノ ンは あ くま. 表象 を対象 に関係付 ける統 一作用 (統 覚 の総合 的統. で 非感性 的直観 に対応 す る対 象 と して語 られ ,〈 或 る. 一)を 使 っての演繹論 の議論が,結 局経験 の可能性 の. もの 一 般 の まった く未規定 な思想 〉と しての超越論 的. 諸制約へ の問い に還元 されるのなら,超 越論的対象 は. 対 象 はヌ ー メノ ンと呼 ばれ えな い とい われ る. その自体的存在 とい う佃1面 を失 うことにな りそうであ. し第 二 版 で はそれ は消極 的 な意味 で あ るにせ よノウメ. る。 しか しそれは感性的与件 とは不可分 である として. ノ ンと して語 られ るこ とになるので あ る。. 9)。. しか. も,現 象 と同 じものではない とい うことか ら,分 析論. ところで筆者 は以 前 ,経 験 の可能性 の諸制約 を析 出. か ら弁証論 に至る過程 でまた別 の佃1面 が語 られること. す る こ とを通 して ,経 験 一般 の形式 を確定す るこ とに.
(4) 甲南女子大学研究紀要第 43号. ^. 人間科学編 (2007年 3月. ). よって ,い わば経験 の 内側 か ら認識 を限 界付 けん とす. と して思惟 され うる。第 一版 の カテ ゴ リーの演繹論 で. るカ ン トの試 み にお い ては ,超 越論 的対 象 は可能 的経. は感性 的 な与件 か ら決 して切 り離 され ない といわ れた. 験 の 地平 と して現 れ る もので ,そ れ は現 象 を図 と して. 超越論 的対 象 が ,こ こで はそれか ら切 り離 され ,純 粋. 浮 か び上が らせ る絶対 的 な地 と して の 世界地平 であ る と解釈 し得 る ことを示 したЮ。現 在 で も経験 の 内側 か. 悟性 の 固有 の対 象 と して問題 に されて い るのであ る。. らす る認識 の 限界設定 とい う視点 か ら見れば ,こ の解. 不可能 ともい えない ような或 る もの とい う「蓋然 的概. 釈 が有効 で あ る と思 ってい る。 しか しこの論考 で は. 念」 で あ るが , しか し「決 して感 官 の対象 と してで は. ,. ヌー メノンと して思惟 された超越論 的対 象 は可 能 とも. っぱ ら純粋悟性 に. 両版 の改訂 された部分 の超越論 的対 象 の取 り扱 いの違. な く,む しろ物 それ 自体 と して. い か ら超越 論 的 な対象概念 に迫 る こ とに した い。 そ う. よって )思 惟 され るべ きひ とつ の 物 とい う概 念 」 (A. す る こ とに よつて カ ン トが 第二 版 で残 そ う と して い る. 254,B310)で あ る。感性 的 な直観 が 決 して達 し得 な. 超越論 的 な対 象 の概念が明 らか になるであろ う。 それ. い この残余物 と して の ヌー メノ ンは,感 性 的直観 を物. は第 一 版 の カテ ゴ リー の演繹論 での議 論 と異 な って い. それ 自体 に まで拡 張 しない よ う に,「 感性 の 越権 を制. るのであ る。. 限す るため の 限 界概 念 」 (A255,B310-311)と して. (も. 使 用 され る。 ところで こ う した限界概念 と しての超越論 的対象 は. Ⅱ. 第 一版 で はパ ラ ロギ スムス にお い て述 べ られ る。 「統 覚 それ と共 に思惟 は ,表 象 の あ らゆ る可 能 な限 定 された順序 に先 行す る。 …… われわれは或 る もの一. 「経験 の 野 にお い て現 れ る課題 にお い て は ,わ れ. 般 を思惟 し,そ してそれ を一面 にお い て感性 的 に規定. われ はかの外 的 な現 象 を対 象 それ 自体 と して取 り扱. す るが , しか しなお 一 般 的 で抽 象的 に表象 された対象. い ,そ れ らの可能性 (現 象 と しての)の 第 一 の根拠. を,そ れ を直観す る仕方 か ら区別す る。 」(A289,B345. に心 を労す る こ とはない , しか し,わ れわれが 経験. -346)こ こ に感性 か ら独 立 した或 る ものが ,悟 性 の. の 限界 を超 え出 よ う とす る ときには,超 越論 的対 象. 固有 の対象 と して思惟 され る可 能性 が 開 かれ る。. の概念 は必然 的 となる。 」 (A393). 「われ われが あ る対 象 を直観 す る様 式 を,そ の 対. 第 一 版 で は経験 の 限界 を超 えた課題 に関 わる弁証論. 象 の性 質そ れ 自身 か ら区別 し,現 象 と して の それ ら. で 限界概念 と して の超越論 的対象が語 られてお り,そ. ェ ノメノ ン)と 名 づ ける場 合 に. れは現 象 の根拠 あ るい は原 因 と して述 べ られて い る。. は,次 の よ うな こ とがすで にわれわれ の考 え方 の 中. つ ま り経験 の外部 との 関係 で認識 の 限界が語 られて い. に存 して い る。 す なわ ちわれ わ れ は これ らの対 象. るのであ る。 これ は実際 には第 二 版 と同 じ消 極 的 な意. を,そ の 性 質 そ れ 自体 にお い て 直 観 しな い とは い. 味 での ノウメノンと して の対 象 と考 え られ る。第 一 版. え,そ の性 質そ れ 自体 か ら見て ,そ れ らの対 象 をあ. で語 られた く統覚 の統 一の相 関者 〉と して の超越論 的. の 感性体 にい わば対 立せ しめ るか ,あ るい は また. な対 象 に関す る記述 は第二 版 で 消 えて い くが ,消 極 的. の対 象 を感性 体. (フ. ,. われわれの感官 の客観 とは決 してな らない他 の可能. な意味 での ノウメノ ンとみ な され る超越 論 的 な対象 に. な諸物 を,単 に悟性 に よって思 惟 され る対 象 と して. 関す る記述 は第 二 版 で もそ の まま残 されて い く。 た と. 感性体 にい わば対 立 させ るか して ,そ れ らを悟性体. えば両版 の 中間 で書 かれた 『プ ロ レゴメ ナ』 で は,す. (ヌ. ー メノ ン)名 づ け る とい う こ とが で きる。」 (B. で にその傾 向 が 現 れて い る。. 306). 「実 際 われ われが 感官 の 諸対 象 を,正 当 に も,単 超 越 論 的対 象 が もはや 直 観 され な い 対 象 と して ,わ. なる現 象 とみ なす な ら,そ の こ とによつて 同時 に. ,. れ わ れ の 直 観 様 式 との 連 関 な しに で も悟 性 に よ つ て. 物 それ 自体 が現 象 の根底 に存す る ことを認 め る こ と. 「ひとつの物」 (B307)と して思惟 されるな ら,そ れ. になろ う。 むろんわれわれ は物 それ 自身が どの よ う. はヌーメノンとして思惟 されうるのであ り,わ れわれ. な性 質 で あ るか は知 らない 。知 ってい るの は単 に. に不可能な知性的直観 において与 えられるような対象. そ の現象 ,す なわち,わ れわれの感官 が この未知 な. を「積極的な意味でのヌーメノン」 とするなら,超 越. る或 る もの に よって触発 され る仕方 だ け で あ る。悟. 論的対象 は「消極的 な意味でのヌーメノン」 (B307). 性 は現 象 を承認す る ことに よって まさに物 それ 自体. ,.
(5) 香川. 豊 :相 関者 としての超越論的対象 と物 自体. 対象 としての或 もの を現象 と してか ,あ るい は対象 自. の現存在 をも認容す る。 」 (Bd.Ⅳ ,S.314-315). 体 と してか考察 されて い く場面 で ,対 象 自体 としてそ. 現象 の根底 にある 自体的なものの存在 を語 ることは. の性 質 が問題 にされ る或 る ものが超越論 的 な対 象 と し. カン トの一貫 した態度であるが,そ の或 ものを現象 と. て語 られて い るのであ り,物 自体 ,つ ま り経験 の外 部. して とらえるか,あ るいは物 自体 として とらえるか と. の対象 と して語 られて い る。 しか し統 覚 の統 一 の相 関. い うかたちで も議論 される。 この場合 に第一版 ではこ. 者 と しての超越論 的対象 は,経 験 の外部 の対象 と して. の或 ものが 〈統覚 の統一の相関者 〉として語 られる場. そ の認識 が問題 にされ る ことは ないので あ る。 それ は. 合 と事柄的 には消極的な意味でのノウメノンとして語. む しろ次 の よ うな超越論 的な問 と関 わ っていたので あ. られる場合があ って,前 者 の観点 のみが第二版 での改. る。. 訂 の対象 にされてい る。 たとえば感性論 で も次の よう な場面で述べ られるものは第二版 で も残 されてい るの. 「われわれは もちろん,そ れ を意識 して い る限 り,す べ ての ものを, しか も各表象 です ら客観 と名. である。. づ け ることがで きる。 しか し,現 象 が (表 象 と し 「われわれが この経験的なもの一般 をとりあげ. ,. て)諸 客観 である限 りでな く,単 に一つの客観 を示. それ とすべ ての人 間的感官 との一致 に注意すること. す限 りにおいて,現 象 に際 して,こ の客観 とい う言. な く,こ の経験的なもの一般 が対象 自体 を……表象. 葉 が何 を意味すべ きであるか は,一 層深 い研究 を要. す るか どうかを問 うな ら,表 象 と対象 との関係 につ. す る。現象が単 に表象 としてのみ 同時 に意識の対 象. いてのその問いは超越論的である。そ うしてこの雨. である限 り,現 象 は覚知か ら,す なわち構想力 の総 合 の うちへ取 り入れる ことか らまった く区別 されな. 滴 が単 なる表象 であるのみならず雨滴 の丸い形態. ,. いや さらに雨滴 がその うちで落下す る空 間も,な ん. い。……た とえ現象が物それ自体でない に しろ,や. らそれ 自体 で存在す るものでな くむ しろわれわれの. は りわれわれの認識 に与 えられ うる唯一の ものであ. 感性的直観 の単 なる変様あ るいはその根本形状 であ. るか ら,こ の多様 なものの表象 は覚知 においていつ. る。 しか し超越論的な客観 はわれわれに知 られない. も継時的であるにもかかわらず,わ た しは現象 自身. ままである。 」 (A45-46,B63)。. における多様 に対 し,時 間 において どのような結合 が帰せ られるかを示 さなければならない。それでた. これはカン トが天気雨の例 を取 り,虹 を経験的な意. とえば,わ た しの前 に立ってい る家 とい う現象 にお. 味 の現象 ,雨 を対象 自体 と区別 した後 ,さ らに超越論. ける多様 なものの覚知 は継時的であ る。そ こでこの. 的な対象概念 について語 ろ うとす るものである。 ここ. 家 自身の多様 がそれ自身 において継時的であるか ど. では経験的 な意味 での対象 自体が超越論的な意味 で現. うか とい う問題 が生 じる。 もちろん誰 もこのことを. 象 とみなされ,感 官 を通 して与 えられた経験的なもの. 肯定 しないであろう。 しか し今 わた しが,わ た しの. が一般 に対象 自体 を表象す るか どうかが問 われるので. 対象 の概念 を超越論的な意味 にまで高 めるや否や. ある。そ して経験的な対象 自体 の本質構造 をなす空 間. その家 はいかなる物それ 自体 で もな く,む しろ,単. は単 なるわれわれの感性的直観 の形式 であ り,超 越論. にひとつの現象 ,す なわち,そ の超越論的対象が知. 的対象 はわれわれに知 られない ままであ る とい われ. られてい ない表象 に過 ぎない もの となる。そ れで. る。空間は或 るもの一般 と感官 の関係 を表象す るが. は,現 象 自身 (現 象 は しか しそれ自身 においては何. ,. ,. 物 自体 には及 ばない とい う感性 の越権 を制限す る場面. もので もない)に おける多様 なものはどのように結. との関係 で超越論的対象が述べ られてい るのである。. 合 されてい るであろ うか ?と い う問い をわた しはど. こうした場面 では,「 現象 は常 に二 つ の側面 を持 つ 。. の ように解 してい るのであろうか。 ここでは,継 時. 一面 では客観 がそれ 自身で考察 され. の場合 は客観. 的な覚知 の うち に存す る ものは表象 とみ な され る. を直観す る形式が度外視 され,そ れゆえに客観 の性質. が, しか し,わ た しに与えられてい る現象 は,こ の. はあ くまで問題 として残 る),他 面 では,こ の対象 を. 諸表象 の総括以 上の何 もので もない に もかかわ ら. 直観す る形式が注 目される。 この形式 は対象それ 自身 の うちではな く,そ の対象がそれに対 して現象す るよ. ず,表 象 の対象 とみなされ,こ の対象 とわた しが覚 知 の表象 か ら引 き出すわた しの概念 とが合致すべ き. うな主観 の うちに求 め られなければな らないの で あ. であるとされる。 ただちにわかる ことは,認 識 と客. る」 (A38,B55)と いわれる場合 に明 らかなように. 観 との一致が真理 であるか ら,こ こでは経験的真理. (こ. ,.
(6) 甲南女子大学研究紀要第 43号. 人間科学編 (2007年 3月. ). の形式 的 な諸制約 のみが 問 われて い るのであ る。 だ. じめる ことがで きる し,超 越論的客観がすべ ての経験. か ら,覚 知 の表象 と対立 関係 にあ る現象 が ,覚 知 の. に先立 ってそれ自体 で与 えられてい るとい うことがで. 諸表象か ら区別 され た表象 の対 象 として表象 され う. きる」 (A494,B522-523)と 語 るが ,単 なる関係点. るの は,そ の現 象 をあ らゆる他 の覚知 か ら区別 し. ではな く,経 験 の外部 のそれ自体 としての対象 の存在. 多様 な ものの結 合 の あ る様式 を必然的 な ら しめて い. が語 られることによって,可 能的経験 の全体が また理. るひ とつ の規則 にその現 象 が従 う ときにお い てのみ. 念 として語 りうる ことになる。 しか しこの 自体的なも. であ る。現 象 にお い て覚知 の この よ うな必然 的規則. のが常 に物 自体 として しか語れないか どうかは別 の問. の 制約 を含 む ところの ものが 客観 で あ る。」 (A190. 題である。経験 の可能性 の制約 を析出 しつつあの同一. -191,B235-236). 性 の原理 を示す とい う経験 の内側か らする認識 の限界. ,. 設定 の試 みか らすれば,む しろ こうした対象 を絶対 の 家 の覚知 にお い て 家 の表象 が次 々 と継時的 に意識 さ. 地 としての世界地平 と解釈す るほ うが妥当のように思. れるか らとい って ,わ れわれは家そ の ものが 継時的 で. う。 ただ しその場合には弁証論で語 られる超越論的問. ある とは考 えない。 われわれは家 とい う概念 に対応す. 題 についてはカン トとは別様 の仕方 で語 らな くてはな. る或 もの を知 覚す る とき,わ れわれ は継起 とい う表象. らな くなる可能性が出て くるであろう。. を家の覚知 に とって必然 的 な もの と して表象 しな いの で あ る。 もちろん ここで は家が生起す る ものか どうか とい う実際 の判定 が問題 なので はない。 ここでの 問題 は,現 象 の 多様 な もの を統覚 の統 一 に したが って経験 (経 験 の対 象 )と して読 む悟性 の 思惟 作 用 (客 観 定 立. 作用 )と それ をア 0プ リオ リに制 約 して い る規則 ,つ ま り 〈経験 的真理 の形式 的諸制約 〉であ る。 カ ン トの. 付記 『純粋理性批判』 につ い て は1貫 例 に従 い ,第 一 版 を A,第 二 版 を Bと 略 してそ の 原版 の 頁 を示 す こ とにす る。 また カ ン トの そ の他 の著作 か らの引用 はアカデ ミー版 sammelte Schri■. ,. (Kants Ge―. en,Akademie Ausgabe)に よった 。 ア カデ ミ. ー版 か らの引 用 に つ い て は ,そ の 巻 数 と頁 数 の み を以 って 示す こ とにす る。. 演繹論 の議論 は この よ うな形式 的 な諸制約 を析 出 しよ う とす る もので あ り,現 象 が対象 (超 越論 的対 象 )に. )王. 1)A92,B125;B72.. 関係付 け られ思惟 され る こ とは,結 局表象 の結 合 に よ. 2)A92,B124-125。. つて諸表 象 に与 え られ る こ とになる「新 しい性 質」. 3)Prauss,G.: Erscheinung bei Kanto Einc Problem der“. ,. つ ま り「 こころの状態 の規定 と して の表象 に固有 な主 観 的意義」以上 の「客観 的意義」 (A197,B242)の 獲 得 の 問題 と して考察 され る。そ うす る と超越論 的対象. tik der reinen Vernunft", Berlin 1971。. S。. Kri―. 13.. 4)Kaulbach,F.: Philosophic als Wissenschaft.Eine Anlei― tung zum Studium von Kants Kritik der reinen Vernunft in Vorlesungen.「Iildesheiln,. 1981。. S。. 84f。. は高 々す べ ての現象 の 関係点 と して ,同 じくすべ ての. 5)A250-251.. 表象 の 関係点 と しての統覚 の統 一 の相 関者 と して使 用. 6)Hartmann,N.: Diesseits von ldcalisumus und Rcalisu―. され るのみの抽象的 ,一 般 的 な対 象 となる。 それ はハ ル トマ ンの指摘 した同一 性原理 を語 るため に導 入 され た に過 ぎな いの もので ,物 自体 を意 味 しな い の で あ る。第二 版 で こ う した対 象 の叙述が削 除 された の は カ ン トの超越論 的対象 に関す る叙述 の一 貫性 か ら見 る と. muso Kantstudien Bd.29, 1924。. 8)Cf.Paton,H.J。 : Kant's Metaphysic of Experienceo Vol l,London 1963,p.423f. Wolff,Ro P.: Kant's Tcory of Mental Activityo London. 1963,p.313f.. 評価 され る。 また カ ン トは弁証論 で 「 この超越論 的客. 9)A253.. 観 [受 容性 としての感性 に対応す る或 る もの]に 対 し. 10)香 川. て ,わ れわれの可 能 な知 覚 の全範 囲 と全 連 関 を帰属 せ. S. 193.. 7)Bd.Rr, S。 296-297.. 豊. :「 超 越 論. 人 間科 学 年 報. 第. 的 対 象 に つ い て 」一 甲南 女 子 大 学. 22号 1977..
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