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相関者としての超越論的対象と物自体

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Academic year: 2021

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(1)相 関者 と しての超越論 的対象 と物 自体 香. ││ り. 旦. Transcendenta1 0可 ect aS COrelate and Thing―. in― itself. KAGAWA Yutaka Abstract: Appearances,since they are ideas,are thus refered to `something'. This `something' is described as the transcendental o可 ect.In the Transccndental Dcduction,it can only be a coFelate to the unity of apper― ception.The otteCt tO Which l relate appearances is always the transcendental o可. eCto As Kant says,the tran―. scendental object in this sense,can not be separated fronl sensuous data, and then reduces it, so far as it can. be known, to thc necessary synthetic unity of the appearances themselveso But the very word `appearance' implies a reference to`something'in itself,that is,to an ottect independent of our sensibility.This at least leaves it an open question whether the transcendental o可 ect may not be a thing―. in―. itselfo We must make. clear to ourselves what we mean by the expression of`something' in itself.It is a problenn in this paper.. 『純粋 理性批判 』 にお い て超越論 的対 象 は必 ず しも 一義 的 に語 られて い な い よ うに思 う。. 力 の外 にあると考 えられる限 り,そ れは「或 もの一般 =X」 (A104)と して しか思惟 されえない対象 である. ここで は統覚 の統 一 の相 関者 とみ な され る超越 論 的. が, しか しそれが同時に,そ こにおいて認識が相互 に. 対 象 が はた して物 自体 とみ な され るか ど うか を中心. 合致 しなければならない対象 とみなされる限 り,「 わ. に,超 越論 的対象 の概念 を検討 した い 。. れわれの認識があてず っぽ うにあるい は任意 に規定 さ れる ことに逆 らい,む しろア・プリオリにある仕方で. I. 規定 されてい るようにするもの」 (A104)と みなされ てい ると述べ てい る。換言すれば認識 は「対象 につい. カン トは 『純粋理性批判』第一版 ・カテ ゴリーの超. ての概念 をなす ような統一」 (A105)を もたなけれ ば. 越論的演繹論 において認識 の対象 について次 の ように. ならないので ある。「 しか し明 らかな ことは,わ れわ. 語 っている。. れはわれわれの諸表象 の多様 なものにのみ関わ り,そ れ らの表象 に対応す るあの X(対 象 )は ,あ らゆる. 「いつたい諸表象 の対象 とい う表現 において何が. われわれの表象 とは区別 された ものである限 り,わ れ. 意味 されてい るのであろ うか。……・. われにとって何 もので もな く,そ の対象が必然的なら. 現象 自身は感性的表象以上の何 もので もない。感性. しめる統一は諸表象 の多様 なものの総合 における意識. 的な表象 はそれ自身では,ま さに感性的表象様式 に. の形式的統一以外 の何 もので もあ りえない。そ こでわ. おいては,対 象 (表 象力 の外 にある)と みなされて. れわれは言 う,わ れわれの直観 の多様 なものの うちに. はならない。人がその認識 に対応 した, したがって. 総合的統一 を生 じせ しめたとき,わ れわれは対象 を認. また認識 と区別 された対象 にいて語 るとき,い った い なにを意味するのであろうか。 」 (A104). 識す ると。 しか しこの統一は, もし直観が,そ の多様 な ものの再生 をア ・プ リオ リに必然的た ら しめ ,ま. カン トは,認 識がそれ との関係 で相互 に合致 しなけ. た,こ の多様 な ものがそ こで合一す るひとつの概念 を 可能にす るような,あ る規則 に従 った総合 の機能 によ. ればならない対象 を問題 にしなが ら,そ の対象が表象. って もた らされなか った らならば,不 可能 で あ る。 」.

(2) 大学研究紀要第 43号 ^人 間科学編 (2007年 3月 甲南女了。. ). (A105)わ れわれの直観 は神 的直観 とは異 なって ,そ. ア・プリオリな制約. れ 自身 で そ の 対 象 を現 存 在 に 関 して産 出 し得 な い の. われてい るのであ る。. (経 験 一般 の可能性 の制約 )が 問. で 1,或 る もの を対 象 と して認識 す る こ とを可 能 にす. ところでカン トはこれに続 いて,対 象 についての概. る ようなア ・ プ リオ リな規 定性 は,対 象 が 表象 を可能. 念 の統一の超越論的根拠 として統覚 の超越論的統一 に. の場 合 は 単 に経験 的 に,感 覚 に関 して. 言及 し,そ れは「ひとつの経験 において常 に共存 じう. 可能 であ る)で はな く,表 象 が 対 象 を可 能 になる場 合. るところのすべ ての可能な現象か ら,あ らゆる これ ら. にす る場 合. (こ. 2。. こ ぅ して カ ン. の表象 の法則 に従 った連関を作 り出す」 もので,「 現. トの場合 ,対 象 が 認識 との 関係 で必 然的 に要求す る認. 象 を必然的に再生的なものにするばか りでな く,こ れ. 識 の ア ・ プ リオ リな規 定性 は,感 性 的直観 の 多様 な も. によってまた現象の直観 に対象 を,つ まり諸現象がそ. の をひ とつ の対象 につい ての概念 をなす よ うに総合的. こにおいて必然的 に連 関付けられるような或 るものの. に統 一 す るあ る規則 に従 った総合 の普遍 的 な機能 と統. 概念 を規定す るような法則 に従 った,す べ ての現象 の. 覚 の形式 的統 一 へ と還元 されて い くこ とになる。. 総合の必然的な統一の意識」 (A108)で あると語 る。. にのみ可 能 であ る と考 え られて い る. そ うしてこの く諸現象がそ こにおいて必然的に関連付 「わ れ われが三 角形 を対象 と して思惟 す るの は. ,. けられるような或 るもの〉が対象一般 としては超越論. われわれが三本 の 直線 の合成 を,そ の よ うな直観が. 的対象であるといわれる。それ は「われわれによって. いつで もそれ に従 って描 き出 され る よ うな規則 に従. もはや直観 される ことのない,… …リト 経験的な対象」. って意識 す るこ とに よってで あ る。 ところで この規. (A109)で あ り,「 われわれのすべ ての認識 にお い て. 則 の統 一性 はあ らゆる多様 な もの を規 定 し,そ れ を. 実際常 に一様 である=X」 として しか表象 されない よ. 統覚 の統 一 を可 能 にす る よ うな制約 に制限す る。 こ. うな「純粋概念」 (A109)に 過 ぎないが, しか しそれ. の統 一の概念が ,私 が三 角形 とい う前述 の述語 に よ. は「われわれのすべ ての経験概念 一般 に対象 との 関. って思惟 す る対 象 =Xの 表象 であ る。」 (A105). 係 ,す なわち客観的実在性 を与 えうるもの」 (A109) なのである。そ うす るとプラウスの言 うように超越論. カ ン トは 『反省』 にお い て ,「 判 断 にお い て規 定 さ. 的対象 は「経験判断が一般 に真あ るい は偽 とな り,無. れ うる もの ,論 理 的 な主語 は 同時 に実 在 的 な客観 であ. 意味 となった りしないために,経 験判断 として関係 し. しか も「そ の 表 象 が述 語 の 多様性 の総 合的統 一. の根拠 を含 む よ うな判 断 の 主 語 が 客観 で あ る」 (6356,. なけれ│ゴ ならない ような文 寸象」 として「常 に 自発的か 〕 つ ア・プリオリにあ らか じめ企投 された」 対象 と解 し. Bd.Ⅷ ,S.696)と 語 るが ,統 覚 の総 合 的統 一 に よつ. うる ようである。 こうした対象 は「認識 の多様 なもの. て直観 の 多様 な ものが 対 象 の概念 をなす よ うな統 一 ヘ. において見出されなければならない ような統一以外 の. もた らされ る ことに よつて実在 的 な客観 となる ような. 何 ものに も関わらない」 (A109)の であ り,認 識 と超. Xと して語 られ てお り,或. 越論的な対象 との関係 は,諸 現象が経験 において統覚. ,す べ ての 判 断 にお い て主 語 概 念. の必然的統 一の諸制約 に従 う とい うことに他 な らな. り,」. 或 る ものが ここでの対 象 る もの一 般 =Xは. にな りうる よ うな或 る もので あ り,判 断 にお い て規 定. い。そ うする と現象の超越論的対象に対する関係 は. され る或 る もの とい う こ とか ら切 り離 されて ,単 なる. 経験 において現象 はすべ て統覚 の総合的統一の制約 に. 思惟 の対 象 と して一般 的 に語 られて い るので はな い。. 従 うとい う超越論的法則 の別様 の表現 とい うことにな. この対象 は何 か或 る もの以上 の何 もので もな い と して. り,超 越論的対 象 は経験 における対象性 の統 一 として. も,こ の或 る もの につい ての概念 がその或 る ものの 直 観 の総合的統 一の必然性 を示す限 り,現 象 の 多様 なの. 最終的 には統覚 の超越論的統一に解消 される ことにな る」。超越論的対象 についてわれわれの悟性 は何 も知. を通 して規定 され うる もの とみ な されてお り,現 象す. りえないのであ り,そ れはただ感性的直観 における多. る或 る もの とい う制 限が は ず され語 られ る こ とは な. 様 な ものの統 一のために「統覚 の統 一の相関者」 (A. X. ,. の 例 と して この 箇 所. 250)と して用 い ることがで きるのみである。 この超. では三 角形 や物 体 を と りあげてお り,個 別的 な対 象 と. 越論的対 象 は決 して感性的な与件 か ら切 り離 される こ. して規 定 され る或 る もの につい て語 っている よ うであ. とはない。なぜ なら,そ れ らが分離 されるなら,そ れ. るが ,そ れ はそ う した対 象 につ い ての概念 の統 一 を一. によって超越論的対象が思惟 されるであろうものが何. 般 的 に可能 にす る よ うな ア ・ プ リオ リな制約 を主題化. も残 らない か らである'。 こ う した超越論 的対 象 は. す るためであ り,個 別的 な対 象認識 に一 般 的 に関 わる. 「それ 自体 で認識 の対象 であるのではな く,む しろ対. い 。 も っ と もカ ン トは対 象.

(3) 香川. 豊 三相関者 としての超越論的対象 と物 自体. 象 一般 の概念 の もとに現 象 を表象 した もの に過 ぎな. になる8)。. い」 (A251)と いわれる。かつてハ ル トマ ンが指摘 し たように,『 純粋理性批判』 のカテ ゴ リーの超越論 的. 「現 象 にそれ 自体現 象 で な い或 る ものが対応 しな. 演繹論 は「経験一般 の可能性 の諸制約 は同時に経験 の. けれ ばな らな い とい う ことは,現 象 一般 の概念 か ら. 諸対象 の可能性 の諸制約 である」 とい う同一性 の原理. おの ず と生 じる ところであ る。 なぜ な ら,現 象 は そ. に導 かれてお り,「 すべ ての対象 の諸制約が同時 に経. れ 自身 だ けで は,ま たわれわれの表象様 式 を他 に し. 験 の諸制約 ではな く,む しろ逆 に,す べ ての経験 の諸. ては,何 もので もあ りえず , したが って絶 え ざる循. 制約が同時に対象 の諸制約 であるとい うに過 ぎない」. 環が生ずべ きで ない と した ら,現 象 とい う言葉 はす. ので ある。「かの諸制約 の 同一性 の限界 は同時 に対象 ° の認識可能性 の限界 である。 」. で に或 る ものへ の 関係 を示 して い る。そ の或 る もの. ではカ ン トは 『純粋理性批判』 の第一版 のカテ ゴ リ. この もの は,わ れわれ の感性 の こ う した性 質 (わ れ. ーの演繹論 でなぜ超越論的対象 を語 り,第 二版 ではそ. われの直観 の形式 がそれ に基 づ い て い る)が な くて. れを語 らないのであ ろ うか。おそ らく第一版演繹論 の. も,そ れ 自体 にお い て なお何 か或 る もの ,す なわち. それに続 く議論 の展開か ら見て,現 象 と対象 (超 越論 的対象)の 関係 は対象一般 の概念 としてのカテ ゴリー. 感性 か ら独 立 した対 象 で あ るに違 い な い 。」 (A251. の直接 的 な表 象 は もちろん感性 的 であるが , しか し. -252). によってア・プリオリに規定 されるもので,カ テ ゴ リ ー に従 った統覚 の総合的統一の働 きが 自然 の統一 (超. われわれの感性 的直観 は対象 の現存在 を前提 に して. 越論的親和性 )を 可能にする根拠であるとい うことを あ らか じめ述べ るためであった と考 えられる。 この よ. お り,現 象 はそれ に よって 自 らを告知す る 〈或 る もの へ の 関係 〉を示 して い る。 この或 る ものは 自体 的 に見. うに現象 と対象 の関係 を持 ち込みなが ら自然 の合法則. るな らば 〈感性 か ら独 立 した対 象 〉と して語 られ うる. 的連関における統一の ア・ プリオリな根拠 を求めると. よ うな もので あ り,こ の或 る もの をわれわれ は現象 と. い う第 一版 の議論 の方向 は,経 験 そ の もの とい う よ. して認識す る。超越論 的対象が 〈対 象 一般 の概念 の も. り,む しろ経験 の対象 としての物 の合法則性 のア・プ. とに現象 を表象 した もの に過 ぎない 〉といわれ るの は. リオリな認識の可能性 を問 うとい う側面 を前面 に出す. この感性 的 な もの に よって規定 され る とい う側面 か ら. ことにな り,カ ン ト自身が 『プロ レゴメナ』で述べ る. であ る。 しか しカ ン トは,わ れわれの意識 の外 にあ る. ように,経 験 の対象 としての 自然がその もとにおいて. 超越 的 な対 象 の存在 を,た とえそれが何 であ るかわれ. のみ可能になるア・プリオリな制約 を求めるとい うそ. われ に未知 な ものであ ろ う と,認 めて い る。 そ の よ う. の議論 の方向 は,カ ン トにおいてはすべ ての経験 の制. な或 る もの をわれわれは現象 として認識す る と語 るの. 約が同時に対象 の制約 であ り,そ の逆ではない とい う. であ る。 そ して現象 として対象 が経験 にお い て主題 化. ことが明確 に語 られてい るにもかかわらず,そ の対象. され る とともに議論 の背後 に隠れて しまい ,そ の対 象. 認識 の限界が誤解 され,あ たか も物 自体 としての 自然 を語 りうるかの ような思 い込みが生 じる恐 れがあるη. は 自体 的 に主題 化 され る ことは ないの で あ る。 われわ れがあ えてそれ を思惟 にお い て表象す るな ら,そ れ は. と考 えられたか らであろう。 こうした誤解 を受けない. 「或 る もの一般 につ い ての まった く未規定 な思想 」 あ. ため,第 二版 の演繹論 では統覚の統一の相関者 として. るい は「感性 的直観 一般 の対象 の概念 ,そ れゆ えす べ. 超越論的対象 を述べ ることをやめ,カ テ ゴリーはもっ. ての現象 に対 し一様 であ る よ うな概念」 (A253)に 過. ぱら経験 にお ける思惟 の可能性 の制約 として語 られる. ぎないの であ り,そ れ 自身 の認識 は語 られ ないので あ. ことになる。. る。第 二 版 で改訂 された第一版 の ノウメノ ンとフェノ. ところで表象 (現 象),そ の対象 (超 越論的対象),. メノ ンの 区別 をめ ぐる議論 で は,ノ ウメノ ンは あ くま. 表象 を対象 に関係付 ける統 一作用 (統 覚 の総合 的統. で 非感性 的直観 に対応 す る対 象 と して語 られ ,〈 或 る. 一)を 使 っての演繹論 の議論が,結 局経験 の可能性 の. もの 一 般 の まった く未規定 な思想 〉と しての超越論 的. 諸制約へ の問い に還元 されるのなら,超 越論的対象 は. 対 象 はヌ ー メノ ンと呼 ばれ えな い とい われ る. その自体的存在 とい う佃1面 を失 うことにな りそうであ. し第 二 版 で はそれ は消極 的 な意味 で あ るにせ よノウメ. る。 しか しそれは感性的与件 とは不可分 である として. ノ ンと して語 られ るこ とになるので あ る。. 9)。. しか. も,現 象 と同 じものではない とい うことか ら,分 析論. ところで筆者 は以 前 ,経 験 の可能性 の諸制約 を析 出. か ら弁証論 に至る過程 でまた別 の佃1面 が語 られること. す る こ とを通 して ,経 験 一般 の形式 を確定す るこ とに.

(4) 甲南女子大学研究紀要第 43号. ^. 人間科学編 (2007年 3月. ). よって ,い わば経験 の 内側 か ら認識 を限 界付 けん とす. と して思惟 され うる。第 一版 の カテ ゴ リーの演繹論 で. るカ ン トの試 み にお い ては ,超 越論 的対 象 は可能 的経. は感性 的 な与件 か ら決 して切 り離 され ない といわ れた. 験 の 地平 と して現 れ る もので ,そ れ は現 象 を図 と して. 超越論 的対 象 が ,こ こで はそれか ら切 り離 され ,純 粋. 浮 か び上が らせ る絶対 的 な地 と して の 世界地平 であ る と解釈 し得 る ことを示 したЮ。現 在 で も経験 の 内側 か. 悟性 の 固有 の対 象 と して問題 に されて い るのであ る。. らす る認識 の 限界設定 とい う視点 か ら見れば ,こ の解. 不可能 ともい えない ような或 る もの とい う「蓋然 的概. 釈 が有効 で あ る と思 ってい る。 しか しこの論考 で は. 念」 で あ るが , しか し「決 して感 官 の対象 と してで は. ,. ヌー メノンと して思惟 された超越論 的対 象 は可 能 とも. っぱ ら純粋悟性 に. 両版 の改訂 された部分 の超越論 的対 象 の取 り扱 いの違. な く,む しろ物 それ 自体 と して. い か ら超越 論 的 な対象概念 に迫 る こ とに した い。 そ う. よって )思 惟 され るべ きひ とつ の 物 とい う概 念 」 (A. す る こ とに よつて カ ン トが 第二 版 で残 そ う と して い る. 254,B310)で あ る。感性 的 な直観 が 決 して達 し得 な. 超越論 的 な対 象 の概念が明 らか になるであろ う。 それ. い この残余物 と して の ヌー メノ ンは,感 性 的直観 を物. は第 一 版 の カテ ゴ リー の演繹論 での議 論 と異 な って い. それ 自体 に まで拡 張 しない よ う に,「 感性 の 越権 を制. るのであ る。. 限す るため の 限 界概 念 」 (A255,B310-311)と して. (も. 使 用 され る。 ところで こ う した限界概念 と しての超越論 的対象 は. Ⅱ. 第 一版 で はパ ラ ロギ スムス にお い て述 べ られ る。 「統 覚 それ と共 に思惟 は ,表 象 の あ らゆ る可 能 な限 定 された順序 に先 行す る。 …… われわれは或 る もの一. 「経験 の 野 にお い て現 れ る課題 にお い て は ,わ れ. 般 を思惟 し,そ してそれ を一面 にお い て感性 的 に規定. われ はかの外 的 な現 象 を対 象 それ 自体 と して取 り扱. す るが , しか しなお 一 般 的 で抽 象的 に表象 された対象. い ,そ れ らの可能性 (現 象 と しての)の 第 一 の根拠. を,そ れ を直観す る仕方 か ら区別す る。 」(A289,B345. に心 を労す る こ とはない , しか し,わ れわれが 経験. -346)こ こ に感性 か ら独 立 した或 る ものが ,悟 性 の. の 限界 を超 え出 よ う とす る ときには,超 越論 的対 象. 固有 の対象 と して思惟 され る可 能性 が 開 かれ る。. の概念 は必然 的 となる。 」 (A393). 「われ われが あ る対 象 を直観 す る様 式 を,そ の 対. 第 一 版 で は経験 の 限界 を超 えた課題 に関 わる弁証論. 象 の性 質そ れ 自身 か ら区別 し,現 象 と して の それ ら. で 限界概念 と して の超越論 的対象が語 られてお り,そ. ェ ノメノ ン)と 名 づ ける場 合 に. れは現 象 の根拠 あ るい は原 因 と して述 べ られて い る。. は,次 の よ うな こ とがすで にわれわれ の考 え方 の 中. つ ま り経験 の外部 との 関係 で認識 の 限界が語 られて い. に存 して い る。 す なわ ちわれ わ れ は これ らの対 象. るのであ る。 これ は実際 には第 二 版 と同 じ消 極 的 な意. を,そ の 性 質 そ れ 自体 にお い て 直 観 しな い とは い. 味 での ノウメノンと して の対 象 と考 え られ る。第 一 版. え,そ の性 質そ れ 自体 か ら見て ,そ れ らの対 象 をあ. で語 られた く統覚 の統 一の相 関者 〉と して の超越論 的. の 感性体 にい わば対 立せ しめ るか ,あ るい は また. な対 象 に関す る記述 は第二 版 で 消 えて い くが ,消 極 的. の対 象 を感性 体. (フ. ,. われわれの感官 の客観 とは決 してな らない他 の可能. な意味 での ノウメノ ンとみ な され る超越 論 的 な対象 に. な諸物 を,単 に悟性 に よって思 惟 され る対 象 と して. 関す る記述 は第 二 版 で もそ の まま残 されて い く。 た と. 感性体 にい わば対 立 させ るか して ,そ れ らを悟性体. えば両版 の 中間 で書 かれた 『プ ロ レゴメ ナ』 で は,す. (ヌ. ー メノ ン)名 づ け る とい う こ とが で きる。」 (B. で にその傾 向 が 現 れて い る。. 306). 「実 際 われ われが 感官 の 諸対 象 を,正 当 に も,単 超 越 論 的対 象 が もはや 直 観 され な い 対 象 と して ,わ. なる現 象 とみ なす な ら,そ の こ とによつて 同時 に. ,. れ わ れ の 直 観 様 式 との 連 関 な しに で も悟 性 に よ つ て. 物 それ 自体 が現 象 の根底 に存す る ことを認 め る こ と. 「ひとつの物」 (B307)と して思惟 されるな ら,そ れ. になろ う。 むろんわれわれ は物 それ 自身が どの よ う. はヌーメノンとして思惟 されうるのであ り,わ れわれ. な性 質 で あ るか は知 らない 。知 ってい るの は単 に. に不可能な知性的直観 において与 えられるような対象. そ の現象 ,す なわち,わ れわれの感官 が この未知 な. を「積極的な意味でのヌーメノン」 とするなら,超 越. る或 る もの に よって触発 され る仕方 だ け で あ る。悟. 論的対象 は「消極的 な意味でのヌーメノン」 (B307). 性 は現 象 を承認す る ことに よって まさに物 それ 自体. ,.

(5) 香川. 豊 :相 関者 としての超越論的対象 と物 自体. 対象 としての或 もの を現象 と してか ,あ るい は対象 自. の現存在 をも認容す る。 」 (Bd.Ⅳ ,S.314-315). 体 と してか考察 されて い く場面 で ,対 象 自体 としてそ. 現象 の根底 にある 自体的なものの存在 を語 ることは. の性 質 が問題 にされ る或 る ものが超越論 的 な対 象 と し. カン トの一貫 した態度であるが,そ の或 ものを現象 と. て語 られて い るのであ り,物 自体 ,つ ま り経験 の外 部. して とらえるか,あ るいは物 自体 として とらえるか と. の対象 と して語 られて い る。 しか し統 覚 の統 一 の相 関. い うかたちで も議論 される。 この場合 に第一版 ではこ. 者 と しての超越論 的対象 は,経 験 の外部 の対象 と して. の或 ものが 〈統覚 の統一の相関者 〉として語 られる場. そ の認識 が問題 にされ る ことは ないので あ る。 それ は. 合 と事柄的 には消極的な意味でのノウメノンとして語. む しろ次 の よ うな超越論 的な問 と関 わ っていたので あ. られる場合があ って,前 者 の観点 のみが第二版 での改. る。. 訂 の対象 にされてい る。 たとえば感性論 で も次の よう な場面で述べ られるものは第二版 で も残 されてい るの. 「われわれは もちろん,そ れ を意識 して い る限 り,す べ ての ものを, しか も各表象 です ら客観 と名. である。. づ け ることがで きる。 しか し,現 象 が (表 象 と し 「われわれが この経験的なもの一般 をとりあげ. ,. て)諸 客観 である限 りでな く,単 に一つの客観 を示. それ とすべ ての人 間的感官 との一致 に注意すること. す限 りにおいて,現 象 に際 して,こ の客観 とい う言. な く,こ の経験的なもの一般 が対象 自体 を……表象. 葉 が何 を意味すべ きであるか は,一 層深 い研究 を要. す るか どうかを問 うな ら,表 象 と対象 との関係 につ. す る。現象が単 に表象 としてのみ 同時 に意識の対 象. いてのその問いは超越論的である。そ うしてこの雨. である限 り,現 象 は覚知か ら,す なわち構想力 の総 合 の うちへ取 り入れる ことか らまった く区別 されな. 滴 が単 なる表象 であるのみならず雨滴 の丸い形態. ,. いや さらに雨滴 がその うちで落下す る空 間も,な ん. い。……た とえ現象が物それ自体でない に しろ,や. らそれ 自体 で存在す るものでな くむ しろわれわれの. は りわれわれの認識 に与 えられ うる唯一の ものであ. 感性的直観 の単 なる変様あ るいはその根本形状 であ. るか ら,こ の多様 なものの表象 は覚知 においていつ. る。 しか し超越論的な客観 はわれわれに知 られない. も継時的であるにもかかわらず,わ た しは現象 自身. ままである。 」 (A45-46,B63)。. における多様 に対 し,時 間 において どのような結合 が帰せ られるかを示 さなければならない。それでた. これはカン トが天気雨の例 を取 り,虹 を経験的な意. とえば,わ た しの前 に立ってい る家 とい う現象 にお. 味 の現象 ,雨 を対象 自体 と区別 した後 ,さ らに超越論. ける多様 なものの覚知 は継時的であ る。そ こでこの. 的な対象概念 について語 ろ うとす るものである。 ここ. 家 自身の多様 がそれ自身 において継時的であるか ど. では経験的 な意味 での対象 自体が超越論的な意味 で現. うか とい う問題 が生 じる。 もちろん誰 もこのことを. 象 とみなされ,感 官 を通 して与 えられた経験的なもの. 肯定 しないであろう。 しか し今 わた しが,わ た しの. が一般 に対象 自体 を表象す るか どうかが問 われるので. 対象 の概念 を超越論的な意味 にまで高 めるや否や. ある。そ して経験的な対象 自体 の本質構造 をなす空 間. その家 はいかなる物それ 自体 で もな く,む しろ,単. は単 なるわれわれの感性的直観 の形式 であ り,超 越論. にひとつの現象 ,す なわち,そ の超越論的対象が知. 的対象 はわれわれに知 られない ままであ る とい われ. られてい ない表象 に過 ぎない もの となる。そ れで. る。空間は或 るもの一般 と感官 の関係 を表象す るが. は,現 象 自身 (現 象 は しか しそれ自身 においては何. ,. ,. 物 自体 には及 ばない とい う感性 の越権 を制限す る場面. もので もない)に おける多様 なものはどのように結. との関係 で超越論的対象が述べ られてい るのである。. 合 されてい るであろ うか ?と い う問い をわた しはど. こうした場面 では,「 現象 は常 に二 つ の側面 を持 つ 。. の ように解 してい るのであろうか。 ここでは,継 時. 一面 では客観 がそれ 自身で考察 され. の場合 は客観. 的な覚知 の うち に存す る ものは表象 とみ な され る. を直観す る形式が度外視 され,そ れゆえに客観 の性質. が, しか し,わ た しに与えられてい る現象 は,こ の. はあ くまで問題 として残 る),他 面 では,こ の対象 を. 諸表象 の総括以 上の何 もので もない に もかかわ ら. 直観す る形式が注 目される。 この形式 は対象それ 自身 の うちではな く,そ の対象がそれに対 して現象す るよ. ず,表 象 の対象 とみなされ,こ の対象 とわた しが覚 知 の表象 か ら引 き出すわた しの概念 とが合致すべ き. うな主観 の うちに求 め られなければな らないの で あ. であるとされる。 ただちにわかる ことは,認 識 と客. る」 (A38,B55)と いわれる場合 に明 らかなように. 観 との一致が真理 であるか ら,こ こでは経験的真理. (こ. ,.

(6) 甲南女子大学研究紀要第 43号. 人間科学編 (2007年 3月. ). の形式 的 な諸制約 のみが 問 われて い るのであ る。 だ. じめる ことがで きる し,超 越論的客観がすべ ての経験. か ら,覚 知 の表象 と対立 関係 にあ る現象 が ,覚 知 の. に先立 ってそれ自体 で与 えられてい るとい うことがで. 諸表象か ら区別 され た表象 の対 象 として表象 され う. きる」 (A494,B522-523)と 語 るが ,単 なる関係点. るの は,そ の現 象 をあ らゆる他 の覚知 か ら区別 し. ではな く,経 験 の外部 のそれ自体 としての対象 の存在. 多様 な ものの結 合 の あ る様式 を必然的 な ら しめて い. が語 られることによって,可 能的経験 の全体が また理. るひ とつ の規則 にその現 象 が従 う ときにお い てのみ. 念 として語 りうる ことになる。 しか しこの 自体的なも. であ る。現 象 にお い て覚知 の この よ うな必然 的規則. のが常 に物 自体 として しか語れないか どうかは別 の問. の 制約 を含 む ところの ものが 客観 で あ る。」 (A190. 題である。経験 の可能性 の制約 を析出 しつつあの同一. -191,B235-236). 性 の原理 を示す とい う経験 の内側か らする認識 の限界. ,. 設定 の試 みか らすれば,む しろ こうした対象 を絶対 の 家 の覚知 にお い て 家 の表象 が次 々 と継時的 に意識 さ. 地 としての世界地平 と解釈す るほ うが妥当のように思. れるか らとい って ,わ れわれは家そ の ものが 継時的 で. う。 ただ しその場合には弁証論で語 られる超越論的問. ある とは考 えない。 われわれは家 とい う概念 に対応す. 題 についてはカン トとは別様 の仕方 で語 らな くてはな. る或 もの を知 覚す る とき,わ れわれ は継起 とい う表象. らな くなる可能性が出て くるであろう。. を家の覚知 に とって必然 的 な もの と して表象 しな いの で あ る。 もちろん ここで は家が生起す る ものか どうか とい う実際 の判定 が問題 なので はない。 ここでの 問題 は,現 象 の 多様 な もの を統覚 の統 一 に したが って経験 (経 験 の対 象 )と して読 む悟性 の 思惟 作 用 (客 観 定 立. 作用 )と それ をア 0プ リオ リに制 約 して い る規則 ,つ ま り 〈経験 的真理 の形式 的諸制約 〉であ る。 カ ン トの. 付記 『純粋理性批判』 につ い て は1貫 例 に従 い ,第 一 版 を A,第 二 版 を Bと 略 してそ の 原版 の 頁 を示 す こ とにす る。 また カ ン トの そ の他 の著作 か らの引用 はアカデ ミー版 sammelte Schri■. ,. (Kants Ge―. en,Akademie Ausgabe)に よった 。 ア カデ ミ. ー版 か らの引 用 に つ い て は ,そ の 巻 数 と頁 数 の み を以 って 示す こ とにす る。. 演繹論 の議論 は この よ うな形式 的 な諸制約 を析 出 しよ う とす る もので あ り,現 象 が対象 (超 越論 的対 象 )に. )王. 1)A92,B125;B72.. 関係付 け られ思惟 され る こ とは,結 局表象 の結 合 に よ. 2)A92,B124-125。. つて諸表 象 に与 え られ る こ とになる「新 しい性 質」. 3)Prauss,G.: Erscheinung bei Kanto Einc Problem der“. ,. つ ま り「 こころの状態 の規定 と して の表象 に固有 な主 観 的意義」以上 の「客観 的意義」 (A197,B242)の 獲 得 の 問題 と して考察 され る。そ うす る と超越論 的対象. tik der reinen Vernunft", Berlin 1971。. S。. Kri―. 13.. 4)Kaulbach,F.: Philosophic als Wissenschaft.Eine Anlei― tung zum Studium von Kants Kritik der reinen Vernunft in Vorlesungen.「Iildesheiln,. 1981。. S。. 84f。. は高 々す べ ての現象 の 関係点 と して ,同 じくすべ ての. 5)A250-251.. 表象 の 関係点 と しての統覚 の統 一 の相 関者 と して使 用. 6)Hartmann,N.: Diesseits von ldcalisumus und Rcalisu―. され るのみの抽象的 ,一 般 的 な対 象 となる。 それ はハ ル トマ ンの指摘 した同一 性原理 を語 るため に導 入 され た に過 ぎな いの もので ,物 自体 を意 味 しな い の で あ る。第二 版 で こ う した対 象 の叙述が削 除 された の は カ ン トの超越論 的対象 に関す る叙述 の一 貫性 か ら見 る と. muso Kantstudien Bd.29, 1924。. 8)Cf.Paton,H.J。 : Kant's Metaphysic of Experienceo Vol l,London 1963,p.423f. Wolff,Ro P.: Kant's Tcory of Mental Activityo London. 1963,p.313f.. 評価 され る。 また カ ン トは弁証論 で 「 この超越論 的客. 9)A253.. 観 [受 容性 としての感性 に対応す る或 る もの]に 対 し. 10)香 川. て ,わ れわれの可 能 な知 覚 の全範 囲 と全 連 関 を帰属 せ. S. 193.. 7)Bd.Rr, S。 296-297.. 豊. :「 超 越 論. 人 間科 学 年 報. 第. 的 対 象 に つ い て 」一 甲南 女 子 大 学. 22号 1977..

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参照

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