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ハルトムート・フォン・ヘンティヒの教育思想とビーレフェルト実験学校の実践 : いかにして学校は経験としての学びを保障できるか

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(1)論文題目. ハルトムート・フォン・ヘンティヒの教育思想と ビーレフェルト実験学校の実践. 一いかにして学校は経験としての学びを保障できるか一 学校教育専攻 教育基礎コース 吉 岡 靖 人 1,問題の設定. 疎外されていると考えた。そして、「『経験の空. 近年のいわゆる〈学級崩壊〉やく授業崩壊〉. 間』としての学校」の構想によって、そのよう. などの教育課題に対し、現在の学校が現実に子. な表象に満ちた学校空間を組み換えていく契機. どもの学びを保障できているのかという問いが、. とし、子どもの学びを保障しようとした。. 社会全体から起こっている。. そもそも、近代学校が子どもの学びを、経. 本研究では、まず、現代における経験と学 びの変容、およびこれまでの教育思想における. 験から切り離された言葉や記号の世界に限定す. 経験への注目を検討する。そして、ヘンティヒ. る傾向を持つことは、古くから指摘されてきた。. の思想とビーレフェルト兜験学校の実践を明ら. しかし、これまでは家庭や地域社会の多様な関. かにし、その特徴を解明することを通じて、ど. 係の中で子どもたちは、リアルな生活者であり、. のようにして学校が経験としての学びを保障で. それゆえ豊かな生活経験を持つ存在であった。. きるかを考察する。. しかし、現代においては、高度な産業化、 消費生活化など、新しい社会状況の出現によっ て、そうした生活経験に代わってバーチャルな. 2,論文の構成 序章. 現代における経験と学びの変容. リアリティが、子どもの経験を構成するように. 第1節 学校での学びの現状. なってきた。. 第2節 子どもの経験の変容. 現代の学校が子どもの自己形成からますま. 第1章. 近代教育、思想における経験と学び. す遠ざかっているという状況下で、生き生きと. 第1節. 近代教育成立期. した「経験としての学び」は、どのようにすれ. 第2節. 新教育における経験と学び. ば可能になるのであろうか。そのような「経験. 第2章. ヘンティヒの学校論. としての学び」が支援される学校とは、いかな. 第1節. 「経験の空間」の意味するもの. るものなのだろうか。. 第2節. 「『経験の空間』としての学校」の特徴. こうした問題を解明するために、ドイツの 教育学者ハルトムート・フォン・ヘンティヒ (Hartmut von Hentig 1925∼)の思想と彼の. 構想に基づいて創設されたビーレフェルト実験 学校(die Bielefelder Laborschule)の実践. 第3章. ビーレフェルト実験学校の実践. 第1節 実験学校の概要と組織 第2節. カリキ・ユラム. 第3節 子どもの活動の評価 終章. ヘンティヒの思想と実践が示唆ずるもの. を分析する。. ヘン:ティヒは、これまでの学校では、常に. 3,研究の概要. パッケージ化された表象を通して実物を見るよ. 序章では、現在の学校において本来の学び. うに訓練され、実物そのものとのかかわりから. が成立せず、学校不信が高まっている現状とそ.

(2) の原因について検討した。. を準備するために、小さな共同体から徐々に分. その結果、国民共通教養といえるべきもの. 化された複合的共同体への経験を積み重ねるこ. が不明確になってきていることや、教育の私事. とができる、②自己の身体が自然とともに生. 化と社会の価値規範の流動化が学校の公共性を. きる、③違いを前提にしながら、生活する人々. 解体していることなど、教える制度としての近. の共同体における人間関係が経験できる、④. 代学校の正統性が、ポスト・モダン的傾向を強. 知識を行為や経験が前提となったものと捉える、. めてきた現代において、失われてきていること. ⑤社会に開かれている、の5つのコンセプト. が明らかとなった(第1節)。. を持ち、学びを個性的、具体的、社会的な実践. また、近代学校における学びの前提とされ. と捉えていることが明らかにされた(第2節)。. てきた子どもの生活経験が、①情報社会化に. 第3章では、ビーレフェルト実験学校の実. よって、間接経験が増大して「生」の存在感の. 践を明らかにし、その特質を考察した。そして、. 希薄化が促進されていること、②産業の高度. 実験学校が、①2,3学年をひとまとまりに4つ. 化によって、子どもが豊かな経験に満ちた暮ら. に区分した異年令によって構成される「段階」、. しや遊びの空間を失ったこと、③消費生活化. ②科目区分をやめ、人がどのように対象世界. によって、広告によって演出される社会的自己. を経験するかという観点で区分された6つの. という解釈コードを内面化して子どもの経験を. 「経験領域」、③「中核グループ」を中心とし. 構成していることが、示された(第2節)。. たプロジェクト、「集中時期」の設定など、行. 第1章では、これまでの教育思想における. 為と教授のバランスが工夫されたカリキュラム、. 「生活経験」への注目を概観した。生活経験と. ④子どもの学習行動の省察のための「学びの. 教育に関する考察は、アリストテレスの思想な. 過程の報告書」と実験学校を離干るときのみ発. どにも見られるが、フンボルトらのドイツの古. 行される「評点成績証明書」の使い分け、など. 典的陶冶理論において再び注目され、ペスタロ. の様々な方法で、「『経験の空間』としての学. ッチ、フレーベルなどの実践の土台となったこ. 校」を構成していることが明らかにされた。. とが示された(第1節)。さらに、ベンヤミン. 終章では、ヘンティヒの思想と実践が示唆. の「経験の貧困」概念とデューイの経験概念を. するものについて考察した。そして、①家庭. 検討し、現代における経験がメディア環境に深. や地域社会が、現代ではもはや子どもにとって. く支配され、生活経験と学びを結びつけること. 「経験の空間」たり得ない現状に対する危機感. が困難となっている現状を明らかにした。. は、20世紀初頭の新教育運動とは異なる経験. 第2章では、まず、ヘンティヒの「経験の. へのきわめて現代的なまなざしを有している、. 空間」という概念を分析した。その結果、ヘン. ②機能不全を起こした学校への不信に対して、. ティヒは、①学校に学びを回復するために、. 学びを社会的実践と捉えて教育の公共性を再構. 行為・個性・受苦性・全体陸と結びついた経験. 築しょうとする、③現在の学校実践の中から. に注目していること、②学校における知識の. 教師のイニシアティブによって改革の試みがな. 教授も、そもそもは経験・学びを誘発するもの. され、それについて開かれた議論を積み重ねて. として学校で扱われるべきものであったと捉え. いくことが現実的な改革のプロセスであると考. て否定せずに、今ある教育手段を捉え直して、. えている、の3点がこれらの示唆するものであ. 子どもが経験を獲得できるように学校を再構成. ると考えられた。. しようとしていること、が解明できた(第1節)。. さらにヘンティヒは、こうした学校を構成 するために、①複雑な現代社会を生きること. 主任指導教官. 杉尾. 宏. 指導教官 渡邊隆信.

(3) 1999年度学位論文. ハルトムート・フォン・ヘンティヒの教育思想と ビーレフェルト実験学校の実践 一いかにして学校は経験としての学びを保障できるか一. 兵庫教育大学大学院 学校教育研究科. 学校教育専攻 教育基礎コース. M980211吉岡靖人 1.

(4) 次. 目. はじめに 問題の所在___._.__.____.__.__.___.___....._... 本研究の概要______.__.__.__.__.. _._.... 注.______.___.___..______....___... 序章 第1節. _... _._8. 学校での学びの現状. 2 理論レベルの現代学校批判____. __ 3 学校存立基盤のゆらぎ_____._.._.. _9. ._... __.... .11. .._. .14. 子どもの経験の変容. 1 子どもの学びと経験._..____.____.. ...16. 2 情報化による子どものリアリティの変容.._.. ........ ..。....17. 3 産業の高度化による子どもの育ちの変化... __.. ._.19. 4 消費社会化による子どもの育ちの変化.... ..φ..... 注._ __.___.. 第1章 第1節. ..20. ..φ_. ....曹. _22. 近代教育思想における経験と学び 近代教育成立期. 1 経験と教育をめぐって一「生活経験」と 2. _7. 現代における経験と学びの変容. 1 ある学校の素描から_____._..__.. 第2節. _5. 「方法的に統制された経験」25 __..____.____.26. ノレソー.。.._...................◎_.......◎.....9.......... 3 ドイツの古典的陶冶理論..___...__._.... .______..___.___..28. 第2節 新教育における経験と学び 1 「経験の貧困」____._._.._____.. .._. ._... 2 デューイにおける経験______.___. ._.. ._. _.. _.. ...30. __.._.._. .......31. .33. 注_.... 第2章 ヘンティヒの学校論 第1節. 「経験の空間」の意味するもの. 1 ヘンティヒの略歴______。___._.. 2 ヘンティヒの考える現代学校の問題点と 2. _..34. 「経験」への注目.. ._35.

(5) 3 経験の定義_._____.___._.__._____._..___..___...__40. 4 経験としての学びと教授(教え)の関係__.____._..______42 5 経験と教授の接合への手段_._____._._____...__.____...45. 第2節. 「『経験の空間』としての学校」の特徴. 1 どのように経験を、カリキュラムに組織するか______....___.52 2 「『経験の空間』としての学校」の構成コンセプト____.__.._...54 注__.____.______....______..______.。_.__.___..__._58. 第3章. ビーレフェルト実験学校の実践. 第1節 実験学校の概要と組織 1 沿革._____._.______._.____._.___..___._____..64 2 指導組織_____._._____._..__.____..______...._.__65. 3 学校空間構成._____._.______._____.._.__.____.._66. 4 受け持ち教師の世話活動__.__.__.___.___..____..__.__69 5 おもな年間行事___.___.__.____.._._____._____._.70. 第2節 カリキュラム 1 段階___.___._._____.______._._.____.______73 2 経験領域___..___.._____._.____._._.____.__.___.76. 3 授業とカリキュラム____..__...______.._._____._.___82. 第3節 子どもの活動の評価 1 実験学校での評価の特徴_._.____.___._.__.____._._.__85 2 学びの過程の報告書___.___.___._.__.___.___.._.___86 3 評点成績証明書。___.___.____._._.__.____....______87 注.______.__..____.____._._。__.____.._____.._.___..87. 終章 ヘンティヒの思想と実践が示唆するもの______.______.__91 注_____._._____._._____._.._.._____..______..__._93 おわりに__.___._...______._._____...____.__._____._.._94. 引用・参考文献一覧______...__.__.__.______...._____._.__g7 謝辞____.__.______.____.__..一______._.____._..__.101. 3.

(6) 永遠とは、いついつまでも存在するというようなものではない。それは まさに、いま、ここにある。この地上であなたが他者と関わり合う、その 経験のなかにあるのです。一一ジョゼフ・キャンベル『神話の力』. 4.

(7) はじめに 問題の所在. 1980年以降、学校現場では、学校それ自体が成り立たないような事態が起 こってきた。多くの学校では、暴力・不登校・いじめなどいわゆる〈教育病理〉. 現象への対応に追われるとともに、忘れ物、授業中の私語、遅刻などが一般化 し、学校の本来の任務と考えられていた授業を、もはや授業として成立させる ことが困難となっていった。. 1990年代に入り、それまで最も機能を果たしていたと見られていた小学校 にまでいわゆる〈学級崩壊〉と呼ばれる現象が広がっていることが指摘される ようになった。この現象は、尾木直樹によれば「小学校において、授業中の立 ち歩きや私語、自己中心的な行動をとる児童によって、学級全体の授業が成立. しない現象」と言われるもので、特に小学校に入ったばかりの1年生が授業の 成立を妨げ〈学級崩壊〉を引き起こすなどということは、明治5年の「学制」 以来、日本教育史上初めての経験ではないかと指摘している(注1)。また、 中学校・高校でも、一部の学校の問題であった「荒れる教室」が常態化してい る。例えば、授業中に足を机に広げて漫画を読む、廊下で自転車に乗る、教師 に暴力を振るう、といったことが、特別にひどい学校でなくとも起こっている. と、ある新聞記者は報告している(注2)。筆者の勤める高校はいわゆる〈教 育困難校〉と呼ばれる教育課題の集中した高校だが、どんなに手篤く指導した. つもりでも、入学生徒の約3分の1が卒業できずに中途で退学していく。 こうした子どもたちと学校をめぐる現象が、一般的に知られるにつれ、社会 全体の大きな課題と捉えられるようにもなった。そうした課題の中で最も大き. なものの1つが、現在の学校が現実に子どもの自己形成を促すような学びを保 障できているのかという問いである。. こうした問いは、近代学校に対する一貫した批判の1つであった。つまり、 学校は、子どもの学びを、経験から切り離された言葉の世界に倭小化し、文脈 から切り離された記号の操作の熟達のみに限定する傾向を持つとするものであ った。そして教師は、子どもに言葉とその操作を一方的に詰め込む役割を果た してきた。ところが、近代学校がそうした性格のものでありながら、なぜこれ まで社会や人々にとってある一定の意味を持ち得たのだろうか。それは、現代 5.

(8) 以前の子どもは、家庭や地域社会の多様な関係性の中でリアルに生きる生活者 であり、それゆえ豊かな生活経験をすでに持つ存在であった。そして、そのこ とを前提として、学校では知的陶冶のみが重視できたからであった。. そうした学校批判をふまえて、近代における教育思想では、経験概念は、子 どもの自己形成において重要な位置を占める教育的価値のあるものと捉えられ てきた。すなわち、子どもはあらゆる生活場面を通じ、自己像を、また世界観 を構…成していく。そうした行為は、ものや人やあるいは自分の内面との様々な. 交流によって、自己と世界を認識し、意味づけていくものといってもよい。母 親との交流、家族との交流、友人との交流、見たこと、聞いたこと、さわった ものなど自分の周りのものとの交流すべてが、自己と世界を意味づけしていく 経験であろう。そして、これらの豊かな経験が、子どもたちにとっての自己形 成へとつながってゆくというものである。. にもかかわらず、近代学校は知的陶冶よりもむしろ個々の子どもの学力に応 じた人材配分の装置としての機能を強めていった。その結果、学校における学 習は、ますます子どもの経験から乖離し、学校という人工空間での制度化され た学習となっていった。またそうした中でも、子どもの経験を重視する学校が 構想されなくはなかったが、多くの場合それはあくまでも知的陶冶に奉仕する という観点でのみ経験が重視されるにすぎないものであった。. 特に現代においては、高度な産業化、都市化、社会生活の消費生活化という 新しい社会状況の出現により子どもの自己形成や経験のあり方が大きく変わっ てきたといえる。事物や人との直接的なかかわりの場は徐々に失われ、それら に代わって、マルチ・メディアによるバーチャルなリアリティが子どもの経験 となった。. このように、現代の学校が子どもの自己形成からますます遠ざかるという中. で、世界との関係の中での自己形成を可能にする学び一生き生きとした経験 としての学び一一は、一体どのようにすれば、可能になるのであろうか。その ような経験としての学びが支援される学校とはいかなるものか。いま、そのよ うな学校コンセプトが求められているのではないかと思われる。. 6.

(9) 本研究の概要. 現代社会において、こうした観点から、学びの意味を問い直し、学校の再 構築を目指した教育学者・実践家の一人として、ドイツのハルトムート・フォ ン・ヘンティヒ(Hartmut von Hentig 1925∼)がいる。彼は、ビルクレー ホフの田園教育舎で教師をした後、ゲッチンゲン大学の教育学講座に招かれ、. 1968年からビーレフェルト大学で教育学、哲学、心理学を含む学部新設とカ リキュラムづくりに取り組み、ビーレフェルト実験学校案を起草した。そして. それに基づき、1974年にビーレフェルト大学教育学部の研究施設であり、同 時にノルトライン・ヴェストファーレン州立の実験校でもあるビーレフェルト 実験学校(die Bielefblder Laborschule)を創設し、彼自身も長くここで実践 を重ねた。. ヘンティヒは、1970年代からのドイツの学校改革に関する論議の注目すべ き動向の一つとして起こった、学校を「経験の空間」として捉え直そうとする. 研究の先鞭を付けた人物である。彼は、これまでの学校では、つねにパッケー ジ化された表象をとおして実物を見るように訓練され、そこでは子どもが実物 そのものとの取り組みから疎外され、出来上がったモデルをあとからなぞるよ うな疑似体験しかできないと考えた。そして、「経験の空間としての学校」の 構想がそのような表象に満ちた学校空間を組み換えていく契機となり、子ども の学びを保障するものであると主張した。. 彼のこうした構想にしたがってビーレフェルト実験学校は、ドイツにおける. 就学前教育段階から初等段階を経て中等前期段階までの0年生から10年生ま での児童・生徒たちを受け入れ、学習編成原理として「経験領域」を設定して、 児童・生徒の経験を重視した教育実践を展開しているのである。. 彼には相当数の著作・論文があるが、日本ではわずかに高橋勝が1980年代 半ばまでのヘンティヒの学校論を理論的に検討したほかは、彼についての研究. はほとんどなく、特に90年代のヘンティヒの学校論の深化、ビーレフェルト 実験学校での実践全般の研究はごく簡単に紹介したものを除けば、皆無である といえよう(注3)。. 本研究では、まず現代における学校での学びの状況と子どもの経験の現代 的変容について明らかにし(序章)、次に、近代における教育においてしばし 7.

(10) ば問われてきた経験と学びについての考察を通して、これらとヘンティヒの連. 続・非連続を示す(第1章)。さらに、ヘンティヒのいう「経験空間としての 学校」論の内容・思想を分析することにより、ヘンティヒが経験の場としての 学校と子どもの自己形成につながる学びをいかなるものと考えているかを解明. し(第2章)、つづいて、そうした考えが具体的にどのように、ビーレフェル ト実験学校の実践に反映しているかを検討する(第3章)。そして最後に、ヘ ンティヒの思想と実践が示唆するものを考察する(終章)。. 注 1. 尾木直樹「『学級崩壊』をどうみるか」 『世界』663号 1999年7月 岩 波書店 p。78・89。. 2. 毎日新聞 1998年5.月5日付 朝刊 「記者の目」参照。. 3. 高橋勝「『経験空間』としての学校をめぐる問題一ドイツにおける学校 改革の一つの試みとして一」『横浜国立大学教育紀要』32号,1992年、. は、筆者が見つけた唯一のまとまったヘンティヒの思想と実践の考察で ある。また、著書の一部でごく簡単に紹介したものは、栗山次郎『ドイ ツ自由学校事情』新評社 1995年やブリットナー,A./森田孝監訳『教 育改革 二〇世紀の衝撃』玉川大学出版部 1994年がある。. 8.

(11) 序章. 現代における経験と学びの変容. 第1節 学校での学びの現状 1 ある学校の素描から 筆者は、現在、高等学校に勤務する社会科教員である。筆者が高校教員とな. ってはや10余年が経過したが、この間の高校現場と高校生の変化は、激しい ものがあった。それはまた、学校を取り巻く日本社会の激しい変化と日本社会 を取り巻く世界の激しい変化を背景にしているといえる。筆者が出会った生徒 たちを思い返しながら、学校における学びの現状を整理する端緒としたい。. 1980年代半ば、筆者は大学を卒業し高校教員となった。最初に赴任した学 校は、生徒自身も父母も進学熱の高い伝統校であった。授業中は、立ち歩きや 私語をする者もなく、教材を研究すれば研究しただけ生徒たちが興味を深めて くれる実感があった。もちろん、大学進学をめぐって生徒たちは大きなプレッ シャーを受けていたが、生徒自治の活動もクラブ活動も熱心で、まさしく高校 生活を満喫している生徒が多いという印象であった。. しかし、彼らの勉強のあり方にも問題はあった。彼らは、特に3年生は、大 学受験科目のみひたすら勉強し、他の科目はまるで「勉強するのは損なこと」 と言わんがばかりに見向きもしなくなる。そして、受験科目以外の授業時間に、. 今受けている科目以外の勉強をするいわゆる〈内職〉を頻繁に繰り返すように なる。この〈内職〉には、例えば理科が受験教科でない生徒が、理科の授業中. に自分が受験する教科の勉強をするという単純なものだけではなく、英語の授 業中に授業を無視してわざわざ英単語を覚えるなど、筆者が首を傾げざるを得 ないようなものもあった。まさしく、受験という制度によって、生徒たちの学 びが、強力に別のものに変えられてしまっていることを感じた。. 7年後(1992年)、今度はいわゆる〈指導困難校〉と呼ばれる学校に転勤し た。ここは、高校という同じ校種かと思わざるを得ないほど、前勤務校とはす べてが異なっていた。ここでは、生徒たちの様子は大きく3種類に分けられる。. 1つ目は、授業にまじめに参加し、教師の指導通りに学校生活を送るタイプ である。〈教育困難校〉では、こうした生徒はまじめにやっていさえすれば、. 一定の評価を受けることができるので、それを励みに一生懸命、教師の指示に 9.

(12) 従おうとする。しかし、まったく受動的である。彼らはどちらかというと少数 派である。. 2つ目は、とりあえず学校に来て教室にいるが、勉強はできればやりたくな いと思っているタイプである。彼らは、父母から「高校だけは、卒業を」と言 われ、自分自身でも「それだけは何とかしたい」と考えている。それゆえ、学 校や授業に関しては、そのための最低限のことだけしかしないでおこうといっ た気分が彼らを支配している。筆者は、彼らが「つまらない」「おもんない(お. もしろくない)」というのを、よく耳にした。彼らの関心は、流行の服装や髪 型やアクセサリーであり、放課後の遊びであり、異性や芸能のうわさ話である。. 授業中も少し飽きてくると、私語が始まる。学校的な秩序と彼らの感性はいつ でもぶつかっているように見える。しかし、とりあえず「高校生」という自己 規定に安定を覚え、高校生であろうとしている。筆者の実感によると、こうし たタイプが、こうした学校では最も多数派である。. 3つ目は、まったく学校のフォーマルな価値に反抗的、もしくはなじまない タイプである。サブ・カルチャーに興味を示し、頭髪を金色に染めたり、耳だ けでなく鼻や口にまでピアスを付けている者もいる。彼らは、理由は様々であ るが、遅刻、欠席を繰りかえすことが多く、たとえ登校しても、私語をしたり、. 立ち歩いたりして、授業には全く参加せず、一斉授業では、それを阻害する存 在である。そうでなければ、登校はするのだが1日中机で寝ている。彼らに、 「静かにせよ」「席に着け」といった教師の注意がなされるが、「なんでオレば. っかりにいうんや」「他のやつもしゃべっているやんか」と我が道を行く。そ うして、出席が不足するか、単位が修得できないかで、退学していく。. このような描写をしたのは、個々人の生徒にレッテルを貼るためではなく、 あくまでも共時的な生徒の様子を描写したかったからであることをことわって おきたい。!人の生徒が時間の経過とともに、他のタイプに変化していくこと ももちろんある。. こうした生徒たちとの出会いを振り返ってみると、筆者は、学校での学びが 現在どのような状況にあるかを考えざるを得なかった。3番目のタイプはもち ろんのこと、2番目のタイプの生徒たちも、学校において学びにはまったく参 加していないと言えよう。彼らが学校に来るのは、就職を保障してもらうため 10.

(13) であり、友人との会話のためであり、「高卒」資格の修得のためにすぎない。. 教師が授業にその精力の大半を割いている事実と生徒が学校に来る目的は、ま ったくすれ違っている。そういう意味で、学びは成立していない。. また、唯一学びが成立しているように見える1番目のタイプの生徒でさえ、 彼らの学びは、学校で教えられている知識からはみ出ることはない。彼らの考 える勉強は、教師から与えられるか教科書に書いてある知識の定着・訓練に他 ならない。こうした学びを学びと言えるのであろうか。 こうして、高校の現場では、「学ぶことは人間の類的本質である(注1)。」. と言われるような人問としての本来の学びは、どこにも成立していないと言え るかもしれない。そして、こうした学びをめぐる問題は、一定の知識を覚え、. それを試験によって判定され序列づけられるという一元的能力主義が、中学校 そして小学校にまで貫徹したといわれる今日、日本の学校すべてに共通の問題 と言えるだろう。. 現代の子どもたちの生活や生きている実感と学校での学習の乖離一一。こう した実態は、これまで様々に指摘されてきた。筆者の学校時代にも、こうした 受験をめぐる問題はあったし、勉強が知識の定着に過ぎないという批判も多か ったように思う。しかし、そうした中でも、学校は機能していた。. それでは、なぜ近年、学校での学びが成立しなくなり、学校の存立さえ揺る がすほどになってきたのだろうか。. 2 理論レベルの現代学校批判. こうした問いを解明する糸口として、まず、教育研究において1970年代か ら展開された現代学校批判論を確認しておきたい。. 奥寺康照は、現代の学校批判論を整理した論考の中で、近代学校成立以来さ. まざまな形をとってはいるが内容が一貫している学校批判と、1970年代以降 おもに社会学の研究から明らかにされていった学校批判とを分類した(注2)。. そして後者を、近代学校の原則とそれらの依って立つ基盤そのものに問題点を 見い出す点で、これまでの学校批判とは質を異にするきわめて現代的なもので あると指摘した。こうした現代的な学校批判を検討する。. まず第1に、教育機会の不平等さや教育内容における階級性という観点から 11.

(14) の批判が挙げられる。. すなわち、ブルデュー(Bourdieu, P.1930∼)らは、経済的な側面で教 育の機会均等を実現しても、学校がその社会の支配階層にとって正統とされる 文化を中心とするために、それに親和的な支配階層の子弟にとって、学校での 成績とそれに従った階層分化に有利であると指摘した。そして結局、学校は出 身階層文化によって不平等な存在であり、出身社会階層を再生産するものでし かないとした(注3)。. また、フーコー(Foucault, M.1926∼84)は、学校・病院・精神病院な どの施設は、本質的に「見る一一見られる」関係を前提としており、「正統な 知」の名の下に子ども・患者・精神病者を「見られるもの」として固定化し、 「見る」まなざしを身体化するよう規律訓練するイデオロギー機関に他ならな いとした。フーコーの言うこうした学校の機能に関連して、学校には明示的・. 意識的にカリキュラムとして提示されない「隠れたカリキュラム」(hidden curriculum)と呼ばれる作用が存在することが指摘されている。. それは、例えばこの作用の学問的な第1発見者とされるマンハイム (Mannheim, K.1893∼1947)によれば、①近代学校という制度そのもの が、少年期・青年期を「訓練されるべき依存期間」と考えさせ、彼らを「若僧」. にとどめること、②学校・学級の空間的・時間的・心理的な組織のあり方が同 年令だけの集団という特殊な集団を当たり前と考えさせ、「毎日の決まった出 席」「同じリズムで区切られた時間厳守の習性」「権威の受容」などを子どもた ちに受け入れさせること、などである(注4)。. 第2に、学習の本来の姿を疎外する学校的学習への批判がある。学習者にと って自分の必要や要求との結びつきがよく分かる生産や労働の中での学習に対 して、学校の学習の特徴は、学習者のその時々の必要と直接結びつくことがな. い。こうした中で学習者は、自分が必要だから学ぶのではなく、学ばなければ いけない制度になっているから学ぶのである。イリイチ(lllich,1.1926∼) は、もしかしたらまったく無用な学習であっても学校の学習の範囲に入ってい るなら価値があると見なす制度化された学校での学習を、現代の私たちは「本 物の学習」と考えるようになっており、学習の制度化=学校化を批判した。. 第3に、学校が子どもの人間としての主体形成に敵対するという角度からの 12.

(15) 批判がある。ルソー(Rousseau, J.J.1712∼78)などによる子どもの「自 然」に沿った普遍的な子どもの発達研究は、近代学校の学習のあり方に重要な 視点を提供していた。しかしながら、現実の子どもは、特定の社会、特定の時 代、特定の階層、民族、性に制約されると同時に、その特殊な位置からしか主 体性・自立性を確立し成長できない存在であるという視点が、そうした研究に は欠落してもいた。. 「普遍的な子ども一般」という概念に対する疑いは、萌芽的にペスタロッチ (Pestalozzi, J.H.1746∼1827)の思想に現れている。彼は、実生活と教 育の結合の重要性を強調し、それを子どもたちが学習を効果的に進めるための 方法の問題として重視しただけでなく、新しい知識を子どもたちが学ぶことを 願いつつ、そうした学習によって根無し草のような人間に成ることを強く警戒 した。しかし、その後の教育論では、子どもの社会性や歴史性、および生活を 単習泰材としでまか興味関心の起点としては注意を向けていたが、学習主体と しての子どもの実体については、結局自然的存在と捉えてきた。. こうしたペスタロッチの視点は、今日新たな広がりを持って、学校的学習の 批判に有力な論点を提供している。例えば、ウィリス(Willis, P.)は、学校. 的学習に反抗的な労働者階級の少年グループが持つ文化が、生徒・子どもの個 人的な気まぐれではなく階級文化というものに基礎を持つことを明らかにした (注5)。それゆえ、奥寺は、ウィリスの検討から敷待するなら、結局、子ど もたちは、反抗・対抗文化を基礎にした新たな学習観からしか、自立の展望を 考えることができないと述べている。. 第4に、意図的な教育そのものを否定するある意味で究極の学校批判である。. ミラー(Miller, A.1923∼)は、精神分析学者として、大人や子どもの問 題行動の起源が、幼いときの教育にあることをいくつもの事例から説明した(注. 6)。彼女は、目標を設定しそれに向けての方策を行なうといった、子どもが よい子になるように意図して仕組まれる一切の働きかけが、人間成長に及ぼす 害毒であるとした。. 奥寺が取り上げたこうした学校や学校での学びに対する諸批判は、私たちに、. これまで当たり前とされてきた学校観や学習観の見直しを迫っていると言えよ う。. 13.

(16) 3 学校存立基盤のゆらぎ. 続いて、学校での学びが成立しなくなり、学校が揺らいでいる原因の考察 において、学校での学習の前提である共通教養への疑念、および学校を取り巻 く社会の揺らぎという観点から、検討する。. 近代の国民皆学の義務学校制度は、19世紀にヨーロッパから拡大した国民 国家形成と産業革命による近代資本主義の拡大を契機に成立した(注7)。例 えば、日本において近代学校の出発を宣言した「被仰出書」(1872年)は、「邑 に不学の戸なく家に不学の人なからしめん事を期す」と理想社会の建設を掲げ、. 「身を立るの財本」である「学問」を普及する装置として学校の建設を掲げて いた。その理想はいまや達成され、日本は世界有数の経済大国となった。「身 を立る」学習の機会を全ての国民に開き、公教育制度以外にも多様な学校を氾 濫させて、世界で最も学校化された社会を実現している。全国に網の目のよう に張り巡らされた学校は、知識と人材を全国規模で統括することで国家アイデ ンティティの確立を促し、知識の普及と人材の移動により産業主義社会の形成 を促進し、さらにそれを利用する人々に未知の世界の見聞を開くなど個人のア イデンティティの形成にも貢献してきた。しかし、こうした学校制度を支えて いた社会は、今日、大きく変化している。. 佐藤学は、近代学校の存立基盤の変化を次のように指摘している(注8)。 まず学校は、もはや知識を占有し、普及する中心機関ではない。知識爆発、. 情報化社会、生涯学習社会の出現が、学校の地位を侵食している。かつて、学 校で教えられる知識は、子どもや父母が誰も知らないことであった。因習を克 服して近代的合理的生活をするための知識を、教師は独占していた。子どもは、. 知識を知れば知るほど、新しい世界に触れることができ、階層に関係なく立身 の道も開かれた。しかし現在では、小学生が学校で学ぶ知識の多くは、テレビ や本や雑誌、友人や親との会話ですでに知った知識であり、学校では、ほとん どそれらの学び直しをしているにすぎない。加えて、黒板と教師の語りという 学制発布以来基本的には変わらない方法で教えられる学校より、それ以外のメ. ディアの方がはるかに洗練された効果的な方法で、そうした知識を子どもたち に届けている。しかも、急激な社会変化の中で、それぞれの知識の安定度は失 14.

(17) われている。どの知識が将来も価値を有するかは、誰にも予測不可能な事態と なっている。こうして、知識を占有し「教える制度」として存在する学校のプ ライオリティ(優先権)は、次第にその正統性を失いっっある。. 次に、国家と個人のアイデンティティを形成する学校の機能も、社会構造 の変化と文化の多様性によって、その存立を不透明なものにしている。戦後の 学校は、戦前に見られたように国家アイデンティティの形成ではなく、個人の アイデンティティの形成を基本理念として出発した。しかし、こうした学校理 念が、現在では、受験競争に見られるような教育の私事化と市場化を促進して、. 公共性の解体を導いた。そしてさらに、個人主義のライフスタイルと文化的多 様性を背景として、学校はむしろ、個性の形成を阻むものであると批判されて いる。学校は、何らかの規範に支えられて成立する制度であるので、こうした. 社会全体のコミュニティの解体と価値規範の流動は、学校の規範の擁護を困難 にしていった。. 佐藤の描いたこうした構図で学校と学びの危機を問うならば、生起する個々 の問題を対処療法的な方法で解決することは、問題をさらに複雑にするだけに. 終わる場合もあるだろう。学校や学びを問う議論は、全体的な構造として理解 する必要があり、その背景にある近代社会を批判的に検討するとともに、これ まで自明としてきた「学び」の概念を問い直すことを含まざるを得ないと思わ れる。. 15.

(18) 第2節子どもの経験の変容 1 子どもの学びと経験. 前節では、子どもの自己形成につながるような本来の学びが成立していな い学校の現状を、まず明らかにした。続いて、科学的知識の啓蒙と国民意識の 普及という役割を負った近代学校の正統性が社会全体のコミュニティの解体と 価値意識の多様化・流動化によって、もはや学校存立を危うくするほど揺らい でいることが、そうした現象の背景にあることを述べた。. さらに、本節では、子どもの自己形成につながる学びが成立しない要因と して、学びの前提とされてきた子ども自身の生活経験が、現代社会の情報化、. 産業化、都市化、消費生活化などにより大きく変容している状況を検討する。. 近代学校は、今目まで知識の啓蒙と国民意識の普及を通して、子どもたち の教育を中心的に担ってきた。学校で教えられる知識とは、子どもたちや親が 地域共同体や労働や伝統の中で、直接的に物事にかかわって培ってきた経験的 な知ではなく、個別状況から切り離された普遍的・一般的な科学の体系の中の. 知であり、記号によって表象化された知であった。こうした科学の知は、生活 や個人的経験の文脈から切り離されているが故に、どんな場合にも応用が可能 で、科学技術の発展や、それぞれ異なった伝統をもつ共同体から離れた人々で. 構成される都市生活の規範形成には不可欠のものであった。学校は、こうした 知識の教授を通じて、「合理的思考」という新しい概念とそれによってかいま 見える「未経験の世界」を子どもたちや父母に提示できた。また、学校で教え られる知識を学ぶことが、子どもたちに将来の経済的安定と発展を保障するこ とであった。. しかし逆に、個人的経験の文脈から切り離されているこうした知識は、子 どもたちにとってはまったく実感のないものである。ただ、学校で教えられる 知識がこうした性格を持っていたとしても、高度経済成長期までの子どもたち は生活者として豊かな生活経験をすでに持つ存在であった。事実、その頃の子 どもたちは、水くみ、農繁期の手伝い、家畜の餌やりなど、家族の暮らしと労. 働に不可欠な一人前の存在であった。また同時に、豊かな人間形成的なかかわ りを持つ地域共同体や子どもたち同士の仲間集団が、学校とは独立して生き生 16.

(19) きと機能していた。だからこそ、こうした子どもたちが持つ自然、事物、人と のかかわりの直接的な経験を前提として、学校で教えられる知識を個人的経験 の文脈に結び直したり、経験を客観化し、批判し、生活を改善する力とするこ とができた。. こうして、知的陶冶のみを学校の任務とすることが可能なのであったが、 その前提と言える子どもの経験は、高度経済成長期の社会や生活の大変動にと もなって、どのように変容していったのだろうか。. 現代という時代を生きる子どもの経験の変容を、①情報化による子どものリ アリティの変容、②産業の高度化による子どもの育ちの変化、③消費社会化に よる子どもの育ちの変化の3つの点から検討する。. 2 情報化による子どものリアリティの変容. 子どもの経験の変容を捉える第1の点は、情報化社会である。情報化社会 とは、メディアの発達により情報が大量に流通し、特に情報を飛躍的に大量に 処理することができるコンピュータの発達によって、社会全体がシステム化さ れて情報が大きな価値を持つようになった社会のことである。こうした社会は、 子どもにどのような経験を与えるのだろうか。 高橋勝は、情報化社会と経験の関係について次のように言う。 「子どもは、遊び場などの喪失によって行動の上で制約を受けると同時に、. 意識の上でも情報というフィルターを通してしか現実とかかわれない傾向 が強くなってくる。. 現に、私たち自身、朝起きて、その日の空模様の自分の目で『確かめる』. かわりに、テレビのスイッチを押して、天気予報を『見る』。…中略…か つて、漁師や農民が経験的に身につけてきたであろう空模様を判断する力 に比べれば、私たちは、ほとんど幼児に等しい目しか持ち合わせていない。 ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. へ. 高度情報社会とは、諸個人の試行錯誤的な『経験』を省力化してくれる便 ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. へ. 利な社会であると同時に、自己の五感の力を鍛えていく場をますます失わ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. へ. せていく社会でもあることに、私たちはあまり気づいていない(注9)。」. さらに、高橋は、経験の貧困化が指摘され始めた1970年代を一つの分岐点 として、この前後の経験の質と情報量の違いを描くと図1のようになるという。 17.

(20) 図1 1970年代以前と以降の経験の質と情報量の違い(注10). 1970年代以前 直接経験. 1970年代以降 間接経験. 「かかわり」(直接経験)中心. 「見る」(間接経験)中心 ※円の大きさは情報量を示す。. 70年代以前の経験は、全体の情報量は少ないが、しかし知っていることの かなりの部分は、直接経験に基づいている。また間接経験の多くは、活字メデ ィアからのものである。この場合、メディアを読みとるコードは、直接経験の 世界に十分依存することができる。. これに対して、70年代以降のそれは、情報量ははるかに増大するが、逆に 直接経験で知り得たものは、きわめて限られた範囲に縮小していく。しかも、 間接経験のかなりの部分は映像メディアによるものであり、活字の影響力は低 下する。私たちは、現在、地球的規模で多くの情報を得ているが、そのほとん どは間接経験(とりわけ映像メディア)によるものなのである。. 高橋はこうした考察をふまえ、直接経験が中心をなす社会では、個人が生き ヘ. ヘ. へ. てきた生活史(傍点高橋)、つまりどのような生活環境の中で、どのような自. 然、事物、他者とのかかわりを経てきたかが、その個人の「生」の土台を形作 ると指摘する。そして、間接経験(とりわけ受動一方のメディア的経験)がは るかに大きな比率を占める世界では、経験は、能動・受動という拮抗作用を欠. いているために、単なる情報として断片化され、こうした個人の「生」の基底 を支えるものにはなりにくいと、指摘するのである(注11)。こうした間接経. 験は、受け取り手の実存的な思考や「生」のありようとは関係なく、次々と消 費されていく。こうして、情報化社会では、「生」の存在感の希薄化と漂流化 18.

(21) が促進される。. 現在のこうした情報化祉会では、メディア技術とコンピュータの発達により、. ほとんど実際の事物や他者にかかわることなく、生活し、コミュニケーション することが可能となった。世界中に張り巡らされた電子的コミュニケーション のネットワークは、距離、時間、他者の存在などあらゆる物理的状況から離れ て存在している。ポケベル、携帯電話、電子メール、体感ゲーム機などの新し いメディアを使って、子どもたちは、それまでに想像もしなかった電子的共同 体を構成し、経験を構成しているのである(注12)。そうして、「現実」が「イ. メージ」と「経験」を構成するのでなく、「イメージ」によって「現実」が構 成される「バーチャル・リアリティ」が、現代の子どもたちの経験となりつつ あるのである。. 3 産業の高度化による子どもの育ちの変化. 次に、戦後の高度経済成長による伝統的な生活の大きな変化が、子どもた ちの生活や遊びに何をもたらし、子どもたちの育ちをどう変容させたかを検討 しよう。. まず、家庭の経済を支える職業が、農林水産業から鉱工業・サービス業へ と大きく変化した。その結果、子どもが親とともに担っていた労働から解放さ れた。それは、ある意味では解放であったが、同時に豊かな経験に満ちあふれ た労働の現場からの疎外でもあり、親の労働の苦労さえも目にすることができ なくなった。また、そうした産業構造の変化によって、多くの人が農村から都. 市へと移り住んだ。それとともに、3世代以上の大家族から夫婦と子どもを中 心とした核家族へと家族形態も変わった。自然のリズムの中で自然の恵みに浴 して展開されていた生活は、都市の機能化された生活となった。それまで家族 の機能であった医療、教育、福祉が、外部のサービスを消費することによって まかなわれるようになった。そうした中で子どもは、家族を構成する共同体の 一員である存在から、保護され、指導され、教育的まなざしを注がれる存在へ と変わっていった。さらに子どもは、経済成長を担うための「人的資源」とし て捉えられ、学校を中心とした能力開発の世界に囲い込まれていく。子どもは、. その人格の全体性よりも、システム化された社会のどこかに配分されるために 19.

(22) 「何ができるか」という能力に、自己評価の重点を持たされるようになってき た。. 子どもの遊びも大きく変わらざるを得なかった。高度経済成長以前、自然 の山や川や「原っぱ」が、子どもたちだけの特権的な世界であった。それは、. 大人のまなざしのない、また自然の神秘にあふれた空間で、子どもたちは様々 な経験をした。子どもたちは、自分たちで遊びを考え、ルールを決め、もめご との解決をし、体がくたくたになるまで遊んだ。. ところが、高度経済成長は、.こうした経済的に何の機能も果たさない遊ん だ空間を見逃してはおかない。こうした場所から子どもたちは徐々に駆逐され、. 子どもたちの遊びは変質していった。大人たちが商品として考え出し販売され た玩具を、あらかじめ決められた遊び方で遊ぶようになった。また、テレビ、 ファミコン、ラジカセなどが子どもの余暇の中心となっていった。そうした変 化の中で、子どもが遊びの中で出会った事物や他者との身体全体を使った豊か なかかわり合いは、大人やメディアが介在したものとなり、子どもはそうした 玩具や情報の消費者に過ぎない存在となっていった。. 4 消費社会化による子どもの育ちの変化. さらに、前述した産業化における子どもの育ちの変化に関連して、筆者が 重要だと考える点は、産業化とは逆の面から見れば消費社会化であることであ る。消費社会とは、あらゆる人を消費する主体とし、それまで金銭では提供さ れていなかったあらゆるモノやサービスを商品に変えて、そうした商品を消費 することで私たちの生活を成り立たせている社会であると言えるだろう。. あらゆる人を消費する主体とするということは、それまで消費者とは明確 に見なされていなかった子どももまた、「消費する主体」として企業によって 発見され、商品が開発されるということである。例えば、テレビ放送初期に子 どもたちに絶大な人気を博した「鉄腕アトム」や「狼少年ケン」、「鉄人28号」. などは、すべて大手菓子メーカーがスポンサーとなっていた。この事実は、子 ども独自の消費行動に対するマーケティング戦略として、こうしたマンガメデ ィアが利用されていたことを示している(注13)。すなわち、こうした資本主 義経済の文脈によって、伝統的な子どもの同輩集団文化が失われ、マスメディ 20.

(23) アがはるかに影響力をもって子どもの文化的世界を構成するようになったこと は、注意しておきたい。子どもたちや若者の消費を刺激し続け、さらにそれに 親さえも巻き込んでいこうとするマーケティング戦略は、現在では、はるかに 洗練された形で展開されている。その結果、子どもたちを取り巻く世界や文化 は、ほとんど大人が商品として提供したモノやサービスによって構成されてし まっている。. さらに、あらゆるモノやサービスが商品となる社会とは、商品が機能だけで はなく、記号(情報)として流通し消費される社会である。. 産業の高度な発展の末、あらゆる商品が大量かつ安価に生産されるように なって、企業は自社製品の独自性を宣伝し、市場をさらに広げる必要が出てき た。しかし、商品のその本来の機能や使用価値は、そう大して変わるものでは なく、それゆえ商晶の独自のデザインや商品に付与された象徴的意味を作り出 して、差別化が図られるようになった。こうした記号的価値の消費こそ、現代 的消費の本質であると分析を加えたのが、ボードリヤール(Baudrillard, J. 1929∼)である。彼は、次のように言う(注14)。 「(1)消費はもはや物の機能的な使用や所有ではない。. (2)消費はもはや個人や集団の単なる権威づけの機能ではない。. (3)消費はコミュニケーションと交換のシステムとして、絶えず発せら れ、受け取られ、再生される記号のコードとして、つまり言語活動と して定義される。」. すなわち、「シャネルのバッグ」は、物を入れるだけものではない。それは、. その所有者が女性で、洗練されたセンスを持ち、経済的にも裕福な存在である というイメージを喚起するカを持っている。すなわち、そうした現象が意味し ているのは、莫大な資本をかけた広告によって演出された社会的自己という解 釈コードを、多くの人が内面化しているということである(注15)。. こうした消費社会に生きる子どもも、例外ではあり得ない。逆に、子ども ゆえに、そうした解釈コードを容易に内面化してしまうのである。. 1980年代後半から爆発的ブームとなったファミコンは、完全に家庭の中に 入り込み、子どもたちの生活に深く影響を及ぼすようになった。ファミコンと いうハードが普及した最大の要因は、ゲームソフト、特に「スーパーマリオブ 21.

(24) ラザーズ」や「ドラゴンクエスト」に代表されるロール・プレイング・ゲーム の圧倒的な人気であった。ロール・プレイング・ゲームは同じソフトであって も、プレイヤーによって違う展開が待っている。しかし、こうしたことは、プ レーヤーの個別経験を意味しない。なぜなら、見かけ上は、プレーヤーの操作 によってゲームは違う展開を見せるのであるが、ゲームのすべての展開は、あ らかじめゲーム作家によってプログラム化されたものなのである。プレーヤー とゲームの見かけ上のインターラクティブな関係とあらかじめプログラム化さ れた膨大なシステムとが同時に存在できることが、こうしたコンピュータゲー ムの特徴なのである。その意味で、ロール・プレイング・ゲームとは、プレイ ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヤーが主人公となり、次々に冒険をしながらカをつけていく物語の消費にすぎ ないのである。さらに、子どもたちは、「バグ」や「裏技」と呼ばれるプログ ラムミスから世界のほころびを見つけようとする。ここでは、まさしくゲーム を構成する膨大なプログラムのシステムそのものを消費しているのである。こ うした記号や物語の消費は、もはやオリジナルや原作を必要としていない。例 えば、ディズニー・ランドで演出される自己(ファンタジーの中の自己)は、 もはやディズニーの童話など必要ではない(注16)。. こうして子どもたちに刷り込まれた感情表出の仕方やパフォーマンスが、 現実に対する解釈コードとして内面化され、現代の子どもの身体と感性を構成 していると考えられる。. 注. 1 よく知られているように、ボルトマン(Portman, A.1897∼1982)は、. 人間の新生児がその姿や行動においては著しく無能力で未成熟にもかかわ らず、実は、大脳皮質の発達に裏打ちされた潜在的可能性においては、何 よりも世界に開かれていることを明らかにした。この潜在可能性こそは、 他の動物と比べてすでに本能に組み込まれた行動を最小限に留めた人間が、. その代わりに手にした学習可能性であるといえる。ボルトマン/高木正孝. 訳『人間はどこまで動物か』 岩波新書1961年参照。 2 奥平康照「学校論の転換一一現代学校の揺らぎと可能性」 堀尾輝久・奥 平康照他編『講座学校1 学校とは何か』柏書房 1995年 p.17−60。 22.

(25) 3. ブルデュー,P.&パスロン, J.C./宮嶋喬訳『再生産』藤原書店 1991年。. 4. マンハイム,K./青井他訳『現代の診断』みすず書房 1954年。. 5. ウィリス,P./熊沢誠・山田潤訳『ハマータウンの野郎ども一一学校への 反抗 労働への順応』筑摩書房 1985年。. 6. ミラー,A./山下公子訳『魂の殺人一一親は子どもに何をしたか』新曜社 1983年。. 7. 例えば、様々な方言や法秩序に彩られた中世的地域性を克服して、国家共 通語(国語)や国家的法秩序などの文化的共通性を作り出す、いわゆる「国. 民」を形成することは、こうした国民国家や国民経済の形成には不可欠な ファクターである。 8. 佐藤学「学校を問うパースペクティブ」 『カリキュラムの批評一一公共 性の再構築へ』世織書房 1996年 p.119−145。. 9. 高橋勝『学校のパラダイム変換』川島書店 1997年 p.50。 傍点部は、 筆者による。. 前掲書 p.51より引用。 10高橋勝. 11吉見俊哉は、そもそも、メディアとは私たち自身の社会的身体の拡張であ ると言う。例えば、マクルーハン(Mc:Luhan, M.1911∼80)は、活版 印刷術の登場によって、五感が織りなす感覚の複合を、「経験を連続体と して線形に把握していく」という視覚による経験の均質化が背後に押しや っていったことを明らかにした。また、オング(Ong, W)は、口承的な メディアである「声としてのことば」から、書記的なメディアである「文 字としてのことば」への移行は、表現手段の変化というだけでなく、常套 句を組み立てることで成り立つ人々の力動的思考を解体し、ことばを視覚 的記号として構成することによって分析的、論理的、脱状況的な新しい思 考を可能にしたと指摘した。こうした考察の示すところは、メディアの変 容は、私たちが世界を思考する身体技術の変容であることである。吉見俊. 哉「電子メディアとリアリティ変容」森田尚人他編『教育学年報5教 育と市場』世織書房 1996年 p.285−308参照。. 12余談であろうが、昨年、伝言ダイヤルで知り合った男性から、やせる薬と だまされて睡眠薬を飲まされた女性が、暴行されそのまま遺棄されたこと 23.

(26) により凍死するという事件が起こった。この事件に関して、「伝言ダイヤ. ルなどで知り合い1,2度しか会ったことがない人間を、どうしてそうも 簡単に信用してしまうのか。」というある人のコメントが、新聞に寄せら れていた。ところが、被害者の行動を疑問視するこうした意見に対してあ る若者が、「伝言ダイヤルや電子メールで知り合った人こそ、適当な距離 を持ってつきあえる仲の良い友人である。」と述べているのを、筆者は、. 驚きを持って聞いた経験があった。子どもや若者たちが、そうした電子的 共同体の中にこそ友人を見いだしている事実は、子どもや若者のかかわる 世界が、そうした共同体の中でも大きく広がりつつあることを示唆してい るように思われる。 13斉藤次郎『子どもたちの現在』風媒社 1975年 p.30,31。. 14ボードリヤール,J./今村仁司・君塚史訳『消費社会の神話と構造』紀伊 國屋書店 1995年 p.121。. 15吉見俊哉は、人々が、広告との接触によって、消費を通じて広告が演出し てみせる物語の登場人物となって自らの経験を構成するようになっていく. ようになったと指摘している。さらに彼は、広告に見られるようなこうし た擬似的な経験を通して我々が世界を感受するようになると、世界の輪郭 そのものがきわめて不明瞭となってくると言う。(吉見俊哉・水越伸『メ ディア論』放送大学教育振興会 1997年 p.166・168). 16吉見俊哉「メディア環境の中の子ども文化」 佐伯腓・藤田英典・佐藤学. 編『シリーズ学びと文化4 共生する社会』東京大学出版会 1995年 p.1−34参照。. 24.

(27) 第1章 近代教育思想における経験と学び 第1節近代教育成立期 1 経験と教育をめぐって一「生活経験」と「方法的に統制された経験」 「教育」を省察するときに、「経験」を度外視することはできない。なぜな ら、「教育」が被教育者の学びを促進しようとする意図的行為であり、促進さ れるべき学びとは、「経験」を欠いて成立しないからである。. しかし、そうした構図で語られる「経験」とは、そもそもどういう内実を 持った言葉なのであろうか。どういう「経験」の下に、教育的価値が見いだせ るのであろうか。このような問いを抱きながら、経験と教育をめぐって歴史上. 展開された教育思想を、今井康雄の論考(注1)をたどりながら振り返ってお きたい。. 哲学的「経験」概念の出発点となったアリストテレス(Aris七〇teles 384B.C.. ∼322B.C.)は、「すべての教授、すべての学習は、どれもみな(学習者の内 に)あらかじめ存する知識から生まれてくる」(分析論後書)と述べている。. これは、学習者の持つ前知識があらゆる教授・学習の出発点となるということ である。アリストテレスは、ものごとの具体的・経験的な前知識と抽象的・一 般的な本性に関する知識を区別して、本性に関する知識は、われわれの感覚的 認識からかえって遠くにあるものと考える。例えば、図形の「円」は、中心、 等距離などの概念によって厳密に定義されるが、そのような知識は、われわれ が感覚的に持っている「円」の漠然とした形姿からは、かえって遠い。したが って、アリストテレスにおける「経験」は、教授・学習の出発点たるものごと の具体的な前知識に対応する。そしてそれは、学問や技術とは異なって普遍性 を持たない「生活経験」を意味してると言えるであろう。そうした生活経験か ら出発して、いかに本性に関する知識に至るかが、アリストテレスにおける教. 授・学習の根本問題であったのである。ただし、そうした過程は、個別の経験 の積み重ねから一般的命題に至るという近代的な意味での帰納の過程とは異な るものである。アリストテレスは、出発点となる「生活経験」の中に、すでに 本性に関する知識が潜在的に含まれていると前提している。なぜなら、先ほど の例で言うなら、われわれが漠然と思い描く「円」の姿形は、「円」の数学的 25.

(28) 定義によって否定されるわけではないからである。むしろ、後者によって前者 が明確になるのである。こうして、アリストテレスによれば、教授・学習とは、. 生活経験が潜在的に含み持っている本性を明確にしていく過程であるのである。. ところが、「一般的なものを含み持った経験」というアリストテレス的経験 概念は、近代の経験論によって解体されたといえる。近代的帰納法の祖たるベ. ーコン(Becon, F.1561∼1626)は、こうした経験が権威や偏見によって 曲げられたものであり、否定されるべきものであるとした。そして、ベーコン がアリストテレス的経験に代わって出発点とするのが、方法的に統制された経 験、すなわち実験である。実験は、権威や偏見といった偽りの「一般的なもの」 を経験から排除することを目的としていた。こうした実験=統制された経験は、. 誰によっても反復可能なものであり、こうした反復可能性の下に「経験による 検証」が可能となる。「経験による検証」を支えるのは、最も要素的な感覚知 覚としての経験であろう。こうして、イギリス経験論は、知識の起源を感覚知. 覚としての経験に求めることによって、感覚知覚としての経験を認識論的・教 育学的原理に高めた。例えば、ロック(Locke, J.1632∼1704)によれば、 人間の意識は最初白紙のようなものであり、そこに観念を書き込むのは、感覚 知覚としての経験なのである。ゆえに、普遍的・一般的知識をどのようにして 子どもたちの感覚知覚に受容させられるか、という経験概念を起点にした徳育 論として、ロックの議論が位置づけられる。. こうして、アリストテレス的な生活経験は、科学論的・教育学的意味を否 定されていったのである。. 2 ルソー ルソー(Rousseau, J.J.1712∼78)は、主著『エミール』の序で、主題 として「大人になる前に子どもがどういうものであるか」を設定した。こうし た主題への論考によってルソーは、「子どもの発見者」と呼ばれてきた。コメ ニゥス(Comenius, J.A.1592∼1670)やロックなどの先人たちが明らかに した近代教育の原理であるところの、身体や感覚の訓練の大切さ、具体的な事 象から抽象的な事象へとゆっくりと段階的に進む知的教育などを踏まえっっ、. 自立した1個の人間として生きるためには、どのような子ども時代であらねば 26.

(29) ならないかを問うたのである。そうした問いの中で、経験はどのようなものと 捉えられ、どのように位置づけられたのであろうか。鈴木剛の論考を手掛.かり に検討する(注2)。. ルソーにおいて経験とは、「学び」、すなわち学ぶ行為それ自身に他ならな いのだが、それは「感じることを学ぶ」ことであり、感覚(器官)を実際に使 用すること、その力・能力を行使する活動に他ならない。続けて、しかしそれ は、言語的・制度的恣意性を排除した、「事物」の必然(的進行)に従うプロ セスでなければならない。こうしてルソーは、「学び」=「事物の教育」を軽 験に対応させる。. しかし、ルソーは、自立した人間に育つべき子どもにおける経験の位置づ けを浮かび上がらせる試みとして、『エミール』の中で、経験を経ていない「突. 然出来上がった1個の人間」という仮定的モデルを提示する。. ルソーによって、こうした「経験の不在」、すなわち感覚的成熟が省略され た人間がどういう人間として描かれるかといえば、モラル不在の、または誤っ たモラルを確立した人間として描かれる。. こうしたルソーの試みを、以下の2つの視点から考察できる。1っは、感 覚(観念)一感じ(感情)、精神一身体は共にあるという視点であり、こうし. た視点によって、感覚(経験)の欠如は人間的感情の欠如を意味する。もう1 つは、欲求と力の均衡ある人間の育成を教育の目的とする視点である。こうし た視点からは、自己の欲求をコントロールし、かつ欲求を満たす力を自己自身 の内に見てこれを引き出そうとするルソーの人間観・教育観を浮かび上がらせ ることができる。. 以上の2っの視点から、「経験における対象世界との関係の質(物理的身体 的、社会的、そして道徳的世界)の発展をめぐる問題設定」として、すなわち 「経験概念を基礎としたモラル形成を問う議論」として、ルソーの経験概念を 位置づけることができる。. こうした鈴木の論考から、これまで述べたようなルソーの経験概念は、「経 験の全体性」を志向する点で、萌芽的ながら、主体一対象という分析的理性の. 枠組みを越えて、行為主体と環境との相互作用という枠組みで経験を捉えてい ると言えるであろう。. 27.

参照

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