Q 漢代の建安年間︵一九六’二二○年︶に翻訳されたとされる﹃中本起經﹂は、仏陀成道以後の諸事跡を時間的に順を ② 追って記した仏伝文献である。本経巻上には、﹁中有發大乘者。有樂辞支佛行者。有發羅漢意者。有作沙門者﹂とあ って、大乗の語が見られる一方、文面には大乗文献特有の誇張的修飾表現がほとんど見られない。このためか、日本 ③ では、本経を部派文献と見倣す傾向にあるものの、その帰属部派については言及されていない。このため、﹁中本起 經﹂の説話伝承が如何なる部派の説話伝承と関係があるのかを解明することが必要である。そこで、本論では、﹁中 本起經﹂の成立を明らかにするために、本経の最後に置かれる﹁佛食馬麥品﹂︵以下、﹁馬麦品﹂と簡称する︶を手がか りに、その対応説話の構造や表現形式の比較を通して説話の類型を求め、﹁馬麦品﹂の伝承母胎を明らかにしたい。 これにより、﹁中本起經﹂の帰属部派、もしくは伝承者の背景を解明する一端を窺い知ることができると考える。
﹁中本起經﹂
口﹁佛食馬麥品﹂を中心にI
はじめに
における
説話伝承の系統にっ
奥
い村
て
港0口基
0 句 色 0﹁馬麦品﹂は、仏陀が安居の間、馬の飼料麦︵馬麦︶を食べて過ごされた事跡を伝えたものである。その安居地は
④⑤
﹁随藺然﹂とされる。その梵語にはぐ目目薗とく巴愚日9首の二つがある。これはパーリ語の﹁ベーランジャー⑥⑦
2の国矧とに相当し、その土地形態は、ロ四鴨国︵都市︶とされる。ベーランジャーの地理的位置は特定されていない⑧⑨
が、﹁マドゥラー︵巨且言国︶の近く﹂、﹁マドゥラーよりも西で、仏陀が直接教化した最も西の地点﹂、﹁パンチャーラ ⑩ 内﹂とされる一方、水野弘元博士は、コーサラ国では最も西に属し、パンチャーラ国との境域に近い場所であったと ⑪ より詳しく指摘する。仏陀がこの地で一度だけ安居を過ごされたことは、仏陀の安居地を伝える﹁仏種姓義疏 ⑫ ︵切瞳島言昌言亀︲§言曾§︶﹂や﹃佛説八大霊塔名號經﹂にも記載が見られる。前者では、その安居年を仏陀成道後十二⑬⑭
年目とするが、﹁馬麦品﹂に対応する説話を伝える根本説一切有部の律では、この事跡を仏陀の晩年期と考えている。 ﹁馬麦品﹂によれば、仏陀がこの地で安居を過ごされた理由は、在地のバラモンの請待を受けたためである。彼は 舎衛城の須達を訪ねた際、須達から仏陀の聖徳を聞いて祇園精舎におられる仏陀の許に赴いた。彼は仏陀の説法を聞 いて歓喜し、ベーランジャーで三ヶ月間滞在されるよう願い出た。仏陀が応じられると、彼は先に戻って贄を尽くし て供養の品を準備した。ところが、仏陀が彼の屋敷を訪ねると、バラモンに会うことが出来なかった。なぜなら、バ ラモンは、天魔に惑わされて五欲に耽ってしまい、貴卑を問わず一切の客人を三ヶ月間通さないよう門番に命じたた めであった。この地では食物が乏しく、人々も道を好まなかったので、逗留することが困難であった。このため、仏 陀は弟子たちに分衛を命じられたが、舎利弗を除く弟子たちは三日で戻ってきてしまった。ただ舎利弗だけは、一人 切利天で過ごすことになった。そして、仏陀と弟子たちは、ベーランジャーに滞在している間、馬師から供養される 飼料麦を食べて過ごされた、という。この品では、仏陀が安居を終えて遊行に旅立たれる前、比丘たちの疑念に答え |﹁馬麦品﹂の説話構成 24る形で、仏陀が何故安居中に飼料麦を食べて過ごさなければならなかったのかを説き明かす。それによれば、仏陀が ⑮ 過去世にバラモンであった時、維衛仏命胃︾冨冒曾口︶とその弟子たちに対して、﹁世人甚迷。指棄甘饒食此人爲。如 卿所説人者應食馬麥︵世の人はひどく迷い、おいしい食べ物を捨てて、この人に食べさせる。あなたが言うような人 ⑯ は、馬の飼料麦を食べるべきだ︶・﹂と悪口を放ったことを語られた。その際、バラモンに従う弟子たちもそれに同調 したが、一人の弟子だけは、﹁維衛仏は天厨の食をとるべきです﹂として師の言葉に従わなかったという。仏陀は、 最後にその時のバラモンが現在の自分であり、その時の弟子たちが、現在ここにいる弟子たちであることを語られた そして師の言葉に従わなかった弟子が、現在の舎利弗であることを明かされた。 このように﹁馬麦品﹂の説話は、仏陀が安居中に飼料麦を食べて過ごさなければならなかった理由を過去世の所行 に結びつけて説明したものとなっている。すなわち、現在の果報を過去に起こした業で説明している。このため、こ の説話は、因果応報を示す業報物語といえる。ここでは、特に業の理法に基づいて仏陀でさえも業報の絶対性から逃 れられないことを示しているといえる。 ところで、この説話は、形式的には次のような構成要素から成り立っている。 ⑰ 仙現在物語l仏陀の現在世の出来事を語る部分。 ⑬ ②過去物語I仏陀の過去世の出来事を語る部分。 ⑲ ⑧連結l現在物語の人物と過去物語の主人公や脇役とを結びつける部分。 である。こうした形式は、九分教と十二分教で立てられる﹁ジャータヵ︵両国富︶﹂と十二分教でのみ立てられる﹁ァ ⑳ ヴァダーナ︵mぐ且習璽︶﹂に見られる基本的な形式である。これらはともに漢訳で﹁本起﹂と訳される場合がある。こ の三つの構成要素を備えた対応説話は、根本説一切有部律の﹃薬事︵切言曾冒︲員§略官有望§︲尋︶﹂、チベット訳﹁薬 ⑳ 事倉冒慧豊噌迂︶﹄、漢訳﹃根本説一切有部毘奈耶藥事﹂︵以下、﹁有部薬事﹄と簡称する︶に伝わっている。本論では、 ワ貝 巴 吐
後 に 根本有部律の所伝は、①現在物語、②業の威力を讃える詩頌、③過去物語、④過去仏の登場、⑤業に関する教説の
⑳⑳
五項目を備えた形になっている。これは、岩本裕博士が完成形のアヴァダーナに見られる形式とされるものである。 岩本博士によれば、②の業の威力を讃える詩頌は、過去物語の直前に ロ四pH印口口のぐゆロ匡穴回国口倒口﹄戸い﹂で、席○一豚回庁画冒四。︺、 の田口四m国目も国己司四弄凹四日○四℃彦巴凹貝昌穴昏巴匡竺①宮口日ロ、、 たとい百・千万劫を経るとも、もろもろの業は消ゆることなし。 ⑳ 機縁を得て、また時を得て、肉身ある者に、必ずや実を結ばん。 ⑳ とあるとされる。画言冴︲尋を見ると、これに対応する詩頌を伝えている。また⑤の業に関する教説は、過去物語の 説話的に展開が見られる。 も同様である。このため、 根本有部律の所伝は、︵ から発する点で共通が見られる。また過去世の時代設定を維衛仏時代に求め、その仏が登場する点、その所在地を に至った状況に若干の相違が見られるが、いずれも仏やその弟子たちが優待されていることに対するバラモンの嫉妬 ﹁馬麦品﹂と根本有部律所伝の過去物語と連結部分を一例にその関係を見ると、バラモンが非難の言葉を口にする 、言冴︲尋と﹃有部薬事﹂を用いて考察を進めるが、これらを総称する場今冥﹁根本有部律﹂と呼ぶことにする。 ⑫ ﹁盤頭越﹂、﹁バンドゥマティー︵冨且目9局︶﹂とする点、仏を非難する人物をバラモンとし、彼の弟子が登場する点、 師の言葉に従わなかった弟子に舎利弗がいる点など、説話の基本的な結構は一致している。但し、師の言葉に従わな かった弟子の人数が、﹁馬麦品﹂では舎利弗一人であるのに対し、根本有部律では目連を加えている。これは連結で も同様である。このため、根本有部律の所伝は、﹁馬麦品﹂と始源的に共通する説話伝承から生じた説話といえるが、 ①丙劉目計画弄門の口四巨四再目庚煙員口四口印H口①岸回国庁四﹄ハHの口○ぐ﹄も叫声陣昏︺①一ハ倒口弄四の口]己叫口倒ロ︺の丙倒ロ弄回のロ︸己○︾ぐ]四pH口昌の尉倒画倒汽口くぐ律pH画旨曾“︸] く 26計画の居巨凶奇計四吋唇]︶すず﹄穴印沙くい﹂①穴倒ロ奔口弄民の口倒ロ︺戸口ロロ凶信望四℃口のく画くくぃごH口冒のH倒唇︺。Pの宍倒口計印のロ穴﹄①②ぐのぐ四斤浄同巨四いく倒す写○ぬ口唇 丙四国昌旦四目国の日聾国同巨︾ず巨厨四ぐ印﹀①ぐ四日鰹厨詳四く冒四巳. 完全に黒い所行の果実は完全に黒く、完全に白い所行のそれは完全に白く、雑色のもののそれは雑色である。 従って、僧たちよ、汝らは完全に黒い所行と雑色のものとを捨て去って、完全に白い所行のみを努めるべきであ ⑳ る。されば、このように、僧たちよ、汝らは知るべきである。 ⑳ と説かれるとするが、、言厨︲尋でも対応する教説が見られる.これに対して、﹁馬麦品﹂では、②と⑤に対応する所 説が存在しない。しかし、岩本博士によれば、﹁アヴァダーナ・シャタカ︵皆巨島曽︲旨冒雷︶﹂には、﹁業に関する詩頌 ⑳ あるいは教えのないものが十一篇ある﹂ことを指摘している.また﹁馬麦品﹂同様、②と⑤の両方を備えないアヴァ ⑳ ダーナ説話が六篇存在することも指摘している。このため、形式的には﹁馬麦品﹂も、これら六篇同様、﹁完成形の アヴァダーナ説話として展開する過程にある説話﹂と考えてよいだろう。 岩本博士はまた形式からだけでなく、アヴァダーナの内容的な特徴として①現在物語の主人公は仏弟子か敬度な信 者である、②過去物語に登場する過去仏は、過去七仏のいずれかである。特にヴィパシインかカーシャパである、③ 仏陀は過去物語の登場人物とは結びつけられない、④アヴァダーナでは現在物語が重要である。ジャータカではそれ ⑪ が短く、アヴァダーナの場合ほど重要ではない、と指摘する。これらを見れば、①と③が﹁馬麦品﹂や根本有部律で 符合しないことになる。しかし、アヴァダーナの主人公にも仏陀の前世としての菩薩が登場することが指摘されてい ⑫ るので、﹁馬麦品﹂や根本有部律がそれを満たしていないとしても、何ら問題はない。これにより、﹁馬麦品﹂や根本 有部律の所伝は、内容的にもアヴァダーナの特徴を備えていることになる。ただ﹁馬麦品﹂の場合は、説話的に根本 有部律の所伝ほどには展開が見られないものとなっている。 O ヴ ム ィ
﹁馬麦品﹂が形式的に現在物語・過去物語・連結の三要素を備えていることは先に述べた。しかし、その説話の主 体は、現在物語の部分にある。このことは、内容の構成比率を見ても明らかである。この品は、﹃大正新脩大藏經﹂ の装丁で一頁にも満たない短編説話で、行数で換算すれば、七十八行に過ぎない。ところが、全説話の四分の三にあ たる六○行が現在物語で占められている。そのプロットは、次のようになっている。 ①バラモンは、舎衛城の須達の許を訪ねた。そこで彼から仏陀の聖徳を聞いて、仏陀を訪ねる。彼は仏陀から説 法を聞いて歓喜し、仏陀をベーランジャーに請待する。仏陀は、その請待を受け入れると、バラモンは準備の ため、先にベーランジャーの屋敷に戻る。 ②バラモンは供養の準備を整えたが、天魔の誘惑により五欲に耽ってしまう。そのため、彼は門衛に三ヶ月の間 は尊卑を問わず、来客を屋敷に通さないよう命じてしまう。仏陀と弟子は、バラモンの屋敷を訪ねるも、彼か ら供養を受けることができなかった。 ③ベーランジャーは食物が乏しく、人も道を好まなかった。このため、仏陀と弟子たちは乞食をすることが困難 であった。しかし、舎利弗だけは、この地を去って初利天で過ごすことになった。 ④そんな時、馬師が、仏陀と弟子たちに馬の飼料麦の一部を供養する。阿難は、その麦を得ると、ある老婆にそ れを調理してくれるよう頼むが、忙しいことを理由に断られた。しかし、隣家の女性が調理を申し出てくれた。 阿難はそれを持ち帰って、仏陀に奉った。彼は心中で麦を奉ったことを悲しむと、仏陀はそれを知って、その 麦の一部を与えられた。阿難がそれを食べると、世のものとは思えないほど美味であることを知り、仏陀の妙 徳を讃えた。
二現在物語の類型化
28⑤仏陀は、この地を去ることをバラモンに伝えるよう阿難に命じられた。阿難がバラモンの許を訪ねるが、バラ モンは彼が来た理由を悟らなかった。そして阿難は、仏陀がバラモンの請待を受けて当地で三ヶ月間滞在して いたことを伝えた。それを聞くや、バラモンはすぐさま仏陀の許に馳せ参じて自らの不徳を熾悔した。バラモ ンは、改めて仏陀が七日間留まられて供養を行う機会を与えてくださるよう願い出て許された。時が来ると、 バラモンは、余ってしまった供養の品を道中に散じ、仏陀がそれを踏んで通り過ぎられることを願った。しか し、仏陀は彼に調理具や食物は口に入れるもので、足で踏むものではないことを説かれた。そして、彼のため に呪願し、偶を説かれた。バラモンは喜び、法眼浄を得た。
⑳⑭
この説話に対応する所伝は、根本有部律を初め、パーリ律、﹃四分律﹂、﹃彌沙塞部和醗五分律﹂︵以下、﹃五分律﹄と⑮⑳⑰⑬⑲
簡称する︶、漢訳﹃十調律﹂、﹁鼻奈耶﹄で伝わっている。なお、この他にも梵文﹃十調律﹄の断簡も伝わっている。こ れらの対応説話は、全て律の中で伝承されており、ニヵーャや阿含では全く存在しない。またその律も全て上座部系 統の律で、大衆部所伝の﹁摩訶僧祇律﹂には該当説話が存在しないことから、この説話は上座部系部派の律を中心に して伝わった説話伝承と考えられる。 これら律の所伝は、それぞれ内容的に潤色や付加増減が見られるものの、基本的には共通した骨子から成り立って い ① る ○ ④ ③ 2﹂ バラモンは、仏陀から法を聞いて歓喜し、仏陀と弟子たちを請待する。 仏陀らは、︵|フモンから請待を受けたにもかかわらず、彼からの供養がなかった。その地では、乞食しても食 が得られないので困窮した。 そんな時、仏陀は馬師から飼料麦が提供され、それを食べて過ごす。 ⑩ こうした窮状を打開するため、目連は篭単越に行って食を得ることを仏陀に申し出るが、認められなかった。 すなわち、 〉QC ⑤仏陀はベーランジャーを離れるにあたり、バラモンにそのことを伝える。 ⑥バラモンは、施食することを忘れていたことを知らされ、熾悔し、改めて施食することを申し出て許された。 である。これを見ると、律の各所伝が、起源的には同一の伝承母胎から展開した説話であることがわかる。またこう した基本骨子から展開した各所伝は、説話における舎利弗の役割から次の二種に類型化することができる。 先ずパーリ律、﹁四分律﹂、﹃五分律﹄では、舎利弗は仏陀らと共にベーランジャーで安居を過ごしたとする。そこ で次のような出来事が④と⑤の間で起きている。舎利弗が静処に行った時、心の中で何れの過去仏の梵行が久住し、 また久住しなかったかを考え、その後それを仏陀に問うた。仏陀はウィパッシン仏、シキン仏、ウェッサブ仏の梵行 ⑫ は久住せず、カクサンダ仏、コーナーガマ仏、カッサパ仏の梵行は久住したと答えられた。そして舎利弗がその理由 を問うと、仏陀は弟子のために学虎を制定し、波羅提木叉を語出したか否かによるとされた。舎利弗はこれを聞いて、 弟子たちのために予めそれらを制定し、荊出してくださるよう願い出た。しかし、仏陀は未だ有漏法が生じない間は、 学虚を制定し、波羅提木叉を調出することはできないと答えられた。これらの律では、この部分が説話の中心となっ ⑬ ており、波羅提木叉に対する随犯随制の立場を明らかにした因縁物語となっている。このため、仏陀がベーランジ ャーで飼料麦を食べて安居を過ごされたという事跡は、これを示すための背景に用いられているに過ぎない。これに 対して、﹃十調律﹂、﹃鼻奈耶﹂、根本有部律では、説話の中で同様に舎利弗が登場するものの、こうした役割を担うこ とはない。これらの律では、彼はベーランジャーで飼料麦を食べて安居を過ごすことなく、仏陀らとは別れて別所で 安楽に安居を過ごたことを伝えている。このため、舎利弗は、弟子のために予め学虎を制定し、波羅提木叉を調出し てくださるよう願い出ることはない。﹁十調律﹂と根本有部律の広律全体を見ても、彼がこうした懇請を行ったこと を伝える記事は存在しない・有部系統では、何らかの理由でこうした説話を伝えなかったと考えられる。なお、平川 彰博士は、﹃十調律﹂がパーリ律などに見られるような舎利弗の懇請を伝えないのは、﹁十調律﹄の編集者が現在形の 30
﹁馬麦品﹂と律所伝の間に見られる特徴的な表現形式は、次の一○項目である。 1主人公名の明示化ベーランジャーのバラモンを主人公とする点では、全ての所伝で共通している。但し、 パーリ律、﹃四分律﹂では、そのバラモンの名を明示しないのに対し、﹃五分律﹂は、﹁其邑有婆羅門。名毘藺若︵そ ⑮ の村には、毘藺若という名のバラモンがいた︶・﹂とあって、その地名をバラモンの名にしている。﹁十調律﹂は、地名を
⑯⑰
もってバラモンの名とはせずに別に﹁阿耆達﹂という名前を出す。﹁鼻奈耶一でも﹁阿耆達兜﹂としている。﹃有部薬 @ ﹃十調律﹄に整理する際にそれを削除したためと推定している。 ﹁馬麦品﹂の場合、律所伝に見られた④を含まない以外は、律所伝と全く同じ基本骨子を備えている。また有部系 統と同じ行動をとる舎利弗の伝承を伝えているので、﹁馬麦品﹂は、類型的に有部系統の説話伝承に連なった所伝に あると考えられる。但し、類型を同じくする﹃十調律﹂、﹃鼻奈耶﹂、根本有部律の三者でも詳細に見れば、﹃十調律﹂、 ﹃鼻奈耶﹂と根本有部律では、説話に潤色や異なった所説が見られる。その一例を挙げると、これらの所伝でもパー リ律などの類型と同様、説話の中で目連が登場している。しかし、﹁十調律﹄と﹃鼻奈耶﹂では、パーリ律などと同 じく、比丘たちの食の窮状を打開するため、目連が鯵単越に行って食を得ることを仏陀に申し出る一段があるのに対 して、根本有部律には、こうした記事が全く存在しない。その代わり、舎利弗が別所で安楽に安居を過ごすことを仏 陀に申し上げる際、目連が登場し、彼は舎利弗を看病するために一緒に別所に赴くことを告げるという独自の所説が 展開している。このため、類型的には有部系統の説話伝承を受けている﹁馬麦品﹂の所伝が、具体的にどの律の所伝 に最も近似しているのかを明らかにする必要がある。そこで以下では、プロットごとに現れる表現形式の面から﹁馬 麦品﹂の伝承系統を明らかにしたい。三表現形式から見る﹁馬麦品﹂の伝承系統
11⑬⑲⑳
事﹄の﹁火授﹂は、その梵語侭己烏冒の意訳に当たり、梵文﹁十調律﹂でも侭昌烏冒とする。﹁馬麦品﹂もこれら③⑫
と同じく、その名を﹁阿祇達﹂としている。なお、﹃大智度論﹂でも﹁阿耆達多﹂とある。 2仏陀との対面場所パーリ律、﹁四分律﹂、﹃五分律﹂、根本有部律は、共に仏陀がベーランジャーに来られて滞 在されている場面を設定している。そのため、主人公のバラモンと仏陀は、ベーランジャーの地で初めて出会ってい ⑬ る。これに対して、﹃十調律﹄と﹃鼻奈耶﹂では、主人公のバラモンがベーランジャーから舎衛城に行き、そこで居 ② 士から仏陀の名声を聞いて仏陀の許を訪ねている。このように初対面の地点に相違が生じているが、﹁馬麦品﹂も ⑮ ﹃十調律﹂などと同じ状況を設定している。 3因果として捉える﹁十調律﹂と言弄奈耶﹂では、仏陀がバラモンからの請待を承諾する際、その請待が前世 の業報によるものと捉えている。﹃十調律﹄巻第十四では、バラモンからの請待を受けて﹁佛作是念。我先世果報必 應當受。作是念已獣然受請︵仏は、このように考えた。﹁我が前世の果報は、必ず受けなければならない。このように考えて、 ⑳ 沈黙によって請待を受けた﹂︶・﹂と示し、また巻第二十六では、﹁佛念本行因縁。必應受報以是事故。獣然受之︵仏は昔の ⑰ 因縁を考え、必ず報いを受けるべきである。このことでもって沈黙によってこれを受けた﹂︶・﹂と示している。﹃鼻奈耶﹂でも ﹁爾時世尊億往昔對而不可避。即獣然受婆羅門請︵その時、世尊は昔の報いが避けられないことをおしはかり、直ちに沈黙 ⑬ によってバラモンの請待を受けた﹂︶・﹂とある。こうした所説は、これらの律だけに見られるものであるが、﹁馬麦品﹂ ⑲ にも﹁佛以祁旨。知往古因縁。獣然受請︵仏は考えをもって昔の因縁を知り、沈黙によって請待を受けた﹂︶・﹂と対応するにも﹁佛以祁旨。知︽ 所説が説かれている。 4舎利弗が別所で安居を過ごしたこと﹃十調律﹂、﹃鼻奈耶﹂、根本有部律では、舎利弗が仏陀たちから離れて 別所で安居を過ごしたことを記す。これはパーリ律などの類型伝承には見られない所説である。﹃十調律﹄では、そ⑳、
の滞在地を﹁不空道山中﹂︵巻第十四︶または﹁阿牟迦末山﹂︵巻第二十六︶とし、帝釈天の夫人である阿須輪女の請を 甸 句 O ム5施与された飼料麦を誰が調理したか飼料麦が馬師から施与された後、仏陀用の麦を調理した人物に伝承の差 ⑮ 異が生じている。先ずパーリ律では、阿難自身がバッタ量の麦を石で砕き、それを仏陀に奉げたとする立場をとるが、 それ以外の所伝では、全て在家者に頼んで麦を調理してもらったとする伝承に立つ。﹃四分律﹄と﹁五分律﹂では、 ⑰ 阿難が人に頼んで調理してもらった事を説くだけで、その具体的な記述は見られない。これに対して、﹃十調律﹂で は、二人の女性が登場する。阿難は、先にある女性に仏陀の徳を讃嘆して調理を依頼するが、家事が忙しい事を理由 ⑯ に断られる。しかし、そのやり取りを聞いた別の女性が調理を申し出ている。こうした伝承は、﹃鼻奈耶﹂にも見ら ⑲ れる。根本有部律でも二人の女性が登場する点では共通している。しかし、調理を引き受けた女性が、阿難との問答 を希望し、調理の果報で得られる転輪聖王の女宝になることを願って引き受けたとする点は、﹃十調律﹂や言弄奈耶﹂ ⑳ に全く見られない所説である。﹁馬麦品﹂では、これら有部系統の所伝のうち、﹁十調律﹄や﹃鼻奈耶﹂と共通した表 、 受けたとする。﹁鼻奈耶﹂でも、﹁阿茂訶山頂﹂とし、同様に阿須輪女の請によるとする。根本有部律では、﹁トゥリ
⑬⑭
シャンク山︵g皆房匡も閏ぐ四国︶﹂、﹁三峯山﹂に行き、そこで帝釈天から供養を得たとする。この律では、特に彼がそこ で過ごした理由に風疾の身であることを挙げ、目連も看護のために一緒に過ごしたとする。﹁馬麦品﹂では、仏陀の ⑮ 勅を受けて﹁切利天﹂で過ごしたとする。そのいずれの所伝でも、帝釈天と関連している点で共通するものとなって 6阿難が仏陀の麦を食べること有部系統の所伝には、阿難が仏陀に飼料麦を奉ることを悲しんだという一段が ある。﹃十調律﹄や﹃鼻奈耶﹂によれば、それを知った仏陀は、彼にその麦の一部を食べてみるかと問う。そこで阿 ⑫ 難が口にすると、非常に滋味であったという。こうした所伝は根本有部律にも見られるが、そこでは仏陀は口の中に⑬⑭
ある一部の麦を取り出して阿難に与えたとする。﹁馬麦品﹂では、﹃十調律﹂や﹃鼻奈耶﹄と同様の内容を伝えている。 ⑪ 現形式を備えている。 いうQC q q 晋 哩8バラモンの施食バラモンは、施食し忘れたことを仏陀に儀悔する。パーリ律と﹃五分律﹂の所説では、先述 の如く仏陀自らが彼の邸宅に赴いているので、その場で熾悔している。しかし、﹁十調律﹂、﹃鼻奈耶﹄、根本有部律で は、阿難の訪問を受けて忘れていたことに気づくので、彼は仏陀の許に赴いてから熾悔している。その際、バラモン は、改めて施食を申し出ているが、その施食を行った日数に伝承の差異が見られる。パーリ律では、翌日の施食を申 ⑲ し出て許されている。﹃五分律﹂では、先ず一ヶ月の施食を申し出たが仏陀に断られ、そこで翌日の施食を申し出て ⑳ 許されている。これに対して、﹃十調律﹂と﹁鼻奈耶﹂では、七日間の施食を行っている。﹃十調律﹂では、﹁佛憐慰 ⑳ 故受請七日︵仏は憐れむが故に七日の請待を受けられた︶・﹂とあり、﹃鼻奈耶﹂では、﹁世尊遙見來。若我不住者沸血當從 面孔出。以大慈悲更住七日︵世尊は遙かに[バラモンらが]来るのを見て、﹁もし私が留まらなければ、血が湧き出て、顔にあ ⑫ る孔から出てくるはずだ﹂として、大慈悲をもって更に七日留まられた︶・﹂とあって、その後に施食を受けている・根本有 部律では、先ず尽形供養を申し出るが断られ、次いで七年、七ヵ月、七日間などと供養を申し出るが、いずれも断ら 7バラモン宅へ誰が行くか仏陀は、ベーランジャーを離れるにあたって、バラモンにそのことを伝えようとす る。所伝では、この時仏陀と阿難が揃ってバラモン宅に訪れたとする伝承と阿難を遣わしたとする伝承に分かれてい ⑮ る。前者には、パーリ律と﹃五分律﹂があり、後者には、﹃十調律﹂、﹃鼻奈耶﹂、根本有部律がある。﹁十調律﹂と ⑯ ﹁鼻奈耶﹂では、阿難は一人の比丘を同伴させているが、根本有部律では、阿難だけがバラモン宅に赴いている。特 ⑰ にこの律では、仏陀がバラモン宅に赴くよう阿難に語るシーンはなく、突然彼がバラモン宅に赴いている。なお、 ﹃四分律﹂には、説話の骨子である⑤と⑥が存在しないので、これ以下の表現形式も見出されない.﹁馬麦口聖では、 ⑬ ただ一人でバラモン宅に赴いている点では、根本有部律と共通するといえるが、仏陀から赴くように命じられている 点では、﹁十調律﹂や﹁鼻奈耶﹂と共通しているといえる。いずれにせよ、﹁馬麦品﹂の表現形式は、有部系統の形式 に属しているといえる。 。〃 ノ ー 士
⑳ れている。結局翌日の施食を申し出て許されている。このように有部系統の伝承には、七日間の施食を行い、または それを願い出るという伝承が見られる。﹁馬麦品﹂でも﹁阿耆達歓喜前白佛言。願留七日。得叙供養︵阿祇達は歓喜し て[仏陀の許に]進んで仏に申し上げて言った。﹁願わくは七日間お留まりくださいますように。供養することを授けられますよう @ に﹂︶・﹂とあって、﹃十調律﹂や﹃鼻奈耶﹂に対応する伝承を伝えている。 9供養の品を踏むことの拒否バラモンは、布施しきれなかった物品を地面に置き、仏陀がその上を踏むことで 受用されることを願った。こうした所説が、﹃十調律﹂と﹁鼻奈耶﹂に見られる。これに対して、﹃十調律﹂の仏陀は、 ﹁佛告阿耆達。不得如汝所言。此是食物應口受用︵仏は阿耆達に告げられた。﹁あなたが言うようにはできません。これは口 ⑮ で受用すべき食物です﹂︶・﹂と告げ、官界奈耶﹂の仏陀は、﹁世尊告日。此非脚所履物。此是口所食具︵世尊は告げて言わ ⑳ れた。﹁これは足が履く物ではありません。これは口が食べるのに使う器です﹂︶・﹂と語っている。これに対応する所説は、 ﹁馬麦品﹂にも見られ、﹁佛告梵志。飯具米糧。是應食嗽。不宜足路︵仏はバラモンに告げられた。﹁飯を盛る器、米や食 ⑳ 糧は食べるべきで、足で踏むのは宜しくありません﹂︶・﹂とある。根本有部律でも、仏陀が口に入れる物を足で払うことを 禁じたことを伝える。しかし、そこでは、バラモンの供物を一老出家者が足で払ったことに因んだものとなっており、 ⑳ ﹁十調律﹂などとは異なった状況設定で説かれている。 旧随喜偶の有無バラモンが仏陀に供養を行った際、仏陀が彼に呪願している。﹃十調律﹂によれば、次のよう
旧随壹
な喝となっ一切天祠中供養火為最婆羅門書中薩毘帝為最一切諸人中帝王尊為最一切諸江河大海深為最一
切星宿中月明第一最一切照明中日光為上最十方天人中佛福田為最
あらゆる天祠の中で供養火が一番である。バラモンの書の中で薩毘帝が一番である。あらゆる人の中で帝王が 一番である。あらゆる河川の中で大海の深さが一番である。あらゆる星宿の中で月の明かりが第一である。あら ていう旬︵ 3E⑳
ゆる照明の中で日光が最上である。十方の天人の中で仏の福田が一番である。妬
これに対応する偶は、パーリ律や﹃五分律﹄にも見られる。しかし、パーリ律の場合、対応説話の中では説かれず、⑳⑪
別の説話で用いられている。﹁馬麦品﹂でも、これに対応する偶が存在し、それが説かれる状況も﹃十調律﹂と同様、 上記9の直後である。この点が﹁五分律﹂と異なる。 以上、これら十項目を見ると、﹁馬麦品﹂は、そのいずれも有部系統の表現形式を受けており、パーリ律などとは 系統を異にすることがわかる。中でも2,3,5,6,8,9,mの七項目では、根本有部律の所伝よりも﹁十調 律﹂や﹃鼻奈耶﹄の所伝との対応が見られることから、﹁馬麦品﹂は、これら二つの所伝とより密接な関係にあると 考えてよいだろう。 以上、﹁馬麦品﹂に注目し、それに対応する説話との比較を通して、﹁馬麦品﹂の説話系統を考察した。その結果、 本品の説話伝承は、その説話構造や表現形式の一致から﹃十調律﹂、﹃鼻奈耶﹂、根本有部律を伝えた有部系統を背景 に生まれ、中でも﹃十調律﹂や﹃鼻奈耶﹂を伝えた有部の説話伝承とより密接な関係にあることが見い出された。こ のことは、﹃中本起經﹂の帰属部派、もしくは伝承者の背景を理解する上で一筋の光明となるだろう。今後は、他の 品にも考察範囲を広げてこの点を明らかにしていきたいと考える。 注 ①榎本文雄氏の研究によれば、﹃中本起經﹄は後漢代の訳出ではなく、晋代まで下がる可能性があるとしている︵二法句譽嚥 経﹄の成立についてl﹃中本起経﹄の成立にからんでl﹂、﹃アーガこ第一三○号、東京、一九九四年、二八四’二八六頁、 ﹁解説﹁法句譽嶮経﹄覚え書き﹂、﹃真理の偶と物語︵下︶l﹃法句書嶮経﹂現代語訳l﹄、大蔵出版、東京、二○○一年、二むすび
②﹁大正新脩大藏經﹄︵略号・・大正︶、四、一五五頁中二一’二二。 ③岡野潔﹁ラリタヴィスタラ原型の追加部分・普曜経巻八について﹂、﹃宗教研究﹄、第二八三号、一九九○年、一四○頁。 ④大正四、’六二頁下一八。なお赤沼智善編﹃印度佛教固有名詞辞典﹄、法蔵館、京都、一九七九年、七五六頁右段では、﹁毘 關若﹂、﹁Ⅲ蘭若﹂、﹁砒羅然﹂、﹁稗羅然﹂、﹁稗藺帝﹂、﹁稗蘭若﹂、﹁随藺然﹂、﹁騨閑底﹂などの音写語が収録されている。 ⑤詞固持①§P団員浄曽辱写ミ野暮いざS§・ミこ︾四国のgmo烏9ゞ塚o8︾弓駅も函巨によれば、この二語が収録されている。 なお、実際に文献を当たってみると、梵文﹃十調律﹄の断簡には、く目豊前とありSs︲罰言亀§尋冨碕画樋ミ署 、蔦吻§§言。爵画き︲幹、息畠昌忌冒.a芽くこの昌旨煙胃切の目.シ百号目の︲く且侭︾犀員冒︾乞認も﹂忠わ︶、ギルギット出土の梵 ロ偽
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文写本、言冴︲尋では、く目四日g菌とある︵国営旦昏嵩壁愚息勝.日も肖畠︾囚臣○s①8旨:駒自尽旨8zo屋︼且ご[︶﹃ z巴目畏、冨口呉汁も戸口・陣芦殴温目巨もロ臣O目○口mb①旨ゞ思霞も瞳との言︶。なお、切言哨尋の相当漢訳では﹁吠羅聚落﹂、 ﹁稗蘭底城﹂などと漢訳されている。 ⑥パーリ律や五部一一カーャでこの地を挙げるものについては、前田惠學﹁原始佛教聖典の成立史研究﹂、山喜房佛書林、東京、 一九六四年、六六、六八頁、︻目ゆめ回国○︾9︲喧忌ロミミミミ㎡旦延胃詩ミ冒忌§切震鳧言営︾目扁8巳○国房9号・岸冨国匡&富 ①己屋の昌旨口巴さ匡冒・異5P目巴ロ①院図cc鰐口屋か 、ト︲閃︲F ⑦昏言§貫菖昌畠ざ.ぐ。自︾&ご]目鼻四百切匡、且巨岩紺巴︺弓房も農思H$○gのqFo且○口︾巳引も﹄品︼筐・本書の漢訳と考 えられる﹁善見律毘婆沙﹄の相当部分を見ると、﹁毘蘭若者。是剛名也︵大正二四、六四九頁下十八︶・﹂としている。 ⑧四日巴“9日邑厘急ぎ屋画く騨貝︲胃8。“ご冒巳の詞の己○F観§ミミの8四号ご旦讐§雨ミ冒急圏肋。g:貯国自虐の号四房︾ ⑨zb員︺画ミ唇題旨邑具蒔与穂ミミ国忌鳧言営ミミ号切鼠曽唾畠忌員堕︾○○の日○四臣。呂○己の︾zの弓己の旨﹀9sも﹄誤 ⑩の持隷ミミ畠Q営匂︺日も目﹂も吟 ⑪水野弘元﹁初期佛教の印度に於ける流通分布について﹂、﹁佛教研究﹄第七巻第四号、大東出版社、東京、一九四四年、五四 頁。増田霊鳳氏もこれを受けて﹁毘蘭若は拘薩羅の西方、般遮羅園との境に近いところ﹂としている︵増田霊鳳﹁根本佛教の 研究﹄、風間書房、千葉、一九四八年、三五三頁︶。 勺胄尉“﹄@m吟。﹄壁 七七’二七八頁︶。 Qj7 J ノ⑫切量琴§亀ミ旨CO量量きぎ掌&ず己団出。日の黒目言も呂目①〆励ogのご︾§且。P乞認も喫賠﹃佛説八大霊塔名號經﹂でも ﹁吠藺帝︵大正三二、七七三頁中一○︶﹂を挙げるので同様である。 仏陀成道以後の安居地点を伝える文献には、1.﹁増支部義疏匡侭ミミ§静魯倉︲亀暮鼻昌言︶﹂、2.﹃仏種姓義疏 ︵団員等画昌営旨︲亀暮幕ミ言︶﹂、3﹁法句経義疏S言言営息画島︲亀暮鼻ミ富︶﹄、4プトン田冒の8口︶の﹃仏教史e島冨︾ 頚弓§曾慧§善、昌瞬ミご鼠3.吻曹ご震侭習畠噌室長﹃︲きき営忌竪蚤烏。e﹄、5.﹃僧伽羅刹所集經﹂、6.﹃佛説十二遊經﹄、 7.﹁佛説八大霊塔名號經﹄などがある。この他にも8、ビルマの仏伝伝承︵両国鴨且輿﹀旦昌等s荷、︾ミミS忌島冒亀︾号① 國匡口匡医四旦昌の、日日のの①”言甘昏mppOs5pの呼言の急四吋m8zの号言回国︾回口Qpg旨①○口吾のでず○国、首のm9m日日①の①日○国戸、︶画く○]、︾︻①加四国 勺餌昌︺目局のロg︾園与国の﹃︾Foaoョ.后巨︲己届︶と9.スリランカの仏伝伝承角響goの国胄号︶崖曽§震ミミ団屋号冒署︾旨爵 日○号日烏ぐ2名目のロミ5口“巨の段Ho日四国瞥巴のの①日切の為国日付の四且○農星︺Fo且○目︺昂認︶も資料として用いられる。これ らの諸伝は、主に仏陀の安居地を年代順に伝承︵1,2,5,6,8,9︶と安居地の滞在回数だけを示した伝承︵3,4, 7︶とに大別できる。また仏陀の安居地について考察したものには、望月信亨﹁佛陀成道四十五年間に於ける安居の地点﹂、 ﹃佛教研究﹄第一巻第二号、大東出版社、東京、一九三七年、一’一○頁、前田前掲書、六九’七二頁、中村元﹁ゴータマ・ ブッダー﹄、中村元選集[決定版]第二巻、春秋社、東京、一九九二年、五三三’五四三頁、岩井昌悟﹁原始仏教聖典資料 に記された釈尊の雨安居地と後世の安居地伝承﹂、﹃中央学術研究所紀要﹄、モノグラフ篇叱6、二○○二年、五三’一二八頁、 同氏ヨ十二遊経﹄の仏伝伝承l成道後一二年間の雨安居地を中心にしてl﹂、﹃中央学術研究所紀要﹂、モノグラフ篇伽7、二 ○○三年、二九’一五五頁、同氏﹁原始仏教聖典における釈尊の雨安居記事﹂、﹁中央学術研究所紀要﹄、モノグラフ篇叱岨、 二○○五年、七三’二○三頁、同氏﹁阿難以前の侍者伝承と雨安居地伝承﹂、﹁中央学術研究所紀要﹄、モノグラフ篇叱皿、二 ○○六年、二五’一四九頁などがある。 ⑬団員等§亀ミ旨。。ごミミミ豊壱少路 ⑭国営叶巨冒昌ミ営鈎﹀日も目﹄も鹿ゞ届︲]吟大正二四、四八頁上六’八。
⑮尋具日も目﹄も急や
⑯大正四、一六三頁中二六’二七。 ⑰同上、四、一六二頁下一六’一六三頁中一七。 38⑱同上、四、一六三頁中一七’二九。 ⑲同上、四、一六三頁中二九I下六。 ⑳ジャータカを本起と訳すことを記すものとしては、望月信亨編﹃望月佛教大辞典﹄、世界聖典刊行会、東京、一九七四年、 第五巻、﹁ホンショウ︵本生︶﹂の項、四六九三頁下、干潟龍祥﹃増補改訂本生経類の思想史的研究﹄、山喜房佛害林、東京、 一九七八年、一頁がある。アヴァダーナを本起と訳すことを記すものには、平川彰﹃律蔵の研究﹄、山喜房佛言林、東京、一 九七○年、三八四頁、同氏﹃初期大乗と法華思想﹂、平川彰著作集第六巻、春秋社、東京、一九九七年、一○八頁、前田惠學 前掲書所収の﹁九分十二分教表﹂などがある。 ⑳Q喧叶置き畠Q嘗吟︺日も目﹄︾弓匿匡︲虎ゞ吟﹁影印北京版西藏經﹄第四一巻、西藏大藏經研究會、東京・京都、一九五 七年、巴吊・弓﹄鵠四︲届馨ゞ大正二四、四五頁上二四’四八頁下九。 ⑳ ⑳ ⑳ ⑳ 、 夢 ⑳ ︲T︶’し﹂半のス略 していたシ﹂い 国曾昌昏忌冒Q●首吻︶白︶穏具F℃急↑?“を見ると、国呂凋昌の口幽]くいの国己g房協く島目Hぐ四日、弓削匡可房巨富目目巳胃国昌 巨冒9国巳伍圧冨、臼呂冨同目目曰く四ぐ且薗く四目冨医目匡巴巨号巨目目とある。このうち、百日酌昌以下と対応する文言が同書 弓忠・屍︲g・画にも見られ、で念ゞ司で目同くいく且薗ぐ閏として省略されていた部分が省略されずに説かれている。しかし、 ここでも口四3百号型習い官以下吾巴四昌民冨冒号巨目日旨までが目弓陣ぐ乱圃ぐ算と省略されていて、その間の原文が不明で ある。ところが、本書の編集者が﹃ディヴィャ・アヴァダーナ︵。ご胃ご§曹愚︶﹂で塁から対応箇所を回収している寺ぢゞ 扇1厘︶。それを見れば、岩本博士が挙げる上記の梵文原文とほぼ対応している。このため、切言号尋にも同様の詩頌が存在 していたといえる。なお、﹃有部薬事﹄には、﹁假令經百劫所作業不亡因縁會遇時果報還自受︵大正二四、四八頁中九1 岩本前提害、二九’二 岩本前掲書、二七頁。 国狩韓阜昏忌冒Q●昏酔消目 岩本前掲書、二九’三○頁 岩本裕﹃改訂増補佛教説 ︽翫具目ロ﹀むゆ目長や↑P骨陣 年、︻房︾弓届匿︲届馨、+ 岩本前掲書、二七’二八頁。 の侍識﹄ごミ畠ミゼヰ吻渭目︾冒具Fp烏.甲吟には、ご巨匡且防四ぐ農①穴猷ロg胃曾習習目穴日日普届目鼻目国育呂○ぐ巷鼻忌己目く口く且羽 佛教説話研究序説﹄、 佛教説話研究第一巻、開明書院、東京、一九七八年、二九頁。
⑳岩本前掲書、二七頁。 ⑳岩本前掲害、二六’四三頁。 ⑫松村恒﹁聖典分類形式としてのアヴァダーナの語義﹂、﹃今西順吉教授還暦記念論集インド思想と仏教文化﹄、春秋社、東 京、一九九六年、六八三’六八五頁。 ⑬司碧亀§嘗雷負略号︾罰善︶︾日︺&ご関○匡の号の侭︾員の勺農忌滅$。gのご旧oaop︶后震ゞ弓﹄&︲F圏 ⑭大正二二、五六八頁下七’五六九頁下二七。 ⑮同上、二二、一頁上六’二頁中一六。 ⑳同上、二三、九八頁中二八’一○○頁中一五、一八七頁中六’’八九頁上五・ ⑰同上、二四、八八五頁中十一’八八七頁上七。 ⑬律によって説話の利用法に相違が見られる。パーリ律、﹃四分律﹄、﹃五分律﹄では、波羅夷法第一条淫戒の前で随犯随制を 説く因縁物語として用いられている。これに対して、﹁十調律﹄と﹃鼻奈耶﹂では、波逸提法﹁与外道食戒﹂の因縁物語の一 部として用いられている。﹃十調律﹄は、この他に﹁医薬法﹂でも同じ説話を伝えている。根本有部律の薬事は、﹃十調律﹄の ﹁医薬法﹂に相当する。有部系統の律では、諸規定の因縁物語として説話を利用しているのが特徴である。 ⑳b、︾︲罰薑皇宮§言詩忌翻震ミ璽曽§§言。雰亀島、昏当伽島畠島忌萬”層﹄段ゞ宇扇式鴎 ⑩﹃十調律﹂と﹁鼻奈耶﹄では、これを②と③の間に配置している。また根本有部律では、こうしたプロットは見られないが、 説話では目連が登場している。 、﹃四分律﹄では、⑤と⑥が存在しない。 ⑫夛分律﹄は、パーリ律と同じくするが、両分律﹂では、毘婆戸仏、式仏、拘留孫仏、迦葉仏の梵行が久住し、随葉仏と拘 那含牟尼仏の梵行は、久住しなかったとする。詳しくは、平川﹃律蔵の研究﹄、三七五’三七六頁を参照のこと。 報︵大正二四、 ⑳岩本前掲書、 ⑳岩本前掲書、 ⑳岩本前掲書、 ⑫松村恒﹁聖坐 颪ぐ且の厨国冨曾匡のいくのくぃ冨門日開く号言い号百門皆目農旨のぐ四曰く○g房箇く凹冨時樫国ぐ冨昌とあり、中間が目弓閨且菌く且とし て省略されているものの、同様の教説が説かれていたことが分かる。なお、﹁有部薬事﹂には、﹁黒業黒報。白業白報。雑業雑 報︵大正二四、四八頁下八’九︶・﹂とだけある。 二九頁。 40
⑬罰ご〃日︾pF中酌両分律﹄、大正二二、五六八頁下七’九、宝分律﹄、大正二二、一頁上六’七、Q宮昌岸冒昌国嘗匂︾白. 己肖﹄も誤ゞ辰︲嵐.﹁有部薬事﹂、大正二四、四五頁上二四’二五。 ②﹁十調律﹂、大正二三、九八頁中二八l下八、一八七頁中六’十五、﹁鼻奈耶﹂、大正二四、八八五頁中十一’二二。 ⑮大正四、一六二頁下十六’二七。 ⑳同上、二三、九八頁下十五’十七。 ⑰同上、二三、一八七頁中十九’二○。 ⑬同上、二四、八八五頁中二八。 ⑲同上、四、一六三頁上一’二。 ⑳同上、二三、九九頁上五○ ②同上、二五、一二一頁下︲ ⑪大正四、一六二頁下十八。 ⑳Cs司苫亀心忌專§曾昌量﹄ ⑳Q喧旦昏喜雲愚息屋日︺冒] ⑬同上、二四、四五頁上一二 @同上、二四、八八五頁中に ⑯同上、二三、九八頁中二, ⑮大正二二、一頁上七’八。 ⑭平川前掲書、三七八’三レ 六一頁上九・︶を知っており を用いていたと考えられる。 となっている。 含まれていない。このため、随犯随制制定の機縁地も、ヘーランジャーではなく、﹁舎衛國︵大正二二、二二七頁中二’三・︶﹂ ⑬﹁摩訶僧祇律一でも、淫戒の前に随犯随制を説く記事が存在する。しかし、そこには、仏陀が飼料麦を食べたとする説話は 平川前掲書、 大正二二、 同上、二三、九八頁中二八’二九。 同上、二四、八八五頁中十二’十三。 同上、二四、四五頁上二六。 Q喧旦罵言雲胃、巷冴﹀日帛︶、貝﹄も誤ゞ屋の言 b国司員旨忌專§曾脚震昌、迂雰§、ミミ○群国鳥、函SIS豊島忌鼠も.扇・巳①言 三七八’三七九頁。 頁下十三。﹃大智度論﹄でも、仏陀が馬の飼料麦を食べた故事︵大正二五、一二一頁下十三’十四、二 ﹂おり、そのバラモンの名を﹁阿耆達多﹂としていることから、﹁大智度論﹄の著者は、有部系統の伝承 4 1 宝 』
⑬ ⑳ ⑳ ⑳ ⑲ ⑱ ⑰ ⑯ ⑮ ⑭ ⑬ ⑫ ⑪ ⑳ ⑲ ⑬ ⑰ ⑳ ⑮ 、 ⑬ ⑫ 。 大正二三、一八七頁下三。 同上、二四、八八五頁下一 Q喧昌昏営へ周愚酎・日も目 大正二四、四六頁上一八。 同上、四、一六三頁上十。 罰冨白目も&︾目︲閉 ﹃四分律﹂、大正二二、五六九頁上七’八、﹃五分律﹄、大正二二、一頁中十’十一・ 大正二三、九九頁上二九l中十二、一八七頁下二五’一八八頁上十。 同上、二四、八八六頁上四’二一・ 国曾皇昏曽へ渭魯鼠日も目自ら亭圏も︲弓ゞ蝉大正二四、四六頁上二五I下二二。 大正四、一六三頁上一五’一九。 同上、二四、九九頁中一二’一七、一八八頁上十’一五、同上、三四、八八六頁上二二’二七。 Q曾畔ミミミ冑魯固日も目岸唱鵠ゞ扇︲豐蝉大正二四、四六頁上九’二三。 大正四、一六三頁上一九’二一・ 国薑日もぢゞ中段︾大正二二、二頁上二’一三。 ﹃十調律﹄、大正二三、九九頁下十’十一、一八八頁中六’七、﹁鼻奈耶﹄、大正二四、八八九頁中一 国宮舜ミミ震いq嘗吻ゞ白も目﹄も娼岸平ら大正二四、四七頁中二七I下一・ 大正四、一六三頁上二二’二三。 く画琶.岸岸おも?倍榿。○lヘ・ 大正二二、二頁上二○’二五。 同上、二三、一○○頁上九’十、一八八頁中二八。 同上、二四、八八六頁下九’十。 の侍苣尽曽昌。︾嘗吻﹀日︾冒具岸冨︶卜い底︲虐画ゞ大正二四、四四八頁上五’十三。 一母琶.目目月汽︶.﹂﹂今③l﹁ 四。 ﹂︺で・四︵︶︺﹂唖 八’一九。 12
⑭大正四、一六三頁上二九l中一・ ⑳同上、二三、一○○頁中五’六、’八八頁下二四’二五。 ⑳同上、二四、八八七頁上四’五。 ⑳同上、四、一六三頁中四’五。 ⑳Q持計置き畠Q嘗堕﹄日も目﹄︺君堂︺届︲畠﹄P大正二四、四八頁上一八’二五。 ⑳大正二三、一○○頁中七’十三。また一八八頁下二七’一八九頁上四にも﹁若在天祠中供養火為最婆羅門書中薩紳帝 為最一切諸人中郷輪王為最一切諸江河大海深為最於諸星宿中月為第一最一切照明中日光曜為最十方天人中 ⑳尋︾白も瞳少路l患.︾侭唱盲目自民断冨目倒断ぐ旨冒o冨且四“○日口唇目]﹀団両昌一﹄江目ロ白目屋脇目四日口四日ロ“冒切侭四﹃○ 日晨冨日︺ロ幽騨冨菌口幽日日民冨冒8且○︾且甘8国冒国日日一﹄犀国日︶官﹄副四日黒目犀同日習習四日切四目響○くの両冨日日目鼻厨日掛大 正二二、二頁中六’十一・︽一切天祠中奉事火為最一切異學中薩婆帝為最一切厭人中韓輪王為最一切賦流中大海 水為最一切照明中日月光為最天上天下中佛福田為最 ⑪大正四、一六三頁中七’一二。︽外道所修事精勤火為最學問日益明鼠義通為最人中所歸仰遮迦越為最江河泉源 流大海深為最尿星列空中日月明為最佛出於世間受施為上最 佛福田為最﹂とある 43