• 検索結果がありません。

在日外国人に対する日本人の態度―ステレオタイプの視点からの考察―

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "在日外国人に対する日本人の態度―ステレオタイプの視点からの考察―"

Copied!
19
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

在日外国人に対する日本人の態度

―ステレオタイプの視点からの考察―

フィゴーニ啓子

はじめに

1999年、北海道小樽市の温泉施設が「ジャパニーズ・オンリー」の看板をあ げ、米国出身の有道出人(アルドー、デビッド)氏ら他 2 名の外国人が入浴を 拒否された。有道氏は帰化した後にも入浴拒否をされ、「人種差別」として札 幌地方裁判所に提訴した。そして、2002年、裁判所は、外国人の入浴を拒否す るのは人種差別に当たる不法行為として賠償支払いを命じる判決を下した。 9 年後の2008年10月 5 日の朝日新聞では、『後絶たぬ「外国人お断り」』とい う記事が掲載された。外国人は、「たびたび警察官に職務質問されては、不法 滞在の嫌疑をかけられる、アパートの賃貸契約や入居を拒否される、病院での 診療を拒否される、レストランでは追い返される、子どもが『ガイジン』と呼 ばれ、いじめられる、職場ではいつも単純作業ばかりでなかなか昇進しない」 など、外国人に対する偏見や差別の事例が挙げられ、差別を防ぐ法整備、議論 が進んでいない日本の現状が露呈された。 筆者は、80年代後半からアメリカ人の配偶者と日本で生活をしているが、日 本人の外国人に対する偏見や差別的な態度には絶えず敏感であった。残念なが ら、国際化が叫ばれ、グローバル化が進んできたこの20年あまり、新聞で取り 上げられているような、日本人の対外国人へのネガティブな態度はほとんど変 化していないと感じる。 グローバル化、情報化社会の現代、外国人に対する偏見や差別が解消されに くいのはなぜなのか。筆者は、人間の認知システムである「ステレオタイプ」

(2)

にその一因があると考える。ステレオタイプとは、「特定の文化によってあら かじめ類型化され、社会的に共有された固定的な観念ないしイメージのことで ある。通例、紋切り型態度と訳される」(小学館、日本大百科全書より)。社会 心理学では、ステレオタイプのことを、誰もが必然的に持ってしまい、一度、 形成されると、解消するのが難しいと説明している。さらに、ステレオタイプ は、否定的な感情が伴うことで「偏見」に変わり、「偏見」が行為に転化する と「差別」になる(上瀬、2003)が、実際の現象において「ステレオタイプ」、 「偏見」、「差別」は、絡み合っている場合が多く、「差別」することで、「ステ レオタイプ」を確実なものにしていくという(鈴木、2006)。従って、外国人 に対する偏見、差別を考えるとき、日本人が外国人に対してどのようなステレ オタイプを持っているのかということを突き止めることが、偏見、差別を解消 していく上で大きなヒントになると考えられる。 本稿では、先行研究、新聞に掲載された在日外国人の投稿、筆者の経験談な ど具体的な事例を中心に、ステレオタイプのメカニズムや知見の観点から、日 本人が外国人に対してどのようなステレオタイプを持ち、どのように偏見、差 別につながるのかを明らかにし、論じる。そして、ステレオタイプ、偏見、差 別解消に向けて何がなされるべきなのか示唆したい。 注:筆者は、日本人・在日外国人を 2 つのカテゴリーに分けて、ステレオタイプについ て論じることに矛盾をかんじているが、便宜上のこととご理解ください。

1.ステレオタイプについて

ステレオタイプの定義や、ステレオタイプ、偏見、差別の関係については、 先に記したが、ここでは、ステレオタイプの認知、維持のメカニズムと偏見、 差別の関係や、ステレオタイプ、偏見の解消方法についての知見について述べ る。 1-1.ステレオタイプの認知、維持のメカニズム ステレオタイプの認知メカニズムには、共通のイメージがあるものをひとく

(3)

くりにする「カテゴリー化」という機能がある。人は、人間をカテゴリー化す る場合、自分の属する集団を「内集団」、属さない集団を「外集団」に分け、 内集団は、外集団より優れていて、外集団を下に位置付ける傾向がある(内集 団ひいき)。また、政治的立場や文化、宗教などの社会構造の要因が加わると、 自分が所属している集団内で連帯感を高め、外集団に対して嫌悪や敵意を抱く ことがある。さらに、サイズの異なる 2 つの集団の成員に関して、ネガティブ な情報とポジティブな情報を一定の比率で提示した場合、ネガティブな情報と 少数派集団の結びつきが強く認識される(萩原、2004)。つまり、日本の場合、 外国人は少数派集団なので、ポジティブな情報よりネガティブな情報の結びつ きが強く認識され、ネガティブなバイアスが生じやすいという(錯誤相関)。 次に、ステレオタイプの維持のメカニズムに関しては、例えば、「ドイツ人 は勤勉だ」という説を信じていると(仮説確証型の情報処理)、人は、その仮 説に一致する事象を選択し、たとえ勤勉ではないドイツ人に出会っても、「例 外」だと処理して(サブタイプ)、別の勤勉なドイツ人を探そうとする(選択 的認知)。そして、「X さんはドイツ人です」という情報が入ると、自動的に、 「X さん=勤勉だ」というステレオタイプ(自動活性化)が形成される。つま り、ステレオタイプは、一度形成されると、選択的認知、サブタイプ、自動活 性化を通して、強固に維持されてしまうのである。 さらに、情報社会の現代では、マスメディアの影響がステレオタイプの構築 や維持に多いに関係していると言えるだろう。我々は常にマスメディアの情報 にさらされ、知らず知らずのうちに、外国人や、外国文化に対して、ある一定 のイメージ(ステレオタイプ)が植え付けられている。例えば、2001年アメリ カで起こった9/11テロ事件の様子は、世界各国で何度も放送され、その結果、 多くの人々は、アルカイダ=テロ首謀者から、イスラム教徒=テロ首謀者とい うようなイメージを持ち、多くのイスラム教徒に対して偏見や差別が生まれた。 「マスメディアは、ステレオタイプを流布し、長期にわたって維持、再生産す る」(Van Dijik、1987)ことを念頭に置く必要があるだろう。 1-2.ステレオタイプの解消 Allport(1954)は、相手に対する知識の欠如が偏見形成に関わっていること から、接触が重要であるという「接触仮説」を提唱した。そして、多くの研究

(4)

者が、効果的な接触条件について様々な視点から研究を進めてきたが、ステレ オタイプを完全に解消する方法論はいまだ見出されていない。しかし、限定さ れた範囲内であれば、ステレオタイプの変容や低減は可能であることがわかっ てきている。上瀬(2003)は、「ステレオタイプの解消は、究極的には社会の 構造を変え、社会に普及する否定的な文化的ステレオタイプや偏見を解消する 必要がある...個人、個人が、自分に内在するステレオタイプ的な考えを回避 しようと試み、努力し続けることで、その変容や低減が可能である」と指摘し ている。社会構造の変革という究極的な解決方法は、現実的ではないが、個人 の努力によって、変容、低減に努めることは、実現可能であり、推進していく べき方向であろう。 個人に働きかけることでステレオタイプの変容、低減に成功した知見は数多 くある。例えば、Devine(1989)の「分離モデル」(dissociation model)では、 教育や、自らの成長過程で、平等主義的な新しい考えを活性化させることで、 ステレオタイプや偏見を否定する価値観を個人の中で形成する(個人的信念) ことができるという(上瀬、2003)。 Rothbart(1981)は、ステレオタイプの反証事例を増やすことで変容が可能 であるという「簿記モデル(bookkeeping model)」や、極端な反証事例のイン パクトが重視され、サブタイプ化されなかった結果、ステレオタイプの変容が 可能になる「転向モデル(conversion model)」の可能性を提示した(萩原、 2004、21)。

Batson et al., (1997) や Pettigrew(1997)は、異文化の相手の視点で物事を見 る努力をすることによって、異文化交流で最も大切な資質の一つとして捉えら れている感情移入(empathy)の能力が高められ、それが相手に対する偏見や 否定的感情を克服するという研究結果を出した(長谷川、2007)。 メディアの中の外国人とステレオタイプの研究者である大坪、萩原(2004) は、メディアで表象される外国人は「客体」として映し出され、合意、異議申 し立てを行わずに封じ込まれているため、偏ったステレオタイプが作り出され ている。「主体」としての彼らの生の声を真摯に受け止めることが重要である と指摘した。(下線は筆者によるもの) ステレオタイプの変容、低減には、平等主義的な考えや、ステレオタイプや 偏見を否定するような新しい価値観を育成させることが重要であること、そし

(5)

て、それは個人の中に自然発生的には生じないため、ステレオタイプについて 考えさせる「教育」が必要であること、そして、その教育を通して、ステレオ タイプについての知識とともに、共感力、柔軟で客観的な見方、批判的な考え 方(critical thinking)、自己内省力というような姿勢や態度を養うことが重要に なってくるのではないだろうか。

2.日本人の在日外国人に対する態度の先行研究

日本人の在日外国人に対する態度や偏見、差別、ALT など在日外国人が不 快に感じる日本人の言語活動、テレビで表象される外国人とステレオタイプ化 についての先行研究例を紹介する。 2-1.「日本で学ぶ留学生」(1988) 慶応大学社会心理学者の岩男と萩原は、日本人の外国人への態度を明らかに するため、1975年と1985年の二回にわたり、日本で学ぶ留学生を対象に大規模 な質問紙調査を行い、日本の社会、学校のシステム、日本人が持っている特性 について分析結果をまとめた。それによると、十年の隔たりがあるにもかかわ らず、日本社会と外国人に対する日本人の態度の閉鎖性が、変容のない問題で あることを浮き彫りにした。特に、日本社会への適応について、「日本人の考 え方、外国人に対する日本人の態度、日本人とのコミュニケーションなどの対 人関係に直結する要因を適応上の障害」(岩男、萩原、1988-72、73)として挙 げ、日本に長くいて日本語が上手な者ほど、日本社会の閉鎖性や、外国人に対 する日本人の態度、偏見や差別に不快感を表すことがわかった。具体的な例と して、 例 1 ) 日本人は、たどたどしい日本語を話す外国人を容易に受け入れ好意を示 すが、日本語を流暢に話す外国人には「脅威」を感じて疎んじる。日本 語、日本文化は外国人にはわかるはずがないという偏見がある。 例 2 ) 外国人との直接的な接触経験の乏しい日本人は、外国人を特別扱い(お 客様扱い)にしがちになる。 例 3 ) 等質性の高い日本人の集団では、たとえ日本語ができても外国人を自分

(6)

達と同じ仲間として扱うことが少ない。 例 4 ) 日本人の好きな外国人は、アメリカ人、西欧人、白人、金髪、青い目、 英語を話す人など欧米先進国であり、アジア諸国の人々には、無知、無 関心である。 さらに、外国人に対する偏見、差別にかかわるエピソードの例として、 例 5 ) 外国人というだけでアパートや下宿の部屋が借りられない。 例 6 ) 日本人の親は自分の子供が外国人と交際することに反対する。 例 7 ) 小学生に指をさされて「ハロー」と言われる。 例 8 ) どこに行っても「外人、外人」と言われ、毎日、ジロジロ見られ、好奇 心の対象にされる。 例 9 ) 利己的な動機から外国人に近づき、英語を話すことだけを求められたり、 「英語の練習機械」として使われる。 例 1 )から例 9 )は、日本人の閉鎖性からくる偏見、差別の典型例だが、こ れらは、「内集団」「外集団」というステレオタイプのカテゴリー化が強く働い た結果である。特に、例 1 )、例 3 )は「内集団ひいき」、例 5 )、例 6 )は、 「錯誤相関」が差別につながったと例である。 岩男、萩原のリサーチは、日本在住の留学生を対象にしたもので、日本で就 労している外国人、帰化した外国人を対象にしたものではなが、リサーチ結果 を鑑みると、他の在住外国人にも十分当てはまるものであろう。 2-2.「学校内で ALT などの外国人が不快に感じる典型的な言語活動」(2000年) 2000年、McConnell は、「学校内で ALT などの外国人が不快に感じる典型的 な言語活動」という調査を行った。それによると、①「日本語が上手ですね」  ②「お箸を使うのが上手ですね」 ③“Can you eat Sushi?”(正しくは、“Do you eat Sushi?”) ④子どもに「ハロー、ハロー」と言われること、が不快に感 じる言動であるとわかった。 ①、②、③は、日本語や日本文化に精通していることへの賛辞であるが、そ の賛辞は、岩男、萩原の調査結果、例 1 )の「日本語、日本文化は外国人にわ かるはずがない」という発想がもとにある発言で、ALT のように有る一定期間、 日本に住み、仕事をしている外国人は何度も言われることがあり、侮辱された ように感じられたのだろう。また、①~④は、例え日本語、日本文化に精通し、

(7)

日本に長期在住していても、彼らは、「内集団」の日本人にとって、常に「外 集団」に属し、区別されていること、「内集団」の一員にはなれないことを強 く感じさせられる言動なので不快に感じるのだと思われる。McConnell の研究 は、岩男、萩原のリサーチ結果と重なる部分がある。 2-3.「テレビと外国イメージ―メディア・ステレオタイピング研究―」(2004年) ステレオタイプの視点から、日本人が抱く外国、外国人に対するイメージの 先行研究として、2004年発行の「テレビと外国イメージ―メディア・ステレオ タイピング研究―」(萩原、国広、et al.)がある。数々の研究論文をもとに、 日本のテレビで表象される外国、外国人イメージを中心に、テレビのステレオ タイピング機能の分析、ステレオタイプを助長するテレビ番組、CM、出演者 についての分析、小中高生の外国、外国人に関する知識やイメージの発達過程 の分析が行われた。その結果、マスメディアの最大の問題点の一つは、メディ アが与える社会的現実感がステレオタイプに正当性を与え維持させる点にある ということだ(池田、1993)。メディアで表象される外国、外国人は、インパ クトの強い部分や際立った個性がクローズアップされるケースが多いため、陸 上競技などで黒人選手が活躍すると、黒人全員が優秀なアスリートであるかの ような錯覚(外集団均質性効果)を与えたり、国内でおきた外国人による犯罪 がマスコミで取り上げられると、外国人は怖いというイメージ(錯誤相関)を 与える(Hamilton & Gifford、1976)。マスメディアの影響力の強さや偏った情 報に対して、冷静で客観的な見方と批判的な考えが必要であることを示唆した 研究である。

3.新聞に掲載された在日外国人の投稿

ここでは、在日外国人からの投書やインタビューをそのまま彼らの「生の 声」としてとりあげ、筆者の体験談を交えながら、日本人の在日外国人に対す る態度を、ステレオタイプの観点から考察する。但し、紙面の関係上、記事の 中の関連内容のみを抜粋する。

(8)

3-1.「外国が身近な社会づくりを」フィフィ、76年生まれ、エジプト人 この記事は「小学校英語」について意見を求められたタレントのフィフィ氏 が自身の英語とのかかわりや日本社会でのエピソードを交えたものである。 フィフィ氏は、家族の事情で、 2 歳から日本に住み、日本の小、中、高校で教 育を受けた。アラビア語と日本語を話す。インタビューの前半は自身の生い立 ちと小学校英語についての意見が述べられ、後半は日本社会で経験したことを 交え、日本の国際化について言及している。ここでは、後半の部分を紹介する。 日本では別の問題がある。…この外見から私は大学受験の面接で「日本語 書けるんですか」と聞かれたこともある。高校の成績もだしているのだか らわかるはずなのに、留学生と思われてしまう。大学を出た時は就職難。 就職活動では、ある会社で「外国人にお茶くみはさせられない」と言われ た。企業からすれば、外国人を取るなら、それだけのものを持っていない とほかの学生が納得しない。「それなら外国人らしくなろう」と米国に語 学留学した。英語がしゃべれないアラブ人は、日本ではいつまでも認めて もらえない。いまだに黒人が演歌を歌っただけで大騒ぎになる。国際化は、 私が小さい頃から言われ続けているが、外国人への特別視はほとんど変 わっていない。日本は、外国人らしさが要求される社会なのだ。(2008年 3 月 9 日、朝日新聞、オピニオン) 幼いころから日本で育ち、日本の高校の成績証明があるにもかかわらず、外 見から留学生と見なされ、日本語能力を疑問視されたこと、就職活動では、日 本人と同じ扱いを受けられなかったことなど、「外国人への特別視、外国人ら しさが要求される社会」は、日本人=内集団、外国人=外集団というステレオ タイプ(カテゴリー化)の認知的メカニズムが強く働いている典型例である。 外見が日本人らしくない=留学生という「認知」(ステレオタイプ)に、留学 生は日本語が上手に話せないだろうという「感情」(偏見)が加わり、その結 果、就職で採用されなかった「行為」(差別)という図式である。岩男、萩原 の研究結果例 2 )の「外国人を特別扱いする」と例 3 )の「同じ仲間として扱 わない」と一致する。 筆者も、アメリカ人の配偶者を通して「外国人は日本語ができない」という

(9)

ステレオタイプを持った人々と頻繁に遭遇する。例えば、外出先で、夫が流暢 な日本語を話しても、話しかけられた日本人は十中八九、夫のほうに視線を向 けず、隣にいる筆者を見て返事をする。また、日本で生まれ育ち、日本の中学 まで教育を受けた私達の息子も、日本人らしくない顔立ちなので、夫と同じ経 験をする。夫も息子も、日本語が話せるのに認めてもらえない、無視をされた ようで、不快に感じている。特に、息子は日本人としてのアイデンティティが 強いため、日本人として認められないことへの憤りを感じている。つまり、 (息子は)自分が「内集団」(日本人)に属していると思い、外見だけで「外集 団」の人間だと見なされることがくやしいのだろう。そのせいか、たまに、人 から「君はハーフだろう」と言われるとうれしいと言う。「半分だけでも日本 人であることを認められたからうれしい」 北海道小樽市の温泉入浴を断られた有人出人氏も、自身の著書「ジャパニー ズ・オンリー―小樽温泉入浴拒否問題と人種差別」の中で、「外国人は日本語 がわからない・できない」、「顔立ちが日本人らしくない人は日本人ではない」 という大前提(ステレオタイプ、偏見)が、日本人の中に根強くあり、そのこ とが在日外国人や、日本に帰化した元外国人、ハーフと言われる国際児を苦し める大きな問題の一つであることを訴えている。 3-2.アフリカ報道 「努力する現地の人の紹介を」ウィリー・トコ 東京大大 学院生 投稿者は1999年、キリスト教の伝道活動がきっかけで来日した。コンゴ人で、 日本人の「アフリカ観」に関心をもつようになり、大学院で情報学を研究して いる。 近ごろ、日本でアフリカ大陸の話題がよくのぼる。涙を誘うような、難民 キャンプで母に抱かれたやせほそった赤ん坊のポスター。青年海外協力隊 (JOCV)の隊員や支援団体のメンバーの活動の様子。…日本政府のアフリ カ支援の内容も詳しく報道される。…私は、日本で伝えられる様々な活動 に対して頭が下がるし、報道されるべきだと思う。と同時に、懸念を抱く ことも隠せない。もう少しバランスの取れた報道があってもよい気がする。 同情を誘うような一面的な報道は「アフリカはかわいそう!」というイ

(10)

メージを助長し、アフリカ理解の弊害となっているのではないか。…実際、 日々懸命に頑張っている現地の一般市民が無数にいるのだ。…努力をして いる現地の人々こそがもっと報道されるべきではなかろうか。…80年代に 勃発したエチオピアの飢餓は日本でも盛んに報道され、世界の人々の心を 揺るがしたが、「アフリカ=飢餓」というイメージを植え付けてしまった ばかりでなく、一時的な同情に過ぎなかった。今日もなおエチオピアは自 立の道から程遠いままだ。…アフリカは日本からの支援を必要としている が、本当の「支援」とはあくまで、献金ばかりではなく、援助をもらう人 や国、文化をも知ることだ。逆にいえば、支援をする側自身が自分を知る きっかけとなる。支援は異文化理解の一種だ。(2009年 6 月25日、朝日新 聞、オピニオン) この投稿は、先に挙げた萩原、国広の研究のマスメディアの報道の誇張や偏 りとステレオタイプを助長する問題点を、表象された側から提起した事例であ る。日本のメディアでアフリカに関する情報は、他国に比べ、絶対量が乏しく、 その内容も自然や動物、未開の部族、難民や飢餓といった側面に大きくかた よっていることはいなめない(萩原、国広、2003、21)し、バラエティ番組の 「ここがヘンだよ日本人」(1998年10月~2002年 3 月)のメッセージ分析の中で は、各国が討議素材として扱われる時は、アフリカの場合、個々の国や国民だ けではなく、アフリカ、アフリカ人として一括して扱われているという(萩原、 国広、2003、14)。ウィリー・トコ氏が言うように、日本では、エチオピアの 飢餓=アフリカの飢餓として捉えられ(自動活性化)、アフリカに対するネガ ティブなイメージが植え付けられ、それがアフリカ大陸の他の国々への理解を 阻害してしまう結果となっている。「かわいそう」だと同情する、または寄付 行為だけで終わらず、もう一歩踏み込んで、相手国への理解、関心を深めるこ とと、メディアから流される情報を全てだと鵜呑みにしないように気をつけた い。 3-3.「英語が好きな日本人、不思議」 留学生 マキネン オッツォ 私はお酒が好きなフィンランド人だが、最近は飲みに行くのが嫌になった。

(11)

それは、英語で話しかけてくる日本人があまりにも多いからだ。多くの場 合、彼らは私自身には興味をもっていない。英会話の練習ができるチャン スだと思っているようだ。こういう人がたくさんいて、日本にいる欧米人 を困らせている。特に驚かされるのは、相手の英語より私の日本語が明ら かに上手な場合であっても、彼らはしつこく英語で話しかけてくることだ。 …私はいろんな国に友達がいるが、皆そんな経験をしたことはないと言っ ている。なぜ、私の周りの日本人はこんなにも英語が好きなのか、とても 不思議に思っている。(2010年12月11日、朝日新聞、声) マキネン氏の主張は、私の夫を含め、多くの欧米人が不愉快に感じる事例で ある。岩男、萩原の研究結果の例 9 )「英語の練習機械」でも指摘があったよ うに、相手に興味がある、知りたいということで話しかけるのではなく、英語 の練習ができるという利己的な理由が明白だからだ。 しかしここでは、日本人の外国人に対するステレオタイプの問題が潜んでい るだろう。それは、マネキン氏は当然英語が話せる、または英語のネイティブ スピーカーだと思われている点である。彼はたまたま英語が話せるが、フィン ランド人の母語は英語ではなく、英語が話せなくても不思議ではない。つまり、 ここでは、外国人=英語のネイティブスピーカー、外国人=日本語が話せない、 というステレオタイプ(仮説確証型の情報処理)が働き、マネキン氏に英語で 話しかける日本人が多いということだ。 筆者の知り合いのノルウェー人家族も同じような経験をしている。彼らは、 日本に10年近く住んでおり、ノルウェー語と日本語を話す。しかし、白人、金 髪、青い目の彼らは、いつもアメリカ人だと誤解され、「アメリカ人ですか?」 と尋ねられたり、当然のように英語で話しかけられるそうだ。実際は、奥さん と子ども達は英語が話せないため、英語で話しかけられると困ってしまうとい う。話しかける人の中には、「英語は国際語だから」、「外国人は英語が話せ る」と考えているかもしれないが、例え英語が国際語だとしても、全ての外国 人が英語を話せるわけではない。 多くの日本人は、白人とみればアメリカ人だというステレオタイプを持って いる(相良、萩原、2003)。その例として、筆者の同僚のイギリス、カナダ、 オーストラリアなどの英語圏の人々は、アメリカ人だと言われることを不快に

(12)

感じると言う。これは、アメリカが世界的に政治、経済、軍事面で大国である ことと、「日本のテレビが取り上げる外国関連情報は、アメリカに関するもの が圧倒的に多い」(萩原、御堂岡、中村、1987)ことが原因であることが推測 される。白人=英語のネイティブスピーカーならば、白人=アメリカ人と自動 活性化されるのであろう。 また逆の例もある。外見が日本人と変わらない日系アメリカ人は、アメリカ 人として認めらないことを嘆いている。つまり、外見が日本人らしく、また祖 先が日本人であるということで、日本人らしく振る舞うことや日本語を話せる ことを期待され、期待に反する言動が見えると注意をされたり、陰口を叩かれ るのである。そのため、夫の元同僚であった日系アメリカ人の英語教師は、職 場の日本人スタッフの白人アメリカ人教師への態度と自分への態度が違ってい て、自分には、日本人的言動を強要されることに我慢できず、早々とアメリカ に帰国してしまった。日本人にとって、日系アメリカ人は「内集団」に所属し、 同じような言動や価値観を強要してしまい、結果的に差別につながるのだが、 これは、3-1.のフィフィ氏や筆者の息子の例と表裏一体である。 3-4.「内向き日本人、ジロジロの目」留学生 フリヤ・カラス 私はトルコ人の留学生だ。…昨年、来日した。来日直後のことだ。朝、信 号が青になるのを待っていると、横断歩道の向こう側から30人ほどの日本 人の目がいっせいに私にむけられた。道行く人もみな、私を見る。その理 由は、イスラム教の戒律に従い頭にかぶっているスカーフにあるようだ。 今も電車に乗るたび、ジロジロ。どうして日本人は、スカーフをかぶる人 をこんなに珍しがるのだろうか。(2011年 1 月16日、朝日新聞、声) 「ジロジロ見られ、好奇心の対象にされる」という事例は、岩男、萩原の研 究結果 例 8 )と同じである。フリヤ氏の場合はスカーフをかぶっているから ジロジロ見られていると考えているようだが、日本では、外国人は好奇の目で 見られることが常である。これは、筆者も日常的に経験する。自分一人で外出 するときはジロジロ見られることはないのに、夫または息子と一緒に外出する と必ずジロジロと見られる。見られるだけではなく、顔を交互に見比べられる。

(13)

見る側は一人であっても、見られる側は、多くの目がいっせいに向けられるた め、とまどいを感じると同時に、観察されているようで、不愉快な気分になる。 人をジロジロ見ることが失礼だと思わないのだろうかと思っていたところ、筆 者が担当する授業でこの話しをしたら、学生のアンケートの中に、「外国人が いるとつい見てしまう」、「ジロジロ見ることで嫌な思いをさせているとは思わ なかった」と回答した学生が数名いた(フィゴーニ、2011)。 人間は、見慣れ ないものや奇抜なものに対して目が行くのは自然なことかもしれないが、外国 人に限らず、少数派集団はしばしば多数派の目にさらされ、居心地の悪い思い をしている。 3-5.「ひとごとの社会を変えよう」 絵本作家、人権・同和問題講師 ジョエ ル・アソグバ 在日15年、日本人配偶者を持つカナダ人のアソグバ氏は、「外人」への偏見 に向き合いながら、人権教育の講演を続けている。 先日、異なる文化を持つ親子のグループと人種差別について意見を交わし た。…フィリピン系の男の子は、顔につばを吐かれて、「フィリピンに帰 るか、死ね」と言われた。アフリカ系の男の子は、親友の父親から出生地 を聞かれ、「日本」と答えたら、「じゃあ、なんで肌が黒いの」と言われた。 差別の刃は、人間の心の奥深くまで傷つける。人種差別は、人間の本性に よるものではない。…偏見や差別は社会の中で育つものであり、恐れや無 知に起因する。…日本には、自分たちの地域は単一民族文化だから、子ど も達に人種差別の話しをする必要はない、と思っている大人が少なからず いる。しかし、…実際、他のアジア系民族に対する差別は、今なお存在す る。…私はひとごとにように差別に無関心な社会が差別を助長しているの だと思う。…宗教、人種、民族的背景などを悪く言ってはいけない、とい うことを幼少期から教えることこそ大事なことだと思う。まだ子供だから、 という理由で聞き流すと、残酷な言動を私達大人が無意識に容認している ことになるからだ。…子どもたちは、今後さらに多様な社会を受け継ぐこ とになる。教育者として、親として、子どもたちが人種などの違いを多様 性として受け入れ、共に生き、働くことを学べるよう、私達は積極的に差

(14)

別や偏見の問題に取り組まなければならない。(2009年 6 月25日、朝日新 聞、オピニオン) アフリカ系の男の子が親友の父親から出生地を聞かれ、「日本」だと答える と、「じゃあなんで、肌が黒いの」と言われた差別発言やアジア系民族に対す る差別は、日本人であるためには、日本人の両親のもとに日本人として生まれ てこなくてはならず、いかに日本語が上手でも、たとえ法律的に帰化したとし ても、外国人が日本人として受け入れられることはないという(鈴木、1975) ことだ。つまり、「日本人は、日本国で日本人の両親から生まれ育った人」と いうステレオタイプ(仮説確証型の情報処理)に起因している。 筆者の知り合いも同じような差別を経験している。父親がフランス人、母親 が日本人で、関西で生まれ育ち、日本国籍を持ち、日本語が母語の男性は、東 京で仕事をしている。ある時、アパートを借りようと不動産屋に行くと、欧米 系の外見と、カタカナの氏名だったため、アパートの管理人は彼を外国人とみ なし、賃貸契約を拒んだということだ。彼は、自分の生い立ちを説明し、戸籍 を持っていたにもかかわらず断られたということで大変憤慨していた。 オーストラリア在住の日本人作家、森巣 博氏は、2010年10月23日付の朝日 新聞オピニオンの欄で、日本のマスコミは、ノーベル賞を受賞した南部陽一郎 氏がアメリカ国籍にもかかわらず、日本人受賞者または「米国籍で日本人」と 表記して報道していたことを非難していた。「法律上は、日本国籍を所有する 者が日本国民であり、それがイコール日本人となるはずだ。…一般に欧米系の 人たちは、日本で生まれ日本国籍を所有し日本語を母語としていようとも、い つまでたっても『外人』として扱われる。…日本国籍を取得した…元在日韓国、 朝鮮人についても、ほぼ同様だろう。「日本人」と呼ばれる確固たる境界をも つ人間の集団が太古の昔から存在し、その性格は、国籍や来歴とは無関係に天 賦のものであって、訓練や学習を通して後天的には獲得できない、とするのが ほとんどの「日本人論」の考え方だ」。森巣氏の指摘は、最初に紹介した在日 エジプト人のフィフィ氏のエピソードや、先に挙げたフランス人の父を持つ国 際児や、日本に帰化した外国人への偏見、差別を的確に指摘しているとともに、 日本人が持つ日本人像のステレオタイプを痛烈に批判している。

(15)

4.ステレオタイプの低減に向けて

多文化共生やカルチャーステレオタイプ1を研究している広島大学の倉知暁 美教授は、2006年、ステレオタイプを抑制できる人物についてインタビュー調 査をして、ステレオタイプ抑制に働く要因についてまとめた。それは、①家庭 教育、とりわけ親の因習的ではない、外に開かれた養育態度 ②学校での正規 のカリキュラムではなく、いじめや海外でのマイノリティ体験からのイン フォーマルな学び ③生涯教育におけるキーパーソンとの出会い ④高等教育、 高等教育段階における批判的な文化研究の視点の導入 ⑤内省、セルフ・モニ タリング能力、対人コミュニケーション能力、知的好奇心が旺盛で、変化や違 いを楽しむことができる柔軟性に富んだパーソナリティ特性であった。 これらの要因のうち、①~③は、個人の選択や努力で獲得できる条件ではな いが、④は、教育現場で実践できることであり、⑤の「内省、セルフ・モニタ リング能力、対人コミュニケーション能力」も教育によって育成可能である。 また、③の「キーパーソン」は、教師がその役割を担うことができるだろう。 つまり、学校教育の内容や教師の資質や役割いかんで、ステレオタイプの抑制 や低減に大きく貢献するといえる。 では、どのような教育が効果的なのであろうか。山田(2009)は、日本の場 合、講義形式の知識習得を目的とする Top-Down Approach だけではなく、 James(2005、315)が提唱している個人の情緒面の発達や内面の省察につなが る Bottom-Up Approach を薦めている。つまり、学習者の認知、感情、行動に 働きかける参加型、体験型学習で、自己気づきを促し、能動的に問題を考え、 解決できる能力や、複眼的視点の育成、他者、他文化と友好的な関係作りを模 索する態度や姿勢の育成を目指す実践的教育である。 実際に、筆者が2009年に試みたステレオタイプをテーマにした「異文化理解 教育の実践」注 1(フィゴーニ、2011)では、ステレオタイプや偏見、差別のメ カニズム、その具体例、筆者の体験談をワークショップ形式で行った結果、 8 割以上の大学生が、ステレオタイプの危険性を認識し、自身の中にある偏見や 差別に気づいた結果が得られ、内省、セルフモニタリング能力育成のきっかけ に寄与できた。また、小学校外国語活動に関心を持った小学校教員やその関係 者対象に、ステレオタイプをテーマにした国際理解教育のワークショップ注 2

(16)

を行った際も、多数の参加者から、国際理解において、ステレオタイプの問題 を無視できないことを認識したというコメントが得られた。 しかし、倉知(2006)は、「ステレオタイプに容易に偏らない、冷静で批判 的な思考力、柔軟な思考力を、自然獲得することは難しい...長すぎず短すぎ ない適度の人生経験と、多様な異文化経験を待たなければならないこと...教 員養成課程でカルチャー・ステレオタイプ注 3からの脱却を目指す限り、少な くとも高等教育段階では、 1 年未満の短期の海外生活経験に多くを期待したり、 自然の成り行きに任せるのではなく、計画的に、思考の柔軟性や、批判的な思 考、トレランスや自己内省能力を育成することが必至(下線は筆者によるも の)」だという知見を発表している。つまり、ワークショップのような一回限 りの取り組みでは不十分で、継続的、計画的なカリキュラムが必要なのである。 残念ながら、異文化間教育学会の調査(2004)によると、日本の高等教育機 関において、異文化理解関連の授業は少数であり、内容も多岐にわたっていて (山田、2009)、海外で使用されている、ステレオタイプが課題となった「ワー ルドスタディーズ」や「Global Teachers, Global Learners」のようなテキストも ない状況である。思考の柔軟性や批判的な思考、トレランス、自己内省能力の 育成(倉知、2006)を目指した異文化理解、国際理解教育のカリキュラムの構 築と同時に、そのテキストの作成が早急に求められる。 さらに、教師の資質や役割も重要である。倉知(2006)は、「恒常的に日常 生活の場面で、自他文化に対する偏見、ステレオタイプな見方の問題性に気づ かせてくれるような文化のインフォーマント(ないしはキーパーソン)の存在 が必要である」と指摘している。このインフォーマントの役割は、教師が担え るはずだ。教師は、常日頃、授業内外を問わず、学生と接触する機会がある。 外国人、外国文化だけではなく、日常におこるステレオタイプ、偏見、差別の 問題まで幅広く言及し、Devine の説く平等主義的な新しい価値観を活性化で きる立場にいることを自覚すべきであろう。 また、教師自身も、常々、自分の考えや発言にステレオタイプな見方や偏見 がないかセルフモニタリングする必要がある。教師といえども、情報が氾濫す る社会の中で、気づかぬうちにステレオタイプ的な見方や考えが植え付けられ ている可能性がある。人を指導する者は、常に客観的かつ冷静に自己内省がで き、他者を理解しようとする寛容な姿勢、柔軟な思考、批判的な考え方(クリ

(17)

ティカルシンキング)ができるように、常日頃、努力するべきだろう。

5.終わりに

ステレオタイプという言葉を命名したアメリカのジャーナリストのリップマ ン(1922)は、情報過多で多様な現実社会で生きる我々にとって、ステレオタ イプは、この世界を単純化し、整理してとらえることができるため必要なもの だと述べた(上瀬、2003、5 )。確かに、多くの情報や人々を短時間で理解し ていくうえで、カテゴリーに分類し、レッテルを貼るステレオタイプ化は便利 だろう。しかし、「あなたは、女性だから○○です」、「あなたは、日本人だか ら○○ですね」など、自分がステレオタイプを当てはめられる側の立場で考え ると、納得がいかなかったり、傷つく場合がある。ステレオタイプを当てはめ る側と当てはめられる側では、随分、認識が違うということ、当てはめられる 側の立場に立って考えることが大切であることを再確認したい。 本稿では、在日外国人に対する日本人の態度として、ステレオタイプや偏見、 差別の問題を論じたが、当然のことながら、他国でも、外国人に対するステレ オタイプや偏見、差別の問題はあり、人類の普遍的な問題である。また、外国 人問題だけはなく、障害者、貧困層、女性など社会的弱者への偏見、差別、い じめにもリンクしている。 ステレオタイプ、偏見、差別の問題は、外国人問題という狭義の意味として ではなく、人権問題という広義の意味としてとらえ、教育界や教育関係者は、 常に率先してこの課題に取り組むできである。

1  武庫川女子大学、英文科 1 年生を対象に行った異文化理解教育の実践であ る。 1 年生はアメリカフォートライト研修を受けるため、毎年、筆者のリ スニングの授業内で行う試みである。 2  2008年 5 月31日に、筆者が所属していた JACET 関西支部英語力指標研究

(18)

会が、小学校教員、小学校英語活動ボランティアおよび教職を目指す学生 を対象に、「即戦力となる小学校英語活動指導者養成のためのワークショッ プ」を開き、筆者は、「国際理解教育の重要性」を担当した。 3  カルチャーステレオタイプとは、ステレオタイプの一種で、主に、人種、 国籍など文化に関するステレオタイプである。

参考文献

有道出人(2003)『ジャパニーズ・オンリー―小樽温泉入浴拒否問題と人種差 別』明石書店 フィゴーニ啓子、et al. (2009)「小学校英語活動指導者養成カリキュラム―大 学での取り組みに向けて―」『JACET Kansai Journal 』 63-74

フィゴーニ啓子(2011)「学生の意識を変える異文化理解教育の試みと提案― ステレオタイプ解消に向けて―」『Mukogawa Literary Review』No.47武庫 川女子大学英文学会 75-92 長谷川典子(2007)「韓国製テレビドラマ視聴による態度変容の研究」『異文化 間教育25号』 58-73 萩原滋、国広陽子、et al. (2004)『テレビと外国イメージ』 勁草書房 岩男寿美子(1989)「日本人の対外国人態度」『ファイナンシャル・レビュー』 大蔵省財政金融研究所 岩男寿美子、萩原滋(1988)『日本で学ぶ留学生―社会心理学的分析―』 勁草 書房 上瀬由美子(2002)『ステレオタイプの社会心理学』 サイエンス社 倉知暁美(2006)「カルチャー・ステレオタイプからの脱却―日本語を教える 大学教師のマイクロ・エスノグラフィ」『広島大学 高等教育研究開発セ ンター大学論集』第37集 149-165 鈴木一代(2006)「第 5 章 多文化のなかの人間」『異文化間心理学へのアプ ローチ』ブレーン出版 山田礼子(2008)「異文化間教育25年間の軌跡」『異文化間教育』27号 47-61 山田礼子(2009)「多文化共生社会をめざして」『異文化間教育』30号 12-24

(19)

Allport, G.W. (1954/1979) The Nature of Prejudice. New York: Doubleday Anchor Books.

Devine, P.G. (1989) Stereotypes and Prejudice: Their Automatic and Controlled Components. Journal of Personality and Social Psychology, 56, 5-18.

Hamilton, D.L. & Gifford. R.K. (1976) Illusory Correlation in Interpersonal Perception: A Cognitive Basis of Stereotypic Judgments. Journal of Experimental Social Psychology.

James, Kieran. (2005). International Education: The Concept, and Its Relationship to Intercultural Education. 4, 313 朝日新聞 2008年 3 月 9 日、オピニオン、「外国が身近な社会づくりを」、フィフィ 2009年 6 月25日、オピニオン、アフリカ報道「努力する現地の人の紹介を」 ウィリー・トコ 2009年 6 月25日、オピニオン、「ひとごとの社会を変えよう」 ジョエル・アソ グバ 2010年10月23日、オピニオン、「米国籍で日本人」、森巣 博 2010年12月11日、声「英語が好きな日本人、不思議」 留学生 マキネン・ オッツォ 2011年 1 月16日、声「内向き日本人、ジロジロの目」留学生 フリヤ・カラス

参照

関連したドキュメント

損失時間にも影響が生じている.これらの影響は,交 差点構造や交錯の状況によって異なると考えられるが,

はある程度個人差はあっても、その対象l笑いの発生源にはそれ

仏像に対する知識は、これまでの学校教育では必

1 月13日の試料に見られた,高い ΣDP の濃度及び低い f anti 値に対 し LRAT が関与しているのかどうかは不明である。北米と中国で生 産される DP の

はありますが、これまでの 40 人から 35

巣造りから雛が生まれるころの大事な時 期は、深い雪に被われて人が入っていけ

二月八日に運営委員会と人権小委員会の会合にかけられたが︑両者の間に基本的な見解の対立がある

彼らの九十パーセントが日本で生まれ育った二世三世であるということである︒このように長期間にわたって外国に