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龍谷大學論集 481 - 002田中龍三「ソクラテスのダイモニオンについて(四) : ダイモニオン伝説の誕生」

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(1)

龍谷大学論集 阿

ソクラテスのダイモニオンについて

ーーダイモニオン伝説の誕生││

(

)

第五章

ダイモニオン伝説

キケロ

の考察│

これまでの考察によると、 ソクラテスの死後、彼の生き方を後世に伝えようという共通の意図のもとで、 じつにさ まざま異なったソクラテス像が形成されたようである。そしてそれらに応じて、ダイモニオン理解も異なった様相を 呈していると言えるだろう。さらに、わたしたちの手元には届かなかったが、ソクラテスをめぐる著作が他にも数多 く書かれていたようだ。三世紀前半に活躍したディオゲネス・ラエルティオスは、その著﹃ギリシア哲学者列伝﹄の なかで、前二世紀のストア派の学頭パナイテオス(前一八五年頃ー一

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九年)の見解としてつぎのような証言を伝え て い る 。 ﹁ところで、パナイテオスは、すべてのソクラテス対話篇のうちで、プラトン、 ク セ ノ ポ ン 、 アンティステネス、 およびアイスキネスによって書かれたものは真実であると考えている。だが、パイドンやエウクレイデスが書い ているものについては、彼は疑いをいだき、またそれ以外の他の作品についてはすべて否定している﹂

(2)

これまでに考察したプラトンとクセノポンを除くと、残念なことに、それ以外の﹁ソクラテス対話街﹂は断片がい くつか残されるだけである。それらにどのようなソクラテス像が描かれていたのか、詳細を知ることはきない。けれ ど も 、 パナイテオスがそれらを 1 真実である﹂﹁疑う L ﹁ 否 定 す る L と区別していることからしても、 より多様なソク ラテスのすがたが拙かれていたであろうと推測はできる。そして、これらソクラテスの記憶をとどめようという怠凶 で脅かれた﹁ソクラテス哲﹂は、プラトンの晩年にあたる前四世紀の中頃に終目局したと言われ&。だが、ソクラテス きっとそれら﹁ソクラテス書﹂をもとにしてのことであろう、ソ クラテスを直接には知らないひとたちも、ずっとソクラテスについて書き続けたのである。多くのひとがそれぞれの について語られなくなったわけではない。むしろ、 ソクラテスを語ったのだ。それらを本論では、﹁ソクラテス書﹂を擬して苦かれたものとして、寸ソクラテス擬書﹂と 呼ぶことにする。もっとも、その著者や年代が正確に特定されないものが多く、また、実物に援していない以上、そ こに怖かれているソクラテスは実像とは離れたものかもしれない。しかし、逆にそれだけに、たいへん興味深いもの もある。﹁ソクラテスのダイモニオン L に関して言えば、それがどのように伝えられていったかを知る貴重な資料と 言えるだろう。それらのうちのいくつかを取り上げ、考察していくことにしよう。 擬プラトン﹁テアゲス﹂ まず最初に﹃テアゲス﹄という対話篇を見てみよう。この作品は、後一世紀にトラシュロスがまとめた﹁プラトン 著作集 L のなかに含まれてはいるが、今日では一致して偽作と認定されている。真の作者については、プラトンの時 代に学園アカデメイアの弟子によって書かれたとする説と、前二世紀ころにプラトン読者のうちのひとりによって書 かれた作品とする説に分かれるようであ&。対話篇﹃テアゲス﹄でソクラテスの対話相手をつとめるのは、公職を退 いたあと裕福な隠遁生活をすごすデモドコスと、その息子テアゲスである。父デモドコスは、息子テアゲスを知者に ソクラテスのダイモニオンについて(凶)(田中) 五

(3)

龍谷大学論集 --' -/、 しようと、彼の教育をソクラテスに依頼しようとする。そして、そのテアゲスの求める﹁知﹂について、 それが何で あ る か 、 ソクラテスを中心に対話が展開されていく。副題は、﹁知恵について﹂である。そのなかでソクラテスは、 すこし議論の主題からはずれるかたちで、自分がこれまでともにすごしてきたひとたちとの経験談を語る。そこで、 寸ソクラテスのダイモニオン L にまつわるいくつかの事例が示されるのである。それはあたかも、この対話篇の主題 であるかのようにも見える。 さ て 、 ﹃ テ ア ゲ ス ﹄ のなかで最初にダイモニオンが諮られるのは、﹁国家社会のことにかけての知者 L に な る た め に 、 ( q

h ) ﹂を望んで相談にくるが、ソクラテスは踏踏する、 デモドコス親子はソクラテスと寸ともにすごすこと その理由を語る場面においてである。 ソクラテスはつぎのように言う。 いるのだ。それは声(も

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﹁神の定めのようなもので、わたしには、子供のころから

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司 一h g q ) 始まって、ダイモニオンが付きそって であって、それが現われる時にはいつも、わたしがしようとしていることをさし それをすすめることはどんな場合にもないのである べ 。 円 可 。 e A M H 。 吋 芯 。 尚 弘 戸 M 号 。 ベ も b z h 門 司 郎 。 。 内 w h N S ぺ 向 ) L ひかえるようにわたしに合図し、 ,.町、、 c:::lq 品 回 、 hh 品 川 し 戸 L F e M

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AH1 吋 1 h 川 h 刷 、 ・ 葉づかいを含めて、 ここで諮られていることに関しては、第二章で考察したプラトン ほぽ同じである。確認しておこう。 ﹃ソクラテスの弁明﹄で描かれている内容と、雪日 コ﹂れはわたしには、子供のころから ( h N R 2 & q ) 始まったもので、 るのだ。それが現われる時にはいつも、わたしが何かをしようとしているときに、 一種の声(も

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となって現われ それをわたしにさしとめるの

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そ れ を す す め る こ と は ど ん な 場 合 に も な い の で あ る 討 も 尽 吋 ぺ 向 h H ﹀尚、。ぺも h u H h w h 匂 件 。 弘 司 円 。 べ 向 ) ﹂

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弘 司 円 。 同 ー も h 市 川 吋 h 川 h h h h円ぺ。ロベ。向山 h 時制、交臥 -H h e で あ っ て 、 つまり、ダイモニオンが寸声﹂であること、 ま た 、 ソクラテスが﹁しようとしている﹂ことをさしひかえさせ、 け っしてするように命じることはないこと、さらには、﹁子供のころから﹂のものであること、これらの特徴は、ふた m w つの対話篇に共通す街。しかしながら、﹃テアゲス﹄でさきの引用につづいて語られることのなかには、まったく新 たな要素が加わってくる。 ﹁また、友人の誰かがわたしに相談にきて ( h H

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、その声が現われる場合でも同じことだ。それをさ 凶 M 向 日

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ヒ ) ﹂ しひかえさせ、することを許さないのだ この証言だけでは読み取りにくいかもしれないが、大きな違いがある。ダイモニオンは、 ソクラテス自身がしよう としたことに対してソクラテスに現われるだけでなく、ソクラテスの友人が何かをしようとしたことに対してソクラ と言われているのであ&。ここでのダイモニオンは、他人が意図した行動を禁止させる声でもある テスに現われる、 の だ 。 もっとはっきりと語られている個所を見てみよう。 さきの言葉につづいて、 ソ ク ラ テ ス は 、 そのように他人の行為 を禁止するダイモニオンが現われたにもかかわらず、 それに背いたばかりに、 その当のひとに善くない結果が生じた 事例をいくつも挙げる。 ソクラテスのダイモニオンについて(四)(田中) 七

(5)

他谷大学論集 J¥ メネア競技会のレ!スの練習をしようとしてぞ立

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、わたしに相談にき たのだ(号

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と言い始めるやい その声が現われた﹂ ﹁カルミデスはかつて、 な や 、 カルミデスとは、プラトンの対話篇﹃カルミデス﹄の主役でもあるが、やがて政治家となって﹁三十人独裁政府 L に加担し、後に滅ぽされることになる人物であ&Dそのカルミデスは、この引用のつづきによると、ソクラテスの忠 告を受け入れずに練習をした。その結果について、対話篇では明らかにされていないが、﹁カルミデス自身に尋ねて みる価値があ&﹂とソクラテスが述べているところを見ると、よくないものであったことは容易に窺い知れる。とも あれ、ここで重要なのは、 カルミデスが﹁

1

しよう﹂としたことに対して、ソクラテスに﹁その声が現われたしとい ひとつ前の引用に戻ってみると、やはりソクラテスの友人が﹁相談にきた﹂のは、彼が何かを しようとしてであることが明白に読み取れるであろう。 また、別の事例として、とある殺害を企てていたティマルコスという人物がそれを実行に移そうとしたさいの、ゾ A W クラテスとのやり取りが語られてい街。酒宴に参加していたティマルコスが、寸殺害するために(奇史認さ

ε

日 η ) ﹂ う点である。そして、 その場を立ち去ろうとしたときのことである。 ソクラテスはこう説明する。 ﹁するとわたしにあの声が現われたのだ。そこでわたしはティマルコスに向って言った。﹁いや、決して立って わ た し に い つ も の ダ イ モ ニ オ ン の し る し が 現 わ れ た か ら だ

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志 向 ヘ e m w b q q 昔 話 問 。 モ ベ 与 匂 Q 吉弘足。で)﹂。すると、彼はさしひかえた。そしてそれからすこしたつと、テイマルコスは再び行 く 気 に な っ て ( ら も ℃ 含 ! 一 。

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、﹁では行くよ、ソクラテス L と言った。もう一度あの声が現われた。そこでわ はならない。 というのも、

(6)

たしはまた彼を無理にひきとどめたのだ。三度目には、彼はわたしに気付かれないようにと思い、わたしがほか のところに気を取られているあいだに、もうわたしには何も言わないで、ひそかに立ち去ったのだ。彼はそのよ うにして立ち去っていくと、ことを果たして、・それで死んでいったのだ L いった表現が用いられているが、同じく、 ここでは﹁殺害するために

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﹂という目的を表す未来分詞や、﹁ーする気になる(舎

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-ヒ + 一 口 戸 ) ﹂ と ソクラテス自身ではなく彼と一緒にいたひとの行為に対して、ダイモニオ ンは現われたのである。そして ソクラテスの忠告、 いや正確に言うと、 ソクラテスに生じたダイモニオンの合図に 背いたティマルコスは、殺害には成功するものの死罪に処せられることになったのである。 さらに、歴史的な出来事とも関連させながら、 一 三 年 ) いくつかの事例が示される。かつてのシケリア遠征(前四一五│四 は、ソクラテスのダイモニオンの合図に逆らって挙行され、アテナイ軍は壊滅したこと、また現在進行中の 話として、エペソスに遠征しているサニオンなる人物も、彼の出征時、白分に生じたダイモニオンゆえにその安否が 仙 却 気がかりであること、 これらをソクラテスは語るのである。そのうえでつぎのように言う。 ﹁さて以上のことをすっかりあなたに話したのは、このダイモニオンのこのような力は、 わたしとともに時をす ご す ひ と た ち と の 交 際 に ま で 全 面 的 に 作 則 が 及 ぷ か ら だ ( 内 々 込 山

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で 乱 含 hさ乏で Qah) 。じっさいそれは多くのひとたちに対して反対するのであって ( M 円 。 如 何 。 町 内 1 次 郎 で 豆 、 も 品 川 で h H ミ

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ベ h H h ) 、そういった多くのひとたちにとっては、わたしとともにすごしても利益を受けること はなく、したがってわたしは彼らとともにすごすことはできないわけだ。: 他 方 、 ひとによっては、ダイモニオンの力がわたしと彼らがともにすごすことを助けるようなひとたちもいる ソクラテスのダイモニオンについて(四)(問中) 九

(7)

龍谷大学論集 四 0 のであって、あなたもまた気づいているようなひとたちがそれだ。すなわち、彼らは急速な進歩を遂げるのだ

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ここでは明確に、﹁ダイモニオンのこのような力は、わたしとともに時をすごすひとたちとの交際にまで全面的に 作用が及ぶ﹂と語られているのである。たしかに、ダイモニオンがソクラテスの周辺人物に影響を及ぽすととについ ては、第二章で取り上げたプラトン﹃テアイテトス﹄ のなかで、類似したことが諮られていた。それはこうだ。 ﹁そういうひとりにリュシマコスの子アリステイデスがいて、その他たいへん多くのひとたちがいる。もしそう いったひとたちがもう一度やってきて、わたしとともにすごしてほしいと願い、あきれるようなことまでして見 せる場合、わたしにいつも現われるダイモニオンは、 そのあるひとたちとはともにすごすことを妨げ、他のある た 吟 と は と も に す ご す こ と を 許 す の だ

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﹂ ﹃ テ ア ゲ ス ﹄ の内容と同様に、多くの友人が﹁ソクラテスとともにすごすことを求めて (常令 hg

h s q 令 部 q qegeqbNq)﹂やってくることが語られているし、また、ダイモニオンがソクラテスとの交際を許した人たちは﹁進 歩を遂げる(。守定安

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﹂という点も同じであるロしかし、﹃テアイテトス L では、友人たちがソクラテス とともにすごそうとしたことに対してではなく、それに対応しようとしたソクラテスに、ダイモニオンがあらわれる、 四 あるいは現われないというかたちであった。 つまり、あくまでもソクラテス白身の意図した行為にダイモニオンが関 与し、その結果として、 ソクラテスの周辺のひとたちに利益が与えられたり、与えられなかったりしたのである。そ

(8)

れに対して、この﹃テアゲス﹄でのソクラテスの言葉や、 っていツいずれの事例においても、対話相手が﹁しようとした﹂ことに、ダイモニオンがソクラテスに現われるの ソクラテスが挙げた事例は、ことごとく異なっていると言 である。ひょっとするとこのことも、﹃テアゲス﹄が偽作と認定される根拠のひとつとなるかもしれない。 (擬)プラトン﹃第一アルキピアデス﹄ ところで、寸プラトン著作集 L のなかには、今日その真偽性がなお議論されている﹃第一アルキピアデス﹄という 対話篇が含まれている。そこでも、ダイモニオンによってソクラテスとともにすごすことが許され、利益が与えられ ることが約束された人物が登場する。対話篇の書名ともなっている、かの有名なアルキビアデスである。この対話篇 について、論者のなかには、さきの﹃テアゲス﹄と同様に、学園アカデメイアの学生によって、しかも年代を限定し 向 U て前三四

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から前三三

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年に書かれたのではないかと推測する者もいるようだ。さしあたり真偽性については留保し たまま、﹃第一アルキピアデス﹄で語られるダイモニオンについて、これまでの議論を踏まえて考察してみよう。 四 この対話篇で主役をつとめるアルキピアデスは、本当にいろんな点で有名人であった。そのせいなのか、﹁プラト ン著作集 L のなかには、同一人物を主役とした﹃第二アルキビアデス﹄と呼ばれる偽作がもう一冊ふくまれている。 また、この章のはじめに挙げた﹁ソクラテス書﹂の作者たちのうちでも、アイスキネス、エウクレイデス、アンティ

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ステネスの三人が﹃アルキピアデス﹄という対話篇を書いたと伝えられる。ソクラテスとアルキピアずスとの関係は 間 どのようなものであったのか、この﹁アルキビアデス問題﹂は、当時の大きな関心事であったようだ。というのは、 若いころソクラテスとともにすごしたアルキビアデスは、 四 むしろ野心の強さと無節操ぶりが際立ち、 のちに政治家として、 また軍人として、 たしかに活躍はす る も の の 、 ついには祖国アテナイを裏切り、 アテナイ人たちに大きな害を 与えることになったからである。 アルキビアデスは、 ソクラテスへの訴状寸青年たちを腐敗させる﹂で言われている ソクラテスのダイモニオンについて(四)(田中) 問

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龍谷大学論集 四 J H L のひとりとさえ目されている。 しかしながら、この﹃第一アルキピアデス﹄に驚場する彼は、 ソクラテスとの交際を望む美青年アルキビアデスで ある。すでに第三章で考察したプラトンの真作﹃饗宴﹄に出てくるアルキビアデスと、 ほぽ同じような人柄が描かれ ている。アルキビアデスの美貌は当時のアテナイではそうとう有名だったようで、多くのひとたちが彼との交際を求 めてアルキビアデスのところにやってきた。しかしながら、 アルキビアデスはその気にならず、彼らは退散していく。 そのようななか、これまでアルキビアデスに対して何のそぶりも見せなかったソクラテスが、彼のもとにやってきて、 アルキピアデスは白分との交際によってこそ優れた人物になるであろうことを、臆面もなく主張するのだ。そして、 それができたのは、 かのダイモニオンのしるしがあったからなのである。 ふたりのそのやり取りはこうである。 ソクラテス寸わたしの後見人はあなたの後見人ペリクレスよりも優れていて、 アルキビアデス﹁それは誰のことですか﹂ またより知恵があるのだ﹂ アルキビアデス。今日のこの日まであなたと対話することを許してくださ らなかった(。安え Q ・: : -P Q如実もせぬこその方だ。この方を信頼してわたしは、あなたが名声を手に入れる

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ようになるのはわたし以外の他の誰によってでもない、と言うのだ﹂ ソクラテス﹁それは神(野庁)だ、 アテナイの黄金時代を築いた政治的指導者で、アルキビアデスの親戚にもあたる。そのペリクレ スよりもすぐれた後見人であり、ここで﹁あなたと対話することを許さなかったしと言われている神とは、まぎれも なくダイモニオンのことをさす。そのダイモニオンがいまは許しを与えたのである。このことは対話篇の回目頭でつぎ ペリクレスとは、 の よ う に 一 言 わ れ て い た 。

(10)

﹁クレイニアスの息子(アルキピアデス) よ、思うのだが、あなたは不思議に思っているだろう。わたしがあな わたしひとりだけがはなれずにいるのだか たの最初の恋人になって、他のひとたちはあなたをあきらめたのに、 ら。また、他のひとたちときたら、取り閤んであなたと話をしていたのに、 わたしはとき円えば、これまでずっと 話しかけもしなかったのだから。けれども、話しかけなかった理由は、 ひとが反対したからではなくて、 むしろ とあるダイモニオンの反対があった ( て 似 て 。 忘 刷 、 。 む 民 営 、 も も ら 河 内

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﹀ h s h h 口 内 宮 古 門 判 定 。 刷 、 凡 で h え e h h h H ) からなの ま た あ と で あ な た に 話 す こ と に し よ う 。 た だ い ま は も う そ れ が 反 対 を し な い だ。それの力については、 ( 。 む な 一 見 守 h さ 吋 1 5 U H d h ) から、こうしてあなたのところにきているのだ。ダイモニオンはこれからも反対しな いだろうと、わたしは楽観していゐ L ソクラテスは、ダイモニオンの二通りの指示に従ったことが見て取れる。そして、これまでの考察 を頼りに一言葉を補うと、こう言えるだろう。まず、コ﹂れまでずっと﹂、ソクラテスがアルキピアデスに﹁話しかけし こ の 証 言 か ら 、 ょうとしたときに、ダイモニオンがソクラテスに生じた。だから、 ソクラテスはそれを﹁ダイモニオンの反対﹂と理 解し、話しかけることをやめた。だが、﹁いま L 話しかけようとしたとき、ダイモニオンは現われなかった。 ゾクラ テスはそれを寸ダイモニオンの許し﹂と理解し、 アルキピアデスのところにきている。対話篇を読み進めると、ここ アルキピアデスが政界入りの資格を得る年齢となる数日前であり、また、アテナイの演別に立つ 国 用意をしているときであることが分かる。そこで何を話すか、そのための助胃を必要としているときである。他方、 での﹁いま﹂とは、 それより以前の﹁これまでずっと﹂とは、 アルキビアデスがもっと若かったころであり、何事にもひとの助けを必要 とせず自信に満ちていたころである。これらの点をふまえると、 おそらくソクラテスにはつぎのような推論が成立し ていたのであろう。 ソクラテスのダイモニオンについて(四)(田中) 四

(11)

龍谷大学論集 四 四 -これまでずっと、 アルキビアデスとともにすごそう(話そう) とするわたしにダイモニオンが現われた。 -し た が っ て 、 そのときアルキピアデスとともにすごそうとすることは正しくなかった。 -そ の 理 由 は 、 まだアルキビアデスが自分を受け入れる用意ができていなかったことにある。 -い ま は 、 ともにすごそうとしてもダイモニオンは現われない。 -し た が っ て 、 いまアルキビアデスとともにすごそうとすることは正しい。 -そ の 理 由 は 、 アルキビアデスは自分を受け入れる用意ができている。 -ダイモニオンの許しを得てソクラテスとともにすごすものは進歩を遂げる。 -し た が っ て 、 アルキビアデスはわたしによって進歩を遂げる。 さきに引用したような、自信に満ちた臆面もない主張をソクラテスはすることができたのである。そ の推論はつぎのソクラテスの発呈白からうかがい知ることができる。 だ か ら こ そ 、 ﹁わたしが思うに、あなたがもっと若くて、このような希望をいだくようになる以前には、神は話をすることを 許さなかったのだが、それは話が無駄にならないためだったのだ。だがいまは認めておられる。

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もわたしの言うことに耳を傾けてくれるだろうからね﹂ いまならあなた ソクラテスは、ダイモニオンを契機として、 みずからの議論によってひとつの結論にいたったのだ。ダイモニオン とともにロゴスにも従うソクラテスのこのありかたは、第二章でみたソクラテスの姿と重なる。そして、結果として ソクラテスの周辺の人物に利益を与えるのではあるが、ダイモニオンはあくまでもソクラテス白身が﹁しようとし

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た﹂ことに生じた。そうだとすると、﹃第一アルキピアデス L でのダイモニオンは、他の真正のプラトン対話筋のそ れと一致するのである。もし、対話篇の真偽性について述べることがあるとすると、﹃第一アルキビアデス﹄は、こ の点では真作とみなされうるかもしれない。 しかしながら、ダイモニオンに関しては、なおひとつの反論が予想される。このアルキピアデスは、ダイモニオン に従いソクラテスとともにすごしたものの、 その後の生きざまを見るかぎり、さきに述べたとおり、 ソクラテスの教 えを実践したとはとても思えない。 つまり、﹁進歩を遂げ﹂たようには見えないのである。そうであれば、ダイモニ オンは誤ったしるしを与えたことになりはしないか。クセノポンの考察でもみられたように、 その最終的な結末から 内 U 判断すると、﹁ソクラテスはダイモニオンについて誤ったことを詰った(日三

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﹂とい う批判が成立しうるだろう。すくなくとも、論敵からは。 この点について、プラトンの対話儲から直接に弁明を聞くことはできない。アルキピアデスが登場する対話稿の設 定年代はじつに微妙である。彼が登場する﹃プロタゴラス﹄とこの﹃第一アルキビアデス﹄の対話の場面は、それぞ れ、前四三三年、前四三二年となっており、そこにいるのは、ソクラテスとの交際を望む十代後半のアルキピアデス である。また、第三章で考察した﹃饗宴﹄の設定年代は、さきにも述べたが前四一六年であり、その年は、アルキピ アデスによって推進され、彼の政治的・軍事的キャリアのなかで大きな転機となったシケリア遠征の前年にあたる口 つまり、プラトンの真正対話篇に出てくるアルキピアデスは、それ以前の彼なのである。プラトンのソクラテスは、 ほぽ沈黙したままなのであ旬。 その後のアルキピアデスに関して、 さきに考察した﹃テアゲス﹄は、偽作ならではの答えを与えてくれている。﹁進歩する﹂のは、あ くまでもソクラテスと一緒にいるときだけだ、と言うのである。 それに対して、 ソクラテスのダイモニオンについて(四)(問中) 四 五

(13)

龍谷大学論集 四 /、

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w h 門 河 内 山 h H q h で ) も の の 、 わたしから離れてしまうと、 わたしとともにすごしているあいだは驚くべき進歩を遂げる 回 また他の誰とも変り映えしなくなるのだ L ( も h H e h h h 地 q h

F ﹁しかしながら、多くのひとたちは、 きっと、このソクラテスがアルキビアデスについて語ったとすれば、 アルキビアデスもここで言われている﹁多く 聞 そう言うであろう。だが、もし徳は知であり、知は寸確固たるもの L であるとするなら、 のひと﹂のひとりである、 そもそも一時的な改善を﹁驚くべ き進歩(も Q

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qS で 常 h p g R q ミ)﹂とまでは言わないであろう。もっとも、﹃テアゲス﹄の対話の場面は前四

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九年 に設定されている。そこでの対話では、シケリア遠征にはダイモニオンの反対があったことも語られている。つまり、 遠征を推し進めたアルキピアデスは、ダイモニオンに背いた人物ということになるのだ。よくない結果が訪れるのは このようなことは言えないであろうし、プラトンの報告するソクラテスであれば、 当然であり、 その原因はあくまでもアルキビアデス自身にあることになるであろう。 ソクラテス書簡集 さて、﹁プラトン著作集﹂とは別に、﹃ソクラテス書簡集﹄というものが、わたしたちに伝えられている。ソクラテ スがやり取りしたとされる総数わずか七通の書簡であるが、今日その真偽性は何ら議論されることはない。なぜなら、 偽作として見解が一致しているからである。成立年代は、早ければアレクサンドリア時代(前回世紀末│前一世紀

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末)、遅い場合は三世紀初頭の可能性もあるとされている。ずいぶんの幅のありようだが、それはソクラテスの影響 の大きさを物語るものであろう。そのなかの一通に、ダイモニオンに言及されているものがある。﹁ソクラテスより﹂ と題されたその書簡は マケドニア王アルケラオス ( 在 位 前 四 二 ニ ー ー 三 九 九 年 ) へ宛てた返信という体裁で書かれて い る 。 ソクラテスを自国マケドニアに招請しようとする王アルケラオスの書簡に対する、 ソクラテスによる断りの返

(14)

事である。招訪を断る理山として、 ソクラテスはダイモニオンを語るのである。 ﹁かの仰は(安

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ぺ)わたしがこの地を離れることを許さないのです(島も守

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。交&)。わたしはむろ んのこと神に従わなければなりません。なぜなら、神は何がふさわしいかをわたしよりよく御存じなのですから。 わたしがあなたのところへ赴こうとしたときにその神はさしとめ

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押さ守合奇 m m H 日 立 た で Q h ) 、二皮目にあ なたがわたしに手紙をくださったときにも、それを禁じたのです(奇ミ号

23

で ) 寸 さらにソクラテスはつづけて、自分が語るダイモニオンが一般に受け入れられていないことを認めながらも、 -A F -B e u -1 2 7 4 がもたらす有品川さを、事例を挙げながらつぎのように諮っている。 ﹁ ・ も つ シ ヤ も 、 わたしがダイモニオンのことを語っても信じてもらえそうにないことは、続くことではありません。 これまでも、他のひとたちがわたしにそんなそぶりを見せたことは少なくないのですから。デリオン郊外の戦い のさいにも、大部分のひとたちはわたしを信じようとはしませんでした。そのときわたしは軍務に服し、アテナ イの全軍をあげての遠征に参加していたのですが、われわれが多数で一斉退却に移り、とある渡河点にさしかか っ た と き 、 わたしにいつものしるしが現われました ( q e 足、母、足立た

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ま ぺ q 苦 品 川 。 ヒ ) 。 そ こ で わ た し は 立 ち そちらへ進むべきではありませんロダイモニオンが、かの声がわたしに 止まり、こう言ったのです。寸皆さん、 現われましたから L 。しかし大部分のひとたちは、あたかもわたしが時宣をわきまえずに冗談を言っているとで まっすぐ行ってしまいました。ただ一部の少数のひとたちはそれに従って、わたしと一緒に も思って腹を立て、 反対の道をとったため、無事に家にたどり着いたのです。他のひとたちは、 かれらのうちのひとりだけ帰還した ソクラテスのダイモニオンについて(四)(田中) 四 -じ

(15)

龍待大学論集 1'4 J¥ ひとによれば、全滅したそうでわ﹂ ここでの事例は、前回二四年、テバイを中心としたポイオテイア同盟軍との戦いで、 じっさいにソクラテスがアテ ナイ軍の一員としてボイオティア地方の町デリオンに出征し、それが失敗に終わり退却した、という史実をもとにし ている。ちなみに例のアルキビアデスはその時一緒で、馬に乗りながら、徒歩の重武装で従軍していたソクラテスを 励ましたそうである。それはともかく、この書簡によると、デリオンからの退却のさいにダイモニオンがソクラテス に 現 わ れ 、 それに従わなかったものは害を蒙り、従ったひとたちは無事生還するという利益を得た、 というのである。 つ ま り 、 ソクラテスのみならず彼の周辺のひとたちをも巻き込む力として、ダイモニオンは描かれているのである。 たしかに、この個所でのダイモニオンはソクラテス自身の行為に生じたものであり、その点では真正のプラトン対 話篇で語られているダイモニオンの特徴と一致する。また、その禁止の命令に従ったものを寸進歩 L させたと言える やはり﹃テアゲス﹄との類似性の方が際立つように思われる。もたらす﹁進歩﹂がソ クラテスの語る徳とは結びつかない点、そして何より、歴史的事実と関連させられている点である。もっとも、この ﹁デリオンの戦い﹂それ自体は、プラトンやクセノポンの﹁ソクラテス書﹂のなかでも触れられている。だが、そこ でダイモニオンに関することは何ひとつ触れられていない門。もし、そこにダイモニオンが生じていたならば、何らか の言及があってもいいのではないか。後の人物による創作と判断するのが自然であろう。 かもしれない。しかしながら、 と こ ろ が 、 ソクラテスのダイモニオンと関連させて諮られるこの寸デリオンの一件﹂は、後にも論じるが、プルタ ルコスの﹃ソクラテスのダイモニオンについて﹄によると、 かなり有名なこととされ、プルタルコスはシミアスにつ ぎのように諮らせている。

(16)

しかも多くのひとから聞いている。じっさいその話がもとで、 同 どのアテナイ人に知られることになったのだ﹂ 何 度 も 、 ソクラテスのダイモニオンは、 ほとん さらにまた、ここでシミアスが言う寸何度も、 しかも多くのひとから聞いている L この一件は、前一世紀に生きた かの有名なキケロの、﹃占いについて﹄という著作のなかにも見いだすことができるのである。ラテン世界でも、 ソ クラテスのダイモニオンは、ある種、形を変えて、知れわたっていたようだ。 キケロ苛占いについて﹄ 著者キケロ ( 前 一

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六年│四三年) について、ここで多くを述べる必要はないであろう。紀元前一世紀、共和政ロ ーマで活躍した政治家であり、弁論家であり、哲学者である。数多くの著作や弁論が残されているが、その多さが逆 にわざわいとなったのか、キケロ自身の哲学的立場はあまり明確ではなく、一般には折衷主義者と理解されてきわ。 ﹃占いについて﹄は、キケロの小作品である。日本語の翻訳﹃キケロ

l

選集﹄のなかには、残念ながら含まれていな い。もちろんこの書は、本論で﹁ソクラテス擬書﹂と呼ぶものとは性格を異にする。キケロはソクラテス、およびソ クラテスの主張を哲学的考察の対象として取り上げているのである。 ﹃ 占 い に つ い て ﹄ は 、 その名が示す通り、占いが主題である。 ソクラテスのダイモニオンも、 そのひとつとして位 置づけられている。そのさいキケロの出発点となったのは、寸古代の人たちは、証明された議論(ラティオ) にもと づくよりも、 むしろ不思議な仕方で示された事柄にもとづいて、さまざまなものごとの確証を得ていた(︿

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コ ど L という思いである。そして、そのひとりとしてキケ ロはソクラテスの名前を挙げている。 ソクラテスのダイモニオンについて(四)(田中) 四 九

(17)

龍谷大学論集 五

﹃占いについて﹄の議論は対話形式で展開され、キケロの弟であるクイントゥスがまず、占いを擁護するかたちで、 占いをふたつに区別する。ひとつは、﹁技術によるもの﹂であって、観察によって、すでに知られているものからま だ知られていないことを見いだそうとするものである。他方、もうひとつを、寸生まれつきの自然本性によるもの﹂ とクイントゥスは一斉う。彼の説明によると、神的な魂を持つ人の自然本性は、自然のなかに満ち溢れている神的なも のに触れることができる。それが占いや予言というかたちで、 一部のひとに語られるのである。だが、それが可能な のは、魂が身体的な拘束から解き放たれた状態にあるひと、すなわち﹁純粋で敬度な魂

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叫 の持ち主のみである。そして、 まさにそういった人物として、 クイントゥスはソクラテスを挙げ、 つぎのように語っ て い る 。 ﹁ 言 う ま で も な く 、 わたしたちに受け入れられているソクラテスの魂こそ、 まさにそういったものなのである。 彼の弟子たちが書いた本のなかで ( 一 口 一 一 耳 目

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門 口 目 ) 、 ソクラテスみずからがしばしば語っていたことで あるが、ある積の神的なもの ( 弘 吉 一 口 己 同 国 AC 一 円 庄 一

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のが存在する。それをソクラテスはダイモニオンと呼んでい いつも何かを命じようとは決してしなかったが、

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ロ 昨 日 ) ﹂ た。ダイモニオンは、 しばしば彼をひきとめようとした ( の 口 一 ここで﹁ソクラテスの弟子たち﹂と複数形が用いられていることからすると、 さまざまな﹁ソクラテス書﹂をもと に、クイントゥスはソクラテスおよびダイモニオンを説明しているのであろう。しかし、 どうやら彼が参照したもの のなかには、﹁ソクラテス擬書 L も含まれていたようである。クイントゥスはつづけて、 さきのコアリオンの一件﹂ を含むふたつの事例を示している。

(18)

コ﹂れもソクラテスに関して記述されていることである。彼が、友人であるクリトンが目に眼帯をしているのを 見 て 、 どうしたのかと尋ねたところ、 クリトンは、畑を歩いていたときに、 しなんでいた木の枝がはねかえり、 それがふりかかり自分の目にあたったのだと答えた。するとソクラテスは、﹁それはなぜかというと、 わたしに いつものダイモニオンが現われて ( ℃

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四四三古口。己一︿吉山)、あなたに戻るように言ったのに、あなたは聞かな かったからだ L と言ったのである。また、これもソクラテスに関することである。ラケスの指揮のもと、不運な 戦いがデリオンでなされたあと、 ソクラテスは指揮官とともに退去していた。そして三文路にやってきたそのと き で あ る 。 ソクラテスは、他の人たちが選んだ道を通って退去しようとはしなかった。彼は、 なぜ同じ道を進ま ないのかと尋ねられると、神によって決められたことだ

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ユ児包含。)、と答えたのである。そして、 向 印 刷 クラテスとは別の道を通って退去したひとたちは、敵の騎兵隊に出くわすことになった﹂ ソ ここに登場する人物の名前は、クリトンもラケスもともに、プラトンの対話篇でなじみのひとたちである。だが、 最初のクリトンの事例は、他では見いだされない。ただ、その事例にしても、コアリオンの一件﹂にしても、﹃テアゲ ス﹄で雷同われていたように、 ソクラテスのみならず彼の周辺のひとたちをも巻き込む力としてダイモニオンは描かれ ているのである。そして、事例は他にもたくさんあることを、 クイントゥスはつぎのように述べる。 寸ソクラテスによって驚くべき仕方で予言された

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円 ) たいへん多くの く知られていることだし、 アンティパトロスによって収集されている。だがそれらについては、触れないでおこう。あなたにもよ 聞 それらを思いだす必要はないのだから﹂ わたしにとっても、 事 例 が 、 ソクラテスのダイモニオンについて(四)(田中) 五

(19)

龍谷大学論集 五 このアンティパトロスとは、前二世紀初頭に活躍したストア派の哲学者で、この章のはじめにでてきたパナイテオ スの前にストア派の学頭をつとめた人物である。ここで言われているようなかたちで、 クイントゥスの議論はダイモ ニオンからはなれてしまい、また、アンティパトロスの収集したものが今日のわたしたちに伝えられていないのは、

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たいへん残念なことである。その内容を、わたしたちは知ることはできない。だが、寸ソクラテスによって驚くべき 仕方で予言された﹂という表現は注目すべきかもしれない。 と こ ろ で 、 キケロによるソクラテスについての言及と言えば、 まず思い起こされるのは、﹃トゥスクルム荘対談集﹄ のなかの、あまりに有名なつぎの一節であろう。 ﹁ ソ ク ラ テ ス は 、 はじめて、哲学を天上から引き下ろして、町に据えつけ、 また善や悪について探求するように仕向け

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﹂ さらには家のなかに導き入れ、人生 や道徳について、 ここで言われている﹁善や悪について探求する﹂ソクラテスは、プラトンやクセノポンの著作に基づくものであろ う。わたしたちにもたいへん馴染みのものであるロさらにキケロは、そのつづきでソクラテスには﹁多種多様な議論 回 ( E C ] 巴 ℃ - m w u ハ

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。)﹂があったと書いているが、また別の著作では、ソクラテスの議論のあり方について、プラトン を典拠としながらつぎのように述べている。 ﹁ソクラテスが常としていたのは、質問をしたり尋ねたりすることによって

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匂 ロ 己 。 ) 、 議論している相手の臆見を誘い出し、相手が答えたことについて何か言うべきことがあればそれを害うというこ とであっ

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(20)

の営みを﹁常としている﹂ソクラテスを、 つまり、﹁質問したり尋ねたりすること﹂とは、寸対話﹂と言い換えていいだろう口そのようなロゴス キケロも一方で理解していたはずなのである。そうだとすると、 ( ラ テ ィ オ ) やはり のなかで描かれているソクラテス、すなわち﹁証明された議論(ラティオ)にもとづくよりも、む しろ不思議な仕方で示された事柄にもとづいて、さまざまなものごとの確証を得ていた﹂古代のひとのひとりとして ﹃ 占 い に つ い て ﹄ の ソ ク ラ テ ス 、 また﹁驚くべき仕方で予言する﹂ソクラテスとは、相容れないようにも見えるのである。そういった 点についてキケロはどのように考えたのか、謎として残る。 ダイモニオン伝説 さて、本章でとりあげた作品からは、真作である可能性が残る守第一アルキピアデス﹄を別にすると、それらに共 通する特徴的な﹁ソクラテスのダイモニオン L が見えてきたように思われる。まず記述のスタイルとして、ダイモニ オンの事例がつぎつぎと列挙されるというのは、﹁ソクラテス書﹂にはなかったことである。これは、ソクラテスの ダイモニオンそれ自体がひとつの主題となったことを意味するであろう。 では、﹁ソクラテスのダイモニオン L の中 身はどうか。繰り返しとなるが、 そのダイモニオンは、 ソクラテスがしようとしたことに生じるだけではなく、他の ひとがしようとしたことにも生じるという点、 そして、ダイモニオンの力が、 ソクラテスの周辺のひとたちにも大き な影響を与えるという点、これら二点を特徴として挙げることができる。こちらのほうは何を意味するであろう。 ま ず 一 言 え る こ と は 、 ソクラテス自身のロゴスの局面が、すくなくともひとつは失われるということである。どうい うことか説明しよう。第二章で、プラトンの報告をもとにソクラテスのダイモニオンとロゴスの関係を考察したとき、 哨 川 町 あるひとつのソクラテスの行為のはじまりとおわりの二局面に、わたしたちはロゴスによる関与を見た。まずひとつ、 ダイモニオンはソクラテスの何らかの行為にさいして生じるのであるが、それはあくまでもソクラテスが﹁しようと ソクラテスのダイモニオンについて(四)(田中) 五

(21)

龍谷大学論集 五 四 する﹂ことに対してであって、 その﹁しようとする﹂にいたる局面はロゴスによって決定されているのである。わた したちはそれを、﹁はじめのロゴスの局面 L として理解した。もうひとつは、ダイモニオンの発現の有無に応じて、 ﹁しようとしていた﹂ことの善し悪しをソクラテスが自分のロゴスで考察する局面である。それを﹁あとのロゴスの

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局面 L と呼ぶことにしよう。つまり、ソクラテスはダイモニオンとは別に、それと両立する仕方で、 ロゴスを重んじ ていたはずなのだ。しかしながら、本章で明らかになったダイモニオンのように、もしそれが他人の寸しようとす る﹂ことに生じるのであれば、 そこにソクラテスのロゴスはまったく関与しないことになる。すなわち、﹁はじめの ロゴスの局面﹂は成立しないのである。もっとも、﹁あとのロゴスの局面﹂は存立しうるであろうが。 そのようなダイモニオンに基づくソクラテスの忠告を受ける、他人の側に身を置いて考えてみよう。 で は 今 度 は 、 そのひとは、﹁しようとするしことをロゴスによって考察することはできる。また、ダイモニオンに基づくソクラテ スの忠告が与えられたときに、それを契機とした考察もできる。だがそのさいのダイモニオンへの信頼を、どのよう にして獲得しているのであろうか。ダイモニオンがソクラテス自身の行為に生じた場合、その信頼性は、他ならぬソ クラテス自身の経験によって得られたはずである。﹁子供のころから﹂とソクラテスが述べていたように、ロゴスと の両立も自らの経験のなかで確信されていたはずである。しかし他方、他人の側からすると、ダイモニオンへの信頼 はソクラテスという人物への信頼によってのみ成立する。だからこそ、キケロはダイモニオンを、特別な人間によっ に位置づけたのであろう。ダイモニオンは、キケロが危倶したように、 てのみ可能となる寸占い L ロゴスとは遠く離 れたものと受け止められるであろう。また、 それを諮るソクラテスは、 もはや単なる占い師と映るかもしれない。 後代に見られるこのようなダイモニオンの特徴は、 おそらく寸ソクラテス書﹂由来するのだろう。そしてもし、 さ らに出所を探るとすれば、 それに該当するのは、 わたしはつぎのクセノポンの発言ではないかと考えている。

(22)

﹁ そ し て 、 ソクラテスは、ダイモニオンがしるしを告げると (らペベ。む匂 h H h h h モ ヘ 。 e N も 。 q w 司 h h h H ヘ 刷 、 。 刷 、 べ 。 n1) 、 またあることはしないようにあらかじめ勧告した 一 緒 に いるひとたちに、あることはするように、 倒 、 九 回 ﹂ HHOh 向 町 田 ﹀ 吋 1 h 守 門 司 郎 、 品 川 町 。 h h w m F 、 ) ﹂ ( 潟 、 。 q u ¥ 、 向 J q ベ h w さきに第四章でこの発言を考察したとき、

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が語られているのではないか、と論じた。けれども、それはあくまでもソクラテスの行為に生じたダイモニオンであ った。そのことはクセノポンの文脈から明らかである。だが、この発言だけを切り取ってみた場合、ダイモニオンの ここには禁止だけではなく、ダイモニオンによるある種の積極的な忠告 他人への関与が際立つようにも思われる。きっと寸ソクラテス擬書﹂を書いたひとたちは、そのようなかたちでこの 証言を理解したのではないだろうか。というのは、この章で考察した﹃擬ソクラテス書簡集﹄のなかに、ダイモニオ ンとの関連で語られるつぎのようなソクラテスの言葉があるのだ。 それは神の導きによって ( 門 司 h 門 司 弘 q M 円 。 刷 、 べ 。 n ぺ 。 b h w向 。 む ) わたしはあらかじめ勧告しましたが 知 加 のことです﹂ ( 尚 、 。 ミ て 弘 、 向 困 、 G -Q ) 、 寸また、あるひとたちには多くのことを、個人的にも、 ここで﹁あらかじめ勧告する﹂と訳した言葉は寸予言する﹂という意味でも用いられる。こちらの文脈ではむしろ そちらの方が適訳かもしれない。するとここで見受けられるのは、﹁多くのことを神の導き、すなわちダイモニオン によって予言するソクラテス﹂である。そして 一度そのようなダイモニオンが描かれたとすれば、 その後の成り行 きは容易に想像がつくだろう。ときにはシケリア遠征やデリオンの戦いといった歴史的事実と関連させられながら、 いや創作されるようになった ときにはソクラテスの友人との日常的なエピソードとして、ダイモニオンは語られる、 ソクラテスのダイモニオンについて(阿)(田中) 五 五

(23)

龍谷大学論集 五 のではないか。もはやそこに登場するのは﹁予言者ソクラテス L である。だからきっと、 キケロの﹃占いについて﹄ のなかで、ダイモニオンは占いのひとつとして取り上げられ、寸ソクラテスによって驚くべき仕方で予雷同された ( ﹄

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﹂といった言い方がされたのだ口 もちろん、寸予言者ソクラテス﹂という像は、けっしてこれら後代の記述に独特なものではない。というのは、プ ラトンの﹃パイドロス﹄ のなかでも、前章までの考察でもいくどかふれたが、 じっさいにつぎのように語られていた からである。 寸 と こ ろ で 、 わたしは占いができるのだ(内合門ぷ。守、守口内 1 )。あまりうまくはないがね。しかしちょうど字 た だ 自 分 だ け の た め な ら 、 そ れ で 十 分 な の だ ( 雪 。 で 、 守 合 Q e H 6 h h ミ 党 ぬ 忍 ぺ ) 。 同 制 一種の予雪口の力をもっているのだ﹂ の下手な人と同じで、 じっさい、魂というものは このソクラテスの発言は、第二章で引用した﹃パイドロス﹄の一節のつづきである。つまり、まさにダイモニオン について語られたその延長線上での言葉である。プラトンの描くソクラテスもまた、ダイモニオンを予言に関連する こととみなしていたのだ。さらにそれは、第四章、 クセノポンの報告でも顕著に見られたことでもある。しかしなが ら、すくなくともプラトンの描くソクラテスは、もう少し謙虚であったように見える。というのは、そのソクラテス は、寸ただ自分だけのためなら、それで十分なのだ﹂と諮っていたからである。そこに、ソクラテス周辺のひとたち への直接的な影響はかえりみられていない。ましてや、他人の行動にさいしてダイモニオンが現われるなど、 一 一 育 も 語っていないのである。 するとどうであろうか。 ソクラテスと時代をともにしたひとたちの証言にはまったく見いだされず、後の著述家た

(24)

ちにおいては、逆にそれが特徴ともいえるほど頻繁に語られるのであれば、 ひとつの推測は可能であろう。おそらく わたしが思うに、後の時代のひとたちは、 ソクラテスのダイモニオンをもとにしながらも、 さまざまな事例をいわば 創 作 し 、 そのなかで予言という側面を強調するようになったのではないだろうか。それは結果として、 より多様な ﹁ソクラテス話 L を形成していくことになったのであろう。これはもはや、 ソクラテス自身が伝説となった、 と言っ ていい。そしてダイモニオンは、 そのような﹁予言者ソクラテス﹂を何よりも特徴づけるものだったのである。そう それを寸ダイモニオン伝説 L と呼んでもいいだろう。そしてそれは、第四章でダイモニオンの由来と して論じた寸ダイモ

l

ン伝説﹂とも別物であると一言わねばならない。 いう意味では、 いや、問題はふたたびここでも想起される。というのは、そのようなかたちでダイモニオンが 強調されたソクラテス像からは、彼のもう一方の側面、すなわち、自分の行為をみずからのロゴスによって律すると だが問題が生じる。 いう﹁ロゴスの立場﹂がどんどん薄らいでいくからである。ダイモニオンをもとに予告一円をするソクラテスは、﹁ロゴ スのひと﹂ではなかったのか。これこそ寸ガラクシドロスの問い﹂である。わたしは、 キケロが ﹃ ト 白 い に つ い て ﹄ の なかで最初に語った﹁古代のひとたちは、証明された議論(ラティオ)にもとづくよりも、むしろ不思議な仕方で示 仰 された事柄にもとづいて、さまざまなものごとの確証を得ていた﹂という一言葉もまた、そういったことに向けられて いたのではないかと考えている。最後に、この間いを正面から受け取り、それに対する答えを与えたプルタルコスの 著作を考察することにしよう。その著作は、﹃ソクラテスのダイモニオンについて L で あ る 。 註

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ディオゲネス・ラエルティオス﹃ギリシア哲学者列伝﹄第二巻六四 1 一 │ 問 。

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ここに言及されている人物のほか、アレクサメノス、アリスティポス、ケペス、クリトン、グラウコン、パイドン、シ ミアス、シモンの断片が、以下の書に収集されている。の

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(25)

龍谷大学論集 五 J¥

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納富信留﹃哲学者の誕生﹄筑摩曹房、二

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頁参照。納富氏は﹁ソクラテス文学 L と呼ぴ考察している。

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ある意味で、今日までずっと続いていると言ってもいいだろう。

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北嶋美雪﹁﹃テアゲス﹄解説﹂﹃プラトン全集﹄第七巻、岩波書庖、一九七五年、二三七真。最近の研究では、アリスト テレス﹃エウデモス倫理学﹄が﹃テアゲス﹄の一部を前提していると見なし、遅くとも前三四五年には成立していたとす る見解が有力なようである。可宮古ミ M 3 p n Q h p c g 円 N O 丹 N 5 m z E 同 O B E S E 円 ︿ O D U o -ロ m u 日 p h o 丹 江 口 m g e N C E a ω ・ 忍 ・

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﹁どうも本題はソクラテスのいわゆる﹁ダイモ l ンの合図﹂ということにあるように思われる﹂という主張がある。千 葉茂美寸作品解題﹃テアゲス﹄﹂﹃プラトン全集﹄第四巻、角川書居、一九七三年、四八五頁。他方、ダイモニオンに関す る記述は、あくまでも寸議論の本筋からは逸脱した、実例を用いての説明(色町

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擬プラトン﹃テアゲス﹄一二七 A 九。この言葉は、あとの﹃テアイテトス﹄一五一 A 一

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五の引用でも用いられている 言 葉 で あ る 。

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擬プラトン﹃テアゲス﹄一二八 D 二 │ 五 。

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プラトン﹃ソクラテスの弁明﹄コ二 D 二│四。比較をはっきりさせるため、さきの引川崎とは文体を変えている。 側これらふたつの証需に関しては、擬﹃テアゲス﹄の作者がプラトン﹃ソクラテスの弁明 b をもとにして書いたと推測さ れるのが一般的であるが、他の可能性を探ろうとする試みもある。回巳 = u c 匂 ・ ω

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擬プラトン﹃テアゲス﹄一二八 D 五 │ 七 。

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この引用では、﹁相談にくる﹂としか言われていないが、ソクラテスの知人が﹁何かをしようとして﹂相談にくるとい うことが、つぎの引用から分かる。ダイモニオンは、知人が寸

1

しようとする﹂ことに生じる、と述べているのである。

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擬プラトン﹃テアゲス﹄一二八 E 一 ー 三 。

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さきに考察したクセノポン﹃ソクラテスの想い出﹄によると、ソクラテスに勧められて政治家になったと言われている。 クセノポン﹃ソクラテスの想い出﹄第三巻第七章一参照。だが、皮肉なことに、彼が政治の世界で師事し、﹁三十人独裁 政府﹂を樹立したクリティアスは、﹁青年たちを腐敗させる L というソクラテスへの訴状で脅かれている﹁青年 L のひと りとして真っ先に思い浮かべられる人物なのである。クセノポン、同書、第一巻第二章一二以降参照。

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擬プラトン﹃テアゲス﹄一二八 E 八 。

(26)

側ティマルコスという名前の人物については、つづく第六章で考察するプルタルコス て﹄のなかでも出てくる。その関連については、同個所の注を参照。 川 同 書 、 二 一 九 B 五 │ C 六 。 M W シケリア述征とは、前四一五年│四一三年に、本論で後に山てくるアルキピアデスの提案によってアテナイ軍が派遣さ れたこと。それが惨敗であったことは、トゥキュディデス﹁歴史﹄第六、七巻を参照。そのさいに、ソクラテスがダイモ ニオンにもとづき反対したことは、プルタルコスの了一キアス伝 L 一 一 ニ l 九、﹃アルキピアデス伝 h 一 七 l 五でも言及され て い る 。 側 エ ペ ソ ス 遠 征 と は 、 前 四

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九年の戦いのこと。クセノポン q ギリシア史﹄一ーニを参照。サニオンという人物について は、そこでは見いだされない。 側 擬 プ ラ ト ン ﹃ テ ア ゲ ス ﹄ 一 二 九 E 了 l 五、六│七。

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プラトン﹃テアイテトス L 一 五 一 A 一 │ 五 。

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ー交わる﹂の主語がソクラテスであって、友人たちはその対象であることが(守 E h q : : : q e E m q E ) という表現から明 らかである。

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前節で考察したクセノポンにも、他人の行為に対するダイモニオンが諮られていると解釈可能な個所がある。(北嶋美 雪﹁﹃テアゲス﹄解説﹂﹃プラトン全集﹄第七巻、岩波書応、一九七五年、二三二頁)。だが、わたしは﹃テアイテトス﹄ で言われているような間接的なものと理解する。むしろわたしは、そのクセノポンの証言をもとに、のちにこのような事 例が作り出されていったのではないかと解釈する。本論文五四頁以降参照。 川 間 ハ V 3 2 2 によると、ヨ 2 5 2 ・がそのように主張している。可守きとぬミミ

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・他方、強 く真作であることを支持するものとしては以下を参照。ロ

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ー彼の記憶を記述したすべての人たちのあいだで、恕徳においても美徳においても、彼をしのぐ者はいなかったという 見方が確立している﹂といった、アルキピアデスに関する記述もある。ネポス﹃英雄伝﹄﹁アルキピアデス伝﹂一。 M W ディオゲネス・ラエルティオス﹃ギリシア哲学者列伝﹄第二巻六一、一

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八、第六巻一八参照。 側田中美知太郎寸﹃アルキピアデス I ﹄解説﹂吋プラトン全集﹄第六巻、岩波書底、一九七五年、二

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九 頁 。

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トゥキュディデス﹃歴史 ι 第六巻一五参照。その生涯についてはプルタルコス吋英雄伝﹄守アルキピアデス伝﹂が、物 一緒としてではあろうが、詳しく興味深い。 ﹃ソクラテスのダイモニオンについ ソクラテスのダイモニオンについて(四)(問中) 五 九

(27)

龍谷大学論集

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﹁青年たちを堕落させる﹂という罪状で言われている寸青年 L の具体的なひとりとして、クリティアスとともに名があ げられる。それらへの弁明は、クセノポン﹃ソクラテスの思い出﹄第一巻第二章二四を参照。 M W 擬プラトン﹃第一アルキピアデス﹄一二四 C 五 ー 一

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同 書 、 一

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同 書 、 一

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六 A 一 u 例クセノポン﹃ソクラテスの想い出﹄第四巻第八章一 l 四 。

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﹃ゴルギアス﹄のなかでソクラテスは、アルキピアデスのきまぐれについて、﹁あのクレイニアスの子(アルキピアデ ス)はその時々で異なったことを日にするが、哲学の雷同うことはいつも同じである﹂(問八一 B ) といった言及をし、ま た、人々の政治家への対応が知に基づかない場合という前提で、﹁アルキピアデスを攻撃することになるだろう﹂(五一九 A ) と述べている。 M W 擬プラトン﹃テアゲス﹄一三

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二│四 o

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プラトン﹃メノン﹄九八 A 六 。 側内山勝利﹃哲学の初源へ﹄世界思想社、二

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二年、二四七頁。 側﹃ソクラテス書簡集﹄第一書簡七 l 三 │ 六 。 川棚﹃ソクラテス書簡集﹄第一書簡八 l 九│九 l 一 九 。 附トゥキュディデス﹃歴史﹄第四巻九三 l 一

OO

参 照 。 仰プラトン﹃饗宴﹄一一一一一 A 参 照 。 附クセノポン﹃ソクラテスの想い出﹄第三巻五 1 四参照。プラトン﹃饗宴﹄一=九E│一一二一 C 、 ﹃ ラ ケ ス ﹄ 一 八 一 B 参 照 。 また、歴史家トゥキュディデスの書﹃歴史﹄では、ソクラテスへの言及すらない。 制プルタルコス﹃ソクラテスのダイモニオンについて﹄五八一E。

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わたし自身は、前世紀の後半からよく言われるようになった﹁懐疑主義者キケロ﹂という解釈に賛同するが、ここでは 触れることができない。 側キケロ﹃占いについて﹄第一巻五 1 一 ー ニ 。 間同向、第一巻三四参照。

(28)

側 同 書 、 第 一 巻 = 二 ー 一 七 。 側同書、第一巻二三一ー一

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問 。 仙川同詩、第一巻二三一ー一ー一二。

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クリトンは既出。ラケスはアテナイの将軍で、プラトンには守ラケス﹄という、勇気を主題にした対話稿がある。

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キケロ﹃占いについて﹄第一巻一三子一三

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一 五 。

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ストア派のひとたちに関して言えば、クリュシッポスの断片にいくつかダイモ

1

ンへの言及があるが、ソクラテスのダ イモニオンとの関連ではない。後のエピクテトスには、興味深いダイモ l ンへの言及が見られるが、それはまたの機会に 論 じ る 。 例キケロ吋トゥスクルム荘対談集 L 第 五 巻 一

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1

一 二 ー 一 一 l 一 。 側同書、第五巻一一:一。 側キケロ﹃善と悪の究極について﹄第二巻二 l 三

l

六 。 側拙著﹁ソクラテスのダイモニオンについて(一)││神霊につかれた哲学者﹂﹃龍谷大学論集﹄第四七四・四七五合併 号、二四六頁。 側拙著﹁ソクラテスのダイモニオンと理性(ロゴス ) L ﹃龍谷哲学論集﹄第二四号、二

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年、一七頁以降参照。なお、 本論で言う﹁最初のロゴスの局而﹂は、二六頁の ( 1 ) に、﹁あとのロゴスの局而﹂は ( 4 ) に 該 当 す る 。 側クセノポン円ソクラテスの想い出﹄第一巻第一背中間 s 一 一 一 ll 六 。 州側拙著﹁ソクラテスのダイモニオンについて(三)││クセノポンのソクラテス像﹂円龍谷大学論集 L 第四七九号、 七頁以降参照。

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﹃ソクラテス書簡集﹄一ー一

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三 。 側 プ ラ ト ン ﹃ パ イ ド ロ ス ﹄ 二 四 二 C 三 │ 七 。 附 キ ケ ロ 吋 占 い に つ い て ﹄ 第 一 巻 五 1 一 ー 二 。

キーワード ギリシア哲学 ソクラテス 理 性 ソクラテスのダイモニオンについて(凹)(問中) __._ /'¥

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