――目次――
1,
口絵,麓山神社々務所火祭神事
2,
宗教学とは何ぞや,佐野勝也,Katsuya SANO,pp.1-26.
3,
原始仏教における縁起観の開展(下),特に赤沼,宇井,和辻諸教授の説を読みて
-唯心縁起より輪廻縁起に,木村泰賢,Taiken KIMURA,pp.27-60.
4,
看話と念仏(下),鈴木大拙,Daisetsu SUZUKI,pp.61-86.
5,
正理学派に対する龍樹論書(下),「バーイダルヤ」について,山口益,Susumu
YAMAGUCHI,pp.87-110.
6,
大雲経寺と国分寺(中),矢吹慶輝,Keiki YABUKI,pp.111-130.
7,
麓山神社火祭の神事,加藤玄智,Genchi KATŌ,pp.131-135.
8,
「大事」の地位と説出世部の仏陀観(下),久野芳隆,Hōryū KUNO,pp.136-146.
9,
原始キリスト教の宗教的背景,密儀教の興隆衰頽,丸川仁夫,Hitoo MARUKAWA,pp.147-157.
10,
新刊紹介,pp.158-168.
Posted in 1927(昭和2)年嵩 もりである。 宗敢尊宅圧何ぞや
∴
宗教畢の方法論に脚する興味は、今にほ我陶嘩界の一部の人々から去らないやうに恩はれる。昨
年度の本誌にiJいて、鈴木㌫忠敢撹に依って豊山された﹁文化科撃としての㌫秋蝉﹂に対して−小 野措∵郎教授の﹁文化科隼とし・一しの㌫敢隼に封する疑Lが脅せら巧.それ等の氾忘以前すでに川合山一教授は﹁宗敢の赤黒仁互ろ過の†に、それ等と闇係深い問題に就いて、典昧ある論究を浄衣せ
られ柁?今、私は、此山小論文においてー三教授の論文と閥係するところ多い問題の論究を融みょうと思ふり揉め榔って肌粧くが、私は∴二敢授の論文を批評せんが鶉に、此論文を草して層るのでは
無いのであろ。議論の運びの上か・㌧内界上、三教授の諭旨に陶れ今・−とがめるかも知れないが、 それはゑく偶然の結果であつて、私は、三教授の英詭な論究と榊係無く、私n身の考へを述べ一。つ宗教学とは何ぞヤ
佐 野 勝 也
322 私は、宗殻坪の性罰を聞かにする謂に、宗教撃と関係深い他の講坤問と比綬することを試みょぅ ヽヽヽヽ とM心ふ。かくすることに依って、㌫敢埴の限外が明かにされ、従って、万石敢寧の内容も,いくらカ 明白になるであらう。こ∼に﹁いくらかLと云ふのは、宗教坤の内容を詳細に朋自にする常には、 賓は方法論だけに留まつてゐにのでは、到底不発鼻元るを免かれないからである。例へば、方決諭 ルナの如きも、牧口らの㌫敏雄惜系を出すこと無かったが焉 の問題の探究に多︿の訴献小1しにトレ に、㌫敢草の内容は、絞に依っては允分に肌白にされなかったのであ↓リ。これに比べれば、ゼエム スや㌧.グソトや、デュルケエムぢどの著述は.自ら多くをカ法論い問題に典さなかったに拘らす、 稜準に敢へるところは、むLろトレルナにまさろともルカらないであらう。勿論、これは、見る人の 考如何で、どうとも云ひ得ようが、少ハ.甘くとも私は、そう信じてゐる。と云って私は、それ等三氏 い署迎を小山査㍉与もいとぃじてゐソリわけでは無い。その=とは、次第に明白にして見ようと思ふ。然 し、神々なろ欠鮎ふ一じに川、しす、とにかく、今枝の宗放寧が進†けわ︿ぺきカ向に閲し、桔極的に之 れ牢小すと同情卜峠ト、椚・り明い㍊火・で消締的に.小してわると云はト∴りればならない。㍍数堺界は別と ■ して、八丁拓哉が同ぃ冨井レJ典疇〓、ガ結論の問肌に集中された偵向が、のつたやうだ。それが敢近に至 って、やヽ如きつまりい形となつて.むし・ハ賢欝問題、小にも脛史的川先に仰きかけて凍たやうで ある。これは、ぷ︰ばしい傾向でぁろと云ひ得よう。それにも拘らす、私が今由らしく方法論の問喝 宗教争ミlI何ぞや ー▲
3霊3 ヶ持ち目すのは,少くとも小石敦坪井において、方状執の問題は我が何においてのみならす、世界一 般の坪井にゴJいて、未郁決行多くの問題む残してゐると信するからでぁる。 〓 鼓初に、私は▼ ㌫敷津と㌫教習持主比較して見よう。両署の聞係に就いては.私の知れる限りで は、畢は光雄里京のmにも、−−り∩な帖別は述べられてゐない。例へば.繹槍的野澤的な㌫数坪ポで あると一般に認められてゐラブイーレ ︵ゴe−e︶の如きも、その鮎の姉別が秘めて不別称であり、㌫ 敢草︵t訂軋enceOrr&gi呂︶は㍍敢西軍︵t訂plli㌃リp首ウニe−i明iO︸l︶ であると云ってゐる。左に 彼の云ふところを引川しょぅ。 ﹁㌫教隼は、料紙な科草、若しくは、姉妹な研究部門でぁる。それは、一般督準に従属しない。 然しながら、㌫歌川†は、㌫敦現象む観察するところの西軍的部分である。−−即ち、宗敢現象の 根構に突入せんと試みるところの研究である。㌫敢畢は、労作的〓醸では無い。或は又、通常、 n然刷浄と呼ばれてゐ声釈理仙川系でもなく、㌫数的色裏わ承びた新邸でもなく、睨んや、糾そ のものに附すろ邦雄でも如い。これ等はすべて、小“敢堺の限界以上のものである。ハポ敢坤は、こ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ れ等を酬抽水車一−形而⊥坤邪に垂せる。㌫敢邸咤 糾賓において.文字どほりに㌫数斬辣であろ。 宗秋野ミは何ぞヤ ㌻ ▲
3:= 宗銃撃ミ圧何ぞや 匝 但し、それはこの譜の現代的用法に従って云ふのであつて、か∼る意味での宗教背畢が、進歩し っゝあるのは常然でJウ0。即ち、宗教畢は、現在の如き患鹿の状賊にみ一心科隼の要求に一致して、 吾人が、革命的男気を右しなければへ与らないところの哲埋でぁる。﹂︵Tiele−T訂El琶en訂。=訂Pieロg 已∵He厨iOコ,p︰三l、p﹂ひ︶ ティーレの此の一文は、質は踊ろ不明瞭である。即ち、一方では.宗教坤が持殊科撃として摘立 の一軍問であることをま振し、一般懲単に従属するもので無いこと・でま離しながら、他方では、宗 敢寧は、串野において、文字どほりに宗敢哲毎でぁると云ってゐる︵H二ニーl軒tliすPlly t訂p≡? ぎp首。ごe−igi昌︶。か∼る矛盾したことが、どうして云はれたかと云ふに、それは、﹁哲学﹂と云ふこ との意味内容が、ティーレにおいても明白で無いからである。元雄、営鍵と云ふ富来ほど曖昧多義 行丁ものは無い。クヰンデルバントが、﹁帝隼とは何ぞや﹂け一よ細文において、暫坤とは何ぞやの疑問 をひつさげて西里更に封し、研草者と押する人々の常邸に封すバリ意見に聞けば、それから狩られる 答案は、多相多措であつて.到底之れを只一つの一冨尭や、統一ぁる概念の下にまとめることは、全 然望みないことでぁるやうに1二五ったやう仁▼ 常雄なえ.∵=元の右寸ろ意味は、今に至るも明白で無 ︵︰︶ い。従って、今、㌫数坪と㌫敢吾塾との廠別む関越にすろ場合も、暫重なえ語の内容如何で.同じ 意見を有しながら.㌫徽寧と宗敢哲理とが、同一であるとも云へるし、砧別があるとも云へる。テ
3!泌
イーレの場合は、督草の蕊康一で、一方においては、云はいカントの認識論的洗鵡を鉦行い狗師的な
形而上畢的り意味に解し、か〃U∼留学と㍍敢埋とは情別せらるべきものh与ることを正成し、他方、 彼の時代︵第十九伸紀末︶の門型が、科草的欝謹的傾向に向ひつ∼あることセ認め、かゝる仰向を珊びた将軍を根底に寸一ハ・㌫取替鍵ならば宗教型と甚別することができないと認めたらしい。
私は.ティーレが、どんな哲雄忠想を懐いてゐにかば充分上知らない。彼の﹁宗教畢頂如﹂を讃 んだだけでは.彼は円ら云ってゐるやぅに、宗放出家としての素養は充分であるらしいが、常邸約数巷においては、どちらかと云へば貧弱なやうに思へろ。勿論、それは、彼の時代の西軍が、むし
ろ衰退の畔代にふツり、且つ又、コムトの欝撥諭の影響を受けて、背部と他の精紳利率との領域が、
極めて不明瞭であつた翁でもあらう。
いづれにせよー宗教邸と㌫故習撃との閻係を明白にすろ鶉には、どうしても哲坤の内容が明白に
ならなければ、不可能である。然しながら、今の場合∴.暫撃とは何か﹂と云ふやうぢ問題を論究す ること咤.到底私のカの及ばないことであるから.結局、㌫敷革と再⋮散華準との隅別は、充分明瞭にされないと云ほざるを得なくなる。だが、それは、根底的に突盲っめた場合のことでぁつて、或
程腔の匪別、若しくは閻係ぉ肌かにすることは、必ずしも倒難では無からうと思ふ。
私は、細々なる鞘山から、㌫激畢と宗教斬邸とは協別さるペきものだと思ふ。又郁別した方が、
宗散針立代何ぞや 五:;L6
少なくとも㍍敢堪の鶉には、大に利ハ址があると思ふ。宗教隼を商軸の一分科として、哲雄衷の考究
に重ねておくことの不明 不利益は、すでに辺土り隼川の歴史が、これを詮別してくれに。だが、
こヽに残された川通が′直る。︰︰。リ、り∴小甘−こし一∴パ訣の研究をしなくとら.宗教常雄なろ一つの澗 託した草間一£柾け、こ往に依ってハパ∴=け軍〃−拭んれば、差支へ無いではあろJまいか。のみぢらす、 宗教の研究は.鈷‖に、吾隼的で∵ければ宗全で無い。即ち.宗秋雄は、結〃再小数督草へ至らなけ れは乍らハ㌧い。徒り一\ 小景小⋮︰#けで留まろやう∵摘止した草間い分野は認められハ≠いと云ふやぅ な考である。此の考には.竹井すべき︰小唆が介まれて力るやぅに‖心はれ′0。まづ此の考へが反射してむ乙ところのハパ役目∵とは、如何だ乙再容ノで右するものでめらうか。稜に
次第に明白にす・匂やうに、小石牧草は、一冊の摂理雄︵l−︼エ=首ie−−ノノ﹂軍1軋1Hr訂︶であ一〇。従って、それ は騨に叙通有日的とす匂もJJでは無い。㍍数現免を匁適才去ことば、雁小︸の付帯であ一む。丹ポ教坤は、宗教現象の伐拭に軍人し、その根底にひそむ頂理を主らへようし﹂守るい小南繊準で緯て現はれ凍る
宗敬現象の多路性は、㍍放草の聞出では無く、か∼ろ多用性ノ写小す根底たる頂理が問些∵ある。勿 論、か∼る原理は、曙亮一〇形式でり晶無い。むしろ珪命をのもので今む。内容である。纏化の跡由た どることこそ、ぁまりに墨元高言付串であ云。硝化の形では無く.縫化し吊く欝朋Tでのものをとらへることが、㌫敢坤の什路である。
宗枚隼ごl三河ぞや::ご7 かヽる厚質をとらへんが秀には、宗教的執念に留まつてゐては不可旭である。例へば、多脚数︵胃 ︼ヱbeisヨ︶と多鬼紳数︵︼︶与︵㌻cm︵こをーェとの闘係だとか、鰐一榊数︵︼−e邑hつ訂m︶と交掩紳敢︵k賢? nOt訂i冒︶と一脚数︵=三こ︷㌢㌻︶ 汎紳数︵盲己軋sm︶との榊係だとか云ふことを、概念的に取扱 ふだけでは、未ド贋に㌫敢現象め根底に突入してゐるとは云ひ得ない。か∼る㌫数的概念の研究は、
賓は、かゝる概念わふ氾るに空った心構を突きつめ一心手段としてのみ役立つのでぁる。概念は、抽象
的産物であり、従って、概念哲沌じて概念が示寸心偶に到通しょうとするl二は、多くの還元作用︵R? ︵∴︶ d仁kti。n︶を行はなければ〃でL∴住い。概念は云はゞ餓版でぁる。城取から、私北ハは熔絨姐の中に赤熱 してゐる蛾を、想像しなければならない。小ポ敢は、あた∼かい醗喩でぁる。それは論理的透徹さ無く、伶鞘的畏高さ無く、然も黙締的な長閑さも無い。矛析穏ホに充ちあふれた、なまくしい生命
でぁる。此の丑命に到通することを企てないあらゆる研究は、奥の宗教研究では無い。
経験的であれ、鱈細的でめれとのヰ鍛の丑さは、今なほ北=と鼻T−は無い。だが、そのことが、畢なる姉鱈に留まつて居れ主君ふことを意映するならば、猛然として反対しなければならない。事潜
とは.粛而に呪はれた誰にもとらへられる概念的な構造に過ぎない。それ等の輿野の描究が、偶成 む宥し得一︺のは、それ等の湘軍で減じて、那賀の奥に#する牲命へ進み得るからである。㌫敢極め 先駆者は、過去の軍師的互刷坤的な宗教面究の弊を服しようとの欲求に騙られた結果.或は又、渡 宗秋期モ圧何ぞヤ32S
薄なる賓郡督単に形響された結来、あまらに衷面的な需放研究に的落してし一声つた。マクス・ミュ
ラー、一ティーレは勿論のこし﹂、ブントにおいても、多少その弊が如⋮いでは鮎⋮い。
宗教寧に留主ラーとに反射し、㌫改革単に進み入ることい必安・でま張する人は、宗教畢を似て、
暗に、マクス・−、、エラー、ユノイーレ時代のそれを政想すろからではあるまいか。彼等の宗敢塵た封する功動は、これむ籠めろにやぶさかでない。だが、彼等の時代はすでに過ぎ去った。節十九世紀
の宗教坪豆、云はゞ反動時代であつた。過去の囚はれから躍脱せんとする努力の時代でぁつた。第
二十世紀は建設の時代である。而して、それは、過去の如く、異に豪商的如恵三留まらないで、串
欝の奥底を鱒Ul珪命そのものをとらへんとする方向に進んで雄た。それは、宗教塑そのものゝ進 展から凍る必然の結果でもあり−時代の衝撃思想の槻向にも影智されてゐる。宗教学の此の斬らし い俄向は、丑も良く、ゼエムスの宗教心埋草的研究に示されてゐるが,デュルケエムの如きもーた しかにその・瓢ぉ目ぎしてゐることセ注意探き訳者は、容易に看取し狩るでJのらう。両者は、いづれも、宗教現象の奥底に突入し、什命そのものをとらへようと努力してゐる。彼等は決して、盟なぇ
郡賓に留まらうとはしてゐない。然も彼等は、それ等の㌫数的生命のうJりに洗′り∼原靴を見つめて ゐる。ゼエムスにおいては、それは﹁見えざるもの1暦正﹂︵ニーe r已キ︵−〓訂 uロ莞ヱであり、デ ュルケエムに如いては、すべての軒物を卑俗︵prOPle︶と華︵莞rか︶とに翫別するとこ・ハにある。 宗歌学ごlェ何ぞ? 八329
此のことはー㍍敢草も又ぬ如なくしては、あり得ない
ことセ示すものではあ;?まいか。少くとも、卓はしに㍍敢伊は、椰然たる原理の上に立たなければならないことを示すものではあるまいか。
㍍敢草は、利畢的でなければならないと云ふま批は、ルポ数坤の方紘が、鰐に㍍納的に恥蜜七蒐盗
難理すれば良いと云ふことを意味しないことは、あまりに明白でJのる。如何に締納的方法を令丑する自然科坤においても、捕縛的方は一で無税することはできない。否、仰
大なる自然科単鶉は、その
締約的研究方沈む試みるにあたつて、必す何等かの原埋を心に懐いてゐる。その税理の碓賓性が、
n然の粥象一で脚光することに依ってたしかめられるのである。原理と現象とは、互に舶助け合ふでぁらう。即ち、把郎せろ何等かの原理は、現象の研究に依って確かめられ、現象は、原靴に依って
研究者に籠識され云。現象・■で内面的に研究す∴ニことに依って、原理の内容が訂正され、班大される
こともあらう。具、如何た一心場今においても、原理触⋮︿して蝉的冊系ほ成立し得ないのである。
然らば・その摂理は、如何にして独得することができようか。それは、結局.坪承自らの才能如ヽヽ
ヽヽヽヽ
何に依ると云はなければならない。研究せんとする若しくはした事象に最も場合する昂埋をとらへ
得た者は・帥■り御者として成功したものであり、之れに反する者は、尊者としての失敗者である。
だが、才傭は、むしろ天賦のものであるから如何とも渇し難いとしてー我らは如何にして最も通常
なる路頭をとらへ得るであらうか。私の侶するところに依れば.それは、現象と理論と、双方の耕 宗散座主−1何でや330 一〇 宗秋雄ま任何ぞや 究に依って得られる。従って宗教堪者は、一方においては、宗教現象に対する充分の研究を必要と し、他方にわいては、理論の研究曽必要とする。かくの如き双方に亙っての研究は、一人の尊者の 良くするところで無いことは云ふまでも無い。従って、宗教墾鶉は、彼ぉ助けるところの他の畢者 ■で必安とするのであ一〇。前ポ、即ち、宗数的現象の研究の■鶉には、宗教史家、人新嘩者、考舌単著 の援助を仰ぎ.後者、帥ち、理論の研究の茄には、萄坤者の授肋を仰がなけ.才lばならない。宗教邸 と㌫教史及びハポ放心理隼とり掃係に就いては、綾に詳しく述べるから.今は常隼との閲係に就いて のみ述べること∼す一U。 ㌫牧草が頂押の坤だると等しく、督畢も又邦画の隼であり、宗教学の対象が宗教現象であると等 しく、郎枠上チでの対象内に宗放をも介ひ。此の粘からすれば、宗教準は、依然として営準の一部 であると云はなければ行らない。だが、すべての坪的研究は、醤坤む陣として、各自獅証の地位を 占め凍ったやうに.宗教埋も、元本は、督坤の範関内において研究されたのであるが、次第に周立 の拙佗を占めて水た。さうす一〇ことは、隼問の進歩の上に、非常な利益があるからである。哲学者 と排も、昭に叩論のみに留まらす、串雫に突入しなければならない。n然宗教︵2t弓巴reli乳On︶と 云ふやうな敢指先井の頭ででつちJ嗅げた知的醗系から、山ポ敢督坤一ぎ地紋Lようとするが如き試みは、 ︵三︶ 現代の督革新止決して之れ暫しない。むしろ現象そのものむ自ら醗験し、そこらから、認識の恨を
鋭くしようとさへ、試みてゐ一㌔だが、哲雄鱒ほ、それのみに留まつてゐ一?しとはできない。衝撃 の収扱ふ宣d は、成い。川にって、吾症鶉は、再小数現象にけに桝はれす、煩い説野から判断する。 こゝに督尊者の右すろ申越した最位がある。だが、これは同時に市坪 鶉の欠隋でもある。一人のカ は、到底多くの里新が、谷口S分野む守りて研究する研究にJまさり得l亡い。従って、暫邸訴は、彼 に杓得なる地位Jで維守すそJとに依って、自己の位越性を維持しなければならなくなる。戚い範幽 ヽヽ への拭くして同時に日新的な知識が到収得られハ与い以上、それ以外の方向に、自己の優越性を聴見 せぎ一石一で得ないい而して、それけ、頂門り登与良過程におけィ︰“優越牲である。 各腔妹利坤邪は、各日の用地に留まり、その柳城から噂小せられる原理の歴見に努力せぎるを得 ㍍い。即ち、崇永由衷は、専、上㌫敷現象の面究に没頂し.それから得られる原理を以て立たなけれ ばならない。烹ふよでも無く、他の草Ⅲめ用城に対しても純忠を排ひはするが、その重化る閥心矩 咤.㍍敢現象であろ。これに封し、西里新の岡城ほ崩れでぁるから、只一つの閉域に囚はれない。 従って、督坤ポぺ︰ポ故に射すそ、頂理を発見する場令、それと他の頂如との閤係に就いて等しく考 慮する。而し丁、それ等税理川志の問の闇係む紺批宜てろことに依って、一個の暫邸醗系の構批Juを 得る。桝誹る㍍放い眞理性の川拭これでJ吋ろ。カ.くして︰“数的頂川はー他の椰々なる捕理と比校さ れー甘正され一小りか∼る和泊か左▼ ㌫秋雄ポに、習揮弟に依つ†、常にそ山頂理を訂正されなけれ 琵秋僻ま江川ぞや
332 ばならない。 けれども、宗徽草は、鰐に西里に依って数へられてのみは属ない。㌫敢邸も又哲担わ忽へる。然 らば.㌫敢爪†が粥隼に対して石すう優越性は、hどこにあるであらうか。それは云ヰまでも無く、哲 草︰”欠嗣とすると=′ハになければならね。即ち、現象に対する豊かな知識である。宗教準者は▼㌫ 敢現象いJ巾▲ら叩ろ偉閏に亙って、豊かな知識料有しなければならない。此の鉛に閤しては、私はテ ィーレのウ=葉一㌍引川して、私の真読㌍‡華背きしてもらふことゝしよう。 断ふポは、宗教の仝柳城を通観しなければならない。そして㌫敬を、そ ﹁㌫敢苧で榊究しょうと ⋮・⋮約言すれば、宗教学者は、その取摂 のすべての方向にもいて蹄査してゐなければならない。 ふところの材料を、たとひ他の人が彼の鶉に費見してくオlたとしても、とl︰かく自分で充分理解 してゐなければならない。﹂︵ゴe︼e旨i㌢さl﹂∴︺﹂り︶ かくの如さこと阜▼到底、督塾索ゼ豆できない。すでに三ったやうに、常隼新は、鰐に宗教現象 のみむ研究の肘鉄とすらわけには行かぬ。川叱って、串賓の榊究は、これを専門家の数へるところに 学ばなければならない。こ∼に、小小梨隼ポが、市坪者に封して右すろ優越性がある。㌫敢隼者は、 ㌫数的締出の内面に克ち入って研究寸ろことに隼りて、市坪辛が懐いてゐる原理そのものを親し得 るで・・りらう。 宗秋草±ほ何でや
:;こi3 か∼る意味において、宗教畢は、あくまでも経験的でなければならない。而して、眞の意味での 鷹狩的で㍍ければにら互い。粁壌的であれ、増澤的でめれと云ふことは、弊害の榊なきに谷き込ま れよと云ふことJで忠蛛しない。すべての坪的探究は、あざやかな軍部の仰性の創造的な努力を必要 とする。繹櫛的でめれとは.、m頼む迎け、串鱈の上に碓平たる足場む猥けと云ふに外ならない。串 欝を乾燥せる梢念S根介惜とせす、串欝にひそめる4命を把捉し、その珪命な通じて経る∼頂埋を とらへなりればならへ甘い。而し.・\ 此のとらへ得たる頂埋と、他の許原理との闊係、それが如何な る英和代位をれすろかハ廿どの問題は、むしろ哲理者に垂すべきである。か∼る理由から、宗教現象 の坪たろ再帰敢坤と㌫数の習堺的耕究たる宗政商塾とは、情別すべきものであると云はぎるを得ない。 一般邦雄の外に㌫敢哲坤たィ小猫寸tた寧問を建設しょうとするのは,理由無官融みである。古く はカノー㌧ ヘーゲルの㌫敬啓隼、新らしくはオイツケソ、ウヰンデ〝バントの之れなどは、いづれ も、絞等の帝堺の〓叩分であつて、それのみで弼宜した一撃科では無い。又それでこそ昭位があろの でぁる。 三 次に私ほ.㍍敢史と㌫敢押との閲係ヤ考究することヽする。宗故地豆は、畔殊㌫敢史と一般宗教 宗敢隼ミほ何ぞや
33 宗秋草ミほ何ぞヤ 一四 虹︵蔓gemeilleG已1ic言ユつこ己i号=︶とが一のる。南新は、その性質を鹿王してゐるじ前者において は、或一個り※数の㍑はケ叙述すムことを由て作露としてゐろが、柁ポは、多くの㌫敬一で、その敬 屈の程度卜舷じて頼め仁・′=めで、その限りにおいて・蒜の坦糸的冊軍ピわったものである㌔付し、 同じく細々なろ㍍敷の居史む雛めたもので、ソーシュイ︵⊆星つ︼︸㌻︵㌻︼⋮t箪l望︶ェや、モーアなど のものは、只、種ク与∴小数の駆虫を一所に羅列した仁けで、私の云ふい般㌫薮虹とは、異なつて ﹁hノ ゐろ。私の云ふ一般ハポ徽史とに、例へば、ティーレや、ノンデースや、レイナックヘ与どの㌫故山を こハノ 云ふいである。之−L守り、抑々㌧′∴−小致曽根然し、それ等む舶比摂し、同一発展段甲の一心一bのを鋸 めて、仙と障別してゐ一生。乱首∵般ハ小魚むい問鱒でいH則しとし、特殊宗教史と㌫敢撃との嗣係に就 いて述べて見よう。 脛む坤の意義に就いては、古ソヰソデル.ハントやリソケルト㍍どの耕カント呈次において、爪梨な 容易に決し斯い岡即㍍る聞出亭盃供してゐ一?1とは、花川丹昇一股に知れ亘ったこ る問題となり、 とである。私は今、それ等の問題に洗入・りすラ言J∵一統しへ仏い。∬っ又その必両次も加⋮い。勿論、彼 等がホした嘩史草の意莱に就いては.充分岩壁イ坪‘ル必バ次がウリ︰が,今はまづ、それ植苗問題に梱 れることなくして、私の議論■で進めて如かぅ。 まづ、僻妹㌫放史と㍍敢準とは/ての判象において異なつてゐる。特殊宗教史は、すべての宗敢
:l:析 ヽヽヽ を個々別々に辟抜ひ.それ等相互再開に存する頂理的閻係を関越としない。之れに反し、宗教畢は、 或︰偶の㌫敵﹁因はれす.すべての㌫放・で川究対象とし/でれ等和正川の一蹴埋的例係を問題とすろ。 だが、それは、むしィハ柘めて来面的の加速である。吏に本質的な舶違は、その探究の方法における 刺通である。 脱出準S・代務が、史的発促小に呪はれ氷る特殊性を認施するにあることは、疑ふことができない。 勿論.その姉妹性は、︰般件の特殊なる表現なること曽孫想するであらうが、脛史家としての作移 時代と艮放との加速から米え時殊性むとらへ一︺ところになければならない。之れに反し宗教革 は、 新は、むしろそ拉等の晒殊性よトも、それ等の蛎殊件の根庇にひそむ一般性をとらへなければなら ない。再小数軍部にとつては、姉妹なる串仰が、榔殊なろ串外そのものとして桝心串とはなり得ない。 むしろ、その榔殊なィり輿仰が石寸る一般性の鶉に.特殊1こる事件が閥心射たり狩るのである。だか らもし、文化科輝な一じ浴が届出里と川H刷せらィリベき粧耶のものであるならば、㌫散華は断じて文 、 化利雄ではあり‖ない。ひしろ㌫疲廟は、坤椚の分撒から云へば帽史隼とn然科呼との中間侮城 をハむべきものである。 然らば、㌫敢虹は、ハポ敢草に封して如何なる技助む廃寺でわらうか。それ巧云ふまでもなく材 料む択伐するところにれる。ハポ敢む直接助なくしては、到底、㍍徽坤新は、その必翼とする材料を 宗教畢ごlェ何ぞや
M 得がたい。もし、ゼエムスや、デュルケエムが、今少し充分㍍㌫政弘的顔料七新してわたならば. 彼等の菜税は.現花以上遥かに卓越したものとなつたでJ・りらう。 然し︰uがら、こ∼に残された今一つの問旭がゐ一㌔㍍致早着は、〓ハ箪に宗汽史景の提供する材料 一軍甘んじて受けて居汗ご,串足りるのでJりらうか。私は、さう信じない。すべて邪多豆知識ほ、長 の知識であり得ない。異に試飲の本質に分け入らうとするには、多くの宗敢のすべての登屁段昭一で 知ると日時に或一個の㍍放を、内面況く掘りさげろ必要がJ呵る。テ∴パーレは、﹁少くとも二偶の㍍数 ︵しり を、その原発料において研究してゐなければならないLと云ってゐるが、それは望み難く、又必す しも望ましくないとしても、少くとも一個の宗教に就いてほ、それだけの研究が必要であると私は 信じてゐる。と一号ぶの咤▼ 宗敏雄者にして、若し、㌫致虹稟請■典へるところにのみ戯って居れば、 すべての知識は問ほ的︵罵OnL︼⋮1d︶であり、従って、宗教的珪命そのものに正接に柵れることが、 極めて同郡でイりるからである。然しながら、㌫街中茄は、催史疑としての任務の外に.原叩の探究 者としての什器Jで県たさなけれになら㍍い。 こ∼に、ハ小数草が㌫敢出の外に狗証の地位一で古むべき 理由がある。一人にして史家と行7り、頂埋草著し上江えごこLLは不可能で無いまでも、望ましいことで は如い。むしろ各〓その秀で∼ゐるとこ一ハに向つたガが、m﹁聞い進ル.一で非す所以でぁる。 一般㌫敢血と㌫敬準との闘係に、特殊小木敢吏と㌫殻草とい関係とは、や∼異なつた性質Jで帯びて 宗敬邸ミl工何ぞや
337 凍る。坑二、†亨り研究の対象は、両新北ハに戎特殊の㌫敢に川はれす、購く一般㌫教を収扱ふが故に、 その範周■で同じくすると云はなければならハ仏い。更に、一般宗敢出は、各宗教の問に弄する烙展史 的投階を忍聖 同一段階にあるもの同志の問には、異なつた段階にめるものと比べてより多くS共 通性あ亮ことを認めてゐる。即ち.歴史的には燕閥係なる和英した㌫敢同志が、一般㌫放出にもい ては、その本粟上、瓦に刺繍係するもの与ることを認め/しゐる。かくの如きことは、畢なる傑出と しては,渇すべからぎることである。か∼る意味において、一般㌫放出は、曜なろ雁虹以上りもの でぁると云はなければならない。 然らば、か∼る一般宗教史と㌫敗軍とは、如川なる相違がみるでめらうか。私は、すでに、両者 はその研究の封象を川じくすると云った。だが、此の ことには、多少の制限を加へる必要がある。 なるほど、すでに僅々述べ氷ったやうに、㌫秋蝉邪は、すべての宗教的串璽に通暁しなければなら ない。だが、㌫敷革新は、その通暁せるすべての串鱈を、悉︿述べねばならぬ鶉弥を射たない。敢 も良く頂埋を衣現し、且つ叉、研究上最も根宜多しとM心はれ一り戎特殊の㌫教わみセ収取っても、宗 教邸邪としての兼務は某化し得られる。例へば、デュルケエムの如く、その研究の範閲を中火アク ス!フリア土人の宗故に限っても.何等差支へは無い。㌫敢翔来は、すべてり宗教を比瞭研究しな ︵八︺ ければならないやぅに思惟し、今なほ宗教嘩の代りに﹁比樫宗教撃Lなる名捕一で川ふる坤者も無い 荒牧捲き圧何ぞや
祁 ではないが、それは到底時代おくれの着古しだと云はぎるを得ない。之れに反し、一般㌫敢史家に、 かくの如きことセ謁すことはできイ.甘い。必す、すべていかポ故に五って普遍的に叙如しなければなら ない。か∼ろカ法は、㌫動的現象の多撲性をホすことはできるが、それ等の多柁粧一堂油じて普混的 に存する原理を螢見寸るには、むしろ却って不通常である。 それのみで号く、い般㍍敢史は、それが脱出でぁる以上、その薫製なる悦郎を、﹁発展Lと云ふ問 題に附かなけれはな、と住い。㌫数坪者に依っては、発展の問題・で以て、宗教隼の珪粟なろ問親なり と‖心ってゐる人がめる。例へば、一′イーレも、㍍敦堺の第一の什絡む㌫数の進化s抑むたぃ⊂るにゐ ︵−0︶ ♭としM、ケエアードの﹁㌫敦の進化﹂や、近くは、モーアの﹁㌫数の誕生と成長﹂や、ホブキン ︵一︰︶ スの﹁㌫数の出師と発展﹂の如きも、いづれも、さうした丑場から記されたものであ一心。〃/ソトの ︵∵ノ 艮放心理堺的抑究も欠航此の式場にあるものと云ひ得るであらう。だが、私は、かゝる立場に舘成 できない。これは、督枠上の所謂る脛出ま義︵打方Crい呂莞︶ に宿ったものである。クオ することは ︵二﹂︺ ツノーミンなども云ってゐるやうに㌫取出の一斗㌍なる問題は、鱒克つ雲−・㌢n︶の問題でめり、従っ て㌫救出は、ハ小欲的往介そのもの ︵︷訂邑僚紆e訂訂ヒ邑b伏什︶一で川越としない。然るに成長の問題
は、のとなりろ、
㌫敏雄問用得がそれは、ルポ敢的珪付そのものむとらへる手段の一つに過ぎないの ヽヽヽ でれつて、決して弐異な 一〇問題ではあり得ない。ゼエムスやデュルケエムの如く、成長の問題を仝 宗教撃ミほ何ぞヤ339 然看過し去っても、なほ、㌫致率としての低圧甲ピ損じて居るとは云ひ得ない。否むしろブントその 他の如く、成長の問題のみに苅心を置いたものこそ.奥の宗教邸を泣ざかると云はぎるを得ない。 何となれば、それ等は、久田に成長の形式む述べただけでぁつて、いづれも宗数的珪命そのものに 光分に蜘れてゎないからである。 四 敢後に私は、宗放心加重と㌫敢撃との関係に就いて運べよう。両者の㈲係は、柿めて密接であり、 同じく㌫放心和草と糾せられてゐるものでも、 或鮎では、殆んど情別し難い状鰻仁あ云。けれども、 その傾向は著しく邦へ仏つてゐるので、一拍に決定し難い。そこで私は、大冊これセ囲椰に駄別し、 各自が、私のま成する㌫数理と如何なる柳橋を宥するかを遇べて見よう。 川棚の宗教心押隼とは、第∵はゥオツノーミンがクラーク心理坤新派︵C−弓打数いeワリ且lC−〇いe巳C㌣ ︵︰︻︰ 已e︶と名づけてゐるもので、これは.アメリカのマナッチュセッツ州にあるクラーク大挙の畢長で、 右名な心理単利だつたスタンレー・ホール ︵S訂ll−ey冒邑︶の弟†たト 小にもスターノック ︵ST
−1︶︵てO
alど︵・k︶リエバ ︵訂已阜∵等に二依って代表せられ 節二ほ,同じくアメリカのハアノア ︻.Lbノ ト大坪数搾であつたゼエムスに依って代訳せら・れるものである。銅≡は、ダントに依って代求せら 宗秋群立圧何ぞヤ340 ︵一入︺ れろ民族心理準的方はであろ。直に此の外に第四の方法として.デユ〝ケエム ︵p=±−e訂︶に依■つ て代来せられ一︺∼離骨心理畢的力法一でノ山げ一んことがでさようっ‖し.これぺ.宗教心規準の中に色 紙させることば、多少無理ではあろが、人1は便宜上、かくして収招∴こと∼し接い。大概、此り 四 椰に暗別す︰Uことに依って、現代一‖宗教心稚隼∽すべての仰向十日精し得ると‖心ふ。此のうも、第 三柵のブントの井伏に倒しては、すでに批評一で加へておいたから.今はそれに桐・㌍仏いこととし、 第∵ 第二、㌃円いカは上皿して述べて見る。 第一のスクー.ハック、リユ.ハ等の方法は、貿川法︵Q−ぢユ㌻−コご・つn邑−10d︶ に依って、その研究材料 を蒐処し、之れに依って、宗教心が強く起り氷った時期、即ち、同心畔︵C︻︶≡J㌧r肋i2︼︶ の年齢、及び その頃の現境、心理状櫨竿ル⊥知るものである、か∼ろ方法が、草問的方法として秋鮎イで和すること は、多くの蝉者がすでに指摘してゐるところであるが、如何ハサ0∴力法にも多少り批難は件ふもので あるから、かゝろ秋鮎の鶉に、肛ちに、此の方法■で否定寸る叩山とに亘らn。けれども、根本の問題 はー此の椰の研究が、㌫改心の内容智明かにす一り鶉に、どれにけ正扶し得・0だらうかと云ふ翫にめ ↓む。、スクーパツタがヰとして注意した鮎は、偶人の㌫歌心り津建と/での肉膿的澄建との榊係であ った。両叫..‖り閥係を朋かにすろことは、放有理上に罪献†る桝が多いであらうことは、想像し得ら れる。けれども、宗故呪象り内容智明かに寸る凱には、それほど効果があるものでは無い。スター 宗秋†ミは何ぞヤ
:=1 ノックが、今少し宗教心り内容一で解剖寸ろこししに興味む向けたならば、宗教心埋撃として細管の劾 基をみげ得たで爪∵しうし、㌫数理に焉赦す一?Jとも多かったであらう。けれども.とにかく彼の方 法は㌫敢の抑光に︰新仙軸を出したところに情位があつた。即ち−従妹の宗教研究は、宗教史的研 究が、㌫卵常雄的耕究上限・hれ、㌫放心そのものに突入する凱において、甚しく劣ってゐた。スタ ノックの著述は、とにかく.人†まで試みられなかった方法に依って、宗教心の内而へ立ち入るこ ー とを試みたのである。 スクーパツクよりも、 一府深く宗教心の内而に立ち入り.然もスクー.ハックの如く、致育準的興 味に囚はるるところ無かったのは、リユノでぁる。けれどもリユノもスクーパックと同じく、宗数 心の特徴を、あまりに形式的な謄珪的1;方而に限ってしまつた。即ち、同心時における試歓心の樽 岡の形式にのみ研究の求心を描いた。勿論、か∼る形式の頼光は、宗教心り四容を朋かにする秀の 必要な方決ではめる。rが、形式は粟するに形式に過ぎない。かヽる形式なとる脱内は回避にある か。即ち.㌫放心S内容に対して、充分の研究を試みる必要がある。リユノが難詰﹁モニスト﹂に 隊衣した論文﹁㌫故意識の内容しは.恐らく此の試みを鶉さんとしたものであらうが、それは、梯 椰なる人々の・㌫数緯喩一貨碓列したに留まり、㌫放心の楷薇む充分にとらへ得てゐるとは云ひ難い。 第二に、ゼエムスの ﹁宗教群臓山講和しは、たとひ椰々なる映隋あるに拘らす、而.してそれは︼ 宗職場モほ何ぞヤ
:!・l:三 ︵一九︶ 般に㍍放心理枠上・り普通であるとされてゐるに拘らす、私咤.彼自らも希望してゐるように、㌫致 草上の共通でみり、然五中速した著述で、−再ることノで、依然として信じて疑は仁いものでみろ。何と なれば、彼は、ハポ致住所が旭と情別され一じ特徴は川でぁるかノで探究寸一り一しとJ〃.血て、ハポ敬川Ji根本 問題なろこと一ぺ 常に忘れ互いでゐる。彼によれば、㌫歌津沼とは1見えざ一?らり∼鱈在L︵T訂 カe已i−.1ウご︼1q︻J−莞︰Jこし■ノ二=rてTコ︶でぁるり此の定義の措膏は、■今の場合日通で無い。とにかく、 これJで以て、小石致圧活が他り雄清か・㌧暗別さ、れ乙特損なりとし、これ■で相々雑多なけパ豹経験中から 導き出さうとしたり枇にハパ枇的概念や、須賀やに留ぅでL∴住いで、内面挽く桝り下げに。従って、ブ ﹁∴C︶ ソトなどが、救世軍の.ハソ∴ノレットに過ぎない、ハ㌦ど∼Ⅲ倒しハhに拘らす、而して、ブントのそれ がドイツ洗の草的概系の耶然たるもの一に拘らす、票数心の本質育とらへることにおいては.ゲ∴/ト はゼエムスの脚下にひれ代されなければなるまい。 だが、ゼエムスにも傭鉦はム一わ。その重要なる映陪は、従︰か、ハ“放を偶人的宗放︵づer苔已re−ig訂n︶ と制腔的㌫忽︵i−1註言什訂︸巴re音㌻︼l︶とに陸別し∴刷新は彼ポよりも更に木原的でJの ろとした餌に韮 ︵∴、ノ 円すaものであ一U。心理堺粛しLしての披が、かく‖心ったことは無理ハサらぬこと∼も〓心へもが、宗故 山の刷究・で武︰ルさへすれば、酢合的互艮兼的な㌫敢ん上靴れて個人の㍍敏江あり得ないことほ、極め て朋〓・∵守﹂とであ一㌔従って、佃人的㍍款む研究したからとて.㌫敢の耕究が終ったわけでは無い。 宗牧草†﹂は川ぞヤ
343 それのみで如く、軋曾心を離れては、偶人心そのもの1研究も充分兆し待ない。更に不必粟にも、 除トに多く彼のブラ〆マタイズムが頭を撞け過ぎた主も.その敏郎としてめげなくてはなるまい。 これ等の映隋を祁ふものは、デュルケヱムの﹁宗教生前の基本形式﹂である。これは、ゼヱムス とは全く正反射の来場に立ってゐる。即ち、ゼヱムスは、偶人心の研究に没頭したのに射し、デュ ルケヱムは、軋骨心の研究に没軌した。然しながら、デュルケヱムも、ゼヱムスと等しく、宗放生 前の特性をとらへることむ怠らなかった。彼に依れば、宗教心の特性は、すべての難物を卑俗︵pr? ︵二∴︶ 軒−e︶と染︵賢款︶ とに二分するところにある。彼は、此の宗教生活の特性牽.中央アクストラリ ア土人の再ポ敢珪括のすべての方面に亙って探究した。ゼヱムスの如く、椰々なる人々の宗教心に亘 ってい無く、只い仰の椰放の帥々なる宗教珪椚に甘づて研究した。大醗、彼の探究は二部に分れて 居る。第一は宗教的観念の研究でめり、第二は此の軌念に対する人々の宗教的態度の研究である。 私は、デュルケエムの此の番を以て、宗教嘩上の仰大侵る著述でぁるとする着である。只一つの 映鮎はー彼があまりに偶人心理的櫨腔を無耐した鮎である。宗教的態度は、宗教儀式において敢も 良く現はれ、従って、㈲慨的術承において敢も良く現はれることは否定することはできない。けれ ども、それと同時に、㈲撒から孤立して宿はれる偶人の心的感度にも、又、僻妹の宗教心の表現が ある。少くとも、阿倍的に宿ふ仙人の行鰯において充分螢見し得られないものが、個人的術超にお 宗教塊童ほ何ぞや
3j4 二四 宗歌学ゴl‡何ぞや いて山原桝自に鞍見し得られ一︺。このと哲濁さ仁かったのは、彼が、その研究の対象を、中央アシ ストラリア土人に限った必然の結果である。未開人においては、阿倍を経れた個人の行秀なろもの は.殆んど螢見し得られない。これはどうしても、文化人の内において探究されなればなら互い。 即ち、私は、ゼエムスとブントとを折衷するところに、理想的に㌫改革が成立すると倍するもの でぁる。此のことは、今後の宗教捌が、正ちに、宗放心鞘邸と同一崩され、然も、宗教挙が心理畢 の一分科たるべしとま張するものでは無い。リユノの如きは、御車も心和韓たるペしとま張してゐ るが、 をれは、現代の心理学に射しで、あまりに多くを期待するものである。心理隼が、すべての 心理現象の描究に射して,基本的な.投備的な邸問¢J位龍を占めることは、云ふまでも無い。けれ ども、現代の心和邸は、あらゆる心的現象を、説明し得るほど進歩してはゐない。侶に心理韓が、 それだけの種皮に推少したとしても、その時は、心裡埋の閉域が限り如く狐離された時であり、依 然として、宗教現象のみむ研究する特殊の心理学者を必要とす一山であらう。とにもか︿にも、現在 においては、現代の心理蝉がとり凍りつ∼あるやぅな翫駿的方法に依っては、宗教心の研究は不可 佗である。だから、ウオッノーミソは、㌫改心和畢的方法︵Re音iOコ蔓S冥訂㌻gi汚Fe試2t︼︼已e︶は、単 なる心理坤的方法とは異なつてゐることな力説し、宗教心和雄の理想的方法として、﹁宗教心埋畢的 循環﹂㌘−igiつ冒つⅧレ・C己鼠色︶つrNir㌃︸︶なる方法を用ふペきことを弐威してゐる。と云ふのは▼私共
34Fi は、先つ私共自らの㍍疲心を見つめなけれはならない。〓らの宗改心を見つめ程服を、正豆粕じて 他の人々の宗教心の研究に向はしめなければならない。而して此の際、リソ.ソスの所謂る感情移入 ︵Ein2を竜︶をわはなければならない。陣史的若しくは人相隼的串彗の艇庇に洗るヽ宗教心をとら へる翁には、是非此の喜が必粟である。かくして鋭くされた服を以て再び自己の宗放心を探究する。 かくしてはじめて、n己の㌫敢心は、畢なム日己一仰の宗歓心で1;くして普通牲を得て凍る。 けれども、私は、か∼る方法を以T、必すしも宗教心狸軍的力沈と耶す一〇必要を怒めない着であ るじし丁べて精神科雄と糾せられたものは、人間の心的現象り研究でぁる。心理現象の研究であるか らとて、拡ちに心理畢なる名桝を用ひなければ㍍らぬ理由は無い。むしろ依然として、宗教嘩なる ヽヽ 名緋む以てするが堤防でぁる。心理学なろ名祁む用ひてそれが鰐なろ心疲毎とは異なつた宗教心埋 草であると云ふよりか、むし一り宗教率︵Reli官記召軒−︰SC115︶と桝して、その方法として宗教心の内 面的研究を試みたが、誰涙一で少なくするだらうと思ふ。 ほ川弓㌻計lb冒ケ吋邑udi昌こ汚−巴 Ⅰ●S●−一 間RObe−tヨロ巴eり︼ヨぎc巨ロ○︰つ℃日払He︼⋮gぎ︸︻iロ謬it︼毒=Gd3ヨ記い㌢nfhぷ昌旨ヨ一任弓h号訂つ盲巾こ汚− 問ノ﹂.in鼓b呂dこbid.巴.H:.Ⅵ.りuい笹 川﹂↓○事erロJiコ︸D居ノ↓窯−12一肌野︼in㌻Jp=汚 M9邑鼠ede㌻許仁肇運㌃どど︵F賢哲宣旨M頸巳︹穿こ汽ひ、F甲Teロ評注0︼え戸rどロ6口−G・呵・ソ打Or巾−冒早 tOq O︻出訂厨iOMぎけ召F 宗秋串ミほ何ぞヤ
.:16 qリラー″ユタコ打0勺っ︻Pli㌢コり冒㌻邑一、〇.阜篭︰Ticl㌫ヒe己0ヨ一同。⋮p苫dぎlNl︼rPligi。コ蔓已−ic‡e・ のTic︼クH︸冨″3甘○〓l蒜警告Ceつr冒︼igiOn、Y〇一∴−PJP 脚ロjenteJ9⋮P2・注ぎこ評−をOn MTicleこrid・ノ・C:l︰G・ 管巳乙∴E′ぎ卓冒ぎ︼已Cn。、宣言ぎご。−ニ買 ︶ ‖PワッH00︸・e、T訂冒亡︼2乙G︰○まl−つr㌘ligi〇n、︼汚∽こ訂p己ぷTどOri㌢P−乙U3首︸−−邑つ︻Pligぎ・ ′−1ヽ ︶ 12ノぎn阜ノ.呂・1e蔓〟ヽ旨〇︼つgi〇リアt︼与い1L汚Lig⋮〇コー∽一己e・ ︵ ヽl■■′ ㍑ノ一10bbe号i−ざeiニr−を旨′Ipづl己〇gisユ︼eソⅠ告つ計iコ㌘︼igiO己ま染舅FきunLTh邑童e、︼讐訪・p∴ほー・ ︵ 川ノ↓Obbel・=︼in、iriL−Stりいじ ︵ ︶ 川ぎrb宍灯,Theワノ1C︼l〇身l↓ウrPli音︻r>l−苧阜・i已S言古○〓lleC3まブ〇つP童。已9コ軋。uヨe㌍PS計。︸冨¢ ︵ ヽ′ 川訂GすAワ邑lO︼つg㌻巳Stl︼︵lγ〇↓冒壱○コ、冨○身in、句unaOコ呂d﹃1きre∴㌘箋﹂㌢r?︼望ドT訂C邑︵・n首〇︻P︸杖Oe ︵ ロ呂拘iOu書抜︵T訂ソ訂㌃−邑.HI、ぎ.ムこu︼¥−害︶−︸︸dさ旨g句っ、冒︼igi。岳Ⅰ、h苫冒enp、︵T訂Al−壱・ie呂JO彗邑○︻ つ肌︸Cぎ︼Ogy,TO︼・くーり・H〇・ドAp卓二警e 閏ノ⊇iE乙弓法ら三、弓iEi竺︶︻2i賢︼昌雲計nce・ ㈹Duきei⋮、訂冒n義H−ぎntP訂dニPノ、ie宣告 β汚,18乱.−汚ひ. ヽt一′ ⅧJ冒乎iビid、p・おり、弓e訂Te;eb鼠nn−コ望○ご、設e胃eO︻訂︼igi02−号邑︼乱い呂di︻t訂籍]釘旨r蔑C。u︼d e責bO ︵
買COuロtaPCヨコ︼bJ。芹e cO︼ltさ註On l02C︸︼p獣enきⅠ叩どu己beヨ巳eTeq訂ppy・ご
川Jヒー︼串ibiL.pp.持∽笥 叩弓l︼已t、p鼓訂mede:、斧e8堵与ぇつ旨︼≡.S.岩u. ︵ ′.tヽ 叩ノ一l.鼓弓n︼㌻、U訟名籍n旨家伝。n−︼汚︼・pヾ・ 呵P定数己、ibid.p.芦 l 宗秋草ごl‡何ぞや
別7 前批で述べた如く純逓睨の〓擬餌は菜摘死む苦楠と威するの心理的根櫨を明にする所にめつた。 が、仰′︰−錐剋靭の解押はたざで慮lだけでは充分ではない。路泡脱硝成の‖り一発鮎となれる心柿む和解 するり礎臓としてはホの心川的解揮を離れて他に之を求むることが糊凍ぬけれども、少くも典へら れた文献からすれば右の耶澤だけでは収まりがつかぬ。何となれば少しく整へる維適用係の発料と なれば、一での小心課題となれるものは、丑に対する糊心、菜摘死に射すィ0ハ悩ではなく、少くも表 面上直ちに圧そりポ、菜摘死その新と柳澤さるべきやうに11i凍てゐるからでぁる。こ∼に於てか川 畑となるの圧、心理粗としての圧死ぉ粥欝化した契機及びその経過はいかにといふことであらねば なら犯。私艮こり刷怖々次ぎの如くに考へてゐるものでぁる。 性悪摘花一竺宰彗化し、そこに朝野■竺躍いて考拝し、之に刷聯して維旭睨な輪廻の説明形式と定
め
原始彿敬に於りム拍抱組の関根 ︵下︶原始彿故に放ける線起親の開展︵下︶
︵時に赤沼、︵r非、和辻講教授s説を識みて︶− 唯心縁起より輪弛緩起に−
一代羞病死の再賞化、、﹂その契機
泰 賛
34∂ 二八 原始併軟lこ於けろ破綻軋の開展 ︵下︶ んとしたのは疑もなく、彼の蟹迂にか∼るものである。併しそれは決して出費鮎とへ与れる心理的維 超侃と別注に属する系統ではなく、寧ろ阿心橙⋮鮎としての心軍配の中に巳に所期州雅闇とし預想され てゐた思想の例日にされた姉弟に外ならね。従って之七閻心脆同の硫狭といふ光場からすれば職位 心理に涙T・を置いての枇擦は原木的で之ノで客軌化したのは第二次的といふことが出水るけれども、 緒遇枇組織新の側からすれば已に初よ,り和賀的井死む魚油してゐたもので必すしも情皿卜ししての生 死と申告としてのfl二死との問に厳格なる拓別を附しなかったのは頂始彿数の豪面的証場であつた。 たゞ後に逓ぶろであううが如く、心根に発きを附くか姉婿に韮き′で置くかによつて板東沸教と小乗 彿放との加速が生するけれども、初より情孤︵心根︶と同時に雛祭の窓妹を介んでゐたものである。 而も私の考を以てすれば職位としての珪死を関心焦鮎としての錐避翫は腎瞭的意義からすれば率直 簡刷であるだけ右効であつたけれども、醗瞼からしても理屈からしても、少くも求象の形では、失 覗、持帰=化された珪死の紹起といふ厨まで進まねば、経過粗の意陳一い完成せぎ一りの増山かあつた。 綾死に到りて珪死の綱目的混血痕式として縁起軌︵媚に十二級起凱︶の笹川された契機も全くこ∼ にある。 この情構心理と邪岨的串賢との問に於ける交錯推移の囲係は澗り圧死問題許りではなく棟数思想 の査般に準りて毎はれた考へカでぁつて、腱て純超文、午‖の窓昧・工理解す一心﹁∵も必婁な用意と思
3イ9 ふから.こ∼に少しくその理由を適べて見やう。
先づ第一に輿ぐべきは一般的佐竹⋮の要求からである。度々述べた如く之を内而的に見る限り、吾
等の往溝即ち惜他軌跡︵Uieノノ1elT詳占且は我が心によつて代表せらる∼ものでぁる。併しながら、之む仙方面からするに吾等の心的挫折は、それ自身としては全く桐人的である。甲が苫と成するこ
とでも乙は必ゃしも然らす、乙が墾と成するも里は必らゃしも然らすと言つ托現の経験も決して珍
らしくはない。従って口内謹を克とする署修の立場からすれば、内心珪活白身に据りむ鹿くことは、
術畔で有効で∬っ充分でめろけれども、少くも之・軍歌條の形で鎗乱する際には、桐人的ま軸以上に
或る形を典ふィQ必要がある。こ1に即ち抹避祝の中心課題としての佳菜摘死も珪に対する執心、老
病死に対す一り苦悩といヰ芋槻的串件以上に之ぉ先起す乙の客軌的便仲としての珪老病死の形で提唱
せらる∼に到↓十∵理由が〃寸えのでぁる。蓋し暇令、意識的に珪に封する執心と之を基切る所の 老紬死に対寸ろ浩醸とむ成せ出講が∼bるとしても、井めれば必ず老嫡死あるは鞄へられた串餌とし て付人も正孝に之一で承認せぎaセ得ぬ見知としT、そこに何人の壁醐をも促し得べきカがあるから である。即ち之む分り易く︰∵.Iへば情仰山本蛮は之一で判師する心︵欲望︶にめるけれども之暫貨lけそ の者に移して考解するが革ろ﹂般的に捏つてゐろのと川.押迫によるの考察といふべきである。次ぎに第二の珊両として殊ぐペきは醐定的考察の性別から凍ろ結果としてゞめる。編もこほ内的
原如沸教lこ於けろ繰越叔の脚鵬 ︵†︶350 三〇 原始俳秋lニ於けろ路地純りm損 ︵下︶ 珪沼の秩序が客観批非と加臆するといふに合一で水たさしむるの最大拙技となつたものであ一〇。改め て言ふまでもなく印度の揖想は迎︿もウ∴ニシャツド以降は凡て挿的忠椎の成果として戌嘉したも ので滞定︵S仁2已〓︶○︰ニ1‡⋮︶又は旅伽は賀在認識め方法と考へられ、進んでは誠一霊鱒昧に於て欝在 創眈揖の方式とも考へられた杵、印度のm心恕非に苛んせられたものである。蓋し挿的〓小惟に椰々の聴 蛮があるけれども、その最も著しきは観念の内裏は聴て客睨的普遍性を射するといふR兜Jで雑たさ しむる研にあつたからでゐ一心。必すしも論理的に五r∵l等に備はろ‖心仰の方式によつて現象が規定され るといふ押出からではなく、寧ろ自畳の絆勝として、そこに到るが挿仙川心椎の姉別であ′つた。之れ 締約㍍惟によりて或る対象を以て心を統一する時,そが重態盃示占糾することによつて、少くも‖心
にと、
椎新辟人つてはそは龍城的野在となるからである。勿論、そのm心仰の封象となる素材や、その †大の仕方に倒しては、M心肺者によつて必ずしも一定してはゐなかったけれども︵之はやがて印度 思想の細々に分れた理山でム∵ろ︶ともかく少くも一度びは凡てを締的‖仙惟に移し映って初めてそは 正成仙風如として承認せらろ∼といふが印度帝石め川心恨法でJのつたのであろ。ク.ごシャツドの梵 花岡㌫心怨も歌論の二︰冗≠木調読も肪諭の六句鶉思想もかくして成立したのであるが、この鮎に於 ては沸教も決して例外ではなかった。時にホ繰越観と㍍れば初め彿陀が葦提樹下に於ける硝観的思 怖によつて見出したものであるとは殆と諦諭樽説の一推すろ桝である︵莞兄上︶から右輔定心理によ■▼■ ■′り るい思考法はこ∼に充分介←至心∼と糾さねばならぬ。従って、維剋枇の旧教鮎として−俳陀は他く までn己S心︵鵬念化された心ではなく墨ろA醜摘心理性浦︶に裾りを拾いたといひながらも、之 と川帖にをは亦客枇的串邦非に油川さる∼の重用と考へられたのも亦勿論でぁる。惜伯としての生 菜摘死一〃⊥郡部の形に正ほしたのも、賀にこの純正心理の・致す所に外ならぬ。 かくして、右の二理由︵哺に節二理由︶ にょつて心的秩序が客枇的秩けにまで淵げらるヽことに なつたの−でJの・るが、之は前にも述べた如く、猫り葎死問題計りでは㍍く、彿致命般に捗るの考へ方 である。従って亦錐起軌閻係の他り文分中にも同じ心理的経過をとつて同じカ向に進展したものゝ め一わのも勿論でぁる。一々に就て説別してゐる暇がないから、その中に於て滋も肝要と〓心はる∼二 二㌫糾合について述べて見やう。 先づれ︵b︼−Pl由︶が三界︵韮として正報として︶の意味に進展した契機からす乙に、前既に述べた 如く.路地支小に頂ける右とは闘心嬬斯からする限り.要するに五=等の存在に射して.定の身分な り地椋なり直立場かト 軌弟七以て之に勤した時の心理状建と解すペきものであつた。然るに所謂 ▼ サーバン月 解滞鮮と㍍れば之・r欲里 色有▼ 無色有として所謂三界の意味にとつたこと咤 例言雅阿の分別経 でも並阿大純分捜綽でも川じことで一・吊ろり之に別して論理的解滞中−欲する人々圧この三界説む以て 在水の抑制の耶なる輸入と兄佃さんとしてゐるが︵や井氏〓心理二九批三五。和辻氏、規則五人敬三 頂始沸教に於けろ紘鵡机り川根 ︵†︶
:娼2 原始沸教−ニ於けろ繰越孤の聞展 ︵下︶
三二
六以下︶私を以て見るにこは未だ稲光心叩のこと一ピ考へぬ桝から寒乙速晰に外ならぬ。いかにも三界脅以て物理的存在として須描両説など′で基礎としての読刑法は疑もなく碑前の抽入なることは私
ら籠むる桝で今㌔けれども、仇故に於ける三淋甑の基本豆跡じて在非の柳平ピそのまゝ攣化せし
めたものではへ†、失明その本別的考囁から誘導されたものなろことを見逃してはならぬ。蓋し
在雄の紳話は用宗∼l!天木地の三界説で怪塊㌣言物理的考挺から雑たものでふ∵ろけれども、偶数ので
それは仝︿鍾定想暫枠昨としての心的状賂によ一心の分茹に外トナらねからであろ。即ち欲有とは未だ
稀的修養を揮ぬ心喝色石無色宥とは同種明雄色り楯定′で経たろ心旭の惜大に外ならねのであろ。
故に之一で初より物埋考察から凍た在来の榊前約三界軌と同税す一。は、恰借ではないけれともー併し
締定心叩の立場からすればそれは艦て客軌的存在い意味′でも日付してゎたのは、世界伽としてこの
三界説が有力になつた契機でぁる、而右こは必ゃしも決謂、亮阿の世紀捏や後・り阿毘達磨を侯っま
でもなく、已に中阿斜面三谷、分別意行緯︵芦︼gS呂k訂コエJ註s誌上などにも締約賊腫としての三石と客軌的存在としての三非とぉ併読してゐる研からすればポの如き考へ方は相澤衰くより成立
したものと見ることが出水やう。
次ぎに行︵sa。臣腎P︶に就て考察するに、こは緑地系列に於ては油例琴一位に凍るものでぁるけれども、その一般的意義となれば締めて複離多岐に捗り、い賞の意味の何逸に弄するかを浦へ難から
コら:;
しむるものがある。ロ宗己s血訂deのP巴i・E−色㌃−1白ietiO−−弓yに之一軍説いて○コe O巧旨e mOSt d唇e已t
︷erヨin出uddbi乳nlet首肯計in乱鼓−theb−eロdi−−gO=he sl−g邑iノ・eるg邑iノd5.e司○巧tbe司Or−d呂d ︼︼ココ︶邑羞p宣乙iPニO EPⅥtと嘆じてゐるのも亦尤もの次第でぁる。併しながら綿々の用例一宮考ふる にこの行は大凡、三池り位の異れ一り城介に分けらるべしとM心ふ。第一は純心叩的立脚地からしたも
ので吾等の所祁、内的意志に最も近い用法であつて、茶殻中の行蕗は正さしく之である。後ちに心
所説が盛になると受恕識を除いて他の心作川Jピルてこの申にほしたけれども、初期時代にあつては、受の戚畳及び戚傭的ガ申£一や蛛し、想の知見表象的方面、識の利用推理作用・で指すに対して、行は
心の勘的方面即ち意志伯方而を指すものと僻すペさが浩影待・にものであつた。巴利中部一〇九巳㌣
︼諒pu竃PmP邑Fに稲沢の起る何と経とを説いて.想蕊と川じく納によると述べてゐる研からし ても ︵TeHt召︻ロH・P●コ︶行憩の行は心の活制約方面の代表と比られたことが分らうと思ふ。行 が時に揖︵邑巨且によつて舵き換えられて■のる桝のあるのも亦この椚息Jピ鋸らすものといふペきで ある。十二維起絆がこの石J〃﹂柳澤して薄行︵p呂.呂.S昌kl曽P︶憩わ︵ヱ︶1−舅PS・︶石拗如︵どe甘∽・︶ としたのも要するにこの内的意志が∴几の口械な立て∼の鵡わ状撼と附すべきでぁる。第二はこの 純心理的圧るを正に往理的カーー1iにまで及ぼした川法で、之Jで身と意に配して身行︵k担竃㍗︶語行 ︵喜・∵・︶心行︵︹i旨s・︶とするはその最も普迫の例でぁる。即ちこの際は身心︵生存︶の活勒仝俄 頂鮪仲秋に於り石綿掲摘り問鵬 ︵下︶31 頂始併辟に於りろ紹抱抱−り聞損 ハ†︶
三四
・りり−行と名け.特にその機捌に従って三桁としたものて一り㌧∴輿三は話術無帝︵2レi邑一夏竺巨註︶、
の用例▲一い示すが如く行ノで殆ん卜L内外∵明の現象と催せねば収まりがつかぬ程までに成くなつた用法である。か︿大雛把に行の州法空疎位に分けて考へ得こ・として、然らばその何れが脱胎的であ
ったかといふに、申すまでもなく、それは第㌫純心理のそれであらねば写らぬ。何んとなれば原
始棟数の目的は心を非碓とする桝にあつて廣く現象一般といふが如きは拡紹常而山間超ではなく,寧ろ心を解決するの必黒土、嘉射に忠誠されたものに外ならぬからでぁる。印も桐胆に云へば吾等
の心が細々の雑念に推され、二刻も休みなしに攣華する所からして之に即して桁の勒念一で得更にこ
の心の動的なることは、その苅大な特質とする桝よりして、心を中心とする孝心の合冊にその軌念を
油川し、蓬に少くも表象としては、心の衷はれであろ研の.初の現象も亦術に=外ならぬといふことに なつたものと齢すべきであろ。綜に毎を定麗して右焉を形成するもの︵蔓旨︼l旨2邑lぎ一己彗邑iti 2Elぎ︶ とあるのも所詮心の勧如を親翫の中心に龍いて吾等の心身は勿箪▼之守に対する枇非 ︵D訂ノノさ・詳占且も凡て石基法として鋤いて止まぎる所以は、心の伽和によつて統一され、色つけらるゝがためである、といふ意味に外ならぬと‖心ふ。かのデブイ㌧ズ・ステード氏の嘆じた柁に術が
雄和酔露両方の意味む介み締めて叩解し難くなつたの阜㌍に右抜の緯池をとつて開展した概念を山
占
い打いふ語で来はすがためでJのるが、併し右撲に分析して考鱈寸れば州税かは、その混乱む防ぐこ;道6
とが‖寒得ペしと〓心ふ。殊更脱始俳敢の最初の心抑ぉ印解せんとする人にとつてはーたとへ いか
左る旗揚から之を見るにしても右の心得を恍に置いて∵場合々々に姐常な解相中−下すやうにせねば、蓬にその革意を得かぬるものとならう。
同様の経過は亦upPd−1iといふ語の一夫はす枇念にもあてはまる。前批に述べた如く 11pP撃i は可 なりに収着︵up巳ぎP︶又は欲︵tP已−ェに近い軌念む衣はす語で、時には殆と邦語同義位に用ゐられ た所もある・℃併しこの亡七Pd〓 は収茄や欲の最後まで心理的畔貿を保持したるに対して、可なりに吾概化された用法もめつて同じく油碓の意味となれば掟味を免れざるものがある。西洋の埋索は之
を木質︵2訂tr毘と繹すが通例になつてゐるが、野際、本葉と解して恰許な所もあるけれども、時 には判然と妻子家諮金銀をup邑︺iと名けた桝もあり︵SJH・p・岩∽︶、C已FHOd謬の如きとなれ ば▼ 欲、瞑、︵四︶桝執非、六根、六細密の十仰のロp邑−iを数へてゐる稚であ一〇。︵Cu︻lPヨd昏 7−岩︶。従で之を一語で通常に溝繹することは極めて因雛なことで決澤には之を億披捉として原語 のまゝで王1iした研のあるのも之がためでぁる。併し私を以てするに、少くも山螢鮎としての圃心地鮎は矢購執前の意味でめつたのが、例の締定心理によつて次第に之一ど客勒化し一般化した結果とし
て右のl如き多確を介むことに㍍つたものである。蓋し妻子家苦を一−p邑bi といつたのは勧請心むその対象に移した川法で品∵り、十椰のそれは、執着心の身心糾純の合冊に捗るの閲係を示したもので
原舶俳故に︰於けあ繰越枇の開展 ︵下︶3古G 原始沸故に於ける繰越親の開展 ︵下︶ 三六 あ♭、殊に之を本欝の意味に用ひたのは、吾等の存在が欲を中心とするの義を概的に衣如したもの に外ならねからである。即ち前の行と同じく初め心から出資したのが迄に次拾に客枇化したものと 解することによつて、初めてその多鶉の問に〓鱒の㈲係がついて凍やうといふものでぁる。 滋後に之は少し免除でJのるけれども、私はかの法︵d−1P己mP︶の観念も亦、もとは心理所動の観察か ら出費して次第に一般化されたものではぁるまいかと思ふ着である。勿論慌史的に言へば法の観念 は已に吠陀時代よりみり、正紳、正行の意味に於て久しく喀羅門軋骨に用ゐられたものであるけれ どもごの語が彿故に入るや柘めて複雑小甘意味一ざ持つことになつたのは、蓋し例の如くに先つ内面化 され、それより再び婆羅門融合め意轟を呑めて一般化するに到った鶉めに▼前の行の場合の如くに就 釦の廣狭によつて柿々の意味を介む隼になつたものであらうと思ふ。試みにこの見地から彿故に於 ︶︶ ける法の真の開展・官制ぶるに・−箱を欲して暫らく彿菅の分相に従ってほを↑放浪︵−︶弓首ti︶二 ︵ ヽt一′ ︶ 国縫︵−1e言︶三徳行︵g仁平P︶四現象︵−1i染甘n号喜との四柑の場分に分け狩るとして、一この巾、吾等 ︵︵ の眼ぉつくべきは因繰法と現象法とでめらぬばならぬ。蓋しこり二つの軌念こをは正しく沸教特有 の抜取となつたものであるからでぁる。小に就て現放としての法とは所謂.一切法︵sPb訂db昌邑︶ と榊せらるヽ場合の決の意義で心も物も凡てを介む桝の概念である。が作し私の見る所を以てする にその出費鮎としては対象としての物のカよりは婦ろ米象日華で詫とした心理現象のカが先位一で占
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