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我が国大学システムの経済学

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(1)

《最終講義≫

我が国大学システムの経済学

高 島

講義のはじめに

本 日は,本年度の私の 「 経済政策」の講義について,カ リキ ュラム上,最 後の講義時間ですが,特別なことはせずに,これまでの講義の続 きの締め く

くりを しようと思 ってお りました。 ところが,学部の方か ら,文部科学教官 としての最後の講義であるか ら,いつもの学生諸君のはか,教職員,これま で担当 したゼ ミナールの卒業生,大学院での論文指導の修了生たち,それに, 戦前の長崎経済専門学校以来の同窓会である竣林会の方 々までお呼びする手 管にしている, と言われました。それでは,講義の続 きというわけにはいか ない と思いまして,予定を変更 して,この機会に,わざわざご出席下 さる方 々と皆で一緒 に考 えることのできるテーマを選ぶ ことにしました.それが, この論題です。

このテーマを選んだ理 由は,現在,我が国の大学は,国立大学の 「 独立行 政法人」への移行 とい う戦後は じめての大 きな組織的変革が行われようとし てお ります。 しかし, これまでの文部科学省および国立大学 自体の動 きを見 ていま して,この ような大規模な組織変更の前提 として,大学 という存在が 人類社会に とって如何なる意味をもち,それに照ち してこれまでの我が国国 立大学 には どんな問題があって, それ らの問題を解決する最適な手段は何か,

といった議論が十分になされてきた とはどうして も思えません。まして,そ

の最適手段が,基本的政策決定 ・監督権限は依然 として行政内に取 り込んで

(2)

おきなが ら,教職員を国家公務員の数か ら取 り除 く役割をする 「 独立行政法 人」化である とい うこ とには,到底説得力がある とは思えません。

本 日は,我が国の大学が欧米の大学 と比べてその役割を十分 に果た してい ない とす るな らば,社会的システム として どの ような基本的問題 を含んでい るか, とい うことを,まず,皆様 と考 えて見たい と思います。それを明 らか にしない限 り,意味のある改革方針が出て こないこ とは当然だか らです。

そ こで,本 日の論題 について,ひ とつお断 りしておかねばな りません。

「 我が国大学システムの経済学

としてあ りますが, この

90

分の時間内でそ の 「 経済学」の全貌 をお話 しようというわけではあ りません。一般的に 「 経 済学」の分析手法は,まず,消費者な り企業な り政府な り,経済主体 と言わ れる分析対象の もつ行動 目的を明確 にし,その 目的に対 して最適化パ ラダイ ムを適用 して結論 を導 く, とい うものです。ですか ら,極端 に申せば分析対 象の行動 目的が明確 になれば,後はいわば技術的問題を解 くだけ とい うこと にな ります。それでは,「大学」 についての 「 経済学」 といった場合,大学 の行動 目的は,一体,何で しょうか。実は, これが問題なのです。われわれ 日本人が考 えている我 が国大学システムの行動 目的が,「本来の 目的」か ら 外れた ものであったな らば,その成果はその 「本来の 目的」を達成 し得ない

ことは,む しろ当然であって,その 目的を 「 歪んだ」ままにしておいては, いかなる改革 も 「 本来の 目的」を達成 し得ないことも,また,理の当然です。

ですか ら,我が国大学 システムを対象にして経済分析を行 うためには,まず もって,大学本来の 目的は何か, とい う点を明確 にせねばな りません。本 日 の講義は,時間的に もこの問題 を考 えるだけで精一杯です し,また,私 自身, その行動 目的に対 しての経済分析が,まだ,十分 にで きているわけで もあ り ません。従いま して,今 日の論題は,正確 に申せば,「我が国大学システム の経済学 『 序論

とい うべ きで しょう。

それでは,以下の順序でお話いた します。

(3)

Ⅰ. 日本 における最近の大学問題

Ⅱ.大学 とい う存在の もつ意味一大学の ミッシ ョン

Ⅲ.大学教育 に対す る需要

Ⅳ.大学 システムに対する費用負担

Ⅴ.むすぴに代 えて

Ⅰ. 日本における最近の大学問題

(1

)文部科学省 ( 前,文部省)および国内関係機関の動 き

まず,近年 における我が国の大学 をめ ぐる主な動 きを見てみま し ょう。我 が国の高等教育,特 に大学 については, これまでにも折 に触れてその改革の 必要性が言 われて きま した。その内容はいつ も大体 において同 じようなこと で して,改革の方 向性 としてのお題 目は,教育 ・研究 における質の向上 ・個 性化 ・多様化,そ して大学経営の効率性の改善 に活性化,とい うことで した。

これ らの ことが声高に文部科学省な どか ら言われ る都度,大学 についての明 確な理念の提示 とそれに基づ く赦密 な現状分析 を行わないまま, この ような 観念的提言のみが繰 り返 し行われることに対 し,私は,いつ も大 きな疑問を 抱いて きた ものです。

この ような動 きに関連す る 2, 3の具体的事例 をみます と,平成 3年 に文 部省に よって,大学の教育 ・運営に対 して,は じめて大規模な規制緩和が行 われま した。従来,文部省は,大学は もちろん,一学部の新設 に対す る認可 か らは じま り教育カ リキ ュラムやその単位数 に至 るまで,ほ とん ど小 ・中 ・ 高等学校 と変わ らない細かな規則や規制 を設けて大学 を管理 ・監督 して きま

したが,世界的な行政の規制緩和の流れの中で,さすがの文部官僚 も,その

ような大学 の主体性 を認 めない規制 がいかに も不釣合 いに思 えたので し ょ

う。や っ と,設置の認可基準の一部緩和,カ リキ ュラム構成や単位数計算な

どの一部 自由化がなされ,教育 ・研究活動 に関 して大学 自身による個別の 自

己評価 を行 って文部省 に報告することな どが導入 されました。 しか し,文部

(4)

科学省が,国が大 して資金を出していない私立大学をも含めて高等教育の全 体を,いまだ基本的に行政の管理下においていることには変わ りあ りません0

次に, 日本の大学社会に衝撃を与えた動 きとして,平成

8

年に大学審議会 が,我が国の教育 ・研究の質を改善するために大学教員に対 して任期制を導 入すべ きである, との答申を文部科学大臣に対 して行 った ということがあ り ます。欧米の大学では,特に競争による生産性向上が顕著である若手大学教 員に対 しては,

2

年前後の比較的短い任期で採用 し,更新 にさい してはその 間の業績をみて決め るというのが,当た り前の ことですが,我が国では,い ったん専任の助手な り講師 として採用されれば,あ とは定年 まで,その業績 如何にかかわ らず,実質的に何の審査 もな しに ( 特 に,所属大学の外からの 客観的審査は, 大学院新設への関与で もない限 り,まった くもって皆無です), その身分が保証 されるというのがな らわしです。報酬について も,給与規定 には業績要素は無いに等 しいものですから,ノーベル賞級の仕事を しょうが, 論文ひ とつ書 くまいが,それ ら二人の大学教員の給料は定年 までほとんど変 わ らない というのが常態です。学長を中心 とした大学人の集ま りであるさす がの大学審議会 も

,

「これではまずい」 と感 じたので しょう。翌年の平成

9

年には,国立大学の学長か らなる国大協が,その会合で国立大学教員の採用

に任期制を導入することを決議 しまして,このような動 きを背景に,同じ年 に,その任期制導入が法制化 されました。

しかし, 日本では,抜本的な改革は常に骨抜 きになるのが常で して,この 改革 もまた,かな りいい加減なもので しかあ りませんで した。まず,任期制 を国大協全体 として決議 しおきなが ら,その構成員である国立大学の学長連 のなかで,自分の大学 にその決議事項を持ち帰 り,それに従 って基本制度 と

して任期制を採用 した学長は一人 もいませんで した. これほ ど見事に, 日本 社会特有の 「 総論賛成,各論反対」を実行 した例 も,また珍 しいでしょう。

さらに,任期制が法制化された といっても,結局,その採用を各大学の裁量

に委ねた もので して,まった くもって,改革の名に値 しないもの となって し

(5)

まいました。

もうひ とつ,大学をめ ぐる関係者の動 きをあげます と,平成

10

年のやは り 大学審議会 による報告があ ります。 これは,文部科学大臣の諮問に対する答

申 として,大学人による自己批判の報告でして

,

「 我が国の高等教育機関は, 社会の必要 に満足に答えてきていない」 と認定するものです。

さきの任期制をめ く 。る改革の取 り扱い とこの 自己批判を併せ考 えるとき, 自己の不行跡を認めなが らそれを改める行動は とろうとしない大学 と,それ に対する管理権限の維持に執着 しなが ら,その改革 には何一つ有効な姿勢を 示せない文部科学当局 という,我が国高等教育の情けない姿が浮 き彫 りにさ れるように思います。このような,大学による自己批判を背景 として,いや, それを利用 して, と言 ったほうがより適切ですが,文部科学省が とった政策 は,国立大学 を国直属の機関か ら切 り離 して

,

「 独立行政法人」 とい う組織 へ変更する というもので した。 こうすることによって,競争性を導入 して研 究 ・教育の 「 質」 と資金 「 効率」を高めるようにするというわけですが,そ の実態は,現在の政府の一連の行政改革の中で,行政の管理権限は維持 しつ つ,国立大学教員

6

万人 とその組織を国から切 り離すことによって,形武上, 行政をス リム化 したように見せかけるだけの もので しかないように思われま す。 これは,いつもの 日本の行政の, というより日本社会一般の, と言 える かも知れませんが,ことの本質的問題を形式的問題 にす り変えて処理 しよう とする姿勢のあ らわれ と言 えると思います。ですか ら,こんどの大学改革 も, 我が国大学 システムの もつ本質的問題を解決するもの とはな らないであろう

ことは,この段階で既 に明らかであるように思います。

(2) lM D

報告に見る我が国大学システムの本質的問題

大学 とい うものは,あ とで詳 しくみるように,究極的には人類社会の進歩

への貢献 という視点が中心 となるところから,その評価は,当然,国際的な

もの とな ります。以上のような我が国大学システムの実態は,国際的視点か

(6)

らして,はた して どのような評価 となるでしょうか。それは,すでに,さき の大学審議会による自己批判からも予想 されるように,決 して好 ましいもの でないことは十分 に推察 されるところです。その極めつけが,昨年

4

月に発 表 された

IMDよる世界競争力報告です。IMD

とい うのは,スイスのロー ザンヌにあるビジネス ・スクールで して,ここで,毎年,世界の主な国を網 羅 してそれぞれの競争力を調査 し,それをランク付け した ものを 「 世界競争 力年報

(W CY)

として発表 してお ります。

この報告は,その調査方法などの点でまった く問題がない とは言えません が,最新の昨年 4月のものをみます と, 日本の教育,特 に日本の大学システ ムの もつ基本的な問題点を見事に浮 き彫 りにしているように思えます。従い まして,まず,この

IMD

報告を少 し詳 しく見 ることか ら,話を始めようと 思います。

2002

年の報告は

,49

カ国の経済競争力を

314

の評価基準 に基づいて調査 し たもので,調査対象国には,主要工業国のはか,チ リ,ブラジル,中国,マ レーシア,イン ド,フイリッピソ といった発展途上国 も含まれています。評 価は,経済的成果,政府 ・行政効率,企業活動効率,社会的基盤の四つの領 域に分けて行われてお り,それぞれについて

70

か ら

90

項 目の評価基準が設定 されて,全部で

314

の評価基準 となるわけです。 これ らの

4

領域の中でわれ われの関心事である 「 教育」は 「 政府 ・行政効率」の中に含まれています。

まず,最初に,結論 としての国別の競争力総合順位を見てみましょう。そ

れが第 1表です。第

1

位はアメリカで して,

2

位以下に対 し飛びぬけた競争

力を示 しています。 アメリカの評点を

100

として,各国の競争力得点を正規

化 し,それに従 って各国が順番に並べ られています。 これによります と, 冒

本は調査対象の

49

カ国中,半分 より下の

30

番 目で して,その政治 ・経済社会

の全体 としての競争 力は,ハンガ リー,チ ェコ,中国な どの新興経済国,そ

れに工業国の中ではイタリーなどとほぼ同じ程度であると評価 されたことに

な ります。そして,最下位にランク付けされたのがアルゼンチンでして,こ

(7)

1

IMD

による

2002

年世界の競争力スコアボー ド

̀02Ranking Countries 2002 2001

123456789101ll213141516171819202122232425262728293031323334353637383940414243444546474849

USA FINLAND LUXEMBOURG NETHERLAND SINGAPORE DENMARK SWITXERLAND CANADA

HONGKONG IRELAND SWEDEN ICELAND AUSTRIA AUSTRALIA GERMANY

UNITEDKINDGOM NORWAY

BELGIUM NEWZEALAND CHILE

ESTONIA FRANCE SPAIN TAIWAN ISRAEL MALAYSIA KOREA HUNGARY

CZECHREPUBLIC JAPAN

CHINAMAINLAND ITALY

PORTUGAL THAILAND BRAZIL GREECE

SLOVAKREPUBLIC SLOVENIA

SOUTHAFRICA PHILIPPINES MEXICO INDIA RUSSIA COLOMBIA POLAND TURKEY INDONESIA VENEZUALA ARGENTINA

100.000 100.000 84.351 83.380 84.292 82.814 82.802 81.457 81.155 87.657 80.429 71.788 79.472 76.812 79.013 76.941 77.761 79.549 76.218 79.199 76.193 77.862 74.695 73.747 74.665 72.539 74.106 75.874 70.942 74.043 68.930 64.781 67.687 63.101 66.734 66.026 66.542 61.728 65.606 59.837 63.444 60.196 61.641 59.556 61.519 60.135 61.307 64.837 60.485 67.924 59.692 50.029 56.827 51.081 56.702 55.638 55.322 46.676 54.347 57.520 52.199 49.530 51.856 49.581 49.318 48.363 47.945 42.670 47.638 49.661 46.978 49.956 45.714 43.590 45.499 42.485 43.984 38.615 41.503 40.595 41.397 43.675 40.733 40.410 39.033 34.575 38.077 32.837 30.209 32.007 27.965 35.438 26.856 28.260 26.850 30.665 26.015 37.505

出典 :

IMD,TheWorldCompetitiveYearbook2002,April2002.

(8)

の報告の発表 か らち ょうど一年後の今 日,同国の国家財政は完全 に破綻 し, 失業率は2

5%を記録するに至 ってお りまして, この結果をもた らした世界市

場における競争力の無 さを,

IMD

調査は前 もって的確 に把握 していた と言

えましょう。

それでは, この総合順位を構成する四領域の中の,われわれの当面の関心 事である教育分野 を含んでいる 「 政府 ・行政効率性」 における競争力順位を 見てみま しょう。それが第 2表です。それに拠 ります と,フ ィンラン ド,ア メリカ等 と並んで,最上位グループにシンガポール,香港のアジア勢がきて いることが 目を引 きます。 しか し, ここで も,わが 日本の競争力は総合順位 とはば同 じ く

,31

位 と芳 しくあ りません。そ して, この順位はここ数年,ほ とん ど変化が無い ところか ら,この年 に何か一時的要因で低 くなったの とは 違 って,すでに教育 を含むわが国の政府 ・行政の効率性は,国際的基準か ら みて,低い水準 に定着 して しまっている と解釈せざるを得ないで しょう。ア メリカ以外の先進工業国,カナダ,イギ リス, ドイツな どはすべて 日本 より 上位 にあ りますが,ただ,フランス とイタ リーは, 日本 と同順位 かそれ以下 にあ ります。 ここで,特 にフランスが 日本の次の

32

位 となっていることに注 意 しておいて くだ さい。 フランスは,各界のエ リー トを養成す るグラン ・ ゼ コール とい う高等教育制度をもってお り,特 に,政府要人はそのほ とん ど が この種 の学校 の卒業生 ,それ も

ENA

( 国立行政学院)の出身者であ る

enarques

と称 され る人 々によって占め られる とい う,非常 に硬直的官僚身 分制度を採 ってお ります。わが国で,かつては東京帝国大学法学部の出身者, 現在は国家公務員 「 一種」試験合格者 に対 して高級官僚 としての身分を保証

している状況は,フランスのグラン ・ゼ コール出身者 に対す る取 り扱い と非

常に良 く似ていることに気がつきます。そ して, この ように類似の高級官僚

養成機関 と試験制度 を とっている両国が,そろって,それ らの官僚が支配す

る政府 ・行政の効率 を低いものにしている事実 には,その高等教育制度のあ

り方 と国の対応 に重大な問題のあることを示唆 している と言 えるでしょう。

(9)

フランスのグラン ・ゼ コールを含む高等教育制度 とわが国のそれ との比較 に ついては,あ とで,また触れることにします。

2

表 政府 ( 教育を含む)の効率性順位

Country 2002 2001 2000 1999 1998

Singapore. 1 1 1 1

Finland 2 2 2 3 10

HongKong 4 4 3 2 2

reland 5 3 5 9 3

Luxembourg 7 7 10 4 6

Denmark 8 13 ll ll 12

Australia 9 5 6 6 7

Canada 10 10 12 15 . 13

Taiwan 21 20 18 16 15

U.K. 22 24 17 20 16

HungaⅣ 24 22 21 23 24

Korea 25 31 33 43 42

Thailand 27 39 30 28 36 CzechRep. 28 30 36 34 32

China 30 35. 32. 31 19

Japan 31 29 28 29 33

France 32 34 27 30 28 Mexico 33 27 29 33. 31

taly 39 40 43 ・40 38 Argentina 49 41 38 35 29

資料 :

1MD,TheWorldCompetitiveYearbook2002,April2002.

(10)

次に, この政府 ・行政の効率性の領域 に含 まれるサブ領域中,われわれの 関心事である 「教育」について見 ることにしましょう。 このサブ領域には, 13の評価項 目が含まれてお り,その うち,高等教育 に直接関連す るもの とし ,教育への公的支 出総額」,「高等教育達成度」,大学教育」の3項 目に ついて, 日本に与 え られた競争力評価 を見ます。

まず,教育への公的支出ですが, これは初等教育 か ら高等教育 までの教育 全体 に対する公的支 出総額の

GDP

に対する割合で各国を順位付け してお り ますが,高等教育だけの公的支出割合が与 え られていませんので,差 し当た

りこれで見てお くことにします。高等教育だけに対 する公的支出の対

GDP

比率については,後 に他の資料か ら見 ることにします。

この項 目の数字は,"誰が国民の教育費を負担すべ きか"の問題 に対する 各国の考 え方を反映 していると思われ,その ことは,また,それぞれの国家 社会の持 っている教育に対する理念,哲学 を反映 しているもの とも考 えるこ

とが出来 るで し ょう。我が国の この数字は,3.6%であ り, この評価基準に 関する我が国の順位 は

49

カ国中

4 3

番 目となってお ります。我が国は,戦後, 急速 に経済を拡大 して きまして,その成果である

GDP

も他国に比べてその 拡大のテンポが速かった ことは確かです。ですか ら,その経済的成果の教育 活動への配分の増大 テンポが

GDP

の成長速度 に追いつかなかった という面 はあろうか と思います。 しかし, 日本経済は既 に20数年前か ら成熟化の段階 にあ り, もし日本が他国 と同様の教育理念をもった国であるな らば,もう現 時点では,少な くとも他の先進工業諸 国 とは同程度の公的教育支 出割合をも

っていて良い筈です。経済学的にみま して も,教育サービス とい うものは, 極めて大 きな正の外部性をもつ公共財で して,個人の 自由な選択行動 という 市場機構の働 きのみに任せておけば,社会的な最適供給量,すなわち,教育 サービスに対する社会的限界便益がその社会的費用 と等 し くなる供給水準, を遥 かに下回る水準 で しか供給 されないことは簡単 な経済理論か ら明 らかで す。したがって,人類の進歩のためには,あるいは,一国の発展のためには,

(11)

国が積極的に教育サービスを提供す る必要があるのです。 この ことが,教育 に対 して公的負担 が重要である所以です。 もし, この論理 に基づ くな らば, 日本の この順位は余 りにも低すぎる と言わざるを得 ません。 これは,高等教 育について も同様です。

OECD

各国の高等教育に対する公的支 出の GDP 比率を

1997

年 のデー タで見てみます と,加盟

25

カ国の平均値 が

1.3%

であ る のに対 して, 日本のその比率は

1.1%

であ り,平均以下です。高等教育への 公的支出の GDP比率 が一番高いのはアメ リカで して,2.

7%。 そのほか,

カナダ,オース トラ リア,スウェーデン,フィンラン ド,さ らにお隣の韓国 な ども,1.

7%以上で して,それぞれの経済力において 日本 よ り遥 かに多 く

の経済資源を高等教育 につぎ込んでいるのです。ア メリカな どは,あれほ ど 多額の軍事費を負担 しなが ら,なお世界で一番多 くの資源を高等教育に投入 しているわけで して,社会の進歩のための教育の重要性,それ も高等教育の 重要性 とその費用の公的負担の必要性を,はっきりと認識 していることの反 映 と考 え られます。それにひきかえ, 日本が,戦後,平和憲法の もとで,

G DP

の精 々

1%

程度の軍事費 ( 防衛予算) しか使 ってお りません。それなの に,教育費 にも先進国は もちろん,世界全体の中で,平均以下の,その経済 力か らして,恥ずかしい程度の支出しか してお りません。いったい, 日本の 政府は何 に国民の税金 を使 っているので しょうか。 これまで, 日本人は教育 に熱心、 な国民だ と,外国か ら思われ, 日本人 自身 もそ う思 って きま したが, これは一体 どうしたこ とで しょう。実は,やがてはっきりします ように, 日 本 「人」は確かに教育熱心な国民です。教育熱心でないのは, 日本 「国」で して,それは,お金の出し方だけでな く,教育サー ビスの内容,言い換 えれ ば教育行政のあ りかた も本当の意味で教育熱心 とは言 えないのです。

「 教育」サブ領域の次の評価基準

,

「高等教育達成度」 について見てみま しょう

このデータは,各国の

25

歳 か ら

34

歳までの年齢層の中で少な くとも

「第

3

段階教育」 を終 えている人の割合 を示す ものです。「 第

3

段階教育」

というのは, 日本で言 えば高等学校卒業後 に受ける教育で して,大学 ・大学

(12)

院のほか短期大学,専門学校 と称 される各種学校な どの職業訓練学校なども 含 まれます。 この評価基準の数字は現在上記の同一年齢層 にある人 口につい て高卒後 , これ らの学校に行 った ことのある人の割合を示す ものです。 した がって,いわば各国の高等教育に関する 「 量的」成果を表す もの とみること が出来 るで しょう。

IMD

報告によるこの面での我 が国の順位は どうで しょ うか。 これは,素晴 らしいもので して,第

1

位のカナダに次 ぐ,第

2

位なの です。総合競争力順位がそれぞれ第 1位 と第

2

位のアメリカ とフ ィンラン ド が, この評価基準では共に第 3位です。すなわち, 日本は,総合順位では49 カ国中,30位の低い水準なが ら,こと教育の 「量的」成果においては,総合 順位の最上位の国々 ( カナダの総合順位は第

8

位)と肩を並べているのです。

しか も,教育への国 ( 地方政府を含めて)の財政資金投入の程度

(GDP

比) 紘,いま見た とお り, これ らの国々 とは違 って最下位に近いのに,です。一 体,これ らの事実は,どの ように折 り合いをつけて解釈で きるので しょうか。

とにか く,高等教育サービスの供給 には,高度の教育施設,高度の ( 少な く

とも第 2次段階教育の先生たち以上の)長い教育 ・訓練 を受け,それに匹敵

する (と一般 には思われる)知識 を備 えた 「 稀少」な人的資源を投入するこ

とが必要 なため,大変なコス トを要 します。それだけ, このサー ビスは,そ

れを需要 した ( 教育を受けた)人に便益 を与 えるだけでな く,その個人を越

えて社会全体 にプラスの効果をもた らします。 これが,外部性あるいは外部

経済効果 と呼ばれるものなのです。高等教育 ( そ して教育一般)には この効

果があるために,先ほ ど言いました ように,社会の総意 として,それぞれの

国の政府 が,国民の信託を受けて,国民か ら提供 を受けた (と言 うより,国

家権力を行使 して国民か ら強制的に徴収 した)資金 をその供給のために用い

ているのです。 この点において,我が国政府は,諸外国,特に他の先進工業

諸国に比べて,見劣 りのする程度 しか,高等教育に,また,教育全般にも,

意を使 っていない とい うのが,統計的事実で した。その状況の もとでは,経

済理論 か ら言 って,社会的に不十分な程度の高等教育 ( 教育一般についても。

(13)

以下,同 じ) しか提供で きず, したがって,我が国の高等教育の量的成果は 当然,低 く成 らざるを得ないはずです。それなのに,その量的成果は,世界 に冠たるもの となっているのです。 それは, とりもなおさず,高等教育サー ビスの需要者,すなわち,高等教育該 当年齢の国民,およびその ような息子, 娘をかかえる家計が,高等教育サー ビスに対する限界便益を非常 に高 く評価

しているために,本来な らば相当に低 くなるはずの量的成果を, 日本 におい ては,家計がその負担 において世界第 2位の水準 にまで引 き上げているので す。 これを言い換 えれば,我が国の政府は,その経済力か らして当然支出す べ き教育費用を負担せず して,世界 に誇 る量的成果を挙げているわけですか ら,家計 におんぶをして,国 として,極めて 「 安上が り」な教育 を行 ってい るとい うことが出来 るで しょう。 ここで,少な くとも,二つの重要な問題点 が出て きます。ひ とつは,我が国の高等教育を世界第 2位の量的成果 まで引 き上げる役割を果た しているのが家計のそれに対す る需要だ とす る と,その 家計による 日本の高等教育に対する評価,すなわち,私的限界便益 は,果た して経済学的にみて,正 しい認識 に基づ くものであろうか,とい う問題です。

もうひ とつは,国に とって 「 安上が り」な高等教育 となっていることで, 冒 本の政府は喜んでいていいだろうか, とい う問題 です。すなわち,「 安上が り」な 日本の高等教育の 「質」は大丈夫だろうか, とい う問題です。は じめ の問題 については,あ とで,少 し時間をかけて考 えてみることに しま して, ここでは,あ との方の問題 を見てみましょう。 これが,

IMD

報告の,教育 サブ領域の中での高等教育に関する第

3

番 目の評価項 目なのです。

この評価項 目の内容は,「 大学教育は競争経済の諸必要を満た しているか」

とい うもので して,あ くまで経済的見地,それ も現在,世界のほ とん どの国 の経済運営の基本的体制 となってお ります市場経済 における競争力を高める とい う要請 に対 して,各国の大学教育は どれほ どに答 えているか, とい う観 点か らの評価です。ですか ら,大学の役割は広 く人類文 明の進歩 に寄与する

ことである, と考 えるな らば, この評価項 目の観点は,あるいは,狭 きに失

(14)

すると言わざるを得ないか も知れません。 しか し,経済 も人類文 明の一要素 であ り, しか もその進歩は文 明の他の部分の進歩 に大 きなプラスの効果を与 えるものであることを考 えます と, より広い立場 か らの評価 として も, この 項 目は大学教育 に対す る 「 質的」評価 と看倣す ことが出来 るで し ょう。 この 評価項 目の 日本のランキングは

49

位 ,すなわち調査

49

カ国中の最下位 と出ま した。 この報告が昨年四月に発表 された とき, この結果 自体が非常 にシ ョッ キングかつセンセーシ ョナルな ものであったため,マス ・メデ ィアの格好の ネ タとな って一斉 に報道 され, この項 目のみが政界,産業界,学界な どにお いてそれぞれの立場か らの一方的大学バ ッシングに用い られました。

しか し,

IMD

によるこの項 目の具体的評価方法 については,まった く問 題が無い とは言 えません。 この ような質的評価はい くつかの統計数字のよう なハー ド ・デー タで明確 にで きるものではあ りませんので,有識者に対すア ンケー ト調査 に頼 ることも止むを得 ないで しょう

IMD

報告 もその ような 調査方法を とっているのですが,アンケー トの対象は最近一年以上 日本に在 住の企業経営者たちで して,その回答数は

130

に過 ぎません。経済的競争力 への貢献 を問 うものですか ら,アンケー トの対象が企業経営者 となるの も仕 方ないか も知れませんが,シンクタンク,経済研究所な どのいわゆるエコノ ミス トたち,さらには報道関係者,大学関係者な ど, より広い立場か らその 貢献度 を感 じとることの出来 る人たちを対象 に加 えて も良か った と思いま す。 また

,130

とい うサンプルの大 きさもとて も十分 とは言 えません し,サ ンプ リングの技術 について も, もう少 し,バ イアスの入 らないような調査方 法 を取 り入れるべ きではないで しょうか。

この ように, この評価結果 には,統計技術の上で,その代表性 を歪める多

くの問題のあることは確 かです。 しかし,そ うではあって も, 日本の産業人

たち ( 回答者のほ とん どは 日本人) による日本の大学教育に対す る質的評価

が極めて低い という事実は変わ りません。残念なが ら, この

IMD

報告に示

された結果が当を得た ものであることは,手元にある幾つかの資料か らも十

(15)

分にうかが うことがで きます。その一つを紹介 します と, 日経新聞が行 った 日本企業 についての大学 ・研究所への研究資金提供 に関す る調査 があ りま す。それに よります と

,1999

年の一年間に 日本企業の行 ったその金額は,外 国向けには

1,540

億 円で して, この金額は過去

5

年 間に倍増 してお ります。

これに対 して,国内の大学へは半分以下の73 0 億 円で した。ちなみに外国企 業か ら日本の大学への研究資金供与 はたったの

7

億 円です。 この結果 を受け て,調査では, 日本の企業が母国の大学への研究資金提供を避 ける理 由をた ずねてお りますが,それによります と,資金提供 について役所 ( 文部科学省) への手続 きが煩雑で時間を要すること,税の優遇措置が十分でな く,またそ れを受けるための手続 きが煩雑であること,な どのほかに, 日本の大学 に資 金を提供 して も成果が得 られないことをあげてお ります。 これは,大学 にお ける研究成果の問題であって,大学教育の質その もの と直接関わ る資料では あ りませんが,

IMD

調査への 日本の産業人の回答は, 日本の大学が企業, 産業の必要 とす る人材を提供 して くれていない とい う思い とともに,その背 後に研究者 で もある教員 自体が,変化 と進歩の早 い経済の動 きに歩調を合わ せ,それを先導する研究成果をあげていない, とい う不満があるもの と思わ れます。

以上,

IMD

報告における教育 に関する評価項 目の うち,高等教育 に関わ る三つについてわが国に対する評価 を見ました。 そ こか ら示 され ることは, 国際的基準 ,とくに先進工業諸国の中におけるわが国高等教育の特殊性です。

まず,わが国では,高等教育のみな らず教育全般 に対す る国家,社会の公的 な経済的支援が,経済活動の規模 と対比 して極めて少ない とい うことです。

つぎに,それに もかかわ らず,わが国では,高等教育を受けた ( 高等教育機

関の制度的修了 とい う意味において)国民の比率は,調査

49

カ国中,第

2

を誇 っている とい うことです。それだけ多数の国民を高等教育機関に収容す

るためには,それだけ多数の教員 に対する人件費 を賄 うだけで も,そ うとう

(16)

に多額の経費が必要 となるはずですが,それに対す る国や社会か らの財政的 支援は極めて乏 しい とい う事実か ら,当然,わが国では,高等教育に要する 費用の非常に大 きな部分は,子女に高等教育を受けさせ る家計の負担 に負っ ているとい うことにな ります。後で見ます ように, この ことは統計資料がは っきりと示 してお ります。諸外国では国や社会が全体 としてその経費を負担 して国民 に高等教育をほ どこしているのに対 して, 日本では個 々の家計が, あたかも食料や衣料 ,あるいは交通 ,旅行,娯楽サービスな ど,個別家計の 生活上の欲求を満たすための普通の財 ・サービスの需要の ように,その費用 を負担 しているわけです。それによって,高等教育の普及度合い ( その内容 は問わず)は世界 に冠たる位置を占め,国 として高等教育大国を誇 ってお ら れるわけですか ら, 日本政府 としては,極めて安上 が りに国民の高等教育を 運営で きているわけで して, これほ ど有難い ことはあ りません。

しか し, ものの生産や取引な どの経済活動 において,「安かろ う,悪 かろ う」 とい うことが よ く言われます。必要な費用 をかけず,あるいは見 えない ところの手抜 きを した りします と,経費は安 く済んで も出来た ものの質はそ れだけ悪 くなるものだ, とい うことです。 この格言 は,わが国の高等教育に も当てはまる結果 となっていることを示 したりが最後の評価項 目と言えまし ょう

それは,わが国の大学教育に対する質的評価 の低 さ,社会的不信感を 如実に示す もの とな ってお り,前の 2評価項 目の内容の必然的結果 と言えま しょう。 いや,それだけではな く,教育 とい うものの経済的本質, とくに高 等教育の もつそれが,他の一般的な財 ・サー ビスの私的財 とは基本的に異な る性質,すなわち公共財, しかも稀 に見 る大 きな正の外部性をもつ人的資本 をつ くる活動である ということを,国,政府 が理解 していない という事実か らもた らされた結果であって,わが国の大学教育の質的評価が最下位 となっ ていることは, この重大な事実をまさに正 し く反映 した結果であると言 って

よいのです。

(17)

この ようなわが国高等教育の持つ特殊性か ら,教育サービスが もつ特別な 経済的性質 に対する国や政府の無理解 とい う事実を抜 きにして も,わが国が 大学 というものの存在やその社会的使命 についての理念 ・哲学,また高等教 育に対する家計や国民の考 え方が他の国 とは何か大 き く異なっているのでは ないか と思われます。教育の組織や大学 に対する考 え方な どが,国によって その民族的,歴史的,社会的基盤の相違を反映 して,それぞれに特殊な要素 を持つ こと自体は問題 とするに足 りませんが, しか し,それ らの特殊性が教 育や大学の果たすべ き人類進歩 に対する成果を左右するに至 っては,それ ら は改めて問題 とされねばな りません。 この点か ら考 えまして,わが国大学シ ステムの もつ特殊性 に関連 して,今 日,考察対象 とすべ き具体的な問題 とし て,少な くとも次の事柄 を挙げたい と思います。

(1

)大学の役割は何で,その費用は誰が負担すべ きか。

(2) 日本社会において大学の 目的は何 と考 え られているか ?

(3

)わが国の増大する大学 に対する需要は,学生 とその家族 に とって十 分 に報われる行動であるか ?

(4

)我が国の政府,家計による稀少資源の大学 に対す る社会的配分は, 十分な経済合理性 をもつ ものであるか ?

(5

)我が国大学の成果が不十分 とすると,如何なる改革が必要 となるか。

今 日の講義では, これ らの問題のすべてに触れ る積 もりではお りますが, とくに,あ との二 つの問題は,理論上 ・実証上難 しい点が多 く含 まれ,十分 にお話できる とは思いません。なお準備を積みま して,またの機会にお話 し たい と思います。

Ⅱ.大学 という存在のもつ意味 一 大学の ミ、 ソシ ョン

お よそ経済分析においては,分析 しようとする主体の存在 目的,行動 日的

をはっきりさせねばな りません。それを特定化することがで きれば,あ とは

最適化のパ ラダイムを適用 して論理的帰結を演緯的に導 く作業 となることは

(18)

冒頭で述べました。ですか ら,大学システムの問題を何 らか経済学的に分析 するためには,その存在 目的あるいは行動 日的をはっきりさせる必要があ り ます。そ して,実は,これが大問題であ り,今 日の講義のひ とつの主題 とな ることも言いました。それでは,その本論,つま り,人間社会での大学の役 割,機能,使命をどのように考 えた らよいか という問題に入 りましょう。

(1

)思想家による幾つかの考え方

まず,私たちが大学の 目的を特定化する手がか りにするため,その仕事で 後世 に名を残 した幾人かの著名な思想家たちは,大学 という存在 をどのよう に考 えたかを見 ることにしましょう。 この問題に関する欧州 と米国を代表す る思想家 として

,Cardinal∫.H.Newman

ThorsteinB.Veblen

をとりあ げます。

CardinalNewman (1801‑1890)

という人は,イギ リスの宗教的指 導者で して,ダブ リン ( アイルラン ド)のカソリック大学の創始者です。の ちに,オ ックスフ ォー ド大学の改革運動の立役者 として名をはせました。

ThorsteinVeblen (1857‑1929)

とい う人は,アメ リカの経済学者で制度学 派の創始者 として知 られてお り,ダーヴ ィニズムに基づ く

evolutionaryeco nomics

の唱道者です。その仕事は

,

『有閑階級の理論一制度の進化に関す

る経済学的研究』

(1899)

や 『 営利企業の理論』

(1904)

などで有名です。 こ の二人の思想家の大学についての考 え方は共通 してお りまして,大学 とは文 明の " シンボル"であって,その機能は人間の 自然的本性 より始発する知の

自由な追求にある, というものです。

教育の本質 という基本的問題について極めて多 くの著作 と多方面の行動を 通 じて,今 日に至 るも強 い影響 力 を残 してい る人 として

,JohnDewey

(1859‑1952)

の名を挙げないわけには行 きません。彼は,経験概念を中心 と

した連続性を重視するプラグマティズムに基づいた教育哲学を確立 し, リベ

ラリズムに立 った進歩主義的教育運動 を世界的に展開 しました。その教育の

機能 として考えるところは人類の進歩 と発展に資することであ り,そのため

(19)

に,まず,個 々人をその所与の生活環境 か らくる制約か ら開放 して,知的, 芸術的,人間的により広い社会人 としての人格的発達 をうながす ことにある とします。 したがって,学校教育は社会的環境の制約か らくる個 々人 に対す る不平等 を是正すること,すなわち,社会の もつ経済的,政治的体制の諸矛 盾 を矯正す る役割をもつものである, とい うわけです。一般の学校教育がそ の役割を担 うものであ りますか ら,大学は より強い意味においてその機能を 果たすべ きであって,大学人 に関 して言 えば,政府 な どの社会的制度 によっ て人類文 明の進歩 にもとる行為が行われ る場合には,それを阻止,是正する 任務 を帯び る と言 えま し ょうO このデ ュー イの考 え方 は,のち に

Samuel Bowles

HerbertGintis

による教育 と社会体制の関係に関する研究に強い 影響をあたえます。

これ らの思想家の考 え方は,教育一般 についての ものですが,大学教育の 目的については, より新 しい ところで,

HarryJohnson

HowardR.Bo wen

な どが述べてお ります。彼 らによ ります と大学の存在 とは,人類文 明

のシンボルであ りその貯蔵庫であって,大学は研究活動の本拠 として,また 人間社会の次世代 を担 う青年たちの教育の場 として機能すべ きものである, とい うものです。 これな どは,今 日,普通 に言われている内容でお馴染みの 考 えですが,ただ, 日本では大学の機能 として教育 と研究だけが強調 される 傾 向にあ り,それ らは人類文 明 とい う普遍的なス トックの増大すなわち進歩 に資す るこ とを 目的 としたフローの活動でなければな らない とい う根本が, とか く忘れ られているように思います。大学は特定の国や政府の 目的か ら超 然 とした," 文 明の象徴 " としての存在でなければな らず,人類文 明の進歩 をその任務 としている との理念にまでは思い至 っていない傾 向があ ります。

大学 とい う存在の根本である " 人類文 明のシンボル" とい う考 え方は,先の

CardinalNewman

ThorsteinVeblen

の もの と相通ずるものです。

(2

)大学の機能に関する二つの基本的な考え方

幾人 かの思想家の教育や大学 に対する代表的な考 え方を見 ましたが,それ

(20)

らか ら,欧米 における大学機能 についての考 え方 として,基本的 に二つの こ とが言 えるように思います。

ひ とつは,大学 とは," 文 明の表象' 'としての存在である とい うものです。

この考 え方は,主に,古い大学の起源をもつ ヨー ロ ッパ において,その発祥 か ら今 日にいたるまで,制度の根底 に流れている基本的思想であ るように思 います。 これは,大学 とは,人間の もつ 自然な本能の始発 によって知識それ 自体を追求する場所である, とするものであって,国家や社会のため といっ た人間社会の特定の枠や機構の 目的に奉仕する とい うことは,た とえその よ うな 目的があるにして も 2次的な ものであって,それ らの 目的のために,大 学の本来の存在 を歪めてはな らない,ということにな ります。言い換えると,

" 人類は知識あるいは真理 に仕 えるべ きもの"であ って,それを行 う具体的 な場所が大学である, とい うことにな ります。 この ことか ら,大学のあ り方 としては,大学は,社会の世俗的価値 か らは常 に超然 として存在 し,外部の 諸権威 による如何なる支配をも受け る存在であってはな らない, とい う考 え

に至 ります。

大学 とは人類の知識 に奉仕するもの とするこの基本的な考 え方は, ヨーロ ッパ的な考 え方である と言いましたが,それは,大学 における研究活動の重 視あるいは教育や研究の 自由の確保 といった ことが,古い時代か ら今 日にい たるまで ヨーロッパ諸 国における大学制度の根底をな しているように思わわ るか らで す。 た とえば , ドイツの地理学者 ,博物 学者 でAl

exanderYon Humboldt(1769‑1859)

とい う人がお りましたが, この人は有名なフンボル

ト財団を興 した人で して,それは,今 日,世界中で大学の研究活動支援のた

めの基本的組織 となっている各種研究財団の噸矢 とな り,模範 となった組織

です。そ して,フンボル ト理念 と言われるものに," 最良の教授職は最良の

研究者でなければな らない" ということが伝 え られてお り,大学が,析究中

心の場である とい う考 えを端的に示 してお ります。 と同時に,か りそめにも

大学の教授職 にある者は,立派な研究業績をあげ得 ない限 り,学生に感銘を

与 える教育 も出来は しない, ということを述べた ものです。

(21)

また, ヨー ロ ッパの大学では,学問の 自由は教 える側の 自由 と学ぶ側の 自 由か ら成 り立 っている とい う考 え方 が徹底 してい るように思われます。 この 考 え方 が制度 として定着 しているのが,全国共通 の大学人学資格試験制度で す。 これは, ドイツでは,abitur,フランスでは bac(baccalaureat),イギ リスでは GCSE,A‑1evelとい った試験制度で して, 日本の高等学校相当の 教育課程 を修了 し, さ らに大学 に進学 しようとす る生徒 が受験 し合格せねば な らない ものです。 この制度の特徴的な ことは, この全国共通の一般的な学 力達成度試験 に合格 してお きさえずれば,原則的 に,いつで も,生徒 がそれ ぞれに 自分の将来計画 に もっ とも適 した大学 を選 んで入学 し勉強で きること です。 もち ろん,大学 によっては,ある年 にあま りに も多数の学生が入学 を 希望 した場合,その全部 を収容すれば,スタッフや施設の関係で十分 な教育 の質に責任 が もてない とい うことも起 こ りえますか ら,その ような場合 には, 専攻 に よる勉学の緊要性 とか,待ち年数の長 さ とか,あ るいは国によっては 兵役経験の有無 とかの事情や条件 を加味 して,あ る希望者 には入学 を次年度 まで待 って もらうとか して,入学者 を決定す るわけです。 さ らに, ドイツの 大学な どでは,い ったん abiturを取得 しさえずれば,あ とは学期 ご とに 自 由に大学を選 んで登録 す ることによって, 自分の将来計画や好み に応 じて大 学教育 を習得す るこ とがで きるわけで して,ここでは "学問 (修学)の 自由"

の理念が制度 として貫徹 されている と言 えま し ょう。

これ に対 して, 日本では,各大学 が一定の入学者数 を決めて独 自に入学試 験 を行 って入学者 を決 め る体制 を とりますか ら,その入学試験 は競争選抜試 験の性格を もち,その難易度が大学 間に序列 をつ くることにな ります。それ は,高等教育 を受け るための前提 としての必要 かつ十分な学習成果 をみ る と い う目的 とはまった く異な った もの となってお ります。その結果 ,入試 によ る序列が上位のあ る大学では,生徒 それぞれの大学での専攻分野や将来の職 業分野 との関係か らして,あま り必要 とされない科 目までを入試科 目に取 り 入れ (勉強分野 に不要 な もののあろ うはずの無い ことは言 うまで もない こ と

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