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むすびに代えて

ドキュメント内 我が国大学システムの経済学 (ページ 63-71)

予定の時間 も大分過 ぎましたので,これで終わ りにしますが, もう,本 日 の講義の結論は明 らかでしょう。本 日の講義は,スイスの民間研究機関

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Dによって世界に向けて発表 されたシ ョッキングな報告一我が国の大学の質 的水準は調査対象の世界主要

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カ国の中で最下位‑ との話か ら始めました。

次いで,我が国政府の教育に対する支出も,国の経済力か らして,世界で真 申よりかな り下の,見劣 りする順位 にあることが示 され,この事実は, 日本 の大学の質的低さをもた らしている要因のひ とつであるとの予見が,当然に, 抱かれるこ とにな りました。 しかし,同時に, もう一つの,この予見 とは反 するかに思える事実が示 されました。それは,同年齢層の うち高等教育を受 けた人の割合を見 ると我が国は世界で 2番 目の高い位置にある ということで す。すなわち,我が国の大学等の高等教育の実績は,量的には世界の最高水 準にある反面,質的には,文字通 り最低であるとい うこと,そして,国の経 済的支援か ら見た教育への関心は,世界の平均水準 よりかな り低い, とい う

ことで した。

我が国の教育全体 とその中での大学システムに関するこれ らの,互いに関 連 し合い,あるいは相反するかに見える事実は どの ように統一的に理解 され るか,また,その理解 か ら,特に我が国大学の質的業績の低 さを改善するた めに,如何なる処方等が提示 されるか,の問題を中心に考 えて きました。そ して,これ らの我が国大学システムの,業績か ら見た特異性を理解する鍵は, 大学 という存在に対する社会の理念にあること,すなわち,その理念が我が 国では欧米社会のそれ と比べて,きわめて異質の もの となっていることが, 彼我の大学発祥の歴史的事実を顧みることによって知 ることがで きました。

ヨーロッパでは,中世期にイタリアでボローニア大学が学生たちによる学問 研究の 自治組織 として成立 して以来,その伝統を引 き継いでお り,大学は人 類文明の表象 として,その活動は社会全体で支える一方,知的フロンティア

を探求する人間 自然の精神的発露 として,その 自主性 ・自律性を権力から独 立 して確保すべ きとする理念が,現在の大学システムの根底に根付いてお り

ます。具体的には,学生授業料を無償 としつつ,大学活動の必要経費は,塞 本的に国家財政を主体 とする公的部門が負担する という体制が維持されてい ることに象徴 されてお ります。アメ リカにおいて も,大学は知識の工場であ り貯蔵庫 としての社会的共通資本であ り,そこでの教育サービスも知識の社 会的普及 ・人格の陶冶 による社会的適応力の増進 に資する公共財であるた め,その活動は社会全体で支えるべ きもの との理念がその大学システムの塞 本に認め られます。加えて,その経済的支援は公的財政だけでな く,一般市 民の精神的理想追求の 自主的行動 として,民間資金が多 く大学活動に貢献 し ていることも一つの特徴 となってお ります。欧米の大学に対するこのような 基本理念 に対 して, 日本の場合は,政府 ・一般国民そろって

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度別の方向 を向いてお ります。我が国では,大学を頂点 とする教育システム 自体,序列 的試験制度 と密接 に結合されて,個人的便益追求の装置 となってお り,大学 での教育サービス も公共財な らぬ私的欲求追求のための私的財 と考えられて お り,国立大学において も学生やその家庭による授業料負担はその受益者が 負担すべ きもの として当然視されてお ります。 この ような考えの下に大学が 存在する以上,その活動のための財政的支援は,政府が中心 となって社会全 体で支えるとの体制が生まれる道理はあ りません。

このような状況の もとで,我が国では,家計の主体的需要行動の結果 とし て,世界で も稀な高等教育進学率が実現する一方,政府の教育に対する経済 的支援は国の経済力からして,見劣 りのするもの とな り,これ らとの強い関 連の もとで,我が国大学の質的成果は世界最低へ と低落 したわけです。 この ようにして,

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報告で示 された相関達 し,相矛盾するように思えた幾つ かの事実が統一的に理解できると思います。

社会における大学システムのあ り方や理念については,国によって,その 歴史的,民族的,政治的,経済的背景の違いに応 じて,異なった もの とな り

得 ること,また,異な って良い ことは否定する必要はあ りません し,否定す る積 もりもあ りません。 しか し,それ も,大学が人類社会に とって どれほど に意味のあ る活動 を しているか,また,出来てい るか との関連で判断される べ き事柄です。 日、本の大学が,その質的成果 において,世界水準 か ら見て全 く不十分な結果 しか実現 してお らず,.その事実が我が国社会 における大学の 在 り方,大学 に対する社会的理念に起因する蓋然性が高い ことが判明 した以 上, 日本社会の大学に対する考 え方 を再検討する必要のあるこ とを認めざる

を得 ません。

まず,基本的に,大学 とは,政府 目的や個人的利益のための装置であるよ りも前 に,知識 ・真理のフロンティアを, 自由に,そ して主体的に開拓 ・普 及することによって人類の福祉 ・進歩 ・発展の源泉 となる社会的共通資本で あって,そのアカデミックな活動 によって生み出される知識 ・教育サービス はそのために用い られ る公共財であ るとい うことを,まず もって,我が国の 政府,大学人,学生,家庭 ともに, しっか りと認識する必要があ ります。我 が国社会が この認識を多少な りとも持つことがで きれば, 日本の大学を取 り 巻 く状況は,今 よ り,相当に改善 されることは間違 いあ りません。 まず,政 府官僚 による 日常的悪意的介入が排除 されることにより,大学 自体の主体的 アカデ ミズムの精神が 日本にも芽生 えることが出来 るで し ょう。 また,大学 は,国の経済力に見合 った経済的支援を,行政的介入の見返 りとしてではな しに,国立,私立の別な く受けることになるで し ょう。湾の農地用埋め立て, 過疎地の道路 ・空港建設等 々,社会的効果の極めて乏 しい,あるいはマ イナ

スの効果 しか もた らさない ことが明 らかな土木作業 を創 り出して,長期 にわ たって,公共投資 と称 した膨大な国家予算をつぎ込み続け,あ るいは,官僚 への不当な利益供与 としか思われない特殊法人を多数設置 し,多額の財政支 出 と非効率な運営を行いつつ温存す るな ど,数 え上げれば限 りの無い現在の 膨大な不合理かつ無駄 を含む財政運営を少 し見直すだけで,菓当な大学理念 に基づいて必要 となる大学運営資金,少な くとも先進国平均程度の資金捻 出

な どは, 日本の経済規模か らして簡単 に可能なはずですO さらに, 日本人一 般の大学教育 に対す る認識 も変 える必要があ ります。 もっとも,人 々が大学 を立身出世の手段 としか考 えず,大学教育 を将来生活の安楽 とい う便益を得 るために需要するようになったのには,明治政府が国家 目的か ら高級官僚養 成 ・再生産のための国家機関 として帝国大学をつ くり,それを差別的官僚任 用の試験制度 を伴 って国の教育システムの最上位 に据 えた国家体制 をつ く

り,それを今 日まで頑なに維持 していることに責任 があるわけで して,大学 理念についての国の反省を伴 ってその体制が改変 されれば,国民意識 も自然 と真当な ものに改まることは確実です。そ うすれば,初等 ・中等教育が上級 学校への受験 目的の勉強 とな り,子供たちか ら本来各年代で 自然に,自主的 ・ 主体的に使われるべ き時間まで も受験塾 ・予備校通 いのために奪 い とり,千 供の人間 としての精神的 ・身体的発育 を妨げる とい う歪んだ社会現象 も無 く なるはずです。そ うすれば,何 よ りも,人間の もつ 自然な知的好奇心を, 自 由に,主体的に追求するもの とい う学習本来の喜びを,子供たちに回復 させ てあげることになるで しょうし,学生 には, 自分の将来安楽のため というよ うな卑小で,功利的な姿勢を超 えて,真のアカデ ミズムに身をお くことの喜 びを与 えるや ることになるで しょう。 もっとも,現在の我が国家計による, 強い大学教育需要は,大学教育サービスを私的財 と考 えた個人的効用最大化 の需要行動 として見て も,経済合理性 か らはずれた過大な需要であって,膨 大な資源配分の非効率を 日本社会にもた らしている蓋然性が高い ことは,疏 計資料 に基づいて検討 した ところです。

いま,我が国の大学は,国内外か らの批判や 自省のなかに,大 きな改革に 歩み出そ うとしてお ります。その最大の ものが,来年度か ら国立大学を法人 化する動 きで しょう。問題は, この ような ̀̀改革 " と称する動 きが,本 日, 皆 さん と考 えて きた大学理念の反省に立 った真の改革 になるか ということで す。本 日は, もう,国の国立大学法人化政策を詳 し く検討する時間はあ りま

ドキュメント内 我が国大学システムの経済学 (ページ 63-71)

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