留学生教育の展望に向けての視点
-留学生予備教育の経験を踏まえて-
甕 隆博
【キーワード】 境界人、境界状況、初年次教育、リメディアル教育、教養教育、
ボローニャ・プロセス
1. はじめに
グローバル化の流れのなかで、留学生の獲得は大学の重要な課題の一つとなって 来ている。留学という行為そのものは、個人的な動機をもって行われる場合が多い が、公的な奨学金など留学生制度の多くは国家の戦略的な思惑があると考えてもよ いだろう。それは、国家の政治的または経済さらなる発展に向けた中長期戦略の一 つということもできる。このため、いかに多くの優秀な留学生を獲得するかが議論 の中心となり、その観点から留学生制度のあり方や日本語教育のあり方に焦点があ たる場合が多く、留学生教育そのものを教育論の視点から語られることは少ないと いう印象を受ける1。これは、戦後政策としての留学生受け入れが先行し、その留 学生にどう対応していくかという試行錯誤の中で、留学生制度の枠組みが形成され てきたという歴史的な流れも背景の一つにあるであろう2。さらに、留学生教育と いう名称自体が教育そのものの内容を表すものではなく、かつ、留学生は基本的に は、既存の教育制度に入っていくものであり、日本の教育制度の枠組みを表す言葉 でないことも、留学生教育そのものに対する議論が展開し難い理由と考えられる。
このように、留学生教育という言葉は「留学生に対する教育」という意味で語ら れる場合が多く、留学生教育という言葉が、なんらかの教育制度と結びつくような 概念であるという捉え方はされていない。戦後の日本政府の留学生制度は
1954
年 から始まったが、その50
年以上の歳月のなかで培われてきた「留学生に対する教 育」を、その本質となる部分を意識化・抽出し、それをもとに留学生教育の位置を 明確にすることで、今後の展望を展開することが必要であると考える。しかし、「留学生に対する教育」といっても、捉え方によっては大変幅が広くな
1 例えば、「『留学生30万人計画』の骨子」取りまとめの考え方に基づく具体的方策の検討 文部科学省HPの下記参照
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/020/gijiroku/08062407/001.pdf
2 [7]の「付・アジア留日学生史年表」参照
東京外国語大学
留学生日本語教育センター論集 38 : 97 ~ 104, 2012
るため、本稿では筆者が携わっている日本政府国費留学生に関わる留学生教育に視 点を絞っていきたい。具体的には、大学・大学院入学留学生のための予備教育3と、
短期の留学生(6ヶ月から1年半)に対する教育である。以降、前者の留学生を
A
グループ、後者の留学生をB
グループと呼ぶ。ここで、予備教育は、日本政府や 外国政府の国費留学生に対し、大学・大学院進学に必要とされることを進学前に教 育するもので、大学の留学生センター等で実施されている。また、短期の留学生と は、教員研修留学生、日本語・日本文化研修留学生および大学間交流協定等による 短期留学生となる4。本稿では、上記2グループの留学生に対する教育を、大学における初年次教育、
リメディアル教育および教養教育、さらにボローニャ・プロセス5に見られる高等 教育の理念から、その展望への視点を考察していく。
2. 留学生教育の捉え方
ここでは、留学生教育の捉え方について考察する。そこで、まず留学について考 えてみよう。日本留学について扱った先駆的な論考
[7]
で永井は「留学という行為 は二つの国にまたがることであり、留学生とは、少なくともその留学期間中はいず れの国にも完全に所属しないという意味で、社会学のいわゆる“境界人(マージナ ル・マン)”なのである。」と特徴づけている。「境界人(マージナル・マン)」は、一般に「文化、規範の異なる複数の集団に属しながら、そのどちらにも同化できず、
情緒的に不安定な状態にいる人を指す。ただし、こうした境界的な生活体験が、既 存の文化のなかからは生まれにくい独自なものの見方、価値観、感受性をはぐくみ、
優れて創造的な意義をもつことがある。」6となっている。前半の部分はネガティブ なイメージだが、この論考では後者の部分を積極的に取り入れた意味合いで使う。
永井にもそのような視点が入っている。また、この後半部分は、まさに留学の意義 と言えるものであり、留学生を「境界人」と捉えることの妥当性を示していると考 える。
永井は、さらに留学生の適応について、リスガードの先駆的研究をから、留学と いう行為を次の三段階で説明している。それを、以下に引用しよう。
3 学部留学生の予備教育には、日本の大学入学資格の要件である、学校教育の課程が12年を満た さない留学生のための準備教育の目的もある。(文部省告示第百六十五号 参照)
4 各留学生制度については「我が国の留学生制度の概要(平成22年度版)」(文部科学省高等教育局 学生・留学生課)参照
5 4章でもふれるが、詳細は[4]、[5]及びこれらの参考文献参照
6 日本大百科全書(小学館、1984~1994)からの要約
第一段階は、留学生が受け入れ国の文化・言語・生活様式・学習方法をある程度、
強制的に身につけなければならないという「強制的順応」と呼べるものである。し かし、留学生は第一義的に母国に属するため、「強制的順応」を完全に受け入れる ことができない。その結果、他面では「強制的離反」を含む緊張がある。この段階 が、境界人としての特性を一番表している。第二段階で、この激しい緊張が緩和さ れ、自由な目で受け入れ国の文化・学問を消化していく。第三段階で、留学期間が 終わりに近づくと、帰国後を視野に、自分が活動する分野・所属する集団は何かと いう問題を鋭く意識し、留学の成果をまとめ上げようとする。さらに、母国への「強 制的順応」が優先し、同時に、慣れてきた留学先の文化からの離反する努力が起き ると考えられる。
[7]
が書かれたのは1970
年代であり、留学生制度も整備され、インターネット等 をはじめとする地球規模のインフラ整備が進んだ現在では、上記三段階における留 学生の緊張レベルは緩和されてきているが、「不適応→適応→不適応」という留学 の基本的な捉え方は変わっていないだろう。さて、この視点から、この論考で対象としている留学生を、上記三段階の留学過 程に当てはめてみよう。留学が予備教育から始まる
A
グループは、予備教育その ものが「強制的順応」の場ということができる。つまり、この場合の留学生教育は、「境界状況」にある留学生に対する日本社会・日本文化への順応教育なのである。
そのため、留学生は大きな葛藤を生じることになるが、それに対処し、第一段階で 挫折することなく、次の段階に進んでいけるための力を養うことが、留学生教育と 言うことができる。つまり、安定性のある「境界人」となるための教育と言っても よい。また、ここで注意しておきたいのは、この段階は、教育を提供する側も「境 界状況」を強く意識化している点である。つまり、留学生教育を考える場合、教育 を提供する側の意識も重要な要素となる。
A
グループは、その後、日本人と共に教 育を受け、第二段階・第三段階を経験することになるが、これは、留学生教育の範 疇ではないと考える。それは、教育を提供する側が「境界状況」を意識化して、教 育プログラムを構築していないため、留学生は「境界人」の状況にはあるが、留学 生教育を受けている状態ではなく、一般の大学教育を受けていると考えることがで きるからである。他方、B
グループは、留学前に母国で日本語教育や日本文化の教 育を受け、ある程度の適応力を身につけて来日する。そのため、第一段階の緊張は 小さく、第二段階にすぐに入っていくと考えることができる。また、留学期間が短 期であり、帰国後の身分も保障されているので、第三段階の葛藤も小さい。当然他国で学習することそのもので「境界人」を経験することになるが、さらに留学生用 プログラムで「境界状況」を教育的な視点から提供されることになる。このように、
「境界状況」を意識的に教育空間に作ることによって、「境界人」を経験させるこ とが
B
グループに対する教育の重要な目的であると考えることもできる。以上のように、留学生教育といっても対象になる留学生の特性によって、上記2 種類に分類することができるが、それは共に『意識化された「境界状況」の中での
「境界人」に対する教育』とまとめることができる。以降、これを「留学生教育」
と表記することにする。
3. 留学生教育と初年次教育・リメディアル教育
前章では、
A
グループの留学生教育を「境界状況」にある学生への順応教育と捉 えた。これを、初年次教育の観点からみてみよう。初年次教育とは「高等学校や他 大学からの円滑な移行を図り、学習及び人格的な成長に向け、大学での学問的社会 的な諸経験を成功させるべく、主に新入生を対象に総合的につくられた教育プログ ラム」(中央教育審議会2008
)のことである。大学では、自主的自律的な学習が求 められる。大学への適応は、かつては学生の個人的な努力にゆだねられていたが、それを支援して不適応や退学を防止することが初年次教育の目的である7。上記、
初年次教育の目的で、先頭に「海外の」を付け加え、「主に新入生」の部分を「留 学生」に変えると、そのまま予備教育の教育目的として使えることが分かる。また、
[3]
によると、大学新入生が戸惑うものとして、高校と大学の教育システムの違い(単位制度、授業時間、履修登録、学習スタイル、ノートの取り方など)と社会と しての大学への適応(施設設備の利用方法、友人問題、教員との接し方など)をあ げ、大学生が入学後の学習を継続するためには「学問的」にも「社会的」にも大学 に「統合」されていることが不可欠というヴィンセント・ティントの指摘を紹介し ている。これも、留学生教育に携わっているものであれば、普通に認識しているこ とであり、その視点は教育実践に取り入れられていることも多い。実際、単位制度 や履修登録を除けば、先の述べた戸惑う項目に対する順応教育が留学生教育プログ ラムでは提供されている。さらに、留学生は「境界状況」にあるということを考え ると、その教育はより広範囲できめ細かなものとなることは明らかだろう。つまり、
初年次教育は「留学生教育」の範疇では、十分認識されていた教育であるというこ とができる。
7 塚原[6]参照
ところで、初年次教育と並んで、リメディアル教育を提供する大学が増えている。
これは、大学教育を受ける前提となる基礎的な学力不足に対応するための補習教育 である。これは、
A
グループの予備教育の目的「留学生の出身国と日本の高等学校 教育の差異を埋め、日本の大学教育に適応できる学力をつける。」との共通性があ ることがわかる。濱名[8]
は、リメディアル教育は、学士課程教育プログラムには 含まれないが、大学が課外で学生を支援する内容としては学士課程に含まれると考 えている。この立場に立てば、「留学生教育」の予備教育的要素を、学士課程の教 育と考えることができることを指摘しておきたい。4. 留学生教育と教養教育
次に、教養教育との関連で留学生教育を見てみよう。教養教育とは何かという論 点は、多岐にわたっており簡単に述べることはできない。ここでは、内田
[2]
の提 唱する教養教育の捉え方を採用したい。それは、「第1
に自分と共通の言語や共通 の価値基準をもたないものとのコミュニケーションの仕方を学ぶことであり、第2
に自分自身を含む風景を一望に俯瞰する力(マッピングする力)をつけることであ る。」というものである。これは、学士教育課程プログラムにおけるいわゆる教養 教育の意味を超えた理念ということができよう。ここで、2
章で述べた留学過程の 第一段階から第二段階に移行するプロセスとの共通性を見出すことができる点に 注目したい。つまり、「境界人」なる留学生が、その不安定な状態を乗り越える過 程の教育は教養教育の本質的な要素を内在しているのである。また、天野
[1]
はクラーク・カーの主張「21
世紀に向けて先進諸国で進行中の高 等教育の変動のトレンドのひとつにカリキュラム面での基礎的な数学・言語能力の 育成、世界の諸文明に関する学習の重視」を取り上げ、このトレンドの前段階は日 本での教養教育の変化に顕著にみられる変化であると述べている。内田の教養教育の理念およびクラーク・カーの主張に照らし合わせてみれば、「留 学生教育」の中で重要な位置を占める「日本語教育」は教養教育そのものというこ とができる。また、留学生センター等で提供される
B
グループ用の日本社会・文 化に関する教育科目が「世界に諸文明に関する学習」であり、それが「自分自身を 含む風景を一望に俯瞰する力」の教育であることに異議はないであろう。他方、B
グループ用の教育科目には、一般的にみれば専門科目と呼ばれるものも存在するが、それは上記教養教育の要素を持っているということもできる。このように、「留学 生教育」は教養教育の一翼を担っているのである。
ところで、
B
グループの留学生に対しては、一般の教養教育科目を日本人学生と 一緒に履修する形で授業科目が提供されることが多い。しかし、これを「留学生教 育」と見なすことは難しいと考える。なぜなら、大多数の日本人学生の中にほんの 少数の留学生がいても、教える側の教師が「境界状況」を意識し、「境界人」に対 する教育であることを認識して教育を行っていないからである。また、これらの教 育科目は4
年間の学士課程というスパンの中で設定されているものであり、短期 の留学生を意識したものとなっていないことも、その理由である。5. 「留学生教育」の可能性
いままで、述べてきたように「留学生教育」には、リメディアル教育、初年次教 育、教養教育(専門教育的要素を含む場合もある)の要素を持っており、これらは 学士課程の中に位置づけることができると考える。これを濱名
[8]
を参考に図で表 しておこう。図 1 留学生教育の位置付け
ここで、学士課程教育プログラムは単位認定の対象となるものを指す。
しかし、いままで「留学生教育」は学士課程の扱いを受けて来なかった。それは、
高等教育が学部・大学院という教育機関の枠組みを基本に、それに「正規」に属す る学生への教育という立場で常に考えられてきたため、それに正規に属さない、い わゆる非正規生のことが念頭になかったためであろう。実際、
A
およびB
グルー プの留学生も非正規生と呼ばれている学生である。このような現状に対し、ヨーロッパで推し進められているボローニャ・プロセス の理念は、今後の展望を語るうえで大変参考になる。これは、簡単に言えば、個々 の国々を超えたヨーロッパの高等教育圏(実際は
EU
構成国の範囲を超えている が)の形成のための行為ということができる。詳細は、木戸[4]
、舘[5]
等を参照してほしいが、本稿と関係する部分を列挙すると、以下のようになる。
① 理解と比較可能な学位システムの導入
②
2
サイクルシステム(undergraduate
「卒前」とgraduate
「卒後」)の導入③ 合理的で
ECTS
(欧州大学間単位互換制度)と換算可能な単位互換システムの 構築④ 学生、教員の移動の障害の除去
舘
[5]
は、特に②に注目し、ボローニャ・プロセスの重要な理念は「サイクルの 設定という形で提起されている、機関の区別を超えた、学位プログラム中心の考え 方」であると指摘している。そして、「我が国の高等教育改革に対する最大の示唆 は、それを学位プログラムという見方の中で再構築を図ること」であり、これと同 様な理念が「我が国の高等教育の将来像」(中央教育審議会2005
)で述べられてい ることも指摘している。ここで特に注目したいのは「機関の区別を超えた学位プログラム」という点であ る。また、④にあるように、ボローニャ・プロセスは学生の流動性を奨励するとい う理念もある。これは学生がどこに所属しているかは重要ではなく、さまざまな機 関での学修を前提に学位システムを確立しようとしているのである。つまり、この 考えを押しすすめることにより、学位を認定する機能がなくても、③を満たす機関 であれば、②の「卒前」教育は提供できることになる。ここに、「留学生教育」と それを提供する教育組織に大きな可能性を見出すことができる。つまり、それは留 学生センター等を学士課程を担う組織とみなして行くことである。
その方策のひとつとして、
B
グループの留学生用教育科目に適正数の日本人学生 を取り込むことである。先に述べたように「留学生教育」の特質は意識化された「境 界状況」のなかで「境界人」を経験することである。この状態を保持できる適正数 の日本人学生を入れることにより、留学生も日本人学生もより強い「境界人」体験 が可能となり、知的刺激となることであろう。この場合、教師側にはそれなりの工 夫と経験が必要であることは言うまでもないが、日頃から「境界状況」を意識して「留学生教育」を担っている教師だから可能という面もある。
このような「留学生教育」の特質を生かした教育を進めるためには、大学におけ る教育組織の在り方の転換が必要である。現在の学部・大学院組織に加え、世界規 模の学生の流動性に特化した教育組織、つまりボローニャ・プロセスの③、④に柔 軟に対応できる組織が求められている。イメージ的には、学位認定機能は持たない
が教養教育に特化したかつて教養部のようなものであろう。
「留学生教育」を単なる「留学生に対する教育」と見るのではなく、その特質を 明確にし、学士教育課程の中に位置付け、その可能性について論じてきた。世界規 模の学生の流動に対応するためには、既存の教育組織の枠組みだけでは不十分とい う認識を共有し、
50
年以上の「留学生教育」の蓄積を生かす方向で検討すること が必要であろう。そこに、グローバル化に対応できる新たな可能性を見出すことが できると考える。参考文献
[1]
天野郁夫「専門教育を問う」、『大学-挑戦の時代』(UP
選書276)東京大学 出版会、1999
年、193
-203
頁[2]
内田樹 『街場の教育論』ミシマ社、2008
年92-97
頁[3]
川嶋太津夫「初年次教育とその評価」、『大学教育学会誌』第29
巻第1
号、2007
年、48-52
頁[4]
木戸裕「ヨーロッパ高等教育改革-ボローニャ・プロセスを中心にして-」、『レ ファレンス』2005
年11
月号、74-98
頁[5]
舘昭「ボローニャ・プロセスの意義に関する考察-ヨーロッパ高等教育圏形成 プロセスの提起するもの-」、『名古屋高等教育研究』第10
号、2010
年、161
-