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天安 工業大学 との国際交流

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(1)

長野工業高等専門学校紀要第 3 5

( 2 0 0 1 ) 1 4 3

天安 工業大学 との国際交流

堀 内 征 治   松 岡 保 正   中 澤 克 昭   貴 志 武 一

International Goodwill Exchange Program with Chonan National Technical College Seiji HORIUCHI Yasumasa MATSUOKA Katsuaki NAKAZAWA and Takekazu KISHZ

キー ワー ド :国際交流 ,韓 国,天安工業大学,長野 工業高等専門学校

1 .は じめに

長野 工業高等専門学校 ( 以 下 「 本校 」) と韓 国の天 安工業大学 ( 1 999 年 に天安工業専門大学か ら天安工 業大学 に改称)は ,1 996 ( 平成 8) 年 に学術 交流 に 関す る協定書 を締結 し,以来相互の訪 問 を含 めた国 際的な交流 を行 っている 1 ) .

今年度 ( 2001 年度)は本校 か らの訪韓が計画 され , 7 月末 日か ら 8月にかけて,第 4 回 目の交流事業 が 実施 され た.ここでは,この訪 韓にあた っての準備 , 交流事業の概 要お よび成 果について報告す る.

2. 第 4 回交流事 業の実現の経緯

本校 と天安工業大学の第 1 回 目の交流は協 定締結 の年に実施 され た. この年は天安 工業大学か ら本校

‑の訪 問が実現 し,本校 お よび黒姫 山荘 を中心に し て交流活動が営 まれ た.その翌年 ( 1 9 97 年) は,本校 か ら 20名 の訪韓 団 を構成 し,天安工業大学 を訪れ て第 2 回 日の学術 交流会が行 われ た (これ らについ ては参考文献 1 に詳 しい).

その後,両国 とも経済的不況な どが影響 して,毎 年の交流 を継続す ることはで きなかった.そ のよ う な状況 下で ,1 999 年 に天安工業大学か ら本校 ‑の来 訪がな され ,学生会役員 を中心 と した メンバーの対 応で,交流事業の成果 が得 られた.2000年 3月に は,本校 のプ ログラ ミン グコンテ ス ト最優秀賞受賞 チーム ( 5 年生 4名,4年生 1 名) に与 え られた韓 国研修旅行 の中で天安 工業大学 を訪問 し,受賞作品 の紹介 を通 して交流 を深 めた .

★ 電 子 情 報 工学 科 教授

★ 環境 都 市 工 学 科 教授

★★★ 一般 科 助 教授

☆ ★ ★ ★学生課長

原稿受付 2001

9

28

しか し,正式な学術交流事業 は実施 で きず ,先送 り の状況 にな っていた.

2000 年度 の第 1 1回運営会議 (当時 は運営委員 会) では,2001年度 の訪韓 に よる第 4回交流事 業の実 施 を承 認 した.以 降相 手校 との折 衝 を続 け,2001 年 4 月の運営会議 にお いて夏休み期 間 を利 用 した訪 韓 の骨子 を決定 した.訪 問 日程 の概 略 を表 1 に,訪 問団の構成 員 を表 2 に示す . なお,訪 問団の学生 に つ いては,学生会役 員 を除 いて各学科 2 名 を公募 し た.また,教職員 は当初 3 名 の計画で あったが,吹 章以降 に述べ る両国間の情 勢等 を勘案 して,本校 非 常勤講師 ( ハ ングル担 当) を訪 問団側 の通訳 と して 依頼 し,同行いただ くことと した.

訪韓計画 は天安 工業大学 の黄課長 ( 学事運営担 当) との折衝 を通 して,着 実に細 部が固め られ た. しか し ,7 月にはい り,次章に述べ るいわ ゆ る教科書 問

表 1.第 4回交流事業の日程概要

期 日 日 程

成田空港藤( 1 2: 55 ) ソウル仁川空港̀ 着 ( 1 5: 20) 天安着( 1 8: 00)

歓由夕

会 7月 3 1 日( 火) 記念撮

歓迎

式 .=

交流会 大

学見 学

韓 国歴 史

文化研修 8

1日( 水)

韓 国歴 史

施設等見学 ̀

8月 2日(木) 仁 川 空 港 発

( l l: 20)

成 田空 港 着

( 1 3: 35 )

長 野駅 着

( 1 8: 27 )

(2)

題や ,首相 の靖国神社公式参 拝問題 が 両国間に強い 緊張感 を もた らし,訪韓計画 の是非 も ささや かれ る よ うにな った. しか し,最終 的には天安工業大学側 か らの寛大 な配慮 に も勇気づ け られ,交流事業 を予 定通 り実施す るこ とを決断 し,ス トレス と不安 の中 での遂行 とな った .

表 2

4 回交流事業訪問団名簿

区分

氏 名

所 属

教職員 堀内 征治 電子情報工学科 .教務主事 .団長

(4

名) 松岡 保正 環境都市工学科

貴志 武一 学生課

渋谷 高子 一般科非常勤講師 ( 通訳) 学生 月岡 洋子 環境都市工学科

5

年 .学生会長

(

1

5

名) 小林 伯大 電気工学科

4

年 .副会長

福沢 芳恵 環境都市工学科

4

年 .学友誌委員長 小宮山弘子 環境都市工学科

5

年 .工嶺祭委員長 岩田 陽介 環境都市工学科

4

年 .同副委員長 下島 裕二 機械工学科

5

石橋 和海

機械工学科

4

年 岩下 拓也 電気工学科

5

年 胡桃沢昌希 電気工学科

4

年 大塚 直人 電子制御工学科

5

年 住滞香穂理 電子制御工学科

3

年 小田島静香 電子情報工学科

3

年 森田あゆ美 電子情報工学科

3

年 藤滞 義人 環境都市工学科

4

年 斎藤 郁恵 環境都市工学科

3

年 ( 事前学習指導 :中揮克昭 ( 一般科) )

3. 交流時期 における両国情勢 と事前学習 3‑ 1 交流 時期 における両国間の情 勢

日本 と韓 国は 「 戦後 、最 も良好 な関係」 といわれ る状 態 で 20 世紀 最 後 の年 を送 ろ うと して いた.

1 998 年 に親 日派の金大 中氏 が韓 国大統領 に就任 し た ことや , 20 02 年 に両国がサ ッカーの ワール ドカ ッ プ を共催 す るこ とな ど,さま ざまな好条件 も重 な り, 南 国の友好 関係 は飛躍的 に発 展 し,韓 国にお け る 日 本 文化 の解 禁 も急速 に進みつつあ った ので ある.

しか し ,20 01 年,日本 の歴 史教科書 をめ ぐる問題 に よ り,両国の関係 は急速 に緊張 し,韓国改称 ま, 日本 文化解 禁政策 の中断や, さま ざまな レベル の交 流事業の見 直 しを表明 した.実際,長野県内の学校 で も交流事業 の中止や延期が あいついだ.

今回の交流事業 を,よ り有意義な もの にす るた め, 当初 か ら計画 され ていた事前学習会 は, こ うした情

勢の変化 に よ り,その重 要性 が さらに高まった.本 校 では 3 学年 までに 「 世界史」 , 「日本史」 ,r 政治経 済 」お よび 「 倫理」 を必修 と してい るので,基本的 な知識 は習得 してい る.そ こで,両国間の情勢の変 化 をふ まえ,事前学習の内容 は,つ ぎの三つ を柱 と

した.

・現段階 での両国間の情勢 ,特 に,いわ ゆる 「 教 科書問題 」について認識 を深 め る.

・日韓両国の近現代史 を再確認 し,主要な論点 ( 問 題 点) を知 る.

・今後 の両国の友好 関係 を発展 させ るた めに も, 近代以前 の交流の歴 史 を知 る.

以下に,事前学習の内容 につ いて報告す る.

3‑ 2 いわゆ る 「 教科書問題」の概要 (1) 「 新 しい歴 史教科書 をつ くる会J の活動

まず,問題 となってい る 「 新 しい歴 史教科書 を つ くる会」の概 要 を,その主張 と活動 の経過 に し ぼって,つ ぎの よ うに説 明 した.

その主張は,①今 の歴 史教育 は 「自虐 的 」であ るか ら,その 「自虐 史観 」 を克服 し,② 日本人 の 誇 りを と りもどせ るよ うな 「 物語Jす なわ ち教科 書 をつ くる, とい うもの. これ までの経過 は,( D 1 996 年 1 2 月 , 新 しい歴 史教科書 をつ くる会」

創立 .② 1 9 97 年 1 月,文部省 ‑従 軍慰 安婦記述 の 削除 を要求. ③1 99 9 年 6 月,同会長 野県支部設 立.④ 同年 1 0 月,パイ ロッ ト版 『国民の歴 史』

発 刊. ⑤20 0 0 年 4 月,歴 史 ( お よび公 民)の 申請 本 (白表紙本)が完成 し,検 定 申請.

(2 )学習指導要領 の改訂

1 99 8 年 1 2 月に,学習指導要領 の大幅な改訂が 告示 され た こ とと , 「 教科 書 問題 」の 関連 につ い て も説明 した.改訂 では,いわゆる 「ゆ と り」 が 重視 され,歴 史につ いて も内容 は大幅 に削除 され , 特 に世 界 史につ いて は激減 した こ と. 「 新 しい歴 史教科書」は, この改訂 を狙 ってつ く られ た こと な どを指摘 した.

(3) 「 新 しい歴 史教科書」 の概要把握

訪 問団 メンバー の理 解 を深 め るため , 『新 しい 歴 史教科書』 ( 扶桑 社 ) の市版本 を用意 し,実際 に手 に して も らった.同時 に, メンバー となって いる学生た ちの多 くが, 中学校 時代 に学ん だ と考 え られ る現行 の 中学校 教 科 書 『新 しい社 会 歴 史』 ( 東京 書籍) と,韓 国の 中学校 で使用 され て いる国史教科書の 日本語訳版 『入 門韓 国の歴 史』

( 明石書店) も用意 し,比較 した.

( 4 )検定合格後 の状況

『新 しい歴 史教科書』検 定合格 ( 2001 年 4 月)

後の経過 につ いて確認 した.① 日本国 内で も 『新

(3)

天安工業大学との国際交流 しい歴 史教科書』 に対す る批判があいつ ぎ,支持

派 と反対 派の激 しい論争 が展 開 してい るこ と,② 検 定合格 直後,韓 国や 中国が 「 憂慮」や 「 不満 」 を表 明 し, そ の後,具 体的 な修 正要求が 出 され ,

③ 日本政府 は,その修正要求 に対 して事実上 「 ゼ ロ回答」 を した こ とな どを,資料 として配付 した 新聞記事 を参照 しなが ら解説 した.

(5)教科書 の検 定 と採 択

参考 と して,教科書 の検定 と採択の流れ につい て もふれ た.まず ,教科書検 定の流れ につ いて概 説 し,続 いて,教科書採択 の流れ を,長野県を例 に概説 した.

3‑ 3 いわゆ る r 教科書問題」 をめ ぐる諸 問題

「 教科書 問題 」 には,い くつ もの問題 が複雑にか らみ あってお り,それ ゆえ論点は多岐 にわたって い る.そ のい くつ かを指摘 し,多面的に問題 を考 え られ るよ うに配慮 した.問題群 を r日本 国内

と 「 両国 関係 」 に大別 し,以 下の よ うな点 にふれ た.

(1) 日本 国内の諸問題

( 丑日本政府 お よび 日本社会の保守化 ( あ るいは 右傾 化).② これ まで の教 育 と りわ け歴 史教育 に 対す る不満 .③ 教 科書検 定そ の ものの問題 . 「 検 定 は必要 か ? 」 「 違憲 ではないのか ?」 といった 議論 .④ 日本政府 の外交能力 .

(2) 両国関係 の諸問題

( D 被 害者 と加害者 とい う不幸な過去.②韓国 は国定教 科書.日本 は検定教科書.③政府 ( 国家) 間の賠償 と人間 ( 個人)‑の補償.

3‑ 4 両 国の近現代史 (1)近代 の韓 国 と 日本

配付 した 「日清 日露戦争後 の 日朝関係年表」 を 参照 しなが ら,① 「 脱 亜論」 と福滞諭 吉,②伊藤 博 文 と安 重根 ,③ 関東 大震 災にお ける 「 朝鮮人狩 り」,① 景 福宮 を分断 した朝鮮総督府 ,⑤ 皇民化 政策 の諸相,⑥ 朝鮮神 宮 と靖 国神社 ,⑦従軍慰安 婦, とい った近代 にお ける両国の関係 史 を考 える 上で重要 な問題 を確認 した.

(2)朝鮮 半島の南北問題

朝鮮 半 島の南北問題 を理解す るた めに,戦後の 朝鮮 半島情勢 と,最近 の南北 関係 につ いて,つ ぎ の よ うな点 を確認 した.

① 1 945年 8 月 1 5 日 , 「日帝」支配か ら解放 さ れたが,② 東西冷戦の激化 に よ り,北緯 38 度線 を軍事境 界線 として米 ソ両国が南北分割 占領.( 診 1 948 年,大韓民国 ( 韓国)と朝鮮 民主主義人民共 和 国 ( 北朝鮮 )が建 国 され ,④ 1 950 年,朝鮮戦争 勃発 .甚大な被害 .( 9朝鮮戦争, 日本‑影 響.響

1 4 5 察予備 隊設立. レッ ドパー ジ . 「 特需 景気 」 に よ る経済復興∴⑥韓 国の クーデ ター と軍事政権 .⑦ 1 980 年代 にお け る韓 国の民 主化 と ソウル オ リン ピック.( 馴 ヒ朝鮮 の最 高権力者金 日成 主席死去 と 息子金正 日氏の権 力継 承 .⑨ 南北の和解 .金 大 中 大統領 の北朝鮮 訪 問 と首脳 会 談 .統 一 を 目指 す

「 南北共 同宣言」.

3‑5 近代以前の深 く長 い交流の歴史 (1)近代以前の両国の交流

近現代 史を確認 した ところで, これ か らの両国 関係 を考 える時に も参照 され るべ き, 日本 と朝鮮 半島の近代以前の交流 史につ いて,( D国境線 は近 代 の産物 であ り,朝鮮 半島 と 日本列島 に連続 す る 文化要素 が少な くない こ と,② 多様 な文物 が伝 来 してお り,③ 大 きな断絶 は豊 臣秀 吉の朝鮮侵 略 の みであること,④ 近世 の朝鮮 通信使 はた い‑ ん厚 遇 され た こと,な どを指摘 した.

(2 )朝鮮 と信濃の親密 な関係

長 野 は古 くか ら朝鮮 半 島 と深 い交 流 の歴 史 を 有 してお り,それ は今後 ,両校 ひいて は両国が友 好関係 を築いてい く時 に,大 いに参照 され るべ き である と考 え,次 の よ うな点 にふれ た .

①長野 のシンボル で あ る善光寺 の本 尊仏 は,朝 鮮 でつ くられた金銅仏 で あ る と推理で きる.② 古 代 にはシナ ノ系百済人 が,百済 とヤマ ト政権 の交 流 を担 っていた.③長 野 県内か らは古代 にお け る 半 島 との 交流 を証 明す る出 土 品 が数 多 く発 掘 さ れ てお り,④ なか で も木 島平村の根塚 遺跡 か ら発 見 された渦巻文装飾付鉄剣 は,・半島南部 の伽 耶製 で,東ア ジアで も数少 ない長 大剣 であ る こ とか ら,

3 世紀 には,朝鮮 半島の有力者 が北信 濃 に移 り住 んでいた ことを示 す貴重 な出土品で, 半島 と信 濃 の密接 な関係 を物語 る.

これ らの点か ら,長 野 ( 信 濃) が,古 くか ら朝 鮮 半島 と独 自の交流 を重 ねて いた こと,その交流 が 当初,ヤマ ト政権 を介 さず に行 なわれ ていた こ と,すなわ ち,私 たちの祖 先 は,国家 ( 政府 ) の 事 情 とは別 に朝鮮 と交 流 す る こ とが で きた とい う誇 るべ き事実を確認 した.事前学習 の ま とめ と して,両国政府間 の緊張 が高 まっていて も,い に しえの祖 先 を見習 って,長野 発の友好 関係 を発 展 させ るべ きである ことを,訪 問団 メンバー に伝 え た.

4.交流事 等の実施

冒頭 で も述べた よ うに,今 回 の交流事 業 実施 直前

の 日韓政治情勢は,歴 史教科書や総理 の靖 国参拝 な

どに端 を発 して緊張感 を増 していた.実 際 に,高校

(4)

レベル で訪 韓 を中止 した ところ も続 出 して いた 中で , 韓 国国 内で も有数 の 工科 系教 育研 究機 関であ る とい

う誇 りと 自信 を感 じさせ る天安 工業大学 の毅然 と し た取 り組 み が今回 の 交流 を可能 に した といえ よ う

また,今 回 の交流 では 日韓 の文化や生活 の共 通 部 分 と大 き く異 な る部分 ,韓 国人 達の価 値観 の底 流 を な して きた もの.そ うした もの の近年 の大 きな変 化 等 を短期 の体験 か ら学んで も らいた い とい う希 望 も あった.政府 間の微 妙 な情勢 の 下で, 当方の意 図 を 卜分 に理解 して本事 業 を有意義 な もの にす るた め, 本校 に非 常勤 でハ ン クル を教 えにみ えて い る渋 谷高 子先生 を 日本側 通 訳 と してお願 い した . これ が事業 の成 功 に大 き く貢 献 した.

限 られ た紙 面 と時間で交流事 業の成 果 を報告 し尽 す事 は至雌 の兼で あ る. ここでは基本 的 に訪韓 中の 時 間的経 過 と実施項 目を軸 に ,訪韓学 生諸 君 の感 想 等 も考慮 しなが ら.実施 され た内容 を報 告す る.

4 ‑1 天安 工 業大学 における交 流

(1)仁 川 ( イ ンチ ョン)国 際 空港か ら大学 ま で 訪韓初 日 7 月 28 日 ( 上) の韓国国 内の天候 は雨 で ,釜 山上空通過 後 は r T. 1 ' 態 の 中 ロール 混 じりの急降 下 を体験 しつつ仁川 空港‑降 り立つ † 拝とな った.そ れ まで韓 国の 玄関 であ った金浦 阿際空棒 で は‑ 7空 港の機 能 を果 たせ ない たb I ).民間笹本 U) 杏) 州む妹 っ て京 畿湾 に浮 かぶ 他必 鵜

U

)広 人な I l 紘古 を岬. め立 てて 建設 され ,今 春 闘粘 したばか りの空他 で あ る.全施 設 が完成す る とコン コル ドが就航 し, 世界一 日生紡 圏 が うた い文句 とな る.

入 国手続 きを済 ませ ,一 人 1 0 万 ウォ ンを換金 し て送迎 ロ ビーに到 着 す る と,学事運営 課長 の黄玉換 教授 を筆頭 に,梁教 授

,

職 員 の 方,学 生諸君 ,通 訳 の鄭 困惑 さん等 が待 ってお られ た.

空港 か ら大学 までは 貸 し切 りバ スで の移 動 とな っ た .開港後 5 年 間 は鉄道建 設 しない とい う出資者 と の契約 のた め,空 港か らの移 動 は高速 道 路のみ で あ り, 当然 の事 なが ら高 い.車 窓 か ら眺 め る里 山 と田

B 削よ日本 の風 景 と変 わ らないが ,そ う した 中に突 如 と して山現す る高層 マ ンシ ョン群 は今 の韓 国 を像 徴 してい る.それ は人 口の都 市集 中,核 家族 化 ,女性 U)i J : 会進出,少子 化 ,過熱す る受験教 育 , 農村 の過 畔 化 ‑ と.未だ 大 きな問題 にな って い ないの は環 岐r i f l 雌 化 か と感 じるほ ど日本 に似 てい る.

途中の・ l J ・ ‑

スエ リアで ミネ ラル ウオ ー ターを鵬 人 し.大安1 I f I J 1の レス トランに到着す る と,李鐘 彦 甲 泊地Y. f 1 1行 V ! z l 削判の1 ) 7々が待 ってお られ た.

軌al l L t レ E t : ‑ {・‑に拙 く夕允会 は.和や か な雰 囲気

の中Cl r か At.1T, い I Jど挺l H: ・ い 」相 良 を存分 に味 わ

うq f がで ? r た. U・ t l f L ・ 稚 つ n l l u

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の軒 態 に 刈 T J

る我 々の緊張感 と不安 を一掃 す るに十 分 であ った.

(2 ) 寄宿舎 での宿 泊

初 日の宿舎 で あ る天安 工業 大学 の寄宿舎 に到 着 し, 部屋 を割 り当てて頂 いた , 男子学 生の部屋 を空 けて 頂 いた よ うだ.扇風機 が用意 してあ った. シャ ワー は この時期水 だが ,我 々の為 に温水 が出 るよ う配慮 して下 さった .また,集 会室 には地 元名産 の胡桃 入 りの菓子 ,挑 , ネ ク タ リン, ジュース等 が食 べ きれ ぬ ほ ど用意 され て いた.慣 れ な い旅 で体調不 良の者 が でて も対応 で き るよ う.英等 も用意 され て いた.

寄宿舎 玄関 を入 ってす ぐの ところにパ ソコンが用 意 され てお り,早速 高専のホ ームペ ージをのぞ こ う と学生諸君 がチ ャ レン ジ した . キーは‑ ングル で も 似た よ うな ものだ とい うこ とで.そのそ ばの公 衆電 話 か ら国際電話 をで き る よ う, 白頭 山 をプ リン トし た l Cテ レホ ンカ ー ドが プ レゼ ン トされ ,学生諸 君 は早速家族や 友人 に電話 を して いた 近 くの コン ビ ニエ ンス ス トア まで車で連れ て行 って も らった者 も いた よ うだ.

写 真1

寄宿舎からネ ッ トワークで

(3 ) 歓迎式 と学生 交流会

訪綿 2日目,テ レビニ ュースで 見 る国際会 談 の よ うな雰閃気 の 中で歓迎 式 が行 ))れ た.李学 良の歓迎 は拶 に紅 さ.本校 L J ) ' 関 川 I i がお 礼の挨 拶 を行 った.

グローバル化の統) l J U ) 中で ,本 Hここに塊 まった 日 相の: 1 , i : 人過が新棚肺 胞 ( 相性 と して符 ち, 両国 の発展 に 一 存与 して欲 しい との 舟出がその骨 子 ・ で あ った .

r I 己念 品贈 呈,天安 : 亡英人

側 の大学概 要説 明,参 加 者の 自己紹 介 と 縦 いた 後.今 回の

T

F業 の主要 テ ー マ と しての学 生交流 会 とな った.

交流会 では先ず 天安 上 顎・ 大J f ‑1 R I J か ら,学生会長 の 全丞培君 が学 生会の組 織や 部情動 ,援 巌や孤児院 訪 問等 の ボ ランテ ィア析勅 につ いて説 明 した .長野 高

頻に続 いて r 今 何 の 交流 を人 対人の交流 の き っか け

に したい と思 って い よす .神 国の皆 さんの生活 の貞

(5)

天安工業大学との国際交流 実 を学 ん で帰れ た ら良い と思 っています . 」と挨 拶 し

た.長野 高専の学 生生 活は, 工嶺 祭実行 委 員長 の小 宮 山弘子 さんが, 1月か らの年 間行事 の紹 介 を通 じ て行 った . 串 前 に OH P シー トも用意 してお いたが , そ うした環境 が なか った ため臨機応 変 かつ 的確 に説 明 して くれ た.

写真 2 天安1 :莫大乍本館

交流会 での質 疑応 答 を以 下に要約 して示す .官 間 は 日韓交 互 にな され るス タイル で行 われ た .

野 末 3 歓 迎

ぺ ・交縦全 天 :q: ノ l : . u ) 避

綿 の 状 況

は' . )

良 :軌職 と 一 1 1

ト制 大

竹 ‑t I J T ヨ人に/ ) )かれ る.・ f : 枕で 机職 捕I J I J ) ( . = 上州l さ む 川 して い る 臥臓 と和 人?・ の 割 合 は ' r 一々位 であ る.

良 :頂 いた軒料 で は 山人・ F ; 七は ' 2 隼 制だ が , こ うした 大学 は多 いか ? (日本 で I . ti 印W l . t L l 人 に比べ る と 数 も少 な く知名度 が低 いが .)

天 ・短 大が 258 、A‑学 が 2 L 1 7 あ り . 佼 奴 も学 生: ̲ 数 も

韓 国 では異 な る.

天 一番 人気 の 高 い学科 と就職 王 が粘血U)学 科

は ?

良 :学科 は 5 学科 しか ない.率 L位は7 旺 f 一 帖 報 工学 科 . 女 子学 生 が他 と比べて 多 いのは電 子情 報 と環

1 4 7 境都 市.就職 につ いては 求人倍 率 1位 が電子制御 で,今年度 は 30 倍 .環 境都 市 は建設 不 況の影 響 を大 き く うけて 1 0 倍 .

長 :1 年次 72 名 , 2 年 次 50 名 の学科 が あ るが ,そ の差 の 22 名 は ど うな ったか ?

天 :韓 国 は徴 兵制 の為 ,そ の年齢 に達す れ ば大 半は 兵役 につ くか大学 で学 ぶ か選択 す る.そ うした結 果 で あ る.一 部 は家 庭 或 い は本 人 の事 情 もあ る.

天 : 学生 会 長の選 出方法 は?学 生会の一番 の興味 は ? 長 :会長 ,副会 長,会計 監査 は全学生 の投票 で直接

選 挙す る.学生会 では学 生 が よ り楽 しく学生生活 を送れ るよ うに考 えて い る.現在 は秋 の文化祭 に 向 けて精 力的 に取 り組 ん で い る.

長 :長 野高専では学生個 々に メール ア ドレスを持 っ て い る. こち らでは ど うか ?

天 大学 内は完備 され て い る.寄宿舎 だ けがまだ な ので学生達 が完備 に 向けて闘争 してい る.館長 は 今年 中につ け る と約 束 してい る.

天 :個 々に メール ア ドレスを もって い るので これ か らも交流 を継 続 させ て い く事 は可能 か?

良 :足非 ,交流 を続 けて い け るよ うお願 い した い.

(4 ) 学 内施. 没見学

天安 t業大学の敷 地 は丘 を利 用 してお り,面積 的 に も景観 的に もゆ と りが あ る.大学 は全部 で 16 学 科 あ るが ( 表 3: 天安 工業 大学学 生現 況参照),全 て を見学す る時間的余裕 が無 か ったた め,最 新設備 と, こち らか らの参加 学生 に 関連 した学科 の設備 を中心 に見学 させ て いただ いた .

表 3

工菜

早生

現 況(

2

, 4

00

名,

2.041名)

工繋テ' サ

̀ィン、視 覚 佃 報 テ■サ■けの

み定員 40

、 他

は定員 80

最新設備 の 3D‑ CA t ⊃ ・CAM 装置 は,空調 の

効 いた一室 を 与え られ て いた.そ の後 で回 った他 の

(6)

実験 室 が, ま とま った人数 で 同時に過 行 して実習 し なが ら授 業 を進 め る思想 で作 られ てい るの とは 異な る関わ り方に な って いる.

機器 の陳腐 化 の速度 は今や 工業国で は どこも似 た よ うな状 況 にあ る. 特 に不 況 が深刻化 して い る近年 , 教 育現場 では常 に最 新 とい うわ けには い きに くい財 政 事情 に な って きてい るが.天安 工業 大学 も例 外 で はなか った,

カ リキ ュラム的 にはかな り実 習 に時間 を割 いてお り,それ をま とまった人数で 効 率的 に行 う設 備 の最 が用意 され て い る とい う感 じを受 りた.

4‑2 韓 国 国 内見学 (1 ) 韓国民族 博物 館

歓迎 夕食会 の折 に, F l本側 適 訳の渋 谷先/ i 三を通 じ て,で きるだ け韓 国 の人達の 普段 着の / ヒ活 の場 ,農 村 部 文化や 生活 の庇 にあ る 口木 との繋 が り等 を見 て感 じ取 って帰 りた い とお願 い した.現 在の両国政 府 日 日の状 況 , 交流会 を適 して 育み たい閲係 等を総 合 的 に 考A G L. 前 Uの 申 し出 に もかかわ らず 見学 了・ 定 の 一 部変 史に対応 して 頂けた . これ が, 見 学 中の学 生f t Hの 交流には 大 き く女献す る結果 とな った.

博物 餅. け い って も建物 の q lに道 具や ジオ ラマが L 閃 いてあ る ス タイル では な く, 李氏朝鮮 時代 か t 、 Ju)役 所 や 代務 が 1 1 川

.'J'

u

)/t三

隅 川 見 とと もに忠実 に しか t ,汁

‑ /ンな形 で比J " I , ・ ' ‑ で き るJ :うに な ってい る.

そ う した シ

= Lエ ー シ ョンを最 大に活 か しf ‑のE . i, 綿 同 † 則辿 駅 の 鄭 L I J魅 さん で あ った . 日醸 双 方 U)磨

史 ・文化 ・l i u・ .A/ i ̲

:7.t

・ 甥 に対す る豊富 な知 識が 見 . , 拝 に相 互辿 1 1 , I , ;され て} ' 3り. ‑ ) I ‑過 行の説P J l のみ で は な

く,我 々0)多 は / I : ' L 倒 t Hに い l 本 人が思 わず領 く答 え が返 って きた .

敷 地北側 小 丘陵

.,T.・

' hl r iに J l : が る経木林 は 20 年以 上 伐採 され てい ない 蛸 [ ,r lAにの脱付 と里 山 との 関 係 が重 な って 比 えた.) , q' 軒: u) I ̲ , ; 川 上の1 ' J 'き万 代 日本 と は異 な るが, 組 側 に川 ! .ると 昭nJ; 1 0叫 代u)E l l 斜 こ似 た雰 囲気 に包 まれ た.

(2 ) 景福宮

韓国の風水 の思想 で L t .H i 捕 I h/ J l r ,l L I U 7HI J そ して 北漢 山,北岳 山‑ と繋が る 統 れ が 都に命 を・I j ・ える と み てい る. 白頭 山は 中朝国境 に あ るが ,柵 岡の 人 越

放年 前 よで宮殿 敷地 内に辿 って いた 棚酢 総 佃 f rと して使われ て いた建物 は撤 去 され ていた .北 淡 山を 北 に 刊 . む 本廉の 美 しい景観 が蘇 った とい え よ う.そ れ L lよた.新 しい時代 に向けて の韓国の決 意財 1 J J で , t ・ )ろ と 阜 )み て とjt , る .

比 r l n : I :r J lで

時代劇 の ロケが行われ てお り,人 災 ドラ‑ . ,とい うl J r i ). hって‑ R安 L人の学 生達 は写真

を撮 った りロケに 見入 った りと盛 り上 が って い た.

時代劇 ではあ るが女性 の活躍 を描 いてお り,女性 進 出が著 しい今 の韓 国 の世相 と重複 して ,絶 大の 人気 を誇 ってい るのだ そ うで あ る.

(3)統 一展 望台

ソウル 市内か ら湧 江 沿 を北 上 して い くと, 卓の 数 が減 って くる . 川岸 に有刺鉄線 が張 られ ,サ ーチ ラ イ トと歩哨所 が所 々に 見 られ るよ うに な る と,韓国 の 置かれ て きた状 況 を実感 で きる.近年 は,金 大中 大統領 の太陽政策 が進 め られ て い る とは い え,東西

ドイ ツ程 一 挙には進 まな い事情 が あ る よ うだ . 発頭 山統 ・ 展 望台 の足 下で,北東か ら流 下 して く る臨津江 が南か ら流れ, て くる横 江 に合 流 し,大 き く 西に流れ を変 えて京 艶湾 に流れ て行 く 流れ は ゆ っ た りと してお り.合流部 には 桟潮 も広 が ってい る.

r イ ム ジン 川 」 の収 の とお り,水鳥 が飛 んで いた . 生憎 の天候 で臨津 江 の向 こ うは雲 が厚 く低 く西 に流 れ てお り,遥 か遠 くまで は 見 る事がで きなか った.

韓同の学 生に聞 く と, ここ‑ は これ までに一度 く らい しか 来た事 が無 いそ うで あ る.

(

L l) 南大 門 市場

南 大門 は , ソウル

r

f l が ニ ュ ‑スト登場 す る ときは 必 ) . とい って良いほ ど映 る象徴的 な建造物 であ る 柄 入門 l H j i lげその l 商人門 の東 側にl 捌 妾 した南

洞 に

舷 側 した 一 人問屋 術 で, ソウル 市民 は もとよ り日本 か ら t l lい付目に 氷 る客 t )多い.上野の ア メ横 を よ り 紬同風 に した様 な感 じだが ,や た ら大声 を出 して呼 び込んで い る瓜 は無 い.豚 の頭 か ら.朝鮮 人参 ,イ ブ二 ン/ / ドレスに繁 るまで克 ってい る.交渉能 力が あ ってま とめ買いで きれ ば仰 当に安 くな るよ うだ .

写真

4

ノウルの敦徴商人門を背に

触 らA tたn 別間での団体 行 軌 ではあ った が. 日輪の

学生連の 中には果敢 にチ ャ レンジす る もの もいた .

値段 を聞 けば安 いが, サ イ ズが合 わわ ば と産 には な

らず .デ ジカメに 入れ て きただ けの もの も多い. こ

(7)

天安工業大学との国際交流 こで も通 訳 の鄭 さん は,それ らの品が韓 国 の生活 文

化 の 中で ど う利 用 され て いるか て きぱ き説 明 を加 え た. 急 ぎなが らで は あ るが主要 部分 を ぐる りと回 り, あ ち らの店 こち らの路 地 でエ ネル ギ ッシュに商売す るキムチ パ ワーを十 分に感 じとる事がで きた .

(5 )戦 争 記念館

戦争 記 念館 のエ ン トランスは,朝鮮戦争 で命 を落 とされ た韓 国の 人達 と連合軍 の兵 上達 の盗碑 か らな って い る.記念 館 の敷 地 は広 く,各展示室 を見て歩 くだ けで も時 間 と体力 が要求 され る.

こ こには朝鮮 戦争 当時の映像 や武器 ,各部 隊の兵 装や ジオ ラマが大 盈 に展 示 され て い る.映像 か らも 展示 品 か らも 「 忘れ ない」意思 が伝 わ って くる. 李 承晩 の署 名入 りの表 彰状や戦 場 に赴 く学 徒の博 の 文 字 は, この 50年 間で急 速 に文章表現 の変 革 をな し とげた韓 国の思 い 切 りと行動 力 を感 じさせ る,今 の 韓国の若 者 は漢字 を読 ま ない

見 学 順 路 も終 盤 に な る と地 雷 か ら赦 新 の 空 対 空 ミサイルや ,高速被 甲弾 な どの‑ イテ ク兵器 も展示 され てお り,更に屋外 には B52 や フル装備 の F4フ アン トム まで展示 され て いる. 両親 あ るいは祖 父 母 と来館 した 子供 達 が, 実際に銃 座 に座 って操 作す る 解がで きるよ うに な ってお り,子 供の頃 か ら見 た り 触れ た りで きる環 境 に あ る

(6 ) 綿 l Bの食 乍

細岡a Wu r J 中に何度 か韓食 を ロにす る機 会 を得 た.

やい もの が 苦手 の学 生の 中には ,パ ンが食 べ た くな って し ・ L r)た 符 もい たが,大 半は辛いけれ ど も美味 い とい う城 . t L も で あ った.それ は ダシの 旨味 がベ ‑ス にあ る

や さ

故で あ ろ う.

味の側 面以外 でいL . 核< ; 5 : 放 ・少‑ r f ・ 化の 小で 打 った 者 は若 干の違 和感 を感 じるで あ ろ う鬼 平 i l m もあつた が,気 にせず食 す叫 が で きれ ば 榊 L J t鵜 / Zとなれ る.

写文 5 李早良と日輪学生達

1 日 はL 蛙 u ) 帥 允では .箸や器 か ら食材 一つ 一つ に

1 4 9 至 るまで韓国の風 土 と共 に生 きて きた知恵 が どの よ

うに生 か されて い るか を.食 べ なが ら学ぶ ことがで き,実 に有意義 で あ った .韓 国 の生活 文化 に対す る 誇 りと,それ を 日本 の若者達 に伝 えた い とい う熱 意 が伝 わ って きた,高度経 済成 長 一核 家族化 一食 の欧 米化 とい う流れ の 中で 日本 の食 卓 が捨 てて きて しま った ものが ここでは生 きていた.

5. 交流事 業の成果

4 日間の交流事業 を通 じて得 た もの,得 つ つあ る もの は多様 であ る.個 人 と しての もの ,組織 間の も の な どそれ ぞれ が異 な る ここでは一般 の観 光旅行

とは一味違 う, 日韓学 生 の車座 トー ク, 日本 へ帰 っ てか らも続 いてい るメ ール に よるや りと りの 中か ら, 少 しず つ現れ始 めて い る成果 を紹介す る.

(1)参加 学生の感 想 文 か ら

学生 達 は,天安 工業大学 内の施設 見学 の途 中辺 り か ら.互 いに カ タ コ トの英 語 を媒介 と して コ ミュニ ケーシ ョンを とるよ うに な った .その後 の民族村 で は, 日本 にあ る ものや 風習 のル ーツや 共通点,差 異 な どでまたお互 いに説 明 し合 い,急速 に交流 を深 め てい った ,宿舎 に着 く と一部 屋 に集 ま り,互 いの学 生生活や 興味の対 象等 につ いて語 り合 い,盛 り上が った よ うだ.そ して 3 日目,戦争 の話題 にな った . 韓国 では先述の よ うに兵役 の義務 が あ るた め,一 旦兵役 を務 めて大学 に復帰す る もの も多い.学 生会 長 の全君 も兵役 を済 ませ て復 帰 してお り.そ う した 学 生達 は 25 歳 〜26 歳 に達 して い る. 日本 の学 生 達 も彼等 か ら u 竹 筋 の過 った礼儀 正 しさ ・喋 々 しさ . リー^ /‑ シ ップ等 を感 じ取 って い る.以 下 に,学生 が描 いた蛾仏 文の 一郎 をその ま ま紹介す る

『打にか りて い る ネ ム プ レー トに話 が及 ぶ と.

彼 らの

l

いU)一 人がその プ レー トを 口に縦 には さみ , あ ご と州 を r

'I・fi

T

:

・ ‑ で挟 み ,押 しつぶす よ うな動作 を し た . 私 た ち け 何 の 町か全 く分 か らず アホ面丸出 しで い る と,彼 らは松国語 ,英語 , 日本語 を混ぜ なが ら

‑ご に 懸 命 規 明 して くれ た .その部屋 に集 まった長 野

榔i . r i の牛 ! 1 こ 全ての 知能 を集結 した結果 ,み んなの 言

いたい叫 は ( 恐 らく) 次 の よ うな串 だ ろ とい うこ と

にな った .r 兵隊は 自分 が死 ぬ呼 が分 か る と,最期 の

メ )をふ り しぼ って ネー ム プ レー トを前歯 に くい込 ま

せ る.そ うしない と肉体 が朽 ち果 てた とき,だれ の

骨 か分 か らな くな って しま うか らだ . 」苦労 して会 話

が通 じた とい う事 に感 動 した反 面,戦争 は,韓 国の

学生達 に とって身 近 な ものだ , とい うこ とに シ ョッ

クを受 けた.軍 隊での仕 事 の大半 は飛行機や 設備 の

メンテナ ンスだ とい って いたが,命 令 次第では搬場

(8)

に行 くこ ともあ る.一生離れ離れ にな って しま う恋 人 た ち もい る.戦争 の恐 ろ しさも,厳 しさも何 も知 らず にの ほほん と生 きてい る 自分達が少 し恥ず か し くなった.何 も知 らない子供達が,同 じ過 ちを繰 り 返 さない と言 えるだ ろ うか. 日本 は平和教 育の国だ とはいえ,平和 に しがみついて何 も見 えないフ リを してい るよ うな気 が した.戦争記念館 を見学 した後 だ ったせ い もあ り, 日本 は <戦争 >, <平和 で豊な こ と>の意味 につ いて考 え直す 時期 なん じゃないか.

と私 の心 はモヤモ ヤ していた. 』

新 しい時代 に相応 しい交流 と貢献 の有 り方が求め られ てい る.

(2 ) メール が開 く日韓新時代

ホテル の部屋 で,言葉の大半は分か らぬまま KB S 等のニ ュースを見ている と,各地の水害のニ ュー スに混 じって 「 小 泉総理 」 「 閣僚参拝 」 「 靖国神社境 内の大 日本帝 国軍 人姿 の一団」が,毎回セ ッ トで映 し出 され る.一方 , 日本 の BS の番組 も, 当然 の事 なが ら 日本語 でそのまま見 る事がで きる.同 じホテ ル の別 の一室では同時刻 日韓 の学生達 が ぎ ゅ うぎゅ う詰 めになって,徹夜 トークを していた.今で もメ デ ィアの持つ力の大 き さや役割 は変 わ らないが,い つ の時代 も何処 の国で も,学 生達は 自分達の感性で 嘘 と誠 を見極 め よ うとす るものなのだ ろ う.そ して 彼 等 はお互 いの メール ア ドレスを交換 し , 「これ か ら が始 ま りなのだ」 と約 束 した.

日本 に帰 って一週 間程た って,何人かに メールが 届 いた.「 交流会 が楽 しかった.忘れ られ ない.早 く また会 いたい. 」 そんな内容 の ものが多い中 , 「 今 ま での 日本 に対す る考 え方 を改 めてみ よ うと思 う.」と い う男子学生 の ものがあった.

正直 な ところ筆者 ら教官 は一歩遅れ を とって しま った感 を否 めないが, こ うした学生達 の交流 を支援 す る方法 は幾通 りもあろ う.芽が出始 めた今 を逃す と,また‑か らにな って しま う.学校 と して こ うし た学生達 の 自主的 かつ継続的 な取 り組 み‑支援 の手 を差 し伸 べ る事 は,国際化時代の教育実践 として大 きな意義 を認 め られ る.交流事業に携 わ った者 とし てで きる事か ら支援 してい こ うと考 えてい る.

6. まとめ

日韓両国の政府 間 に極度 な緊張がある状況下で, 本校 と韓 国天安 工業大学 との第 4回交流事業が,き わめて友好的 に実施 され ,大 きな成果 を得た こ とを 報告 した.

事前学習 を強化 した背景 には,不穏 な両国間の事 態 を深刻 に受 け止 めた事実が あったが,結果的 には 両校 の学術交流事業 に とっては手 己菱 に過 ぎなか った.

しか し,その準備期 間での活動が,訪 問団の構成員 に とって韓国の理解 に大 いに役立 った ことはい うま で もない.

学生たちは,筆者 らの予想 を超 えた交流活動 を し て くれた . これ らは,学生個 人の大 きな糧 とな るこ とは もちろんであるが,両校 の太 い梓 にな る点 で も 異論 の無 い ところで あろ う.今 回の成果 を, さらに 次回‑の交流事業 に生か してい くことが必要で ある.

今回の交流事業実施 を省み て,改めて天安工業大 学の学長 は じめ教職員 の皆様 と学生諸君に深謝 申 し 上げ る.通訳のみな らず韓 国事情 の全体に渡 って指 導いただ いた渋谷高子 先生 に も感 謝の意 を表す るも ので ある.また,計画推進 に 当たっては, 浅黄谷前 校長 ,城所事務部長 をは じめ とす る運営会議の メン バー に的確 な ご示唆 をいただいた.着任早 々の鈴木 校長 には,訪韓決断 に当た って寛容で明確 な ご指示 を賜 った. さらに,天安 工業大学 との事務的な折衝 には寺島教務係長 の ご尽 力が心強 かった.あわせて 感謝 申 し上げる次第 である.

最後 に, この事業の実施 に当た っては,本校後援 会及び本校 同窓会か ら物心両面での ご援助 を賜 った.

心か ら御 礼 を申 し上げて,報告 を閉 じさせ ていただ く.

参 考 文 献

1 ) 山本行雄他 : 天安工業専門大学 との国際交流報告こ 長 野 工 業 高 等 専 門 学 校 紀 要 第 31 号 ( 1 997. 1 2 ) pp. 1 97・ 204

2 ) 天安 工業大学 :学校要覧 2001( 2001 . 5)

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