含まれる「われわれ」と排除する「わたしたち」(
シンポジウム 世界のなかの「わたし」と「われわ れ」)
著者 中村 忠男
雑誌名 東西南北
巻 1995
ページ 35‑45
発行年 1996‑01‑15
URL http://id.nii.ac.jp/1073/00003900/
含 ま れ る
﹁ わ れ わ れ ﹂ と 排 除 す る ﹁ わ た し た ち ﹂
中 村 忠 男
⑨ 芸 術 学 科 講 師
やはり私も︑世界におりる﹁わたし﹂と﹁われわれ﹂
といった非常に大きなテ l マ︑ある意味で多層的に取
れるテ l マを与えられて非常に当惑していると言わざ
るを得ません︒ですから︑何を話そうか︑いろいろ迷
ってしまうのですが︑たまたま最近読み直していた本
がありまして︑その冒頭の言葉が何となくこの主題に
合うのではないかと思いますので︑そこから話を始め
させていただきます︒
その言葉というのは︑﹁わた︿しがこれから語りたい
と思うのは︑わたしたちというものが行う他者の発見
である﹂というものです︒これはフランスの記号論研
究者であるツベタン・トドロフという人が︑十六世紀
におけるアメリカの発見というものについて書いた本
で︑その翻訳が出ています︒[注]先ほどリケット先生 が︑アメリカにおりる民族の問題と日本の問題を比較 されていましたけれ E も︑それ以前︑要するに WAS P な E が登場する以前ですね︑スペイン人たちが E の
ようにしてアメリカ t いう新大陸を発見し︑それを征
服してきたのか︒それを分析した本であります︒これ
については僕は専門でないので語るわりにはいかない
のですが︑ただ一つ非常におもしろいなと思ったこと
が あ
る ん
で す
︒
その本の中に︑スペインによる征服は非常に大きな
謎であるとして︑いろいろな説が出ているのです︒征
服者であるコルテスがたかだか数百人のスペインの騎
兵と歩兵を連れて行って︑それによって数十万人の兵
隊を擁していた当時のメキシコにある王国︑モクテス
マという王様がいたのですが︑その王国を電撃的に征
注 ・
ツ ヴ
ェ タ
ン ・
ト ド
ロ フ
普
﹃ 他 者 の 記 号 学 l
ア メ
p カ大 陸の征服﹄法政大学出版局︑ 1986 年 ︒
3 ラ一一一一合まれる『われわれ J l:排除する「わたしたち J
服して︑それを支配してしまった︒一体 E うしてそう
いう事態が起きたのだろうか︒少なくとも軍事的に考
えると数百人対数十万人では勝負にならない︒あるい
はゲリラ戦を行うにしても︑攻め込む側が数百人では︑
常識的に考えて一体 E うやって勝利できたのか︒これ
についてはさまざまな説が歴史学のほうでは出ている
そ う
で す
︒
この中でトドロフが分析しているのは︑今までの経
済的︑社会的な視点とは別に︑記号の問題︑あるいは
情報の問題から見たら E ういう解釈ができるだろうか
というような新しい視点です︒いろんな錯綜した話が
あるわけですげれども︑簡単にまとめてしまうと︑当
時のスペイン人たちが持っていた︑あるいは行ってい
たコミュニケーションの形態と︑その時代のメキシコ
の人間のコミュニケーションの形態︑この二つの形態
が全くずれていたということなのです︒そこにさまざ
まな行き違いだとか︑対立︑衝突というものが生まれ
るわけですが︑スペインは非常に有利にそのずれを使
っていったのではないか︒つまりコルテスという人が
天才的にこの二つのコミュニケーションの形のずれを
利用して︑一種の情報戦略によって勝利したのではな
いかという︑一つの見方を出しております︒
こ れ
が E こまで妥当するのかどうか︑私はアメリカ
史の専門てないのでわかりませんけれ E も︑一つ︑見 方としておもしろいなと思ったのは︑この二つのコミ ュニケーションの違いということです︒その中で︑僕 の専門は南インドで︑同じインディオでも全く違うイ ンド人ですから︑かなり話は違うんですけれ E も︑で
もそ︑﹄になにか共通するものがあるように思います︒
トドロフは︑人間が他者とコミユケ l ションをとる場
合に三つの異なる形があるだろうということを挙げて
います︒第一は︑人間と自然のコミュニケーション︑
第二は︑僕らが自然に行っている︑人聞と人聞のコミ
ュニケーション︑そして第三は︑人聞と︑広い意味で
の世界︑あるいは宇宙とのコミュケ 1
シ ョ
ン で
す ︒
我 々
にとって︑現代の日本人︑あるいはその当時のスペイ
ン人︑あるいはその当時のメキシコのさまざまな部族
の人々︑この三者を取り上げても︑今の三つの形のコ
ミ ュ
ケ
l ションをとっていないということはないわけ
です︒もちろん僕らも何らかの形で宇宙といいますか︑
世界との交信というか交流を行っているわりですね︒
ですから︑この三つの形が︑必ずしもどちらがどちら
であると言うのではありません︒
ただし︑文化の形によって︑その三つあるコミュケ
l ションのどれが非常に重要視されているか︑この点
においては大きな差があるのではないかということで
す︒その点で︑当時のモクテスマという王様によって
支配されていた帝国︑アステカではないらしいのです
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が︑こういった社会においてはむしろ人閲対人間のコ
ミ ユ
ケ
l ションよりも︑圧倒的に人間対世界とのコミ
ュニケーションのほうが重視されていた︑というのが
トドロフの解釈です︒それはどういうことかというと︑
アステカの人々が基本的な物事を解釈したり︑あるい
は人々が付き合ってい︿上で非常に重要だったのは︑
予言とか前兆︑そういったものを E う読むかだったの
です︒少なくともその前兆や予言といったものをなし
得る基礎として︑周期的に︑例えば二十年なら二十年︑
一世紀よりも短い周期で反復して︿る世界︑そういっ
た積み重ねの中で︑これから起こることが過去によっ
て決定される︒従って未来を読むためには過去を探っ
ていかなければい付ない︒あるいは︑現在何らかの事
業を行うに当たっては︑過去を調べてみなければいけ
ない︒そういった形で︑すべて過去の世界と現在の世
界とのつながりにおいて現在が構成されるというふう
なことが言えるらしいんですね︒
そう考えていくと︑スペイン人という︑今まで見た
ことのない白い人間が︑馬という僕らは馬と知ってい
ますけれ E もアメリカでは全︿見たことのなかった乗
り物︑あるいは悪魔と言ってもいいのかもしれないよ
うな︑名状しがたいものに乗って攻めて︿るという新
たな事態が生まれたときに︑それを.どういうふうに解
釈すればいいのだろうか︒残念なことにそういった事 態はそれまでの現地の文化の中には︑あるいは歴史の 中には起こらなかった︒そのときに出てきてしまった のが一つの当惑だというふうに彼は言っています︒つ まり︑現在起きていることを即興的に解釈しながら進 んでいく社会ではなく︑過去に判例を探してい︿よう な社会では︑新たな事態に対処できないわりなのです︒ t ころが︑一方のスペイン人の社会においては︑む
しろ人間対人間のコミユユケ l ションのほうが極めて
重要な意味を持っている︒もちろんこれはヨーロッパ
でも︑十六世紀の初頭︑あるいは十五世紀の後半あた
りでは︑まだまだ中世的な人間対世界︑つまりキリス
ト教中心主義的な世界観というのは非常に大きな意味
を持っていたわけですから︑必ずしも第二のタイプ︑
人間対人間のコミュニケーションだけが行われたわけ
ではないのですが︑コルテスというのはその辺のとこ
ろに長けていて︑当惑しているメキシコ人たちをうま
く情報操作して︑数少ない兵隊をあたかも大軍に見せ
かけた︒そういった操作を行ってい︿ことによって︑
戦いを有利に進めていったんだというふうに解釈して
い る
わ け
で す
︒
ヨーロッパというのは︑それ以降︑むしろ新大陸と
の出会いにおいて︑つまり他者を見つ付ることによっ
て自己をだんだんと確立していった︒逆に言って︑そ
のプロセスの中では人間対人間の闘争的な関係のみが
37 一一一一含まれる「われわれ J l:排除する『わたしたちj
重視され︑世界と人聞とのかかわりが非常に抑圧され︑
失われていく傾向にあったんだというふうに彼は書い
て お
り ま
す ︒
実際にそれが E こまで当たっているのかよ︿わから
ないんですけれ E も︑ただ︑この話を読んでみておも
しろいなと思ったのは︑フィールドに出ている人類学
者一般のメタファーとして考えるとよくわかるような
気 が す る ん で す ︒ E ういうことかというと︑私はたま
たま専門が南インドですけれ E も︑南インドというの
は︑僕らの社会あるいは文化とは極めてかけ離れてい
ます︒あるいは︑つながりはあるにしても︑我々が忘
れているようなはるか過去の世界︑あるいは経済的な
世界ではつながっていますけれ E も︑日常暮らしてい
る上ではあまり意識しなくてもいい世界です︒そうい
ったつながりのない世界に出かけていって︑その現地
で︑現地の文化を考える︒とりわけ僕の場合は︑今南
インドで行われているアイヤッパンという神様の巡礼
を研究しているんです︒ですから︑この場合でいくと︑
私はそこに参加していて︑現地の人々がアイヤッパン
という神様と E のように交流しているのか︑彼らにお
ける人間対世界のコミュユケ l ションのあり方を理解
するということになるわけです︒もちろん僕の場合は
その神様を信仰しているわけではないので︑彼らと同
じコミュニケーションの形にうま︿はまっていくこと はできません︒むしろ同じ神様を信仰するという行為 を共有できない人聞と︑信仰している人聞とのずれの 中で︑初めて何らかの﹁わたし﹂とは違う他者の姿が 見えてくるんだろうというふうに考えて調査している わけです︒ですから︑巧みにコミュニケーションのず れを利用していく︒戦術的に︑即興的にそれを利用し ていくということを行っているわけです︒
ただし︑一つだりそこには大きな問題があるだろう
と思います︒それはコルテスと当時のメキシコ人との
関係に少し似ているのかもしれません︒一方でコルテ
スは情報操作を使いながら︑その後︑ヨーロッパ史の
中でもない寸らいの大虐殺を行うんです︒我々人類学
者は︑まさか現地に行って土地の人を殺して帰って︿
ることはあり得ないわけですから︑現代の人類学者は
非常にイノセントであると言えるのですが︑ただ︑比
較して考えてみた場合︑ある部分では似ているんです
ね︒それは︑そこで出会って︑お互いずれの中で生き
ているということです︒私と彼らの中で︑どちらがそ
のずれについて語るのかという問題があります︒イン
ドの人間と出会って︑ずれが生まれてきたときに︑そ
のずれを測定して︑つまり︑どういうずれなのかという
ことを測定し︑今まで積み重ねてきた知識に基づいて
そのずれを解釈して︑それについて語るのは人類学者
の側なんですね︒現地の人聞は逆に言って︑日本人の
3 8
人類学者と出会ったことによって︑日本文化について
理解し︑それについて例えばこういうシンポジウムの
場で語るということはない︒やはりそこでは情報の流
れが一方的なわけです︒
ですから︑その点を考えてみると︑なぜ十六世紀の
スペイン人とメキシコ人との交流がわかるかといえば︑
その言葉を残しているのはスペイン人なんですね︒で
インド
すから先ほ E のトドロフのような分析が成り立ち得る
のは︑一方的に語っているスペイン人の言葉︑その中
において初めて成立するのだと言えるかもしれません︒
そういう点では︑我々もそれは E イノセントな︑脳天
気な存在ではいられない問題というのがあるのかなと
いうふうに考えています︒
ところでこのことから考えて︑もう一つ自由連想を
してみました︒現地におりるこういった人類学者の.状
況というのは︑タミル語の言葉でうまくあらわせるか
もしれないと思ったわりです︒下手な地図を描いてみ
ます︒大体ここのところにコロンポがある︒僕が調査
地として選んだのは南インドの非常に限られた一角で︑
タミルナ l ドゥ州という州です︒ここでしゃペられて
いる言葉というのは︑皆さんインドというとヒンドゥ
!語を思い浮かべると思いますけれ E も︑インドの州
の構成は言語によって分けられています︒ですから︑
このタミルナ l ドゥでしゃべられている言葉としてあ
るのがタミル語という言葉なんです︒この言葉はヒン
ド ゥ
l 語と違って︑英語やフランス語とつながるいわ
ゆるインド・ヨーロッパ語族という一つの大きな言語
のかたまりに属する言葉ではな︿て︑ドラヴィダ語族
という大きな言語のかたまりに属しています︒ですか
らかなり北のほうのインドの諸言語とは︑シンタック
スの面でも︑語葉の面でも違いが見られるわげです︒
39 一一一一合まれる『われわれ J c 排除する「わたしたち J
話はもとに一民りますけれ E も︑このシンポジウムで
は三年前からずっと人称代名詞にこだわってきたとい
うことで︑ここで僕もタミル語の人称代名詞を少し考
えてみました︒人称代名詞のレベルで特殊な要素が何
かあるだろうかと考えたからです︒きょうは鈴木勤介
先生がいらっしゃいますから︑世界の他の言語とどう
違うのか︑後で教えていただきたいのですが︑僕は現
地へ行って最初にタミル語と触れたときに驚いたこと
があります︒それはきょうのテ l マでもある﹁わたし
たち﹂という言葉が︑二つあることなんです︒
﹁ ナ
l ンガル﹂という言葉と︑もう一つは﹁ナ 1
ム ﹂
という言葉があるのです︒この二つの言葉の違いとい
うのは︑どちらも一人称複数形の﹁わたしたち﹂とい
うものを示すんですけれ E
も ︑
﹁ ナ
l ンガル﹂という言
葉のほうは︑しゃべっている﹁わたし﹂と︑それから︑
しゃべりかけられている﹁あなた﹂がいた場合に︑し
ゃべっている﹁わたし﹂と︑その﹁わたし﹂が帰属し
ている文化や社会の人々︑あるいは地域や家族︑そう
いった人々を指す﹁わたしたち﹂なのです︒したがっ
て︑その中には話しかけている相手である﹁あなた﹂
あるいは対話相手は含まれていません︒一方の﹁ナ l
ム﹂という言葉のほうは︑これは僕らが使っている﹁わ
たしたち﹂に近いのです︒しゃべっている人聞と話し
かけられている皆さんとを含み込んだ﹁わたちしたち﹂
な ん
で す
︒
現実問題としてはこの二つの言葉に分けて︑﹁わたし
たち﹂の概念の違いが浮き立つようなコンテキストは
ありませんでした︒この辺については︑その意味が明
確に異なってコミユケ l ションの形がずれてしまう︑
あるいは理解できなくなってしまうといった事態は残
念なことになかったわけです︒ただし︑最初にこのこ
とに触れた t きに非常にびっくりしたわりです︒﹁わた
したち﹂というのが︑しゃべりかけられている人聞を
含んでいるのか︑いないのか︒この辺のことは日本語
のレベルでは考えたことがなかったわりです︒
では一体 E ういう場合に︑含む﹁わたしたち﹂と︑
対話相手を排除した﹁わたしたち﹂の違いが出ている
のか︒先ほ E の人類学者一般のフィールドにおりる活
動と︑帰ってきてからの活動を考えた場合︑﹁われわれ﹂
という言葉で語るとき︑ E ういう意味で﹁われわれ﹂
という言葉を︑例えば私︑あるいはほかの発表者の方々
が世界というものの中にいて語るのか︒その場合︑ E
ういう違いがあるのか︑よ︿わからなくなってしまう
ん で
す ︒
例えば現場において調査をしている場合︑一般的に
僕らはこうこう︑こうですよねと言った場合には︑﹁ナ
l ム﹂という言葉を使うわけです︒ですから︑しゃべ
りかけている相手︑対話をしている相手であるタミル
4 0
人と︑そこの中で︑少なくとも対話を行うという行為
の中で︑﹁わたしたち﹂が成立している︒で︑その対話
した内容について︑タミル人とこういう会話をしたよ︑
タミル人というのはこういうふうにものを考えている
よ︑と言ってだれかに語る場合︑﹁でもわれわれはね﹂
と言った場合︑例えば﹁われわれとは違うよね﹂と言 った場合︑そこでは当然にタミル人は排除されている わけですね︒あ︿までもそれは日本人を指した﹁われ われ﹂なんです︒もちろんこの二つの状況というのは 全く違う次元で︑時間的にも違う軸で行われているわ けですから︑この点では別に不可思議でも何でもあり
ま せ
ん ︒
では︑それをきっちり人称代名詞の次元で分けて考
えてみた場合︑げとういう世界が見えて︿るのだろうか︒
ちょっとこれを考えると︑自分の頭の中がこんがらか
ってしまうような気がしますね︒そういった﹁わたし﹂
であるとか﹁わたしたち﹂といったものが対話の中で のみ構成されている世界ではなく︑対話についての対
話︑そういったものの中でずれが出てきた場合に︑﹁わ
れわれ﹂という言葉で安易に私以外の者を表象したり︑
それから代行してしまうことの危険性というのは︑恐 らくこれは
E
んな民族問題であろうと︑あるいは私た ちが日常ほかの人々と対話する場合︑非常に重要な問
題なのではないか︑そういう気がしてしまうわけです︒
とりわけこのことについて︑あまり配慮せずに何と なく現場にいると︑そういった概念のずれによる不意 打ち︑あるいは仕返しを︑喰らうこ
t
がよ︿あるんで す︒現場では多くの当惑に見舞われて︑考え込んでし
まう場合があるんです︒
ふりが長︿なってしまいましたが︑きょうは︑その 中の一っとして︑非常に当惑してしまった経験をお話 したいと思います︒これについては一応人類学的な解 釈もあるんですけれども︑でもその解釈を超えて
E う
にもよく意味がわからない出来事としてあるのです︒
まだ留学したてのころで︑現地の言葉もまだそれは
E できなくて︑ようやく日常会話では不自由しない︑
本も多少読めるようになった︑というある日のことで す︒大学から買い物に出かりようとしたんですね︒大 学の広いキャンパスで︑人がいないところをずうっと
歩いていって︑校門のところに大きい通りがあります︒
そこからパスに乗るペ︿︑一人とぼとぼとお畳﹁らい
に歩いていたら︑守衛のおじさんがやってきました︒
守衡のおじさんは顔見知りですから多少は話をしたこ とがありますが︑私はまだタミル語が十全ではありま せんから︑あまり突っ込んだ会話はできません︒です から﹁こんにちは﹂とか﹁
E
こから来ました﹂という こと﹁らいしかしゃべれなかった︒彼は︑僕が日本か ら来たということは前の会話で知っています︒その守
4 1 一一一ー含まれる f われわれ J l:排除する「わたしたち J
衛のおじさんが声をかりできて︑﹁おまえの国は
E こ
だ﹂というふうに聞いたんです︒僕としては前に何度 も言っていることですから︑何で改めて自分の出身国
を聞かれたのかわからなかったんです︒
この辺がやっかいな話なんですが︑﹁君のウ l ルは何
かね﹂というふうに聞いたわけです︒﹁ウール﹂という
言葉は︑日常的な会話の中では村とか生まれたところ
t
いう意味があるんです︒ですから︑この場合︑例え ば僕が外国人で︑タミル人に︑おまえのウ!ルは
E こ
だねと聞かれたら︑それは君の生まれた国あるいは国 籍は何かと聞かれているわけです︒したがって僕とし てはジャパンだというふうに答えるわけですね︒とこ ろがやっかいなことに︑この﹁ウ
l ル﹂というタミル
語は非常に多義的な意味を持っている語葉なんです︒
しかもその多義性というのが文脈によって常に変わる ものであって︑かなり文脈依存的な多元決定によって
意味がようやく見えてくる言葉なんです︒ E ういうこ t
かというと︑一つには︑生まれた土地
だとか︑住んでいる村という意味があります︒もう一
つの意味として︑ちょっと面倒︿さい言い方をします
けれ E
も︑ある特定の時点で︑認知の次元で自分を方 向づけている領域だという定義があるんです︒難しい 言い方になりますが︑例えば日本人だと︑だれか知っ
ている人が歩いていると︑﹁おい︑ E こへ行︿んだ﹂と いうふうに聞きますね︒英語で言うと﹁巧
F O
R m
司
0
3 z
問︒宮聞こといった形になるわけです︒これをタミル語で
直 訳 す る と
﹁ イ ェ ン ガ ポ ー リ ン グ ラ
l ﹂となります︒
つまり︑﹁巧
v o S ω
﹃