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シンポジウム 世界のなかの「わたし」と「われわ れ」)

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含まれる「われわれ」と排除する「わたしたち」(

シンポジウム 世界のなかの「わたし」と「われわ れ」)

著者 中村 忠男

雑誌名 東西南北

巻 1995

ページ 35‑45

発行年 1996‑01‑15

URL http://id.nii.ac.jp/1073/00003900/

(2)

含 ま れ る

﹁ わ れ わ れ ﹂ と 排 除 す る ﹁ わ た し た ち ﹂

中 村 忠 男

⑨ 芸 術 学 科 講 師

やはり私も︑世界におりる﹁わたし﹂と﹁われわれ﹂

といった非常に大きなテ l マ︑ある意味で多層的に取

れるテ l マを与えられて非常に当惑していると言わざ

るを得ません︒ですから︑何を話そうか︑いろいろ迷

ってしまうのですが︑たまたま最近読み直していた本

がありまして︑その冒頭の言葉が何となくこの主題に

合うのではないかと思いますので︑そこから話を始め

させていただきます︒

その言葉というのは︑﹁わた︿しがこれから語りたい

と思うのは︑わたしたちというものが行う他者の発見

である﹂というものです︒これはフランスの記号論研

究者であるツベタン・トドロフという人が︑十六世紀

におけるアメリカの発見というものについて書いた本

で︑その翻訳が出ています︒[注]先ほどリケット先生 が︑アメリカにおりる民族の問題と日本の問題を比較 されていましたけれ E も︑それ以前︑要するに WAS P な E が登場する以前ですね︑スペイン人たちが E の

ようにしてアメリカ t いう新大陸を発見し︑それを征

服してきたのか︒それを分析した本であります︒これ

については僕は専門でないので語るわりにはいかない

のですが︑ただ一つ非常におもしろいなと思ったこと

が あ

る ん

で す

その本の中に︑スペインによる征服は非常に大きな

謎であるとして︑いろいろな説が出ているのです︒征

服者であるコルテスがたかだか数百人のスペインの騎

兵と歩兵を連れて行って︑それによって数十万人の兵

隊を擁していた当時のメキシコにある王国︑モクテス

マという王様がいたのですが︑その王国を電撃的に征

注 ・

ツ ヴ

ェ タ

ン ・

ト ド

ロ フ

﹃ 他 者 の 記 号 学 l

ア メ

p カ大 陸の征服﹄法政大学出版局︑ 1986 年 ︒

3 ラ一一一一合まれる『われわれ J l:排除する「わたしたち J

(3)

服して︑それを支配してしまった︒一体 E うしてそう

いう事態が起きたのだろうか︒少なくとも軍事的に考

えると数百人対数十万人では勝負にならない︒あるい

はゲリラ戦を行うにしても︑攻め込む側が数百人では︑

常識的に考えて一体 E うやって勝利できたのか︒これ

についてはさまざまな説が歴史学のほうでは出ている

そ う

で す

この中でトドロフが分析しているのは︑今までの経

済的︑社会的な視点とは別に︑記号の問題︑あるいは

情報の問題から見たら E ういう解釈ができるだろうか

というような新しい視点です︒いろんな錯綜した話が

あるわけですげれども︑簡単にまとめてしまうと︑当

時のスペイン人たちが持っていた︑あるいは行ってい

たコミュニケーションの形態と︑その時代のメキシコ

の人間のコミュニケーションの形態︑この二つの形態

が全くずれていたということなのです︒そこにさまざ

まな行き違いだとか︑対立︑衝突というものが生まれ

るわけですが︑スペインは非常に有利にそのずれを使

っていったのではないか︒つまりコルテスという人が

天才的にこの二つのコミュニケーションの形のずれを

利用して︑一種の情報戦略によって勝利したのではな

いかという︑一つの見方を出しております︒

こ れ

が E こまで妥当するのかどうか︑私はアメリカ

史の専門てないのでわかりませんけれ E も︑一つ︑見 方としておもしろいなと思ったのは︑この二つのコミ ュニケーションの違いということです︒その中で︑僕 の専門は南インドで︑同じインディオでも全く違うイ ンド人ですから︑かなり話は違うんですけれ E も︑で

もそ︑﹄になにか共通するものがあるように思います︒

トドロフは︑人間が他者とコミユケ l ションをとる場

合に三つの異なる形があるだろうということを挙げて

います︒第一は︑人間と自然のコミュニケーション︑

第二は︑僕らが自然に行っている︑人聞と人聞のコミ

ュニケーション︑そして第三は︑人聞と︑広い意味で

の世界︑あるいは宇宙とのコミュケ 1

シ ョ

ン で

す ︒

我 々

にとって︑現代の日本人︑あるいはその当時のスペイ

ン人︑あるいはその当時のメキシコのさまざまな部族

の人々︑この三者を取り上げても︑今の三つの形のコ

ミ ュ

l ションをとっていないということはないわけ

です︒もちろん僕らも何らかの形で宇宙といいますか︑

世界との交信というか交流を行っているわりですね︒

ですから︑この三つの形が︑必ずしもどちらがどちら

であると言うのではありません︒

ただし︑文化の形によって︑その三つあるコミュケ

l ションのどれが非常に重要視されているか︑この点

においては大きな差があるのではないかということで

す︒その点で︑当時のモクテスマという王様によって

支配されていた帝国︑アステカではないらしいのです

36 

(4)

が︑こういった社会においてはむしろ人閲対人間のコ

ミ ユ

l ションよりも︑圧倒的に人間対世界とのコミ

ュニケーションのほうが重視されていた︑というのが

トドロフの解釈です︒それはどういうことかというと︑

アステカの人々が基本的な物事を解釈したり︑あるい

は人々が付き合ってい︿上で非常に重要だったのは︑

予言とか前兆︑そういったものを E う読むかだったの

です︒少なくともその前兆や予言といったものをなし

得る基礎として︑周期的に︑例えば二十年なら二十年︑

一世紀よりも短い周期で反復して︿る世界︑そういっ

た積み重ねの中で︑これから起こることが過去によっ

て決定される︒従って未来を読むためには過去を探っ

ていかなければい付ない︒あるいは︑現在何らかの事

業を行うに当たっては︑過去を調べてみなければいけ

ない︒そういった形で︑すべて過去の世界と現在の世

界とのつながりにおいて現在が構成されるというふう

なことが言えるらしいんですね︒

そう考えていくと︑スペイン人という︑今まで見た

ことのない白い人間が︑馬という僕らは馬と知ってい

ますけれ E もアメリカでは全︿見たことのなかった乗

り物︑あるいは悪魔と言ってもいいのかもしれないよ

うな︑名状しがたいものに乗って攻めて︿るという新

たな事態が生まれたときに︑それを.どういうふうに解

釈すればいいのだろうか︒残念なことにそういった事 態はそれまでの現地の文化の中には︑あるいは歴史の 中には起こらなかった︒そのときに出てきてしまった のが一つの当惑だというふうに彼は言っています︒つ まり︑現在起きていることを即興的に解釈しながら進 んでいく社会ではなく︑過去に判例を探してい︿よう な社会では︑新たな事態に対処できないわりなのです︒ t ころが︑一方のスペイン人の社会においては︑む

しろ人間対人間のコミユユケ l ションのほうが極めて

重要な意味を持っている︒もちろんこれはヨーロッパ

でも︑十六世紀の初頭︑あるいは十五世紀の後半あた

りでは︑まだまだ中世的な人間対世界︑つまりキリス

ト教中心主義的な世界観というのは非常に大きな意味

を持っていたわけですから︑必ずしも第二のタイプ︑

人間対人間のコミュニケーションだけが行われたわけ

ではないのですが︑コルテスというのはその辺のとこ

ろに長けていて︑当惑しているメキシコ人たちをうま

く情報操作して︑数少ない兵隊をあたかも大軍に見せ

かけた︒そういった操作を行ってい︿ことによって︑

戦いを有利に進めていったんだというふうに解釈して

い る

わ け

で す

ヨーロッパというのは︑それ以降︑むしろ新大陸と

の出会いにおいて︑つまり他者を見つ付ることによっ

て自己をだんだんと確立していった︒逆に言って︑そ

のプロセスの中では人間対人間の闘争的な関係のみが

37 一一一一含まれる「われわれ J l:排除する『わたしたちj

(5)

重視され︑世界と人聞とのかかわりが非常に抑圧され︑

失われていく傾向にあったんだというふうに彼は書い

て お

り ま

す ︒

実際にそれが E こまで当たっているのかよ︿わから

ないんですけれ E も︑ただ︑この話を読んでみておも

しろいなと思ったのは︑フィールドに出ている人類学

者一般のメタファーとして考えるとよくわかるような

気 が す る ん で す ︒ E ういうことかというと︑私はたま

たま専門が南インドですけれ E も︑南インドというの

は︑僕らの社会あるいは文化とは極めてかけ離れてい

ます︒あるいは︑つながりはあるにしても︑我々が忘

れているようなはるか過去の世界︑あるいは経済的な

世界ではつながっていますけれ E も︑日常暮らしてい

る上ではあまり意識しなくてもいい世界です︒そうい

ったつながりのない世界に出かけていって︑その現地

で︑現地の文化を考える︒とりわけ僕の場合は︑今南

インドで行われているアイヤッパンという神様の巡礼

を研究しているんです︒ですから︑この場合でいくと︑

私はそこに参加していて︑現地の人々がアイヤッパン

という神様と E のように交流しているのか︑彼らにお

ける人間対世界のコミュユケ l ションのあり方を理解

するということになるわけです︒もちろん僕の場合は

その神様を信仰しているわけではないので︑彼らと同

じコミュニケーションの形にうま︿はまっていくこと はできません︒むしろ同じ神様を信仰するという行為 を共有できない人聞と︑信仰している人聞とのずれの 中で︑初めて何らかの﹁わたし﹂とは違う他者の姿が 見えてくるんだろうというふうに考えて調査している わけです︒ですから︑巧みにコミュニケーションのず れを利用していく︒戦術的に︑即興的にそれを利用し ていくということを行っているわけです︒

ただし︑一つだりそこには大きな問題があるだろう

と思います︒それはコルテスと当時のメキシコ人との

関係に少し似ているのかもしれません︒一方でコルテ

スは情報操作を使いながら︑その後︑ヨーロッパ史の

中でもない寸らいの大虐殺を行うんです︒我々人類学

者は︑まさか現地に行って土地の人を殺して帰って︿

ることはあり得ないわけですから︑現代の人類学者は

非常にイノセントであると言えるのですが︑ただ︑比

較して考えてみた場合︑ある部分では似ているんです

ね︒それは︑そこで出会って︑お互いずれの中で生き

ているということです︒私と彼らの中で︑どちらがそ

のずれについて語るのかという問題があります︒イン

ドの人間と出会って︑ずれが生まれてきたときに︑そ

のずれを測定して︑つまり︑どういうずれなのかという

ことを測定し︑今まで積み重ねてきた知識に基づいて

そのずれを解釈して︑それについて語るのは人類学者

の側なんですね︒現地の人聞は逆に言って︑日本人の

3 8 

(6)

人類学者と出会ったことによって︑日本文化について

理解し︑それについて例えばこういうシンポジウムの

場で語るということはない︒やはりそこでは情報の流

れが一方的なわけです︒

ですから︑その点を考えてみると︑なぜ十六世紀の

スペイン人とメキシコ人との交流がわかるかといえば︑

その言葉を残しているのはスペイン人なんですね︒で

インド

すから先ほ E のトドロフのような分析が成り立ち得る

のは︑一方的に語っているスペイン人の言葉︑その中

において初めて成立するのだと言えるかもしれません︒

そういう点では︑我々もそれは E イノセントな︑脳天

気な存在ではいられない問題というのがあるのかなと

いうふうに考えています︒

ところでこのことから考えて︑もう一つ自由連想を

してみました︒現地におりるこういった人類学者の.状

況というのは︑タミル語の言葉でうまくあらわせるか

もしれないと思ったわりです︒下手な地図を描いてみ

ます︒大体ここのところにコロンポがある︒僕が調査

地として選んだのは南インドの非常に限られた一角で︑

タミルナ l ドゥ州という州です︒ここでしゃペられて

いる言葉というのは︑皆さんインドというとヒンドゥ

!語を思い浮かべると思いますけれ E も︑インドの州

の構成は言語によって分けられています︒ですから︑

このタミルナ l ドゥでしゃべられている言葉としてあ

るのがタミル語という言葉なんです︒この言葉はヒン

ド ゥ

l 語と違って︑英語やフランス語とつながるいわ

ゆるインド・ヨーロッパ語族という一つの大きな言語

のかたまりに属する言葉ではな︿て︑ドラヴィダ語族

という大きな言語のかたまりに属しています︒ですか

らかなり北のほうのインドの諸言語とは︑シンタック

スの面でも︑語葉の面でも違いが見られるわげです︒

39 一一一一合まれる『われわれ J c 排除する「わたしたち J

(7)

話はもとに一民りますけれ E も︑このシンポジウムで

は三年前からずっと人称代名詞にこだわってきたとい

うことで︑ここで僕もタミル語の人称代名詞を少し考

えてみました︒人称代名詞のレベルで特殊な要素が何

かあるだろうかと考えたからです︒きょうは鈴木勤介

先生がいらっしゃいますから︑世界の他の言語とどう

違うのか︑後で教えていただきたいのですが︑僕は現

地へ行って最初にタミル語と触れたときに驚いたこと

があります︒それはきょうのテ l マでもある﹁わたし

たち﹂という言葉が︑二つあることなんです︒

﹁ ナ

l ンガル﹂という言葉と︑もう一つは﹁ナ 1

ム ﹂

という言葉があるのです︒この二つの言葉の違いとい

うのは︑どちらも一人称複数形の﹁わたしたち﹂とい

うものを示すんですけれ E

も ︑

﹁ ナ

l ンガル﹂という言

葉のほうは︑しゃべっている﹁わたし﹂と︑それから︑

しゃべりかけられている﹁あなた﹂がいた場合に︑し

ゃべっている﹁わたし﹂と︑その﹁わたし﹂が帰属し

ている文化や社会の人々︑あるいは地域や家族︑そう

いった人々を指す﹁わたしたち﹂なのです︒したがっ

て︑その中には話しかけている相手である﹁あなた﹂

あるいは対話相手は含まれていません︒一方の﹁ナ l

ム﹂という言葉のほうは︑これは僕らが使っている﹁わ

たしたち﹂に近いのです︒しゃべっている人聞と話し

かけられている皆さんとを含み込んだ﹁わたちしたち﹂

な ん

で す

現実問題としてはこの二つの言葉に分けて︑﹁わたし

たち﹂の概念の違いが浮き立つようなコンテキストは

ありませんでした︒この辺については︑その意味が明

確に異なってコミユケ l ションの形がずれてしまう︑

あるいは理解できなくなってしまうといった事態は残

念なことになかったわけです︒ただし︑最初にこのこ

とに触れた t きに非常にびっくりしたわりです︒﹁わた

したち﹂というのが︑しゃべりかけられている人聞を

含んでいるのか︑いないのか︒この辺のことは日本語

のレベルでは考えたことがなかったわりです︒

では一体 E ういう場合に︑含む﹁わたしたち﹂と︑

対話相手を排除した﹁わたしたち﹂の違いが出ている

のか︒先ほ E の人類学者一般のフィールドにおりる活

動と︑帰ってきてからの活動を考えた場合︑﹁われわれ﹂

という言葉で語るとき︑ E ういう意味で﹁われわれ﹂

という言葉を︑例えば私︑あるいはほかの発表者の方々

が世界というものの中にいて語るのか︒その場合︑ E

ういう違いがあるのか︑よ︿わからなくなってしまう

ん で

す ︒

例えば現場において調査をしている場合︑一般的に

僕らはこうこう︑こうですよねと言った場合には︑﹁ナ

l ム﹂という言葉を使うわけです︒ですから︑しゃべ

りかけている相手︑対話をしている相手であるタミル

4

(8)

人と︑そこの中で︑少なくとも対話を行うという行為

の中で︑﹁わたしたち﹂が成立している︒で︑その対話

した内容について︑タミル人とこういう会話をしたよ︑

タミル人というのはこういうふうにものを考えている

よ︑と言ってだれかに語る場合︑﹁でもわれわれはね﹂

と言った場合︑例えば﹁われわれとは違うよね﹂と言 った場合︑そこでは当然にタミル人は排除されている わけですね︒あ︿までもそれは日本人を指した﹁われ われ﹂なんです︒もちろんこの二つの状況というのは 全く違う次元で︑時間的にも違う軸で行われているわ けですから︑この点では別に不可思議でも何でもあり

ま せ

ん ︒

では︑それをきっちり人称代名詞の次元で分けて考

えてみた場合︑げとういう世界が見えて︿るのだろうか︒

ちょっとこれを考えると︑自分の頭の中がこんがらか

ってしまうような気がしますね︒そういった﹁わたし﹂

であるとか﹁わたしたち﹂といったものが対話の中で のみ構成されている世界ではなく︑対話についての対

話︑そういったものの中でずれが出てきた場合に︑﹁わ

れわれ﹂という言葉で安易に私以外の者を表象したり︑

それから代行してしまうことの危険性というのは︑恐 らくこれは

E

んな民族問題であろうと︑あるいは私た ちが日常ほかの人々と対話する場合︑非常に重要な問

題なのではないか︑そういう気がしてしまうわけです︒

とりわけこのことについて︑あまり配慮せずに何と なく現場にいると︑そういった概念のずれによる不意 打ち︑あるいは仕返しを︑喰らうこ

t

がよ︿あるんで す︒現場では多くの当惑に見舞われて︑考え込んでし

まう場合があるんです︒

ふりが長︿なってしまいましたが︑きょうは︑その 中の一っとして︑非常に当惑してしまった経験をお話 したいと思います︒これについては一応人類学的な解 釈もあるんですけれども︑でもその解釈を超えて

E う

にもよく意味がわからない出来事としてあるのです︒

まだ留学したてのころで︑現地の言葉もまだそれは

E できなくて︑ようやく日常会話では不自由しない︑

本も多少読めるようになった︑というある日のことで す︒大学から買い物に出かりようとしたんですね︒大 学の広いキャンパスで︑人がいないところをずうっと

歩いていって︑校門のところに大きい通りがあります︒

そこからパスに乗るペ︿︑一人とぼとぼとお畳﹁らい

に歩いていたら︑守衛のおじさんがやってきました︒

守衡のおじさんは顔見知りですから多少は話をしたこ とがありますが︑私はまだタミル語が十全ではありま せんから︑あまり突っ込んだ会話はできません︒です から﹁こんにちは﹂とか﹁

E

こから来ました﹂という こと﹁らいしかしゃべれなかった︒彼は︑僕が日本か ら来たということは前の会話で知っています︒その守

4 1 一一一ー含まれる f われわれ J l:排除する「わたしたち J

(9)

衛のおじさんが声をかりできて︑﹁おまえの国は

E こ

だ﹂というふうに聞いたんです︒僕としては前に何度 も言っていることですから︑何で改めて自分の出身国

を聞かれたのかわからなかったんです︒

この辺がやっかいな話なんですが︑﹁君のウ l ルは何

かね﹂というふうに聞いたわけです︒﹁ウール﹂という

言葉は︑日常的な会話の中では村とか生まれたところ

t

いう意味があるんです︒ですから︑この場合︑例え ば僕が外国人で︑タミル人に︑おまえのウ!ルは

E こ

だねと聞かれたら︑それは君の生まれた国あるいは国 籍は何かと聞かれているわけです︒したがって僕とし てはジャパンだというふうに答えるわけですね︒とこ ろがやっかいなことに︑この﹁ウ

l ル﹂というタミル

語は非常に多義的な意味を持っている語葉なんです︒

しかもその多義性というのが文脈によって常に変わる ものであって︑かなり文脈依存的な多元決定によって

意味がようやく見えてくる言葉なんです︒ E ういうこ t

かというと︑一つには︑生まれた土地

だとか︑住んでいる村という意味があります︒もう一

つの意味として︑ちょっと面倒︿さい言い方をします

けれ E

も︑ある特定の時点で︑認知の次元で自分を方 向づけている領域だという定義があるんです︒難しい 言い方になりますが︑例えば日本人だと︑だれか知っ

ている人が歩いていると︑﹁おい︑ E こへ行︿んだ﹂と いうふうに聞きますね︒英語で言うと﹁巧

F O

R m

0

3 z

問︒宮聞こといった形になるわけです︒これをタミル語で

直 訳 す る と

﹁ イ ェ ン ガ ポ ー リ ン グ ラ

l ﹂となります︒

つまり︑﹁巧

v o S ω

03

ロ問︒吉開とという言葉は直訳

できるわけです︒﹁巧

Z S

﹂に当たる︑あるいは﹁ E

ニ ﹂

に当たる言葉として︑﹁イェンガ﹂という言葉があるん

です︒ところがタミル社会の中では︑どうやらこの﹁イ

エ ン ガ ポ ー リ ン グ ラ

l

﹂というシンタックスは非常

に不吉なものと考えられています︒﹁イェンガ﹂とい

う︑どこかわからないところにあなたが行ってしまう という︑その言葉を発することによって不吉なことが

相手に起︑﹄るかもしれないという考え方があるらしい

んです︒これは私が現地の人に聞いたわけではな︿て︑

言語学の本を読んで知ったことです︒

ですから︑そのかわりに使われる言葉があって︑﹁イ

エンガ﹂という言葉を使わな︿て﹁ウール﹂という言

葉を使うんです︒﹁ウ!ルポーリングラ

l ﹂ と い う ふ

うに言うわりです︒つまり﹁ウール﹂に行︿のかねと︒

この場合は生まれた土地あるいは村に行くのかね

t い

う意味ではないのです︒﹁ウール﹂という E こか︑話し

かけている相手が行く漠然としたどこかについて指し

ている言葉なんです︒恐らくこれが成り立っためには︑

その E こかということは︑聞きかけている人聞が知ら

なければいけません︒例えば小さい村で︑ A さんとい

4

(10)

う人がいる︑ A

さんは公務員だから︑毎朝八時にお役 所に出かける︒それを見ていた

B さんという人が﹁ウ

ー ル ポ ー リ ン グ ラ

1 ﹂と聞けば︑﹁ E

こへ行︿んだ

い ﹂ ︑

B さんは A さんを日常知っていますから︑お役所

へ行くのはわかっているわけです︒ですから﹁ウール

ポーリングラ l ﹂と言っても︑﹁行くんだね﹂とか﹁あ

そこへ行︿のか﹂といったような意味になります︒で

すから︑﹁あそこ﹂とか﹁あっち﹂とか︑非常に漠然と

した場所を指す概念なんです︒

ところが︑これがやっかいなことですが︑日本語だ

って﹁あれ取ってくれ﹂﹁これ取って︿れ﹂﹁あれがそ

うして﹂﹁ああしてくれ﹂というふうに言います︒これ

は日本語の特徴だと言われますけれ

E

も︑どんな言語 でも︑話す相手と聞く相手の関係がはっきりしないと

意味が全くわからない言葉がいっぱいあるわけです︒

この﹁ウール﹂というのは︑恐ら︿タミル語の中でも

非常に重要なそういった言葉なんだろうと思います︒

ですから︑﹁ウール﹂という言葉の意味がわかるために

は︑話す人と︑それから相手について知らなければい けない︒そして︑相手と今しゃべっているという状況

がわかっていなければいけない︒﹁ウール﹂の語義はこ

ういった文脈に依存してできてくるわけです︒

きて︑話をもとに戻します︒おじさんが﹁君のウー

ルは.どこだ﹂と聞くから︑何で日本人だと知っている のに聞くのかなと疑問に思いながら︑私は﹁日本です﹂ と答えます︒それから︑﹁ウールポーリングラ

l

﹂ と

聞く︒今の話は多少知っていたわけで︑この場合は︑

﹁ウール﹂と言った場合︑これから僕はどこへ行くの

かと聞いているんだろうと考えます︒それで︑これか

ら市場に行きますと答えたんです︒これで話は終わり だと私は思って歩きだしたわりです︒そうするとおじ

さんがまた後ろから肩をトントンとたたいて︑﹁おまえ

のウ!ルはどこにあるんだ﹂と問︿んです︒そうする

と E

う答えていいかわからない︒日本人だということ も知っているし︑市場に行︿ということも知っている わりです︒ですから︑何で改めて

E このウールに行く

んだと聞︿のか︑わからない︒

非常に困惑して︑﹁ソンダウ!ルに行くことか﹂と

聞き返します︒﹁ソンダ﹂というのは自分自身のという

意味ですから︑生まれ故郷という意味です︒だから︑

﹁君が聞いているのは僕の生まれ故郷のことか︑それ

とも市場のことか﹂と聞き返したんです︒ところがそ うじゃないと︒そこにほら︑道があるだろうと言うん です︒その道のどちらの方向に君のウ

l ルはあるのか

と聞かれたわけです︒これは非常に困ったことで︑私 たちは日本に住んでいても︑例えば今しゃべっている 土地からどちらの方向に新宿があるのかよくわかりま

せんね︒それが一本の道の E っちに日本があるのかと

4 3 一一一一含まれる「われわれ J e 排除する「わたしたち J

(11)

答えに困るわけです︒市場に行くんだつ

もちろん方向はわかっているわけですが︑おじ

さんは当然そんなことはわかっている︒そうするとそ

の質問の意味もわからないし︑彼が何を考えているの

か も

わ か

ら な

い ︒

そうすると僕としては︑人間対人間のコミユケ 1 シ

ヨンの次元で︑非常に大きなずれの中にはまり込んで

答えに窮してしまうわりです︒そのときに考えればよ

かったのは︑人間対世界とのコミュニケーションにお

い て

E うなのか︑ということだったのでしょう︒つ

まりタミル人にとって︑ある人聞と︑その人聞とつな

がりのある土地︑そういったものとの関係について知

っ て

い た

場 合

E ういうことが言えたのかと︑事後的

に考えてみたんですね︒先ほども言ったように︑﹁ソン

ダウール﹂︑つまり自分自身のウールと言った場合は

出生地を意味するわけです︒これは日本人の場合より

も非常に大きな意味があって︑人間の体だとか︑そう

いった物質︑集団︑植物︑そういったものの共通の実

体というか︑サプスタンスを構成しているものなので

す︒日本人で言うと原子や分子がす﹁頭に浮かぶわけ

ですが︑タミル人の場合は﹁プナム﹂というもの︑サ

ンスクリット語から来ている言葉ですけれ E も︑三つ

の要素に分かれて︑それの配列とか分配様式によって

きまぎまな人間や事物があるわけです︒ 言

わ れ

で も

た ら

類似のことを表すっ ν ャ l ティ﹂という言葉もあり

ま す

︒ ﹁

ジ ャ

l

テ ィ

﹂ は

一 般

に カ

l ストという言葉と誤

解されているんですが︑僕らが言うところのカ l

ス ト

というのは︑いわゆる職業集団︑生まれたときから課

せられている職業集団というふうに一般的には考えら

れています︒ところが﹁ジャ l テ ィ ﹂ と い う 言 葉 は ︑

人間の集団だけではな︿て︑土地であるとか︑動植物︑

それから普通の無生物の事物︑それから人問︑それか

ら 人 間 集 団 ︑ こ れ に 全 部 か か わ る の で す ︒ ﹁ ジ ャ ! テ ィ ﹂

という言葉は︑分別︑あるいは分類といった言葉と同

義 な

の で

す ︒

ですから︑その中では︑人聞と土地や動物や事物が

全部つながって一つのジャ!ティをつ︿っているとい

うふうに考えることができます︒ E ういうことかとい

うと︑ある土地のある物質の構成のバランスがあると

します︒その土地で育ったヤギとか牛︑それから︑そ

こから生えた米であるとか麦といったものは同じ体で

できている︒そこから生まれて︑その動物を食べたり︑

植物を食べたりする人間もやはり同じバランスででき

ているというんですね︒ですから︑その場合︑ウール

といったものは︑単に同じ場所に住んでいる︑あるい

は生まれた場所ということではな︿て︑その土地と同

じ体の構成をしているわけです︒ですから︑その場合

はタミル人のある意味でのパ 1 ソンというのは︑いわ

44 

(12)

ゆる自己中心的なエゴというものとはかなり違って︑

もう少し広い意味︑つまり土地や自然も合めた意味で

の統一体︑それがジャ l ティだというふうに考えられ

る の

だ と

思 い

ま す

だとすると︑ある道があって︑その一本の道に私が

属する土地がつながっていると考えてもおかしくない

わけですね︒つまりインド t 日本は海で離れています

け れ

E も︑同じ地球上にある点ではつながっているわ

けです︒ですから相対的に見ると道の E つ ち か に あ る

のだと︑言えな︿もないわけです︒ただ︑我々の場合

は︑その一本の道の E ちら側にあるのかということよ

りも︑むしろ幾何学的にとらえている部分が大きいん

です︒実際にはそれがどの方向の E ういう角度で︑北

緯何度じ私の生まれた土地があるというのはだれも知

らないわけですが︑大きな漠然とした意味では︑人聞

と世界とのコミユケ l ションといったものが︑幾何学

や地理といった概念によって構成されている︒ですか

ら道の E ちらかに自分の家があるというふうに考える 人聞は日本人の場合はあまりいないということです︒

きて︑こういうふうに考えたら︑最初の話は理解で

きるかもしれないと考えたのですが︑それでも何かよ

︿わからない部分もあります︒話の結論がないのです

が︑幾っかコミユケ l ションのずれはありながら︑そ

のずれ自体を理解できない自分といったものがあるわ

けです︒そのずれを一体︑どういうふうに考えていった

らいいのか︒しかもそれを﹁わたし﹂の問題としてで

はな︿て︑話しながら︑さまざまな次元で違う種類の

人間と行う対話の中で考えたんです︒このことは非常

に重要なのではないだろうか︒ですから︑ここではあ

えて︑先ほ E の話が今の解釈で事足りたということで

はな︿て︑皆さんといっしょに変な話という困惑をと

もに経験していただりれば︑と思います︒こういった

困惑の話は後からもっといっぱい出てくると思います

ので︑きょうはここでとどめておきたいと思います︒

ですから︑結論はありません︒

45 一一一一合まれる「われわれ J と排除する「わたしたち J

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