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ディスカッション(シンポジウム 世界のなかの「わ たし」と「われわれ」)

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(1)

ディスカッション(シンポジウム 世界のなかの「わ たし」と「われわれ」)

著者 岡本 喜裕, 鈴木 勁介, 山田 久, 中村 忠男, 澁谷 利雄, リケット ロバート, 松枝 到, 松永 巌

雑誌名 東西南北

巻 1995

ページ 66‑82

発行年 1996‑01‑15

URL http://id.nii.ac.jp/1073/00003904/

(2)

刊 写 ス カ ッ シ ョ ン

司 会

・ 松 枝 到 た だ 今 か ら デ ィ ス カ ッ シ ョ ン

を始めたいと思います︒

それでは︑この会にずっと関わってこられ

て︑きょうも初めから聞いてくださいました︑

人間関係学科の鈴木勤介先生から最初の口火

を切っていただければと思います︒

鈴 木 人 間 関 係 学 科 の 鈴 木 で す

︒ 最 初 の 口 火 になるかどうか判りませんが︑それぞれの先

生方にお伺いします︒

最初にリケット先生に伺います︒きょうの お話の中でも︑フィリピン︑イラン︑アフリ カアメリカ人︑それから在日韓国の人と︑実 に国際的に知り合いがおられて︑そういう交 流の中で国籍とか市民権︑人種や民族といわ れるものの壁を超えての﹁わたし﹂と﹁われ

われ﹂を知何に考えるかの問題提起だったよ

うに思います︒そういう意味では﹁わたし﹂

と﹁われわれ﹂というのは決して非階層的な 言葉︑没価値的な言葉ではないのだという問

題提起だったと受けとめました︒

ところで︑﹁銭に映されたわたし﹂という問

題がございましたね︒その鋭というのは︑一言

ってみれば支配層というか︑差別する側の︑

しかも無自覚的な強者の側がつくり出した鋭 であって︑主体が自らのアイデンティティー に則して無心に見つめる鏡というか︑そうい うものではないのだというお考えのように思 いました︒お話の中で重要な鍵概念だと思い

ますので︑理解しやすい

γ

ように補足願えない

でしょうか︒

リ ケ ッ ト お っ し ゃ る と お り

︑ 非 常 に あ い ま いな言い方で︑うまく説明できなかったので すが︑アメリカはルーズな社会なので断言は できないのですけれ

E

も︑白人でない︑ある

い は

WASP

でない人たちが出世しようと思

え ば

︑

WASP

たちの価値観をある程度内面 化しなければならないんですね︒そして︑そ の時に︑内固化することによって︑自分は自

らの本当の姿︑ WASP

でないアイデンティ ティーを押さえなりればいけない︑あるいは 隠し︑または︑場合によって抹殺しなければ いけないという︑精神的に非常に苦しい経験

を味わうことになりかねないのです︒しかし︑

その価値観を内面化しても膚の色だとか︑女

性だとか︑階層出身だとかを理由に︑出世で

(3)

きないと

いうことも

よくあります

︒

いろいろ

な陣古が便じてきます

︒

だから︑アメリカ社

会におけるその鋭とは︑つまりは h 入社会が

つくった銭であって

︑

hH

人でない人々はポん

だ形でしか映って米ない鋭なのです

︒

それは

﹁ れ

人 ﹂

t

﹁ 非

れ人

﹂ぃ向者にとって大変悲し

い

ニとだというこ

と で

す ︒

H 本

社 会 の 小

︑ て も

同 じ

よ う

な ・

t が ﹄

一 .

パえるのではないかと巧

U

い

たかったのです

︒

間組は鋭そのものではなくて︑鋭をゆがま

せる志議というか︑心 t いうか︑そういうの

を形成していく社会的 ・ 心理的過程にあると

思います︒ゆがませる手を E う止めればいい

かは︑アメリカ社会だったら・

臼

人の課題であ

るし︑日本社会だったら︑大和系 H 本人の沫

岡本富裕⑥経営学科

組であるとい ・7

こ

とを‑パいたかったのです

︒

単純な訴しですし︑すでに気づいている人々

も多いかと

思い

ま す

︒

u 新しいこ

a

と を 言 っ て

いるつもりはありません

︒

鈴木ありがとうございました

︒

そ れ で は

︑

他の万にもそれぞれお訴を

伺っておき

たいと

思 い ま す

︒

同本先生のお訴なのですが︑ヤオハンと

い

う 日 ア パ ー ト が 附 利

三

卜年代

の終わりごろに的

同にありまして︑本中

1

に小さなス ー

パ

ー

と い

う悠じだ

った

ことぞ記憶しています

︒

あれよ

あれよ t い

う間に

大きくなったのですけれど

も︑今まで海外に

日

本の商社が進出する t き

に は

︑

け

門 会

って み

れば凶家の石町似を背負

った同

家の商社というようなものが多かったわけで

すね

︒

ヤオハンというような川家術力から速

い小光業が 出 ることによ

って

︑小さな作点の

﹁ わ

た し

﹂

t

い う も の が ︑

小川

や

市 本

市アジア

に対して︑今までの日本とは法った形で文化

的影響︑あるいは相互影響し

AH

う t い ・ フ

︑ そ

ういう こ と が

十

分吋能性 t してあるわけでし

ょ う か

︒

岡本

今︑鈴木先慌がおっしゃるように︑総

AH

尚社の場介は

H1

くから進山しています

︒ Iと一

ぜ 進 出 し て い ったかといいます ︑ ヤオハンのような︑小さな企業が泌外にな

つ に

は ︑

同内ではダイエ ー とか大型府が 卜 n めていまし

て

︑日

本では附紛れにならない︑競争できない

という︑そういったが怖がありました

︒

それから︑もう

一つ

は ︑ 流 一 辿 業 界 の ソ ニ

ー

になりたいと

い

う

︑

そういう思

いを持

って

お

りました

︒

一 市

災 製

品 の

業 別

介 で

ソ ニ

ーは凶内

で

は後発

のメ

ー カ ー だ

っ

たので︑松 ド やボ之や

H 立とは級争できない

︒

それでは海外に

山

て ︑

海外で力をつけて 日 本に刈

っ

てこようという

ソニ!の盛

川さん

の考え方を︑ヤオハンも実

践したいという こ とがありました︒

日 以 初 ︑ ブ ラ ジ ル に 進 出 し

て失

敗したのです

が︑次にシンガポ ー ルにまいりまして︑シン

ガポールでは成

功

するわけです

︒

鈴木先生が

お

っ

しゃいましたけれども︑文化の而とか︑

そういう耐では︑アジアですから似ていると

は ︐

H

い

な が

ら ︑

パ集

も迫

っ

たり︑宗教の川姐

もありますね︒そうい

っ

た問削で 日 本の将通

の企業でもって宗教の述う同へ行って人材を

教育するというのはなかなか難しい︒ところ

がヤオハンの場介には︑先ほど

山 中

しました句

HK

の家の m 念を持っていまして︑これは︑人

6 7

一一一ーデイスカッシヨン

(4)

類は神の子︑あるいは太陽の子

E もだという

形で︑それだったらみんな一緒になれるだろ う︒そういう形でアプローチしていくわけで す︒宗教的には一応生長の家の教義といいま すか︑そういった形で大体みんな納得して︿

れたというこ

k

で︑宗教上の問題もかなり解

決しました︒

文

t 化 いう面では︑寿司のような日本食だ とか︑香港に大相撲を連れていきまして香港 場所を開催して︑日本の文化にふれさせると か︑そんなことをやっております︒また

NH

K

で放送した﹁おしん﹂はアジアで人気があ

るのですが︑﹁おしん﹂のモデルはヤオハンの

和田一夫代表の母親といわれています︒それ で母親(カツさん)がシンガポールや香港や 中国に行︿と大変な騒ぎでした︒したがって 間接的に日本の映画文化をも紹介していたよ うな気がします︒そういう意味ではただ単に 物を売るために出稼ぎに行った

t いうのでは

ないということがあると思います︒

同時に︑この小さな企業が成功していると いう点で︑日本の中小企業︑特に零細な企業 の経営者にとっても︑自分たちでもやり方に よっては海外にはばたける︑またそういうよ

うな企業になり得るような夢を与えているん ですね︒そういう一つのモデルになっている

のではないか︒そんな気がしているわりです︒

そういう面︑で︑ほかの企業よりはい︿らか︑

文化を紹介するとか︑あるいは宗教とか︑そ ういった而でも頑張っているのではないかと

いう気がしています︒

鈴 木 中 村 先 生 の

﹁ ナ

l ンガル﹂と﹁ナ l

ム ﹂ のお話は大変興味深く拝聴しました︒日本で

も和歌山県の方言では共通語の﹁われわれ﹂

一語に対して﹁あがら﹂と﹁わいら﹂という 遣い分りをしています︒これはやはり相手側 を﹁われわれ﹂の中に入れているか入れてい

ないかという︑その違い︑でしょう︒

溢谷先生のほうでは︑シンハラの﹁われわ れ﹂は日本語と同じだろうとおっしゃってい ましたけれ

E

も︑たぶん日本語の共通語と言

われている﹁われわれ﹂とか﹁わたしたち﹂

というのは︑多義的で︑タミル語に似ている だろうと思います︒だから表現としては一つ

しかないりれ E

も︑例えば﹁このシンポジウ ムにいるわれわれは﹂と言うときには︑報告

者もそれから質問者も含めているわけですね︒

ところが︑﹁われわれ聞き手側からすれば﹂と 一言ったときには︑報告者は入らない︒たぶん そういう日本語の共通語と言われている﹁わ れわれ﹂と同じものとしては︑シンハラ語に もあるのではないかと思いますが︑知何で

L

L4・F﹁

ノ︒

それから︑もう一つは︑高地シンハラの場 合︑老人はどういう生活をしているのでしょ うか︒核家族の場合︑日本では独居老人とい う形で非常に社会問題になっていますね︒家

族の中の﹁われわれ﹂の一員︑ではなくなりつ

つあるようですが︒

溢谷シンハラ一請で﹁われわれ﹂にあたる言 葉はひとつですが︑やはり鈴木先生がおっし

ゃるような微妙な使い分けをしています︒

それから老人の問題については︑大体息子 や娘たちが年齢の高い順から結婚して外へ出 て︑別々になっていくのですが︑最後に親と

暮らすのは末子というか︑末の息子夫婦です︒

その場合︑ても︑閉じ家に住みますけれ E

も ︑

かまどは別にしています︒腕地で仕切ってかま E

を別にするんです︒だから経済単位も別で す︒時々おかずを余分につくってやる︑その 程度はやりますけれ

E

も︑一応かまどは別な

のです︒火も別々です︒

(5)

山 川 先 州 ︑ 経 済 大 川 か ら 純 情 川 一 f

は 発

作 い

するとお っ

し ゃ

っていますけれ ども︑それは

西欧的﹁われわれ﹂の経済学だったのだろう

と思います ︒ 呪在日本は経済大固というよう

に 日われて いるのですが︑その場介︑

日

本 が

っくり

山

す総済やというのは︑ヤオハン的な

﹁われわれ﹂の経済ゃになるのか︑その吋能

性はいかがで

し

ょ う か

︒

山田

私

内 けれ 好 は

アメリカ経済学のパラダイ

ム

の 小

︑ て

教

育を受けていまずから︑それが E う

いう形になるかというのはよくわからないの

です

︒

ただ

一つ

だ け

. パ

え る

の は

︑

日

本

州 し

の 経

済午ということになるとすれば

︑

それを慨に

だれか体験している人が今までいたかどうか

という

こ

となんですけれ E も︑いるとすれば

鈴 木

た だ

一

人というようにカウントできると思い

ます

︒

鈴木先生の悦代だったら

ご

作じだと思

いますけれども︑下村治という人がいます

︒

例の池

間内閣

の t きの所得倍

梢計

画を理論的

にバックア ップした

ド村 川向 上

で

す け

れ ど

も ︑

あのタイプの経済山下になるだろう t

い

うれが

します︒あ のタイプの絞済 やという

け

・ ・

い み

は

ちょっとおかしいのですが︑あれは一つの

日

本的な土峻から発生

し

た H 本

的

経済学である

という感じがします︒

ではほかに今︑下村治

氏

に

匹

敵するような

れ ば 川 中 者 が い る の か と い う と ︑

い

な

い

と思い

ます

︒

その鹿

山

は︑経済

学朽

の大半はその教

育を︑私と同僚にみんなアメリカ経済学のパ

ラダイムの小︑て受けているからです

︒

と

こ

ろ

が

下村先牛

‑ は

そ ‑

フ で

は な

いん

ですね︒口本の

経消の

小

か ら

山

山 て き て い る

︒

そういう形てい︿と︑私はよく経済予行を

二つ

に分け

る の

で す

が ︑

ほ れ

川

中者というのは︑ ぼ

英語で

一 三

同 ・ え ば エ コ ノ ミ ス ト と い う の で

一 つ

な

ん で

す ね

︒

とこ

ろ が

H 木の場合には一応分り

ていまして︑カタカナで引く

エコ

ノ ミ

ス ト

と ︑

泌アで引く絞済予おというのは︑別似のもの

だ t 思うんです

︒

泌 山 子 で 引 く 経 済 中 将 t

い う

のは︑アカデミックな経済学打︑

一

応キャン

パ ス

・

エコノミストと J いますけれども︑ア

カデミックなもので︑カタカナで計︿エコノ

ミストというのは︑官庁にしても民間にして

も︑いわゆるエ

コ

ノミストですね

︒

民

間エ コ

ノミスト︑または

行げエコ

ノ

ミ

スト︑食業エ

コノミストと.バわれている︑どちらかという

とそうい

っ た

m

切

実 の

日

本経済に非常に詳し

い

エコ

ノミストの方の

中

から︑今後の H 本の経

済学の枠組みたいならのを提示できるような

人が山てくる吋能性はあると思います

︒

です

から︑今︑先生が質

問

で お

っ

し ゃ

っ

たヤオハ

ン経済予 t

い う

の は

︑

十

分

可能

性はあるだろ

うと思います

︒

司会

鈴木先生

に

全

体を

総指するような質

問

をしていただいて︑

こ

れできょうお話しした

︑

﹄ t がだいぶリンクしてきた のではな

いか と

思います

︒

始ま

っ

たときからず

っ

と会場で頑張

っ

て い

る方々がおられますけれども︑会場から質問

はございませんか︒

武田巧

経済学部の武

川

です

︒山川

先生の仮

説に従いますと︑恐らく私は

日

本の経済をよ

くしている経済乍おの 一 人ではないかという

69

一一一一一テ

V

スカ・ノンヨン

(6)

ように思っています︒残念ながら私が最初か ら最後までお聞きした話は山田先生のお話だ けでしたので︑山田先生のお話に関して質問

させていただきたいと思います︒

山田先生のお話の中で︑合理主義をもとに した欧米型といいますか︑そういった経済学 というものは︑日本型︑あるいはほかの型の 経済学とは異なるということがありました︒

そしてその講離というものは恐らくなくなら ないという前提でお話をなさっていたと思う のですが︑確かに最近では欧米の経済学とい うものが必ずしも唯一の経済学ではないのだ というような認識が高まっていると思うので

す︒その中で︑

M .

アルベ

l

ルが﹃資本主義 対資本主義﹄という本を書いたりとか︑それ から︑世界銀行が束アジア型の経済というも のについて分析したりしていたと思うのです が︑一方で︑国際化︑あるいは情報化という ような流れの中で︑完全ではないにしろ︑あ

る程度型の違いというものが収倣をしていく︑

違いを残しながらも接近をしていくような傾 向もあるのではないかと思うのですが︑その 辺について山田先生のほうからご意見を聞き

たいと思っております︒

山 田 今 の 武 田 先 生 の ご 質 問 で す け

れ

E

も ︑ 確かに経済にはいろいろな経済があり得るわ けです︒東南アジア型の経済もあるし︑日本 型の経済もあるし︑アメリカ型の経済もある

し︑ヨーロッパ型の経済もあります︒ただ︑

私が今日問題にしたのは経済学の話であって︑

経済を説明でき得る理論の話をしているわけ です︒そうすると一つの理論体系で東南アジ ア型の経済も日本型の経済もアメリカ型の経 済も説明できるかどうかという点を問題にし

ているわけです︒

私の最近思っていることでは︑

E

うもでき ないのではないか︒それはきっき武田先生も 指摘されたように︑合理主義をもとにしてで き上がっている経済学では︑日本型の非合理 的な社会は説明できないんじゃないかという 気がするわけです︒経済学を勉強していない 諸君にはなかなかわからない話かもしれませ んが︑一つ例をとると︑自由貿易があります ね︒今︑自由貿易というのは︑絶対的普のよ うな形で言われているわけです︒各国がすべ て自由貿易をしなければならないと︒そのた

めに

GATT

があり︑ウルグアイ・ラウンド があり︑そしてアメリカが日本の市場開放を

要求するというような動きがあるわけですね︒

そういうふうにしないと自由貿易が損なわれ て保護貿易になるんだというわけです︒保護

貿易になってしまえば世界は不利益になる︒

だから自由貿易を守るためにも︑日本よ︑市 場を開放しなさいみたいな言い方が出て︿る

わりです︒

そこを考えるわりですけれ

E

も︑合理主義 的に考えて︑合理主義的に成り立った経済学 で考えれば︑自由貿易というのは絶対なんで すね︒だけど実際にそれを連用するという立 場から考えると︑何も自由貿易でな︿たって うまくいく可能性はあるわりです︒単に自由 貿易だけが絶対だという考え方に立つことが おかしいのではないかというように考えてい

るわけです︒

ですから︑アメリカ政府が今︑日本に要求 してきていることというのは︑すべて経済学 のロジックにのっとった︑実に正しいことを 要求しているわけです︒ただ︑それをこちら 側から見て︑または本当に生きている経済の

中から見てみれば︑

E

うもおかしいことが多

いのではないか︒ですから︑げとうもロジック

で攻めたててくるアメリカ的な経済学のアプ

(7)

リケ

l

シヨン

t

いうか︑そ

‑フいったものに問

題点がある

のではないか︒

t

いうこ

t

は︑す

なわちその畑山本的に問題があるのではないか

とい・フのが︑きょ・フの無則一

やりの私の問題

仰向

起 な の で

す︒

司 会 ほ かにいかがでしょうか

︒

上 西 哲 夫 文 中 科

の

t

丙

k

山・

しま

す

︒

漠然

と︑

どなたでもこの質問に符えてみよ

・フかと 思う ぶに符えていただきたいのですが︑テ

!?に

なっ

ている﹁わたし﹂と﹁われわれ﹂という

のは

︑

﹁わたし﹂がた

くさん

いたら

﹁わ

れわ

れ﹂

になるわけではなくて

︑﹁わたし﹂が﹁

われわ

れ﹂

になるた

めに

は︑

﹁わたし﹂以外

の他者

と

一緒になっ

て﹁われわれ﹂があるわけで︑尖 はそ

こには

大きなギャップがあるんですね︒

その辺の問題というのは︑お訴を聞いてもけ

つこ

うどの先生のお訴にも関係があるような 気がしているんです

︒

特 に リ ケ ッ ト 先 生 の 従 パは永製だと思いました

︒

そのギ

ャップが川

凶なのだという︑そ

の

辺を広議した

J

いト

々を

されているよ

・フな討がするんで

す ね

︒﹁わた

し ﹂

t

﹁われわれ﹂

t

いう

の は 全 然 迷 うんだ

と︒

その辺について

E

う か な と い う

ことにつ

い

てのコメン

ト

を︑それぞれの先

伺にしてい

ただきたいんです

︒

お訴を聞いていて︑山川先生がおっしゃっ た ︑ 欧米系の経済学というか︑欧

米 系

の

社会

と日本社会の浅いという点ですが︑欧

米 系 社 会で は﹁わ たし﹂がそ

のまま

﹁われわれ﹂に

なるとは限らないという気持ちがある

︒とニ

ろが

︑

H

本人はその辺が不分

明なのではない かというお話︑それか

ら

︑ 中 村 先 伶

のお

話で

︑

ト

ド ロ フ を 山 山

されたからかな

と思うんですが

︑

人川とコミュニケーションというと︑人間は

例

なのか総数なのかと

いうあた

り︑トドロフ は恐らくな議していない

t

思うのですが︑小 村先生はその辺どう思われるのか︑お削いし た い の で

す︒

それから︑

附本先生

のおぶの

小で

感じた

の

は︑日本

企業が

山山

てい

ったと

きに

︑

引地の人

たちに

t

って﹁われわれ﹂

t

いうのはど

うな

んだろ・7かとい‑フ感じがします︒

日本人の場

AH

は企業がす

っと﹁われわれ﹂にな

ってしま

うわけで.﹁わたし﹂イコールA肌業という感じ

なのですけれども︑そういうらのというのは︑

アジアの人に

t

つ てはどう

なのか︒

その辺の ところそお聞かせ阪いたいと思います︒

山田

今のご質

問ですけ

れど

も︑

附欧

州ム

と日

本相というか京洋砲ということでいくと︑例

の

ために 令体があるのだとか︑全

体と仰と

の

関係みたいな

ことをちょっとイメージ

したの

ですけれ

E

も︑私が﹁わたし﹂

t

﹁われわれ﹂

という

ふ

・ フ

に感ずるときは︑以初︑中小上先ルー

からお訴を

M

ったときは︑﹁わたし﹂は

' H

分だ

った

のですね

︒

ところが皆さん

がいろ

いろお

話をなさ

っているときに︑中村先生が代名河

だ

t

おっしゃっ

たので︑ああ︑代名川のぷだ ったのかというよ

・フ

に思

ったのです

︒

人︐

の先生

のご質問から︑﹁わたし﹂と﹁われ

われ﹂に

つ

いてどう考えるかと

いいますと︑

まさにお

っしゃっ

たとおりです

︒

経済学者な どは非常に机維な

一肌をしていますが︑それか

ら必

fλると︑経済門下でよく

似

t

ころの﹁AHう

7

1一一ー一一デtスカッション

(8)

成の誤謬﹂という言葉がありますが︑それに 当たります︒個を積み上げても全体にはなら

ないし︑全体を崩していっても倒にはならな

い︒その聞には積み上げてい︿過程における

﹁合成の誤謬﹂があるという言い方をします︒

それが現状として経済学をミクロ経済学と

マクロ経済学とに分りて教えているというこ

とにつながってくるのですけれ E も︑ミクロ

というのは︑細かい個の話なんですね︒マク

ロというのは全体の話なのです︒ですからま

さに﹁わたし﹂と﹁われわれ﹂というニとを

ミクロとマクロというふうに考えてい︿と

経済学においてはミクロを積み上げてもマク

ロにはならないし︑マクロを細かくしていっ

てもミクロにならない︒その聞にはギャップ

がある︒つまり﹁合成の誤謬﹂があるんだと

いう言い方をします︒

僕はこの﹁らいで︑あとはほかの先生方に

お任せします︒

リ ケ ッ ト 上 西 先 生 の 質 問 に

も りたいと思 E

います︒上西先生が示唆したように︑確かに

﹁わたし﹂と﹁われわれ﹂はまったく別のも

のではなく︑個々の人間は両者の閑に常に動

いているわけですね︒本当に相手やコンテキ ストによって変わってしまうのです︒僕はテ ーマを考えたときに︑国家とか︑民族間関係 とかという観点から個人意識が﹁われわれ﹂ 意識に E ういうふうに転換していくのかとい

うことが頭の中にあったのです︒それで︑自

分の個人的な経験から考えてみようと思った

のです︒民族主か︑国家とかとなると︑やは

り日常生活の中からわいて︿る﹁われわれ﹂

の性格は変わってしまうのですね︒今日︑溢

谷先生と中村先生の話の中で︑似たような例

があった気がします︒スリランカなどで︑人々

の帰属意識は小さな家族から︑クラヤとか︑

そこから村へと広がっていって︑それから地

域︑地域から E ん E んと上の方に拡大してい

くんですりれども︑いざとなると上のほうの

エリートたちが全体をまとめようとすると︑

やはりナショナリズムという違う形で個人と

か︑村とかが固まれていくんですね︒

﹁わたし﹂と﹁われわれ﹂というのを考え

たときに︑先ほ

. E ︑鈴木先生の質問とも関連

するのですけれども︑支配的な社会層とか︑

階級とか︑民族と言ってもいいのですが︑鏡

をつくってしまうわけですね︒その鏡をつく

っているのは﹁われわれ﹂なんだけれども︑ ﹁われわれ﹂が銭をつくっているという意識 は個人にはあまりないのでやっかいなのです ね︒ですから︑その銭をつ︿る自分はどうい うものなのか︑﹁われわれ﹂に固まれている﹁わ たし﹂はどういうものなのか︑そして︑﹁わた くし﹂と﹁われわれ﹂との関係は E ういう歴

史︑民族関係の中につくられてきた︑あるい

は︑今現在︑維持されているのかということ

を考えなければいけないのではないかと︒

岡本私に対する質問には︑答えが二つにな

るのではないかと思います︒まず最初に︑私

が﹁わたし﹂と﹁われわれ﹂という言い方を

認識したのは︑﹁わたし﹂というのは私自身

で︑私が﹁われわれ﹂というふうに考えたの

は︑ゼミの学生を含めると﹁われわれ﹂にな

るという︑そういう考え方に基づいて︑私と

私のゼミの学生たちと一緒にという意味で︑

﹁わたし﹂と﹁われわれ﹂という︑そういう

とらえ方をしたつもりでおります︒

そして︑先生のご質問は︑日本の企業が海

外に出た場合︑それが﹁わたし﹂になるのか︑

﹁われわれ﹂になるのかという︑そういうよ

うなご質問だったのではないかと思います︒

一つの企業が海外に進出した場合には︑それ

(9)

は企業 t しては例別企業ですから︑﹁わたし﹂

という意味が円以初は強いんだ t 思います︒と

こ

ろが︑先ほど例に

山しま

したヤオハンと

い

うような合業がだんだんと︑例別

AK

業ではあ

りますけれども︑それらが海外に山て非常に

スポットライトぞ浴びまして︑それが海外で

日みを代ぷする大きな企業にな

っ

ていきます

と ︑

川 平

に 制

別

AK

業というにはとどまらないで︑

﹁わたし﹂が﹁われわれ﹂に変っていくので

はないかと思います︒

こ

の

間

の上附

日

に

三ね

の H

大

でや会があ

り

まして︑そのときにちょうど利川

一犬 代ぷ (日

大総済学部

出

身)が︑特別にお見えになりま

して講演をされました︒そのときに︑﹁実は秋

の同遊会

に初かれまして︑それで息主の人々

中村忠男⑨芸術学科

からもいろいろな三日集をちょうだいしまし

た﹂という

こ

t を

一日っておられましたが︑海

外で前縦する︑日本を代ぷする金業 t

い う

こ

とになると︑恐らく﹁わたし﹂のというより︑

﹁われわれ﹂の令謁菜︑日本を代ぷする

AK

業 t

いう窓議に変わっていく

のではな

い

かという

ような公がします︒したがって︑海外へ行く

よ う な 食 業 は ︑

ハ以 初は

﹁わ たし

﹂ で あ っ て も ︑

しばらくすると﹁われわれ﹂というような認

識に変わっていくのではないかと思います

:

終えになるかどうかわかりません

が︑そんな

感じがしています

︒

中村トドロフの訴が少し出ていたので︑私

が解説するより皆さんに読んでいただいたほ

うがいいのですけれども︑心初に彼が先ほど

けったような切り

‑z

山 山

しをした後にす寸川てく

る ‑

J 然があるのです

︒

﹁ わ

た し

﹂ と

い

うのは

一

例の他者だというような訴が山山てくるのです

︒

恐らくあの本の訴の小で

一

番取袋な点 t

い う

の は

︑

m r

に

アメリカがどうやって発

見され征

服されたかという問題よりも.むしろ述︑であ

っ て

︑他 お

の発比を通してどのようにして﹁わ

たし﹂あるいはヨ

ー

ロ ッ

パ t いう慨念ができ

てきたのか t いう︑そのプロセスの検討なん だろうと思うんですね

︒

それを逆の方向から

・フ

かが

っ て

い

る

︒

そ の

小

でいろいろ伝ことがパわれていたよ

うですけれども︑彼の興味深い折術があって︑

現伐のヨーロッパという一つのアイデンティ

テ

ィ

ーができ上が

ったのは︑彼の技点ては

恐

らくアメリカの発比以降︑つまりコロンブス

の発

見以降だという

のです︒なぜか k

いう

と︑

一つ の

大きな町

山

があります︒ヨーロッパ担

の社会というものは︑いわゆる

エ

︒ コ

セ ン

ト リ

ックなとらえ万

ぞきれがちですけれども︑例

え ば

先 ほ

ど の

日 州

で ・

パ

・

フと似の仮

立件とか独江

性といったものがある t いうわけです︒それ

か

ら︑そ

こに基づく合理

主義

とい

っ

た問題が

山

てくるけれども︑同正史のプロセスを凡てみ

る t ︑むしろヨ

ー

ロッパというアイデンティ

テ ィ

ー

ができ上がる坑裂なぶ向性としては︑

むしろアブサントリックなジャンル︑他名志

向砲

のコミュニケ

ーシ ョ

ンあるいは探究の仕

みにあるのではないか t い

‑

フ 考

・ えを持ってい

るのですね

︒

例えば先ほどヨーロッパ性みたいなものを

つ ︿ り

ト

. げ

て い

く非 品川 に大

きな

級将としてキ

リスト教が栄げられましたけれども︑ キ リ ス

73 ‑

一一一一デ

t

スカッション

(10)

ト教の成立においても︑やはりユダヤ教との

関係が非常に重要なんです︒ユダヤ教という

他者との関係においてキリスト教が明確にな

って︿る部分があります︒あるいはルネッサ

ンスの場合︑ヨーロッパ性といったものの非

常に重要な問題として︑あるいは重要な遺産

として出て︿るのは︑ギリシャ︑ローマのい

わゆる異教的な文化ですね︒

あるいはアメリカの発見といったものを通

じて︑全く見たこともない︑いわゆる差別用

語ですが︑土人と言ってもいいような││土

人という概念そのものもその時期につ︿られ

たわけです││人々を見出します︒そういっ

た他者の発見を通して﹁わたし﹂というもの

ができ上がったのではないかというような話

が出てくるわけです︒

たとえば欧米的な基本的な発想に基づいて

コミュニケーションをとる場合と︑それから︑

十七世紀寸らいのメキシコの人閥︑あるいは

タミル人︑あるいはシンハラの人々と対話す

る場合に︑はたして合理主義で﹁われわれ﹂

自体は対話を行っているのだろうか︑という

ことは非常に疑問なのです︒また逆に言って︑

タミル人なり︑あるいはシンハラ人なり︑当 時のメキシコ人といったものは︑極めて自分 のパラダイムの中から出ずに︑即応性はない のかというのは︑これは全︿の疑問ですね︒ むしろそこの対話の中で繰り広げられる︑あ る程度の相互の即応性みたいなもののコミュ ニケーション自体を自分に有利に展開しよう という戦略が恐らくあったでしょう︒恐らく そのかけ引きの中で初めて他者 t いうものが

明確になり︑逆に言って﹁わたし﹂というも

のが見えてくるのではないだろうかと︑単純

に 考 え て い る の で す ︒

この問題は恐らく︑つながりとしてはナシ

ョナリズムの問題に関係していて︑例えばア

ジア諸国におけるナショナリズムの問題とつ

ながっているのだろうと思います︒その辺は

むしろ溢谷先生のほうが得意分野なので聞き

たいのですが︑例えばシンハラ・ナショナリ

ズムといったものができ上がるのは︑仏教復

興運動のなかからですよね︒仏教をある程度

復興していこうという運動の背景としては︑

キリスト教の布教活動が大きい︒それから︑

タミル人のエリートとの対抗関係︒そこには

やはり恐らくヒンドゥ l 教という他者の宗教

とキリスト教という他者の宗教の相魁の中か ら仏教も出てくるのであろうし︑それが一つ の大きな独立運動︑民族運動につながってい く︒そこの関係といったものを聞きたいと思 いました︒質問から質問に飛んでよろしいで す

か ︒

瀧 谷 先 ほ

E

の 問

題 ︑

て ︑

私 の

ほ う

か ら

の 答

え

ということにはならないと思いますが︑﹁わた

し﹂と﹁われわれ﹂に関しての表現について︑

私の経験的な知識で考えてみます︒日本語と

シンハラ語を比ぺてみますと︑よ︿言われる

ように︑日本語では︑話すときもそうですが

特 に

文 穏

で は

︑ ﹁

わ た

し ﹂

・ と

﹁ わ

れ わ

れ ﹂

を 省

略しますね︒でもお互いに何となくわかって

いる︒ないしは︑かなりあいまいに使ったほ

うがいい︑うま︿通じ合うという場合もある

と 思

い ま

す ︒

その点︑シンハラ諸では︑特に書き言葉で

﹁わたし﹂と﹁われわれ﹂を省略することは

まずありません︒話し言葉の場合には省略し

ますが︑日本一諦よりは省略しないのではない

かという気がします︒そうは言っても︑私自

身︑個人と集団の関係ということについて︑

あまり調べたり考えたりしてこなかったので︑

それ以上は立ち入れません︒日本人に比べて

(11)

例人の立滋がどの削何度迷うかというのも﹀けい

に く い の で す が ︑ JM

州μ

品 川

切 に

閲 し

て は

そ う

い

うこ・とを私は経験しました

︒

それから︑小村さんが行ったことは︑

一:

川

で ・

パ い

に く

い と

こ ろ

で す

ね ︒

引 私

が 先

は ・

ど ぶ

し

た小からもおわかりいただけると思うのです

が︑大きく分けてナショナリズムにエリ

ート

の立ぷと︑泌氏守中心とした非エリートのも

のとでは︑以族立識がだいぶ剛氏なるというこ

とです︒断火を振り返

っ

てみますと︑シンハ

ラ人ないしはシンハラ社会にと

っ

て沿も身近

な他析ないしは隣人というのはタミルです︒

シンハラとタミルの関係といえば︑それは火

対から始まっていろいろな閃係があるわけで

すが︑エリートはそれを

二千

‑ h .

行年寸ら

い山 溢谷利錐⑨人間関係学科

から敵対しているのだというふうに股火をと

らえるわけです

︒

ほんとうは

M

防火ゃを少し勉

強すればそうではな︿て︑過去にはたしか

‑ K

川も幾つもあったわけで︑その

E M の聞で戦

争はありましたが︑‑上川の民︑川以全体が・ま

るごと

一九となっ

てタミルとシンハラに分か

れて戦ったなど t いうことは過去にないわけ

ですね

︒.

で す

か ら

が ・

f

聞からの敵対というのは

エリート特有の阪史解釈であって︑先ほ

E

私

が川組にした段以たちにとって︑いまだにタ

ミルというのは︑必ずしも川市純に敵という絡 M では t ・

b ‑

えていないのです

︒

例えばタミル人がたくさん住んでいる︑叶火

山 川 で

‑ .2 H

・

フ

t

ジャフナで︑シンハラ析ではヤ

l

バナ ヤで すが

北郊のあの辺の野菜とか決物

とかいうのは質がいいとい・フことで非常に川

判がいい

︒一

般の人たちも歓迎してきました

︒

それから︑タミル人 t いうのはかなり教行熱

心で︑凶行にな

っ

た人も随分います

︒

タ ミ ル

人の限れは︑シンハラ人の段以の川ではかな

り歓迎され︑あてにされていたところがあり

まずから︑エリートに

t

っ

τ

も良民にとって

も以も近しい他行はタミルです︒.ですから関

係の持ちみとかイメージの仕ト

H

が采軟という

か ︑

多 織

に 持

っ て

い る

な と

い ・

フ ︑

刷も感じてきました︒

ですから︑弘な

Eb

タミルの概念に人るわ

けです

︒

製するにシンハラ人以外は全部タミ

ルという︑過去にはそうだ

つ

たのです

︒以近

は民政紛争が激しくなってきたから︑タミル

とい

・

フと︑タミルナ l ドゥとか︑スリランカ

の北部に住んでいるタミル人というようにな

ってきましたけれども︑少し前はタミルとい

うのはもっ t 広い純州が合まれていたようで

す

︒

中村一

つ気になっている問題があります︒

故近︑歴史学のほうで小谷河之先生が﹁ラ

l

ム

M

仰 と

牝 →

﹄

t

い う

本 ぞ

川 さ

れ ・

・ ま

し た

え巴 小谷

川之宵﹃ラlム神品t牝

ti llヒ

ンド ヮ

l山

内山

1t ha

イスラム﹂tγ

凡

UH

‑‑

九九

1

これはあるインドの明地をめ十

‑ 1

︒

る紛争を歴史的に ε う兄ていけばいいのかと

いう問題で︑そこは引先はイスラムのモスク

にな

っているんですね︒そこはか

つて ラ

│ム

rk

というインドの布れな正織の使まれたとこ

ろで︑正凶の中心都市で︑そ

こ

に 北

口 は

ヒ ン

ド

ゥ l 教の寺院があった︒これが

HM

近になって

からイスラムとヒンドゥ l

の対

注が 激化 して

︑

そのためにヒンドゥ l 教徒がそのそスクを岐 そ う い う 一

75一ー一一一テ.'1スカッション

(12)

ヒンドゥ l 寺院を建てるということか

実際に今年﹁らいですか︑かなり破壊さ

れてしまったわけです︒今︑ヒンドゥ l

の ア

イデンティティーとムスリムのアイデンティ

ティーというのは明確に分かれていますが︑

これがただ単に共存するところでぶつかった

というように考えられがちなのですりれ E

も ︑

実はむしろこういった対立ができ上がる極め

て大きな条件 t しては︑イスラムとヒンドゥ

ーを信ずる人々以外の要素︑つまりイギリス

人の登場がなければこういった非常にコミユ

ナルなアイデンティティーはつ︿られなかっ

ただろうという話が出ているのです︒

その中の一つの例として︑雌牛の保護運動

というのが出てきます︒僕らは︑インドとい

うと牛が聖獣であると思っています︒これは

事実ですが︑ただし牛を殺すか殺さないか︑ E ういう状況で殺すか殺さないかというのは︑

意味が違って︿るわけです︒必ずしも殺さな

いということがヒンドゥ l

教 の

条 件

︑ で

は な

く

て︑ある特定の範囲の中で︑例えば特定の牛

を殺すということは︑宗教活動の中で非常に

重要な意味を持っていることもあります︒と

ころが︑雌牛を供犠にふすかどうかという問 し

て ︑

rり ︑

題がイスラムの問題として出てくる︒イスラ

ム教徒はある特定の祭杷のときには牛を殺す

わ け

で す

︒

これは従来であれば︑先ほどのタミル人と

シンハラ人の問題と同じわけで︑あちらはや

っている︑こちらはそういうことはしない t

いう差にすぎないわけです︒しかし︑一方で

その後に︑十七世紀以降︑イギリス人がやっ

てきて︑だんだんそれが政治的にも文化的に

も植民地支配の図式が整っていくと︑今度は

牛を食う人︑ピ 1

フ ・

イ

l タ!としてのイギ

リス人というものについて E ういうふうに自

分たちの中でのアイデンティティーを確立し

たらいいのかという問題が出てきます︒つま

り政治的︑経済的に優位に立つイギリス人に

対して対抗するためには︑一つはそラリステ

ィックな意味で対立するほうが優位に立てる

ということで︑そこに出てきたのは肉を食わ

ないという話なのだというのが︑歴史的に事

実としてあるらしいのです︒

それがイギリス人対インド人という図式で

とまればよかったわけですが︑一方で牛を殺

すというのは︑内なる他者︑つまりイギリス

人に対抗して﹁わたしたち﹂であるインド人 が︑今度は同じメルクマールをつくって﹁わ たしたちインド人の中の他者﹂ができてくる という形で︑両宗派閥の戦いがだんだん激化 してくるというプロセスを小谷先生が分析し ておられます︒恐ら︿これはアジアのほかの 地域の問題を考えても︑いえるのではないか というふうに思いますけれども︑溢谷先生に お

聞 き

し ま

す ︒

溢谷簡単にコメントを申しますと︑今︑紹

介された話というのは︑私も別のことで同感

ですが︑スリランカでそもそもシンハラとタ

ミルという民族意識が出てくるのは︑ヨーロ

ッパの植民地となってからです︒民族アイデ

ンティティーとして︑そしてまた敵対関係と

いうのは︑ヨーロッパの植民地支配以降であ

り︑特に一九八 0 年代の近年になって︑シン

ハラ・タミル聞の対立が激しくなってきたの

ですが︑それ以前は︑ある地方ではシンハラ

かタミルかはっきりしないような︑聞かれで

も E う答えていいかわからないような人たち

もいたものです︒特に漁民な E

は そ

う で

し た

︒

実は現在漁民と呼ばれている人たちは南イン

ドのケ l ララとか︑タミル・ナ l

ド ゥ

と か

︑

その辺から十四世紀﹁らいに渡ってきた人た

(13)

ちなのですね

︒

ですからある地域ではシンハ

ラ人でもタミル川をず

っ

と似い絞けてきた人

もいたんです

︒非エリートのほうが︑シンハ

ラ人であればシンハラ話むタミル訴もできる

というのが汗泌ですし︑タミル人のほうもシ

ンハラ泌が

でき

る︒

tと

こ

ろがエリートはれ分

の母話以外には英語という絡好です︒

それから︑インドでも︑イギリスの支配山械

でヒンドゥ!とムスリム

の附係はそれほど

m

純ではなくて︑どうもインドでもヒンドゥー

かムスリムかはっきりしないよ・フな人たちも

い た

︒

例 ・

λぱム

スリ

ムけ

ていてもヒンド t ‑ . 3

っ

ゥ

l

寺院に行くとい・フような︑そういった人

たちもりつニ‑フつい以近までいたようです

︒

今は

い

ないのでしょうりれども

︒

ロパート・リケット⑨文学科

今 ︑ 附 削 介 を 席 巻 し て い る 叩 一 行 サ イ パ パ が い

ますが︑初代のサイパパはそスクに採らしな

がらヒンドゥ l 教の儀礼をやっていた人です

し︑決してナシヨナリストが

一行うように二千

年とか

三

千年の

HK

い 聞

の

対 立 と い う ‑ ﹄ と で は

ないということです

︒

リケットお話を聞きながら思い出したこ

t

ですが︑アメリカに初めてイギリス人が入っ

たのは

一

六 O

じ年

なのですね

︒

その人たちが

アメリカに符いたときに︑ちょうどイギ

リ

ス

はアイルランド人を征伐していた時期だった

のです

︒

それで︑イギリス人にと

っ

ては︑ア

イルランド人とは野恋人だ

ったのです︒文明

の惟

削介

では

︑ア

イ ルラ ン

ドは未聞の此界だ

t

いうわけです

︒必

・本 的に 同じ

人般だけれども︑

やはり文明︑非文明ということで︑

一 一

側の他

れという形になって︑それでイギリス人はれ

党 と

い ・

フ か

︑ ‑

れ

己

党泌ができたのです

︒

それ

で︑アメリカに波

っ

たときに︑先住民の人た

ちを劣

っ

た人目仰としてではなく︑アイルラン

ド人と等しい作作であると

い

うように凡たわ

けです

︒

アイルランド人と

同

じ よ

う な

野 市

山 人

だから︑アイルランド人に対してイギリス人

が使

っ

た下段とんし︿川じ下段がインディアン に対して使われたのです

︒

野 市

山 で

す か

ら ︑

村

の

上地を低うために

村

を 焼

い た

り ︑

' K 性や f

どもたちを殺したり︑平臼引でやったわけです

︒

それが一六 O 七年のころからです

︒

そ の

後 ︑

J ハ

一

九年に初めてアフリカ人が

アメリカに持ち込まれました︒はじめは奴隷

t してではなかったんです

︒

当時イギリスか

ら︑あるいはアイルランドからも︑貧しい人

た ち

は ︑

二

年間とか

・九年間とか卜年間とかの

契 約 で ︑ 的 知 安 で こ き 使 わ れ た り し て ︑

五

年後

と か

卜

五年後に白山になったわりですけれど

も ︑

川

以

初 は

山 川

⁝ 人

は ん

し く

そ れ

と 川

じ 形

で ア

メ リ

カに人

っ

たわけです

︒

中 ﹂

時 の

ア メ

り カ

社 会

の 山

中

で︑やはり上地を

持っている人問︑つまり打力者たちに対して︑ h 人であるアイルランド人

t m

⁝ 人

と が

予 を

結

んで紙抗しました

︒抵‑抗したところでは︑れ

人 の 支 配 肘 の 人 た ち は ︑ 山 川 ⁝ 人 と れ 人 と の 述

AH

が非

品川に危ないことをはじめて依

った

ので

︑

川人を奴隷にしてしま

っ

たわけです

︒

それは

府の色の注いがあ

っ

たから比較的やりやすか

ったのですが︑あっという

聞に

の場

m m

人

AH

に

は契約制度がなくなって︑奴隷になってしま

っ

た

︒

それは m 純な m

山

でしたが︑ド

M

川

社 会

77

一一一一一テ'イスカ・ノション

(14)

の述怖怖をつぶすためだったのです︒ それで︑一六六

O

年以降︑その制度が固定 化されてしまってアバルトヘイト制度ができ︑

現在に至っているのです︒白人たちは黒人た ちを奴隷にしてから︑県人は府が県いから悪 魔だとか︑インディアンは人間ではないとか︑

そこから人種的な偏見が始まったわけです︒

それ以前はそういうことはあったとても︑目

立たなかったというか︑制度化され・ていなか

ったようです︒その中では︑白人社会は﹁他 者﹂を敵に回したり︑自分の経済的な利益を 守るためにアパルトヘイト制度を作ったので す︒それ以降︑白人のアイデンティティーに

は︑差別的な思想が入り込んでいます︒︒その

制度は二百年以上続き︑廃止されましたが︑

今でも意識的にはさほ

E

変わっていないとこ ろが多いわりです︒経済的︑社会的な基盤が

変わったとしても︑意識変革がおくれており︑

今日の日本の場合と少し似ているかな︑とい

う気がします︒

岡 本 さ っ き の 鈴 木 先 生 の 質 問 の 中 に 日 本 文 化のことがあったのですが︑それについて補

います︒またヤオハンの話になるのですが︑

さっきは日本食だとか︑相撲の訴を少ししま

したが︑そのほかに︑信を出す場合に︑日本

庭闘をつくりまして︑外国人に日本の・挺図の

美しき︑日本美をぜひ見てもらいたいという 形で︑ニューヨークとか︑あるいはロンドン とか︑いわゆるヨーロッパとかアメリカで出 庖する際には庭園をつ︿るわけです︒それに は︑日本瓦を使って︑ただ単なるコンクリー トの建物ではなくて︑日本建築的な︑日本の

美を紹介するわけです︒

それからもう一つは︑これも日本の文化だ と言っているのですが︑開底のときにはチン ドン屋を日本から迫れて行きます︒一人でい ろんな楽器をこなして︑外国にはない一つの 日本の文化だといって紹介しています︒これ

をやると現地で非常に受けるのだそうです︒

司 会 討 論 が 始 ま っ て ち ょ

う

E

一時間﹁らい

になります︒司会が大変楽な討論会ですが︑

せっかく若い方がおられますので︑お若い方

から

何か

・:

・ 高 橋 ( 学 生

・ 女 子 ) 人 間 関 係 学 科 一 年 の 高 橋です︒いろいろな先生方の話を附りて︑難 しい話もあったけれ

E

︑きょう帰ってから考 え直すというか︑復習をして︑本も出るとい うことだから︑それを見てまた考えたいなと

今思っています︒きょうのこのテ

l

マを見た

ときに︑一番最初から気になっていたのは︑

皆さん︑﹁われわれ﹂と言うときに︑

E

んな気 持ちで﹁われわれ﹂という言葉を発していら

っしゃるのかということです︒それがまず︑

すご︿気になっている大きな質問です︒

自分のことで言えば︑私は︑その昔と言っ ても何十年も生きていないけれ

E

も︑深刻に

悩んだときがありました︒

E

んなに親しい友

達で

も︑

E

んなにわかって︿れそうな先輩が いても︑その人たちと一緒にいるときに﹁わ たしたちはこう思うんですよ﹂という発言は 絶対できないと思っていたのです︒そう言っ てしまった途端に何だかおこがましいような 気がして︑そう思っているのは実は自分だけ で︑まわりもそう思っていると思えば自分も 楽なような気がして発言できるような気もし

ますが︑﹁われわれ﹂というのはすご︿重い言

葉に響いてしまって︑簡単には口にできなく

なってしまったということがあったのです︒

それで︑いろいろなお話が先ほどから出て きましたが︑共通して言えることは︑何かみ んな真っす?に同じ目標仁向かっていること があって︑その中で﹁われわれ﹂と言うとき

(15)

は ︑

川

だかすごくそ

の﹁われわれ﹂というパ

必がみんなの小で本中l

に響いている%がした のです︒特に宗教などの場

AH

は︑﹁われわれは

あの川仰を信じている﹂

t ‑

パえば︑もうそこに

だれも何も人れないれがします

︒でも︑今︑

れ分のことを考えてみると︑特に討じている 宗教はないし︑特にだれかと一緒に結託して 川かに以対するということもないし

. h H分の

中の

口 じ る も

の

というのがだんだん判らなく

なりました︒冷戦も終わりましたし︑学ゃにア

モもなくな

ってしまいました︒その・中でいじ

られるものがだんだんれ分だけになってきて︑

なおさら﹁われわれ

﹂

なんて

d

えなくなって きたんですね

︒

それで︑先生みや会場にいる仔きんで︑胸

到⑨芸芸術学科/司会

を必って﹁われわれは﹂

t

J

・える瞬間︑例え

ば︑﹁これからみんなで映州に行くんだよ﹂と

いうときは﹁

われわれは

﹂

t

m m

に巴パえます けれども︑特に﹁われわれはど

・フ

しょ

・フ

と

思

う﹂とか︑立川心をぷ川するときに︑﹁われわれ﹂

と胸を似って可えるという万が

いれば︑それ

はどうしては

っきり﹁われわれ﹂

t

弓えるの

かと

い・

フ

t ‑

ドと

う.

でし

ょう

か︒

司 会 特にだれに聞きたい

t

いう希望はあり ますか

︒

高 橋 ど な た で も

︒

中 村 体験談的な訴からい

こうかと岡山います︒

ま ず

一つ﹁わたし﹂と﹁わたしたち﹂と

いう

ものが非常にやっかいな川組だと思うのは︑

さっきも少し述ペたのですが︑例えば奨文化

の場介︑﹁わたしたち﹂という

‑‑

H袋

に よ っ て 他

おに﹄の日本ならけ本というところを伝・える

場AHに︑﹁われわれ﹂というところには非常に

児質な要ょがあるわけです

︒

例えばもしかす ると巡礼を

一紺にした仲川︑インド人の仲川

かもしれない

︒

やはり

一緒に歩いているとき

の仲間は︑それは例・λ

ば﹁われわれのグル

ー

プは﹂のような形で︑一一州の非常に強川な力

松枝

で紡ばれている

︒

それから︑もしかするとイ ンドで住んでいる近所の人たちの場介もある かもしれない

︒こ

れは同じような行動を同じ ようにするとい

・フ仲

間ではないわけですけれ ども︑川じところに住んでいる︑いわゆる地

縁というようなつながりですね︒

一万では︑先ほどからリケット先生のザ似て

山山てきていますけれど

b

︑続の

川

凶があるの ではないだろうか

︒﹁われわれ﹂と汗って令部

ひっくるめてしまうことによって出てくるも

のは︑そういった例々

の 川とか︑特定の人集 というものの集合ではなくて︑例えば何らか

の文化

的な表象︑例えばタミル社会ならタミ ル社会に対するぷ象といったものを令部ひっ くるめて託ってしまう

︒一

一 側 ︑

代

ぶしてしま うのではないか

︒

はたしてそういう権利はあ

るのだろうか︒

こういう

こ

t

を︑例えば物を

H什 一

くと

き

に非常に与えてしまうわけですね

︒

伐みたいな粗利な人間でも考・λるわけですか

ら︑恐らく溢谷先生やリケット先生はかなり 深刻にとらえていら

っしゃるだろうと思いま

す︒

7 9

一一一一一テ'イスカーノション

一つだけ言いたいのは︑先ほ

ε

も言

いましたけれども︑﹁わたし﹂というものがは

. ︑

AJ

︑ ︑

8 3' e e ' 

参照

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