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国際保健 International Health 麦 谷 眞 里 Masato MUGITANI

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(1)

東医大誌 75(1)

: 28

-

36, 2017

最 終 講 義

国際保健 International Health

麦 谷 眞 里 Masato MUGITANI

東京医科大学医学総合研究所国際保健部門

Department of International Health, Institute of Medical Science, Tokyo Medical University

1.

 「国際保健」とは何か?

そのまま英語に直せば、

International Health

とい うことになる。アメリカ合衆国のいくつかの公衆衛 生大学院には、そのものズバリの国際保健学部とい う呼称の部門もあって、それなりに理解されている が、日本においては、一般の人はもちろん、医療関 係者であっても、いったい何をやっている分野なの か不分明なことが多いと思う。一般的なことを述べ る前に、たまたま最近世界で起った国際保健に関す る典型例があったので、それを題材に説明する。

まだ記憶に新しいと思われるが、2009年、新型 インフルエンザが北米大陸からやって来るというの で大騒ぎになった。これはすでに

8

年も前の話なの で、もう少し新しいエピソードの例を挙げると、

2013

年には、それまで輸入例と思われていたデン グ熱が国内で発見されて、代々木公園などを消毒す る映像がニュースで流れた。また、2014年には、

西アフリカのコンゴ民主共和国、ギニア、シエラレ オーネという国でエボラ出血熱という感染症が流行 し、それが地球上に蔓延するのではないかという脅 威が世界に拡がった。そして、2015年にはジカ熱 という感染症が流行し、一時はリオ・オリンピック の開催が危ぶまれる事態にまでなった。このような

感染症の例がわかりやすいと思われるので、ここで は、エボラ出血熱の例を説明する。

2.

 エボラ出血熱と国際保健

エボラ出血熱そのものの説明は本旨ではないの で、ここで詳しくは述べないが、

2014

年に西アフ リカでエボラ出血熱が発生した当初、その致死率の 高さとも相俟って、一刻も早い「封じ込め」が叫ば れた。エボラ出血熱は型(5つある)によって致死 率が異なるが、最初に発見された

1976

年当時は、

90%

近くにまで達するほどの致死率の高さであっ た。以後、2013年までも何回か流行が繰り返され、

平均の致死率は、24%〜89%とされていた。2014 年の流行は、過去の流行と異なり、西アフリカの複 数の国で発生していること、それが周辺の国々にも 拡がりつつある兆しがあったこと、すでに、西アフ リカから欧米に帰国した者の中に、エボラ出血熱の 感染者がいたことなどから、現在の発達した航空網 による人の移動を考えると、急速に世界に感染が拡 大することが予想されたため、ただちに

WHO

世界 保健機関を中心として加盟国が連携してこれに対処 することが求められた。事態を重視した国連本部は、

潘基文事務総長が自らジュネーヴの

WHO

本部に乗 り込んで、対策を協議することとなった(写真

1)。

本論文は平成

29

1

20

日に行われた最終講義の要旨である。

キーワード

:

国際保健、WHO、世界保健総会、開発途上国、公用語、中嶋宏先生

(別冊請求先

: [email protected]

(2)

写真

1

は、当時、ジュネーヴの

WHO

本部で行な われたエボラ出血熱対策会議の模様で、正面の中央 に座っているのが、潘基文国連本部事務総長であり、

そ の 右 側 の 女 性 が 当 時 の

WHO

本 部 事 務 局 長

Dr.

マーガレット・チャン、潘基文の左側は、ニュー ヨークの国連本部で保健医療分野での助言を担う

Dr.

デヴィッド・ナバーロ、モニターを挟んでマー ガレット・チャンの右側に座っているのが、WHO 本部の

ADG(事務局長補)の Dr.

ブルース・エイ ルワードと

Dr.

ケイジ・フクダである。ケイジ・フ クダは名前こそ日本人だが、アメリカ人であり、ア

メリカの

CDC(疾病コントロール・センター)で

訓練を受けた優能な医師である。エボラ出血熱対策 は、実際は、このブルース・エイルワードとケイジ・

フクダの指揮によって達成された。

エボラ出血熱のような地球的規模の拡散を想定さ れる感染症においては、このように

WHO

を中心と した世界の連携が必要となる。そのためにも、世界 各国の首脳に協力を働きかける必要があり、国連か らの支持要請を行なう。具体的には、流行地への人 材の派遣、感染症防護服や医薬品の提供、それらの 人や物資の現地までの輸送、現地で働く人々の宿泊 や食事などの兵站のサポートなど、ただちに準備・

実施しなければいけないことはそれこそ山のように ある。そして、さらに肝心なのは、エボラ出血熱に 対するワクチンを開発することである。このような 細部に亘り、複雑多岐な対策を実施していくために は、核になる人材とそれに協力する人材のネット ワークが必要不可欠であり、それが「国際保健」の ネットワークである。このとき、アメリカはただち

1,000

人の人間の派遣を決めて実行し、日本は人 材派遣では遅れをとったが、感染症防護服などの搬 送を行なった。私は、エボラ出血熱については、当 時、東京医大でも講義を行ない、また医師会等にも 招ばれて講演を行なったので、ここではこれ以上の 詳細は述べないが、感染初動で電解質確保などの適 切な治療を行なえば、決して致死率が高くないこと などが判明し、封じ込めに成功した。また、すでに ワクチンも開発された今となっては、世界の脅威で はなくなったと言えよう。「国際保健」に残された 課題としては、1976年に発見されたウイルス感染 症が、37年間もワクチン開発されていなかった事 実をどう評価するかということだが、その理由をこ こで軽々に述べるのは適切でないにしても、西アフ リカに限局した感染症であって世界の脅威ではな かったことや、ワクチンとしての市場の小ささ、ワ クチン開発・購入の財政問題など、さまざまな検討 課題があることは論を俟たない。

3.

 感染症以外の国際保健の分野

わかりやすい例として、エボラ出血熱の例を挙げ たが、2009年の新型インフルエンザにおいても、

このような世界の連携が効を奏したのはまだ記憶に 残っていると思う。WHO報告によれば、このとき、

新型インフルエンザによる死亡率が世界で最も低 かったのは日本であった。ちなみに、このとき、厚 生労働省の新型インフルエンザ対策推進本部事務局 長として対策の指揮を執ったのは、ほかならぬ私自 身であった。これは何も自画自賛しているのではな く、世界レベルの感染症では国際連携が何よりも必 要で、対策には国際保健の専門家が求められるとい うことを実証したかったからである。

では、感染症以外では、どのような分野があるか?

最近のトピックでは、抗生物質の多剤耐性問題が ある。バクテリアと抗生物質は、耐性菌が現れると、

それに対する抗生物質が開発され、その新しい抗生 物質に対して、さらに耐性菌が現れるという、いわ ば「いたちごっこ」に陥っている。これには、世界 各国が抗生物質の適切な使用を行なうことが不可欠 であり、APEC(アジア太平洋経済協力)の保健医 療ワーキング・グループにおいても各国共通の課題 として議題に挙げられて協議されているし、現在

WHO

においても最重要課題のひとつとなってい る。

写真

1

(3)

感染症や抗生物質の多剤耐性問題は、世界各国共 通の保健医療課題であり、世界が一丸となって、一 つの方向を向いてその対策に邁進して行くテーマで あるが、国際保健の場においては、ものごとは、そ う単純ではない。WHOは扱う分野が人類の健康と いう側面もあって、国連の諸機関の中でも加盟国数 の最も多い機関であり、現在加盟国数は

193

カ国を 擁している。このうち、圧倒的な数を誇るのは、い わゆる開発途上国で、日本や欧米のような先進国は、

一カ国一票の国際機関の場では少数派であって、仮 に、全加盟国間での票決と言うことになれば、多勢 に無勢である。

実は、この先進国対開発途上国という対立構造が、

多くの国際保健分野において、解決すべき課題とし て浮上して来ている(写真

2)。

写真

2

に掲げた諸問題はいくつかの対立例である が、これらには些か説明が必要だろう。検体共有と いうのは、新しいウイルス感染症は、多くの場合、

開発途上国で最初の例が報告される。実は、新しい 感染症というのは、毎年一つくらいは地球上のどこ かで報告されているのだが、そのほとんどは、地球 規模の人類の脅威ではないため、国際保健のレベル での話にまでならないものである。しかし、鳥イン フルエンザなどの感染症は、いずれ人類の脅威にも なると想定されるために、国際保健としても看過で きないものであり、そのウイルスの変異も含めて フォローして行く必要がある。さて、開発途上国で 最初の症例が報告されると、先進国はいち早くその 国に保健医療チームを送り、現地で対策に従事する とともに、そのウイルスを先進国の研究機関に持ち

帰ることが常である。持ち帰られたウイルスは、先 進国間でシェアされて、治療などの研究に役立てる とともに、同時にワクチン開発が行なわれる。ワク チンは効果を見てから製品化されることになるが、

現在の技術では、新しいウイルスのワクチンは、ど んなに急いでも製品化までには最低

6

ヶ月はかか る。そして

6

ヶ月後にできあがったワクチンは、通 常、供給量が限られており、かつ高価である。いき おい、そのワクチンの恩恵を受けるのは先進諸国が 最初ということなる。開発途上国側は、もともとの ウイルスを提供したにもかかわらず、ワクチンがで きてもすぐに搬入されないばかりか、入手できる状 態になっても値段が高いために購入できない事態に なる。このことが開発途上国側の不満となって、開 発途上国は結束して、今後、一切ウイルスなどの検 体は先進国に提供しないなどの主張が国際社会で 堂々となされることになる。ウイルス検体を先進国 に提供しなければ、結局はワクチンそのものが入手 できないという矛盾をはらんでいるこの主張は、先 進国側からすると滑稽な論法なのだが、開発途上国 側はけっこう真剣である。実際は、このために

WHO

の枠組みの中でワーキング・グループを作り、

たとえば、開発途上国にはワクチンの価格を下げる とか、WHOを通じて無償で提供するなどの具体案 が議論されて解決に向かうことになる。

偽医薬品(「にせいやくひん」と読む)も、日本 にいる限り、およそ問題意識に乏しいが、国際保健 の場では、大きな問題となっている。これも、パッ ケージだけ模倣して、中身の薬が、まったく効果の ない内容物であるものから、ジェネリック医薬品の ように、あたかも同じ化合物であるかのようにみせ て、実は、効能効果が著しく劣るものまで、さまざ まである。いずれにしても、これは犯罪行為なので、

国際刑事警察機構(

ICPO

通称インターポール)と 連携して取り締まっている。従来は、単純に、どこ かの工場で作って、それを直接的に販売するものが 多くて、取り締りが容易であったが、近年は、販売 ルートも巧妙になってきて、複数の国(港)を経由 するものが多く、補足するのが困難になってきてい る。これも偽医薬品の工場の多くは、中進国(ここ では、先進国と開発途上国との中間に位置している 国の意味で使う)もしくは開発途上国にあり、その 大本を叩くのが本旨であるが、当然にも、中進国及 び開発途上国には、この分野で莫大な利益を享受し 写真

2

(4)

ている組織・集団があり、取り締りの実行をあげる ことが容易でない。

知的所有権の問題は、さきの偽医薬品とも絡む問 題であるが、先進国で開発された医薬品は特許等の 知的所有権で保護されており、開発途上国が無断で コピー製造などできない仕組みになっている。これ は、先進国側みれば至極当然のことなのだが、開発 途上国側からすると、たとえば、HIV(エイズ)の 特効薬などは高くて買えず、知的所有権を無視して 自国で生産すれば、単価が安くて、多くのエイズ患 者に恩恵があるのにできない、と主張するのである。

これには、実際は、TRIPS協定(知的所有権の貿易 関連の側面に関する協定)によって、開発途上国の エイズ患者にも安価なエイズ特効薬が供給されるこ ととなって一定の解決をみたが、知的所有権の問題 は医薬品以外の分野でも生じており、依然として大 きな課題となっている。

DG

地域ローテーションの問題はやや複雑であ る。DGというのは、Director Generalの略で、WHO の本部事務局長を指す。

WHO

は、ジュネーヴにあ る本部と世界を

6

つの地域に分けた地域事務局から 成っている。具体的には、ヨーロッパ地域事務局、

東地中海地域事務局、アメリカ地域事務局、南東ア ジア地域事務局、アフリカ地域事務局、そして日本 が所属する西太平洋地域事務局である。WHO

1948

年の創設以来、7人の本部事務局長を選出して いるが、そのうち

2

人がアメリカ地域から、2人が ヨーロッパ地域から、そしてなんと、西太平洋地域 からは

3

人が選出されている。これに、いままで

1

人も本部事務局長を出していない、アフリカ地域、

東地中海地域、南東アジア地域が不満を表明した。

念のために説明しておくと、WHO本部事務局長と いうのは、34カ国からなる執行理事会において候 補者が

1

人選出され、それを

WHO

総会で承認する 仕組みである。地域はもとより、立候補に特段の制 限はない。そういう意味では、どの国の候補者にお いても公平・公正であるし、そもそも、執行理事会 の構成そのものが、必ずしも、いままで本部事務局 を輩出した地域に有利な構成であるということもな い。ところが、最近の傾向としては、機会が公平で あっても結果が公平でなければ、それは公平ではな い、という開発途上国側の奇妙な論理が罷り通って、

ついに、WHO総会において、そのことを議論する ワーキング・グループが作られたのである。私は、

実は、このワーキング・グループの副議長であった。

途中の詳細な経過を省くと、現在のマーガレット・

チャン事務局長の次の事務局長選挙からは、執行理 事会で

3

人の候補者に搾り、この

3

人を総会に推薦 して、総会における投票で

DG

を選出しようという 新しい制度にした。これだと、総会において圧倒的 多数を占める開発途上国側が有利になるからだとい う目論見である。

以上は、ほんのいくつかの例であるが、国際保健 の場で利害を調整しなければいけない課題はまだま だあるといっても過言ではない。

4.

 国際保健のプレーヤー

国際保健のプレーヤーは、かなり長い間、WHO 世界保健機関が中心であった。写真

3

にその他の国 際保健のプレーヤーを掲げてみたが、ユニセフを除 けば、みな設立年が新しい。ユニセフは、頭に

UN

と付いているので誤解しやすいが、国連総会で承認 された専門機関ではなく、国連事務総長によって造 られた実施組織に過ぎない。

国際保健の各プレーヤーについては、いちいち詳 述しない。その後、こうした国際保健のプレーヤー に加えて、国際保健のパートナーシップというもの が組織されるようになり、それぞれが、専門分野で の活動を行なうことになる。現在では、その数は

80

あまりともなり、その中には、それぞれが資金 集めなどを行なうため、いったい

WHO

の活動を支 援しているのか邪魔しているのかわからなくなるほ どのパートナーシップもある。主なパートナーシッ プを写真

4

に掲げたが、このうち、GHWA(世界保

写真

3

(5)

健人材連合)は、一時期私自身が理事長・議長を務 めていた保健医療の人材を世界のあちこちで育てる パートナーシップである。それには

300

の国や組織 が参加していたが、そもそも、保健医療人材の教育・

研修は

WHO

にも同様の部署があり、その担当部門 が財政難で縮小されたこともあり、いわば、

WHO

の行なってきた仕事を肩代わりするような形になっ てしまったのは私の遺憾とするところであった。こ のため、マーガレット・チャン事務局長と何回も話 し合ったが、財政の好転が望めない中で組織の回復 は難しく、ついに、私が理事長職を辞するまでには 解決しなかった。

その他の国際保健のプレーヤーも写真

5

に掲げる が、この中で特筆すべきはビル

&

ミリンダ・ゲイ ツ財団の存在である。

ビル・ゲイツは、言うまでもなく世界一の資産家

であり、本人が語ったところによれば、ある日テレ ビのニュースを観ていたとき、いまだにポリオ(小 児麻痺)で苦しむ子供たちが世界にいるのを知って、

自分の娘がこのような感染症に罹ることなく健康に 育っているのに、世界中には、まだ、こんな予防可 能な感染症で苦しむ子どもたちがいるのか、と思っ て、ポリオの撲滅に乗り出したのだと言う。その結 果、ポリオの撲滅に

100

億ドル(約

1

兆円)の資金 の提供を申し出た。私は、実際、ビル・ゲイツがそ の約束をした現場に立ち会い、また、ポリオ撲滅の 会議でも、同じ円卓に座った。その豊富な資金は、

ポリオ対策だけではなく、たとえばワクチン開発や、

診断キットの開発などにも振り分けられている。た だ、ビル・ゲイツ自身は、人材開発などには興味を 示さないし、開発途上国の保健衛生面のインフラ整 備には、自分の仕事ではない、とはっきりしている。

WHO

への任意拠出金額も、どの加盟国よりもゲイ ツ財団のほうが優っている。したがって、ともすれ ば、国際保健の優先順位も彼に引っ張られがちにな るということを危惧する人もいる。かつては、日本 船舶振興会(現日本財団)の故笹川良一会長が、ハ ンセン病の撲滅のために、相当な資金を、WHO はじめとする国際保健分野に提供し、ジュネーヴの

WHO

本部には笹川会長の銅像まで設置されている が、ゲイツ財団のように加盟国を上回るほどの拠出 を行ない、さらに潤沢・豊富な資金を背景に、国際 保健のさまざまな分野に参入してくることになろう とは、まったく想定外であった。

も う ひ と つ 想 定 外 だ っ た こ と は、UNAIDS

Global Fund

のように、感染症対策を主体とする国 際組織が、本来、感染症を含む医療保健分野の中核 的役割を果たすべく国連専門機関として創立された

WHO

の枠外に次々に設立されたことで、国際保健 分野での調整が複雑になったことである。それぞれ の組織の設立には経緯や先進国間の思惑など、一様 でないものがあり、ここでは詳しく触れないが、い ずれも

WHO

の硬直した融通のきかない官僚機構を 嫌って設立されたものであることは共通している。

5.

 国際保健の担い手

写真

6

は、1989年にマニラで開催された

WHO

西太平洋地域委員会のパーティーでの写真である。

28

年前の写真なので、それぞれに若いが、中央が 私で、向かって右側が、当時マニラの地域事務局で 写真

4

写真

5

(6)

働いていた

Dr. J.W.

リー、向かって左側が韓国の代 表団の一員だった

Dr.

シン・ヨン・スーである。ち なみに、私だけスーツを着ていないが、この服装は フィリピンの正装でバロン・タガログである。

この写真から

14

年後、右側の

Dr. J.W.

リーは、

熾烈な選挙戦を制して、第

6

代の

WHO

本部事務局 長に当選する。一方、左側の

Dr.

シン・ヨン・スーは、

この写真からちょうど

20

年後に、WHO西太平洋 地域事務局長に選出されるのである。人の人生とい うか運命というのは本当にわからないものだと思 う。この写真を撮ったときは、まさか、そのような 展開になろうとは

3

人とも誰も思わなかった。

それでは、左右の

2

人はそのように国際保健に貢 献するポストに就いたが、私はどうか、というと、

私は、2010年、第

63

WHO

総会で、A委員会の 議長に選出された(写真

7)。日本人が A

委員会の 議長に就任するのは実に

50

年振りのことであった。

ちょっと説明が要る。毎年

5

月にジュネーヴにおい

2

週間に亘って開催される

WHO

総会(世界保健 総会)は、加盟

193

カ国の厚生大臣(保健大臣)が 一堂に会する

WHO

最大のイベントである。WHO 総会は、最高の意思決定機関でもあり、いわゆる

WHO

決議というのは、すべてここでなされるので ある。総会の全体会議の議長は、6つの地域の持ち 回りであり、全体会議ではほとんど実質議論はされ ないので、どちらかというと名誉職的な意味合いが 強い。一方、総会の全体会議に提出される決議等は、

すべて

A

委員会と

B

委員会の

2

つの委員会によっ て事前に十分に討議されて全体会議に送られる。

ちょうど、日本の国会で、実質的な議論は委員会に

おいて行なわれ、その結果が本会議に付託されるの と似ている。2つの委員会のうち、感染症対策など のいわゆる保健医療案件は、A委員会で扱われ、パ レスチナ加盟問題などの政治的な案件が、

B

委員会 で扱われることとなっている。通常、A委員会の日 程がきつくなって、総会日程の最後のほうで、いく つかの案件を

B

委員会のほうに移すことも多い。

以上の説明で理解されたと思うが、WHO総会にお ける

A

委員会というのは、WHOの実質的な討議を 行なう場なのである。

写真

7

は、実際に私が

A

委員会議長の職務を務 めている場面だが、壁の時計をご覧いただきたい。

時計の銘柄がパティック・フリップなのはさておき、

針の指している

9

20

分は、午前ではなく、午後 である。総会日程の

2

週間、毎朝

9

時から案件によっ ては

10

時半頃まで討議が繰り返される。しかも、

同時に、委員会でもめた案件や決議の修文などを解 決するためにワーキング・グループなども設置され、

そっちのほうが明け方までかかったりするから、気 が抜けない。登録した加盟国にはすべて発言させな ければならないから、途中で討議を中断することも できない。しかも、いくら

3

分以内で発言してくれ、

と議長が言ってもむしろ守る代表のほうが少ない。

あたりまえだ。発言は、本国で討議案件ごとに、あ る程度練って、国の立場を反映させて決裁されたも のを持って来るわけだから、それを発言する代表に とっては省略のしようがないのだ。

決議案等で修正が入ったり、もめた場合は、国に よっては本国と連絡調整する必要のある国もあるの で、修正が複数入ったり、複雑な修正が入った場合

写真

6

写真

7

(7)

は、議長はそのための時間をとってあげる必要もあ る。さらに、WHO総会は隔年で総会言語を英語と フランス語とに交替する。あいにく、私が

A

委員 会議長を務めた年はフランス語だったので、加盟国 の国名をフランス語で呼ばねばならず、それだけで もストレスであった。たとえば、アメリカ合衆国は 英語では、United States of Americaだが、フランス 語では、Etats-

Unis

のようにまったく異なるし、フ ランス語はリエゾンするので、193カ国すべてにつ いて前もって練習する必要があった。この年、フラ ンス語だったことは、写真

7

WHO

事務局の名札 がフランス語表記になっていることでもわかると思 う。

写真

8

は、私の横にマーガレット・チャン事務局 長が座っている写真だが、注目していただきたいの は、私の背後で

WHO

事務局の女性が双眼鏡を翳し ている姿である。

WHO

の加盟国数は

193

カ国である。その代表団 が、二重三重の円型テーブルに自国の名前のプレー トを前に座っている。そして、発言したい国の代表 は、むやみに手を挙げたりするのではなくて、その 国名のプレートを縦に立て替えるのがいわば慣例と なっている。もちろん、早いもの順で議長から発言 が許可される。双眼鏡を翳している事務局の女性は、

その発言希望プレートを観ているのである。席順は、

その年のロットによって決定される。すなわち、ア ルファベットの最初の文字だけをロットで無作為に 選び、以下、その順で座席がアルファベット順に決 まる。したがって、Aが前に座っているという保証 もないし、Sが後方に座っているという決まりもな

い。加えて、たとえば、仮にその年が

U

から始ま る年で、かつ英語の年なら、アメリカ合衆国は前に 座っているが、フランス語の年なら、Eなのでやや 前方にはいるが最前列にはいない。英語の年なら、

USA

UK

は近くに座っているが、フランス語の 年では、Etas-

Unis

Royaume

-

Uni

なので相当離れ ている。つまらないことのように思うかもしれない が、各国の利害が対立する国際会議では、どこの国 の代表も国を背負って来ているのでピリピリしてい る。議長が代表に発言を促すときは、その代表が座っ ている方向を向いて国の名前を呼ぶのは、いわば最 小限必要な礼儀である。いま、現に発言している人 の話を聞かなければいけないし、次の発言者がどこ の誰で、どのあたりに座っているかも把握しなけれ ばならない。けっこう緊張を強いられる業務である ばかりでなく、紛糾した場合は、議長裁定案なども 出さなければならない。私のときも、大いにもめた 案件があって、どうしても合意に達しないので、翌 日の冒頭に、私が静かに大演説をぶって合意した経 緯がある。こういうとき、国際会議のダイナミズム を感じる。

63

WHO

総会が終った後、私はパリ経由で 日本に帰った。そのとき、一泊したパリのホテルで 疲労困憊して食事も摂らずに死んだように眠ったの を思い出す。

6.

 国連公用語

国際保健を語るとき、言語の話はいつも付いて回 る。国際会議にしろ、国際交渉にしろ、一定程度の 外国語ができなければ、自国の意見を通すのは不可 能とは言わないまでも、きわめて困難を極める。国 連 に は 国 連 公 用 語 と 称 す る も の が

6

言 語 あ り、

WHO

も国連専門機関であるから、これが適用され ている。

写真

9

は、ジュネーヴの

WHO

本部の玄関で写し た 私 の 若 か り し こ ろ の 写 真 で あ る。 玄 関 に は、

WHO

公用語の

6

つの言語で、「世界保健機関」と 書かれている。上から、中国語、フランス語、ロシ ア語、英語、スペイン語、アラビア語の順である。

言い換えれば、この

6

つの言語が

WHO

で使用され る言語であり、すべての書類、報告書は、この

6

の言語で配布、提出され、会議の発言も、すべて、

この

6

つの言語のいずれかでなされなければならな い。一目見てわかる通り、6つの言語には日本語、

写真

8

(8)

ドイツ語、イタリア語の枢軸国側の言語は含まれて いない。この一時をもってしても、WHOを含む国 際機関は、第二次世界大戦の戦後処理機関であるこ とがわかると思う。一方、加盟各国の

WHO

への分 担金は、やや古い資料で恐縮だが、

2011

年の段階で、

日本、ドイツ、イタリアで

25%

を占め、これにア メリカ合衆国を加えれば、実に半分近い部分を分担 しているのである(写真

10)。

ちなみに、同じジュネーヴにある

ILO(国際労働

機関)の総会では日本語で発言できる。これは、

ILO

の総会には労使の代表が出席するため、日本語 で発言できるように日本政府が特別に通訳費用等を 予算化して

ILO

に支弁しているためで、いわば特 例と言える。

7.

 中嶋宏先生のこと

東京医科大学を昭和

29

年に卒業された中嶋宏先 生は、第

4

代の

WHO

本部事務局長として

1988

1998

年の

10

年間務められた(写真

11)。私は、

中嶋先生の最初の本部事務局長選挙のときから、厚 生省国際課の課長補佐として選挙に関わり、先生が 当選されてからは、先生をサポートするために、厚 生省から派遣されてジュネーヴに勤務した。

写真

11

は、ジュネーヴの

WHO

本部の壁に掛け られているものである。WHO本部を訪れる機会の あった方は、ぜひご覧いただきたい。玄関を入って すぐに右へ曲がり、執行理事会室のほうへ向かう階 段の壁に飾られている。

中嶋宏先生からは、国際保健のことばかりでなく、

骨董品のことやワインや料理のことまで、実にさま ざまなことを教えていただいた。また、私と同時期、

外務省からは佐藤裕美大使が派遣されて来ていて、

佐藤大使からも、多岐に亘りいろいろなことを学ば せていただいた。当時私は、まだ

30

代前半の木っ 端国際公務員であったが、さすがに生き馬の目を抜 くジュネーヴの国際機関とあって、チンピラの私の 脚を引っ張る者も絶えず、驚かされることも多かっ た。

写真

9

写真

10

写真

11

(9)

中嶋宏先生は、

WHO

を退官された後は、フラン スのポアチエという片田舎にアメリカ人のマーサ夫

写真

12

人と

2

人でお住まいになっていた。私は、何度かお 邪魔したが、いつも歓待していただいて、ご馳走に なった。

写真

12

は、2012

12

月にお邪魔したときのも のである。中嶋先生は、この翌月にお亡くなりにな られた。私は、日本政府を代表して、天皇陛下の御 香典と内閣からの従三位の位記をマーサ夫人にお届 けした。

思えば、中嶋先生の存在がなかったら、私も国際 保健の途に歩まなかったかもしれない。また、私が 厚生労働省を退官後、中嶋先生の母校である東京医 科大学に教授として招かれたのも縁があったとしか 言いようがない。

以上、私がかいつまんで説明した「国際保健」を 天国の中嶋先生はどのように評価されるであろう か?

参照

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