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国 際 社 と 大 学

さいとう ひろし かみ じよう あっ し L がき みつひろ

斎藤 寛 ・上 候 厚 ・志柿 光浩

は じ め に

大学 は何を もってその存在価値を主張で きるか、ある いは大学の存在意義 は何か、という問題 は古 くかつ新 し い。 この命題 に常 に正面か ら取 り組んできた大学のみが 真の大学であ り、無限の発展性を有す る組織体 と考える

ことができよう。

新 しい社会創造 に対 して大学 はどのような貢献がで き るかという問題 は、疑いもな く大学 の存在意義 そのもの と深 く関わ っている。本稿では、大学 は国際社会にどの ような貢献ができるか、またそのためには今、どのよう な問題があ り、今後何がなされなければな らないか、と いう視点か らこの問題へのアプローチを試みる

文化を異にす る世界中の人々が日本の大学で勉強する、

このことが日本および日本以外の世界の国々にとって、

大 きな貢献であることは改めて述べ るまで もないであろ このことを通 して、日本のみな らず世界における新 しい社会の創造に参加 してい くこと、そこにこれか らの 大学の存在意義があることを私 たちは確信す る

しか しなが ら、解決 されるべ き問題が山積み している ことを、私たちは知 らなければな らない。

本稿では、長崎大学外国人留学生指導セ ンターの専任 教官 として、主 に日本語教育を中心 に日々留学生教育に あたっている上候 厚書と志柿光浩が、 自 らの経験 と、

これまでの留学生教育に関す る調査や考察をもとに、今、

何が大学に求め られているか という理念の問題、そ して

本稿 は、長崎大学大学教育開放運営委員会編 『長崎大学公開講 座 叢 書4 転換期の社会‑向か って』(長 崎大学、 1992年 ) 所 収の同名の論文を編集者の承諾を得て転載 した ものです。

*上棟 厚氏 は現在、信州大学教養部助教授。

具体的な留学生教育上 の問題の二つに分けて論 じている。

留学生の受 け入れを中心 とした大学の 「国際化」 はも はや現実であり、それぞれの大学 として も積極的に取 り 組むべ き課題 となっている。 これ らの論考が、これか ら の新 しい大学の創造に向けての大学の自己改革の過程の 中で、また大学 の現状 と未来 についての社会全体の理解 を得てい く上で、大いに参考 とされることを期待す る

(窯藤 寛 :外国人留学生指導セ ンター長 ・医学部教授)

1節 今、何が大学 に求 め られているか 1.問題 は何か :留学生教育の場か ら

好むと好 まざるとに関わ らず、日本の大学 を舞台 に し た国際的な人的交流 は、今後 も拡大 し続けて行 くだろう

大学の 「国際化」に向けて態勢を充実させていくことに、

誰 も異論 はあるまい。 しか し、具体的に何がなされなけ ればな らないのかという段になると、明確な答えが用意 されているわけではない、 というのが実情である。特に、

国際的な人的交流拡大の中心的役割を担 う海外か らの留 学生受 け入れの場合 、実際 の現場 で は、すでに日本 に

来て しまった」留学生を前 に、試行錯誤 の連続 とい う 状況がある

他方、文部省を中心に進め られているいわゆる 「留学 生10万人受 け入れ」政策 は、大学審議会などの答申に基 づいて始まった大学教育の改革 と結合 され、各大学 に国 際交流の量的な拡大 と質的な変革を迫 ろうとしている三 このように、留学生受 け入れの拡大を最大要因 とす る 大学の国際化の要請が日本全体の趨勢 としてあ り、実際 の現場では試行錯誤が続け られているという現実 との狭 間にあって、各大学 は次の一歩をどこに進めればよいの

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だろうか。本節の課題 は、その 「次の一歩」を進める手 がか りを探 ることにある三

その際に、以下では、実際に留学生 と接す る仕事をす る中で、経験 し考えさせ られて きたことの内か ら、特に 重要ではないか と思われる三つの問題に焦点をあてて考 察す る 第‑ は、日本の大学における教育の内容 ・方法 そのものの問題、第二 は異文化を背負 って日本にやって くる留学生 (そ して研究者)に対応する際に、どのよう なことが考慮 されなければならないか という問題、そ し て第三 は、これ ら二つの問題 と切 り離せない関係にある、

コ ミュニケーションの手段 としての日本語の問題である

2.教育への回帰」・「教育機能の強化」

留学生の抱える問題 は多種多様だが、「学習 ・研究 が 思 うようにで きない」 という悩みは、最 も本質的な問題 であろう指導教授 はいっ も忙 しそ うで、 とて も相談 できる雰囲気ではない」、「ゼ ミで質問 して もきちんと対 応 して くれな」、「毎 日が実験の繰 り返 しで、専攻分野 についての包括的な指導を して もらえない」 といった教 師の教育指導に直接関わる問題か ら、「図書館 に必要 な 本が整備 されていない」、「洋書がほとんどない」 といっ た学習環境の問題、さらに留学生 たちが口をそろえてい うことだが、「日本人の学生 は勉強 しない

授業で質問 しない し、教師 も学生 との討論を望んでいないように見 える」 といった日本の大学における教師と学生の関係の あり方 についての問題などなど これ らは、留学生 と接 す る中で筆者 も直接聞 き、またこれまでの調査で、日本 の大学 に概ね共通す ることが明 らかになっている問題で ある昌それは、後 に述べ るよ うに日本 の大学 における

教師 と学生双方の教育か らの離脱」の問題であ って、

教育を受 けることを最大の目的 として きた筈の留学生に とっては衝撃的な現実である

留学生の宿舎の問題やアルバイ トの問題 も決 しておろ そかにできない問題だが、留学生教育の最大の問題 は日 本の大学 における教育その ものにあるように思われる 留学生の来 日の最大の目的は日本で教育を受 けることで ある筈であ り、その内容 ・方法に問題があるとすれば、

これ こそが留学生教育の最大の問題である

日本の大学では教育が軽視 されている、と言 うと事実 認識が違 うと言われるか もしれない。大学 は研究機関で

9

あると同時に教育機関である、というのが共通の認識だ か らである 大学教授の中には教育が軽視 されているな ど心外だと思 う人 も多いだろう しか し、日本の大学教 育の抱える問題 の深刻 さについては、すでに多 くの指摘 がなされている 日本における数少ない高等教育研究者 の一人である喜多村和久氏 は、日本の大学教育の現状に ついて、教師 と学生 の 「双方 の側か らの不幸 な "教育 か らの離脱現象"」があることを指摘 していると また大 学審議会は19915月の高等教育計画に関す る答申で、

日本の高等教育の今後の 「教育機能の強化」を真 っ先に 提唱 しているのである三

日本の代表的政治学者の一人である福田歓‑氏は 「自 国の学生を大事 に しない社会は留学生を大事 にできない

6」と述べているが、日本の大学 にお ける教育 の 不在の指摘が正 しいとすれば、留学生に対す る教育 も例 外ではありえない。

ここでは日本の大学教育の抱える諸問題 について立ち 入 って議論す ることはしないが、教育を大学に取 り戻す という一見単純なことを実行 に移す上 で、「教師 に時間 的なゆとりがない」 という問題が大 きな障害 となって立 ちはだか っていることだけを指摘 しておきたい。

実際、大学の教師には忙 しい人が多 い「私 の先生 は いっ も忙 しい」 と留学生たちがあきらめ顔で口にするの を、筆者 もよく耳にす る しか し、教育には本来、時間 がかかるはずである 特に対話を基本 とす る教育 は、時 間的なゆとりな しには達成で きない 。そ して、日本語能 力が十分ではな く、講義などの背景にある了解事項にも 疎 い留学生 こそが、そのような対話を基本とした教育を、

最 も切望 しているように思えるのである もっと教師が 教育に充てる時間を増やせるようにすることが、大学に おける教育への回帰、そ して留学生教育の充実のための 最大の条件ではなかろうか。

そのための解決策 としては、現在進め られている事務 官定員削減政策を見直 して、行政的領域を専門家に托 し

ていくことが必要である また今後、研究を主にする大 学教師と教育を主 とす る大学教師 との機能分担が進むこ

とも予想 されるが、特に後者の立場の教師には、数年に 一度、教師を教育から完全に解放する、いわゆるサバティ カル制度を確立 して一定期間、研究に専念す る時間を用 意 し、それ以外の期間には教師が十分に教育に専念で き

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るようにす る、といったことも考え られてよい。

3.異文化対応の戦略

以上 のよ うな日本人学生 に対す る教育 も含めた大学教 育その ものについての問題の他に、異文化を背負ってやっ て くる留学生 (そ して研究者)に対 して日本の大学 は、

そ して私 たち丁人一人は、どのような態度で臨めばよい か、とい う問題がある

国際交流拡大の旗を振 っているだけの人 はいいが、実 際に留学生 と日々接 して仕事を しなければな らない事務 担当者や、指導教授 に留学生 の世話 をまかされた講師 ・ 助手 といった若手 の人々は、大学審議会がいうところの

非伝統的な新 しい学生層」の教育指導 に四苦八苦 して いるとい うのが実情ではなかろうか。「留学生 が来 ると 憂哲 になる」 とか、極端 な話 しではあ るが、「後 ろか ら 飛 び蹴 りを食 らわせたいような留学生 もいる」 といった 感想 さえ伝え聞 くことがあるが、それを、そのような感 想 を吐露す る人の狭量 さのためだ とあながち非難で きな い状況があることも確かである ある文部省国費留学生 は 「日本の大学 の事務官のよ うな下級公務員に学生扱 い を受 ける筋合いはない」 といったことを、あるア ンケー

トに書 き並べて帰国 していった。

一方、留学生の側か らは、腹を割 って話 し合えるよう な関係を日本人 と作 りたいと思 っているのに、なかなか それがで きず、寂 しく思 っているという声が共通 して聞 かれる。留学生 には、待 っていて もだめだか ら自分か ら 積極的に日本人に話 しかけてい くようにとか、クラブ活 動 に参加 した らどうか、 といった助言 を与えているが、

そ う簡単 に解決 しない問題のようである。

留学生の異文化適応 に関 しては、既にさまざまな研究 が行われているが、大学の学生や教職員が、国際交流の 拡大の中で、どのように異文化に対処 ・適応 していけば よいのか という問題 について も、 もっと検討 され るべき である三 ここではこういった問題を考える際の、基本的 姿勢 について私見を述べてみたい。

(1)一個の人間 と しての対等性の認識

国際政治学者DovRonenは 「将来、研究 が進 んで反 証がなされない限 り、人間の構成す る基本的実体 として 確実に実在す ると言えるのは、個 々の個人 と人類全体の

二つだけである。 これ ら二つの問に位置するものは全て、

母親 と彼女か ら生 まれたばか りの新生児 という組み合せ を除いて、みな私 たちが他者 (others)に対す るもの と して我々 (ourselves)を認識 す る中で窓意 的 に作 り出 した ものである」 と述べている三人種 や民族 、国籍 と いったことはもとより、男 と女 といった区別 さえ慈恵的 だ という訳である

我々 (we)日本人 とか、彼 ら (they)外国人 とい う 区分 けも、私 たちが勝手 に しているに過 ぎない。煎 じ詰 めれば、地球人 という全体の中の一人一人の個 としての 存在以外 は、日本人であるとか、男であるとか、女であ るとか、九州男児であるとか、そ ういった ものは私 たち 自身が長 い歴史の中で勝手 に作 り出 した、いっかは剥が されることもあるレッテルにす ぎない 。

留学生 たちの多 くが、日本人 と率直に話 し合えるよう な関係ができないと言 うの も、日本人に、地球上の人類 として私 たちは同類であ り、それぞれは一個の人間 とし て対等だ とす る認識や教育が欠けているか らではないだ ろうか。異なる文化の中でそれぞれに生 きて きた者同志 が友情を培 い得 るとした ら、それはこのような認識の上 に立 って初めて可能だと思われる。

最近行われた調査で、「国際人」 の条件 とは何 か とい う質問に答えて、日本人学生 は 「外国語能力や海外につ いての知識」を最初に挙 げたのに対 して、 ドイツの学生 は 「視野の広 さや寛容性」を第‑ に挙 げ、際だ った対照 を見せている三 ドイツの学生 たちの選んだ 「視野の広 さ や寛容性」 といった資質 は、人類 としての共通性 と個人 としての対等性の認識 に通ず るものである。 このような 認識を私 たちの心の中に育ててい くことが、まさしく教 育の国際化の課題であろう

一方、留学生 に対応す る中で生 じているさまざまの乱 蝶 は、文化の違 いだけか ら来 るのではない。留学生の多 くは大学院 レベルの学生であ り、その年齢 は日本人学生 より概 して高 く、出身国で大学講師や研究員などの職 に ついていた者が相当含まれている 学生を、まだ一人前 ではな く未熟な者 として扱 う傾向にある従来の日本の大 学の学生観で これ らの留学生 に接 して行 けば、感情的な 食 い違 いが出て くるのは当然である大学審議会の答申 は、今後増加す るであろう外国人留学生と社会人学生を、

非伝統的な新 しい学生層」と呼んで いるが、従来 日本

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の大学 において形成 されて きた学生 ・事務担当者 ・教師 の間の人間関係のパ ター ンに代わ るものが今、求 め られ ているのである

そのよ うな新 しい人間関係 のパ ター ンを創造す るため にも、「一 個の人間 と しての対等性」 を明確 に認識 す る ことが肝要である 教師だか ら学生 よ り偉 いとか、学生 だか ら教師よ り劣 るとい うのではな く、学問 ・研究上、

教師に学ぶ ものがあるか ら、学生 と教師の問に尊敬 と信 頼の関係が生 まれ る また、真理 を追及す る立場 にあ る 点では教師 も学生 も対等であ り、さ らに人格的には教師 も学生 も同 じ一個の人間 と して対等だ、 と考え るべ きで ある 日本の大学 で自説 に反論す る学生 に慣れていない 教師や、教師に討論 を挑 まない学生が少な くないのは、

このよ うな対等性 の認識が薄 いか らではないだろうか。

この ことは、事務担当者 と学生 の間 で も同 じであ る

「大学 における学習 ・教育 ・研究活動 の遂行 は、事務担 当者 の働 きがあ って初めて可能なのだ」 とい う認識の上 に、尊敬 と信頼 の関係が築かれ る 相手 は学生だか らと か、自分 は出身国で は偉 いか ら、 といったことで人間関 係が決 め られて はな らない。それぞれ一個の人間 として は対等である、 とい う認識 を持っ ことを、出発点 とすべ きである

この ことは、日本人 も留学生 も共 に再確認すべ き原理 である 改めて言 うまで もないことか も知れないが、大 学教師であることは、その人の人格 を何 ら保証す るもの ではないC大学教師であることでその人が一個の人間 と して偉 いということにはな らない。留学生 の中には、日 本人以上 に権威主義的なェ リー ト意識 を覗かせ る者 もい 日本人 も自戒 し、また留学生 に もそのよ うな権威主 義的なエ リー ト意識 の無意味 さと弊害 を認識 して もらわ

なければな らない。

(2)契約観念の強化

かって海外の大学 で教 えていた時に筆者 は、単位を与 えなか った履修者 に 「裁判所 に訴 えてや る」 と言われた 経験がある 日本で も留学生 に教え る中で、この経験を 思 い出すよ うな ことが最近 あ った。 このような ことは、

日本 人学生 を教 え る際には、まず考え られないQ異文化 を相手 にす ることの持っ、厳 しい側面である

このよ うに考え方 や行動様式の異 なる者同志が、円滑

ll

な人間関係を築 いてい くためには、互 いの権利や義務 な どの基本的な関係を明確 に提示 して、前 もって相互 に了 解 してお くことが何 よ りも大事である。すなわち 「契約」

である 同質性 の高 い日本 の社会で、相手 の顔色を見て もの ごとを決定 してい く日本的なや り方 は、現実の国際 交流の場では通用 しない。

留学生教育 の場合には、まず大学 と留学志望者 の間 に 契約が必要 になる 受 け入れ決定 の前 に、大学側 は留学 志望者 に対 して、大学が留学生 に何 を提供す ることがで き、何を提供す ることがで きないか、そ して留学生 は大 学でどのような権利 と義務 を有す ることになるかをはっ

きりと提示 しなければな らない。大学が発行 して留学志 望者 に送付す る大学概要 、あるいは学部、研究科 の案内 等 は、基本的に この条件提示の役割 を果たす。 この条件 提示が しっか りしていれば、留学志望者 はその条件 を受 け入れて入学 を志望 した ことが明確 にな り、留学生 の教 育をめ ぐって入学後にさまざまな問題が生 じた際 に も、

感情的な行 き違 いの生 じる可能性が大幅 に減 る。留学生 の生活上大 きな問題である宿舎の問題 などに して も、入 学許可 の前 に大学 の寮の入居条件 などについて明確 に提 示 しておけば、留学生 はさまざまな条件を知 った上で入 学 して くることにな り、問題が生 じて も相互理解のため の共通 の土俵がそ こにはある

一方 、契約の一方の当事者である留学志望者 の側 は、

大学 の求 める受 け入れの条件を自分が満た していること を、明確 に証明 しなければな らない。本国での学業成績、

留学中の学資負担能力 、語学能力、などを証明す るのは 留学志望者 の責任である 入学後にそれ らの証明に偽 り があることが判明 した場合には、入学 の許可 を取 り消す 権利を大学側が保留す るといった ことも当然明確 にされ ていなければな らない。ただ し、 これ ら留学志望者が提 出す る書類 を的確 に評価す るのは、大学側の責任である

この点 、留学生 出身国の教育制度 に関す るマニュアルな ど最近少 しずつ整備が進 め られて はいるが、個 々の大学 の留学生 の選考 ・入学許可 の システムはまだまだ不備だ

らけだ というのが実情であろ う

例えば長崎大学では、特 に研究生や聴講生 の身分での 留学生 の受 け入れに関 して、依然、指導教官個 人の裁量 に任 されている部分が多 い。 しか し、身分はどうであれ、

大学 の学生 として受 け入れが認 め られた時点で、その留

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学生 と大学の間には相互 に権利 ・義務の関係が生 じる

大学が留学生の受 け入れを許可す るという行為は、その 意味で、大学 と留学生を双方の当事者 とする契約関係締 結の行為だ と考え られる。このことは留学志望者の選考 ・ 入学許可を行 う際に、 もっと自覚 されるべきである

教育 というものは優れて人間的な関係であって、契 約などといった四角四面の ものを持ち込むと、教育か ら 人間味が失われる」 といった議論があるか も知れない。

しか し、 しっか りした制度的裏付 けがあって こそ初めて 柔軟な人間関係の構築が可能になるのであって、そのよ うな裏付 けのないところで 「柔軟 さ」だけを求めて も、

それはただ 「いい加減」なだけに終 ることの多いことを 忘れてはな らない。そのようなことでは、教育にいくら 心を込めようとして も、労多 く実 り少ないということに なりかねない。

留学生をめ ぐる諸々の問題 は、入口の所をきちんとす ることによって、その多 くが解決 され、また問題の処理 も容易になるはずだ、というのが留学生 と接す る中で日 頃、筆者が最 も強 く感 じていることである

4.日本語の重要性

日本語の重要性を論 じていると決 って出て くるのが、

専門教育 は英語でいいか ら、日常会話 がで きる程度 の 日本語が必要だ」 という考え方である。 しか し、筆者は、

ほんとうに専門教育の場であなたの英語 は通 じているの か ?という質問を専門教育担当の大学教授に発 したい。

専門分野の実験の方法、理論などは大方の教授が英語で 説明で きることであろう しか し、留学生を対象 とした 専門教育 はそれだけでは終 らないはずである まず、日 本の大学における教師 と学生の関係は多 くの外国の大学 とは異なっている。 この違 いを英語で十分に説明す るこ とがどれだけの大学教授 にで きるか、問題である それ にとどま らない 。専門教育 は研究 テーマ以外のさまざま な側面を含む。奨学金制度、大学院の組織 ・制度、さま ざまな人間関係、そういったことまで、留学生 と英語で 十分に討論で きる教授ばか りではない、 というのが実情 ではないのだろうか。

そのようなとき、英語で意志疎通ができないことが、

大学教授の資質を欠 くことを意味す るとは思えない。日 本で教育を している以上、日本語で意志疎通のできない

留学生が非難 されることがあって も、英語のできない日 本人教師が非難 される筋合いはないのである ただ、そ れを主張するには、留学生に対 して、日本語能力が不可 欠であることを、最初に明示 しておかなければならない。

前項で述べた 「契約」の問題である そ して、 これが可 能になるには、留学志望者の日本語能力評価が合理的に なされる保証がなければな らない。現在、日本国際教育 協会 と国際交流基金によって実施 されている日本語能力 試験が、米国のTOEFL(TestofEnglishasaForeign Language)などのモデルに一 日も早 く近 づ くことが、

期待 される。

ひとたび日本語の重要性が確認 されれば、後は技術的 な問題であるように思われる。まず受 け入れの段階で日 本語能力の十分な者だけを受 け入れるようにす る。それ ができない時 は、次善の策 として、受 け入れ後に十分な 日本語教育を行えばよい。 しか し、現実 はそのような理 想には程遠 い。筆者 はかつて、日本語 はおろか英語 の能 力 もないのに学部 に受 け入れ られたあ る "聴講生 !"

の日本語教育を担当 したことがある

研究生」 が指導 教官の下で、一つの研究課題 について一定期間大学で指 導を受 けるという制度であるのに対 して、「聴講生」は、

正規の学生以外の人が、各学部で開講 されている講義を 選 び、聴講することができるようにす るための制度であ

聴講生」という身分で受 け入れ られた留学生 は、

日本人学生 と机を並べて講義を聞 くわけだか ら、当然、

高度の日本語能力 と専門の学力を持 っていなければな ら ない筈である 私たちの開講 している日本語 コースは補 講的な性格の もので、週2回だけの初級 日本語の授業に やって くる彼を見 る度に、矛盾 とある種の絶望感を感 じ ずにはいられなかった。大学教育の持つべき合理性 のか けらも、そこには兄いだせなかったか らである。

こういったことを是正 して行 く上で語学能力検定 も含 めて、留学生に対す る英語教育 について極めて合理的な 制度を作 ってきた米国の例 は、 ここで も参考になる 学生の英語能力の レベルに従 って、留学生が本来 目的 と している学課教育 と留学生を対象 とした英語教育 (一般 に第二外国語 と しての英語教育、EnglishasaSecond Language:ESLと呼ばれている)とはどのよ うな関係 で行われるべ きか、米国で作 られたモデル ・チャー トを 1に訳出 してお く これ らを例 として、留学生 を対象

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表 1.米国の留学生教育における英語運用能力 と学課教育 との関係

能 力 初歩的 な能力がある 中級程度の能力がある 学課教育に必要な最低限の能力がある

学 課 教 は 行 わ 学 課 教 育 は 司

巨実上運用能力な し 学習 した語糞を使 って簡単 身近 な話題 についての文や 身近 な話題 や学問上の話題 な文や質問を書 くことがで 質問を、基本的ではあるが について、 ほとん どの文型 きる○ スペ リングの間違 い 複雑ではない文型を使 って が使 いこなせる〇時に意味 や文の構造 に間違 いが多 く 書 くことがで きるが、 しぼ 不明0時間がないときや試 意味が分か りに くくなるこ しぱ意味不明である○限 ら 験の時には能力が低減o解 とがあるO れてはいるが物語文や描写 説や論証を行 う文章で使わ 文を書 く能力があるo れる文章構造の理解度は低い○

喜美上運用能力な し 初歩的 な英語教材 や物 、 中級程度の英語教材や物 英英辞書を常用 してとん 文 を読 み、理解するo 文、して簡単 な解説文を どの解説文を読み、理解す

ケ国語辞書を常用するo 読み理解す る英英辞書 るoニ ケ国書を多用 し を常用 し、時 にニ ケ 国語辞 て自分の専門野の文章を

書を使 う○ 読み、理解する○いずれ も要語讐かな り時間がかかるo読解に困があるのの能力語吏員 と不十分ff

実上運用能力な し 非常にゆっくりと一語ずつ 普通の速さで も‑一語ずつはつ 普通 の速 さで、 くだけた言 分けて話 されれば、身近 な きりと話 されれば、身近 な い回 しの質問、陳述、会話 話題についての簡単な質問 話題 についての質問や陳述 がほとんど理解で きる,J困 は理解するo写実的な語嚢 や会話がわか る〇時に言い 難を伴 うが、自分の知 って を使って言 い直す ことが必 直 してやることが必要 にな いる分野での講義を理解す 要 になることが多 い o る○ ることがで きるo

i実上運用能力な し 常、個人に必要なこと 社会生活のほとんどの場面 ため らいがちになることも や身近 な話題 につ いては質 で理解可能 な形 で会話 を交 あるが社交的な会話や学問 し た 答 えた りする わす ことがで きるが、構文 上の会話に十分に参加で き とがで きるが、語糞は非常 や発音 は不完全○学術用語 る○慣用表現や構文の誤 り に限 られている○構文や発 の知識 は限定 されているo を時 に犯 し、意味不明にな

音の間違 いが多いo ることがあるo

集 中 的 な 英 語 教 育 プ ロ グ ラ ム を 受 け さ せ る 学課教育 は最小限

学 課 の 科 目 は 受 講 さ せ 上級 コース (学課数育科 目の全領域を扱 ったESLの問わない) 単位の有無 は1科 目と英語 英語運用能力

読 解 能 力 事実上運用能

聴 解 能 力 事実上運用能

発 話 能 力 事実上運用能

E S L 集 中

V

学課教育に必要 な うち 部分的な能力がある

限 し て 実 施 を持 って文 けるが、時に慣用的用 誤用がある。時間が

きゃ試験時には能力 解説や論証を行 う文 〟;*「Jヽノ 、力 戒についての埋

り低いが、構成 誤用を訂正する 間のうちに身につ

o

投的な解説文や自分の専門 分野の文献を読み、理解す る。多少の余紹

が読める。要 旨把握の技能 に欠けるが、短期間 する基礎 はある。

普通の速 さで自分の知 って いる分野での会話や講義が ほとんど理解で きる。

社交的な会話や学問上の会 話に分参加できる。慣用 表現構文の誤 りを時に犯 すが、意味不明になること はあまりない。

学課教育は部分的に実施 学課科 目2科 目と作文 ・読 射こ重点を置いたESL 上級コース (単位の有無 は 問わない )

.....l

謀教育 に必要な能力を 分に有する

通常の学課教育を実施 イティブに比べて多少 速度が遅 く、時に慣用

=" ‑

叩‑M".L1

.

の誤 りがある(〕解説 や論 を行 う文章の構成につい 卵年があるrJ

般 的な学術文献 を読 み 理解するし、時に辞書を便ィブよ り 使 LU

か時間 がかるが

把握の能力はある

学問上の会話や通常の会話 ほ とんどの講義が問題 なく

理解できる。

慣用表現の使用にたまに不 正確 さがあるが、流暢 に話 す ことができる。

通常の学課教育を

工SLコースは必要ない

出典 :EnglLIshLJanguageProficL'enc)′Chart.ProducedbytheConsortium onIntensiveEnglishProgram (CIEP)oftheAssociationofrLleacher'sofEnglishasaSecond Language(ATSL)iIIconsultationwiththeAdmissionSection(ADSEC)ofNAFSA,∩.p.,∩.d.

(7)

とした日本語教育の場合 には、留学生 の日本語能力に英 語能力を勘案 して、同様 なチ ャー トが作 られ、実施 され

る必要がある

5.大学に求められているもの

冒頭で も触れたが、日本の大学 を とりまく条件は、今、

急速かつ確実 に変化 しよ うとしている1.0そ して、大学が 変革 を迫 られているこの時に、留学生受 け入れを中心 に した国際交流の増大が、避 け難 い現実 と して日本 の大学 に迫 って きている 大学 も重 い腰 を上 げざるを得ない状 況がそ こにはある すでに文部省 は手を打ち始めている

問題 はそれぞれの大学が、状況をどう判断 して行動 して い くかであろう この大学変革 の時代 に大学が生 き残 っ ていけるか どうかは、それぞれの大学で働 く者 の意識 に かか っているごそ して、各大学 における留学生教育の態 勢 の強化 あるいは改革 は、まさ しく大学 を構成す る者 そ れぞれの意識 によってその成否が左右 される問題である

そのよ うな意識変革 を行 い、それを一つの理念 として 集約 し、それを効率的に実行す るために組織化 を進 めて い くこと、 これ こそが国際社会 に大学が貢献する上で今、

大学 に求 め られていることではないだろ うか≡

(注)

1.大学審議会 「大学教育 の改善 について (答申)」、同 「学位 授与制度の見直 し及 び大学院の改革 について (答 申)」共 に 199128日答申、『文部広報』第890号 (平成329 日)、pp.2‑9.同 「平成5年度以降 の高等 教育 の計 画的整 備 について (答申)」、同 「大学院 の整 備充実 につ いて (答 申)」共 に19915月17日に答申、『文部広報 』 第894号 (辛 35月18日)、pp.3‑7.これ らの答 申の随所 で社会人 学生 と並んで、外国人留学生の増大 とこれ‑の対応の必要性 が指摘 されている。特 に、大学院では留学生 の定員化を含め た教育態勢 の強化の必要性が強調 されている。上記 「大学院 の整備充実 につ いて (答申)」 Ⅱ‑3.留学 生 の教育 体制 の 整備、の項。『文部広報』第894号、p,7.

2.留学生受 け入れを含め、国際社会 と大学 というテーマに関 係す る論考 は数多い。 これまでの議論を辿 るには、以下の文 献 目録が手がか りになる。喜多村和之編 「大学の国際交流に 関す る文献 目録」広島大学大学教育研究 セ ンター 『大学研究 ノー ト』第41 (1979年12月)、同「<大学 の国 際化> に関 連す る文献 目録」喜多村和之 『大学教育 の国際化』 増補 版 (玉川大学 出版部、1989年 )、PP.272‑318、 さらに 「異文 化 間教育文献 目録5」異文化間教育学会 『異文化間教育』No.

5、特集 :在 日留学生 と異文化接触(1991年 )、pp.153‑165.

3.広島大学大学教育研究 センター ・<大学の国際化>プロジェ ク ト 「日本の大学 にお け る外 国人教員 一全 国調 査結 果 の概 大学研究 ノー ト』第43 (19801月)、Ⅲ‑3.日

本の大学 の印象 ・評価、及 びⅣ‑2,外国人教員 自由記述意 見集 (抄訳)、及び同プロジェク ト 「日本 の大学 院教育 に関 す る留学生の意見調査 一全国調査結果の概要『大学研 究 ノー ト』第52 (19822月)、Ⅱ‑6.日本 の大学 (大 学 院)の一般的評価、及 びⅣ‑4.留学生の自由記述意見集 : 日本の大学教育、教員、学生 について、の項。

4.前 出、喜多村和之 『大学教育の国際化』増補版p.192. 5.前出、大学審議会 「平成5年度以降の高等教育の計画的整

備について(答申)文部広報』第894号、p.4.

6.福田歓‑ 「国際化 と大学教育 :重 い課題 とその認『じゅ あ』(大学基準協会)第3号(1990年)、p.3.

7.留学生 と異文化交流の問題 については、前出の異文化間教 育学会 『異文化間教育』No.5、特集 :在 日留学生 と異文 化 接触 (1991年 )や高橋順一 ・中山 治 ・御堂岡 潔 ・渡辺文 夫編 『異文化へのス トラテ ジー :国際化の時代 と相互発展』

(川島書店、1991年 )所収の諸論文 などを参照 されたい。

8.Dov Ronen,The Questfor SelfDetermination, (NewHaven:YaleUniversityPress,1979),p.9.訳 は 筆者。彼 は同 じ主 旨の ことを 日本語版序文の中で も繰 り返 し ている。 ダヴ ・ローネン著、浦野起央 ・信夫隆司訳 『自決 と は何か :ナショナ リズムか らェスニ ック紛争へ』(刀水書房、

1988年)、pp.xii,14.参照。

9.米岡 ジュ リ 「日本 と ドイツの若者の国際化に対す る意識や 態度 について『海外事情研究』(熊本商科大学海外事情研究 所)第19巻第1 (1991年12月)、pp.1‑10.『朝 日新 聞』

(西部本社版)19921月17日、p.16,「国際人 って何」 参 照。

10.前出、大学審議会 「平成 5年度以降の高等教育 の計画的整 備について (答申)」では、そのよ うな変化 として、(1)社会 情勢の急激な変化、(2)学術研究の分野で国際的貢献 の要請、

(3)生涯教育の必要性 の増大、(4)高等教育の グローバ リゼー ションの進展、(5)伝統的な進学年齢層人口の急 激 な減少 、 の五つを挙 げている。 この中で も最後の、大学進学希望者数 の減少 は、今後大学 に直接的 な影響を及ぼす ことは確 実 で、

大学淘汰の時代」あるいは 「大学の冬の時代 」 の到来 が予 見 されている。喜多村和之 『大学淘汰の時代』(中央公論社、

1990年)、『別冊宝島90:大学 の事情』(JICC出版局、1989年) などを参照 されたい。

ll.これは土山秀夫長崎大学前学長が既 に指摘 し、同時 に国立 大学の現状につ いて危幌を表明 していることである。土山秀 夫 「国立大学 :いまその意識が問われて い るIDE :現 代 の高等教育』1989年10月号、pp.46‑49.

12.留学生教育の理念確立 と組織化の重要性 につ いては、志柿 光浩 ・賓藤寛 「国際教育交流の理念 と組織化 :米国のモデル はどこまで長崎大学 に適用可能か」長崎大学外国人留学生指 導 セ ンター 『長崎大学留学生教育 の理念 と組織 化 につ いて

(19923月)所収で も論 じているので参照 されたい。

(志柿光浩 :外国人留学生指導セ ンター講師)

(8)

2節 長崎大学 にお ける留学生 教 育 の現 状 と課題

1.外国人留学生の数 と比率

長崎大学の外国人留学生 の状況 について、日本全体お よび長崎県の状況を踏 まえた上で述べ る

我が国で学ぶ外国人留学生の数 は近年増加の一途をた どっている それはグラフ 1に見 るとお りである 外国 人留学生 とは我が国の大学 ・大学院 ・短期大学 ・高等専 門学校および専修学校 (専門課程)に学ぶ外国人のこと である 国全体の集計で1990年 (平成2年)51日現 、41,347名である。(文部省発表。毎年51日付 で 集計 されて いるが、1991年 (平成3年 ) の分 は1992 (平成4年)1月現在 、未発表である)長崎大学 の外国 人留学生数 は199051日現在119、199151

日現在 も119名である 長崎県内の外国人留学生数 は、

1990101日現在の数で245、199151日現在 251名である。(長崎地域留学生交流推進会議調べ)

1990年の数に基づいて出身国別に上位か ら比べると、

1のようになる 長崎県の数 は集計日が違 っているが、

参考までに掲げる 国全体 ・長崎大学 ・長崎県の間に差 異があることが分かる 長崎大学では中国 と台湾を合わ せた数が60名で、全体の50%であるが、国全体では合計 24,54759%であ り、その比率 に比べると長崎大学 は少 ない。また長崎大学では韓国が比較的少数である バ ン グラデシュの国全体の数 は349名、1%以下であ るが、

長崎大学では8名、7%であり、比率の上できわだ って 多 くなっている

長崎大学 における外国人留学生数の推移 については 2のとお りである ここ2‑ 3年横ばいとなっている 、1991年の数119、10年前の数34に比 べ ると3倍以 上 となっている

2.外国人留学生の区分 と身分

(1)外国人留学生の区分

外国人留学生の区分について見 る 文部省は外国人留 学生を、国費留学生 ・私費留学生 ・外国政府派遣留学生 の三つに分類 している 長崎大学の場合にはこれに加え

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て、長崎県奨学生 ・長崎県 アジア交流財団奨学生がある。

これ らについて簡単に説明す る

国費留学生。 これには 「大使館推薦 による場合」 と

大学推薦による場合」がある 大使館推薦 によ る場 合 というのは、文部省が在外 日本公館に依頼 して選考 し、

日本の受 け入れ大学 と協議 して合格者を決めるものであ 大学推薦 による場合 というのは、大学が入学を許可 しようとす る学生の内、優秀でかつ奨学金の支給を必要 と考える者を文部省に推薦 し、文部省が決定す るもので ある これ らの日本語教育 について見 ると、大使館推薦 の場合には各大学への入学前に、東京外国語大学 ・大阪 外国語大学等で統一 して行われるが、大学推薦 による場 合にはそうしたことがない。

私費留学生。全て志望大学等の選考を経て入学が許可 される 外国か ら直接入学する場合 と、日本で大学附属 の日本語教育施設や民間の日本語教育機関などで1年間 程度 日本語教育を履修 してか ら入学す る場合 との二つが ある 入学選考に際 して、学部学生の場合には 「私費外 国人留学生統一試験」 と 「日本語能力試験」の結果が資 料 として活用 されることが多「私 費外国人留学生統 一試験」 とは、日本国際教育協会が実施す る大学学部入 学を目指す外国人のための試験であ り、日本人の場合の 大学入試セ ンター試験に代わるも甲である 理科系 は数 学 ・理科 ・外国語、文科系 は数学 ・社会 ・外国語の試験 がある 次にここで言 う 「日本語能力試験」 とは、日本 国際教育協会 と国際交流基金 とが共催 して世界各地 と日 本国内で実施す る、日本語能力を測定 し、認定す ること を目的 とした試験である これ らはいずれ も毎年12月に 実施 される。 この結果を入学選考の資料 としてどの程度 重視す るかは、大学 ・学部等により様 々である

外国政府派遣留学生。中国 ・マ レーシアおよびイ ンド ネシア政府か らの派遣がある 日本語予備教育や大学等

‑の受 け入れの斡施が、文部省などを通 じて行われ る 長崎県奨学生 ・長崎県アジア交流財団奨学生。長崎県 と長崎県アジア交流財団は、開発途上国数か国の中か ら 数名、留学生を招待 している。滞在期間は1年間である。

その学生の選考に関 しては対象国の関係機関に任 されて お り、その学生 たちは日本滞在の1年の間、長崎大学に 研究生 として在籍す る なおこれは文部省の区分では私 費に入 る

表 7 「 留学生の入学時 日本語能力」 と 「指導教官か要求する日本語能力」 との関連 要 求 の 能力入 学 時 能力 ① はと ② 耳勃 @78 ④ 専門 ⑤ 書門 無不 言明 汁ん どでfjどII 話薦領域あ領域十きfJこい早 fj法知理解る程FE 分 ( 》ほ とん どできない 0 3 5 4 4 0 1 6 (J 59 6 ' ) ② 貫物 な ど簡単 fj鈷 0 0 4 1 0 3 0 l T H G: ' U) ③ 事務話 通知理解 0 0 4 1 2 5 0 21 (1 9㌔) @専門領域

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