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智山學報 第58 - 014片野 真省「既成教団と寺院の存亡をかけた一考察 : 家の宗教は誰が守ってゆくのか?」

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全文

(1)

既 成 教 団

亡 を

宗 教

誰 が 守

片  

 真  省

  プロ ロ ー グ

 

小 澤

征爾

とロ ス トロ ポ ー ビ ッ チ (

2007

4

27

日死 去)とい

う世界屈指

揮 者 とチェ ロ 奏者が い る。 この 二 人が 日本の 若 手演 奏家 を引 き連れ て 、 日本 の 地

方数

演奏旅行

して廻 る ドキュ メ ン タ リ ー

番組

BS

特 集

映さ れ た。 そ して、 二 人は こ の 楽 団 を 「キ ャラバ ン」 と呼ん だ。 こ の キ ャ ラバ ン を

い て

旅行

る こ と を、 ロ ス トロ ポー ビ ッ チ が小 澤征 爾に提 案 し て実 現 した とい う

の 村の 公 民館やお

を会 場 とする演 奏 会に は、 その地元 の そ れ こそ老 若男 女があ ちこちか ら集い 、 質の 高い 生の ク ラッ シ ッ クの

演奏

に、

感極

り相好

し、

を浮かべ て

を傾 け た。

 

このキ ャ ラバ ン の 目的 は大 き く二 つ あ る と言う。

望 な若手に音楽の 原点 が何か を肌で感 じて欲 しい とい こ と。 そして何 よ りも、 どん な 人 にも

音楽

の 素 晴 らし さを、 その 耳で知っ て もらい たい とい うこ と。 初 老のチ ェ ロ 奏者 は小

澤征爾

に 「

音楽

ば ら しさ

か ら 笑 顔 、 何 よ り

がた い もの だか ら… …」 と、この キャ ラバ ン 実現の意 義 を説い た とい

 

演奏家

が、

物音

使 う

トホ 最 高

で る。 その 音

聴衆

い しれる。 そ れ も

か に

素晴

ら しい

音楽

で ある。 しか し、 ク ラ ッ シ ッ ク

音楽

に、 日

味 を抱 か ない

衆に

かっ て、 屋

悪 な環 境の 中で も、 その 環

の 中で ベ ス トな音 楽 を奏で る。 そ し て、 そ の ハ ーモ ニ ー が

の 心に

い て くる。 そ

した音 楽こそ 「音を楽 しむ」 とい う音 楽の 原 点 と思わずにい られ ない 。

 

静 寂の 空 間で最 高 水 準に

で られ る

音楽

と、

自然

色の 中に溶 け込む雑

(2)

智 山学報 第五十八輯

じっ た

音楽

。 で も、 どち らの音

も誰に も

優劣

はつ け られ ない 。 その

居合

わせ る

演奏家

聴 衆

しみ が一

して い る な ら 、 どちらも

ば らしい 「本物 音 楽 、 きっ と言える に違い ない 。

段は ク ラ ッシ ッ ク な ど聴い たこ と もない 老若 男 女が、 すば ら しい 演奏 に笑顔 をこ ぼす。 その笑 顔は、 まぎれ もな く素 晴ら しい 音

が 生み 出し た もの で ある。

  笑顔

を生 み出

す音楽

陳腐

な言い

るな ら、 だ か ら音

晴ら しい 。

音楽

は人に

笑顔

感動

びを もた ら

す力

っ て い る。 そ れは

もが知っ てい る こ とである。 さて 、 そ こ で ど

だろ

。 われわ

れ僧侶

は、 い っ たい ど れだけ、

大衆

や檀

徒の

顔 を生み出す機 会 を創っ て きたの だ ろ

?  仏 教 だっ て 、 音 楽 と同 じように、 多 くの 人 々 に笑 顔や安 らぎや支 えをもた らすこ とが で きる はずで ある。 音 楽 と質は違っ て も、 人々 に何か を もた らす もの で ある に違い 々 はこれ まで に も、 い つ だっ て、 仏 教にそ

した もの

め て きたの で はない だろ

か ?

 

しか し、 そ

で あるに もか か わ らず、

仏教

する イメ ー ジ を

い て み る と、 その

大半

は 「

い 」 「

くさい とい う もの が

い 。 一

した

 

仏教

本質

を色あ せ た もの に して し まい

大衆

か を

え切れ な くなっ て しまっ たの だ ろ

か。

 

か ら

以上 が瞬 く間に過 ぎ、 国民

所得倍

画、 高

度経済

成 長、 さ ら にはバ ル 期が弾けて 、世 間の様 相は一変した よ

に見 える。 そ

した

時代

盛衰

にあっ て、

寺 院

とい

で ぬ くぬ くと

々 と

らして きた わ れ わ れ は、 人

や世 間の 風

い に鈍

になっ てい なかっ た だろ

か ?

 

同 じよ

に、 一

わる こ との ない よ

に見 える

関係

にあっ て、 乞わ れ るま ま に檀 信 徒の

に関わ り、年 中行

檀 信

が訪れ るの を何

な く

めて い る

光景

が、 現

院の

実体

となっ てい ない だろ

か ?

 

果た して、 人心は この 半 世 紀、変わ る こ とが なっ たの か ?

 

そ れ とも

わ るこ と に

づか な い ま ま、 わ れ わ れ は、

門の中で

夢 う

つ つ に、 い たずらに時を過 ご してい た の で はない か ?

 

葬式 仏 教批 判とか 戒名 料 問題 な ど、

の 痛い 、 罪悪

を抱かせ る よ

話題

に、

馬耳東風

の ご とき

態度

をみ ん なで

ん で い

(3)

既成教 団寺 院の存亡 を か けた一考察 (片野) たの だろうか。

 

これまで、 われわれ

真 言宗

寺院

を置 く僧 侶が、 い っ たい どれだけ檀 信徒の

に耳を傾 けて きたの だろう。 彼 らが望 む もの に手 を差 し

べ て きた だろ うか。 科 学技 術が瞬 く間に歩みの 速 度を早めて、 人々 の

ら しを どんど ん どん どん際 限な く、 心 地 よ く便

適な生活、 世界へ と

っ て ゆ く。 し か し、 その

反面

されない 、 どこ にも

っ て行 きようの ない 、 や り場 に困

したス トレ ス を

もが

に抱 え込んで い る。 そ うした現代 杜 会で否応 な く 日々 の

ら しを

み重ね な くて は な ら ない

檀信徒

が、 本

に望ん でい る もの はい っ たい

なのか ?

 

した

に も出口 を見い だせ ない 社 会が

信徒

の宗 教 意 識 をど れほ ど変 質 させ て (ゆ が めて)き たの か。 そ

して、 ゆ が ん だ 宗 教 意識の わ れ わ れ は

檀信徒

い を どの ように察 知 し、

け止め る ことがで き るの だろ う。

 本論

は、 そ

した現

認 識の 下に、 日本の現 代 社 会にお ける人々 の宗教 意 識が どの よ

移してい るの か を検 証 し、 こ れ からの 真 言 宗 智 山派の教 化

推進

が どこへ

可能 性を秘め てい る の か、 否、 可能性 自体が ある か ど う か を見 極めたい 。  

1

. 日本 人の宗 教 意識は、 どこへ ゆ く? 一 の危機は回避で き る ?

1

− a.最 近の 調査に よ る日本 人の宗 教 意識

 

平 成

20

5

月に、 読 売 新 聞が 「

間連 続 調査 ・日

人の

」 の 調査 結果を発

した。 その ご く概 要をまず 紹 介 して お きたい 。

 

た は 、 何か宗教 を

じてい ま

か。」 の 問い に

して、 「

じてい る」 との

26

1

%、 「信 じて い ない 」が

71

9

% で ある。 こ の 内、 「信 じて い る 」 と答 えた人に 、 その 理 由(複数回答)を

ねた ところ 「自分 い る か ら」が

52

8

%、 「心の

らぎ、 よ

どころ が

しい か ら」 は

44

5

%、 「

内容

に ひか れ た か ら」 は

20

O

、 「

あ り

だ か ら」 は

11

5

% とい

順 とな っ てい る。

 次

に 「現

な た が

せ な生

る上で、

宗教

大 切

だ と思い ま

(4)

智山学報 第五 十八 か。」 との 問い か けに 「そ

」 との

えが

36

.  

6

% 、 うは思わ ない

59

1

% となっ てい る。 さ らに 「

な た は、 日

人は宗 教 心 が 薄い と思い ますか、 そ

は思い ませ ん か。」 の 問い に は、 「そ う思 う」が

45

1

%、 「

は 思 わ ない

48

9

% と、ほ ぼ

2

分 され た 回 答 と なっ てい る。 ま た、 「『最 近、 日

人 のモ ラル が

下 したの は、 日本 人の 宗教 心が薄い か ら だ』 とい

見 が あ ります が、

なた は、 そ

う思

い ま

か、 そ

思い ませ んか。」 とい

う設 問

に は、 「

17

2

、 こ れ に

して 「そ

は思わ ない 」 が

78

5

% と圧倒してい る。

 

ま た 「な た は

自然

の 中に、 人 間の 力 を超 えた何 か を

じる こ とがあ り ますか、 あ りませ ん か。」 の 問い に 対 して は、 「あ る」 が

56

. 

3

% で 「ない 」

39

. 

2

% を上 回っ てい る。

に 「あなた は、 自分の 先 祖 を敬 う気 持 ちを持 っ てい ますか、 持っ てい ませ ん か。」 との 問い には 「持っ てい る」 が

94

0

% で、 「

4

5

% と圧 倒

してい る。 さ ら に 「

な たは、 死 んだ

は、 ど

なる と思い ま

か。 回

リス トの 中 か ら、

1

つ だけあ げて 下さい 。」 とい

う質

問に、 最 も

えは 「生 まれ変わ る 」 が

29

8

%、 次 に 「世 界行 く

23

8

、 その

は 「消 滅 す 。」 が

17

6

%、 「墓 にい る」 が

9

9

%、 「

存在

しない 。」 は

9

. 

0

% と続い てい る。

 

し た調

結 果を わ れ わ れ

僧侶

は、 どの よ

け止め ればい い の だろ

。 ま

「何か

教 を信 じて い る。」 と

えた

割合

3

た ない こ とを、 既

成 教 団

寺 院

楽観

的に

受 け

止め て い るの だ ろ うか ?

 

それ とも 「『

無宗教

う言

しを

如実

に物

結果

」 と

そぶい て い れ るだろ うか。 む し ろ、残 りの

7

割に

けて、 わ れ わ れ はこ れ か ら

か 出

る余 地が あるの で は ない か ?

 

ま た 厂

切 だ と思

の 問い に対 して、

4

割 近 くが 「そ う い る。 この こ と を

教に対 する

期待

と安 易 に評価 するこ とがで き る だろ うか。

 

この

調

査 か ら

受 け

も強い

印象

は、

教に対 する ア レ ルギ ー も強 い こと。 に もか かわら

先祖

敬 う気持

ち、

祖に

対 す

らかの

崇拝

の 念は ほ とん どが抱い て い る とい こ と。 日本 人の モ ラルの

下と

(5)

既成 教団と院の亡を か けた一考察 (片野) 薄さが結びつ か ない とこ ろ も興 味 深い 。 そ して、 もう 一 。 現代の科 学 的な もの の 見方や合 理 主 義 的 な思考が横 行 する時代であっ て も、 半 数 を超える人 が 自然に畏 怖の念を感 じた り、魂の存 在 を何 らかの か た ち で感 じてい る こと に、

味 をそ そ られる。

b

. 日本 人の宗 教 意識の推 移

 次

に、 日

人 の

宗教

意識の

遷 を 「デ ー タ ブ ッ ク現代 日本人の 宗 教 増補

/ 石

研二

か ら、

各種

教 意 識 調査の デ ー を紹介

 

は じめに、

2000

に行わ れ た統 計 数理研 究 所 国民

調 査

の 『

統計

的日本 人研 究の

世紀』 で は、 「何か信 仰 と か信心 を

っ て い る」 と

えた

合は

30

35

%で、 加

に よっ て 「

教 を信 じ る 割 合 が 増 加 す

はこ の

40

年来変

わ ら ない との

指摘

がある。 その 一

で、 「

教 的 な心は大 切」 は、 こ の

15

年 間で

12

ポ イン ト減 少 (

80

% → 68)し 、 さ らに 「先 祖

ぶ」 は

20

年 間で

12

ポ イン ト減少 (72%→

60

%)して る 。 宗 教に対 する意識 が じ りじ り低下 し、「近 年 ゆ ら 石 井 氏指摘 い る。

 

また、

1978

か ら

2003

まで

25

回実 施 さ れて い る朝日新 聞 ・定 期 国民

調 査で は、

1978 年

に 「

教や

信仰

心がある 」 は

39

%。 それ か ら

25

年後

には

23

% と

16

ポ イ ン ト

減少

して い る。 この 当 時の 朝日新 聞 紙 面では 「

宗教

大幅

77

%」 と

じ ら れ た とい

 

さ らに

1952

年か ら実施さ れてい る読売 新 聞世論調 査で は、

1952 年

に 「

仰 あ り」 は

65

% 、以 降次 第に低下 して

2005

に は

23

% まで

減少

してい る。 こ こ で 、

1969

年と

2005

年の 「信 仰 あ り 年齢 別 を比

み る と

1969

20 代

17

%、

60

61

%、

35 年後

20

11

%、

60

代は

27

% となっ てい る。 お よそ

35

間で

20

で は

6P

減少

とあ ま り

わ ら ない が、

60 代

で は

34P

と大 幅に減 少 して い る。 加齢 に よ る信 仰の 増

が近

年緩

やか に なっ てい る、 と石井氏は指摘 してい る。

 

に、 日本 生 産 性本 部 ・日本 経 済青 年協 議会が調査 し た 「

くこ との 意 識 調査」(

18

24

歳対 象)では、

1980

年に 「宗 教は大切」 が

42

% で 「

教は

(6)

智 山学報第五十八輯 切では ない

32

% だっ た ものが、

1986

に は両

が ほ ぼ同数に、

2004

に は 「大 切

22

大切で は

58

% とっ て い る。 c。

宗教

調 査か ら読み取 れ るこ と

 

した

宗教意識調

査の デ ー タの

ち、 どこに

焦点

るか … …。 ひ とつ に は

述 した とお り、 「

自然

へ の

畏怖

」 と 「

存在

」、 そ して 「

先祖崇拝

」 で ある。 そ して、 も

ひ とつ は、

二次

戦の

、 い わゆ る戦

50

を過 ぎて、 明らか に日

人の

宗教意

識は

変質

し、

希 薄

に なっ た とい

こ とである。 そ して、 最 も注 目したい の は、 前 述 した

読売新 聞調

査の中で 「

信仰

」 と 答え た割 合が年齢 別データとし て比較さ れ て い る とこ ろ で ある。 こ の 中で、

60

の 「信 仰 あ り」 は、

61

% か ら

27

% と

34

ポイン トも大 幅 に減 少 して い る。

齢 を重 ねるこ と に よっ て培 わ れてい た信 仰 が、 この

35

年で半 減 して しまっ た

現実

きつ け られ てい る。

 

ま た、 若

層 を対 象 と し た 「働 くこ との 意識調 査」 を見る 限 り、

1980

か ら

2004

のお よそ

25

で 「

教が大 切」 と答える

者は半 減 し、 その一 方で 「宗 教大 切

倍 増 。 この デ ー

成 教

院 と檀

信徒

の 関

に重 ね合わ せ て み よ

。 これ か ら家の

宗教

維持

して、 墓 地 を守るべ き

60

代の 信 仰 心は、 想 像 を超 える ほ どに

希 薄

となっ て い 。 さらに、

の 世

担 う若者

宗教

は こ の

25 年

逆転

して い る。 既成教 団を支え る寺院、 その寺 院を支える寺檀 関係 におい て、 檀 信

や 信仰心 は、

止 めの き か ない 、 すで に悲惨な状 況を迎えて い る の であ る。

 

さ らに

み込ん で言 うなら、い っ たい 誰が

した 日

人の

教 意識 を もた らした の か ?

 

した らこ ん な 日

本社会

が か た ちつ られ たの か ? そ して 、 い まわ れ わ れ が 、当た り前の よ

院で

っ て い る

行為

とか

活動

が、 こ

した

現状

(宗教 意識の希薄化)を

としたこ とも

事実

なの である。

(7)

既成教 団と寺院の 存亡 をか けた一考察 (片野)  

2

.仏 教 寺 院の周辺 で移 り変 わ る風景     一現代 社 会の現況 (少子高齢の 時代)一【存亡の危 機を予感させ る事例】 a.寺院に お い て何が変わ りつ つ ある の か ?

 社会

各種調

査が

物語

る データは、 わ れわ れ

僧侶

が、 これまで に

院 で行っ て きた活 動に一定の成 果 と答え を

き出 した と言 えるの で は ない だろ うか。 葬式 仏 教 批判 も戒 名 問題 も、創価 学 会 を始め とする新 ・新 ・新 ?

教 運動 も、 そうした話題が沸騰 する た びに、 仏 教界はちょ っ と驚 き、 バ タバ タ とお茶を濁 すかの ような動 きで 、 煮え湯が冷め れ ば何 事 も な かっ た かの よう に、 ま たい つ の 安 閑と し て経 済至上 主義を支える ような暮らしを積み重 ね る。 そ うし た 禺行を幾 重に も繰 り返して、今 日に至っ て い る の で ある。 あの オ ウム

事件

で さえ も、

仏教界

寺院

は、 どこよりも

くさ わ ぎを

させ ようとい

始 して い た。 オウム

理教 を

とした

社 会

とは、 どの ような社 会だっ たの か ?  オ ウム 真理教 に入信 した若者に は、 既 成教団の

院は風景の 一部 としか映ら ない 、 無 きに等しい

在であっ た に も か か わ ら

… …。  そ ん な寺 院や僧 侶の 振る舞い が 、先の 宗 教 意識の 希 薄化 を招い た の で はな い か ?

 

その元 凶は既成 教団 と

院の

体質

にある、内なる とこ ろ に巣 くっ て い る と見るべ で あろ

や、

寺 院

い を

め る人々 は、 日々

減少

して い るの である。 大 げ さに言

な ら、

吸 するた び に、

寺 院

存在価値

っ ぺ ら なのへ 変 容

 

そ して、 い ま、

院の 周辺で 、

くの 風 景 まで も変わろ うと して い る。 そ の こ とに、 わ れ わ れ は気づ い て い るの だろ うか ?

 

そ うした変 質の 事 象を 、

儀礼

と墓地、 さ らには仏 壇 とい っ た 、

院と檀信 徒 を強 く結ぶ はずの 「家の 宗 教」 とい う観

か ら拾い 上げて み よ

b

儀 礼

簡略化

 

真 言 宗 寺 院にお ける儀

は、 一般 的葬 送儀 礼年 回忌 法 要法事

中 行 事な どが考え られる。 ま た、 発心

縁 灌 頂 もその 範疇に入 るだろ う。

(8)

智山学報第五十八輯

くの

で行わ れ る年 中行 事 と して は、 や は り最 も

の が施 餓鬼 会、

中の回

とい

こ とになるだろ

か。 最 近、 最 も

わっ た

儀礼

形態

は、 これ まで夏の風 物 詩とも

受 け

止め られて きた

檀 家の精 霊 棚

り、 い わ ゆる 棚

だろ

都市

で は最 近、

に棚

りを

り止めて 、 お盆 期 間 中に

1

数 回

総回向

菩提寺

堂 な どで

実施す

院が

つ 増 えい る よ

じ られ る。 これ まで は、

菩提寺

か ら遠 く

れ た

檀家

して

実施

して きた儀 礼 を、 全 檀 家に適 用 して中心 的 な儀 礼 とする動 きが見 られ、 こ こ に も

儀礼

変容

が進

しつ つ あ るこ と を

か が わせ る。

 

う した変容の 理

としてよ く耳にするの が、 ひ とつ は檀 家の

識の 変

である。

院と檀 家の

情によっ て異なる もの の 、

朝 8

か ら夜

8

時 過 ぎ まで

各檀

家を

い て、

家に上 が り

み、 お仏

やその

囲に

られ た

10

数分

読経

行 う

。 そ

した

供養

のあ り

に、

檀家

精神 的

担を感じてい る とい 。 ま た、

くの檀 家の 棚

りを行っ てい る寺 院に と っ て、助 法の人材 確 保 が ま ま な らない 、激務 なの で頼みづ らい などの 理 由 を

挙 げ

場合

もある。 しか し なが ら、 こ

した理

は、

檀家

へ 出

棚参

りを 取 り止めて 、 菩

提 寺

で の 回

移行

する

本当

の理

なのだろ

か ?

 

菩 提

に も檀家に もそれぞれの 思 惑がある。 そ して、 その 思

が 一

しそ うな

妥協 点

と し て 、

檀 家で の

棚参

りを取 り止め て菩提

での 回

とい う儀 礼 に移 行された と言 えるの で は ない か ?  その 思 惑の一致 点 とは何か ? そ れ は率 直 に言え ば 「 だ か ら」 「面 倒 い か ら」 とい うこ と だ ろう。 こうした気 質は、寺 院に お ける儀 礼の 簡 略化の み な ら

、われ わ れ 現 代 人の 意 識 に横 た わ る忌まわ し く も厄介な

物で あ る。 「

便

利で

適で心 地 よい の」 を志

する現

人の

特質

とも言

識で ある。   そ して、 こ の意 識は、 寺 院にお ける他の 儀 礼の 中に も、 そこか しこに蔓 延 してい るの では ない だろ

か。 檀 家での棚

りが 菩提 寺の 回

へ と移 り変わ る風 景の中で、 何が失われ て い るの か ?  そ れは、 檀 家の 実情、 つ ま り家 族 関係とそ れ にまつ わる家庭の 雰 囲気 を知る

会 を失

こ と につ な が っ て ゆ く。 年 に一回、檀 家 に個 別 訪 問で きる大 切な機 会 を 、

直に失 く して し ま

の で

(9)

既 成教 団と寺 院の亡を かけた一考察 (片野) ある。 果た して 、 こ の

機会

失 う意味

が どれほ どの もの なの か ?

 

時代の流 れの 中で 自然 に淘 汰 されて

の なの か ?

 

とて

大切

会を既成 教 団 の

放 して

々 、後 晦して しま うことに なる の か ?

 

その

判断

は、 もっ と時が 流 れ た

に思い 知 ら さ れ るの であろ う。

 

次に、 も うひ とつ に なる儀

変容

に 目 を向け たい 。 菩提 寺が檀 家の様

機会

の ひ とつ を失っ た儀 礼、 つ まり葬送儀 礼で あ る。 すで に、都 市

都市

で は、 葬 送儀 礼の場は、 ほ ぼ

9

9

厘、 檀 家の 自宅で はな く葬

祭場

、 セ レ モ ニ ー ・ホ ール とい っ た施 設で

わ れ る。

や 「

宅か ら

式を

出す

」 とい

う言葉

は死 語になっ て しまっ た。 こ れ が

20

30

年前

れ ば 、 家 財 道 具の大 移動 と と もに、

宅におい て葬儀が営 まれるの が 当た り

だ っ た。 隣近所、町 内 会の人た ち が総出で

手伝

い 、 家 族の 生 と死の 一

大事

、 一

の葬 儀を営ん で きた 。 人の死 とは、 そ れ くらい 一

大事

だ か ら 、 死者に対 する弔い を

みんなで分かち合っ たの で ある。 死へ の

尊厳

を誰 もが肌 身 に

じてい た。

 

そ うした中で、

くも悪 くも寺 院住 職は、 檀 家の 雰 囲

とい

もの を

で 感 じて きた。 それ が

や 、

じ よ

式次第

で 、 個性の 埋没 した

葬送儀礼

まれ る。 個 人の 名 と顔 写 真と戒 名を取 り

える だ け … … と言 え な くもない 葬 送

儀礼

が、 流

りの

音 楽

とケバ ケバ しく彩 られ た花々 に包ま れ なが ら… … 見た 目は

々 し く

行さ れるの で ある。

 

葬 送儀 礼がつ つ が な く、

々 と

言 う

り淡

々 と営 まれる。

わ れ ば、

速、 式 中初七 日なる儀

が もの の

10 数

分で チ ャ チ ャ ッ と終わ りを告げ る。 かつ て は

7

に ご供 養 し てい た亡 きみ魂は、 中 陰の 始め と終わ りの

儀礼

簡略

化 され 、 さ らに、 葬

儀式当

ロの 初 七日、 葬儀 式 と 一体 化 され儀礼

の躊 躇 もな く

簡略化

さ れ る。 そ

したス タイル に代わ っ て、 果た して、

菩提

檀家

教 意識 を、 い っ たい 、 い つ どこで 、 どの よ うに意識付 けし て ゆ くの だろ

。 ご

祖 さまを敬 う意 識が 強い現

人 に 、 どの ように、 効 果的に 家の

宗教

指導

してゆ くこ とが可

なのか ?

 

菩提寺

の住 職は、 檀 家の こ と を知る

機会

っ た分、 どこ で その

わ りと な る

会 を生み 出し、

(10)

智山学報第五 で ゆ くの

か ? c.墓 地の

維持

 

もはや

少子高齢化社会

で は な く、

高齢社会

の 時代 を迎 えて い る とい う。 こ の

社会

は、 既 成 教 団や寺 院に とっ て は 、怖れ おの の き続け る

時代

なの で ある。 これ か ら数 十 年とい う歳 月が流れ る先に は 、

院に とっ て、 また既 成教 団に とっ て、 その 存 在が立 ち行か な くなっ て ゆ くこ とに なる それ は

もが

す ぐ

に理

で きる はずで ある。 も

すでに、 そ

した 兆候 は、

関係

で、 そこか しこ に目にする ことがで きる し、

じ ら れ るに

い ない 。

 

少子高齢社会

は、 同

に、 こ れ まで墓 地 を守っ て きた檀 家が、

確 実

減少

してゆ くこ と を意 味 してい る。 そ して 、無縁 墓 地が

か ら

へ と

の境 内に 広が っ て ゆ く状 況 を 目に しな け ればな ら な くな る。

老老介

護の家 庭は どこ に で も盗れ、 さ らには子

の生

え切れな くなる社 会で、

を生 きる

々 は、

い の ちあるこ と、 生 活するこ とだ けに

して しま

。 そ

うす

れば、

檀家

地 を

ろ う、 ご先 祖 さま を

切に し よ

とい

う意識

わ れてゆ く ことは、

で も

易に察しがつ く。 墓地の承

継者

保は、 確 実に難 しい 局 面を迎 えるだろう。

 

同 時に 「 宗教 す る識 が 、 一

薄化 するとい う危 惧は、 ど ん な

観 的な見通 しを

げた と して も、

拭で きない もの と なる。

現実

を目 の

た りにすれ ば、 誰 もが腑に落 ちる に違い ない 。

檀家

後継者

の 長 男が墓 地を

る とい う時代 は、 もは やふ た

識。 い まや、

継者の 誰か が、 い 後 継 者 を誰 か探 、 無

墓 地になる こ と を防 ぐ

立 て を考 えな くて は な らない 。 そ

し た檀

切丁

にサ ポ ー トする意識 を、

院が当た り 前の よ うに持た な くて は な らない 時代 に、 い ま、 足を踏み入れて い る。 そ ん な現 状 認 識 を、 はた して誰が

っ てい る のだろうか ?

 

ひ とつ の

檀家

の 「家の

教」 は、 その

檀家

の み な ら

ず菩提寺

との相 互理 解 と

力に よ っ て、

維持

しなければな らない状 況となっ てい る。 墓地の

維持

(11)

既成教 団と寺 院の存亡 を か け た一考察 (片野) 家の 宗教 を

続 させ てゆ く

道筋

(プロ ジェ ク ト)を

具体

的に

築 しなけれ ば な       た た ず らない の 地 点に、 い ま、 わ れ わ れ は

んで い るの である。 墓地に か か わ る問題 は、 その他に もさまざ まに指摘 さ れ てい る。

に よる墓 地

理か ら、 個 人墓地や 共 同(夫婦 ・兄弟 姉妹 など)墓 地の

理へ と 、 これ まで の

墓地管

理の

位 を

えて ゆ か ざるを得 ない か も知れ ない ま た、

散骨

霊 園等 問題 も、

今後

か らきちん と

取 り組

ん で い か なけれ ば な ら ない 課 題で あろ

d

.先祖 崇 拝 ・お

仏壇

(荘厳 ・礼拝)に

する意 識

 

家の宗 教の根 幹 と なる の は、 墓地 とも

ひ とつ 、 お仏壇である。

檀 家に お けるお仏 壇の 設 置 場所や荘厳の仕

、 さ らに は仏 壇その もの の か たちも、 現

進 行 形で大 きく様 変わ りしてい る。 こ の

30

り返 る と、 そ

した 変

は、

棚経

や お

壇の

で檀 家 を訪れ る と、 一 目

然で あ る。 そ うし た感 想を抱 く僧侶は

い の で は ない だ ろ

 

何 よりも、 居

空 間の

変化

は劇 的の 一 尽 き 。 一

軒家

で あれ ば、 かつ 仏 壇 を置 く

は、 その

心と な る

屋で あっ た。 しか し、

で は、

な る住 宅の 設 計にお仏 壇を置 くスペ ーが 配

され ることはな か な か 難 しい 。

都市部

で増

されるマ ン シ ョ ン であれ ば、

の こ と、 お仏 壇 を置 く ス ペ ース は、 限 られて くる。 居住 空 間の片 隅に追い や られ る例 もしば しば見 られる とい のが現

で は ない か。

 

「ご先 祖 さまにお茶をあ げてか ら … …」 「ま

、 ご先 祖 さまにお供 え してか ら… …」 とい う意識 は、 お仏 壇 を 中心 に した

空 間ゆえに、

われて きた も の であろ

。 そ れ が、 い まや本 末 転倒 する生

活様式

へ と

わ りつ つ あ い や 、 もうすっ か り変わっ てい るのか もしれ ない 。 目に見え ない 、

れ ら れ ない ご

祖さまの 存 在 を第一 に考え、

重 して きた宗 教 意 識は、 い まや 、 ど こか に

き飛ばさ れ ようと してい る。 目 に見 える、手に触れ ら れる、今 生 きてい る家 族の ことで精い っ ぱい 。 どこ にい る か わ か らない 、 ご

先祖

さ まの

存在

を配れ る心の ゆと り、 そ

した

存在

る豊かな精

め る

(12)

智山学報第五 住 空 間は、 い ま、 い た る

わ れ よ

と してい る。

 

3

.真 言 宗 智 山派は現

社 会に

発信

して き たか ?     一家の宗教維持と個の信仰の育成へ 一 a.智 山派の

合調査 ・分

か ら生 み出され た もの

 

これ まで に、 現

日本 社 会の宗 教 意識の変 質 と、実 際に寺 院周辺 で繰 り広 げられてい る家の

教を中心 とする儀 礼 等の

例 を

てみ た。

勿論

、 こ

し た

実状

に は、 地

域差

をは じめ とする

相違

が あるこ とも十 分承 知 して い る。 その こ と を踏 ま

なが ら も、 そ

した

現象

の 移

り変

奥底

む、 そこ に携わる人々 の 意識変 質が 、 時代の 流 れに よ る生活ス タイル の変 容か らも た ら されて い る こ とに

注視

した。

識が変

する こ とで 生 活

様式

変化

する のか、 それ とも、 生活様 式の 変化が意 識の

変質

につ な が るの か、 そ

した

証は本論の趣 旨か ら逸 脱 するの で、 踏み込ま ない こ とにする。

 

しか し、 こ こで 問題

起 したい こ とは、 生

活様 式

が変 容 して、 意 識が

変質

して い る に

か か わ ら

宗教

維持

す るために

院が

をしてい るの か ?とい こ とで ある。 檀 家の住 居に足 を踏み入れ る

機 会

わ れ た

わ り に、 そ れ に代わ る ど ん なコ ミュ ニ ケ ー

る のか ? どん なア プロ ーで 檀 家の 状況を

把握

して、 家の宗 教を維 持 するモ チベ ー ョ ン を檀 家に啓 発 ・指導を は か っ てい るのか ?

 

そ こが大 事な問題である

 

まで に述べ 現 状

つ い ては、 すで に真 言宗 智 山

重な る

合調査の 分 析結 果か らその成果を導き出し て い る。 分析

究によ っ て、 そ れ まで の 「つ しあい 理念の展 開」 が、 智 山派の

況に

応 し きれ ない こ と を ハ

摘 し い る。 そ して、 そ

した成

け止めて 、

智 山教化

セ ン ターによっ て 「つ くあい 」 に

わる

しい

推 進 施 策提 案 され た 。 この 施

宗智

と して認知 されたの は、平成

9

度か らの こ とに な る。

(13)

既成教 団と寺 院の存亡を かた一考察 (片野)

b

教化

目標 と

教化年次

テーマ による推進施

の基 本理念

 

く しあい に

わ る

教化推

施策

が生 ま れ た経

は、 もうすで に他の 機 会 に幾 度 と な く紹

し て い る の で

くこ とにする。 こ こで述べ てお きた い こと は、

しい 教 化 目標 と教

化年次

テ ー の の

根底

、 理念につ い て で あ る。

 

一昔以 上 も

の こ となの で 、 こ の概 要 を改めて

げ お く。

   

目標 「生 きるカー安 らか なる心を求めて 〜」

   

教 化

年次

テーマ

    

1

年 次 「檀信

智 山勤行式

唱 えする よ

う徹底

をはか ろ う !」

    

2 年次

檀信 徒が お

礼拝

る こ と を奨

しよ

!」

    

3

年次

檀信 徒

教 的

感動

体験

み よ

1

      

詠 歌写 経 、 巡礼 ・遍 路

〜 」

    

4

年 次 「

の感

を目指そう!〜発心

・結縁 灌頂 ・阿

字観

〜」

 

言 宗智 山派が 四

をか けて 展 開し て きた 「つ く しあい 理 念は、 家 の 宗教 か ら個

宗教

へ 、

個人

信仰

を深めて ゆ くこ と を 目標に掲 げた。 その 理

して間違っ た もの で は ない 。 しかしなが ら、

りに も理 想が高 く、 末 寺や檀 信

に ま で十分 な理

が及 ば

、 イメ ージ を抱 き

た とも言えるだろ

。 ただ、家の

教が

危 う

くな

、 新 興宗 教に個の

信仰

を 奪われ か ね ない 状 況で、 後 追い の ように同 じ ような

教化

を展 開 する こ と は、 い くつ も問題が あっ た と言 えるだろ う。

 

む しろ、 個の 信 仰 よ り、 まず家の 宗 教 をしっ か りと再

構築

するこ と。 寺 院 住 職が 、

檀信徒

に家の 宗教の

切さ を、

ある

に じっ くりと説い て ゆ くこ とが

より も必 要 だっ たの で ある。 そ

した檀 家 へ きめ細かい ケア を心が けら れ る僧 侶の養 成 も

わ せ て重 要 な課 題だ っ た。 こ の よ

な檀 家へ の ケア とい

みの か ら、 菩提 寺へ の理解 とか信 頼 とか が生 まれ、 さらに は

ず と檀 家

々 の 宗 教 意 識の発 露 と

信仰

へ の 入 口が 開 けて くるの で は ない だろ

か。

 

平成

9

年度

か ら

真言宗

智 山派が発

した教 化推 進 施 策は、

寺 院の 檀信 徒

(14)

智 山学 報第五十八 に対 して、 家の

宗教

維持

お よ び再

構 築

と、 個の

教 (信 仰 心)の

育成

を目

し た もの で

る。 その た めの 具

的 かつ 仔 細 な プロ グラ ム (ソ フ ト)を

準備

整 えて 、 その ソフ トが円

に流

さ れるネッ トワ ー 制度 テ ム、啓 発や研修機 会)を順

整 え

て ゆこ うとい

う姿

勢を

ち 出 した。

 

檀 徒であろ うと信 徒であろ

と、 そ れ ぞ れの家の

教 を しっ か りと

人の 心に根付かせ る。 その た め に、 お 仏 壇 を中心 と した

宗教

再構築

、 それ に よっ て家 庭の

しで もつ な ぎとめ よ

とい

ま れい る。 家 の

宗教

の中

であるお仏壇で、

礼拝

とお

め を

奨励

する こ とを通 じて、先 祖

崇拝

っ て ゆ く。 そ こ で は、

自身

存在

を見つ め、 さ ら には

信仰

の 発 露に もつ ゆ くこ とを 目 した 。 そ うした檀信 徒の 家庭の 情

を念

きつ つ

化年

ーマ の

1 年次

2 年次

の プロ グラ ムがつ く られ てい る。 そ して、

3

年次

4 年次

へ の 次 なる、 信仰 心 を

んで ゆけるス テ ッ プ ッ プ をはか れ る プロ グラムへ と連 な

。 c.

宗教

の維持 ・再 構 築か ら個の

信仰育成

 

檀信徒

の家 庭 が ギクシャ ク してい て は、

寺檀

関係

体 も円滑には な らない 。

を しっ か りと守るの か ?

 

こ うしたモ チ ベ ー シ ョ ン (意識)を檀

信徒

みつ られなければ、 将 来 的に菩提 寺の存立 自体が

ぶ ま れるこ とに なる。 そのため にも、檀 信

に対 する

厚い ケア を しっ か りと行っ て ゆ くと い 今 度

院の側の モチベ ー ン が求め られ る。

檀信徒

の家 庭 を必 要 以上に干渉 する とい う話で は無い

信徒

が しっ か

意識づ けさ れ る よ

、 円滑 なコ ミュ ニ ケ ーシ ョ ン を は かる こ とが とて も重 要だ と

してい るの で ある。

 

人を

い 、 ご先 祖さまに

い を は せ、 墓 地 を

守 り

家庭

で は お仏 壇 を 中

と した生 活 を送れるよ

に十 全 なケ ア を行

。 これ こそ が、 こ れ か らの 菩 提 寺に欠 くこ との で きない

となる だろ う。 檀

信徒

い て、 檀 信

を 意 識 して

住職

がア プロ ーチ を

続 け

てい れば、

信 徒の家 庭 も和や かな生 活を送るこ とがで きる は

る。 なぜ、 そ

言い 切れ るの か ?

 

それは、

(15)

既成教 団と寺 院の亡 を かけた一考察 (片野 ) 仏 教が そ うした処 方箋 を さ まざまに培い 、

包 して きた か らであ る。

院仏 教は、 迷 える人 々 に対 して

限の

救 済方法

っ て い る か らであ る。 そ れ を よ く認 識 して、 その術を身につ て檀 信 徒 と接 すれ ば、 檀 信徒の信 仰心 は

然 と

花 し、

まれ る こ とになる はずで ある。

 

そ う した個 別 具

体 的

な取 り

み が、

教化 年次

テ ー

3

年次

4

年次

ロ グ ラ ム とし て組まれ てい る。 こ こ で取 り上 げられ た教

化活動

の どれもが、 こ れ までの 長い 日本仏 教の 歴

の 中で、 どれ ほどの

大衆

か ら差 し

べ られ た 救い の手に応えて きたのか。 どん なに

くの大 衆が、 ご詠歌 を お 唱えし、 お 経 を書 き写 し、仏さま を描 き、霊場を自 らの 足で巡っ て きた か。 そ うして、 どれ だ けの い や願い を祈 っ て きたか。 聖 地 を巡礼 して、い ま もなお、 白装

を包む

姿

や 、

奉納

され た写

や、 霊

くご

詠歌

、 仏 教の圧

的 な

救済

が、

し くは

甚深微妙

な る

世界

が、

必ず大衆

の 迷 い ぬ ぐい っ て くれ る とい う確信 を

るを

ない 。 教

教化年

次テ ーマ は 檀 信徒の 想い め、 寺 院住 職が仏の 世界へ

うた め の レ シ ピで もあるだ ろ う。  

4

.真 言宗 智 山派の寺 檀 関係 を再構 築す る た めに… …     一仏教が培っ て きた 「生 きる力= 人間力 」 を復興する一 a.檀 信徒の宗 教 意識 を根 付か せ る教 化 推 進

 

智山派の教 化 推進は 、平成

9

年 度か ら

4

年 間で 「生 き

らか な る心 を

めて 〜」 の テーマ を教化 目標 と して掲 げ

度ご とに は

教化年次

テーマ と して、

寺 院が具体 的に取 り組め る教化 活 動 を奨励 した。 宗 派とし て も、

寺院

におい て も、

檀信徒

も 一 に なっ て

り組め る活 動 を念頭 に置い たわ

る。

内どこにい て も誰で もお 唱

で きるや さ しい お

智 山勤

行式

」 をみ ん なで

!と

掛 け

読経

の ス ス メ である。 通夜の 席、

の席、

行事

におい て、 そ して

檀家

の お仏 壇の

で 、 た っ た

8

分で読み 終える ことがで きる。 そ れ を

徹底

し よ

とい

の が

1

年 次の テ ー

 

2

年 次に は、檀 家の 中心 と なるお仏

切に し よ

とい

意 識 を檀信 徒

(16)

智山学報第五十八

っ て もらお

とい

の で

る。 お

仏壇

を きちん と

荘厳

して、

礼拝す

る。 その

に、

1

年次

か らの 流れで、 お仏 壇の

で 智 山勤行

をお唱 えする礼 拝

行為

信徒

根付

かせ よ

とい

の で あ る。 こ の

2 年

にわ た る

教化

進は、

述 し た とお り、 家の

教を檀 信

ら しの中心 に据 えようとい う

み である。 こ こ には廃れ かけ、 崩 壊の 一 途を辿っ てい る家の宗 教の復

とい

既成 教 団

院に とっ て、 将来へ の生

線 となる

指針

が込め られて い る。

住職

檀信徒

して、

智 山勤行式

のお

えの

仕方

と、 お仏

の 荘 厳 ・

拝の

指導

を徹

して行 うよう、 智 山派の住 職 ・教 師の意 識 も再啓 発 して ゆ く意 図が含 まれて い る。

4

年 間の 内、前 半の

2

年 間は、 檀信 徒の 宗 教 意識、 及び家の宗 教の 再 活性 化 をは か る とて もとて も大 切な、 智 山派教 化 推 進の 根 幹を なす 取 り組み で ある。

 

そ して、

後半

2

は、 つ くしあい 運

折 した 「

宗教

(信仰)」 へ の リベ ン ジ と

っ て も過

で は ない 。 しか し、

檀信徒個

々 の

心を

くた め には、

檀信徒

宗教

対 す

意識付

けが しっ か りと

われ て い る こ とが 前提 と なる。 そ うした配 慮か ら 、

1

2

年 次の 教 化 年 次テ ー 取 り組み か ら、

3

4

年 次の教 化 年 次テ ー ッ プア ッ プで きる よ う、信仰 心を段 階 的に育め るプロ を組んだの である。

後半

の教

化推

進は、

檀信徒個

々 の さま ざまな状

まえて 、 さ ら に

々 の

能力

や興

かそ

とする

が ある。 そ して 、

3

4

年次

り上

ら れ

教 化活動

、 最

終的

に は仏の世界 を

じる、 曼

羅 世 界に足 を踏み入れる プロ グ ラム と して構 成 し てい るの で ある。

 

1

2

年 次の 教 化 年 次テーマ が横 糸 と な り、 仏

な ど を 通 じ、 生

密接

に絡み合

檀 信 徒の 信 仰 意 識の ベ ース を

培 う

。 そ こへ

3

4 年次

の テーマ が 縦糸と して 々 の

成 し

信仰

心 を深めて ゆ く。 こ の ように緻 密に組み 込 まれたプロ グ ラムが、

真言宗智 山派

檀信徒

教の 世 界へ

とい

わけである。

(17)

既 成教 団と寺 院の存亡 をか けた一考 察 (片野)

b

.平 成

9

年 度以

の教 化

進の変遷

 

しか し、

念な こ とに、

9

年度

か ら

12

年度

まで に

実施

さ れ た教

推 進が 、宗 内に おい て好 感 触 を得て い たに もか か わらず、平 成

13

年 度か らは 、 リニ ュ ー アル さ れて しま

こ とに な る。

13

度か ら

4

間の教 化 目標 は 「生 き らか な 心 を 〜 変 更さ れ

化年次

ーマ に は 「無 量 心 が 当 は め られ 。 また、 こ れ まで の 「智 山

行 式」 と 「お仏 壇の 荘 厳 と礼 拝」 とい う家宗教 をベ ース と して、 そこか ら

々な教

化 活

動 を実践 して個の 信 仰を

育成

させ よ

とい

コ ン セプ トを

解体

した。 それに よっ て御 詠 歌や発 心 式を

1

2

に組み込む とい う

容と し たの で ある。 さ ら に 、新た に 「十 善 戒」 「生 命 倫 理」 「環 境 問 題」 「青 少 幼 年

教化

」 へ の

み も

たに盛

i

り込ん だ。

17 年度

か らは、 教 化 目標 と 教 化 年 次テーマ の 内容は その ま まで 、

次テ ー

現の み を変 更 して い る (※注 1)

 

紀続

「つ くあい 理 念展 開とい

う真

言 宗 智 山派教 化 運動 か ら

大転換

を は か っ て 、 新しい 教 化 推進 施 策が構 築 された。 その 経 緯を振 り 返 るな ら ば、 「つ くしあい 理

」 の

証 を 目的に、

宗智

経 費

力 を かけて 総

調査 を

実施

し、

院の

態と教

庭婦 人の 意識 調 査 を入 念に行っ てい る。 さ らに、 そ れ を

裏付

けるた めに智 山

伝 法

院は 地

教 化

究 会 を実 施して、 現 場の生の

を くみ取っ て きた。 そ

した デ ー タによっ て 「

宗教

をベ ース に

信仰

をはか る」 とい

基 本 理 念の 下 に、 教 化 目

と教

化年次

テ ーマ 生 まわ ける。 この ような経 緯を踏 まえ、 かつ て の運 動が頓 挫 し た反

かすな ら ば、

しく

提案

さ れ た教 化 推 進施

を、

4

年です ぐに リニ ュ ーアル する こ とが適 切だ っ たの か。 そ れよ りもむ しろ、

院住 職 ・教 師に浸 透 し根 付 くまで、 シ ン プル なま まに、 しっ か りと繰 り返 し

徹底す

具体

的取 り組み をはか っ て ゆ くこ とが必 要だっ た と 、 い まも思

の で ある。

(18)

智 山学 報第五十八輯 c .

教化推進

基本

と施

戦略

 

既 成

団の

ない し教

推 進

施策

は、

現在

、 どの 宗 派 を見 渡 して も

あせ た もの となっ た ま ま、現

の中に埋

してい る

め ない 。 また、 基 本 理 念が 再検 証 され 、 方 針転 換を図 り、 新しい 展 開を打 ち出した

派 も

り目に しない 。 かつ て の教化理念を その ま ま継 承 して対 処

療法

的に、 現代 社 会の ニ ー ズ とい

幻 想 右往 左

しなが ら

層 的 な教 化 推 進 施 策 を行っ て い るよ

える。

教化推進

とか

運動

歳月

れ と と もに

必ず

ス ロ ー 化 して沈 殿 する。 そ して、既成 教 団の 体 質はそのパ タ ー っ そ う助 長 す るの である。 どん な に

新で

い もの が提 供さ れて も、 そ れを瞬 く間に形骸 化 し去る の が 既成教団の 体 質 り、 その団 を構 成 する住 職 ・教 師の 気 質

保守

的で

己的であろ

。 そ

した

体質

を十分 鑑みた上 で、 基

理 念 を

し、

全 な

戦略

の 下 に、

柔軟

もが理

る シ ンプルな

施 策

実行

し なければ、

改革

な り

体 質改善

現実

の もの と は な ら ない 。 こ の

に よ くよ く

心掛

け な ければな らない の は 「

具体 的

簡潔

繰 り返

働 き

る 」 こ ある。 あれ もこれ も次々 と抽

的 ・理念 的 な もの を提 示 する こ とは 、既 成 教 団の

体質

に は、 逆

果 と な るこ とを忘れては な ら ない 。

 繰

り返 すが、

9 年度

か らの教 化 目標の 基 本理念は 「家の

教の

維持

の信 仰の

育成

」 とい

う伝統 的

興 させ ること にある。 その理

沿

っ た具

体的教化活動

教化年次

テ ーマ と して

提案

し た。

は、 それ を繰 り返 し、 宗 内住 職 ・教 師 、 寺 院におい て檀信 徒 に働 きか けて ゆ くよう、 それ を 徹

させ る こ とで 十分 なの で ある。 理

とソ フ トが

完結

すれば、

に はその ソ フ トを流 布 する経 路(シス テ ム)と機 会戦略)を充 実 させ る こ とだけを考 え

実行す

ればい い。

情報化

社 会の 速 度に

か されて、 い た

ら に

か ら

へ と 理念や ソ フ トをつ ぎ込むこ とは ない 。

智山派

場は保

守的

伝統

的 ・

高齢社 会

なの で

る。 シ ン プル で

簡潔

なソ フ トが、

檀信徒

ひ とりひ と りに語 りか け られ、 反

されて、

しずつ じっ く り

付い てゆ くリズム が最 も望 ま れてい るの である。

 

そ して、 戦

施策

で あ る。 そ れでは、 その戦略とは何か ?

 

そ れ につ い

参照

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