既 成 教 団
と
寺
院
の
存
亡 を
か
け
た
一考
察
〜家
の宗 教
は誰 が 守
っ て ゆく
のか
?〜片
野
真 省
プロ ロ ー グ小 澤
征爾
とロ ス トロ ポ ー ビ ッ チ (2007
年4
月27
日死 去)という世界屈指
の指
揮 者 とチェ ロ 奏者が い る。 この 二 人が 日本の 若 手演 奏家 を引 き連れ て 、 日本 の 地方数
か所
を演奏旅行
して廻 る ドキュ メ ン タ リ ー番組
がBS
特 集
で放
映さ れ た。 そ して、 二 人は こ の 楽 団 を 「キ ャラバ ン」 と呼ん だ。 こ の キ ャ ラバ ン を率
い て 演奏
旅行す
る こ と を、 ロ ス トロ ポー ビ ッ チ が小 澤征 爾に提 案 し て実 現 した とい う。 田舎
の 村の 公 民館やお寺
を会 場 とする演 奏 会に は、 その地元 の そ れ こそ老 若男 女があ ちこちか ら集い 、 質の 高い 生の ク ラッ シ ッ クの演奏
に、感極
まり相好
を崩
し、時
に涙
を浮かべ て耳
を傾 け た。このキ ャ ラバ ン の 目的 は大 き く二 つ あ る と言う。
有
望 な若手に音楽の 原点 が何か を肌で感 じて欲 しい とい うこ と。 そして何 よ りも、 どん な 人 にも音楽
の 素 晴 らし さを、 その 耳で知っ て もらい たい とい うこ と。 初 老のチ ェ ロ 奏者 は小澤征爾
に 「音楽
のす
ば ら しさに触
れた時の聴
衆の 心か らの 笑 顔は 、 何 よ り得
がた い もの だか ら… …」 と、この キャ ラバ ン 実現の意 義 を説い た とい う。一
流
の演奏家
が、物音
一つ に気
を使 う
コ ンサ ー トホール で最 高の 音楽
を奏
で る。 その 音楽
に聴衆
も酔
い しれる。 そ れ も確
か に素晴
ら しい音楽
で ある。 しか し、 ク ラ ッ シ ッ ク音楽
に、 日常
、興
味 を抱 か ない大
衆に向
かっ て、 屋外
の 劣悪 な環 境の 中で も、 その 環境
の 中で ベ ス トな音 楽 を奏で る。 そ し て、 そ の ハ ーモ ニ ー が聴
く人の 心に響
い て くる。 そう
した音 楽こそ 「音を楽 しむ」 とい う音 楽の 原 点 と思わずにい られ ない 。静 寂の 空 間で最 高 水 準に
奏
で られ る音楽
と、自然
の音
色の 中に溶 け込む雑智 山学報 第五十八輯
音
の 入り
混 じっ た音楽
。 で も、 どち らの音楽
も誰に も優劣
はつ け られ ない 。 その場
に居合
わせ る演奏家
と聴 衆
の楽
しみ が一致
して い る な ら 、 どちらもす
ば らしい 「本物の 音 楽」 と 、 きっ と言える に違い ない 。普
段は ク ラ ッシ ッ ク な ど聴い たこ と もない 老若 男 女が、 すば ら しい 演奏 に笑顔 をこ ぼす。 その笑 顔は、 まぎれ もな く素 晴ら しい 音楽
が 生み 出し た もの で ある。笑顔
を生 み出す音楽
。陳腐
な言い方
をす
るな ら、 だ か ら音楽
は素
晴ら しい 。音楽
は人に笑顔
や感動
や喜
びを もた らす力
を持
っ て い る。 そ れは誰
もが知っ てい る こ とである。 さて 、 そ こ で どう
だろう
。 われわれ僧侶
は、 い っ たい ど れだけ、大衆
や檀信
徒の笑
顔 を生み出す機 会 を創っ て きたの だ ろう
? 仏 教 だっ て 、 音 楽 と同 じように、 多 くの 人 々 に笑 顔や安 らぎや支 えをもた らすこ とが で きる はずで ある。 音 楽 と質は違っ て も、 人々 に何か を もた らす もの で ある に違い ない 。 い や、 人々 はこれ まで に も、 い つ だっ て、 仏 教にそう
した もの を求
め て きたの で はない だろう
か ?しか し、 そ
う
で あるに もか か わ らず、仏教
に対
する イメ ー ジ を聞
い て み る と、 その大半
は 「暗
い 」 「抹
香
くさい 」 とい う もの が多
い 。 一体
これは どうした ことなの だろう
?何が
仏教
の本質
を色あ せ た もの に して し まい 、大衆
の 心 に響
く何
か を伝
え切れ な くなっ て しまっ たの だ ろう
か。戦
後
か ら半
世紀
以上 が瞬 く間に過 ぎ、 国民所得倍
増計
画、 高度経済
成 長、 さ ら にはバ ブル 期が弾けて 、世 間の様 相は一変した よう
に見 える。 そう
した時代
の盛衰
にあっ て、寺 院
という
門内
で ぬ くぬ くと洋
々 と暮
らして きた わ れ わ れ は、 人心
や世 間の 風合
い に鈍感
になっ てい なかっ た だろう
か ?同 じよ
う
に、 一見変
わる こ との ない よう
に見 える寺
檀関係
にあっ て、 乞わ れ るま ま に檀 信 徒の 仏事
に関わ り、年 中行事
で 檀 信徒
が訪れ るの を何気
な く眺
めて い る光景
が、 現在
の寺
院の実体
となっ てい ない だろう
か ?果た して、 人心は この 半 世 紀、変わ る こ とが なっ たの か ?
そ れ とも、
変
わ るこ と に気
づか な い ま ま、 わ れ わ れ は、寺
門の中で夢 う
つ つ に、 い たずらに時を過 ご してい た の で はない か ?い や、 葬式 仏 教批 判とか 戒名 料 問題 な ど、
耳
の 痛い 、 罪悪感
を抱かせ る よう
な話題
に、馬耳東風
の ご とき態度
をみ ん なで決
め込
ん で い既成教 団と寺 院の存亡 を か けた一考察 (片野) たの だろうか。
これまで、 われわれ
真 言宗
の寺院
に身
を置 く僧 侶が、 い っ たい どれだけ檀 信徒の声
に耳を傾 けて きたの だろう。 彼 らが望 む もの に手 を差 し伸
べ て きた だろ うか。 科 学技 術が瞬 く間に歩みの 速 度を早めて、 人々 の暮
ら しを どんど ん どん どん際 限な く、 心 地 よ く便利
で快
適な生活、 世界へ と誘
っ て ゆ く。 し か し、 その反面
、癒
されない 、 どこ にも持
っ て行 きようの ない 、 や り場 に困惑
したス トレ ス を誰
もが内
に抱 え込んで い る。 そ うした現代 杜 会で否応 な く 日々 の暮
ら しを積
み重ね な くて は な ら ない檀信徒
が、 本当
に望ん でい る もの はい っ たい何
なのか ?そ
う
した誰
に も出口 を見い だせ ない 社 会が、 檀信徒
の宗 教 意 識 をど れほ ど変 質 させ て (ゆ が めて)き たの か。 そう
して、 ゆ が ん だ 宗 教 意識の 中で 、 わ れ わ れ は檀信徒
の救
い を どの ように察 知 し、受
け止め る ことがで き るの だろ う。本論
は、 そう
した現状
認 識の 下に、 日本の現 代 社 会にお ける人々 の宗教 意 識が どの よう
に推
移してい るの か を検 証 し、 こ れ からの 真 言 宗 智 山派の教 化推進
が どこへ向
かう
可能 性を秘め てい る の か、 否、 可能性 自体が ある か ど う か を見 極めたい 。1
. 日本 人の宗 教 意識は、 どこへ ゆ く? 一寺院存亡 の危機は回避で き る ?1
− a.最 近の 調査に よ る日本 人の宗 教 意識平 成
20
年5
月に、 読 売 新 聞が 「年
間連 続 調査 ・日本
人の宗
教観
」 の 調査 結果を発表
した。 その ご く概 要をまず 紹 介 して お きたい 。「あなた は 、 何か宗教 を
信
じてい ます
か。」 の 問い に対
して、 「信
じてい る」 との答
えが26
.1
%、 「信 じて い ない 」が71
.9
% で ある。 こ の 内、 「信 じて い る 」 と答 えた人に 、 その 理 由(複数回答)を尋
ねた ところ 「自分の 家で信 じて い る か ら」が52
.8
%、 「心の安
らぎ、 より
どころ が欲
しい か ら」 は44
.5
%、 「教
えの内容
に ひか れ た か ら」 は20
.O
% 、 「ご利
益があ りそう
だ か ら」 は11
。5
% という
順 とな っ てい る。次
に 「現在
、あ
な た が幸
せ な生活
を送
る上で、宗教
は大 切
だ と思い ます
智山学報 第五 十八輯 か。」 との 問い か けに 「そ
う
思う
」 との答
えが36
.6
% 、「そ うは思わ ない」 が59
.1
% となっ てい る。 さ らに 「あ
な た は、 日本
人は宗 教 心 が 薄い と思い ますか、 そう
は思い ませ ん か。」 の 問い に は、 「そ う思 う」が45
,1
%、 「そう
は 思 わ ない 」が48
.9
% と、ほ ぼ2
分 され た 回 答 と なっ てい る。 ま た、 「『最 近、 日本
人 のモ ラル が低
下 したの は、 日本 人の 宗教 心が薄い か ら だ』 という
意
見 が あ ります が、あ
なた は、 そう思
い ます
か、 そう
思い ませ んか。」 という設 問
に は、 「そう
思う
」 が17
.2
% 、 こ れ に対
して 「そう
は思わ ない 」 が78
,5
% と圧倒してい る。ま た 「あな た は 、
自然
の 中に、 人 間の 力 を超 えた何 か を感
じる こ とがあ り ますか、 あ りませ ん か。」 の 問い に 対 して は、 「あ る」 が56
.3
% で 「ない 」39
.2
% を上 回っ てい る。次
に 「あなた は、 自分の 先 祖 を敬 う気 持 ちを持 っ てい ますか、 持っ てい ませ ん か。」 との 問い には 「持っ てい る」 が94
.0
% で、 「持
っ て い ない」 は4
、5
% と圧 倒的
な差
を示
してい る。 さ ら に 「あ
な たは、 死 んだ人
の魂
は、 どう
なる と思い ます
か。 回答
リス トの 中 か ら、1
つ だけあ げて 下さい 。」 という質
問に、 最 も多
い答
えは 「生 まれ変わ る 」 が29
.8
%、 次 に 「別の世 界へ 行 く」 が23
.8
% 、 その後
は 「消 滅 する 。」 が17
.6
%、 「墓 にい る」 が9
.9
%、 「魂
は存在
しない 。」 は9
.0
% と続い てい る。こ
う
し た調査
結 果を わ れ わ れ僧侶
は、 どの よう
に受
け止め ればい い の だろう
。 まず
「何か宗
教 を信 じて い る。」 と答
えた割合
が3
割
に満
た ない こ とを、 既成 教 団
の寺 院
は楽観
的に受 け
止め て い られ るの だ ろ うか ?それ とも 「『日
本
人は無宗教
』 という言
い 回しを如実
に物語
る結果
」 とう
そぶい て い ら れ るだろ うか。 む し ろ、残 りの7
割に向
けて、 わ れ わ れ はこ れ か ら何
か 出来
る余 地が あるの で は ない か ?ま た 厂
宗
教が大切 だ と思う
か。」 の 問い に対 して、4
割 近 くが 「そ う思 う」 と答えて い る。 この こ と を宗
教に対 する期待
と安 易 に評価 するこ とがで き る だろ うか。この
調
査 か ら受 け
る最
も強い印象
は、宗
教に対 する ア レ ルギ ーがとて も強 い こと。 に もか かわらず
、先祖
を敬 う気持
ち、先
祖に対 す
る何
らかの崇拝
の 念は ほ とん どが抱い て い る とい うこ と。 日本 人の モ ラルの低
下と宗
教心
の希
既成 教団と寺院の存亡を か けた一考察 (片野) 薄さが結びつ か ない とこ ろ も興 味 深い 。 そ して、 もう 一つ 。 現代の科 学 的な もの の 見方や合 理 主 義 的 な思考が横 行 する時代であっ て も、 半 数 を超える人 が 自然に畏 怖の念を感 じた り、魂の存 在 を何 らかの か た ち で感 じてい る こと に、
興
味 をそ そ られる。b
. 日本 人の宗 教 意識の推 移次
に、 日本
人 の宗教
意識の変
遷 を 「デ ー タ ブ ッ ク現代 日本人の 宗 教 増補改
訂版
/ 石井
研二著
」 か ら、各種
の宗
教 意 識 調査の デ ー タを紹介 して み よ う 。は じめに、
2000
年
に行わ れ た統 計 数理研 究 所 国民性
調 査委
員会
の 『統計
的日本 人研 究の半
世紀』 で は、 「何か信 仰 と か信心 を持
っ て い る」 と答
えた割
合は30
−35
%で、 加齢
に よっ て 「宗
教 を信 じ る」 人の 割 合 が 増 加 する構造
はこ の40
年来変
わ ら ない との指摘
がある。 その 一方
で、 「宗
教 的 な心は大 切」 は、 こ の15
年 間で12
ポ イン ト減 少 (80
% → 68%)し 、 さ らに 「先 祖を尊
ぶ」 は20
年 間で12
ポ イン ト減少 (72%→60
%)してい る 。 宗 教に対 する意識 が じ りじ り低下 し、「近 年の ゆ らぎ」 と石 井 氏は指摘 してい る。また、
1978
年
か ら2003
年
まで25
回実 施 さ れて い る朝日新 聞 ・定 期 国民 意識
調 査で は、1978 年
に 「宗
教や信仰
に関
心がある 」 は39
%。 それ か ら25
年後
には23
% と16
ポ イ ン ト減少
して い る。 この 当 時の 朝日新 聞 紙 面では 「宗教
『関心
ない 』大幅
に増
え77
%」 と報
じ ら れ た という
。さ らに
1952
年か ら実施さ れてい る読売 新 聞世論調 査で は、1952 年
に 「信
仰 あ り」 は65
% 、以 降次 第に低下 して2005
年
に は23
% まで減少
してい る。 こ こ で 、1969
年と2005
年の 「信 仰 あ り」 の年齢 別デー タ を比較
してみ る と 、1969
年
に20 代
で17
%、60
代
で61
%、35 年後
に20
代
は11
%、60
代は27
% となっ てい る。 お よそ35
年
間で20
代
で は6P
減少
とあ ま り変
わ ら ない が、60 代
で は34P
と大 幅に減 少 して い る。 加齢 に よ る信 仰の 増加
が近年緩
やか に なっ てい る、 と石井氏は指摘 してい る。最
後
に、 日本 生 産 性本 部 ・日本 経 済青 年協 議会が調査 し た 「働
くこ との 意 識 調査」(18
−24
歳対 象)では、1980
年に 「宗 教は大切」 が42
% で 「宗
教は大
智 山学報第五十八輯 切では ない 」が
32
% だっ た ものが、1986
年
に は両者
が ほ ぼ同数に、2004
年
に は 「大 切」 が22
% で 「大切で は ない 」 が58
% となっ て い る。 c。宗教
意識
調 査か ら読み取 れ るこ とこ
う
した宗教意識調
査の デ ー タのう
ち、 どこに焦点
を絞
るか … …。 ひ とつ に は前
述 した とお り、 「自然
へ の畏怖
」 と 「魂
の存在
」、 そ して 「先祖崇拝
」 で ある。 そ して、 もう
ひ とつ は、第
二次大
戦の後
、 い わゆ る戦後
50
年
を過 ぎて、 明らか に日本
人の宗教意
識は変質
し、希 薄
に なっ た という
こ とである。 そ して、 最 も注 目したい の は、 前 述 した読売新 聞調
査の中で 「信仰
あり
」 と 答え た割 合が年齢 別データとし て比較さ れ て い る とこ ろ で ある。 こ の 中で、60
代
の 「信 仰 あ り」 は、61
% か ら27
% と34
ポイン トも大 幅 に減 少 して い る。年
齢 を重 ねるこ と に よっ て培 わ れてい た信 仰 が、 この35
年で半 減 して しまっ た現実
が突
きつ け られ てい る。ま た、 若
年
層 を対 象 と し た 「働 くこ との 意識調 査」 を見る 限 り、1980
年
か ら2004
年
のお よそ25
年
で 「宗
教が大 切」 と答える若
者は半 減 し、 その一 方で 「宗 教が大 切で はない」 との答
えは倍 増 してい る 。 この デ ー タ を 、既
成 教団
の寺
院 と檀信徒
の 関係
に重 ね合わ せ て み よう
。 これ か ら家の宗教
を維持
して、 墓 地 を守るべ き60
代の 信 仰 心は、 想 像 を超 える ほ どに希 薄
となっ て い る 。 さらに、次
の 世代
を担 う若者
の宗教
意識
は こ の25 年
で逆転
現象
を示
して い る。 既成教 団を支え る寺院、 その寺 院を支える寺檀 関係 におい て、 檀 信徒
の宗
教意
識や 信仰心 は、歯
止 めの き か ない 、 すで に悲惨な状 況を迎えて い る の であ る。さ らに
踏
み込ん で言 うなら、い っ たい 誰が、 こう
した 日本
人の宗
教 意識 を もた らした の か ?ど
う
した らこ ん な 日本社会
が か た ちつ くられ たの か ? そ して 、 い まわ れ わ れ が 、当た り前の よう
に寺
院で行
っ て い る行為
とか活動
が、 こう
した現状
(宗教 意識の希薄化)を産
み落
としたこ とも事実
なの である。既成教 団と寺院の 存亡 をか けた一考察 (片野)
2
.仏 教 寺 院の周辺 で移 り変 わ る風景 一現代 社 会の現況 (少子高齢の 時代)一【存亡の危 機を予感させ る事例】 a.寺院に お い て何が変わ りつ つ ある の か ?社会
一般
の各種調
査が物語
る データは、 わ れわ れ僧侶
が、 これまで に寺
院 で行っ て きた活 動に一定の成 果 と答え を導
き出 した と言 えるの で は ない だろ うか。 葬式 仏 教 批判 も戒 名 問題 も、創価 学 会 を始め とする新 ・新 ・新 ?宗
教 運動 も、 そうした話題が沸騰 する た びに、 仏 教界はちょ っ と驚 き、 バ タバ タ とお茶を濁 すかの ような動 きで 、 煮え湯が冷め れ ば何 事 も な かっ た かの よう に、 ま たい つ もの 安 閑と し て経 済至上 主義を支える ような暮らしを積み重 ね る。 そ うし た 禺行を幾 重に も繰 り返して、今 日に至っ て い る の で ある。 あの オ ウム真
理教
の事件
で さえ も、仏教界
や寺院
は、 どこよりも早
くさ わ ぎを沈
静化
させ ようとい う態
度に終
始 して い た。 オウム真
理教 を産
み落
とした社 会
とは、 どの ような社 会だっ たの か ? オ ウム 真理教 に入信 した若者に は、 既 成教団の寺
院は風景の 一部 としか映ら ない 、 無 きに等しい存
在であっ た に も か か わ らず
… …。 そ ん な寺 院や僧 侶の 振る舞い が 、先の 宗 教 意識の 希 薄化 を招い た の で はな い か ?その元 凶は既成 教団 と
寺
院の体質
にある、内なる とこ ろ に巣 くっ て い る と見るべ きで あろう
。今
や、寺 院
に救
い を求
め る人々 は、 日々減少
して い るの である。 大 げ さに言う
な ら、呼
吸 するた び に、寺 院
の存在価値
は薄
っ ぺ ら なものへ と変 容 し続けてい る 。そ して、 い ま、
寺
院の 周辺で 、多
くの 風 景 まで も変わろ うと して い る。 そ の こ とに、 わ れ わ れ は気づ い て い るの だろ うか ?そ うした変 質の 事 象を 、
儀礼
と墓地、 さ らには仏 壇 とい っ た 、寺
院と檀信 徒 を強 く結ぶ はずの 「家の 宗 教」 とい う観点
か ら拾い 上げて み よう
。b
.儀 礼
の簡略化
真 言 宗 寺 院にお ける儀
礼
は、 一般 的に葬 送儀 礼や年 回忌 法 要(法事) 、年
中 行 事な どが考え られる。 ま た、 発心式
や結
縁 灌 頂 もその 範疇に入 るだろ う。智山学報第五十八輯
多
くの寺
院で行わ れ る年 中行 事 と して は、 や は り最 も多
い もの が施 餓鬼 会、盆
中の回向
という
こ とになるだろう
か。 最 近、 最 も変
わっ た儀礼
の形態
は、 これ まで夏の風 物 詩とも受 け
止め られて きた各
檀 家の精 霊 棚参
り、 い わ ゆる 棚経
だろう
。都市
近郊
で は最 近、特
に棚参
りを取
り止めて 、 お盆 期 間 中に1
日数 回
の総回向
を菩提寺
の本
堂 な どで実施す
る寺
院が少
しず
つ 増 えてい る よう
に感
じ られ る。 これ まで は、菩提寺
か ら遠 く離
れ た檀家
に対
して特
に実施
して きた儀 礼 を、 全 檀 家に適 用 して中心 的 な儀 礼 とする動 きが見 られ、 こ こ に も儀礼
の変容
が進行
しつ つ あ るこ と をう
か が わせ る。こ う した変容の 理
由
としてよ く耳にするの が、 ひ とつ は檀 家の意
識の 変質
である。寺
院と檀 家の事
情によっ て異なる もの の 、朝 8
時前
か ら夜8
時 過 ぎ まで各檀
家を訪
ね歩
い て、檀
家に上 が り込
み、 お仏壇
やその周
囲に飾
られ た精
霊棚
で10
数分
の読経
を行 う
。 そう
した供養
のあ り方
に、檀家
が精神 的
な負
担を感じてい る とい う。 ま た、多
くの檀 家の 棚参
りを行っ てい る寺 院に と っ て、助 法の人材 確 保 が ま ま な らない 、激務 なの で頼みづ らい などの 理 由 を挙 げ
る場合
もある。 しか し なが ら、 こう
した理由
は、檀家
へ 出向
く棚参
りを 取 り止めて 、 菩提 寺
で の 回向
へ移行
する本当
の理由
なのだろう
か ?菩 提
寺
に も檀家に もそれぞれの 思 惑がある。 そ して、 その 思惑
が 一致
しそ うな妥協 点
と し て 、各
檀 家で の棚参
りを取 り止め て菩提寺
での 回向
とい う儀 礼 に移 行された と言 えるの で は ない か ? その 思 惑の一致 点 とは何か ? そ れ は率 直 に言え ば 「その 方が楽だ か ら」 「面 倒 にな らない か ら」 とい うこ と だ ろう。 こうした気 質は、寺 院に お ける儀 礼の 簡 略化の み な らず
、われ わ れ 現 代 人の 意 識 に横 た わ る忌まわ し く も厄介な代
物で あ る。 「便
利で快
適で心 地 よい もの」 を志向
する現代
日本
人の特質
とも言え
る意
識で ある。 そ して、 こ の意 識は、 寺 院にお ける他の 儀 礼の 中に も、 そこか しこに蔓 延 してい るの では ない だろう
か。 檀 家での棚参
りが 菩提 寺の 回向
へ と移 り変わ る風 景の中で、 何が失われ て い るの か ? そ れは、 檀 家の 実情、 つ ま り家 族 関係とそ れ にまつ わる家庭の 雰 囲気 を知る機
会 を失う
こ と につ な が っ て ゆ く。 年 に一回、檀 家 に個 別 訪 問で きる大 切な機 会 を 、安
直に失 く して し まう
の で既 成教 団と寺 院の存亡を かけた一考察 (片野) ある。 果た して 、 こ の
機会
を失 う意味
が どれほ どの もの なの か ?時代の流 れの 中で 自然 に淘 汰 されて
良
い もの なの か ?とて も
大切
な機
会を既成 教 団 の寺
院が手
放 して 、後
々 、後 晦して しま うことに なる の か ?その
判断
は、 もっ と時が 流 れ た後
に思い 知 ら さ れ るの であろ う。次に、 も うひ とつ 気に なる儀
礼
の変容
に 目 を向け たい 。 菩提 寺が檀 家の様子
を知
る機会
の ひ とつ を失っ た儀 礼、 つ まり葬送儀 礼で あ る。 すで に、都 市部
や都市
近郊
で は、 葬 送儀 礼の場は、 ほ ぼ9
分9
厘、 檀 家の 自宅で はな く葬祭場
、 セ レ モ ニ ー ・ホ ール とい っ た施 設で行
わ れ る。今
や 「自
宅か ら葬
式を出す
」 という言葉
は死 語になっ て しまっ た。 こ れ が20
〜30
年前
であれ ば 、 家 財 道 具の大 移動 と と もに、自
宅におい て葬儀が営 まれるの が 当た り前
だ っ た。 隣近所、町 内 会の人た ち が総出で手伝
い 、 家 族の 生 と死の 一大事
、 一家
の葬 儀を営ん で きた 。 人の死 とは、 そ れ くらい 一大事
だ か らこ そ 、 死者に対 する弔い を隣
近所
みんなで分かち合っ たの で ある。 死へ の尊厳
を誰 もが肌 身 に感
じてい た。そ うした中で、
良
くも悪 くも寺 院住 職は、 檀 家の 雰 囲気
という
もの を肌
で 感 じて きた。 それ が今
や 、同
じ よう
な式次第
で 、 個性の 埋没 した葬送儀礼
が営
まれ る。 個 人の 名 と顔 写 真と戒 名を取 り換
える だ け … … と言 え な くもない 葬 送儀礼
が、 流行
りの音 楽
とケバ ケバ しく彩 られ た花々 に包ま れ なが ら… … 見た 目は華
々 し く執
行さ れるの で ある。葬 送儀 礼がつ つ が な く、
粛
々 と言 う
より淡
々 と営 まれる。終
わ れ ば、早
速、 式 中初七 日なる儀礼
が もの の10 数
分で チ ャ チ ャ ッ と終わ りを告げ る。 かつ て は7
日毎
に ご供 養 し てい た亡 きみ魂は、 中 陰の 始め と終わ りの儀礼
に簡略
化 され 、 さ らに、 葬儀式当
ロの 初 七日、 葬儀 式 と 一体 化 された儀礼へ と 、何
の躊 躇 もな く簡略化
さ れ る。 そう
したス タイル に代わ っ て、 果た して、菩提
寺
は檀家
の宗
教 意識 を、 い っ たい 、 い つ どこで 、 どの よ うに意識付 けし て ゆ くの だろう
。 ご先
祖 さまを敬 う意 識が 強い現代
人 に 、 どの ように、 効 果的に 家の宗教
を指導
教育
してゆ くこ とが可能
なのか ?菩提寺
の住 職は、 檀 家の こ と を知る機会
を失
っ た分、 どこ で その代
わ りと な る機
会 を生み 出し、育
ん智山学報第五十八輯 で ゆ くの だろ
う
か ? c.墓 地の維持
・管
理もはや
少子高齢化社会
で は な く、少
子高齢社会
の 時代 を迎 えて い る とい う。 こ の今
の社会
は、 既 成 教 団や寺 院に とっ て は 、怖れ おの の き続け る時代
なの で ある。 これ か ら数 十 年とい う歳 月が流れ る先に は 、寺
院に とっ て、 また既 成教 団に とっ て、 その 存 在が立 ち行か な くなっ て ゆ くこ とに なる。 それ は、誰
もがす ぐ
に理解
で きる はずで ある。 もう
すでに、 そう
した 兆候 は、寺
と檀
家
の関係
の中
で、 そこか しこ に目にする ことがで きる し、感
じ ら れ るに違
い ない 。少子高齢社会
は、 同時
に、 こ れ まで墓 地 を守っ て きた檀 家が、確 実
に減少
してゆ くこ と を意 味 してい る。 そ して 、無縁 墓 地が次
か ら次
へ と寺
の境 内に 広が っ て ゆ く状 況 を 目に しな け ればな ら な くな る。老老介
護の家 庭は どこ に で も盗れ、 さ らには子供
が親
の生活
を支
え切れな くなる社 会で、今
を生 きる人
々 は、今
い の ちあるこ と、 生 活するこ とだ けに窮
して しまう
。 そうす
れば、檀家
に墓
地 を守
ろ う、 ご先 祖 さま を大
切に し よう
という意識
が失
わ れてゆ く ことは、誰
で も容
易に察しがつ く。 墓地の承継者
の確
保は、 確 実に難 しい 局 面を迎 えるだろう。同 時に 「家の 宗教」 に対す る意識 が 、 一層 、
希
薄化 するとい う危 惧は、 ど ん な楽
観 的な見通 しを挙
げた と して も、払
拭で きない もの と なる。現実
を目 の当
た りにすれ ば、 誰 もが腑に落 ちる に違い ない 。檀家
の後継者
の 長 男が墓 地を守
る とい う時代 は、 もは やふ た昔
も前
の常
識。 い まや、後
継者の 誰か が、 い や、 後 継 者 を誰 か探 して 、 無縁
墓 地になる こ と を防 ぐ手
立 て を考 えな くて は な らない 。 そう
し た檀家
を懇
切丁寧
にサ ポ ー トする意識 を、寺
院が当た り 前の よ うに持た な くて は な らない 時代 に、 い ま、 足を踏み入れて い る。 そ ん な現 状 認 識 を、 はた して誰が持
っ てい る のだろうか ?ひ とつ の
檀家
の 「家の宗
教」 は、 その檀家
の み な らず菩提寺
との相 互理 解 と協
力に よ っ て、維持
しなければな らない状 況となっ てい る。 墓地の維持
、既成教 団と寺 院の存亡 を か け た一考察 (片野) 家の 宗教 を
存
続 させ てゆ く道筋
(プロ ジェ ク ト)を具体
的に構
築 しなけれ ば な た た ず らない 。 その 地 点に、 い ま、 わ れ わ れ は佇
んで い るの である。 墓地に か か わ る問題 は、 その他に もさまざ まに指摘 さ れ てい る。家
に よる墓 地管
理か ら、 個 人墓地や 共 同(夫婦 ・兄弟 姉妹 など)墓 地の管
理へ と 、 これ まで の墓地管
理の単
位 を変
えて ゆ か ざるを得 ない か も知れ ない 。 ま た、散骨
・ペ ッ ト霊 園等の 問題 も、今後
、真
正面
か らきちん と取 り組
ん で い か なけれ ば な ら ない 課 題で あろう
。d
.先祖 崇 拝 ・お仏壇
(荘厳 ・礼拝)に対
する意 識家の宗 教の根 幹 と なる の は、 墓地 とも
う
ひ とつ 、 お仏壇である。各
檀 家に お けるお仏 壇の 設 置 場所や荘厳の仕方
、 さ らに は仏 壇その もの の か たちも、 現在
進 行 形で大 きく様 変わ りしてい る。 こ の30
年
を振
り返 る と、 そう
した 変化
は、棚経
や お仏
壇の開
眼等
で檀 家 を訪れ る と、 一 目瞭
然で あ る。 そ うし た感 想を抱 く僧侶は多
い の で は ない だ ろう
か。何 よりも、 居
住
空 間の変化
は劇 的の 一語 に尽 きるだろ う 。 一軒家
で あれ ば、 かつ てお仏 壇 を置 く空
間は、 その中
心と な る部
屋で あっ た。 しか し、今
で は、新
工法
な る住 宅の 設 計にお仏 壇を置 くスペ ースが 配慮
され ることはな か な か 難 しい 。都市部
で増築
されるマ ン シ ョ ン であれ ば、尚
の こ と、 お仏 壇 を置 く ス ペ ース は、 限 られて くる。 居住 空 間の片 隅に追い や られ る例 もしば しば見 られる とい うのが現状
で は ない か。「ご先 祖 さまにお茶をあ げてか ら … …」 「ま
ず
、 ご先 祖 さまにお供 え してか ら… …」 とい う意識 は、 お仏 壇 を 中心 に した住
空 間ゆえに、培
われて きた も の であろう
。 そ れ が、 い まや本 末 転倒 する生活様式
へ と変
わ りつ つ ある。 い や 、 もうすっ か り変わっ てい るのか もしれ ない 。 目に見え ない 、手
に触
れ ら れ ない ご先
祖さまの 存 在 を第一 に考え、尊
重 して きた宗 教 意 識は、 い まや 、 ど こか に吹
き飛ばさ れ ようと してい る。 目 に見 える、手に触れ ら れる、今 生 きてい る家 族の ことで精い っ ぱい 。 どこ にい る か わ か らない 、 ご先祖
さ まの存在
に気
を配れ る心の ゆと り、 そう
した存在
を感
じ取
る豊かな精神
を育
め る智山学報第五十八輯 住 空 間は、 い ま、 い た る
所
で失
わ れ よう
と してい る。3
.真 言 宗 智 山派は現代
社 会に何
を発信
して き たか ? 一家の宗教の維持と個の信仰の育成へ 一 a.智 山派の総
合調査 ・分析
か ら生 み出され た ものこれ まで に、 現
代
日本 社 会の宗 教 意識の変 質 と、実 際に寺 院周辺 で繰 り広 げられてい る家の宗
教を中心 とする儀 礼 等の事
例 を考
えてみ た。勿論
、 こう
し た実状
に は、 地域差
をは じめ とする相違
が あるこ とも十 分承 知 して い る。 その こ と を踏 まえ
なが ら も、 そう
した現象
の 移り変
わり
の奥底
に潜
む、 そこ に携わる人々 の 意識の 変 質が 、 時代の 流 れに よ る生活ス タイル の変 容か らも た ら されて い る こ とに注視
した。意
識が変質
する こ とで 生 活様式
が変化
する のか、 それ とも、 生活様 式の 変化が意 識の変質
につ な が るの か、 そう
した検
証は本論の趣 旨か ら逸 脱 するの で、 踏み込ま ない こ とにする。しか し、 こ こで 問題
提
起 したい こ とは、 生活様 式
が変 容 して、 意 識が変質
して い る にも
か か わ らず
、家
の宗教
を維持
す るために寺
院が何
をしてい るの か ?とい うこ とで ある。 檀 家の住 居に足 を踏み入れ る機 会
が失
わ れ た代
わ り に、 そ れ に代わ る ど ん なコ ミュ ニ ケ ーシ ョ ン の手
立 て を講じて い る のか ? どん なア プロ ーチで 檀 家の 状況を把握
して、 家の宗 教を維 持 するモ チベ ーシ ョ ン を檀 家に啓 発 ・指導を は か っ てい るのか ?そ こが大 事な問題である。
前
章
まで に述べ た現 状認
識につ い ては、 すで に真 言宗 智 山派
は度
重な る総
合調査の 分 析結 果か らその成果を導き出し て い る。 分析研
究によ っ て、 そ れ まで の 「つ くしあい 理念の展 開」 が、 智 山派の現
況に対
応 し きれ ない こ と を ハ ッキ リと指
摘 して い る。 そ して、 そう
した成果
を受
け止めて 、智 山教化
セ ン ターによっ て 「つ くしあい 」 に代
わる新
しい 教化
推 進 施 策が提 案 され た 。 この 施策
が真
言宗智
山派
と して認知 されたの は、平成9
年
度か らの こ とに な る。既成教 団と寺 院の存亡を かけた一考察 (片野)
b
.教化
目標 と教化年次
テーマ による推進施策
の基 本理念つ く しあい に
代
わ る教化推
進施策
が生 ま れ た経緯
は、 もうすで に他の 機 会 に幾 度 と な く紹介
し て い る の で省
くこ とにする。 こ こで述べ てお きた い こと は、新
しい 教 化 目標 と教化年次
テ ーマ なるもの の根底
にある意
図という
か 、 理念につ い て で あ る。も
う
一昔以 上 も前
の こ となの で 、 こ の概 要 を改めて挙
げ お く。教
化
目標 「生 きるカー安 らか なる心を求めて 〜」教 化
年次
テーマ1
年 次 「檀信徒
が智 山勤行式
をお唱 えする よう徹底
をはか ろ う !」2 年次
「檀信 徒が お仏壇
を日常
的に礼拝
する こ と を奨励
しよう
!」3
年次
「檀信 徒 と共に宗
教 的感動
を体験
して み よう1
〜ご詠 歌、写 経 ・写仏 、 巡礼 ・遍 路 ・団
参
〜 」4
年 次 「心に安
心の感得
を目指そう!〜発心式
・結縁 灌頂 ・阿字観
〜」真
言 宗智 山派が 四半
世紀
をか けて 展 開し て きた 「つ く しあい 」 理 念は、 家 の 宗教 か ら個の宗教
へ 、個人
の信仰
を深めて ゆ くこ と を 目標に掲 げた。 その 理想
は決
して間違っ た もの で は ない 。 しかしなが ら、余
りに も理 想が高 く、 末 寺や檀 信徒
に ま で十分 な理解
が及 ばず
、 イメ ージ を抱 きに くい 面が多
かっ た とも言えるだろう
。 ただ、家の宗
教が危 う
くなり
、 新 興宗 教に個の信仰
を 奪われ か ね ない 状 況で、 後 追い の ように同 じ ような教化
運動
を展 開 する こ と は、 い くつ も問題が あっ た と言 えるだろ う。む しろ、 個の 信 仰 よ り、 まず家の 宗 教 をしっ か りと再
構築
するこ と。 寺 院 住 職が 、檀信徒
に家の 宗教の大
切さ を、事
ある毎
に じっ くりと説い て ゆ くこ とが何
より も必 要 だっ たの で ある。 そう
した檀 家 へ の きめ細かい ケア を心が けら れ る僧 侶の養 成 も合
わ せ て重 要 な課 題だ っ た。 こ の よう
な檀 家へ の ケア とい う営
みの 中か ら、 菩提 寺へ の理解 とか信 頼 とか が生 まれ、 さらに は自
ず と檀 家個
々 の 宗 教 意 識の発 露 と信仰
へ の 入 口が 開 けて くるの で は ない だろう
か。平成
9
年度
か ら真言宗
智 山派が発信
した教 化推 進 施 策は、各
寺 院の 檀信 徒智 山学 報第五十八輯 に対 して、 家の
宗教
の維持
お よ び再構 築
と、 個の宗
教 (信 仰 心)の育成
を目指
し た もの であ
る。 その た めの 具体
的 かつ 仔 細 な プロ グラ ム (ソ フ ト)を準備
万端
整 えて 、 その ソフ トが円滑
に流布
さ れるネッ トワ ーク (制度とシス テ ム、啓 発や研修機 会)を順次
、整 え
て ゆこ うという姿
勢を打
ち 出 した。檀 徒であろ うと信 徒であろ
う
と、 そ れ ぞ れの家の宗
教 を しっ か りと各
人の 心に根付かせ る。 その た め に、 お 仏 壇 を中心 と した家
の宗教
の再構築
、 それ に よっ て家 庭の絆
を少
しで もつ な ぎとめ よう
という
意図
も含
ま れてい る。 家 の宗教
の中心
であるお仏壇で、礼拝
とお勤
め を奨励
する こ とを通 じて、先 祖崇拝
の念
を培
っ て ゆ く。 そ こ で は、自身
の存在
を見つ め、 さ ら には信仰
の 発 露に もつ なが っ て ゆ くこ とを 目指 したの で ある 。 そ うした檀信 徒の 家庭の 情景
を念頭
に置
きつ つ 、 教化年
次テーマ の1 年次
、2 年次
の プロ グラ ムがつ く られ てい る。 そ して、3
年次
と4 年次
へ の 次 なる、 信仰 心 を育
んで ゆけるス テ ッ プア ッ プ をはか れ る プロ グラムへ と連 なっ て ゆく
の である 。 c.家
の宗教
の維持 ・再 構 築か ら個の信仰育成
へ檀信徒
の家 庭 が ギクシャ ク してい て は、寺檀
関係自
体 も円滑には な らない 。誰
が墓
を しっ か りと守るの か ?こ うしたモ チ ベ ー シ ョ ン (意識)を檀
信徒
が胸
に刻
みつ けられなければ、 将 来 的に菩提 寺の存立 自体が危
ぶ ま れるこ とに なる。 そのため にも、檀 信徒
に対 する手
厚い ケア を しっ か りと行っ て ゆ くと い う、 今 度は寺
院の側の モチベ ー シ ョ ン が求め られ る。檀信徒
の家 庭 を必 要 以上に干渉 する とい う話で は無い 。 檀信徒
に 「家
の宗
教」 が しっ かり
意識づ けさ れ る よう
、 円滑 なコ ミュ ニ ケ ーシ ョ ン を は かる こ とが とて も重 要だ と指
摘
してい るの で ある。亡
き
人を想
い 、 ご先 祖さまに想
い を は せ、 墓 地 を守 り
、家庭
で は お仏 壇 を 中心
と した生 活 を送れるよう
に十 全 なケ ア を行う
。 これ こそ が、 こ れ か らの 菩 提 寺に欠 くこ との で きない意
識 となる だろ う。 檀信徒
を向
い て、 檀 信徒
を 意 識 して寺
院住職
がア プロ ーチ を続 け
てい れば、檀
信 徒の家 庭 も和や かな生 活を送るこ とがで きる はず
であ
る。 なぜ、 そう
言い 切れ るの か ?それは、
既成教 団と寺 院の存亡 を かけた一考察 (片野 ) 仏 教が そ うした処 方箋 を さ まざまに培い 、
内
包 して きた か らであ る。寺
院仏 教は、 迷 える人 々 に対 して無
限の救 済方法
を培
っ て い る か らであ る。 そ れ を よ く認 識 して、 その術を身につ けて檀 信 徒 と接 すれ ば、 檀 信徒の信 仰心 は自
然 と開
花 し、育
まれ る こ とになる はずで ある。そ う した個 別 具
体 的
な取 り組
み が、教化 年次
テ ーマ の3
年次
・4
年次
の プ ロ グ ラ ム とし て組まれ てい る。 こ こ で取 り上 げられ た教化活動
の どれもが、 こ れ までの 長い 日本仏 教の 歴史
の 中で、 どれ ほどの大衆
か ら差 し伸
べ られ た 救い の手に応えて きたのか。 どん なに多
くの大 衆が、 ご詠歌 を お 唱えし、 お 経 を書 き写 し、仏さま を描 き、霊場を自 らの 足で巡っ て きた か。 そ うして、 どれ だ けの 想い や願い を祈 っ て きたか。 聖 地 を巡礼 して、い ま もなお、 白装束
に身
を包む姿
や 、奉納
され た写経
や、 霊場
に響
くご詠歌
を耳
にす
る時
、 仏 教の圧倒
的 な救済
の力
が、も
し くは無
上甚深微妙
な る世界
が、必ず大衆
の 迷 い をぬ ぐい 去っ て くれ る とい う確信 を抱
かざ
るを得
ない 。 教化
目標
と教化年
次テ ーマ は、 檀 信徒の 想い を受け止め、 寺 院住 職が仏の 世界へ誘
うた め の レ シ ピで もあるだ ろ う。4
.真 言宗 智 山派の寺 檀 関係 を再構 築す る た めに… … 一仏教が培っ て きた 「生 きる力= 人間力 」 を復興する一 a.檀 信徒の宗 教 意識 を根 付か せ る教 化 推 進真
言宗
智山派の教 化 推進は 、平成9
年 度か ら4
年 間で 「生 きる力〜安
らか な る心 を求
めて 〜」 の テーマ を教化 目標 と して掲 げ、年
度ご とに は教化年次
テーマ と して、各
寺 院が具体 的に取 り組め る教化 活 動 を奨励 した。 宗 派とし て も、寺院
におい て も、檀信徒
も 一緒 に なっ て取
り組め る活 動 を念頭 に置い たわけ
であ
る。宗
内どこにい て も誰で もお 唱え
で きるや さ しい お経
「智 山勤
行式
」 をみ ん なで読
もう
!と呼
び掛 け
る読経
の ス ス メ である。 通夜の 席、法
事
の席、年
中行事
におい て、 そ して檀家
の お仏 壇の前
で 、 た っ た8
分で読み 終える ことがで きる。 そ れ を徹底
し よう
という
の が1
年 次の テ ーマ である 。2
年 次に は、檀 家の 中心 と なるお仏壇
を大
切に し よう
という
意 識 を檀信 徒智山学報第五十八輯 に
培
っ て もらおう
という
の であ
る。 お仏壇
を きちん と荘厳
して、礼拝す
る。 その時
に、1
年次
か らの 流れで、 お仏 壇の前
で 智 山勤行式
をお唱 えする礼 拝行為
を智
山派
檀信徒
に根付
かせ よう
という
の で あ る。 こ の2 年
にわ た る教化
推
進は、先
述 し た とお り、 家の宗
教を檀 信徒
の暮
ら しの中心 に据 えようとい う試
み である。 こ こ には廃れ かけ、 崩 壊の 一 途を辿っ てい る家の宗 教の復興
という
、 既成 教 団の寺
院に とっ て、 将来へ の生命
線 となる指針
が込め られて い る。寺
院住職
は檀信徒
に対
して、智 山勤行式
のお唱
えの仕方
と、 お仏壇
の 荘 厳 ・礼
拝の指導
を徹底
して行 うよう、 智 山派の住 職 ・教 師の意 識 も再啓 発 して ゆ く意 図が含 まれて い る。4
年 間の 内、前 半の2
年 間は、 檀信 徒の 宗 教 意識、 及び家の宗 教の 再 活性 化 をは か る とて もとて も大 切な、 智 山派教 化 推 進の 根 幹を なす 取 り組み で ある。そ して、
後半
の2
年
は、 つ くしあい 運動
が挫
折 した 「個
の宗教
(信仰)」 へ の リベ ン ジ と言
っ て も過言
で は ない 。 しか し、檀信徒個
々 の発
心を導
くた め には、檀信徒
の家
の宗教
に対 す
る意識付
けが しっ か りと行
われ て い る こ とが 前提 と なる。 そ うした配 慮か ら 、1
・2
年 次の 教 化 年 次テ ーマ の 取 り組み か ら、3
・4
年 次の教 化 年 次テ ーマ ヘ ス テ ッ プア ッ プで きる よ う、信仰 心を段 階 的に育め るプロ グラム を組んだの である。後半
の教化推
進は、檀信徒個
々 の さま ざまな状況
を踏
まえて 、 さ ら に個
々 の能力
や興味
を活
かそう
とする意
図
が ある。 そ して 、3
・4
年次
に取
り上げ
ら れてい る教 化活動
は 、 最終的
に は仏の世界 を感
じる、 曼荼
羅 世 界に足 を踏み入れる プロ グ ラム と して構 成 し てい るの で ある。1
・2
年 次の 教 化 年 次テーマ が横 糸 と な り、 仏事
な ど を 通 じ、 生活
に密接
に絡み合う
檀 信 徒の 信 仰 意 識の ベ ース を培 う
。 そ こへ3
・4 年次
の テーマ が 縦糸と して 、 個々 の力
を育
成 し信仰
心 を深めて ゆ く。 こ の ように緻 密に組み 込 まれたプロ グ ラムが、真言宗智 山派
の檀信徒
を密
教の 世 界へ誘
おう
という
わけである。既 成教 団と寺 院の存亡 をか けた一考 察 (片野)
b
.平 成9
年 度以降
の教 化推
進の変遷しか し、
残
念な こ とに、平
成9
年度
か ら12
年度
まで に実施
さ れ た教化
推 進が 、宗 内に おい て好 感 触 を得て い たに もか か わらず、平 成13
年 度か らは 、 リニ ュ ー アル さ れて しまう
こ とに な る。平
成13
年
度か ら4
年
間の教 化 目標 は 「生 きる力〜安 らか な 心で慈 しみ を 〜」 と変 更さ れ、 教化年次
テ ーマ に は 「四無 量 心 (慈・悲 ・喜 ・捨)」 が 当て は め られた 。 また、 こ れ まで の 「智 山勤
行 式」 と 「お仏 壇の 荘 厳 と礼 拝」 とい う家の 宗教 をベ ース と して、 そこか ら色
々な教化 活
動 を実践 して個の 信 仰を育成
させ よう
という
コ ン セプ トを解体
した。 それに よっ て御 詠 歌や発 心 式を1
・2
年次
に組み込む とい う内
容と し たの で ある。 さ ら に 、新た に 「十 善 戒」 「生 命 倫 理」 「環 境 問 題」 「青 少 幼 年教化
」 へ の取
り組
み も新
たに盛i
り込ん だ。平
成17 年度
か らは、 教 化 目標 と 教 化 年 次テーマ の 内容は その ま まで 、年
次テ ーマ の表
現の み を変 更 して い る (※注 1)。四
半
世紀続
い た 「つ くしあい 理 念」 の展 開という真
言 宗 智 山派の 教 化 運動 か ら大転換
を は か っ て 、 新しい 教 化 推進 施 策が構 築 された。 その 経 緯を振 り 返 るな ら ば、 「つ くしあい 理念
」 の検
証 を 目的に、真
言宗智
山派
は経 費
・労
力 を かけて 総合
調査 を実施
し、宗
内寺
院の実
態と教師
や寺
庭婦 人の 意識 調 査 を入 念に行っ てい る。 さ らに、 そ れ を裏付
けるた めに智 山伝 法
院は 地方
教 化研
究 会 を実 施して、 現 場の生の声
を くみ取っ て きた。 そう
した デ ー タによっ て 「家
の宗教
をベ ース に個
の信仰
をはか る」 という
基 本 理 念の 下 に、 教 化 目標
と教化年次
テ ーマ が生 まれたわ けで ある。 この ような経 緯を踏 まえ、 かつ て の運 動が頓 挫 し た反省
を活
かすな ら ば、新
しく提案
さ れ た教 化 推 進施策
を、4
年です ぐに リニ ュ ーアル する こ とが適 切だ っ たの か。 そ れよ りもむ しろ、宗
内寺
院住 職 ・教 師に浸 透 し根 付 くまで、 シ ン プル なま まに、 しっ か りと繰 り返 し周
知徹底す
る具体
的取 り組み をはか っ て ゆ くこ とが必 要だっ た と 、 い まも思う
の で ある。智 山学 報第五十八輯 c .