表現技術(rhetoric)と読み書き能力(literacy)につ いて : 物語社会学のための予備的検討
著者 北村 日出夫
雑誌名 同志社社会学研究
号 2
ページ 19‑30
発行年 1998‑03‑31
権利 同志社社会学研究学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011931
同志社社会学研究 NO.2,199 8
【研 究論文】
蓑競鐘砧と畠i d主旨態九こ ついて
- 物語社会学のための予備的検討-
北村 日出夫 T MU ( KIA RAHi ko
1 .問題の発端
1.1表現技術 と しての レ トリック
コ ミュニ ケー シ ョンは 「行 為
」
で あ り、記 号 +メデ ィアはそれ を媒介す る 「物質」 である。この 「行為」 と 「物 質」 を繋 ぐもの と して レ ト リックを措定することがで きる。
コ ミュニ ケー シ ョンは他者 に働 き掛 ける行為 であ り、そのために記号 ・メデ ィアを利用す る。
しか し、ただ単 に物 質 としての記号 +メデ ィア を利用す るだけで はない。 ある 日的 を もった コ ミュニケーシ ョンとい う行為 を達成す るため に、
記号 +メデ ィアを どう組み立 て るか とい う合 目 的的選択 が必須 である。 記号 ・メデ ィアの選択 を支 えるのが 「表現技術」 であ り、 この技術 を ここでは 「レ トリ ック」 と捉 える。 いか に記号 を組み立 て、それ をいかなる メデ ィアに乗せ る
か とい うこと、それが表現技術 であ り、レ トリッ クである。- 参考のため に 「[意味 ・情報 ・記 号 ] + メデ ィア」 の関係 図 を 【図 1】 に示 す
(北村 1985:32に 「メデ ィア」 を加 えた もの)
○
朝、友 人 に会 って挨拶 しようとす る とき 「お は よう」 とい うか 「や
-」
とい うか、あるいは、軽 く会釈す るか、等 々 - これ らの行為 の どれ を選択 す るかは挨拶 とい うコ ミュニ ケー シ ョン 行為 を達成す るための記号 + メデ ィアの合 目的 的選択 に関わる表現技術 の問題 である。 ある感 情 を表現 しようとす る ときで も、た とえば、俳 句 をよむか、絵 を描 くか、音 楽 を演 奏す るか、
身体的 な表現 をす るか、記号 + メデ ィアに関わ るさまざまな選択肢 があ り、それぞれの中で も、
そこで適切 と判断 した表現技術 を駆使 している。
コ ミュニ ケー シ ョンのみ な らず、一般 に、人
【図 1】 [意味 ・情報 ・記号
]+
メデ ィア関係 図ex. 化 (具体化 ) す る契機 となる もの 回 ◇ メデ 「言語
」
「音符」
「絵画」
等情報
◇ 「 [
意味 ・情報 ・記号ィア-記号 を知 覚可能 にす る もの]
ex
+
メデ ィア」総体 の具体 -表現体 記号:
:::二…串吋…::二;三二:■: ◇ 記号 -情報 を外ex2..1美術あ る人 が今話 してい るこ とば
ex.3安部 公房館 で 目の前 に してい る ピカソの絵
同志社社会学研究 NO.,192 9 8
間が何か を表現 しようとす る とき、その表現 に は必ず何 らかの技術 を必要 とする。
こうした表現行為- 行為 としては 「一連の」
とい う修飾 をつけた方が適切か もしれない - に必要 な技術が レ トリックである。 とい うこと は、 レ トリ ックは、通常 いわれてい る よ うな
「ためにする」何か特別の表現技法ではな く、表 現行為 に必ず伴 うものである。 表現技術 、す な わち、 レ トリックが なければ表現行為 は成立 し ない。 ここでは レ トリックをこの ように理解す る。
表現体の構造 とレ トリック
上記の レ トリックの考 え方 を別の面か ら説明 するために 「構造
」
とい うことを考えてみる。【図 1】内の説明で示 したように、意味 ・情 報 を入れ子状 に包み込 んだ記号 +メデ ィアの総 体的具体 を 「表現体」 と呼ぶ ことにする。「表現 体」 は 自
おのずか
ら構造 を もっ 12.
ていると考 えられる。文 章 ・絵画 ・音楽 ・身体表 現等 々の表現体は、それ ぞ れ 、語 ・文 、線 ・色 (色調)、小節 ・楽章、身 体諸部分、等 々、いずれ もい くつ か の 要素 を も ち、 さ らに、 そ れ に関 連 ・結
それ ら合す るメデ ィアの要素 を も伴 っている。 ま り、すの要素はある有機的関連付 けの中で まと 前す る。 なわち、 システム的な統合体 として現こ
の システム的な統合体 を可能 にす る 要素関連のあ り
ようを 「構造」 とい う 表現体 を構造化す る 。
表現体が構造 をもつの のが レ トリ ックである。 行為の結果 だか らであは、表現体が人間の表現 り、その表現行為 には レ トリックとい う操作、あるいは、 レ トリックの
存在 を必ず伴 っているか らである。 したがって、
表現体 にお ける構造 は、 レ トリ ックの具現型、
あるいは、 レ トリックの結果 と考えてよい。
小峯和明の著作 を借 りて説明の補足 をしよう。
小峯和明は F今昔物語集」の 「形成」 と 「構 造」 に関連 して次のように述べている。
---r構造』も一般化 した術語であるが、必ず しも表層 と深層 に相わたる構造主義的な用法 のみ にはよらない。そ うした用法 をとりこみ つつ も、 よ り広いゆるやかな、文字通 り作 品 をな り立たせている仕組みや仕掛 けの意味で 用いたい と思 う。 それは単 に個 々の話 を集め て編纂す る組織構成の面 ばか りでな く、言語 表現が織 りなす叙述や話型の仕組み をも対象 とし、組織構成 と表現叙述 との相関関係の究 明を意味する。 (小峯 1993:2)
この叙述 を私 な りに図式 化 して まとめ る と
【図 2】のようになる。
●●●
物語の構造 は レ トリックによって形成 される。
物語 に構造 を与えるのが レ トリックである。
【図2】は、これ自身が (物語 を) レ トリックの 面か ら論 じる ときの関連図式 と見倣す ことがで きる。 物語 を論 じるとき、物語 に 「構造」 をも た らす もの として、 レ トリックが必須 の分析概 念であることが明 らかである。
ここで も、 レ トリックが決 して特殊 な表現技 法ではないことが理解 されるだろう。
1.3旧 レ トリックということ
ただ、前述 のように、従来 「レ トリック」 と いえば 「ためにす る」表現技法 と考 えられて き た。「レ トリック過剰 だ
」
「レ トリックに走 り過 ぎる」 といった 「過剰」概念 を伴 った ≪文章 を 飾 り ・彩 る技法-文飾技法≫か、「それは単 なる レ トリ ックだ」 とい う 「内容 ・中身」 が ない≪虚飾 された文体≫などとして理解 されてきた。
古代か ら近代 にいたる ヨーロ ッパで継承 され た技術体系 としての レ トリックを 「旧 レ トリッ ク」 として最初 に問題 に したのは、 ロラ ン ・バ ル トであった (RolandBarthes 1970-1979)。
バル トのこの著作 を前提 に しなが ら、佐藤信夫 は、岩波書店の月刊誌 「思想」の 「特集 ・レ ト リック
」
(N.8-18o62 91年8
月)で 「消滅 した レ トリックの意味」 と題す る巻頭論文 を書 いてい る。そ こで佐藤 は、論文の冒頭で 「かって、 レ ト リックと呼 ばれるひとつの技術体系があった。」 と述べ る (傍点 -北村)。 この一文は、論文の題 名その ものの言い換 えで もある。「十九世紀の末、
それ まで人文教養 における仕上げの課程 として レ トリックが教育制度のなかに占めていた重要 な地位が正式 に廃止 されるにお よんで、技術学 としてのそれは急速 に消滅す るこ ととなった。」
「ヨーロッパで レ トリックは、あ きらかに制度以
北村 :表現技術 と読み脊 き能力について
前か ら需要 を失いつつあったのだ。それはおお むね十九世紀初頭か らの ことだった といえるだ ろう
。 」
「ところが 一一一一、技術体系 としてのそれが 消滅 した後 も、≪レ トリック≫ とい う名称は古ヽヽヽ 語 とならず、かな り流通性 の高い現代語 として 生 き残ったのである
。
」(傍点-佐藤)そ して 「少 な くとも一九八〇年代 までは - 消滅後ほぼ百 年近 く - レ トリックはほ とん どのばあい、好 ましか らざる ものごとを呼び捨てる名称であっ た。」では 日本 においては どうか。佐藤 は 「た しか に明治時代 、消滅寸前の西洋流 レ トリック体系 が ≪ある程度≫紹介 され、導入 され、応用 され は したカL一一一 (中略)- けれ ども、そ うい う レ トリックが教養の制度のなかに重要な位置 を 占めるとい う結果には決 してならなかった
。 」
と いう。こうしたことを概観 した後で、佐藤は 「多 く のばあい侮蔑的な、そ して ときには肯定 的 な、
レ トリックとい う語 の用法- を、大 きく分け て三つ、あるいは四つの傾向 としてみることが で きる。」 とし、それ らを ≪レ トリックA≫ ≪レ
トリックB≫ ≪レ トリックC≫と名づ け次の よ うに説明 している。
レ トリックA 技術体系 としての、かって 重 んぜ られ た制 度 的 な学 科 と して の 、 そ して こ ん に ちで は た い て い 愚 か し い 規 則 集 と して 想 起 され る レ トリ ック。
レ トリック B- 説得効果 と しての、言語的 戦術 と しての、そ して しば
しば嫌悪すべ き欺臓の効果 としての レ トリック。
レ トリック Cl lを辞表硯 としての、 目立つ ことばづ かい と しての、そ
同志社社会学研究 NO.2,1998
して ときには浮薄 な装飾 と しての レ トリック。
さらに、「伝統的 レ トリックの体系 とは別 に、
いわば レ トリック的問題 を現代的視点か ら理論 的に分析 しようとい う多様 なこころみがあるわ けで、それ らの r新 しい レ トリック」を一括 し て ≪レ トリック D≫と名づ けることもで きそ う であるが、それは当面の私たちの課題ではない。」
と、この論文では排除 している。
世紀 に制度的に排除 された ヨーロ ッパの伝統 的 レ トリックとは異 なる視点か らレ トリック概 念 を捉 え直 し、それを、言語 に限 らず、すべて の人間の表現行為 を考 えるひとつの手掛か りに し、その先 に 「物語社会学」 なるもの を構築す る こ と を 目指 して い る。 本 論 文 は 、 そ の
きりかけ
≪契機≫ を論 じることを目的 としている。
9 1
2.
語用論 とレトリック平均的モデルの試作」として 【図 3】を提示する。 2.1チヤールス ・モ リスの記号論 3分野 モ リスは記号論の研究分野 として
【図3】
そ して、佐藤は
「
≪伝統的 レ トリックの体系≫のこの図に従いなが ら、佐藤は先の 「レ の三つの用法(A・B・ トリック
C)」と、それぞれに対 する 「反 レ トリック観」につい
考の中で 「反 レ トリック観 て述べ、哲学的思 表現 されている 」が 「ある面で正確 に
」ことを指摘 しなが らも、近代哲 学の行 き詰 りをほのめか しつ
リックに対するある種の期待 つ、最後 に、 レ ト t・: を暗示 している。
1りtH 佐藤 もいう日本語で 「修 辞 」 とぐi
Ithl・tol・it いわれたこと lul・
とレ トリックの違 い を も考慮 しなが ら
③構文論 cs
- ics
8 h l c ares
3 t t synac
9 i n.
c (
の 3分 野 を設 定 す る
Mos 1お よび、
9 i n h l8ares 8 9
1 Mo s1
。
icis 6
tt n 9
ma prag se 6 4-10) 号モ リスによれば、記
係 とその記号 を適用できる対象 との間の諸関 記号 と解釈者 の研究が 「意味論」(-記号、
の
ma
22 、私 は、 (②語用D意味論論
●●
北村 :表現技術 と読み轟き能力について
」で指摘 したように、私 は、表現行為 を
11 .
「
る (CharelsMo irrs 1946-1960:252)- この
いるが、その後の一般的な翻訳語 に従 って、本 論文では 「語用論」 を採用する - 。
意味論 ・構文論 については広 く論 じられて き ているが、語用論 を提唱 したのはモ リスだ とい う評価がある (瀬在良男 1970:186-187)。ただ、
r記号 と言語 と行動Jで、モ リスは、記号論の文 献では 「語用論」 を含めてこの 3分野の用語法
i 」cs t ma
「prag
翻訳書では を 「使用論」 と訳 して 具体化する もの として ≪記号 +メデ ィア≫ を考 えている。 語用論が具体的な場面での人間の表 現行為 を問題 にす る以上、メデ ィアの問題 を抜 きに論 じることは出来 ない。何 を如何 に表現す るか とい う場合、 メデ ィアの選択が不可避 であ る。語用論 に限 らず 、一般 的 に欧米 の記号 論 (-記号学)ではメデ ィアの問題 に触れることが ほ とん どない。 この ことは欧米の言語学が メデ Ch
Mo 1946-19eO:250)。私は、このようなモ 基本的には記号 を論 じるときメデ ィアを無視 し l
ares
リス 自身の言及があるにも拘 らず、敢 えて瀬在 えない とい うのが私 の立場である。 簡単 にいえ (
i rrs
が広 く行 なわれてい る と述べ てい る ィアの問題 を排除 していることか らも領けるが、
の評価 を採用することに したい。それは、G リーチが 「語用論 の歴史的概観」 で、「語用論」
の使用 に関 して時間的にはモ リスをもっ とも古 . N
. ば、記号 はメデ ィアな しに私 たちの前 に現れな いか らである。 メデ ィアな しに記号 は人々に知 覚 されないか らである。 構文論 ・意味論 とは異 い研究者 として取 り扱 っているか らである (G.
1983-1987)。 然メデ ィアが視野の中に入る。
なって語用論 は具体的な表現行為 を扱 うか ら当 h
eec L . N
いずれに して も、語用論 は、構文論 ・意味論 よ り研究 されることが比較的遅かった し、研究 量 もはるかに少 ない。 た とえば、 日本 において
「語用論」 とい う用語が この領域の刊行物 に最初 に登場 したのは、おそ らく、大修館書店の月刊
小学生が遠足か ら帰 って きて、その模様 を母 親に話 しているとい う発話行為 (一種の表現行 為) を想定 してみ よう。 おそ らく小学生は手振 り ・身振 りを含めて興奮気味 に遠足での出来事 を話 しているだろ う。 手振 り・身振 りはほ とん 誌 「言語」 の1980年12月号
( vo
l.9No .
12)の ど無意識 に行 なわれているが、この小学生 にとっ「特集 ・語用論 とはなにか」ではなかろうか。 ては、遠足 を語 るための重要な役割 を果 た して いるメデ ィアになっているに違いない。興奮気 2.2語用論 とメディア 味の発話 (言説) も、 この小学生 にとって言語 語用論 とレ トリックの関係 を議論す る前 に、 記号 を強化す る さまざまな記号 (- メデ ィア) メデ ィアの問題 に触れてお く。
先 に引用 したように、モ リスによれば語用論 は 「記号論 の一部であって、記号の起 こる行動 の枠 内で記号 の起源 ・使用 ・効果 についての研 究」 である。 私 は、語用論 を 「人間の表現行為 の具体的な場面 を ≪記号 +メデ ィア≫の観点か
ら取 り扱 うもの」 と考 える。 モ リスが 「記号 の 起源 ・使用 ・効果 についての研究
」
(傍点-北村)といっているのに、なぜ メデ ィアを加 えるのか。
を伴 っている。 この小学生が母親に語 る事象 を 小学生の母親宛の 「表現行為」 として捉 えるとき、
いまも指摘 したように、言語記号のみに限定すれ ば、表現行為の具体的研究分野 としての 「語用論」
にならない。この小学生の母親に向かった発話行 為 は、 ≪記号 +メデ ィア≫ を含 む行為総体 とし て把握 しなければならない。やや トー トロジー 気味の言い方 になるが、発話行為 (一般 には表 現行為) を≪記号 +メデ ィア≫ を含む行為総体
同志社社会学研究 NO.2,199 8
として把握することが 「語用論
」
なのである。この こ とは言語 に よる発話行為 に限 らない。
何事か を表現 したい (伝達 したい) とき、言語 を選ぶか、映像 を選ぶか、絵画 を選ぶか、写真 を選ぶか、音楽 を選ぶか、等 々は表現行為 にお けるメデ ィアの選択 の問題 であ り (この ことは
1.1ですで にのべ た)、それ 自身 が 「語用論」
の領域 その ものに関わって くる。 そ して、 メデ ィアの選択 を守備範 囲 とす る 「語 用論」 は、当 然、 レ トリックにつながって くる。
2.3語用論 とレ トリック
「1 .
」の 「問題の発端」 で ものべ た ように、 メ デ ィアの選択 を含めて表現体 を構造化す るのが レ トリ ックであ るか ら、 ここでい う 「語用論」で は レ トリックに関す る考察が不可避 であ る。
逆 にいえば、 レ トリックを論 じることは、語用 論その ものなのだ。
た とえば、牧野賢治 は 「レ トリックによる表 現技術 は、内容 をかたちづ くる本質的 な側面で ある」 とのべ、 また 「レ トリックは私的な思想 をパブ リックにす る行為である」 とものべ てい る (牧野賢治 1996:16)。 ここでは、表現主体 が記号 を如何 に効果的 に用 い、内容 を現 出する か とい う語用論 の領域 を 「レ トリック」 と捉 え
られていることがわかる。
レ トリックによって、表現体が具体的 な産物 として知覚可能 にな り、それゆえに語用論 との 関連が出て くる。 モ リスは 「修辞学 とか文法論 とかの語 を記号論 に導入 しないほ うはが望 ま し い
」
(ChrealsMo i 14-16 24rrs 96 90: 1)とのべ ているが、 ここでの 「修辞学 - レ トリック」 は、論理学 ・修辞学 ・文法論 とい うア リス トテ レス 以来の伝統 的な 3分法 に従 った もので、19世紀 に 「消滅 した レ トリック」 の ことで、い ま私が 捉 えようとしている レ トリックとは異 なる もの
24
だ と理解するのが適切であろう。
リーチは、モ リス とは反対 に、語用論 の中に レ トリック (翻訳では 「修辞学
」 )
を積極的に採 用 しようとしている。 彼 は、主 として 日常 的な 会話の コンテクス トの中に語用論 を位置づける。「このようなコンテキス トの中で F修辞学」とい う用語 を用 いる意味 は何か と言 えば、それが ゴ ール指 向的 な発話の場面- つ ま り、話 し手が 聞 き手 の心 の中にある特定 の効果 を生 じさせ る とい う目的で言語 を使用す る とい う場面- に 焦 点 を置 い て い るか らで あ る
」
(G.N.Leech 1983-1987:21)とのべている。 また、 リーチ はこの修辞学 の捉 え方 に基づ きなが ら 「対 人関 係的修辞」 と 「テ クス ト形成的修辞」 の二つの レトリソク修 辞学 を提 起 して い る (G.N.Leech 1983- 1987:22)。
私 は、 こ うした語用論 に関す る リーチの考 え 方 にメデ ィアを包摂 させ て、 レ トリックは語用 論 の レベ ルでの表現技術 その ものである と考 え る。
3.
読み書 き能力3.1「判 り易 さ
」
とメデ ィア状況テ レビは20世紀最大の メデ ィアであることに、
ほ とん どの人は異論 はないだろ う。 このテ レビ をは じめ として20世紀 に制度化 された コ ミュニ ケーシ ョン ・メデ ィアは、19世紀 にほぼ原型 を 硯 している。そ して、19世紀末 まで支配的であっ た活字 (文字) とい う閉鎖的なモー ドを基本 と したメデ ィア (印刷 メデ ィア) に対 して、20世 紀 に次 々制度化 されたコ ミュニ ケー シ ョン ・メ デ ィアは、音声 (-電話 ・ラジオ) と映像 (- 映画 ・テ レビ) とい う人間に とって もっ とも近 づ き易いモー ドに もとづ いている。 活字 を閉鎖 的 とい っ た の に対 して い え ば 、音 声 ・映 像
北村 :衣規技術 と読み書き能力について
(絵 ・写真)は開放的である。音声 は人間が言語 の問題である。両者 を合わせては
「 4.
」で論 じる を習得す る過程の中で もっ とも基本的なモー ド 予定である- 、映画 を見 るのにたい した努力 であ り、映像 (絵 ・写真)の受容 は幼児 の発達 を必要 としない。 したが って、映画はその初期 過程で生理的に習得 されてい く生 まれて間 もな くの ときか ら、人間は、周囲か ら音声 を聞 き、それ を真似 なが ら自ら音声 を発 してい くことを覚 える。音声 はその意味で もっ とも 「原始的 ・原初的」 なモー ドである。 その 音声 を、肉声 として聞 こえる範囲 を越 えて伝 え ようとす る営為が電話 や無線通信 を生み 出 し、
さらにラジオを発達 させた。後 に録音 とい う技 術 に支え られて発展 したけれ ど、電話や無線通 信 ・ラジオは、言語や音楽 といった人類の初期 的文化 を、ただ遠距離 に伝 えるとい うメデ ィア に過 ぎない。少 な くとも、音声 は、人間生理 に
。
属 し、後天的 に習得す るための努力 を必要 とす る文字 とは根本的に異 なる。 ラジオの初期 には、
この誰で も受 け入れ られる音声 メデ ィア特性が 強調 された。そこでは、大衆 (民衆)が文字 に よって差別 されて きた状況 を打破す るメデ ィア としての期待がのべ られている。
映像 (絵 ・写真) に関 して も、音声 と類似の ことがいえる。 座 ることがで きるようになった 子 どもに筆記用具 を持たせると、教 えな くて も、
何か を描 こうとす る。 自然 と声 を出す ことを真 似 るの と同様 に、何か を描 くとい うのは人間の 自然 な能力の ようだ。何 を描 こうとしているの かは定かではないが、見 える もの と、筆記用具 の痕跡 とは子 どもの頭の中ではそれな りに類 同 しているのか もしれない。文字は読めな くて も、
絵本や写真 を見ることは、一定 の発達段 階 に達 すれば何の支障 もない。
映画 は 「音 な し」か ら始 まったが、現実 に近 似 した動 く絵 ・写真 をメデ ィア化 した。その う ちに、これ に 「音」 を加 わえて現実感が倍加す る。 作 る側 は別 として- 作 る側 は レ トリック
か ら大衆娯楽 として広 く人々に享受 された。映 画はは じめか ら大衆の娯楽 メデ ィアであった。
テ レビは、「ラジオ」 と 「映画
」
をプラス し、かつ、映画館 に行 くとい う 「外 出行為」 をマ イ ナス した形で、家庭 とい う日常空間に入 り込 ん だメデ ィアである。 もはや 「テ レビの見方」 な ど問題 に しな くて も、大衆娯楽の王者の貫禄 を は じめか らもっていた。 20世紀最大の メデ ィア とい うのはそ うい うことを含 んでいる。 い まま でのメデ ィアの中で もっとも近づ き易いメデ ィ アであることは疑いえない。
そのテ レビが ほぼ100%家庭 に浸透 した段 階 で、テ レビの表現 に関 して 「判 り易 さ」が 問題 になって きた。 この ことについて前 に論 じたこ とがある (北村 1997)ので詳細 はそち らにゆ ず るが、マス ・メデ ィア (-テ レビ)の送 り手 側か ら 「判 り易 さ」 とは何か とい う問いが現れ たことに注 目する必要がある。
3.2リテラシーのイデオロギー性
「判 り易 さ」 とメデ ィア ・リテラシーは、テ レビ ・メデ ィアの全盛期 に、いわば向 き合 う形 の 「対称形」 として論 じられは じめた。 こ の点 に関 して も、前掲論文 (北村 1997)で取 り上げているので、 ここではその補足程度 にと どめてお く。
リテラシーの イデオロギー性 は、文字その も のの産物である。 前述の ように、文字が読み書
きで きるためには相 当の努力 と、社会的条件 を 必要 とす る。 文字が読み書 きで きる もの とヱ皇 ない もの とを作 り出すのは、国家、あるいはそ れ に類す るシステムが政治的 に管理す る 「読み 書 きソロバ ン」 を基本 的な教育内容 とす る 「教
同志社社会学研究 NO.2,1998
育制度」 である。 この 「教育制度」か ら、文字 を読み書 きがで きる ものがで きない もの を差別 す る社 会構 造 が生 まれ、文字 その もの に権威
フT_1ズテシム
(一種の物 神 性) を与 え、文字 を読み書 きで き る ものが社会的な 優位 に立つ文化 を形成す る。
逆 に、文字 を読み書 きで きなければ社会的に劣 位 な存在 に追いや られる。 ここに、「文字が読み 書 きで きる能力」 としての 「リテラシー」 とい う概念が登場す る。 政治権力がその網 目に組み 込み ・物神化す る作用 を 「イデオロギー」 とい うなら、 リテラシー概念 は、は じめか らイデオ ロギー的性格 を帯びている。
3.3メデ ィア ・リテラシーの使 われ方
テ レビ ・メデ ィアを通 じた映像が何 を語 って いるか を読み解 く能力は、従来の文字 に関する
「リテラシー」 とは異 なる能力だ とす る捉 え方か ら 「映像 リテラシー」 とい う言葉が便 われだ し た。 テ レビが社会 の支配 的 なメデ ィア になる 1970年代初頭 の頃である。 その背景 には、マ ン ガ世代 の形成がある。 お よそ 1960年代以降の劇 画等のマ ンガが もつ独特 のモー ドが、最初のマ ンガ世代 を形成 し、彼 ら ・彼女 らは、マ ンガ世 代以前 にはで きないス ピー ドで漫画 を読み こな す能力 をもつ ようになった。 この能力に対 して、
文字 に関す るリテラシー概念か らのアナロジー で、映像 リテラシー とい う言葉が使 われ、それ が、テ レビへ と移行す るようになった と考 え ら れる。
さらに、テ レビを最後 とす る数 々のマス ・メ デ ィアの複合時代 の中で、マス ・メデ ィアを教
ツ ル
育 に どの よ うに取 り込 むか一一 道具 と して ・ 1ンナンツ
対 象 として - とい う課題設定が行 なわれ、 リ テラシー概念の対象 をマス ・メデ ィア全体 に及 ぼす必要が生 じ、「メデ ィア ・リテラシー」 とい
う用語が使われるようになった。
26
したが って、 リテラシー概念が、その発生か らず っ ともっていた イデ オロギー性 は メデ ィ ア ・リテラシー とい う用語 になってか らは消滅
したはずである。 その必要性 の是非 は厳 しく論 じられなければならないが、本来的 に、「メデ ィ ア ・リテラシー」 は イデオロギー性 をもってい ないと考えるのが普通である。
ただ、 リテ ラシー概念が、何 らかの 「能力
」
と結びついている以上、その 「能力」 をどう価 値判断す るか とい うときにイデオロギー性が入 り込む余地 はある。 また、教育制度の中にメデ ィア ・リテラシーを組み込めば、能力評価 と関 連 して、制度的 にイデオロギー性 を帯 びざるを 得 ない。 さらに、啓蒙主義 的思想 か らみ る と、
メデ ィア ・リテラシーは 「誰か」 によって大衆 (-民衆) に付与 される能力であるとい う優劣関 係の中に位置づ け られ、 イデオロギー性 をもっ て くる。
以下本稿では、 メデ ィア ・リテラシー とい う 用語 は用 いない。 レ トリックの ≪対称≫概念 と して、 また、脱 イデ オロギ ー化 された メデ ィ ア ・リテラシーを経 由 した後の もの として 「リ テラシー」 を用 いる。 ここでの リテラ シーは、
≪送 り手一 受 け手≫の相互行為 図式 に従 えば、
受 け手 の理解行為の中で受 け手が主体的に捉 え る概念である。
4. レトリックとリテラシー
4.1テクス ト論 とリテラシーマス ・コミュニケーション研究の流れを大 ざっ ばにみ ると、過去50-60年間は、受 け手が メ ッ セージを如何 に受 け取 るか とい うことに関心が 寄せ られて きた。 もっとも、送 り内容 その もの に関 して研究が行 なわれなかったわけではない。
メ/セ ジ 受 け手行動への作用 因 として送 り内容の研究は
北村 :表現技術 と読み書き能力について
継続 して行 なわれて きている。 しか し、基本的 ノソセ -ジ
には送 り内容 を受け手の立場か ら論 じて きた。
一方、 コ ミュニケー シ ョンに対す る記号学的 なアプローチは、送 り手か ら受け手への 「伝達」
(-狭 義 の コ ミュ ニ ケ ー シ ョ ン)に 関 わ る 註号嵐讃の領域 と、受け手の.
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L行為 との関 連で蓮 わ嵩
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耳 に焦点 を合わせる領 域 と、二つの領域が併存 して きた。そ して、記号 学 としての重点は送 り内容 の 「意味作用」 に置 かれて きた。文学理論の世界では、「テクス ト」 といわれる 表現体その ものを見据 え、「テクス ト」 を独立 し た存在物 として批評 ・研究の対象 にす る方法論 が今世紀後半 になって現れる。 いわゆる 「テク ス ト論」 といわれるものである。
この ように、人間関係の中に指定 される表現 活動や表現体 をめ ぐる今世紀後半の理論化の動 きは、広 い意味で 「テ クス ト論」 の方向に進 ん でいる。 如何 に効果的にメッセージを伝 えるか、
メ ッセー ジを効果的 に伝 えるためには どうすれ ばよいか とい う問題意識 よ り、 メ ッセー ジ自体 を (あ る意味 で)送 り手 か ら離 れ ・独 立 した
「テクス ト」 として捉 える方法論が優位 を占めて いる。
た とえば、テ レビ研究の 「焦点」 は、
TV影響論
(または、子 どもとテ レビ関係論)
↓
番組効果論 (または、番組評価論)
↓
メデ ィア論
(または、テ レビ ・メデ ィアとは何 か論)
↓
テクスト論 (または、フィクション論)
と簡単化 してみることがで きる。受 け手研究の
ノソセ ジ
大 きな流れの中で、送 り内容 その もの を ≪テク ス ト≫ と して捉 える方 向 に向かって きてい る。 テ レビ ・メデ ィアの発達過程 と受 け入れ方 との 相互関連 の中での焦点 シフ トである。 テクス ト 請- 受 け手の主体的な解釈の対象 としてテ レ ビ番組 (場合 によっては、テ レビ全体) を措定 す るとい う- は、テ レビ研究 において も一定 の役割 と機能 を もつ研究分野 となってお り、他 メデ ィアと同様の研究傾向 とみることがで きる。
テクス ト論 をこの ように捉 えた場合、テ クス トの解釈者 としての受 け手 の リテラシーが問題 になる。 テ クス ト論 で は、 目の前 に置 かれ た
≪テクス ト≫ を主体的に解釈す るその人間の リ テラシーが関係 して くる。 テクス ト論 には、そ のテクス トの読み解 き方 (-解釈の し方) を問 うことが含 まれ、その読み解 き方こそ リテラシ ーその ものである。 議論 の焦点がテクス ト論 に 移行す る過程で、 リテラシーが従来の もの とは 姿 を変 えて登場 して きたのにはこうした背景が あると思われる。
なお、 リテラシーを 「読み書 き能力」 とした 場合、 ここでの議論で、 リテラシーには 「書 く 能力」が必ず しも含 まれていない。 これは、あ えて、 レ トリックとの ≪対称≫概念 として扱 う ことに主眼を置いているためである。
4.2テクス ト論 とレ トリック論
前述の ように、テ クス ト論 は、 どちらか とい えば 「送 り手」 を排 除す る。 送 り手 をカ ッコの 中に入れることがテ クス ト論 だ ともいえる。 し か し、テ クス トが何 を表現 目的 とし、何故 にこ の メデ ィアを選択 し、如何 に表現体 として この ような形 をとるに至 ったか - つ ま りレ トリッ クに関 して - は、テクス ト論 における一連の
「解釈行為」では無視することはで きない問題点
NO ,1
だ。禁欲 的なテクス ト論 では、送 り手 を厳重 な カ ッコに入れ ようとす る。 しか し、人間の表現 体 を読 み解 こ うとす る行 為 で は、 い ま もい っ た ように、表現行為 にお ける レ トリ ックの問題 を避 けることはで きない。送 り手 をい くらカ ッ コの 中 に入 れ て も、 レ トリ ックは姿 を消 さな
い。
≪送 り手一 受 け手≫ の相互作用 図式 の中で、
レ トリックとリテラシーを分離 させ ることは不 可能である。 不可能のはず なの に、い ままでは そ こを無視 して、あえて別の問題 と見倣 されて きた。主 として 「送 り手 と送 り内容」 を論 じる 場合 も、主 として 「受 け手 とその解釈行為」 を 論 じる場合 も、相互 に関連す る ときには、 レ ト リックに もリテラシーに も目配 りす る必要があ る。
9 2 . 同志社社会学研究 98
「明断 さ
」
「経済性」
「表現性」 の 4つの 「原理」を示 している。 ここでは、構文論 ・意味論 を含 む表現行為が行 なわれる現実 の場面 に関わる レ トリ ック を取 り上 げ て い る。 この裏 側 には、
テクスト
表現体 を受 け取 る人間が想定 されている。 逆 に いえば、テ クス トを解釈す る ときに、テ クス ト の表現者が採用 した レ トリックに目を向ける必 要性の指摘で もある。
テクス ト論 において も、 リテラシーのみ な ら ず、表現主体の レ トリックへ も関心 を示す必 要 はこの ようなことか ら理解 されるだろ う。 人間 が表現す る もの (-表現体)それ 自身 を対象 に す るにせ よ、 ≪送 り手一 受 け手≫ の相互作用 、 す なわち、 コ ミュニ ケー シ ョン一般 を対象 にす るにせ よ、それ に関わる人間の誰か をカ ッコに くくって排 除す ることは適切 ではない。 テ クス
」で取 り上 げた
2.
「 GN ..
リーチは、 レ トリッ クに関 して 「二 つ の修 辞学」 を提 示 して い るト論は レ トリック論 を含んでいると考える。
9 e e c h 1 GN L ..
( 8 3 - 1 9 8 7: 2 2 )
。語用論 に関わる 4 3.一応の整理.一一一物語社会学の展開へ もの と しての レ トリック (-翻訳文献 では 「修辞学
」 )
は、話 し手 ・聞 き手双方 に特定の効果 を 生 じさせ ることを目指 している と考 える リーチ にとっては当然の ことか もしれないが、彼 が提 示す る 「二つの修辞学」 は、「対 人関係 の修辞」と 「テクス ト形成的修辞」の二つか ら成る。
「対人関係の修辞」 は 「協調の原理
」
「丁寧 さ の原理」
「アイロニーの原理」 などか ら構成 され る。 これ らは、表現行為 が 向か う他者 (相手 ) への ≪態度≫の問題であ り、ある意味 で表現 のコンテクス ト作 りに関わる レ トリックで もある。
この こ とは従 来 の コ ミュニ ケー シ ョン理論 や
≪送 り手一 受 け手≫の相互作用図式 の中で取 り 上げ られている主題であ り、 リーチが、語用論 の中で これ を指摘 していることは当然 の ことで ある。
「テ クス ト形成的修辞」 では、「処理可能性」
人間が物語 る とは どうい うことか、人間の表 現 はすべ て物語 りで はないか、マス ・メデ ィア が発す る メ ッセー ジは、ニ ュース も ドラマ も、
新 聞記事 も、すべ て物語 りで はないか、 また、
物語 る とい う行為 はいか なる動機か ら生 まれ る のだろ うか- 、その ようなことを考 える一方 で、表現行為その もの問題か らレ トリックや リ テラシー について考 えることへ と興味が広が っ て きた。語用論 に関 して もず っと以前か ら気 に なっていたことである。
もともとは、F今昔物語集』 を現代 に引 き寄せ て私 な りに 自由 に解釈す る こ とか ら始 まった。
が、『今昔物語集』その ものにはなかなか手がつ か ないで、周辺部分 ばか り遭遇 している感 じで ある。まだ思考の過程であるが、ここで レ トリッ クとリテラシーについて私 な りの理解 と捉 え方 をのべ て きた。 これ らと語用論 を結 びつけて こ
8 2
の論文段階での一応の結論 を示 してお きたい。
「 2. 1
」でのべたように、語用論がモ リスによ って提起 されて以来、それは構文論 ・意味論 と並 列 して位置づ け られている。ここに レ トリック をどの ように組み込 むか とい うとき、い ままで の議論 をふ まえて、私 は次の ような図式で考 え てみたい。(まず 、人 間の言語 活動 、一般 には表現活動表現 ・解釈行為) を 「語用論」の レベルで把握 することを考 える。「語用論」ではあるが、こ でい う 「語」 は言語 に限 らず記号一般 を指す こ の とす る。 人間の表現行為 は、す なわち具体 も に記号 を使 う過程である。 記号 を使 い、記号的 現 を し、記号 を解読 ・解釈 し、等 々、表現行表 為 ・解釈行為すべ てを包む行為 を記号行為 と名 づけるな ら、記号行為 は語用論的 レベルで先ず 把握す
の意味べ きである。 これが上記の関係図の一つ
である。 意味論が考慮
語用論の中で、構文論 ・
もちろん、構文論 ・意味論が独立 して される。
扱 われる 場合 もあるが、語用論 にはこれ ら二つ を 要がある。 何かを表現 しようと記号使用含む必 面では、記号 間の関係や、記号 と対象 とす る場 を も考慮 しなければ、記号使用の具体 はの関係
れな 捉 えら
いか らである。
レ トリックは、前述 した よ
記号使用 の場面で、表現者が行うに、表現行為 、 行為 に関わる技術 的 ・実際的なな う一連の選択
事柄である。 し たが って、 レ トリックの問題 は語用論 に含 まれ
北村 :表現技術 と読み書 き能力について
分野であるか らである。 さらに、 こ こでい うレ トリッ
クは、それ 自身人間の表現行 為 その もの と関わ りをもつ
摂す る場合がある。 行為論意味で、行為論 も包 て も、行為への考察 な しにのすべてでないに し しないので、 レ トリックの レ トリック論 は成立
残 るは リテラシーの位置づ けである
が 「記号 と使用者 との関係」 を問題 に 。語用論 解釈者側の問題 としての リテラシー する以上、
形で語用論 に関係 させ る必要がある を何 らかの しか し、 これ以上の抽象論 を避 と思われる。
テラシーに関 しては、他の ものの具体論ける意味で、 リ
ける。 中に行為論 を位置づ
る。 さらに、本論文で用いる 「
は、旧 ・新両修辞学 とともに、 メデ ィア論が含まれる。表現行為 におけるメデ ィア選択 もレ トリックの一 レ トリック」 に
同志社社会学研究 NO.2,1998
<引用文献>
(レ トリックや リテ ラシーに関す る参考文献 は多岐 にわ3 9 1 8 9
99 93
1 0 1
8 7 s 9 9j 1 1
1 1 n
りあ えず、引用 した文献 に限る。5『テ レビ ・メデ ィアの記号学) 』有信堂高た り、多 くの先達 に負 うところ大である。 ここでは、 と
l ares
Ch佐藤信夫瀬在良男 Mo 『今8 北村 日出夫
) 7
1997
「
『判 り易 さ』
とメデ ィア・リテラシー」 文社., 日本記号学 会編 学研究 1,東海大学 出版1
(997)「感覚変容 と
記号論
」
(記号 (補訂版)』笠間書院.会.
小峯和 明
牧野賢治 『 昔物語集の形成 と構造
1 8 9
「理系の レ トリック入門消滅 した レ トリックの意味」その歴 史 と体系』化学 同人.思想
」
1『記号論序説- ,「 年 4月号,岩波書店.
.
%
ChW.モ リス/ 内田種 臣・
h teoy h f onso L' (
Founadt -eT 』駿河台 出版社.
re icag f o
・ i nv U gns, L' 88 9S f1 o.
小林昭世 訳, 『記号理論 の基Ch oP ss・ gns
' 4 L 9
1 6S ,Languagea17d 礎』勤草書房.
k or TNe o.
' B h Leay
C.モ リス/寮金吾 訳 ,1㈱ 『記号 と言語 と wY ,P trenice-H la],INC. 行動
』
三省堂.e L c ' 0L'An
・ d L d te,onon 8ou i
ジェフ リー・ N・リーチ/池上嘉彦 ・河上誓作 訳, Gr pLmi1 79 『語用論』紀伊 国屋書店 6
ions i tn nca I・cCosLong L que97.t ' :ag EonPT I f peLso nneL' nc ' h 8 9 7 9
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R loandB ,1
ロラン・バ ル ト/沢崎浩平 訳 , mさ 1 (旧修辞学
』
みすず書房N 1 Ge yN・ eec,1 3f ma9『
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