自然と地域社会に関する社会学的研究 : 地域社会 における森林の共生と森林支配に関する研究
著者 栗本 修滋
雑誌名 同志社社会学研究
号 1
ページ 111‑125
発行年 1997‑03‑31
権利 同志社社会学研究学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011925
同志社社会学研究 NO.I,1997
【研 究論文】
自然 と地域社会に関する社会学的研究
一地域社会における森林の共生 と森林支配に関する研究 -
栗本修滋 KU MGT
RIt
)Suihjはじめに
1980年代の後半か ら1990年代 にかけて世界の関心 が環境 に向けられたのは、国際政治の力関係だけを 反映 した ものではな く、人類の存在 に関わるほど地 球環境の変化が生 じ始めているか らである。その危 機 を自覚 した市民は自ら森林環境の支配権 を主張 し 始めている。 山間集落共同体 にとって、森林は集落
に存在す るのを当然 として、林産資源 を享受 してき た。森林の環境的価値評価 については共同体の成員 間に差異がある。 この差異のため都市近郊山間集落 共同体 の社会の内 と外 は変動 しているように見 え る。山間集落の共同体は、共同体成員間の森林の環 境的価値評価の差異 を調節 し、森林支配の再構築 を
しなければならな くなっている。
1
.森林の環境的価値 と森林支配
森林の環境支配
環境が国際的関心 になる中で1989年に発行 された 昭和63年度林業 白書は、「我が国の森林 に対す る国 民の期待 は木材等の生産や国土の保全 1、水資源の かん養2といった働 きをよ り高度 に発揮 させること に加 え、物の豊か さか ら心の豊か さを求める意識の 変化等か ら森林空間を利用 しての散策、 レクリエー シ ョン活動、 自然体験学習の場 として、あるいは将 来 に向け、原生的な森林 を保存 してお くことなど多 様化 してい きている
3 」
と記載 している。原生的な 森林の保存 を林業自書で始めて とり上げるなど、木材の生産を重視 していた従来の林業施策 と明 らかに 差異が見 られる。 我国の林業施策の転換は、国際的 な環境への関心の中で惹起 されたとして も、身近な 森林 に対する国民の関心が高 まって、世論が喚起 さ れていたことを反映 した ものであ り、林業自書はそ れを素直に認めている。
さて、森林 には、学術的に厳密な定義はな く、山 中によれば森林 とはある程度以上の高 さの樹木が、
ある程度以上密生 して、ある程度以上の まとまった 面積 を占めている場合であるとし、ある程度 にはき まりはないが、高 さとは4-5m、密度 については 高木のひろが りがその土地の40%以上が常識的なと ころで、面積は 1アールにもみたない範囲は森林 と はみなされないが、何ヘ クタール以上 とい うもので もな く明確 な基準がないままに漠然 と感覚的に森林 をとらえている (山中 1990:1-3)。林業や林学で は森林 を原生林、天然林、人工林 などに区別 してい る。原生林 とは今 まで人手が加わったことのない自 然の遷移 4にまか された森林、天然林 とはかって人 手が加わったがその後人手が加わらず 自然のままに 再生 した森林、人工林は文字 どお り人が手が加えて 育生 している森林である。原生林 を自然林、天然林 を二次林 と表現する場合があ り、両者 を区別せずに 自然林 と表現することもある。 森林は樹木だけでな く、森林内に生育する草や森林の土壌、森林の土壌 の中に生育する微生物 を含めた総体 と考えるのが一 般的であ り、森林生態系 と表現する場合は、森林内 に生息する大型動物等すべての生物や生物の生成に かかわる無機物の循環 も考慮 に入れ られる。 この森
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林生態系 を重視 した立場か らは、人工林 は生物の多 様性が 忙しく、 自然林 を保護す るために国内の人工 林 を増やすべ きでない と主張 される。
1991年 に実施 した河 内長野市市民意識調査 5によ る と、人工林 を増 やすべ きと回答 した人はわずか 5.%8 しかいなかった。河内長野市は古 くか ら林業が お こなわれ市 内の森林の内、 7割が人工林である。
全国平均 は約 4割であるか ら、かな り高い割合の人 工林率であるとして も、人工林 に対す る評価の低 さ は注 目に価す る。同 じ調査で市内の森林へ 1年の間 に行 った ことがあ ると回答 した人は 74%に も達 し、
その 目的 は何 とな く自然 の中でのんび りしたいた め、す ぐれた景観や風景 を楽 しむため と回答 した人 が上位 1、 2で あった。つ ま り市民 の森林 に対す る期待が大 きいことを示 している。
森林の環境的価値 は森林が土地 に存在 しているこ とで価値 を発揮するのであって、森林が消失すれば 価値 も消失す る。森林が成立 している土地 には所有 権があ り、そこに生育する樹木や草木 も民法でい う ところの従物であるか ら、当然土地所有者 に帰属す る。農業で堆肥 として利用 していた草、建築 に使用 する木や、燃料 に用いる木は、土地か ら直接収穫す るものであるか ら、原則的には土地所有者がその所 有権 を所有 している。一部の例外 として、土地 は国 などの公の所有であって も、天然の草木の 自由処分 権が認め られている入会集団がある。いずれに して も、厳密 にいえば土地 に生育 している草木はだれか の所有物である。
ところが、景観 を形成 した り、やす らぎなどを与 えるような森林の環境的価値 は森林が形成 している ものであって、土地が形成 している ものではない。
加 えて、森林の周辺 に生活す る人々は、その森林の 環境的価値 を享受 して きた歴史がある。 もし、森林 が開発 され、破壊 されると森林の環境的価値が消失 す る。 したがって、環境 的価値 を歴史的に享受 して きた人々は一方的に被害 を受 ける。 これは明 らかに 不合理であって、環境的価値 を歴史的に享受 して き
た人 々にはその価値 を享受 しつづける権利があ り、
環境 を支配することがで きるとする理論が環境権の 法理論である (日本弁護士連合会 1991:44-5)。つ ま り森林 を破壊する加害者 と、森林が破壊 されるこ とに よって被害 を受 ける被害者 とい う考 え方であ る。
1970年前後の公害問題の ような、顕在的あるいは 潜在的な加害一被害関係が開巻 の中核 を構成 してい ることで特徴ずけられる問題 に関する社会学的研究 によって、環境破壊が引 きお こされる社会 メカニズ ムや被害の メカニズムを明 らか にすることがで きた (飯島他 1993)
。
しか し、森林の破壊の場合は、現在の森林 に環境 的価値 は認めるが、その森林が都市的な宅地 になる なら自分の生活する周辺が都市化 されて よ り快適 に なると考 える人 と、現在の森林 の方 によ り価値 を求 める人などさまざまである。 この ように環境的価値 の基準 は個 々の人の間で差異が見 られる。
さらに、森林の環境 を支配することがで きるとさ れる地域の人々より、遠 く離れている人の方が、森 林の価値 を大 きく認める場合 もある。例 えば、自神 山地のブナ原生林の保護運動 は、地元八森町の 自然 を守 る会が孤 立化 して く中で、都市 に住 む多 くの 人々の支援 があって、ブナ原生林の広域保全が決定 された (井上 1991:1631183)0
森林の環境的価値が全国の人々に認識 され始める と、森林の環境的価値 を享受す る権利 は森林の環境 支配権が及ぶ とされる地域 に人々に限定せず、広 く 考 えなければならな くなる。1986年の 日本弁護士連 合会第29回人権擁護運動大会 において 「自然保護の ための権利 の確立 に関する宣言」 を行 ない 「人が生 まれなが らに有する自然の恵沢 を享受す る権利
」
を「自然 享 受 権 」 と名 ず け た (日本 弁 護 士 連 合 会 191:1631183)
.
森林の環境 的価値 を享受する権利 とはここにい う 自然享受権の一部である。
栗本 :自然 と地域社会 に関す る社会学 的研究
森林の環境的価値評価の差異の調節 と森林支
配
マ ッキーパ ー (1970:lo§-112)によれば、「コ ミ ニティは地域社会での共同生活のことであ り、コ ミ ニテ ィの源泉 は共同関心 である。」 とし、別の表現 で、 コミニテ ィとは共同生活の相互行為 を十分保証 する共同関心がその成員 によって認め られていると ころの社会的統一体であ り、 この共同の関心又は諸 関心の追求のために明確 に設立 された社会生活の組 織体が ア ソシエ ーシ ョンである と してい る。マ ッ キーパーのい う社会的統一体 を共同体 と言いかえる と、都市近郊の山間集落での共同生活 において、林 産資源で共同体の成員の生活が維持 されていた時代 の共同関心 は明 らかに森林であったであろう。
しか し今や都市近郊の山間集落では、林業のみで 生活 している共同体の成員はほんの一部である。 こ こでい う都市近郊の山間集落 とは、都市 とい う行政 区域の中にあって、集落の一部又は全部が森林 に面 していること、かつては共有林の存在が認め られる か大半の成員が森林 を所有 していること、生活 して い る成員が一定 の生活文化的結合 を有 してい るこ と、によって成立 している共同体 と定義する。 一定 の生活文化的結合 とは同一の神 を面巳ることなどを示 す。 この ような山間集落であって も、今や成員のほ んの一部 しか林業で生活 していない。それで も森林 は地域の景観 を形成 し、共同体の成員 にやす らぎを 享受 させているとするなら共同体の成員は森林 に無 関心ではお られないはずである。
森林の林産資源への関心 は、共同体の成員の生活 が林産資源 に依存 しな くなったのに相対 して逓減 し たか もしれないが、森林の環境的価値 はそれを自覚 することで関心 を持つ ようになる。森林の環境的価 値 はそれが 自覚 されるまでは、地域の人々に等 しく 享受 されていたが、ひとたび自覚 されると、環境的 価値の評価 に差異が生 じて しまうものであ り、その 差異 は地域の森林が破壊 されるか保存 されるかなど 重大な選択 を強い られるほどの格差 を持つ。森林 を 破壊するか保存す るかの選択 をめ ぐって、共同体内
の成員の間に感情的 な しこ りを生 じさせた り、その しこ りが共同体の組織の運営 に支障 をきたす ように なる。 このような状態 を避 けるため、共同体 は共同 体内で成員が もつ森林の環境的価値の評価の格差 を で きるだけ解消 し、平穏 な社会を維持 しようとする はずである。 この解消の努力 を通 して、共同体 とし ての森林の評価がゆるやかに定 まって くる。
プラウ (1967:1舛)は 「組織化は共同的努力の調 和作用 を含 んでいる」 といってお り、「交換 と競争 の過程の結果 としてそれぞれの集合体の中にある形 態の社会組織がいつの まにか出現 し、個人やグルー プの行動様式や個人やグループの関係が しだいに調 整 される
。 」
と している。 都市近郊 の山間集落 に も自治会などの組織があ り、ここで森林の価値の評価 が調節 される、この調節 は、ある集落で森林 をゴル フ場 に開発する場合、一人の人間は森林の環境的価 値 を大 きく評価 し、一方の人間は森林の環境 的価値 の評価 よりも開発に伴 う利益の方 を優先す る評価 を 持 っていたとする。前者 を
A
とし後者 をB
とすると、A
もB
も組織内での人間関係が円滑であることを望 み、快適 な生活 を維持 し組織内での地位 を確保する ため、多 くの組織の成員の信頼、 もしくは自分が組 織内で生活 してい く上で有益 となる人の信頼 を得 よ うと競争するであろ う。A
が期待する報酬 もB
が期 待する報酬 も、 ともに他 の成員の信頼であるなら、報酬 を得る過程で自らの環境的価値の評価 を多 くの 成員の環境的価値評価 にす り合わせ るように努力す ることにな る。 これが森林の評価が定 まるプロセ スの例である。
しか し共同体内の組織 は 1つの組織 だけで な く、
自治会、森林所有者の林業組織、農業組織等多様で ある。 共同体外の大 きい組織が共同体内の人間を組 織の成員 に持 っている場合 もある。 したがって実際 には、山間集落における組織 と共同体 との構造や機 能によってその組織の森林の評価 に差異が生 じるで あろう。 しか し、共同体 に多様 な組織があるとい う ことは、共同体内の成員の生活が多 くの組織 とかか
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わっていることを示 している。つ ま り、一人の成員 が多 くの組織 に横断的 に参加 している。例 えば、森 林所有者組織の多数の支持 を得 られて も、 自治会内 で孤立す る場合や、 もちろん逆 の場合 もある。 プラ ウのい うように、いずれ個 人や グループの関係が し だいに調節 され、組織内で森林の評価が定 ま り、組 織 と個人、組織 と組織 の関係か らいずれ共同体の森 林評価が定 まる。
森林 を直接改変す る人は、森林 に対す る所有権 を 有 している人がほ とん どであるが、所有者の意志で 自由に改変で きるものではない。森林法等の森林 に 対す る法規制 は法 によって森林 の改変 を規制 してい る。森林の改変 に自らの意志 を行使で きることを森 林支配 とす る と、法の規制 も森林支配であるが、法 に従 って手続 きすれば、大 旨森林の改変が可能であ る。山間集落の森林支配は、森林の改変 に山間集落 の共同体の森林評価 に基づいて、その意志 を行使 し ていると仮定で きる。例 えば、河内長野市 の全森林 面積は7567haで この内、山間集落外 の人が所有す る 森林面積 は 2191haである6。山間集落以外 の人が所 有す る森林 を行政用語では不在村地主が所有す る森 林 と称 している。つ ま り不在村地主が所有す る面積 が30%を占めていることになる。 70%の森林の支配 と不在村地主の森林の見 回 り管理 をとお して、全て の森林 は存 在 す る集落 の人が行 ってい る こ とが多
い。
行政手続 きにおいて も、集落 と密接 にかかわる森 林 の大規模 な開発 の場 合 は地元 同意 を必 要 とす る し、森林 は大 きな道路 と接続 している場合が少 ない ので、集落内の何 人かの森林 に道路 を布設 しない と 開発行為 は不可能 な場合がほ とんどである。つ ま り、
森 林 は環境 の支配権 た る環境 権 を持 ち出 さな くて も、実質的に集落共同体の支配 を受 けている。
しか し、一方 で は、森 林 が森林 の存在 す る土地 (林地)の所有権 と強 く結 びつ き、集落の周辺 に存 在 し、共同 して生活の必要資源 を得ていた歴史的事 実 を認める として も、森林の環境的価値 は集落 を越
えて認識 され、 自然享有権の ように集落外 の人が森 林の環境支配 を主張 し始めている。森林が形成 され ている土地 を所有 している人や、開発 を目的 に新た に購 入 した人は森林の環境 的価値 を少 な くしか認め たが らないか、森林の環境支配 に異議 を訴 えるであ ろ う。 森林の林産資源や土地 を中心 とした所有構造 にもとず く旧来の森林の支配の枠組 に、森林 の環境 的価値評価の差異か ら派生 した森林の環境支配の動 きが新たに加わって、都市近郊 山間集落の内 と外で 社会は変動 しているように見 える。 この ような変動 は浅田 (1983:37)によれば、人間が 自然の秩序 た る ピュシスか らはみ出 し、 カオスの中に投 げこまれ た結果生 じた ものであるか ら、やがて人間は新たな 森林文化の文化の秩序 を打 ちたて森林 との共生 を目 指すであろ う。
2.
森林 との共生人間 と森林
人間が生活す る生活域の 自然 は常 に人間の影響 を 受 けている。 山間集落の周辺の森林か ら農業生産 に 必要 な有機肥料 を得 た り、燃料 を得た りす るため森 林 は人為的 に改変 され、管理 されて きた。 このよう に集落の生活 と密接 に結 びつ き、人為的 に改変 され 管理 された森林 を里 山 と称す る場合がある。めった に人が近づかない奥地の森林 に対 して、親 しみ を込 めた表現である。山の形 は同 じようで も、郷里の山 に親 しみ を覚 えるのは、里 山は自分が属す る地域社 会の暮 ら しを反映 した植生 7を形成 し、植生 に応 じ て野鳥 な どの動物 も生息 しているか らだろ う。 暮 ら しと一体 となった 自然がそ こには存在 しているので あ る。 里 山か ら落葉 な どの有機肥料 を得 な くな り、
柴や薪 を採取 しな くなったので、里 山は人為的管理 か ら解放 され、 自然の摂理 に したが って、植物の生 存競争が始 まった。植物 は土地の条件や気候の条件 などの 自然環境 に適応 して生活 し、 自ら移動で きな いため、最終的 には、最 も競争 に強い種がその土地
に勝ち残る。
我国の野生植物は、シダ植物 と種子植物合せて約 5300種である。このうち約18,00種が 日本固有の植物 で、1989年 に発表 された 「我が国における保護上重 要な植物種の現状」いわゆる レッ ドデータブ ック 8
によれば、 日本の野生植物種の17%にあたる895種が 絶滅の危機 にさらされている。絶滅の危機は、森林 や湿地の大規模開発 によって植物の生育場所が消滅 することもあるが、人為的影響 を受 けな くなったこ とにより、生育環境が改変 し消失 しつつある植物 も 多い。
強酸性土壌の貧栄養な湿原 に生育 しているサギソ ウやモウセ ンゴケなどは絶滅の危機にある貴重な植 物でその保護の重要性が指摘 され、湿地 とその周辺 の保全が図 られる。関西の自生地のを調査 してみる と、風化 した花 コウ岩質土壌のアカマツ林周辺の湿 地、特 に山間部のため池周辺の湿地 に生育 している ことが多い。中国山地で古 くか ら実施 された、伝統 的砂鉄製錬 (たたら)は1907年 ごろまで続 き、その 後 衰退 し、最 近 で は ほ とん ど見 られ ない (司馬 1986:3145)
0
このたた ら製錬 では多量 の木 を燃料 として用 い た。森林は収奪 をくり返す とやがて土壌層がやせて アカマツ林 となる。 この中国地方のアカマツ林周辺 の湿地にも、サギソウやモウセ ンゴケが生育 してい る可能性が高い。やせたアカマツか らの水は貧栄養 で花 コウ岩帯の土質 は酸性 であるか ら好適地 とな る。中国山地のその名 もたたら湿原 には、サギソウ が 自生 しているとい うので、地元の知人 と見 に行 っ た。 ところが残念なことにモウセ ンゴケはわずかに 見 られたがサギソウはついに発見で きなかった。周 辺の森林 はアカマツ林か ら落葉広葉樹林 に遷移 し土 壌 はおち葉など有機堆積物が厚 く、そこか ら流れ込 む水は栄養塩 を多 く含み、湿原はスゲ類が繁茂 して いた。 ノリウツギや ノイバラなどの樹木 も侵入 しや がて湿原は消 えるであろう。 知人はサギソウは採 ら れた と言っていたが、私 には環境の変化 によって消
栗本 :自然 と地域社会 に関す る社会学的研究
失 したとしか思 えなかった。つ まり、 タタラ製鉄で 用いる燃料用材 を採取することによってその場所で はサギソウなどの生育に好適な環境が形成 されてい たのが、燃料用材の採取 をやめた結果、環境が激変
したのである。
山間集落 と森林 との共生
人間が森林 に作用する行為は、結果 として現在の 森林の植生や動物相 を多様 に している要因の 1つで あって、全てではない。森林が存在 している土地の 位置、水文、気候 によって植生は変化する し、時間 の流れによって も変化する。生態学 における共生の 概念は、異種の個体が密接 に結び付いて一緒 に生活 していることを意味 し、寄生 と宿主の関係 も共生の 一形態である (沼田 1 ' )991.790
これを拡大解釈 して、異種の生物群が一緒 に生活 していることも共生 とし、森林 を形成するいろいろ な植物や動物 と人間が密接 に結びついて一緒 に生活 することを人間 と森林 との共生 と定義する。 この定 義は漠然 としているけれ ども、先 に述べたように森 林 その ものの定義 も実 はあい まいな ものであるか ら、それほど厳密 な定義は必要 としないだろう。密 接 に結びついて一緒 に生活することとは、人間が森 林か ら必要 とするものを得て生活 をすること、森林 か ら必要 とするものの収穫の作用 をとお して、森林 の植生や動物の生活が維持 されることを意味する。
人間が定住 してか ら今 日まで、山間の集落周辺の 森林が存在 している間、人間 と森林は共生 していた はずである。マ ッキーパ ー (1970:98)によれば
「人間が生 きる とい うことは、本質的に共同生活で ある」 としている。つ まり、人間の生活は始 まった ときか ら本質的に共同体の中で営 まれるのであるか ら、人間 と森林の共生は必然的に人間の共同体 と森 林の共生 になる。 この人間の共同体 を山間集落 とす ると、山間集落 と森林は今 日まで共生 していたこと になる。山間集落は森林から生活に必要 とするもの を収穫 し、森林の植生がそれに対応 していたので、
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森林の植生の変化がわかれば山間集落 と森林の共生 の変化を知ることがで きる。山間集落 と森林の共生 は山間集落の共同体の成員の生活 と森林 との関係で あるか ら、共生内容の変化は共同体の成員の生活の 変化で もある。
集落が最初 に森林の周辺 に形成 されたのは、共同 体の成員の生活が森林 に依存 していたか らである。
一定の森林面積で どれだけの人口が養えるかは、森 林本来の生産力だけでな く、人間が どの ような技術 で何 をその森林から収穫するかにかかって くる。例 えば、焼畑農耕 によって森林か ら食料 を全面的に依 存する場合 を想定すると、樹木 を伐採整理 し、植物 を焼 き払い、種を植え、雑草 を防除 し収穫する。
1ヶ所で長 く続けると雑草の侵入が激 しく、病虫 害 も増大することか ら又新 しい森林に移動 しなけれ ばならない。焼畑の起源は定かではないが、縄文時 代 後 晩期 に さかの ぼ る とす る仮説 が あ る (安 田 1991:98)0 1ヶ所で何年 くらい栽培 を続けていたの かなどの具体的な方法 は明 らかになっていないが、
山梨県南巨摩郡早川町奈良田の焼畑や高知県吾川郡 池川町春山の焼畑 における現代の記録 9か ら推察す ると、 1ヶ所で 3年程度 しか耕作 していない。初め て伐採 した場所、昨年伐採 した場所、一昨年伐採 し た場所で焼畑耕作 し、 4年 目は放置 して山にもどし、
3分の 1の面積だけ新たに伐採 して焼畑 に加 える。
森林の放置の期間は 20年前後である。 20年以上経過 すると森林が再生 される。再生 された森林は自然の ままに再生 した森林であるか ら二次林であるが、こ の森林 に戻 って焼畑 を くり返す。原生林 を伐 り開 く より二次林の方が伐探 しやすいので、全ての森林が 焼畑対象森林である二次林 になったのではなく、仝 森林の約 12%の森林が二次林 (落葉広葉樹)になっ ていたとされている (守山 1988:46)。
奈良田の 1戸あた りの平均焼畑耕作面積はカイ ト (普通畑)の01h.4aとアラク (焼畑)13h.5aの合計約 1.h5alOである。 この数値は東南 アジア焼畑農耕民の 平均 ともおおむね一致 している。伐採、除草 に投下
で きる労働力が焼畑経営規模の上限を決め、 自給 に 必要な生産量が下限を決めるので、東南アジアの焼 畑 は耕作する民族が違って も、焼畑の規模がほぼ平 均化 して しまうのである (守山 1988:210)。
つ まり、森林 に食料 を全面的に依存するような焼 畑社会は、余剰食料がほとんどな く、社会の成員は すべて食料生産に従事 していたと考えられる。
ところが、い うまで もな く現代の社会は多 くの食 料非生産人口を擁する社会である。 この社会変動の 過程で、森林か ら食料 を収穫することがほとんどな くなる反面、工業製品の原料 としての木材 を収穫す るようになった。森林か らの収穫物 を林産資源 とす ると、社会変動 に応 じて森林か ら収種する林産資源 に質的な変化が見られる。森林 と密接 な関係 にある 山間集落は、林産資源をとお して森林 との共生関係 を維持 しつつ内容 を変えてきたと考えられる。
第1段階は衣 ・食 ・住 ・エネルギー全てを森林 に 依存する関係、第 2段階は稲作水田農耕 を取 り入れ 森林 を多様 に利用する関係、第 3段階は高度に都市 化、工業化 した社会の影響 を受 け森林の資質改変が 生 じる中で、森林の環境的価値評価の差異の調整を 経て森林 との共生 を再構築する関係 と、各段階に毎
に際立った特色がある。
第 1段階は森林依存型共同体、第 2段階は森林多 様利用型 (里山的利用)共同体、第
3
段階は森林再 共生型共同体であると仮称する。山間集落の共同体 と森林 との共生内容の変化は、共同体か らみれば、共同体の外部の社会か ら文化の吸収 などによって生 じたものである。
このような森林 との共生内容の変化は共同体の森 林に対する関心 に変化を生 じさせ、共同体はその関 心 に対応 して組織 を作るので、森林への関心が持続 されている限 り、関心の変化に対応 して組織の機能 や構造 を変化 させつつ森林 を支配 していたはずであ る。
3.
山間集落の共生過程 と森林支配の混乱の 事例山間集落共同体の概況
高槻市大字中畑 は高槻市の北部山間地樫 田地区内 の 1つの集落である。樫 田地区は1958年 に高槻市 に 合併 した。合併する前は京都府南桑 田郡樫 田村であ った。樫 田村 は明治政府 によ り連合町村作 りが指導 され、1873年か ら1889年の町村制施行 までに、旧村 の連合案が
3
度 にわたって練 り直 され、最終的には 中畑村 、田能村 、出灰村 、杉生村、二料村 が連合 (合併ではない) して誕生 した。1889年の町村制施行 にかかる旧村連合の しこ りが府県 を越 えて高槻市 に 合併する遠因の 1つ となったと指摘 されている。薄利期以来の旧 「村」 は公法関係 と私法関係が未 分化の状態で存在 し、行政村的側面 と住民の生活共 同体的側面 とが混然一体 となっていた (武井 1974:
29)。制度的に も生活的 に も今以上 に強 く結 びつい た村 どお しの連合づ くりはきわめて難問であったと 考えられる。
樫田村誕生当時の旧村 は現在 それぞれ大字 として 中畑、田能、出灰、杉生、二料の各集落 を形成 して いる。高槻市ではこの五集落 を便宜的に樫田地区 と 定めている。郷土史家山口正雄氏 によれば樫田村 を 含 む丹波地方はかつて広 く焼畑が行 われ、出雲の文 化 と結びつ くと推論 している (山口 19)94。樫田地 区の小字 に焼 山 とつ く名、山を焼いたであろ うと思 われる濃い黄かっ色の土のかたま りのある土壌 など か ら焼畑の推論がある程度裏付けられる。
中畑集落がかっての焼畑耕作共同体集落であった とすれば、現在の部落共有林は元の焼畑対象森林で あろうと考えられる。 旧中畑村の共有林 は町村制施 行 と同時 に発足 した財産区に編入 されず、集落の幾 人かが共同体 を代表 して登記 している。村落共同体 が共同所有 (総有) していた入会林の多 くが行政機 関の 1つであ る財産区 になっているこ とを考 える と、中畑の共同体は入会林の公有化に対 して抵抗 し、
栗本 :自然 と地域社会に関す る社会学 的研究
共同体 としての所有 を守 って きた。それは共同体の 成員生活が森林 によって支えられていた歴史的経過 があ り、町村制施行時は もちろん1960年 ごろまでは マ ツタケや木炭、薪 などの林産資源 は共同体の成員 の大 きな収入源であっ 11。
現在の中畑集落は26世帯97人である。 次頁の表は 中畑集落 に居住する人 々か ら聞 きとって作成 した。
森林及 び田畑 の所有規模 は住民 の主観的判 断であ る。筆者の推論では、森林は1 0-2仙 a以上 を大、 1
以下 を小 とし、田畑 は05 . 以下を ha .ha以上 を大、01ha 小 と判断 しているようである。共同体が森林の環境 的評価の差異の調整 をとお して、森林支配 を再構築 する過程 を解析する場合は、共同体の成員の主観的 判断の方が より重要 と考えその まま表に した。65才 以上の世帯主はおおむね農林業で家計 を維持 して き て、その子 らは全て会社員か公務員である。65才以 下で職業 についていた人 も農林業 を兼業 してお り、
公務員など兼業の可 能な職種 を選択 している。65才 以上の人々 は現在で も農林業を営むがそれだけで家 族の 生活 を支えているのではない。 このことが、後 述するような共同体の森林支配の混乱 を誘発 してい る。
樫田地区は山間地であるけれ ども京都 (京都市の 一部は中畑集落 に隣接 し、行政間の協定 によ り京都 市の児童 を樫 田小学校 に受 け入れている。) に近い こともあって木炭、マ ツタケ、木材 などの林産物生 産が古 くか ら出荷 されていた。その流通 にかかわっ て きた人が現在 は素材生産者 として、木材流通 を担 っている。 集落内の世帯の うち高齢者だけの世帯が 6世帯、独居老人世帯 も 2世帯ある。
表 1 世帯主の職業
世帯主の職業 人
農林業
(うち素材業 .森林組合 8 )
会社員 .公 4
務員等 1994年聞 き16
集落の人の話 しによると、農作業時には近隣に住 む子供が手伝いに来るとのことである。 1960年か ら 始 まった高度経済成長は多 くの農業労働力を都市 に 吸収 して農村 を一変 させ た と言われているけれ ど も、集落に生活する人間の側か らすれば、よ り良い 生活の手段 を自ら選択 して、集落を出る人 もいれば、
残る人 もいるのである。
森林依存型共同体による森林支配の残淳
中畑 など山間集落は共同体 として焼畑農耕 をして いた痕跡があることは先 に述べたとお りである。つ まり、中畑集落は森林依存型共同体の時期が存在 し ていた と考えられる。 1980年代 まで焼畑が行 われて いた高知県吾川郡池川町椿山では、共通の先祖 を持 つ といわれる家の集 まりである先祖租がある。焼畑 のための山伐 りなどに力 を合わせる共同作業の組で あ り、その先祖組 を基礎単位 として椿山全体がひと つの共同体 を形づ くり、山の活用その もの も、毎年 集会 を開いてその年の各家の焼 山を決めるなど運営 をしてきた。つ まり、椿山は先祖組 を基礎 に したき わめて強い共同体であ る と報告 されている (姫 田 1979:46)。各先祖組はそれぞれ両があって、先祖組 をまとめた大先祖 を祭る頑がある。
さて、中畑集落は現在焼畑 は行われていないが、
先祖 を同 じくす ると考えられる株がある。株 は集落 の同 じ苗字 を持つ集団で、先祖 を祭る桐 を持 ってい る。桐の中を掃除すると、一塊の石が出てきたと地 元の A氏が言 っていた。わが国の伝承神話では、神 は自らなる天地 を除いて国土、山川草木、動植物の 殆 どを生んだ。天地 を除いて、人間を含めて自然は 祖神の生みの子、血縁の子であ り、石 に至るまで人 間の血縁 というわけである (上田 1991:82)0
つ まり神が創 ったのではな く、神が生んだことに よって血縁 となったのである。いずれに して も中畑 集落は椿山と同様 な先祖株 (租)がある。集落共通 の氏神 も紀 られてお り、中畑大神宮社 とい う。 産土 神は主祭神 になってお り、豊受姫神である。 この氏
栗本 :自然 と地域社会 に関す る社会学 的研究
神の祭典 は、「宮衆
」
とい う人々によって行 われて いたが、明治の中頃より 「宮年寄」 とい う10人の宮 年寄が これに当っている 12。数年前 までは宮年寄の 定年は6
0才であったが、集落の人口が減少 したこと により現在 は65才になっている。神社の運営 に関す る最高の意思決定は2名の宮総代が当たる。2名の 宮総代は氏子の中か ら選挙 によって選ばれるが、宮 年寄経験者がおおむね選ばれるようである。神社の 三大祭典は2月の祈念祭、10月の秋祭、12月の祈嘗 祭で、この ときは氏神以外 に 5ヶ所の山の神にもお 供えする。焼畑集団である椿山のように先祖株 (神) を単位 として焼 山耕作 し焼山の取 り決めをしていたと仮定 すると、話 し合いがまとまらない場合は先祖株 (神) の先祖である氏神の権威で裁定 にあたることは想像 に難 くない。それ故、氏神の祭儀は重要であ り、そ のため神社組織が整えられて今 日に到っている。先 祖棟内で も7月23日に先祖株の頑のまわ りの手入れ をし、酒、するめ、洗米 を供 えて灯明をあげ、当番 の家で会食をするのである。先祖棟内は、例 えば中 畑集落の畑 とい う苗字が畑株 とい う株 を作 ってお り、両 を持 っているのである。 このような株が現在 5株ある。同 じ苗字だか らといって、古 くはわか ら ないが現在ではほ とん ど親族でない との ことであ る。 このように森林依存型共同体であったころか ら の組織や制度が今なお残 っているということは、中 畑集落の共同体が先祖神 についての共同関心 を持 っ ていることを示 している。山の神のお供えなどのよ うな祭儀 をとお して、先祖神 と森林 (自然) との関 係にまで関心が及ぶであろう。
森林多様利用型共同体による森林支配の残淳 中畑集落が森林多様利用型共同体 に移行 し始めた ころは、水田稲作耕作 に平行 して焼畑が行われてい たであろ う 水田稲作農耕が盛大に行われ、集落の。 食棲事情が良 くな り、人口が増加すると、燃料 とし ての柴や薪、炭が山か ら多 く採 り出 され、水田に投
同志社社会学研究 NO.I,1997
入する有機肥料、牛馬用の飼葉 も山から採取 された。
一部の山か らは建築用材 も伐採 されたであろう。
船越は、人間の直接的生活 と関わ りをもつ源基的 形態は、生活資材の採取や営農的利用 とい う局面 に おいて現れるとし、商品生産段階における林業は木 材 を商品 として伐採生産す る伐採的林業 として現 れ、農業か らの分離過程 として登場 し、採取林業は 薪産 業 にお い て も展 開 され る と してい る (船 越 1983:76)。文脈から、この農業は水田稲作農業を示
していると考えられるが、水田稲作農業村落 より先 に成立 した と推理 される、焼畑集落共同体では、少 な くとも採取林業は農業か らの分離過程ではな く、
焼畑集落が森林依存型共同体か ら森林多用利用型共 同体へ移行する過程で生 じ、これが森林 を周辺 にも つ水田稲作農業村落へ波及 し、林産物商品の流通の 拡大に伴い、採取生産過程 に商人資本 を導入 させる ことになったと考える。
林産物商品の流通拡大は、林産物流通 に従事する 人間の食料が確保 されていることが前提 となるの で、生産性が高い水田稲作農耕が展開 されてい く過 程で生 じることには違いないが、農業か らの分離だ けではない。土地 を所有 しない零細農民が、地主的 土地所有者 と薪炭商人資本の もとで隷農的小生産す るとい う図式で説明 される農業か らの分離論は、水 田稲作農業 に起源 を もつ村落では成 り立つであろ う。森林依存型共同体 を起源 をもつ山間集落では、
焼畑対象地が焼畑耕作 をくり返 してお り薪炭に適す る二次林になっている。 焼畑対象林は椿 山集落で も 中畑集落で も集落の共同体の共有 になっている。薪 などの林産物が流通拡大するに従い、この共有林 を 利用 して、林産物 を生産 したであろうことは、共有 林が薪炭に最 も適 しているクヌギやコナラ林 になっ ていることか らも充分推論 される。中畑集落のよう に、焼畑集落共同体か ら農業村落共同体に移行 して 森林的多様利用型共同体になった集落 もある し、樺 山集落などのように焼畑 を継続 しつつ もミツマ タな どの商品作物 を森林で栽培 し始める形で森林的多様
120
利用型共同体へ移行 した集落 もある。椿山集落は最 近 まで焼畑農耕をしているが、同 じ池川町のなかの 集落で も裕福 な方だとい うか ら、共同体 としての森 林の利用はその共同体が最 も生活が豊かになる方向 で展開されるのであろう。
共同体の森林 に対する共同関心は生活の向上に動 機付 けられ展開 されるはずである。 これ らのことか ら、森林多用利用型共同体の森林組織は共有 してい る森林の利用に関 して、成員間の利害 を調整する機 能をもつ ものであろう。
都市近郊の山間集落の森林の大部分は、集落の共 同利用 にゆだね られる形態 をとっていた。このよう な形態の森林を入会林 といい、村山、村持山、野山 などとよばれていた。
入会林 をめ ぐる支配権は、集落共同体 に帰属する 権利であって、共同体は入山時期の とり決め、利用 量 に対する制限、共同出役 など共同体内規制 を設け ていた。入会林は林業商品の流通拡大に伴い、共同 体の直轄的管理 を強化するもの (シバ、マキなど共 同体成員の生活必需品を確保するための留山)、実 質的私権化の方向を強 くするもの (流通商品を生産 するための割山)へ と分化 した。割山であっても共 同体の規制は及び、数年前 まで河内長野市の人工林 内の枯枝はどの村民で も自由に持 ち帰 ることがで き た し、現在で も樫田地区内の森林に生育するサカキ、
シキビ (神事や仏事 に使われる樹木で商品 として流 通する)は一括 して集め られ、売 り上げの一部は地 区の消防団の費用 に廻 される。売 り上げは森林所有 者の所得にはならない し、地区内の人であれば、だ れの山か らで も自由にサカキ、シキビを採取するこ とが可能である。このような入会林の管理組織が行 政村その ものであるとする立場 と、共同体の生活 に 根 ざして私の集団であるとする立場 によって、入会 林の所有権 に対す法理論 に差異が生 じている。前者 は行政が とる立場であ り、後者は民法学が とる立場 である。中畑集落は私の集団であることを色濃 く示 し、共同体の代表者が共有財産の登記簿上の名義人
になって公権力に対抗 した。
1873年の地租改正条例、1874年の地所名称区別改 正法 を経て1876年 に山林原野官民所有 区分方法 とし て所有者が確定する過程で も公有地への編入 をまぬ がれ、1889年の町村制施行 において も財産区 となら なかった。現在の中畑集落では 2名の財産区委員が (自治法の定め る財産区ではないが、中畑では独 自 に財産区 と称 している)中畑の財産 を管理 している。
この財産の中には共有林 とともに現金なども含 まれ る。入会慣行 を規制、管理する組織 は入会の消滅 と ともに現在では存在 しない。
中畑集落の隣の集落である出灰集落の渡辺専次郎 氏は 「語 りつ ぐ樫 田のふ るさと
」
で次の ように述べ ている。昭和一桁生 まれよ り上の人なら皆多少 な りとも 体験 されているで しょう。炭焼 きの最盛期 は大 正初期 よ り、昭和 30年頃 まで と思い ます。昔 は 府道 もな く枚亀線が開通 したのは、大正10年、私 も小学校 2年生 まで山道 を通学 してお りま した。
それで昔 は沢山の炭 を焼いて も運搬が出来ないの で、少 しは焼いてお りましたが、牛 に背負わせた り、人の肩で運んでお りました。学校の冬休みや 日曜 日には、子供で も今の西京区大原野町に、 4 -5軒の炭問屋があ り、約 8キロの道 を 1俵 (1 貫600匁)の炭 を10銭位 で、小使 いほ しさに運 ん だものです。
昭和 7年頃 と思いますが、炭の俵袋が規格化 さ れ 7キロ、15キロ九、割、荒、棟、栖 、雑、上、
並、等 と等級 を作 り、検査 を受けて さらに統制 に な り、個人では売れな くな り、供出する事 にな り ました。
戦後25年頃 まで続 き、後 自由にな りましたが景 気 も次第に良 くな り、石油ス トーブ、電気器具の 進出により炭の売れ行 きも悪 くな り、35年頃で炭 焼 きも終 りを告げました。
明治、大正、昭和 とこの時代、土工植林等仕事 もあ りましたが、一般労働の最大の収入源は炭焼
栗本 :自然 と地域社会に関す る社会学 的研究
きであったと思います。
中畑集落 もほぼ同様であ り、田畑所有の大小、森 林所有の大小 に関係 な くほぼ一様 に炭焼 きを してい たことが伺 える。1960年 を境 に して中畑集落の人々 は炭焼 きをやめ、植 林 に力 を入れ る こ とになる。
1960年 までの都市生活者の生活基本物資は、食料 と しての米 とエ ネルギーとしての炭 といわれていたほ ど炭は重要なものであった。
森林再共生型共同体の森林支配
森林多様利用型共同体は1960年頃 を境 として森林 再共生型共同体へ移行 し始める と考えられる。木炭 生産は森林か ら伐採採取 されるクヌギ、コナラなど の落葉広葉樹 を加工 して商品化 された ものである。
落葉広葉樹 は伐採 して も10-20年前後で再生 される ので、基本的には焼山的森林利用 と同様で、焼山農 耕 と比較 して も二次林の植生の変化は少ない。 とこ ろが、1960年か らの経済の高度成長期 を得て森林の 植生は大 きく変化す る。紙 ・パルプと建築用材の需 要増大に対処するため、あらゆる種の樹木が伐採 さ れ、伐採跡地にスギ、 ヒノキが植林 されたのである。
伐採、植林 を奨励 し円滑 に進めるため、森林所有者 の組織である森林組合の充実 に努め1965年林業基本 法 を定める。 これ らの結果、中畑集落周辺の森林 も 大幅に人工造林化 され、共有林のい くつか も人工林 になった。樫 田地区はマ ツタケの産地で もあったの で、マ ツタケが出るアカマ ツ林の共有林 は人工造林 にされず にすんだ。 ところが、1973年のオイルシ ョ ック以降、国内木材価格 はほぼ下落 したままの状態 が続 き人工林の手人 もされな くなった。 この ような 林業の衰退は、山間集落共同体の成員の森林 に対す る関心の度合いに、差異 を生 じさせ始めることにな った。
中畑集落に属する森林は、集落の人が所有するか 樫田地区の人が所有するか、 もしくは、中畑か ら転 出 した人が所有するのがほとん どである。隣接の田 能集落の共有林は1977年 にゴルフ場 になった。 この
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ゴルフ場開発 をめ ぐって樫田地区住民の意見は分か れたが、結局ゴルフ場は開設 された。この時の混乱 が教訓 となって、樫田地区ではゴルフ場の是非論 よ りも、住民の親睦を維持する立場か ら、ゴルフ場の 受入れを好 ましくない と判断 し、ゴルフ場開発 を忌 避 してきた。
1987年には 2ヶ所のゴルフ場開発計画、墓地開発 計画、残土処分計画など多 くの森林の改変計画が持 ち上がった。樫田地区には 5集落に各 自治会があ り、
5集落の 自治会長の互選で連合 自治会長が選 ばれ る。 各 自治会長は集落の世帯毎 に投 じる選挙で選出 される。世帯当 りの 自治会費は定額 と世帯の田畑、
森林の所有規模 によって定 まる額の合計 によって構 成 されている。森林関係組織は、国土の保全 と森林 の保続培養 を推進するための (造林すること)共同 組織 として設立 された森林組合があ り、組合員は森 林所有者である。水利 などの農業基盤 を管理するの は実行組合で、組合員は全て農家である。 その他 に は観光農林業施設の代表者で構成する 「緑の村連絡 評議会
」
がある。森林開発 についての樫田地区内の 世論は、おおむねこの 4団体で形成 される。田能の 共有林のゴルフ場問題後は1987年 まで平穏が保たれ てきた。残土問題などもあったが、なんとか切 り抜 けてきた。つ まり各山間集落の共同体の共同関心が 平穏 な人間関係 を維持することにあ り、その結果 と して共同体は田畑、森林 を保全 しようとしてきたの である。墓地開発 について も地元の自治会連合会は、高槻 市 と高槻市議会に反対陳情や反対の請願 を し、高槻 市議会は墓地反対の請願 を採択 した。反対理由は、
森林観光セ ンターや花 しょうぶ園など自然 を活用 し た地区の振興 に墓地の イメージは悪影響 を与 える、
というものであった。森林の環境的価値評価は共同 体内で調節 され、森林 を保全する行動 として表出さ れたことを意味 している。高槻市長の反対意見、議 会の請願にもかかわらず、墓地開発 は大阪府 におい て許可 され現在営業 されている。地元の反対、高槻
市市議会の反対にもかかわらず、許可 された原因は、
法手続上不備がなかったことと、府下で墓地が絶対 的に不足 していたことである。
外部の者が土地を購入 し、強い意志で開発 を進め る場合、地元は対抗する窓口す ら組織 されておらず、
いたず らに混乱するだけである。 この混乱 に乗 じて 多数の寄付 をし、寄付の実績で行政手続 を進めるの が開発行為の一般的な手法であ り、墓地開発 も例外 ではなかった。集落の内部については、残土 を田畑 や森林に持 ち込 まないことを取 り決め、署名捺印で 各集落の成員に徹底 させてそれを実行 させているの に、外部か らの圧力に対 しては弱体であることが、
集落共同体の成員間でも認識 されだ した。その結果、
森林の保全 を目的として、高槻市 に共同 して森林支 配するよう要請 され始めたのである。
4.
山間集落の森林支配の補強と高槻市の森林 支配の強化一森林銀行制度 を例 として一 高槻市による森林支配の検討
高槻市の森林行政担当部局 (当時経済部農林課) は山間集落か らの要請を受けて、高槻市 による森林 買取 りの可能性 を検討 していた。 しか し、 どこにで もある普通 の森林 を高槻市が買取 ることをに対 し て、財政当局の合意が得 られそ うもなかった。市民 にとって森林の必要性 を認めるにして も、他の行政 需要 との比較で買取 りが容易でないことは明らかで あった。高槻市は広大な森林面積を有 してお り、貴 重 な緑 として市民生活 に うるおい をもた らしてい る。 しか し、森林の面積が広大であるがゆえに、買 取 りに対 して積極的になれない とい う矛盾がある。
森林の恩恵 を享受 している市民 にも協力を求めるこ とで、森林保全の打開策 を探 ることにした。
高槻市は森林の開発に対 して、法的手続 きの上で は、開発の許認可権者 (大阪府知事)に意見 を述べ ることはで きる。 しか し、市長 も常 々苦 々しく思っ
122
ていたように、高槻市は森林の保全や開発 について 具体的 に権限 を執行す る手法 を持 っていなかった。
行政は法の執行 をとお して、行政の意志 を具体化す るものであるが、森林法や都市計画法など森林の保 全や開発 に関する全ての法は、市長に実効性のある 許認可の権限を与えていない。 このように法 による 行政執行だけでは環境の ように市民 に密接 に結びつ いた事象 に対 して、市民の要望 に対処で きないこと が多い。そこで、地方公共団体が私人の立場で、事 業者等 と協定、覚書、念書の ような形式で契約 を締 結することによって、行政の補完的効果 をね らった 行政手法 に協定行政 13がある。例 えば、東京都 田無 市 は 1971年 に石川島播磨重工業など市内にある大手 各企業 と都の公害防止条例 とは別に、独 自の公害防 止協定 を締結 した。田無市は 「大企業の公害の被害 を受けるのは市民であるか ら、市は都 と同等の立場 で大企業 を指導監督で きる
。 」
との趣 旨の協定 を取 りかわ した ものである。 このように協定行政は公害 か ら市民の健康や環境 を守ることを理由に、市の指 導監督権 を強化することを目的 としている場合が多 い。高槻市 も私人 として森林所有者 と森林保全協定 を締結 し、高槻市の森林 に対する行政意志 を反映 さ せるようにと森林銀行制度 を創設 した。山間集落の森林支配は山間集落の共同体の成員が 共同体の共同関心 を共有することによって、間接的 に森林を支配するのであるが、共同体の共同関心の 共有 は山間集落の共同体 の成員全 てに及ぶ ことか ら、山間集落の共同体の成員が所有する山間集落周 辺の森林全てに及ぶ。共同体の成員が目にする全て の森林は、共同体の成員の相互監視 によって統一的 に規制 される。 この統一的規制は、あたか も山間集 落共同体が直接 に森林支配 している効果 を発揮す る。共同体の成員の共同関心の共有 を介 して行 われ る森林支配は、共同体成員間では規制効果が高い。
しか し、森林支配について共同体 としての責任の所 存が明確でないので、外部に対 しては規制効果 を発 揮 しにくい。例えばある森林の開発行為 に対する法
栗本 :自然 と地域社会に関す る社会学的研究
手続上の同意は、法手続 を進める側が自治会 と指定 して くる。その開発行為が山間集落の共同体の成員 間で評価 に差異があった場合、自治会長は森林支配 に対する責任者 として自らの意志 を示すことがで き ないばか りか、調整す る機能 も与えられていない。
つ まり自治会では森林の環境的価値評価の差異の調 整 を機能的に行 えない構造 になっている。 これは山 間集落の共同体の成員の間で しだいに調整 されてい くことは前述 したとお りであるが、それには一定の 時間を要 し、その間山間集落の共同体は混乱 しっづ けることになる。共同体の成員間の評価の差異か ら 生 じる混乱は、共同体内に感情的乱蝶 を生 じさせ、
共同体の成員が加わる各組織 の運営 に支障 をきた す。 これを避 けるため、高槻市 に森林支配の参加を 求めて きた。 ところが高槻市は法 を執行す る限 り、
森林支配に対する有効な手段 をもっていなかったの で、山間集落共同体の森林支配に参加する1つの方 策が森林銀行制度であった。
森林銀行制度の概要 と特色
森林の買取 りにかわる制度 として、森林銀行制度 が市役所で検討 された。その概要は次の とお りであ る。
森林 を保持 してい くことが困難になった所有者か ら、森林 を保全することに協力的な市民 (企業等法 人を含む)にその森林 を斡旋 し、森林 を市民 に土地 ごと買って もらい、森林 を積極的に保全する制度で ある。買上げた市民が保持 してい くことが困難 にな れば、 さらに斡旋を繰 り返すことを保証 し買上げや す くする。
(1)高槻市の緑 を守ってい く上で拠点 となる森林 を選定する。
(2)緑 を守るための公社 を設立する。
(3)森林所有者 と市の間で森林保全協定 を結ぶ。
※森林 を保全 してい く義務 を課す。 (所有者側)
※森林を市民に斡旋、または一時的に公社が買 収する。 (市側-5ヶ年経過後発効)
同志社社会学研究 NO.I,1997
(4)買収資金を確保するため基金を設立する。
(5)森林 を造成 した り、休養施設 を整備するとき 市が協力する。
(6)公社が買収 した森林 を保全 に協力的な、つ ま り森林保全協定可能な市民に売却 し、またはそ のまま斡旋する。
森林が荒廃する直接の原因は林業不振 により森林 に対する投資が行われな くなったこと、 さらには森 林への公共投資が著 しく低いことである。魅力がな くなった森林 を手放す人が増 えれば、林業以外の他 の目的に利用 される。た とえば、1985年12月、樫田 地区住民の総意 として、残土投棄 を目的 とした森林 の開発 を市は許可 しないでは しい とい う要望があっ た。 この要望書 には地区の 自治会など、あらゆる団 体役員の署名押印 とわずか 2-3名を除 く全住民の 署名押印 を していた。 この とき生 じた残土投棄 は、
林道の通行 を必要 としていたので農林課が通行 を不 許可に したことで中止 になった。住民の強い意志が あったにもかかわらず事業者は投棄 を強行 しようと
した し、1988年に墓地開発が強行 された。
ところで、樫 田地区の各集落共同体の成員は森林 所有者が多い。森林所有者の側で も、で きることな ら森林のまま売 りたい し、売った後 も森林のままの 状態であってほ しい と望んでいる。つ ま り自分の売 却 した森林 によって共同体の他の成員に迷惑 をかけ ることがあってほならないか らである。かつては、
共同体内の成員 どお しで森林 の売買が行 われてお り、共同体の森林に対する共同関心は維持で きた。
この制度では、市は所有者 と森林保全協定 を結ぶ ので、森林所有者が移動 して も (移動先 も市が関与 するか ら)森林が保全 される。 もし協定 を無視 して 開発が計画 された場合は、本市の開発指導要綱や森 林法 に基づ く開発許可制度で協定違反 を根拠 として 不許可 にす るなど強い行政指導がで きる。 さらに、
この協定 には売買予約 に近い契約内容 になっている ので、開発 はで きに くく、開発 に先駆け市 に対 して 買い取 りの要請があるはずであ る。
124
森林の環境的価値の共有
1989年 に財団法人高槻市緑化森林公社が設立 され 森林銀行制度が運営 されることとなった。初年度の 森林保全協定は15ヶ所2%500m2であ り、1 993年 5月 現在では、448ヶ所430haに達 した。当初の予定面積 以上に保全協定が締結 されている。ある程度私権が 制限 されることが明 らかであるのに、森林所有者の 理解が得 られ、今なお保全協定の要望が強い。山間 集落共同体の森林支配が弱 まり、その補充を市の森 林支配に求めている結果 と思われる。ただ し、この ことについては、今後の展開を注意深 く見守る必要 がある。現在の森林所有者は、まだ森林の買収、斡 旋 を申 し入れていないので、企業や市民 との保全協 定 は締結 されていない。それがあって初めて、この 制度の真価が問われるであろう。 少 な くとも、高槻 市の森林の一割近 くが保全協定森林 とな り、森林の いたる場所 に保全協定森林 の看板 が建 て られてい る。保全協定は市 と財団法人緑化森林公社 と森林所 有者 とで締結す る。 これだけでは第三者に対抗で き ないので、看板で明認 させているのである。山間集 落共同体は高槻市 に森林支配の補強 を求め、高槻市 はそれに応 じて森林支配 を強化 した。 この関係は、
高槻市が森林の環境的価値の資源化 と森林の間接支 配を図った効果 として、山間集落共同体の森林 に対 する共同関心が森林の保全 に向かっていること、集 落共同体は成員間の乱蝶 を避ける方向で、森林 に対 する共同関心 を作用 させ ることなどによって維持 さ れている。高槻市は森林の支配を強化で きたけれ ど も、林業活動 を通 して実質的に支配 しているのは、
現在で も山間集落共同体であるので、森林支配の強 化は山間集落共同体 との良好な関係の維持 によって 成立 している。山間集落共同体は森林支配の混乱の 中で、共同体維持 には森林保全が必要 とし、森林 と の再共生 を模索 し始めたように見える。 この再共生 はいずれ行政 を介 して、市民 と結合することは必定 である。市民 と森林の環境的価値 を共有す る森林文 化圏のような地域が形成 され得るのであろうか。
<註>
1 森林が持っている土砂流出防止機能などを示 している。
2森林の土壌のスポンジ効果等によって森林は雨水を貯 留することが知られている。
3林野庁編 『林業白書昭和63年度
』
(社団法人日本林業協 会、1991)304ある生物共同体が他の生物共同体に移 り変わる過程。
5F河内長野市市民意識調査』(河内長野市、1991) 6 F南部森林地域開発保全計画基礎調査報告書』(河内長
野市、1卿))0
7ある地域を覆っている植物体の総称。
8日本植物分類学会 『レッドデータブックー日本の絶滅 危倶植物
」
(農村文化社、1993)9民族文化映像研究所編 『奈良田の生活 と自然 とのつな が り』(早川町教育委貞会、1987)。姫田忠義 「椿山一焼 畑に生 きる
」
F民族文化資料第 4集』
(民族映像文化 研究所、 1979)に焼畑の記録が記載されている。10民族文化映像研究所編、前掲書、10-11頁に記載されて いる数字
llFかた りつ ぐ樫田のふるさと
』
(高槻市、樫田地域農業 集団組合、1985)23-2412Fかた りつ ぐ樫田のふるさと
』
(高槻市、樫田地域農業 集団組合、1985)ll13「協定行政
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『自治実務セ ミナー10巻12号』
(良書普及会、1971)52
栗本 :自然 と地域社会に関する社会学的研究
<参照文献>
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』
(築地書館、 19SX)) 飯島伸子、海野道郎、船橋晴俊他編 『環境社会学』(有斐閣ブックス)、(有斐閣、l卵3 )
井上孝夫 「八森町一青秋林道建設問題 と地域振興策の転 換
-」
地域社会学編 『地域社会学会年報第五集』
(時 潮社、 l舛1)163-184日本弁護士連合会、公害対策 ・環境保全委員会編 『森林の 明日を考える -自然享有権の確率を目指 して』
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(NwYkJ肥 W i kySmgh,1%7) 浅田彰 『構
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記号論 :
を越えて
』
(勃 . c ,草書房、1983年) 司馬遼太郎 「樹木と人」『世界』& 92号(岩波書店、1986
*9月) 31145
沼田真編 『生態学辞典増補改訂版』(築地書館、1991) R.. kIeMMi:vr、 前掲書、29頁。0
安田喜憲 『森林の荒廃と文明の盛衰-ユーラシア大陸東西 のフィール ドから
-』
(思索社、 l舛l )守山弘 『自然を守るとはどういうことか』(人間選書、
1988)
武井正臣 「入会権 と財産区に関する行政解釈」渡辺洋三編
『入会と財産区』(勃草書房、 1974)28-1m 山口正雄 『高天原 (邪馬台国)と天孫降臨一丹波の古代
史一焼畑から稲作へ
』
(山口正雄、1994)松尾幹之 『村落社会の展開構造一日本的行動規範の系譜
-』
(御茶の水書刊、1988)
姫田忠義 「椿山一焼畑に生きる」『民族文化資料第 4集』
(民族映像文化研究所、 1979) 上田賢治 『神道神学論考
』
(大明堂、l舛1)船越昭治 「資本主義の発展 と林業、林政
」
鈴木尚夫編著『現代林業経済論一林業経済研究入門-
』
(日本林業調査会、1983)7♭113