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南アジア研究 第28号 013書評・和田 一哉「篠田隆『インド農村の家畜経済長期変動分析―グジャラート州調査村の家畜飼養と農業経営―』」

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Academic year: 2021

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(1)書評 篠田隆『インド農村の家畜経済長期変動分析―グジャラート州調査村の家畜飼養と農業経営―』. 書評. 篠田隆『インド農村の家畜経済長期変動分 析―グジャラート州調査村の家畜飼養と農 業経営―』. 東京:日本評論社、2015 年、416 頁、8500 円+税、ISBN 978 ­ 4 ­535­55781­9. 和田一哉 本書は牛を重要な分析の視点とし、北西インド農村における長期的 な変動を捉えようと試みたものである。グジャラート州の中央に位置す る一農村を対象に、1984 年、1992 年、2002 年に筆者自身が行った悉皆 調査が土台となっている。加えて、2000 年代、2010 年代にも調査が行 われており、簡潔ではあるがそれらの調査結果にも言及がある。1980 年代から 2010 年代という長きにわたり追跡調査を行っている点でその 存在意義の大きさを垣間見ることができるのだが、一般的な農業経済 研究の枠にとどまらず、社会慣習など幅広く農村社会の変動をその視 野に捉えようとする点でもきわめて興味深い。 アジアにおける農業の長期変動を考える際、真っ先に想起されるの は「緑の革命」だろう。「緑の革命」とは言うまでもなく、高収量品 種の開発と導入を中心とする一連の農業技術革新による農業生産性の 急激な上昇を指す。「緑の革命」の主役は米と小麦だが、本書にあると おり調査対象の農村は半乾燥地域に位置し、灌漑の発達が遅れたこと もあって「緑の革命」はそれほど深く浸透していない。しかし、変化 の波はこのような農村にも着実に広がっている。それは、「緑の革命」 が起こる以前、独立後まもなくから着実に技術が進歩してきたこと、そ して市場経済が徐々に浸透してきたことの帰結でもある。このことは、 「緑の革命」がクローズアップされることが多い中、それ以外にも大き な変動が農村で着実に生じていたことを思い起こさせてくれる。本書 では、そのことが牛を軸にして明らかにされてゆく。このような解釈は、 必ずしも筆者が意図したことではないかもしれないが、開発経済学を 専門とする評者の観点からは、実に興味深い多くの示唆を与えてくれ ることとなっている。経済発展の過程では、技術の進歩に加え、イン フラの整備等が相俟って市場経済の広域化に伴い分業と特化が深化し てゆく。技術の進歩が従来の生産関係に変革をもたらし、大きな社会. 143.

(2) 南アジア研究第28号( 2016年). 変化を生じさせるであろうことは想像に難くない。加えて分業と特化 が深化することで市場は激変し、それを通じて社会に大きな変動がも たらされるだろう。このような点に留意しつつ、以下では各章の論点 をまとめたうえ、若干の論評を加えたい。 本書は3 部構成である。第 1 部では牛のフローとストックの詳細なデ ータを用い、家畜所有の動向を検討する内容となっている。第 1章では 土地経営階級を分析枠組みとし、牛の役畜としての機能、特に雄牛に 焦点を当てている。ここでは、技術進歩の象徴のひとつであるトラク ターの普及による雄牛の価値の低下、それに伴い土地所有・経営面積 の下方シフトが生じていることが明らかにされている。土地所有・経 営面積の下方シフトは後の章でも再三指摘され、トラクターの普及に よって生産性が向上した影響をさまざまな形で読み取ることができる。 代わって第 2 章では、雌牛と雌水牛に注目する。役畜としての雄牛の価 値が低下したことに伴い、雄牛を再生産する存在としての雌牛の価値 も低下する一方で、ミルク需要の高まりによって逆に雌牛の価値が上 昇する側面があることが示されている。加えて、ミルク生産性により 優れた雌水牛がその価値を高めていく様子が描かれる。また分析枠組 みとして「牛飼いカースト」と「非牛飼いカースト」という区分が用 いられ、ミルク需要の高まりを受けて土地資源に乏しい「牛飼いカー スト」が存在感を増しつつある様子もまた興味深い。 第 2 部では、トラクターの普及に伴い農業経営のさまざまな面に変化 が生じたことを明らかにしている。第 3 章では、農作業を行う牛の使い 手として重要であった労働力とその雇用形態に変化が生じたことが示 されている。かつては牛の使い手としての労働力の確保が決定的に重 要であったことから年雇制度が中心であったが、トラクターの普及とと もに年雇制度は消滅していったことが明らかにされている。また年雇労 働者は低カースト出身者が多かったが、トラクターの普及が生産関係 の変化をもたらし、彼らの存在形態を大きく変えたことは、開発の観 点から大いに注目されよう。第 4 章では、具体的な農作業に関してトラ クターがどのように牛を代替してゆくことになったのか、またそれに伴 って労働投下量がどのように変わったかが検討されている。ひとつの 疑問として、トラクターの普及によって労働を節約するがゆえに労働需 要は低下したのか、あるいは農業生産を活発化させるがゆえに労働需. 144.

(3) 書評 篠田隆『インド農村の家畜経済長期変動分析―グジャラート州調査村の家畜飼養と農業経営―』. 要は上昇したのかという点が提起されたものの、明確な答えは得られ ていない。第 5 章では、トラクター購入のデータが農業の投入産出デー タと組み合わされ、農業経営の変化を捉えようと試みている。トラク ター普及に伴って土地所有・経営面積の下方シフトが生じたことと、ト ラクター購入の融資制度とが相俟って、下位カーストの農業経営への 参入が可能な状況となったが、経営ノウハウを持たないがゆえの困難 に彼らが直面している状況が見出されている。ただしこれは2002 年時 点でのことであり、その後の展開が注目される。第 6 章では、トラクタ ー普及の影響からは少し距離をおき、職人・サービスカーストの動向 について考察されている。本章は1985 年に著者によって実施された副 次的な調査データのみに依拠するものではあるが、既存の資料と組み 合わせることで長期的な変動を探ろうと試みている。カーストごとの伝 統的職業と実際の職業の乖離が多く見られるようになっているが、土 地所有のインパクトは弱いとされている。一方で教育がもたらす変化 と、交通・運輸の展開――すなわち市場広域化――がもたらす変化の 影響が外的要因として重要であると述べられている。ジャジマーニー関 係職種の存立基盤は相対的に強固であるとされているが、徐々にその 存在形態を変えつつある点は、以上のように開発経済学の観点からも きわめて興味深い。 第 3 部では、牛の飼養と農業生産との関わりが検討される。第 7 章で は、牛が産み出す二つの産出物、すなわち乳製品(ミルクとギー)と 厩肥と、飼料投下の動向が検討されている。筆者独自の分析枠組みと してここでも「牛飼いカースト」と「非牛飼いカースト」が用いられ ている。三時点のインプットとアウトプットの量と額のデータが用いら れている点は注目に値しよう。ただしインプットとアウトプットとの関 連、そしてその変化について詳細な分析は行われていない。そのほか、 ミルクとギー、そしてギーの代替物としてのヴァナスパティ・ギーの消 費量のデータが提示されている点から、市場広域化の影響を読み取る ことができる。第 8 章で農作物別の生産額とトラクターを含む生産投入 要素との関連が検討されている。もともと綿花が代表的な作物であっ たが、投機性が高いとされるクミンが近年では重視されるようになって いることが明らかにされている。その背景として、農業機械化と灌漑 の展開、加えて土地や機械の導入に際して受けた融資の返済に迫られ. 145.

(4) 南アジア研究第28号( 2016年). ている状況が挙げられている。下位カーストも農地再分配や借り入れ を通じて農業経営に参入しているが、2002 年の時点では苦戦している とのことである。融資の返済で逼迫すること自体は好ましくないことか もしれないが、融資を受けられるようになっていることは、市場経済 の浸透のプラス面として捉えても良いかもしれない。2002 年から10 年 以上が経過し、農業経営に参入した人々のその後の動向が大いに気に なるところである。 第 8 章の後に設けられた 4 つの補論については本評では割愛するが、 本書が単なる農業経済研究にとどまらない懐の深さが垣間見える部分 である。結論は各章を簡潔にまとめるとともに、2010 年と2012 年に実 施した調査結果の概要が付加されている。これらは将来の研究の足掛 かりになる部分かと思われるが、鍛冶屋と大工の対照的な現況の記述 から読み取れるように、市場経済の浸透やジャジマーニー関係の変化 など示唆に富む点は多く、今後の研究がより魅力的に発展していくで あろうことを確信させる。 以上のとおり、本書は『インド農村の家畜経済長期変動分析』と題 されてはいるものの、家畜経済のみを取り扱った研究書でないことは 明らかである。牛をひとつの分析視点としてインド農村の長期変動を 幅広く捉えようとするものであり、経済学者はもちろん、文化人類学 など他分野の研究者にも実に興味深いテーマを提供してくれるものと 思われる。本書の分析で依拠するデータは筆者によって実施された長 きにわたる現地調査によって得られたものであり、それ自体存在価値 がきわめて高い。しかし一方で、その潜在可能性を十分活かし切れて いないなど、無視しえない問題点があることにも留意すべきだろう。こ こでは三点ほど指摘しておきたい。 第一に、本書の分析が依拠するのは家計を単位として把握されたミ クロデータ(家計データ)であると思われるが、それらが有する強み を十分に活かし切れていない点である。家計を対象として行われた分 析は、年次ごとに計算された相関係数や、クロス表として集計された 数値に依拠している。本来であれば多変量回帰分析を行い、他の要因 の影響を取り除いたうえで、それぞれの項目の影響を個別に検討すべ きであろう。たとえば、第 7 章で「牛飼世帯」と「非牛飼世帯」とい う区分が筆者により提案され、この区分が一定の意義を持つと結論づ. 146.

(5) 書評 篠田隆『インド農村の家畜経済長期変動分析―グジャラート州調査村の家畜飼養と農業経営―』. けられているが、単相関やクロス表による分析のみでは説得力はきわめ て乏しい。無論、多変量回帰分析を行う場合にも多くの解決すべき問 題はあるのだが、単相関やクロス表の分析から得られる結論は、他の 要因の影響を取り除いていないがゆえに過小評価や過大評価の問題が 大きくならざるを得ず、それゆえに見えるはずのものが見えにくく、あ るいは逆に見えないはずのものを見出してしまうなどの危険性をはら むこととなる。また、せっかくの家計データを村レベルでアグリゲート したうえで行われた分析も多く、ミクロデータの利点が十分活かされ ていない。サンプル数の問題もあるのかもしれないが、各家計は技術 や資産などさまざまな点で大なり小なり異なるのだから、それらを考慮 できるよう、ミクロデータを最大限活かす方向で分析手法を模索する ことが必要だろう。 第二に、1984 年、1992 年、2002 年の三時点のデータを十分に活かす ことができていない点である。本書では、基本的に各時点のデータを クロスセクショナルに記述的分析を行い、年次ごとに数値を見くらべ て検討するというアプローチがとられている。三時点の悉皆調査に基 づくデータは接続してパネル化できるはずであるから、これを基礎とし て農村の長期変動を検討することが、データの潜在可能性を活かすこ とに貢献するであろうことは言を俟たない。また金額データはすべて名 目値のまま分析に用いられているが、パネル化する際には物価を考慮 して実質値にすることも不可欠である。第一の指摘を併せて勘案する と、さまざまな面でデータを十分に活かすことができるよう、ミクロの パネルデータとして分析手法を模索することが今後期待される。 第三に、生産性に対する注意が不十分である点である。経済の長期 変動を検討する上で重要なポイントのひとつは、技術革新によっても たらされる生産性の改善である。それは、技術革新は生産要素の投入 の量と質をともに大きく変えること、またそれによって人々の生活の質 にも大きな変化をもたらすものだからである。開発経済学を専門とする 評者としては、トラクターの普及によって生産性の改善がいかにもたら されてきたのか、そして、かつて貧困に喘いでいた人々が長期的な変 動の中で生活をいかに改善してきたのか(あるいは改善できていないの か)をぜひ知りたかったところである。個々の分析から示唆されること は多いものの、十分とは言い難い。第 3 章や第 4 章で生産要素投入の変. 147.

(6) 南アジア研究第28号( 2016年). 化について、また第 7 章と第 8 章で生産性について検討されてはいる が、これらを組み合わせてより踏み込んだ分析を行うことが可能であ ろう。貧困を抜け出すチャンスを得たものの苦戦している人々の状況な どが描かれてはいるが、第一と第二の問題点とも関連して、本書にお いてこの点が十分明らかにされたとは言えない。なお生産性を問う場 合、生産量と生産額のいずれかを用いることが考えられるが、生産額 を用いる場合には実質値に変換することがやはり不可欠である。 若干の問題点を指摘したが、本書の魅力を根底から減ずるものでは もちろんない。タイトルから予想されるものとは異なり、本書は牛を 分析視点として幅広くインド農村の長期変動を捉えようとするもので ある。農業経済研究の範疇を超えてインド農村社会を描き出そうとし ている点には学ぶべきことが多い。たとえば家畜擁護院の調査を通じ、 1980 年代から2000 年代にかけて人々の牛に対する意識が変わりつつあ ることが示されている点からは、純粋に驚きを覚えるとともに、イン ドの社会経済に生じている大きな変動のうねりを感じずにはいられな い。結論の最後にも記されているとおり、第 4 回目の悉皆調査が実現さ れれば、現代インドの農村の長期変動に関してより多くの興味深い示 唆がもたらされるだろう。今後の研究の展開に注目したい。 わだ かずや ●長崎県立大学. 148.

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