印度學佛教學研究第37巻 第2號 平成元年3月 『般 若 波 羅 蜜 多 心 経 幽 賛 』 に お け る 三 練 磨 心 に つ い て 葉 阿 月 〔一 〕 仏 教 の 最 高 目標 は一 口で 言 えば, 身 心 共 に 「離 苦 得 楽 」 の境 地 に 到 達す る こ とで あ る。 この 目標 に 関す る文 句 は, 般 若 彼 羅 蜜 多心 経(「心経」, 玄婁 訳本約 260字)に おけ る前 文 に 「度 一 切 苦 厄 」, 後 文 に 「能 除 一 切 苦 」 と主 張 され てい る。 と ころ が そ れ ら二句 の 中, 後 句 は 「故 知 般 若 波 羅 蜜 多 是 大 神 兄, 是 大 明 究, 是 無 等 等 児 」 とい う文 章 と結 び つ け られ て お り, そ の 「能 除一 切 苦 」 は梵 蔵 両 経 典 に お い て "Sarva-duhkha-praamanah""sdug-bshal tham-cad rab-tu shi-bar-byed-pa"と あ る。 これ に た い して, 前句 は 「観 自在 菩 薩, 行 深 般 若 波 羅 蜜 多 時, 照見 五 慈 皆 空 」 とい う前 文 と結 びつ け られ てい るが, 残 念 な が ら, そ の 「度一 切 苦 厄 」 は梵 蔵 両 本 に略 され て い る。 そ れ に も拘 らず, 窺 基(慈 恩大師, A. D. 632∼ 682)は 『心 経 幽賛 』 に お い て 『摂 大 乗 論 』 (摂論)と 『成 唯 識 論 』 (成論)に 述 べ てい る三 練 磨 心 の 中 の 第三 練 磨 心 の主 旨 に よっ て, この 「度 一 切 苦 厄 」 の釈 文 を 述 べ て お り, 更 に第 二 練 磨 心 の主 旨 に も とつ い て, 唯 識 菩 薩 行 の実 践 論(約14,000 字)を もっ て,『 行 深 般 若 波 羅 蜜 多 時 」 の九 字 を説 明 して い る。 これ は他 の心 経 諸 註 釈 書 に見 られ ない 特 色 で あ り, そ の 重 な理 由 は 次 の二 点 で あ る と思 わ れ る。 (1)般 若 波 羅 蜜多 の 中 国的 解 釈 窺 基 は慧 浄(A. D. 578∼645)と 同様 に,「 般 若 」 とは, 従 来 の三 義(実 相, 観 照, 文 字)の 外 に, 萬 行(六 度)の 意 味 を 有す る 「春 属 」 と, 諸 法 の 義 を代 表 す る 「境 界 」 の二 義 が あ る と説 明 して い る(大 正 33. P. 524上, 続蔵41. p. 206左)。 又 窺基 は 「波 羅 」 につ い て, 従 来 の菩 提 浬 繋 義 の外 に, 所 知, 教, 理, 行, 果 の五 義 が あ る と主 張 し てい る。 か くして 両 句 に 『行 」 とい う実 践 の 義が 含 まれ て い る の み な らず, 更 に 「蜜 多 」 と は, 「離義, 到 義, 由行般若離諸障染, 境尽有無, 解 窮六蔵, 義洞真俗, 業備二因, 覚満寂 円, 斯昇彼岸, 体用兼挙, 故立此名」 と述 べ てい る よ うに, 特 に 般 若 の 実 践 義 を重 視 して い る の であ る。 (2)唯 識 法 相 宗 の立 場:窺 基 は玄奏 三 蔵(A. D. 600∼664)と 共 に 中 国仏 ・教の唯 識 法 相 宗 を 創 立 した 方 であ り, 心 経 を 註 釈 す る 前 に,『 成論 』,『喩伽 師 地論 』(喩 伽論),『 阿 毘達 磨 離 集論 』(離 集論),『 弁 中 辺論 』 等 に た い して註 釈 を書 いた 方 で あ るか ら, 彼 の 『心 経幽 賛 』 は 円測(A. D. 613∼696)の 『心 経賛 』 と異 な って,
-813-『般 若 波 羅 蜜 多 心 経 幽 賛 』 に お け る三 練 磨 心 に つ い て(葉) (213) 上 述 の唯 識 論 書 か ら唯 識 中道 説 と唯 識 実 践 説 等 の 資 料 を 多 く引 用 して い る外, 更 にそ れ らの説 を 巧 み に現 実 修 行 に 活 か し, も って苦 か らの解 脱, 更 に衆 生 の救 済 か ら仏 地 境 界 に 到達 す る とい う唯識 実践 論 を般 若 空 の 実践 論 に結 び つ け て い る。 〔二 〕 唯 識鍮 伽行 派 が 主 張 す る実 践 論 は唯 識 三 性 説 の 悟 入 か ら真 如 唯識 性 の体 験 に 至 る まで の 種 種 な る厳 しい 実 践 道(五 位等)に た いす る説 明 で あ るか ら,『 摂 論 』 に述 べ てい る 三 練 磨 心 は, 入 所 知 相(三 性)を 支 持 す る善 根 力 と し て 認 め て い る八 種(八 処, 或 は八句)の 中 の三 種 で あ る。 そ して 『成 論 』 に述 べ てい る三 練 磨 心 は, 資 糧 位 に お け る修 勝 行 に 起 った三 種 退 屈 に た いす る三 種 対 治 で あ る とい う よ うに 同 じ三 練 磨 心 の術 語 も両論 に お け る 用 途 は 多 少異 な って い る。 本 稿 はそ れ らにつ い て の比 較 研 究 に深 入 りす るの で な く, 寧 ろ 『心 経 幽賛 』 に引 用 され て い る三 練 磨 心 と関 係 あ る玄奨 訳 等 の 資 料 を さ ぐ りた い の で, 先 づ次 表 に お い て, 玄 奏 訳 の 『摂 論 』,『成 論 』 及 び窺 基 の 『成 論 述 記 』 等 に 述 べ て い る三 練 磨心 の定 義 文 を参 考 と して比 較 した。 然 し紙 幅 制 限 の 為, 本 稿 に お け る 諸表 に た いす る詳 解 と註 記 は省 略 させ て いた だ いた。 要 す る に下 述 比 較 表 に よっ て,「 成 論 」 の説 は 第 二 練 磨 心 を 除 い て,『 摂論 』 三 練 磨 心
(214)『 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 幽 賛 』 に お け る三 練 磨 心 につ いて (葉) の 説 と異 って い る よ うに 見 え るが, 然 し第 一 練 磨 心 に つ い て世 親 の 『摂 論 釈 』 三 本 は 等 し く, 無 上 正 等 菩 提 は 甚 深 広 大 に して証 得 し難 た い ことを 補 述 し て い る (大正31. PP. 200中, 295中, 350中)の で,『 成論 』 の 文 意 は そ の世 親 釈 に も とつ い た 説 で あ る と もい え る。 とい うの は, 窺 基 は 『成 論 述 記』 に初 練 磨 心 を説 明す る 前 に 『摂 論 』 巻 第 六 の三 練 磨 心 の 文 を 引 用 して い る か らで あ る。 それ 故 に『心 経 』 の前 文 で あ る 「観 自在 菩 薩 」 にた い して 発 菩 提 心 等 の 修 行 に つ い て の第 一 練 磨 心 を説 明 して い る。 第 三 練 磨 心 につ い て,『 成 論 』 と 『心 経 幽 賛 』 に 転依 の こ とを 述 べ て い る の は, 世 親 の 『摂 論 釈 』 に 「転 依 」 の思 想 を 述 べ て い る か らで あ る。 か く して, 窺 基 は 「心 経 」 に おけ る序 文 の 初 旬 で あ る 「観 自在 菩薩 」 と後 句 で あ る 「度 一 切 苦 厄 」 にた い して第 一 練 磨 心 と第 三 練 磨 心 を 説 明 した の は, この世 に住 む 人 々を して観 自在 菩薩 の如 く大 勇 気 を も って, 無 明 等 の 諸 煩 悩 か ら菩提 心 を 起 し, 身 命 を捨 て て仏 智 慧 を求 め 実践 す れ ば, 必 ず 「離 苦 得 楽 」 とい う転 依 の 仏 地 境 界 に 到 達 す る こ とが で きる こ とを確 信 させ た いか らであ ろ う。特 に 般 若 波 羅 蜜 多 の 実 践 者 で あ る観 自在 菩薩 を等 し く, 唯 識 喩 加行 の三 練 磨 心 修 行 に成 功 し た 実践 者 で あ る と見 た と こ ろ に窺 基 の 独 特 の 見解 が あ る と言 え る。 さ て第 一 練 磨 心 を 経 て第 三 練 磨 心 を 完 成 させ る 重 要 な 役割 をす る の は第 二 練 磨 心 で あ る。 『摂 論 』 と 『成 論 』 は 同 じ く施 等 波 羅 蜜 多 の 実践 に 関す る第 二 練 磨 心 を述 べ て い る。 『成 論述 記 』 に述 べ てい る 「難 修 退 」 と 『心 経 幽 賛 』 に述 べ て い る 「萬 行難 行」 は何 れ も六 波 羅 蜜 多 の修 行 は難 しい とい うこ とを 意 味 して い る。 以 上 は 『摂 論 』,『成 論 』 と 『心 経 幽 賛 』 に述 べ て い る三 練:磨心 の や や 似 た 部 分 の 説 明 を 紹 介 した の で あ る。 〔三 〕第 二 練 磨 心 にた い す る複 雑 な説 明に つ い て は 真 諦 訳 の世 親 釈 と玄婁 訳 の 無 性 釈(大 正31、PP. 200下, 414上)に も相 互 い に異 った 説 が 見 られ るが, 窺 基 は
-811-『般若波羅蜜多心経 幽賛』 における三練磨心 につ いて(葉) (215) 心 経 幽賛 に 於 け る第 二 練磨 心 の重 要 内 容 の 分 類
-810-(216)『 般若波羅蜜多心経幽賛』におけ る三 練磨心について(葉) 『心 経 幽 賛 』 に お い て, それ らの説 を省 略 した 代 りに,『 鍮 加論 』,『成 論 』,『 弁 中辺 論 』 等 の説 を 採 用 し, 或 は 新 た に 組 織 した独 自の説 を述 べ てい る の で, 本 稿 で は, 前 頁 の 如 く,『 心 経 幽賛 』 に述 べ てい る第 二 練 磨 心 の重 要 内容 を 分 類 す る と共 に, そ の 資 料(所 引の偶文 は除 く)と 関 係 あ る諸 論 書 の頁 数 を 記 し, もっ て窺 基 の独 特 な 学 説 を さ ぐる こ とにす る。 前 頁 の 分 類 表 に 示 して い る よ うに, 五 位 修 行 に 関す る 諸説(略 修行 を除いて)は 窺 基 の独 創 説 で はな い と言 え るが, 然 し広 修 行 の資 料 は, た とえ 『i喩加論 』か ら借 用 した もの で あ る に し て も, そ れ ら十 四 巻(菩 薩地 第35巻 ∼第49巻)即 ち 大 正 大 蔵 経 の88頁 とい う長 い 説 明文 を 『心 経 幽 賛 』 の6頁 に 縮 小 し, 又 それ らの文 意 を 組 織 か え した こ とは, 窺 基 の研 究 成 果 の一 種 で あ る と言 え る。 要す る に そ の 膨 大 な 資料 の梵 漢 比較 研 究 は他 日の機 会 に譲 り, 目下 そ れ らの 特 色 の一 を列 挙 す る こ とが で き きな いが, 然 し略 修 行 と し ての 境, 行, 果 の 三 種 の 中, 第 二 『修 正 行 ま に 関す る 五重 唯 識 観 の説 は 『義 林 章 』 と 『心 経 幽 賛 』 の み に 述 べ て い る説 で あ る か ら, そ の 「五 重 」 とい う五 項 目だ けが 窺 基 の新 立 であ るだ け で な く, 更 に そ の 内容 を 研 究 す れ ぽ, そ こに も多 少 な りと窺 基 の創 説 が 見 られ る。 そ こ, で, 初 歩 的 研 究 と して 次 の 二 例 を 挙 げ れ ば, (1)「遣 虚 存 実」, 即 ち空 有 相 対 唯 識 観 と は, 主 とし て, 遍 計 所 執 は虚 妄 で あ って 体 用 で な いか ら, 遍 計 所執 性 を遣 って, 諸 法 体 であ る依 他 起 性 と円 成 実 性 の 実 有 を観 ず る とい う空 観 と有 観 に た いす る破 執 の説 明等 で あ るが, 特 に 「心 経 幽 賛 」 は 「義 林 章 」 よ りも次 の文 を述 べ てい る。 「諸処所言, 一切唯識, 二諦, 三性, 三無性, 三 解脱 門, 三無生忍, 四悉檀, 四喘柁 南, 四尋思, 四如実智, 五忍観等, 皆此観 摂」。 (2)「遣 相 証 性 」 即 ち事 理 相 対 唯 識 観 とは, 依 他 起 性 の心 識 は 理 事 を 具 え て い る そ の 中 の事 は相 用 で あ るか ら, そ の事 相 を 遣 って, 理 を 性 体 と す る 円成 実性 を 証 る とい う説 明等 で あ る。 殊 に 「余 経(勝 髪経)説, 心 自性 清 浄 」(大 正33. P. 527 中, 大正45. p. 259上)と い う引 用 文 の後 に 『心 経幽 賛 」 は 『義 林章 』 よ りも次 の 文 を述 べ て い る。 「諸 法 賢聖 皆 即 真 如, 依 他 相 識 根 本 性 故 又 説一 諦 一乗 一 依, 仏 性 法 身, 如 来 蔵, 空, 真 如, 無 相, 不 生 不 滅, 不 二 法 門, 無 諸 分 別, 離 言観 等, 皆 此観 摂」 以 上 の如 く, 窺 基 は, 三 性 だ け が 有 無 相 対 唯 識 観 を 示 す の み で な く, 更 に この世 の あ らゆ る二 諦 か ら五 忍 観 等 に至 る真 理 も同様 に こ の第一 唯 識 観 に 属す る の で あ る と主張 し, 以 て第 五 唯 識 観 につ い て も, 円成 実 性 の 真 如 だ け が 事 理 相 対 唯 識 観 を示 して い る の み で な いか ら, この真 如 に等 しい 仏 性, 如 来:蔵等 の 離 言 観 も皆 こ
-809-『般若波羅蜜多心経幽賛』におけ る三練磨心について(葉) (217) の遣 相 証性 唯 識 観 に属 す る の で あ る と主 張 し てい る 特 に 結論 と して, 空 有, 境 心, 用 体, 事理, 所 王 の五 種 は この世 のあ らゆ る一 切 の相 対 唯 識 観 を 含 め た 唯識 妙理 で あ るが, そ れ らの唯 識 は資 糧 位 に属 す る四 十 心 に お い て, た とえ教 を 聞 き, 信 じ, 思惟 して心 を観 ず る とい え ど も, 未 だ 二 取 の空を 観 じてい ない。 そ れ 故 に 次 に 加 行位 か ら通 達 位, 更 に修 習 位 等 の修 行 に よ って 真 俗 識 を 観 じ, 勝 行 を起 し 実 践 した後 に 究寛 位 に 至 る の で あ る。 錐 えそ こ で更 に修 行 を しな い が, 念 念 に 能 縁 真 俗識 を具 え て い る と主張 して い る の は現 実 に適 しい 説 で あ る と言 え る。 この真 俗識 は, 勿 論 窺 基 が五 重 唯 識 観 を述 べ る前 に, す でに 『修 正 行 」 を 説 明 して い る文 の 中 に,「 計 所 執 性 唯 虚 妄 識, 依 他 起 性 唯 世 俗識, 円成 実性 唯 勝義 識, 是 故 諸 法 皆 不 離 心 」 と述 べ て い る 主 旨 に よる もの で あ る。 勿 論, こ の文 の 「不 離 心 」 の 「心 」 は, 前 述 の虚 妄 識, 世 俗 識 勝 義 識 を 含 ん で い る と共 に,「 華 厳 経 」 」 に 述 べ て い る三 界 唯 心 の 「唯 心 」即 「唯 識 」 を 意味 してい る。 そ れ 故 に, 窺 基 は 特 に 次 の如 く解 釈 した。 「唯言為遮所執我法離心 而有, 識言為 表因縁法性皆不離心, 顕法離心決定非有, 名為唯 識, 非謂一切 唯一識心更無余物, 善友悪友諸果諸因理事, 真俗皆不無故」 とい うよ うに唯 識 の真 義 は真 俗 の存 在 を否 定 し ない, もし もそ れ を 否 定 す れ ば, 如 何 な る修 行 も, 又菩 薩 が 衆 生 を救 済 す る とい う実 践 もで き ない の で あ る。 要 す る に窺 基 は依 他 起 性 で あ る虚 妄 分 別(abhtaparikalpa)の 識 性 は転 依 の前 後 に も存 在 して い る こ とを重 視 した こ とは, 彼 が 「心 経 幽 賛 」の 序文 に 弁 中 辺論 相 品 第一, 第 二:「 虚 妾 分 別 有, 於 此二 部 無 … …是 則 契 中道 」 を引 用 して唯 識 中道 説 の経 証 と した 外, 又 心 経 の 『色 不 異 空 … … 空即 是 色 」 に対 す る説 明文 に第 四:「 虚 妾 分 別 性 … … 許 滅 解 脱 故 」 を 引 用 して,「 非 謂 依 他 如 幻 之 色 亦 皆 空 」 の経 証 と した の は, 虚 妾 分 別 は 空 有 に 具 した 心識 で あ り, 又空 有 を超 越 した 中道 性 の心 識 で もあ るか らで あ る。 そ れ 故 に, この 心識 はi喩伽行 者 の修 行如 何 に よ って輪 廻 と転 依 の 真 俗 識 と し て顕 わ れ る ので あ る。 〔四 〕鍮 伽行 者 の修 行 法 の一 種 と して の 三 練 磨 心 の 「心 」 とは 何 で あ るか?そ れ は依 他 起 性 の心 識 と どん な 関係 にあ るか は,『 摂 論 』 と 『成 論 』 と 『心 経 幽 賛 』 に お い て 明 確 な説 明 を 述 べ て い な い よ うで あ る。 『摂 論 』 に顕 わ れ てい る練 磨 心 (転 心)の 西 蔵 語 は"sems-sbyon-ba"で あ る に た い し て, 長 尾 先 生 は そ の 梵 語 を"citta-uttapana"と 認 め た(「 摂 論 』 下, 講 談 社Pp. 16∼17)。 『集 論 』 に 正 断 修 習(salhyak-prahaa-bhavana)を 説 明 す る 時 に 引 用 し た 経 文 に 「生 欲 策 励, 発 起 正 勤, 策 心 持 心 」(chandajanayati vyayacchate vryam arabhate cittamra
-808-(218)『 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 幽 賛 』 に お け る三 練磨 心 に つ いて (葉)
ati cittarrc padadlrati)(大 正31. P. 684下AS. Pradhan本P. 729-2)と あ る に た い し て,『 雑 集 論 』(大 正31. P. 739下ASbh. Tatia本pp. 8622∼872)に
「若 沈 没 随 煩 悩 生 時, 為 損 減 彼 故, 以 浄 妙 等 作 意 策 練 其 心;若 樟 挙 随 煩 悩 生 時, 即 以 内 証 略 摂 門 制 其 心, 爾 時 名 為 発 起 正 勤 」(yada tu layopakle6e utpanne tad apakarsartha
prasadaniyadi-manaskaraih cittam unnamayati; auddhatyopaklese cotpanne pratyas-arnksepa-mukhena cittarh dlrarayati tada viryam arabhata ity ucyate)
と 述 べ て い る 策 心(cittam pragati), 持 心(cittam pradadhati), 或 は 策 練 其 心 (cittam unnamayati)と 制 其 心(cittah dharayati)と い う術 語 は 『練 磨 心 」 の 同 義 語 と 言 よ う。 要 す る に, 沈 没 と樟 挙 の 随 煩 悩 を 対 治 す る の に, 清 浄 等 の 作 意 に よ っ て 「心 」 を 策 練, 或 は 制 持 す る と説 明 し て い る,『 摂 論 』 と 『鍮 伽 論 』 等 に お い て は, 清 浄 行 意 の 外 に 「清 浄 」 意 楽 の 働 き を 重 視 し て い る。 た と え ば, 無 性 の 「摂 論 釈 」 に, 意 楽(asaya)が 樫 恪, 欲 尋, 悉 尋, 解 怠, 惜 沈, 睡 眠 と無 明 等 の 弊 縛 を 遠 離 した の で 六 波 羅 蜜 多 の 修 行 が で き る こ と を 述 べ て い る(P. 414上)。 『i喩伽 論 』 (P. 556中-下Dutt本PP. 22725∼2287)に, (1)「若 諸菩 薩 先於 極 歓 喜 住, 由十 種 心 意 楽(dasakarena cittasayena), 己 得 意 楽 清 浄 … … 如 是 十 種 倒 意 楽 依 心 而 転(ime dasa samyagasayds tasmilhrabhav
anti), 是故説為意楽 清浄」。
(2)「問増上心住, 菩薩転時……復 由余十浄心意楽作意思惟, 成上品 故, 極 円満故」(同
上p. 557上)(daabhir aparair akarai tem oaaasradhima tratvat paripratvad...)(同 上P. 2298-9)) と述 べ てい る。 『心 経 幽 賛 』 にお い て, 「極歓喜住, 即是初地, 如前 白品#十 大願, 皆 現円満, 由此 転名浄勝意楽 ……, 増上心 住, 即 第三地, 由前作意解了通達, 復由十浄心得入此住」。 とい うよ うに 意楽, 作 意 と心 と の関 係 を 述 て い る。 特 に 上 記(2)の漢 釈 「浄心 」 の 「浄 」 は梵 本 に略 され て い る の は, 第 三 地 にお い て も, 更 に 練 磨 心 の 必 要 が あ る こ とを示 して い る が, そ の心 は何 で あ るか は 明示 し てい な い。 窺 基 は 遣 虚 存 実 識観 を 説 明 した文 に 「識 者 心 也 」 と主 張 した 『義 林 章 』 で は そ れ につ い て, 特 にr成 論 』 の 説 と して八 識, 心 所, 相 見 二 分, 空 理 所 顕 真 如 は 皆 識 と離 れ ない か ら識 と名 く と説 明 して い る(大 正45. P. 258中 一下)。 この 説 明 文 を略 した 『心 経 幽 賛 』 にお い て は,『 心 経 』 に 述 べ て い る五 纏 の 「識 纏 」, 十 二 処 の 「意処 」, 十 八 界 の 「意識 界 」 の三 種 に対 し て, 等 し くそ れ らは 「心 ・意 ・識 」 で あ る と述 べ たが, 更 に意 識 界 の説 明 に,「 心 謂第 八 識 」,「意 謂第 七 識 」,『識 謂
-807-『般若波羅蜜多心経 幽賛』における三練磨心 につい て(葉) (219) 余 六 〔識 〕」 と説 明 した 外 に, 第 八 識 は 「善 無 覆 性 」, 第 七 識 は 「性 善 有 覆 」 で あ る とい うよ うに両 者 に共 通 した 善 性 が あ る 故 に, 両 者 の各 三 位 に活 躍 してい る各 々の 『識 」 と 「末 那 」(manas)等 に も相 互 に 関 係が あ る こ とを 説 明 し てい る。 即 ち初 位 と し て の阿 頼 耶 識 と有 覆 末 那, 次位 と して の異 熟 識 と無 覆 末 那, 後 位 と し て の 阿陀 那 識 と但 名 末 那 とい うよ うに三 対 の能 縁 の 関 係が あ るが, 喩伽 行 者 の修 行 に よ って, 初 位 の 一対 は 第 八 地 に, 次 位 の一 対 は第 十 地 に滅 せ られ る。 然 し後 位 の一 対 は無 始 か ら如 来 が 未 来 際 に衆 生 を救 済す る ま で続 存 してい る と述 記 に 述 べ てい る(大 正43. pp. 298上344上)。 以上 の 諸 学説 に よっ て, 第 十 地 に至 らない 修 行 者 の 練磨 心 とい う心 は, 阿頼 耶 識, 異 熟 識, 阿 陀 那 識 とい う第 八識 と, 有 覆 末 那, 無 覆 末 那, 但 名 末 那 とい う第 七 識 と, 思 惟 分 別 性 の第 六 識 と, 五 境 に 対 して五 種 の認 識 作用 をす る五 識, 即 ち 総 じて八 識 であ る外, そ れ らに 相 応 す る 善, 悪, 無 記 の 諸心 所 を も含 む もの を指 してい る のが 窺 基 の識 即 心 とい う意 味 で あ る と思 うの で あ る。 か く して多 種 多 様 の特 質 を有 す る心 意 識 と諸 心 所 法 を 代 表 す る 「心 」(citta)と い うもの は仏 地 に到 達 しな い前, 即 ち修 行段 階 に居 る間, 何 時 もい ろ い ろ な 煩 悩 心 所 に よ って 「心 」 (八識)が 汚 され て い るか ら, 自然 に修 行 に対 す る退 屈 心 が 起 る の で, 鍮 伽 行 者 は五 重 唯識 観 に よ って, 精 進 心, 無 厭 心, 慈 悲 心 等 の 浄 心 意 楽 作 意 を も って, 広 修 行 と して の 厳 しい十 勝 行 の十 波 羅 蜜多 を修 行 し なが ら, そ れ らの 所 対 治 で あ る 十 重 障 を 断 じて 十 真 如 を 証 る よ うに 努 力 して い るそ の心 の状 態 を 心 の 修 練, 換 言 す れ ば 「練 磨 心 」 とい うの で あ る。 〔五 〕 結論 的 に 言 え ば, 窺 基 は三 練 磨心 の 中, 特 に第 二 練 磨 心 に つ い て, 煩 し い, 且 つ 厳 しい 唯識 実践 論 を も って 心 経 の 「行深 般 若 波 羅 蜜 多 時 」 を 説 明 して い る点 に特 色 が あ る外, そ の 練 磨 心 の 心 を 唯識 説 の広 狭 義に属 す る心 意 識 心 所 で あ る と暗 示 し, 更 に 発 菩提 心 を五 位 修 行 の基 盤 とす る説 に応 じ て, 第 八 識 と第 七識 は等 し く善 性 で あ る と主 張 して い る 点 は,『 成 論 』 に見 られ ない 独 創 説 で あ る と 言 え る ので あ る。 <キ ーワー ド>窺 基, 第二練磨心, 五重 唯識観, 第八識善 無覆性 (国立台湾大学教授)