十八世紀小説とリアリズム: ノート I
著者 山本 和平
雑誌名 Kanazawa English Studies
巻 6
ページ 31‑40
発行年 1960‑08‑25
URL http://hdl.handle.net/2297/37449
十八世紀小説とリアリズムーノート
山 本 和 平
1
従来Fieldingにたいしては,イギリス・リアリズム小説の父としての肯定 的評価がなされてきた。「小説」という文学形式の定礎者としての,「ロマン ス」流行にとどめをさしたあのセルバンテスに比すべき彼の役割が,高く評価 されてきたわけである。
そのことはむろんFielding自身,はっきり自覚していた。「ロマンス」を否 定して「リアリズム」を創作の指導的理念としようという方法意識はその作 品のいたるところに明硫に表われている。たとえば"Truthdistinguishesour writingfromthoseidleromances…"(Tb"zノリ"",Bk.W,Ch.1)
新しい批評家,AmOldKettleも,その優れた小説論のなかで「小説」の発 生点を「リアリズム」と「ロマンス」の対比のなかで詳細に論じているが'〕,
そしてまたこうした対比のなかに「小説」の本質を探るのは,セルバンテスの なかに小脱の原初形態を承る伝統的小説史論の常裳であろうが,いずれにせ よ(セルバンテスに大いに負うているにしろ)Fieldingが自らを「ロマンス」
と区別するとき「リアリズム」を対立させたことは「小説」の自覚として,驚 くべき洞察だったといってよいだろう。むろん,DefOeにもRiEITRTrlsonにも 方法的自覚はあったけれど,それが新しい文学ジャンルとしての自覚であった
● ● ● ● ● ●
とはいえない。
(ところで,その方法的に自覚された「リアリズム」が作品のなかでどのよう な形で実現されているかとなるとなかなかむずかしいことになる。リアリズム とはなにかを問題の正而にすえるとなると,おそらく文学全般を相手にしなけ ればなるまいから,とても筆者の能力にあまる問題なのでここでは立ち入らな いことにしたい。)
2
こうしたFieldingの伝統的評価にたいして最近,これと真っ向から対立す 1)AmoldKettle,A〃〃"od"c"o"""gE"g"s〃Ⅳb ノ,VOl.I,Pt.I,m0Real・
ismandRomance'(pp.27‑40).