奮闘哲学
著者名(日)
井上 円了
雑誌名
井上円了選集
巻
2
ページ
207-444
発行年
1987-10-26
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00002879/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja闘
哲
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4. frJそi’f}こ}ヨII 底 :初版 大」王6ζ王5月2511 句読点あり .<、Zぷさ、ぺ’・諄 1.冊数 1冊 2.サイズ(タテ×ヨコ) 152×90mm 3.ページ 総数:510 序文: 3 目次:13 本文:494 一火正九塾五月廿二日印刷 ⋮ − ⋮大正六年遥刃廿五日嶺行 恒‖第パ十[‖ 一t ’ A「」 ww 井 上 圓 了 哲質伊東芳衆郎
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高梼,賢治
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序
言
本書は余が昨夏哲学堂において、日曜講話と夏期講習との際、講述せるものを根本とし、これに枝葉を添えた るものなるが、その中には余の百姓的学者として、平素唱うるところの持論と、とるところの主義とを腹蔵なく 開陳せるものなれば、その語中あるいは滑稽にわたり、あるいは慢言に傾き、あるいは粗雑に過ぎ、あるいは極 端に走りて、謹慎を欠き、真摯を失うごとき点なきにあらざれども、その裏面にはおのずから余の終始一貫せる 護国愛理の精神の潜在するところあれば、こいねがわくは本書をひもとかるる諸君において、その皮膚を去り、 神髄をとりて、 ︼読せられんことを。 世間一般の著書には必ず古人の金言を提唱し、西書の新句を引拠するを常とすれども、本書は一切その例にな らわず、ただ余の自ら作りし格言韻文を特書して、説明の資料となせり。読者諸君はこれを 見して、奇異に感 ぜらるべきも、余は平素物に接し事に触るるごとに、その所感を、あるいは格言に作り、あるいは韻文に綴り、 後日の記憶に備うることとなす。故にこれ余が天地の活書を読みたるときの心銘にして、これを引用するは、か えって本書の主義に合するものと信ず。諸君請う、その意を諒せよ。 本書各講の細目に至りては、各人一義、もとより余の説に同意を望むあたわざるも、もし大綱において賛成せ らるる諸君は、一葉の郵便葉書に、住所、職業、姓名を記して、左の名宛へ向け、一報を賜るを得ば、一生の本 望なにものかこれに過ぎん。そのときは必ず芳名を心友帳に録し、永世の心友として記念する心得なり。あえて 翅首してその報のきたるを待つ。 207東京市本郷区駒込富士前町住 井 上 円 了
大正六年二月五日これを記す
第一講哲学観
一 今日の学者
奮闘哲学 むかし孔子が田舎を巡回せられたときに、子供が互いに議論をしているのを見て、車をとどめ、なにを論じて いるかと尋ねたれば、一人は曰く、太陽は朝は昼よりも近いに相違ない。なぜなれば朝の方が形が大きくして、 昼の方が小さい。すべて近き方が大きく見えて、遠き方が小さく見える道理であるといい、他の一人は昼の方が 近くして、朝の方が遠い。そのわけは昼は熱く、朝は冷ややかである。すべて火は近ければ熱く、遠ければ冷や やかなるはずだといい、その判決を孔子に頼みたれども、孔子は答えることができなかった。そこで子供が笑っ て申すには、かかる問題ですら解決を与うることができぬ人を、世間にて聖人などというのは、奇怪千万である というたとの話が伝わっている。余はまさしくこれと反対の話を聞いたことがある。かつて山陰道の某地を巡回 したときに、余と随行と共に人力車に乗り、前後相連なりて走る間に、両人の車夫が互いに話を交えつつあるを 聞くに、このごろ学者の演説を聞いたが、学者ほど無益のことを心配しているものはなかろうと思うた。その話 に、長き将来には太陽が熱と光とを失い、この世界が真っ暗になり、人間のみならず、すべての生き物がみな死 んでしまうときがくるといわれたが、われわれの生きている間にそのようなるときはくるものでないから、決し 09 2 て心配するに及ばぬではないかといえば、他の車夫が学者などはみなそんな無用のことにのみ余計の苦労をしているものだといいて、互いに笑っていたことがある。この話はいくぶんか今日の学者を風刺しているように思う。 10 余はかつて自ら学者と称せらるるほどの愚でもなく、文人と呼ばるるほどの俗でもないと申したことがある。 2 今日の学者は実際になんらの用のない無益の空理を争い、空言を弄し、自らこれを得意としているものが多いが、 これらみな車夫に嘲笑せらるるの輩である。孔子と子供との問答はもとより作り話であろうけれども、もしこれ を事実とすれば、孔子の心中にては必ず困ったものだ、今[口は子供までがかかる屍理屈を争うておると嘆息せら れたであろう。孔子は実行主義で、知らざるを知らずとせよ、これ知るなりと説いてある。もし孔子の眼より今 日を見られたならば、嘆息のあまりほとんど驚死せらるるほどならんと思う。諺に上の好むところは下これに従 うというがごとく、学者が屍理屈ばかり説くから、学生みなこれに従うはもちろん、子供までが勧学院のスズメ は﹃蒙求﹄をさえずる風情にて、屍理屈をもてあそぶようになってきた。実に嘆かわしき次第である。もし世に かかる学者のみ多くなったならば、世界の将来も国家の前途も、今より大いに案じらるることと思う。 わが国の僅諺に﹁船頭多くして船山に登る﹂と唱えきたるが、余は﹁学者多くして国淵に沈み、先生多くして 生徒屋根に上る﹂と申している。また自家格言を作り、左のごとく起草してみた。 船頭多くして船山に登り、藪医多くして人墓に入る。政客多くして民巷に泣き、学者多くして国淵に沈む。 船頭多而船登レ山、藪医多而人入レ墓、政客多而民泣レ巷、学者多而国沈レ淵、 あるいはまた学者多くして国いよいよ貧しく、教育高くして民いよいよ苦しむと申してもよい。その他余の作 った俗謡がある。 学者が肥ゆれば御国がやせる、サーベルが光れば鍬鎌さびる、官吏がヌクけりゃ、民家が寒い、これでは国
奮闘哲学 が立ちゆかぬ。 あるいはこれを修正して左のごとくに改めた。 サーベルが光れば鍬鎌さびる、学校が太れば田畑がやせる、オフィスがぬくけりゃ農家が寒い、これで御国 が立つものか。 余はこの主義を七五句調の歌に作ってあるから、左に掲げておこう。 明治維新の初めより、日になり月にすすみゆく、わが人文の大勢は、広き世界にたぐいなき、ことこそめで たき限りなれ、かくて学校教育は、津々浦々に行き渡り、知識の光り赫々と、照らさぬ隈のなきほどに、な りたる点はよけれども、ここに一つの欠点は、学者と名乗る人にあり、国民指導の重任を、負うて世間に立 ちながら、西洋人の学説を八百屋のごとく並べ立つ、こは学問の骨董屋、その講演の内容は、書物の名前と 人の名を、字引のごとく配列し、われより外に物知りは、けだし二人となかるべし、などと吹き立て大威張 り、世間多くの人々は、そのうずたかき万丈の、気炎のけむに巻き込まれ、大先生とあがめ上げ、学問界の 横綱と、呼ばれて本人大得意、平素その身は万巻の、書斎の中に籠城し、窓を隔てて雨風の、いかに激しく なろうとも、われ関せずの調子にて、米のなる木も糸を吐く、蚕の虫もみな知らず、衣食をかもす汗水も、 民のかまどの寒暖も、すこしも御存知なき点は、華族の家にそだちたる、ボッチャンよりもはなはだし、た だお手柄は実際と、天涯万里隔ちたる、理想の空に舞い上り、人に無用の屍理屈を、大声挙げて説き下す、 その有様は富士山の、高嶺にひとり腰掛けて、市街の人に説法を、すると同様その声は、いかに高くも聴く 加 人の、耳に達するはずはなし、もしさなければ西洋の、学問店の取り次ぎを、するより外に能事なく、日本
の国情民心に、適せぬ説を強売し、功能ばかりを述べ回る、たまたま一家の新説を、創立せりというを聞き、 いかなる説かと立ち寄りて、よくよくみれば西洋の、陳腐の説の焼き直し、あるいはかれの学説の、二、三 を取りてまぜ合わす、その不手際は木に竹を、つぎたるよりもなお悪し、しかも自分の天職は、天と地人の 三才の、真理を究め応用を、教うる位置にありながら、天爵よりも人爵を、神のごとくに崇拝し、俗の俗な るものよりも、なおも俗なること多し、澆季の世とはいいながら、人を導く学問の、灯台かくも暗くては、 世の風教をいかにせん、いまやわが国中等の、教育受けしその人は、徒食を好み力食を、いとうように傾き て、学が進めば進むほど、ブラツキものが多くなり、家は日に増し貧乏し、国はもとより疲弊する、その罪 だれに帰すべきや、上に立ちたる学者より、手本を示す故ならん、今より後は用もなき、死学屍理屈やめに して、国を益する活学を、興すことこそ急務なれ、もしその弊をうそぶかば、コンナものかと思わるる。 今の学者は貴族で困る、飯はたべても米知らず、 わたくしゃ東京赤門そだち、米のなる木はまだ知らぬ、 知恵を磨けば鍬鎌さびる、これでは国も立ち行かぬ、 学者さんなど屍理屈ばかり、理屈で国が富むものか、 書物読むとて書物に読まれ、文字の間で立往生、 世間知らずの死学じゃこまる、活きたる学問するがよい。 死学する人しんから嫌い、屍理屈いう人なお嫌い、 西洋学問受け売りやめて、早く製造元となれ、 212
奮闘哲学 今の学者は怪物なるか、足は幽霊鼻天狗、 天狗ばかりが肩背をならべ、鼻のつきあい日を暮らす、 足はヒョロヒョロ鼻だけ高い、お化け学者の多い世じゃ、 かくと歌いしその人は、貴族にあらず百姓と、自ら名乗る学者なり、身分のほどを知らずして、位の高き学 者をば、かれこれ批評する罪は、マッピラ御免失敬と、謝してここに筆留めぬ、これも一座の狂言と、知り て笑いの種とせよ。 これにおいて余は世間の学者を貴族的と称し、余自身をば百姓的と唱えている。かつて福沢翁は平民的学者を もって任ぜられたが、余はそれよりも一段下りて土百姓的学者である。このことにつき余が自著に左のごとく題 しておいた。 むかしある殿様が自らその身に絹布をまとうて、下々の者を見るに、いたって見にくい破れたる木綿着物を きているものが多い。彼らは何故に木綿のみを用うるか、われと同様に絹布を着るように勧めてやれと、従 者のものに命ぜられたという話があるが、今日のいわゆる学者はよくこの殿様に似ているように思われる。 ただ身体につける着物と心にきせる着物だけの相違である。すなわち右様の学者は自ら深奥の学理を修め、 積年の研究によりてようやく習得したる理想的道徳をもって、己の心にきせる着物とするはよけれども、こ れを直ちに世間一般のもの、なかんずく学間もなく知識もなきものにまで着せようとする風がある。もし他 の例に比すればあたかも自ら八百善の料理を味わいて、その己の口に適するを知りたれば、直ちに八兵衛で 13 2 も吉兵衛でも、権助でもおさんでも、だれもかも、みなこの料理をたべるがよいと勧むると同様である。余
はかくのごとき学者を貴族的と申している。もし広く一般の国民をして修身斉家の道、安心立命の法を知ら しめんとするならば、学術上にて絞り出し、またはせんじつめたる道理を人知の程度、人心の状態に応じ、 その所好に適するように調理しあんばいしなければならぬ。余はもとより浅学にして、自ら学者をもって任 ずるは恥ずかしき次第なるも、ただ平素期するところはこの調理あんばいを引き受けんとするものである。 これはかの貴族的学者に比すれば、百姓的学者というべきであろう。国家的事業を経営するには、貴族の力 よりも農工商に待つところ多きがごとく、学問を普及するにも、貴族的学者よりは百姓的学者に功を帰する こと多かるべしとは、余が自画自賛するところである。 かくして余の見地より眺めれば、世の貴族的学者は高山の高く雲表に卓出せるがごとく、一望の下に人をして 仰嘆に堪えざらしむるが、もしその学化の民間に及ぼす点を思いきたらば極めて微薄である。これに反して余の ごとき百姓的学者は長江大河のごとく、だれあって仰ぐものなきも、そのよく村落に普及し、民俗に和同し、世 道人心を維持する点において貴族的学者以上なりと公言するをはばからぬ。余が数十年間に地方を巡回し、山に 臥し川に宿り、山樵野婦に対して諄々として大道を講説するも、自ら百姓的学者をもって任ずる故である。よっ て左に自作の一詩を掲げて、余の志のあるところを示しておく。 今日の学人貴族多く、自ら百姓に任ずるはただわれひとりのみ、草鮭竹杖なれば席温め難きも、願わくは皇風 をして幽谷にあまねからしめんことを。 今日学人多二貴族↓自任二百姓⋮唯吾独、草軽竹杖席難レ温、願使三皇風遍二幽谷べ その言その句あるいは自慢に過ぎ、滑稽に傾く点なきにあらざるも、自ら﹁自慢罪無し、滑稽毒無し。﹂︵自慢 214
奮闘哲学 無レ罪、滑稽無レ毒︶を唱うるものなれば、よろしく許容せられんことを読む人聴くものに望む次第である。
二 学問の時弊
わが日本帝国は人口の多き割合には土地が狭く、知識の進むに従って徒食するものが多くなり、兵強けれども 国貧し。日露戦争の結果によって世界の一等国の仲間入りはできたれども、富国強兵にあらずして貧国強兵の一 等国である。明治維新前にありてはわが国を西洋に比するに貧国弱兵の国柄であったのが、幸いに明治年間にお いて兵力だけは強くなりたるも、財力は未だ欧米諸邦と対抗するまでに進まぬ。さればその財力を養うて国の富 むようにするは、実に大正年間における国民の責任である。たとえ喧嘩するにも空腹ではできぬ。戦争するにも 貧国ではだめだ。余の句に﹁喧嘩する前に腹をばこしらえよ﹂とよみたるは、富国を先務とせよとの意である。 シナは東洋第一の大国にしてかつ古い国である。これを人身に例うれば肥満せる人の年寄りたるものとみてよい。 かかる人は必ず中風に侵されやすいものであるが、シナも今日は中風症にかかり、半身どころでなく、全身不随 の有様である。その病人を介抱する位置にある日本国はいかんというに、国の形は細長く、やせたる姿を有して いる。これを人に例うれば身長だけ高くして、体のやせたるものに比してよい。かかる人は肺患にかかりやすい ものなるが、わが国はあるいはすでに肺病の徴候をあらわしていはしまいかと思わる。これに備うる道はなるべ く多く滋養分を取りて、体力を養わねばならぬ。この意を寓したる拙作がある。 ふとりたるシナの中気にかんがみよ、やせたるわれの肺はいかにと 西洋の花を取るより団子取れ、ひもじきときは腹が第一 215かかる場合にはまず西洋の富国を学びて、わが国の財源を豊富にするように努め、すなわち種々の滋養を取り て体力を養い、その勢い肺病のばい菌を圧殺するようになり、十分健全の国柄を造り上げた後、中風症のシナを 介抱してゆかねばならぬ。しかるに実際はこれに反し、西洋より学問の花のみ取りきたりて、知識道理の一方が 進み、人はみな神経質となり、国そのものまでが神経衰弱にかかれるがごとき有様にて、肺患の予防どころでな く、かえってこれにかかるの準備をしているようなものである。それでは到底中風病者の介抱はできぬ。 西洋の格言には﹁言うよりも多く知れ﹂という語があるが、わが国の時弊に対しては﹁知ルヨリモ多ク行工﹂ といわなければならぬ。孔子は﹁言二訥ニシテ行二敏ナランコトヲ欲ス﹂といわれしはその当時の時弊を矯正せ んためであるが、今日は言にも敏なるを欲すると同時に、行いにも敏ならんを欲するようにしたいと思う。しか るにわが国人は学問を修め教育を受くれば、ますます実行を離れて空想に走り、屈理屈ばかりをもてあそぶよう になる。これは実に今日の弊風である。すなわち世人は誰弁に傾き、学生は懐疑に陥りつつあるのがわが国の風 潮である。 この時弊を矯正する任は果たしてだれにあるかというに、もとより一般の学者なかんずく哲学者にあるはずな るに、その学者がやはり屍理屈一点張りでありて、学問を己の玩弄物にし、更にこれを応用して社会国家を稗益 する方法を講ぜざる有様である。わが国にて教育の評判の最も高きは長野県なるが、余が先年その地方を巡遊せ しときに、某小学校長得意然としてヘルバルト教育学の批評を述べ、余に可否を問われたから、余はこの村の産 業はいかん、生産力はいかん、毎年の産額はいかん等と尋ねたれば、校長曰く、これわがあずかり知るところに あらざれば、よろしく役場員につきて尋ねられたしとの答えであった。国民教育をもって自ら任ずる教育家がへ 216
奮闘哲学 ルバルトの哲学を品評するをもって能事終われりと信じおるに至͡ノては、実にあきれはてたる次第である。教育 家すでにかくのごとしとすれば、その上に立つ学者なかんずく哲学者に至っては、大抵想像することができる。 むかし孔子は﹁われあに鞄瓜ならんや、いずくんそよく繋りて食われざらんや﹂といわれたことがある。今日の 学者はみな鉋瓜のごとくブラリと懸かりたるだけにてなんの用もなさぬ。しかし鉋瓜なお用があるが、今日の学 者の実用に適せざる程度は失礼ながら米虫か芋虫のようなものであるかと思う。 そもそもわが国の学者が実用実行に遠離するようになりたる原因は、むかし士農工商の階級ありしときの士尊 民卑の遺風を伝うるものにして、その当時は学問はほとんど士族の専有となり、農商を賎業となし、武士は食わ ねど高楊枝の調子をとりたる風のいまなお存する故である。かくして今日の学者は学問をもって装飾品か骨董物 のごとくに心得、これを実際に応用することを知らざる有様である。実語教には﹁山高きが故に貴からず、樹あ るをもって貴しとす﹂とあるにちなみて、余は﹁学博きが故に貴からず、用あるをもって貴し﹂と唱え、自ら格 言を作って曰く、 山はその高きをもって貴しとせず、植林の用有るをもって貴しとなす。川はその大なるをもって貴しとせず、 灌慨の用有るをもって貴しとなす。学はその深きをもって貴しとせず、利民の用有るをもって貴しとなす。識 はその博きをもって貴しとせず、済世の用有るをもって貴しとなす。 山以二其高一不レ貴、以レ有二植林之用一為レ貴、川以二其大一不レ貴、以レ有二灌概之用一為レ貴、 学以二其深↓不レ貴、以レ有二利民之用一為レ貴、識以二其博一不レ貴、以レ有”済世之用一為レ貴、 また酒は飲むべし酒に飲まるべからず、書は読むべし書に読まるべからず、の主義をとり、微力ながら自ら時 217
弊矯正の任に当たりたいと思う。畢寛するに今日の学者があまり学問と実際との間に懸隔をおき、自ら世俗と遠 ざかり、書物の中に籠城するために、実用に適せざる人物ができるのである。故に余は格言を作り、 大食胃に満つればすなわちその食消化し難し、多識脳に満つればすなわちその識活用し難し。 大食満レ胃則其食難二消化ハ多識満レ脳則其識難二活用⋮ あるいはまた多飲は身に害あり、多読は心に害ありと歌い、大食が胃を害するがごとく、多読は脳を害し、神 経衰弱症の病的学者ができるようになる。よってこの弊を除く方法として、書を知るよりも書を行うことを人に 勧めたい考えである。 むかしギリシアにありて七賢人の一人たるタレス氏は哲学の元祖と呼ばれている人だが、ある夜道を歩きなが ら星を眺めつつ天文を考え、ウッカリして堀の中ヘコロゲ込んだ。そのときに人より足元を用意なさいとの忠告 を受けたという話がある。今日の学者はこれと同じく、見ることを知りて歩くことを知らず、眼を書中に注ぎて 意を実際にとどめず、タレスの二の舞をなすものが多い。余がお化け学者の多きを嘆ずるのは、かかる目ありて 足なき学者が多くなりたるためである。かつて某書林の主人が余の宅にきたり、学者の方々がこの書物を出版す れば、必ず大当たりでもうかるに相違ないと、勧められて出版した書物に当たったことなく、こんな書物が売れ るものかといわれたものに、案外当たることがあるという話を聞いたが、これは学者に書物を見る目あって、世 間を見る目がないからである。 ある老人が己の老い去りて耳の遠くなりたるを知らずして、老人が申すには、むかしの鶏は鳴いて時を告げた ものだが、このごろは時もつくらず、あくびばかりしていると嘆息した話がある。これと同じく学者が書物ばか 218
り読んでいると、世間の事情に暗くなる。その有様は老人の耳の遠くなったようなものだ。かかる学者が世人の なすところを見て批評するのは、あるいは鶏の鳴くのをみてあくびと思うがごときことが多かろう。余が学者を 評せし語に、 富士山上の高声、邑里に達せず、赤門堂裏の大声、僅耳に入らず。 富士山上之高声不レ達二邑里ハ赤門堂裏之大声不レ入二僅耳べ という句がある。とかく学者が世人に対して論ずるところは、富士山上で呼ぶがごとく感ぜらる。もとより多数 の学者中には全く世間を離れて、読書三昧の人もあって差し支えないけれども、だれもかれもみなその風を学び、 幾十万の学生までがことごとく実際を忘れて空論に走る風があるから、余は国家のためにこの学弊を矯正したい と思う。その言自然に極端に走り、学者の悪口ばかりを述べるようなれども、余の本志のあるところを察してそ の罪を許さんことを望む。しかしてこの弊を除くには、今より後みだりに死書を読み、いたずらに死学を修むる 風を改めて、活書を読み、活学を修むるようにしたい。
三 活書と活学
奮闘哲学 古来学者が空理を争い空想に走り、実際を忘れ実用を顧みざるようになるときは、必ずその国の衰亡を招くに 至れるの例、決して少なくない。まずシナにて春秋戦国の問、議論理屈があまり盛んになり、孔孟の聖賢の力に ても、その弊を矯正することできざりしために、周朝も亡ぶるに至った。ギリシアにては学者が空理を争いたる 19 2 結果が誰弁に陥りしために、ソクラテスの大賢起こり、人倫の基礎の上に哲学を建設してその風を矯めたれども、更に議論百出の結果、懐疑に陥り、国もようやく衰亡するに至った。故に学問が懐疑に走り、世間が誰弁に陥る 20 の害は今より予防しなければならぬ。 2 この予防の任に当たるべきものは主として哲学者なるべきも、その哲学者は厩理屈の張本にして、大声僅耳に 入らざるを得意とし、ひとり天下泰平を気取り、世道人心の萎微振るわざるを見て、﹁われ関せず﹂︵我不関焉︶ の態度を持ち、芋虫ごろごろ然としてなんの用もなさぬ有様である。その講ずるところの哲学は鉄学にして、し かも鉄よりも固く、世人の知識の歯にてかみこなすことのできぬを得意としている。またその説くところの心理 学は針理学にして、重箱の隅を針にてほじくるがごとく、墳末微細の詮議をもって大手柄としている。また倫理 学は鱗理学となり、魚類にうろこあるがごとく、学問の外面ばかり光りて見ゆるが、実用には全く適せぬ有様で ある。これうろこに光りあるも食用に適せざるにひとしと申してよい。また論理学は鈍理学となっている。﹁ろ﹂ と﹁ど﹂は九州地方にては同音にして、熊本や鹿児島などでは六銭を﹁どくせん﹂といい、論語を﹁どんご﹂と いうから、論理学を鈍理学と名付けて差し支えなかろう。これを鈍理学と呼ぶのは外ではない。実際に全く関係 せざる事柄を喋々しく論じ立つる有様が、全く事理を解せざる愚鈍者のごとく見ゆるからである。 かく哲学が鉄学となり、心理学が針理学となり、倫理学が鱗理学となり、論理学が鈍理学となりたるは、わが 国の学者の罪にあらずして、西洋より伝来せるものなるに相違ないが、これ西洋哲学の短所にして長所ではない。 たとえこれを長所とみるも、わが国と西洋とは大いに事情を異にすることを心得おかねばならぬ。西洋は今日す でに国富み財豊かにして、衣食に汲々せざる境涯に達しているが、わが国は今より活動して富源を開き、財力を 養うを要する時代である。故にわが国の学者は西洋の学者よりも一層実用方面に心を注がなければならぬ。これ
奮闘哲学 に加うるに西洋にては古来より教学別途の風を伝え、学問の方は世道人心のいかんを顧みずして、研究一方に専 注し、宗教の方は世道人心を維持する実際に尽痒することとなりおるが、わが国はしからず。学問の方面にて実 際をも兼ねざるを得ざる状態なれば、その点をも酌量して方針を定めなければならぬと思う。 むかしシナにて秦の始皇が書を焼き儒を坑にせりと伝えられておるが、この当時の学者が屍理屈ばかりを唱え、 実用を顧みざるの弊風あるをみて、これを革新せんとする手段なりしは明らかである。シナに禅宗が起こり、教 外別伝不立文字を説きて一喝を与えたるも、その当時の僧侶が経文の字々句々の詮議にのみ意を用いたる反動に して、仏教の時弊矯正の一方法たりしことも明らかである。これにおいて余は哲学の教外別伝を主唱せんことに 定めた。その主義を道歌に作りて、﹁世の人の議論する間に仕事せよ、これ哲学の教外別伝﹂とよみ、また哲学に は向上門と向下門との二道がある。向上門は宇宙の真理に向かって昇進する方面にして、向下門は世間の実際に 向かって応用する方面であるが、今日の哲学は向上の一方に傾き、向下を忘れたるがごとき有様なれば、余は向 下主義をとり、禅家の向上一路千聖不伝に対し、向下一路百哲不伝と絶叫し、かつ詩を賦して曰く、 今哲徒の争理浅深、空言なんぞ達せん万民の心に、わが家の学説君知るや否や、向下の路頭別音を伝う。 今哲徒争理浅深、空言何達万民心、吾家学説君知否、向下路頭伝二別音一 と唱えている。もとより哲学としては向上を欠くことはできぬ。よって余の格言に、 向上を知りて向下を知らざる者は逆上なり、向下を知りて向上を知らざる者は下血なり、共に健全の人に非ざ るなり。 ㎜ 知二向上一而不レ知二向下一者逆上也、知二向下一而不レ知二向上一者下血也、共非二健全之人一也、
と説き、その権衡を保ち、中庸を得るは最も肝要とするところなるも、時勢の風潮に応じて学問のかじの取り加 減あることを忘れてはならぬ。すでに今日の風潮が、向上の一方に偏しておるから、学問の健全を保つには向下 の方にもっぱら力を用うべきが当然である。 今日の学者がもし向下の方面に意を注ぎ、実用の方向に心をとどめ、もって時弊を矯正せんと思わば、余のい わゆる活書を読み、活学を修むることを努めなければならぬ。ギリシアのソクラテスはアデンの市中に住して、 野外に出つることなく、毎日午前は市場に行き、午後は公園を訪れて生涯を送られた。ある人が何故に野外に出 ぬかと尋ねたれば、これに答えて、野にある草木はわれになんらの知識をも与えぬといわれたそうだ。要するに ソクラテスは、市場や公園に集まれる人を見て学問とせられたに相違ない。これすなわち活書を読み活学を修め たる人と申さねばならぬ。実にわが目前に現るる天地万物、わが周囲に交われる社会人類はみな活きたる書物で ある。筆に染め紙に印したる書物のごときは死物である。故に活学を修めんとするものは、この死書を捨てて活 書を読むようにしたい。余はかつて不読主義を唱え、左のごとき一詩を作ったことがある。 天地山河みなわが居なり、なんぞ窓下をもちいて三余を惜しまん、活学を興こし時弊を除かんと欲さば、二十 年このかた書を読まず。 天地山河皆我居、何須窓下惜二三余叫欲下興二活学一除中時弊い二十年来不レ読レ書、 また道歌もよんだことがある。余の歌は﹁うた﹂にあらずして﹁ぬた﹂である。﹁ぬた﹂にあらずして﹁ぶた﹂ である。人は己の子を指して豚児というが、余は己の歌を指して豚歌と申している。その雅号は未知句斎焉知歌 堂であるから、腰折れは通りすぎて、お化け歌、幽霊歌と名付けてよい。なんとなれば骨も肉もないからである。 222
奮闘哲学 すべてその心得にて読んでもらいたい。 天も地も人もわが家の活書なり、死書を読むより活書こそ読め 死書を見て死んだ学問するよりも、天地の活書読むが哲学 かく余が拙劣なる詩や歌を挿入するは、かえって恥をさらすようなれども、余は平素心に感じたることは必ず 格言に作り、また詩歌に綴りて後日の記憶に備うることに定めておく。故にこれは余が活書を読みたる記録であ るから特書するのである。 古人は学ばずして知るものは聖なり、学びてのち知るものは賢なりといい、孔子は聖人なるが故にその師なし と説いているが、孔子のみならず、釈迦もソクラテスも師に就かずして自ら知りたる人である。これらの聖賢は 死書を学ばずして天地人の活書を読まれたるに相違ない。しかしてこれを読むには活眼を開かねばならぬ。孔子 や釈迦のごときは生来大活眼を有したる人であるが、わが輩のごときは生来すこぶる小さき活眼を有しておるか ら、活書を読んでも孔子や釈迦のごとき人となることはできぬ。しかし誰人もおのおのその分に応じ、活眼をも って活書を読むようにしたいものである。 かくして活眼をもって活書を読み活学を修むるようになれば、始めて学問を活用することのできるようになり、 したがって時弊を矯正し得るは必然の勢いである。活眼、活識、活書、活学、活用はみな連続せる関係を有し、 一を挙ぐれば他は相伴うて起こるから、今日の死眼、死識、死書、死学、死用を医治するは、活の一薬に限ると 余は断言しておる。この方針をとりて活学問、活仏教、活教育を唱え、これを教外別伝の哲学と名付けておく。 ﹁わが道一もってこれを貫き、日々に活きんのみ﹂︵吾道一以貫レ之、日活而已︶の主義である。国を富まし家を 223
興すの道はこの外にないと信ず。仏教中の天台にては二色一香中道に非ざるは無し﹂二色一香無レ非二中道二と 説くが、余は二色一香学問に非ざるは無し﹂二色一香無レ非二学問二といい、また古人の﹁渓声はすなわちこれ 広き長舌、山色あに清き浄身に非ずや﹂︵渓声便是広長舌、山色登非二清浄身↓︶の連句に対して、﹁渓声はすなわ ちこれ活きる書籍、山色あに真の知識に非ずや﹂︵渓声便是活書籍、山色宣非二真智識二といい、﹁松は吹く説法度 生の声、柳は含む観音微妙の色﹂︵松吹説法度生声、柳含観音微妙色︶に対して、﹁松は伝う造化読書の声、柳は 現す自然修徳の色﹂︵松伝造化読書声、柳現自然修徳色︶というは、みな余が教外別伝の哲学を表示せる語であ る。その他、余の詩集中に、 雨過ぐれば春花笑い、風きたれば秋葉吟ず、窓を開きてなんぞ読まざる、造化自然の心、だれか説う人生苦な りと、見きたればことごとく楽天、水歌い山おのずから笑う、草木もまた欣然たり、山を出でて人海に入り、 最も好みてわが居を定む、世事雲のごとく千変たり、見きたればみな活くる書、万象天地に満ち、読みきたり て一宗を開く、六塵の文字の語は、よくわが心胸を写す。笑うに堪えん凡人の学、孜々として死書を読むを、 君に勧む活眼を開き、万巻宇間に寄するを、世をいといてなお俗に交わり、仙を求めて未だ山に入らず。人生 悲喜の境、自らわが禅関にあり。禅を学びてだれか壁に面する、悟りを開きてあに空を見ん。人海波を揚ぐる ところ、高呼して疾風に叱す。宇宙の由来万象新たなり、だれかいう法無くまた人無しと。もし君真如境に接 せんと欲さば、すべからく風花雪月と親しむべし。 雨過春花笑、風来秋葉吟、開レ窓何不レ読、造化自然心、誰説人生苦、観来悉楽天、水歌山自笑、草木亦欣然、 出レ山入二人海バ最好定二我居↓世事雲千変、観来皆活書、万象満二天地↓読来開一二宗一六塵文字語、能写二我 224
奮闘哲学 心胸↓堪レ笑凡人学、孜々読二死書︻勧レ君開二活眼べ万巻宇間餅、厭レ世猶交レ俗、求レ仙未レ入レ山、人生悲喜境、 自有二我禅関↓学レ禅誰面レ壁、開レ悟宣観レ空、人海揚レ波処、高呼叱二疾風バ宇宙由来万象新、誰言無レ法又無レ 人、若君欲レ接二真如境一須下与二風花雪月’親い 嘆息す今の賢、死書に耽り、知らず古聖の真如を読むを、抜山倒海笑うに堪えん、一気浩然として大虚を呑む を。 苦中楽を含めば暗中も明なり、窮後通ずる有れば枯後も栄う、厭世し悲観するは愚なることまたはなはだし、 すべからく活眼を開きて人生を読むべし。 歎息今賢耽二死書一不レ知古聖読二真如﹁抜山倒海猶堪レ笑、一気浩然呑二大虚パ 苦中含レ楽暗中明、窮後有レ通枯後栄、厭世悲観愚亦甚、須︸開二活眼’読中人生い これみな余が活書をよみたるときの感想であるから、ここに連載したのである。またその感想を格言に写した のもある。 万巻の書を読むも万人の心を読むにしかず、仰いで向上の天理を見、傭して向下の人文を察す、笑いて山色を 見れば山おのずから笑い、泣きて水声を聴けば水もまた泣く、窓を隔てて水を見れば声形に現れ、耳を覆いて 鳥を聴けば色響きを生ず、春花秋月夏風冬雪、一物として歓天楽地ならざるは無し、風颯々雨薫々たる間おの ずから歓天の響を聴き、雲漠々姻濠々たる中おのずから楽地の景を見る。天地の雄壮を見んと欲せばよろしく 烈風迅雷の中に座すべし、人生の活動を見んと欲せばよろしく肩摩載撃の間に立つべし。 読二万巻書一不レ如レ読二万人心一仰観二向上之天理↓何察二向下之人文バ笑観二山色一山自笑、泣聴二水声’水亦泣、 225
隔レ窓観レ水声現レ形、掩レ耳聴レ鳥色生レ響、春花秋月夏風冬雪、無三一物不二歓天楽地一 風颯々雨勇間自聴二歓天之響曇漠々姻濠々中自視二楽地之量欲レ観二天地之雄壮査レ坐二於烈風迅雷史㎜ 欲レ観二人生之活動一宜レ立二於肩摩穀撃間一 以上、詩句格言はすべて余が教外別伝の消息を伝うるものとみてもらいたい。要するに余の哲学は死哲学にあ らずして活哲学である。
四 東洋哲学の真相
ここに東洋哲学の真相を述ぶるにさきだち、西洋哲学の長所短所を一言してみたい。すべて西洋学の長所は物 質実験の方面にありて、その方面の研究は実に至れり尽くせりである。しかしてその結果は諸術の応用となり、 百工万器の工夫となり、鬼神迷裏の路を開拓し、造化秘中の機を発明する、に至り、余のいわゆる﹁波上に軌無く も車よく走り、雲間に船有らば人おのずから飛ぶ﹂︵波上無レ軌車能走、雲間有レ船人自飛︶の光景を現し、利用厚 生の道究め得て妙なりといってよい。この学風が哲学に波及し、精神を解剖し、真理を分析し、物質的研究の方 法を哲学の上に応用したるは\西洋哲学の長所なるがごとくにして、その実短所である。あたかも望遠鏡をもっ て絶対関内をうかがい、顕微鏡をもって精神洞裏を検せんとすると同じく、その功を奏すべきはずはない。 そもそも物質と精神とは全くその性質を異にし、物質が水ならば精神は火である、物質が色ならば精神は声で ある、物質が重量ならば精神は温度である。したがってこれを研究する学問もその方法を異にしなければならぬ。 温度を計るには寒暖計を用い、重量を知るには衡器によるべきはずなるに、物質の研究方法をもって哲学内に応奮闘哲学 用するは、衡器をもって寒暖を計らんとするに同じく、実にその愚を笑わざるを得ない。要するに西洋にありて 哲学者が、近世物質の諸学が着々功を奏し績を挙ぐるをみて、これをうらやみかつ慕い、ついにかれがとる主義 を学び、かれが用うる方法に倣い、もしこれを精神界に応用しきたらば、必ず大いに成功をみんと思い、ついに 哲学をして物学に改宗同化せしめたるのが、西洋近代の哲学である。この改宗同化によってただに哲学の品位を 下落せしめしのみならず、寸分の功績を挙ぐることできず、近世数百年間の努力は、ほとんど骨折り損のくたび れもうけにて終わるに至った。故に余は西洋哲学の短所はかえってその長所とするところにありと申している。 更に顧みて東洋哲学を一瞥するに、哲学を精神の基礎の上におき、分析解剖の方法を用いず、総合直観の大道 により、単刀直入の門を哲学界に開きたるものである。西洋哲学は牛を割くに鶏刀を用うるがごとき観あるが、 東洋哲学は牛を割くに牛刀を用うる風がある。余がかつて西洋哲学は分析的なるをもって、平地を敗渉して実地 を踏査するがごとき趣あり。東洋哲学は直観的なるをもって、山頂に登りて大観を放つがごとき趣ありといいた るも、この点を示したのである。あるいはまた自ら格言を作りて、 東洋哲学の大観は高きに登りて遠きを望むがごとし、西洋哲学の小景は室を出でて庭を歩むがごとし。 東洋哲学之大観如二登レ高而望レ遠、西洋哲学之小景如二出レ室而歩レ庭、 とも申しておる。もとより西洋哲学は物質実験の結果をもって潤色を施してあるから、一見人をして愛恋の情を 起こさしむることあるも、東洋哲学の真摯にして真面目なるは、その価値において到底かれの及ぶところではな い。この点につきて格言を作らば、 西洋哲学は花紅柳緑の態あり、東洋哲学は光風看月の趣あり。 227
西洋哲学有二花紅柳緑之態一東洋哲学有二光風霧月之趣↓ 28 と評してもよい。もし西洋哲学の中より物質的潤色紅粉を洗除し去らば、東洋哲学に比してなんらの斬新なる点 2 を認めぬであろう。 その他にも東西両哲学の異同を挙ぐれば、西洋哲学は理論の一方に走り、大は絶対を極め、細は微塵に入るほ どなるも、世道人心を維持する方面においてはすこぶる迂闊なるものである。これに反して東洋哲学は哲学上の 道理を直ちに実際に応用し、世道人心を稗益せんことを努めている。例えばシナ哲学は孔孟学派も老荘学派も帰 するところ治国平天下の道を講じ、インド哲学は婆羅門派も仏教派も共に安心立命の法を説き、一は倫理となり て世に行われ、他は宗教となりて世に伝わっている。これまた東洋哲学の特長である。西洋にては最近に至り哲 学上より実際的倫理宗教を開立せんと努力しつつあるも、未だその功を奏せざる有様である。これは従来研究の 方法を誤りたる結果とみることもできる。 西洋にて倫理を研究するにその材料を蛮人にとり、動物に徴し、最高文明の人心を動物遇し、蛮人視して道徳 を樹立せんとし、これに加うるに信念を蔑如して道理一方によらんとするにあれば、その結果かえって破壊的と なり、理性をくだき、良心をこぼつに至る。その故に功を奏することは困難である。これに反して東洋哲学は社 会を直観し、理性を内省して、道徳宗教を建設するから、効果をみること容易である。果たしてしからば何故に 東洋諸邦が振るるわざるか、何故に東洋文明が盛んならざるか、何故に東洋の倫理宗教が発展せざるかの疑問が 起こるであろう。まず第一に人よく道を弘む、道の人を弘むるにあらざることを知らねばならぬ。かく東洋の不 振を見るに至れるは、教の罪にあらずして、これを弘むる人の罪である。つまり人民が内外種々の事情より天然
奮闘哲学 に依頼し過ぎて、自ら努力することを忘れ、いかに崇高適好なる哲学あっても、これを二、三千年前のそのまま に任せ、時勢に応じて革新することを知らず、水動かざれば必ず腐り、人動かざれば必ず病むの道理にて、哲学 をして腐敗せしむるの結果をみるに至った。余が仏教は死仏教となり、儒学は死儒学となりたりと一喝せるも、 このわけからである。 この死学死教を巡らして生気を起こさしむるはすなわち革新にして、余のいわゆる活眼をもって活書を読み、 活識をもって活学を開くの方法によらなければならぬ。かくするには近来西洋より輸入せる分析解剖的研究をひ とたびわが哲学界より除去して、東洋哲学の本来の面目を開発すると同時に、今日の時勢に適合する方法を案出 するを要するはむろんである。その方法としては西洋の諸学を参考する必要も起こるであろう。しかしその間に 本末主従を誤らず、東洋固有の思想を本とし主とし、西洋輸入の思想を参考与料とし、和魂漢才にあらずして、 和身洋衣あるいは東身西衣の方針をとることは差し支えない。これと同時に空論に走り空想に陥るの弊を避け、 あくまで実用実行を重んずる方針をとらなければならぬ。 この実用実行に重きをおくは、やはり東洋哲学の特色にして、孔子は論語の中に﹁父母につかえてよくその力 を尽くし、君につかえてよくその身を致し、朋友と交わり言ってしかして信あらば、未だ学ばずというといえど も、われは必ずこれを学びたりといわん﹂と説き、または﹁入ってはすなわち孝、出でてはすなわち弟、謹みて しかして信、ひろく衆を愛して、しかして仁に親しみ、行い余力あればすなわちもって文を学べ﹂と教えたるが ごときは、みな実行に重きをおきたること明らかである。また仏教中には﹁知目行足清涼地に至る﹂と説きて、 29 実行を勧め、戒定慧三学の修行を設けてあるが、その慧は理論的にあらずして実行的である。しかるに今日わが 2
国の学風はただ一に西洋に倣い、知目のみにて目的地に至らんとし、理論的知恵のみを用いて、実行的知恵を除 30 外する傾向あるは、この際大いに革新せなければならぬ。 2 余は右の次第を豚歌につづりて、左のごとくよみたることがある。 ﹁書を読みて行うことのできぬ身は、学びし人とだれか許さん﹂また﹁百聞は一見にしかず﹂︵百聞不レ如二 見一︶の語に対して、﹁百読は一行にしかず﹂︵百読不レ如二一行一︶とも説き、更にその意を敷術して拙作を賦したこ とがある。 道義の海頭風波を起こし、人心いずれの日か春和を見る、すべからく実学を修めて民福を補うべし、百読はし かず一行の多きに。 道義海頭風起レ波、人心何日見二春和↓須下修二実学一補中民福い百読不レ加一行多、 これみな余がいわゆる教外別伝の活哲学のとるところの方針である。
五 余がいわゆる哲学観
余が教外別伝の哲学を一層明瞭するには、ここに一般の哲学につきて説明する必要がある。古来哲学の解釈が 十人十色にして、学者おのおのそのみるところを異にしている。まずここに研究の相手となる物柄につきていわ ば、宇宙に絶対と相対との別あり、世界に物質と精神の別がある。物は心に対し、心は物に対し、互いに並行対 立するものなれば、これを相対という。もしその二者の本を究め、その体一なりとみるときはこれを絶対という。 しかして哲学は物心二者相対の点より起こりて、絶対に論到するものである。まず物につきてその本を尋ね、心奮闘哲学 につきてその源を探り、あるいは物を離れて心なしという唯物論の起こるあり、あるいは心を離れて物なしとい う唯心論の起こるあり、あるいは物心二者その体一にして二ならずといい、あるいは相対即絶対という一元論も 起こってくる。これみな絶対論と申さねばならぬ。要するに哲学は理想上、物心相対より絶対に向上する学であ る。これを特に理想上と断りおくのは、宗教と区別するためにして、宗教も同じく絶対に向上する道なるも、理 想上より論到するにあらずして、実行上より接合する方である。もしこれを仏教の語をもって示さば、知目をも って絶対に向上するを哲学とし、行足をもって絶対に向上するを宗教とすと解釈しても差し支えない。 哲学は物心相対の境遇より絶対の真際に論到する学とするは、哲学の向上門である。この向上門の外に更に絶 対の域より相対界へ論下する一道があるが、これを仮に向下門と名付けておく。すなわち哲学の応用の方面であ る。もとより宗教にも向下門あれど、哲学とややその趣を異にしている。もし哲学に向上のみありて向下なきと きは、ただ学者が己の知欲を満たすまでの学となり、世道人心の上になんら益するところなきに至り、畢寛無用 の長物たるを免れぬ。よって哲学には必ず向上向下の二門を併置しておかねばならぬ。すなわち向上門は哲学の 理論に属する方面にして、向下門は実際に属する方面である。故にこれを理論門、実際門と称してもよい。 古来哲学を解してあるいは理想の学、あるいは原理の学、あるいは絶対の学、あるいは統合の学なりと称する は、すべて向上門の方面のみにつきての解釈である。そのうち統合の学という方は諸科学に対して哲学を区別し たる解釈にして、近世に起こったる定義とみてよい。むかしはすべての学問を哲学と称し、物理学まで哲学中に 加わりていたが、後に物質の学問と精神の学問とが分かるるようになって、精神方面の学問を哲学といい、更に ㎜ 精神方面中に心理学や倫理学などがおのおの独立してようやく精神的科学となるに従い、哲学は科学に対して別
に定義を立つるの必要を生じ、各種の科学は宇宙間の 部分の道理を統合する学にして、哲学は諸科学を統合し て宇宙全体の真理を考定する学という解釈が起こってきた。余はかつて諸学を政府の組織に比し、物質的科学は 地方政府のごとく、哲学は中央政府のごとしとし、その哲学に広狭二種を分かち、広義の哲学中には精神的科学 を加え、心理学、倫理学、論理学、美学、および純正哲学を合して哲学とし、狭義の哲学としては純正哲学のみ を指すことに定め、純正哲学は中央政府中の内閣のごとく、自余の哲学すなわち精神科学は八省のごとしとして 比較せしことがある。しかして宗教は宮内省のごとしとして哲学と区別してみた。これを表示すれば、 この図によって科学と哲学の関係が一目瞭然であると思う。さらに一言を付加したきは、余が本講において哲 学と単称するは、純正哲学を指すという一事である。 哲学は諸科学の各方面より研究して得たる結果を、統合する位置にあるはむろんなれども、統合するだけが決 して哲学の本務でないというのが余の持論である。けだしこれを統合する本意は宇宙の真理を考定するにありて、 宇宙全体は絶対なるべきものなれば、絶対を目的とすることになる。あたかも内閣が諸省諸府県の報告を統合す るのは、統合そのことが目的にあらずして、国家たる一絶対物を経営する方便となるに同じからんと思う。故に 余の説にては科学は相対の学、哲学は絶対の学とし、しかして哲学が科学を統合するは絶対に向上する方便にし 232
奮闘哲学 て、目的にあらずとする意見である。 かく哲学に定義を下すときは、古来哲学中に物心二元論者もあり、相対常識論者もあるが、これらは哲学にあ らざるかと質問する人あらんも、従来の二元論者も常識論者も宇宙絶対の真理いかんに向かって研究したる結果、 物心以外にその本体を発見することあたわずして起こりたる論なれば、もとより絶対考定の学と称して差し支え ない。すなわち絶対を考定せんとして向上したるものに相違ない。また虚無論や無元論のごとき絶対を否定する 論者も、これと同じく絶対に向かって進みたるものである。たとえ絶対を肯定するにしても否定するにしても、 共に絶対を探見せんとする結果によるものなれば、これを絶対考定の学と称してなんらの不都合はないと思う。 もしまた一歩を進めて考うれば、虚無論者は虚無をもって唯一の真理とし、無二の原理とするに相違ない。果た して唯一無二といえばこれすなわち絶対である。故に余は科学は相対の学、哲学は絶対の学と定義を下してよい と思う。ここについでながら自作の格言を紹介しておく。 人生向上の一気凝りて哲学と成る。人類は理想をはらみ、理想は哲学を産む。高く宇上に出で遠く宙外に遊ぶ 者ただ理想あるのみ。 人生向上之一気凝成二哲学一人類孕二理想べ理想産二哲学べ高出二宇止・遠遊二宙外一者只有二理想・耳、 これまた余が活書を読んだときの記録である。 以上は哲学の向上的方面の解釈であるから、これより向下門の定義を述べんに、そのいわゆる向下は人生を目 的とするものである。故に向上門が宇宙絶対の学ならば、向下門は人類社会の学である。向上門が絶対を考定す る学ならば、向下門は人生を改善する学である。ひとたび絶対を究明して得たる結果を人生に応用して、社会も 233
国家も個人と共に向上発展せしめんとするは、向下門の期するところである。この点につきては倫理宗教に密接 の関係あることになる。 余思うに向下的哲学にも広狭の二義ありて、広義の方にては倫理も宗教も哲学中に入り、狭義の方にてはその 間に区別ができる。まず宗教に対照するに、哲学は知識に基づき、宗教は信仰に基づく点においておのおの相異 なるも、その信仰は合理的と超理的との二種がある。これを仏教の語にていえば解信と信仰となる。解信の方は 知窮まりて信を生ずる方にして、最初は知識の力により、宇宙絶対を究め尽くして生ずる信仰である。この方は 哲学的にして、この主義によりて立てたる宗教は哲学的宗教となり、哲学の向下門の中に納まることになる。し かるに最初より知識を用いず、教権や経典に依拠して信ずるのは普通の宗教にして、哲学以外のものである。倫 理もこれと同じく哲学上究明して得たる先天の命令、絶対の喚声を本として、修身斉家を説く方は哲学の向下門 に属し、ただ経験や習慣だけによる方の道徳は哲学とすることはできぬ。よって倫理にも宗教にも、哲学的と通 俗的との二様あることを心得おかねばならぬ。しかして倫理中の経験派の功利説のごときは、通俗中の高尚なる ものとして取り扱いたいと思う。 つぎに哲学的倫理と哲学的宗教との相違いかんというに、倫理は人間を本領とし、人を人として向上せしめん とし、宗教は宇宙を本領とし、人をして超人すなわち人間以上に向上せしめんとするの別がある。故に倫理は相 対的にして、宗教は絶対的である。また動機の上にていえば、倫理は人の良心を本とし、その心底より発する先 天の命令に従う方なるが、宗教は良心の上に更に絶対の本体を既定して、ひとりその声を聴くのみならず、その 光に触れ、その色に接し、これと融合せんとするの別がある。これを要するに倫理と宗教は哲学の直接の応用に 234
奮闘哲学 して、共に向下的哲学とみてよい。しかして間接の応用に至りては諸学諸術に関係することになる。 すでに哲学に向上向下の二門あるを示したれば、更にいずれの方に重きをおくべきかを一言せなければなら ぬ。この問題の解決は時と所とに応じて軽重を異にすべきものと思う。しかしてわが国の今日の事情にては、も とより向下に重きを置くべきものと断言するをはばからぬ。ことに目下の学弊を矯正するには向下に全力を専注 すべきは当然である。しかしあらゆる事情を離れて単に哲学そのものよりいえば、向上がその特性とするところ にして、これに重きを置くべきものであろうも、もし更に進んでその向上はなんのためかと問わば、向下せんた めなりと答えざるを得ない。すなわち向下せんための向上にして、向上門は方便、向下門は目的となるであろう。 また現今にありて向上門は古来の説を反復するまでなれば、哲学の大本としては、余はすでにその理源を究め尽 くせりと思う。故に余は近来もっぱら向下の一道に全力を注ぎつつある。 かく哲学は向上を方便とし、向下を目的とするというときは、向下に基づきて哲学全体の定義を下す必要が起 こる。すでに向下は人生に応用する方面なれば、新たに定義を案出して、哲学は人生を円満にする学なりといい たいと思う。古今東西哲学の定義を下せる人多々あるも、おそらくはかくのごとく定めたるものは一人もなかろ う。これも余の哲学が教外別伝たるゆえんを領会せられたし。ただし円満の文字は活動の意を示さざれば、余の 活哲学の定義として不十分かと思う。よって更に訂正して、﹁哲学は実際上人生を向上するの学なり﹂、かく定め ておきたい。ここに実際上の三字を加えたるは、理論の向上にあらざることを示すためである。 235
第二講宇宙観
236六 余の宇宙観
これより哲学の向上門につきて、初めに宇宙観、つぎに人生観を述べんとするに、古今の宇宙観には唯物論も あれば唯心論もあり、一元論もあれば二元論もあり、超理論もあれば虚無論もありて、十人十色、千人千説、ほ とんど帰着するところを知らぬ有様である。これみな宇宙を一局部より観察したるまでにして、その諸説を統合 総括しきたらば、始めて宇宙の真相をうかがうことができるであろう。要するに古今の諸説、おのおの一理一真 ありとみてよい。これらの諸説を叙述して、その一長一短を指摘するは、哲学史の受け持ちにして、余のいま論 ずるところにあらざれば、これを略しておく。 余は先年、自家独特の宇宙観を発表して、世間の公評を請うたことがある。すなわち﹃哲学新案﹄と題する一 書である。その書中には宇宙を表面より見たるところと裏面より見たるところとを分かち、また表面において縦 より見ると、横より見るとの二様を掲げておいた。今そのいちいちを述ぶることはできぬけれども、大要を一括 して申さば、まず星雲説に基づき、世界の大初は星雲より起こり、次第に分化して万物万象を開現するに至る。 これ宇宙の進化である。しかして将来は漸々退化して元の星雲に帰ることがあるであろう。すなわち世界は星雲 に起こりて星雲に帰る。余はこれを世界の大化と名付けた。その大化には進化と退化とが循環するから、これを奮闘哲学 循化ということにしておいた。すでに世界が星界より進化して万象を開現し、更に退化して万象を閉合し、再び 星雲に帰する以上は、その星雲が更に再び開現することあるべく、また今日の世界の前には必ず前世界あるべく、 一進一退、一開一合を反復し、世界の前にも世界あり、前世界の前にも世界あり。これと同時に世界の後にも世 界あり、後世界の後にも世界ありて、無始以来、未来際を尽くして循化窮まりなしとみるのが、表面より縦に世 界を観察したる余の見解である。 この循化無窮の理は物資不滅、勢力恒存、因果相続の三大理法より必然的に起こる結論である。この観察によ るときは、幾億劫の後に今日にひとしき世界を開現し、日本帝国の再現、井上円了の再生を見るべきは、因果の 理法がわれを欺かざる限り、必定すべき推論である。ただし今日われわれを修めたる原因によりて、多少その状 態を異にすることはまた疑うべからざる道理である。故に吾人の死は、真の死にあらずして永眠といわねばなら ぬ。また今日の因がその果を後の世界に結ぶとすれば、吾人はこの世において国のために人のために有らん限り の力を尽くして、永眠に就くべきである。古語に﹁人事を尽くして天命を待つ﹂とあるが、その天命はつぎの世 界においてあらわるること明らかなれば、人事を尽くして来世を待つと心得ねばならぬ。 つぎに横より観察するときは、この世界には物心二者の対立することが分かる。しかしてその物を究尽すれば 心に帰し、心を究尽すれば物に帰し、物の極は心となり、心の極は物となる。すなわち両極の合して一となるこ とが、古来の唯物論、唯心論によりて明らかに証明せられている。あるいは唯物論が真理である、あるいは唯心 論が真理であるなどというのは、いずれも偏見にして、局外より観察すれば、この二者全く一物の両端、一体の 37 2 両面に過ぎぬことが分かる。更にその理を相対絶対の上に当てはむるに、相対を究むれば絶対となり、絶対を究
むれば相対となる。よって相対絶対も一体両面なることが分かる。ここにおいて、余は相容相含説を唱うるに至 38 った。 2 古今の哲学者中に一体両面説を唱うるものは少なくないが、その説明は死物的の考案にして、融通自在なる理 を示すことができぬ。したがって表面中に裏面を見、裏面中に表面を現ずる理を説くことができぬ。しかるに物 心の関係のごときは心中に物を見、物中に心を現し、一念中に世界を納め、一分子中に精神を含むものにして、 つまり二者相含とみなければならぬ。故に余は一体両面にして、しかも二者相含せりと立つるのである。 この相含の理によりて、古来の学説の矛盾相反する点も会通することができる。そもそも哲学の問題はいずれ にあるかというに、矛盾を会通せんとするにありて、多くの学者が苦心焦慮ただならざる有様であるが、もし相 含の理を当てはめきたらば、千古の疑団も一時に氷解することができる。よって余は矛盾すなわち真理なりと断 言したいと思う。むかし大地は平坦なりと信ぜし時代には、天地を説明するに非常の困難を感じたるも、いま大 地は球円と知りて以来、種々の疑問がたちまち解決をみるに至りしごとく、今日は宇宙の問題を平面的直線的に 解釈せんとするために、種々の矛盾を起こすのである。すなわち直線的とは物はどこまでも物、心はあくまで心 として進行する立論の意味である。しかるときは必ず矛盾を起こすを免れぬ。もし大の極は小となり、小の極は 大となり、一の極は多となり、多の極は一となり、同の極は異となり、異の極は同となり、自の極は他となり、 他の極は自となり、有の極は無となり、無の極は有となるを知り、たとえ人これを矛盾というも、その実大小、 一多、同異、自他、有無、みな相含するを宇宙の真相なりと体達しきたらば、矛盾が矛盾にあらずして真理なる ことを悟了することができる。よって一般の哲学眼より見て矛盾すと思うところが真理の存するところである。
奮闘哲学 故に余は矛盾すなわち真理なりというをはばからぬ次第である。 この相含の理はなんによりて証し得るかというに、数千年間の哲学が反復丁寧に証明してあまりありと思う。 唯物論が唯心となり、唯心論が唯物となり、一元論が二元となり、二元論が一元となり、相対論が絶対となり、 絶対論が相対となり、日月の昇沈し、寒暑の来往して反復窮まりなきがごとくなるは、全く相反する学説がその 内部に互いに相含するところあるのである。要するに東西古今の哲学史はこの相含の理を証明せる歴史と申して よい。故に一事一物、万象万化、ことごとく円転自在、融通無碍なる性質を有する次第である。もし強いてこれ に名を与うれば、宇宙の真相は円了の二字に納まると申して差し支えない。これすなわち円了哲学のとるところ である。しかるにこれを直線的論理、平面的推理をもって解決せんとするために、種々の矛盾衝突をみるに至り、 疑団百結、五里霧中に彷復するようになる。誠に偶笑すべきことである。 大地は平面なる中に球面を含め、球面なる中に平面を含むことは、何人も考察すればたやすく知了するであろ う。また世界に東西南北の方位なきも、その中に方位歴然として存し、また方位ある中に方位なきを知了するこ ともできる。これまた平面中に球面を帯び、球面中に平面を包み、無方位中に方位を現じ、方位中に無方位をみ るものにして、二者相含なるを知るべきがごとく、哲学上の宇宙問題はみなこの相含の理をもって解決を下さば、 千古の疑団一時に雲消霧散して、哲学界中に青天白日を仰ぐに至るべき道理である。シナ哲学にて陰陽の二元を もって万象万化の生起するゆえんを説明しているが、これまた陽中に陰を含み、陰中に陽を含む相含の理に外な らざるものである。仏教にて色心不二、有空相即を立つるも、この相含の理によること明らかである。しかるに 西洋はその理を知らざるがために議論百出、甲唱乙駁、その帰極するところいずれにあるかを知らぬ有様である。 239