身分法における婚姻及び親子の制度--わが現行法を
申心とする一考察
著者
仁平 先麿
著者別名
S. Nihira
雑誌名
東洋法学
巻
14
号
1・2
ページ
79-114
発行年
1971-02
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00006114/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja︿研 究V
身分法における婚姻及び親子の制度
ー!わが現行法を申心とする一考察ー
仁平 先麿
一 二 三 四 五 はしがき 婚姻法と親子法の構造 婚姻法と親子法の交錯 婚姻法と親子法の志向 結語 はしがき 身分法は今日では家族法︵湧鍵ご葺窪話9“ 身分法における婚姻及び親子の制度 壁欝一蔓衝類︶と言われる如く、 正に家族の法としての性格を明白に 七九東洋法学
八○ してきた。即ち、家族が夫嬬と親子によって構成されるのが一般的であるから、家族の法は夫婦、親子の法関係乃至 法秩序としての意義を有するのである。かくして、婚姻法及び親子法は身分法における最も重要な身分関係法として 法秩序化されるのである。 しかるに、婚姻法と親子法は相互に密接な関係を有しているので、両者を融合して家族の法として再構成する事も 興味深い問題である。だが、両者は制度的に独立的に存在するところから、未だ両者の融合統一は立注論としてもあ らわれていないようである.しかし、やがてはこれは重要な間題として提起される事になるであろう、 そのためにも、婚姻法及び親子法が現在如何に存置されているかについて考慮をなす必要がある。そして、その後 にこの両者は将来如何にあるべきであるかが考えられるべきであろう、従肇て、本稿では先ず両者の構造を概観し、 次に両者の連関としての交錯を論じ最後に両者の志向についザ、考究する事にする。二 婚姻法と親子法の構造
婚姻法と親子法はそれぞれ夫婦、親子に関する身分並びに財産関係を規律するが、右の二法が今目身分法中の主要 な地位を有している。身分法の規律の対象は夫婦関係、親子関係の他に狭義の親族関係があるが.前二者が基本的且 ︵三︶ つ本質的な身分関係であって、これが身分法の基本支桂となっている。かくして、婚姻法及び親子法を身分法申の基 礎法として老え得る。︵2︶ この二法が身分法申においてかような地位をしめるに至ったのは、わが民法では戦後における民法大改正によって である。それ以前の身分法の中心は制度的には戸主と家族の関係であったと言える。婚姻法及び親子法は戸主法によ って制約を受ける立場にあった訳であり、家族は戸主権、夫権、親権の身分的支配権によってその服従が要求された のである。ここにおいては家族の統体は法的には極めて強固なものであった。封建的家族制度が崩壊した現在におい て、かかる統体を法的に維持する事には問題もあろうが、婚姻法及び親子法が家族の新しいあり方の上に立つ統体を ︵3︶ 支える機能を有している事は否定し得ない。 家族の法の構造はその性格によって定められるが、それは概して親権に対する観念によって代表される。従って、 ︵4︶ その構造は親権の進化と密接な関係を有していたと言える。それは子の地位の上進史であると共に、また家族員の地 位の上進史としてみる事が出来るからである。家族の法が名実共に婚姻法及び親子法によって代替されんとする事に よって、身分法の対象は親族的身分関係ではなく、むしろ家族的身分関係として把握される事になろう。それは原則 として夫婦、親子の身分関係の結合に奉仕する事を意昧する。ここに新家族制度が旧来の統体性を失わない理由が存 するのである。 婚姻法及び親子法は身分法申、親族法に属するが、相続法も親族法と同様に家族的身分に関する法として認め得 る。だが、それは被相続人の死亡による財産の移動、帰属に関する規律を主たる内容とする点において、極めて財産 的色彩が強い。故に、相続法の民法中の位置づけ如何が、明治民法制定当時においても一応間題とされた事は、民法 ︵5︶ 修正案理由書によっても知り得るのである。しかし、相続法は親族法中の扶養法と共に家族の生活保障的意味をもっ 身分法における婚姻及び親子の制度 八一
東洋法学 八二
︵6︶ ているのであり、原則として家族的身分をもつ者に限ってその適用がある事から、相続法が身分法中に位置づけられ る事でよく、それが家族の法として婚姻法及び親子法の一部をなす事を全く否定すべきではないかも知れない。 家族法の構成は、e総則、口婚姻、日親子、㈱親権、㈲後見、因扶養の六つの部分からなっている。これを内容的 に言うと大略次の如くである。Oは主に狭義の親族関係に関する規定であり、口は婚姻の成立、効果及び解消に関す る規定であり、∈∋は親子関係の成立及び効果︵なお養親子間にあっては離縁をも含む︶に関する規定であ善、㈹は親 子関係の主要な効果としての子の保護制度に関する規定であり、㈲は四の補充及び禁治産者の後見人の職務に関する 規定であり.因は狭義の親族聞の主要な効果としての扶養に関する規定であると言えよう。婚姻法及び親子法はこれ らの中口.働.鱒そして例外的に面に関するものであり.両法は親族法申.主要な構成をなしている事が分かるので ある。eの総則規定はそれが夫婦、親子に直接関係する内容を有せず上述の如く狭義の親族に関する規定としてみら ︵7︶ れるので、この総則規定の存在意義がしばしば問題とされるようである。それは本来﹁親族法ノ基礎ニシテ他ノ各章 ︵8︶ 二掲ケタル規定ユ共通ナルモノ﹂であるべきであるが、そうでないとすればその存在意義は減少する事になるかも知 れない。この中でも、第七二五条及び第七三〇条等の規定は学者が非難するのであって、立法論として問題となると ころである。 婚姻法及び親子法を家族的身分の法とみると、狭義の親族法は非家族的身分或は家族外的身分の法と解されるが. ︵9︶ 後者はむしろ社会法と結びつく契機を有する。家族嫉歴史的にはその形態や機能を異にしてきたが、今聞核家族 ︵⇒蓉富鍵欝簿陣蔓︶と言われながらも、 家族の共同生活関係は維持強化されている。だが、反面では家族の解体冷︶ ︵貯讐闘蔓島8お効巳鑓瓜畠︶が著しく増加してきたので、家族の結合強化が今後強く望まれるのであり、家庭の安定 ︵11︶ 性︵馨ぎ濠蔓9夢の貯露一剃︶はいずれの国においても重要な問題となっている。 これに反して、狭義の親族は同 居をしている場合︵第七三〇条︶を除けば、共同生活が緊密に行われる事が理想ではあっても、一般にはそれが期待 し得ず、それは社会連帯︵ω〇一陣母は菰ω8芭の︶ への要請を生ぜしめる。 婚姻法及び親子法も社会法と全く絶縁して いるのではないし︵例えば生活保護法第四条参照︶、 狭義の親族法も親族的保護を否定してはいないが︵第八七七条 第二項参照︶、各々の基本的なあり方は右の如くにみられるのである。 婚姻法と親子法とについては、両者は各々独立性を有するのではなく、相互に関連し、後述するように交錯するの である。婚姻法は家族的身分を創設し規律する第一次的地位を有するが、親子法は婚姻法によって作られた身分関係 ︵鴛︶ の基礎の上に適用される第二次的地位を有するのであって、両者は元来矛盾する契機を有すると指摘される。婚姻法 が性をもとにした夫婦の法律関係であるのに対し、親子法が血をもとにした親子の法律関係であるからである。しか し、性と血はそれを超越した一つの結合体を形成するのであって、故に、家族の統体が現出するのもここにあると言 える。性関係が血縁関係を生ぜしめ、血縁関係が性関係によって生ぜしめられる事は、婚姻法が親子法の発現的作用 を有する事から当然であるが、婚姻法と親子法は原則的には性と血にその基礎をおきながらも、それのみでもってす べてを律するのではない。そこには意思︵<9窪叡︶の必要性が存する。 この身分意思は婚姻意思及び養子縁組意思 によって代表きれる。だが実親子間には意思の介入は恐らく存すべきではない。認知意思は問題となるが、認知につ いては義務性を老えるので、認知に意思は不要と解する。かくて、性は意思と必ず結合しなければならないが、血は 身分法における婚姻及び親子の制度 八三
東洋法学
八四 意思と結合すべきではないと考える。性と意思の結合が婚姻の必須の条件として認められたのは近代社会︵8息簿器 a≦誇︶に至ってであるが、血と意思の結合は近代社会においても依然として承認されてきた。殊に、私生子︵窪貯馨 同属9器} 缶鑓落ぎ﹃霧図欝斜藁罐窪罎鶏①畠蒙︶の父子関係の法的形成が父の恣意にかからせられてきた。父に与 生者としての責任を認め、私生子を保護するならば、血には意思が全く不要である事は繰り返して述べる迄もない。 さて、婚姻法と親子法とでは前者が申心的存在をなし、後者は前者の派生的関係にあると書えても、両者はいずれ がよむ上位の地位にあるかという価億概念の設定は極めてむずかしい問題であると書えよう。民法改正に際して設け られた臨時法制調査会において.殊に牧野博士と申川博士との間で親子間に﹁敬愛協力﹂の規定を認めるべきか否か ハ欝︶ について議論がなされたが、これを蒼定きれる中川博士も﹁夫婦が親子の上位というわけではない﹂と言われる。だ が、博士は﹁ただ法律関係として取上げる場合、親子関係と夫婦関係とを同じ強きに結びつけることはできない﹂、 ︵錘︶ ﹁但し未成熟の子を養う親の義務は.夫婦の協力扶助と同じように強大でありうる﹂と述べられ、親と未成熟子閥に眼 って夫婦間の法律関係と同じようにみられるようである。これに対して、牧野博士は﹁何故に、 ﹃敬愛協力﹄という 語が、従ってそこに予定せられる一種の思想が、しかし立案上当局に依って拒否せられ、夫婦と家族生活一般、特に ︵蔦︶ 例えば親子との間に区別が設けられねばならぬかに疑を有つのである﹂と言われる。夫婦間と親と未熟子間にあって は保護関係としてみれば、申川博士の言われるように両者は全く同じに考えられるが、親と成年の子との間には保護 関係は存しない。だが、この間に敬愛協力が不必要であるという事は疑間と言わぎるを得ない。子が未成熟であると きには、子の親に対する協力は期待し得ないであろうが、子が成熟すれば、論とには相互の協力が期待し得る。道徳的規定を条文化する事には闘題はあろうが、身分法が元来人倫的色彩の強い規定である事から、それを理由に道徳的 規定を排除する訳にはいかない。故に、牧野博士の右の考えをよしとしたい。しかし、夫婦、親子のいずれを上位概 念とすべきかについては、ここでも容易に結論が出ない。これは憲法との関連において判断され、理解きれねばなら ないと言える。だが、憲法第二四条が婚姻についての規定をしていても、親子についての直接の規定をしていない事 に問題生起の発端がある。これに答えるには、田中︵耕︶博士は﹁憲法に関する純法律学的智識をもって足れりとせ ︵16︶ ず、進んで婚姻や家族の本質に関する洞察及びこれらの制度と政治との関係の認識を必要とするのである﹂と指摘さ れる。故に、この問題については相当研究を要するが、夫婦間における基本理念乏共に、親子聞におけるそれをもあ わせて明記する事が、身分法が事実上婚姻法及び親子法の二大支桂によって構成されている事からも必要である。永 田博士は夫婦間における相互協力の義務が憲法上定められているに拘らず、親子間では親の子に対する教育の義務を ︵π︶ みるにとどまり、相互扶助についてはそれを民法に譲っている事を非難される。そして、牧野博士は﹁わたしは、個 入の尊敬と両性の本質的平等とは固よりさもあれ、特に敬愛協力の原則をでき得べらんば憲法にそうして少なくとも ︵18︶ 民法において明かにしたいとおもうのである﹂と述べられている︵なお、博士は憲法第二四条第一項として﹁家族生 活はこれを尊重する﹂という規定を設けるべきであるとして、貴族院にその修正案を出されたが、否決された事は周 知の事である︶。身分法が今日家族生活の指針としての役割を大きくもっている以上、道徳的規定を民法上明らかに する事が適当であり、それを最高法規としての憲法に宣言する事は家族のあり方を明確にする上で極めて望ましいと 老える。なお、この点については後にも述べる。 身分法における婚姻及び親子の制度 八五
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八六 旧法下における婚姻法と親子法については親子法が婚姻法よりもむしろ申心的な存在をなしていたと解される。か かる親子関係の重視は親子道及び忠孝思想にその根元があると言えよう。故に、親の権威と子の恭順が家族の最も大 ︵欝︶ きな倫理的基礎をなしていたと考えられる。だが、旧親子法が必ずしも子の利益保護と相反したとはみられない。親 子法が子のためのものとして比較的近代化されていたからである。親権の義務性は承認され.子の保護関係が制度的 に確立していた。ただ.婚姻岡意権は親の意思尊重にねらいがあったと言える。これに反して、婚姻法においては夫 婦は.平等ではなく、夫優位の原則を認めていた事から、婚姻法は親子法に比して極めて封建的性格を有していたと言 える。それ故、旧法においては、子の地位は比較的高く認められたが、妻の地位は非常に低かひたとみられる.だ が、騰本の家族の特殊性、就申親子関係のそれは捨て難い面を有している。宮崎︵孝︶教授はわが国の親子関係は ﹁他の諸圏家に於てみられないほど強靱なものであり.子を離れて親なく、親を離れ∼ナが存在しない程のものであ ︵2 0︶ る﹂と述べられている。そして、それは﹁わが国においては、親子関係を申心とする家族制度の歴史も極めて古く、 地勢に基く相対的孤立性と大なる自然力に対する関心とが、わが国の家族制を特殊なものたらしめその独自な発達を ︵綴︶ 促した﹂ところの﹁特殊の国情﹂にその原因を求められている。戸田博士は親子の結合は生物の個体闘の結合の中で ︵22︶ ﹁最も緊密である様である﹂と言われるが、その親子結合の差が﹁主として社会的慣習により、社会的強制に基いて ︵お︶ 起ったものである﹂と指摘されて.宮崎教授の見解の正当性を論拠づけられるのである。現在においても.社会的慣 習が以前と比べて急変していないとするなら、親子関係のかかる特殊的性格を認め得るであろう。 次に、婚姻法及び親子法の構造について各々みよう。婚姻法は夫婦の肩居、協力、扶助の義務︵第七五二条︶と夫婦財産制︵第七五五条ー第七六二条︶とを基礎として成り立っている。だが、財産的要素は身分的要素の手段的なも ︵24︶ のとみられるので、同居、協力、扶助義務が婚姻の申核をなすものと言える。そして、貞節の義務が婚姻の本質︵①ω斧 ︵25︶ 窪83二屡霧鼠甜①︶をなすのである。同居義務、協力義務及び扶助義務は夫婦の生活共同のための不可欠の要素で あり、これらは相互に深い関係を有しているので、このいずれをも欠き得ない。同居義務については、わが民法は英 米独仏等のように別居︵ω8鴛鉾δ掛ω9巽簿§ρ留8慈ω︶を認めていないので、例え離婚訴訟中であっても、離 ︵26︶ 婚の判決のある迄は夫婦は同居義務を負う。この場合に夫婦別居の仮処分を求める事も出来よう。同居義務は正当な 事由によって免れるが、右の例は無論それにあたらない訳である。なお、同居は親子間においても要請され、それは ︵貯︶ 極めて重要な意味をもつ事は勿論である。協力義務については扶助義務との間でその意昧が問題となろう。これに ついては後にも述べるが、これはフランス民法第一二二条の夫婦の保護義務︵号<・騨伽.霧巴馨弩8︶と扶養義務 ︵留<○罵留器8畦ω︶との関係に極めて類似していると言えよう。プラニオル並びにりペルト︵国き§9匹需耳︶ によると、保護とは病気または虚弱な配偶者に精神面において世話をなす事であり、従って、これは﹁なす義務﹂ ︵28︶ ︵○ま一蒔簿す一号貯牌①︶であって、扶養義務が﹁与える義務﹂︵○び一蒔餌江OP号a費ρR︶であるのと異なるときれる。 ︵器︶ そして、扶養とは配偶者が生活するために必要であるすべてのものを供給する事であると解しているのである。これ はわが民法においても同様に考えられようが詳細は後に譲ろう。 夫婦財産制は契約財産制と法定財産制とに分かれるが、前者は婚姻前にその登記をなさねばならない︵第七五六 ︵3 0︶ 条︶等若干面倒な点も存しており、これはあま力行われていない。だが、今鷺妻が財産を所有する機会が多くなった 身分法におけろ婚姻及び親子の制度 八七
東洋法学 八八
︵綴︶ ので、 ﹁夫婦財産契約を明確に取り結んでおく必要は旧法時代よりはるかに多くなった﹂と言われる。それでも、一 般には法定財産制が行われるのであるが、これについてはわずか三ケ条の規定をおくに過ぎない。これを内部的関係 と外部的関係とにおいてみる事が出来る。前者は婚姻費用分担に関する規定︵第七六〇条︶及び夫婦の特有財産並び に帰属不分明財産共有の推定に関する規定︵第七六二条︶である。また、後者は日常の家事債務についての夫婦の連 帯責任に関する規定︵第七六一条︶である。だが、夫婦財産制の内部的関係においては.夫婦の対等独立性と実質的 ︵澱︶ 共同性とを認めるので、これはむしろ矛盾を内含せしめるという事が学者によって指摘審れるのである、 かか ︵欝︶ る矛盾は夫婦関係が正常であり、円満である場合には間題化される事はないのである、 親子法は既述のように血による関係と血によらざる関係の二つを規律するが、しかし.血による関係が明肖でない 場合が存するために、血によらぎる関係は現行制度上養子縁組にのみ限られる事はない。例えば左の場合にそれをみ 得る。婚姻申に出生した子が婚姻外の男性の子である場合︵父が嫡出否認権︵第七七四条︶を行使しないときには原 ︵謎︶ 則として後鷺父子関係を争えない︶、 入工授精子である場合︵A・亙・HにしろA・亙・Dにしろ同様に言えよう︶、 父を定める訴︵第七七三条︶において父子関係が誤まって認められた場合、更には不貞の抗弁をなし得る状況におい て真実の父でない者が認知により父となった場合等を挙げ得よう。これらの事例は真実の親子関係が存するか否かを 争う事を最早やよしとしない事や、またそれを争っても真実の発見が不可能であるという事による一つの妥協策であ ると言い得る。法はこれら非血縁の関係を血縁の関係とみなしている事は、実親子関係が血を絶対的な基礎とする事 の不可能性に起因するのであって、かくて、真実主義乃至血縁主義の貫徹について断念する事を余儀なくせしめるのへ誌︶ である。だが、親子法における非血縁の制度の典型は言う迄もなく養子制度であうて、それは近時子のための所謂他 児養育の制度としての役割をもつに至り、親子法上における養子制度の性格がこれによって改変され、それが極めて ︵36︶ 近代化への道を歩んできている事は疑い得ない。かくて、養子制度の機能は単に父母のない子に親を与え、或は非嫡 ︵37︶ 出子を嫡出化せしめるという事だけではなく、無産者としての境遇にある子の経済的保障としての社会的役割を有し ている事も看過し得ない。 親子法は婚姻法によって条件づけられる事から、その基本的構造は嫡出子と非嫡出子との身分関係を中心に成り立 っていると言わねばならない。嫡出子は生来のもの、準正︵一罐葺憲簿δ夢獄αQ蕊露鉾一墜︶によるもの及び養子によ るものとに分け得るが、前二者はその区別の実益は殆んど存しないであろう。だが、これらを養子と比較すると大き な差異がある。わが養子制度が特別養子の如き絶対的身分固定化を認めず、従ってそれは養親子関係の解消︵離縁︶ を認めねばならない点にある。ここに意思による結合の避け得ない幣害があり、それは婚姻についても同様である。 ︵3 8︶ なお、嫡出子と非嫡出子とでは、相続、親権、氏等について差別的取扱いを得けなければならないが、それは言う迄 もなく婚姻制度︵殊に法律婚主義︶によって生ぜしめられる差別であって、これは婚姻尊重思想からする当然の帰結 であるかも知れない。婚姻尊重と非嫡出子保護とはかように相反し、両者は言わば﹁永久のジイレンマ﹂であるとし ても、これを安易に社会、国家の責任に転嫁させる事には問題があろう。既述のように原則としてその父に責任を負 わしめるべきだと考えるが、いずれにおいても、子と父との問に親子関係を認めるべきか否かの問題が生じよう。子 の扶養を国家が負うソビエトではこれを否定し、また、子の扶養を国ではなく父に負わせているドイッにおいてもこ 身分法における婚姻及び親子の制度 八九
東 洋 法 学 九〇 れを否定している︵ドイッ民法第一七〇八条︶。 しかし、それは子に親殊に父を与えるという入間の根元的要求を無 視する事にもなるので、これに全面的に賛成する訳にはいかない。 非嫡出子は認知きれた子と認知されない子とに分け得る。非嫡出子の母子関係は分娩の事実によって原則として甚・ ︵論︶ の成立を認め得るが、父子関係は言う迄もなく認知によってのみ法的に承認されるので、非嫡出子にとって認知は極 めて重要である。認知についてその義務を父に負わしめるべき事は既述したが、認知は種々の制眼によって父子関係 成立を困難にしているので、立法論としてそれは問題とされるべ認である.その制限には、の胎児の認知に対する母 の承諾︵第七八三条第論項︶. 口成年の子の認知についての子の承諾︵第七八二条︶、 臼死後認知は三年以内の提訴 期間とする事︵第七八七条︶、 ㈱死亡した子を認知するにはその直系卑属が存する事︵第七八三条第二項︶及びその 直系卑属が成年者であるときはその承諾を要する事︵同項︶等がある。これらはそれぞれ政策的理由によって認めら れるに至ったが、父子関係の成立を出来る限り容易になさしめる見地からすれば、むしろ無制限であるべきであろ うo 爾︶ 親子法の構造上その中心的位置をしめるのは親権制度であると考え得る。これは親子の保護関係の﹁申核﹂をなし ており.その性格如何が家族成員の法的地位に大きな影響を与えた事は既述の通りである。親権は身上に関する権利 義務︵瓢霧幻①o簿黛鉱象①凝誉簿鷺糟&Φ噴RG ・○夢一霧魯鉱欝薄︸窃階く鉱凄む ・鶏獲鷲議○浸お︶と財産に関す る権利義務︵蜜ω幻9窪鰐昌鳥象⑦凝浮簿譲嫌舞ωくR黛8霧﹂Φω無a諾簿一霧脅ぎ甘ωの一餐δωびご諺︶とから ︵毒 成り立っているが、親権の本質的意味は前者にあると老えられるので、身上監護権は親権の中心釣要素をなすと言え
︵4 2︶ よう。これにはその手段的意味をもつところの居所指定権︵第八一二条︶、 懲戒権︵第八二二条︶、 職業許可権︵第 八⋮二条、だがこれは財産的要素をも有する︶、 子の引渡請求権、命名権、身上代理権︵第七八七条、第七九一条第 二項、第七九七条、第八〇四条、第八一一条第二項︶等がある。 また、財産管理権には管理権︵第八二四条本文︶、 代表権︵同条︶、同意権︵第四条︶、取消権︵第二一〇条︶、 追認権︵第一一二一条本文参照︶、 取益権︵第八二八条但 書、なお、これを否定する有力な見解がある︶がある。親権概念は必ずしも明らかであるとは言えず、親権の構成も ︵賂︶ 分散的であるので、それは個々の権利の集合︵窪ω①諺玄①︶としてとらえられるのである。それ故、親権の範囲を法 上定める事は不可能であるときえ言われるのである。 親子間における扶養は子が未成熟である限り、夫嬬間におけると同様に所謂生活保持の義務が認められるべき事に ついては言う迄もないが︵三の註Gり参照︶、 その根拠については問題がある。それをe親権にかからせるもの、口第 八七七条の扶養の規定に従うもの、日親子の関係から当然に生ずるとするもの等があるが、9は非親権者は扶養義務 を免れる事になるので妥当でないが、生活保持義務を認める以上、口でも日でもその結果において違いはない。 ︵翼︶ なお、婚姻法及び親子法において規定されるべき事項について付言すると、前者は婚約及び内縁が、後者は人工授 ︵弱︶ 精︵︾ぽ渥息巴ぎωΦB一葛鉱○欝ぎ器日ぎ鋤賦魯︾暦瓜艶息亀o︶が検討されるべきであろう。 ω註 中川善之助﹁親族法︵上︶﹂ ︵現代法学全書︶ る。 身分法における婚姻及び親子の制度 二頁は夫婦、親子及び狭義の親族の三つの身分を基本的身分関係としてい 九一
(婆)(3〉(2) (61欄 農o)(9H8/(7) (王5H王4Hi3〉(12Hi玉)
東洋法学
九二 ﹁法律史上に於ける近世は実にこの婚姻法及び親子法の独立に始まるとも云えるのである﹂︵中川﹁略説身分法掌﹂六頁︶。 申川﹁身分法の特殊性﹂ ︵法学教室第二号︶三四頁参照。 例えば、古代・ーマの℃纂霧は子に対して生殺与奪の権利をもっていたのみではなく、その家族に対してもそれをもって いたが︵鵠霧鼠留9巳器鷺∫び餌鳥継節篤藁器︸卜 。、騨讐aミお§噂碁8田辺訳﹁古代都市︵上︶﹂一八一頁、中川 ﹁親権法の発達﹂ ︵私法第六号︶五七頁、船田享二﹁羅馬法第四巻﹂二四頁以下︶、ゲルマンの家父は鷺鍛纂をもって 子及び家族の保護者としての性格を次第に有するに至った︵未川博﹁親権の進化﹂ ︵民法に於ける特殊闘題の概究︵第一 巻︶所収︶讐○八頁以下、申川前掲論文︵私法︶五八頁.簿窯葺騰欝⇔鶏鍵9鍵翠ぞ纂讐繋剛静搭鐙嫌轡$津︶ 民法修正案理由書二二二頁. 中川﹁家族形態と相続形態﹂ ︵家族法研究の諸閥題所収︶二八六頁、同﹁棺続の生滴保障的機能について﹂ ︵同︶二九二 頁以下.殊に三〇七頁、 川島武宜﹁イデオ鞭ギーとしての家族制度﹂一九〇頁。 民法修正案理由書二頁。 沼正也﹁財産法の原理と家族法の原理﹂妻二頁。 アメリカでは驚鼻窪賦鼠類霧の申、未亡人となったのが七一二%、離婚が九・鷺%、別居が七二%であり、一九 四〇年ではこれら合計は全家族の一七・八%をしめている︵罧男密簗8携霞餌灘凶轟の欝傷簿Φ欝菖ぎ 一④禽︸慧“ 饒○∼①憲︶ 竃餌畿蒙蕎営o 毎け飢Pい鋤譲o騰回︶讐g8鎌鉱る ○欝駕瓢蔓鼠露鴛鉱餌磯やOく効漆瓢の嫡蕉謬び鋤墾涛①タ矯℃●総ら o︵一¢醗︶ 重松俊明﹁家のあゆみ﹂ ︵末川等﹁うつりゆく家﹂所収︶二二二頁。 中川﹁家族主義と改正民法﹂ ︵法律タイムズ第二巻第二号︶五〇頁。 申川同論文五〇頁。 牧野英一﹁民法の改正と家族主義﹂ ︵法律新報第七四〇号︶四頁。(王9)(18)(助(16) (2の②6)②5)(24)②3)②2)⑦i〉②① (3鋤(31)(30)(29)②8) 田中耕太郎﹁家族の祉会哲学の必要について﹂ ︵ケース研究・調停制度施行三十周年記念特集号︶四頁。 永田菊四郎﹁民法改正の方向﹂ ︵中村宗雄教授還暦祝賀論集﹁訴訟法学と実体法学﹂所収︶五二頁。 牧野前掲論文三頁。 川島﹁日本社会の家族的構成﹂七七頁。なお、現行法においても、孝道が否定されている訳では勿論ない。﹁親に対する 子の孝道についても民法は信義則の問題として扱いその具体的内容は道徳、社会条理等に委ねたものである﹂と解すべき であろう︵川添清吉﹁法律と孝道﹂ ︵青山法掌論集第三巻第二号︶六六頁。 宮崎孝治郎﹁新民法の実施性に関する研究口﹂ ︵民商法雑誌第二六巻第一号︶九頁。 宮崎同論文八頁ー九頁。 戸田貞三﹁親子の結合に就いて﹂ ︵家族の概究所収︶一八三頁。 戸田同論文一九九頁。 林儒雄﹁夫婦の同居協力義務﹂ ︵家族法大系π婚姻所収︶一七二頁は、それを身分的効果の中核とみる。 譲●①け炉竃震$瓢鳥簿蝉鷺震s錯像vビΦ8霧留象○淳oぞ算什‘ごお08β。一〇ミ 東京控判明治三八年二月二〇日法律新聞第三二一号二頁。 児童権利宣書第六条は﹁⋮−児童は、できるかぎり、その両親の愛護と責任の下で、また、いかなる場合においても、愛 情と道徳的および物質的保障とのある環境の下で育てられなければならない。幼児は、例外的な場合を除き、その母から 引き離されてはならない⋮⋮﹂と定めている。 置惣き§gρ匹冨苫↓贋鉱篇蝕伽旨g9詫Φ留身o津9<一一︸鉾 賛おG 。貸昌。Φ嵩 鼠。男一鋤巳o一①けρ浅需旨︸oや鼠けこ欝。8藤 小池隆一﹁身分法概説﹂五〇頁、我妻琵立石﹁親族法相続法﹂ ︵コンメンタール︶一〇五頁。 我妻経立石同書一〇七頁。 田中実﹁財産分与の一考察﹂ ︵法学研究第二八巻第六号︶二頁。だが、夫婦の対等性、独立性は極めて形式的であって 身分法における婚姻及び親子の制度 九三
(35〉(3姶133) ㈱緬/ (38) (3馨) (磁H嵯G〕 1護2) 〈嬉3)
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実質的な共同生活における財産関係を適切には反映していないと言われる︵申川淳﹁家族法上の妻の地位﹂ ︵ジェリスト 第四ご二号︶一四〇頁。 田中︵実︶前掲論文二頁。 小池﹁人工授精とその法律閥題﹂ ︵法学研究第二五巻第八号︶一〇頁。 鈴木禄弥﹁実親子関係の存否につき、血縁という要素は絶対的なものか﹂ ︵民法の基礎知識ω所収︶一七〇頁以下、殊に 一七七頁以下参照。 申川﹁養子制度の発端と推移﹂ ︵前出家族法研究の諸闘題所収︶=一〇頁以下、殊ー︸薫︸翼。 殊にイギリス養子制慶は私生子救済として大きな機能を有している︵田申︵実︶﹁イギリス養子制度の心考察﹂ ︵育山道 夫教授還暦記念﹁家族の法社会学﹂所収︶三〇五翼以下、山本正憲﹁養子と里子﹂ ︵神戸法学雑誌第二巻第一号﹀六九 翼︶。二十世紀養子法は子の福祉のための制縫と考えられることは言う迄もない︵山轟正男﹁養子制度︵家族閥題と家族法 親子所収︶二七三買以下。 だが、 ソどエトでは一九一八年親族法及び一九二六年婚姻・親族・後見法によって嫡出子と私生子との差。別が撤廃きれ、 子は国家的保護を受けるに至った。 判例は傍論としてではあるがこれを認めるに至った ︵最判昭和三七年四月二七欝民集第︸六巻第七号ご一四七頁︶。学説は これが多数説である︵田村五郎﹁母の認知﹂ ︵家族法大系W親子所収︶四五頁以下に学説の詳しい紹介がある︶。 ρ駕鴛蔓簿蝉鱒錯鑓舞鼻ご誘溶島く沖漕 ご緯。<鼻お9欝。麟濾︵親子関係の本質は親権の申に含まれるとする︶。 80霧ぎ墜拶さごき搾瓢く鮮轡喫ご一零毅噂る黛木村健助﹁親権者の監護教育権﹂ ︵民商法雑誌第一三巻第一号︶三八 頁、富川澄﹁民法掌下巻︵身分法︶﹂ヨ四一頁参照。 親権中教育権を重要視する︵ρ注需急霧8切蒙ぎ薦⑫騰”遍.戦鉱継蝕伽鷺①蓉籔器富無o詳息叢留惣器幽9ρジお9 覧の榊o O鐙簿榊O o8︶ 竃瞥︾鉦鉱o回簿ρ蒙驚講︸8鳥息f び。一8①ρ覆需欝簿ト 雛○巳器α疑段”ε⇔鼠f 欝。一〇 。器9竃錠蔓舞播鯛 (45) 殖餌看雲μo℃.鼠紳こ毫器o。締3ぴo舅脚80や飢什●︾℃唇翫O旨憐・導①。器P廿叡。箭餌oUε詳9<欝営 廿φαω& 8 0鎖ω鮎92畷ω○欝ロ錠?○器oポ 一①ωα8搾のα①富鷺驚¢o 。“残一、のp融簿︶PG o㎝ 法制審議会民法部会身分法小委員会では婚約及び内縁について規定を設けるべきか否かが問題ときれ、留保事項となって いる︵外岡目高野錘佐々木﹁家族法再改正解説﹂︵早稲田大学比較法研究所紀要第一六号︶四八頁以下参照︶。 小池﹁人工授精の法的側面﹂ ︵人工授精の諸問題所収︶三八頁、四〇頁。同前掲論文八頁参照。
三 婚姻法と親子法の交錯
︵1︶ ︵2︶ 婚姻が家族の基礎をなすのは、それが夫婦の身分を作り、子を嫡出子となし、そして家庭を創設するからである ︵3︶ が、へーゲル︵国βo一︶によると婚姻の統一は子供において生ずるとされる。即ち、夫婦は愛の対象性を融合の全体 を眼前に有する子供において切めて得るのであって、夫嬬は子供においてそれぞれ夫や妻を愛すると言うのであ ︵4︶ る。婚姻が子の出生を目的とすると否とを問わず、それが性的結合である以上、子の出生はむしろ自然の出来事であ るので、婚姻法は単に婚姻に関する事項をその内容とするにとどまる事は出来ないと言えよう。ウエスターマルク ︵5︶ ︵毛①馨R鱒鴛oεは婚姻は婚姻の結果生まれる子に関する権利義務を包含すると言うのである。そして、男女が共同 ︵6︶ 生活を続けるのは、本来子の利益︵び窪臥δのためであると言う。かくして、婚姻法には子に関する規定を設ける事 が不可避であると言わねばならないであろう。即ち、婚姻法が子或は家族に関する規定をも包含する事によって、婚 姻法は実際上の効果を発揮すると言える。従って、婚姻法中に親子問の法律関係を見出し得るに至り、これは婚姻法 身分法における婚姻及び親子の制度 九五東洋法学 九六
と親子法の法的結合とみる事も出来よう。ここに、婚姻法と親子法との交錯がみられるのであるが、それは重畳的法 関係としてみられる場合とそうでない場合とがある。これをわが民法においてみると、前者の場合は婚姻費用の分担 に関する規定︵第七六〇条︶と親子間の扶養との関係である。後者の場合は親の氏と子の氏との関係を蕎う事が出来 よう。 先ず前者からみよう。第七六〇条は﹁夫婦は.その資産、収入その他一切の事情を考慮して.婚姻から生ずる費用 を分担する﹂と定めてい撫が、この﹁婚姻から生ずる費用﹂の申には、未成年の子の生活費が含まれていると一般に ︵7︶ 解きれている。ところが、本条のほかに、親と未成熟子との間には生活保持の扶養義務が認められているので.婚姻 法と親子法の交錯、即ち重畳的関係をみる事が出来る。だが、婚姻費用の分撹については、夫婦間の扶養との関係も 問題となる。これは婚姻法内部の交錯と言えよう。この婚姻費用と夫婦乃至親子との間の扶養については、既に法典 調査会において穂積八東委員によって間題とされたのである。穂積委員が扶養の義務は夫が妻を、妻が夫を養う如き ものをいい、婚姻中の費用はそれと別に解してよいかという質問をしたのに対して、梅委員は﹁﹃婚姻ヨリ生スル費 用﹄ト云フノハ無論夫嬬ノ生活ノ費用ト又婚姻ヨリ生シタル子ノ費用テアリマスソレ等ノ費用ヲ包含スル積リテアリ マス乍併其費用ト云フモノハ八百十五条ト八百十六条トニ依ツテ夫ハ自分ノ財産ノ収入ト妻ノ財産ノ収入トヲ合セテ サウシテ今申上ケマシタ費用ヲ償ッテ往ク筈テアリマスケレトモソレテ若シ足リナイ場合二於テハ妻カラ収入計リテ 其元本ヲ取ッテサウシテ矢張り自分力養ハレルコトカ出来マス又女戸主ノ場合テアレハ即チ夫ノ方二養フテ貰ウコト カ出来マス夫レテ夫婦ノ聞ノ扶養ノ義務ヲ矢張リ広ク規定シテ置ク必要カアリマスケレトモ先ッ以テハ八百十五条八百十六条力当嵌ッテ其ノ上二前ノ八百七条ヲアリマスあれヵ当嵌マリマスソレテ八百十五条二於テ﹃前項ノ規定ハ第 八百七条ノ規定ノ適用ヲ妨ケス﹄トシマシタ少シ文章力悪イヵモ知レマセヌカ私共ノ考ヘハ斯ウ云フ考ヘテ出シタノ ︵8︶ テ分ル積リテ居リマス﹂と答えられている。右の梅委員の説明でみる限り、婚姻費用負担者がその費用を負担し得な い場合に、その負担者でない他方の配偶者はその配偶者の扶養をなさねばならないという趣旨のようである。これは ︵9︶ 民法修正案理由書も同様になしている。従って、旧法においては夫婦間の扶養義務よりも、婚姻費用の負担の方が優 ︵麺︶ 先して認められ、夫婦間の扶養はその補充的意味をもっていたと考え得るのである。だが、ここでは子の扶養との関 係が明らかにされない。旧法と異なって、現行法は夫婦の双方が婚姻費用を分担する場合には、これのほかに夫婦問 の扶養を定める事︵第七五二条︶は意味が存するか否か一応問題となるであろう。これを如何に解すべきかについて ︵11︶ は必ずしも学者の間で見解が同じではない。扶助義務を扶養義務と同様に解して、扶助義務は夫婦間のみの扶養義務 ︵鴛︶ をいい、婚姻費用分担は夫婦及び子を含めた扶養義務をいうものと解する見解もある。また、これを夫婦財産制が如 何にあるかによって分けて考え、法定財産制では扶助義務は婚姻費用の負担と全く符合し、契約財産制では婚姻費用 ︵13︶ の負担者が無資力である場合に扶養義務が問題となるとする見解もある。そして更に、夫婦の共同生活が存する場合 ︵M︶ には婚姻費用の分担が、それが存しない場合には扶助義務が認められるとする見解もある。この中、最後の見解が婚 姻費用分担と扶助義務との重複的規定を妥当な意昧に解釈するのではないかと思われる。また、親子間の扶養につい てはそれが婚姻法と親子法とにおいてそれぞれ認められている事によって、その重複的な存在が生ずるのである。こ の場合は先の婚姻の場合と同じく親子間の扶養義務よりも婚姻費用の分担を優先させるべきであろうか。そして、上 身分法における婚姻及び親子の制度 九七
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述のように父母の同居如何によってこれを異にし、同居の場合には婚姻費用を優先させ、そうでない場合には親子間 の扶養義務を優先させるべきであろうか。或は、夫婦財産制如何によって異にし、契約財産制か法定財産制かに従っ て上述のように解すべきであろうか、疑なしとしないのである。婚姻法と親子法とが交錯をなしても、それが重畳的 存在をなさない場合もあり得る。例えば、親子法の中の規定を婚姻法の規定としておきかえる場合である。法技術上 の閥題として、かかる場合も絶無ではないであろう。 婚姻法の親子或は家族に関する規定の包含は、このように婚姻法と親子法の璽畳的存在をもたらす事もあ参、或は 親子法の縮減.更には、分解的傾向をもたらす事ともなり得るのであって、前者の場合においては時として無用な規 定をおく結果となる事もあり.そしてまた後者の場合においては、婚姻法の拡大化、家族法への転化をなきしめ得る 結果となるのである。故に、かかる場合においては、親子法の制度的意義並びにその将来について考える必要をみる のである。これ即ち、親子法の婚姻法への結合か、或はそこからの分離かの問題である。勿論、親子法を婚姻法へ全く 転化させ、結合させてしまう事は妥当とは書えないであろう。それは夫婦と親子の法律関係を複雑且つ不明確となら しめ、そして特に子の利益が十分計られない危険性を有しなくもないからである。また反対に、親子法を婚姻法から 全く分離させてしまう事は、婚姻が既述の如く必然的に子の出生を伴うという面を無視する結果となり、親の子に対 する保護関係が婚姻生活の中にとり入れられて機能している事を看遍する結果となって妥当ではないと言えよう。か ようにして、親子法が婚姻法申にとり入れられるべき事がよいかどうか、またそれがよいとしても如何なる規定をと り入れたらよいかが重要な問題となるが、これは単なる立法技術上の問題ではなく、身分法殊に親族法上の制度的問題として極めて大きな問題と言えよラ。これを外国法について若干みてみようα外国法でも婚姻の効果の中に親子脚 係規定が比較的多くみられる。子に対する扶養の義務︵①馨お砿①静O導Φ昌巴甘簿p 。再魯酵誌旨○︶を定めている例は 多い。フランス民法︵第二〇三条、なお第一二三条第二項︶、 ドイッ民法︵第二呈ハO条3第一項参照︶、 スイス民 法︵第一五九条第二項、なお第一六〇条第二項︶、 イタリア民法︵第一四七条第一項、なお第一四八条第一項、第二 項︶等でみられる。 また教育︵盆8舞欝ど割おδ日一旨お︸の身8Nδ蓉︶に関しても多く定められている。 フランス 民法︵第二〇三条、なお第二一三条第二項、第二二〇条第一項︶、 スイス民法︵第一五九条第二項︶、イタリア民法 ︵第一四七条第一項︶等でみられる。その他については住所︵議の箆窪8︶の規定も定められている。フランス民法 ︵第二一五条第二項︶が参老となろう。更に嫁資︵簿筈冴器導Φ纂鳩鍵簿鐘㌶αqo︶等の規定も存するのである。同 じく、フランス民法︵第二〇四条、なお第二二二条第二項︶でみられる。わが民法については、婚姻成年の規定︵第 七五三条︶のほかに、前述した婚姻費用の分担の規定︵第七六〇条︶及び日常の家事債務の連帯責任の視定︵第七六 一条︶が存するにとどまる。 以上をみると、扶養と教育についての規定が多くみられるが、しかしこの両者は別異に老えられねばならないであ ろう。即ち、教育については親権の申の重要な規定であるべきだからである。勿論、扶養義務を親権に求める見解も ︵蔦︶ ︵16︶ 存するが、多くは親子関係自体に求めるものと言える。故に、扶養に関しては、婚姻法申に規定がなされても比較的 問題はないであろうが︵前述の交錯の問題、重複の問題がある︶、 教育については極めて問題であると言えよう。即 ち、このように親権の内容とされるものが、婚姻法におかれるとすれば、親権がその範囲を縮少せねばならないとい 身分法における婚姻及び親子の制度 九九
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う事のみではなく、親権に関しての種々の制限を免れる事になるという点についてである。この事は親子法と親権法 との間にも同じ問題が生じる。即ち、親権規定とそれ以外の親子関係規定との間で、いずれを親権規定とすべきかと いう問題であって、先の婚姻法と親子法との場合と同様に考えられよう。 婚姻法において定められる親権的規定は、親権法から脱退したものと言えようから、それは親権法の統制を離れた ものとして考えねばならないのである。この事は子の保護を著しく害する危険を生ぜしめ、到底認める事は出来ない であろう.ここに親権規定の婚姻法或は親権関係以外の親子法への稀入についての重大な障害をみるに至るのであ る.従って.子の利益保護の見地から.親権規定の親権法以外の親子法、婚姻法への移行、編入は原則として認める べきではなく、親権法とそれ以外の親子法.婚姻法とは制度的に併存的存在を維持しなければならないと考えるの である。しかし、それをせずしても、子の利益が一層計られ、或は親権規定乃至親権制度を他に移動、転化する事が 子の利益を増すならば、それは一概には否定し得ないであろう。これ即ち、親権の後見化の問題として考えられ得る のである。 親権者が婚姻申にない者の場合には、親権法と婚姻法との問題が存しない事は言う迄もない。それは親権法と瀞曳れ を除いた親子法との問題にとどまる。子が後見に服する場合については、更に複雑になり、それぞれの場合によって 異なるが、例えば婚姻関係にある親が後見人である場合は、婚姻法と親子法と後見法の三重的関係をみるのである。 なお、婚姻法と後見法、親子法と後見法との交錯の問題は、大体において婚姻法と親子法乃至親権法についてと同じ ように言えよう。次に、婚姻法と親子法とが関遠する場合として氏の問題を言う事が出来よう、これは扶養の場合のように婚姻法と 親子法とが重複するのではないが、両者が密接に関連する︵夫婦同氏親子同氏の原則によって︶ので、ここでとりあ ︵”︶ げる。氏は法上、夫婦、親子の間にのみ言い得る問題と老えられるが、民法は氏について左のように定めている。夫 婦は婚姻によって同氏となるが︵第七五〇条、戸第一六条︶、 子は嫡出子であれば出生によって当然に父母の氏を称 して親子同氏となる︵第七九〇条第一項、戸第一八条第一項︶。 だが、子の出生前に父母が離婚した場合は、離婚の 際における父母の氏を称する︵同項但書︶。 子が非嫡出子である場合は、子は母の氏を称する︵同条第二項、戸第一 八条第二項︶。 養子は養親の氏を称する︵第八一〇条、戸第一八条第三項︶。 子が父または母と氏を異にするとき は、子は家庭裁判所の許可を得てその父または母の氏を称する事が出来るのである︵第七九一条第一項、第二項、第 三項、戸九八条、同九九条︶。 そして、婚姻、養子縁組によって氏をかえた場合でも、配偶者の死亡、離婚、離縁ま たは婚姻もしくは縁組の取消によってもとの氏に復する事が出来るのである︵第七五一条第一項、第七六七条、第七 四九条、第七七一条、第八一六条、第八○八条第二項、戸第一九条︶。 以上の規定からみると、親子同氏を原則と し、またそうでない場合でも出来得る限りそれを実現させるための規定をおいているのである。また、戸籍の編製に ついては戸籍法第六条はコ斤籍は、市町村の区域内に本籍を定める一の夫嬬及びこれと氏を同じくする子ごとにこれ を編製する。但し、配偶者がない者についてあらたに戸籍を編製するときは、その者及びこれと氏を同じくする子ご とに、これを編製する﹂と定めて、夫婦及び親子を同一の戸籍に編入せしめるのである。このように、夫婦、親子を もって戸籍編製の基準としたのは、 ﹁夫婦、親子関係が最も自然かっ基本的な結合であり、またこれが親族共同生活 身分法における婚姻及び親子の制度 一〇一
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︵娼︶ 態の類型であることに着眼して﹂なされたのである。夫婦同氏、親子同氏を認めている事は、氏に関して婚姻法が親 子間にも延長的に適用された結果であるとみる事が出来る。氏の性質については後述するが、それが例え個人の呼称 であると解しても、それは父母の婚姻によって定まった氏が子に与えられたに過ぎず、子が父母の氏に全く無関係に それを取得するのでない限り、かように解するのが妥当であると思われる。申村氏が﹁子は親の氏を称するというの ︵鴛﹀ は、子は親の氏を承継すると続︵読暮筆者︶めば一番はやわかりである﹂といわれるのが正しいのではないかと思う のである。 氏の性質については諸説が存するが、これを個人の呼称とみるのが通説である.だが、例えば外岡教授は氏を価人 ︵鴬愈︶ の呼称であると解せられながらも、これを親の子に対する養育監護的共岡生活と関連をもたせ、氏は保欝的生活共同 ︵滋︶ ︵盤︶ 態の名称であると 、爵われる。また、於保教授は氏を夫婦、親子の名称であると解きれる。これらの諸説の申、外岡教 授の見解も興昧があるが、これについて於保教授も批判されているように、保育的生活共同態は子の未成熟である場 合に限るから、成年の子と親とが同氏である事を認める現行制度では、それは必ずしも妥当とは言えないようであ る。氏の同一は国民感情によって認められるが、今臼氏についての法的効果は祭祀承継以外は殆んど存しないので氏 が異なっている事は法的には問題はないと言える。しかし、夫婦親子の間に氏の同一を認めている事は、夫婦親子の 共岡体を承認している一つのあらわれにほかならないであろう。なお、ドイツにおいては﹁氏は﹃ファミリーの名 ︵23︶ 称﹄としての性格も有するものの如くである﹂と言われる。かくて、氏はむしろ夫婦、親子の家族の名称であると解 するのがよいように思われる。かように解し得る事によって、氏は婚姻法と親子法の接触をなさしめ、婚姻法は氏κついて親子法を決定づけるものと考えるのである。 ㈲(3)(2〉{の註 (7H6〉(5) α2)(1王〉α①(9〉(8) 拶竃◆国8露回㊦ざ男舘註ぞい餌訴鱒β山&こお8”℃﹄ 80鍵び9ぎびさ○℃.o禅”︾戸80 0 ヘーゲル︵速水涯岡田訳︶﹁法の哲学︵要綱︶﹂二八九頁⋮二九〇頁。 カント︵囲費旨︶は﹁子を産み且つ養育するという目的は、もとより霞然の目的であって、自然は斯かる目的のために、両 性問に対向的な傾向を植ゑつけた﹂と言うのである︵恒藤a船田訳﹁イマヌエルヵント法律哲学﹂ ︵カント著作集9︶一 四八頁。また、阿南成一氏は﹁婚姻の主目的は子女の生殖と教育にある﹂と言われる︵﹁婚姻﹂ ︵尾高涯峰村涯加藤編 ﹁法哲学講座第八巻﹂所収︶一四六頁︶。 やミo警貧琶貰oF類δ8門鴇9瓢窪簿餌p窯効霞鑓αqρ馨一ノaこく○だ ダお匿︸ラ8 拶 ぐ謡ω$肖鷺鋤零ぎ ○マ o詳こ ︾“N 中川博士は夫婦及び親と未成熟子間の扶養義務をこれ以外の他の親族間の扶養義務と質的に異なることを指摘されて、前 者を﹁生活保持の扶養義務﹂と言い、後者を﹁生活扶助の扶養義務﹂と言われる︵﹁親族的扶養義務の本質8﹂ ︵法学新 報第三八巻第六号︶一五頁以下︶。これは今日の通説である。 法典調査会議事速記録一四八回一八Tl一九丁。 民法修正案理由書七七頁i七八頁。 野上久幸﹁親族法﹂ ︵コンメンタール︶二〇六頁。 我妻錘立石前掲コンメンタール九九頁。 我妻目立石前掲コンメンタール一〇〇頁。 身分法における婚婚及び親子の制度 一〇三
(i5H玉4)(玉3) (織 (2玉H2QH蹴(欝H鱒 ⑳ 嬢3)
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青由編﹁注釈民社⑳﹂ ︵黒木と一⋮二頁。 青山編同書︵有地︶三八五頁。 我妻群立石前掲コンメンタールニ七二頁、峯四六頁、川島﹁民法国﹂九二頁、川島籍粟栖鮮磯田﹁家緯浜驚話﹂ 一毛四頁 一九三頁。 ρ菊愚⑦欝ぐ 夢齢トじ 噂○鉱麟謬αq窪︸o轡鉱融こ昌。一〇 〇雪 申川嘆親子︵身分法の常識㈲︶︵法学セミナー笙三号︶七頁、同第三五号八頁⋮九頁、村岡二郎﹁末成熱の子の扶養と 葬権﹂ ︵民事研修第︸六号︶コヨ貝、我妻﹁親族法﹂ ︵法律学全集︶一妻三頁.一四七頁註総.東京家庭裁判所身分法研 究会﹁未成熟子の養育講求の方法について﹂ ︵ジ晶り撒ト篤三〇二号︶鴛九頁等。 岩佐節郎﹁氏の岡一性﹂ ︵家族法大系亙家族法総論所収︶六二翼参照、 ︵ぞ.ノメンタール︶二九頁Φ 申村国一﹁氏と親権﹂二鷲頁。 外岡﹁改正民法と親権奢﹂ ︵畢稲田法学第二五巻第三.四冊︶六一翼以下、特に七六頁以下。 外岡﹁氏の性格﹂ ︵早稲購法学第二五巻第二冊︶四六頁、闘﹁氏とその法理﹂ ︵戸籍制度八十年記念論文集﹁身分法と戸 籍﹂所収︶︸〇三、頁。 於保﹁氏と戸籍﹂ ︵法曹時報第二巻第五号︶ご藁貝、このほか同説をとる見解として、太田武男﹁婚姻・離婚と氏の問 題﹂ ︵前出身分法と戸籍所収︶︸二〇頁註紛がある。 太田同論文コ八頁。四 婚姻法と親子法の志向
婚姻法及び親子法は言う迄もなく家庭生活に関する直接の法であり、家族秩序の最も重要なる法規範であるが、そ の志向如何は家庭乃至家族の運命を決定づける重大な問題をもっているのである。家庭が﹁国家社会を構成する単位 ︵1︶ たる協同体であって、国家社会の存立と繁栄は家庭の在り方いかんに負うところが極めて大きい﹂のであるから、家庭 を如何なる性格のものにするかを定める婚姻法及び親子法の志向については、その意義は身分法申、最も大きいと言 えよう。現行民法が﹁新憲法に基く応急的な改正であって、民法全般に亘る本質的な改正ではないので、根本的且つ ︵2︶ 本質的な改正は今後の問題としてそのまま留保されている﹂と言われるように、民法の改正問題は改正当時から既に 学者の間で考えられてきたと言っても過言ではないようである。例えば、改正民法の立案にあたられた一人である中 川博士は﹁私たちににも技術的な見落しはあるだろう。従って修補は今後とも必要に相違ない。われわれはその第二 ︵3︶ 次民法改正の準備にもう取掛っている﹂と述べられているのである。かようにして、現行民法は改正時において既に 新たなる改正への謄動を始めたと言える。ここで、民法の改正の働きについて述べるを要するであろう。近最、民法 改正論が盛んになったが、その理由として平賀氏は二つの理由を挙げられる。一つは、現行民法の改正当時において 国会で﹁可及的速やかに、将来において、更に改正する必要がある﹂という附帯決議がなされている事であり、二つ は、現行法の改正が家の制度の廃止とこれに伴う関係規定に重点がおかれ、これと直接に関係のない事項はそのまま 身分法における婚姻及覧親子の制度 一〇五東洋法学
一〇六 ︵4︶ とされ、根本的改正は前述のように後日の課題とされた事とであると言われる。 ︵5︶ 現行民法改正の働きは、国会においてもしばしば問題となったが、昭和二十九年において表面化したのである。 即ち、同年七月六鷺に開かれた法制審議会第十回総会において、法務大臣から民法改正の要綱を示すよう諮問がな ︵6︶ きれ、これに応じて法制審議会は民法部会を設けたのである。そして、同年七月二十鷺に開かれた第一回民法部会 で更に身分法小委員会が設けられて、ここで改正要綱案が作られたのである。身分法小委員会は同年九月七鰯に第一 國の会議が開かれてから、昭和三十四年六月二購まで五十一回の会議が開かれて、親族箱の逐条的な検討がな審れ、 同年六月二十九疑、三十鷺の両譲に第三回民法部会に報告され、それと共に同年七月七麟に公表されたのである。こ れらの申には、仮決定がなされたものや留保事項ときれたものがあり.未だ正式には決定はされていないのである. ︵7︶ また、かかる改正要綱に対して多くの学者等がその意見を述べられたが、民法を如何なる方向において改正すべきか が根本的な間題となるのである。なお、ここでは個々の問題についての検討は省き、これを他臓に期したい。 先ず、問題となるのは倫理、道徳の洒養の場所である家庭のあり方であって、身分法乃至身分制度が如何にあるか という事は、正にこの事を決定づけるものと思うのである。身分法の改正方向は、民法第七三〇条が家庭生活のあり 方を示している条項であるから、本条を如何に解するかによってそれが明らかにきれよう。第七三〇条は﹁法律らし くない規定ではあるが、親族相互の敬愛協力ということが、これからの新らしい家庭生活に要請されねばならぬこと ︵8︶ を示すものであり、新らしい民法が家庭生活に要求する正しい在り方﹂と言うべきである。だが、前述の身分法小委 員会では、 ﹁本条は単に倫理的意妹を有するに過ぎないと考えられるので、民法が他に同種の規定を設けていないこ︵9︶ とをも老慮し、これを削除するのが適当である﹂として、これを削除すべきであるという仮決定がなされている。改 正の指針となるべき筈の本条を削除する事には反対せぎるを得ない。家庭のあり方と関連する大きな問題は、家族の 結合乃至団体性を強化すべきか、或いは家族の個人化を進めるべきかという点であろう。前者は家族の統合の問題で あり、後者は家族の解放の問題として考えられよう。この両者は相反する関係にありながら、併存するものであると みられる。だが、勿論家族の統合を主となし、その中で個人性を認めるのでなければならない。穂積博士は﹁共同生 ︵憩︶ 活の充実完成が同時に各個人の充実完成たるべき筈である﹂と言われ、また、申川博士は﹁身分法は保族的統体保持 の法だと思っており、従ってその構成員個人が保障される自由は、統体保持に矛盾しない限りにおいての自,田である ︵n︶ と思っている﹂と言われている。かくして、家族員の個人としての自由は家族秩序の維持及び強化をなす上において 認められるべきであると言えよう。家族の秩序維持強化は身分法の最も重要な目標であって、その点でも牧野博士の ︵捻︶ 統合の強調は看過されてはならない。 中川博士は更に、 ﹁われわれもわれわれの家族を守ることを現代身分法の主 ︵招︶ 題だと老えている﹂と言われる。だが、家庭を守る事については異論をもつ者は存しないであろうが、それを如何に 守るかが閥題であると言わねばならない。身分法がむしろ倫理や習俗にその主要な内容を譲っているとしても、かか る点においてこそ身分法が法規範として重要なる作用をなすものである事に注意をしなければならない。家庭を守る 事を志向せずして身分法殊に婚姻法、親子法の存在意義はないと言ってもよいのである。家庭を守り、家庭の秩序を 確立する基礎は身分法中、純粋身分法にあり、それは必然的に倫理的要素の強い或は倫理それ自体の法規範化として あらわれるのである。牧野博士はこれを述べられて、 ﹁法律の倫理化﹂を主張されるのである。即ち、博士は次の如 身分法における婚姻及び親子の制度 一〇七
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く言われる。 ﹁十九世紀の法律思想においては、法律から道徳を区別し、法律が道徳に依って煩わきれることのない ようにというのが、その趣旨であった。これに対して、二十世紀の法律においては、法律にいかに道徳を法律らしく 取り込むかということが、努められているのである、法律が個人主義的なものから社会的なものになるのを称して ︵翼︶ ﹃法律の社会化﹄とするのと相つれて、これを﹃法律の倫理化﹄とするのである﹂と。かくして先にみたように第七 三〇条について﹁本条は単に倫理的意味を有するに過ぎないと考えられるので⋮∴として削除をなさんとする事は 賛成し得ないとくり返して欝わねばならない。 民法の改正問題は結局憲法の改正問題と関連して考えるべきであろう.現行憲法の定める身分法の指導原理建 、識う 迄もなく第二四条であって、この個人の尊巌と両性の本質的平等原理からは、統合よりもむしろ解放の原理としての ︵蔦︶ 意昧が強いと考えられるからである、牧野博士が本条に﹁家族生活の尊重﹂乃至﹁敬愛協力﹂の規定をおかんとされ る事は極めて正しい考えであると書わねばならない。かかる憲法上の明文が存しないからこそ、第七三〇条の削際論 が生ずるのではないだろうか。では、身分法改正の言わば前提とさるべき憲法の改正は如何になきれるべきかが問題 となろう。ここに、身分法殊に、婚姻法及び親子法の志向がかかっているのである。この憲法改正については、自由 ︵欝︶ 民主党憲法調査会が昭和二十九年十一月五羅に発表したほ本国憲法改正案要綱案が極めて妥当な改正内容を示してい るのである。その申で家族制度について次の如く述べられている。 ﹁旧来の封建的家族制度の復活は否定するが夫婦 親子を申心とする血族的共同体を保護尊重し親の子に対する扶養および教育の義務、子の親に対する孝養の義務を規 ︵∬︶ 定すること﹂と。これはむしろ当然の事柄であるが、かかる事項についての憲法的規定の存しない事が道義、倫理を家族生活において十分意義あらしめ得ない傾向を生ぜしめる最大の原因ではないかと思うのである。なお、同要綱説 明書はその理由づけを詳細に記しているが、 ﹁現行の憲法と、之に基く教育方針が極端な個人主義の立場から、家族 ︵18︶ という観念の抹殺を図った﹂と言われるのはもっとも塗畢と言わねばならないのである。 以上憲法改正の間題に関連して身分法のあり方を述べたが、これは立法論としてというよりも、正にそれが身分法 の志向であると言わねばならない。くり返して述べるが、かかる改正憲法にこそ、民法改正の真の意義が生じ、民法 改正は憲法の改正なくして真価を発揮し得ないと思うのである。だが、これについては反対を唱える学者もあるであ ろう。永田博士は先の憲法改正案要綱に関連して次のように述べられる。 ﹁私はこの改正案要綱の冒頭にあるよう に、旧来の封建的家族制度の復活は否定する、という前提に立つならば、憲法第二四条は改正しなくてもよいのでは ないかと思う。ただ、親の子に対する扶養教育の義務、子の親に対する孝養の義務を規定し、農地の相続については 家産制を取入れまたは細分化を防止するだけならば、民法典その他の法律で定めることができるのではないかと思う ︵欝︶ のである﹂と。そして、博士は﹁憲法第二四条の基本原則と社会生活の実状⋮理想と現実ーとの妥協点が、改正の正 ︵20︶ しい方向であると思う﹂と述べられる。しかし、憲法の改正をせずに民法の改正だけをなす事は、例え﹁敬愛協力﹂ 的規定が十分もられても、十分な効果を収め得ないと思うのである。故に、しばしば述べたように、民法の改正は憲 法の改正と相まって行われるべきであると主張するのである。なお、この点についての憲法改正問題については、例 ︵21︶ えば川島教授の如く﹁その結果は反民主主義的なものとなることは疑いないと老える﹂と言われるように、強く反対 ︵22︶ する学者もあろうが、しかし、私は逆に上述のように憲法と民法の並行的改正こそが民主主義をより高める基礎とな 身分法における婚姻及び親子の制度 ハ〇九