賃金鉄則批判とベルンシュタイン(上)-「賃金,価格および利潤」との関連で-
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(2) . 平成 8年 2月. 北海道教育大学紀要 (第1部B) 第46巻 第2号 l i i i i t f Hokka i do Un t lo on(Sect onIB) Vo ver s .2 Journa .46 y ofEduca , No. Februa ry ,1996. 賃金 鉄 則 批判 と ベ ル ン シ ュ タ イ ン -- 『賃金, 価格および利潤』 との関連で. --. (上) 荒. 川. 繁. はじめに ー -. ベルンシュタイ ンによるマルクス講演草稿の独訳 ベルンシュタイ ンによるラッサール賃金鉄則批判 1‐ ルョ・プレソターノ氏の最新の成果 =‐ 賃金鉄則 m‐ 人口法則 r 賃金基金説 W ‐ 以上, (上) W‐ 賃金基金説 (結論) V‐ 資本主義的大規模生産の人口法則. 班‐ 結 論 おわりに. はじめに 1896年 か ら1898年ま で 『ノイ エ・ツ ァイ ト』 誌 に, 日‐ ベ ル ンシ ュ タイ ン が 「社 会主 義 の 諸 問題」 を 発 表 1 他方 この 『ノイ し, マ ル クス 主 義 の 政治 運 動 論 を 中 心 に修 正 を 試 みた こと は広 く 知 られる と ころ で ある) ‐ , エ ・ツ ァイ ト』 誌 に1898年 ベ ル ンシ ュ タイ ン が, 国際労働 者 協会 の 中央 評 議会 でお こな われ た マ ルク ス に よ. るウェストン批判の講演 (以下, 講演草稿と略記) を自ら独訳して公表 し, これに 「賃金, 価格およ び利 潤」 と いう 表 題 を 与 え た こと につ いて は, 従 来 十 分 に は検討 さ れて こな か っ た とい えよう‐. ところで, ベルンシュタイ ンが講演草稿の翻訳をおこなった189 8年には, 先に公表された論文 「社会主義 の諸問題」 にたいし, バルヴスおよびローザ・ルクセンブルクから激しい批判を受け, いわゆる修正主義論 ) マルクス主義の政治運動論の修正を試みたベルンシ タイ ンが この論争の さな 争がおこなわれていた2 ュ ‐ , かに, なぜ賃金闘争について論じたマルクスの講演草稿の翻訳をおこなったのであろうか. この問題を考え る う え での 端緒 を な すの が, 講 演 草 稿の 独 訳 に 先立 ち, 1890年か ら1891年 に 『ノイ エ ・ツ ァイ ト』 誌 に 公表. された賃金問題にかんするベルンシュタイ ンの一連の論文である‐ それは 「賃金鉄則の問題によせて」 と表 題づけられ, いわばラッサールの賃金鉄則を批判したものであるが, ベルンシュタインは, この賃金鉄則批 判の延長にマルクスの講演草稿の独訳をおこなったと推察される. では, ベルンシュタイ ンの賃金鉄則批判 と は どの よ う なも の であろ う か. 以 下, この 点に つ いて, マ ルクス 講 演 草 稿 と の 関 連 で 考 察 す る こ と に す る‐.
(3) . 荒 川. 繁. 一. ベルンシュタイ ンによるマルクス講演草稿の独訳 ベ ル ンシ ュ タイ ンによる 講 演草 稿 の 独 訳 は 『ノイ エ ・ツ ァイ ト』 誌 に 1898年の 4月 9 日から5月 7日に , ) では ベ ル ン シ タ イ ン の 独 訳 の か けて 連 続 して 公 表 され た と推 定 され る3 意 図 と は, どの よ う な も の で ュ .. あったのであろうか‐ この点についてかれがその独訳に付した序文は興味深い内容を伝えている . 賃金, 価格および利潤 ) カ ール ・マル クス に よ っ て1865年 6月26日 『国際労働者 協会』 の 総評 議会 でお こな わ れ た講 演4 ベ ル ンシ ュ タイ ン訳. 訳者前文 表題に示されたように, 我々がここに翻訳する論文は, 国際労働者協会創立の最初の年に, 総評議会でマ ルクスによっておこなわれた講演の草稿である‐ この有名な協会は, あらゆる傾向の労働者民主主義にその 門戸を開いた‐ そして今や, 労働者の解放闘争の重要な諸問題について了解を, できるなら一致をえること が 求 め られ た‐ しか し, そ れ は容易 な こと で はな か っ た‐ なぜ な ら ば ほと ん どこれ ら全 て の諸 問題 に お い ,. て, 当時すでに見解はかなり広く対立していたからであった. 労働組合主義者たちと協同組合主義者たち , さらに両者のあいだにさまざまな組織形態と経営制度の代表者たちが, しばしば激しく対立していた‐ その うえ, 交換銀行などのような特定の万能薬に対する熱狂者たちがさらに加わった‐ こうした事情のもとで , 総評議会において, 非常に長くかつ退屈な諸論争が起こった‐ その際マルクスは, その時期を共に過ごした 人の証言によれば, 真に超人的な忍耐をよく 発揮した. マルクスがそのさい, どれほど良心的にかつ機転を も っ て, たち 向か っ たの か は, 我々 の 前 にある この 講演 が 証 言 して いる‐ 誰 にた い して この 論 文 が 向け られて いたの か は, かれ 自身 が 語 っ て いる‐ ジ ョ ン・ウ ェ ス ト ンはオ ー エ ン. 主義の社会主義者, おそらくは, オーエンの模倣者, すなわち交換銀行, 労働貨幣などの熱狂者であった. この 見 地 か ら, かれ は賃 金引 上 げの た め のス トライ キを全く 理解 しようと しな か っ た. ス トライ キ は 問題の. 根本をつくことはなかったし, 生産物の高騰によって, それ自体の目的を 再 び無 効にせざるをえなか っ た ■-我々が, フランスではブルー ドン主義者たちにおいて, ドイツでは正統派ラッサール主義者たちにおい て再びみい出すような論証‐ この見解にマルクスはたち向かう. かれはその前提および結論を一つ一つ点検し, 十分確実な事実に基づ 、 き, それがほとんど実際の経験に一致していないことを示す‐ これと関連して, かれは資本主義的生産の全 機構を示し, そして, この研究に基づき, 近代社会で, どのような諸法則が賃金額に作用し, その運動をき せ いする の か を示 す‐ この よう な方 法 でマ ルクス は, よ り一 貫 して いる と 同様 に よ り明快 な叙 述 で この , ,. 対象に関連する 『資本論』 の根本思想の輪郭を述べる. その第一部はまさにそ の時期にそ の 最終稿を受け とっていたのである‐ 筆者その人の意見としての意義を全く度外視して, マルクスの主著の当該の説明の平 易 な要 約 と して, 決 して この論 文 を こ える も の は ない であろ う.. マルクスの説明が総評議会で多数を得たことは, 労働組合, ストライキなどにかんする国際労働者協会の 大会への総評議会の諸提案が示している‐ ウェストン自身はかれの見解を固持したように見える. その時ま で総評議会の会員でさえあり, また国際労働者協会の, いわゆる分裂にかんする声明の連署者でさえあった が, ハーグ大会の頃にはバクーニソ=ブルー ドン主義的分派に参加し, これと共に, 旧来の 『権威主義的』 ) その こ と に 疑 いも なく イ ンタ ー ナ シ ョ ナル にた い して, 反イ ンタ ー ナ シ ョ ナ ル を 実 現 しよ うと尽力 した5 . 関 係す る の が, 著名 なホ リ オーク の 回想録 に おける 次の 文 章 である. 『か れ (ウ ェ ス ト ン) は, カ ール ・マ ル. クスの侵略的共産主義や国家社会主義に屈することなく, この煽動の名人にたち向かい, かれに反対する諸 2.
(4) . 賃金鉄則批判とベルンシュタイ ン. 決 議 を お こ な っ た』‐ そ の代 表 者 にホリ オー ク が 属 した, ロ ン ドンの 自 由思想 家 た ちの 集 会 地 である 『サイ エ. ンス・ホール』 で, すなわち, あの反権威主義的国際主義者たちの諸会議が開催されたのであった‐ ホリ オ ーク はウ ェ ス ト ンを 『痩 せた, 力 の ある, 善 良 で, 同 時 に激 しく, 俊 敏 で, 確 信 をも っ た 労働 者 階. 級の政治家』 として描いた. かれは牧童として, また料理場の給仕として働いていたが, やがて大工の仕事 を覚 え, 高 齢 に なる ま でこ の 仕事 で働 い た‐ 『日中, 飽 台 で10時 間ない し12時 間働 き, 夜 に な る と 演 説 を し た‐ … … どの よ う な 運 動 が首 都 で あろ う とも, ウ ェ ス ト ンは総 じて 最初 で はな か っ た が, じきに参 加 した‐ そ して 実 際, 家 に は, ク サ ンテイ ッ ペ が ソク ラ テス 以外 の 誰か の 邪魔 を した よ りも, よ り大 きな 克服す べ き ク サ ンテイ ッ ペ 的諸 困難 が あ っ た の である‐ しか し, い か な る 困 難も, かれ を ひ きとめ る こ と は で きなか っ. た‐ 私が知りあった全ての善良な人間のうちで, かれは最も情熱的な労働者であった‐ 演説においては柔軟 に, 行動 に おいて は ダイ ナマイ トと 化す がかれ の 人 とな り で あ っ た』. 6 ) な お, この 論 文, 並 びに 第 1節 か ら第 4 節ま での 表 題 は我々 に 因る ことを 記す」 ‐ この 訳 者 前 文 か ら次 の こ と を確 認 できよ う‐. 第一に, マルクスの講演草稿が賃金引上げ闘争に反対したウェストンを批判したものであることを, ベル ンシ ュ タイ ンも 認 める の で ある が, 他 面 でか れ は, ホリ オ ーク を 援用 しな が ら で はある が, マ ルクス によ っ 1 では ベ ル ンシ ュタイ ン て 批判 され た ウ ェ ス ト ンに高 い 評価 を あたえて い る よ う に 思わ れ る こ と で ある7 , によ る ウ ェ ス ト ン評価 の 経 緯 と は, どの よう なも の で あ っ た の であろ う か‐. 第二に, もともとマルクスの講演草稿には, 草稿全体にたいする表題はなく, また第1節から第6節まで の小表題もなかったのであるが, ベルンシュタイ ンは草稿に 「賃金, 価格および利潤」 という表題を付し, また, 第1節から第6節までの小表題を 「1‐ 国民生産物と賃金の持分, 2‐ 生産物の量と種類への賃金変 動の影響, 3‐ 賃金の運動と貨幣の運動, 4. 賃金の尺度について, 5‐ 労働賃金と商品価格, 6‐ 価値と 価格について」 としたのである‐ この表題付けは, ベルンシュタイ ンが草稿全体を賃金論を機軸に理解して いたこと, すなわち 『資本論』 の 「平易な要約」 であるとともに, 賃金闘争の問題を論じた小冊子として位 ) 置 づ けて い た こと を 意 味 する もの であ る8 .. 因に独訳と並行して刊行されたエレナ・マルクス編集の英語版では, 表題を 「価値, 価格および利潤」 と し, 第 1節 か ら第 6節 ま での小 表 題 を 「1‐ 生産 物 と 賃 金, 2‐ 生産 物, 賃 金, 利 潤, 3. 賃金と通貨 , 4‐ 供 給 と 需 要, 5. 賃 金と価 格, 6. 価 値 と 労働」 と して いる. この よう に 英 語 版 では, ベ ル ンシ ュ タイ. ン訳とは異なり草稿全体を賃金論ではなく, 価値論および利潤論を中心に, 文字通り 『資本論』 の平易な解 説 と して理 解 して いた と いえ よ う. 第 三 に, この 訳 者 前 文 で, マ ル クス の 講演 草 稿 での批判 の 矛先 が, ウ ェ ス ト ンの みな らず, ドイ ツ のラ ッ サー ル 主 義者 た ち, およ びフ ラ ンス の ブル ー ドン主 義者 た ちをも 含 む と 記 さ れ て い る こ と は 注 目 に 値 し よ. う‐ すなわち, マルクスの講演草稿は直接にはウェストンを, またその背後にあるイギリス労働組合主義者 たちを批判したものであるが, 当然, この批判は, 労働組合による賃金引上げ闘争に たい し反対を唱えた ラッサール主義者たち, とりわけその理論的基礎をなした賃金鉄則にも妥当するのである. それゆえ, 独訳 を お こな っ た ベ ル ンシ ュ タイ ンにと っ て 講演 草稿 は, マ ルク ス に よ るウ ェ ス トン批判 である と 同時 に マ ル , ) で は ベ ル ンシ タ イ ン は クス に よる ラ ッ サ ー ル の賃 金 鉄則 批判 と しても 読 ま れ た と 推察 さ れ る9 ュ . , , ラッ. サール賃金鉄則をどのように批判したのであろうか. それはマルクスの批判と同じであろうか, あるいは異 なる の で あろ うか‐ 以 下, こ の点 に つ い て, ベ ル ンシ ュ タイ ンの 論文 「賃金 鉄則 の 問題 に よ せて」 を題 材 に 考 察 を お こな う こと にす る‐. 3.
(5) . 荒 川. 繁. 一. ベルンシュタイ ンによるラッサール賃金鉄則批判 ベ ル ンシ ュ タイ ンは 「賃 金鉄則 の 問題 に よ せて」 と題す る一 連 の論 文 を 『ノイ エ ・ ツ ァ イ ト』 誌 (区Jg リ Bd . 1,1890一91) に公 表 し, ラ ッ サ ール の賃 金 鉄則 を 批判 した. 全 体の構 成 は, 1‐ ル ョ ・ プ レソタ ーノ 氏 の 最 新の 成 果 (Nr ), =. 賃 金鉄則 (Nr ), m. 人 口法則 (Nr ), W. 賃金 基金説 (二 回連 続) (N1 ‐11 ‐9 .9 ‐ 12 ), V. 資本 主義 的大 規模 生産 の 人 口法則 (Nr ) である‐ 以下, ベ ル ンシ ュ タ ), 班‐ 結 論 (Nr ‐17 ‐19 ,16 イ ンの賃 金 鉄則 批判 を この 構成 に従 っ て みる こと に しよ う.. 1. ル ヨ ・ プ レンタ ーノ 氏 の 最新 の成 果 ベ ル ンシ ュ タイ ンは この1 で プ レソタ ーノ 論文 を 紹 介 しつ つ かれ の賃 金 鉄則 批 判 に た いす る 次の よ , , ,. うな問題提起をおこなう‐ まず, ベルンシュタイ ンは賃金法則の意義について述べる. 「賃金法則の課題の重要性については特別の 説明を少しも必要とはしない‐ 諸階級の利害をべつにして, ときどきの社会的諸関係で, 労働する階級の収 入をきていする諸法則の把握は, 労働者の実際のあるいは公称の利害のためのさまざまな提案や企てにたい する態度決定にとってきわめて重要である. 賃金法則の課題は, 社会的活動の経済的土台の認識にとって極 めて重要であるのみならず, 第一級の実践的課題でもある. このことは理論と実践とのあいだになおしばし o } ば引 か れる 対立 に 形式 的意 義 以 上 のも の を 添 える こと はな い」l ‐ そ して, 1890年 に 開催 され たハ レの 党 大会 で綱 領の 改正 が 論 議さ れ, と りわ け綱 領に あるラ ッ サー ルの賃. 金鉄則を扱った文章を改正するという提案が採択された‐ 他方, プレソターノは11月 6日の 『ドイ ツ 週 報』 に発表された論文 「私のカール・マルクスとの論争. 同時に労働者階級の進歩およびその諸原因の問題への ) ハレの党大会で論議された労働者保護法と労働組合にかんする諸決議について述べ 工場法と 寄稿」 でu , , 労 働 組合 と が 多く のイ ギリス の 労働者 にも た ら した 改善 につ いて 論 じたの ち, 次 の よう に 書いて いる‐ 「こ の 諸組 織 によ っ て 食糧 品価 格 の 下 落 にも かか わ らず 賃 金 は高 いまま であ り ま た い っ そ うの 賃 , , , , 金 引 上 げを獲得 す る とい うこ と が 実 現 され た‐ この諸 組 織 によ っ て, ラ ッ サ ール でも なく, ま たり カ ー ドで も なく, チ ュ ル ゴー が初 め て うち た てた 賃 金鉄則 は論 駁 され た. そ れ は, ハ レではないも のと して 菅 言 され. たけれども, 慣習が賃金率をきていせず, また労働者の組織がなお失業の圧力を抑制できないところでは, それゆえ実際に労働者の競争が賃金率をきせいしているところではいぜんとして正しい‐ この賃金鉄則は, さま ざま な 定式 に おいて, これ ま で全 て の 社 会 改革 的教 義 の か なめ であ っ た‐ ロー ト ベ ル ト ゥ ス とマ ルク ス. は等しく, 賃金が, 資本主義的生産のもとでは, 必然的に生存と繁殖のために必要な生計手段に制限され続 けること, それゆえ労働生産性の上昇のもとでは, ますます少ない生産物価値部分にあることを教えたので ある.. それゆえ一一新聞報道によれ ば--リープクネヒトが, ハレで, 社会民主党の支配者たちが賃金鉄則を決 して信じておらず, それを巧みな煽動手段の一つとしてのみ利用 していたかのような紹介をしようとしたの は, 公 正 さと 分別 さ に 欠 けて いた と い えよ う‐ 我々 はた だ次 の よ うな 噸 りを 思 いだす‐ す なわ ち, そ の 噸 り をも っ てラ ッ サ ールが, ま さに この賃 金 法則 に 関連 して, イ ギリ ス の 労働者 組 織を 人 間の よ う に ふるま う と い う労働 商 品の 無 駄な 試 みと して いい表 した こと を. ま た 我々 は, シ ュ バイ ツ ァ ーが, か れ が 労働 組 合 を組. 織するのは, それが労働者の状態を改善しうるからではなく, その必然的な失敗が階級憎悪を増大するから である と 悪魔 の よ う に明言 した こと を, そ して, この憎 悪 を も っ て ドイ ツ の社会 民 主 党 が, 数十 年 間, イ ギ. リスの労働組合組織を追いかけてきたことを思い出す‐ また社会民主党員に, 労働者が組織されているとこ ろでは賃金鉄則は問題とならないことを教えたのは, むしろ経験であった. まさに敵対するイ ギリスの労働 4.
(6) . 賃金鉄則批判とベルンシュタイ ン. 組合が, 資本主義的生産様式においても, 今日の経済秩序の諸原則に十分に適合した, 労働需要にたいする 労働供給のかれらの適応が, 産業予備軍の宿命的作用を麻挿しうるものであることを社会民主党に証明した のだ. そして, ベーベルが, 去年の夏, ベルリンの大衆集会で, ドイツ社会民主党が今日の経済制度の急速 な瓦解を期待することをやめ, それゆえ今日の制度に基づいて準備を整えることを宣言し, また尽力すべき 実践的な目標として有効な労働者保護法を示 したとき, あるいはハ レの大会が有効な労働組合に十分な注意 を払ったとき, それは認識におけるこの進歩のみを示している. これら全ては社会変革の教義ともちろん著 1 2 しく 矛盾 す る」 ) ‐. 実際,1890年10月に開催されたハレの党大会 では, 賃金鉄則にかんするラッサールの文言を党の綱領から 3 } 同時に労働組合にかんしても その促進を求めた次のような二つの決議 が採択 除くことが決議されたが1 , , され た‐. 1)「党大会は, 今日の経済諸関係のもとで, また労働者の政治的諸権利および経済的状態をますます押し 下 げ よう とす る 支 配 階 級の 企 て に さい し, ス トライ キな ら びに ボイ コ ッ ト は, 第 一 に, かれ らの 物質 的ある. いは政治的損傷に向けられた敵の企てを拒絶するために, しかしまた第二に, かれらの社会的かつ政治的状 態を市民社会の内部でできるだけ改善するために, 労働者階級にとって不可欠の武器であると言明する. しか し, ス トライ キ な ら びに ボイ コ ッ ト は, 不 適 切 な場 所 で, ある い は不適 切 な と きに用 い られる と, 労. 働者階級の利害を促進するよりもむしろ損なう両刃の武器であるので, 党大会は, ドイツの労働者に, かれ らがこの武器を用いようとする諸事情を細心に考慮することを勧める‐ とりわけ党大会は, 労働者階級が, 数および物的手段の重みによって, また細心におこなわれた考慮に基づき, 意図された目的をできるだけ完 全に達成しうるために, この闘争の実施にさいし, 労働組合に, しかもなるべく中央集権的な諸団体に組織 されることが不可欠であるとみなす‐ 党大会は, これらの理解に基づき, 労働組合の企てにたいする強力な 1 4 1 支持を全ての党員に勧告する」 =)「経済的発展によって, 資本と労働との経済闘争がますます鋭い形を帯びていることを考慮して, また 社会民主党の党派によって提出された労働者保護法にたいする政府の拒否的な態度に直面して, この闘争を 労働者のがわから組織することは不可欠のことである‐ この組織のふさわ しい形態は労働組合の形態であ る. それゆえ党大会は, 党員がいたるところで現存する労働組合に加入することを, また, それがないとこ 1 5 } ろ で は新 た に組 織す る こ とを 求 め る」 ‐. ところで 「講壇社会主義」 左派を代表するルョ・プレソターノは, イ ギリス労働組合を模範とした労働組 合の普及による社会改良を主張するのであるが, かれはハレの党大会で, 労働組合にかんする決議が採択さ れたことをもって, 党が運動の重心を労働組合運動に移したととらえ, さらにまた, この労働組合運動に よって, 党にたいし強い影響力を有したラッサールの賃金鉄則も止揚され, ただ労働者の組織が失業の圧力 G ) こ れ に た い しベ ル ン を抑 制 で きない と こ ろ での み, こ の 賃 金鉄則 は有 効 で ある と 主 張 し た の で あ っ たI ‐ シ ュ タイ ンは, こ の1 で, プ レソタ ーノ の 問題 提起 に 直接 答 える こと なく, た だ 次 の こと を 指摘 す る‐ す な わち, ロ ー ト ベ ル ト ゥ ス お よ び ラ ッ サー ルも 賃 金 法則 につ いて 新 しい こ と は な に も 提 起 して お ら ず, た だ. ラッサールは 「鉄」 の賃金法則という表現を用いたこと, また賃金法則を最初にうちたてたのはチュル ゴー が最初ではなく, リカー ドが初めてそれを厳密に論理的にしあげられた国民経済学的体系の柱石にしたこと 1 7 である ) ‐. この よ う に ベ ル ンシ ュ タイ ンは, そ の考 察を ラ ッ サール の賃 金 鉄則 か ら ではなく, 新歴史 学 派 に属 す る プ レソタ ーノ 論文 か ら始 め て い る の である が, この こと は ベ ル ンシ ュ タイ ンに と っ て, ラ ッ サー ル賃 金鉄則 と. 労働組合運動との関連が第一に注目されたことを示すものといえよう‐. 5.
(7) . 荒 川. 繁. =. 賃金 鉄則 ベ ル ンシ ュ タイ ンは1 で プ レソタ ーノ 論 文 に よ っ て賃 金鉄 則 と賃 金 闘争 と の 関連 につ い て 問題 提起 を お ,. こない, 続いてnで, ラッサール賃金鉄則の考察にすすみ, 賃金鉄則を構成する 二つの 基本法則を導出す る‐ 最初に, ラッサールの賃金鉄則について 『公開答書』 から引用する. 「今日の諸関係のもとで すなわち労働にたいする需要と供給の支配のもとで 労賃をきていする鉄の経 , , 済法則とは, 平均的労賃が, ある国民のもとで, 生存と繁殖のために慣習上必要な生計費にたえず制限され 続 ける と いうも の である」‐ これ が, 実 際の 日賃 金 が いつ でも そ の まわ りで振 り子運 動 をす る 点である. す な わち, 労 賃 は, この平 均 以 上 に な がく 上 昇 する こと は でき ない. なぜ な ら ば, さも な いと労働 者 の婚 姻 お よ. び繁殖がふえ, 労働者人口の増加が, 従ってまた働き手の供給増加が起こり, 労賃は以前の状態に再び引き 下げられるからである‐ 他方, 労賃はこの必要生計費以下にながく沈下することはできない‐ なぜならば, その場合には, 移住, 独身, 産児制限, そしてついに労働者数の減少が起こり, 従ってまた働き手の供給が 8 ) へり, それゆえ労賃は再び以前の状態に引き上げられるからである1 ‐ こう して ベ ル ンシ ュ タイ ンは, ラ ッ サ ール が 労賃 の運 動を 人 口の流 出 およ び流 入に よ っ て きせ い し, ま た. 標準的な労賃, すなわち労働力商品の自然価格を必要な生計費の最低限に一致させることを確認する‐ さら に, ラッサールから賃金基金説について引用する. 「そ の 国に ある 資本 す なわ ち労 働 基 金 は 間接税 に よ っ て 増加 され な い で ま さ にス ミス およ びリ カ ー , , ,. ドの仮定によれば実際著しく減少される‐ 労働に貸与されるべき資本, すなわち労働基金, それゆえ働き手 『間接税と労働階級の の需要は, 増加しないので, 今や労働者数が減少しないかぎり労賃は上昇しえない」 ( ).「すなわち産業的興隆および国民的資本は, ただ労働にたいする需要のみを示す. 関係の他の環, す 状態』 9 ) なわ ち 労働 の供 給 は人 口の 量 に よ っ て示 さ れる」 (『労働 者 読 本』)1 . 最後 に, ベ ル ンシ ュ タイ ンはラ ッ サール の賃 金 鉄則 を 次 の よ うにま と める‐. 労賃は, 労働者数と 「労働に貸与されるべき国民的資本量」 に依存し, この資本量は一定の時点で固定し た大きさとして前提される‐ これがいわゆる 「労働基金説」 あるいは 「賃金基金説」 であるが, それは中産 階級の古典派経済学にまとわりつき, また古典派以後の経済学によって, 資本の要求の擁護のために, ある いは労働者の要求とたたかうために特に好んで用いられたのであった‐ 「労働基金説と人口論は, ラ ッ サー 2 0 ) こうしてベルンシ タイ ンは 賃金鉄 ルがかれの鉄の経済的賃金法則を引き出す二つの基本法則である」 ュ ‐ , 則をマルサスの人口法則と賃金基金説とに分け, 以下, mからVで, この二つの基本法則について考察をお こな う‐. m. 人 口 法則. ベルンシュタイ ンはこのmで, 賃金鉄則を構成する二つの基本法則のうち, マルサスの人口法則について 考察する‐ まず, 人口法則の要点を次のように整理する‐ 人口法則, すなわち人口はその維持に必要な食糧よりもいっそう急速に増加する自然的傾向をもつ, の創 始 者 と して 通 例 マル サス の名 が あげ られ る. しか し, 1789年 に出 版 され た 『人 口論』 で, マ ル サス は, タ ウ ン ゼ ン ド, ジ ェ ー ム ズ ・ス テ ュ ア ー ト, ベ ンジ ャ ミ ン・フラ ンク リ ン, ア ー サー ・ヤ ン グな どの 以 前の 経 済. 学者たちの見解をくり返したにすぎず, かれの 「発見」 は, 人口 がその 衝動のみに従うなら幾何級数的 (1, 2, 4, 8) に増 加す る 同 じ期 間に, 生活必 需 品 は算術級 数 的 (1, 2, 3, 4) にの み増加 す ると い う 主張 に 限られ る. そ して, 人 口 は生活 必需 品よ りも い っ そ う急 速 に増 加 す る傾 向を もっ とい うマ ル サス の この法則 は, リカ ー ドに よ っ て も 受 入れ られ, さ らに, ラ ッ サ ール が 引用 した二 人の 権 威, す なわ ちJ. 2 1 S. ミ ル およ び W‐ ロ ッ シ ャ ー に よ っ ても 擁 護 され た ) ..
(8) . 賃金鉄則批判とベルンシュタイ ン. 続いて, ベルンシュタイ ンは人口法則の社会的および歴史的意義の考察にむかう. 18世 紀 後 半, イ ギリ ス は商 業 な らびに産 業 でオラ ン ダを 凌駕 し, 大 国と して た いと う して い た が, そ の 基. 礎には農民層, すなわちヨーマンリーがあった‐ けれども農民層は, 宗教改革いらい, 一連の冷酷な強制法 によって横領され, 路上に溢れ, 都市へと押しよせた‐17世紀末の 「名誉革命」 はこの過程をさらに加速し た‐ そ れ はた い と う しつ つ あ っ た マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア に必 要 な 労 働力 を 提 供 す る こ と に な っ た が, マ ニ ュ. 「 ファク ,チュアは 解放された」 農村の労働者の全群を受け入れるほど急速には発展しておらず, そこでイ ギ リスでは, 商業および工業, 芸術および科学が栄えたこの時期に,「貧民」 の大群が生じたのである‐ 中産階 級の科学としてたいとうしつつあった経済学は, 「過剰人口」 の原因について決して不明瞭ではなかったが, それをつくりだした過程が今なおかれらの眼前で進展しているので, 過剰人口の責任を, 過度な人間の増殖 2 ) に, すなわち過度に繁殖するというその最も非難すべき衝動に負わせたのである2 ‐ この よ う にマ ル サス の 人 口 法則 の 歴 史 的意 義 を述 べ, さ らに ベ ル ンシ ュ タイ ンは 「どの よ うな原 因 で 産 ,. 業は, 同時に絶えず労働力の不足について嘆いているにもかかわらず, 多くの プロレタリアートの予備軍を 自由に使いこなすことができなかったのであろうか」 と問題を提起する‐ その原因は, 当時の生産様式の内 的な 状態 に 求 め る こと が で きる‐ 1764年 に, ハ ー グリ ブス の ジ ェ ニ ー紡 績 機 が 発 明 され, ジ ェ ー ム ズ ・ ワ ッ トによ っ て 蒸気 機 関 が つく られ た‐ 続 いて, 1767年 に はアーク ライ トの水力 紡績 機 が さ ら に 1779年 に は , ,. クロンプトンのミュール紡績機が発明された. こうして新しい技術が開発されたが, それらの普及にはかな りの 年数 を要 し, それ は最 初 は標 準 か らの例 外を なす にす ぎな か っ た. フ ラ ンクリ ン, ス チ ュ ア ー ト, ヤ ン グ, ス ミ ス, セイ が執 筆 して いた 時代 に標 準 を な して い たの は 17世紀 末の ペ ティ の 時代 と 同様 に マ ニ ュ , , フ ァ ク チ ュ ア 的生産 であ っ た‐ さ ら に 「マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア 的 生産 の 特徴 と は どの よう なも の であ ろ う か」 と 発 問 し 次 の よ う に 述 べ ,. る. マニュファクチュア的生産は, すでに資本主義的に営まれているのであるが, しかしなお手仕事に片足 を おい てい る こ と である. 手 仕 事 が 本 来, 社 会 的 分業 の み を 示 して いる の にた い し, マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア 的. 生産は個々の経営内の分業に基づいている‐ マニュファクチュア内の個々労働者あるいは部分労働者は, 本 質上, 職人であり, かれの個人的熟練, かれの専門での職人的名技が全機構の基礎をなしている‐ 職人が経 済的理由から直接に企業家に依存しているとすれば, 他面で, 企業家の経営もかれに 依存 しているのであ る. マニュファクチュア的経営の全機構は, 熟練労働者がその特殊な機能をやめると停滞する. かれの人格 はす でに損 な わ れて はい る が, ま だ 残 っ て いる‐ も ちろ ん, 工場制 大 工 業 に か わ り つ つ あ る マ ニ ュ フ ァ ク. チュアでは, 熟練労働者とならんで, ますます多くの未熟練労働者の採用が始まっているが, 今日なお本質 上マニュファクチュア的に営まれる産業 (建築業, 植字業) でそうであるように, 前者が主要な役割をえん じている. 近代の大工業ではすでに消滅したのであるが, これらの産業では, 古典派経済学が作業をしたす 3 ) べ ての 範 鴫 が な お有 効 で ある2 . こ こ で ベ ル ンシ ュ タイ ンは, マ ルクス の 『資本 論』 第1 部 (第二版) 第4 節 「マニ ュ フ ァ ク チ ュ アの 資本. 主義的性格」 から引用をおこなう‐ 「同じ資本の号令のもとにある多数の労働者が, 協業一般と同様に マ , ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア の 自然 生 的 な 出発 点 をなす」. 「同 時にマ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア は 社 会 的 生産 をそ の 十 分な広 , が りに お い て と らえ る こ と は できな か っ た し ま た そ の 深部 に お いて変 革 す る こと も できなか っ た そ れ は , .. 都市の手仕事と農村の家内工業との広範囲な基礎のうえにそびえた経済的な芸術品であった‐ それ自体の狭 隆な技術的基礎は, 発展のある段階で, それ自体によってつくりだされた生産における要求と矛盾するに至 2 4 ) る」 ‐. 続 いて ベ ル ンシ ュ タイ ンは, マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア 的 生産 とマ ル サス の 人 口法則 と の 関連 につ いて 次 のよ う. に結論する.「古典派経済学がその ドグマをうちたてた生産様式は, このように見える. そしてその ドグマ は 7.
(9) . 荒 川. 繁. マニュファクチュア的生産がとっくに機械制生産に席を譲ったにもかかわらず, 今日なお俗流経済学の従者 に よ っ てく りか え され て い るの である. そ して, この 生産 様 式 の精神 にマ ル サス の 人 口法則 と, そ こか ら導. ) かれた賃金法則が対応している」% ‐ ところで, 労働者が資本主義的な生産機構の付属品として機能しているのであるが, 生産機構が再 び労働 者の熟練に依存し, 緩慢にのみ動いている生産時期において, 前世紀の経済学者たちにみられたような, 資 本と労働の関係にかんする, さらに労賃への需要と供給の作用にかんするかのすべての理解が生まれなけれ ばな らなか っ た と い うこ と は容易 に 理解 しうる. と ころ で機械 はア ダム ・スミ ス の 時代 によ うやく 萌 芽形 態. であったが, マルサスが 『人口論』 を執筆したとき, 機械は多くの産業にすでに浸透し, そこで諸関係を変 革 して いた. そ れゆ え, こ こ で は専 らマ ニ ュ フ ァ ク チ ュ アの 視角 か らす る 経済 問題 の考察 はも はや 自 明の こ と で はな か っ た. 然 る に, 総 じてマ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア の 時期 に, 初 め て 固 有 の 科 学 と して 登 場 し た 経 済 学 は, そ こか ら導 か れた 「諸 法則」 にな が らく 立脚 して いたの であ っ た‐ ア ダム ・ス ミス が最近 に いたるま で. その証人であった‐ 機械がその間もたらした技術的諸変化は派手に強調されたが, それが引き起こした経済 的諸変革は, 二三の弁護的ないいまわしによって片づけられた‐ リカ ー ドの 『原 理』 は1817年 に, そ れゆ え機械 の 革 命 的作用 がす で に 明 ら か で あ っ た 時 期 に 出 版 さ れ た が, リ カ ー ドはマ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア の 時代 か ら受 けつ い だ 観照 に な お深く と らわれ て い た‐ か れ は1821年 に. 刊行された 『原理』 第三版に付した機械に関する章においてすら, そして, そこで彼は機械によって駆逐さ れた労働者にかんする名高い補償説を放棄しうると率直に言明したのだが, 結局, かれはマニュファクチュ アに対応した理解に絶えず後戻りする. マルサスの人口法則は, リカー ドにとって, 生産への機械の普及に 2 6 よ っ て は少 しも 損 なわ れる こと はな か っ た の である } . この よ うに して ベ ル ンシ ュ タイ ンは, m で, マ ル サスの 人 口法則 がマ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア 的 生産 に根 ざ した. ものであること, また機械制大生産になってからも, この人口法則 が保持され続けることを結論する. W. 賃金基金説 ベルンシュタイ ンはこのWで, ラッサール賃金鉄則を構成するもう一つの基本法則, すなわち賃金基金説 を, こ れ にた いす る 従 来の 諸 批判 をも あわ せて 検 討す る‐ ベ ル ンシ ュ タイ ンは, ま ずス ミ ス の 『国 富論』 か ら引用 して 次の よう に述 べ る.. 「賃金労働者にたいする需要は 賃金の支払いに定められた基金の増加に比例してのみ増大しうることは , 「 明らかである」‐ この基金は二種類からなっており, それは第一に, 必要な生計費をこえる収入から, 第二 に, か れ らの親方 の作 業 の ため の 支 出 を こえ る 資本 (ス ト ッ ク) か ら構成 され る」. 以 上 の こと をス ミス は,. 地主, 金利生活者および織工, 製靴工などの実例を用いて説明するが, これらの具体例はマニュファクチュ ア以前の生産時期に適合するものであった. 労働者と奉公人との同等視, ならびに自分で働きつつ, そのほ かに彼の 「資本」 に応 じて職人を雇用する親方の姿は封建時代に属している. そしてスミスの時代にこの典 型が実際になお多くみられたとすれば, これらの死滅しつつある生産様式にたいして, 当時の近代的な生産 の 典型 と してマ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア が 対立 し, そ こ で は親方 が 職 人を雇 うの ではなく, 通例, 商人 と して の資. 本家が親方およ び職人を雇い, かれらの労働から利益をとり出したのである‐ 作業場は工場にかわり, 職人 か ら近 代 的な, あ らゆ る 点 で 「自 由な」 プロ レタ リ ア ー トが うま れて い た‐ こ の 過 程 は ス ミ ス の 眼 前 で 起 こ っ て いた. か れ は この過程 を 社会 的進 歩 と して歓迎 し, マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア に よ っ て う みだ さ れた 分 業の. 経済的長所を賛美した. それだけにかれが, 賃金基金説のための典型的事例として, 手仕事を選んだことは いっそう特徴的なことである‐ このことにもちろん, 一定量の資本は常に一定数の労働者のみを雇用しうる とい うこ とが適 合す る幼‐ 8.
(10) . 賃金鉄則批判とベルンシュタイ ン. この よう に ベ ル ンシ ュ タイ ンは, ス ミス の賃 金 基金 説 がマ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア 以前の 職人 およ びそ の 親方 を 実 例 と して いる こと を 指 摘 し, さ らに 次の よう に述 べ る‐. それでも, この後戻りは決してスミスのもとでのみ確認しうるものでない. 経済学が賃金基金説--それ は, 以後ながく ドグマになるのだが--にたち返るときにはし・つでも, それは, たった今うたい始めた機械 制度の絶えざる進歩を忘れ, 近代社会の標準的な状態として, 絶対的な中世ではないにしても, 少なくとも マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア に根 ざ した 遅れ た シナ を提 示 す る‐ 例 え ば, 1821年 に デス テ ュ ッ ト・ トラ シは 「我々 の. 古い固定した社会では, 賃金が支払われる基金はほとん ど不変の大きさである」 と述べている‐ またりカー ドは 「しかし両方の場合に」, すなわち資本の増大に伴い, 資本の交換価値が上昇するときにも, あるいは, それが同じままか低下するときにも,「労賃の市場率は上昇するであろう. なぜなら資本の増大につれて, 同 じ割 合 で労 働 に た いす る 需 要 が 増 加 す るか らで ある」 と, さ らに, J. S. ミ ル は 「労賃 は労働 者 の 雇用 に. 用いられる総基金の増加によって, あるいは労働者数の減少によってのみ上昇しうる‐ 同様に他面では, 労 働の支払いに定められた基金の減少によって, あるいは支払われるべき労働者数の増加によってのみ低下し 2 8 う る」 と 述 べ て い る } ‐. この よ う に ベ ル ンシ ュ タイ ンは, 古 典 派経 済 学 に おい て ドグマ とな っ た賃 金 基金 説 が, マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ. ア的生産に根ざしたものであることを指摘し, 続いて, この賃金基金説にたいする従来の代表的な論駁を紹 介 し, そ れ にた い し次 の よ う な 批判 を お こ なう‐. 「この理論 あるいはマルクスが名 づけたように古典派経済学のこの ドグマは すでに比較的早期に論駁 , , されていた. とりわけ今世紀の最初の数十年間には, イギリスの社会主義者たちのがわから, またかれらの 大陸の信奉者たちから論駁されていた‐ しかし, この論駁は大体において常に次の証明に限られている‐ 労 働者の賃金が支払われるのは, 企業家たちの手中にある, あるいはかれらの貨幣資本によって表される商品 資本からではなく, たえざる更新過程にある社会的総収入からであること, それゆえ労働者の賃金は, 資本 主義的所有が一般的であるもとでそうであるように, 商品資本の量にその自然的限界をみいださないと. か れらは, この ドグマをかれらの社会主義的な社会把握の見地から論駁したが, それがどこまで現存する資本 主義社会にとって有効であるのかを研究しない」‐ この 例 と して ベ ル ンシ ュ タイ ンは, ウイ リ ア ム・ トムソ ンの 著 『富 の 分配原 理 の研 究』 ( 1824年) か ら引用. し, 実際に蓄積された富の量は, 社会の生産諸力と比べて, あるいはこの社会の実際の消費と比べても, 全 く とる に た りな いも の である こと, ま た 実 際の 蓄 積 はあく ま で二 次 的 な意 義 をも つの で あ り, も っ ぱ ら年 生. 9 ) 産物の分配への影響によってこの意義を保つと述べる2 ‐ 続 い て ベ ル ン シ ュ タイ ンは, ドイ ツ に おける 賃 金 基 金説 の論 駁 につ い て述 べ る‐. 賃金基金説が ドイツのがわで受けた論駁には, ヘルマン 『国家経済論研究』 ( 1832年) およびロー トベ ル トゥス 『わが国家経済状態の認識のために』( 184 2年) があるが, それらは大体において同じ思想圏で運動し ている‐ 「ヘルマンによれば労賃を支払うのは消費者であるが, 他方, 資本は 『運送手段』 と してのみ役立 つ‐ ロートベルトゥスによれば労働者は 『資本から, つまり労働の開始においてすでにあった蓄えからでは なく, 自己の生産物から, あるいは, もしこれ自体が生活必需品でないなら, 分業と交換の結果, とにかく 今期の生産物である生活必需品から賃金を支払われるのであり, その期間にたいして労働者はかれの賃金を 0 } 受 け とる の である』一3 ‐. 両者とも社会を単一の全体としてとらえ, その特殊な資本主義的組織を無 視する‐ 実際に農場経営者 で あったロートベルトゥスが, 収穫の後にその 「現物給与」 を受けとった農業労働者を, つねに思い浮べてい た こと は あ りうる‐ ロー ト ベ ル ト ゥ ス は, 労働者 がか れ の 労 働 を 資 本家 に 前貸 しす る と い う正 しい命 題 を,. 労働者自身が小資本家として登場するというように解釈するのである. 労働者がその労賃を, かれが支払わ 9.
(11) . 荒 川. 繁. れる同期の生産物との交換でのみ, たえず実現するというロートベルトゥスの主張は, 近代的な生産様式の あらゆる特質を無視している. 労働者が新しい労働期間の開始に賃金の形態で手にもっていた蓄えは, 確か に以前の労働期間の仕事にたいする支払いであるが, それは決して同期の生産物において実現されるのでは なく, ずっと以前の時期の生産物において実現されるのである‐「労働者が生産期間のあいだ, あるいはかれ の生産物が実現されるまでのあいだたよりとする蓄えが, 労働者にとって資本家の自由になる蓄えとして, つ ま り資本 と して 対立 す る とい う こと は, 資 本 主義 的生産 の 特 徴の 一 つ であ る‐ ロー ト ベ ル ト ゥ ス はこの事. 実を無視するので, かれの説明は当面の問題にとってあらゆる実践的な意義を失う」‐ 「ヘルマンの理論についても事情は同じである‐ ここでも問題は 資本家が単純に消されることで ÷ 悲 , しいことに, ただ紙幣で--解決される. 資本家が私的消費のためではなく, 市場のために生産をおこなう こと, それゆえ結局, 多くの消費者が生産物の価格 で, それに対象化された労働の価格をも支払うというこ とは明らかに正しい. しかし, そのことは, 生産物が販売される以前に労働者がその賃金を受けとっていた こと, ま た 受 け と っ て い な けれ ばな らな い と いう 事実 を 少 しも か え るも の ではない‐ も ちろ ん ヘ ル マ ンの理. 論が前提するように, 企業家が生産にはいる前に, 消費者か企業家の生産物にたいして提示したことについ て, 企業家が消費者と商議するという事態がいたるところで起こるならば, 消費者への言 及は, 賃金額に と っ ての 最高 審 と して, 少 なく とも一 定 の 限界 内で は意 義 があ る であろ う」‐ しか し, この 素朴 な状態 は個 々. 1 ) の産業においてのみみられ, そのほかでは, 公開市場における競争が価格決定にさいし発言力をもつ3 . ベ 最後に ルンシュタイ ンは, 労働組合運動の立場からの論駁について述べる. 「イ ギリス 人の賃 金 基金説 の 論 駁の う ち ソ ー ント ンのも の が最 も 著名 である それ は純 粋 に経 験 的にイ ‐ ,. ギリス労働組合の諸経験を総括したものである‐ ソーントンは次のことを主張する‐ すなわち企業家が労働 者にたいする支払いにさいし目安とするのは, かれがその資産と収入に応じて, どれだけ労働者に支払いう るのかではなく, かれが労働市場の状態に応じて, どれだけ労働者に支払わなければならないのかである. ま た ソ ー ント ソは, 企 業家 が どの よ う な基金 も有 しな い こと を 主 張す る. … …個 々 の 企業家 に と っ て ないも. のは, 全企業家にとってもない‐ それゆえ, 国民的な賃金基金は問題とならない ばかりでなく, 労働者総体 にとっても, かれらの収入総額は絶対的に限界をかくされることはないのである‐ 後者は, むしろある程度 2 1 ま で拡 大 で きる」3. ソーントンは, 組織的行動によって賃金の持続的な引上げを実現することが可能であると考える六つの場 合を列挙する. ベルンシュタイ ンは, これらの具体例を個別に検討し, そこでは経営体の性質および労働の 特質が全く述べられていないことを指摘する. すなわち, 建築業や被服業などの多くの産業で, 労働者がよ りよい組織と有利な事業展開とによって, 賃金を引上げ, 保持しうるという正当な見通しをもつことは正し い と して も, この原則 は無条 件 に妥 当す る もの で はな い. これ らの産 業 で分業 が 実 施 され る にと もな い, 全. 労働者が同じ見通しをもっということはなくなる‐ 機械および下職人あるいは婦人あるいは未成年労働者が 経営の主要な諸要素を形成する地方的産業およ び世界的な独占産業で さえ, この 原則から除かれる. さら に, ある種の独占的経営では, 労働者がたんなる団結の方法では全くなにもできないような, 労働者にたい 3 3 す る 企 業家 の優 位 が しば しばつく りあげ られて いる ) ‐. 1) 現時点でベルンシュタイ ンをどのように位置づけるのかは各論者によって異なるが, さしあたり次の文献が有益である‐ 佐々木建 「E ・ベルンシュタイ ン再考」 (浜林 西岡他編 『経済学と階級』19 87年, 梓出版社), 亀嶋庸一 『ベルンシュタイ ン』 ( 19 95年, み . , t すず書房), 関嘉彦 『ベルンシュタイ ンと修正主義』 (1980年, 早稲田大学 出版部) とくに259‐263ペ ー ジ参照, Pe e r Gay, The i f Democr i i l i fs i i i i Di l t ta tam Ma n smus emmao a c Soc a sm,1970 New York son smusund Rev s on . ,BO Gus , Marx ,1972 Frankfur. 10.
(12) . 賃金鉄則批判とベルンシュタイ ン 2)1896年から1898年にかけて 『ノイ エ・ツァイ ト』 誌に公表された 「社会主義の諸問題」( 1 89 9年に 『社会主義の諸前提と社会民主党 『 1 の任務』 として出版) にたいし, ただちにバルブス ( 898年1-3月, ザクセ ン労働者新聞』) およびローザ・ルクセンブルク 『社 会改良か革命か』 (第一部1898年9月, 第二部1899年4月,『ライ ブツィ ヒ民衆新聞』 ) が批判をおこない, おくれてカウッキーも 『ベ ルンシュタイ ンと社会民主主義的綱領』 ( 1899年) を発表 した‐ これについては, 山本統敏篇 『第二イ ンターの革命論争』 ( 1975年, 6ページ参照‐ ローザの反論についてはバウル・フレーリヒ, 伊藤成彦訳 『ロー 紀伊国屋書店) 「第二部修正主義と改良主義」 とくに4 ザ.ルクセンブルグその思想と生涯』 ( 1987年, 御茶の水書房) 63‐70ペ ー ジ, ま たカ ウッキーの反論につ いて はゲアリ・P‐ ス 『 1990年, 法政大学出版局)1 90ページを参照‐ 77‐1 ブィ ーンソン, 時永淑, 河野裕康訳 カール・カウッキ-』 ( 『 i 1897月898 3) Di t ) e Neue Ze .27 , XW‐Jgり( , 亘‐Bも Nr ,28 ,29 ,30 ,31‐ な お ノ イ エ ・ ツ ァ イ ト』 誌 の 発 行 日 につ いて は服 部 文 男 氏. に因る‐ またエレナ・マルクスの死亡は189 8年3月31日であり, 葬儀は4月 5 日であるので, ベルンシュタイ ンによる独訳はエレナ の死の直後に刊行されたことになる‐ この点については都築忠七 『エリノア・マルクス』 ( 19 84年, みすず書房) 「十三 エリノアの 死 - エ ピロ ー グ」 参 照‐ ベ ル ン シ ュ タイ ン は 『ノ イ エ ・ ツ ァイ ト』 誌 [XW.Jg 1897月898 ) . ‐ ‐30] に 「エ レナ ・ マ ル ク ス ,( , 1‐Bd ,Nr. --エ ドアル ド・ ベルンシュタイ ンの回想録」 を発表している‐ 4) マルクスの講演は186 5年6月20日と27日におこなわれ, また総評議会ではなく中央評議会であった‐ The Gene i lo fthe ICounc r a Fi i l1864一1866八 厘 i 109- tlnte t ‐111- r s rna ona nut es . ,PP. 5) ウェストンはバクーニンたちが企てた国際労働者協会の分裂工作に加担していた‐ これについては総評議会でのマルクスの告発報 fthe Fi 202一204‐ ICounc i lo i l1871一1872 告が興味ぶかい‐ The Genera tlnte t r s rna ona ‐ ,pp 6) Di i XW 9 8 亘 B d N 1 8 9 7月8 2 7 S 4 f t ) 0日 付 の エ ン ゲル ス 宛 の 書 簡 で, ウ ェ ス ト ン を J ( マ ル ク ス は1 8 6 5年 5月2 e Neue Ze . g . ‐ , ‐ ‐ , , , ‐ - , r. 「善良な飲み助おや じで年老いたオーエン主義者」 とよんでいる MEW Bd 31 S 122 ところで 「この論文ならびに第一節から第 ‐ , . ,. . 四節までの表題は我々に因る」 と述べているが, この 「我々」 とはベルンシュタイ ン以外に誰を意味するのであろうか‐ この点につ いては独訳と並行 して進められたェr レナ編の英語版での刊行が注目される‐ なおマルクスの講演草稿の資料調査を踏まえた別稿を予 定している‐ 7) マルクスによるウェストン批判の詳細については, 拙稿 「国際労働者協会と労働組合1-マルクスによるイ ギリス労働組合主義批 判-」 (『マルクス・エンゲルス・マルクス主義研究』 第19号,199 3年) 参照‐ 8) 『マルクス=エンゲルス著作集』 (大月書店) では,18 65年のマルクスの講演の総表題をベルンシュタイ ンから, 他方, 第一節から 第六節までの小表題をエレナ・マルクスからとっている. 但し, 小表題の第三節 「労賃と貨幣流通」 は異なる‐ MEW,Bd ‐16 ‐ ,S 7 88‐ また, 新 『メガ』 では講演の総表題を 「価値, 価格および利潤」 としている. MEGAI/20 ,S‐140一143‐ な お, リ ュ ベルは独 自に 「賃金, 価格および剰余価値」 としているが興味ぶかい‐ Max l OEuvr imi l i i 473‐ es Economi el,1977 Pa en Rube r s . ,p 9) マルクスとラッサールとの関係は次のとおりである‐18 59年10月 2 日付ラッサール宛書簡で, マルクスはラッサールに 「経済学批 判」 の内容について伝えていた‐ MEW,Bd 3‐ またマルクスは18 64年11月14日付のエンゲルス宛書簡で, ベルリンに機関紙 .29 .61 ,S があることは国際労働者協会のためにも, 刊行予定の 「本」 のためにも都合がよいこと,「我々は気がむきしだいときおりの寄稿を約 束」 したことを伝え, シュ ヴァイツ ァーが中心となっている 『ゾツィ アール・デモクラート』 誌への編集に協力することを述べた‐ MEW,Bd 5年2月23日付の [『ゾツィ アール・デモクラート』 編集部への] 「声明」 で, 機関誌を 「プロイセン ‐31 .21‐ しか し186 ,S 王国政府社会主義」 と特徴づけ, 新聞への協力を停止した. MEW,Bd 5年 3月15日付のマルクス .16 .79 ,S ‐ この点については186 [『ゾツィ アール・デモクラート』 との絶縁の諸原因についての] 「声明」 もあわせて参照. MEW,Bd 1 ‐6 .86一89 ,S ‐ またさらに, 「 ゴ 「 「 18 75年に書かれた ータ綱領批判」 で, 綱領にのこされたラッサールの 賃金鉄則」 にかん して, 賃金鉄則とともに」 「賃金制度 の廃止」 を語るというナンセンスをおかしていること, 賃労働を廃止すれば,「鉄」 製であろうと 「海綿」 製であろうとその法則をも 当然廃止することになる, と批判 した‐ MEW,Bd 5 .19 .2 ‐ ,S 一方, ベルンシュタインによるラッサールの評価は微妙である‐ エンゲルスはゾルゲ宛の1891年3月 4 日付の書簡で 「ラッサール 新版は注などを付して刊行されるであろう‐ そしてこの面倒をみるのはベルンシュタイ ンになろう (これは内緒だぜ)」 と述べてい る‐ MEW,Bd 1891年の .38 ‐46‐ ベルンシュタイ ンも 『社会改革者としてのフェルディ ナント・ラッサール』(英語版) の序文で 「 ,S 『ラ ッ サール演説著作集』) を編集すること を命 じられ た と述べている 春に, 私は ドイツ社会民主党執行部によって, これ ( 」 . Edwa i i te l l i lre f rd Be rns n Ferd nand Lassa easas oc a f orme r ndon e a ce ,1893 Lo ‐Pr ‐v. なお, この序文は 『ラッサール演説著作 ,p 集』 (独語版) の序文を英訳したものであり, エリナ・マルクスによっておこなわれた‐ さらに, ベルンシュタイ ンはラッサールについて次のように述べている‐「かれが, まさにそのマルサス主義的基礎とともにまるご と受け入れるに至ったりカー ドの賃金法則に反対するため, かれは国家によって援助された生産的協同組合を救済手段として提起し た‐ 私はこの本の第W章で, かれの救済手段が誤りであると考える理由を示しておいた」‐l b i dりp i .xi ‐ ベルンシュタイ ンは第W章 「 で, ラッサールがかれの理論を基礎づけた 賃金鉄則」 は, 小規模産業にのみ適合すること それゆえ 少なくとも近代の産業社会 , , では適合しないと述べている‐l b i d 134 . . ,p ‐ ラッサールの目的は, もちろん現在の商品生産を廃止することであったが, かれの手段は それにふれることがなかった‐ かれの目的は組織された社会的生産であり, かれの手段は個人的な連合であったと述べている l i dり ‐b 「 1 3 6 なお ドイツ語版では フ ルデ ナント・ラ サールと社会民主党史にお けるかれの意義 という副題であ p ェ ィ . ‐ ッ , 」 ったが, 英語版 では 「社会改革者としてのフェルディ ナント・ラッサール」 に変更された‐ 1890/1891 )D i t 10 ) e Neue Zei . . .9 , K.Jg ‐294 ‐ ,( , 1.Bd , Nr ,S 11.
(13) . 荒 川. 繁. 0年12月から18 91年2月まで,『いわゆる引用文変造を理由とする プレソターノ対マルクスの事件経緯物語と関係 1 9 1 ) エンゲルスは,18 2 f 5 資料』 を執筆し, プレソターノ批判をおこなっていた‐ MEW,Bd .2 .S .9 . 他方,1890年11月半 ばから1891年2月半 ばにかけて執 「 筆されたと推定されるベルンシュタイ ンの論文 賃金鉄則の問題によせて」 でも, ラッサール賃金鉄則と同時にプレソターノが批判 d Bemstein Entwicklungsgang されていた. 従 って 「この論文に はエ ンゲルス が 大きな興味 を示 してくれた」 の である‐ Edua r Ei 30Le i i i l i t nesS a s en oz pz g .18‐ エンゲルスにとってベルンシュタイ ン論文は, 労働組合による賃金引上げ闘争の過少評価およ ,19 ,S. び工場法への過大評価の点で問題が残るが, プレソターノ批判の範囲内で容認されたのではなかろうか‐ なお, エンゲルスの プレソ t i ターノ批判については 「賃金鉄則の問題によせて」 「1‐ ルョ‐プレソターノ氏の最新の成果」 でも述べられている‐ D e Neue Zei , 1890/1891 獣.Jg ) . .9 .294- . ,( , 1.Bd , Nr ,S i i890/1891 ) t 12 ) Di e Neue Ze . .9 , 1‐Bも Nr ,S.295f , 以.Jgり(. ) 党綱領についてリープクネヒトが報告 し, そのなかでラッサールの賃金鉄則について述べている‐ 「我々は賃金鉄則を, ゴータで, 13 すでに実際にないといわなければならなかったのだ‐ いわゆるこの法則は, ブルジョア国民経済学からとられたものである‐ この表 現はラッサールによって煽動のために用いられ, またその目的を見事に果たした‐ それはいくらか具体的であり, 観照的であるが, しかし, 科学的には正しくない. も し賃金鉄則があるなら, もし, 賃金が絶対的な最低限に引き下げられるなら, むろん, 同じ国の l i te tages deI t e Ve rhand ungen des pa ・ 同 じ部門で全く異なっ た賃金率があることはありえない であ ろ う」- Pr o okou uber di l i l i Soz i iDeut l tenzu H司l i副demokr te t r n ea r1890 s18 a schen Par sch ands .S ‐167‐ ハ レ党 大 .S .vom 12b .oktobe ‐ Abgeha ,Be ,1978. 会の議事録のコ ピーを後藤洋氏から頂いた‐ この場を借りて感謝を述べる‐ 1974年, 未来社)7 6ページ また1890年のハレの党大会で賃金鉄則が批判されたことについては, 服部英太郎 『ドイツ社会運動史』( 『 199 3年, 未来社) 参照‐ ラッサール賃金鉄則と ドイ ツ労働組合運動との関連については, 山井敏明 ドイ ツ初期労働者運動史研究』 ( 28 1,28 6ページ, また ドイツの初期労働運動の中心的な担い手が 「手工業的専門労働者」 であったことについては同書291ペ ー ジ参 『 『経済学論纂』1970年 第1 照‐ なお, 島崎晴哉 「ラッサール主義と労働組合」 ( , 1巻第5・6合併号), 安世舟 ドイツ社会民主党史序 「 「 8‐1 38ページもあわせて参照‐ さらに 地域から」, 日常活動から」 ドイツ社会民主党の活動を研究 説』 ( 19 90年, 御茶の水書房)12 1995年, 北海道大学図書刊行会) がある‐ したものに山本佐門 『ドイツ社会民主党日常活動史』 ( l 16 f l 14 ) Pr t o oko .a .○りS .2 ‐ また英, 独, 仏の比較社会史の立場から19世紀末の労働組合とストライ キについて論じたものに次の研 ,a l l i lm Bo l I A1be f i i t t sch and and und Frankr e ch 究がある‐ Fr edhe skampfeund Gewe rkscha eni n Deut . ,Eng ,1992 Bonn l l 15) Pr t o oko .a ‐ 0. ‐ ,S.222 ,a. ) プレソターノの労働組合論については, 大河内一男 『ドイツ社会政策思想史』 「第三章ワーグナー, シ ュ モラー, プレソタ ーノ」 16. (日本評論社) 参照. 1890/1891) i t )D 17 e Neue Zei -9 . , 1.Bdり Nr ,S.296 , 駅.Jみ ( 1890月891) t i 18 )D e Neue Zei . ‐9 ,S.297 , 1.Bdり Nr , ぱ‐jgり( i890/1891 i ) i t 19 )D e Neue Ze . .9 .298 . . , 1.Bd , Nr ,S , K.Jg ,( 189″1891 i ) i t 20 )D e Neue ze .9 ‐298 ‐ , 1.Bdリ Nr ,s , 広 Jgリ( f 1890/1891 ) i t 2 1 )D e Neue Zei .11 . ,S.337 , 1.Bdっ Nr , 獣.1gり( f 1890/1891 ) i t 22 )D e Neue Zei .11 . . , 1.Bdり Nr ,S.338 ,( , 駅.1g f 1890月891 ) i t 23 )D e Neue Zei -339 - .11 ,S , 1‐Bdリ Nr , 駅.Jgり( 1890/1891 ) i t )D 24 e Neue Zei .11 . . ,S-340f ,( , 1.Bdり Nr , 区.Jg 1890/1891 i t ) 25 )D e Neue Zei . .11 .341 . , Nr ,S , ぱ‐Jgっ( , 1.Bd 1890月891 t ) 26 ) Di e Neue Zei . ‐341一343 . .11 ,S , 1.Bd , Nr , 駅.Jgリ( 1890月891 t ) 27 ) Di e Neue Zei ‐12 .369f . ,S , 1.Bdり Nr , 駅.Jgっ( l a i i 18 90/189 1 )D 28 t ) e Neue Ze . .12 .370‐ なお賃金基金説 に つ い て は 次 の 研 究 が参 考 と な る‐ Antonel . ,S ,Nr , K‐Jg ,( , 1.Bd fv▽agesi i IEconomi st i i The Theo t cs ry o n cl ass ca ra ,i994 ,pp 177一184‐ i 1890/1891 ) t 29 ) Di e Neue Ze ‐12 . , 1.Bも Nr ,S.371 , 区.Jgり( 1890/1891 t ) i 30 )D e Neue Zei .371f . .12 , 1.Bdり Nr ,S , 区.Jgリ( f 1890/1891 i t ) 31 )D e Neue Zei .12 . , 1.Bdり Nr ,S.372 , 獣.Jgり( 1890/1891 ) i t )D 、 3 2 e Neue zei . .12 , 1.Bdり Nr ,S.373 , ば‐jgり( 1890/1891 ) t i 33 )D e Neue Zei ‐ .12 .373一375 , 1.Bdり Nr ,S , 区.Jgリ(. (北海道教育大学教育学部釧路校 助教授). 12.
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