授業「地図をいろどる」実践と考察-なぜ「地図をいろどる」は読みにくいのか-
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(2) . るo. 口. 守. ろく を さ ば く ﹂の. 筆二 を読み解くか考察した。 を意識して評論文、小説 具体;抽象﹂ 以上のことから本稿は、﹁ を読み解いてきた学習者が、どのように随筆を読んだかを記録し、 教材理解をより深めようと試みるものである。. 随 かり 学 習 す る中 で、ど のよ う に ﹁ 随 筆 ・随 想 ﹂ ︵ 稿 者 ・以 下 ﹁. 実践し、稿者が所属する高等学校の生徒が、普段評論文や小説ば. めよう と した 6。今 年 度 は 、これ とは違 み方 法 で ﹁ 問 題 三 ﹂を授 業 で. 問題三﹂﹁ ここに掲げられた五編の、文章上の特徴を述べ、比 後の﹁ を取り上げ、各教材を比較検討し教材理解をより深 較してみよ。﹂. さ て、稿 者 はか つて ﹁ 五 柳 田教 科 書 ﹂ 所 収 ﹁. 学習した者が対象であることを前提とする。. な かろう が、この﹁ 変 換 ﹂が難 しい。以 下 の考 察 では、これ ら のことを. うな普遍的な美﹂﹁ 埋まっていない←生み出す芸術性は存在しない﹂ 具体←抽象﹂ という ﹁ が求められている。高等学校の学習者だけでは. 美 を 生 み出 す 芸 術 性 は存 在 しないということ。﹂ ここでは、﹁ 明 治 の木 ← 明 治 と いう 時 代 ﹂﹁ 仁 王← 運 慶 の仁 王 のよ. 解答例A﹁ 明治という時代には、運慶の仁 王のような普遍的な. 問﹁ 明 治 の木 には ー・ 仁 王は埋 ま っていな いも のだと 悟 った﹂と あ るが、ど のよう なことを 暗 示しているか、説 明 しな さ い。. で 暗号解き﹂﹁ 謎解き﹂ 具体から抽象を導く繰り返しは、彼ら 日く ﹁ あったようだ。教科書準拠問題集3では以下の発問と解答例4 があ. ︵ 夏 目 減 石 ︶2を 教 材 と したが、はじめて読 む 学 習 者 にと って難 解 で、. 第 一夜 ﹂﹁ 第六夜﹂ これに関して 一例を挙げる。先 日﹃夢十夜﹄﹁. 谷. は読みにくいのか 1 1 地図をいるどろ﹂ 授 業 ﹁地 図 を いるど ろ ﹂実 践 と考 察 ー1なぜ ﹁. は じめ に ﹁ 浅 春 随 筆 ﹂﹁ か みな りさ ま 談 義 ﹂ 大蛇 ・ 地 図 をいるど ろ﹂﹁ 小 蛇 ﹂﹁. る。 浅 春 随 筆 ・ ・ ・ ・ ・ ・栃 内 吉 彦 大 蛇 ・小 蛇 ・ ・ ・ ・ ・片 山 広 子 地 図 を いる ど ろ ・ ・ ・鏑 木 清 方 か みな りさ ま談 義 ・ ・東 条 操 ろ く を さ ば く ・ ・ ・ ・三 淵 忠 彦. ﹁ は、昭和三十 ︵一九 五五︶年に東京書籍株式会社 ろくをさばく﹂ 以下、 ﹁ が発行した柳 田国男編﹃国語 高等学校 一年上﹄ , ︵ 柳 田教科書二 ﹁一 随筆 ・随想﹂ に所収された教材 である。 ﹁一 目次﹂は次 のとおりであ 年上﹂所収 の随筆は全五編 で、そ の ﹁ 一 一一 三 四 五. 今年度稿者は第 一学年を担当している。国語総合の現代文分 野 では、大学受験対策を念頭に置いて、はじめて見た評論文、小説を はやく読み解くという授業ばかりが続く。この約十ヶ月間は、月並 みではあ るが 以 下 のよう な授 業 であ る。. 評論文では、具体的記述と抽象的 記述 の見分けをして、複数の 抽象的記述から結 論を導き出した。また小説では、その方法は容 易に 一つにまとめられないが、複数の具体的記述から登場人物の心 情をまとめ、抽象事項を導き出す方法が主であった。概して、評論 文では抽象的内容が直接本文に書いてあり、小説ではここで言う抽 象 事 項 が直 接 書 いてな いと いう ことが多 かった。そ のため 小 説 では、. 本文を根拠に抽象事項を間接的に推理することになる。. 6 9 1.
(3) . 一 教科書指導資料の中 での ﹁ 随筆﹂. 以前 ﹁ 五編 の、文 章 上 の特 徴 を 述 べ、比較 してみよ。﹂と いう 問 題 を 取 り上 げ た際 、﹁ 随 筆 ﹂とはど う いう も のかを 見 てき た6。では、そ. 随筆﹂ の﹁ をどのように指導してけばいいのか。それを高等学校教科 書に付随する、いわゆる﹁ で見てきたい。指導書掲載教材は、 指導書﹂ 小 説 が 圧 倒 的 に多 く 、﹁ 随 筆 ﹂が 少 な いが 、そこではど のよう 評論 ・ 随 筆 ﹂を 読 ま せると よいと ﹁ に﹁ 指 導 ﹂しているか見 たい。そ の際 、も. ちろん各指導書は、各教材のためのものであり、他の教材のために 書 かれ たわけではない。そ のためここでは ﹁ 随 筆 ﹂に関 して、より 一般. 的に書かれたものを見ていきたい。︵ 傍線稿者︶ ① 国語総合 ︵ 大修館書店︶7 7頁 ﹁ 学習指導 のねらい 1随想という文学的な文章と論 理的な文章 の中間に位置する文体に慣れ、︵ 筆者 の感性に 。 よる︶ 材の 定や の い 題 選 文 章 開 に つ 読 み て 取 る 展 ﹂ ちなみにここでは﹁ おまえはやって来た二 田中真知︶、﹁ 短歌を訳 すー言葉の壁を越えて二俵 万智︶の二随筆が掲載されている。ここ にある ﹁ 文学的な文章と論 理的な文章 の中間に位置する文体﹂ と は何 であ ろう か。様 々にと れ よ う が 、主 と して ﹁ 文 学 的 な 文 章 ﹂は ﹁ 小 説 ﹂で、丞醐理的 な 文 章 ﹂は ﹁ 評 論 文 ﹂だと考 え る。. ② 国語総合 ︵ 第 一学習社︶8 1頁 ﹁ 本単 元は、文学的文章 のなかの随想 ︵ 随筆︶ に相当す る.一般に随想は、扱われる題材も多岐にわたり、構想も 表現形式も 一定ではない。しかし、その内容から大きく分類 すると、文学的な随想と説明・ 論理的な随想とに分けるこ. 文学的な随想の文章の基礎. とができ る。ここでは、主 に文 学 的 随 想 にあ たる 二教 材 を 取 り上げ た。﹂. 単 元の主な学習 目標① 1頁 ﹁. 的な読解技術を習得させる。﹂. 2頁 ﹁ 教 材 のね ら い 教 材 の主 な 指 導 目 標 ① 随 想 文 と はど のよ う な 文 章 な のか、確 認 さ せ る。 ② 文 章 の展 開. を把握させ、具体例とそれに対する筆者の意見を読 ︵ 構成︶. み 分 け さ せ る。 ③ ② を ふま え 、筆 者 の問 題 関 心 がど の よう な 点 にあ るのか、ま た筆 者 はど のよう に考 え ている のか を 整 理さ せ、筆 者 の主 張 を 理解 さ せる。﹂ 6 指 導 上 の留 意 点 2 随 想 の学 習 は、今 後 の評 論 学 3頁 ﹁. を 追 いなが ら 、あげ ら れ たエピソー ドが何 のために用 意 さ れ. 習の手がかかりとなる点が多い。筆者 の考え方や論の展開. たものであるか、筆者の設定した主題は何か、を考慮しなが. ら 文 章 を 読 み進 める姿 勢 の養 成 のためにも 、この部 分 はしっ かり時 間 を かけたい。 ち な みにここでは ﹁ 無 常 と いう こと ス 平 野啓 一郎 ︶、﹁ 材 のいのち ﹂ ︵ 幸 田文 ︶の二随 筆 が 掲 載 さ れ ている。ここにあ る ﹁ 文 学 的 な随 想 ﹂. と﹁ 説明・ 論理的な随想﹂ とは何であろうか。﹁ は﹁ 文学的な随想﹂ 小 に近く、﹁ は﹁ 説﹂ に近い随筆なのだろ 説明 ・ 論理的な随想﹂ 評論文﹂. う 。そして、﹁ 具 体 例 ﹂と ﹁ 筆 者 の意 見 ﹂と に 署就み分 け ﹂ることを ﹁ 教 材 のね ら い﹂に、﹁ 随 想 の学 習 は、今 後 の評 論 学 習 の手が かかりと な る点 が多 い﹂と いう こと を ﹁ 指 導 上 の留 意 点 ﹂と している。ま た、ヨ ピ ソー ド﹂が ﹁ 何 ﹂か ﹁ のために用 意 さ れたも のであ る﹂と し、﹁ 筆 者 の設. 定した主題は何かを考慮﹂ する﹁ 時間をかけたい﹂ 養成のため﹂﹁ とし. ている。ただ、このことは掲 載 教 材 のため のも のであ り、他 の教 材 のた めに書 かれ たわけ ではな いかも しれな いので、﹁ 現 代 文 ﹂の指 導 書 で. 3 随 想 の典 型 的 な 構 成 ・展 開 では、自 身 の見 聞 から 始 め 1頁 ﹁. もう 一例挙げる。 ③ 現代文 ︵ 数研出版︶9 7頁 ﹁ 随想の典型的な展開 ︵ 見聞から主張へ を理解する﹂ ︶. 7 9.
(4) . て、物 事 の発 見 ・ 考 察 を 通して主 張 へ と 迫 る。﹂ ちな みにここでは ﹁ これを 、∼と す る二 佐 藤 雅 彦 ︶、コプザ インのデ ザ インス 原 研 哉 ︶の二随 筆 が掲 載 さ れ ている。ここでは、﹁ 自 身 の見. る。. 聞﹂ から ﹁ 主張﹂へ は、﹁ 随想の典型的な構成 ・ とまで書かれてい 展開﹂ 随 筆 ﹂は、﹁ 小 説 ﹂と ﹁ 少 な くとも 上 記 の三 例 から ﹁ 評 論 文 ﹂の中 間 随 筆 ﹂の中 でも ﹁ 小 説 ﹂に近 いも の、﹁ に位 置 す る文 体 で、﹁ 評 論 文 ﹂に 近 いも のに分 け ら れ ると 言 えよう 。ま た、筆 者 が ﹁ 見 聞 ﹂した ﹁ 具体 主 張 ﹂﹁ 主 題 ﹂へ﹁ 例 ﹂から ﹁ 筆 者 の意 見 ﹂﹁ 展 開 ﹂す る文章 と 言えよう。 ただし 三例 ではまだ 少 ないし、﹁ 指 導 書 ﹂以 外 の﹁ 指 導 ﹂も あ ろう 。そ のためここでは、この調 査 範 囲 内 と いう 断 りと 、今 後 御 批 判 を いた だきたいと いう 意 図を 持 って論を 進 める。 一一 授 業 にあ た って 三 地 図 を いるど ろ﹂の授 業 mを あ る組 ︵雅名 ︶で実 実 は以前 に、﹁ 施 したこと があ る。この随 筆 は、それ ま で授 業 で取 り 上 げ たこと が な いため、かねてから 読 ま せたいと考 え ていた。しかしそれ は、学 習. 者 の力にもよるが、無解 答や難 しいと答える学 習者多 数という 散 々な結果であった。これでは﹁ 研究の末席を汚すどこ 柳 田教科書﹂ ろか席にも着けないと考え、﹁ を練り直した。 作戦﹂ 以前と同じ組で再び読ませれば強い拒否反応か多数の睡眠者が 見 ら れ るだろう し、かと 言 って別 の組 で読 ま せても 似 たよう な 結 果. になる可能性があるだろう。幾分悩んだが、品⋮ とい 解答や難しい﹂ う 答 えを 逆 手に取 って、ではなぜ学 習 者 にと って ﹁ 三 地 図 を いるど 問 題 三 ここに掲 げ ら れ た 五 編 の、 ろ﹂が読 みにく いのか、前 述 の﹁ 文 章 上 の特 徴 を 述 べ、比 較 してみよ。﹂にあ るよう に、他 の文 章 と 比 べ読 みを す ること で見え てこな いだろう かと考 え た。そこで、これも. 以前授業で取り上げたのだが、﹁ 柳 田教科書﹂の中で比較的学習者. が 読 み や す いと いう 手 応 え を 持 っていた ﹁五 ろ く を さ ば く ﹂と 、 ﹁ 三 地 図 を いるど ろ﹂と を 読 み 比べてみた。も っと 多 く の教 材 と 比. べたかったが、授業進度の関係で二教材にとどめた。. 三 授業実践結果. 散 々な 結 果 ﹂であ る。稿 者 が 所 ま ず は、恥 ず かしな がら 以 下が ﹁ 9名 ︶で 、﹁ 三 地 図 を いる ど 属 す る高 等 学 校 第 一学 年 のあ る組 ︵3. を授業で初めて取り上げた。稿者は、随筆読解の基本は筆者の ろ﹂. 思 いの抽 出 と考 え る。そのためこの文 章 は、筆 者 がど う いう 思 いで述 べたも のと考 え ら れるかを 学 習 者 に書 かせた。aや bの中 には、今 後. の導きで読みが深まりそうな者も少しいるが、他の多くは読みが浅. わ から な い など と しているも のが多 数 く 、感 想 にな っているも の、﹁ ﹂ あ ることが 本 校 の実 態 であ る。な お、テキストは、﹁ 問 題﹂ 頭 注 ﹂や ﹁ ﹁ 地 図 ﹂が印 刷 さ れた ﹁ 柳 田教 科 書 ﹂そ のも のの複 写を 使 用した。. a土地 ・ 地図に関するものなど ・ 筆者は東京に行きたい. 興味 がひかれるところに行 き たいと そのまま書 いている ・ ・ 東 京 のこと について書 かれている 土 地 や 川 の名 前 がたくさ ん出ていた ・. ・ 地図や地形について書かれている. 地 図が好 き な 人 ・ 地 図 のす ばら しさ . 地 図 を 通して地 形 のおもしろさ を 話 している ・ ・ 作 者 は地 図を 通して土 地 の成 り立 ちを考 えている ・ 自 分 で地 形 にふれ ることで景 色 を 感 じている ・ 現 代 と 昔 の対 比. ・ 地 図 に色 を つけ ることで土 地 の想 像 ができ ている. b色に関するも のなど. 8 9.
(5) . ・ 色つけをすると見やすいのはわかった ・ 筆 者 は地 図 をいるど ろこと で水 の流 動 の美 しさ を 感 じ、また、 その川 の景 色 を想 像 して楽 しんでいる 絵 を 描 き たかった り・. ・ 筆者自身が実際に行ったり見たり、画家としてそこを舞台に c否定的なもの・ 無解答など ・ 後 半 が地 名 ば かりで内 容 が 入 ってこない 3 ・ 難 しい・ わ から ない・ 無 解答 ー 2 名 8名 ︶﹁ ﹁ 散 々な 結 果 ﹂を 克 服 しよう と す る稿 者 が 、別 の某 組 ︵3 国. 語総合﹂の時間に、以下で三つの発問をした。テキストは﹁ 柳 田教科. A語句や表現に関するもの. 書 ﹂の複 写 を 使 用 した。 ① 弓三 地 図 を いるど ろ﹄の特 徴 を のべよ﹂と いう 発 問 に対 して、 無 解 答 も あ ったが、以 下 のよう な 答 えがあ った。傍 線 、アルファベット の分 類 は稿 者 による。 ・ 色 が多 い . 地 名 が多 い ・ 川 、地 域 の名 前 が詳 しい ・ 水 に関 す る言 葉 が多 い。 ・ そこがど んな 風 景 な のか想 像 しや す い ・ 川などが今 のな にかを たとえ ている ・ たくさ ん地 名 がでてき て、何 かに例 え ている表 現が多 い。 ・ そ の川 や 湖 沼を細 かく色 んなも のに例 え て表 現 している。 ・ 後 半 に ﹁ー﹂や ﹁ ー ﹂が多 い 本 文で﹁ 色 ﹂に関 しては、青 5、墨 4、赤 3、白 ︵ ま っ白 を 含 む ︶2、. 紅2、緑1と使われていろ。﹁ 地名﹂ は、複数 回書かれた同 一語を含. 1回使 われている。主 なも のでは、葛 飾 ︵ めて、6 かつしか、東 葛 飾 、北. 葛飾を含む︶ 8、江戸川6、利根川 ︵ 大利根、古利根を含む︶5uな. ぎ心れ水 ﹂﹁ 島 ﹂﹁ 柄 鏡 ﹂など に喰 えら れている。. 。 、 ど で あ る の や 湖 沼 地 が 多 出 川 て る が 学 習 者 が 指摘したよ く 名 く うに、それに伴う比除表現も使われていろ。例えば ﹁ 静脈と動脈﹂. B内容に関するもの 全て自宅にいながらの想像や伝聞 ・. ・ 筆 者 のしたいことが書 かれている ・ 最 初 に会 話 があ ったが、だんだん地 図 の中 に入 りこんでいる感 じ. 十 とo. ・ 地 図 を いるど ろこと や 葛 飾 のことが好 き だと いう こと が最 後 の 一文 から わかる ・ 地 図 や 地 形 に興味 があ ることが伝 わる ・ 赤 、青 でいろど ら れ た 地 図 は筆 者 の旅 の記 録 であ ると いう こ. ・ 地 図 をたど りながら その地 の歴 史 も 見ている ? ・ 現 代 の地 形 よりも 昔 の地 形 をよいとしている ・ 東 京 周 辺の昔 と 今 を 比べている ・ 大 昔 から 変 わ ら な い自 然 の姿 が、色 を つけ ること によ ってはっ き りす る. ・ 地図を彩ることで違う場所と時代の風景をありありと思い. 返 せろ ここに挙げ た学 習 者 の多 くは、﹁ 地 図 を いるど ろ﹂ことが筆 者 の興 味 によることが読 み取 れ ていろ。さ らに何 人 かは地 図 を たど る空 間. ていろ。また、少 数 の学 習 者 から ﹁ いるど ろ﹂こと を 書 く 者 も 色 ﹂や ﹁. の移動のみならず、今昔の比較、すなわち時間の移動をも読み取っ. いたが、テキスト頭注に掲載された筆者紹介の﹁ 画家﹂ やそれに関す. る指 摘 はな か った。札 幌 の学 力 中 間 層 の自 力 による読 み では、せい ぜ い学 習 者 Bの解 答 がよいほう で、と ても テキスト に掲 載 さ れ た、. ﹁ 問題 一﹂﹁画家 と しての見方 ﹂﹁の出 ているところ﹂ま でたど り つけ る. 9 9.
(6) . 雰囲気はなかった。 c読 みにく いな ど むず かしかった ・ ・ よくわ からな かった なにを 読 者 に伝 えたいのかわ からない ・. ・ 抽象表現少ない , 最 後 に結 論 を 書 いていない ・ 文 章 の構 成 がよく 分 からない. 注意書きが多すぎて読むのが大変。土地をたくさんあげるこ ・ とによる効 果がわ からな い。 Bのよう に内 容 を 読 み 取 り 、ま と めら れている者 も あ ったが 、読 みに さ を 挙 げ る者 も 少 な くな か った。そ の原 因 は、Cに見 ら れ る く 結 論 ﹂のよう なも のが 見 つけ よう に筆 者 の言 いたい﹁ 抽 象 ﹂化 さ れた ﹁ にく いこと 、﹁ 構 成 がよく 分 から な い﹂こと によるだろう 。このこと は、 ﹁ 五 ろくを さ ば く﹂と 比較 す るとよくわかるため後 述 す る。また、. 三 を 指 でたど りながら楽 しい気 持 ち にな る。﹁. 地 図 を いるど ろ﹂な. 地名﹂ だが、この指摘は稿者にとっては盲点であった。 Aでも触れた﹁ という のも稿者は個 人的に地名が好きで、地名が出てくれば地図. 昔の話をしつつ、現代の話をしている ・ ・ 裁判が昔と今では変わった 昔と今の裁判を比較 ・ ・ 今の裁判と江戸時代の裁判を比較している ・ 作者の時代よりも相当昔であると思われる例をあげている. ・ 今 の裁 判 の成 り立 ち みたいな のを 昔 からさ かのぼ っている ・ 今 の裁 判 より昔 の裁 判 のほう がよりよいと 述べている。. 裁 判 の在 り方 を 批 判 していると 思 った。. ・ 筆者は昔にならって現在 の裁判をよりよく変えたい。 ・ 筆者は江戸時代に行われた天下の裁判について挙げ、現代の. とを 書 いている. ・ 昔の裁判と今の裁判を比較して今の裁判に加えていくべきこ. ・ 今の裁判は両方の要望に対し、一方 の要望にしかこたえてや れないのが現状だと文章を読んで感じた。. . 作 者 の時 代 ︶があ る、と いっているよう 昔 のことがあ るから今 ︵ に感 じた。 ・ 年 代 順 にな っているので、今 にど う つなが っているかわかりや す. ・ 最初の部分が物語みたいになっていた. ・ 自 分 の身 の上 と 関 連 している ろく ﹂って何 な のだろう ・﹁ ろく を さ ば く と いう 比 較 的 わ かりにく い言 葉 に対 して、徳 川 ・ 将 軍 の話 と たと えを 先 に出 してから 現 代 には 足 りていない人 情 味 が 必 要だと 主 張 している. どは多数の地名、二葉の地図が掲載された、実に興味深い教材であ が挙げられている。多数 の 上記では概ね 三日と今の裁判を比較﹂ る。ただ、学習者 の中には当然地名に興味がない者もいるだろうし、 者 が類 似 した内 容 を指 摘 していること から 、﹁五 ろくを さ ば く﹂が この学 習 者 にと って読 みや す かったと考 え られる。 ましてや札幌近郊に住む者が遠く東京近辺の馴染みのない地名を E内容 ・ 構成に関するもの② 。 、 1 6回並 べら れればわ かりにくいし 嫌 になる者 も いるだろう 、 なお 品 ⋮ 解 答 ﹂の者 も 1 1名 いたが 読 みにく いこと や 興 味 がないこ と によるだけではなく 、時 間 のな さ によることも 考 え られる。 ② 弓 五 ろく を さ ば く ﹂﹄の特 徴 を のべよ﹂と いう 発 問 に対 して、 無 解 答 も あ る中 、以 下 のよう な 答 えがあ った。アルファベットを つけ. ての分類、傍線は稿者による。 D内容に関するもの①. 200−.
(7) . ・ 最初のほうに具体例が沢山出てきた ・ 裁判のことが具体的に書かれている ・ 具体的な話の後まとめられているから構成がわかりやすい ・ 最 後 に結 論を 書 いてまとめてる ・ 法 律 による裁 判 ではなく、実 情 実 際 に即 した裁 判がよい。. ・ 現代の裁判は公正であるが、非情であるので、その2つを両立 させるためには実情実際に即した解決を目指すべきだ この文章の構成は、1徳川秀忠、2新井白 石、3横 田国臣の具体 例 が 三 つ続 き 、4実 情 実 際 の裁 判 で抽 象 的 にま と めら れ ている 賜。 ﹁ ろくを さ ば く ﹂を 読 み解 く には、キー ワー ドとも 言 うべき 、9回書. かれた抽象語 ﹁ 実情実際﹂ を学習者はあげるはずだと思っていたが、. ・ 五の方が読みやすい ・ 五は話の流れがわかりやすい ・ 五の方が対比がありわかりやすい ・ 五の方が説明が多くわかりやすかった ・ 五の方が言いたいことが分かりやすいから読みやすい。. ・五は何 を ているのかはっき りと わ かるから 三より読 みや す い。 ・五 の方 が読 み や す い。何 が 言 いたいのかを はっき りと 書 いてい る ・五 のほう が読 みや す かったです 。実 際 にあ ったことを 例 にあげ ているので、後 半 筆 者 が主 張 していること がわ かりや す かった らです 。. し、現在と過去で対比させているのが読みとりやすかったか. ・ 五の方が読みやすかった。一つの例に対しての考えを述べてい. 五の方が読みやすかった。三より具体的で簡けっだから。 ・ ・ 五が読みやすい。伝えたい内容が何度も出てきてわかりたす. て最 後 に全 てを まとめているから。読 みこみを しっかりす ると 、 言 いたいことが 明 確 にな ると感 じたから。. F両方ともわかりにくい. 無 解 答 ﹂の者 も いたが 、ここでも 時 間 意 外 と 少 な かった。な お若 干 ﹁ のな さ によることが多 分 に考 え られ る。 ③ 弓三 地 図を いるど ろ﹄と ﹃五 ろくを さ ば く﹄を 比較 せよ﹂に 対 して、無 解 答 も あ る中 、以 下 のよう な答 えがあ った。アルファベット を つけての分 類 は稿 者 による。. ・ 五は筆者の考えが明確であったから読みやすい。 ・ 五の方が読みやすい。段落が分かりやすい。最後に自分の意. ろくを さ ば く ﹂の方 が読 みやす い. ら 三より読 みや す かった。 ・三も 話がわ かりにく い訳ではな いが言 いたいことがわ かりにく い。対 して五はかな りわ かりや す い。. ・ 五は実例から意見があり、作者 の意 見が見つけられやすいか. 見を 言 っていること ・三よりも 五 の方 が言 いたいことがす ぐ わかる. .五はいつも 読 んでいる評 論 に似 ているから 、三より読 みや す か った。. ど っちも わかりにく い ・ 両 方 と も 昔 の話 で読 みにくい ・ ど ち ら も読 みづら い。ど ち ら も 何 が 言 いたいのか理 解 が おいつ ・ かないから。 G﹁三 地 図 を いるど ろ ﹂の方 が読 みやす い. 三は筆者 の意 見がしっかり書かれている。五に対し三は小説 ・. な のであま り筆 者 の意 見が 明 確 にな っていないから。 両方 と も わかりにく い﹂ Fで見 られ るよう に、﹁ が 少 数 いた。ま た、 Gのよう に、 一人だけ ﹁ 三 地 図 を いるど ろ﹂を 小 説 とと ら え 、より. H﹁五. 読みやすいとする者がいた。. ー. 0 2.
(8) . 前述したように、この文章の構成は、﹁ 評論に似て二具体﹂﹁ が 例﹂ 三 つ続 き 、最 後 が抽 象 的 にま とめら れているため ﹁ 流 れ﹂がよく 、筆 言 いたいこと ﹂、﹁ 主 張 ﹂が わ かりや 者 の﹁ 伝 え たいこと ﹂、三息見 ﹂、﹁ 三 地 図 を いるど ろ﹂よりも 読 みや す す いのであ ろう 。多 数 の者 が ﹁ いと 答 え た。ここで思 い出 していただき たいのは、前 章 の指 導 書 の 一 随 想 の典 型 的 な 展 開 ︵ 見 聞 から 主 張 へ︶﹂と ﹁ つで見 た、﹁ 五 ろくを さ ばく ﹂ が類 似 していることであ る。 視 点 を 変 え ると 、この﹁ 三 地 図 を いるど ろ﹂を 比べてみ 展 開 ﹂と ﹁ ること で見 出 せるも のがあ るだろう 。前 述 した、① 弓 三 地 図を い るど ろ﹄の特 徴 を のべよ と いう 発 問 に対 して、C群 の答 え を 解 釈 す ﹂ 見 聞 ﹂など 具 体 的 記 述 は多 くても 、三愚見 ・ ると 、﹁ 主 張 ﹂など の﹁ 抽 な にを 読 者 に伝 象 表 現 ﹂が ﹁ 少 な い﹂ため ﹁ 構 成 がよく 分 から ﹂ず 、﹁ え たいのかわ から な い﹂と ま と めら れ る。これが ﹁ 三 地 図 を いるど ろ﹂を 読 みにくく している 理 由 の 一つと 考 え る。このこと は、構 成 が. 論理的にまとめられた評論文を読み慣れた学習者ならではの率直. 1 らo. な 声 であ ろう 。類 似 したことは、次 の1群 の解 答 でも 見ら れる。また 前 述 したが、ここでも ﹁ 地 名 ﹂を わ かりにく い理 由 に挙 げ ていること に触 れておく 。 1﹁三 地 図を いるど ろ ﹂ が 読 みづ ら い ・三はよめない字 があ った。む ず かしい ・三は平 仮 名 が長 めにな らんでいる所が多 くて読 みづら かった。 .五はわかったが、三は途 中 でよく わからなくな った。 ・三 の方 がよみづら い。筆 者 の言 いたいことが全 く 分 から な いか ・三 の方 が読 みづら く 、地 名 が分 かりにく く イメー ジす る のが 難 しかった。 ・ 東 京 の町はイメージできないから 五 の方 が読 みや す い ・三 は知 らな い地 名 ば かりでつま ら な い。五はいく つも のてんか. 二 つの ﹁ 随 筆 ﹂ の特 徴. いにわ かれててさ くさ くよめる 四. ﹁一 教科書指導資料の中での﹃随筆﹄﹂ でも見たが、﹁ 随筆﹂ は、. ﹁ 随 筆 ﹂の中 でも ﹁ 小 説 ﹂と ﹁ 評 論 文 ﹂の中 間 に位 置 す る文 体 で、﹁ 小 説 ﹂に近 いも の、﹁ 評 論 文 ﹂に 近 いも のに分 け ら れ ると す るな ら ば 、 ﹁ 五 ろく を さ ば く ス 稿 者 ・ ろくを さ ば く 二 は ﹁ 以下 ﹁ 評 論 文 ﹂に近 いも のと 言 え な いだ ろう か。前 章 で触 れ たよう に、具 体 例 が 三 つ続 き 、﹁ 実 情 実 際 に即 した 裁 を し いと 象 的 に められている。 判 た 抽 ま と ﹂ 主 張 ﹂へ﹁ 筆 者が ﹁ 見 聞 ﹂した ﹁ 具 体 例 ﹂から ﹁ 展 開 ﹂す る 筆 者 の意 見﹂﹁. 文章と言えよう。このことは、前章の学習者の指摘からも裏付けら. れる。 三 地 図を いるど ろ二 稿 者 ・以 下 ﹁ 地 図 を いるど それに対 して、﹁ ろ二 は、﹁ 小 説 ﹂に近 いとま では言 えな く ても 、そ の構 成 上 燭、﹁ 評論 随 筆 ﹂と 言 え な いだ ろう か。筆 者 による地 図 を い 文 ﹂に類 似 しな い﹁. さ ばく ﹂よりも 見えにくく 、また、そのことは前 章 の学 習 者 の指 摘 か. るどろ作業や 思い、多くの地名など具体的 記述が続いた後、三愚 主張﹂ など抽象的な記述が見えにくい。少なくとも ﹁ ろくを 見﹂ や﹁ らも裏付けられる。. このこと から ﹁ ろく を さ ば く ﹂に 比べて ﹁ 地 図 を いるど ろ ﹂が劣 る ﹁ 随 筆 ﹂と 言 え るのか、と いう と そう は考 え な い。なぜ な ら 、抽 象 的. 出 し、﹁ と 至 る文 章 も 存 在 す ると考 えるためだ。 筆 者 の思 い﹂へ. 記述が分かりにくい場合、具体的記述を根拠に抽象的事項を導き. はじめて見た文章をはやく読み解こうとしても、すぐに読み解き にくく、何回も時間をかけて繰り返して読んだり、何かを調べたり しなければ理解し難いという文章も当然存在する。本稿冒頭で、 において﹁ ﹃夢十夜﹄﹁ 第六夜﹂ 明治の木←明治という時代﹂ と、具体 から抽象を導き出す事例をご紹介した。もちろんこれは、授業の中. 2 0 2.
(9) . でいき な り ﹁ 明 治 の木 から何 がわ かるか﹂と 質 問 した のではなく、﹁ 運. 地 図 を いるど ろ﹄の特 徴 を のべよ﹂と いう 発 問 に対 して、解. る”。ここが ﹁ 地 図 をいるど ろ﹂の舞 台だ。. がゆかしく思われるのは東郊 の風景がそこに見られると想像. ﹁ 最 後 の 一文 こそが清 方 の愛 す る東 郊 であ り、まだ 見 ぬ土 地. について、︵ 傍線はいずれも稿者︶. ていて、この文 章 でも 最 後 が大 事 だと 思 っていたところに ﹁ あ し﹂では わ から な いであ ろう 。そも そも 植 物 の﹁ あ し﹂を 知 ら な いかも しれな あ し﹂は、ここから 離 れた箇 所 に ﹁ い。﹁ 伏線 ﹂のよう に ﹁ あ しの根 ﹂墨月 あし﹂﹁ あ しのいおり﹂と あ るが、何 を意 味 す るのだろう か。 いず れにせよ ﹁ 地 図 を いるどろ﹂の抽 象 化は暗 礁 に乗 り上げ てしま う 。この点 に関 して佐 野 比 呂 己は、﹁ 地 図 を いるど ろ﹂の筆 者 の思 い. 、日頃の授業で評論文の最後に結論が多く大事だと学習し ﹁ あし﹂. な いだろう か。学 習 者 にしてみれば 、地 図 の話 と 思 っていたところに. あし﹂ また、最後の﹁ が唐突に出てきてやや 不自然な印象を持た. てく るも のは何 であ ろう か。. 行き止まってしまう。具体的に言うと、例えば ﹁ 宝珠花、関宿、権 現堂←地名が多い﹂ と答えられても、学習者にとってその次に見え. ﹁ 三 授 業 実 践 結 果 ﹂で申 し上 げ たと おりであ る。﹁ 色 ﹂に関 す る考 察 はここで止 め るが 、﹁画 家 ﹂であ る筆 者 がこだ わ り の湖 沼 河 川 の ﹁ づけ す ることは、何 かの強 調、象 徴 であ るかもしれない。 水 ﹂に ﹁ 色﹂ さ て、そ の﹁ 地 名 ﹂が何 を意 味 す るのかと 問 う と 、多 く の学 習者 は. ﹁ 慶←鎌倉時代の 師 鎌倉時 仏 ← の 術 代 芸 家 王 れ 仁 ← た 仏 ︵ 随筆 ﹁ 地 図 を いるど ろ﹂は、筆 者 の言 いたいこと を 考 え た場 合 、わ 優 像 稿 ﹂ 正しくは神像︶ ど 者・ ←優れた鎌倉時代の芸術作 かりにく い。ただし、ただわ かりにくいと 突 き 放 す のではなく 、具 体 品 な の 抽 象 化を ﹂ 繰り返した後で学 習者に考えさせたお題である。そこでは﹁ 仁王﹂ 的記述を根拠に本文には直接書かれていない抽象的事項を考える や﹁ 運慶 という語が複数回使われる、作者こだわりの語であること、 余地があると言えないだろうか。具体的記述の行き着くところは何 ﹂ また、最後の﹁ 明治の木﹂ が唐突にやや不自然な表現で使われて疑 を指すのかという抽象化ができる可能性を探りたい。 問が生じることから、それらが何かを強調する具体的 記述である 地 図 を いるど ろ で複 数 回 使 われ る、筆 者 こだわ り の語 は、 この﹁ ﹂ − こと に気 づき 、﹁ 鎌 倉 ﹂と の対 比を 見 つけ 抽 象 化 す ること 明 治 ﹂と ﹁ 前述の学習者 の多数が ﹁ 地名ス ﹁ 土地﹂﹁ 地図﹂ なども含めた意味で を学習した。 使う︶、少数が ﹁ 色 ﹂を挙げている。﹁ 色 ﹂の種類やその使用 回数は 随筆 ﹁ 地図をいるどろ﹂ でも、小説を読むように具体的記述から 抽象事項を導き出してはどうだろうか。実は前記の学習者において、 ① 弓三. 答群ABで見たような答えでも、具体から抽象を導く過程が少数. だが 見 ら れ たと 考 え ら れ る。しかし、そ の他 を 見 ると 、ど の具 体 的 記 述 に注 目 す れば よいかは っき りしな いため多 数 のわ から な い、さ ら に何 と か見 つけ たと しても それを 抽 象 化 す ることがわ から な い、. 抽象化したとしても何か次に見えてくるものが感じられないなどと. ﹁ 地図をいるどろ﹂の抽象化① ∼本文から∼. いう ことが起 こっていたと考 え られ る。 それでは、﹁ 地 図 を いるど ろ﹂の具 体 的 記 述 を 抽 象 化 し、﹁ 筆者 の 思 い﹂へ迫 るとど うな るだろう か。以 下で臨 みたい。. 五. 先 日、稿 者 は利 根 川 を 渡 った。﹁ 坂 東 太 郎 ﹂の大 川 であ る。聞 くと. ころによると、江戸時代、利根川は太平洋ではなく江戸湾に注いで いたそうだ。大雨による洪水対策、水運の利便性向上のため、江戸 幕府は数度の土木事業によって東へ 流路を切りかえた。いわゆる﹁ 利 根川東遷 である。当時は現代と違 っ 、 は洪水の度に流路を変 て 川 ﹂ える。もとの氾濫原 一帯が﹁ 江戸川三中川﹂ や多くの湖沼などであ. 3 0 2.
(10) . す るからであ る﹂ と述 べている。郎 最 後 の 一文 ﹂を 確 認 しよう 。﹁ 地 図 を いるど ろ﹂から 佐 野 の言 う ﹁. 引用する。. 筆者の思いは、回想や想像など様 々に散見でき、その強弱は. そこいら の流 れを青 く いるど ろと、川べり の土 手 にほこりが白 く た って、緑 のあ しの葉 ず れ、よしき りが鳴 いて、ー ー そんな 景 色 がまざ まざ とまぶたに浮 かぶ。 稿 者 も それ に賛 同し、以 下 のよ う に雑 文 を も のしたことが あ る。郎 関 宿 まで行 ってみたい﹂﹁ 権 現堂 の堤 、 見分 け 難 い。ただそ の中 で ﹁ どんなところだ かそれが 見 たい﹂﹁ 中 川 とな って放 水 路 に落 ち あ う ま で、この川 筋 に 興 味 がひかれ る﹂と 、結 末 近 く に立 て続 け の﹁ 願 望 一 興 味 ﹂が 三 箇 所 あ り 、ここに、より強 意 を 感 じる。そ. 中略︶、結末で未見の地 ﹁ 関宿﹂﹁ 権現堂 の堤﹂ ういう意味で、︵ ﹁ 中 川 ﹂へ 思 いを 馳 せていると読 めないだろう か。. 鳴﹂ き声で結ぶ。ただし、本文から直接わか 葉ずれ二よしきり﹂の﹁. 地 図を いろど ﹂りながら 、こ ることはここまでであ ろう 。筆 者 はなぜ ﹁ あ し﹂﹁ よしき り ﹂が唐 突 に出 て のよう な 述 懐 に至 った のか。最 後 の﹁. 注 目したい。地. あし﹂ に きて若 干不自然な印象を持たないだろうか。次章で特に﹁. ﹁ ﹁ し ど あ い て∼ い る 象 に つ 図 を ろ の 化 ② ∼ 六 地 抽 ﹂ ﹂ 、﹁ し ﹁ 切﹂ ﹁ し で あ よ も た 葦 生 る り き り ま あ は に す 植 物 水 辺 群 ﹂ ﹂ あ し﹂は ﹁ 葦 ﹂の と 書 く よう に水 辺 の葦 原 に生 息 す る鳥 類 であ る。﹁ ほか ﹁ 産 と も 書 き 、これが ﹁ 地 図 を いるど ろ の原 典 であ る、随 筆 集 ﹂ ﹂ はしがき ﹂﹁つのぐ む の名 称 ﹃直 の芽 ﹄に つな が る。この﹃直 の芽 ﹄に ﹁. 博 薩﹂ があり、その全文を引用する。︵ 傍線稿者︶. 薩 の芽 は、あ しかひ、あ しづの、な ど と 古 語 に呼 ば れ てゐ る が 、そ の芽 のっのぐ む時 分 を 、ついぞ 今 ま で気 を つけ て 見 た こ と はな か った 。. この随筆集 の巻初においた 一文にある、江戸川区篠崎 の 河原に蔭 の芽を抜 いた時 は、漸くそれと判ずるま での、僅. は せ ると ころ が あ る。 乾 いた 土 の上 と 違 って、 撮 った 墾 の 中 に生 ひ出 づ る こと が 、 殊 にさ う 思 は せ る のか も 知 れ な い。 注 目 す べき は、や はり ﹁ 麓 の芽 ﹂であ ろう 。この﹁ 神 話 ﹂と は﹃日 本. 如き、と いふ神話 のすぐれた形容がよく解 つた。 他 の木 の芽 草 の芽には見られな い、底知れぬ繁殖艶思. は じめ て見 て、 天 地 のわ か る ﹀時 、 物 あ り 、 か た ち 直 芽 の. か に赤 い芽 を 地 上 に 現 し た だ け であ った が 、 こと し の春 、. が立て続けに三箇所並び、こ 結末近くに一願望二興味﹂ 本文の﹁ から ﹁ 関宿﹂ のある現利根 東郊葛飾﹂ れらが筆者 の思い入れの強い﹁. 堤 の楼八分 のながめ、江戸川 の水ぬるみ、武蔵、下総 の流 れゆきかふ岸選 の洲 のひたひた水 のょ巽% なかに、たけ六 七寸、往きも の﹀やぅに、酎kすくと 銭 って萌え出 でた、 影し い角形 の芽ー 跡が ひろ い渚 にくるみわた ってゐ%加を. り次 に見え てくるも のがわ かりにく い。. 川 にかけ ての 一帯 と 言 え よう 。な るほど複 数 回使 われ る、筆 者 こだ わ り の多 数 の﹁地 名 ﹂は、この 一帯 の地 名 と いう 共 通 点 があ った。す 地 名 が多 宝 珠 花 、関 宿 、権 現 堂 ﹂は、単 に ﹁ ると 、先 ほど の例 では、﹁. い﹂のではなく、筆者が興味をひかれる地名を並べていたのだという ことがわかる。では、なぜ特別に興味をひかれるのか。それでもやは さて、﹁ 地 図をいるどろ﹂からには街や山や海も勘﹄ 鯵のかと思われ などの水 郷に絞られる。 るが、筆者の興味は﹁ 川の流れ、湖水や沼﹂ この水 郷 が 不 思 議 と 多 く 記 載 さ れ ること から 、と りわけ 水 への思 い を 感 じる”。 あ しの 話 を 戻 そう 。筆 者 は、﹁ 最 後 の 一文 ﹂を ﹁ まぶたに浮 かぶ﹂﹁. 204−.
(11) . イネ 科 の多 年 草 で水 辺 に自 生 し群 落 を つく る。 ヨシ、 ハ. 影 しい 繕桃 ﹄でありぞ 類似した表 現が﹃古事 記﹄にあるぬ。この ﹁ 生きも の﹀や うに﹂ ﹁ 角形 の芽﹂ が ﹁ 底知 れぬ繁殖 を思 はせ る﹂ ことは、﹃古事記﹄研究者が指摘 している ので以下で三例 を引用する。 ︵ 傍線稿者︶ 尾畑喜 一郎編 ﹃古事記事典﹄ ﹁ 葦﹂ の項 では紐、. す る。. マラギとも。難波江 の葦は古くから有名。生命力 の強 い植 物として神秘性を持 つ。豊作予祝 の祭 で稲に見立 てられも とある。神野志隆光は、﹃ 古事記の世界観﹄ で﹁ 葦原﹂ についてぞ. 豊 穣 であ る べき も の の始 源 、 ま た 、 生 命 力 に満 ち た始 源 と し て、 積 極 的 に 値 け ら れ た も のと し て ﹁ 価 づ 葦 原 ﹂ の意 義 は 捉 え る こと が でき る。 ﹁ 葦 原 中 国 ﹂ と は 、 要 す る に、 豊 穣 であ る べき ﹁ ク ニ の中 心 を な す 世 界 を 表 現 す る のだ ﹂ と いう べき であ る。 そ れ ゆえ 天孫 の降 り居 る べき ﹁ 中 国﹂ な のでも あ る。. と述べている。西宮 一民校注の﹃ 新潮 日本古典集成 ︵ 新装版︶ では、 ﹄ ﹁ 宇摩志阿斯詞備比古遅神﹂ の注にこうある。縄 葦芽 の神は、春先に萌え出る葦の芽の生命力の表象である これら の三 例 から 、﹁ 地 図 を いるど ろ﹂の末 文 において、﹁ 水を 特 別. に好む﹂ 関宿﹂ から ﹁ いなかの川らしい野趣の多﹂ 筆者が、﹁ い﹁ 古利根. の下 流 中 川 ﹂まで ﹁ の流 れ を青 く いるど ろと ﹂、この﹁ 生 命 力 の表 象 ﹂ であ る ﹁ あ し﹂が ﹁ まぶたに浮 か﹂ぶと読 める。では、これら のこと は 一. 体何を表すのだろうか。. 地図を いるどろ﹂ の抽象化⑧∼筆者 に ついて∼ 七 ﹁ 随筆家である前に画家である鏑木清方について、門外漢の稿者に とって多くを語ることはできないが、先学の御論考を参考に考えた. い。︵ 以下傍線稿者︶ ﹃アサヒグラフ別冊 美術特集. 鏑木清方﹄で、鈴木進は﹁ 東京. 人・ 清 方 ﹂と 題して以 下 のよう に述 べており、 一部 を 引 用 す る。% そう した 江 戸 から の遺 産 と して伝 統 を 、かたく な に守 って、. それぞれの分に安んじ、その生活を楽しみ、睦みあう、その下 町の人情、風俗、年中行事などをこよなく愛惜したのが外なら. ぬ清 方 であ る。なぜ な らば 、そこに生 まれ 、そこに育 ち 、そこに 住 んだからであ る。. 素人が観ても清方の絵 画作品は、自身が ﹁ 住んだ﹂、江戸から明. 昭和 二年の﹁ 築地明石町﹂“以来、追憶という作業を意識的. 治 にかけ ての﹁ 江 戸 ﹂・ 東 京 の﹁ 伝 統 ﹂を 題 材 と していることがわ かる。 また、同じ書 の中 で山 田肇 は ﹁ 晩 年 の清 方 ﹂と 題 して以 下 のよう に述 べており、 一部 を 引 用 す る%。. に 作 の 法 として ひ 制 方 始 め た 用 この﹁ 追 憶 ﹂が前 述 の題 材 選 びに関 係 していると 考 え る。﹁ 地 図を. いるどろ﹂ が書かれたのが、原典である随筆集﹃ 薩の芽﹄に﹁ 昭和十三. 年 三 月 ﹂と あ るのを 確 認 して濁、なぜ ﹁ 追 憶 ﹂に至 った のかを 見 ていき たい。これについては、同じく 山 田肇 による﹃鏑 木 清 方 随 筆 集 ー 東 京 の四季 ﹄﹁ 後 記 ﹂がより詳 しい。 一部 を 引 用 す る鴻。. とを 始 めた。. 大 正十 二年には、関東大震災があり、清方にとっては馴染 み深い東京の大半が失われたばかりではなく、それと前後して、 大正九年には、清方は、祖母を失い、大正十五年には、母を失 ったのであった ︵ 中略︶ 清方は、昭和 元年に、久しく住み慣れた 東京下町を去 って、牛込矢来町へ 移り、初めて山の手暮らしを 始めると、意識的に、追憶という作業を制作 の方法とするこ. では、作品解説者 の池内紀 また、新潮日本美術文庫﹃鏑木清方﹄. が 以 下 のよう に述 べており、 一部 を 引 用 す る罰。. 205−.
(12) . 新たに建設される家並みには、親 京が復興されていったが、清方は﹁. ひど だと いう こと が考 え ら れ る。も しこのことが わ かれば 、筆 者 が ﹁ 現 東 郊 葛 飾 一帯 ﹂、これ に対 す るも のと して ﹁ く 興 味 を ひかれ ﹂た ﹁. しみを 感 じることができ な かった﹂。このこと から 、関 東 大 震 災 によっ. 下町 関東大震災が襲 って首都東京は壊滅した。生粋の東京・. と、復興による新しい街 喪失感﹂ て古き良き東京が壊滅的になった﹁ と向かわせた 一因 並みに対する嫌悪感とが、清方を古き良き昔へ. っ子 鏑 木 清 方 は、自 分 のふるさ と を 一切 合 切 失 った。だがこの. 点、芸術家はすこぶるしたたかであって、喪失のなかから新しい 素 材 を 見 つけだ す 。望 郷 と いう テー マであ り、後 半 生 の清 方 は、 消 え 失 せても はや 帰 ら な い世 界 へと 、く り 返 し帰 っていった。古. い東京へ の望郷、それは古いからこそ永遠に新しい、理不尽にも. 現代 の東 京 ﹂の類 文 章 として読 んでいくと良 いことがわかる。ただ、﹁. が挙げられることに気づく。つまり随 代の東京;大東京二東京市﹂ は、﹁ 東郊葛飾 一帯﹂ と﹁ 現代の東京﹂の対比の 地図をいるどろ﹂ 筆﹁. が少なく、学習者、いや高校生でなくても読者にその対比は、やは. 消 滅 さ せら れ たから こそ、く り 返 し帰 っていくだ け の値 打 ち が あ る。 一切 を 記 憶 のな かにと どめているからこそ、二度 と 消 え 失 せることがない。. もっと多くを参考にしなければならないだろうが、清方が﹁ 追憶﹂. 地 図をた 授 業 実 践 結 果 ﹂で述 べたよう に、﹁. どる空間の移動のみならず、今昔の比較﹂ をも読み取っていた﹁ 何人. 清方が好んで鰯 々たる情趣を描くからといって、清方の硬骨 な批判精神を見失ってはなるまい。清方の批判は、現在ならさ しづめ安易な開発によって公害をまき散らす類のものに鋭く. と 題 して執 筆 しているが 、以 下 のよう に述 べており 、 一部 を 引 用 す る讐. それは過去への方向性だけであろうか。﹃現代 日本美人画全集 第 美 人画家としての鏑木清方﹂ 二巻 鏑木清方﹄では、福永重樹が ﹁. という 思 いが強 く 表 れていると 言 えよう 。 追 憶 ﹂や ﹁ 望 郷 ﹂の念 があ ったよう だが、 さ て、このよう に筆 者 には ﹁. が込められ、自然破壊や環境破壊によって失われることに負けるな. か﹂の学 習 者 は、筆 者 がこんなことを 考 え ていたとは思 いも 寄 ら ない だろう が、実 はこれと 同じ指 摘 を していたことになる。 あ し﹂と の関 係 に触 れ ると 、護 岸 工事 によ って河 川 そして、前 章 ﹁ あ し﹂ 現 代 の東 京 ﹂に対 す る象 徴 が ﹁ が次 々に排 水 路 と 化 していく ﹁ あ し﹂は、筆 者 の水 郷 への愛 情 の念 生 命 力 ﹂溢 れ る ﹁ と 考 え ら れ る。﹁. りわかりにくい。 す ると 、前 記 の﹁三. 関 東 大 震 災 ﹂によって壊 滅 的 打 撃 を や﹁ 望 郷 ﹂に至 った 理由 と して、﹁ ふるさ と ﹂東 京 への思 い、ま た ﹁ 祖 母を 失 い、﹂﹁ 母 を 失 った﹂ 受 けた ﹁ 悲 しみがあ った のかも しれな い。も ち ろんこれ ら は清 方 の芸 術 作 品 に ついてであ り 、清 方 の随 筆 について述 べていると は誰 も 言 っていな い。 しかし、描 き 手 の思 いが 芸 術 と して絵 画 に反 映 す ること も 、書 き 手. の思いが随筆として文章に露呈することも、同 一人物ならば大き. な差 は出ないのではな いだろう か。 地 図 を いるど ろ﹂で考 え た場 合 、次 の文 章 これを 具 体 的 に随 筆 ﹁. が参考になるだろう。﹃別冊太陽 鏑木清方 逝きし明治のおも かげ﹄ では、宮崎徹が ﹁ こしかたの道﹂ と題する清方の伝記を書いてい. 清方の喪失感は深かった。新たに建設される家並みには、親. るが、﹁ 帝 展 での苦 悩 と 関 東 大 震 災 ﹂と いう 項 で以 下 のよう に述 べて おり、 一部 を 引 用 す る紅。 しみを 感 じることができ な かった。これを 機 に、自 ら の筆 で明 治. の風景や風俗を後生に伝えようと決心したことで、清方独自. の 法 が生 た いえよう 。 画 ま れ と ﹁ 地 図 を いるど ろ﹂では、筆 者 がく り 返 し ﹁ 東 郊 葛 飾 一帯 ﹂に惹 か. 関東大震災﹂によって失われた東 れている。宮崎の指摘によると、﹁. 6 0 2.
(13) . 向けられる。安易な現代文明化、田園の醜悪な都市 化、安直 な 現 代 風 俗 に反 省 と 自 戒 を 求 めているのであ る。 政 行 的 で上 滑 りな 近 代 文 明 に も き び し い態 度 を と って い. る。 ︵ 中略︶ こうした視点から の清方 の美人画制作 の意図 を 、 現 代 人 はあ え て無 視 し よ う と し て いる危 険 性 はな い で. あろうか。明治や江戸 への懐古趣味と解す るのは間違 いで ある。清方自身も、江戸や明治 の風物詩を単なる懐古趣味 で描 く の で はな いと は っき り い い切 って いる のであ る。 美 し い婦 人 と そ の周 囲 の美 し い自 然 と 風 俗 と を 、 そ れ こそえ そ らご と に しな い で欲 し いと 、 清 方 の絵 は 訴 え か け て いる の であ り、 自 然 と そ の中 で の人 間 生 活 の調 和 あ る美 し い共 存 を 願 望 し て いる の であ る。 こう した 清 方 の現 代 的 視 点 か. らきびしく見据えている批判精神 の存在を忘れた絵画鑑賞 は、 ほとんど征坐恩味に近 い江戸 ・明治懐古趣味 か事大主義 的収集趣味と いえよう。 清方自身 も、 江戸や 明治 の風物詩を単な る懐古趣味 まず、﹁. 福永の批判精神は手厳しい。それはあたかも ﹁ 清方の硬骨な批判. で描 く ので はな いと は っき り い い切 って いる の であ る。﹂ と は、 何 を 出典 と し て言 って いる のだ ろ う か 、 今 後 調 査 の余 地 のあ る と ころ であ る。 精 神 ﹂が 乗 り 移 ったかのご と く であ る。忘 れ てはなら な いのが、あ く. までこれは清方の美術作品の﹁ 絵画鑑賞﹂に対して書かれたもので あ る。が、随 筆 鑑 賞 に対 しても 言 え な いか。﹁ 自 然 と そ の中 で の人. 間生 活 の調和あ る美 し い共存 ﹂ への ﹁ 関東大震 願望﹂ は、 ﹁. 災﹂ 後 の ﹁ 新 た に建 設 さ れ る﹂ ﹁ 大 東 京 ﹂ に疎 外 感 を 持 ち 、 ﹁ 東 あ し の いお り でも 結 ﹂ ぷ こ と を 理 想 と す る 随 筆 郊葛飾﹂ で ﹁ ﹁ 地 図 を いる ど ろ﹂ に 正 しく 反 映 さ れ た も のと 言 え る ので はな. いか。す ると、少しづつ高層建築が建ち始めた ﹁ 大東京﹂と は. の であ る。. 対照的に、 一見脆弱な建物 の ﹁ あし のいおり ︵ 麓 の庵︶﹂に清 方 の﹁ 硬骨な批判精神﹂ が宿り、命 の輝きを放 つ様が見え てくる. 八 教科書監修者との関係. あ らためて、﹁ 柳 田教 科 書 ﹂の﹁ 地 図 を いるど ろ﹂を 眺 めてみる。題 地 図 が 二葉 並 んでいる。地 図が好 き で稿 者 も 湖 沼 、河 名 のと おり ﹁ ﹂ 川 を 青 く いろど ってみ る。す ると 、確 かに ﹁ 地 図 の表 ﹂が ﹁ いき いき と して﹂きた。清 方 に共 感 した。そして利 根 川 を 挟 んで、あま り大 き く はないのだが ﹁ 布 川 ﹂と ﹁ 布 佐 ﹂と いう 町が 目についた。. ﹁ 私は十三歳 で茨城豚布川 の長兄の許に身 を寄せた。﹂総とあ るよう に、茨城県北相馬郡布川町 ︵ 現利根町︶ は、﹁ 柳 田教科書﹂ の監修者柳 田園男が故郷の兵庫 県神東 郡田原村辻川を離れて長. 兄 の許 に寓 居 した土 地 であ る。また、﹁ や がて、私 の長 兄 の家 は茨 城. だが、﹁ た程度 ﹂ や は り懐 しい﹂と す る土 地 であ る。. 懸布川から利根川を隔てた千葉懸 の布佐 ︵ 現在我孫 子市︶ へと 移 った。﹂ ﹁ 私は十五歳 の時東京 へ出て束 て、時折帰 った程度博 愛 の歎きをそれほど身 に潜みて感じなか ったも の﹀、やはり懐 しい土地である。﹂縄とあるよ静代 千葉県東葛飾 郡布佐 ︵ 現我孫 子 は、園男が上京した後、長兄宅が引っ越した関係で﹁ 市︶ 時折帰 っ. 以下園男の著作から、布川 ・ の思いを拾っていきたい。 布佐の両町へ ﹃ 赤松宗旦著﹃利根川圏志﹄﹄の 一部をご紹介する綿。︵ 以下傍線稿 者︶ ﹃ 利根川圏志﹄の著者赤松宗旦翁の 一家と、此書の中心とな. って居 る 下 糠 の布 川 の町 を 、 私 は 少 年 の 日 か ら よ く 知 って. 居る。 ︵ 中略︶さう して大 いな る好奇心を以て、最初 に讃 んだ本が この ﹃利根川圏志﹄ であ った。 それから 又五十年、 其間に利根 の風景も 一愛した。堤防は無闇に高くなり、幾. 7 0 2.
(14) . へて しま って、 松 の林 を 行 く 白 帆 の影 も 消 え 、 あ れだ け多. つかの鍬橋が架 って汽車が走り、其代りには縦 の水運が衰 く の高瀬舟が、来 ては風待ちをして居た庭 々の川湊は、何 れ も 川 と線 を 切 って しま って、 水 に 燈 の火 の映 る と いふ家 も 、 坐 って川 の見 え ると いふ 二階 も無 く な った。 ここでは、﹁五 十 年 二別を 回 顧 して ﹁ 利 根 の風 景 も 一愛 し た ﹂ こ. 柳 田 圃 男 の布 川 、布 佐 時 代 のことがより 詳 しく 書 かれ ている。そ の. 改訂版︶﹄縄は、 とを具体的に記 している。さらに、﹃故郷七十年 ︵ 執筆動機は次のようにあり、一部を引用する。 故郷七十年﹂を連載す 神戸新聞 の要請を いれ、 こ﹀に ﹁ る こと に した 。 そ れ は 軍 な る郷 愁 や 回 顧 の物 語 に終 る も の で はな い こと を お 約 束 し てお き た い。. 改訂 連載﹂された後、﹃故郷七十年 ︵ 以下で ﹃ 神戸新聞﹄に ﹁ 布川 のこ 版︶﹄に所収された文章を見 て いきた い。 そ の中 で ﹁. 私は十三歳 で茨城騨布川 の長兄の許に身を寄せた。 兄は忙. と ﹂ 訂で は次 のよう にあ る。 一部 を 引 用 す る。. し い人 であ り 、 親 た ち はま だ 播 州 の田舎 にゐると いふ淋 し い生 活 であ った た め 、 しき り に近 所 の人 と つき 合 って、 土 地 の観 察 を した のであ った。 あ の町 は古 い町 で、 いま は利 根 川 の改 修 工事 でな く な ら う と し てゐるさ う だ. 園男は、十三歳 で住んだ土地が ﹁ 利根川 の改修 工事 でなくな. ら う と し てゐる﹂ こと を 述 べ て いる。 以 下 は こ の点 に絞 って見 お 茶 の舟 ﹂ 締で は 、 以 下 のよ う に あ る。 一部 を て いき た い。 ﹁. 引用する。 布川の町も利根川の改修 工事によって、やがては川底になっ てしまふかもしれな い。七 十 年 前 の利 根 川 筋 を 知 る私 ども には、 る。. そこにわく 一種の愛情を断ち切るわけ には行 かな いのであ. ﹁ そこにわ 布 川 ﹂が ﹁ 川 底 にな ってしまふかも しれな い﹂と危 倶 し、﹁ く 一種 の愛 情 を 断 ち 切 る わ け に は 行 かな い﹂ と 述 懐 し て いる。 俄 僅 の階 験 ﹂ 鱒で は、 以 下 こ の思 い は 布 佐 へも 同 じ であ る 。 ﹁ のよう に あ る。 一部 を 引 用 す る。. 華 な 所 であ った。 早朝 、 土 堤 の上 か ら 眺 め ると 掛 り舟 が 朝. やがて、私の長兄の家は茨城懸布川から利根川を隔てた千葉 中略︶そのころの 現在我孫 子市︶ へと移 った。 ︵ 懸 の布佐 ︵ 布佐の町は街道 の、利根川を挟む中纏所でもあり、相富繁. るが、そ の後 川 床 が高 くな るにつれて地 形 も 往 事 の面 影 のな い. 銅 の煙をあげ ており、美しい河川風景であったやうに記憶す. までに愛容 した。 そこに住み ついてすら有鴬博愛を如貿 に 中略︶私は十五歳 の時東京 へ出 て 感 じさ せる所 である。 ︵ 束 て、時折帰 った程度縛髪 の歎きをそれほど身 に恥みて感. じ な か った も の ﹀、 や は り 懐 しい土 地 であ る。そこには雨 親 も 二人 の弟 た ち も 私 よ り 二年 ほ ど 遅 れ て辻 川 か ら 移 り 住 ん だ のであ った。 往 事 の面影 のな い ここでは ﹁ 美 しい河 川 風 景 ﹂であ った布 佐 も また ﹁ 最 如 貴 に感 じ ﹂ て いる。 ま た 次 の ﹁ までに饗 容 し た ﹂ こと を ﹁. 地 図 を いる ど ろ ﹂ で も 馴 染 み の地 名 が き た ﹂ と 書 い て い る。 ﹁. \襲って 利根の川筋はどん/ 初 の文章﹂仰では、両町をまとめて ﹁. 堀 に入 り墨 田川 につながるといふわけだ った。. 並ぶ。 一部を引用する。 <\ 馨ってき 私が布川や布佐にゐる間に、利根の川筋はどん′ <\ 通るやうに た。白帆をかけた川船が減って、川蒸気がずん′ なってきた。川船は昔は米運びをして関宿まで上ってから今度 は江戸川へ入って、それを下り市川の近くまで束て、それで横. 改 訂版︶﹄には、 ﹁ 第 二 の濫讃時 これ以外にも﹃故郷 七十年 ︵ 、﹁ 、﹁ 大利根 の白帆﹂ ︵一一八頁︶ 東南 代﹂ ︵一〇六頁︶ イナサ ︵. 208−.
(15) . 、 、 、 ﹁ 風︶﹂ ︵一二〇頁︶ ヨ ナ タ マ ︵ 海 霊 ︶ ︵ : 一 三 頁 ︶ た ﹃ 故 ま ﹂ 郷七十年 ︵ 改訂版︶ ﹄の後に掲載された﹃故郷七十年拾遺﹄虹の ﹁ 野 鳥雑記﹂ ︵ 四三九頁︶にも布川時代 のことが書かれている。 故郷辻川 ︵ 兵庫県︶を凌ぐほどに、布川 ・布佐が これほどま で記 述 さ れ た 理由 は何 であ ろ う か。 様 々に考 え ら れ よ う が 、 そ. の 一つは、利根川 の ﹁ 美 しい河川風景﹂が ﹁ 往事の面影のない までに愛 容 し ていくことで、﹁ そこにわく 一種 の愛 情 を 断 ち 切 るわ ﹂ け に は行 か﹂ ず 、 ﹁ 軍 な る 郷 愁 や 同 顧 に終 る も の で はな い﹂ 思 いが そ こ にあ った と考 え ら れ な いであ ろ う か。 そ し てそ れ は、 少 な から ず ﹁ 地 図 を いる ど ろ﹂ の筆 者 の思 いと 重 な るも のが あ った 可能 性 が あ る と 言 え よ う 。. 九 結語 以上 のこと を 、補 足しながら 大 ま かにさ かのぼ る。 ﹁ 柳 田教 科 書 ﹂所 収 ﹁ 随筆 ・ 随 想 ﹂教 材 ﹁ 地 図 を いるど ろ﹂は、監 修. 者柳 田圃男の、少年時代の思いと重なる可能性があったと考える。 地図をいるどろ は、出 された昭 十三年頃、筆者鏑木 その﹁ 版 和 ﹂ 清方が関東大震災後の変わり行く ﹁ 大東京﹂ を憂えて、溢れる生命 あし﹂ 力の象徴 ﹁ が茂る﹁ 東郊葛飾 一帯﹂のような、自然と共存する 生 活を 理想 と して描 かれた作 品ではな かったかと考 える。 ﹁ 地 図 を いるど ろ﹂の具 体 的 記 述 を ① ﹁ あ し﹂、③ ﹁ 本 文 ﹂、② ﹁ 筆. した。稿者は、随筆の基本的な読解法は筆 と三段階で﹁ 者﹂ 抽象化﹂. 者 の思 いの抽 出 にあ ると 考 え る。な ぜ 三 段 階 で追 ったかと 言 う と 、. 学習者の思考範囲は原則①だけだろうが、授業者として﹁ 筆者の思 い﹂ へ の接近を②③段階にも試みる必要があると考えたためである。. ただ 、学 習 者 の立 場 にな って① ﹁ 地図 本 文 ﹂の枠 内 で読 んだと き 、﹁ を いるど ろ﹂は読 み にく いと 考 え る。少 な く と も 前 述 の学 習 者 には そう 言えた。. ﹁ 地 図 を いるど ろ﹂の読 みにく い原 因 を 二 つ考 え る。 一つは、 一部 の﹁ 随 筆 ﹂が 筆 者 の﹁見 聞 ﹂した ﹁ 指 導 書 ﹂にも あ ったよ う に、﹁ 具体 主 張 ﹂へ﹁ 例 ﹂から ﹁ 筆 者 の意 見 ﹂﹁ 展 開 ﹂す る 文 章 だと す るな らば 、 ﹁ 地 図 を いるど ろ﹂はそれ と 類 似 せず 、﹁ 筆 者 の意 見 ﹂﹁ 主 張 ﹂がわ か りにくいためであ る。これがこの原 因 の大 半 を占 めるだろう 。. 、 、 じ も う は 一 つ 大 学 験 対 を 念 に 置 は 見 受 策 頭 い て め て た評論文、 小説をはやく読み解くという授業ばかりが続く中で、﹁ 大学受験. 型 ﹂の文章 を 読 み慣 れてしま っているためだと考 え る。今 回 の学 習 者. は、二つの随筆を読んで、論理的文章に近かったからか﹁ ろくをさば. ろく を さ ば く ﹂が 論 理的 だと ま では く ﹂は読 み や す か ったよう だ。﹁ 言 わ な いが、も う 一つの﹁ 地 図 を いるど ろ﹂と 比べ読 みを す ること に よ って、よ りそ う 言 え るだろう 。 一方 ﹁地 図 を いるど ろ﹂は、論 理 的. に抽象的記述を探して読むと ﹁ 筆者 の思い﹂ がわかりにくい。だから と言って小説のように具体的 記述から抽象事項を導こうとしても わかりにくい。抽象 化① ﹁ で述べたように、本文の﹁ 本文﹂ 結末近く. に﹂﹁願 望 ﹂﹁ 興 味 ﹂が 続 く のを 見 つけ 、筆 者 が ﹁ 東 郊 葛 飾 一帯 ﹂を 愛 す ると いう と ころに行 き 着 け れば まだよいが、それは少 数 と いう 結. 果であった。あくまでこれは短時間での初読 の結 果であるが、時 間. を かけたとしても そこに行 き 着 く か疑 問 が残 る。 ﹁ 地 図を いるど ろ に関 して、﹁ 随 筆 ﹂と しても う 一つ押 さ えておき ﹂ たいこと があ る。前 述 の﹁ 教 科 書 指 導 資 料 ﹂で確 認 したよう に、﹁ 随. れ ぬが、も ち ろんそれ は碕 麗 に線 引 き さ れ るも のではな い。つま り. は﹁ に分かれるかもし 筆﹂ 文学的な随想﹂ と﹁ 説明・ 論理的な随想﹂. ﹁ 随筆﹂ には、論理的文章に近いもの遠いもの、小説に近いもの遠い. も のな ど 様 々な ﹁ 型 ﹂が存 在 す る。そ の中 で、﹁ 地 図 を いるど ろ﹂がど. に適 った ﹁ 大 学 受 験 型 ﹂の文章 ではないこと は確 かなよう であ る。. に属するかは定め難い。ただ、評論文や小説の読解法 のような ﹁ 型﹂. −209.
(16) . 注5. 一八 六 ー 一八 八 頁. . 柳 田国男編 ﹃国語 高等学校 一年上﹄ ︵ 東京書籍 昭和 三十 ︵一九五五︶年︶ 2 教科書本文は﹃ 減 石文学全集 第十巻﹄ 集英社 昭和五 十三 ︵一九八三︶ 年による。 3 国 国 3 ﹃ 総 改 現 代 文 [ 総 4 4]学習課題ノー 語 合 訂 版 編 ト﹄︵ 大修館書店 平成 二十九 ︵ 二〇 一七︶ 年 国語総合 改 訂版 現代文編 編集委員会 九 二頁︶ 4 [ 3 学 現 代 文 編 国 総 ] 課 題 ﹃ 国 語 総 合 改 訂 4 4 習 ノー 版 ト 解答・ 二〇 一七︶ 解説編﹄︵ 大修館書店 平成 二十九 ︵ 年 国語総合 改訂版 現代文編 編集委員会 四八頁︶ 6 ﹁ 語 学 随筆 ・ 田 国 ﹃ 国 高 一 年 上 所収、﹁ 等 校 ﹄ 稿 編 拙 柳 男 4﹄ 随想﹂ 教材の比較に関する考察ス﹃国語論集 1 北海道教育大 二〇 一七︶年 学釧路校 国語科教育研究室 平成 二十九 ︵ 一八六頁︶ 6. 7 ﹃ 語 現 文 古 指 導 国 総 改 訂 版 代 典 編 資 料 現 合 編 執筆者として章末に︵ 三谷法顕︶ 大修館書 代文編4﹄ とある。︵ 二〇 一七︶ 年︶ 店編集部 大修館書店 平成 二十九 ︵ 8 究 2 現 語 第 分 冊・ ﹃ 新 訂 国 合 現 代 文 導 と 研 総 編 指 執筆者として章末に︵ 渡 辺千恵 子︶︵ 代文編﹄ 岡部泰 子︶ とある。 ほか26 ︵ 教育 図書 出版第 一学習社 稲賀 敬 二 竹盛 天雄 ︵ 二〇〇七︶ 年︶ 名︶ 平成十九 ︵ 9 ﹃現代文 教授資料①第 一章 随想 ・ 執筆者として章 評論﹄ とある。︵ 坪内稔典︵ ほか24名︶ 末に ︵ A木股知史 ・ B辻正憲︶ 二 数研出版株式会社編集部 数研出版株式会社 平成 二十 ︵ 〇〇八︶ 年︶ m ﹁ 三 を るど ﹂の授業についての考察は、大村勅夫 ユ高 地 図 い ろ 見方 ・ 考え方﹂の考察ー随筆教材を活用する 校国語における﹁. 単 元の提案ース﹃国語論集 4 1﹄北海道教育大学釧路校 国語 二〇 一七︶年 一九八ー 二〇四 科教育研究室 平成 二十九 ︵. 頁 ︶があ る。 n 厳 密 に言 う と 、﹁ 古利 大 利 根 ﹂は同じ流 路 だが、﹁ 利 根 川 ﹂と ﹁ 根 ﹂は別 の流 路 であ る。 乾 佐 野 比 呂 己が ﹁四 ろ を さ ば 文 章 構 成 ﹂を 述 べてい く く ﹂の﹁. 三 佐 野 比 呂 己が ﹁. 地 図 を いろど る﹂の﹁ 文 章 構 成 ﹂を 述 べてい. ろくをさばく﹂ 教 考︵ 6︶ス﹃北海道教育大学紀要 ︵ る。﹁ 教材 ﹁ 育科学編︶第六十 一巻第 二号 別刷﹄ 北海道教育大学 平 二0 − −︶ 成 二十三 ︵ 年 七頁︶ 焔. 注 5 一九 四 頁 ﹁ 水 ﹂に関 して、清 方 の随 筆 ﹁ 筑 波 が 見 え る﹂の冒 頭 一部 を 御. 3︶ 教 る。﹁ 教材 ﹁ 地図をいるどろ﹂ 考︵ ス﹃ 北海道教育大学紀要 ︵ 育科学編︶第六十三巻第 二号 別刷﹄ 北海道教育大学 平 二〇 一三︶ 年 九頁︶ 成 二十五 ︵ M ﹃利根 川物 語﹄︵ 高 橋格 筑摩 書房 昭和 五十八 ︵一九八 、﹃江戸・ 一 水の生活誌﹄︵ 尾河直太郎 新草出版 昭和六 三 年︶ 山本鉱太郎 帯書房 十 一︵一九八六︶ 年︶、﹃ 新・ 利根川図志﹄︵ を参考にした。 出版 平成九 ︵一九九七︶年︶ 恥 佐野比呂己 ﹁ 教材 ﹁ 地図をいるどろ﹂ 考︵ 5︶ 二﹃釧路論集 北 海道教育大学釧路校紀要 第 四十五号 別刷﹄ 北海道教育 二〇 一三︶ 年 九頁︶ 大学釧路校 平成 二十五 ︵ 焔 “. 私は生得水を好む。生まれつきではないかも知れぬ 紹介する。﹁ が、川の多い土地に育 った関係からか、水の流れを近くに持たぬ 住居は生活も乾くような気がして住みにくい。もし水がなけれ. ば 、夏 にな ったら 深 い緑 蔭 を つく る木 立 、冬 にな ったら 雪 を 頂 く 遠 山 を 見 ると ころか、家 に望 み のな いことも な いが、我 々づれ の、 金 のかかること は 及びも な い、ただ、環 境 には水 だ 木 だ 山 だと 、. −210−.
(17) . なかなか望むところが多い。二本文は ﹃鏑木清方随筆集ー東京 の四季ー﹄ ︵ 山田肇編 岩波書店 昭和六十 二 ︵一九八七︶ 六 八 頁 ︶によ った。︶ 年 −− 佐 野 比 呂 己が ﹁ 教材 ﹁ 地 図 を いるど ろ﹂考 ︵ 5︶﹂で、﹁ 清 方 にと って ﹁ 薦 ﹂には重 要 な 意 味 があ るはず であ る。﹂﹁﹁ よしき り ﹂の声. は直と同様に正に清方 の愛する ﹁ 美しい自然 ﹂の象徴であり、 三日の葛 飾 ﹂へのノスタルジー を 感 じさ せるも のであ ったろう 。﹂と 5 八 頁︶ 述 べている。︵ 注1. ﹃ 産の芽﹄︵ 鏑木清方 昭和十三 ︵一九三八︶年 相模出版 ニー三頁︶ このこと は佐 野 比 呂 己が指 摘 している。ま た、そこで ﹁ 清方は ﹁ 状 葦 牙 の如 く ﹂と いう 形 容 の妙 を 感 得 した のであ る。そ の理 由. は、﹁ 底知れぬ繁殖﹂ 力とぬかるみという環境の中でも創出され る生命力からであろう。麓の芽に神のごとく自然の力を清方は. 思 わず にはいられな かった のであ る。﹂と 述 べている。﹁ 教材 ﹁ 地図. 比古 遅 神 ︵ う ましあ しかぴひこぢ のかみ︶。﹂と あ る。︵ 稿者 ・ 返り. をいるどろ﹂ 2︶ 考︵ ス﹃北海道教育大学紀要 ︵ 教育科学編︶ 第六 十三巻第 一号 別刷﹄ 北海道教育大学 平成 二十四 ︵ 二0 −−;年 一六頁ー 一七頁︶ ﹃古事 記﹄に﹁ 次、国稚如浮脂而、久羅下那州多陀用弊流之 時、︵ 流 宇 以上十字以音︶ 如葦牙因萌騰之物而誠神名、宇摩志 阿斯詞備批古遅神。h 書き下し文に﹁ 次に、国稚く浮ける脂の 如く萌え騰れる物に因りて成りし神の名は、宇摩志 阿斯 詞備 点など 一部省略した箇所がある︶命古事記 新編 日本古典文 学全集2﹄山 口佳紀 神 野志隆光 小学館 平成九 ︵一九九 。 七︶ 年 二八ー 二九頁︶ ﹃古事 記事典﹄ ﹁ 葦﹂ の項 ︵ 尾畑喜 一郎編 楼楓社 昭 和六十三 ︵一九八八︶年 二六八頁︶. 1 二九 頁 の頭 注 ︶に ﹁ 2﹄︵ 注2 葦 の芽 のよう に生 き 生 き と した生. 筋 ﹃古事記の世界観﹄︵ 神 野志隆光 吉 川弘文館 平成 二十 ︵ 二〇〇八︶ 年 一五三頁︶ 鋼 ﹃新潮 日本古典集成 ︵ 新装版︶﹄︵ 西宮 一民校注 新潮社 平成 二十六 ︵ 二〇 一四︶年 二六頁︶に記載されている。また、 この神については、﹃ 古事記 祝 詞 日本古典 文学大系1﹄︵ 倉 野憲 司 野田藤吉校注 昭和三十三 ︵一九五八︶年 岩波書 店 五 一頁の頭注︶ に、﹁ りっぱな葦の芽の男の神の意で、国土の 生長力の神格 化﹂ とあり、﹃古事 記 新編 日本古典 文学全集. で、国 土 がま だ 脂 のよう に漂 って固 定 していな かったと き 、葦 が. 命力を表す神。﹂ とある。また、﹃日本国語大辞典﹄ に﹁ 記紀神話. 一八 頁 ︶と あ る。. 萌え出るようにして生まれた神。国土の成長力を神格化したも の。﹂︵ 日本大辞典刊行会編集 小学館 昭和四十八 ︵一九七. 一 三年. 5 九 二頁 注2 作 品解 説 ﹂として以 下 のよう にあ る。﹁ この絵 の﹁ 昭 和 二年 、第. 2 ﹃アサ ヒグ ラフ別冊 8 6夏 美術特集 鏑木清方﹄ ︵ 朝日 新聞社 昭和六十 一 ︵一九八六︶年 二六八頁︶ちな みに 同書に鈴木進 は ﹁ 東京都庭園美術館館長﹂とある。 %. 2. を 生 み 出 す ためにあ った感 じさ え す る。﹂と 評 している。︵﹁ 新潮. 八回帝 展出品作、帝 国美術院賞受賞。牛 込矢来町に転居し、 筑波山の見える二階 の画室で制作した帝 展出品作の最初のも の。ス﹃現代 日本美人画全集 第 二巻 鏑木清方﹄ 福永重樹 集英社 昭和五十 二︵一九七七︶年 一一四頁︶ また、池内紀 はこの絵を ﹁ 清方の代表作である。近代美 人画は、ただこの 一点. 日本美術文庫31 鏑木清方﹂池内紀 平成九 ︵一九九七︶年 一六八頁. ﹁8 1築 地 明 石 町﹂の項 ︶. 濁 注博. . u.
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