奨励賞受賞者による研究紹介
■第 17 回受賞(2019 年度)■
ニホンジカの形態学的研究から広がる
進化生態学・古生物学
東京大学大学院新領域創成科学研究科自然環境学専攻久保 麦野
は じ め に 哺乳類学会は私が修士 1 年の時に 2003 年度大会(岩 手大学)で発表して以来の関わりで,自分を研究者とし て育ててくれた場でもある.16 年間で積み上げてきた ものを,奨励賞という形で評価していただき,大変光栄 に思っている.私が研究において最も興味を持っている のは形態と生態の関連性を進化の観点から解き明かすこ とと,形態の大進化パターンの背景にある,微視的・生 態学的な進化プロセスの解明である.研究対象にしてい るのはニホンジカ(Cervus nippon)である.野生動物管 理の観点で研究されることの多いニホンジカだが,実は 進化の研究材料としても非常に興味深い種である.なぜ ニホンジカの研究に取り組むことになり,そして現在ま でニホンジカの研究を続けているのか.その時々の考え も交えて紹介させていただきたい. ニホンジカの研究を始める 修士課程の指導教員の高槻成紀先生は,東京大学総合 研究博物館が本務であったので,ニホンジカの生態学的 な研究のかたわら,フィールドでシカの頭骨を収集され ていた.私が所属していた東京大学理学部生物学科人類 学コースでは 4 年生の後期から卒業研究が始まるため, 進学が決まっていた高槻先生のもとで卒論に取り組ませ てもらえることになり,2002 年の秋から東京大学総合 研究博物館に出入りして研究がスタートした.高槻先生 は,1998 年に『歯から読み取るシカの一生』という本 を出版されており,この中に東北地方のニホンジカ(岩 手県五葉山,宮城県金華山島)の切歯の磨滅についての 研究が紹介されていた.五葉山のシカは冷温帯落葉広葉 樹林に生息し,一年を通じて林床に豊富にあるササをよ く採食する.一方,金華山島ではシカは保護され高密度 で生息している.シカによる採食圧は植生を改変し,シ バ地が広がっており,シカたちは夏場を中心にシバをよ く採食する.また冬場から春先にかけては餌不足により, シカたちは樹皮や枝などの粗質なものも採食する.その ため,五葉山よりも金華山島でシカの切歯の磨滅は早く, また金華山ではメスよりもオスでより速く磨滅が進行す ることが示されていた.この研究に興味を持った私は, 卒論で分析サンプルを増やして,磨滅速度を集団・性別 ごとに定量化し比較を行った. 結果は,『歯から読み取るシカの一生』を追認する形 ではあったが,新たに未磨滅の切歯の大きさを比較した ところ,五葉山,金華山いずれの集団でも未磨滅の切歯 サイズには性差が見られず,体サイズで基準化した時に オスの方が相対的に小さな切歯を持つことが明らかに なった.しかも,その相対切歯サイズの性差(メス>オ ス)は,五葉山の方が金華山よりも大きかった.このこ とはニホンジカの繁殖生態と関連させて次のように考え られる.メスジカは栄養状態さえよければ高齢になって も繁殖が可能であるのに対し,オスジカは通常,ハレム を維持できた個体のみが繁殖の機会を得る.したがって メスでは切歯サイズを大きくする方向へ選択がかかる一 方,長生きすることが必ずしも適応度を上昇させないオ スジカでは,切歯サイズに選択がかからない.これが五 葉山の状況と考えられる.一方で,金華山島では切歯の 磨滅は非常に速いため,オスでも繁殖齢段階ですでに切 歯の磨滅が顕著になってしまう.そのためオスにおいて も切歯サイズを大きくする方向へ選択がかかるため,結 果として相対切歯サイズの性差(メス>オス)が縮小さ れる.同時期にアカシカ(Cervus elaphus)において歯 の磨滅速度と歯のサイズの性差についての研究がNature に出版されていたので(Carranza et al. 2004),この研究 ©日本哺乳類学会は卒論発表後,長らく出版できずにいたのだが,金華山 のシカ行動観察チームの協力も得て,最終的にはほぼ 10 年かけて出版できた(Kubo et al. 2013). ニホンジカの頭骨を集める 修士課程に進学した頃,高槻先生や梶光一先生が世話 人となって,ニホンジカの研究をまとめた英語の専門書 を出版するべく動いており(McCullough et al. 2009), 2003 年 5 月に東大博物館で編集会議が行われた.海外 からも研究者を招聘した会議を手伝わせてもらい,ニホ ンジカの様々な研究発表を聞くことができた.特に,食 性の地理的変異についての高槻先生の発表が修論テーマ のヒントになった.冷温帯落葉広葉樹林に生息するシカ はササをよく採食しており,草食獣の採食類型ではグ レーザー型に分類できる.一方,常緑広葉樹林に生息す るシカは,イネ科植物よりも広葉樹葉や種子などを中心 に食べており,ブラウザー型に分類できる.そして,グ レーザー型,中間型,ブラウザー型が一種の中で,南北 の変異としてみられるのがニホンジカの食性の特徴であ る(Takatsuki 2009).比較形態学では,有蹄類の頭骨形 態の種間比較から,繊維質かつシリカを多く含むイネ科 植物を食べるグレーザーでは咀嚼筋付着部の大きさや大 臼歯の高さがより大きいことが示されてきていた(Janis 1995).したがってニホンジカは,草食哺乳類の種間で 見られる採食類型と頭骨形態の対応関係を,種内集団間 比較で検証することができる,格好の材料であった. 高槻先生と相談し,日本全国のシカの頭骨を収集する 計画を立案した.ニホンジカは毎年各地で駆除が行われ ているため,駆除個体から頭をサンプリングできれば十 分な標本を集められそうだった.研究者・現場の担当者・ ハンターなどの多くの方々の協力により沢山のシカ頭を 集めることができた.2003 年の冬以降,私は博物館に 届いた大量のシカ頭を処理し続けた.皮を剥いて,煮て, 肉を取り,乾燥させる.これをひたすら続けた.きつかっ たが,標本が着々と集まっていくのが嬉しかった.総計 500 個以上のシカ頭を処理して,博物館の標本として登 録した(久保(尾﨑)ほか 2015).ただ修士の頃は,こ れが今後の私の研究の基盤,最大の「武器」になるとは 考えてはいなかった. ニホンジカの遺伝的 2 系統を比較する 1990 年代終わりごろから 2000 年代初めにかけて,玉 手英利先生や永田純子さんの遺伝学的研究の成果によ り,ニホンジカは北海道から本州近畿地方までの北系統 と,中国地方以西の本州と九州の南系統の 2 つに大きく 分けられ,従来の外部形態に基づく亜種分類とは一致し ないことが明らかになった(Tamate et al. 1998;Nagata et al. 1999).北系統と南系統は約 30 ~ 50 万年前に分岐 し,別々に日本列島に移入したと考えられている.した がって,この 2 系統は分岐以後,異なる環境に生息して きた可能性が高い.現在の分布をみると,北系統は冷温 帯落葉広葉樹林から常緑広葉樹林まで幅広い環境に生息 し,食性はグレーザー型から中間型を示すのに対し,南 系統は常緑広葉樹林に主に生息し,食性も中間型からブ ラウザー型を示す.北系統と南系統を比較した場合,前 者の方がよりグレーザー型の食性に適した頭骨や歯を有 しているのではないか,と予測した.そこで下顎に注目 し,南北 6 集団ずつ 600 標本以上の計測を行い,比較し た(Ozaki et al. 2007;Kubo 2014).その結果,予想通り, 北系統では臼歯歯列長や,大臼歯の幅,磨滅していない 第三大臼歯の高さや下顎体の高さに関連する部分が南系 統よりも有意に大きかった.有蹄類の種間比較でみられ る食性に対応した形態進化パターンが,種内の集団(系 統)間でも見られたのである. 再び歯の磨滅に注目する 下顎骨の中でも,北系統と南系統の違いは臼歯に特に 表れていた.先に述べたように現生の有蹄類の比較から, グレーザーで歯が大型化,高歯冠化する傾向が見られる. このことはイネ科植物中のシリカによって歯の磨滅が促 進されるため,それに対抗し歯の大型化が起こったから と解釈されてきた.しかし,その背景にある「イネ科植 物は歯の磨滅を促進する」「歯の磨滅は個体に悪影響を 与える」といった基本的な仮定はこれまで検証されてこ なかった.そこで,まず大臼歯の磨滅速度をシカ集団ご とに求め,それがイネ科植物の採食割合と関係している かどうかを調べた(Ozaki et al. 2010;Kubo and Yamada 2014).大臼歯の磨滅速度(年齢‐歯の高さの回帰直線 の傾き)と集団ごとのイネ科採食割合の関係を調べたと ころ,イネ科採食割合が増えるほど大臼歯の磨滅も早く なるという明瞭な結果が得られた.その頃,草食哺乳類 の歯の磨滅要因として,シリカは磨滅要因ではないとい う研究(Sanson et al. 2007)が出たこともあり,ニホン ジカの研究は議論に一石を投じることとなった. 歯の磨滅はどのような影響を個体に及ぼすだろうか. 歯は再生しないので磨滅して擦り切れてしまったら,そ の動物は食べることができなくなってしまう.とすれば,
歯の長持ち度合いと寿命には正の相関がありそうだ.そ う考えて,集団ごとに,歯の磨滅速度を求めた回帰直線 から,歯の高さがゼロになる年齢(=歯の長持ち度の指 標)を求め,また各集団の年齢データから生命表解析を 行って期待余命を算出した.この期待余命と歯の長持ち 度の指標の相関を調べたところ,予想通り両者には正の 相関があった(Ozaki et al. 2010).歯の磨滅が速く長持 ちしない集団は寿命も短いことが示された.この研究で, 初めて歯の磨滅を寿命と結び付け,歯の大型化・高歯冠 化進化の背景にある生態学的なプロセスに迫ることがで きた. 現生から化石へ 現生ニホンジカの研究は面白かったが,人類学出身で, 化石有蹄類から人類化石サイトの古環境復元をする研究 に惹かれていたこともあり,博士課程は,形態人類学を 専門とする諏訪元教授のもとで,歯の微細磨滅痕の研究 に取り組み始めた.歯の表面には摂餌の際に形成された ミクロレベルの傷(マイクロウェア)が残されてお り,これを調べることでその動物が生前に何を食べてい たかを推定できる(Teaford 1988).食性がわかっている シカの頭骨標本から歯型を作成し,これを電子顕微鏡で 観 察 し た. 偶 蹄 類 を 使 っ た 先 行 研 究(Solounias and Semprebon 2002)で指摘されていた通り,グレーザー型 集団では表面に線条痕が沢山見られるのに対し,ブラウ ザー型集団では線条痕は少なかった.結果は明白だった が,定量化で非常に苦労した.電顕で撮影した画像には 無数の大小様々な傷がある.何百もある傷を全部カウン トするのか?撮影条件によっても傷の写り方が変わるの にどうやって測るのか?延々と悩んでいるうちに,暗礁 に乗り上げた気分になった.結論から言うと,このテー マはその後,長く封印されることになる.およそ 10 年 後に新しいツールを得たことで,一気に問題が解決し, 現在の私の研究を特色づけるテーマとなっていくのだ が,当時の私は知る由もない. 一方で,沖縄本島南部にあるハナンダガマ洞窟の発掘 で得られた大量のシカ化石の整理と分類をやってみない かと諏訪先生に誘われた.二つ返事で手伝わせてもらう ことにし,沖縄県立博物館の藤田祐樹さん(現・国立科 学博物館)とシカ化石の整理を進めた.沖縄は石灰岩土 壌のため化石の保存状態が良く,更新世の地層からは絶 滅したシカ類の化石が大量に発見されていた.私たちが 調査したハナンダガマ洞窟からは,2 種のシカが出土し ており,その 1 種リュウキュウジカは驚くほど小さなシ カだった.リュウキュウジカの化石から古生態を明らか にしてみたいと考え,現生ニホンジカのデータを利用し ながら,リュウキュウジカの齢構成を復元する研究 (Kubo et al. 2011),安定同位体分析などを使って古生態 を推定する研究(Kubo et al. 2015)を手掛けた(詳しくは, 久保 2014;藤田・久保 2016 を参照).興味の赴くまま に牧歌的に好きな研究を進めていたが,気が付いたら 30 歳になってしまった.いい加減学位を取って区切り をつけねばと,現生シカと化石シカの研究を取りまとめ て,学位論文を完成させた. キャリアと子育ての狭間で新しい分野を拓く 学位を取得した後は,東大博物館で特任研究員,学振 特別研究員PD をして研究に専念した.特任研究員時代 に第一子を,学振PD 中に第二子を出産した.その頃, 同じく研究者の夫は,地方博物館でパーマネントの学芸 員をしていて単身赴任だったため,ポスドク時代は子育 てと研究の両立で必死だった.一方で,上記で紹介した 研究の多くがこのポスドク時代(2010 年~ 2015 年)に 出版されたもので,振り返ってみると「まあ,頑張った なあ」というのが実感である.幸いにして 2015 年に現 職の公募で採用され,これからは教育も頑張ろうと決意 も新たにしていたところ三人目の妊娠が判明し,たった 半年の勤務で産休・育休に入ってしまった.今思い出し ても汗顔の至りである.夫は家族との生活のために,学 芸員を辞して任期付きの立場で大学に戻り,ようやく家 族がそろって暮らせるようになった. 私が採用された公募は文科省の若手研究者の雇用促進 助成によるものであったため,着任経費が支給された. 棚ぼた的な研究費をどう使おうかと思い悩んだのだ が,電顕レベルの解像度で表面の三次元データが取得で きる共焦点レーザー顕微鏡が中古で売りに出ているのを 発見した.歯の微細表面をDEM の地形データのように 定量的に解析する歯牙マイクロウェア三次元形状解析 (Dental microwear texture analysis,DMTA)は,2003 年 の提唱後(Ungar et al. 2003)少しずつ研究が増え始めた ものの,世界で研究拠点は 5 か所しかなかった.これは 機械が非常に高額で導入ハードルが高いためであった. 定量的な食性データが充実した多数のニホンジカ標本を 用いれば,DMTA で他の研究者には真似のできないデー タが出せると考え,メーカ保証のない中古の顕微鏡を博 打覚悟で購入した.2017 年に育休から復帰し,本腰を 入れて取り組み始めたDMTA の成果は,現在実を結び つつある(Kubo et al. 2017;Yamada et al. 2018;Aiba et
al. 2019;Kubo and Fujita in press).以前,電顕の観察で 見出していた通り,ニホンジカではグレーザー型の食性 を持つ集団で歯の表面の起伏が激しく,歯の表面粗さの 定量値と集団のイネ科採食割合には正の相関があった. これにより,イネ科植物中のシリカ→ミクロレベルの歯 の傷→その蓄積による歯のマクロレベルの磨滅→寿命, という一連の流れがニホンジカにおいて実証することが できた.マイクロウェアは一度諦めた研究だったので, 過去の努力(シカの頭骨標本作りも)は全て今につながっ ていて無駄でなかったことをつくづく実感している. 今後も伝統的,先駆的な形態解析手法をうまくミック スしながら,形態と生態の進化について,集団内・集団 間・種間と様々な階層で,また現生種と化石種の両方を ターゲットとして様々なタイムスケールで,明らかにし ていきたいと思う. 謝 辞 修士時代の指導教員の高槻先生,博士の指導教員の諏 訪先生,学振PD 時代の受け入れ教員の遠藤秀紀先生を はじめとし,シカ標本収集に尽力いただいた関係者の 方々,博物館収蔵標本を快く使わせてくださった各地の 博物館学芸員の方々,一緒に切磋琢磨した東大博物館の 学生たち,共同研究者,数えきれない方々のお世話になっ て,これまで研究を続けてこられた.この場をお借りし て御礼申し上げる.また私の研究の最大の理解者でもあ る夫と,家族にも心から感謝する. 引 用 文 献
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Mugino Kubo: Evolutionary ecology and paleoecology arising from comparative morphological studies of sika deer
著 者: 久保麦野,〒 277-8563 千葉県柏市柏の葉 5-1-5 東京大学大学院新領域創成科学研究科自然環境学専攻 [email protected]