岡山大学経済学会雑誌32(3),2000, 93-113
「
国家 と民族
」
(
下)
(訳)太 田仁
樹
《翻
訳≫
カ ー ノレ ・レ こ/ナ -(承前) オース トリアは,どんな地域的国法 を も,べ - メ ン諸 邦 の チ ェコ国法 を ち,旧 ドイ ツ連邦 の ドイ ツ国法を も認めない。それはまた ,どんな 「国家政 党」 を も,強制的な国家語 を も認めない。一宗派が国家宗教 の役割を果たす な ら,宗派間の争闘がす ぐさま新たに燃 え上が るよ うに,どの国家語 も謡 い の永続的な原 因であるo諸民族(
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が構成 ・組織 され ,民族的な多 数派形成 と抑圧 お よび異民族 の学校-の就学 の義務づけに よる民族的な 「私 洗礼」 の排除がな され るな ら,ス ラグ諸民族 (Volker)は,かつて ドイ ツ人 と一緒 に生活す ることを歴史的 ・経済的に強制 されたので ,唯一 の可能な意 志疎通手段で ある ドイツ人の言葉を ,彼 らが理解 して もらわね ばな らない所 では常 に使用す る ように し向け られ る。人 々が夫婦 になるのを法律にす るこ とはない。 どのみちそ うす るのである。 民族集団の内部編成 は当然その土地 の居住密度に応 じて行われねばな らな いであろ うO一つの地方的管 区や地域 的管 区 の同一 民族 は ,命令権 と課税 権 ,お よび 自己の財産 を もつ公法的 ・私法的な団体 である一つの民族的ゲマ イ ンデを形成す るであろ う。一定数 の領域 的 ・文化 的 に共 通 の ゲマイ ンデ は ,一つの民族的 クライスを形成す るであろ うo クライスの総体が民族 を形 -93-474 成す る。それ もまた公法 と私法の権利主体である。 この阻織 の行政的な業務遂行は,それほ どの労苦 もそれほ どの犠牲 も必要 としないであろ う。第一に政治的官庁に よる義務的な民族性宣言の受領 ,氏 族名簿への宣言の記入 ,民族調停者に よるゲマイ ンデ とクライスの確定 ,三 つの代表団体 (ゲマイ ンデ評議会 ,クライス評議会 ,民族評議会)の選挙の 着手 とその構成 ,か くして今や ,我 々は民族集団そのものを持つであろ う。 どの民族集団 も,、その内部構造に応 じて,その実際の力において,自分を代 表 し,どの民族集団 も,一定の領域のなかでは多数者であ り,同時に他の領 域では少数者であるが,少数者を民族統一の利益のために犠牲にす ることは あ りえない。 どの民族集団 も,異民族少数者を抑圧す ることはできない。な ぜな ら全体 としての他の民族集酎 ま,その少数者の抑圧で もって応酬す るの で,あらか じめ他の諸民族 との妥協の用意ができているか らである。 どの氏 族集団 も,内部強化 と経済的に多様で対立 した諸階級の一層 の融合 とに専念 し,自分の学校制度 ,民族文学 ,民族芸術 の奨励に配慮す るO どの民族集団 ち,その成員の主人であ り,その手段の主人である。民族生活は外部 との闘 争にエネルギーを使い果た して しま うのではな く,内面化 し,深化 しな くて ほならない とい うことを,誰が疑 うであろ うか ? どんな もので も,それが純粋に貫徹 しない場合には,その固有の特殊な作 用 を発揮す る ことはない。民族 問題 を解決 しよ うとす るな らば ,諸 民族 (Nationen)に耳を傾け るべ きだ ! 政治的情勢 ,政治的取引の必要 ,封建 的 ・教権的な影響か ら諸民族を 自由に して ,古 くさい黄変 した仮面をつけて 舞踏会を歩 き回って他人を驚かす ことのない よ うにす るには ど うあ るべ き か ,諸民族に呼びかけ るべ きである。生 きているものは権利をもち,その権 利を守 るであろ う。 この解決方針を選ばなければ,別の方針があるだけである。個人原理 と地 域原理のジレンマがあるだけである. どっちみち決めなければな らない。二 つの対立す る可能性を鋭 く浮 き彫 りにすれば問題は明瞭になる,と私は信ず
「国家と民族」 (下) 475 るO問題は,中央集権主義か 自治かではないo最 も厳格な中央集権の場合で あろ うが,最 も広範囲にわたる自治の場合であろ うが,人的団体の意味での 民族問題は解決す ることができるO立法が集権的で,行政が分権的であるこ とは可能であるO同様に,立法 と行政において個 々の国家案件を統一的に扱 い,しか し他の案件を領邦 ごとに別 々に扱 うことも可能である。 この点で ど の ように区別を企てるべ きかは国家 目的 と国家手段の性質に よって与えられ る。中央集権問題 と民族間題を混同す るか ぎ り,この点につ いて も考 えが は っき りす ることは決 してないであろ う。 諸原理が実際に純粋に貫徹 され ることはめ ったにない。た とえある原理を もとに して調整をお こな って も,第二のある種の譲歩をおこなわねばならな いであろ う。 しか し両原理の どの ような結合 も,少数者を犠牲にす るとい う 結果 とな り,破綻す ることな しには決着がつかないとい うことになる。人間 全体は人格的特徴に よって しか区別できず ,領域 とい う特徴では区別で きな いO不満を持つ民族的残片 とい う紛争を引 き起 こす問題点が残 るのである. 兵火は地域的に限定 され るが,消えるわけではない。純粋な地域原理は-オース トリアでそれが実行可能か どうか とい う問題を別に しても- ,最 も 残酷で 目的に最 も適合 しない解決である。それは包囲 された異民族成員を無 条件に押 さえつけ ,闘争に駆 り立てる。それは絶え間のない喧嘩であ り,永 遠 の財産争いのシステムである。 諸民族 の構成が困難であることは,そのままで認め られ るであろ う。た し かに困難はわれわれの国家制度の特性に根 ざ しているO簡単な解決があると 誰が信ず るだろ うか ? その方策はユー トピア的ではない。 チ ェコ人の国法 と- 私は ドイツ急進派の綱領を簡単に特徴づけ るが-ドイツ人の国法は,それが民族問題を解決せずに永続化す るとい うことを度 外視 しても,よ り悪いユー トピアである。周知の ように,いつまで も実現 し ないままの過去のユー トピアであるか らであるo Lか し最大のユー トピアは,「帝国」に対す る ドイツ人の期待であるOいま -9
5-476 保護関税があるに もかかわ らず ドイ ツの工業にほ とん どたち打 ちで きないの に ,われわれの脆弱な工業 は どんな役割を ドイツ人の帝国の中で果たす こと がで きよ うか ? いわゆ る 「価値 の低 い」諸民族
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との闘争 が大 きな困難 を与 えてい るわが知識人 ,わが官僚層 は ,帝国で何 を意味す る のだろ うか ? われわれは-ブスブル クの前地 にではな く,ホ-エ ソツ ォレ ル ンの後地 にな るのか も しれないOそ して1866年 のプ ロイセ ンのベ ーメソ政 策 を忘れたのだ ろ うか ? 北ベ -メソの運 命 はい まだな お懸案事項 で あ ろ う。 まだチ ェコ人の故地 ,ポイイ人の故郷等 々の理念が残 っているか もしれ ない。1848年に可能 であ った ことは ,今 日では もはや可能ではない。住居選 択 の 自由や国内移動 ,近代的交通 ,経済的管理 の大 きな任務 につ いて考 えね ばな らない。封建時代には ,ば らば らの領土や領邦を独特 の形態で統一的に 管理す ることが可能であ った し,小国家 も考 え られた。 この二重帝国の悲惨 を ,細部にわ って際限な く多 くしたいのか ? 勝手に国を細切れにす る ことも,一緒 にす ることもで きない。領地は動か ない死 んだ要因である。た しかに生 きてい る人 々が ,交通 システ ムの発展に よ り,互いに移動 した り集 まった りす ることは容易になる。われわれは帝国 の半分以上にわた る結社や政党を持 ってい る。経済的 ・文化的な利害紘 ,逮 く隔た った地域 の住民を結 びつけ る。人間は土地か ら自立 してい く。封建的 編成 は社会的編成 に道を譲 り,空間的繋が りは精神的な繋が りに道を譲 る。 人的団体 は少な くとも可能性 の大 きなユ- トピアであるO 権利主体ついての最初 の先決問題が解決 された ら,つ ぎに権利 内容 ,すな わち この権利主体 の民族的権利が兄いだ され るOつ ぎに民族評議会が ,どの よ うな主権を必要 とす るか ,国家か らどの ような問題 を取 り上げ ,自分 の法 で処理す るべ きか ,任 された勢 力範囲で何を実行す ることが実践的だ とみな され るのか ,を宣言す るであろ う。そ の後 ,国家 的行 政 が どの程 度 民族 的 で ,どの程度 イ ンターナシ ョナルな ものでなければな らないのかを宣言す る ことがで きよ う。「国家 と民族」 (下) 477 無限の社会的 ・国家的任務か ら,どの ように民族的な利益に関わ るものを 残 らず見つけだすのか ? 何が民族的な利益 と見なされ ,法の保証に よって 民族成員や民族全体の 「民族的」権利に高め られ るべ きなのか ? 何が この 問題において発見的な原理 としてわれわれに役立つのか ? 政治的に考察す るな ら,民族間闘争 (Nationalitatenkampf) とは国家の中 での支配的な影響力をめ ぐる諸民族 (Volksstamme)の競争であるoだか ら 闘争 目標は国家の立法 と行政に対す る民族政党の事実上の権力である。その 限 りでは,民族的な志 向を諸政党の志向と違 うもの として扱 う根拠はないO あるフラクシ ョンの事実上の力は法的領域の外にある。 「権力が あればそれ を 目指す者がいる」のだか ら,権力をめ ぐる諸政党の闘争が生ず る。立憲的 国家においては,諸原理 と実際の諸提案に よって,野党に対 して多数派与党 を勝ち取 ることである。諸政党が民族的な らば,この闘争手段は不可能であ る。それに よ り闘争は,排除 され ることな く,深刻になる。オース トリア議 会では別の手段に訴えることが必要であるOそ うでなければ,党派闘争の奥 の手である街頭闘争があるだけである。 この闘争を最後 まで継続 したいな ら,民族的諸権利 の保護を,政治的な方 法で民族諸政党に委任す ることで十分であ り,法的な調整は必要でない。そ うしたいな らば,諸政党に属すべ き一定の権力を,すなわち国家権力に対す る限 ら.れた影響力を確実に享受できるように,国家的に保証 してもらうこと だけが 目的 となるO 事実上の権力は,法律的な権力 とな らねばな らない。か くして政治的問題 は,法的な問題 となるであろ うQ国家権力に対す る事実上の影響力は,国家 主権-の法律的な関与 とな らねばな らない。法律家は,これを主権について ひろ く承認 されたシェ-マに解消す る。 これが民族 (Nation)の関与を許す のか香か ,また どの程度許すのかを逐次吟味すれば,民族集団(Nationalitat) の権利について余す ところのない法的に明瞭な展望が明らかになるに違いな い。政党が支配権を振 る場合には,不適格であっても,決め られていれば, -971
478 どの党綱領 も法規 とな り法的な衣装をまとうように,政治的な綱領を法的な 範噂- と変換す ることになる。か くして,われわれは国家 と民族 (Nation) の間の対立に到達す るOそ して,これ こそが問題の核心である。 これについ て別の法的理解を ,私は考えることができないo オ-ス トリアでは,国家主権が帝国 と諸邦の間で分割 されているo この分 割が保持 されたままだ と仮定 して ,主権 の一部 が民族代表 会議 (Nationa1 -vertretungen)に割 り当て られ るとすれば,次の ような権限域が生ず るで あ ろ う。すなわち,全国家的立法 ,地域的立法 ,民族的立法 ,全国家的行政 , 地域的 自治 ,民族的 自治である。詳細は以下である。
1.全国家的立法 (gesammtstaatlicheGesetzgebung) :普遍的権限を も つ中央議会。一度確定 された権限の拡大は,資格のある多数派の要求がある 場合だけに制限 されている。二院制 :第二院は普通国民選挙で選ばれ ,第一 院は民族集団 (Nationalitaten)と地域の代表か ら選ばれ る.- 全国家的行
政 (gesammtstaatlicheVerwaltung) :強制力のある経済顧問会議を もつ内 閣制度。 オース トリア帝国議会は,ライタ川の こちら側の統一的国家制度の 目に見 えるしるLである。 この場合 ,われわれは帝国議会において代表 され る諸王 国 と諸邦の ことを言 う。 どこであれ ,ここでは主に国家形成の利益 と動因が 効力を発揮す るに違いない。 ドイツでは国家の多様性を克服す る権力が,こ こでは言語の多様性を克服 しなければならない。普通 ,平等 ,直接選挙権で あるo ここでは国家全体 ,政治的-社会的な概念 としての国民 (Volk)が発 言の機会を得なければな らないのであって,民族集団 (Nationalitat)が持つ のではない。 ここに経済的 ・社会的な利害蹄争に とっての土台があるoそれ らはすべての民族 (Nationen)に とって共通で,民族的な感情すべて よ りも 強力であるOそれ らは,経済的に互いに依存 しているオース トリアのすべて の民族 (Volksstamme)を結びつけている. 2.地域的立法 (territorialeGesetzgebung) :地域の民族名簿が選挙名簿
「国家 と民族」 (下) 479 である議会。民族 ゲマイ ソデお よび クライスが選挙 区である。個人原理が少 数派代表制度 と特別 な選挙 ク リアの問題を 自動的に解決す る。 私の意見 では, これ は個人原理 の実現手段 にす ぎないoそれは人間を意見 と利益に よって集約す るもので ,地域的な選挙 区に よって集約す るのではな い。代表者 は もはや封建的な貴族 の ように登記 された土地 と世襲財産を代表 す るのではな く,動産的利益を もった ,土地 と切 り離 され た人 間 を代表 す る。 比例代表選挙 ,少数派代表制度 ,ク リア投票制 は ,民族的な事柄 において は根本思想の不完全な実現形態である。 とい うのは ,代表組織 の選挙規則 と 議院規則に よって しか行 なわれていないか らである。だか ら,それ らは立法 に対す る法的影響力だけを民族 に保証 し,行政に対す るそれは保証せず (わ が邦議会 では事情が異な る),その保証その もの も欠陥の多 い ものな ので あ る。 法 は ,法が想定す る者に直接にまさ しく権限を与 え,その者 自身がそれに ついて監視 で きるように し,法の不可侵性が保証 されている場合にのみ ,完 全 な ものである。上述 の三つの保護手段 は形式的な もので ,決 して実体的な 権利 を与 えるものではない し,民族 (Nation)に帰属す るものではない。 そ の効力の発生は ,被選挙人や選挙人の意志にかか っていて,選挙規則 と議院 規則におけ る権利 の擁護 は ,周知 の ように世 の中で最 も信頼 で きない もので ある。 もちろん ,それ らは最 も身近な情報手段 として大 きな価値 がある。 しか し なが ら,それ らを究極 の根拠 に関連 させ るな ら,そ の意義 は よ り明瞭 に な る。 この ことは ,この形式的な言語法が民族 間題 の解決を意味す るとい う思 い違 いを防 ぐ。
地域的 自治 (territorialeSelbstverwaltung) :比例的に選 出され るよ り狭 い邦委員会に よる合議行政
3.民族的立法 (nationaleGesetzgebung) :民族名簿を基礎 に選 出され る
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民族評議会 (Nationalrath),民族 ゲマイ ンデ お よび ク ライ スが選挙 区で あ る。- 民族的 自治 (nationaleSelbstverwaltung) I.よ り狭 い民族委 員会 (Nationalauschuss)に よる合議行政 :実行機関は民族的 クライ ス委 員 会 と ゲマイ ソデ委員会 である。 単一言語地域では,地域的 自治団体-の国家的 ・民族的問題 の広範 囲の委 任 ,これに対 し,混合言語地域では ,任 された勢 力圏 としての民族的 自治団 体への,国家的 ・地域的問題 の委任。そ して ,この ことは実際上最 も重要な 点である。だか ら役 に立たない どの官庁 も忌避 された ままであるOすべての 新 しい組織 は ,単一言語地域では 自治権 限 の増 大 と して現 われ るにす ぎな い。混合言語地域では ,それは全 く新たな創造を意味す る。 田舎 の個別 の小 都市が ,キ リス ト教 ゲマイ ソデ とユダヤ教 ゲマイ ソデ の両者 か らな る よ う に ,混合言語領域では ,両民族集団は 自分のゲマイソデを持つだ ろ う。それ は,民族 ゲマイ ンデ として ,任 された国家的 ・地域的勢力圏の この種 の扱い に適 したすべての問題を ,その民族成員に対 して処理す る。 したが って ,政 治的 ゲマイ ソデの用件 と,政治的地区の用件 は,ある部分は民族 ゲマイ ンデ 委員会お よび地区委員会 に分け られ ,ある部分は国家公務員 の司会 の もとに 両者 の合 同協議委員会に よ り処理 され るO この原則 に従 ってつ くられた最 も広範 な 自治制度に よって ,国家がその大 部分の機能において ,市民 と彼 らの言葉だけで向き合 うことがで き,混合言 語地域 での行政が ,どの個人に とって も民族的なままであることが可能 とな るo もちろん ,一つの管区に管 区全体 に 同 じ職 権 を もつ二 つ の役所 が存 在 し,その権限は当事者 の民族的帰属に よって区別 され る,とい うような こと は普通 の ことではない。われわれは相変わ らず ,国法 におけ る封建的な考 え 方 を脱す ることがで きないQそれに よれば ,ある領土が まず もってある役所 に属 し,- 役人には遺憾なが ら- 人間はその領土の付属物 であるO管区 全体 と社会的 ・国法的概念 としての国民 (Volk)に関係す る問題 ,お よび両 民族が党派 として対立 し,合同協議委 員 会 に預 け られ る事件 が残 って いれ
「国家 と民族」(下) 481 ば,権限の区分が実行可能でないのはいかなる理 由に よるのかを容易に理解 す ることができないだろ うか ? それに もかかわ らず ,確かに,国家的行政 の民族行政-の適応 ,国家的業務の民族 自治団体-の移譲は,-歩一歩 しか 起 こ りえない し,さらに将来の課題は残 され るであろ う。 しか し即座にすべ ての民族固有の (volkisch)行政を 自らに引 き受け られ る幹部 を編成 す る こ とは,最 も焦眉の任務である。 今 ,三つの大 きな権限範囲,いわば社会的 ・民族的な生活が営 まれ る場を 取 り上げれば,一つの,最 も重要で,最 も困難な問題があるだけである。 ど の具体的な案件が全国家的で,どれが地域的で,どれが民族的なのか ? ど れが この権限範囲の内容をな しているのか ? 無数の国家的問題を個 々に吟 味 し,その 目的に従 って具体的な経済的 ・文化的諸欲求をあれ これの機関に 割 り振 ることが出来 るのは,政治家 ,政論家 ,その経済的 ・文化的利益の代 表者だけである。国家を統治す ることは彼 らの任務であ り,プラ トン風の哲 学ではない。法学者は政治家そのものではない。その任務は所与の政治的な 要請に法律的に可能 となるような形態を与え,感情に訴えかけ るス ローガン か ら魔力を奪い,明白な意志関係に転換す ることである。 それで もなお私は,全国家的 ・民族的案件の一般的基準を見つけ ,法的調 整能力に関す る若干の より重要な民族的諸問題を吟味 したい。 ここでは理論 家だけが ,上述の方法を守 ることができるOあらゆる実践的-政治的な志向 は,その理想の法律的な確定を 目指す。政治的要請を,それに対応す る国法 上のカテ ゴリーに還元 して こそ ,日常政治の理解 と解 明に寄与す るととがで きる。 諸個人の共通の利益の実現が国家 目的であ り,従 ってまた特定の国家的な 主権がそれに対応 していなければならないが ,その共通の利益 とは以下のも のである。 1.-つの統一体 として通用す ること,つま り一つの統一体 と見なされ る ことの共同社会の利益。この利益には,代理主権 (Vertretungshoheit),すな
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わち代表主権 (Repraesentativhoheit)が照応す る。国家 は内外に対 してそれ を保持 している。 明 らかに民族 (Nation) もこの統一体 の利益 を保持 してい る。明 らかに国家全体の枠 内で ,国家 内の他の諸民族 集 団(Nationalitaten) お よび 自分 の民族成員 (Nationsmitglieder)に対す る代表主権は ,民族 の権 限で もなければな らない。 すでに ここでわれわれは ,諸民族 (Nationen)が本能的に追求 し,諸政党 が多かれ少なかれ唆味に意 図 していることを ,直裁 に表 明す ることが出来 る ようにな る,とい う利点をその方法か ら得 て い る。 ポ ー ラ ン ド人 クラブ , チ ェコ人 ,南ス ラグ人な どが ,帝国議会で可能 な限 り統一 した党を形成 しよ うとしている。 ドイ ツ人は連帯保証 を呼びかけている。諸民族 (・Nationen) は民族的な事柄 において統一 した代表 を持 と うとし,他方 で,民族的な対立 よ りも強力な経済的な対立が彼 らを分裂 させている。だか ら最 も発展 した強 力な民族 (Volk)は ,内部で経済的諸階級が最 も分岐 しているので ,その民 族的代表 はつねに最 も弱い ことになるo従 って政党が諸民族 (Nationen)に 欠けているものを補充す ることは決 して出来ない。 ドイ ツ人の最近 の運命は この ことを明白に示 している。全 ドイツ人の代表制度があったな ら,教権主 義者 とキ リス ト教社会党は最初か ら精力的に態度表 明を していたにちがいな いであろ うし,あるいは分離投票は過半数で取 り下げ られていたか もしれな いOベ -メソー メ- レンの ドイ ツ人に対す る処置 は ,最初か ら民族全体 に対 して向け られた もの と見 えたか もしれない。 この ようにおそ ら く考 え られた のであろ う。確実な経済的利益を上手 く熱烈に代表す る政党は ,民族的な事 柄において寛大に扱われ る。中間層 とプ ロレタ リアー トの政治家が ,そ うで ある。 これ らのすべての理 由か ら,政党は代理主権を十分補完す るものでは ない。
2.
内外-の国家意志の暴力的遂行に必要なだけの人間の物理的な力を用 いることがで きる共同社会 の利益o軍事的主権 (Militarhoheit) は この利 益 に従 う。文化的奨励 に必要 な援助手段 が不法に も拒否 された場合には ,文化「国家 と民族
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下
) 483 共同体 としての民族 (Nation)は,軍事的主権を必要 とす る。宗教団体の場 合 と同様 ,世俗 の分野に対す る権利がそれに役立つ。 3.その成員が互いに平和に生 きるとい う共同社会の利益。それには司法 主権 (Justizhoheit)が対応す る。今の ところ,国家か らこれを取 り上げ るこ とは,民族的熱望の範囲外にある。 4.全般的福祉を脅かす ある種の危険を回避 し (警察主権 Polizeihoheit), 個 々人の福祉を奨励す る (福祉警察 (Wohlfahrtpolizei),文化主権 (Cultur -hoheit)) とい う共同社会の利益。前者の利益は,国家だけが有効に実現す る ことができ,後者の利益に関 しては,国家が民族 (Nation)と競合す る。利益 の範囲の区別は,国家 と民族の性質に よって決め られ る。前者は物質的な文 化を,後者は精神的な文化を奨励す る。学校制度 ,芸術 ,文学が諸民族に帰 す ものである。 しか し社会教育 こそは物質 的文化 の基本的 な前提 であ るか ら,国家は,教育制度の全段階について,諸民族に よって保証 され るべ き教 育最低限を規定 し,この最低限のために必要な手段を貧 しく未発展の諸民族 にも保証 し,その上で,信仰に安んず ることが重要問題である諸民族に,学 校制度を完全に委任す る。 5.上述の四つの基本的な利益を追求す るのに必要な物質的手段を手に入 れ ,使用す る共同社会の利益。 これには財政主権 (Finanzhoheit) が対応す るO民族 (Nation)もこれを必要 とす る。今 日,どの民族 もこの手段を持 って いない とい うことか ら,どれほ ど多 くの対立が生 じているであろ うか。ベ-メソの邦議会がチ ェコ語の劇場 ,チ ェコ語の学校を援助すれば, ドイツ人は 「われわれの税金でわれわれの敵を養 っている !」 とい う叫び声を挙げ る。 どの民族集団 (Nationalitat)も永久に甘言に乗せ られているようだ。 どの民 族 (Nation) も望むだけの- 多ければ多いほ どよい- 劇場 と学校をつ く り,どの民族 も自分で払 うことだ。 この場合に こそ ,個人原理に従 って分離 す ることで,最 も平和に寄与す ることができるのである。 共同社会は,上述 の五つの利益の実現のために,上の 目的のための手段 と-1
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なる権力手段 と主権を必要 とす る。 この権力手段 とは以下 の ものである。 1.共同社会が定置 している領域 の処 理権 と して の ,地 域 に対 す る主権 (Territorialhoheit)。 これは民族性概念 (Nationalitatsbegriffe)に とって最 も重 要 で ない。民族 集団は ,- 上 で示 した よ うに- その発展 のために は,この主権を必要 とせず ,それは完 全 に 国家 の も とに と どま るべ きで あ る。 しか し,国内の民族的 ・国家的阻織に とっては ,昔か ら一定 の民族があ る領域 内に住 んでいるとい う事実 は ,重大な意味がある。民族的権利 は ,そ の民族 の歴史的 ・事実的な住居 である領域 の なか で完全 に有効 で あ るべ き で ,居住密度に よって等級を付け るべ きである。チ ェコ人は ,ベ -メソ王の 諸邦を全範 囲についてその故郷 とみな し,そ こで完全な権利 を享受す るとし て も,しか しその外では無力 ・無権利 であるべ きではないO ドイ ツ人はかつ ての ドイ ツ連邦を 自分の家 と感 じるが (個 人原理 に従 えば ,ある領域が二つ の民族 (Volksstamme) の故郷 であることがあ りうる),ガ リチ アや ダル マ チアでは客人であ り,他人や敵であるべ きではない。 この点で ,構成諸民族 が意志疎通す ることは可能 であ り,かつ必要 である。 とい うのは ,どの民族 集団 も自己の領域 の中に異民族を持 ち,異民族 の領域 の中にその一族 を持つ か らであるO どの民族 も,異民族 の中で 自ら権利 を持つために ,異民族に権 利 を認めなければな らない。 もしウィー ンの市議会ではな く,統一体 として の ドイ ツ民族が ,ウィーンのチ ェコ語学校 (もちろんチ ェコ民族 に よって維 持 され る)が公的権利を享受すべ きか香かを決定す ることを問題にす るな ら ば ,同 じ立場 のプラ-の ドイ ツ人については ,プラ-の衰退す る ドイ ツ人に 何 の責任 もない団体 とは違 う決定 をす るであろ うo Z.共 同体 の龍城 に存在 す る物 件 の処 理 権 と して の ,物 に対 す る主 権 (Sachhoheit)。民族 が ,その権限である財政主権 の実行において ,物 に対す る主権 とい う手段を必要 とす るか否かほ ,直接税 あるいは間接税に関与 して いるか否かに よるC 3.共 同社 会 に属 して い る諸個 人 の処 分権 と して の ,人 に対 す る主 権
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(Personalhoheit)o これは国家の最 も主要 な支配手段 である。 この力に よっ て,国家 は諸個人に命令 し,禁止す る。 この力に よって ,国家 は諸個人か ら 人税 を徴収す るO この主権 は ,法律 に よって ,疑 い もな く国家の権限でなけ ればな らないo Lか し民族 に とって も,これは最重 要 で ,おそ ら く唯 一 の支 配 手段 で あ る。民族 は ,あらゆ る民族的事柄 につ い て これ を必要 とす る。 この問題 で は ,人に対す る主権は ,法律的に もっぱ ら民族 の権限でなければな らない。 しか しなが ら,国家が理解 され ,国家 の命令が守 られ るべ きな らば ,国家 は個人に対 してその言葉 に よって しか命令をす ることがで きない。 ここか ら 次 の ような結論が生ず る。人に対す る主権は ,民族的問題 の場合には ,民族 (Nation)の権限であ り,他 のすべて場合 には ,法律的に国家 の権限である。 実行については ,国家はそれを諸民族 に任せ る。民族 的な 自治団体 は,直接 税 を徴収 し,徴兵事務を行 う,等 々。諸民族 は ,その一族に対 し自分の言語 で国法を公表 し,役所 の指令を彼 らに伝 え ,無料 で民族的権利 の保護を彼 ら に与 える。 ウィー ンのチ ェコ民族や ,プラ-の ドイ ツ民族 に よって任ぜ られ る民族代表 は同胞 に訴訟 と召還 を伝 え ,裁判 では通訳ない し代理人にな る。 要す るに ,人に対す る国家主権は ,可能 なあ らゆ る場合に ,任 された勢力圏 で,原則 として民族 団体 に よって行使 され る。 しか し,異民族 の国家官庁 と 関係のある場合 ,個 々人は ,自民族 の援助 で法的に保護 され ,告訴で きる権 利 を持つ。諸民族 に とって ,何 と豊かで ,効果的な国内勢力圏であろ うか ! 4.諸個人を全体利益 の代表 に任ず る権 利 と して の ,公職 に対 す る主権 (Amtshoheit)0
われわれの分析 が示す ように ,民族 問題 (Nationalitatenfrage)が より多 く の問題 を包含す るに もかかわ らず ,オース トリアにおいて言語闘争 の中心に あるのは ,公職 をめ ぐる闘争であるoわが国では ,あ らゆ る物事の 自然 の関 係が乱 されている。 とい うのは ,われわれは事実をあるが ままに見 るのを恐 れ ,壊れた プ リズ ムで システ ムを作 り,壁 に投影 された像を現実だ と受け取
-486 り,絵筆 を持 って きて ,現実 とは違 うように漫画を措 いているか らだ。事実 のなかに君臨す る大 きな社会的な時代 の利益 は ,とて も強 く 「損なわれて」 いるので ,左 の壁 の縁に小 さな 「赤い」線か見 えるだけであるoわが民族 の ほ とん ど大部分がパ ンを見 出す工業 の利益 は ,利益代表制度 のスペ ク トルに おいては ,全 く影 の よ うな青 白い幻影 として しか現われない。尊敬すべ き名 付け親 の手袋職人 ,雑貨屋 ,小売屋が ,かすかな知性 の光で ,スペ ク トルの 中で最大 の光の効果を もた らす。唯一 の大 きな ユ ダヤ鼻。 他 のす べ ては黒 いo君主国の5000人の大土地所有者 と聖職者たちの反射 である。 これ らのス ペ ク トルは ,われわれの世論 に反映 されてい るOそれについて ,あるいは少 な くとも色合いについて憤慨す るな ら,鉛筆 を もって ,世論 の鏡像 の該 当す る部分を抹殺す る- そ う,その方が よい ! われわれの政治的状況に対す る責任は ,法律的に存在 しない命令的委任に 転嫁 されてい る。 とはいえ,事実上 よく似た ものが存在す る。 しか し,い ま 人が嘆いていることこそ ,まさしく人が望 んで きた ことなのである。代議員 は,彼が代表す る僅かな選挙人層 の委任 と利益 に しがみつ くので ,その際 , 国家は縁 に行 くだろ う。そ こで汝 らは利益代表制 の果実を手 にす る。だか ら 汝 らはそれを望んでいた。 利益を代表 しない代表者は ,どこに も存在 しない。 しか しそれに もかかわ らず ,普通 の選挙区の代表が ,支配的な利益だけを代表す るとはいえ,選挙 区の少数者 の利益に 目をつむ ることはない。代表が全体 の利益 よ りも-社会 層 の個別利益 を重視す るな ら,多数者に対す る敵対的少数者 とな るか らであ る。その内部で既存 の諸利益が永遠 に調停 され るな ら,代表 は ,他人に対 し て も,全体 の利益 のために妥協す ることがで きる。代表 は ,ある選挙人層を 失えば ,他 の選挙人層 を手に入れ る。 ここでは利 己的な利得 は ,- 効果的 な欺臓を除けば- つねに全体利益 の方 向に向か ってい る。 しか し,代議員 がただ一つの狭 い利益だけを代表す る場合は どうか ? その場合には ,代議 員はその利益に しがみつ き,妥協はな く,勝利す るか敗北す るまで闘争す る
「国家 と民族」 (下) 487 だけである。20年来のわれわれの議会史は ,極端で排他的な特殊利益 のため にだけ行動 したのではない国民代表 をすべて無慈悲 に もふ るい分けて ,ます ます直接的で非和解的な対立だけが残 るるような ,不断の根絶過程以外の何 物 かであった ろ うか ? そ こで汝 らほ ,システムの諸矛盾 を浮 き彫 りに し,限界 の突破に向か う。 汝 らはそれを望んでいた。… いまやそれは起 こった。 われわれの選挙 システムは ,つね に変化す る物質的 ・精神的な多 くの利益 か ら僅かな もの しか引 き出さず ,それをただ一度 き りで固定 し,相互の直接 的抗争 の中に置 くO しか しなが ら工業がオース tl)ア全体を作 り変 えた とす れば , どうであろ うか ? ほ とん ど議会全体が農業的であ り,ウィーンでさ え板 は農業的な代表 を持 っている。 しか しそれ以上 である。物質的利益 につ いて敵対的で,民族闘争 のなかで代表 に何 らかの市民的誠実 さを簡単に許す ことのない,断 じて協調す るつ も りのない民族階層だけが しっか りと代表 さ れている,とい うことが確かめ られ るだ ろ う (シュタイ ンヴェンダーの場合 を見 よ)O彼 らに とっては ,民族 問題 は ,公職をめ ぐる闘争 とい う一側面を持 つにす ぎないo彼 らは,そのためにすべてを犠牲 にす る。その他の物質的利 益 は ,よく保護 されてい るか らだ。憲法は彼 らに何 も与 えず ,彼 らか ら何 も 奪わないo この点では憲法は ,彼 らに とって どうで もいい ものであるO 危機 を克服す る唯一 の可能性 は ,すべての利益団体 にその 自然 の影響力を 返 し,いまの利益代表制度を廃 して,真 の利益代表制度 を創 りあげ ることで あるOすべての民族 の比較的大 きな構成部分は ,た しかに国家的立場に物質 的利害を もっていない。非 当事者だけが争 いを調停す る事がで き,そ うでな ければ ,それは, どち らか の勝利や敗北 あるいは双方 の疲労困億に よって し か終わ ることがで きない。最後 の場合には ,争 いが また起 こらない とい う保 障はない。 双方 の疲労困燈 の時期 に こそ ,非 当事者が発言 し力を振 る うことが可能で ある。 もちろん ,希望は僅かではあるが。 -1071
488 に もかかわ らず ,われわれは最 も困難 な点である公職 問題 の調整 の論究に 入 っている。それは次 の ように定式化 で きる。 どの民族集団
(
Na
t
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もその成員 に よって統治 され ることを希望 し,異民族支配を唾棄す る。それ は確かに当然な ことである。 しか し,この間題を どの ように解決すべ きなの か ? どの よ うに法的に可能で有効な形態でその解決を確かな もの とす るの か ? 上述 した ように ,公職 に対す る主権(
Amt
s
ho
heit)は ,内閣に よって執行 され る壬の大権 である。 しか し公平な執行について ,大臣の責任 は何 の保障 も与 えていないo逆 である。 内閣は議会 の多数派に依存 してい る.その同意 に よって ,内閣はそれ以上 の ことをす る権限を持つ ことがで きる。公職に対 す る主権を ,まさに諸民族集団に返還す るよ う請求す ることは ,王冠 の剥奪 を宣言す ることである。それは決 して試 み られ ることはない。 この国では , 選挙人獲得 の 目的だけのために ,民主主義 の旗が振 られ る。それを手に入れ れば ,旗 は袋 の中に巻 いて ,原理 と引 き換 えに譲 歩 を得 る。権 利 の代 わ り に ,贈 り物 を得 る。最 も正 当で祝福豊かな要求が ,ここでは最 も困難 な もの とな る。要求 した ものを公然 と勝 ち取 るので はな く,不 正 と漬 神 に よって こっそ りと手に入れ るのだか らである。その場合 ,その成果を喜ぶ ことはな いであろ う。 ヨブの よ うに ,主はそれを与えた まえ り,主はそれを取 りた ま え り,主を讃 え よ,といつの 日にか言わねばな らないか らであるO だか ら,どの民族 も官職 の しか るべ き部分を 占め るべ きで ,どの民族 もそ の領土でその民族成員に よって統治 され るべ きだ と言 うのは正 しくない。役 人が一言語 あるいは二言語 を使 うことを要求す る。 しか し,それだけでは , 民族的には何 もの も勝 ち得 ることはないO長期にわた って親 ドイ ツ人的な政 府が ,チ ェコ語 も話す ドイ ツ人に ,最 も重要なすべての官職 を占め させ るこ とがで き,長期 にわた って親 チ ェコ人的な政府が , ドイ ツ語を話す チ ェコ人 に ,最 も重要なすべての官職 を占め させ ることがで きるOだか らバイ リンガ ルであるとい うことは ,- どち らの側に とって も- 異民族支配 の有効 な「国家 と民族」 (下) 489 機関 とな りうるのである。 いまや ,バイ リンガル とい うことは ,法律的に理解 し得 る し, したが って 法典編纂上意味 のある主体的な資格 な ので あ るO そ れ は利 点 で あ る。 しか し,それは異民族支配に対 して防御す るものではな く,その最 も優れた道具 である。ではその代わ りに どうす るのか ? た とえば旧大審院規則が言 うように,すべての国家官職が決めれ られてい るとしてみ ようO カ トリックの評議員がいれば ,同数 の評議員は-ル ヴ ェチ ア派や アウグスブル ク派でなければな らないo Lか し,信仰は民族性 (Nat -ionalitat) よ りも強 く人間に固着 してい るQ人は二つ の信仰 に属す る こ とは で きない。 しか し,おそ ら く民族性についてはわか らない。 この ことは ,例 えば父が フランス人で ,母 が ドイ ツ人 ,フランス語 と ドイツ語 で教育 された スイス人に当てはまる。 とい うのは ,精神的にこっの文化圏を支配す ること がで き,自分 のなかで統一す ることがで きるか らである。われわれの提案に よって民族集 団が公法的な資格 となる場合で も,それを捨て ることがで き, 取 り替 えることがで き,民族 的な感情 を疑問に付す ことがで きる。何が信念 なのか ? 内閣の恩恵 の陽光 の前では ,しば しば経験 した ように,バ ターの ように ,それは融けて しま うO恩恵 は内閣 とともに交代 し,多数派 とともに 変化す るo Lか しどの ように して ,各民族 の公職 に対す る しか るべ き影響力 を ,国家基本法 に よって確定すべ きであろ うか ? ここで も,望む ことを公にす ること,一般的な決 ま り文句 の代わ りに具体 的な法律的公準を提起す ること以外 の ことはない。民族集団は公職に対す る 主権を望むo単独 でではな く,王 との連合 のなかでそれを望むのであるO王 権 は今 日では実際上封建貴族層 との連合 のなかで しか行われない。代わ りに 民族 が行 うな らば ,王 の大権 は削減 され な いo 古 い ドイ ツ帝 国 では , カ ト リックお よびプ ロテスタン トの帝国議員が ,帝国大審院評議員 ,帝国枢密顧 問官 を指名 ・推薦 し,皇帝が最 も気 に入 った者を任命 し,任官 させたOそ し て カ ト1)ックの官職につ いては ,今 日で もなお同様 に行われているO ここで
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9-490 も公職 に対す る主権は ,国家 と教会 の間で分かたれてい る。わが国で も同 じ ことが少 し前には隠密理に行われていた。諸政党は舞台裏 で裁判所や行政の 高官たちを指名 し,内閣は彼 らを提案 し,王が彼 らを任命す るO オース ト1) アでは ,略奪はないが ,商売があるOそれが政治的なモラルであるO 魁織 された民族議会 お よび クライス議会 に ,公職 の比例的配分に対す る公 然た る介入権 を認め る以外 に ,持続的 な平 和 を保 障 し,異 民族 支 配 を排 除 し,法典編纂上効力のある問題調整はない。選挙 の形態であれば ,上で詳述 した よ うに,任 された勢力圏で民族 自治団体 に国家的機能を委任す る。複数 提案 の形態であれば ,それを根拠に ,王 あ るい は 内閣が任 命す るべ きで あ る。 理性への回帰が , しば しば突然 ,多 くの予期せぬ利益をわれわれに示す。 ここで もそ うである。 どの民族 (Nation) も,民族的な調停者を含めて しか るべ き数 の官位 を占めたな ら,全 国家的な案件 のなかで彼 らに保証 されてい る要素を扱 う際に , ドイ ツ語を一般的な意志疎通手段 として用い るのであ っ て も,もはや彼 らに差 し支 えはない。 とい うのは民族 (Nationalitat)の最 良 の部分は ,異民族 の言語 の使用 に よって脱 民族 化 す る こ とはな いか らで あ る。その場合 ,もはや ドイ ツ語は ,民族的抑圧や ドイ ツの影響力の不作法 な 拡大の手段 ではない。 I どの民族 も,その教育制度 の奨励手段 を利用 し,その大学を創 る可能性が あるな らば ,もちろん第一 に大学 の卒業生の保護をす るだろ う。学校 と公職 とは ,適当な割合であれば ,民族的誇大妄想を抑止す るのに大いに寄与す る ものであるo ある民族が- そ して まもな くすべての民族が- 彼 らが扶養 で きる以上のイ ンテ リゲソツィアをつ くるな ら,よ り広 い生活圏を彼 らに開 くために ,学校を通 じてのバイ リンガル化を彼 らに世話せねばな らないoす べての民族 と同様に , ドイ ツ人 もそ うしなければな らないだろ う。 この状態 では ,バイ リンガル化は当然 に も奨励手段 を意味す るのだか ら,重荷ではな い し,異民族支配や脱民族化の危険 もない。大学 と同様 ,この ことは国民学
「国家 と民族」 (千) 491 校 について も妥当す る。手の内を見せてゲームをす る以上に ,意志疎通や対 立排除に役立つ手段 はないo 上述 の調整 に よ り次の ことが生ず る。当事者 との交渉 での官庁語 (外部官 庁語) は ,ほ とん どの場合に民族語 である。そ うでない場合には,上述 した よ うに ,民族 (Nation)に よって任ぜ られた代表 が ,役所 と政党の間を無料 で仲介す る。 内部官庁語は ,推薦 された役人の民族性 (Nationalitat)か ら明 らかであるOそれが交 じり合 った ものである場合には ,バイ リンガルである ことが任用用件 である。その領域 は著 し く制限 されて ,それその ものが今や 利点を発揮 し,民族的危険を減 らす。 民族性 の異な った役所 の間の通信言語は ドイ ツ語 である。 これで ,究極 の最 も重要な国家主権である公職 に対す る主権を片付けた と 言え よう。今やわれわれの前には ,国家 の主権を廃棄す ることな く,民族 の 管轄範 囲の内容 である民族 自決権 を形成す る基本権 のシ ェ-マがある。決定 的な言語法が このシ ェ-マの詳細説 明なのか もしれないo学校 と裁判につい て ,われわれがなお言葉 を費やす こともないO 民族 ゲマイ ンデが学校 ゲマイ ンデであ り,民族名簿が同時に選挙名簿であ り,学校名簿である。民族 が学校 を維持す る。民族 ゲマイ ソデの人 口が少な す ぎて,独立 した学校 を維持す ることがで きない場合には ,地域 の学校 デマ イ ンデ と一体に され るが ,ここで も民族名簿が選挙名簿であるので ,地域学 校評議会 のなかに比例的な代表を持つOそれは母語 の教育のために ,巡 回教 師を任命す る。 この 目的のために学校 の空間 と時間がその 自由に任 され る。 数が非常に少な くて ,そ うす ることが不可能な場合には ,民族 デマイ ンデは 民族性 の保護 のための他 の機能 ,主にその権利保護 の機能を保持す る。 次は裁判阻織 についてである。 どこであろ うとも,世襲的な思考様式 は発 展 の障樽 である. イギ 1)スの治安判事 と同様 に , ローマの大法官は各地 を旅 して ,公判を開いた。 しか しわが国では ,マ ホ メ ッ トが 山-行 くので はな く,山がマホメ ッ トの ところへ行 く。多 くの証人が ,単独裁判官に釈 明 し答 I l 1 1
-492 弁す るために裁判所所在地-一 日の行軍 をす るO判事は教会 の聖職禄受領者 の よ うに ,任地居住義務 がある。新 しい裁判組織法 は ,す でに この原則か ら 離れている。公判 日の設定が増 え,まさに職務が山麓 している上級地方裁判 所 の管轄区域全体で使 ってい る巡 回職員がい る。地域 の単一言語裁判所 と並 んで ,マイ ノ リテ ィお よび二重の民族性 を持つ者 の訴訟 のために ,相応 の よ り大 きな領域 内で ,一定 の順番 で ,バイ リンガルの職員に公判を開かせてい るが ,この施設をマイ ノ リテ ィがいるよ り大 きな管轄区域のために用 いるこ とがで きないだろ うか ? しか し,この情報手段 を非実際的な ものだ とみな す者に とっては ,民族 ゲマイソデが同時に政党 と役所 の交渉をその言語 で行 う権利保護組織 であるとい う状態 ,どの民族 もマイ ノ リテ ィに よって代表 さ れ る場合には ,と りわけ中央 の官職 については ,その保護 の もと自分の費用 で通訳 を雇 うとい う状態で十分であろ うO か くしてわれわれは ,誠実に法律学 の中で理論家の任務 を解決 しようとし た と信ず る。そ して理論家 は ,これ以上の ことを望む ことも出来ない し,逮 成す ることも出来ない。彼 は ,解決を考 え得 るものにす る国法上の原理を摘 出 した。彼 は ,考 え得 るものか ら法的に実現可能 な ものを選び出 した。それ 以上の ことは ,彼 にはで きない。 研究 の成果を概観 して初めて ,オース トリアの問題 の困難性 が意識 され る。 もちろん,われわれが展開 して きた範 囲では ,この ことは今 日では現実 的ではない。 しか し,われわれの選挙制度 ,非和解的な対立 を作 り出すため の この制度は ,われわれが杯 を最後 の一滴 まで飲み干す ように配慮 されてい る。実際的であると同時に有用 でなければな らない ことは ,学 問的に必要 な ことであるが ,それ までは ,それは妄想であ り,ユー トピアであ り続け るo しか しなが ら,その ような もの として ,研究は今 日では無限の価値を もつ。 それは ,党綱領 の判断基準 ,獲得 目標 と成果 の評価基準を ,われわれに与 え て くれ るか らである。それ は,オース トリア国家が ど うすれば存続可能か と い うその像を示 してい る。 とにか く一度 目標を見れば ,その方 向-の第一歩
「国家 と民族」 (下) 493 を踏み出す ことができるであろ う。 よ り確かな 目標が,恒常的で強力な政策 に とって最 も必要である。 これがわれわれに欠けていた ものであ り,唯一有 用な手段である問題の科学的理解 とい う手段 と共に これを探 し出す ことが, この論文の課題であった。私がその手段を正 しく用いたか否かは,それに適 した人 々が判断す るであろ う。その判断は この種の最初の試みに対 してはそ れほ ど厳 しいものではないであろ う。 (完)