• 検索結果がありません。

精神障害と刑事責任能力の基準(テスト) : アメリカ法におけるいわゆる「抵抗不能の衝動(irresistible impulse)」テストについて

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "精神障害と刑事責任能力の基準(テスト) : アメリカ法におけるいわゆる「抵抗不能の衝動(irresistible impulse)」テストについて"

Copied!
35
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)精神障害と刑事責任能力の基準(テスト)(田中). 今後における考察のための布石.  ーむすびにかえて−ー. 二. 精神障害と刑事責任能力の基準︵テスト︶. はしがき. ﹁抵抗不能の衝動﹂テスト確立までの過程と当該テストの内容 ﹁抵抗不能の衝動﹂テストにたいする批判. 圭. ﹁抵抗不能の衝動﹂テストにたいする批判の検討と当該テストにおける問題点の指摘. 中. ーーアメリカ法におけるいわゆる﹁抵抗不能の衝動︵嘗お。。糞芭Φ冒薯﹃︶﹂テストについて−i. は し. 田. んする判例法ならびに制定法の立場はまちまちである。このように、英米法における責任能力の基準は多様化されている. いかなる精神状態にある者がここでいう﹁精神異常﹂に該当するのか、といういわゆる責任能力の基準︵テスト、一舞︶にか. 性犯罪人の法的とりあつかいにかんする実体法上の原則である。この原則それじたいにはあまりあらそいはないけれども、.  被告人が犯行時に﹁精神異常﹂︵訂琶こであったならば、かれの刑事責任は阻却される。これは英米における精神障害. き. 一79一. 「 二 三 四. が.

(2) が、そのなかでも、古くから英米で支配的な地位をたもってきたのは、かの有名なマックノートソ・ルール︵三、き讐雪 勾三〇︶である。.  一八四三年に英国で確立されたマックノートン・ルールは一般につぎのように表現されている。﹁﹃精神異常﹄の抗弁を. 確定するためには、犯行時に被告人は、精神の疾患︵爵霧9㌘ぎ邑&︶によって、自己のなしている当該犯罪行為の性. 質︵量幕麟民2毘蔓・⇒ぼ貫ぼ語ω量夷︶を認識し︵ぼ睾︶えない程度に、あるいは、もし自己の行為の性質を認識し. えたとしても、それが邪悪︵≦δお︶とされるものであることを認識し︵ぎ・乏︶えない程度に理性がうしなわれているよう                             ︵1︶ な状態にあった、という点が明確に証明されなければならない﹂。当該ルールにおける﹁精神異常﹂は、厳密にいえば、. 二様にわけられうる。つまり、前段で表明されている自己の犯罪行為の性質を認識しえない者と、後段のそれを認識しえ. たとしても、それが、邪悪であることを認識しえない者である。だが、ルールの表現方法からすると、前段のような﹁精. 神異常﹂は当然にその行為が邪悪であることを認識しえないという後段のそれをも内包している、と一般に考えられてい. る。したがって、当該ウールは、窮極的には当該犯罪行為にかんする正邪の弁別不能という知的作用の障害に、責任能力. の基準をおいているといえるだろう。しかし、当該ルールがかような障害に着目するところにたいして、一世紀以上もま えから、主としてつぎのような批判がなされてきている。.  まず、精神医学の立場からは、正邪の弁別をなしうるけれども、意志的作用に重い障害を有する重症精神障害者の存在. があきらかにされてきた。しかし、マックノートン・ルールによれば、かれらは、たとえ重症でも正邪の弁別をなしうる. から、有責とされる。かようなところから、精神医学者は、当該ルールは、知的作用よりも、むしろ意志的作用の方に重 篤な障害を有する者を等閑視していると、痛烈に批判してきた。.  つぎに、本稿の第一章および第三章で紹介するような責任論からすれば、たとえ正邪の弁別をなしえたとしても、意志. 的作用に障害があるために、なんらかの犯罪行為を実行しようとする欲求に抗拒できない者、つまり、いわゆる自制能力. 一80一. 説. 論.

(3) 精神障害と刑事責任能力の基準(テスト)(田中). ︵8幕3雰集ム・葺盈︶を喪失している者は免責されなけれぽならない︵この点については、本稿八三ぺージ以下と一〇六ペマ,. ジを参照︶。しかし、マヅクノートン・ルールのもとでは、かような者は免責されないので、この責任論の擁護者は、当該 ルールは自制能力の喪失者を等閑視している、と批判してきた。.  これらの批判に答えて、たとえば一九世紀中頃におけるアメリカでは、一部の州で、正邪の弁別をなしえても、意志的. 作用における障害のために、自制能力を喪失している者の免責を表明したいわゆる﹁抵抗不能の衝動﹂テストをマック. ノートン・ルールに付加することによって、当該ルールをいわば修正・補充しようとする立場が法的に確立された。 ︵な. お、 ﹁抵抗不能の衝動﹂テストは、当該ルールの代替物とLてではなく、あくまでも当該ルールに付加されるかたちで確立されてきてい ることに注意すべぎである︶。.  ところで、アメリカでは、判例法や制定法における責任能力の基準にかんする表現方法は、連邦あるいは各州によっ. て、異なるところがあるために、 ﹁抵抗不能の衝動﹂テストをマヅクノートン・ルールに付加させる立場を現在採ってい. る州がどれくらいの数であるかを明確にわりだすのは困難であるけれども、ごくおおまかには、連邦ならびに一五から二 〇前後の州で採用されているようである。.  しかし、そのほかの大部分の州では、マヅクノ1トン・ルールだけが唯一の基準とされている。したがって、当該ルー. ルは、 ﹁抵抗不能の衝動﹂テストを付加されているところもふくめると、連邦ならびにかなり多数の州で採用されている. ことになる。では、 ﹁抵抗不能の衝動﹂テスト、厳密にいうならば、当該ル;ルにこのテストを付加させる立場は、なぜ. 多数の州に普及しないのであろうか。それは、このテストじたいに、英米法的な感覚からみたなんらかの重大な難点ある いは根本的な間題点が内在しているからではなかろうか。.  本稿では、 ﹁抵抗不能の衝動﹂テストにおけるこういった問題点を指摘しようと思う。ただし、マックノートソ・ルー. ルが普及し、このテストが普及しない原因をテストじたいにおける問題点にもとめるにしても、当該ル零ルにもなんらか. 一81一.

(4) の問題点が内在しているであろうから、結局、右の原因をより明確にするためには、当該ルールにおける問題点と、この. テストにおける問題点とを、英米法的な感覚のなかで比較検討しなければならないだろう。しかし、当該ルールにおける. 間題点の究明、および、両者の間題点の比較検討については、残念ながら諸般の事情により、本稿ではなしえないので、. 別稿にゆずるが、そのときのために、ここで、このテストじたいにおける主要な問題点の一っを指摘しておくことも、あ. ながち無意昧とはいえないだろう。そこで本稿では、まず、 ﹁抵抗不能の衝動﹂テストがアメリカで確立されるまでの過. 程をたどり、つぎに、このテストにもりこまれてきた内容をあぎらかにし、さらに、このテストがアメリカでどのように. 批判されてぎたかを紹介し、それらを検討し、そこから.このテストにおける英米法的な感覚からみた主要な問題点の一 つをさぐりだそうと思う。.  ところで、わたくしは、現在、鹿児島大学医学部法医学教室に所属しているが、当教室の城哲男教授は、法医学だけで. なく、精神医学も修められたの僑\精神障害のうたがいがある被告人の犯行時における精神状態の鑑定を裁判所から命令. され、そのための精神医学的な検診もしておられる。法学部出身であるわたくしは精神医学的な知識に乏しいために、本. 稿で精神医学に関係する部分については、教授から、かような検診にもとづく多大なる御教示をたまわった。さらに、わ. たくしは、幸運にも、教授がされる検診に立合う機会があたえられているので、精神障害性犯罪人と実際に接することが. できる。﹁抵抗不能の衝動﹂テストはわが国でも各所でふれられており、本稿はそれらの﹁焼直﹂のようになるかもしれ.                                ︵2、v. ないけれども、すくなくとも、わたくしが右のようにして精神障害性犯罪人と接したときの所感を、潜越ではあるが、本 稿の背景においてゆくつもりである。.  城教授のもとで、精神医学的な臨床に接触できたのを好機として、本稿を思い立ったのであるが、それとともに、教授. の鑑定を裁判所が刑法第三九条の面からどのように評価しているかをはじめとLて、かような鑑定にたいする裁判所の. 諸々の活動を、それらの実状面に主眼をおいて、考察することが、今回は別としても、今後のわたくしにできれば、と願. 一82一. 説. 論.

(5) 精神障害と刑事責任能力の基準(テスト)(田中). っている次第である。そこで本稿の第四章では、いわゆる﹁むすび﹂にかわるものとして、わたくしの後日におけるこう. いった考察のための布石になるような点を、本稿でふれるところを参考にしながら、若干列挙しようと思う。  注︵1︶ εΩ祉H5国8ρ曽ρco国お。肉6●謹o。”認Nρ黛ωγ.    ︵2︶ それらのなかでも、たとえば、植松正・﹁﹁抗拒不能の衝動﹄と刑事責任﹂・一橋論叢・第五八巻第三号・一八ぺージ以下、.     および、西村克彦・﹁責任能力テストの帰趨⇔﹂・家庭裁判月報・第四巻第九号・三てへージ以下がくわしい。. ﹁抵抗不能の衝動﹂テスト確立までの過程と当該テストの内容.  本章では、 ﹁抵抗不能の衝動﹂テストがアメリカで法的に確立されるまでの過程を簡単にたどり、つぎに、当該テスト. の内容、つまり、 ﹁抵抗不能の衝動﹂とはいったいどのような内容を有するものであるか、という点を、主としてアメリ カの判例を手引にしながら、ながめてゆきたい。.  O ﹁抵抗不能の衝動﹂テストは、一九世紀におけるヨiβッパおよびアメリカの精神医学的症状論の影響を受けて、確                        ︵1︶ 立のための第一歩をふみだした、と一般にいわれている。たとえば、当時のアメリカの精神医学老・レイ︵ぎ霧圃邑はつ. ぎのようにのべている。すなわち、当該犯罪行為についての正邪を弁別できる被告人でも﹁⋮⋮抵抗不能的に︵ぼ亀呂耳︶                 ︵2︶ 当該行為の実行に か り た て ら れ る ⋮ ⋮ ﹂ 、 と 。.  では、こういった精神医学的症状論がどのようにしてアメリカ刑事法の世界にあらわれたのであろうか。この問は、. ﹁精神異常﹂者、そのなかでも、正邪の弁別能力はあるけれども、意志的作用における障害のために、犯行を抑止できな. い者の刑事責任がなにゆえに阻却されるのか、といった責任論上の間題に直結している。そこで、この間題がどのように. 一83一.

(6)              ハ ヴ. 論ぜられていたかを紹介しよう。.  周知のごとく、アメリカでも、刑法上の責任論にはいろいろとあらそいがある。したがって、上述のような﹁精神異常﹂. 者の免責問題も複雑な様相を示しているが、ごくおおざっばにいうならば、多数の学説や判例はこの問題を、主として. 9巨轟=簿象との関連で、つぎのように論ずるのが通常のようである。すなわち、﹁⋮⋮行為を法のもとで可罰的︵冒憂ぞ                             パ ロ 畳Φ︶とするためには、3邑注葺聾が存在しなけれぽならない﹂。そして、﹁⋮含a邑算。導を構成するためには、精神. かんする多少なりとも健全な機能が必要である﹂。したがって、そこでは、被告人が9邑邑算貫を有しうるために、認. 生活にたいする認識様式︵8碧ぼ幕誉&①Y⋮:および精神活動の意志的・抑制的な様相︵︿&ぎ蒙一螢包三善ぎ曙嘗曽.Φ。。︶⋮に                     ︵5︶. 識能力︵それは一般に正邪の弁別能力とされている︶と自制能力がなければならない。正邪の弁別をなしえても、意志的.                       ︵6︶                 ︵7︶. 作用における障害のために、犯行を抑止できない者は自制能力を喪失しているといえるので、かれは9導ぎ=一幕葺にも                                  ︵8︶ とづいて行為したのではなく、したがって、かれは免責されなければならない。.  以上、はなはだ素描的な紹介ではあったが、これにかんして、つぎのように補足しておこう。すなわち、3巨邑曼窪. はきわめて多義的であり、それをどのように把握するかについて、あらそわれているところではあるけれども、すくなく. とも右の紹介からいえることは、そこにおける&琶ま=幕旨が認識的要素と意志的要素で構成されている、という点で あろう。.  さて、精神医学と責任論との共働とでもいうべきかたちで誕生した﹁抵抗不能の衝動﹂テストは、一九世紀初頭からな. かごろにかけて、アメリカ刑事裁判の世界にあらわれだした。たとえば、一八四六年のモスラー事件では、 ﹁−⋮・﹃精神                                               ロ 異常﹄は被告人の意志を抑圧し、道徳的な行為をなす自由をかれからうばうほどでなければならない﹂と判示されてい. る。したがって、だいたいこの時期に、当該テストは法的に確立された、といちおういえるだろう。. 一84一. 説. 論.

(7) 精神障害と刑事責任能力の基準(テスト)(田中).  ⇔ 本節では、かようにして確立された﹁抵抗不能の衝動﹂テストの内容をあきらかにしてゆこう。           ︵沁︶.  ω 当該テストを支持する判例は、犯行時における被告人に、自己の犯した犯罪行為にかんする正邪の弁別能力があっ. たことを前提にしている。なぜならば、この能力を喪失しているようなばあいは、マソクノートン・ルールの適用が問題. になり、当該テストをうんぬんする余地がないからである。                                                  ︵n︶  ω ﹁衝動﹂︵ぎ琶邑について。いわゆる﹁衝動﹂行為とは、﹁突然で計画性のない﹂︵蔓訂&象9&§冨導邑行為と. ストを適用しようとするのが判例の傾向のようである。したがって、﹁衝動﹂ということばは﹁欲求﹂という程度の意味. いえるだろう。しかし、時間をかけた熱考や計画にもとづいて犯罪行為が実行されたばあいにも、 ﹁抵抗不能の衝動﹂テ                        ︵E︶. に解釈されている、といえよう。さらに、ここでいう﹁欲求﹂︵つまり、﹁衝動﹂︶は被告人が犯した当該犯罪行為へのそれ. に限定されており、他の行為への欲求ではないようである。.                          ︵13︶.  ⑥ ﹁抵抗不能﹂︵耳¢鴇9こについて。一般に、﹁抵抗不能﹂とは、上述の欲求に抗拒できないこととされている。この. ぽあいに、すこしでも欲求に抗拒できれば、それは、﹁抵抗不能﹂ではなく、﹁抵抗可能﹂︵誘呂穿﹀にほかならない。つま                                          ︵14︶ り、﹁抵抗不能﹂とは、自制能力の完全な喪失︵①言お留言馨言︶を意味する、とされている。.  ㈲ 当該犯罪行為を実行しようとする欲求に抗拒できない精神状態と精神障害について。かような精神状態はいろいろ. な原因で生ずる、ともいえる︵たとえば、激情。もっとも、このばあいには、本当に抗拒できなかったのかが問題になるだろう︶。. しかし、そのすべてのばあいに、﹁抵抗不能の衝動﹂テストを適用すれぽ、無罪件数がぼう大に増加するであろう。そ. えるばあいだけに制限して、当該テストを適用してきた。そこで以下では、判例がいかなるタイプの精神障害者に当該テ. れを防止するためであろうか、大部分の判例は、かような精神状態が生じた原因を精神作用にかんする疾患︵︵蕊霧。︶とい                         ︵焉4. ストを適用してきたか、別言すれぽ、判例が疾患とみなした精神障害はどのようなタイプであったかをながめてみよう。                              ρ朽︶.  まず、精神分裂病、うつ病、精神薄弱は疾患とみなされている。つまり、先述したような精神状態がかような精神障害. 一85一.

(8) のいずれかに起因しておれば、当該テストが適用されるわけである。.  なお、てんかん性精神病と躁病にふれた判例は手許にないけれども、てんかん性精神病については、当該テストが適用. されうることが示唆されている。躁病については、うつ病が疾患とみなされている以上、おなじようにとりあつかわれる.               ︵17︶. べきではなかろうか。なぜならぼ、うつ病と躁病は、精神医学上、両者をあわせて、躁うつ病︵ヨ鉱&8歪号9馨︸夏ε. とよばれているように、両者は同一疾患の表裏にすぎず、さらに、躁状態にある者は高まった欲動を抑制しきれなくなる、.                         ︵18︶. と一般に考えられているからである。.  したがって、ここでは、てんかん性精神病にも、躁うつ病における躁状態あるいはうつ状態にも、当該テストが適用さ れうる、としておこう。.  では、症候性精神病︵身体疾患璽症状とLて発現する精神障害、たとえぽ、バセドー病︶、慢性脳疾患による精神障害︵たと. えば、進行麻痺︶、中毒性精神病︵たとえば、アルコール中毒や麻薬中毒︶などはどうであろうか。これらは﹁⋮⋮脳や身体の. とらえうる器質的な病気を基にしている・ようなもの⋮⋮﹂であるために、器質性精神障害とよばれている。判例がかよう.                         ︵19︶. な精神障害を疾患とみなしているかどうかについては、残念ながら手許の資料だけでは定かでない。だが、器質性精神障. 害のなかでも、中毒性精神病はいわゆる一、酩酊﹂︵鐸・秀呂8︶の問題を提起し、これは﹁精神異常﹂の問題とは別個にと. りあつかわれるのが英米刑法上の原則である。さらに、麻薬中毒については、これを取締まる特別の刑罰法規が関係して. くるばあいがある。したがって、器質性精神障害者に﹁抵抗不能の衝動﹂テストが適用されうるかどうかを考察するさい. に、中毒性精神病をいちおう除外しておく方が無難であろう。問題はそれ以外の器質性精神障害である。一般に、器質性. 精神障害の症状は、精神分裂病、躁うつ病あるいはてんかん性精神病の症状に類似しており、また、精神薄弱に類似する. 痴呆をともなうこともある。さらに、器質性精神障害の原因は、精神分裂病や躁うつ病のそれにくらべると、もっと身体. 的基礎が明白と考えられている︵平たくいえば、器質性精神障害の方が、分裂病や躁うつ病よりも、もっと﹁病気らしさ﹂が明白と.             ︵20︶. 一86一. 説. 論.

(9) 精神障書と刑事責任能力の基準(テスト)(田中). なっている︶。かようにみれば、器質性精神障害︵ただし、中毒性精神病をいちおうのぞく︶も、精神分裂病や躁うつ病︵躁状態. またはうつ状態︶あるいはてんかん性精神病とおなじように、﹁抵抗不能の衝動﹂テストが適用されうる疾患とみなされて. もよいのではなかろうか。つまり、特定の犯罪行為を実行しようとする欲求に抗拒できない精神状態が、中毒性精神病以. 外の器質性精神障害に起因しているぽあいにも、当該テストは適用されうる、と考えてもよいであろう。                      ︵21︶.  つぎに、いわゆる精神病質はどうであろうか。周知のごとく、精神病質をめぐる諸問題はきわめて複雑である。しか. し、本稿はかように複雑な問題の解明を目的とするものではないから、ここでは、判例が精神病質老に﹁抵抗不能の衝動﹂. テストを適用してきたかどうかを概略するだけにとどめておきたい。手許にある判例のなかでごく少数のものは精神病質 を疾患とみなし、当該テストを適用している。.                     ︵22︶.  しかし、右のような判例にたいしては数々の批判が試みられてぎた。これらの批判は、結局、精神病質者を責任無能力. としてとりあつかうことを否定する根拠に直結し、かような根拠をクラーシュ︵>げ。凶霧εが要領よくまとめているの で、つぎに、引用してみよう。.  ﹁まず第一に、精神病質者と通常人との相違は、質的なものではなくて量的なものである。第二に、精神病質者は治療. に感応しない、またはある型の精神病質者のみが強力な治療によって救助されうるにすぎない、したがってすでに収容過. 剰の精神病院に収容することは不適当である、とする精神医学者が大勢いる。第三に、精神病質者を﹃精神の疾患がある                                       ︵器︶ ︵§馨。ξ駐$・ ・aζと分類する精神医学者もあるが、それに反対する精神医学者もある﹂。. らに、アメリカ各州における鋼事立法に多大なる影響をおよぼしている模範刑法典︵霞。壁評琶9琶も基本的にはこれ.  大部分の判例は、クラーシュのあげる三点のいずれかを主たる根拠として︵とくに、第一点と第三点、つまり、精神病質は                                                   ︵24︶︵%︶ いわば量的な偏傭であり、それは疾患ではない︶、精神病質者に﹁抵抗不能の衝動﹂テストを適用することを否定している。さ                                              ︵26︶. らの判例と同様の立場をとっている。かようにみれば、精神病質者に当該テストの適用を否定するのが、アメリカの一般.                 ︵27︶. 一87一.

(10)          ︵28︶. 的傾向といえるだろう。                                            ︵29︶  また、異常性欲についても、判例はそれを疾患とみとめず、当該テストの適用を否定している。                                                     ︵30“  最後に、憤怒、憎悪あるいは嫉妬についても、判例はそれらを疾患とみとめず、当該テストの適用を否定している。.  以上、本節であきらかにしてきたところにしたがって、 ﹁抵抗不能の衝動﹂テストの内容を具体化すると、以下のよう. になるだろう。すなわち、被告人は、犯行時に、自己の犯した当該犯罪行為について、正邪の弁別をなしえたけれども、. 精神分裂病、躁うつ病における躁状態またはうつ状態、てんかん性精神病、精神薄弱あるいは器質性精神障害︵ただし、こ. こでは、中毒性精神病をいちおう除外しておく︶によって、当該犯罪行為を実行しようとする欲求に抗拒でぎなかったならば、. かれは﹁精神異常﹂として免責される。.  次章以下で、﹃抵抗不能の衝動﹂テストというときは、原則として、右のような内容を有するテストを指すことにする。. また、適切な表現でないかもしれないが、当該テストが適用されうるような精神状態︵つまり、正邪の弁別をなしうるけれど. も、上述のような精神疾患によって、当該行為実行への欲求に抗拒できない精神状態︶を、便宜上、﹁﹃抵抗不能の衝動﹄なる精神. 状態﹂と略記するばあいがある。. 注︵1︶ たとえば、密δ旨¢霞Ω。戸..O¢器邑汐一夏邑霧9ρ一目獣葛一9葦、いD&&●︵一ま9箸﹂o。①ムo。8.  ︵2︶ 一。 り窪。勾身な.︾ギ窪こω¢○コ島Φζ巴一8一甘勢貰&雲80口房き跨ざ..一2Φα。︵一G。G。。。γ①身&ξ!<鼠賊&○<Rぎ幕﹃︵這爵γマ.   這P.  ︵3︶ なお、本文におけるかような紹介も、当時の資料にもとづくべきであるが、紹介する内容それじたいについては、それ以後    の資料でもさしつかえないように思われるので、年代にはこだわらないことにする。.  ︵4︶も o匿亀き○冨。﹃、.鼠。旧討一∪ぎこR鋤&江︸①9冒ぎ一い婁、、︵一総qy℃﹄ω嬉  ︵5︶Hぼ鮮. 一88一. 説 論.

(11) 精神障害と刑事責任能力の基準(テスト)(田中). ・o”評・幕∼U鼠ΦP 。 ①︶。ω霧鎚訂ρ○一仁零ぎβ。三マ認。・ω零m一・ 。翼。。紹︵一。。。 ︵6︶ωβ評窃o霧∼ω蜂ρ。。一≧ゆ。㎝§⑳ω・.。.  爲竃一〇ダ餌o。N留Z.ぐく●一〇〇”一二−一鈷︵一〇。o o Oy. 。 。 。 ①γω︹・Φ募p9器。Fβ。Fp塞y ¢ 5㏄一>一鉾qミ博NoD︵・.。 ︵7︶G 。 ・合。。qり︵一。 。β評誘・濤‘GoけD. oβ臣鉱ご犀穿。身︾^.ぼΦω一隆︸︶庁ぎ2一のΦ器帥UΦ︷Φ塗巴三︸罵9一旨コ巴寓ヨ.、一。OdヨくRひξ○出勺の旨畳くき冨い窒寄≦窒 ︵8︶も  ︵這総γ嘆︶●りoo①もoo﹃ ︵9︶  Oc旨琶Op≦8一夢<・鼠c処Rφ“℃鉾講倉ま刈︵一〇〇ホ︶●.  たとえば、ω昆号く.d。ω‘︾℃℃。Pρ堕器男ωα90。︸お>ピ亀菊①望︵る鑛︶’. ︵11︶.  ︾げ建一β旨○〇一瑳鼠P..↓腎一窮窪陣qOΦ津舅。..︵這零γ℃知○●. ︵10︶.  H瓢倉マΣ孕Go①ρ評講9一Ge︿’の3βoc一≧餌。零8Nωρ。。q倉o。脇︵一〇。○。窃γ. ︵12︶.  たとえぽ、ω急夢≦qρ>℃質P∩曽o。①φ鱒α経G。Ψぎ>◎ダ勾●濫良竈遷︶では、つぎのように表現されている。﹁⋮⋮. その行為を犯すこと︵ε需もΦ臣9浮Φ留銭︶についての衝動に抵抗する自制能力を喪失している:⋮﹂︵傍点筆者︶。. 一>一鉾雪Sωωρoo㎝♪ooま︵一〇〇〇〇〇γ. 新福尚武・新精神医学︵増改訂第一四版・昭和四八年︶・一〇〇ぺージ。 西丸四方・精神医学入門︵昭和四〇年︶・七〇ぺージ。. 器質性精神障害の症状論や原因論については、城教授の御教示にしたがった。. 一般に、英米では、プリチャード︵蜜唐霧ρ牢蕊糞︵一︶のいわゆる旨・邑冒ω雪芽 に端を発した反社会的傾向をもつものを. 一89一. ︵13︶.  たとえば、OOB簿8≦邑夢<。ζ魂一臼深吟評。ま鰹ま⑦︵おぷγ. ︵M︶. 。①︶。. ①? o 。雪︵蕊c  たとえば、評湊Oお<。oo慾50。一≧鮮零8DωPO Qg。u o. ︵15︶. §Φ∼”巴号Fに︾阜09︵︸︶①一﹂養○ 。ご20茶一鳩Oo房鼠Pεも芦℃。碧9精神薄弱については、たとえば、評房○房<,o o鼻ρ. c ①︶亀うつ病については、たとえぽ、  精神分裂病については、たとえば、評あo房<・もり箪ρo。一≧鐵・竃80ω9。。鋒”o。脇︵一〇。。. ︵驚︶. ︵1 2︶. ︵20︶. ︵19︶. ︵8 1︶.   ω  げ  ゆ   斥  。︵ 江  c  づ9 F9  r螢乏きα勺ω≦獣鉾蔓、、︵一〇露γ℃●躍・. ︵7 1︶. oo Go.

(12)  精神病質とよぶ傾向がある。新井尚賢・編・異常性格ー精神病質入格とその周辺ー.一〇ぺージ参照。. o邑甚‘Oo旨ぎ薯蚤登︵一。。2一U一峯︵逐.︶舘合2・片&>還・留蓼pぎ諺B色8巳−窒㌘写量夢3サ①貧 ︵22︶たとえば、o. ・巳簿900ξ一善す.、ε ︵23︶ トぴΦ穴奮戸、.﹂器Oξξ響即q苓餌&㎏&陣。芭︾餌邑鼠寝魯90=ぼ冒惹口ξU①h曾もり。冒岳ゆU帥し.  ゴ庁零乏3蓑き二竈の一ど葛鴇’なお、本文の日本語訳は、墨谷葵・﹁模範刑法典における責任能力の基準﹂・京都産業大学法  学会・産大法学・第六巻第一号・四四ぺージ注︵29︶の訳を引用した。 。9︵あ・。①γ ︵24︶ たとえば、評誘Oおく’ψ讐ρ○。一2餌。零担鳴ωρoc㎝企o. ︵25︶ なお、精神病質者に当該テストの適用を否定する﹁根拠﹂とまではいえないにしても、すくなくとも否定する﹁背里昼には、.  つぎのような危惧があったのではなかろうか.、すなわち、精神病質者に当該テストが適用されうるとすれば、犯罪者のなかに精.  神病質者がおおい実状とからみあって、当該テストの乱用にむすびつき、それによって無罪への都合のよい﹁逃げ道﹂にもなり. 6︶ 模範刑法典四・〇一条ω項はつぎのようにうたっている。 ﹁被告人が犯行時に、精神の疾患または欠陥の結果として、自己. ︵2.  かねない、という危惧である。なお、本稿第二章注︵20︶を参照。.  の行為の犯罪性︵a巨惹一身︶︹邪悪性︵貴︵︶お窪誇旦︺を識別し︵ε冥3舞①︶または自己の行為を法の要求にしたがわせる実.  質的能力︵。。5器鼻巨8短。ぞ︶を欠いていたならぽ、かれは、その行為について責任を負わない﹂。.   この規定の表現方法は、マックノ!トン・ルールや﹁抵抗不能の衝動﹂テストにおけるそれらとは相違しているけれども、ご.  くおおまかには、その前段の基準が犯罪性ないし邪悪性の認識という知的作用に着眼している点で︵この部分はマックノートン.  ・ルールに類似している︶、・てLて、後段のそれが自制・抑制という意志的作用に着眼している点で︵この部分は﹁抵抗不能の.  衝動﹂テストに類似している︶、さらには、前者が、後者によって、修正・補充されている点で、模範刑法典は、マヅクノート.  ン・ルールに﹁抵抗不能の衝動﹂テストを付加させる立場と共通の地盤を有している、といえるだろう。 ︵27︶ 竃&色℃曾巴O&Φ聖。窯wOo墜簿。9や一9︵↓①塁9無けZρ歯鯵親y. ︵28︶ なお、なんらかの精神障害が疾患とみなされたならば、そのつぎに問題となるのは、﹁抵抗不能﹂であったかどうかである。.  精神病質、および、そのあとで本文でのべる異常性欲あるいは憤怒などが、たとえ疾患とみなされたとしても、かような者は、. 一90一. 説 論.

(13) 精神障害と刑事責任能力の基準(テスト)(田中).  普段は、正常人とあまりかわらないから、﹁抵抗不能﹂といえたかどうかが他の精神障害のばあいよりも、とくに問題となるだろ  >コ。. 9︶たとえば、内霧鉢く.ψ壁︵一逡一蔦8︾牙総一﹂9ω三N餌鍵。。三8㎡旦︾曇︶婁一・p一蕊象§一8口9乏寄零量葛蜀. ︵2. 。98帯一〇。箇 ︵0 3︶ ωのρ国露身w︵も.息ダ℃。㊤o. 二 ﹁抵抗不能の衝動﹂テストにたいする批判.  本章では、﹁抵抗不能の衝動﹂ テストにたいする数々の批判のなかで、アメリカで比較的よくとりあげられている代表. 的なのを紹介してゆきたい。.  e ブラムウエル︵穿舅≦色の批判。一九世紀における英国の法律家・ブラムウエルは、後述するように、刑罰の威    ︵1︶. 嚇にょる犯罪予防という面から、﹁抵抗不能の衝動﹂テストを批判し、かれの批判はアメリカでもしばしばとりあげられ. ているから、ここで、それを要約してみよう。                                ︵2︶  刑罰は人々を威嚇し、それによってかれらの犯罪を予防するためにある。だが、刑罰はすべての者を威嚇するわけでは      ︵3︶. なく、犯罪予防のためにその威嚇を必要とする者、つまり、威嚇によって犯罪行為の実行を抑止できる可能性のある老だ. けを威嚇する。では、﹁抵抗不能の衝動﹂なる精神状態にあると一般にいわれているような者にも、威嚇は必要であろう. か。結論から先にいえば、必要である。なぜならば、かような者でも、そばで警察官が見張っておれば、犯罪行為の実行. を抑止する、という事実があるからであり、これをもうすこし具体的にのべてみょう。このばあいに、かれは、もし当該. 行為を実行すれば、その警察官に逮捕され、いずれ刑罰を科せられる点を認識している。かようにして、かれは、警察官. 一91一.

(14)  ︵4︶                                     ︵、5︶. が見張っているという状況が意味している刑罰の威嚇によって、当該行為を実行しようとする欲求に﹁抵抗﹂できたので. ある。︵したがって、かれは﹁抵抗可能−一であって、﹁抵抗不能﹂ではない︶。かくして、﹁抵抗不能の衝動﹂なる精神状態にある. といわれているような者にも、かれらの犯罪を予防するために、刑罰の威嚇が必要となるわけである。つぎに問題となる. のは、かれらにはどの程度の威嚇が必要か、という点である。たしかにかれらは犯罪を実行しようとする欲求に︸抵抗﹂                                          ︵6V できるけれども、かれらの欲求は、通常人のそれよりも、異常に強いというのもうたがいえない。したがって、かれらに. たいする刑罰の威嚇が、通常人にたいするのとおなじ程度であれば、かれらの犯罪を予防することはできない。むしろか                                      マロ れらには、欲求の強さに応じて、通常人にたいするよりも、強力な威嚇が必要である。ところが、﹁抵抗不能の衝動﹂テ                                               ︵84 ストはかれらを無罪にする旨を表明している。これは刑罰の威嚇をかれらにはむけないことを意味している。しかし、こ. れでは、かれらの犯罪を予防できないことは、上述したところからあきらかである。かれらの犯罪を予防するために、か. れらには、通常人にたいするよりも、強力な威嚇が必要であるのにもかかわらず、当該テストのもとでは、逆に、その威.                                    ︵9︶︵恥︶ 嚇がとりのぞかれている。当該テストの批判されるべき点はこういったところにある。.  ﹁抵抗不能の衝動﹂テストにたいするブラムウニルの以上のような批判は、刑罰の威嚇にょる犯罪予防の面にかたより. すぎているように思われる。しかし、それはあくまでも刑罰にかんするかれの考え方であって、本稿の目的は刑罰論をう んぬんするものではないから、かれの刑罰論には言及しないことにする。.  むしろここでは、つぎの二点に注意すべきであろう。まず第一に、ブラムウエルは、﹁抵抗不能の衡動﹂テストを論議す. るにあたって、﹁抵抗可能﹂とは刑罰の威嚇が効を奏するばあい、そうでないばあいを﹁抵抗不能﹂と考えているようで. ある。そして第二に、ブラムウエルにょれば、﹁抵抗不能の衝動﹂なる精神状態にあると一般にいわれているような者は、. 実際には﹁抵抗不能﹂ではなく、﹁抵抗可能﹂にほかならない、とされる︵その根拠として、かれは﹁警察官が見張っておれ. 一. 92. 一. 説 論.

(15) 精神障害と刑事責任能力の基準(テスト)(田中). ば:. −﹂という事実をあげている︶。.  ⇔ ホール︵︸R・幕浮εの批判。ホールはいろいろな面から﹁抵抗不能の衝動﹂テストを批判しているけれども、そ. のなかでも、かれは、マックノートン・ルールを自己の信奉するいわゆる﹁自我の統合説﹂︵瀞98曙・コ訂賞罐糞言無. 魯霧①5のなかで論じ、そこから展開される批判に重点をおいている。そこで以下では、かれが重点をおいている批判を、. ︹︺で付されたわたくしじしんによる補足をまじえながら、要約的に紹介してゆこう。.  正常な人間における知、情、意という各精神作用はばらばらに機能しているのではなく、三者はたがいに浸透しあい、. 統合的に機能している、というような面をとらえたのが﹁自我の統合説﹂である。したがって、こういった説によれぽ、. たとえば邪悪性の認識という知的作用の内容は、正常人では、他の作用による色とあたたかさ︵8一。基&蓄§εが浸透. した価値判断、つまり、道徳的な意味を真に理解する︵∼。塞ξ茸量ω善α︶こと、となるはずである。マヅクノートン・ル. ールが表明している知的作用も、こういったところとおなじように考えられなければならない。しかし、当該ルールでも. ちいられている﹁知る﹂︵ぎ・εということばでは、意味がせますぎる。︹補足。単に邪悪性を﹁知る﹂程度の知的作用し. かない者には、正常な知的作用における色とあたたかさがないために、かような者は正常といえない、とホールは考えて. いるのであろう︺。このことばは、他の作用を浸透させたひろい意味に解釈されなければならない。︹補足。ホールは. 評8≦を§象簗㊤&とか§一幕というようなもっとひろい意味に解釈すべきと考えているようである︵本稿九五ぺージ. 参照︶。このようにひろく解釈すべきとかれが説くのは、もしせまく解釈すれば︵つまり、ζ薯の本来の意味に解釈すれば︶、. ﹁自我の統含説﹂のもとで正常といえない者までが正常とされてしまうからであろう︺。ところで、知・情・意の各精神作. 用は、﹁自我の統合説﹂によれば、たがいに浸透しあっているのであるから、重症の精神障害はすべての作用に影響をお. よぽすはずである。したがって、いずれかの作用が異常であれば、他の作用も異常である。一方が異常で他方が正常とい. 一93一.

(16) 膏刷. うのはありえない。︹補足.︶要するに、異常にたいしては異常、正常にたいしては正常でなければならない︺。しかし、﹁抵. 抗不能の衝動﹂テストを支持する学説や判例は、知的作用が正常︵したがって、マヅクノートンんールにおける﹁精神異常﹂に. 該当しない︶でも、意志的作用が異常な精神障害がありうると主張するが、こういった精神状態は、上述したところにした. がえば、ありえない.つまり、かような学説や判例は﹁自我の統合説﹂に反している。︹補足。当該テストを支持する学. 説や判例が狭義の﹁知る﹂︵つまり、菅婁の本来の意味︶程度で知的作用が正常と考えており、かようなところから、正常. と異常とが併存しうるとしているのであれば、孝、の程度しかない知的作用は、﹁自我の統合説﹂のもとでは、異常である. から、知、意の両作用も異常となり︵異常にたいしては異常︶、この説に反しない、といえるかもしれない。だが、これにた. いして、おそらくホールは、狭義の﹁知る﹂程度で正常と考えるところがこの説に反している、と反駁するであろう︺。                                         ︵U︶ このように、﹁抵抗不能の衝動﹂テストは﹁自我の統合説﹂に反するために、妥当ではない。.  以上が﹁抵抗不能の衝動﹂テストにたいするホールの主たる批判であるが、ここで、次章のために、もうすこし論をす すめてみょう。.  ω ホールはマヅクノートン・ルールにおけるζ婁を知・情・意の統合的機能のなかで把握し、これに色とあたたか. さを浸透させてひろく解釈しようとしている。要するに、かれのいう広義の﹁知る﹂︵っまり、ひろく解釈された互舅︶は、. 狭義のそれよりも、次元の深い高度の知的作用といえるだろう。そうならば、狭義の﹁知る﹂能力を欠如している者は広. 義の﹁知る﹂能力も欠如しているが、逆に、広義のそれを欠如している者が狭義のそれを欠如しているとはかぎらない。. つまり、広義のそれの欠如は、狭義のそれの欠如よりも、症状としては、軽いということになろう。かようにみれば、ホ. ールは当該ルールにおけるζ9・を、症状の軽重の面から、ゆるやかに︵軽い方に︶解釈しているといえるだろう。.  の ホールは﹁抵抗不能の衝動﹂テストを批判しているが、では、かれは意志的作用に障害がある者の免責をまったく. 一94一. 説 ヨム.

(17) 精神障害と刑事責任能力の基準(テスト)(田中). 否定しているのであろうか。以下では、この点についてふれてみよう。.  ホールはマヅクノートソ・ルールを完全無欠と考えているのではないけれども、﹁大多数の法律家や熟練した司法精神. 医学者にも、しろうとにも、当該ルールは複雑な重要問題を決するのに妥当かつ充分な手段であると考えられてぎてい                                                  9ご る。当該ルールがおおくの国で︸世紀以上も命脈をたもってきたのは、その妥当性を示すなによりの証拠である﹂とのべ                                       ︵B︶ ているように、かれが当該ル!ルの徹底した擁護者であることは、周知のとおりである。こういったところから、かれ. は、当該ル!ルの改良もその基本的な構造をくずさない限度でなされるべきだ、という立場を固持し、その成果として、. みずからの創作にかかる責任能力テストを紹介している。それは当該ル!ルの基本的な構造を維持しているが、相違点と.                         ︵U︶                               ︵路4. してここで問題になるのは、互毫ということばがもっとひろい意味の毒号透Q&とか奮奇。におぎかえられている点で. ある︵これらのことばは広義の﹁知る﹂とだいたいおなじ意味のようであるから、かれの創作したテストはζ薯をひろく解釈したマ. ックノートン・ルールと大差はない、といえるだろう︶。当該ルールは意志的作用に病的障害がある者を等閑視しているという                                                  ︵16︶ 批判は、上述のようなことばにおきかえることによって、ほとんど克服される、とホールは考えているようである。この. 点についてかれがいいたいのは、おそらくつぎのようなことであろう。すなわち、仁&霧5&とか§一幕は知・情・意の. 統合的機能のなかで把握される知的俘用である。さらに、かような統合的機能からすれば、たとえば意志的作用に異常の. ある者は、統合的機能のなかで把握される知的作用にも異常があり︵つまり、﹁異常にたいしては異常﹂︶、したがって、その. 者は仁&窪冨&または曇一冨できないはずである。かようにみれば、マヅクノートン・ルールにおけるξ婁をひろい. 意味のことばにおきかえたテスト一本で、意志的作用に病的障害がある者を免責することがでぎる。情動的作用に異常が. ある者も、知、意の両作用に異常があるはずだから、このテストで免責されうる。かようにして、意志的作用だけでなく.                                           ︵174 情動的作用における病的障害までも、このテストでおぎなえる、とホールは考えているのだろう。.  以上みてきたところからすれば、ホールは、﹁抵抗不能の衝動﹂テストを批判しているけれども、意志的作用︵あるい. [. 95. 【.

(18) 再冊. は、情動的作用︶に病的障害がある者の免責を否定L︶ているのではなく、こういった者はかれの創作したテスト︵あるい. は、ぎ薯をひろく解釈したマックノ!トン・ル!ル︶で免責されうる、と考えているようである。.  これをもっとおしすすめると、﹁抵抗不能の衝動﹂テストにたいするかれの批判はつぎのように要約でぎるのではなか. ろうか。すなわち、意志的作用︵あるいは、情動的作用︶に病的障害がある者は、ζ呈をひろく解釈した当該ルール︵ある. いは、かれの創作したテスト︶で免責されるので、﹁抵抗不能の衝動﹂テストは不要であり、かつ、﹁抵抗不能の衝動﹂テス                                               ︵1 8︶ トは﹁自我の統合説﹂に反するから、それは、刑法の責任能力の分野から、しめ出されるべきである、と。.  白、 ﹁立証の困難性﹂。マックノ!トン・ルールをはじめとする数種の責任能力テストにたいしては、いろいろな面か. ら、﹁立証の困難性﹂を批判されている。そこには、それぞれのテストに共通して批判されている﹁立証の困難性﹂もあ. るし︵たとえば、責任能力は、通常、犯行時の精神状態が問題にされるが、公判時に、犯行時という過去の時点にまでさかのぽって、そ. の精神状態を立証するのは困難である︶、それぞれのテストに固有の困難性もある。本節では、﹁抵抗不能の衝動﹂テストに. 固有の困難性をとりあげたい。そこで、この点について、一般に説かれているところを要約してみょう。.  意志的作用も知的作用も、精神内界の作用という点では、おなじである。だが、知的作用における病的障害の結果は障. 害者の外部的な言動などにあらわれやすいので、われわれは、かれの言動それじたいから、直接的にその障害を感知でぎ. るばあいがある︵たとえば、知能障害︶。それにたいして、意志的作用における病的障害の結果は外部にあらわれにくいの. で、われわれは、障害者の言動をとおして、それらの背後にある障害をいわば間接的に知るわけである。かような間接的. 方法によって、障害の性質を正確に把握することは、はなはだ困難である。それでも、意志的作用における障害の存否ぐ. らいは立証でぎるかもしれない。しかし、﹁抵抗不能の衝動﹂テストのもとでは、障害の存否だけでなく、さらに、障害. の程度というもっと複雑な間題も出てくる。つまり、意志的作用における障害が﹁抵抗不能﹂といえる程度なのか、それ. 一96一. 説 芸ム.

(19) 精神障害と刑事責任能力の基準(テスト)(田中). とも、まだ﹁抵抗可能﹂といえる程度の軽い障害なのか、という点が明確に立証されなければならない。                                             へ過︶ を、上述した間接的方法によって、明確に立証するのは、訴訟当事者にとって、きわめて困難である。. こういった点.  以上の紹介から、われわれはつぎの二点に注意すべぎであろう。第一に、右で紹介した批判は﹁抵抗不能の衝動﹂テス. トの公判における実践性を問題にしている。つまり、それは、刑串訴訟における実践性を主眼とする手続法理論的な観点. からの批判といえるだろう。第二に、本節における﹁立証の困難性﹂は、要するに、﹁抵抗不能﹂と﹁抵抗可能﹂との区                               ︵20︶. 別を明確に立証しがたい、というところに帰着するように考えられる。. 注︵1︶ たとえば、評O覧①︿。=昏貫︵蜜零二這O鉾曽O︶$勘戸誓ヵ2蒜堕蟄勺⇔ρ認曾︵冠9旦︾目○冨ユ○辞ぎ︾ヨa。き霊≦    菊80耳伊二︶。象ρ. ︵6︶. ︵5︶. ︵4︶. ︵3︶. φ即卸蕊ま︾く○一’鎗二︶p漣魚8︵一こ総辞︵三9&し瓢倉℃﹂鰹.. Oε8鼻まαゆも﹂8’. ρ一g&﹂げここマ一留・. 頓●型勺︸♂①9<︵︶一﹄ご℃マ謹含り 。β‘総押タδ6aし三α;や福ど. 中や即レo。①9く〇一るど℃℃.譲薄のβ;欝鯨馨o$α︸帥一︶4二y嵩9. すなわち、﹁抵抗不能の衝動﹂テストによっ.   ︵2︶中型℃=G。①ρく・困﹄一もマ漣醇器﹄二。認三仁○δ阜しっ8びQ琶Φ浮≦。鉾..H属§響一玄Φぼ℃・計。ぎ望αq症ρ冨≦︶.、ミ円﹃ΦOき&雪. ︵7︶. ρ3β鼻艸9︵劉マ5ρ.    ゆ貰男①≦①≦︵一8㊤γマ一q︵︶’. ︵8︶. 。①9く○一砧ど憲り譲黛養学総鉾2gの鼻一﹃負℃﹂8. 削﹄︶。︸’しo. ブラムウエルの批判をおしすすめると、以下のようになるのではなかろうか。. ︵9︶. ︵10︶. て、﹁抵抗不能の衝動﹂なる精神状態にあると一般にいわれているような者から、 刑罰の威嚇がとりのぞかれると、ただでさえ. 一97一.

(20)  欲求が異常に強いかれらは、欲求に﹁抵抗﹂することなく罪を犯し、かれらによる犯罪件数がぼう大に増加し、これでは、社会  の安全がたもてない、と。.   要するに、ブラムウエルの批判は社会の安全性がおびやかされるのを危惧するところに帰着する、といえるだろう。.   ところで、当該テストは刑罰の威嚇による犯罪予防的効果を弱めるために、社会の安全性がおびやかされる、という批判がし.  ばしばとりあげられている。かような批判は、上述した点をみればあきらかなように、ブラムウエルの批判が帰着するところに.  類似しており、また、そのために、本文で紹介しなかったのである。ただし、手許にある資料のなかで表明されているかような.  批判は、﹁抵抗不能の衝動﹂なる精神状態にあると一般にいわれているような者にたいしては、通常人にたいするよりも、刑罰  の威嚇を強化せよ、というブラムゥエルの批判ほどは徹底していないようである。. ︵11︶本文で紹介したホールの批判は、=亀もマ鼻。も︾埼㌣80から要約した。なお、精神障害性犯罪人の責任能力にかんする.  ホールの所説は、たとえば、西村克彦・刑事責任能力論.九五ページ以下でくわしく紹介されている。 ︵12︶ 霞m=.ぴ こ こ 一 ︶ ・ 鳶 ド. ︵招︶ マックノートン・ルールにたいするホールの擁護論は、たとえぽ、西村.前掲論文・家庭裁判月報・第四巻第九号・一ニペー.  ジ以下などでくわしく紹介されているし、また、かような擁護論をうんぬんするのが本稿の目的でもないから、この点について  はふれないことにする。. 4︶ ホ;ルはつぎのようなテストを創作している。﹁刑法で禁止されている侵害行為を実行するときに、精神障害︵目曾邑留9旦. ︵1.  のために、自分がなにをしているのかを理解する︵仁&器5&︶ことがでぎず、また、自分の行為を抑制することができないよ.  うな者は、罪を犯したことにならない。被告人の起訴されている当該犯罪行為にかんするこの問題を判定するにさいして、事実.  審理にあたる者は、ω被告入が、精神障害のために、自分の行為の性質と結果を理解する︵き牙更鶴&︶能力を欠いていたかど.  する︵§一幕︶能力を欠いていたかどうか、という点を判定しなけれぽならない﹂ ︵傍点筆者︶。記翼睾息£マ認智.  うか、③被告人が、かような疾思のために、当該行為を犯すことが道徳的に邪悪︵ヨo轟ξ三〇夷︶であるということを自覚. ︵15︶ 前注におけるホールのテストでは、一見、マックノートン・ルールに﹁抵抗不能の衝動﹂テストが付加されているようであ. 一98一. 説 論.

(21) 精神障害と刑事責任能力の基準(テスト)(田中).  るけれども、傍点部分をみればわかるように、実際の判定基準は知的作用に着目しており、ごくおおまかにいうことになるが、. ︵16︶ ωΦρ頃巴ピoマ魯こや認ρ.  そこでは、マヅクノートン・ルールの基本的な構造が踏襲されている。. ︵17︶ これらの点については、ωoρ顕⊆ρF量︵ごマ鋒麓の貯零卓. ︵18︶ ブラムウエルも﹁抵抗不能の衝動﹂テストを責任能力の分野からしめ出そうとしていることは、かれの批判をみればあきら.  いているのにたいし、後者は知・情・意の統合的機能の面に重点をおいている点であろう..  かであろう。だが、ブラムウエルの批判とホールの批判との根本的な相違は、前老が刑罰の威嚇による犯罪予防の面に重点をお.   ところで、当該テストはつぎのようにも批判されている。すなわち、当該テストでは、正邪の弁別能力を有している者が前提.  とされているけれども、正邪の弁別をなしうる者が﹁抵抗不能﹂であるはずがない︵つまり、 ﹁抵抗可能﹂である︶、と。この.  批判は、 ﹁抵抗不能の衝動﹂なる精神状態にあると一般にいわれているような者でも﹁抵抗不能﹂者ではないとする点で、ブラ.  ムウエルのそれに似通っているけれども、この批判の背後には、知、意の両作用が密接に関連しているという考え方がひかえて.  いるようであり、こういった点で、むしろホールの批判に類似Lている、というべぎであろう。あるいは、この批判を深化させ.  ールのそれだけで足りるようである︶。.  たのがホールのそれのようにも思われる。 ︵そのため、本文では、ホールの批判だけを紹介した。また、次章における検討もホ. ︵”︶ 本文で紹介したような﹁立証の困難性﹂はいろいろなところで紹介されている。たとえば、ω8し○ざゆ畳§≦暫一5、、ぎ?. 。8ぎ8這9  ω巨筐ΦH旨鷺﹃。鋤&O同冒ぎ巴ご9の獣ロqり、.8ζ討どαq昏ぴp 。乏閃零ざを︵一8qγ毛。囑㌣ミω’o り。①簿一切ρ閤Φ&ざ○℃。鼻Dも始o  ωΦゆ巴ωρ匡㊤戸oワ身‘℃●総釣誉o$㎝ρ. ︵20︶ ﹁抵抗不能の衝動﹂テストにたいする批判の一つとして、[無罪への﹃逃げ道﹄﹂というのがある。これは﹁立証の困難性﹂と.  いう批判に由来するいわば派生的な批判のように思われるので、本文でとりあげなかったが、その説くところはだいたいつぎの.  ようになるだろう。 ︵なお、この批判の論拠を具体的にくわしくのべた資料は残念ながら手許にはない︶。.    ﹁立証の困難性﹂という批判は、 ﹁抵抗不能﹂と﹁抵抗可能﹂との区別を明確に立証しがたい、という点に帰着するのであ. 一99一.

(22) 貢冊. った。 これを陪審の側からみると、陪審は、右の区別について、認定が困難となるであろう。茅、うなれば、意志的作用に重い. 障害があるのにもかかわらず︵本来ならば、責任無能力︶、やたらに﹁抵抗可能﹂と認定されたり、逆に、その作用にきわめ. て軽度の障害しかないのに︵本来ならば、有責︶、安易に﹁抵抗不能﹂と認定されるばあいもあろう。ここで問題となるのは、. あとのばあいである。 つまり、かように安易に﹁抵抗不能﹂と認定されると、本来ならば、刑事責任を負うべき者が、無罪に. されてし窪う。 ︵なお、﹁精神異常﹂の立証活動にかんして、検察官に挙証責任ーーここでいう挙証責任とは、陪審不説得の危. 険を負うべき当事者の地位を指すーを負わせている連邦ならびに約半数の州では、検察官による﹁抵抗可能﹂の立証活動が. 困難であり、それが充分に証明されないばあいがあるので、恣意的に﹁抵抗不能﹂と認定されるおそれがとくにあるだろう︶。. 当該テストは被告人に﹁無罪への﹃逃げ道﹄﹂をもたらすと批判されているのは、主としてこういったところからではなかろう. か。もっとも、かようにして無罪にされた者はすぐさま釈放されるのではない。かれらは、治療のため、拘禁施設を有する精神. 神異常﹂の抗弁を提起せずに責任能力者として言渡されるてあろう刑期の方が短いばあいも充分に考えられ、このばあいには、. 病院の特殊病棟に収容される、、しかも、その収容期間はかなり長期にわたっているようである。︵病院での収容期間よりも、﹁精. その抗弁を提起しない方が被告人にとって有利といえるから、右の批判がとくに妥当するのは、死刑が言渡される可能性が高い. ようなばあいであろう︶。このようにかれらを長期収容することによって、かれらが将来ふたたび犯すかもしれない犯罪から、. 社会を防衛しようとする社会防衛的な目的が必然的に達成されるであろう。精神病院での処遇については、 たとえば、菊○σΦ詳. D誉80Pぼぎψ欝濤O甑窪3導聾巽.︾8魯芭、lt一、ぎど○夷菊○&即o旨OOヨヨ醐ヨ①導δ勾Φ一8ωρ、、紹↓箒 ○器。ヲく巴貸、.9∩り零,. ご鎧露巴99§冒巴雰三〇導急琴5むq累帥&唱島8ωc固窪8︵一ま・。︶嘉︶●紹糾¢;βマックノ;トン・ルールのもとで無罪にされ. る訴訟能力との関連においてi﹂・法と政治・第二十三巻第二号・九六ぺージ以下参照。. た老にたいする精神病院での処遇についてではあるが、拙稿・﹁マヅクノ!トン・ルールに関する一考察ーーアメリカ法におけ. 三 ﹁抵抗不能の衝動﹂テストにたいする批判の検討と当該テストにおける問題点の指摘. 一1GO一. 説 芸ム.

(23) 精神障害と刑事責任能力の基準(テスト)(田中).  本章では、﹁抵抗不能の衝動﹂テストにたいする前章で紹介した批判を検討し、そこから、当該テストの英米法的な感. 覚からみた主要な間題点の一つをさぐりだそうと思う。そこでまず、ブラムウエルの批判を検討してみょう。.  e 前章第三節でふれたように、﹁抵抗不能﹂と﹁抵抗可能﹂とを明確に区別するのは困難である。それは、結局、両. 者を区別する普遍的な基準がないからであろう。こういったところからであろうか、両者を区別する方法は、論者によっ. て、まちまちである。ブラムゥエルは、前章でふれたように、刑罰の威嚇が効を奏するばあい、つまり、その威嚇によっ. て犯罪行為の実行を抑止できる可能性があるばあいを﹁抵抗可能﹂、そうでないばあいを︻抵抗不能﹂、と考えているよう. である。︵なお、論をすすめる便宜上、本節で﹁抵抗不能﹂とか﹁抵抗可能﹂とかいうときは、ブラムウエルの区別にしたがうことに する︶。.  ところで、前章九一ぺージ以下のくりかえしになるが、ブラムウエルにょれば、刑罰の威嚇が効を奏する者には、その. 威嚇が必要である、とされる。刑罰の威嚇は、 ﹁抵抗不能の衝動﹂なる精神状態にあると一般にいわれているような老に. たいしても、効を奏するから、かれらにも、その威嚇が必要である︵さらに、かれらには、通常人にたいするよりも、強力な威. 嚇が必要である︶、とかれは説いている。つまり、かれらは﹁抵抗可能﹂者と考えられているのである。.  では、ブラムウエルが﹁抵抗可能﹂者と考えている者のなかに、﹁抵抗不能﹂といえるような者が、もしいたとすれぽ、. どうであろうか。 ﹁抵抗不能﹂者には刑罰の威嚇が効を奏さないのであるから、かような者を威嚇する必要性はまったく. ないであろう。したがって、もしかような者が実際に存在しうるとすれば、﹁抵抗不能の衝動﹂テストは、通常人にたい. するよりも強力な威嚇が必要とされる者から、その威嚇をとりのぞくというブラムウエルの批判における﹁⋮威嚇が必要. とされる者﹂のなかに、その必要性がまったくない者までがふくまれることになり、かれの批判はかならずしも妥当とは いえなくなるだろう.、. 一101一.

(24) 資冊.  ブラムウエルは、 ﹁抵抗不能の衝動﹂なる精神状態にあると一般にいわれているような者でも、そぱで警察官が見張っ. ておれば、犯罪行為の実行を抑止するという事実にもとづいて、かような者を﹁抵抗可能﹂と考えるのであった︵本稿九二. ぺージ参照︶。しかし、かような者のなかに、﹁抵抗不能﹂といえるような者がいたとすれば、かれの批判を妥当とするわ. けにはゆかなくなるから、以下では、右の事実の検討を中心におきながら、 ﹁抵抗不能﹂といえるような者が実際に存在 しうるかをたしかめてみよう。.  城教授はわたくしに、精神医学的症状論の面から、大約つぎのように御教示された。.  ある種の精神病患者の強迫行為について。その一例として、いわゆる﹁放火癖﹂︵逗§壼忌︶があげられる。これは放. 火行為への衝動が異常に強いものである。だが、﹁放火癖﹂と考えられる者でも、放火行為を実行しようとするさいに、. かれのそばで第三者︵たとえば、警察官︶が見張っておれば、その実行を抑止するものである。それにたいして、飲酒にょ. る中等度以上の酩酊者、あるいは、﹁中等度をこえる﹂ないし﹁重症﹂の精神状態を示す精神障害者︵たとえば、妄想型の. 精神分裂病者︶は、警察官が見張っていたとしても、危険な暴力行為を犯すばあいがありうる、と考えてもよい。 ︵かよう. いう状況、および、逮捕され、いずれ刑罰を科せられるかもしれないという点を認識してい至︶、﹁中等度をこえる﹂ないし﹁重症﹂とい. な精神障害者でも、知的作用における障害はそういちじるしくないのが通常であり︵︵したがって、その者は、警察官が見張っていると. うのは、おもに意志的作用へ︵もっと専門的にいうならぼ、情意作用︶︶における障害である︶。もっとも、情意作用における障害がこ. の程度にまで進行すると、いわゆる威嚇にはあまり感応しない。したがって、かような障害者のなかには、﹁警察官の見. 張﹂よりももっと強力な威嚇︵たとえば、警察官がまさに発砲しようとしているようなばあい、あるいは、威嚇射撃をしているよう. なばあい︶があったとしても、犯行を抑止できない者もいる、と。.  城教授の右のような御教示から、われわれは以下のように論をすすめることがでぎるだろう。すなわち、 一放火癖﹂の. 者は、放火行為を犯そうとする欲求が異常に強いけれども、刑罰の威嚇が効を奏する者つまり﹁抵抗可能﹂者、といえる. 一102一. 説 誉ム.

参照

関連したドキュメント

社責任の追及事例において,問題となった違法行為に対する各被告取締役の寄

Kikuta, Capital Punishment in Japan and the International Code, 7 Meiji Law Journal 1 2000 ; International Herald Tribune, supra note 24, at 2... International Herald Tribune,

本章では,現在の中国における障害のある人び

会社法 22

心臓核医学に心機能に関する標準はすべての機能検査の基礎となる重要な観

「他の条文における骨折・脱臼の回復についてもこれに準ずる」とある

12―1 法第 12 条において準用する定率法第 20 条の 3 及び令第 37 条において 準用する定率法施行令第 61 条の 2 の規定の適用については、定率法基本通達 20 の 3―1、20 の 3―2

一般法理学の分野ほどイングランドの学問的貢献がわずか