• 検索結果がありません。

判例研究 東京地判平成22年10月28日 (労判1017号14頁) : 不法行為法からみる労働関係とプライバシー

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "判例研究 東京地判平成22年10月28日 (労判1017号14頁) : 不法行為法からみる労働関係とプライバシー"

Copied!
19
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

事実の概要

原告X  A航空会社客室乗務員または客室乗務員として過去に勤務してい た者(計193名) 被告Y1  A航空会社の多数派組合 被告Y2~6  Y1労組において平成8年以降役職にあり、Xに関する情報収集 及び情報データ作成・保管に携わった者 航空会社A  本件提訴時(平成19年11月26日)は共同被告であったが、第1回 口頭弁論(平成20年2月7日)において、Xの請求を認諾し、翌日 当初の請求額である各原告22万円を全額支払い、訴訟が終了。

判例研究 東京地判平成22年10月28日(労判1017号14頁)

-不法行為法からみる労働関係とプライバシー-

上 机 美 穂

事実の概要 判旨 解説と検討  はじめに~本事件の背景と争点  1 労働環境と個人に関する情報およびプライバシー  2 本事件における損害と違法性  3 個人に関する事柄の2面性~複合化するプライバシー おわりに

(2)

 Y1とその執行役員等であったY2~6およびA社は、A社およ びその社員、Y1組合員などから公式、非公式に提供されたXらに 関する個人的な情報や、Y1~6が公式、非公式に独自に収集した 同情報を基に、Xらの情報リスト(以下、本件ファイル)を作成 し、長年保管、更新、利用していた。Xらはこのことを知らなかっ た。  Xらは計193名であるが、本件ファイルに集積されていた客室乗 務員は退職者を含め累計で約9000名分にのぼった。本件ファイル内 のXらの個別情報項目は1人につき158項目あった。このうち情報 集積の少ないXであっても、「氏名、生年月日、住所、電話番号、 性別、所属・グループ、社員番号、職種、昇格年度、組合脱加入可 能性に関すると思われる情報」については、必ず記録されていた。  平成19年2月、週刊誌において本件ファイルに関する記事が掲載 され、Xらが本件ファイルの存在や内容を知ることとなった。A 社およびY1は、本件ファイルの存在を認め、その削除や今後の対 応、漏えいに関する調査の実施等を記した書面を配布した。  Xらは、Xらの感知しないところで行われたAおよびYらによる 公式、非公式のXに関する情報の収集、本件ファイルの作成、ファ イルデータの更新を含む保管、利用、閲覧によりプライバシー及び 職場における自由な人間関係を形成する自由が侵害されたと主張 し、Yらに対し慰謝料を請求した。

判旨

 一部認容、一部棄却。 (1)Y1組合による本件ファイル作成等の不法行為該当性  判決はまず、個人に関する情報の公開について、住基ネットによ るプライバシー侵害に基づく慰謝料請求事件である最判平成20年3 月6日民集62巻3号665頁を引用し、「何人も、人格的利益として の個人の私生活上の自由の一つとして、個人に関する情報をみだり

(3)

に第三者に開示又は公表されない自由を有し、第三者に知られたく ない個人に関する情報がみだりに開示又は公表されないことは、人 格的自律ないし私生活上の平穏を維持するという利益にかかわるも のとして、法的保護の対象となると解される。」とした。  「そして、第三者に知られたくない個人に関する情報をみだりに 開示又は公表されないという利益が法的保護の対象となることの一 環として、当該個人に関する情報をみだりに収集されないという利 益、収集された当該個人に関する情報をみだりに保管されないとい う利益、及び、当該個人に関する情報をみだりに開示又は公表され ないだけでなくみだりにその他の使用もされないという利益も法的 保護の対象となると」し、情報の開示のみならず、収集、保管につ いても「プライバシー情報が一般人の感受性を基準にして人格的自 律ないし私生活上の平穏を害する態様で収集、保管又は使用された 場合には、そのプライバシー情報の収集、保管又は使用はプライバ シーを侵害する違法なものというべきである。」とした。 ア:本件ファイルに蓄積された情報のプライバシー性  「原告ら各情報は、いずれも私的な事柄であるところ、この中に は、人が社会生活を営む上で一定の範囲の他者には当然開示される ことが予定されており、秘匿されるべき必要性が必ずしも高いもの とはいえない個人識別情報から、秘匿性の要請が認められ、人格的 自律にも影響を及ぼすものと考えられる人事考課、組合活動、人物 評価に係る情報のほか、個人の内面等にかかわる秘匿性の要請が強 いいわゆるセンシティブ情報まで含まれている。このうち、後2者 の情報のように秘匿性が要請される情報については、第三者により みだりに収集、保管又は使用されたくない情報であるということが できる。また、これらの情報の中には、個人被告らが持った原告ら の印象といった主観的評価に係る情報や事実と異なる情報もあると ころ、これらの情報についても、原告らの私生活上の事実らしく受 け取られるおそれがあるものであり、第三者によりみだりに収集、

(4)

保管又は使用されたくない情報であるということができる。前者の 個人識別情報については、秘匿性の要請が必ずしも高くない情報で はあるが、そのような情報であっても、当該情報の本人が、自己が 欲しない第三者にはみだりに収集、保管又は使用されたくないと考 えることは自然なことであり、そのことへの期待は保護されるべき であると解するのが相当である。  以上によると、本件原告ら各情報は、個人識別情報も含め、い ずれも原告らのプライバシー情報として法的保護の対象となるとい うことができる。」 イ:本件ファイル内情報の収集、保管、使用の違法性 ・収集行為の違法性について  「プライバシー情報の収集について、本人の同意がある場合や、 収集方法等に照らして定型的に推定的同意があると認められる場合 には、人格的自律ないし私生活上の平穏を害する態様で収集された ということはできない。(略)本件原告ら各情報のうち本件会社か ら被告組合に対して公式に提供された情報及び個人被告らの印象等 以外に係る情報収集行為については、いずれも原告らの個人に関す る情報を、原告らの同意なく、かつ、正当な目的なく収集したもの であると認められるから、一般人の感受性を基準にして人格的自 律ないし私生活上の平穏を害する情報収集行為に当たるものであ って、原告らのプライバシーを侵害する違法なものというべきであ る。」 ・保管の違法性について  「各情報のうち、その収集について原告らの同意がないものにつ いては、被告組合内において保管されることについても、原告らの 同意があったことを認め得る証拠はなく、被告組合が、これらを被 告組合内で保管したことも、原告らのプライバシーを侵害する行為 に当たるというべきである。(略)保管されていた本件ファイル及

(5)

び支部共用パソコンに保存されていた本件原告ら各情報の一部につ いては、被告組合から流出することのないように保管されるという 措置が十分に整えられておらず、その流出の具体的危険があったも のというべきであり、容易には第三者に開示又は公表されない状態 にあったといえる程度の保管がされていたとはいえないから、本件 原告ら各情報のうち、その収集について原告らの同意があるものに ついても、その保管については、当該同意の範囲を超えた態様のも のというべきである。そして、その保管について正当な目的を認め 得る事情もないから、その保管は、原告らのプライバシーを侵害す る行為に当たるというべきである。」 ・各情報の使用について  「被告組合による本件ファイルの作成は、単に客室乗務員に係る 情報を収集して保管するためだけではなく、収集した情報を使用す るためでもあったことは明らかである。そして、本件原告ら各情報 は、いずれもプライバシー情報に該当するものであることからする と、その使用と原告らのプライバシー侵害との関係は、次のように なる。  まず、本件原告ら各情報のうち、その収集について原告らの同意 がないものについては、被告組合内における使用についても、原告 らの同意はないと考えられ、現にこの同意を認め得る証拠はないか ら、被告組合がこれを使用すること自体、当該情報に係る原告らの プライバシーを侵害する行為に当たるというべきである。  次に、本件原告ら各情報のうち、その収集について原告らの同意 があるものについては、被告組合内部において使用されることを当 然の前提としているということができるから、これらを被告組合内 部で使用するにとどまるのであれば、定型的に推定的同意があると 認めるのが相当であるが、これにとどまらない使用については、当 該情報に係る原告らのプライバシーを侵害する行為に当たるという べきである。

(6)

 最後に、本件原告ら各情報には、個人被告らの印象等に係るもの があるところ、これらは個人被告らの主観的評価等が記録されたも のであるが、それが開示される場合、単なる印象等としてではな く、事実であるかのように受け取られることがあることにかんがみ ると、当該印象等の対象者本人においては、みだりに開示されたく ないと考えることは自然であるから、当該印象等の情報を当該本人 の同意なく開示することは、当該本人のプライバシーを侵害する行 為に当たるというべきである。」  「以上によると、被告組合による本件ファイル作成等は、プライ バシー情報に当たる本件原告ら各情報を、一般人の感受性を基準に して人格的自律ないし私生活上の平穏を害する態様で収集、保管又 は使用したものであり、その全体が一連の行為として原告らのプラ イバシーを侵害する不法行為に該当するというべきである。」 ウ:プライバシー侵害の有無、職場における自由な人間関係を形成 する自由の侵害の有無  「人格的利益としての個人の私生活上の自由は、職場関係にも及 ぶものであり、同関係における当該自由の一つとして、職場におけ る自由な人間関係を形成する自由も含まれるものと解するのが相当 である(最高裁平成4年(オ)第10号同7年9月5日第三小法廷判 決・裁判集民事176号563頁参照)。」とした。しかし「原告らはい ずれも、本件発覚まで、本件ファイルの内容はもとより、その存在 自体も知らず、被告組合が本件ファイル作成等を行っていることも 知らなかったことが認められる。そうすると、原告らは、本件発覚 前までは、被告組合の本件ファイル作成等の行為により、職場にお ける自由な人間関係の形成の自由を阻害するような具体的かつ現実 の影響は受けていなかったものと考えられる。そして、その間、被 告組合が、本件ファイル作成等に係る情報収集行為にとどまらず、 正当な組合活動を超えた態様、内容等で原告らの上記自由に影響を 及ぼすような行為を行ったことを認め得る証拠はない」

(7)

(2)Y2~6個人被告らによる不法行為の成否  「(本件におけるプライバシー侵害は、)各原告に係る一連の本 件ファイル作成等から生じているものであって、個人被告らの個別 のかかわりごとに可分なものとはいえないことからすると、個人被 告らそれぞれの不法行為責任は、原告らのプライバシー侵害に係る 損害全体に及び、被告組合及び他の個人被告らとの間で不真正連帯 の関係あるものと解するのが相当である。」 (3)損害額  「原告らが、不快、不安、不信、驚き、嫌悪、憤り等の念を抱く などの精神的苦痛を被ったことが認められる。(略)①本件ファイ ルは、約10年間にわたって、原告らに秘密裏に作成等されたもので あり、個人情報保護法の施行後も、それ以前と何ら変わることなく 作成等が継続されたこと、②被告らの本件原告ら各情報の収集態様 は、公式には収集することができないことを認識しながら、本件会 社の社員に依頼、要請をして、非公式に収集し、また、職場の内外 を問わず、日々の原告らの活動等を被告組合の組合員等から収集し たなどというものであり、その問題性は決して小さいものではない こと、③本件ファイルは、センシティブ情報を含む多数の個人情報 を記録するものであるにもかかわらず、その保管、取扱いにおいて 不適切なものであり、第三者への流出の具体的危険性が存在してい たこと(なお、原告らの中には、センシティブ情報が記録されてお らず、情報量も少ない者がいるが、これらの者についても、それ以 上に情報の収集や入力がされないという限定がされていたことをう かがわせる事情はなく、記録されている情報が流出の具体的危険性 のある状態で保管されていたのであるから、その点に関して抱い た不快、不安、不信、憤り等の念は、決して小さいものとはいえな い。)、などの諸事情にかんがみると、被告組合が、本件発覚直後 に原告らを含む客室乗務員に対し、謝罪文を交付し、その後、本件 ファイル作成等について調査を実施して調査結果を公表するととも

(8)

に、再発防止策を講じたことなどを考慮しても、原告らの精神的苦 痛を慰謝するための金額としては、センシティブ情報の記録がな く、情報量も少ない原告らについても各21万円を下るものとはいえ ず、その余の原告らについては当然に同額を下らないというべきで ある。」

解説と検討

はじめに~本事件の背景と争点  本事件における主要な争点は、被告組合による本件ファイル作成 および利用が、プライバシー侵害および職場における自由な人間関 係を形成する自由を侵害したか否かである。本件ファイルの作成に は、被告組合によるXらに関する情報の収集、元データに新たな情 報を加えることを含む本件ファイルの更新、本件ファイルの保管を 含む。  本件ファイルは長年、Xらが知らぬ所で作成されていた。しかし 平成19年3月、ある週刊誌において「a航空 驚愕のスクープ!社 内スパイ暗躍 極秘!客室乗務員監視ファイル」の見出しで2週に わたり本件ファイルの存在や内容を掲載したことを契機に、Xらの 知るところとなったものである。当時のA社(日本航空)には複数 の労働組合が存在していた。A社は、自社直轄の労働組合(Y組 合)の育成(分裂労務政策)を行っていたとされる。加えてA社に よる平成22年10月に会社更生法を申請およびそれに伴う更生計画と 希望退職者募集において、本件ファイルの存在が影響したとも言わ れていた1  本件は、このような背景のなかで争われたため、プライバシー侵 害それ自体の問題というよりもむしろ労働関係あるいは労働環境に おける問題としてとらえられている。他方争点からもみえる通り、 1 大森夏織「労使癒着の組織的な人権侵害」労働法律旬報1738号38頁。

(9)

本事件は私的な事柄(ないし私的な情報)の収集・保管・利用にお ける違法性の有無という、近時、不法行為法上でも多く議論される 問題である。  本判決は、収集を含むファイル作成全般行為のうち、同意のない 行為についてプライバシーを害する行為とした。すなわち、個人の 事柄の無断収集それ自体をもって、プライバシー侵害を構成すると 解したものである。しかし、無断収集作成による実質的損害がいか なるものであるかについては明確に示されてはいない。さらに不法 行為法からみれば、そもそも本件収集行為がプライバシー侵害を構 成しうるかどうか疑問が残る。そこで本論は、不法行為法の観点か ら本判決を検討する。 1 労働環境と個人に関する情報およびプライバシー  労働関係において、使用者などによる労働者自身に関する情報の 利用は、使用者と労働者双方の利益を考慮し、労働関係にない私人 間の利用よりもその必要性が高いとされる。また、私人間ではプラ イバシー侵害ともなるインターネットメイルの監視ないしのぞき見 についても、労働環境では企業内統制を図るために必要な行為とさ れることもある。つまり、労働関係ないし労働環境では、プライバ シー保護の度合いが私人間と比較して薄いものとなっている。この ような労働関係における特徴は、日本の企業における「会社本位主 義」や労務管理におけるプライバシーに対する意識の低さに起因す る2  労働環境におけるプライバシー保護意識の低さは、個人情報保護 法の制定や最三小判平成7年9月5日3などが契機となり、労働環 2  山田省三「雇用関係と労働者のプライバシー」『講座21世紀の労働法第6巻労 働者の人格と平等』57-58頁(有斐閣・2000年)。 3  最三小判平成7年9月5日(労判680号28頁)「関西電力事件」では、使用会 社が、共産党員および同調者である従業員を職場内で孤立させるような態勢を し、ロッカーを無断で開け私物の撮影をしたなど行為につき、「職場における自 由な人間関係を形成する自由を不当に侵害する」「(撮影行為は)プライバシー

(10)

境における労働者のプライバシー保護が注視されるに至った。  しかし労働者のプライバシー保護は発展途上であると指摘され る4。また近年では人事労務管理において、使用者が労働者のさま ざまな情報を収集、分析することで労働者をプロファイリングし、 その者の採用や人事、評価、給与査定、離職可能性などを判断する ために利用する企業もあるとされる5  不法行為法上のプライバシー保護は、侵害行為、損害発生、行為 と損害の間の因果関係の有無といった不法行為成立要件を基礎とす るものである。プライバシーは極めて抽象的な概念であることか ら、保護法益を明確にすることが求められる。そのため、長年「プ ライバシーとはなにか」「なにを保護することなのか」の議論され ており、未だ解決をみない6。このことは、不法行為法(民法)の みならず、憲法上も議論されるところである。  労働関係におけるプライバシー保護をめぐる問題は、一般的に労 働法学上の問題と位置付けられるが、民法学と憲法学双方の議論に 一定の影響を受けるとされている7。民法と憲法におけるプライバ シー理論が一致していないなかで双方の影響を受けるとすれば、い ずれかの見解が強くなることが考えられる。そのことがもたらす功 罪は今後検討の余地があろう8  本判決の評釈は、原告が主張した自己情報コントロール権をプラ イバシーとし、プライバシー侵害を認めたものと解している。プラ を侵害するもの」とした。 4  砂押以久子「情報化社会における労働者の個人情報とプライバシー」日本労働 法学会誌105号49頁(2005年)。 5  竹地潔「ビックデータ時代におけるプロファイリングと労働者への脅威」富大 経済論集63巻1号3頁(2017年)。 6  近年の不法行為法(民法)上のプライバシー概念について、藤岡康宏『民法講 義Ⅴ不法行為法』217頁以下(信山社・2013年)。 7  河野奈月「労働関係における個人情報の利用と保護」法学協会雑誌133(11) 号1871頁(2017年)。 8  たとえば魏倩「アメリカにおける労働者の電子メール監視についての法的研 究」千葉大学人文社会科学研究21号187頁-192頁(2010年)では、職場における メール監視について、憲法アプローチと不法行為法アプローチでの結論の差異に 言及している。

(11)

イバシーを自己情報コントロール権とする考え方は、アメリカ憲法 に由来するところである。すなわち、本判決はプライバシーを憲法 的な観点でとらえたものであろう。しかし判決では、自己情報コン トロール権の性質には言及していない。自己情報コントロールの何 が侵害され、それによってどのような損害が発生しているかが不明 確であるため、実質的損害が漠然としている。本事件が、慰謝料請 求事件であることを考慮すれば、実質的な損害は明確にすべきであ ったろう9 2 本事件における損害と違法性 (1)不快感と損害  本事件原告Xは、作成行為により「重大な精神的苦痛を被った」 と主張した。判決はこれをより具体的に「不快、不安、不信、驚 き、嫌悪、憤り等の念を抱くなどの精神的苦痛を被ったことが認め られる」とした。はたしてこのような不快感は、実質的な損害とな るのであろうか。特に本事件の場合、公表されたことによる、直接 的な損害は認められない。  たとえば千葉地判平成12年6月12日では、従業員の健診結果の無 断収集によって知ったHIV感染という結果を根拠に、従業員を解雇 した10。従業員は、HIVを知られたことのみならず、解雇による経 済的精神的といった直接的な損害が発生している。転じて本事件で は、個人に関する事柄を無断で収集されたという事実はあるが、無 断収集により無断作成された本件ファイルによって原告自身に不快 感以上の損害は確認できない。この不快感が、他者に自らに関する 事柄を知られたことで生じたものか、あるいは無断で収集されたこ とで生じたものであるかも明確ではない。 9  本判決の評釈である、倉田原志「労働組合による乗務員の個人情報収集等とプ ライバシー」法時84巻1号132頁では、本判決における自己情報コントロール権 について、憲法と私法(民法)のプライバシーのとらえ方を指摘する。 10 労判785号10頁。同様に東京地判平成15年5月28日判タ1136号114頁。いずれも HIVに起因する解雇辞職事案である。

(12)

 本判決は、収集と作成をひとつの行為とみることで、被告Y組合 の行為全般の違法性を強調しているようにも読める。しかし、いく ら違法性を強調しようとも、原告側の損害がとらえようのないもの であれば、損害が立証されたとはいえず、救済は難しいのではなか ろうか。  精神的苦痛は、非財産的損害であり、その賠償は慰謝料となるこ とはいうまでもない。慰謝料の損害補填という目的を考慮したと き、不快や不安を解消するための機能として慰謝料が認められるべ きであろうか。プライバシーの実体ないし定義が不明確であるなか で、プライバシー侵害と「不快、不安、不信、驚き、嫌悪、憤り等 の念を抱くなどの精神的苦痛」を直結させた本判決には少々の疑問 が残る。 (2)違法性のある収集・作成  本判決は、無断収集行為および本件ファイル作成それ自体がプラ イバシーを侵害する行為とした。   本 判 決 に い う プ ラ イ バ シ ー 侵 害 は 、 伝 統 的 な 定 義 で あ る Prosserによるプライバシー侵害様態である、私的領域の干渉 (Intrusion)、私的事柄の公開(Public disclosure)、誤った情 報の公表(Publicity in a false light)、事柄の営利的無断使用 (Appropriation)のいずれにも該当しない11  しかし判決は、被告Y組合によるXらに関する情報の収集行為を 「個人に関する情報を、原告らの同意なく、かつ、正当な目的なく 収集したものであると認められるから、一般人の感受性を基準にし て人格的自律ないし私生活上の平穏を害する情報収集行為に当たる ものであって、原告らのプライバシーを侵害する違法なもの」であ るとし、加えて情報の収集に伴う同意の有無を重視した。  すなわち収集や作成段階においてXらの同意があるまたは同意に 11 W. Prosser ‘Privacy’ 48 Cal. L. Rev. 383(1960).

(13)

類似する行為があれば、収集行為の違法性はないものと解された。 他方、同意がないまたは秘密裏に情報収集されていれば違法収集で あり、それ自体でプライバシー侵害を構成するとしたものである。  はたして収集行為のみでプライバシー侵害を構成できるのであろ うか。  Prosserは収集行為それ自体でプライバシー侵害様態とはならな いとした。これは、そもそもプライバシー侵害が生じるのは、ある 個人に関する何らかの事柄が既に公表者の手元にあることが前提と なるためである。そして無断収集の場合、収集のために他者の私生 活領域に侵入することになるため、これはintrusionに該当する。他 方Soloveは、個人は「データ主体」であるという立場に立つ。そし てそのデータ主体から、個人に関する事柄を収集することは、プラ イバシー問題を惹起すると述べる12。そしてわが国でも同様に、収 集行為は私的領域への侵入として、プライバシー侵害を構成すると 捉えられている13  伝統的なプライバシーの考え方からみれば、無断収集は私生活へ の侵入行為としてのプライバシー侵害であって、無断収集自体から プライバシー侵害を導くことは難しいといえよう。  他方、情報化社会に即した新たな理論とされるSoloveのように、 個人を「データ主体」とするならば、データを収集すること自体が 侵害様態となるのかもしれない。しかし結局のところ、「データ主 体」に到達ないし入り込まなければ、ある者に関する詳細なデータ は収集ができない。「データ主体」が個人ならば、これは私生活へ の侵入を類似しているのではないだろうか。  ただし、近年議論となっているビックデータは、データ主体に入 り込まなくてもデータの収集ができることがある。そのため、本件 12 D. Solove Understanding Privacy 106(2008, Harvard).

13 古くは斉藤博『人格的価値の保護と民法』87頁(一粒社・1986年)において、 語られた言葉」の電子機器による固定(=録音)について、「語られた言葉」は それ自体が私的領域であり、固定や傍受をすることは私的領域への侵入であると した。

(14)

ファイル情報収集のような状況とは異なるものとして、今後検討す る必要があろう。 (3)同意のあり方  本判決では、情報収集及び本件ファイル作成についてXらの同意 の有無が重視されている。プライバシー侵害をめぐる事件ではこれ まで、事柄の公開について同意の有無が争われることは多くあっ た。承諾がある場合、公開の違法性が阻却されることがあるため、 主に被告側が主張する。不法行為法上プライバシー侵害の違法性を 阻却する同意とは、情報収集者ないし公表者に対し、自己の情報に アクセス(侵入)されたり、公表されることを事前に了承すること である14  本事件の場合、特に識別情報についてはA社側に提出され、社内 であればだれでも知ることのできる情報であることから、公表につ いて特に同意を要するものではないであろう。本判決では識別情報 であっても、同意がなければ違法性ありと判断された。このことを 考慮すれば、同意の有無は違法性阻却事由ではなく、プライバシー 侵害成立要件に包含されているようにもみえる。  しかし同意は、事前承諾である。特に識別情報の場合、その情報 の性質から、事前に公表されることを知っている場合が考えられ る。また氏名のように、ある程度公開されることが許容されてもや むを得ないような事柄もある。それでもなお同意を違法性の判断基 準にすれば、本判決のいう「同意なく」に該当するのはいかなる行 為か、という問題に直面するのではなかろうか。  識別情報には該当しない医療情報であっても、本人が同意してい ればたとえ事後的な同意であったとしても、慰謝料が減額されるこ とがある15。また、同意は明示的である必要はないとされることか 14 竹田稔『増補改訂版プライバシー侵害と民事責任』209頁(判例時報社・1991 年)では、「承諾(同意)」は、違法性阻却事由であるとしている。 15 福岡高判平成27年1月29日判時 2251号57頁。

(15)

らも16、同意はあくまでも違法性阻却自由であって、違法性の判断 基準ではないのではなかろうか。  同意は、利用された側(原告)の行為であり、無断利用は利用し た側(被告)の行為であることはいうまでもない。両者は必ずしも 表裏一体の関係にあるとは限らないため、本件のように単に無断か 否かということのみをもって違法性を判断するのは困難ではないだ ろうか。 3 個人に関する事柄の2面性~複合化するプライバシー (1)秘匿性の高い情報と識別情報  本事件のY組合が収集していた情報は、「①氏名・旧姓、生年月 日、住所、電話番号、性別といった基本情報に加え、②人事考課に 関する情報(所属・グループ、職種、社員番号、昇格年度、異動 関係、学歴・職歴、深免(注:深夜免除)申請、休職開始・終了、 懲戒・苦情処理、入社日、退職日等)、③組合活動に関係する情報 (本件組合の役員等の経験の有無・その回数、所属組合の移動、被 告組合への加入活動状況、団交傍聴・都労委傍聴・裁判傍聴、ビラ 配布・署名活動等)、④人物評価に関する情報、⑤私生活上の情報 (妊娠・流産、結婚・離婚、家族、思想・信条・信仰等)など」で あったとされる。  このうち①は、個人識別情報に分類されるが、②の一部(学歴) や⑤は機微情報となるであろう。その他の情報についても、識別情 報か機微情報あるいはどちらとも分類できないような情報が混在し ている。また、例えば氏名のみならば、単に個人識別機能を有する 情報であろうが、ここに妊娠・流産という情報が加われば、ある者 の医療情報という新たな性質の情報が完成する。  伝統的なプライバシー侵害において対象となる事柄は、『宴のあ と』事件判決において示された、私生活上の事実または事実らしく 16 前掲註7 210頁、山田卓生=上机美穂「モデル小説におけるプライバシーと名 誉」日本法学71巻4号91(1187)-93(1189)頁(2006年)。

(16)

うけとられるおそれのある事柄、一般人の感受性を基準に、他者に 公開を欲しないであろう事柄、一般の人々に未だ知られていない事 柄である17。いずれも個人が秘匿したい事柄(秘匿性の高い事柄) であり、他人に知られることを想定していない。  個人識別情報の秘匿性は、一般的に低いとされていた。これを覆 したのが、早稲田大学名簿提出事件最高裁判決である18。講演会参 加者自主記入により大学が作成した学生番号・氏名・住所などが記 載された講演会出席者名簿の警察への提供・開示について、個人識 別情報であっても、「本人が、自己が欲しない他者にはみだりにこ れを開示されたくないと考えることは自然なことであり、そのこと への期待は保護されるべきもの」であり、「取扱い方によっては、 個人の人格的な権利利益を損なうおそれのあるものであるから、慎 重に取り扱われる必要がある」とした。  結局のところ単なる識別情報では、プライバシー侵害を構成する ことは難しいであろう。しかし、識別情報であっても開示の行為様 態を考慮すれば、不法行為を構成しうる。問題は、識別情報の違法 な利用はプライバシー侵害となるかどうかである。 (2)識別情報の無断利用  本判決は、無断開示をもってプライバシー侵害であるとした。し かし識別情報の無断開示は、プライバシー侵害というよりもむし ろ、第三者に開示されないであろうと「期待して」提供した自らの 事柄が開示されてしまったことが問題である。これは一種の期待や 信頼への侵害ではなかろうか。  本件ファイルには秘匿性の高い情報と識別情報が混在していた。 これらはいずれも、ある個人に関する事柄であることに変わりはな い。プライバシーという語を「私的」ととらえるならば、いずれの 情報もプライバシーと括ることができよう。 17 東京地判昭和39年9月28日下民集15巻9号2317頁。 18 最二小判平成15年9月12日民集57巻8号973頁。

(17)

 しかし、両者の性質は全く異なる。また秘匿性の高い情報の無断 利用と識別情報の無断利用では、個人に生じる損害の程度も異なる であろう。秘匿性の高い情報と識別情報を同等に扱うことは、プラ イバシーの保護といえるのであろうか。仮にそうであるならば、情 報の性質によって保護のあり方を個別に検討する必要があるのでは ないだろうか。ここに、現在のプライバシーと個人情報の保護をめ ぐる問題が現れる。  現在のようなプライバシーの複合化は、わが国のみならずプライ バシーの祖とされるアメリカやEU圏においても指摘されるところ である19。複合化するプライバシーをどのように保護すべきか。今 後、情報の性質に着目した検討が必要であろう。 4 残された問題 (1)未発覚の情報収集  本件ファイルの存在は週刊誌の記事により発覚した。発覚しなけ れば、Xらは自らに関する事柄が他者に収集されていることも蓄積 されていることも知らなかったということである。Xらは、本件フ ァイルの存在を知ったことで初めて精神的苦痛が発生している。  近時、繁華街にある防犯カメラに代表されるように、個人が気付 かぬうちに、個人の行動という情報が、撮影の形で収集されること がある。撮影のみならず、個人が知らぬ間に自らに関する事柄が収 集ないし使用されることは、ある意味では日常的に生じている。  加えて、本件ファイルに蓄積されている情報は約9000人分あった とされる。このうち原告は193名である。未発覚の情報収集もある なかで、発覚したときにのみ精神的苦痛を認めることが不法行為に 対する救済となるのであろうか。今後検討を要するであろう。 19 たとえばJoseph A. Page’American tort law and the right to privacy’in a

Personality Rights in European Tort Law(Cambridge 2010)では、アメリカ における混在を指摘する。またKoops 'A Typology of Privacy' 38U. Pa. J. Int'l L (2016)では、EU諸国の視点から、アメリカにおけるプライバシー定義とは異 なるプライバシー様態の分類を試みている。

(18)

  (2)私生活の平穏侵害とプライバシー  判決は、Y組合はXに関する情報を「人格的自律ないし私生活上 の平穏を害する態様で収集、保管又は使用したもの」とした。はた して、私生活上の平穏とはなにか。プライバシーとはどのような関 係にある利益であろうか。  個人は、私生活が平穏であることを求めるのは当然のことであ る。そのため、他者がさまざまな形で私生活を干渉、侵害すれば、 私生活への侵入となる20。最判平成元年12月21日では、私生活の平 穏を「人格権的利益」をした21。民法上、人格権は多様な権利利益 を包含するものであり、これはプライバシーに包含されるものとさ れる22。私生活の平穏侵害は、物理的な侵害行為の他、個人の感情 も私生活ととらえ、干渉により精神的不安を生じさせる行為も該当 するが、一般人の感受性を基準として不安等が生じないものであれ ば、違法性を欠くことになるとされる23  このような私生活の平穏侵害の定義と、本判決で用いられている 私生活の平穏は同義であろうか。また、本判決のいうところの私生 活の平穏侵害とはどのような行為か。またそれにより、原告にはい かなる損害が発生したのであろうか。  私生活の平穏侵害ないし私生活への侵入に該当する行為は多様で あるため、違法性の判断が難しい。本事件においては本件ファイル 作成によって精神的損害が生じたとなるが、一般人の感受性を基準 としたときにどのように評価されるか。前述のように、原告は本件 ファイルに記載された者のうちの一部であり、週刊誌による公表が なければ知り得なかった事情である。本判決ではあまり考慮されな かった点であるが、検討すべきであったと考える。 20 前掲註14 178頁では、私生活の平穏侵害を「私生活への侵入」としている。 21 民集43巻12号2252頁。 22 五十嵐清『人格権法概説』208頁(有斐閣・2003年)。 23 前掲註14。

(19)

おわりに

 本事件は、プライバシーをめぐる現代的な問題が集約された判決 ともいえる。情報の性質という側面からみれば、伝統的な機微情報 と近代的な識別情報の複合である。また、侵害行為も情報の公表の みならず公表に至るまでの収集、作成といった行為まで考慮したも のであった。  このようなプライバシーをめぐる複合的な問題を検討する際、一 法領域の視点のみで解決することは困難である。労働関係は、民法 の役務提供契約の一類である。そのため労働法は民法と密接に関係 することはいうまでもない。しかし本判決からもみえるように、実 際の問題解決においては、別領域の問題として片づけられることが 多い。  近年、民法と労働法の関係をより密接にすべきという議論があ る24。プライバシー保護のような横断的な議論においては、今後、 各領域での独自の理論展開のみならず、理論の融合や相互作用を図 ることも必要であろう。更なる理論展開に期待したい。 本判例研究は、平成29年度札幌大学研究助成の成果の一部である。 24 たとえば、日本労働研究雑誌700号(2018年)では、「民法と労働法の交錯」 として、民法改正がもたらす労働法への影響について、一体的な議論が必要であ ると指摘する。

参照

関連したドキュメント

に及ぼない︒例えば︑運邊品を紛失されたという事實につき︑不法行爲を請求原因とする訴を提起して請求棄却の判

最急降下法は単純なアルゴリズムでしたが、いろいろと面白かったです。NN

The crisis of Davidson's anomalous monism means a turning point for theories of actions because it is supposed to show that we have a strong incompatibility when we insist both

 処分の違法を主張したとしても、処分の効力あるいは法効果を争うことに

厳密にいえば博物館法に定められた博物館ですらな

れをもって関税法第 70 条に規定する他の法令の証明とされたい。. 3

( 同様に、行為者には、一つの生命侵害の認識しか認められないため、一つの故意犯しか認められないことになると思われる。

は︑公認会計士︵監査法人を含む︶または税理士︵税理士法人を含む︶でなければならないと同法に規定されている︒.