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ヒューム『人間本性論』における市民社会の形成と政府

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ヒューム『人間本性論』における市民社会の形成と

政府

著者

遠藤 和朗

雑誌名

東北学院大学論集. 経済学

101

ページ

41-61

発行年

1986-03-20

URL

http://id.nii.ac.jp/1204/00024436/

(2)

ヒューム「人間本性論」における

市民社会の形成と政府

遠藤和朗

目次 1 .はじめに 2.市民社会の形成 (1) ホッブズ, ロックの社会契約思想 (2) ヒューム市民社会の形成 3.市民社会と政府 (1) 市民政府の成立 (2) 統治原理 4 .結びにかえて 1 . は じめに 近代社会形成の理論は, ホッブズ(ThomasHobbes, 1588-1679), p ック(JohnLocke, 1632-1704)の社会契約思想に見い出されるが,利己 的個な人がいかにして社会秩序を形成するかという問題は, ホッブズ, ロ ック, ヒューム (DavidHume, 1711-1776), スミス(AdamSmith, 1723-1790)らの共通の課題であった。一般に, 17世紀のホッブズやロッ クの社会形成論は, 自然状態や自然権, そして社会契約等の擬制のうえに 展開されるものであった。しかし, これらの社会把握は, 18世紀の現実の 社会の成熟に伴って, ヒュームやスミスによって哲学的虚櫛にすぎないも のとして批判された。 ヒュームは, ロックより半世紀後, 『人間本性論』 (ATreatiseofHumanNature, 1739-40)において, ホップズ的国家 観を否定するとともに'ヨック理論の原理を否定し, 人間本性に韮づく新た な社会理論の形成を目差した。スミスば, ヒュームの理抽を継承・発展さ せて市民社会のlil律性を『道徳情操論』(TheTheoryofMoralSenti-1

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ヒューム『人間本性論』における市民社会の形成と政府 ments, 1759)において明らかにした'〕。そして, スミスによって認識さ れた市民社会の自律性は,経済社会の自律性として経済学の対象領域にな ったのである。 本稿の目的ば,以上のようなイギリス市民社会形成論のなかで, 17世紀 の社会理論と18世紀のスミス理論との橋渡し的存在であるヒュームを取り 上げ,彼の主著『人間本性論』に描かれる市民社会形成論と政府について 考察しようとするものである。 2. 市民社会の形成 ヒュームの『人間本性論』に諮ける社会把握は, ホップズや戸ツクの社 会契約思想を否定するところから出発している。それゆえ,はじめに, ホ ップズ, ロックの社会契約思想について, エッセンスを明らかにしておく ことが有益である。その後, ヒュームの社会形成について考察することに したい。 (1) ホツブズ, 口・ソクの社会契約思想 ホッブズは,その主著『リヴァイアサン』(Leviathan, ortheMatter, Forme, andPowerofaCommonwealthEcclesiasticalandCivil1. 1651)において,人間ば本性上, 他人を侵略する「競争」(competition), 「不信」(diffidence), 「ほこり」(glory)の三要因を持ち,かっこの欲望 を満足させるために「自然状態」(natural condition)においては, 「各 人が,かれ自身の自然すなわちかれ自身の生命を維持するために,かれ自 身の欲するままにかれ自身の力をもちいるという, 各人の自由2)」として の自然権(natural right)を持つという。したがって, そこでは「各人 1) 拙稿「『道徳憎操論』におけるアダム・スミスの市民社会観」(『東北学院大 学論築』経済学第74号,昭和52年)参照。

2) ThomasHobbes, Leviathanor theMatter, FormandPowerofa Commonwealth,EcclesiasticalandCivil,withanlntroductionbyHenry Morley,Londonl885. p,65

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の各人にたいする戦争状態3〕」になって猫り,正義や秩序は存在しない。 それゆえ, 「自然状態」に蕊いては「人間の生活は, 孤独で, まずしく, 険悪で,残忍で, しかもみ、じかい§)」。 そこで,人間の理性の声は, このような「自然状態」から脱却することを 命ずるのであった。すなわち, ホッブズによると, 「自然状態」における 人間は, 自己保存のための自然権を有しているが, 「継続的な恐怖と暴力 による死の危険5)」に直面した時に, 平和をもとめ, 自然権を放棄すべき だという自然法(naturl law)に従うことを理性は命ずるというのである。 ここに, ホッブズによると,人間ば,野蛮な「自然状態|から逃れる道 として契約の必要性を知るようになる。彼は,契約の概念について次のよ うにいう。 「かれらを外国人の侵入や相互の侵害から防衛し, それによってかれら を保全して,かれらが自己の勤労と土地の収穫によって自己をやしない, 満足して生活できるようにするという, このような能力のある共通の権力 を樹立するたいの,ただひとつの道は,かれらのすべての権力とつよさと を, ひとりの人間または人々のひとつの合議体にあたえることであって, そうして.多数者意見によって,かれらすべての意志をひとつの意志とす るのである。そのことは,つぎのようにいうのとおなじである。すなわち, ひとりの人間または人々の合議体を任命して,かれらの人格壷になわせ, また, こうして各人の人格をになうものが,共通の平和と安全にかんする ことがらについて,みずから行為し,あるいは他人に行為させるようにす るあらゆることを,各人は自己のものとし,かつ,かれがその本人である ことを承認する。そして, ここに鏥いて各人ば,かれらの意志をかれの意 志に,かれらの判断をかれの判断に, したがわせるのである。これは同意 (consent)や和合(concord)いじようのものであり, それは,一にして (1), (1), (1), 3) 4) 5) 訳 訳 訳

邦邦邦

“““ p p p d d d 甲 も Ⅱ 凸 巳 や ■ 上 中 1 凸 b b b l l l 。 。 0 頁 頁 頁 鴫““ 2 2 2

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ヒューム『人間本性論』における市民社会の形成と政府 二ならぬ人格による, かれらすべての其の統一であって, この統一は, 各人が各人にむかってつぎのようにいうかのどとき, 各人対各人の信約 (convenant)によってつくられるのである。すなわち, わたくしは, こ の人に, また人々のこの合議体にたいして, 自己を統治するわたくしの権 利を,権威づけあたえるAuthoriseandgiveupが, それはあなたも おなじよう#こして,あなたの権利をかれにあたえ,かれのすべての行為を 権威づけるという,条件においてである。 このことが満こなわれると, こ うして一人格に統一された群衆ば, コモンウエルス(commonwealth), ラテン語ではキウィタス(c""")とよばれる6〕」。 このように, ホッブズに拓いては,人為が相互的な契約に基づいてその 自然権を放棄し,主権者の意志に服従するところに国家は成立し, したが って平和な社会が確立されると考えられたのである。ホッブズにとっては, このような国家ば「不死の神」(ImmortalGod)のもとにあって,個,々人 に平和と防衛とを保障する「可死の神」(MortalGod)なのであった。こ うして,彼においては, 国家の存在によっての承社会は形成されるのであ った。すなわち, 自然状態→理性による社会契約→国家の成立=社会の成 立というように論理的に把握されたのである。しかも,国家=社会であっ て, 国家と社会との区別はなされなかった。 ロックも『統治二論』(TwoTreatiseofGovernment, 1690)に猫い て,ホッブズと同様に「自然状態」を想定し,契約による社会の成立を考 えるのであるが,彼の「自然状態」は. ホッブズのような「各人の各人に たいする戦争状態」でばなく,平和と平等の下に「…完全に自由な状態で あって, そこでは自然法の範囲内で, 自らの適当と信ずるところにしたが って, 自分の行勤を規律し,その財産と一身とを処置することができ,他 人の許可も,他人の意志に依存することもいらない7)」のであった。すな 6) Ibid., p.84邦訳(2). 33-34頁。 7) JohnLocke,TwoTreatiseofGDvernment,withan lntroductionand apparatuscriticusbyPeterLaslett,CambridgeUniversityPressseccnd editiOn, 1967. p,287 鵜飼信成訳『市民政府論』(岩波文庫) 10頁。

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わち, 戸ツクの「自然状態」においては, 自然法のもとで,各人は,平等 で独立し,各自の自然権である生命・健康・自由・財産の権利を持ち,相 互に自然権を尊重しながら平和に暮らしているのであった。 ここで.特に, ロックにおいて,所有権という観念があらわれていることに注目すべきで ある。彼ば, 「人は誰でも自分自身の一身については所有権をもってい る8)」 として,身体の働きである労働による所有論を主張している。人間 は, 自然に対して労働することによっての象,私有が認められるのである。 ところで, ロックによると,以上のような平和で平等な「自然状態」にお いては,個々人の自然権の保全は不安定である。貨幣の発明と交換経済の 発展が,所有を増大させると共に財産の不平等を生むから, ひとびとは, 絶えず他人から侵害される危険性をもつ。それゆえ,個,々人は,平和と所 有権の安定を求めて, 同意(consent)による市民社会(civil society)を つくることになる。 「人間はすでに述べたように,本来,万人が自由平等独立であるから,何 人も, 自己の同意なしにこの状態を離れて他人の政治的権力に服従させら れることはない。人が自分の自然の自由を棄て市民社会(civil society)の 踊絆のもとに諦かれるようになる唯一の道ば, 他の人と結んで協同体 (community)を作ることに同意することによってである。その目的は, 彼らの所有権の享有を確保し,かつ協同体に属さない者による侵害に対し てより強い安全保障を確立し,彼らに安全,安楽かつ平和な生活を相互の 間で得させることにある。 このような協定はどれだけの数の者がしてもか まわない。 .…“もし幾人かの人女が一つの協同体あるいは政府(govern-ment)を作るのに同意したとすれば, これによって彼らは直ちに一体をな して一箇の政治体(bOdypolitick)を結成するのであり, そこでは多数 を占めた者が決議をきめ, 他の者を拘束する権利をもつのである9)」。 このように, 同意によって政治社会が成立し, 同時に,市民社会が形成 8) Ibid,, p.305邦訳32頁。 9) Ibid , pp.348-349邦訳100頁。 −45−

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ヒューム『人間本性論』に麓ける市民社会の形成と政府 されるのであった。そこでは,個左人の生命の安全と所有楠の保障とが達 成されるのである。 ところで,同意によって市民社会は設立されるが, ロックのぱあい’改 めて立法権を最高とする権力を統治者に信託(trust)することになる。 し たがって, ロックのぱあいはホップズと異なり,社会の形成と政府の形成 とは区別されたのである。そして,統治者が彼に信託された権力を濫用す るとき, 国民は抵抗し,場合によっては新しい統治組織を作ることができ るとしたのであった。 「自分自身の固有の基礎の上に立ち, 自分自身の固有の性質に従って行 動している国家,すなわち協同体の維持のために行動している,組織され た国家にあっては,ただ一つの最高権しかあり得ない, これが立法権であ る。それ以外の一切の楢力はこれに服従し, また服従しなければならない のである。 しかも立法権は,ある特定の目的のために行動する信託的権力 (fiduciarypower)に過ぎない。立法楢がその与えられた信任に違背し て行為したと人民が考えた場合には,立法権を排除またば変更し得る最高 権が依然としてな無人民の手に残されているのである。何故ならある目的 を達成するために信託された一切の権力は, その目的によって制限されて 諮り, もしその目的が明らかに無視され迩反された場合にばいつでも’信 任は必然的に剥奪されなければならず, この権力は再びこれを与えたもの の手に戻され,その者はこれを新たに自己の安全無事のために最も適当と 信ずるものiこ与え得るわけである。 このように協同体は’何人でも,彼ら の立法者さえもが,愚劣邪悪にもその臣民の自由と所有とを害するような 企てを定め実行する場合にば, このような計画企図から自分を救出すべき 最高権を常に保有しているのである'0)」と。 このように, ロックのぱあいは, ホッブズのような国家權力への全面的 服従とは異なり,政府が人民の信託に反し,権力を濫用するときには,人 10) Ibid., pp.384-385邦訳151頁。

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ヒューム『人間本性論』における市民社会の形成と政府 民の抵抗権を認めたのであった。 これは人民の權利であった。 以上から明らかなように, ホップ・ズもロックも社会契約思想に基づいて 市民社会の成立を説くのであるが, ホッブズのぱあいば,国家権力と社会 の成立は同一視された。国家への全面的服従の象が人々の平和を達成する 道であった。 ロックのばあいは,所有権の保障と平和な生活を求めて, 同意による社 会の成立を考えるが,立法権を妓高とする権力関係は,改めて,信託行為 によって政府に与えられるのであった。したがって,社会の成立と政府の 成立とは区別され,政府への服従ば,人々の信託の意図にかなうかぎりに おいてなのであった。 (2) ヒューム市民社会の形成 ヒュームの社会把握は, ホップズやロックの社会契約思想に基づく市民 社会形成の理論を否定することから出発する。彼によれば,いわゆる「自 然状態」は哲学的虚構(philosophical fiction)にすぎないという。 「自 然状態は単なる哲学的虚櫛であって, 未だかつて実存しなかったし, また 決して実在できなかった】')」と。 それでは, 自然状態を, したがって,契約思想を拒否するヒュームにと って,個点人はいかにして社会秩序を形成するのであろうか。彼ば, その 原理が「人間本性12)」(humannature)のうちにあるとして, まず, 人 間の自然な婆である家族に般初の社会を見い出し, そこから市民社会へと 拡大・発展する社会を考察している。いわば,市民社会の形成を歴史的な ひろがりのなかで捉えようとするのである。 以下, ヒュームの市民社会の形成について考察することにする。このぱ 11) DavidHume,ATreatiseofHumanNature, ed,byL.A.Selby-Bigge, Oxford_ p,493. 大槻春彦訳『人性論』(岩波文叩) (4). 67頁。 (以下, これからの引用は朧ぽ邦 訳通りだが,若干変えた箇所もある),Cf. Ibid., p.493,邦訳(4), 68頁。 12〕 ヒュームは, あらゆる学問が「人間本性」にかかわっていることを強調して いる。Cf. Ibid., p_XiX_邦訳(1), 21頁。 −47− 7

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ヒューム『人間本性識』に拓ける市民社会の形成と政府 あい,社会に対するヒュームの観点において重要なことば,人為が絶えず 社会から得られる利益を認識しているということである。彼は, まず,社 会形成によって得られる利益について次のようにいう。 「…各個人が別々に,ただ自分自身のために労働するときは,人間の力 は小さすぎて,何らかの著しい仕事を遂行するに足りない。ひとりの人の 労働がそのさまざまな必要のすべてを補うために用いられ,従って個々の 技術が完全の域に達することは決してない。各人の力と首尾とはいつも等 しくはない。従って,いずれかの点の些少の不足も,破滅と不幸とを不可 避的に伴わざるを得ない。然るに社会は, これら三つの不便を救済する策 をあてがう。各人の力を連接して, よって以てわれわれの力を増大する。 分業(thepartitionofemployment)によってわれわれの能力は増す。 相互援護によってわれわれが運命や偶然に曝され為ことは少<なる。 この ように力と能力と安固さとが加わるため,社会は有利となるのである'3>」 と。 このように, ヒュームによると,社会の形成は,各人の結合によって力 を増大させ,分業によってわれわれの能力を進展させ,相互扶助によって 連命や偶然に支配されることを少なくし,安全性を保障するというのであ る。彼は,社会の利益を以上のように捉えたうえで,最初の社会である家 族を考察する。 「自然状態」をフィクションとして否定するヒュームに諦 いては,人間は家族という社会から出発することを強調するのであった。 「・…・・人々の最初の状態ないし状況そのものは社会的であると正当に見な すことができる'4)」と。 さて,彼によると, 家族は両性間の自然的欲望(naturalappetite)と, 子供に対する自然的情愛(natural affection)によって結ばれている社会 である。 「この社会では, 親はその優った強さと知恵という利点によって 支配するが, 同時に,子供たちに対する自然の情愛によって権威の行使を 13) Ibid.,p.485邦訳(4), 56-57頁。 14) Ibid., p.493邦訳(4), 67頁。

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抑制される。間もなく,習慣や習癖が子供たちの柔軟な心に作用して,社 会から収得できる利益を気づかせる。それと共に, 子供たちの社会的連衡 を妨害する尖った角すなわち具合わるい情念を磨滅して,子供たちを次第 に社会に合うようにする'5>」と。 こうして,家族を中心とした最初の社会 は営まれるが, ここでの中心的情念は, 自然的情愛である。 しかし, 自然的情愛によって結ばれる家族社会から拡大・発展して,物 財の所有と増大とがもたらされる社会に至ると利害関係が生じ,社会的結 合が妨げられることになる。すなわち, ヒュームによると,われわれの人 間本性は利己的であるから, 自分自身を最も愛し, 次に身近な人に及ぶと いうことにすぎない。したがって,社会においては相互に対立することに なる。また,社会における物財は人々の欲求に比して稀少であるがゆえに, 物財の獲得をめ<・って対立し,社会的的結合を猫びやかすというのである。 「物財の増進ば社会の主要利益であるが, 同時にまた, それを所持する上 の不安定とその稀少性とは主要障害なのである'6)」と。 かくして,社会の砿大・発展につれて,人間本性の利己的性質と物財の 稀少性とが社会の存立を危うくするのである。 このようにエュームにお いては,一方において,社会的結合を阻害する人間の本性と外的事情とが 強調されるが,他方においては,前述したように,人々が常に社会から得 られる利益を認識していることが強調されていたのである。 それでは, このような状況のなかで,家族から拡大・発展した社会では, と・のようにして社会的結合を結び社会秩序を形成するのであろうか。換言 すれば,人々が社会生活を営むうえでの大黒柱である正義は, どのようヤこ して確立されるかという問題の検討である。ホップズやロックの社会契約 思想を否定したヒュームにおいては, 当然国家の強制力にたよって社会が 形成されるわけではないのであるから,人間本性のなかにその原理を探さ ねばならない。 。 。 頁頁 8 0 5 6 4 4 く 訳訳 邦邦 舗銘 4 4 p p d d 4 号 Ⅱ 己 凸 凸 ■ 且 、 恥 印 ① 1 1 −49−

(11)

ヒューム『人間本性論』に謂ける市民社会の形成と政府 これについて, ヒュームは, コンウェンション(convention)を社会形 成の原理と見なす。まず,彼は, コンヴェンションについて,次のように 説明している。 「さて, このコンヴェンショソは約定(promise)という性質ではない。 何故なら,約定そのものすら, のちに見るように,人間のコンヴェンショ ンから起るのである。 コンヴェンションは単に共通利益の一般的な感覚 (ageneral senseofcommoninterest)である。社会の全成員はこの 感覚を互いに表示し合い, この感覚に誘致されて,各人の行為を若干の規 則によって規制するのである。私ば, もし同様に他人が私に就いて行動す るとすれば,他人の物財を他人に所持させて諦くのが私の利益に合うであ ろう, と観察する。また他人は, 自己の行為を規制することによって似よ った利益を感受する。そして,利益のこの共通感覚が相互に表示されて, 私にも他人にもよく判ると,それに適当した決意と行いとが生まれるので ある'7)」と。 要するに, コンヴヱンションとは,他人も自分と同梯に相互の物財を尊 重して侵害しないならば, 自分も同様にするであろうという意志を暗黙の うちに表明し合う共通利益の一般的な感覚腱ぽかならない。すなわち,そ れは,相互の利益のために相互に自発的に自分自身の行為を抑制すること に健かならない。これは, ホップズやロックのいう社会契約とは異なる。 社会契約は,市民社会設立のために, 自然権を全部あるいは一部放棄する という理性による自覚的な論理として把握されるが, コンヴェンションは, 暗黙のうちに合意する経験的慣習であって,文字通り黙約である。 コンヴ ェンションによる規則の成立は, 「潮次に起り,その力は徐々に,すなわち 規則違背の不都合を反復して経験することによって,聾られる'7>」のであ った。社会契約ば, ヒュームのいうようにフィクションであるが, コンヴ ェンションは,人間本性に基づく原理であった。そして, このようなコン ヴェンションに基づいて,市民社会における正義の法は成立するのである。 17) Ibid., p.490邦訳(4), 63頁。

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「・ ・・正義は人間のコンヴェンションから起る。そしてこのコンヴェンシ ョンは,人間の心の一定の性質と外的事物の状況との協力から生ずるある 不都合を救済する策として,意図されたのである。 この心の性質とは利己 心と制限された寛仁とである。また,外的事物の状況とは,それら事物が 容易に変えること, ならびにこれと結びついて,人為の要求の欲望と比較 するとき事物が稀少であること,である'8)」。 このように, コンウェンションによって正義の法ば成立し,社会秩序は 確立するのであった。 ヒュームは,正義が社会の大黒柱であることを次の ように表現している。「…正義がなければ,社会は直ちに解消するに相違 なくⅢ各人はあの未開で孤独な状態へ.すなわちⅢおよそ社会のなかで想 定され得るかぎりの股悪な状況より無限に悪い,未開で孤独な状態へ落ち 込むに相違ないからである'9〕」と。 ところで, コンヴェンションは,われわれの心の性質の利己心と物財の 稀少性という状況のもとで,相互の利益の暗黙の調整として成立するもの であった。したがって,利己心と物財の稀少性とが,正義の法の生み、の親 ということになる。正義の法の成立によって,各人の利己心ば抑制される と同時に社会形成の利益によって,各人の利己心ば満足させられるという 二重の意味を持つことになる。かくして, ヒュームによれば, 「正義の法 (the lawof justice)を確立させるものば,われわれ自身の利益及び公共 的利益(public interest)への配慮20)」なのであった。 以上から明らかなように, ヒュームは,市民社会形成の原理がコンヴェ ンションにあることを強調したのである。 コンヴェンションによって正義 の法は成立し, したがって,平和と秩序がもたらされ,所有楠は保障される ことになる。彼は, この正義の根本的自然法として次の三つをあげている。 (1)所持の安定(the stabilityofpossession), (2)同意による所持の転移 18) 19) 20) Ibid-, p Ibid., p Ibid,. p 邦訳 邦訳 邦訳 (4), (4), (4), 494 497 496 C O ○ 頁 頁 頁 9 4 2 6 7 7 −51− 11

(13)

ヒューム『人間本性誌』における市民社会の形成と政府

(the transference of possessionby consent), (3)約定の願行(the performanceof promises)である。これらは,彼によると,所持の安 定の自然法が生じた後に順次に生じるという。ここから明らかなように, ヒュームの正義は,所有権の問題にかかわる狭い意味に解されているので あった。したがって, ヒュームによる社会形成の目的は,何よりもまず所 有椎の保障ということになる。 ところで,彼は,一層の社会の拡大・発展に伴って, 人々の利害感だけ で正義の法を遵守することがむずかしいことを認識する。このぱあい, ヒ ュームは,われわれの道徳情操が法を支えることに期待する。すなわち, われわれは,道徳判断の原理である「同感」(sympathy21))によって,直接 的な利害関係がなくても, 正装の侵犯によって害を受けた人の感ずる憤慨 ・苦癌を同様に感ずるというのである。 ヒュームによると, このような不 快を与えるものは,悪徳であり,逆に快を与えるものは徳である。 したが って,正義は徳であり不正義は悪徳ということになる。これば「同憩」に よって感ずることがらである。そして,正義に対してわれわれが道徳的是 鰡を与えるのは, それがもつ公共善(publicgood)への傾向に対してで ある。 「…正義が称賛される理由ば確かに, 公共善への傾向を有するとい う理由の他にばない。そして公共善は, 同感がそれへの関心をわれわれに 起させないかぎり,われわれにとって無関係なことなのである22)」。 それゆえ, ヒュームは次のように結論する。 「…自利(self interest)は 正義を樹立する根源的動機である。が,公共的利益への同感(asympathy withpublic interest) iX, 正義の徳に伴う道徳的是認の源泉なのであ る23〕」と。

21) Cf,P Mercer, SympathyandEthics, Astudyof the relationship

between sympathy andmoralitywith special reference toHume's Treatise,Clarendonpress, 1972pp.20-"

田中正司「同感論におけるヒュームとスミス」 (『思想』第573号,昭和48年)

参照。

22) Hume,Op. Cit., p.618邦訳(.1), 245頁。

(14)

ヒューム『人間本性論』における市民社会の形成と政府 かくして,われわれは「同感」によって正義の法を尊重し, 自ら正義の 徳の担い手になることを義務と感ずるのである。いわば, われわれは, 「同感」によって正義を遵守することを自然に教わるのであった。それゆ え, 「同感」という道徳情操は, コンウェンションによって成立した正義 の法を,人々に対して自ら遵守させるという役割を持つことになる。 さて,以上から明らかなように, ヒュームは,人間本性の利己的である ことを前提に,各人の利害の調整であるコンヴェンションを社会形成の原 理として把握した。社会の正義の法は, コンヴェンションによって成立し たのであるが,彼はそれを強化・助長するものとして,人間本性のうちに ある道徳情操を強調した。 ここに,正義の法を自ら遵守し,社会秩序を維 持して社会からの利益を享受しようとする正義の徳の担い手としての市民 的人間を見ることができる。それゆえ, ヒュームに無いてば正義の法と正 義の徳は一体化し,両者ともに市民社会を支える大黒柱であった。したが って, ここには, スミスのような正義とは何か,正義の根拠は何かという 問題は存在しなかった。正義の法と正義の徳との関連も問われなかった。 ヒュームにおいては,実定法を遵守することだけに力点がおかれていたの であった。 3. 市民社会と政府 ホップズやロックの社会契約説を批判して, コンヴェンションによる社 会の成立を主張したヒュームにとっても,利己心の強烈さと,富や所有権 の著しい拡大に伴なって,正義の法の遂行者としての市民政府の存在が必 要になる。ここでは, ヒュームにおける市民政府の成立と統治の問題につ いて考察することにしたい。 (1)市民政府の成立 さて, ヒュームによると, 「大規模な社会」では, 一方では多くの富が 存在し,他方では真実の又は想像上の不足があるから,われわれの利己的 性質が刺激され,社会の平和と秩序維持は困難になるという。換言すれば,

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ヒューム『人間本性論』における市民社会の形成と政府 人,々は,正義の法を遵守することによって,社会から多くの利益を得るこ とを十分に知っているにもかかわらず,人間本性からして,すなわち「人 '々は利害によって著しく支配され自己自身以上へ配慮を及ぼすときすら, 非常な距離へ及ぼすことばない24)」という強い利己的性質から正義の法を 破ることがしばしばあるというのである。 ヒュームは, このような人間の 自然的弱点を救済する道として市民政府の設立を考えた。 彼は,市民政府の成立について次のようにいう。 「…われわれの為し得る極限は,われわれの諸事情ないし状況を変えて, 正義の法の遵守を最も近い利とさせるとともに法の違犯を最も隔った利と させることである。しかしながら, これを全人類に就いて行うことは実行 不可能である。従ってこれは,正義の遂行を上に述べたように直接の利と させられた少数者に関してのみ、起り得ることである。このような少数者, それがすなわち,市民的治政者と呼ばれる人物, 国王及びその閣臣と呼ば れる人物,統治者ないし治者と呼ばれる人物(civilmagistrates, kings

andtheirministers, ourgovernors and rulers), そうした人物なの

であjる。この人たちは, 国の大部分に対して不偏な人々である。従って, 不正義のおこないには全く利害がないか,或は隔った利害しかもたない。 且つまた, この人たちは自己の現状に満足し, 自己の社会的役割に満足し ている。従って,社会の保全に極めて必要な正義の遂行には, その悉くに 直接の利をもっている。然らばここに, 市民政府および市民社会(civil governmentandsociety)の起源がある25)」。 このように, ヒュームによると, コンヴェンションによって経験的慣習 的に確立された正義の法の遂行(execution)のために,われわれは,社 会の利益を他の人々よりも直接に利益とする少数の為政者に市民社会をゆ だねるというのである。なぜなら,われわれは,市民政府の設立によって の鍬安定した社会生活を営むことができるからである。 「・・正義の遂行と 24) Ibid., p.534邦訳(4), 125頁。 25) Ibid., p.537邦訳(4), 130頁。

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ヒューム『人間本性論』における市民社会の形成と政府 裁断(executionanddecision)とによって,人々は自己自身の弱点すな わち情緒に対する保証を得るの魂ならず,相互の情緒的弱点に対しても保 証を得て,統治者の庇謹の下に社会及び相互扶助の甘味を心安らかに味わ い始めるのである26)」と。 このように, ヒュームにおける為政者は,社会に鈴ける個々人の利害の 調整者として,正義の法の遂行と裁断を行い,社会の利益を個々人が享受 できるように導びく役割を担うものであった。それだけではない。 ヒュー ムは,政治家の人為が,正義の法を遵守する道徳情操をも促進することに 期待をしていたのである。もちろん,政治家の人為そのものが直接道徳の 唯一の起源になるものではないことを強調しながら。彼は, このことを次 のようにいう。 「政治家の為し得る最大限は, 自然的心持をその根源的境 界以上に及ぼすことである。が, それにしても,材料は自然が供給しなけ ればならない。換言すれば,道徳的区別に就いてのある念は自然に与えら れていなければならないのである27)」と。 このように, ヒュームに無いては,市民政府は正義の法を支え,正義の 徳をも助長する大きな役剖の担い手として信頼されたのである。 ところで, ヒュームにおける市民政府の役割は,前述したように正義の 法の遂行と裁断にあるから, 人々に法を遵守させ,違反したものには処罰 を与えることばいうまでもない。そのぼかに,彼ば,政府の機能の1つに, 公共事業をあげてい為。 これば,個々人による共同事業の困難性から生じ るものである。 「隣り合ったふたりの人は, その共有する草原の排水を行うことに合意 するであろう。何故なら,彼らは相互の心を容易に知り合って,各自が自 己の受持をやらなかった帰結は全企画の放棄であることを看取するに相違 ないからである。が,一千人の人がこうした行動に一致することは甚だ困 難である。いや,実のところ不可能である。けだし,各人ば煩労と失費と 26) Ibid., p、538邦訳(:1), 131頁。 27) Ibid., p、500邦訳(4), 78頁。

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ヒューム『人間本性論』における市民社会の形成と政府 を免れる辞柄を探して, あわよくば負担をすべて他人に負わせようとする。 そのようなとき,一千人もの人が極めて錯綜した計画を協定することば甚 だ困難であり, これを遂行することは一そう困難なのである。 ところで, 政治的社会は, そうした不部合を双つながら容易に救済する。 ”・…こうし て橋は架けられ,港は開かれ,城壁は築かれ,運河は掘られ,艦船は造ら れ,軍隊は訓練される。どこもかしこも,統治組織の心遮いによる28)」の である。 以上のようにヒュームば,政府の役割を正義の法の遂行と裁断,正義の 法を支える道徳情操の助長, そして国防を含めた公共事業にあると認識し ている。これらの諸機能は,社会の拡大・発展に伴って必然的に生じるも のであるがゆえに, ヒュームの政府は, ホッブズの主権者のような権力的 な市民社会の形成者ではなかった。 コンヴェンシッンによって成立した正 義の法を遂行・裁断し,正義の法を全社会に普及する役割をもち, しかも 個人ではなしえない公共事業を遂行する主体として,市民社会を全面的に 支える担い手だったのである。 このかぎりにおいて,社会と政府との対立 ば存在しなかった。 (2) 統治原理 ところで,市民政府の成立は,必然的に主権者と臣民との間に権威と服 従(=忠誠) との関係を生ぜしめることになる。それでば, 臣民が主権者 に服従するのはなぜか,主権者としての権威の源泉は何か, また服従の限 界はどこに求められるか, このような政治的権威の正当性の問題29)と政治 的義務の問題は,統治原理の蕪礎をなすものである。 さて, ヒュームは,人々が政府に服従する原理として, ホッブズやロッ 28) Ibid., pp.538-539邦訳(4), 132-133頁。 29) ヒュームは,統治組織力Kひとたび樹立されたのちの,統治識哉の権威の源泉 について吹の5つをあげている。Cf. Ibid., pp.553-567_邦訳(4), 155-173頁。 ①統治組織の氷L、占有(君主の相吹ぐ継承) ②現在の占有 ④継承の権利 ③征服の権利 ⑤実定法

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クの主張する社会契約説を次の点において批判する。 もちろん,すでに述 べたように社会契約思想そのものが哲学的虚構にすぎないのであるカミ。 第一に,約定(契約)こそが市民政府樹立の根源であり,服従の責務だ とする考え方に対して, ヒュームは,原契約ば委託した人為の子孫までに は及ばないとして次のようにいう。 「但しこの結論は, もしあらゆる時代 及び状況の統治組織を包括するほどに及ぼせば,完壁に錯誤である。私は 主張するが,忠誠の義務は股初こそ約定の責務に接木されて, ある時間の あいだ約定の責務によって支えられるが,迅速に自己の根を生やして,あ らゆる契約から独立な原生的責務と権威とをもつのである30)」と。 第二に,約定が全くないところでも統治は行われているという事実があ る。 「・“もし国民の最大多数に向って, 治者の権威をかりそめにも承諾し たことがあるか,あるいは,治者に服従する約定をしたことがあるか, と 訊ねる者があったとすれば, 彼ら国民の最大多数ば,かように訊ねる者を 以て甚だ奇妙な者と考える傾きがあろう。そしてこの件は承諾に依存する ものでなく, 自分たちは生まれながらにしてかような服従にある, と返答 するであろう31〕」。 ヒュームは,以上のように原契約説を批判している。彼においてば,政 府(統治組織)の目的ば, 自然法を人為が遵守するように強制するところ にあるのであって, この自然法は,人なの利己心に従って社会の必要性を 見いだしたとき案出されたものなのであった。換言すれば, 「自愛こそ正 義の規則を遵守する競初の動機32)」であったのであるから,われわれが政 府に服従するのは,政治社会から受ける利鑑にある。すなわち, 人々をし て政府に服従せしめる自然的責務(naturalobligation)は,利己心に基 づく各人の利益なのである。 「この利益は,政治的社会に於て享受される。かつ完全に自由独立であ 30) 31) 32) 邦訳(4), 邦訳(4), 邦訳(』), 7 0 5 頁 錦 。 。 訓 頁 頁 7 6 9 3 4 3 1 1 1 Ibid., p Ibid.,P Ibid., p 542 548 543

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ヒューム『人間本性論』に猫ける市民社会の形成と政府 るときは決して得ることのできない保証と保謹とに存す為のである33)」。 このように, ヒュームば,人々が政府に服従することによって得られる 利益を強調している。 したがって,服従は,利己心という人間本性に基づ くがゆえに,契約によるのでばないことを彼は,強く主張するのである。 ところで, ヒュームにおいては,服従の原理が各人の社会から得られる 利益にあるのだから, この利益のないところでは統治組織はもはや存在す ることばできない。したがって,人なの統治組織に服従する義務もなくな るのである○ 「"・市民的治政者たちが, 甚しく圧迫して, その楢威iこ全く 耐え難くさせるぼどになれば,われわれはもはやかような権威に服従する ようには縛られないのである。原因がなくなった。従って結果もなくなら なければならない34>」と。 このように, ヒュームにおいても,政治社会において享受される利益が 著しくそこなわれるときにば,服従への市民の自然的責務は消滅するので あった。 ところが, 政治的服従には, 自然的責務のほかに道徳的責務(moral obligation)がある。 ヒュームによると, この義務は,服従の義務の原因 である利益の自然的責務がなくなったあとにまで存続するという。 「人々 は自己自身の利益や公共的利益に反してまで圧制的統治組織に服従するよ う, 良心によって縛られるであろう35〕」と。なぜなら,われわれはひとた び一般規則を樹立した後は, この一般規則が樹立した理由を超えたところ まで及ぶことを承認するからである。 したがって,統治者がたとえ暴君で あっても,人々の抵抗は直ぐには生じない。 ヒュームによると,人,々の抵 抗が,統治組織の解体に及ぶようになるのは,例外が一般規則の性質をお びる場合だけである。すなわち,統治者の暴虐と残忍さと野心とが人々を 圧迫し耐えがたい状態iこ到らしめたときの難, 「…われわれは健越権力の 33) 34) 35) Ibid., pp、550-551邦訳(4), 151151頁。 Ibid., p.551邦訳( 11, 151頁。 Ibid., p、551邦訳(4), 151-152頁。 18

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ヒューム『人間本性論』における市民社会の形成と政府 甚しく凶暴な結果に反抗してよく, それによっていかなる罪ないし不正義 も犯すことはない, とわれオつれをして結論させる36〕」のである。 かくして, ヒュームに拓いても, ロックが市民政府への抵抗権を留保し たように,契約説に基づかなくともロックと同様の結論を導びくに到った のである。 「私はもっと合理的な諸原理に立脚して(契約説と−引用者)同 様な結論を樹立することができる37)」というヒュームの自身のぼどを明ら かにしたのである。このことは, ヒュームが, ロックの結論には賛同して いるものの,契約説という原理そのものにば反対していることを表明する ものであった。 4. 結びにかえて ヒューム市民社会の形成は, ホッブズやロックの社会契約思想を哲学的 虚構にすぎないものとして批判するところから出発した。彼にとってば, 人間ば,はじめから家族という社会状態にあった。市民社会ば,家族から 拡大・発展した社会として捉えられたのである。 ヒュームは,人間本性における利己的性質を強調した。この利己心は, 一方においては,社会形成の利益を感知するが,他方では,強烈であるが ゆえに, しばしば社会的接合の阻害要因にもなった。特に,社会に鈴ける 物財の稀少性は,われわれの利己的本性を刺激し,所有権を危ぐするので あった。そこで,人々は,個々の利害の調整として,暗黙のうちに正義の 法を成立させる道を求めた。この原理が,コンヴェンション(convention) である。 コンヴェンションによって,正義の法ば成立し,社会秩序が維持 され,所有権は保障された。 ヒュームは, この正義の法を支えるものとして同感をあげ,道徳的義務 として人為が法を遵守すべきことを示した。また,社会の拡大・発展に応 じて,正義の法の遂行と裁断のために市民政府を求めた。 このように, 上 36) Ibid., p.552邦訳(4), 153頁。 37) DJid., p,550邦訳(4), 150頁。 −59− 19

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ヒューム『人間本性論』における市民社会の形成と政府 ユームの論理においては,市民社会(正義の法)の成立は,個々人の利害 の調整としてのコンヴェンションによって可能となるが, それを全面的に 支持するものとして道徳的義務と市民政府が要請されるのであった。した がって,彼においてば,正義の法と正義の徳とは区別されることなく,一 体化された。むしろ,正義の法を前提にして正義の徳が形成されたのであ る。また,市民政府も現実の法の遂行者として,かつ裁断者としての役割 を担うのであるから社会との対立はなかった。 ヒュームにおいてば,現実 の法を遵守し, それに従うことこそが最善の道であった。そうすることが, 個々人の利益なのであった。 ところで,市民政府の成立は,人々との間に権威と服従(=忠誠) との 関係を生ぜしめるが, ヒュームは服従の原理として,契約説を退け,利己 心に基づく自然的責務を強調した。人為は,服従したほうが利益があるゆ えに, そうするのであった。かくして, ヒュームにおいては,一貫して, 利己的本性に埜づく市民社会論が展開されているのが理解できる。すなわ ち, 彼に詣いては,市民社会の形成も統治原理も人間本性である利己心を 基軸として説明されているのである。服従の原理には, 自然的資務のぼか に道徳的寅務が存するが, ヒュームは, ロックと同様に政府に対する抵抗 権を認めている。但し,人々の抵抗権が認められるのは,統治者の暴虐と 残忍さと野心とが,人々を圧迫し耐えがたい状態に至らしめたときの象で ある。 以上から明らかなように, ヒュームは,利己的本性から一貫して市民社 会の形成と政府の成立を説明しているが, これは,理性的論理をもって市 民社会の形成を説くホッブズやロックの17世紀の社会理論への対決と, そ れからの転換を表明するものであった。したカミって, ホッブズ, ロック, ヒューム, スミスヘと発展する市民社会形成論のなかでのヒュームの存在 は,社会理論の革新者であり,新しい社会理論の建設者であったというこ とができる。 もちろん, 18世紀の市民社会の自律性を認識したスミスまで の距離はまだあるが。

(22)

[参考文献] ①福田歓一『近代政治原理成立史序説』岩波苫店,昭和51年 ②平田清明編著『社会思想史』青林謹院新社昭和54年 ③渋谷浩編著『啓蒙政治思想の形成一近代政治思想の研究(I)』成文堂昭 和59年。 ④水田洋「『人間本性論』の市民社会像」『経済研究』第28巻第1号昭和52年。 ⑤大野精三郎『歴史家ヒュームとその社会哲学』岩波書店昭和52年。 ⑥川久保晃志「コンヴェンションと同感一近代社会秩序形成論史におけるD. ヒ ュームからA.スミスヘの展開」札幌大学『経済と経営』第6巻第1号,昭和 52年。 「『人間本性論』 iこおける二元論的市民社会認識」札幌大学『経済と経営』第8 巻第1 . 2号昭和52年。 ⑦星野彰男「ヒュームとスミスの自然法思想」関東学院大学『経済研究所年報』 第2集,昭和54年。 ⑧杖下隆英『ヒューム』勁草書房, |唱和57年。 ⑨田中敏弘『イギリス経済思想史研究一マンディヴィル・ ヒューム.スミスとイ ギリス重商主義一』御茶の水房苦昭和59年。 ⑩舟橋喜恵『ヒュームと人間の科学』勁草書房,昭和60年。 ⑪桂木隆夫「イギリス思想史とヒュームの法思想」『成撰法学』19号昭和57年。 ⑫坂橋重夫「デヴィド・ヒュームの道徳哲学と社会観(I)(1)(m)」『愛知県立 大学外国語学部紀要』第12号-14号昭和54-56年。

⑬Forbes, D.,Hume'sPhilosophicaIPolitics, CambridgeUniversityPress,

1975.

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