NII-Electronic Library Service 北陸大 学 紀 要 第
14
号 (1990
) pp.
215〜238
Sabbath
そ
の
思
想
・歴
史
・意 義
(
2
)
村
上良
美
The
Sabbath
二Its
Idea
,History
andSignificance
(
2
)
Yoshio
Murakami
Received
October
29,
1990
1
は じめに臨
。bb
。、h
。廳_
。。蛛 ど蘇 内 容,
実 際A .
1
十 戒B
.
創 造 物 語α
・
S・bb
・thの諸願
D . Sabbath
遵守の 実 際 旧約時代 中 間時代 新 約 時 代・
(以
.
E
先 号) 皿 Sabbath の歴 史 的 展 開A .
初 代教 会 時代 使 徒時代2 − 5
世
紀B .
中世、
C’
近熱
革 期。 。_ 罐,以 上
め
イギ1丿 ス の宗教改革とピュー
リ タニ ズム新 大 陸ア メ リ
ガ
D .
現代.
W』
SabbathQ 現 代 的 意 義1
*教 養 部Faculty
ofGeneral
Education215
2
村 上 良 夫 皿Sabbath
の歴 史的
展開
A
.
初 代 教 会 時代
疋使徒
時 代聖 書 (旧
約 ・新約)
に述
べ られて い るSabbath
は ,第
7
日,す
な わち,今普
通に言
う土 曜
月
で あ る。 これ は,
ヘ ブライ語の安 息日 (シ ャ バ ト, n
拶
)’
に 由 来 する語が,
今も各 国 語の “土 曜日” と な っ て いること か ら も明 らかで ある (σ
d
βIP
α τov,
s5bado,
saba 七〇,
sobota1 等々 )見) 。
とこ ろ が
,
現 在,
,
実 際に世 界 中の キ リス ト教 徒た ち が仕 事を や めて教 会に行 く日は,一
般 に 日曜日である。 聖書
のSabbath (
土 曜 安 息 日)
が, いっ,
な ぜ,
どの よ うに して 日曜
日に変
わっ たの であろ うか。新 約 聖 書にそ の い きさっ が述べ られて い る で あろ うと当 然
考
え るのだがプ実は ひ とこ と も触
れてはいない の であ る。Sabbath
が土 曜 日 か ら 日曜日に変
更さ れ た,
とい っ た よ う なこ と は,
聖書
に は一
切 記されて いない。さ ま ざ まに解 釈で きるの が聖 書の難 しさ で も面 白さで もある が,
・
Sabbath
の ことに関して は,Sabbath
の誤っ た 理解
の仕
方や守り方にっ1
いて 注 意して いる ら しい個所 (
コ ロサ イ2
:16
な ど)
はあるのだ
が,
Sabbath
が廃
止さ れ た と か 日曜日 に変更
にな っ た と かは,何
一
う 述べ ら れて い・
ない。−
i
一
戒の一
っ で あり,
ユ ダヤ教の中心的
な柱
と も見な さ れ たSabbath
の規 定が,
廃 棄・
変 更さ れ る ような こと があ れ ば,
たいへ ん な出来 事で あるから,
新 約 聖 書に詳 細に説 明されて い る はずなのに, そ うした こと は全 く触 れられて いないのであ る。一
方,
日曜日 は どうなの か。 日曜B
を特
別 な日 とする とい うよう
なこ と が,
新 約聖書に書い てあるの か。 これに は実
は,
二っ の見方
が あ る。一
切書
い て ない と す る見方
と,
すで に新約
聖 書に,
日曜日 が特 別な 日で ある と定め られて い るとする見 方と。
正 反 対の見 方が な ぜ生 じるの か。結
局は聖書
の解釈
か ら く る わ け である。
聖
書
の ど ん な箇 所の解
釈が問題 と な るのか。 最も頻 繁に引 用さ れ る 三っ の聖句
を取 り上げて,
双
方の見 方 を 紹介
してみよう2) 。a
.
コ リン ト第一
・16
;・
1
,
2
:
「聖 徒た ちへ の献 金にっ い て は,……一
週の初めの 日ご とに,
あ なた が た は それ
ぞれ,
いく らでも
収 入に応じて 手 もと にた くわえ
て おき……
」。「一 週の
初
めの 日 ごとに 」とあるの は,
日曜
日が すで に聖日 と されて いた こ と を 示 唆 するも の で あ る,
と見る立場が一
方にあり,他方
で は,
こ こは教
会に集ま るこ と な ど何
も言
っ・
て はい なV ,
,
週の初め ご とに,
それぞれ,収 入に応
じて,
手 もとにた くわえておく
ようにと,
つ ま り,
定期
的に,個人的
に,収入
に応じて手
元に取
り分
けて お くよ う に と,計画
的な献 金の仕 方 につ い て実 際 的な助 言を与えて い る にすぎ ない,
と解 する立 場 もある3) 。b.
使 徒 行 伝20
:7
』12,
「週の初めの 日 に , わ た した ちが パ ン をさ く た めに集まっ た時,
パ ウロ は翌日出
発 するこ とに して いたので,
し き りに人々と語り合
い,
夜 中 まで語 りつ づ け た 」NII-Electronic Library Service
Sabbath 一
そ の思 想・
歴 史・
意 義 (2>3
(7
節)
。これ こそ
,
日曜 日が聖日 と され 集 会が持
た れて いたこと を示 す 最 初の明 白な証 拠, とす る注解者
は枚挙
にい と ま がな い % 「週 の初めの 日」は 日曜日で は ない か,
「パ ンを さくた めに集まっ た 」とは, 聖餐 式を行うために集まっ た, っ ま り教 会で の礼 拝を指
して い るで はな いか,
とい うの で ある。他方
で は次
のように反 問さ れ る。 これ は明 らか に夜の集
会だ が,
土 曜の夜
だっ たのか 日曜の 夜だ っ ためか,
そ れ さ え明 確で は ない で 縁 ない か。
「パ ンをさ く」 と は,本
来,
食 事 を始
め る と いう=一
一
・
般的
な意味
を持
っ て いる。 こ の場面
は聖餐式
とい うよ り,
パ ウ1コを送
る た めの 送 別 会 を兼
ね た会
食と みる ほうが適 当では ないか。 の ちに,
ロー
マ で,
主だ っ たユ ダヤ人た ちに対 して,
「兄 弟たちよ, わた し は, わ が国 民に対 して も, あるい は先 祖 伝 来の 慣 例に対して も, 何一
つ そ む く行
為が なかっ たの に…
」(
行伝28
:17)
と断言
し1
てい るパ ウロ が,土
曜 日に代えて 日曜
日 を聖日 と していた とは到 底 考え ら れ ない,
と見るの で ある。ヒ
c
.
ヨハ ネの黙 示 録1
:10
.
「わ た し は,
主の 日に御
霊に感 じ たq そ して,
わ た』
しの うし ろの 方で,
ラッ パ の ような大 きな声がする のを聞いた」。こ の 「主の 日」
(
網 ρしα κカカ
μとρα〉
とい う言い方こそ, 日曜日を指
す 新 しい呼 称の, その 最 初の例に ほ かな ら ない, これは, 黙 示 録が書か れた1
世 紀末
に は, すで に 日曜
日が
礼拝
の 日 として 知 られて い た こ とを示して い る,
と結 論づ け る論者
が多
い。し か し他
方,
この 「主の 日」とい う ギ リシ ア語は,
聖書の 中で こ こ にしか出
て こない 語で あ り、
主要
な解
釈と して も、終末
的な主
のH
, 土
曜
安 息日,復 活 祭
、
日egH
, とい う4
っ も め見
方が挙 げら れてき た。 そ して,
確か に2
世紀
も終
わ りに近 くな る と,
「主 の 日」は 日曜 日を指
す 呼び名としてはっ きり登場
して くる ようにな るのだ が5), しか し黙
示 録が書かれた1
世 紀 末にすでに 日曜日を “ 主の日” と呼ぶ こと が始ま っ てい たの かξ
う か, 黙 示 録の 記 者 ヨ・丶 ネは,1
の言
い方
で もっ て 日曜
日 を指し た の か ど うか,
こ れだけで は決定
しえ な い。同時
代の他
の 用例
が見あ た らず, 加え て,黙
示録
よりあ とに書か れたと見られて い る 「ヨ ハ ネ に よ る福
音 書 」に も, そう した言い方は全 然 出て こない。 従っ て,
後 代の 表 現 を100
年 近 く も さかの ぼ らせ て,
こ の 「主の 日」は 日曜
日だと断定
すること は無
理 なの で は ないか,
とす
る見方
も あ る の で あ る。以 上 見て き たよ うに
,
新 約聖書
には,鉱
bbath
が第
七
日 (土 曜日)か ら第一
巳(
日曜日)に変
わ っ た とい う明 白な記 述はJ一
翅
ない とい うのが 正確な とこ ろ で ある。 それで は, 変 化 は, い つ ごろ,
な ぜ起 きたのか。 それ
を次にた どっ て みたい。丶
2
−
5
世
紀¢a
.
安 息 日 から日
曜日ヘー Bacchiocchi
の見 解Sabba
七h
とSunday
とい う問 題に関して は,今
のどこ ろ,
S
.
.
Bacchiocchi
の 『安 息日 か ら 日曜日へ
一
初 期キ リス ト教に お け る ,・
日曜日遵 守の起 源の歴 史 的研究
』(
1977
)T)が , 最 も新
し く,
か っ 最 も包 括 的とされ る。Bacchiocchi
の論旨
はこうで ある一
一
般
に 日曜日はすで に キ リス トの時 代に, もしく は使
217 N工 工一
Eleotronio Library4
村 上.
良 夫 徒た ちの時 代に始
まっ たと考え られて い る よ うだ が, 聖 書に はそ うし た記 事 は見 いだせ ない。
そ れ どころ か,
エ ル サ レ ム の教会
に は 「律
法に熱 心な」ユ ダヤ人 改 宗 者 (行 伝21
:20
)
が多 数 存 在し,
「祭 司 だちも多 数 」 (同6
:7
)
加わっ て いたの だ か ら , そのエ ル サ レ、
ム の教
会で安 息 日 を変 更 するとい う大変
革が行 わ れ たと は到 底 考え られ ない 。 それは むしろ, 大 部 分 異 邦 人キ リス ト者
か ら成るロー
マ の教
会で起
き たの ではな いか。 ロー
マ は,
ユ ダヤ人に対
する反感 ・
警戒
心が強
く, 卩一
マ の キ リス ド教
徒はユ ダヤ人
との分
離
を明 確にする必 要に迫ら れて いた 。 こ の根 強い 反ユ ダヤ 主 義 を 底 流と して,
いち ばん 目立っ しるしで ある土 曜 安 息 日 を変 更 する こ と を意 図す
る よ う に な る。 そ し て,
ロー
マ で も盛ん だっ た太陽礼拝
の祭
日 である 日曜
日を,
土曜
日 に代わ る安 息 日として採 用 し たの で は ないか。 そ して,
ロー
マ教
会の持
っ優位
性・
影 響 力に よっ て,
各 地の教 会に 日曜日 を普 及さ せてい っ たの で は ない か一
こ うしてBacchiocchi
は ,2
世 紀のロー
マ におい て,反
ユ ダヤ主義
と太 陽 礼 拝を背
景として,
日曜日.
遵 守が生 じ た とするの で ある。
原
史料
を広範
に渉 猟し た精緻
な論考
であ る が,
こ の見 解に対
して も,
種々の批判
が あ る8) 。 特に,
たとえば,
日曜日 が そ れ ほ ど太 陽 礼 拝の祭日 として一
般 的で あっ た と したら
幽
, 逆に,
そ う し た異教
の 習慣
を,
2
世紀
ρキ リス ト教徒
た ち は,
は た して何
の抵抗
も な く受
け入れ たであ ろ うか6
激しい反発
を引き起 こし たと見る ほうが,
む しろ自
然で はな い で あろ う・
か。 ま た,
2
世
紀に おい て は,
ロー
マ 教会
の優位性
な ど確 立さ れては お ら ず,.
十分
な 影響
力 を行
使 するこ と.
な どで きなか っ たの で はない か。 さ ら に,
大事
なこ と は,
日曜 日は,
土曜日 に代
わ る もの と し て作 られ た とい うよ り,土
曜安
息日と
平
行
して,
も う一
つ 別の,特
別な日と して 生ま れて き た と 見 る ほ う が 正 しい の で は な』
いか。 す な わ ち,
日曜日 は, キ リ・
ズ ト教徒
の安
息 日 とい う より,
キ リス ト教 徒の礼 拝日と見な された の では ないか。 実際
日曜日 は最 初, 礼 拝の 日で あっ た。 日曜日が休
みの日 と見
な さ れ た という2
世
紀の記録
はない 9) 。tt
後
に触
れ る が, コ ン ス タソ テ ィ ヌ ス帝(
4
世 紀 ) 以 降になっ ては じめ て,休
みの 日と な り , 安 息 日的な色
彩を帯
び る ように なっ て い く10) oこ の よ うに
,Bacchi
。cchi の 見 解は,
い くっ かの点で さ らに検 討を要 すると思 われるが,.
し か し, 日曜日の起源 はイエ ス や使 徒たちには ない と思わ れ るこ と, ユ ダヤ教・
異 教・
キ リス.
ト教 の 政治
的社会的宗教的
せ め ぎ合
い の中で,
反ユ ダヤの意識
と か ら ま りあいつ つ,
異 邦 人 改 宗者
の多か っ たロ.
一
マ 教 会で, 日曜 日が特
別な日と さ れて い っ たと見
られ るζ
と,等
を明ら か にし た点で ,大 き な意義
を持
つ と言
えよ う。さ らにもう
一
っ 。一
般に言 われてい る よ う な,
キ リス トの 復 活を記 念して日曜日に礼拝
を持
っ よ うになっ た という説 明が正 しくない こと を ,Baqchiocchi
は史料
に沿
っ て明ら か に して い る11)。
最 初期
の史料 (
ア レ ク サ ン ドリア の バ ル ナバ,
ロー
マ の殉 教 者ユ ス テ ィ ノ ス)は,
復 活 を 日曜日遵 守の第一
の理 由と は せず,
む し ろ創
造の “第
一
日”,
ま た “第
八 日” とい う点
に重 きを 置 く。光
が創
造
さ れ た第
一
日(
日曜日)は,
第一
の創
造の,
また キ リ貞
ト の復 活によ る第 二 の創 造の記 念日であり, 第一
の創 造の完 成を記 念 する にすぎ ない第 七日・(
土 曜日)
に ま さっ て い る。 ま た,
、
創造
週’
の7
日間はこ の世界
を 象 徴し,次
の 日すな わ ち第
八日 と言える日曜日は, 新しい永 遠の世 界の始ま りを 意 味 すると考えるの で ある。 日曜日 を“
第 八日”
とするこ の象 徴 的終末
的な意味
づけ は,
“
8
”
と いう数
字
に特別
な意味合
いを 見 い だ そ う とする解 釈 (8
日目
の割礼
, ノア の洪水
の時に救
い にあずか っ た8
名,等
々)
と相
まっ て ,広
く1
用
い られた。・
し・
かNII-Electronic Library Service
Sabbath 一
その思 想・
歴史・
意義 (2
)5
し,’
時代
を経
るにっ れて “復活
” を 日曜
日遵守
の第
一
の理由
とする傾向
が強
く な り, ア ウグス テ ィ ヌス (354
−
430
)は はっ き り , 「主の 日 は,
ユ ダヤ人に では な く , 主の 復 活の ゆえ に, キ リ.
ス ト者に告 げら れて い る。 そ して この」
〔復
活とい う〕出来事
に,
そ の祝い の起 源を持っ の で あ る」12),
「主の 日 は,
復活
信 仰の ゆ えに,安
息日 に優先
す る もの と な っ た」13),
と述べ る に至 るめ である。 こ のように, まず日曜日が あっ て それ を さ ま ざ まに理 由づけ正 当 化 する中で,
“ 復活
” とい う’
こと が主な根 拠と されるように なっ て い く経 緯 を,Bacchiocchi
は丹 念に跡づ けて い る の で ある。b
,
安 息日 と臼
曜B
の 並 存さて ,
Bacchiocchi
の見 解を参 考に しつ つ,
それで は実 際にど う考え た ら よい の であろ う か。Sabbath
とSunday
とい う問
題は,2 世
紀 以 降,
具 体 的に どの よ うな展 開をたど っ た と見るべ き で あろうか。 現 在の 段 階で は,K .
A .
Strand
の見 方 ld) が,
最 も妥 当で 納 得の い くもの で あるよう.
に思 わ れるので,
主 と して それに依 拠・
しっ づ,2
世 紀 か ら5
世紀
に至 る全 体 的な流 れ をた どっ てみ たい。まずはっ きりしてい る ことは , キ リス ト
教徒
た ちが
臼
曜日 ご とに礼 拝を持っ てい るとい う最.
も早い記 録 は,
ア レ クサ ン・
ドリア とv一
マ に見 い だす こ とがで きる とい う.
点
で ある。130年頃,
ア レク サ ン ド リ「
アの バ ル ナバ は,
きわ めて比 喩的
な論
述の中
で こ う述べ る一 従来 .
の安息 日 は もはや神に受 け 入れ ら れ る もの で は な く,
・
神は 「第 八’
日 を姶ま り,
すなわち新 しい 世 界の始ま りとされた。 それゆ えにわれわれ
は,
第八 日 〔日曜日〕を喜び を もっ て守る の で あ る。 こ の 日 は ま たJ イエ ス が死 人の中か らよみがえら
れ な日で もある」 15) 。さ らに
150
年頃,
ロー
マ の 土ス テ ィ ノ ス (いわ ゆ る殉 教者
ユ ス テ ィ ノ ス )は, 『第一
弁
証論
』 の中で , 日曜
日の礼拝
にっ い て詳
し く述べ て い る一
「太
陽の 日 と呼
ば、
れ るEi
には,
町や 田舎
に住
む すべ て の入々が1
ヵ所に集
まり,使徒
たちの 回顧録
や預
言者
た ちの書
き物
が,時
間の 許 す 限 り朗 読される。 そして , 朗 読 者がや めると司 会 者が口頭で教え, これ らの善 きこ とにな ら う よ う に と勧
め る。 そ れ か らわれ わ れ は一
斉
に立 ち 上が っ て祈
りをさ さげ,
……
祈
りが終
わ る とパ ン と ブ ドウ酒と水が持っ て こ ら れ,
司会者
が同じ ように力を込めて祈
りと感
謝を さ さげる。 人々はアー
メ ン と唱
えて同意 を表 す。……
日曜日は
わ れ わ れ が皆
,一
般の集会
を持つ 日 で あ・
る が,
これ は その 日が第一
日で あっ て,神
が こ の 日に,
闇と物 質を変
えて世
界を造 ら れ た か らで ある。 ま た わ れ らの救い主 イエ ス・
キ リス トは,
こ の 同じ日 に死人
の中
か らよ みが え ら れ た か らである。 土 星の 日 〔土 曜日〕の前H
に, 人々 は イエ スを
十字
架にっ け たが, 土 星の 日の翌白
, 日曜日 に,
イエ ス は使徒
た ち と弟
子たちに現れ た も う だ・
…・
」16)。ロ
ー
セとア レクサ ン ド リア ではこ の ように,
日曜 日を礼 拝の 日 と して守
る ようになっ て い た ことが明白
に う か が え る。 そ して伺 時に,
従 来の安 息、
日を,
ユ ダ ヤ人の もの どして排除
して い こうとする傾 向 も うか が えるの で あ.
るIT) 。ところで
,
ここ で大切
なこ と は,
ロー
マ とア レ ク サ ン ド リ ァではこう.
して土 曜 安 息 日の影
が 薄 くなつて 日曜目 が前 面に出て くるの に対
し,
キ リス ト教 世 界の他の ほ とん どの 地域
で は,
日 曜 遵 守は土 曜 遵 守 と並ん で, っ まり二 っ が並存
す る形で現れて くるとい うこ とで あ る。5 世
紀 1」
の教 会 史 家ふ た りの 証 言を聞こう一
「世 界
中
のほ と ん どすべ ての教 会は
, 聖な る秘 儀 〔聖 餐 式 〕 を毎 週の安 息 日 〔土 曜日〕に執219
N工 工一
Eleotronio 亡ibrary6
村 上 良 夫 り行
うが,
し か しア レク サ ン ド リアとロー
マ の キ リス ト教徒
は,
何か古
い伝承
の ゆ え に,
こ れ を や めて しまっ てい る」va)(ソー
ク ラテー
ス・
ス コ ラス テ ィ コ ス。C .
380 − C ,
450
)q「コ ン ス タンテ ィ ノ
ー
プル の 人々は, そ してほとん どど
こで も そ う なの で あ るが, 週 の第
一
日 と同様,
安 息 日に も共に集
ま る。 しか しこ の 習慣
は, ロー
マ やア レ クサ ン ドリア では守
られ て い ない」ig)(
ソー
ゾメ ノ ス。450
年 頃 没)
。こ のように,
5
世 紀に至 1 て も,
.
ほとん どすべ て のキ リス ト教 世 界は土 曜 日 と 日曜日の 両 方 を守っ て い た と推
測で き るの で南
る。
つ ま り,
日曜
日 は 土曜日に とっ て代わ る もの と は な り え て いない。 もう少し見てみよ う。4
世 紀 後 半にジおそ らくシ リァ あ たりでま と め られた と思 わ れる教 会 法の集 成 『使徒教
憲 』は,
日曜
と土曜
に関 するい くつ かの規定
を記 して い る。 た と え ば一
「
安
息 日を 守 り,』
主の 日を 祝いな さい。 前 者は創 造の記 念で あ り, 後 者 は 復 活の 記 念なのだ か ら」z°) 。、
.
.
「
奴隷
た ち を して5H
の問 働か せ な さい。 しか し安
息日 と主の 日に は,彼
ら が教
会
に行っ て 信 心の教えを受けるこ と がで きるよ う,休
みを 与えなさい。
前に言
っ た と お り,
安 息 日 は創
造 の ゆ えであ り,
主の 日 は復 活の ゆ えであ る」21) 。・
4
世 紀 末,
カバ ドキァ の三 教 父のひとり,
ニ ュ ッサ の グレご
リ オス 〔394
年 没 〕は, 安 息 日と 日曜日を “姉妹
” と呼
び,同
じ頃
, ア マ シ ア の ア ス テ リ オス〔
4
ユ0
年頃
没〕
は, 「安 息日 と主の 日」 とい う 「これ ら二っ の 日 が組
に な っ て共
に や っ て くるの は」,
キ リス ト教徒 に
とっ てすば ら しい こ とである と 述べ てい る22) 。こ こ で少 しまと め て み る。 ロ
ー
マ やア レ ク サ ン ドリア以外
の,
ほとん どの キ リス ト教 世 界で は,4
,
5
世紀
に 至 る まで,
土曜安
息日 と 日曜
日 と が,共
に守
ら れて いた と見
ら れ る。 ロー
マ や ア レ ク サン ドリア で は な ぜ土
曜 日が消
えてい.
っ たのか。 おそ ら く,
Bacchiocchi
が指摘
し た よ うな,
7 般 的な反ユ ダヤ意 識 , ま たそ れゆ え1
どユ ダヤ人との分
離
の必 要が, これ らの大 都 市に は存
在し たか らで あ ろ う。 しか し他
の地域
で は,両方
の 日 が守
ら れ, た だ しそ れが しだい.
に 日 曜 日に一
本化
して い くよ うに な る。 な ぜ か ? 日曜
日が 安息 日ど しての性格
を帯び るようになっ て い くか らであ る。 そ ζ を次
に見てみ よ う。 c。
日曜日の 安 息日化へBacchiocchi
が ロー
マ にっ いて解明
したよう な 日曜
日遵守
の起 源
は,他
の地域
にはあて は ま ら ない の で はないかとStrand
は見る。 何世紀
に も わ だっ て, 両 方の 日 は並存 してお り, 何 より も, 副 雇日が,仕事
をや め る安
息日 と して で は な く,礼拝
の 日として 生 ま れて きた こ と は確か だ と考零
られる か らであ る。 そ してStrand
自身は,
日曜日の礼拝
は復活節
を祝
うこ と か ら始
まっ たの で は ない か,
と推測
する。一
キ リス トは死 者た ちの復 活の 「初 穂 」 (コ リン ト第 =・
15
:20
)と
言 われて い るが,
旧約 時 代におい て初 穂にさ さげる の は 「安 息 日の’
翌日」 (レ ビ記23
;11
)であっ た。 こ の 「安
息 日」 を,
小ア ジア の・
信徒
たちは,
過越節
すなわ ちニ サ’
ン の月
の14
日 と とっ た が,
他の ほと ん どの地 方の信徒
は,文字
通 りの土
曜 安 息日 と とり,
そ翌日すな わ ち , ニ サ ンの月の
14
日以後
の日曜日に, 主の復
活を祝 うようになっ た。 こ う して毎年
,復活
の 日曜
日を祝 う
よ うにな り, それ が し だい に 週ご との 目曜
日に拡大
されて い っ たの で はないか6 だ かNII-Electronic Library Service
Sabbath
一
そ の思 想・
歴 史・
意義 〔2
)7
らこそ 日曜日には,復活
を祝
い記 念 する とい う色彩
が濃厚
だっ たの で は ない か。−
Strand
は一
つ の仮 説と して こう し た見 方を提 示す る23) 。 さ』
らにJ
.
vanGoudoever
は,
復 活 節か らペ ン テ コ ス テま での7
週間にわ たっ て,
日曜日 は特
別な 意味を持ち,そ れ が し だい に1
年 全 体に拡 大さ れた のか も しれないと示 唆して い る2%い
ず
れにせ よ日曜日は,礼拝
の 日 と して始
まり,休
みの目で ある安
息日 と並存
して い た と見
られる6
しか し,
その 日曜
日が,休
みとして の性 格 を 持っ よ うにな
っ てい く。
その突 破口と なっ たの が,
コ ン ス タンテ ィ ヌ ス大帝
の法令
で ある
。 迫害
を終
わ ら せ キ リス ト教
を公 認 した コ ン ス タンテ ィ ヌ ス は,
キ リス ト教に,
ロー
マ帝
国に お け る新
しい地位
を与え ただけで なく,
日曜
日 に,
市 民の休
日 とい う 地位を与
え た と言
うこ と がで き る。321
年3
月7
日の,
有名
な 日曜 休 業 令は こ う告 げる一
「尊ぶ べ き太 陽の 日に は,
都 市に住
む 行 政 官と入 民は休
むべ きで あ り ,、
すべ ての作業場
は閉じ ら れるべ きであ る。 し か し な が ら,
田、
舎におい て は,農
業に従
事 する者た ちは 自 由 かっ 合 法 的に,仕事
を続
けて よ ろ しい。 な ぜな ら,種
ま き やブ ドウの植
え付
け に最 も適し た 日が 日曜
日に あたるとい うこ と が, しば しば起こ る か らであり,
そ う し た仕事
に ふ さ わ しい機
会 を おろ そ かにする こ とによっ て天の恵み を失
っ て は な ら ない か らで ある」am。 これ が,
日曜日遵 守 を規 定 する最 初の布 告と な っ た。 これが必 ず し もキ リス ト教 的方 向づ け を持っ もの で ない こ とは, 「尊ぶべ き太 陽の 日」とい う言い方か らも, ま た, 十 戒ではすべ ての わざ をやめるよう告
げ ら れて い る (出エ ジプ ト記20
:8
− 11
)に もか かわ ら ず,農
業に か か わ る仕 事を除 外 して い る ことか ら も明 らかで あろ う。 コ ン ス タン テ ィ ヌ ス の念 頭にあっ たものが,
ユ ダヤ の安 息日 で はな くて,
、
ロー
マ の異 教の祝 祭日で あっ たこ と は間
違い な い。
そして,彼
が,
日曜
日 に は休
む よ う命
じたの は,
この 日に礼拝
を持
っ てい た キ リス ト教徒
た ちの便宜
を図る と い う意 味も あっ たで あろ うが, 太 陽礼
拝とい う点か ら きて い る ことも確かであるza)。 っ まり, こ こで確 認してお き た1,N
こ と は,
Rordorf
が指 摘 する と お り,
「当初,
国家
に よ る 日曜立法
は,
キ リス ト教 的 背 景を第一
とするもので はな かっ た。 それはむ しろ , 政 治 的 社 会 的理 由によ るも の であっ た」 と い うこ とで ある2D。 異 教 徒たちはも ちろ ん の こ と, キ リス ト教 徒に とっ て も特
別な 日と なっ て い た 日曜
日を,国
家 的休
日とす
ると とに よっ て ,帝国内
の時
の サ イ クルζ
営
み を コ ン トロー
ル し ようと し た とい うのが
,
正確
な とこ ろ で はあ るまいかza) 。決
定 的な史 料が ない以 上,
コ ン ス ダンティ ヌス.
自身の意図
を明
らかにするこ とはで き ない。 し か し,彼
の動機
が何であれ,
確実
に言え ること は,
こ の321
年の法 令が,
.
日曜 白の歴 史におい てま さ しく画期
的なもの となっ た とい うこ とで ある g.
夛
な わち,』
こ の法 令は, 日曜 を休
み とす る ζと に関
して, こ れ 以後続
々 と出
て くる,
公権
力に よる法律
の 制 定と,教会会議
の布告
とい う,一
連の, 二重の動きの,
その原 型 と な っ たの で あっ た29)。
386
年
に は,
皇帝
テオ ドシ ウスー
世
と ウァ レ ン ティー
ニ アー
ヌス ニ世
が,
日曜
日の制
限 規定
を拡 大して,
こ の 日に は訴 訟をやめる こ と を命 じ,
ま た,
公 的であろ う.
と私 的で あろうと, 負 債の支 払いを 禁 止 する3°) 。425
年,
テオ ドシ ウスニ世は, 日曜日 には劇 場,
サー
カス等の娯 楽を禁 止 し,
神 礼 拝に専 念 す るよう命 じる31) Q 221 N工 工一
Eleotronio Library8
村 上 良 夫さて
,
こ う した,
日曜日を休
日とす る 立法
措
置に対して,
キ リス ト教 会 側 は どう 反応
し たで あろ うか。 日曜
日の礼 拝
と いう点で は, 確か に日曜休学
令は歓迎すべ きもの で あ っ た ろ うが, しか し不 都 合な面 もあっ た。 これまで は, 礼 拝 出庸 を 除いて は,
日曜
日 は仕 事の 日で あ っ た か らである。 そ れ が休
み・
の 日 と な ると,土曜 ・
日曜
と,続
けて2
日間仕事
ができなくな っ て しま うことになる。 とすれ ば,
む し ろ 日曜日こ そ真の安 息日 とする ほ う がよ い の で はな いか,
とい う傾
向が出て くる。実際
4
世
紀 後半
, シ リア の 聖書解
釈 学者
エ フ ラ エ ム 〔373
年
没〕
は,
「す べ て の 日の 長 子たる主の 日」こそ あ が め られ るべ きである , こ の 日 は 「安 息 日 か ら長 子 の権利
を取り上 げ た 」 ので ある と説 く。 そ し て J 日曜の休 業は奴隷
た ち や動物
た ちに も適 用され る,
と述べ るの である が,
こ こには明 らかに,十
戒の安
息日を日曜日にあて はめ よ.
うとする意
図が見
ら れ る3%日曜日を 休みの日 とすることに
関
・
して取
り扱っ た最初
の教
会会議
は,
364
年頃
の ラオ デ キ ヤ 会議
と さ れて い る。 そこ で は,
第16
条で 「土 曜日には,
福音書
や聖書
の他の箇所
が朗
読される べ きで あ る 。……
」と して,安
息日に敬
意を表
しっ つ も, 第29
条で こう明 記 する一
「キ リス ト教
徒は,
土 曜日に はユ ダヤ教 式に怠 惰であっ て は な らず,
働 くべ きで ある。 しかし主の 日 は,
特にあが め るべ.
きであっ て,
キ リス ト教 徒で ある以 上, 可能
な ら ば,働
くべ、
きで な いQ も しユ ダヤ 教 的に して いる な ら ば,
キ iJ ス トか ら捨
て ら れ るで あろ う」33)。 こ こ で 注 目すべ き は,
本 来 安 息の 日であっ た土 曜日が、
逆に仕
事日 と されてい るこ とである。休
みの安
息日(
土曜日)
と,礼拝
の 日曜
日 とい う,
二 っ の特 別な 日 が あっ た が,
国 家と教 会の両 方か ら日曜日 が休 みの 日と制定
さ れて安息 日 の ような正 確を帯び る ようになり,
他 方では土 曜日 が安 息日で な くな っ て い く。 こう した太
ぎな流
れ を われ われはっ かむこ とがで き るの であ る。 も う一
っ 付け加え て お か ね ばな らない こ とは,
ロー
マ の 教 会が早 くか ら安 息日を断 食の 日 と し,
それ を他
の地域
の教会
に も広めよ う と し た とい うこ とであるM) 。Bacchiocchi
の 指摘
す ると お り,
「安息 日には断 食せ よ とい う命 令は,
この 日 }こは聖 餐式
を執 り行っ て はな らず 教 会の集 会を聞いて も な ら ないとい う命 令と共
に,
ロー
マ の教 会が とっ た 断 固 たる手 段 を示 す もの で あ る。 それは一
方で は,
キ、
リス ト教
徒 を 安 息日を敬
うこと か ら引
き離
すた め で あ り,他 方
で は,
日曜礼拝
のみ を高
めるた めであ っ た」35)。ま と め てお こ う。
2
世 紀か6
,
5
世紀
に至 る時
代,
キ リス ト教 世 界全体 と して は,
休み の 安 息 日 と礼拝
の 日曜日 と が並存
し,
しかし徐
々 に,
日曜
日が礼拝
と同時
に休
みの 日 と も なっ てい く。 ロー
マ(
とア レクサ ン ド リア)
で は早
くか ら,
土曜安
息日の遵
守を や めて 臼曜日 を キ リス ト教
徒
の安息 日 に し ようとする動き が目立ち,
国 家の出 す日曜 休 業 令とも相まっ て,
他の地 域に も 影 響を及ぼ して い く。 これ がこ の時 期にお けるSabbath
とSunday
の状
況である。B , 中世
as)西
欧中世
に お け る安息 日(
土曜日)
1
と主の 日(
日曜 日)は,
概 略 次の ような展 開を た ど る一
初 期には両 者が区 別され 並 立 して いたの が, 時と共に 日曜
日の安 息日化 が着
実に進んで い く。 すなわ ち,
日曜 日は十 戒の第 四条
に則っ て遵守
さ れ るべ きキ リス ト教の安 息日 と なっ て い き,
12
世 紀 頃に は, こ の日曜日の安 息日化が一
般 的に定 着 したよう に見 受 けられる。続
いて13
世紀
NII-Electronic Library Service
Sabbath 一
その思 想・
歴史・
意義9
に は1 そ の神 学 的理 由づけが な さ れて い く。一
こ れが大 ざっ ぱな流 れで ある。a
.
主の 日 (自
曜日)、
の安 息 日化の進 行先にも
触
れ た よ うに,初代教会
に おい て は,
主の 日(
日曜日)は,
労働
を休
む 日で は な かっ た。 た だ 日曜日に は,
主の復
活を記念 し祝
う礼拝
を持っ た とい う だ けで,
そ
れ も初め は早 朝に , そ して4
世 紀 頃にな っ て よ うや く,
もっ と遅い 時 間に, 午 前 中に行 わ れるよ うにな る。 日曜日 は, こ の礼 拝の あい だだ け仕
事が中 断したとい う, た だ それだ けの こ とで・
あ っ た 3Q 。 ヒエ ロ ニ ム ス 〔347
− 419
〕は,
ベ ッ レヘ ム の 修 道 女たちは教 会か ら帰
っ て か ら ま た針 仕 事に と りか かる , と伝
えて いる鋤 。 ある い は有 名な 『・
x ” ネデ ィク ト会 則 』 (540
年 頃) も, そ の第48
条で , 「日曜日 には, 種々 の務めを割
り当て られた者 を 除い て,
全員
が読書
に時
を費
やすべ きで あ る。 し か.
し な が ら,
だ れで も,
余 り怠 慢で あっ.
た り,
怠惰
で あっ た りするた めに,読
書
を す る意 志ま たは 能 力に欠 けて い るような兄 弟 が あ れ ば, 彼に できる範 囲 内の仕 事 を 与えて, 彼がむだ に時間
を,
過
ごすこ とが な い よ うに せ よ」39と明 記して い る。 なお,
言 うまで も な くジ 「読書
」は ひ まっ ぶ しで はな くして, 手 仕 事に もま さ る積極的
な活 動で あっ た。 っ ま り1 こうし た規
定か ら も, た び重な る 日曜 休 業 令にもか かわ らず,
日曜日 は,
礼 拝 出 席 以外
は ほ ぼ普 通に過ごす日で あっ た ら しいこ と が想 像で きるの で あ る。
しか し
,
礼 拝 出席を奨 励す るた めに,
教会 は,
ある種の 労 働を明 確に と がめる よ うに な る。538
年の オル レア ン教 会 会 議で は, 主の 日に は,
す きで耕 した り, ブ ド ウを剪 定した り, 垣根
を 造っ た り , 柱を立てた りすると
とは, しない よ うに命 じ ら れ る。 そ れ は 「教会
に 出席
して祈祷
に加 わる時間
を持
ち やす くす る ため」であっ だの。6
世紀
に登場
し た 『天か らの手紙
』なるものが, 主の日に は完
全に仕 事か ら離 れる こ とを説
い て,
当 時の人々に 多 大な影 響を与え る。 この 書は最 初ス ペ イ ンあだ りに 現れた と思われるが,
た
ちまち 西 方で も東
方で も大きな反 響 を 呼 び起こし た。一
言
で言
えば,
主の 日を 安 息日化
す る の に大い に貢献
す るのであ る。・
「主の 日には家 畜の乳を し ぼるな。 それより
、
貧 し き者の世 話 をせ よ。 こ の 日には, 牛 を 働 か せ て はな ら ない し,髪
を洗っ た り, 切っ た りして もな ら な い。……
主の 日 を守 こ と に忠 実で あ れ。 主の 日には庭の野菜
を採
っ て もな らない……
」 4%
こ の書
は,
主の 日 は宗 教 的 目的の た め に聖別 さ れて い ると説 く,
。 教 会に行き,
病人
を訪
問し,悩
む者を慰め た り すべ きだと す る。 そ して,
こ の 日 を守 らぬ者には災い を宣 告 する の で ある42) 。日
曜
日 が,十戒
の第
四条
に則
っ て守
べ きキ リス ト教徒
の安
息日 と なっ て い くこの傾向
は,
585
年の第ニマ コ ン教 会 会 議で顕 著にな る 。 そこで は,
旧 約 聖 書を根 拠と して,
主の 日に は完 全に 仕 事を や める よう強 く訴 え たの で あるt3) 。589
年のナル ボン ヌ教会会議
で は, これが さ らに徹
底 する。 「すべ て の者
は一
子ど もで あ ろ う と奴 隷で あ ろ う と, ゴー
ト人や ロ・:rマ 人,
シ リア人やギ・
リシ ア人やユ ダヤ人で あろ う と一
主の 日に は すべ ℃の仕 事を や め な くては な ら な い 」。 そ して,
も し違 反を見っ け ら れ た場 合,
自 由 人は6
ソリ,
ドゥス の罰金,
奴隷
は百 叩きの罰を受け る と さ れ∫か くて 日曜 日破
りは罰せ ら れるべ き違 反行
為と なっ だ%
教会
側の こ うし た日曜日遵 守の 働き か けに対
レ
て,
国 家 側か らの 支 持が伴
う。 マ コ ン会 議の時
はGunthram
王
の勅令
が,
ナル ボ ンヌ会 議の時はChildebert
二世
の法令
が,直
ちに出
て,
教
223 N工 工一
Eleotronio Library10
村 上 良 夫会側
をバ ッ クアッ プ する45)。 大陸だ
けで な く,
イ ギ リス において も,
教 会 と国 家,教
権 と俗 権 1 は手を携えて 日曜日遵 守を推し進めて い くの である46) 。教 会 側
,
国 家 側の布 告や法 令と共に,
日曜 遵 守に関
して民衆
に大き な影 響 を 与え たの は “奇
跡 物 語”右
あっ た。 日曜日を守
ら ない と ど んな目
に会
う か,
どうい う不 思議
な罰
が下
さ れ る か が盛ん に宣伝さ れ,
流 布さ れ た’
。 た と え ば,
こ うし た話を伝えて い る ト ウー
ル の グ レ ゴ リウス〔
538
−
594
〕
によ れば, リム’
ザ ン で は日曜日に畑で働い て い た大勢
の人々が火で焼 き尽 くされ た, ある男がEi
曜日に鋤
で堀 り起こそ う と し た ら鋤の柄
に手が くっ っ い て と れな く 、 な っ た,粉
を 碾いた男
は粉
碾き器の取
っ手
が手
にくっ つ い て し まっ た,
ブー
ル ジ= で は日曜日 に畑を柵
で 囲 も うと して いた男が不 具になっ て しまっ た , 等々 の話が広 く語られて い た とい う 47) 。 こ う し た物 語によ っ て , 日曜日の神
聖さ が民衆
に印 象づ け ら れ た’
わ けであ る。b.
日曜
日 が安
息 日 に取っ て代
わ る・
教会会議
の教
令 , 国 家 側か らの法
令,
そ して民衆
レ ベ ル で の奇 跡物
語一
こう し た中
で “主 の日” は, しだいに “安
息日” と同一
視 されるように なっ て い く。789
年の 法 令で,
シ ャ ル ル マー
ニ ュ は こ う述べ る一
「わ れ わ れ は,
主が律 法の中
で命じ ら れ たこ と に従っ て,
主の 日 に は 筋 肉 労 働 〔opus survi 工e〕を せぬよう,
ま た……
ブ ド ウ の栽 培であれ 畑の堀 り起 こ しで あ れ,崇
作 業はせ ぬ よ う命
ずる」
♂8) 「律
法 」が引
き合い に出され,
また,
かつ てコ ン ス タ ンテ ィ ヌ ス が例外
と して免 除して いた農 作 業 も,
明 確に禁
止 さ れて い る。 ま さに,
日曜日 と安 息日の 同一
視が こ こ に は見 られ, しか もこれが主 流と なっ てい く.
。 ng),
日曜日 を,安 息日の よ うに
B
没か ら.
H
没まで守 らせ るべ く, 働 きか け が なされる よ うに な、
り,8
世 紀 末の ブ リウル教 会 会 議で は, 主の 臼 は夕 暮か ら始ま る と明 記されsu) ,9
世 紀 半 ばの ル ア ン教
会
会議
で は,
主の 日 は日没か ら 日没まで守
らるべ し と明言
さ れ る。 SD ま さ に,安
息Ei
が土 曜 日 か ら日曜日に, その ま・
ま移され た と言 えよう。 こ の 頃の雰 囲 気 を伝 える好 例として,
最 も偉
大な神 学 者の ひ とり と評
されたフ ラバー
ヌ ズ・
マ ウル ス〔
856
年
没 〕の説 教の一
部 を 引い て お く一一
「主の 日を守
り,
これ を聖な る 日 と しよ うで はな い か。 かっ て律法
を お与
えに な6
た か た が, 安息 日 にっ い て命じら れ たよ うに,
『タベ か らタベ まで,汝
安 息日を守
るべ し」。 そ れ ゆえ, われわれの休
み が む な しい もの と な ら ぬ よう, 土 曜日’
の夕より日曜 日の夕まで,
畑 仕 事 か ら もすべ て の仕事
か らも離
れ て,
神 を 礼 拝 することに専 念しよう で は ないか」。 52)日曜 日の
安
息日化
が,
こ う して進ん で い く。 も ち ろん事は そ う単 純で は なく, た と え ば,Glazebrook
が指−
摘 する と お り,
ss)829
年一
パ リ教 会 会 議 (日曜日の耕
作,
売 買, 訴 訟 禁 止を再 確 認 )853
年 一
ロー
マ教
会 会議 (
売
買や畑仕事
の禁
止)
1009
年一
ヘ ク シ ャ ム教 会 会 議 (売 買,
市,
狩 り,
日常 労 働の 禁 止 )1031
年
一
ブー
ル ジュ教会会議 (
緊
急や慈善
の場合
を除
き;旅行
の禁
止 )1
σ50
年一
コ ヤ グ教 会 会 議 (一
切の “ 筋 肉 労 働” と一
切の旅 行を禁 止 ) と,次
々 と,
繰 り返 し教 会は日曜日遵守
を命
じて い るの であ る が,
これ は裏
を返 せぱ, そ れ が な か な か実 行 されて いない, 十 分 徹 底 してい ないとい うことの証 拠ともなるわけで ある。そう し た
紆
余曲
折を経なが ら も,
し か し 日曜
日 は限りな く “安
息日” に近づ いて い く。 主の 日(
日曜
日)
の ことを “ キ リス ト教
徒
の安息
日” と呼ぶ言い方が最初
に現れ るの は12
世紀
で あNII-Electronic Library Service