駒 澤 短 期 大學佛 教 論 集 第
2
號1996
年10
月 (23
)チ
ベ
ット
仏 教
に
お
け
る
「
プ
ラ
マ
ーナ
の
定
義
」木
村
誠
司
1
ダル マ キール ティ
Dharmakirti
(600
−660
)
が 『量 評 釈』P
規 彿 碗 α爾 γ’挽 α 「量成就
」Pramanasiddhi
章
kk
.1
−7
で扱っ て以来
「プ ラマ ーナの 定義
」(
prama
ロa −lak
$aロa)
は, イン ドの 注釈家
達に とっ て最大
の関
心事
の ひ とつ であっ た。 また, 近 代 の 学 者 も, こ こ 何 年 もの 間, 「プ ラマ ー ナの定 義
」 に多
大の 注意 を払 っ て き た ’) 。 一 方 で, 人間の 認 識 を意 味 し, もう
一 方で, 仏 陀の宗
教 的 基 盤 を意 味 する プ ラマ ーナ 21は, た しか に魅力 的
で重要
な 言葉である。 古の 注釈家達
や近代
の学者達
が, 共 に 「プ ラマ ー ナ の定義
」 すな わ ち 「プ ラマ ーナ とは何か 」 という
こ とに強い関
心 を抱い たの も当然と言 えるであろ う。 チベ ッ トの 学僧達
も, また, 「プ ラマ ー ナの定義
」の考察
に意 を
注い だ が,彼
らは , イン ドの 注釈家
達とは, い さ さ か異な る方
法 を取っ た。 チベ ッ トの 学僧
達は, まず, 「 定 義 と は何か 」 つ まり 「定義
の定
義
」 を問題視 し, 「プ ラマ ー ナの 定 義」 を 「定 義の 定 義」 の 付 論 と した の で あ る。考察
の 順序
と して, 「定義
の定義
」 を先
に明確に して置くの は,合
理的
と言 えるで あろう
。 しか し, そう
した か ら とい っ て, チベ ッ トの 学僧 達が, 「プ ラマ ー ナ の 定義
」を巡 る問題 を見事 に解 決で きた わ けで は ない 。 む しろ, 彼 ら は, 自 ら が作 り出 した定義
の 規 則に縛 られ, その 知 識 を誇示す
るこ とに 汲々 として い る よう
に さえ 見 えるの で ある。 本稿 は, チベ ッ トの学僧達
の 説 く 「定義
の 定義
」 と 「プ ラマ ーナ の定義
」を紹介す
る もの であ るが, 結 局は, 不 毛 な議 論の紹介
に終止す
るもの なの か も しれ ない 。 しか し, その 不 毛 さ を伝え るこ とが, 本稿の 日的
と も言 えるの で あ る。 なぜ な ら, そ うす るこ とに よっ て ,始
め て, 「プ ラマ ー ナの定義
」 を正 し く考 察 す る道 も開 ける と思われるか らである。 少 くとも, 「プ ラ マ ー ナの 定義
」 をこれ まで とは全 く別な角
度か ら考察
する という
新た な視点 の 提 示に は なるで あろ う。 一250
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
(
24
) チベ ッ ト仏 教 に おけ る 「プ ラマ ー ナの 定 義」 (木 村 )
II
チベ ッ ト仏
教
における定義
につ い て の , 断 片 的 な 報告 は, すで に行 なわ れて い る。 こ こ で, その報
告 を簡単
に見
て おこう
。 まず, カ イプLeonard
W
.J
.vander
Kuijp
氏は, サ キャ 派 (Sa
skyapa
)の 学僧 コ ラム パ・ ソナム セ ン ゲ
Go
rampa
bSod
mams sengge
(1492
−1489
)〔以 下 コ ラム パ 〕や, セ ル ドル パ ン チェ ン;シャ ー キ
ャ チョ クデン
gSer
mdogPan
chenShakya
mchogldan
(
1428
−1507
)〔
以
下シ ャ ー キャ チョ クデン〕の 論理学 書に基づ き,
「定 義
を 問 題視 した
最
初の 人物は,チ ャ パ ;チュ ー キセ ン ゲ
Phya
pa
Chos
kyi
sengge
(1109
−1169
)であり, しか も, その 源は イン ドの 論理学 書で は な く, 『現 観 莊 厳論 』 、4
兢 醜 〃zの4
彪瞬
伽 に求め られ る」と報 告 した。 カイプ氏は, チベ ッ トで定義
が問題視さ れ る に致 っ た経 緯 を 明 らか に した3) 。 次 に, 小野 田俊
蔵 氏 は, チベ ッ トの 学 問 僧 院に お い て, 定義
(
mtshan nyid)
は, 所 定
義 (
mtshonbya
)・定義
例(
mtshangzhi
) と共に扱わ れ てい るこ と を紹介し, その 三 者の 内容
に も触れた 4 ) 。 筆 者の 知 る 限 り, こ の二 氏 の研 究 以 外に, チベ ッ トにお け る定義
の 問題を
扱っ たも
の は ない 。 た だ, 二氏は,定義
の問
題 を, 直 接 「プ ラマ ーナの 定義
」 と結
び付 け るこ とを してい ない 。 一方
,ドレ イフ ェ ス
G
.Dreyfus
氏
は, サ キャ派
の学僧
や, ゲル ク派 (
dGe
lugs
pa
)
の学 僧一ギェ ル ツ ァ プ=タル マ リン チ ェ ン rGyal
tshab
Dar
ma rin chen (1364
−1432
)
〔以下 タル マ リン チェ ン 〕・ケー ドゥ プ ジェ = ゲ レ クペ ル サ ン ボ mKhas
grub
rjedGe
legs
dpal
bzang
po
(
1385
−1438
)
・ゲ ドゥ ン ドゥプ ーダ ラ イ ラマ1
世dGe
’dun
grub
Dalai
bla
maI
(1391
−1474
)一の 「プ ラマ ーナ の 定 義」 に対 す る見解 を紹 介 した 5)が , こ ち らは, 「 定
義
の 定義
」を踏 えた もの では ない 。 そ れ故, チ ベ ッ ト仏教
に お ける 厂定義
の定義
」 と 「プ ラマ ーナの定義
」 を総 合的
に考察
した研究
は こ れ ま で な さ れてい ない , と言 え よ う。 本稿 では, 従 来の 研 究 を補 うべ く, サ キャ パ ン デ ィタークン ガ ギェ ン ツ ェ ン
Sa
skyapa
ロdita
Kun
dga
’ rgyal mtshan (
1182
−1251
)
〔
以 下サパ ン 〕著
『量
正 理蔵
』Tshad
ma郷
Pa
’i
gter
と その諸
註釈書
を考
察 の 対象
とす
るこ とに し たい 6)。 そ れ らを取 り上 げる 理 由は, そ れ らの 論理 学書
が , 「定 義の 定義
」 を まず論 じ, 付 論 として 「プ ラマ ーナ の定義
」 を扱 っ てい る か ら で ある。さ て, 考
察
に入る前に, 本 稿の論 述の範 囲
と方 法 を明 らか に してお きたい 。本
稿 で扱う
の は, 『量
正 理蔵
』等
で示 され た 「定義
の定義
」 ・「プ ラマ ーナ の定義
」 の こ 一249
N工 工一Eleotronlo Llbraryチベ ッ ト仏 教に おけ る 「プ ラマ ー ナの 定 義 」 (木 村) (
25
) く一部であっ て, 全 部 で は ない 。 『量正 理臓
』 で は,定義
は, 大 き く分 けて ふ たつ の 手 段に よっ て規定
され てい る。 ひ とつ は,定義
を 「直 接 矛 盾 を断つ(
dngos
’gal
gcod
)
」 という
風に規定
するもの で, もう
ひ とつ は, 不 完全 な定義
に 陥る欠 陥を
示 し, その 欠 陥の ない もの を定 義 と規 定 する とい うもの である 7 ) 。 本稿 では,前者
だ け を扱い , 論 を進め る こ と とす る。 次に付 論である 「プ ラ マ ー ナの定義
」 を一部 紹 介 し8) ,す
で に確 認 した 「定義
の定義
」を
そこ に適用 して,考察 す
るつ もり であ る。 では, 考察
に移 ろ う。III
『量正理 蔵
』 第八章 「定
義
を考 察
する章
」(
mtshan nyidbrtag
pa
’
i
rabtu
byed
pa
)は, 次 の よう
な記 述か ら始 まっ て い る。す
べ ての 認識 対象 (
shesbya
)
は, 定義
・所 定 義 ・定 義 例 ととい う三種に よ っ て遍充
されて い ると自 己認識 に よっ て確 立 される。 なぜ な ち, 認 識対 象
の 形象
(
rnampa
順kara
)
が知に現 われる時
,他
と共通
でない(
gzhan
dang
mi’
dra
ba
)形 象, その 同 じ もの が 誤 りの ない 言 語 知(
sgrablo
)
に よっ て判 断され得 るもの , 基体
(
gzhi
)
を伴
っ たも
の と して現わ れる か らで ある。…
定義
とは, これ に よっ て 理解
させ る もの(
go
bar
byed
pa
)
規定
者(
rnam ’jog
)
とい う因の こ とで ある, 〔牛 を例に取る と〕すな わ ち, 〔牛の 〕 瘤や垂れ 肉の よ
う
な もの(
don
, artha)
という
性 質 (chos ,
dharma
)で ある。 定 義
対 象
とは, これが 理
解
さ れ るも
の(
go
bar
bya
ba
)
被 規 定 者(
rnamgzhag
)
という
果の こ と で ある, す なわ ち, 牛 とい う名 称 (
tha
snyad , vyavahara)
の よう
な知
(
blo
)
という
性質
である。 定 義例 とは, こ こ に おい て理
解
さ れ る 基盤 (rten )の こ とである,
す
なわ ち 斑〔
牛〕
の よう
な もの である。 この 三者
とも,実
在物 (
don
)
た る自相
(
rang mtshan, svalak §aロa)の 部分か ら生 じず, 他 者排 除
(
gzhan
selanyapoha
)
に す ぎない の である。 (『量正
理論』
p
.181
,11
.1
−
12
)
shes
bya
thams
cadla
mtshan nyid/
mtshonbya
/
mthangzhi
rnampa
gsum
gyis
khyab
par
rang riggis
’grub
ste/
shesbya
’i
rnampa
blo
la
’charba
na/
gzhan
dang
mi ’dra
ba
’i
rnampa
dang
/
de
nyidla
sgrablo
ma ’khrul
bas
zhendu
rungba
dang
/gzhi
dang
bcas
par
’charba
’i
phyir
ro
/
… mtshan nyid ni ’dis
go
bar
byed
pa
rnam ’jog
gi
rgyu ste noglkog
shal
lta
bu
don
gyi
chos so/
mtshonbya
ni ’di
go
bar
bya
ba
rnamgzhag
Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
(
26
) チベ ッ ト仏教に お け る 「プ ラマ ーナの 定義
」(
木村)
gi
’dras
bu
ba
lang
gi
tha
snyadlta
bu
blo
’i
chos so/
mtshangzhi
ni ’di
la
go
bar
bya
ba
’i
rtente
dkar
zallta
bu
’o/gsum
po
’di
’angdon
rang mtshangyi
cha nas mi ’gyur
gyi
/
gzhan
sel nyidyjn
no/
こ こ で, サ パ ンが , 定 義例 = あ る一 群の 概念 を形成 す る個々 の 存在(
個 々 の 牛)
, 定 義 対 象= その一群の 概念 を 示 す言葉(
牛 とい う名
称)
, 定義
= その 一群の 概念 を特徴付
けるも
の〔
瘤
や垂れ肉という
牛に 固有
な特徴
〕という
よう
な規定 を説
い て い るだ とすれ ば, 理 に合っ た もの だ と言 えよう
。 た だ,筆者
は, サパ ン 説 を十 分 理解
で きて い ない 。 特に, 「もの とい う性 質」
don
gyi
chos と訳 したdon
の 意 味が, まるで理 解で き ない 。 定義 等はすべ て他 者 排 除とい う概 念の 世界 で あ る 以 上,
「実 在
物たる
自相
」don
rang mtshan のdon
と同一視す
る わけに は, い か ない だ ろう
。don
は対 象・意味 と訳すこ と もで きるが その 訳 語 もふ さ わ し くない 。 課 題 を残 し た ままであるが, こ こ で は, ご くご く基 本 的な こ とだ け を確認 してお こう
。 すな わ ち, プ ラマ ー ナ を考 察 す る上で , 定義
例 = 知覚 (
pratyak
$a)
と推理(
anumana)
,所定義
= プ ラマ ー ナ , 定 義 =(
X
) とい う扱い 方が 許され るの であろ う 。次 に 「定 義の 定 義」 9)を み てみ よ う。 サパ ン は, 以下の よ うに, 定 義 を定 義 して い る。
何で あれ
直接
矛盾 (
dngos
’gal
)
を断
つ実質概 念 (
don
ldog
)
が成
立 してい るもの。 そ れが
定義
で ある, つ ま り 〔つ ぼ の 定義
で あ る〕 「 中央 部が 膨らみ端のすぼ まっ てい る もの 」 〔が直接 矛盾 を断つ 実 質 概 念であ る〕 よ
う
に 〔牛の 定義
で ある〕厂瘤や 垂 れ 肉がある もの 」 も直接 矛 盾 を
断
つ 実質
概 念が成立 して い るの で ある。 ( 『量正 理 蔵 』
p
.189
,ll
.10
−12
)gang
dngos
’gal
gcod
pa
’i
don
ldog
grub
pa
de
mtshan nyidyin
te
lto
ldir
zhabs zhum
bzhin
noglkog
shal ’dus
pa
’angdngos
’gal
gcod
pa
’i
don
ldog
grub
bo
直接 矛 盾1°)につ い て , サ パ ン は , 『 量正 理 蔵』第7
章
「矛 盾 を考察
する章」Cgal
ba
brtag
pa
’i
rabtu
byed
pa
)
におい て, 次 の よう
に述べ てい る。自己以外の もの を否
定
するの が 直接 矛 盾で あ り,定義
で あ る と確 定 さ れ るの である。 た とえるな ら, 常 (rtag , nitya ) と無常 (mi rtag , anitya )青 (sngon
po )
と非
青(
sngo min)
等である。 … しか し,非青
は, 白や黄 色 等 とい う他のすべ ての
事物
で もあ
るの だ か ら, 反対項 (
’gal
zla)
は事物
として成
立す
るの である と言 うな らば, 〔答 え よ う。〕非
青
の概 念は, 絶 対 否 定(
meddgag
,prasajya
一
247
一チベ ッ ト仏教に おけ る 「プ ラマ ー ナの 定義」 (木村)
(
27
)pratiSedha
)
た る非
実 在で あるが, 相対
否定(
mindgag
,paryudasaprati
$edha)
の事 物を否定 対 象 とする もの で は ない の で, 過 失はない の で ある。 ( 『量 正理 蔵』
p
.179
,ll
.16
−21
)rang min ’
gog
pa
dngos
’gal
yin
/mtshan nyiddo
zhes sbyar ro/
dper
nartag mi rtag
dang
sngonpo
sngo minla
sogspa
dang
/
…/
’o na sngo minni
dkar
po
dang
serpo
la
sogspa
dngos
po
gzhan
thams
cadkyang
yin
pas
’
gal
zladngos
por
grub
bo
zhe na/
sngo mingyi
ldog
pa
meddgag
dngos
med
yin
gyi
mayin
dgag
gi
dngos
po
dgag
bya
mayin
pas
skyon meddo
/理
解
を助 け る た め に, 注釈書
を見てお こ う。 コ ラム パ は, 次の よう
に注釈
してい る。定義
の 定 義は, 直接 矛 盾 を断つ 実質
概 念が 成立 して い る もの で ある。 すな わ ち,「 直 接 矛 盾 を断つ 」 とい
う
こ とに よっ て, そ れ以 外の もの を断ち, 「実
質概
念」 とい うこ と に よっ て, 所 定 義 と定
義
例の ふ たつ を断ち, 「成立 してい る もの 」 というこ とに よっ て , 自相 と対 象 として の普 遍 (
don
spyi)
11}そ れ ぞ れ に区分 さ れない 「
中央部
が膨らん で い る こ と」 一般(
lto
ldir
ba
tsam
)
を示 してい るの である。 実
質
概 念は対象
と して の普
遍の こ とであるが, そ れ 自身
, 自相 と対象
としての
普
遍そ れ ぞれ に 区分 さ れ ない 「中 央部が膨 らんでい るこ と」一般 と して成
立 して い るか らである。
(
『量 正 理臓 の難解
個 所の 説明七部 明説』
Tshad
ma rigsPa
’i
gter
gyi
dka
’ba
’i
gn
αs rnamPar
bshad
Pa
sdebdun
rabgsal
〔
以下『一七
部明説』〕
p
.53
/
2
,Il
.5
−
6
)
mtshan nyid
kyi
mtsharl nyid /dngos
’gal
gcod
pa
’i
don
ldog
grub
pa
stedngos
’gal
gcod
pa
zhespas
nide
mingcod
la
/
don
ldog
gcod
pas
ni mtshonbya
dang
/
mtshangzhi
gnyis
gcod
/grub
pa
zhespas
ni rang mtshandang
don
spyi so sor maphye
ba
’i
lto
ldir
ba
tsam
stonte
/don
ldog
nidon
spyiyin
la
/
de
nyid rang mtshandang
don
spyi so sor maphye
ba
’i
lto
ldir
ba
tsam
la
grub
pa
’i
phyir
ro/
さて, 筆 者は,
「実
質
概 念」 と訳 したdon
ldog
の 意味が理 解で きてい ない 。 小 野田俊 蔵 氏に よ れ ば, 学堂 用
教
科書
にお い て, 概 念は, spyildog
,gzhi
ldog
,
don
ldog
, rangldog
に分 け られて い る。 小 野田氏は,「
つ ぼ の
定義
は, つ ぼ の実質
概 念に遍充 される」
bum
pa
’
i
mtshan nyid
yin
nabum
pa
’i
don
ldog
yin
pas
khyab
等 とい う文 章 も紹 介 し, 概 念 を説明する。 12 )とはい え
,
『量
正 理
蔵
』 に それ をそのKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
(
28
)チベ ッ ト仏 教 に おけ る 「プラマ ー ナの 定義」 (木 村)
ま ま当嵌て よい と は 限 らない 。 『量正 理蔵』 「
定義
を考察す
る章
」に は, 実 は, rangldog
,don
Idog
は頻繁
に出て くる が, すで に説明 さ れ 終 わ っ た 自明の もの と して扱わ れて い るの で, その 意味 はつ か み に くい 。 従 っ て, 筆 者は
don
ldog
の 意味が 理解できず, 適 切 な語 訳 も与え られ ない 。 ともあれ, ここ で は, 直接
矛盾 を断つ も の = 実質
概念
=定義
という確
認だけは , 許 され るであ ろう
。さ て,
定義
は所定義
との関 係 上, さ らに厳密
な制 限 を加 え られる。 サバ ン は, 次 の より に 言 り。ひ とつ の 定
義
に多
くの 所定義 〔
が 存在
した り〕
ひ とつ の 所 定義
に多
くの定義 〔
が存 在 した り
す
る こ と〕
はあ り得 ない の で, 数は等
しい … 因 と果
は所 生(
skyedbya
)
・能
生(
skyedbyed
)なの で, 縁の 力で
多
くの結果 〔
が生 ずるこ と〕
は あり得る が, 定
義
と所 定義
は被規定 者 と規定 者 なの で, ひ とつ に よっ て ふ たつ を規定 す る こ とは で きない の で ある。
多
くの 定義
に よっ て , ひ とつ の 所 定義 を 示すこともで きない の で ある。 ( 『量正理 蔵 』
p
.207
,1
.21
−p
.208
,1
.22
)mtshan nyid
gcig
la
mtshonbya
du
madang
mtshonbya
gcig
pa
mtshannyid
du
ma mi sridpas
grangs
mnyampa
… rgyu ’gras
bskyed
bya
bskyed
byed
yin
pas
rkyen stobskyis
’bras
bu
du
ma sridla
/
mtshan nyiddang
mtshon
bya
rnampar
bzhag
jog
yin
pas
gcig
gis
gnyis
jog
mi nus so /mtshan nyid
du
mas mtshonbya
gcig
mtshonpa
’ang mi rungこ の よ
う
に, 所 定 と所 定 義は厳 密に1
対1
であるこ とが規 定 され たの で ある。さて , 『量 正 理蔵』 に おけ る 「定 義の 定
義
」 等の 説 明 は, 以上 見て きた こ と に 止 ま らない が, 「プ ラマ ー ナの定義
」 に移 るため の材
料は 一応
そろっ た。 次に 「プ ラ マ ー ナの 定義
」 に関す
る記
述 を見
て み よう
。IV
以 下の
記
述に登場
するの は, デー ヴェ ン ドラブ ッ ディDevendrabuddhi
(
630
−690
)
・シャ ー キャ ブ ッ ティSakyabuddhi
(
660
−720
)
・プ ラジニ ャ ー カ ラグプ タPraj
・fiakaragupta
という
三 人の イン ドの 注釈 家で ある。 「プ ラマ ー ナの定義
」に対す
る 彼 らの見解
は,す
で に近代
の 学 者達 によっ て明 らかに さ れ て い る13)。 『量正 理蔵 』等
に見
ら れ る三人の見解
の 内容
は, 近代
の研 究が示す も
の とほ ぽ 一致す
る が , 彼 ら の 見 解に対す
る批 判 は, 「定 義の 定 義 」 の 理解 を前
題 としな け れ ば, 全 く意
味不明 の もの で ある。 以 下で は, まず, デ ィヴェ ン ドラブ ッ ディ ・シ ャー キャ ブ ッ デ ィに 一245
N工 工一Eleotronlo Llbraryチベ ッ ト仏 教 にお ける 「プ ラマ ー
ナの定 義」 (木 村)
関す
る記述
を列挙
しよう
。(
29
)サパ ン
〔提示〕ア ジ ャ リデ ー ヴェ ン ドラブ ッ デ ィ
(
slobdpon
lha
dbang
blo
)は, 〔厂欺か ない こ と」
(
mi sluba
, avisamvada)
と「未知の 対
象
を明 ら かにす
るこ と」(ma shes
don
gsal
, ajfiatarthaprakaSa ) とい う「プ ラマ ー ナ
の
定義
」〕い ずれに よっ て も,
〔
プ ラマ ーナ という
所 定義
を〕示 すこ とが で き る と説 く。(
『量正
醗
』p
.210
,U
.4
−5
)
slob
dpon
Iha
dlang
blo
gang
yang
rungbas
mtshon nus zhesgsung
ba
〔批 判 〕両
者
が, 「プ ラマ ー ナの 定 義 」 で あ るの は不適 切で ある。 なぜ な ら, 所定義
もふ たつ となるか らで あ る。(
『量正 理 蔵 』p
.212
,ll
,1
−2
)gnyis
ka
tshad
ma ’i
mtshan nyidyin
pa
mi ’thad
de
/
mtshonbya
’anggnyis
su ’gro
bas
so/
コ ラム パ (A
) 〔提 示 〕ア ジ ャ リデー ヴ ェ ン ドラ ブ ッ デ ィ は, い ず れで も, ひ とつ ひ とつ に よっ て も, それ ぞ れ 示 すこ とが で き るの で, 定 義は別
々 の もの である と主張す
る。 な ぜ なら,〔
デ ー ヴ ェ ン ドラブ ッデ ィ の 『量 評釈 』 に対
す る〕注 釈 で, 「その よ う に, プ ラマ ー ナの定義
「欺か ない こ と 」 という第
一 の もの が 示 されたの で ある。 「 未知の 対象
を明 らか に す るこ とも」という
の は,別
な第
二 〔の定義
〕である」 ’4 ) と説い てい る か らで ある。 ( 『七部 と経の 真意 を 無 顛倒に解 説 す る量正理 蔵 の 意義
解明』 sDebdun
mdodang
bcas
Pa
’i
dgongs
Pa
Phyin
ci malog
Par
勘
♂Pa
tshad
〃ma n’
gs
Pa
’i
don
gsal
bar
々byed
〔
以 下 『意
義
解
明』〕p
.315
/
4
.11
.5
−6
)
sbob
dbon
lha
dbang
blo
nigang
rung re reskyang
so sar mtshon nuspas
mtshan nyid so sor ’dod
de
/
’grel
par /
de
ltar
natshad
ma ’i
mtshan nyidmi
bslu
ba
gcig
bshad
do
/
ma shesdon
gyi
gsal
byed
kyang
gzhan
mtshannyid
griYis
pa
yin
no zhesgsungs
pa
’i
phyir
ro /〔批 判 〕その プ ラマ ーナ とい
う
所定義
が ふ たつ となる。 そ れ 〔プ ラマ ー ナ〕は , ふ たつ の実質概
念 を持
つ定 義
に よる規 定 を求め られ て い る か らで あ る。 自派(
rang)
に おい て は一致 し ない 。 なぜ なら, 「欺か ない こ と 」と 「未
知 の 対象
を明 らかにす
るこ と」の ふ たつ は実質
概 念が同一 だ か らであ る。(
『意義
解明』p
.316
/
一244
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University
(
30
) チ ベ ッ ト仏 教 に おけ る 「プ ラマ ーナの 定義」 (木 村)1
.1
.6
)
tshad
made
mtshonbya
gnyis
su ’gyur
te
/
de
mtshan nyiddon
ldog
gnyis
kyis
’jog
dgos
pa
’i
phyir /
rangla
ni mtshungste
/mibslu
ma shesdon
gsaI
gnyis
don
ldo99cig
yin
pa
’i
phyir
ro /コ ラム ノ畑) 〔提示〕デーヴ ェ ン ドラ ブ ッ デ ィ ・シ ャー キャ ブ ッ デ ィ
(
lha
shaka
)
ふ た り は, それ ぞ れが また, 「プ ラマ ーナ の 定 義」 を完 成 す る (yongs
su rdzogspa
)
別
々 の もの であ り, そ れ は, ま た 実質
概 念が異 なっ てい る, と主張する。 なぜ な ら, デ ー ヴ ェ ン ドラ ブ ッ デ ィ の 注 釈 でS、 「 その よ うに , プ ラマ ー ナの 定義
「欺か ない こと」 という第
一の もの が 示 されたの で ある。 厂 未知の 対 象 を明ち かにす る こ とも
」 という
の は, 別の第
二 の 定義
である」 と 〔説かれ 〕, それの 復 注 ( ’grel
bshad
)
で , シ ャ ー キ ャ ブ ッ デi
が 「『別の 第二 の 定 義』」 とい うの は, 世 俗(
’jig
rten)
に よっ て考察
さ れ るの で, こ れ は,第
一 であ り, 一ソ
∫こ れ は別
な 第二種 類 の もの である15 )」 と説い て い るか ら で ある。 ( 『七部明 説 』p
.55
/
3
,ll
.2
−4
)Iha
shaka
gnyis
kyis
re reyang
tshad
ma ’i
mtshan nyid
yongs
su rdzogspa
re reyin
zhingde
yang
don
ldog
tha
dad
du
’dod
de
/
lha
’i
grel
par
de
ltar
tshad
ma ’i
mtshan nyid mibslu
ba
cig (readgcig
)
bshad
do
/ma shesdon
gyis
(readgyi
)gsal
byed
kyang
gzhan
mtshan nyidgnyis
pa
yin
no zhesdang
/
de
’i
’gre1
bshad
du
shasgzhan
mtshan nyidgnyis
pa
zhesbya
ba
ni’
jig
rtengyis
dpyod
par
byed
pas
’di
nigcig
yin
la
’di
nigzhan
rnampa
gnyis
pa
yin
no zhesgsungs
pas
so/
〔批判 〕その プ ラマ ーナとい う所 定
義
の意
味 が, ふ たつ の 別 な もの になる過 失に 陥る。 そ れ 〔 = プ ラマ ーナ〕が , ふ たつ の 別 な実 質概 念に よっ て示 され るか らで ある。(
『七部明説 』p
.56
/
1
,1
.6
)
tshad
made
mtshonbya
’i
don
tha
dad
pa
gnyis
yinpar
thar
/
de
don
ldog
tha
dod
pa
gnyis
kyis
mtshonpar
bya
ba
yirl
pa
’i
phyir
/
ロ オ ケ ン チ ェ ン = ソ ナム ル ン ドゥ プ
Glo
bo
mkhan chenbsod
namslhun
grub
(
1456
−1532
)〔
以 下ロ オケ ン チ ェ ン 〕 〔提 示〕
ア ジャ リデ ー ヴェ ン ドラ ブ ッ ディは, 所 定義
で あ るプ ラマ ー ナは , 〈欺
一243
一 N工 工一Eleotronioチベ ッ ト仏教に おけ る 「プ ラマ ーナ の 定義」
(
木 村) (31
) か ない こ と〉 と 〈未 知の 対象
を明 ちか にするこ と 〉い つ れに よっ て も, 示 すこ と が で きる, と説 く。 なぜ な ち, 彼 自身の 注釈で, 「その よ う にプ ラマ ーナの定義
く欺か ない こ と〉という
第一の もの が示 さ れた の で ある。 〈未知
の対象
を明 らか に するこ とも〉は, 別 な第二 の 定義
であ る」と説 明 して い る か らであ る。(
『.七部 と経 の 真 意を 注 釈
す
る量 正理 蔵 注の 解 説正 理道明説』sDe
bdun
mdodang
bcas
・Pa
’i
dgongS
喜
ア召J
tShad
ma 7乞豁Pa
’i
gter
gyi
’grel
Pa
’i
rnambshad
∫
lam
gsal
∂〆♂nyi ma 〔以 下 『正 理道光
明』〕p
.264
,
Il
.4
−6
)
slob
dpon
lha
dbang
blo
na re/
mtshonbya
tshad
ma ni mibslu
ba
dang
ma shesdon
gsal
gang
yang
rungbas
mtshon nus zhesgsungs
te
/de
nyidkyi
’grel
par /
de
Itar
tshad
ma ’i
mtshan nyid mibslu
ba
gcig
bshad
do
/
ma shesdon
gyi
gsal
byed
kyang
/gzhan
mtshan nyidgnyis
pa
yin
no/
zhes
bshad
pas
so〔批 判
〕
ア ジ ャ リデー ヴェ ン ドラ ブ ッ デ ィ が 定義
はふ たつ で ある と御
主張 に な るの も, 不 適 切 である。 なぜ な ち,所定義 も
ふ たつ となるか らであ る。 そ れに 関 し て , 「ひ とつ の 所 定義
に多
くの定義
は あ り得ない 」 と先に 〔示 した, さ らに,〕 「定義
と所定義
の 数は等 しい , 本 質は 同 一 で ある 」 と説明 し終 っ たの で ある。(
『 正 理道光
明』p
.266
,1
.6
−p
.267
,1
.1
)
slob
dpon
lha
dbang
blo
mtshan nyidgnyis
subzhed
pa
’ang mi ’thad
de
/
mtshonbya
yang
gnyis
su ’gro
bas
so/
de
la
mtshonbya
gcig
mtshan nyiddu
ma mi sridpar
gong
du
/
mtshan mtshongrangs
mnyams ngobo
gcig /
cesbshad
zinto
/タル マ リン チェ ン 〔提示 〕ア ジャ リデ ー ヴェ ン ドラブ ッ デ ィ は, 〈欺か ない こ と〉 と 〈未知の 対
象
を明 らか に す るこ と〉の ふ たつ い ずれ に よっ て も, プ ラマ ーナ を示すこ とが で き るの で一! 同義
語である と主張する。(
『量正 理 蔵の解
説善
説心髄』 i6)Tshad
masPa ’
i
gter
gyi
rnambshad
legs
Par
bshad
Pa
’i
snyingPo
〔以下 『善 説 心髄』〕,
79a
/
6
−
79b
/
1
)
lha
dbang
blo
mibslu
ba
dang
ma shesdon
gsal
gnyis
gang
yang
rungbas
mtshad mar mtshon nuspas
rnamgrangs
par
’dod
pa
〔批 判 〕ふ たつ の
定
義
に よっ て, ひ とつ の所 定義 を規定す
るの は,
不
適 切 とな 一242
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Umversrty
(
32
) チベ ッ ト仏教に おけ る 「プ ラマ ーナ の 定義
」(
木村 )る。 〈欺か ない こ と〉 と 〈未 知の
対象
を 明 らか にす るこ と〉の ふたつ は,対
象
としての
普
遍が同じで な く別々 の もの として現れ るの だ か ら, その ふ たつ の 定義
に よっ て, プラマ ーナ である と規 定 す る な ら ば ,
無
錯 乱 知(
blo
ma ’khrul
ba
)
に よっ て, プ ラマ ーナである と 判
断
さ れ得
る所定義
そ れも
ふ たつ と な らなければ ならない か らで あ る。 ( 『善説 心 髄 』
79b
/6
−80a
/1
)mtshan nyid
gnyis
kyis
mtshonbya
gcig
’jog
pa
mi ’thad
par
thal
/
mi sluba
dang
ma shesdon
gsal
gnyis
don
spyi mi ’dra
ba
so sor snangbas
mtshannyid
de
gnyis
kyis
tshad
mar ’jog
na niblo
ma ’khrul
bas
tshad
mar zhenrung
gi
mtshonbya
de
yang
gnyis
su ’gyur
dgos
pa
’i
phyir /
『量正 理 蔵 』 と注釈 書に お い て提 示 された デ ー ヴ ェ ン ドラ ブッ デ ィ説や シ ャ ー キャ ブ ッ デ ィ説の 内容は, 近 代の 研 究に よっ て明 らか に さ れ た もの と基 本 的に 一致 す る17) 。 した が っ て, チベ ッ トの 学僧 達の 〔提示〕は 正確な もの で あ る。 しか し, 彼 らは, 「何
故 ,定義
をふ たつ としたの か」 と問い か けるこ とは してい なか っ た。彼
らに は, デ ー ヴ ェ ンド
ラブ ッ ディ説等
の 内容
の 当否 は,問
題に もな らない ので あ り,定義
上の 規則だ けが関
心事
なの で あ る。デ ー ヴ ェ ン ドラ ブッ デ ィ説 等は, と ど の つ まり, 「定義
と所 定義
は1
対1
関 係でなけ れ ば な らない 」 とい う規 則に違 反 し てい る とい う, た だ それだけの 理 由で批 判 されてい るにす ぎない 。 で は, プ ラジ ニ ャ ー カ ラグ プ タ説は, どの よ うに提 示され, ど の よう
に批 判 さ れて い るの だ ろ う か。 次に そ れ を見
てみ よう
。 サパ ン〔
提示 〕 〔『量評 釈 』〕莊 厳(
rgyan , alamkara)
の 著 者 〔 = プ ラジニ ャー カ ラグプタ
〕
は,勝 義 (
don
dam
pa
,paramarthika
)
の プ ラマー ナと世
俗 (
tha
snyadpa
, salpvyavaharika)
の プ ラマ ー ナの ふ たつ の うち,最
初の もの は, 無二知 とい う
感
受(
myongba
gnyis
medkyi
shespa
)
, 聖者 達が個 々 に 自己認識 す る智
慧
の対象
に関
して, 明 らか に感受す
るのが それ であ
り,勝義
で もあるが, プラ マ ー ナ で もあ るの で , 勝義
の プ ラマ ー ナであ る。 そ れの定義
は, 〈未知の 対象
を 明 らか にすること〉 で あるが 〈欺か ない こ と〉 で は ない 。 なぜ な ら, 判 断の対
象(
bcad
pa
’i
don
)
の 獲 得が ない か らである。 世 俗の プ ラマ ーナは, 凡夫の 心の流
れに存
在す
る もの , 所 取 ・能
取(
gzung
’dzin
,grahyagrahaka
)
が 二 と して顕 わ れ て い る間
, 世俗
としてふ さわ しいも
の なの で, それの定義
は, 〈欺
か ない こ241
一 N工 工一Eleotronlo Llbraryチベ ッ ト仏教に お け る 「プ ラマ ーナの定 義 」 (木 村) (
33
) と〉 と く未 知の対象
を明 らか にす
る こ と 〉の 集 合 した もの(
tshogs
pa
)
で あ る。 なぜ なら, 判 断の 対象
の 獲 得がある か らで ある, と説 く。 ( 『量正 理蔵 』p
.210
,ll
.5
−13
)
rgyan mdzad
pas
don
dam
pa
’i
tshad
madang
tha
snyadpa
’i
tshad
magnyis
las
/
dang
po
ni myongba
gnyis
medkyi
shespa
’phags
pa
rnamskyis
so sor rang
gis
rigpa
’i
ye
sheskyi
yul
du
gyur
pas
gsal
bar
myongba
de
yin
te
/
don
dam
pa
yang
yin
la
tshad
mayang
yin
pas
don
dam
gyi
tshad
ma ’o
/
/de
’i
mtshan nyid ma shesdon
gsal
yin
gyi
mibslu
ba
mayin
te
bcad
pa
’i
don
thob
pa
medpa
’i
phyir
ro//tha
snyadpa
’i
tshad
ma ni so soskye
bo
’i
rgyudla
yod
pa
gzung
’dzin
gnyis
su snangba
’i
bar
la
tha
snyaddu
rungba
yin
pas
de
’i
mtshan nyid mibslu
ba
dang
ma shesdon
gyi
gsal
byed
tshogs
pa
yin
te
bcad
pa
’i
don
thob
pa
yod
pa
’i
phyir
ro zhesgzungs
pa
〔批判〕勝 義の プ ラマ ーナ と世俗の プ ラマ ーナの ふたつ に分 け るこ とも, 「プ ラ マ ーナ の 共 通 定義 (
spyi ’i
mtshan nyid)
は何
か」 と問う
な ら ば, 「個々 の定義
は これであ る」 と述べ るこ と は〔
その 問い と は〕無
関 係で あ り, ひ とつ の 共 通定
義
が ない な ら ば, プ ラマ ー ナ という
所 定義
が ひ とつ で あるの は, 不適 切だ か ちで ある。(
『量
正 理蔵 』p
.212
,ll
.4
−7
)
don
dam
pa
’i
tshad
madang
tha
snyadpa
’i
tshad
magnyis
subyed
pa
’angtshad
ma spyi ’i
mtshan nyid ciyin
zhesdris
na so so ’i
mtshan nyid ’di
yin
zhes
brj
odpa
ma ’brel
pa
dang
/
spyi’i
mtshan nyidgcig
med natshad
mazhes mtshon
bya
gcig
mi ’thad
pa
’i
phyir
ro/
コ ラム・ 咽 〔提 示 〕『
莊 厳
』 の著 者
は, 勝義
の プ ラマ ー ナ と世 俗 の プ ラマ ー ナふ たつ のう
ち,最
初の 定義
は, 〈未知の対象
を明 らか にす
るこ と〉である が, 〈欺
か ない こ と〉 で は ない , なぜ な ら, 判断の対象
の 獲得
が ない か らで あ る。 後者
の定義
は, 〈欺 か ない こ と〉 と く未知の対象
を明 らかにす
るこ と〉 の集
合 した もの で ある。 なぜ な ら,判 断の 対象
の 獲 得があ るか らであ る, と説 くの で ある。(
『意義
解 明』p
.315
/
4
,1
.6
−p
,316
/
1
,1
.1
)
rgyan mdzad
pas
don
dam
pa
’i
tshad
madang
/
tha
snyadpa
’i
tshad
maKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
(
34
) チベ ッ ト仏 教 に お け る 「プ ラマ ーナ の 定義」 (木村)gnyis
las
/dang
pa
’i
mtshan nyid ma shesdon
gsal
yin
gyi
/mibslu
ba
mayin
te
/bcad
pa
’i
don
thob
pa
medpa
’i
phyir
ro//
phyi
ma ’i
mtshan nyid /mi
bslu
ba
dang
ma shesdon
gsal
tshogs
pa
yin
te
/bcad
pa
’i
don
thob
ps
yod
pa
’i
phyir
zhesgsungs
so /〔批 判〕〔プ ラ ジニ ャ ー カ ラ グプ タ説は
不
適 切 で あ る 。 なぜ な ら〕
「プ ラマ ー ナの 共通 定義
は何か」 とい う問い の答
え と して, 共 通定義
を全 く示 さず, 「個 々 の定
義は こ れで ある」 と述べ るこ と は 〔その 問い と は 〕無関係だ か らであ る。 ( 『意義解
明』p
.316
/2
,11
.2
−3
)tshad
ma spyi ’i
mtshan nyidgang
yin
zhesdris
pa
’i
Ian
du
spyi ’i
mtshannyid
bstan
rgyu medpar
so so’i
mtshan nyid ’di
yin
zhesbrjod
pa
ma ’brel
ba
’i
phyir
ro / コ ラム ペB
)〔
提示〕
勝義
の プ ラマ ー ナ と世俗の プ ラマ ーナふたつ の うち,第一の もの は, 無 二 知 とい う感受, 聖 者達が個々 に 自己 認 識す る智慧
に よっ て 対象
として 明 らか に感 受す
るもの が そ れ で あ り, それの 定義
は, 〈未 知の 対象
を明 らか にす るこ と〉 で あるが, 〈欺か ない こ と〉で は ない , なぜ な ら, 判 断の 対 象 (dpyod
pa
’i
don
)
の 獲得
が ない か らで あ る。第二 の もの は, 凡 夫の 心の 流 れ に存在 す る もの ,所 取 ・能
取が 二 と して顕わ れて い る間 , 世俗 と して ふ さ わ しい もの であ り, そ れ の定義
は, 〈欺 か ない知〉であ る、 な ぜ な ら, 判断の 対 象 を獲得 するか らで あ る。 と〔プ ラジ ニ ャ ー カ ラ グプ タ は〕御主張 に な る。 すな わ ち , 『莊 厳 』 とい う注 釈書で, 「 こ こ で,対象
という言葉
に よっ て, 勝義
が述べ られてい るの である。 〈未 知の 対 象 を明 らか に する こ と〉とい う言葉に よっ て , 勝義
を 明 らか にす るこ と とい う 意 味 〔が述べ ち れてい るの 〕であ る」 18), そ して, 「 その うち, これ 〔 = 〈未 知 の対象
を明 らかにす
るこ と〉〕は, 勝義
の プ ラマ ー ナの定義
で あ り , 一方 ,前者
〔
= 〈欺
か ない こ と〉〕
は, 世俗の 〔定 義 〕で ある」 19) と説か れて い るか らで あ る。 『 量正 理蔵』 自注 に おい て 「世俗の プ ラマ ーナ の 定義
は, 〈欺 か ない こ と〉 と 〈未知の対 象 を明 らか にする こ と〉の集
合 した もの で あ る〔
とい うの が, プ ラジ ニ ャ ー カ ラグプ タの 〕真 意であ る , と説か れて い るの で あ る。(
『七 部 明説
』p
.55
/
3
,1
.4
−p
.55
/
4
,1
.2
)
don
dam
pa
’i
tshad
madang
/tha
snyadpa
’i
tshad
magnyis
las
/dang
po
一
239
一チベ ッ ト仏教に お け る 「プ ラマ ーナの 定 義」 (木 村) (
35
)ni
/
myongba
gnyis
medkyi
shespa
’phags
pa
rnams so so ranggis
rigpa
’iye
sheskyis
yul
du
gsal
bar
nyams su myongba
de
yin
la
/
de
’i
mtshannyid ni ma shes
don
gsal
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gyi
mibslu
ba
mayin
te
dpyad
pa
’i
don
thob
med
pa
’i
phyire
ro//
gnyis
pa
ni/
so so skyebo
’i
rgyudla
yod
pa
gzung
’
dzin
gnyis
su snangba
’i
bar
la
tha
snyaddu
rungba
yin
la
de
’i
mtshan nyid mibslu
ba
’i
shespa
yin
te
/
bcad
pa
’i
don
thob
pa
’i
phyir
so zhesbshed
de
/
rgyan
gyi
’grel
par
/
’dir
don
gyi
sgras nidon
dam
pa
brjod
pa
yin
te
/
mashes
don
gyi
gsal
byed
cesbya
ba
’i
sgras nidon
dam
pa
gsal
byed
cesbya
ba
’i
don
to
zhesdang
/
de
la
’di
nidon
dam
pa
’i
tshad
ma ’i
mtshan nyidyin
la
snga ma nitha
snyadpa
’i
yin
no zhesgsungs
pas
so〃
rigsgter
rang ’grel
las
/tha
snyadpa
’i
tshad
ma ’i
mtshan nyid/
mibslu
ba
dang
/
ma shesdon
gsal
tshogs
pa
dgongs
pa
yin
par
gsungs
so /〔批 判 〕
〔
プ ラジ ニ ャ ー カ ラグプ タ説は不適 切 であ る〕 。 プ ラマ ー ナの 共 通 定 義 を 規 定 す る個所で, 勝義
の プ ラマ ー ナ と世 俗の プ ラマ ー ナふ たつ に 区分 して ,定義
を規 定 す るの は, 無 関係 である故に, そ うでない ならば, 「プ ラマ ーナ の 共通定
義
は何
か」 と問
われた場
合, 知 覚 と推理(
mngon rje)
ふ たつ に区
分 して, その ふ たつ の定義 を
規定す
るこ と に よっ て も, プ ラマ ー ナの 共 通定義
の 規定
が済ん で し ま う故に 。 ま た, この 『量評 釈 』で, プ ラマ ー ナ の 共通 定義
を直接示す 本文 は ない こ と に なる。前
後の い か な る本 文に よっ て も, プ ラマ ー ナの 共 通 定 義は 示 さ れて い ない か らである 。(
『七 部明説JP .56
/
2
,11
.4
−6
)
tshad
ma spyi ’i
mtshan nyid ’jog
pa
’i
skabs sudon
dam
pa
’
i
tshad
madang
tha
snyadpa
’i
tshad
magnyis
suphye
nas mtshan nyid ’jog
ma ’brel
ba
’i
phyir
dang
/gzhan
du
tshad
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ロ オケ ン チェ ン
〔
提示〕ア ジ ャ リ 『莊 厳』 の 著者
は, 勝義
の プ ラマーナ
の