﹁ 心 ・ ・
白 語 拾 遺
﹄ 訓読文の語法
中
子…骨ぺ炉
f h H
hF hJ
はじ めに
とい
て ︑
年のころ︑
ことはでさない
︑ こ う い て い た
︑ と い う よ う に 知 る こ と が で 神典という制約によってかどうかはともかくとして︑そ ところである︒ 九
C
ヴhwoし︑それが︑どう訓まれてい
に十分ではなく︑
明
︺
︑
いっていい︑この種の るわけではない︒いま︑この
グくて大きいのである︒
十品︑ について︑いわゆ
て訓むことのできるところはあっても︑それをも
て︑すべて の訓読文を見たとき︑その
て多くはないの
の 間
によるみごとな訓みが︑
ばならないところ
の訓みのベースとなって定帯している︒もちろん︑その
て︑それ
さえ︑そうであるのに︑って︑その﹁こなされていない﹂
となっているもののようであるり る ー の で あ る
u
訓み
w‑
︑ .
rFBUV
して
︑
ているのであるの
もともと︑トぃ奏丈﹁.
め
は
︑ れ れ ば よ い 文 献 で あ っ た と 見 る こ して保存されゐ丈献でもあったろうり
のほど辻ともかく
そして︑その一方では︑京郎氏が︑白家の
のように
本の類を見ることはできないようである︒
って︑その訓読文は︑おのずから︑
︑ま
た︑
こ八十年ほどの
のである口 に︑さらることになろう口
の︑その多様な訓読文は︑大方が︑近 てきているもの︑ということになる︒ただ︑こ なると︑その整理だけでもしておくことが必要かと思えてきた
み そ
こで
︑
さきごろ︑
同囲のいくつか
ト八刀な素養もないまま︑﹁
って
︑
ていな
な る
てしまったのその
2 )
いま︑日著の一
二︑修正筒所が見えてきてもいるのである
υ
の必要が作じるかもしれないことを前提に
しミ
の執準は始まることとなったの
イ コ
ので ある り
×
×
×
実は
︑
て︑語義ぶついて
いくつかは ていたりそ
て︑投げかけておくよりはかないこととなってしまって
ぴ 〉
いたむその一Nマ︑その
一日ザ)﹂
の整理は︑この機会を措いてないところにま
ついて
(2007)
×
×
×
214Jrgj
a i‑ 争ふうを芯成本として︑
一つの訓読作業を
っていく
‑155
fu
‑‑ tk
g寸
ノ
I
ノそして︑筆活は
べたように︑その
弘前学校た文学部紀宮主;
終えてしまっているところから︑そこに
ってきて︑その不適切な点
小柏のいくつか
ものと思うの
そこ で︑ 対照 する 注釈 幸一 一
H
本文について︑以
明
、
こととするり
係問削央
︑3n q4 E勾 ︐
また︑その
μ
ついては︑これを書いて取り扱うこととしたりしミと思えたからである︒ じいう説法がいう構
いところから︑
てとるには︑そ
。)
ったかそして︑併せて︑
民 主 音
JII~
語 拾
遺 ﹂
い
︺ と と し た り そ の 政 務 は
︑
11C
のアラビア数字をもってすることとし︑ぶものである
そ
そ記載について誌︑
の
︑岡山校注のそれを借り
ることとした
『市長官給漉j認11統文の語法
( 3 )
な お ︑ ま た ︑
そその略称をさら
て
とすることとしたわ
使役表現の並立関係
ドν
f
す其 樽
i (
m ‑
雄略天皇)
凶{同校注は︑次のように訓読する︒
主
定役の表現が
し 仏 大
び〉
というように受けとめることもできようり
ぃ 淋
ヨ山
' V
口4 r
4 会
秦
宿
磁 刷 用
+ 小
l
1 1 : 物
みごと
の も
出 ゆれている
ることはできない
と て
︑
いうまでもなく︑そのよう ︑見ることはない︒それだけでなく︑その
てて
︿ 必
ベ )
の使役の表現は︑
し め
︑
の は
︑
﹁ し
め ﹂
︑ 東 氏 を し て
︑ 井
︑
に収められている︑というようにもいえよう口その訓説文としてめつ
つ:をして:・しめ﹂つ:をして:・しめ﹂つ:をして・:しむ﹂と並んでいるが︑その原文を見たとき︑訓読文の使役の助品約
ト
d .
字なのであるのしたがって︑その一字しかない﹁令﹂字の意味するところを受けて︑﹁検紘
一
﹂ の
﹁ 出 納
﹂ の ド に も
︑ 使 役 の 助 動 詞
﹁ し む
﹂ の 津 て い る
︑ と い う よ う に い う こ と も で き よ う
︒
ならないことになろうの
そ 物 」
建 るのな~:こ
よど.,]で う を で 、
に 管 て ま理 ヴ ず
i I 手 ZZ
反5 の
〉に T
車内め
は
ドu i
gy
文
氏
﹁ し
め ﹂
﹁ し
め ﹂
蔵
﹂ の
しめ﹂でなけ
‑ t t
を︑和語﹁し
︿ 品
物 や
であるのただ︑
一
し
」 検る 「
の校
ア・
ι
し …か i
こ
に あ
、るて訓んだも
とみたことにな
三度にわたっ ていることになるわけであるのしかも
寵に入れら
は ︑
﹁ 検
校 り
﹂
れて﹂︿徒然草・一一.一﹀を借りて確認す
といいえたのが︑その︑いわゆ
し め
﹂
たぺ と
本 V
例I;旧 つi
l 止す
、の
そぢ
ろ
を
と訓読できるか
︑ ﹁
飛 ぶ
鳥 は
寵
一 表
現 で
あ っ
た り
ころから︑以 の被使役者が︑
﹂ と
に な
る ︒
y に じ
T)三度繰り返して訓読する姿勢のものは︑対
はないが︑い
い ま
︑
のように訓読す
のうち︑両日校注と池辺新註だけであったり し て い る
︒ 幸 い
︑
﹁ 出 納
﹂ と も に
︑ 以トに︑校本
( 4
て て
︑
て て
て て
新 日 主
さらにおはくらをたてて︑
第 43~・ (2007)
講 撰
の
︑ ﹁
AP ﹂
の
﹁を﹂を上接させ
い て
お く
の
‑ 検
小 校
一
A
までにとどめて訓読している点で共通
して部んでいるところから︑文脈に支部はない︒
秦 恭
氏 1 氏
を
Jを
し て
︐ ノ
みつのくらをしらしめ︑はだうぢをして︑
て
キ
青
東・
来四ノ文氏ハ︑
そのもののいだしいれをつかさどらしめ︑
弘前学院大学文学部紀安
甘 戸ハ ノ
‑153
やまとかふちのふみうぢをして︑そのしるしぶみをしるさしめたまゲきり
にしても︑使役表現
ないことになる︒そして︑
し
E
‑‑'‑.
̲ ¥ 1 .
蔵
兵
勘
宜(
×
×
こ ろ
いて︑さらに
( 2
﹀ 的
︑
罪
蝦
i L
之 ︒
づ ノ
••
z z y
右の原文を︑
投
手 c
の
るところから︑それぞれに
を添えて訓読しなければなら
ている︑ということになろうり
× 於
小 部 品
の 追
放 )
H 白
出泌
i
・ ︑
川 口 り
ゐぷ
‑ s J
け けH
之
以 次の
、
必4
、
U
米
文
ぃ鮎
十い
} ̲ J
f入
i
iJ I
及
J
T ¥
首
言語拾遺
j習1 1 説文の語法
5というように︑二度制むことになっている︒だが︑被使役者を一不す﹁::をして﹂
しては︑それに先行する部分にある﹁罪過を表斐鳴持に帰せて
: ι
の﹁罪過を:・に婦せ﹂が
時⁝誌と被使役者とがボされていて︑﹁抜かしめて﹂と﹁瞭はしむ﹂との被使役者として︑コ
ることはできるりそうではあっても︑とにかく︑﹁:・をして・:(せ﹀しむいという原間的な使役表現とはならないところにも︑
﹁令﹂字が用いられており︑しかも︑ぞれが︑二動作を受けて使役表現を構成していたのである日そこで︑ここに︑いわゆ
の表現を採用するならば︑﹁首の髪及一手足の爪を抜きて︑之を摘はしむ﹂と訓読することも考えられなくはないことになる︒ただ︑
れていないだけに︑﹁抜きて﹂では︑実離の動作者についての理解を誤らせる恐れもじることになろう︒油辺新註/安田・秋
︑五書のうちコ一書が︑二動作﹁抜く﹂と﹁滞納ふ﹂とに﹂を付けて訓読している︒静一対して︑溝口精義は︑﹁令﹂宇を日 ノ 髪
︑ 及 タ 手 足 ノ 爪 ヲ 抜 カ シ メ テ
﹂ だ け と し
︑ 飯 田
︑
﹁ 首 の 髪 及 手 足 の 以 て 之 を 購 は し む
﹂ と し て い る り そ
さきに見た︑対偶中止法を適吊していたのである︒
︑校本の該吋部分を引いておく
G
み よ
罪過を紫議鳴神に帰せて︑ 之を購はしむ︒(おペ)
お き し
r一 か し ら か み ま た
の置一戸を以てし︑首の髪及手足の
ここもまた︑又丘一学を︑﹁抜かしめて﹂
八刀が︑この本文には存在しないりただ︑
にかぶせる﹀ということで︑そこに︑
み よ
罪過を素斐鳴神に帰せて︑
及 1
之に科するに千庄の置一戸を以てし︑
お は む く ら の お き ど
えを科するに千座器一戸を以てし︑
こ れ お は ち く ら
之に科するに千座
オ ホ
TP
Jブ ノ オ ヰ ト
科スルニ千臨世一 μ
て ︑
及 び
ザ 丸
︑
か{乃 1 J jょ { 乃
れ ツ り て テ て
ぐ ︑
て し
︑
つ 罪y
み過ミ を 素
す 認さ の を の
精
義日 ア ︑
一 ア ︑ ン
︑
ちくらのおきどをおはせて︑
み
のみかみ
て ︑ 校
手足の爪をも抜かしめて︑
精 講
及マ及 Y 手
タ び 足
手 手
ιの
足
T
爪足 の を ノ爪ぷも
爪 を 抜ヲ 抜 か 抜 き し
カ て め ン メ ア以 以 も 以 テ て て
噴 3
之二之フ を
ιを
ιo J 責 t J 堅?し な は む
は し
C令しむ め 。
註
みであしのみつめをもぬかしめたまひて︑ あがなはしめたまひて︑
) ρ 判 V
〆da︑︑︑
ここにおいても︑また︑使役表現の性立表現を見たわけであるのそして︑この る︒そこで︑そこに必要な被使役者をも補填して︑作文してみることとする︒
λ
M ヒ爪 以
素 、
菱、斐
一 ︑
語
︑出mTみ小t
之
嶋 、
韻 L
之 ︒
両宮校注など辻 置
匹 ︑
のような版文を想定しているのであ
素 、
葉、
抜
首
繋
及
次文もまた︑﹁令﹂
伴
・ 来
一宇で︑それを
ふ 火
︑
ふか
1
四
でいる期例ということになるり用例番号も施さないで︑その原文と校本とを引いておく︒
回
︑ 以
之
関p~
日
第43~ト (2007)
精 新 新 校
義 講 撰 注
大
Z
f'r:~
来く来く来〈
日約日め
H
杖什交ぜ枝記
を'を'を P
建た建丈、建 て て て
東
日
天
て ︑
一 ア 一
ア ︑
ヲ 開 キ
︑ 崩 つはものをたててみかどをひらきて︑よものくにびとをまゐのぼらして 弘前学院大学文学部紀要
おはとも
く
め講
賞 ? 貴 繋
きいき」きZコ を こ こ
ト観みと
ヲ せ を観ミし観み サ む し シ 。 む
ム O
校
官 主
みいづをしめしたまひき︒
×
×
×
さら に︑るかに見えるところがある︒
逐 レ 変
使役表現と︑
( 3 )
港 一 麗 し 階 一 事
右の採文を︑両官校注辻︑次のように訓読する︒よ お へ ん か い
O
遂 に 人 を し て 世 郎 新 に
︑ 事 を し て 代 を 滋 ひ て 変 改 せ し む
︒
︿ 日 ベ ) 右 の 文 の 文 末 の は
︑ 文 中 の
﹁ 新 に
﹂ を も 受 け て い て よ い よ う で
︑
いま
人
む
︿
1
・序 )
‑151‑
の表現ということになる
9
ただ︑被伎役者が︑前者は
『古諾拾遺
j露骨説文の語法( 7
を し て ん で あ り
︑ 後 者 は て
﹂ で あ っ て
︑ そ の よ う に 被 使 役 者 が 異 な っ て い て
︑
そして︑その間関については︑既に︑
( 1
﹀の吊関をどう訓読する
⁝の訓読に倣うならば︑その﹁新に﹂は︑
のように書き改めることになるの の表現とすることには跨賭を覚えるのである︒
そ こ
で ︑
( 1
)
の てきたところでもある︒
て送り仮名も修正して︑﹁新たならしめい
る こ
と に
な ろ
︑ つ
ひ
つ ま
り︑その一文としては︑
︒遂に人をし
右のように
原文を想定している︑ということになる︒ O
遂 使 人 歴
L
世 間 弥
右のような原文であったとしたら︑そ
その結果︑対票五書のなかに︑納得い
を確認しておきたい
G事をして代を逐卦
同じ姿勢の︑
し
む
こ と
で ︑
( 1
)
の のとなってこよ︑っ︒ただ︑その いうことは のような
事
亦久
ることとはならなかったであろうのしかし︑その
一例もなかったのである︒そうで 而
ヰ 支
の﹁使﹂字はないのであるの
して︑ぞれが納得いかないこと
校
本新 校
撰 注
w
ぐ
1
t‑ ょを
よ葱ぉ ひ てて
変 変 変 二
へ改改?:
せ せ
し しめ む 事 事 を を
し し
v
て
精 義
人
ヲ 人
2
シ を
テ し 世 て
歴へ
ヲ ・γ
⁝ フ
︑ ン
ム り
ヲ逐ウテ
つひにひとをしてよをへていよ︑あらたに︑こと
J¥
い せ
し む
日
ょをおひて
︑そこを﹁新たに﹂としてしまったのだが︑ いま︑﹁新たならしめ﹂でなければならなかった︑
て い
る ︒
×
×
× て た 使 役 表 現 の
︑ そ
︑ い ず れ も
︑ の 部 分 で も あ っ た の そ し て
︑ そ の 訓 読 字
・
﹁ 捜
﹂ 一 数 の 動 詞 を 受 け る も の で あ る 点 に 起 肉 す る も 川 て よ い よ う で あ る
︒ に見るように︑複数の動詞を受けても︑一字をもって表現するのが一般だったの こ ろ か ら
︑ 二 項 か ら 成 る
︑ ま さ つ で も
︑ い わ 命 る 対 餌 中 止 法 に よ
﹂
? }
﹁ん
P L ︑その胤文の
宇は︑用例
( l
γ
︿
27(3 ﹀
吻 畑
︑
︑ 制 時
︑
ふ/ J /
そ
はできようはずもなく︑各書それぞれの
てきていたもののように思えてならないのである︒
中 心 部 開 拾 遺
﹄ の 版 文 を 見 た と き
︑ の 助 動 詞 宇 の 存 在 に 気 づ か さ れ る
︒ ちに浮かんでくるが︑この吋古語捨遺﹂にあっては︑完
7
の助動鵠﹁たり﹂に相当する﹁所﹂字を︑まず見るのであるG( 4
)
回 戦 委 曲︑ ' 一 予 選
︒ 史
・ 家 難
L
の原文を︑高宮校注は︑次のように訓読する︒
史・家襲︑其の由を載すと難も︑一一一の委曲︑
国史・家牒が︑その畠緒を載せているけれども︑
んで﹁遺りたる﹂と掛んだ︑その﹁たる﹂は︑存続といったほうがよい
たるところんとか︑﹁遺りたるもの﹂とか︑そう解される﹁遺りたる﹂である︒
その﹁たる﹂を︑同じ意味を担う勃動詞﹁り﹂の達体形﹁るんで捌もうとするものもあって︑むしろ︑そちらを多く見たのである︒﹁遣に予を﹁のこ
る﹂と訓んで︑地沼新註は﹁遺レル﹂とし︑そう訓んだうえで﹁所﹂字を添えて訓む溝口精識は﹁遺レル所﹂としている︒安田・秋本新撰は︑﹁遺﹂{子
を﹁あやまっ﹂として﹁遺まてる所﹂と割んでいる︒結持︑﹁所ん字を完了の助融制として受けとめないで︑単に﹁所﹂のままとしてしまっていた訓
みもあって︑ぞれが飯田新講の﹁溜る所﹂である︒
そのように︑それぞれに違う誤みをしているといってもよい︑この﹁所レ遺﹂であるが︑読みは異なっていても︑理解しているところは同じであ
る︑といえそうである口の余地はない︑﹁所﹂
︑それぞれの
︑ ︑.33''/
Q口
s/ ︐︑
完了﹁たり﹂に誤まれる﹁所﹂字
第43
号
(2007) 弘前学院大学文学部紀要ころではある
精 新 新 校
義 講 撰 j
主
国 凶 ;
L 史史し
家か家培、
牒:牒ヱ
其 其 の の
自 由
f略 を
を載の
載 す
す とと 縦 三
難 もι
も
ハ︑其ノ由ヲ載スト難モ︑
こくしけでふ︑そのよしをのすといへども︑
し
E
て 方大
向 じ箇 所
l f
率 、
由︑
できている字というと︑受身を組︑っ用法が直
鉱 閉
dぺ 刈
J
(ロ
ベ)
一、
やはり遺漏している点がある︑というのである︒﹁遺﹂山子を﹁もる﹂と
っていて︑その連体形準体法として訓んでい
であ る︒
‑149‑
の刑 法で ある
︒
以下に該当部分の校本を引いておくこととするの
一二 の
ゐ九
Uょく
委曲 は︑
j
菌 猶
5遺号墳も
ま り で たる る 所 有
手ぎ
り
る む が
と し 一 一 委
ニニ畠
ノッのを
委?委 2
曲土地f
猶遺しル
ひとつふたつゐきよく︑なほのこれることあち︒
太
玉名
められている
時
3
天
g
の 日
いて いく こと とす る︒ 天
ぷ斗
ロ ロ
員
命
・ 櫛 置.
日 山
4HH・玉
ノ』
口 ( J
鷲
氏担系譜)
彦 狭
ロ 乃
r rL F
f
古語拾遺j語1 1
説文の語法︑ も
z r d ハ 同d(
討 の
原 文
を ︑
O
太王命の率たる神の名は︑
太玉命が引き連れてきてい
担っているものである︒ただ︑それ
したがって︑その﹁ところ﹂と
の
ょっ
手口語 1 1
置
f
読帆 υ す
負去る
之入
口 ロ ェ
彦 2
3 央 尽
知
i命 す
の 名
は ︑
と い
っ て
︑
以 下
に ︑
(日・凶ペ)
こ ろ で あ る ︒ ﹁ 撃 た る ﹂ の ﹁ た る ﹂ は ︑ こ こ も ︑
の 連
体 形
で あ
る ︒
﹁ 神
の 名
は ﹂
の ﹁
神 ﹂
主況では︑﹁ところの﹂と訓んで
る﹂と訴まないで︑る所の﹂/﹁郁ヰル
かっていくことになる︒﹁たるんと訓んだうえ
いうことになって︑そのように︑ の﹂とする安田・秋本新撰︑
ここでは︑﹁ところの﹂とする訓み
そこで︑少々泊目したいのは︑そのウ
こ の
( ら
) の
﹁ 所
﹂ 川
や は
︑ 受
身 を
相 い
う も
の で
は な
い
成する場合の︑一つの傾向と見てよいもの
そこで︑この部分についても︑
い う
表 現
で あ
る の
そ の
﹁ :
・ 所
の い
は ︑
いられてきているものと解されてきている︒
﹁ た
る ﹂
に 訓
読 し
た も
の で
︑
あるいは︑受身・完了の
っ た
の で
あ ろ
う か
︒
精 新 新 校義 講 撰 杭
太 会 太 太
王
. 1
玉 五命 : 命 の
の の 6 i T
率 2 率ゐの
ゐ た 率 ゐ
る た 所の 名
は ︑
太玉命ノ率ヰル
ふとたまのみことのひきゐ
天;天主天 t 天~~
目ノ日ま目:日t
鮪与簡の
Jう 、 ノ ¥‑ I l P l i r f
と と
いておくこととする︒
日す
︒
手タ子λ:手
2
手た置ヰ問主置 i 置
f$}L,J、和L"帆
2
帆は負う負負 1 負 E
命 命
1
命 命 ?のみなを︑あまのひわしのみこととまをす︒たきはワのみこと︑ひこさしのみこと︑
簡命
くしあかるたまのみこと︑あまの日ひとつのみこと︒
ス ︒
て︑それを取り立てることをしなかったが︑
字を敬遠した訓読である︒
×
×
×
︑ ﹁
所 率
﹂ を
﹁ ひ
き ゐ
る ﹂
宇 を
A
切受けとめることをしていなミ
ところが︑ここに︑この例こそは完了に相当すると思える
( G
)
拐 度 所 レ 鋳
︑ 少 そこを西宮校注は︑次の
︑ ︑
︐
r d
ハ
V
噌lみ
/︐l¥
字を
縛 ゆ 眠
︑
同
t
しったのである︒(況
ベ﹀
思 兼 神 の 発 案 で
︑ 神 鏡 を 鋳 造 さ せ た
︑ あ の 場 面 で あ る
︒ 最 初 に 鋳 造 し た 鏡 は
︑ こ ろ に 過 さ な か っ た
︑ と い っ て い る と こ ろ で
︑ は っ き り 完 了 の 意 を 担 っ て い る と こ ろ で あ る
︒ そ こ を
︑ 溝 口 精 義 だ け は
︑
﹁ 鋳 一 ブ レ シ ハ
﹂ と い う よ う に
︑ 受 で い た の で あ る の 安 同
・ 秋 本 新 撰 が
﹁ 鋳 た る
﹂ と し
︑ 四 百 校 注 に 同 じ く
︑
﹁ は
﹂ を 添 え て
﹁ い た る は
﹂ と し て い た と こ ろ で あ る 口
︑ さ き の
( 4
)
において
も ( ら ) に お い て も そ う で あ っ た よ う に
︑ こ ろ
﹂ と 訓 ん で い て
︑ の 訓 み に つ い て の 姿 勢
が見えてくる岱
第 4 3
号( 2 0 0 7 )
弘 前 学 院 大 学 文 学 部 紀 繋
とし て︑
つま
り︑
によって校本を引いておくこととする︒
度
新 精 新 新註 義 講 撰
次 次 つ の疫ぎ
度れこ に 競 鋳 たた る
る は新 精 新 新 校 註 義 議 撰 注
るは
︑
少:
カ ¥ 2
骨、最 A
か口 な
は
ず
。
ハズ
︒
すこしくみこ︑ろにかなはず︒
右に続いて︑まったく同じ﹁所レ鋳﹂
O 次
初めの既に鋳たる︑
初ノ度ニ鋳ラレシハ︑
はじめにいたるは︑
次ノ 度一
⁝鋳 一フ レシ ハ︑
つぎにいたるは︑
用例番号も擁さないで︑その版文と校本とを引いておく︒
美
( 7
・ 日
神
麗其 其 そ 其
ノヅJ
の の
;1犬~夫;状
美
7・ 美
競ス英ぅ麗 シ 麗 る な
り は り
し
そのかたちうるはしかりき︒
日輔義だけが︑
( P
L
O﹀において︑﹁所鋳﹂を一ブレシハんと訓んでいたことを十分に確認したうえで︑争
﹂
︑
ー
‑147‑
れている
f d
歩 ﹂甘藷拾遺
J
司11読文の籍法︑
ga
JY
宅2・AIi
追ってみたが︑実は︑その溝口精義をも合めて︑そ 搾﹂に見る用鰐・を始めとして 見ないのである︒
ことがなかったのである︒を用いて﹁いはゆるんと誤む﹁所謂﹂
( 5
に含まれる︑その受身は別として︑少なくとも︑﹁るい﹁らる﹂を用いた受身に誤んだ用例をまったく
と訓む用例を見ないことが︑正直なところ︑長ずかしいことに︑驚きだったのであるつ
(7) 天
×
×
× の 助 動 詞 と し 字 を
︑
﹁ た り ん と 説 ん で き て い 落 か ら 始 ま る つ 所 レ 遺
﹂ を 述 べ 一 段 落 に 集 中 す る
︒ そ の 第 三 十 五 段 落 を 一 也 ん と し て
︑ 第 四 十 五 段
十一の﹁所レ遺﹂の訓みである︒そして︑そのつ附レ遺﹂は︑冒頭の第一段落において見てきたところでもある
以下に︑念のため︑第三卜五段落の︑該当する原文だけを引き︑いて︑その部分の校本を引いて確認することとする︒
( 7
) 町
︑ 久 如
︑ 不 レ 修
︒ 所 レ 遺
︿ お
・ 遺 り た る こ
また︑﹁とこ ていくことのできる
い う
と ︑
ぞ れ
は ︑
第 一
一 の
﹁ 所 レ 遺 十 一 に ま で 続 く
︑ そ の
{ ‑ ¥ ; ;
樹
明
﹂
︑
;
な り
︒
三ぎて》遺?遣も
? } て り
2 2 5 る た
r
1l兄 所 る
vノ?の
其の
其の札を修めず
c
ぞ み や を き
其の礼を惰めず︒
其ノ礼ヲ鯵めず︒
そのゐやわざをなさず︒のこることつとつなり︒
て ︑
新 新講 慌
久主久生
代
tヨ よ よ り り り
調モ閥守鞠
如ラ女 I J 拙
シ に し テ し て
、て
y レ
一 ツ
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︒
間るに
な り
︒
GHU}レ
E U
︑/
ひさしくもれて︑
そ こ で
︑ こ の 一 段 落 に お い て 述 べ よ う と し て い る と こ ろ を 観 察 す る と
︑ 幕 薙 て は 同 家 の 名 に お い て 当 然 であるのに︑国家がそれを溺らしていることを非難している︑ということができるむ出家が幣吊を奉る諸社のリストに熱田宮が漏れていることが︑
その不満の一として取れりたてられている段落なのである︒したがって︑その﹁所 L 遣いは︑その一段落の流れから辻︑︿もちされたる﹀とか︑︿わす
も の よ あ や ま も の こ み や ま
れられたる﹀とか︑読みとれてきてしまうのであるむその校本の諸説﹁遺りたる﹂﹁潰れる﹂﹁遺てるいは︑︿遺らされたる﹀︿遺されたる﹀︿選たれ
たる﹀というように読みとれきてしまうのである口
あるいは︑上代の漢字文献を取り扱う苦界では︑極めて常識的な事項であるのかもしれないとは思いながらも︑﹁たり﹂﹁り﹂など︑完了の助動詞
で訊んできているつ前﹂字に︑さらには︑そのまま﹁ところ﹂と誤んできている﹁所﹂字にも︑受身の意味があるものといっておく必繋があるように
思えてきたのである︒トぃ代語に︑助動認﹁らるんが事在しないことや︑﹁る﹂もまた︑受身の鼎倒的が授られることは︑広く認識されているところであ
る︒そして︑受身という発想が外来のものであることも︑これまた︑広く︑感じとられている孟さように思える︒
中国文に散って︑﹁所﹂字をそこに用いていても︑部諸いては︑﹁たりんや﹁り汁また︑﹁ところんとしてきでしまっていた︑というように思
えてきたのである︒すると︑
( 8 )
において︑﹁所レ鋳﹂をしシハ﹂と訓んだ溝口精義が︑勇気ある新説だった︑というように感じとれてもくる
(1
2 )
の で あ る の そ し て
︑ こ れ ま で に ヲ い て き た
︑
﹁ た り
﹂ て き て い る
︑ そ れ ら 字 は
︑ 現 代 人 と し て は
︑ 受 身 で 読 み と っ て いきたいように思えてくるところでもあるのである︒受身表現を知った者としては︑そう読みとっていきたくなる寸断﹂学の部分なのであるの
﹁ と
こ ろ
﹂ と
×
×
×
吋 古 語 拾 遺
﹄ に は
︑ も ち ろ ん
︑ 場 所 や
︑ そ れ に 類 す る 意 味 を 担 う 名 謁 と し て 用 い て い る 字
︑ ま た
︑ 形 式 名 詞 と 認 め た い 字 も あ ろ う の
さらに︑尊敬の鶏肋動詞﹁ます﹂や尊敬の劫動詞﹁す﹂に訓まれている﹁所﹂学もあるかもしれない︒小稿としては︑それらについての検討は︑しば
らく措くとしても︑完了の助動詞﹁つ﹂に誤まれているつ附﹂字についてだけは︑何としても︑ておかなければならない︒
顕 神 名 為 氏 姓
J ( 日・天孫の いわゆる注記として番かれている部分である︒そ
( 8 )
の 原
文 は
︑
ついて︑以下に︑校本を引いて紹介する︒
第 4 3
号( 2 0 0 7 )
グ 〉
名なる を 所
以
1 を
て 以 て
氏 氏 2
4 生字姓 と勿と 為為叫 す り
て 精 新 新
技 講 撰
兵 力
v氏
姓
T、 姓
ト と
ス 為
むすス所ノ神ノ名ザ以一ア
弘前学院大学文学部長:要
の
のみなをあらはせるゆゑにかばねとなりき︒
その本文は︑天錨女命が︑猿女君の遠視であることを解説しているところである︒どうして猿女君というのかを解説しているところであるの天 鋒臨の昔︑その天孫のザ二行がお通りになる道にいた道祖神に︑ご一行中の天銅女命が︑その名を問い質すと︑猿旧彦大神と符えた心そこで︑
その天銅女命の子孫は︑天鋪女命によって公表された明神の名である﹁裁﹂を捜って︑﹁猿女﹂とした︑といっているのである︒
﹁臨ん苧を︑地動詞﹁あら試す﹂と調むと︑同じ完 7 の意を表すにしても︑助動詞としては︑﹁つ﹂が付きやすかったのであろうか︒そして︑そこ
は︑天錨女命が公表させた︑というようにも︑天鋸女命によって公表させられた︑というようにも︑いずれにも銃みとれるところなのであるむ
あ ん は し
と に か く
︑ こ の 部 分
︑ 飯 田 新 講 に
﹁ 所 顧 つ つ る
﹂ と 訓 ん で い る こ と
︑ こ こ に
︑ は っ き り と 示 し て お き た い
︒
と あ
り ︑
×
×
× い こ と に
︑ 宇 の 字 義 に
︑ の 意 味 が あ っ た の か
︑ な か っ た の 確 認 す る こ と が で き な い
︒ 少 な く と も
︑ 境 行 の 漢
和辞典の類を見ても︑その︑完了の字義を載せてくれであるものがない︒一方︑古訴を載せてくれである︑例えば︑﹁角川大学減﹂などからは︑﹁タ
リ﹂と掛まれていたことを確認することができる︒長官)
﹁ 所
﹂ {
子
L
を﹁タリ﹂と訓んでいた︑上代・中古の先入試︑何を意味する﹁タつんとして訴んでいたのであろうか︒中国産の漢籍のなかにも︑そう訓
むところがあったのであろうかのあるいは︑告本の漢字文献を訓む際にだけ行われていたことなろうか︒
い ま
︑ ま
た ︑
言語拾遺j
( 13)
てい る︑ 平口 語拾 遺﹂ のつ 品川
﹂ ものとも考えられなくない︒ただ︑現行
のなかに見られる︑︿すっかり﹀とい
こ と が で き そ う に 見 え た が
︑ そ れ は
︑ の 対
︑完了の意味を見ることは︑どうしてもできないのである︒あ そこに結びつくのであろうかりえUパムす晶︑
J i i
補読される敬語
の漢字文献においては︑
著作者の︑登場人物に対する評価が︑そうさせているもの
次の原文には︑その述語動詞﹁議﹂に︑札
・ ヨ 丘 出 回
T
︑ T ︑ ︑
ー ⁝
E
士 一 今
? j
( 8
)
高
σ 〉
って部み添えることが行われてきている︒それは︑
ことができる︒
産
︑まったく添えられていない︒高息産霊神の動作をいっているところ
河 原
︑ 議 謝
之
b
、
エヰ 再 昏 .'illi:
直ちに︑右の原文の︑前説文の校本を見るこ
校注
高山
法政
霊神
︑ 新 精 新 註 義 講
校
rt
ょ仰1油、仰1
自 み 尚
三 ま 筆 記産 I叢
々ぞ~刈
神:神
高山
民産
霊神
︑
たかみむすびのかみ︑やそよろづの
天
/ ¥ .
円 ¥
、謝み奉らむ方を議らふ︒
円 ¥
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き
ヲ 方i
議;を
リ 議
2タ り ふ
マ 給
2
7
、s.へて
ヘ 一
︑ア ︑
、叫
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i 而 グ 〉
らにつどへたまひで︑
いのりたまはむきまをは
そのまま訓読するのであるならば︑
新註は﹁はかりたまひき﹂というように︑
その︑同じ段落には︑天照大一神も登場している︒その
( 9
)
子 レ 時
︑ 天 照 大 神
︑ の原文についても︑直ちに︑その
G
いというところを︑飯田新講が﹁議り給ふ﹂とし︑
て訓んで︑三者とも︑
マ フ
﹂
新 校撰 注
して
︑
土 寸 噌 ﹂
︑
子時
︑
天照大神︑
天照大神︑ 天
、 窟お
問
c I
に 幽磐
賠
おれ た
と ろ‑C' あ
る
4
而
いてみることとする︒
円
し
磐 ⁝ ρを間関して幽肘りましきり
磐一戸を間し︑耐て糊居したまへりの
し
その
ぴ〉
04
精 新 義 講
あま
c h 4
おはんかみ︑天照大神︑
か あ ま の い は や
赫怒りまして︑天石窟に入りまして︑
ツテ︑天ノ石窟ニ入ワマシ︑
時
ヲ毒事 i :
賄 戸 と シ を
テ 閑 旦 陣!コし居 モ
マ
ン
ヌ そのときに︑ あまてらすおはみかみ︑ いかりまして︑ いはとをたててこもりましぬ
あまのいはやにいりまし
第43号(2007)
右の本文では︑ a
﹁ 赫
怒 ﹂
・
b
﹁ 入
﹂ ・
c
﹁ 間 ﹂
'd
﹁ 幽 民
﹂ の の 動 作 が 搭 写 さ れ て い る こ と に な る り そ の う ち : b
に つ い て は ︑
訓読文全五書ともに︑尊敬の補助動一部﹁ます﹂を添えている︒一方︑については︑全五番とも︑一切の敬語補読を行っていないり
a ﹁
赫 怒
﹂
については︑講口精義が︑そのまま﹁赫怒ツテ﹂だけであるのに対して︑の四番は︑すべて︑尊敬の揺肪動⁝一部﹁ます﹂を添えている︒最後の︑
d﹁鶴居﹂においては︑他の四番が﹁ますんを用いて尊敬の意を添えているのに対して︑安田・秋本新撰だけが︑同ヒ尊敬の撞助動詞でも︑﹁たまふ﹂
を用いて尊敬表現を構成している︒
金五書ともに︑上代語として受けとめられる﹁ます﹂のほうに︑敬意の高さを意識して使い分けていたものと見えてくる口天照大神と高皇産霊神
とを︑過し分けているものといえる︒ただ︑大神の動作でも︑ d ﹁幽街﹂を︑安田・秋本新撰が﹁酪倍したまへりんとしているの辻︑完了の助動詞
﹁れとによって完了の表現を構成しようとしたからかにも思えてくる︒とにかく︑訓読にあたって︑尊敬と完了とをふんハ起させた表現として︑﹁;た
まへり﹂が採用された︑ということである︒もちろん︑補助動詞﹁ます﹂も︑完了の助動謁﹁り﹂を下按させることはできる︒聖書の和訳にある﹁主
は来ませり己の﹁・:ませり﹂である︒そうではあっても︑新撰は︑というより︑新慨が採用した訓読文は︑﹁:・たまへりんが︑尊敬・完了の表現と
して定穫していたのであろう︒
‑143‑
C
弘議学説大学文学部紀繋×
×
×
ついての︑その訓読文には︑幾つかの異同が認められるが︑ここでは︑
ていくこととする︒ して︑同一動作を表す融一一副に︑尊敬語を補うもの の ( と
10
謙
〉 譲
雪五 口 仁1
を
補つも
の
と 諾 ' 伊 神
・ 丹 持
︒ 最 素 斐
右の原文のなかには︑
a‑ b‑ c
の
︑ 一
一 一
宇 の
﹁ 生
ん 字
が あ
る ︒
そ の
で るひそこで︑その校本を掲げることとする
G
大
J¥︒ 次
︑ 後 境
再
為 夫
t 議
国
及lff ぬυ
山 J I I
日 2
の﹁生﹂学ともに︑その校本を見たとき︑ の補助動謁を訓み添えてい
精 新 新 校 義 講 撰 注
ヲ
し ら
の 禅
︑
い
J Z なν也 ︑