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ラス、アサクアルパ遺跡出土の黒曜石資料の分析を 中心に

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ラス、アサクアルパ遺跡出土の黒曜石資料の分析を 中心に

著者 小川 雅洋

著者別表示 Ogawa Masahiro

雑誌名 金沢大学考古学紀要

号 42

ページ 99‑112

発行年 2021‑03‑05

URL http://doi.org/10.24517/00061627

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はじめに

マヤ文明をはじめとするメソアメリカの諸文明に おいて、政治的な統一されることはなかったものの、

数多くの共通的な文化要素が指摘されている(e.g.

Kirchoff 1992) 。たとえば、文字体系や暦、神殿ピラミッ ド、高度な天文学、トウモロコシを基盤とした生業、

人身供儀などである。こうした共通的文化要素は、交 易ネットワークを介しつつ、人やモノ、知識などの広 がりとともに受容され、定着していった。このような 地域間交流は文明の政治経済的発展において非常に重 要な役割を果たしたと考えられる。実際に、支配者層 の威信財であったヒスイやケツァルの羽、海の貝に加 え、美術や建築様式に関するアイデアなども交換され ていた(青山 2015:5)。

本稿の対象となる黒曜石もそうした地域間交流に よってもたらされた石材である。マヤ文明は、金属器 を使用せず、石器を主要利器とする文明であったため、

鋭利な刃を持つ石器として利用するのに適した黒曜石 は特に重宝される石材であった。ゆえに、黒曜石の用 途は多岐に渡り、日常用具としてはもちろん、武器や 儀礼の道具など様々な場面で大きな役割を果たした。

こうした黒曜石は火山によって生成されるため、原産 地が限られているものの、メソアメリカ各地の遺跡か ら黒曜石製石器が出土しており、往時には交易によっ て黒曜石を獲得していたことがうかがえる。

本稿では、マヤ文明において重要な石材の一つで あった黒曜石に着目し、マヤ南東地域の周縁部に位置 するアサクアルパ遺跡出土の黒曜石資料について論じ る。蛍光Ⅹ線分析による原産地推定の結果をもとに、

石材獲得およびそれに伴う地域間交流に関する考察を 行う。

1.研究対象地域

1-1.マヤ南東地域の概要

 マヤ文明が繁栄した範囲は、現在の国家区分におい て、メキシコ南部、グアテマラ、ベリーズ、ホンジュ ラス西部、エルサルバドル西部に広がる(図1)。そ の中でも、マヤ南東地域は、グアテマラ東部からホン ジュラス西部およびエルサルバドル西部にかけての地 域にあたり、マヤ地域の南東端に位置している。マヤ 南東地域は、他のマヤ地域の遺跡と比べても、黒曜石 やヒスイなどの産地が比較的近い地理的環境のため、

マヤ文明内での交易ネットワークの一結節点として機 能した。加えて、マヤ文明圏の地理的な「周縁」に位 置付けられてきた一方で、「非マヤ」社会との境界に 相当するため、マヤ社会と「非マヤ」社会との交易お よび文化的接触がなされてきた地域でもある。

 こうしたマヤ南東地域の一大都市として繁栄を遂げ ていたのが、ホンジュラス西部に位置するコパン(図 2)である。コパン王朝が創始された426/427年から、

王朝が崩壊したとされる820年頃まで、マヤ南東地域 の最有力都市として繁栄した。その間、コパンはその 周辺地域に相当するラ・エントラーダ地域やグアテマ ラ東部などにも政治的、経済的、文化的に影響を及ぼ した。特に、コパンの北東約50㎞に位置するラ・エ ントラーダ地域では、ラ・エントラーダ考古学プロジェ クト1)の調査にて出土した遺物の分析の結果、マヤ と「非マヤ」双方の物質文化が混在していることが指 摘されている(中村、青山 1992)。

1-2.マヤ南東部における主要な黒曜石の原産地  そもそも、黒曜石は火山活動によって生成されるた め、黒曜石の原産地は限定される。マヤ南東地域にお いて、利用された主要な黒曜石の原産地は、グアテマ ラのサン・マルティン・ヒロテペケ、エル・チャヤル、

イシュテペケ、そしてホンジュラスのラ・エスペラン

マヤ南東地域における地域間交流の研究

- ホンジュラス、アサクアルパ遺跡出土の黒曜石資料の分析を中心に

小川 雅洋

(金沢大学大学院人間社会環境研究科 博士後期課程)

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図1:マヤ地域とメソアメリカの諸遺跡(青山 2007:9-10 図1を改変)

2:マヤ南東地域:コパンと主要な黒曜石原産地の位置関係(Fukui 2015107 Figure5 を改変)

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サ、サン・ルイスである。この他、古典期と後古典期 前期のコパンではメキシコ中央高原産の黒曜石も利用 していた(e.g. Aoyama 1999:95,131,187) ことが判明し ている。このように、マヤ南東地域から遠く離れた原 産地から黒曜石がもたらされる場合もあり、遺跡から 出土する黒曜石の原産地は多様である。

2.黒曜石の原産地推定法

 こうした各原産地から採石された黒曜石は、マグマ の化学組成や生成時における温度、圧力といった物理 条件の違いなどによって原産地ごとにその化学組成が 多様化する(金成ほか 2010:62)ため、原産地によっ て固有の特徴を持つことになる。ゆえに、原産地から 採石した石材サンプルの化学組成を把握し、出土した 黒曜石資料の化学組成と比較することで、原産地推定 を行うことが可能となる。これは、往時における石材 を介した人の移動や地域間交流を推察する手掛かりと なり得る。

 マヤ地域においても黒曜石の原産地推定が数多くな されてきたが、その手法は二つに大別される。一つは、

肉眼分析による原産地推定である。肉眼分析では、色 や透明度、輝き、含有物などの観点から、各原産地の 黒曜石が持つ特徴を観察することで、原産地を推定す る(e.g. Aoyama 1999; Braswell et al. 2000) 。肉眼分析は 迅速で安価な手法である。その反面、分析者の視覚や 経験、熟練度に大きく依存する手法であるという弱点 もある。

 もう一つは、理化学的な分析による原産地推定で ある。主に、中性子放射化分析法(e.g. Vogt et al. 1982) や蛍光Ⅹ線分析法(e.g.望月ほか 1994)などがある。

肉眼分析と比べると、迅速さやコストの面では劣る 一方で、客観的で反証性が担保される手法である。従 来は肉眼分析が主流であったものの、現在では、理化 学的分析による原産地推定も一般的となってきてい る。また、近年ではハンドヘルド型の分析装置を用い て、現場で分析にかけることも可能となっている(e.g.

Aoyama 2017)。

3.マヤ南東地域における原産地推定と黒曜石交易ネッ トワークの研究

 マヤ南東地域においても、原産地推定に基づく黒曜 石の交易ネットワークが論じられてきた。青山の研究

によれば、肉眼分析による原産地推定がなされてお り、マヤ南東地域の最大都市であるコパンでは、出土 する黒曜石は98.5%がイシュテペケ産黒曜石であると される(Aoyama 1999:24)。また、貴族階級の居住区 に相当するラス・セプルトゥーラスから出土した黒曜 石を対象に、中性子放射化分析も行われており、そ の95%がイシュテペケ産であり、残りの5%はエル・

チャヤル産であるとの結果が示されている(Harbottle et al. 1994:446)。コパンからイシュテペケまでの距離 は約80㎞であることから、比較的近い原産地である イシュテペケから黒曜石を獲得していたことがわか る。特に、古典期後期のコパンの支配者層はイシュテ ペケ産黒曜石へのアクセスが高く、イシュテペケ産 黒曜石を都市中心部から周辺にかけて再分配していた

(Aoyama1999:134-135)というのが現在の定説となっ ている。 

 コパンの周辺地域に相当する古典期後期のラ・エン トラーダ地域においても、大規模な遺跡ほどイシュテ ペケ産黒曜石の比率が高いことが指摘されており、コ パン王国がイシュテペケ産黒曜石を統御し、その周辺 地域であるラ・エントラーダ地域へ黒曜石の供給をし ていた可能性が示唆されている(青山 1993:113)。し かし、コパンの周辺地域であるラ・エントラーダ地域 では、その南部ではイシュテペケ産黒曜石の比率は高 いものの、その最北部では、イシュテペケ産黒曜石の 比率が急激に減り、サン・ルイス産黒曜石の比率が増 えることが報告されている(Aoyama 1999:145)。これ は古典期後期のコパン王国によるイシュテペケ産黒曜 石分配圏の境界、ラ・ベンタ盆地のロス・イゴスとロ ンカドールの政治的領域の境界、あるいは両方を示す と解釈されている(Aoyama et al. 1999:247)。

 一方で、福井はラ・エントラーダ地域から出土した 黒曜石資料を対象に、蛍光Ⅹ線分析による原産地推定 を行った(Fukui 2015)。その分析の結果、ディアブ ロ遺跡などのように、ラ・エントラーダ地域の最北部 でもイシュテペケ産黒曜石は高い比率を占める場合が ある一方で、ロス・イゴス遺跡のように、コパンとの 関連が強いとされていた遺跡でもサン・ルイス産黒曜 石が多く占められている場合あることも福井は報告し ており、従来想定されていたよりも複雑な黒曜石交易 ネットワークの様相を指摘している(Fukui 2015:80- 82)。

(5)

 コパンから主要な原産地であるイシュテペケまでは 直線距離にして約80㎞である一方で、サン・ルイス までは約80㎞、ラ・エスペランサまでは約120㎞で ある。距離的な差異が極端にないにも関わらず、イシュ テペケ産黒曜石が多く利用されていることは、古典期 後期のコパンのイシュテペケ産黒曜石の統御・分配圏 を示し、黒曜石の分析結果の観点からは、中央ホンジュ ラスとの関係が希薄2)であったことを示唆するとして いる(青山1993:115)。

 しかしながら、安定同位体の分析による移民動態の 研究(Suzuki et al. 2020)などにより、中央ホンジュラ スなどとのつながりが指摘されている現在、ラ・エス ペランサなど、イシュテペケ以外の原産地からより多 くの黒曜石が獲得されていた可能性を再検証し、マヤ 南東地域における地域間交流の実態を再考することが 必要であると考える。そのためにも、理化学的分析に よる原産地推定のクロスチェックと、未分析の黒曜石 資料を分析していくことは不可欠である。そこで、本 稿では、「古典期後期のコパン王国のイシュテペケ産 黒曜石分配圏外」に位置するアサクアルパ遺跡を対象 とする。

4.研究対象の概要

4-1.アサクアルパ(Azacualpa)遺跡

 ラ・エントラーダ地域内のラ・ベンタ盆地の北東部 にキミスタン盆地が位置しており、その西部にアサク アルパ遺跡(図3)は位置する。キミスタン盆地は、

ラ・エントラーダ地域やナコ谷、モタグア谷下流域な どと隣接するため、そうした隣接地域との地域間交流 や、マヤと「非マヤ」間の相互交流の関係性を考察す るためにも非常に重要な地域と解釈されている(Abe

1992:1)。ラ・エントラーダ考古学プロジェクト第二

フェーズの一環として、1991年からアサクアルパに て調査が行われている。

 アサクアルパ遺跡からは107のマウンドが確認され ているのに加え、大規模な遺跡にカテゴリー分け3)さ れており、往時は地域センターとして機能したと考え られている(Nakamura 1991b:130-131)。遺跡の中心部 は広場が二重に囲う配置となっていたり、広場の中心 に建造物が配置されていたりするセトルメントパター ンなどから、「非マヤ」の文化パターンと解釈されて いる(Abe 1992:2)。調査の一環で五つの試掘坑が設

置されており、発掘調査がなされた(Abe 1992:3-15)。 出土した土器は、多くが古典期後期4)に相当する。ま た、表面採集では、先古典期に相当する土器も確認さ れていることから、この遺跡における居住は先古典期 から古典期後期にかけて行われたと考えられる。土器 に加えて、本稿で対象となる黒曜石製石器も出土して おり、合計186点が確認されている。

4-2.アサクアルパ遺跡出土の黒曜石資料

 本稿では、先述したアサクアルパ遺跡より出土した 黒曜石製石器186点を分析対象とする。この186点の うち、115点5)は青山の予備的な分析によって器種分 類と肉眼分析による原産地推定がなされている(Aoya- ma 1992)。その結果、115点のうち56.5%(65点)が 未知の原産地と推定された (Aoyama 1992:6)。これは 当時、中性子放射化分析の結果待ちだったサン・ルイ スに相当する。一方、115点のうち43.5%(50点)は イシュテペケ産に相当するとされる(Aoyama 1992:7)。

また、アサクアルパにおける居住年代の初期に相当す る層位からはサン・ルイス産黒曜石が多い(74.7%/65 点)一方で、最終居住年代に相当する層位からはイシュ テペケ産黒曜石のみ(28点)が出土していることが 報告されている(Aoyama 1992:7-8)。このようにアサ クアルパの黒曜石獲得に関して、通時的変化が存在す る可能性も指摘されている。

 先述したように、肉眼分析で原産地推定がなされ た資料に関しては、理化学的な分析による原産地推定 を行い、結果をクロスチェックすることが必要と考え

3:アサクアルパ遺跡と試掘坑の位置(Abe 1992  Fig.2を改変)

(6)

る。また、未分析の資料も含めた全点分析に近い形で の結果を示す必要がある。そこで、以下では、先行研 究で扱われていない未分析資料を用いつつ、対象資料 を蛍光Ⅹ線分析にかけることを通して、アサクアルパ における黒曜石資料の原産地を明らかにする。また、

石材獲得およびそれに伴う地域間交流の実態に考察を 加える。その際、対象となる黒曜石資料の出土コンテ クストや器種などの属性データと、蛍光Ⅹ線分析によ る原産地推定結果とを擦り合わせることで、アサクア ルパにおける黒曜石資料の傾向を探っていく。

5.分析方法

 先述したとおり、本稿では、蛍光Ⅹ線分析法を用い てアサクアルパの黒曜石資料の原産地推定を行う。そ もそも、蛍光Ⅹ線分析法とは、試料にX線を照射し た際、原子核から電子が移動することで生じる蛍光X 線を用いて測定する手法である。蛍光Ⅹ線は各元素が 固有の波長を持つために、それを測定することで、含 まれている元素やその量を明らかにすることができる

(池谷 2009:14-15)。この分析法には、同じ理化学的分

析法でも、中性子放射化分析とは異なり、非破壊かつ 操作が比較的容易であるというメリットがある。

 そこで、分析の際には、金沢大学鉱物・結晶学研究

室所有のRigaku社製、波長分散型蛍光X線分析装置

ZSX PrimusⅡを使用した。測定条件は、電圧:50kV、

電流:50mA、照射径:10mm、測定時間:480sec、雰 囲気:真空である。なお、資料を蛍光Ⅹ線分析にかけ る際には、試料ホルダーに入れて行った。また、直径 3㎝以下の黒曜石資料に関しては、ポリエチレン試料 容器に入れた後、ポリプロピレンフィルムで表面を覆 い、固定させた上で試料ホルダーに入れて分析を行っ た。定量分析を行い、分析元素は、黒曜石の主要な構 成元素であるアルミニウム(Al)、マグネシウム(Mg)、 ケイ素(Si)、塩素(Cl)、カリウム(K)、カルシウム

(Ca)、チタン(Ti)、マンガン(Mn)、鉄(Fe)の9 元素に、原産地推定の際に有効であるとされるルビジ ウム(Rb)、ストロンチウム(Sr)、イットリウム(Y)、 ジルコニウム(Zr)の4元素(望月 1997:162)を加え た合計13元素とした。

6.原産地推定結果

 分析の結果、試料の形状などの問題6)で186点中8

点は有効な分析値が得られなかったため、本稿では合 計178点を分析対象として扱う。最初に、分析値とし て得られた元素の濃度(ppm)を用いて、判別図を作成 する。アサクアルパの黒曜石資料を扱う前に、まずは、

福井が原産地踏査を行って採石した各原産地の原石サ

ンプル(Fukui 2015)を蛍光Ⅹ線分析にかけ、得られ

た分析値をもとに、どのような判別図となりうるのか を確認する。この際、まずはルビジウムをX軸、ス トロンチウムをY軸にとった判別図(図4)で原産地 を判別する。しかし、この段階では、イシュテペケと サン・ルイス、サン・マルティン・ヒロテペケは判別 可能であるが、エル・チャヤルとラ・エスペランサに 関しては、似通った分析値を示し、判別ができない。

そのため、エル・チャヤルとラ・エスペランサに関し ては、さらに鉄をX軸、ルビジウムをY軸にとった 判別図(図5)でどちらに該当するかを判別する。

 上記の判別図に、アサクアルパの黒曜石資料を蛍光

Ⅹ線分析にかけて得られた分析値を反映させていく。

同じように、Rb-Srの判別図(図6)とFe-Rb(図7)

の判別図を作成してみたところ、イシュテペケおよび サン・ルイス7)に多くのプロットが集まっていること がわかる。その他、少ないながら、エル・チャヤルや ラ・エスペランサにもプロットが見られる。

 アサクアルパの黒曜石資料における原産地別比率 をグラフ(図8)にまとめると、最も多かったのはサ ン・ルイスで56%、次いでイシュテペケが37%とい う結果を示す。この結果は、先行研究における青山の 原産地推定(Aoyama 1992:6-7)に類似する。つまり、

アサクアルパにとって、最も近い原産地であるサン・

ルイスから黒曜石を多く獲得していたことを指摘でき る。ここで最も注目すべき点は、これまで言及されて いなかった他の原産地から黒曜石を獲得していた可能 性である。分析結果から、全体の7%と点数は少ない ながら、エル・チャヤルやラ・エスペランサからもた らされた黒曜石の存在がうかがえる。つまり、アサク アルパの人々は、サン・ルイスやイシュテペケからだ けではなく、他の原産地からも黒曜石を獲得しており、

その獲得形態は従来想定されていたよりも多様性に富 んでいたと考えられる。

7.考察

 以下では、先述した蛍光Ⅹ線分析による原産地推定

(7)

図4:原石サンプルを対象にしたRb-Srの判別図(単位:ppm)

5:原石サンプルを対象にしたFe-Rbの判別図

(エル・チャヤル、ラ・エスペランサの原石サンプルのみ、単位:ppm

6:アサクアルパ遺跡出土の黒曜石資料を対象にしたRb-Srの判別図(単位:ppm

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結果に、器種や出土コンテクスト(層位や出土地点)

のデータを擦り合わせつつ、アサクアルパ出土の黒曜 石資料の傾向を分析し、考察を行う。

7-1.器種の傾向

 まず、ラ・エントラーダ考古学プロジェクトにて、

青山が行った器種分類(Aoyama 1991)をもとに、大 まかな器種分類を行った(図9)。また、器種別の原 産地別比率を表1で提示する。その結果、剥片・砕片 に次いで、定型的な石刃である押圧石刃が多く見られ る。その他には、石刃核や剥片石核、スクレイパー、錐、

ノッチなどが確認された。原産地別の特徴としては、

イシュテペケ産黒曜石は押圧石刃が多い一方で、剥片・

砕片が少ない傾向にある。石刃核も確認されているた め、イシュテペケ産黒曜石で押圧石刃製作がなされて いたと考えられる。

 一方で、サン・ルイス産黒曜石は剥片・砕片やその 他の器種が多い反面、押圧石刃は確認できない。自然 転石も確認されており、自然石や大型剥片などの形態 で搬入したと考えられる。本稿で扱っているアサクア ルパ出土の全黒曜石資料(178点)中、自然面が確認 できるものは約38%(66点)である。しかし、その 内訳を確認すると、その約95%(63点)がサン・ル イス産黒曜石に占められ、残りはイシュテペケ産黒曜 石が約2%(1点)、エル・チャヤル産黒曜石が約3%(2 点)となっている。これはやはり、アサクアルパにお

7:アサクアルパ遺跡出土の黒曜石資料を対象にしたFe-Rbの判別図

(エル・チャヤル、ラ・エスペランサの資料のみ、単位:ppm)

8:アサクアルパ遺跡出土の黒曜石資料の原産地比 率(N=178

9:アサクアルパ遺跡出土の黒曜石資料の器種分類

の比率(N=178)

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いて、サン・ルイス産黒曜石は自然面を有する状態で 搬入されていたことが示唆される。

7-2.試掘坑別の傾向

 試掘坑ごとの出土点数に原産地推定結果を重ね合わ せると、試掘坑別に大きく二つの傾向が表れる(図 10)。グラフによれば、試掘坑Aでは、サン・ルイス 産が73%(64点)、イシュテペケ産が19%(17点)、エル・

チャヤル産が5%(4点)、ラ・エスペランサ産が3%(3 点)となっている。また、試掘坑Bでは、サン・ル イス産が70%(23点)、イシュテペケ産が18%(6点)、 エル・チャヤル産が12%(4点)である。これらの傾 向から、試掘坑A、Bでは、サン・ルイス産黒曜石製 石器が多く出土していることが指摘できる。その一方 で、以下で示す他の試掘坑は異なる傾向が読み取れる。

試掘坑Cおよび試掘坑E8)は、イシュテペケ産が60%

(22点)、サン・ルイス産が32%(12点)、エル・チャ ヤル産が4%(1点)、ラ・エスペランサ産が4%(1点)

である。また、試掘坑Dは、全点(21点)がイシュ テペケ産であるとの結果を示している。つまり、試掘 坑C/EおよびDにおいては、イシュテペケ産黒曜石

製石器が比較的多く出土していると言える。

 このように、出土地点によって明確に差が出ること から、社会的階層やその居住グループの違いによって、

使用する黒曜石の原産地の違いが異なる可能性があ る。たとえば、古典期後期のコパンの事例では、中心 グループとその後背地で出土した黒曜石を比較した際 に、イシュテペケ産押圧石刃の比率やチャート製石器 の比率などの面で差異があり、社会階級が高いほどイ シュテペケ産黒曜石へのアクセスが高かったことが指 摘されている(Aoyama 1999:134-135)。しかしながら、

以下で提示するように、時期差の問題が大きく絡んで いると考えられる。

7-3.層位別の傾向

 以下では、原産地比率の変化を層位順に並べたグラ フ(図11、表2)を提示し、その通時的流れに沿って 黒曜石の原産地に変化が現れるかを確認する。その結 果、サン・ルイス産黒曜石は最終居住時期(古典期後 期)に相当する自然層位1、2層より古い層位におい て、支配的である。最終居住時期でも確認できるもの の、33点中3点と激減していると言える。その一方で、

1:アサクアルパ出土黒曜石資料:器種分類別の点数と原産地推定結果

表2:アサクアルパ出土の黒曜石資料:自然層位別の出土点数と原産地推定結果

(10)

10:試掘坑別の原産地比率

11:アサクアルパ出土黒曜石資料の原産地比率の変化(層位順/N=178)

(11)

最終居住時期以降は、イシュテペケ産黒曜石の比率が 多くなっている。イシュテペケ産黒曜石は最終居住時 期以前にも確認できるものの、最終居住年時期にはサ ン・ルイス産黒曜石にとってかわるように増加する。

これは先行研究(Aoyama 1992)でも指摘されていた とおり、通時的変化に伴った黒曜石原産地の変化を示 している。本稿では、分析点数を増やした結果、同様 の傾向が表れているので、アサクアルパの黒曜石獲得 戦略や地域間交流の在り方が変化していた可能性が高 まったと言える。

 この最終居住時期である古典期後期に黒曜石獲得戦 略や地域間交流の在り方が変化した要因を考察するた めに重要となるのが、コパン王朝が弱体化する時期で ある。マヤ南東地域の一大都市であったコパンも従属 国のキリグアが下克上を行った738年事件によって、

その栄華に陰りを見せ始める。そのため、アサクア ルパのイシュテペケ産黒曜石の比率が増加する時期と は、これ以前か以降なのかで解釈が大きく異なってく る。

 放射性炭素年代測定による分析結果はないために、

その解釈は難しいものの、以下では予察を提示する。

その際、コパンとの関連性が指摘されるラ・エント ラーダ地域の事例も交えて考察するために、ここでは、

一例として、ラ・エントラーダ地域南部の大規模セン ターであるロス・イゴス遺跡の事例を以下で提示する。

ロス・イゴスは、ラ・エントラーダ地域内のラ・ベン タ盆地に位置し、この盆地内の政治・経済の中心的セ ンターとして機能したと考えられている。この遺跡か らは、マヤ文字が刻まれた碑文・祭壇複合やピラミッ

ド型神殿建築が確認されており、コパンに類似した低 地マヤ的特徴を有している(Schortman and Nakamura 1991:317)。こうした考古学的発見から、コパンと密 接な関係を築いていたと解釈されている。

 上記で提示したアサクアルパ出土の黒曜石資料と同 様に、ロス・イゴスから出土した黒曜石資料102点を 対象に、蛍光Ⅹ線分析を行い、原産地推定を行った。

形状等の問題で計測できなかった資料を除き、合計 93点の原産地推定結果が得られた。その結果は、イ シュテペケ産が50%(48点)、サン・ルイス産が48パー セント(43点)、エル・チャヤル産が2%(2点)となっ た9)。このように、イシュテペケ産黒曜石が半数を占 めるものの、サン・ルイス産黒曜石もほぼ同じ比率を 占める傾向にある。

 続いて、アサクアルパの事例と同様、図12のよう に、原産地比率の変化を層位順に並べた。その結果、

イシュテペケ産黒曜石は古典期後期(自然層位1、2層)

において、徐々に増加している一方で、古典期後期以 前(自然層位3層)は、サン・ルイス産黒曜石の比率 が高いことがうかがえる。これは、アサクアルパの事 例と同様、通時的変化に伴って、イシュテペケ産黒曜 石が主流になった可能性が指摘できる。

 以上のように、通時的変化だけを追えば、アサクア ルパとロス・イゴスは同じ傾向を示す。しかし、コパ ンとの関係性を考えた際、両遺跡は異なる様相を示す。

アサクアルパは、先述したように、「非マヤ」的な文 化パターンを示している(Nakamura 1992:136-137)の に加え、ラ・エントラーダ地域南部で見られるような 低地マヤ的な文化パターン(Schortman and Nakamura 1991:317)に乏しく、コパンとの関連性は希薄である。

一方で、ロス・イゴスは、先述したように、低地マヤ 的特徴を有していることに加え、シーリーによれば、

ロス・イゴス出土の石碑1に彫られた人物像はターバ ンを装っている(Schele 1991:209-211)。これは古典期 コパンの王を象った石彫や香炉の蓋でも見られる装い であり、コパンから強く影響を受けていた様子がうか がえる。

 以上のような背景も踏まえれば、ロス・イゴスをは じめとするラ・エントラーダ地域では、コパンが勢力 圏を拡大していく過程で、その勢力圏とイシュテペケ 産黒曜石の分配圏に組み込まれていくことで、イシュ テペケ産黒曜石の獲得が増加していったものだと考え 図12:ロス・イゴス遺跡出土の黒曜石資料/原産地

比率の変化(層位順/N=93

(12)

られる。その一方で、アサクアルパの場合は、コパン との関係は希薄であるものの、イシュテペケ産黒曜石 の獲得が次第に増加していることから、やはりコパン 王朝の衰退とそれに伴う分配システムの崩壊(交易 ルートの変化)によって、より安定的にイシュテペケ 産黒曜石を獲得できるようになったと考えられる。こ の点に関して、青山はコパン王朝崩壊後にイシュテペ ケ産黒曜石の流通がカリブ海岸沿いに沿って拡大した と考えている(Aoyama 2017:227)。アサクアルパに関 しては、図11で示されるように、古典期後期以前から、

すでにイシュテペケ産黒曜石を獲得していたことがう かがえるが、よりイシュテペケ産黒曜石へアクセスが しやすくなる転機がコパン王朝の衰退だったと考えら れる。

 アサクアルパの周辺地域についても確認すると、キ ミスタン盆地の東に位置するウルア川下流域のセロ・

パレンケ遺跡では、古典期後期から後古典期にかけて の居住が確認されており、出土した439点の黒曜石 が蛍光Ⅹ線分析にかけられている(Hendon 2004)。そ の結果、古典期後期には90%、古典期終末期には約 80%がイシュテペケ産であるとの結果が提示されて

いる(Hendon 2004:19)。このように、イシュテペケ

産黒曜石の分配圏外に相当する地域でもイシュテペケ 産黒曜石が分布している事例もあるため、イシュテペ ケ産黒曜石を単にコパンの勢力範囲の指標の一つとし て捉えるのではなく、特に時期に着目しつつ、各遺跡 の原産地比率の変化を追っていくことを続け、マヤ南 東地域における地域間交流についての考察を深めてい くことを今後の課題としたい。

まとめと今後の展望

 以上のように、原産地推定の結果と資料の属性デー タの関連性から、アサクアルパ出土黒曜石資料の傾向 を探った。まとめると以下のことが言えるだろう。青 山(Aoyama 1992:6-8)の予備的な分析で示唆されたよ うに、①アサクアルパにとって、サン・ルイスが主要 な黒曜石の原産地であり、イシュテペケからも黒曜石 がもたらされていた。②古典期後期以前においては、

サン・ルイス産黒曜石の獲得が多い。➂通時的変化に 伴い、イシュテペケ産黒曜石の獲得がより支配的に なったことが確認された。それに加えて蛍光Ⅹ線分析 によって、ラ・エスペランサやエル・チャヤルからも

少ないながら、黒曜石を獲得していたことが明らかに なった。このようなデータは、青山の予備的な分析結 果を補強するとともに、マヤ南東地域、特に周縁部に おける黒曜石の獲得および地域間交流は従来想定され ていたものよりも複雑で広範にわたるものだった可能 性を示唆しているのではないか。

 現在、金沢大学ではラ・エントラーダ考古学プロジェ クトの調査で出土した黒曜石資料の一部を保管してい る。各遺跡の原産地比率を把握することで、地域間交 流を考察する一助になると考えているので、今後は特 に、ラ・エントラーダ地域内のカテゴリー5に分類さ れる大規模遺跡から出土した黒曜石資料を対象に、蛍 光Ⅹ線分析による原産地推定を進める。加えて、コパ ンでも近年の調査で黒曜石の新資料が多数出土してい るため、その分析も進めていくことを通して、コパン と周辺地域の地域間交流を明らかにしたい。特に、黒 曜石の観点から見た、中央ホンジュラスや北西部ホン ジュラスとのつながりに着目しつつ、新たなマヤ南東 地域における黒曜石交易ネットワーク像を提示するこ とを目指す。

謝辞

 指導教官である中村誠一先生には、黒曜石資料使用 の許可や研究指導など、多くの面でご支援賜りました。

また、茨城大学の青山和夫先生や金沢大学国際文化資 源学研究センターの先生方、台湾中央研究院地球科學 研究所の飯塚義之先生、金沢大学鉱物・結晶学研究室 の先生方、人間社会環境研究科博士前期課程の緒方理 彩氏には、研究を進展させるうえで非常に有益なコメ ントを頂戴しました。また、本研究を進めるにあたっ て、金沢大学超然プロジェクトから助成を受けました。

ご協力いただいたすべての方々、諸機関に深く感謝申 し上げます。

1) 1984年から1994年にかけて、日本の国際協力事業

団(現・国際協力機構)青年海外協力隊事務局と ホンジュラス国立人類学歴史学研究所(IHAH)が 合同で行ったプロジェクトである。

2)ただし、土器研究などの観点からはコパンと中央 ホンジュラスの交流関係に関する指摘(e.g. Gerstle

1987) がなされており、従来の研究において、両者

(13)

の交流が全く指摘されていなかったわけではない。

3)ラ・エントラーダ考古学プロジェクトでは、マウ ンドの大きさや建造物配置の複雑さ、遺跡の面積、

推定される機能などから、六つのカテゴリーに分 類された(Nakamura 1991a:12-14)。「特殊」という カテゴリーを除けば、カテゴリー1~5はカテゴリー が大きくなるほど遺跡の規模も大きくなる。アサ クアルパはカテゴリー5に相当する。

4)研究者によって、マヤ文明における年代区分は若 干違うものの、大きくは三つの時代に区分される。

先古典期(紀元前2000年~紀元後250年)、古典 期(紀元後250年頃~900年頃)、後古典期(900 年~16世紀)である(Sharer and Traxler 2006:155)。 なお、本稿で主な対象となる古典期に関してはさ らに細分され、古典期前期(紀元後250~600年)、 古典期後期(600年~800年)、古典期終末期(800

~900年)に分けられる。

5)本稿で扱う資料点数と青山が1992年の予備的な報 告書の段階で扱った資料点数には差があるが、こ れは1992年の報告書出版の段階では、まだ未洗浄 であった資料が存在していたことに起因する。

6)たとえば、試料ホルダーに入る大きさよりも大きな 資料があったり、資料に自然面が多く、照射面の 凹凸が激しかったりしたものは、有効な分析値が 得られなかった。

7)ただし、この判別図内でサン・ルイスに集中して いるプロットには、本来であれば、原産地Yに 該当するものも含まれる可能性がある。原産地 Yとは未知の原産地であり、サン・ルイス近郊に 存在している可能性が示唆されている(Aoyama

1999:243)。本来であれば、サン・ルイスと原産地

Yは分けて考えるべきだが、原産地Yと客観的に 判断するための原石サンプルがないため、本稿で は同一として扱う。両者の判別は今後の課題とし たい。断定的な事は言えないものの、図6で確認 した場合、サン・ルイス産を示すグループ内の左 側に集まるプロットは原産地Yを示す可能性があ る。

8)試掘坑Eは試掘坑Cの拡張区であるため、以降は点 数を合算して示すものとする。

9)先行研究でも、ロス・イゴス出土の黒曜石資料を 対象に原産地推定が行われている。古典期後期の

資料に関して原産地推定結果が以下のように示さ れている。青山の肉眼分析による原産地推定結果

(Aoyama 1991:160)によれば、97点の資料を対象 にしたところ、イシュテペケ産が93%、サン・ル イス産が6%、エル・チャヤル産が1%との結果が 示された。福井の蛍光Ⅹ線分析による原産地推定 結果(Fukui 2015)によれば、39点の資料を対象 にしたところ、イシュテペケ産が56%、サン・ル イス産が44%との結果が示されている。

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