スウェーデンの宗教教育及び平和教育の変化(2)
一教育課程と宗教教育の現状一
永 島 利 明*
(1995年10月13日受理)
The Change in Religion and Peace Education in Sweden(2):
Current Conditions of Religious Education and the Curriculum
Toshiaki NAGAsHIMA
(Received October 13,1995)
Abstract
The view on religion of Japanese cultivates moral education. They think that religions have good nature and help human being.Swedish pupil began to learn religions from 1954. The curriculum of 1980 in Sweden considers as important that pupils understand and respect religions of others and foreign countries. Swedish children tend to put themselves in deism place which deny miracle and learn the fact some religions were related with wars and evils. Japanese teachers might teach pupils on good deed of religion men, but also a bad act of them. Author deals with the curriculum of 1994 in Sweden and introduces adding to agnosticism.
日本の青年の宗教観の形成
オーム真理教の地下鉄サリン事件は世界中を驚かせた。理工系出身の高学歴者が実行犯のなかに いたことは,日本の教育のあり方に大きな問題があることを示している。現在の日本の青少年の宗 教観はどのように形成されているのであろうか。日本の教育のなかであらわれる宗教関係者で青年 が最もよく知っている人物は,アフリカ系アメリカ人の解放運動で有名なキング牧師とインドの救
貧運動で活躍しているカソリックの尼僧マザー・テレサである。この二人はともにノーベル平和賞を受賞していることはあまりにも有名である。英語の教科書にも掲載されていることは,共通してい る。数人の大学生にマザー・テレサについて質問してみると,英語の教科書よりも道徳教育のなか
*茨城大学技術科教育研究室(〒310;Laboratory of Technology Education,Faculty of Education,
Ibaraki University,Mito,310 Japan)
で知ったというものが多かった。日本では道徳教育が宗教観の形成に寄与していることを痛感した。
我が国では第2次世界大戦に至る過程の中で宗教を信仰するものや宗教団体は厳しい弾圧を受けた。
そのため宗教法人法は宗教性善説の立場を取っている。道徳教育も同じ性格をもっている。オーム真
理教に関連した発言で新聞に掲載された宗教観をみると,青年から中年まで宗教は善行をめざすべ
きであるという意見がみられる。例えば,23才の大学職員は「本来,宗教とは人を幸せに導くもので
はないか。宗教だけではなく,政治も経済も科学も医学も教育もすべてそのたあにある」と投書を
している。ある45才の主婦は2)「明るい心と祈りで悪運を修正し,災いを起こさないのが宗教家の務めだと思う」と発言している。しかしながら,これらの人は宗教家の一部には理性も法もない者も いることを見逃している。一方,56才の会社経営者は「寄付,献金,布施喜捨と言えば,聞こえが
よいが,強制,強要まがいの取立がありやしないか」と実態に即した疑問を提示している。また,50才の牧師は「社会に有害な宗教は真の宗教ではないという考えが大手をふり始めている。日本に存
在する宗教・・である限り,宗教としての存在が許可される」ことにならないかと懸念している4)。旧 憲法では「安寧秩序ヲ妨ゲズ,又臣民タルノ義務二背ザル限リニオイテ,信教ノ自由ヲ有ス」となっていた。これを引用して,国家権力に都合のよい宗教しか認められなくなるのではないかという反
動的な宗教政策に戻ることを警戒していた。日本の教育の中でいままで宗教が重視されることは,あまりなかった。そのため宗教が果たしてき た役割を事実に照らして,考えないで,単純に宗教家は「善行」をすべきものとする意見が大方の青 年の意見である。教育の中で宗教を必修としているスウェーデンの場合は,どうであろうか。なお,
この研究にあたっては,リンショピング大学の宗教教育が専門であったアンデルス・トロンバル教授 および牧師と宗教の教員免許状を持つストックホルム市の義務教育をしているホガリィディススコー
ラン(H6galidsskolan)のスベンーエリック・チュンネルポルト(Sven−・Eric・Tunelholt)校長に面接して
宗教教育の実態を知ることができた。義務教育への宗教教育の導入
この国にスウェーデン国教会だけではなく,他の宗教も客観的に教える宗教教育が入るようにな
ったのは,第2次世界大戦後のことである。1950年教育改革の原則が決定されたとき,1686年の教会 法以後の教会が重要であることが公式的に認められた5}。しかし,別の方法が取られた。1862年の自治体法は,国民と教会を分離することを決定していた。この年に教育と宗教の分離の路線が定まっ ていたわけである。だが,それは直ちに実現したわけではなかった。学校は教会の教区が管理して
いたからである。その後,規則によって分離が始まり,1930年の「自治体における学校制度」に関す る法律によって行われるようになった。1950年代の初めに多くの自治体が使用していた法律は,それにもかかわらず,例外的に憲法のよ
うなものであった。56年の議会の決定によって,国民教育は公共のもので,教会にとっては,すでに,重要なものではないと修正された。54年の議会の決定により,教会の集会委員会が学校のあり方を決 めることは,廃止された。1686年の教会法以来の義務教育を教会の主権とする方式から,学校は独立
した。教育は宗教から完全に分離したことを示している。教会の課題は,福祉社会の実現で貧民救
貧民救済でも,教育でもなくなった。
1954年の夏までは宗教教育は牧師によってキリスト教の教育が行われた。前記の決定を先取りす る形で,この年の秋の新学期からは他の宗教も取り入れるようになった。このときから教員養成で
も宗教教育が取り入れられた。62年からは宗教に倫理が取り入れられ人間的なものに変化した。この 年までは牧師がしてきたが,69年からは完全に教師がするようになった。このように学校教育のなか で宗教の学習が行われるようになったが,宗教についてどのように研究が行われるようになったか,先行研究を調べてみよう。
先 行 研 究
性別の宗教の影響については,ガストリン(1951)は少女は男子よりも神の崇拝は個人的で,男子 よりも権威や伝統に縛られることを知った6)。日本では新興宗教の布教に訪問してくるのは女性が多 い。これは女性が権威を重視するからであろうか。または,余暇があって男性よりも布教活動をしや すいのか興味のある問題である。子供の成育環境の影響については,ルムメットベイト(1951)は個 人は信仰に適応しやすく,または信仰を社会環境の中で責任,例えば,規範に変えることに注目した。
彼の1953年の調査では,10代の青少年は親と友達の間で規範の把握で緊張関係があることを見いだし た。環境の重要性はホルムベルクの調査(1967)によれば,環境に接触することが刺激となり,家庭で 宗教的に成熟することを示していた。この点ではホルム(1979)によれば,父の役割が重要であった。
スウェーデンでは家庭において子供に対する影響がかなりある。例えば,女の生徒が工業技術を学ぶ ことに影響する人は,父親であるという。日本でも父親が子供の思想や進路の選択にどうような影響 をもつか,あるいは,もつべきかということは,かなり重要なことであろう。
外国人はキリストを救済する人と考えている。同じ傾向は9年生にもみられた。教育庁の10代の生 活問題の調査でそれがわかった。個人に関係したことに最大の興味を示したが,キリスト教の持つ 古典的な神学問題,神やイエスに関係した模範には,関係を知らなかった。日本でも宗教の開祖は 誰かということは生徒は知っているが,宗教の持つ理念の学習はあまり行われていない。同じ傾向
は(1980年の「10代の生活」)の9学年の信仰の調査にもに繰り返し見られた。1980年の教育課程と宗教科
スウェーデンも日本と同様に教育課程の改訂を約10−15年の間に1度している。現在実施している のは1980年に改訂されたものである。また,1994年にも改訂されているが,これについてはのちに扱 う。スウェーデンの義務教育制度は9年制である。これは日本と同じである。我が国と違う点は,小
学校,中学校と分離していないで,同一の校舎で1年生から9年生まで学習している場合が多い。し
かし,低学年は学童保育をしているところでは,午前は教育を,午後は学童保育をしているところ
もあり,多様である。義務教育学校の規模は生徒の平均人数は約200人で日本と比較すると,小規模 である。1993年の学校に在籍している子供の数は89万3800人で12万2600人(13.7%)が複式学級に学んでいる。私立学校に在籍している子供は1万3600人(1.5%)である7}。
スウェーデンの教育課程では宗教教育は社会科の領域である。社会科は歴史,地理,公民,宗教 と4領域がある。80年の教育課程では低学年(1−3年),中学年(4−6年),高学年(7−9年)と3段階に別れ
て,教育内容を定めている。授業時間の配当であるが,社会科は理科と合科され,オリエンテーショ
ン教科という名前であった。この教科の週間授業時間の配当は低学年18時間,中学年21時間,高学年
32時間,合計71時間となっていた。社会科と理科の時間の配当は低学年と中学年では半分ずつ,高
学年も同じく半分であったが,2時間程度社会科が多かった8)。
宗教教育の目的は「教育(宗教教育)は,子供が個人的に,他の人や他の文化を理解したり,尊 重するため子供を援助する。しかしながら,生徒はこの基本的見解を充分発達させてはいない」と 述べていた。宗教教育はスウェーデンの国教であるルーテル派の教育をするのではなく,各宗教の 相互理解や異文化の理解を目標にしている。この点からみても,一つの宗教の牧師に宗教教育をま かせておくわけにはいかなかったのである。目標は人類の間の寛容協力,平等の権利に関する民 主主義を向上し強化するため,生徒の人格を発達させる公共の価値を持つことを示している。教育
課程は次のように述べている。「真実,公正,人類固有の価値,人間生活の不可侵性を尊重し,その ために人格を統合することは,学校の主要な任務である」。宗教領域はその教育の一環を担う重要な任 務をもっている。しかしながら,決してキリスト教を軽視しているわけではない。特に,低学年では キリスト教の授業が中心である。教育課程の社会科のところでは,次のように書いている9)。学校は生徒が生活や経験に関する問題を処理できるように援助すべきである。生徒は聖書を中心 にしてキリスト教の広い知識を持つべきである。キリスト教は固有の文化を持つこと知ることは
意義のあることであるけれど,キリスト教徒も他の国の伝統や実際の生活教育を知るべきである。移民の持ってきた宗教の遺産はこれらの問題を知るのに有益である。
最近のカルトとか新興宗教には,マインド・コントロールという方法を利用する。この手法は必
ずしも宗教だけに使われるわけではない。マインド・コントロールは意識的,計画的に行われるものである。見分けるにはいくつかのポイントがある。他宗教の本,あるいは反対の立場の本を読むこ
とを禁止する。これは情報の操作をし,教団の与える情報のみを信じさせるのに効果がある。また,日本では15年戦争の時代に軍国主義の教育をし,それ以外の情報を教えなかったこともこれと同じ
である。教義への疑問の提出,批判を許さない。一方的に教義を教え込み,それが正しいか,どうかを考えさせない。これは戦争中に国粋主義を教え,それ以外のことを主張するものは思想犯として 投獄された。教団組織への絶対服従を要求する。教団組織の命令=神の命令とされ,服従が救いの 条件とされる。服従への動機は恐怖である。共通するのは,自由な批判精神を封じ込めることであ
る。
スウェーデンの宗教の教育課程は,マンイド・コントロールを避けるため「思想や宗教の教育は
一方的に自分の立場だけを強調するものになりやすい」とはっきり書いている。そして「子供は他
国の宗教の実情を知るべきである。授業では子供が他人や他国の文化の評価を理解するような個性
を発達させることを援助すべきである」と主張し,自分やその国の宗教だけではなく,他人や他国
の宗教を深く知ることの大切さを強調している。しかも,単に知るだけではなく,「(宗教領域の)授業では子供が他国の人や文化の価値を理解し,尊敬する見方を発達させることを援助する」と述べ,
「尊敬する」ことを重視している。一定の価値を子供に教えるだけではないものないことを日本も学 ぶべきであろう。
これを具体化するため,宗教領域で次の3つの主要な内容を生徒が調べたり知ることをねらいとし ている。「生死の周辺にある生活問題」,「どんなことが正か不正か,善悪か,という倫理的な問題⊥
「世界の宗教,キリスト教や聖書を中心とした伝統」がそれである。日本の道徳教育は「正義と善行」
を教えることが多く,聖人であることを生徒に求めているように思われる。
子どもの宗教観
宗教は80年の教育課程では全ての学年段階で学ぶ。低学年では人間関係と個人の関係を熟慮する
ことをのべている。孤独,安全,救済,友情,正直を扱っている。中学年では視野を広げ,社会を志 向している。例えば,自由,公正,正義戦争がある。高学年では信仰を志向することを述べている。例えば,救世,慈悲,善,愛,希望,意義がある。倫理のテーマは,善悪,正義,不正を再び新しく扱 っている。その後,スウェーデン教会の恩恵に関する理解,または,信仰復活とヒィンズ教または仏教 の概念と違いを理解できる。教育課程にはキリスト教,イスラム教,仏教しか書かれてはいないが,
高学年の教科書では世界各国の主要な宗教が書かれているものの採択が多い。例えば,日本の宗教で は神道が扱われている。(なお,教科書については後日詳細に検討する予定である)。
子供が宗教教育を受け入れるのには,3つの視点が必要となる。第1のものは,正しい社会環境に適 応することである。教育課程では「民主的な社会や見解や人間的な見解を反映している」と述べてい る。他の視点は心理的な視点で,生徒個人を目的としている。生徒の経験と結合するものである。第 3の視点は哲学的なものである。理想を目指す生活の意見,信仰の具体的な理解の発達を目的として
いる。教育課程では「人間の固有の目的のため,事実または正しいことや神聖な人間生活を尊敬す ることは,学校の主要な任務である」と述べている。日本人の宗教教育観は,正しい社会環境に適 応することを強調するが,子供の経験とどう結びつけるかという問題が無視されている。そのこと については梅原猛の例で後述する。社会に適応することは,理想的な社会があることが前提になけ ればならない。問題は必ずしも社会が正しくはないことである。子供が個人でそれを判断するよう
な能力が必要になるであろう。アンデルス・トロンバルスは1988年に低学年,中学年,高学年各300名を調査している11)。その結
果を紹介し,コメントしたい。低学年は倫理面では「人を殺す戦争や無意味なことを理解すること
は出来ない。・・クリスマスを祝わない宗教の習慣は,理解できない」。信仰の薄い日本人も最近の旧 ユーゴの内戦,チェチェン対ロシア戦争(イスラム対ロシア正教)などは理解しにくい。信仰については「現代でもますます信仰をすることを不思議に思っている。子供は洗礼や結婚式に出席するた め,キリスト教の儀式を知りたがる。ある程度,神はどのようにとりあげられているか,どんな目
的をもってるのか,簡単に知っている児童はいる」。スウェーデンでも宗教は結婚式や葬式など習俗 化が進んでいる。この点の反映であろう。中学年では「宗教で理解するのが難しいの何ですか」という質問に対して「他の宗教の概要や活動を
理解するのが難しい。禁制,規則,殉教は理解できない。狂信的な人,例えば,エホバの証人のような
強い信仰も理解できない」と回答している。エホバの証人が問題とされるので,ここでその概要を 見よう。
エホバの証人はものみの塔聖書冊子協会(Watch Tower Bible and Tract Socity)から同名の機関誌が
出されている。米国人Charles・Russel(1852−1916)によって創立された。エホバのみを神として礼拝し 国旗敬礼や徴兵を拒否する。聖書を誤りのない記録とし,キリストの間近い再臨により,悪魔の支配す る地上の制度・機構は滅ぽされるとしている。すなわち,最後のハルマケドン(大決戦)は差し迫っ ている。その後はエホバの証人が支配するであろう。それ以外はサタンに支配されたものとしている。奉仕者の家庭訪問による冊子配布は有名である。信者だけ救われるというのは,オーム真理教にも共 通している。また,輸血の拒否でも知られるようになった。
日本でも第2次世界大戦前や戦中における灯台社の活動が知られているが,1953年再組織され,現 在5万人の信者がいるといわれ,世界では約200万人と言われる。日本ではオーム真理教によりハル マケドンは知られるようになったが,世界的にはエホバの証人が知られている。筆者がハルマケド
ンという用語を知ったのは,エホバの証人による自宅訪問であった。中学年の子供は信仰について,「生徒は多くの宗教を奇妙に考えている。天国と地獄の概念,死ん だ後で生きて,再び活動していること,宗教間の対立も理解できない」。中学年になると,キリスト が復活したような奇跡を否定するようになる。聖書でも復活の奇跡が真実かどうか問題としている。
また,「神とキリストの関係は明らかではない」と考えている。子供も神を信ずるが,奇跡を否定す
る理神論の立場に近い思想段階に達していることがわかる。倫理に関するものとして「民族がどう
して別れるのか,違った宗教の間でどうして戦争になるのか,不公平や不平等はどうしてあるのか,偽りはどうして生ずるのか,十戒は大切である」という声があった。同じ民族同士が宗教が違うだ
けで戦争するのは,北アイルランドの場合のようにわかりにくい。また,「十戒は大切である」と言 っているように道徳教育としての役割を十分はたしていることがわかる。高学年の信仰の見方では「ヒィンズ教に多くの神様がいることや仏教に神がいないことは理解で
きない。・・偉大な大思想の概念をなぜ生まれたのか理解することは困難である」。このような宗教の 根本的な問題は宗教学者でもなければ,回答することは困難であろう。他の宗教については「イスラム教徒は,集団で礼拝するのは,理解しにくい儀式である。カソリックの司教や修道女,一部の仏 教の僧侶の独身主義は廃止すべき例である。ヒインズ教徒の修業も理解できない」というように書 いている。スウェーデンの子供たちが宗教の学習によって,非常に公正な宗教観に達していること
がトロンバルの調査によって実証されている。ホガリィディス学校の宗教領域学習の実際
スウェーデンの学校で宗教領域の学習やそれに関連したことを実際に知るため,ストックホルム
のスウェーデン対外文化交流協会(Sweden・lnstitute)に紹介された同市S−117, Folkskolgatanにある H6galidiskolanを学校訪問した。校長のスベンーエリック・チュンネルポルト氏がスウェーデンの教育課程を紹介してくれたが,それは前記のとおりであるから,省略し,スウェーデンの典型的な教師
が宗教にっいてどのように考えているかということを紹介したい。なお,同氏は教師の免許と牧師
の資格を持っているとのことである。まず,氏は宗教団体のあり方について話し,団体では一人の指導者が特権をもつことは,望まし くないと強調した。ユダヤ教やイスラム教は宗教の指導者や団体が信者を支配している。スウェー
デンでも宗教団体が信者を支配しょうとしたが,国民が従わなかった。日本のS会は指導者の考えで信者が行動している。民主的な団体では上から言われたことだけで物事を決めない。過激派の信徒
は規則で行動する。軍人のような行動をする。服従は一番さけるべきである。聖職者の説教も聞くこ とは必要であるが,それを信者は判断すべきである。
日本が戦争に負けたとき,マッカーサ元帥は聖書を送れと大統領に電報を送ったが,米は勝者で あったから,日本人はキリスト教に改宗できると考えたのである。これは日本人の自主性を無視し
たもので批判されなければならない。宗教教育は各宗教の方針を子供が知ることである。各宗教は平和を求めている。それがよいかど
うかは子供が判断することである。ヒインズ教は女性の地位が低いことに問題がある。この学校では低学年ではキリスト教の教育をしている。イスラム教徒からの批判はない。宗教行
事は教会で行う。イスラム教の国はかってはキリスト教の国であった。前者は6世紀に始まっている。例えば,イスタンブールの教会はキリスト教のものであった。コーランは旧式であると思う。
給食はイスラム教徒は豚肉を,別のものが用意されている。ラマダン(断食月)の時は絶食があ り,学校では疲れている。真夜中にだけ軽い食事をするのだから,当然疲れる。ユダヤ教徒は豚肉 を食べなかった。しかし,現在では多くの子供が肉を食べるようになっている。ユダヤ教徒が肉を
たべて信仰が弱くなったり,信仰をしなくなったことはない。宗教教育と平和教育はどちらがたいせつかという質問には,国連の平和活動も宗教の協力でなり 立っている。人間がどの様に何を信じているかを知ることは宗教教育がなければ出来ない。全世界 に平和がくるとすれば,それは宗教の力であろう。この教育によって同じ物を信じなくても,それ を理解し,尊敬することができる。また,お互いの違いに興味を持つことができる。だから,平和
教育よりも宗教教育が大切であるという。アンデス・トロンバル教授とまったく同じ見解であった。この学校は800人の子供と140人の教師がいる。校長室には全員の写真が張ってある。この中の一
人ステファン先生が6年の教室に案内してくれた。このクラスは全国から集まった演劇の優れた子を集めた特別クラスの児童であった。だから,必ずしも平均的な子供の意見とは言えないが,先生が
いろいろは質問をしてくれた。「どの宗教の信者ですか」という質問に対して,イスラム,ユダヤ,カソリックと答えた子供がいたが,そのほかはスウェーデン教会の信者であった。先生が「宗教を 学んでよかったことは何ですか」という質問をしたところ「イスラムの女の人は何故ベールをかぶ
るのかわかりました」「ヒィンズ教ではどうして牛肉を食べないかわかりました」と口々に話してい た。校長の言うように子供たち相互理解は進んでいた。この子らの宗教の学習は一冊の教科書を教えるのではなく,いろいろな資料が教室に用意されて
いて,自分で課題を見つけ,それを発表するという問題解決学習であった。そのノートも見せても
らったが,教祖の絵をかいてあったり,信者の祈りを書いたものなどいろいろであった。その作品
ができると,廊下にそれを張り出していた。スウェーデンの子供のような宗教観を日本の子供が持
つためには,知識を詰め込むのではなく,体験を通して問題解決学習をする必要があると感じている。1994年の宗教科の教育課程の改訂
1994年にスウェーデンでは教育課程の改訂を行った。ここでは80年との相違を検討したい。大き
く変わった点は80年の低中高の学年段階を廃止し,1−5年生,6−9年生と2段階としたことである。その理由はこの国が経済の国際競争に破れ,その不振に悩んでいるからである。その対策のひとっと
して子供の学力を高めるため,英語,数学,国語の共通学力テストを5年生と9年生が終わった段階 に導入したことである。宗教領域もその影響をうけている。教育課程の中では社会科から独立して いる。しかしながら,その本質には大きな変化はない。前書きに宗教教育においては「子供はいろ いろな人間の持つ人生観を尊敬する心を発達させる」という内容で80年の教育課程の理念を要約し
ている。それに続いて,次の努力目標があげられている。努力目標
宗教科の授業では学校では,子供のために次のことを努力すべきである。
○自分の生きる基礎としての宗教,倫理,実存の問題に関する知識を熟慮し,発達させ,深めるべ きである。○キリスト教,その他の世界の大宗教または現代や歴史上の他の宗教並びに非宗教的な 人生観に関する知識を深める。○スウェーデン社会がどのように聖書やキリスト教の信仰から影響
を受けているかということを理解する。○宗教または倫理の問題における人の態度を理解したり,尊敬することを深めたり,また,宗教や人生観のために人を抑圧している人を否認する。○基本的な
倫理的な原則の価値を実感し,真実,正義,人間の価値に関する宗教または人生観を熟慮する。スウェーデンでは違った文化や宗教を持つ移民の生徒が増えている。そのため「子供は本やマスメ デイァで信仰の違った解釈に出会っている。キスリト教以外の他の世界の宗教の文化に出会い,子供 は世界史や人類のほかの文化に影響を与えているかということをますます知るようになっている」と 述べている。日本も在日外国人が増えているので,この点は学ぶべきである。80年の教育課程ではマ ルクス主義やヒューマニズムのような非宗教的な思想を例として示していた。94年の教育課程では「宗 教とともに,不可知論や無神論の内容も選択のために加えて,子供は改善し,議論し,自分の態度を決 めるようにする」と書いている。このように宗教教育では単に宗教の教育だけをするのではなく,哲学 の教育をしていることがわかる。なお,不可知論とは「物の本質,神の実在は認識では知ることがで きない」という説である。「教科の特徴と性格」の「倫理」には大きな変化はない。
「教科の特徴と性格」の中の「改善」では「違った宗教や生活観に反応する予知を最大限に与え
なければならない」として,未知のものに対する対応を重視している。宗教に関する物語が単に架
空のものではなく,「教会は食料不足時代には,それに対応した神聖な宗教の祭りやそれに関係する 物語が創造されている」と書いている。例えば,農業の進まない時代には,冬には断食をすることがあった。その最後に復活祭があり,卵を食べて体力を回復した。ここではそのようなケースをさす
と見られる。「現在は飢謹はなくなったが,子供はその意義を深く知るべきである」。復活祭前の断 食については家庭科の80年代の教科書に書いてあるものもあった。授業では「女と男の平等」「宗教の女性観」に関する人間関係も教育で扱うべきであるとしているのは,新しい点である。この教育
課程では1−5年と,6−9年までの達成すべき目標を次のように定めている。5年生終了時に子供が達成すべき目標
○人生観,信仰,現代社会の倫理の問題または教科書,絵,歌,重要な青少年の文学書を通じて,個 人的な問題で考えたことを話すことができる。
○いくつかの基本的な聖書の物語を話したり,キリスト教徒の習慣や風習を説明したり,他の宗教
の習慣や風習も話せる。また,どうしてそれらが大切なのかを説明できる。○人間が生活や生命の問題を考えるのに,どれ位宗教や人生観が必要なのかを話せる。
9年生終了時に子供が達成すべき目標
○上記のことを考えて,重要な生活問題,宗教や倫理の問題を系統だてて話せる。
○聖書を基本にしたキリスト教の信仰や人生観の知識を持つ。
○教会,祭,奉仕,シンボルが示すキリスト教の知識を持つ。
○世界的な大宗教の信仰や人生観を知り,違った宗教や時代の宗教的な概念や神話の特徴に関する 知識を持つ。
○無神論者の人生観や基本的な思想を知る。
善行を教えるだけの道徳教育の改善
オーム真理教事件は戦後の教育の欠陥を明らかにした。多くの識者がその見解を公表している。そ
の中で注目すべきものに,95年8月に京都で開かれた「戦後50年宗教者平和の祈りの集い」の記念講 演で哲学者梅原猛はオーム真理教問題で見解を明らかにし,高学歴の若者がカルト集団に引き込ま れたのは戦後教育のの弊害によると分析。会場を埋めた神道,仏教キリスト教,新宗教の指導者に 改めて宗教教育や道徳教育の大切さを訴えた。このような多数の宗教者の集まりだけに多くの影響
があるように思われる。その概要は,産経新聞によれば13),次のとおりである。梅原はオームを語り,道徳教育を巡って日教組と文部省が長く不毛の対立をしたこと,家庭では 戦前の価値観を否定され父親が教育を母親任せにし,よい学校からよい会社へという学歴社会を生
まれてしまった,と語る。今の教育では一つの宗教を教えてはいけないことになっている。だが,全ての宗教が教義として
認めるものがあるはずだ」と次の道徳律を掲げる。一 人命は尊い。無用の殺生をしてはならない。
一 うそをつかない。
自然を畏(おそ)れを持ち,自然破壊に反対する心を育てる。
一 社会をよくすることにつながる「自利利他」の精神を教える。
そして心の大切な時代であるとし,そして宗教教育の大切さ訴えた。道徳教育を巡って日教組と
文部省が長く対立したことは事実である。しかし,筆者が13年間の現場の教師の経験から見ても,多くの教師は文部省の指導した道徳教育を忠実に実施してきたと思う。息子の保護者としても学校の
道徳教育を見ることができた。「人命は尊い。無用の殺生をしてはならない」という徳目を教えるだ けでは子供は育たない。テレビが人殺しのドラマを放映し続ける日本で徳目だけを教えていては,子 供は15分もそのような道徳教育を受け入れるだろうか。
宗教教育は宗教が果たした役割を善悪ともに教え,子供が自主的に判断する教育方法を取る必要 がある。今後の日本は子供自身が世界の宗教の内容やその信者の生活様式を調べて,理解し,尊敬 していくことが重要である。特に,在日外国人が信仰している宗教の教育だけは早急に行い,その 生活様式を理解する必要があるように思われる。また,給食も肉を食べない子供が別なものを選択 できるようなことも将来は必要であるように考えられる。イスラム教徒の中には「イスラム教徒が 祈りをした肉ならば,食べる」ことを許されているものもいる。そのような子供の対策には,市場
にイスラム教徒を雇い,祈ってもらえば,解決できるかもしれない。日本人には「宗教は人を救う」ためにあるという宗教観が広がっている。しかし,出家して家族
を捨てるというように,日常的なものを価値のないものとして否定することもある14)。扶養された家 族や第3者から見れば,非常に無責任と言える。多くの宗教の場合,信仰の対象としての「神仏」や自分の狭い「経験」が絶対視される。「愛の宗教」といわれたキリスト教も悪魔払い,血による罪の 償い,奇跡などで唯一絶対の宗教として主張してきた。仏教は「慈悲や慈愛」の心を育ててきた。し かし,拡大していく過程では地獄,極楽,さまざまの秘儀が行われてきた。権力と結びついてきたと きは,十字軍,宗教裁判,魔女狩りなどがあった。宗教教育は「宗教は人を救う」だけではなく,マ
イナスの役割をしてきたことも子供に示して,自分の生き方を考え,思想を選択する力を育てるこ とであろう。望ましい宗教の条件は人々に希望を示すこと,倫理性を持つこと,自己を絶対視しな
いこと,和解の実践をすること,慈悲や慈愛の実践を奨励することであるように思われる。この研究には庭野平和財団から助成を受けました。スウェーデン対外文化交流協会,アンデルス・
トロンバルス氏,スベンーエリック・チュンネルボルト氏から助言を受けました。深く感謝いたしま
す。
注
1)須賀晋一郎「宗教のあり方に大いに議論を」r読売新聞』1995年3月25日。
2)森久美子「心の安定こそ宗教家の務め」r読売新聞』1995年4月19日。
3)岡村良彦「「自らの体質を問うべきでは」『読売新聞』1995年3月28日。
4)細川勝利r信仰の自由に不安が高まる」r朝日新聞』1995年3月30日。
5)Sixten Marklund, Skolsverige 1950− 1975:del 6.Rullande Reform ,(S6 och Utbildnings−f6rlaget,
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6)Andels T6rnvall, Religionkunskap i Skolan ,(Universitet i Link6ping , Skapande Vetande,1988),
s.6−9.
7)Statistics Sweden(S.S.), Education in Svveden 1994 ,(S.S.,1994), p.4.
8)産業教育研究連盟第3回海外視察旅行団報告書r私たちの見たスウェーデンの技術教育・家庭科教育・
職業教育』(同連盟,1987),p.11.
9)Skol6verstyrelsen(S6), General Subjects:Lgr 80 ,(S6,1980), PP・14−16・
10)佐々木望「マインドコントロール」rカハラ版』No.64(取手バプテスト教会,1995/4−5)
11) Andels T6rnvall, s.25−35.
12)Utbildningsdepartmentet, Kursplaner f6r grundskolan ,(Fritze,1994), s。38−40.
13)梅原猛「戦後教育のツケが回ってきた」『産経新聞』1995年8月24日夕刊。
14)高尾利数「宗教だから起きたオーム事件」『朝日新聞』1995年7月20日夕刊。