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鶴見俊輔のディスコミュニケーション論の検討

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《論文》

鶴見俊輔のディスコミュニケーション論の検討

寺 田 征 也

1.はじめに

 「ディスコミュニケーション」という言葉は 日常的に用いられている。また、イメージ論(植 島・伊藤1988)や心理学(山本・高木2011)

においても議論の対象とされてきている。一般 的に、この言葉はコミュニケーションにおける 意味や行為のズレや伝達の不可能性として用い

られている。

 このディスコミュニケーションは、井上俊に よれば鶴見俊輔の造語である(2009:95)。また、

社会学のコミュニケーション論において、しば しば言及される概念である。

 ではディスコミュニケーション概念はこれま でどのように論じられてきているのか。

 井上俊(2009)は、対話の多様なあり方を論 じるために、鶴見の議論を引いている。相互に 理性的かつ対等であり、対面状況において言葉

を交わし、なんらかの真理や合意に達するとい う理想的な対話モデルは、ソクラテスやプラト ンに始まり、デューイやハーバーマスにまで引 き継がれる(井上2009:96−97)。しかし、この 対話モデルを実際に遂行することは難しい。例 えば、政治的力関係やコミュニケーション習慣 によりコミュニケーションは歪められうるし、

感情的・感覚的な納得に至らないかもしれない

(」}:」二2009:98−99)。

 鶴見が提示したディスコミュニケーション は、この理想的な対話モデル、理性的な対話に

よって相互理解が可能となると考える「コミュ ニケーションの神話」とは別のコミュニケーシ ョン理論を提示する、と井上は評価する(井上

2009:95)。

 ディスコミュニケーション(dis−

communication)というのは、鶴見が作っ た言葉で英語の辞書には載っていないが、

たとえば菅と質問者たちとの対話における 意図的および無意図的な「すれ違い」の部 分をいう。要するに、コミュニケーション において意味の通じ合わない部分のことで ある。コミュニケーションはつねにさまざ まな形でディスコミュニケーションをとも

なう。(井上2009:95)

 日常的なやりとりは、絶えずズレやすれ違い をともなっている。つまり、ディスコミュニケ

ションこそが常態である。そのため、たとえ ば親子間のやりとりや関係の変化を捉えるため の「当事者間のコミュニケーションの歴史」(井 上2009:102)の分析や、誤解や曲解などを含 めた「人間のコミュニケーションの豊かさ、ふ くらみ、楽しさなど」(井上2009:105)を取り 入れたコミュニケーション理論が可能となると 井上は評価する。

 奥村隆(2010)は、井上の議論を踏襲しつつ1)、

ディスコミュニケーションについてこう述べる。

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30一 明星大学社会学研究紀要

 しかし、どうしても自覚できない前提が 残って覚醒できないままコミュニケーショ

ンしているとすれば、問題はそこに生じる ディスコミュニケーション、つまり「コミ ュニケーションの不完全さ」をどう取り扱 うか、ということだろう。ディスコミュニ ケーションはしばしば「不幸と制約」を生 んだだろう。でも同時に「コミュニケーシ ョン的行為」からは生まれないような「歓 びと感動」を生むこともある。これをじか に見つめることが、だいじなことではない

カ、。 (奥‡†2010:75)

 奥村は、井上同様、ディスコミュニケーショ ンをコミュニケーションの常態であると捉え る。それゆえ、「私たちはいつも少しずつ酔っ ぱらっている」と想定することを勧める(奥村 2010:75)。酔っ払い同士のやりとりは、互いに 絶えずすれ違いつづけるものであり、とうてい

コミュニケーション的行為にはなりえない。こ こで奥村のいう「酔っ払い」とは、こちらから 制することのできない「不気味な怪物としての 他者」なのであり、「承認」と「葛藤」をもた らす「原的な両義性」を備えた他者であろう(奥 村2015:38−39)。つまり奥村は、鶴見が指摘し

ようとした「コミュニケーションにおける伝わ らない部分」を「他者のわからなさ」へと転換 しているのである。奥村の議論は、鶴見のディ スコミュニケーション論を、自己・アイデンテ

ィティ論と接続する可能性を示唆している。

 吉見俊哉(2013)は、戦後日本におけるアメ リカの内面化とその超克の方法を探求する対象 として鶴見和子、俊輔、良行を取り上げる。そ のなかで特に注目しているのが、俊輔である。

俊輔による「デューイのコミュニケーション批 判=ディスコミュニケーション論」を扱うこと で、アメリカとの対峙方法を見出し、俊輔によ

No.38

る「ひとびと」の発見過程を示そうとする。

 吉見の観点はこうである。(1)俊輔は留学 中にプラグマティズムを学ぶことでアメリカを 内面化し、(2)戦後、デューイのプラグマテ ィズムを批判することでアメリカを相対化する ようになり、結果、(3)ディスコミュニケー ション論が導き出される。このディスコミュニ ケーション論は、(4)「コミュニケーション=

他者との同調・同一化の重視」を批判するもの であるが、(5)50〜60年代の社会運動への参 加のなかで実践的・闘争的に鍛え上げられ、そ の結果として(6)欧米が日本に行い、日本が アジア諸国に行った「文明の強制」の「教室」

の外側にいる在日作家やベトナム人とのつなが りをもった抵抗する「ひとびと」の発見に結び っいた。つまり、ディスコミュニケーション論 は、内面化されたアメリカの相対化と大衆の発 見の基底である。

 社会学者たちによるディスコミュニケーショ ンの議論は、(1)新しいコミュニケーション 論として、(2)他者のわからなさとして、(3)

戦後日本の内面化された「アメリカ」を超克し アジア諸国に目を向ける思想として、扱われて きた。これらは鶴見の議論の可能性を広げる重 要な応用研究である。しかし同時に、鶴見の議 論を内在的な学説研究の点から捉えることもま た、応用のためには必要である。

 先行研究は共通して、ディスコミュニケーシ ョンをコミュニケーションのズレ・すれ違いと して、また、コミュニケーションの常態として 捉えている。そして、相互理解を念頭に置くア

メリカ的・デューイ的なコミュニケーションへ の批判から始められているとする。そして、の ちに見ていくが、こうしたディスコミュニケー ション論理解は鶴見の議論の核心を捉えている。

 他方、先行研究では、鶴見の思想全体のなか での位置付けや、ディスコミュニケーションを

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論じることの目的については取り扱ってはいな い。それ以上に、特に吉見の研究がそうである が、鶴見の議論を超えて応用的に展開する傾向

を持っている。

 そこで本稿では、鶴見のディスコミュニケー ション論について、当初の議論の文脈からその 後の展開まで示すことを目的とする。

2.「ディスコミュニケーション」の誕生:「二   人の哲学者」から

2−1.「ディスコミュニケーション」の定義  鶴見のディスコミュニケーションは「二人の 哲学者」([1952]1991)において初めて提示さ れた2)。先行研究でも論じられているとおり、

同論文では、他者との意味の共有を重視する楽 観的なコミュニケーション論を示すデューイの プラグマティズムを批判し、また、「コミュニ ケーションの神話」を信じていたがゆえに自死 に追い込まれていった菅季治の分析を行ってい

る。

 ディスコミュニケーションの定義について、

改めて見ておこう。もっともよく参照されるの は、以下の記述である。

傍点は原典)

 ディスコミュニケーションはコミュニケーシ ョンと対置される概念ではない。コミュニケー ションの結果には「意味が通じた部分=コミュ ニケーション」と「意味が通じなかった部分=

ディスコミュニケーション」の二側面がある。

ディスコミュニケーションはコミュニケーショ ンの結果においてあらわれ、「コミュニケーシ ョン=意味が通じた部分」と対照されることで 把握可能となる、コミュニケーションの一則面

である。

 この有名なディスコミュニケーションの一節 は、先行研究でも述べられてきているとおり、

J.デューイのコミュニケーション論批判から導

かれている。

 ではなぜ鶴見はディスコミュニケーションを 論じるようになったのか。先行研究においては、

概してデューイの楽観的なプラグマティズムの 批判によるコミュニケーション理論の新地平を 切り拓いたものとして論じられているが、鶴見 の意図や狙いまでは踏み込んではいない。結論 を先取りすれば、鶴見は論理学およびコミュニ ケーションの改良を目指していた。

 コミュニケーションは、コミュニケーシ ョンとディスコミュニケーションとの二重 の性格をもつものとして、Communication

dis−communicationとして理解さるべき だ。コミュニケーションの分析は、同時に、

そのコミュニケーションによって意味が通 じなかった部分についての分析をふくむも のでなければ、十分でない。各回のコミュ ニケーションのそれぞれに対応して、それ 相当のディスコミュニケーションが計測さ れねばならぬ。(鶴見[1952]1991:258、

2−2.日本人のコミュニケーション/デュー     イの哲学

 鶴見は現在の日本人は「コミュニケーション

通信」の問題を抱えているとする。鶴見によ れば、「日本人は、たがいの心に近づく方法を もたず」、「いくつかの紋切り型コトバの無限の くりかえし」3)ばかりである(鶴見[1952]

1991:246)。他方、デューイはコミュニケーシ ョンの哲学を論じたのであり、それゆえコミュ ニケーションを接点とし「日本の現実とデュー イ哲学と」を結びつけて考察することが、この

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32一 明星大学社会学研究紀要

論文の課題であった(鶴見[1952]1991:248)。

 なぜ日本の状況とデューイを接続しなければ ならないのか。そこにはプラグマティズムに対 するマルクス主義からの批判を批判するという 目的がある。すなわち当時の一般的なマルクス 主義者たちは「古い地盤(アメリカ資本主義)

でそだった、悪いもの(デューイ哲学)が、日 本にうつされて、いかに悪いものをうみ出して いくかをたどるという動機によって、思考がは じめからみちびかれており」(鶴見[1952]

1991:255)、そのためデューイ哲学(ないしは アメリカから持ち込まれたものごと)がうみだ した良いものを捨象している。鶴見は、こうし たマルクス主義への批判として、また日本のコ ミュニケーション状況を分析するために、デュ

イのコミュニケーション論の紹介からはじめ

る。

 デューイのコミュニケーション論はどういう ものであるのか、鶴見の解説をまとめれば、次 のようになる。(1)コミュニケーションとは 思想や感情の伝達であり、言語によって行われ る、(2)言語は経験をく目的〉にあわせて変 化させられるく道具〉である、(3)言語は予 測と統制を目的とした「〈科学〉の言語」と経 験それ自体を楽しむことを目的とした「<芸 術〉の言語」に区別される、(4)コミュニケ

ションとは〈全身的行動〉である、(5)意 味=伝達される思想や感情である、(6)思想 や感情はその記号のく意味〉であり、コミュニ ケーションとは二つ以上の個体に〈共通の意 味〉をもたらすことである、(7)〈文化〉と はコミュニケーション活動の総体であり、<文 化の様式〉はコミュニケーション様式である

(鶴見[1951]1991:249−255)。端的に表現すれ ば、デューイにおけるコミュニケーションとは、

言語を用いて相互に思想や感情を伝達し、互い にく共通の意味〉をもたらすく全身的行動〉で

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あり、その様式はく文化の様式〉である。

 また「意味」は、「潜在的反応implicit response」と「シンボルsymbol」とに分けら れる。「潜在的反応」4)とは刺激に対する内的 な反応すなわち思考を意味し、「シンボル」は あるコトバが別様のコトバに命題や文章の形で 置き換えられることを意味する5)。鶴見によれ ば、デューイは意味を「シンボル」として理解

したことにより、論理実証主義者による「論理 学的要素」と「経験科学的要素」の区別に反対

することができた(鶴見[1952]1991:253)。「わ

れわれの日常つかう言語の世界にかんするかぎ り、どの命題が、「分析的命題』(論理学的証明 のみにたってその真なることを判断できる命 題)であり、どの命題が『総合的命題』(経験

にてらしあわせてみて、はじめて真なることを 判断できる命題)であるかを、ちゅうちょなく 判定することは、できない」(鶴見[1952]

1991:253)。デューイは、論理実証主義的な「形 式的意味論」ではなく、日常生活でのコミュニ

ケーション、日常の論理学としての「経験的意 味論」への道を切り拓いたのである(鶴見[1952]

1991:257)。

 しかし、ここに至って鶴見はデューイの批判 に転じる。デューイは「社会をよくしようとい う善意」をもって「コミュニケーションを改良 して、人びとの心の結びつきをあらためていく」

ことを目指したが(鶴見[1952]1991:254)、

二つの問題を抱えている。一つ目は、現在取り 組むべき問題は「人間の衣食住および労働など に関する基礎条件」の改善であり、コミュニケ

ションの改善は「副次的な手段」に過ぎない こと(鶴見[1952]1991:256、傍点は原典)、

二つ目は、経験的意味論の「理論的可能性」を 示すのみにとどまったこと(鶴見[1952]1991:

257、傍点は原典)、である。前者はアメリカ的 楽天性のあらわれであり、後者はデューイが実

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際のコミュニケーションの分析、すなわち「意

味の判例の研究(case studies in meaning)」(鶴

見[1952]1991:257、傍点は原典)を欠いてい ることに由来する。

 鶴見は、こうしたデューイ哲学の分析を踏ま えて、デューイのコミュニケーション論を批判 し、ディスコミュニケーションを提唱する。鶴 見によれば、「デューイじしんは、意味の判例 の研究にまで、自分の論理学を技術化しようと いう努力をさけた。かくてデューイの哲学は、

技術の哲学であることにとどまって、技術との つながりをもたない」6)(鶴見[1952]1991:

258、傍点は原典)。

 その上で、鶴見はコミュニケーションの技術 化の前提として、コミュニケーションにおける 二重の性格としての「コミュニケーションーデ

ィスコミュニケーション」を提示したのである。

そして、またディスコミュニケーションを含め た日常的なコミュニケーションについての論理 学、すなわち「経験的意味論」による分析に取

り組んでいこうとする。

2−3.コミュニケーションの技術

 では、鶴見はいかなるコミュニケーションの 分析枠組み、技術的な改善を構想していたのだ ろうか。鶴見はコミュニケーションの具体的分 析の段階を、次のように解説する。

 コミュニケーション分析はA〜Dの四段階に 分けられる。

 A段階では、資料に基づいて実際に行われた コミュニケーションを再現し、前後の状況を明 らかにする(鶴見[1952]1991:259)。

 B段階では再現された状況全体を、次の三つ の立場から理解する。すなわち、(1)話し手

(communicator)の意図を項目的に列挙する、

(2)聞き手(communicatee)に伝えられたこ

とがらを項目別に列挙する、(3)分析者の立 場から、コミュニケーションの成立のために話

し手と聞き手が明確化すべきであった点を指摘 する、立場である(鶴見[1952]1991:259)。

 C段階では、B段階で列挙された項目を「信 念(belief)」と「態度(attitude)」とに分類す

る7)。「信念」とは「事実を記述する命題」、「態

度」とは「価値評価をする命題」である(鶴見

[1952コ1991:259−260、傍点は原典)。

 D段階は、上記の分析に基づき、(a)どのコ ミュニケーションの類型に属するかの分析、

(b)よりよいコミュニケーションの方法の立 案、(c)最終的に残されるディスコミュニケー

ションがあらわれる「未来の条件」の検討、を 実施する(鶴見[1952]1991:260)。

 これらを通じて、コミュニケーションの改善 を行うための技術を、鶴見は提案する。「コミ ュニケーションーディスコミュニケーション は、それひとつとして、現代の状況にたいする 寓話となっていることが多い。ひとつのことか ら、なるべく多くの教訓をひき出すようにした い」(鶴見[1952]1991:260、傍点は原典)と 鶴見が述べているように、コミュニケーション ー ディスコミュニケーションの議論は、デュー イ哲学を拡張し、ディスコミュニケーションの うち有害な部分を減らしていくという主張へと 繋がっていく。「『話せばわかる』と言って殺さ れた人は偉いけれども、この人が「話せばわか る』と言って殺されたという事実から目をそら す理由にならない」(鶴見[1952コ1991:285)。

そのため鶴見のディスコミュニケーション論 は、1952年の時点では、ディスコミュニケーシ ョンが現にありそれが不幸な状況を生み出しう ることを指摘しつつ、ディスコミュニケーショ ンを減らしていく技術の提示を目的としていた。

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34一 明星大学社会学研究紀要 2−4.20世紀のコミュニケーションの問題と

してのマスコミュニケーション  デューイ哲学のもう一つの問題は、意味の共 有としてのコミュニケーションを重視するがゆ えに、20世紀のマスコミュニケーション状況の 問題を見過ごしているという点にある。鶴見は 次のように述べる。

 人間の心は、たしかに、誕生と同時に各 個人にあるものでなく、コミュニケーショ ンによって徐々につくられるものだ。だが、

コミュニケーションが個我をつくるとして も、オーバーコミュニケーション(over−

communication)は、個我をころす。(鶴 見[1952]1991:279、傍点は原典)

 先立って1950年にはマスコミュニケーション は「相互の心持が、言語だけでなく、体温によ ってつたわるとか、それから血液がそのまま作 用するとか、もっと進めば、お互いの神経が結 びあわせたような」「シャム双生児」に近づく のでは、とも論じている(羽仁ほか1950:39)。

そしてディスコミュニケーションは、オーバー コミュニケーションからひとびとを守る観点を 提示する。なぜなら、ディスコミュニケーショ ンは、コミュニケーションの結果としてコミュ ニケートされない部分に注目するからである。

 ディスコミュニケーション(あるいは、

コミュニケーションのない状態)は、しば しば、思索の跳躍を助ける。科学において も、芸術においても、その最前線にたつ仕 事は、通信可能物(communicables)の領 域をひろげて行くと同時に、それに呼応し てもやもやと心の中にわき自己じしんにし か通用せぬ新来の私的記号(personal

No.38

symbols)をふやすことによって、通信不 可能物(incommunicables)の領域をひろ げて行く。これら二つの領域のあいだのダ イナミックな相互作用が、人間の思索にお けるもっとも重大なきっかけをつくるので

ある。

 思考諸領域における私的世界と共通世界 の相互作用について、デューイのコミュニ ケーション論がどれだけの光をあたえうる かは、うたがわしい。(鶴見[1952]1991:

279−280、傍点は原典)

 コミュニケーションを意味の共有と捉えるデ ューイ哲学は、その帰結に習慣の同一化を含む ことになる(鶴見[1952]1991:280)。しかし、

現実は多元的であるし、「人間にとっての根本 的状態は、コミュニケーションである以上にデ ィスコミュニケーションである」(鶴見[1952]

1991:280−281)。

 ここで論じられているディスコミュニケーシ ョンがもたらす私的記号、私的世界は、個人の 自由な内的領域を強調する芸術論やアナキズム 論に後々引き継がれることになる。つまり、大 衆文化と大衆の抵抗という議論に結実するので ある8)。しかし、ディスコミュニケーションと 大衆文化とを接続するには、プラグマティズム 以外のコミュニケーション論を参照することな しにはなしえない。次節では、鶴見によるマル クス主義のコミュニケーション論研究について

見ていく。

3.コミュニケーション史と文化史:「マルク   ス主義のコミュニケーション論」

 鶴見は「マルクス主義のコミュニケーション 論」([1956]1992)において、プラグマティズ ムとマルクス主義のコミュニケーション理論を

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接合し、自然言語を分析するための新しい論理 学の構想を示す。

 鶴見によれば、「マルクス主義のコミュニケ

ション論の基本的テーゼ」は「反映論」であ る(鶴見[1956]1992:102)。すなわち、その 時代の人びとの精神・観念はその時代の交通形 態を反映し、それによって制約される、という とらえ方である(鶴見[1956]1992:79)。この 考えは、「観念の意味を、完全にもとの交通形 態に還元してしまう」点で問題含みであるが、

「記号が記号使用の条件においてもつ関係(プ ラクティカルな次元)」を分析する上で強みを もつ(鶴見[1956]1992:79)。すなわち、「記 号を記号の使用者(個人として、また集団とし て)と結びつけて」考察するプラグマティズム を補い、「記号を記号使用状況(社会的、歴史的、

物質的)と結びつけ」るという観点を持ち込む、

「完全なプラグマティクスの体系」を確立する ための新領域を切り拓いたのである(鶴見

[1956] 1992:80)。

 鶴見によれば、マルクス主義者たちはこの独 自のコミュニケーション論を見過ごしてきたが

(鶴見[1956]1992:76)、実際には極めて示唆 に富んだコミュニケーション理論を持っている のである。マルクス主義のコミュニケーション 論は、記号の発生条件および使用条件となる社 会的歴史的状況を分析するための視角をもたら

している。

 鶴見は『ドイツ・イデオロギー』の分析から このようなコミュニケーション理論を導きだし ている。また、この遺産は、レーニンと毛沢東 によってさらに拡張されると鶴見は考える。

 レーニンは公的場面での討論を重視し、また その記録としての議事録分析の意義を、マルク ス主義に持ち込んだ。すなわち、前衛党の意思 決定に際しては、「日和見主義」へと至る「昔 からのサークルづきあい」ではなく、「つねに、

自己の主張の根拠を公けの場で言明し、反対者 との討論によって学ぶことができれば学び、承 服できない決定でも、多数の決定にはつねにし たがうという、公党としての思考方法」が推奨 される(鶴見[1956]1992:92)。レーニンは、

明文化された原則にもとつく組織的で持続的な コミュニケーションを求め、またそのコミュニ ケーション過程を記録した議事録を重視した。

議事録は、その時代のコミュニケーション様式 を保存し、分析するための「具体的な論理学」

を実践するためには不可欠である(鶴見[1956]

1992:93)。それゆえ、レーニンの議論は、公的 場面でのコミュニケーションを分析するという 発想をマルクス主義に持ち込んだのである。

 毛沢東もまた、組織内でのコミュニケーショ ン分析に大きな貢献を行った。『矛盾論』にお いて、毛沢東は、「あらゆる差別は矛盾であり、

したがって差別ある個物からなる世界は矛盾に みちみちており、矛盾がやむことなく段階をへ て無限に発展してゆくことを、その法則として いる」とする(鶴見[1956]1992:94)。現実の コミュニケーションは、この矛盾が生み出す新 しい状況のなかで展開される。

 そして、鶴見によれば、毛沢東の議論の特徴 は、「あらゆる矛盾が闘争と革命による解決を 要求しているのではないこと。話し合い、説得、

あるいは和して同じないという種類の合作形態 の可能性が、つねに考慮の中にあること」にあ る(鶴見[1956]1992:96)。この「話し合い、

説得」は、国内のみならず、国家間の交流にお いてもあてはめられている。毛沢東は、原水爆 を持った国家間の対立、「原爆時代というあた らしい歴史的条件」、「新しい発展段階」に対応 したコミュニケーション理論をもたらしたと鶴 見はみる(鶴見[1956]1992:96)。すなわち、

新時代に対応したマルクス主義者である、と。

 では、マルクス主義とプラグマティクスを総

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36一 明星大学社会学研究紀要

合した新しいコミュニケーション理論、論理学 はいかなるものになりうるのか。鶴見は次のよ

うに述べる。

 コミュニケーションを単にコミュニケー ションのワク内でとらえず、存在のなかに つねにあるディスコミュニケーションの条 件が折り重なってコミュニケーションへの 契機を形成して行く条件をもとめ、階級分 化というディスコミュニケーションの基本 的要因、階級闘争というコミュニケーショ

ンの形に歴史の動力をもとめる見方、それ らは、マルクス主義以外のコミュニケーシ ョン理論においては深くとらえられたこと

がなかった。(鶴見[1956]1992:100)。

 鶴見はここでデューイについては言及してい ないが、おそらく「二人の哲学」での議論を念 頭においているだろう。すなわち、「話せばわ かる」という「コミュニケーションの神話」を 前提に、現実の衣食住の問題よりもより副次的 なコミュニケーションの改善を求めたデューイ と異なり、マルクス主義のコミュニケーション 論においては、階級というディスコミュニケー ションを前提に、コミュニケーションが行われ る歴史的状況を分析する観点を強調している。

マルクス主義のコミュニケーション論は、ディ スコミュニケーション論である。

 また、マルクス主義のコミュニケーション論 は反映論という難点を抱えている一方で、意図 を越えた記号の意味、すなわち「流露」として の意味の分析を可能にするという。

 その記号Aの発生条件をA としてあたら しい記号が成立し、そのArの記号の意味 を分析することが可能になる。それは、も との記号Aを用いた個人にとっては、その

NTo. 38

意図をこえるものであって、「表現」では なく意図に反した「流露」として成立する 意味である(もちろん流露は流露としてコ ミュニケーションにつねに参加している)。

この流露された意味は、マルクス主義者に よってしばしば、ある記号の「反映する」

意味としてとらえられ、このようにしては じめて、それぞれの記号が、世界を反映す るように分析されることが可能となる。(鶴

見[1956]1992:101)

 この「流露」としての意味は、当該のコミュ ニケーションを行っている人びとによってでは なく、第三者としての分析者の視点から見いだ される。また「流露」とは、「記号使用者じし んの意図をこえてしかもコミュニケーションと してなりたっている」ものであり、いかなるコ ミュニケーションにおいても想定される側面で

ある(鶴見[1956コ1992:103)。すなわち「流露」

は、話し手の意図ではなく、聞き手によって私 的に解釈された意味だと言える。マルクス主義 のコミュニケーション論における反映論は、記 号の発生条件を分析対象とする視点をもたらし たことにより、この「流露」としてのディスコ ミュニケーションの分析を組みこむことが可能

となる。

 その結果、プラグマティズムとマルクス主義 を総合することで、「自然言語の問題に密着し たあたらしい論理学の形成」が可能になると鶴 見は考えていた(鶴見[1956]1992:103)。そ のためには、マルクス主義の、記号を使用者の 観点からだけでなく、発生状況としての歴史や 社会について分析する観点が極めて重要とな る。その時代のコミュニケーションを記録し分 析するだけでなく、時間的・歴史的な重層性を 含めて検討するという「コミュニケーション史」

の構想がここで示されている。

(9)

4.コミュニケーション史から芸術論・運動論   へ:「コミュニケーション史へのおぼえが

  き」

 こうしてみると、鶴見俊輔のディスコミュニ ケーション論の課題は新しい論理学を立ち上げ ることであったと言える。「二人の哲学者」に おいても「マルクス主義のコミュニケーション 論」においても、論理実証主義を批判し、日常 的な会話や自然言語を分析するための「日常の 論理学」の構想が論じられていた。この「日常 の論理学」は、第一にはコミュニケーション技 術を向上させ「コミュニケーションーディスコ ミュニケーション」の割合を測定し相互理解の 領域を広げる、第二には人類のコミュニケーシ

ョンをその時代ごとの記号の使用状況に則して 分析するものである。そのために、デューイの

コミュニケーション論を批判し、またプラグマ ティズムのコミュニケーション論の利点とマル クス主義のコミュニケーション論の利点との接 合を試みた。

 この企図は、「コミュニケーション史へのお ぼえがき」で一応の完成をみたと言ってよいだ ろう。その枠組みとなっているのが、美学者中 井正一の「委員会の論理」(1936)である。「委 員会の論理」は、「それぞれの時代におけるコ

ミュニケーションの習慣が、それぞれの時代の 考え方の約束に影響をあたえるという状況を、

古代社会から現代にいたるまでのおおまかなス ケッチとしてのこしている」(鶴見[1973]

1992:126)。その構想の基礎には、「ドイッ・イ デオロギー』での「交通形態としての思想とい

う考え方」と「精神・自我・社会』での「社会 成員間のコミュニケーションが内面化されたも のが思想であり、外部のコミュニケーションの 内面化をとおして自我の意識が生まれるという モデル」があると指摘する(鶴見[1973]

1992:126)。そして、「心の外にあるものをとら えて、そこから内なるものにいたる道をさがす という、コミュニケーション論の視点、コミュ ニケーションの発達との関連において思想を見 るというコミュニケーション史の視点が」中井 の議論にはあると強調する(鶴見[1973]

1992:126)。このことから、鶴見が中井の議論 を、プラグマティズムとマルクス主義の結び目 として、かなり肯定的に捉えていることがわか

る9)。

 そしてこの中井の枠組みからすると、「コミ ュニケーション論的とか、コミュニケーション 史的な見方というのは、別の言葉で言えば、雑 駁に人間精神をとらえるということ」である(鶴 見[1973]1992:127)。思考が成員問でのコミ ュニケーションに基づくのであれば、思考は個 人の内的で純粋な活動ではないし、そうした思 考の発展過程を見ることは、コミュニケーショ

ンの歴史を見ることとイコールである。

 鶴見はここに、70年代から論じ始めるアナキ ズム論を持ち込むlo)。すなわち、人問精神を純 粋なものとしてではなく雑駁に捉えるというこ

とは、「純化した観念をもってきて人を律する 流儀」ではなく、「あたえられた象徴の中にさ

りげなく別の意味をもりこむ流儀」を採用する ことを意味する(鶴見[1973]1992:131)。す なわち、「二人の哲学者」における私的記号/

私的領域、「マルクス主義のコミュニケーショ ン論」における「流露」をもって人間の精神史、

思考の歴史、コミュニケーション史を採用する こととなる。そして、大衆のもつ「かんたんに 根だやしにはできない抵抗の伝統があ」り、こ の伝統を見いだす方法が「コミュニケーション 論とコミュニケーション史」にあることを期待 する(鶴見[1973]1992:131)。それゆえ、「コ

ミュニケーション史は、大衆思想史への新しい

道をひらく」ll)(鶴見[1973]1992:131)。

(10)

38一 明星大学社会学研究紀要

 では、鶴見の想定するコミュニケーション史 とはどのようなものであるのか。鶴見はこの点 について、デカルトへの批判からはじめる。

 例えば「私は」「思う」というデカルト的命 題は、デカルトが設定した意味と日本のそれと では異なりうる。デカルトは周囲の関係から切 りはなされた「個」としての「私」、「思う」を 想定したが、「私」は他者との関係のなかに容 易に融解しうる(鶴見[1973]1992:132)。日 本語には日本語特有の用法、コミュニケーショ ン様式があり、「私」も「思う」もその言語の 様式に依拠すると鶴見は考える。

 鶴見はこうした考え方をベンジャミン・ホー フから採用する。すなわち、「言語をふくめて それぞれのコミュニケーションの様式が、それ ぞれ独自の哲学への道をひらく」という考えで

ある(鶴見[1973]1992:133)。

 コミュニケーションは、同じ言語を解する者 同士の間でのみ成立するのではない。むしろ、

「相手を、自分と同じ種に属するものと考える という前提があってはじめてコミュニケーショ ンは成り立つのだろう」(鶴見[1973]1992:

134)。相手をコミュニケーション可能な存在と して見なすことがなければ、話しかけることも 話しかけられることもないだろう。戦中の「鬼 畜米英」という合い言葉は、「各国民のみがあ るのであって、共通の人類というものは地上に 存在しないのだというような理論」を含んでお り、国家間・国民間でのコミュニケーションの 断絶をもたらす。

 その意味では、コミュニケーション史研究は、

コミュニケーションの失敗史となる。

 この意味でもコミュニケーション史は、

人間が今のようなコミュニケーションの高 さにどのようにしてのぼることができたか という自慢ばなしではなく、人類のコミュ

No.38

ニケーションの失敗談を、もう一度、人類 を含めてあらゆるもののコミュニケーショ ンの可能性の中で考え直すというふうであ りたい。動物から人間への発展というふう にだけ見られない部分がある、ということ をわきまえておかなくてはいけないし、そ のためには、人間が万物の霊長として諸動 物の上にあるというキリスト教ゆずりの前 提をコミュニケーション史の共通の前提と しないほうがよさそうだ。(鶴見[1973]

1992:135)

 ここにはこれまでのコミュニケーションーデ ィスコミュニケーション論の視点が引継がれて いる。コミュニケーションの失敗とは、ディス コミュニケーション、つまり話し手と聞き手の 間とで伝達されえなかった領域、もしくは階級 分化という断絶である。

 鶴見のコミュニケーションーディスコミュニ ケーション論は、ここに至って、ようやく言語 以外のコミュニケーション様式に本格的に言及 し始める。ホグベンの『洞窟絵画から連載漫画 へ』(1949)や、その基礎となったオットー・

ノイラートのアイソタイプに触れながら、絵、

絵文字というメディアについて論じる。

 文字は、時間の流れをとめ、世界の意味 を一義的に定義できるという錯覚を、それ を書く人、読む人にあたえやすい。それに 反して絵は、絵文字を含めて、世界の意味 がなかなか一義的に定義できないこと、見 方によってさまざまに見えることの自覚 を、描く人、見る人に留保させる。(鶴見

[1973] 1992:138)

絵、絵文字をコミュニケーション史に含める ことで、より長く、より広い地域のコミュニケ

(11)

ションを捉えることができる。それは「ヨー ロッパの思想史以前および以外の人間の思想的 伝統」に目を向け、「意味の流動性に着眼」す

ることにより、「技術文明にとって役に立つも う一つの能率的なコミュニケーション技術」を もたらし、「技術文明を根本からうたがうこと をも教える」(鶴見[1973]1992:138)。コミュ ニケーション史は、コミュニケーション技術の 向上と文化・文明の再検討の方法として構想さ

れている。

 もう一つ、コミュニケーション史の重要な点 は、コミュニケーションの「秘伝」を学ぶこと にある。鶴見は、一般的ではないが重大ないか がわしいコミュニケーション方法があるとする。

 今われわれの前には、蜜蜂のダンスから イルカの通信、マリファナとLSDの使用を 含めて、たくさんの新しいコミュニケーシ ョンの方法が新しくおかれている。それぞ れのコミュニケーションは、それなりのさ さやかな理想を支えとしている。その理想 を理解することなしに、そのコミュニケー ションの技術だけをとってくることはむず かしい。かなりのほらと嘘のまざりものが あっても、コミュニケーションの秘伝を大 切にすることが、コミュニケーション史に とって必要なのではないだろうか。その最 後のかくれがから人間を追い出すようなコ ミュニケーション研究をしてはならない。

コミュニケーションは結局は、人間の最後 のさまざまの抵抗のよりどころとなるもの なのだから。(鶴見[1973]1992:143)

 このコミュニケーションにとっての「秘伝」、

すなわち表立っては行われないが、人類に継承 されてきた邪道とでも言いうるコミュニケーシ ョンの様式も、実際に存在してきている12)。薬

物を介したコミュニケーションも、沈黙も、コ ミュニケーションの一つである。それゆえ、「コ ミュニケーションが、その目的を達せずに終わ る部分、一つまり、ディスコミュニケーショ ンの部分をなにかの仕方で心においていなけれ ばならない。公然としたコミュニケーションの 底にしずむ、もうひとつの実現していない、か くされたコミュニケーションを見る眼をもつ努 力を忘れないようにしたい」(鶴見[1973]

1992:143)。

 鶴見は、この沈黙、ディスコミュニケーショ ンこそが人びとの抵抗の根であると考える。大 衆の抵抗史としてのコミュニケーション史は、

この地点において、暴力をともなわないアナキ ズム理論へと、また、大衆による芸術の創造や 消費の研究へと繋がりをもつ。

5.むすびにかえて

 最後に、本稿の議論をまとめておく。

 鶴見俊輔はその最初期からコミュニケーショ ンに関心をもち、論じてきた。鶴見はデューイ のコミュニケーション論の批判から、コミュニ ケーションの技術の向上と経験的意味論の立ち 上げに向けて、「ディスコミュニケーション」

という新領域を示した。ディスコミュニケーシ ョンは、コミュニケーションの結果あらわれる

「意味の伝わらなかった部分」である。そして、

ディスコミュニケーションを減らす技術を考想

した。

 鶴見はこのディスコミュニケーション論を、

マルクス主義のコミュニケーション論と関連づ けることでさらに展開する。反映論を援用する ことで、記号の使用者のみに焦点を当てるので はなく、記号が発生する歴史的・社会的条件の 分析を含めたコミュニケーション論を構想する 手がかりをえた。

(12)

40一 明星大学社会学研究紀要

 この構想は、1970年代に入り、中井正一「委 員会の論理」を枠組みとすることで一応の完成 をみる。言語以外のコミュニケーションメディ アへの注目、コミュニケーションの失敗や秘伝 の発見を目指すコミュニケーション史は、人類 のディスコミュニケーションを記述すると同時 に、大衆による抵抗の歴史記述と地続きである と考えられていた。

 鶴見のディスコミュニケーション論、コミュ ニケーション史の構想は、コミュニケーション 研究の新しい領域を切り拓いたといってよい。

では実際にこの枠組みをどのように活用すれば よいのか。この点については、ディスコミュニ

No.38

ケーション論の観点から、鶴見の限界芸術論お よびマンガ論を見ていく必要がある。鶴見は70 年代に限界芸術論を論じるなかで、権力などへ の抵抗にとって、他者には理解されえない私的 領域を保つことが重要であるとしているが】3}、

ディスコミュニケーションの部分こそが、コミ ュニケーションにおける他者に共有されない私 的記号の領域であった。また、鶴見自身、日本 語や英語、日常的な論理学について、実際に分 析している著作もある。

 今後は、本稿の成果を枠組みとして、鶴見に よる具体的なコミュニケーション分析、大衆文 化論の検討を行っていきたい。

【注釈】

1)鶴見のディスコミュニケーション論について  は前述の井上論文を通じて知ったとしている

 (111N 2010:67)。

2)鶴見和子編「デューイ研究 アメリカ的考え 方の批判」(1952)に「コミュニケイション」

 のタイトルで発表されたが、のちに「二人の哲

 学者」に改題された。

3)「紋切り型コトバ」については、戦中の言語  の使用法に注目した「言葉のお守り的使用法に

 ついて」([1946]1992)で検証されている。

4)「潜在的反応」は、自然や人生への「強い統

 制力」、すなわち「いかに未来への予測に成功し、

 いかに想像を深めて行くか」に関わるとしてい  る(鶴見[1952]1991:252)。科学や芸術はそ

 の例であるという。

5)たとえば「「労働』の意味が『はたらくこと』」

 に置き換えられるように、である(鶴見[1952]

 1991:252)。

6)鶴見が判例研究を重視する理由は、初期のプ  ラグマティストでありアメリカ大審院判事であ  ったオリヴァー・ウェンデル・ホウムズを重視

 しているからであると思われる。ホウムズは「法

 律言語と道徳言語」とを明確に区別し(鶴見

 1971:103)、「生きた哲学、働く論理学」を用い  た(鶴見1971:98)。

7)「信念」と「態度」はC.Lスティーブンソン

 の『倫理と言語』(1944)の議論に由来している。

 詳しくは寺田征也(2014)を参照されたい。

8)鶴見の芸術論、アナキズム論における「私的」

 なものの強調については寺田征也(2016)を参

 照されたい。

9)鶴見はおそらく、中井による「思惟の論理」

 を内的思考、「討議の論理」を外的コミュニケ

 ーションの内面化として、また、「技術の論理」

 と「生産の論理」を自然的秩序の人間的秩序へ  の転換、すなわち科学技術による非現実の現実  への転換として理解している(中井[1936]

 1995)。そして中井は、この4つの論理の総合

 として「実践の論理」としての「委員会の論理」

 を論じている。

10)鶴見のアナキズム論と文化・芸術論について

 は寺田征也(2013、2016)を参照されたい。

11)同様の議論は、鶴見によるG,H.ミードへの評

 価にもみられる。鶴見はミードの仕事を「大衆  思想史として世界の思想史を訂正することを可

(13)

 能にする一つの新しい理論的わくぐみをつくっ

 た」としている(鶴見1971:107)。

12)鶴見は実際にLSDの使用経験があることを告

 白している(鶴見[2002]2006:248−259)。べ

 平連の活動中、当時京都に住んでいた詩人ゲー  リー・スナイダーに脱走兵の一時滞在場所の提  供を依頼した際にLSDを差し出されたという。

 「コミュニケーション史へのおぼえがき」が  1973年刊行であることから、この記述は自身の

 体験にもとつくものと思われる。

13)寺田征也(2016)を参照されたい。

【文献】

羽仁五郎・長谷川如是閑・宮本顕治・高嶋善哉・

 久野収・鶴見俊輔、1950、「二十世紀思想の性  格と展開」『世界評論』5(1)、世界評論社、

 pp.3344。

井上俊、2009、「対話というコミュニケーション」

 『コミュニケーションの社会学J(長谷正人・奥

 村隆(編))、有斐閣、pp.89−107。

中井正一、[1936]1995、「委員会の論理一一つの  草稿として」「中井正一評論集](長田弘(編))

 岩波文庫。

奥村隆、2010、「反コミュニケーション』弘文堂。

    、2015、「不気味な怪物とバグは可能か」

 「談」、no.103、公益財 団法人たばこ総合研究  センター、pp.29−50。

寺田征也、2013、「鶴見俊輔の社会学的可能性一  一プラグマティズム・アナキズム・大衆文化一

 一」「社会学史研究」35、pp.31−46。

    、2014、「鶴見俊輔における大衆文化論

 の視角としての『思想』」『現代社会研究』第11

 号、東洋大学現代社会総合研究所、pp。105−

 113。

    、2016、「鶴見俊輔『限界芸術』論の再

 検討」『社会学年報』第45号、pp.63−73。

鶴見和子(編)、1952、「デューイ研究 アメリカ  的考え方の批判』春秋社。

鶴見俊輔、[1946コ1992、「言葉のお守り的使用法  について」「鶴見俊輔集3 記号論集』筑摩書房、

 pp.389410。

    、[1952]1991、「二人の哲学者一デュー

 イの場合と菅季治の場合」「鶴見俊輔集2 先

 行者たち』筑摩書房、pp.247−287。

    、[1956]1992、「マルクス主義のコミュ

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 筑摩書房、pp.75−104。

    、1971、「新版 アメリカ哲学」社会思

 想社。

    、[1973]1992、「コミュニケーション史

 へのおぼえがき」『鶴見俊輔集3 記号論集」

 筑摩書房、pp.125−143。

    、[2002]2006、「回想の人びと』ちくま  文庫。

鶴見俊輔・多田道太郎・樋口謹一、[1951]

 1968、「ルソーのコミュニケイション論」『ルソ  ー研究 第二版』(桑原武夫(編))岩波書店、

 pp.227−2570

植島啓司・伊藤俊治、1988、「ディスコミュニケ

 ーション』リブロポート。

山本登志哉・高木光太郎(編)、2011、『ディスコ

 ミュニケーションの心理学 ズレを生きる私た

 ち』東京大学出版会。

吉見俊哉、2012、「アメリカの越え方一和子・俊  輔・良行の抵抗と越境1弘文堂。

(てらだ まさや、本学科准教授)

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