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「たかはま子ども市民憲章」の意義

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(1)地方における子ども憲章の形成と「たかはま子ども市民憲章」の意義. 89. 地方における子ども憲章の形成と 「たかはま子ども市民憲章」の意義 子どもとおとなのパートナーシップ関係の構築のために. 喜. 多. 明. 人. If!]岨 ILL I,と いま、子どもを取りまく環境は、 「関係不全」というべき時代に突入している。 1990年代以降において、子どもを取りまく環境、とくに身近な「人とのつながり」を急変させ たのは、日本経済の構造的な不況と「バブル崩壊」社会であった。親、おとなたちは、自分の生 活を守ることにせいいっぱいという状況となり、子どもとじっくり向き合う余裕やゆとりを消失 させていった。子どもを取りまく人びととの「関係不全」を象徴したのが、 「子どもの人権」問題 である。いわゆる「児童虐待」は、親子関係の「関係不全」状態のなかで発生してきたし、教員 と子どもとの「関係不全」のなかで、 「学級崩壊」、 「体罰」問題が深刻化している。また、近年、 各地で発生している「不審者事件」は、例えば奈良県のように、女子小学生誘拐殺傷事件を契機 として引率のない子ども‑の「声かけ禁止条例」 (正式名称「子どもを犯罪から守る条例」 2005年 6月制定)を求めたように、地域住民と子どもとの「関係不全」状態を引き起こしている。 こうした事態に直面して、子どもの人権保障、広く子どもの生存と成長発達を保障していくた めに、子どもを取りまく人間関係の再生、再構築を図ることは急務であり、教育、福祉、環境、 医療、司法などの領域において総合的に取り組む時期にきていると言える。 その際、再構築の最優先課題は、地域である。子どものための地域再構築、いいかえれば「子 どもにやさしいまちづくり」をすすめることが社会的な基本課題になっている(1)。 主たる理由は、地域の人間関係、子育て機能の「陥没」状態である。 子育てを支えてきた家庭、学校、地域の中で、明らかに地域は子育て機能を喪失し、家庭と学 校が孤立的に過剰責任を背負い込んでいる。確かに関係不全の克服は、家庭や学校にも求められ るが、現時点での狭い意味での「教育改革」は、結局の所、親・保護者や教員を追いつめるだけ ではないか、と見られることである。むしろ、地域の「子育て力」をこそ回復させて、家庭や学 校を支える地域を再建していくことが先決である、と考えられることである。 本稿は、以上述べたような地域の再建、とくに今後の子ども支援の地域再構築の課題の一つと して、 1990年代以降形成されてきた「子ども憲章」の動きをトレースしておきたい。筆者はすで.

(2) 90. に、そのための「子どもの権利条例」づくりに関する実践的研究を進めてきた(2)。そこでは、子 ども支援とりわけ子ども参加型まちづくりが課題とされてきたが、子ども憲章は、その研究の一 環に位置づけることができる。 国連は、日本政府に対して、子どもの意見表明・参加の促進を妨げてきた要因として、 「日本社 会の伝統的な考え方」にあると指摘してきたOそこで念頭に置かれてきた「考え方」とは、一言 で言えば「青少年健全育成」の思想であったといえる。日本では、長野県を除き全県的に「青少 年健全育成条例」を制定してきた。そして1990年代に入り、その理念をさらに具体化させたのが 「子ども憲章」であった。 子どもの権利条約が日本で批准された1990年代半ば以降、青少年健全育成の理念を「子どもに 語らせる」憲章が作られ始めている。しかしながら、本稿で見ていく通り、その「語らせ方」は おとな主導であり、子どもの意見表明権・参加の権利(条約12、 15条など)を保障したものとは 決して言えないことは歴然としていた。しかし、子ども憲章の制定の動きは、 2000年代にはいり、 子どもの権利条約の趣旨を活かした子どもとおとなの関係再構築への新しい動きを示し始めてい る。その一つの象徴事例が後半で分析する「たかはま子ども市民憲章」である。 本稿は、条約批准後、 「たかはま子ども市民憲章」に至る動向を素描していくが、今後、 「子ど もを支える地域」 「子どもと支え合う地域」の再構築、子どもとおとなのパートナーシップ関係の 構築を目的とした総合的な研究を進めていくに当たり、その基礎研究として位置づけられるもの であり、論文の性格上は「研究ノート」レベルの分析にとどめたことをおことわりしておきたい。. I 1990年代子ども憲章の形成と特徴 1全国の子ども憲章の制定事例 1990年代に入り、相次ぐ少年事件を背景として、全国各地において「非行」対策、予防的な狙 いも含めて青少年健全育成の施策が強化され,その条例化をふまえつつ、より徹底を図るために、 「子どもが語る」 「子どもに語らせる」憲章づくりの時期に入った。今日では、 「子ども憲章」を ネットで検索するだけで約27万件にも及ぶデータが集積されている。ここでは、子どもの権利条 約が批准(1994年)されて以降の子ども憲章についてその典型例を18例、制定順にまとめてみた。 以下、その内容を分析しておこう。 (1990年代後半以降の子ども憲章制定動向) 町田市. 「町田市子ども憲章」. 1996年 健全育成都市宣言30周年. 稚内市. 「子ども憲章」. 1998年9月19日制定. 越谷市. 「越谷市子ども憲章」. 1998年11月3日制定. 稚内市. 「子ども憲章」. 1998年9月19日制定. 杉戸町. 「すぎの子憲章」. 1999年5月5日制定.

(3) 地方における子ども憲章の形成と「たかはま子ども市民憲章」の意義. 志木市. 「子ども憲章」. 2000年10月26日制定. 八千代市「八千代市子ども憲章」. 2001年1月1日制定. 八王子市「八王子市子どもすこやか宣言」. 2001年2月4日制定. 戸田市. 「戸田市子ども憲章」. 2001年10月1日制定. 北本市. 「北本市児童憲章」. 2001年10月25日制定. 八潮市. 「八潮市子ども憲章」. 2002年1月15日制定. 岡谷市. 「おかや子育て憲章」. 2002年4月1日制定. 荒尾市. 「荒尾市子ども憲章」. 2002年度. 山梨市. 「子ども未来憲章」. 2003年度. 福島県. 「ふくしま子ども憲章」. 2003年度. 熊谷市. 「熊谷市子ども憲章」. 2003年4月1日制定. 上尾市. 「上尾市子ども憲章」. 2003年10月1日制定. 高浜市 「たかはま子ども市民憲章」. 91. 2003年11月1日制定. A おとなによる「子育て憲章」タイプー「青少年健全育成」理念普及の延長として 「子ども憲章」とは、従来は、青少年健全育成条例と呼応しておとな社会が中心となり、おとな の理想とする人間像、子ども像を子どもに一方的に求める文書として認識されてきた。それは質 的な差はあっても枠組み自体は、 1951年5月5日に制定された「児童憲章」のもとで、 「新しい子 ども観の確立」をめざして宣言し、申し合わせてきた規範形成の手法と同種である(3)実際上は 地域における「非行」対策に連動した青少年、警察行政の推進など青少年健全育成を促進する道 義的宣言が多かった。 たとえば、岡谷市「おかや子育て憲章」や荒尾市「子ども憲章」、杉戸町の「すぎの子憲章」、 北本市の「北本市児童憲章」などはその類型に属すると思われる。このほか最近の子ども憲章を 例に取ると、性格的には上記のような文書でありながら、形式的に主語を子どもにして、 「子ども に語らせている」タイプ(B参照)も広くはこのカテゴリーに属するものといってよい。日本社 会で形成されてきた子ども憲章全体が多かれ少なかれ、おとな主導の性格を内在させており、お とな社会が子どもに求める人間像、子ども像、言い換えれば青少年健全育成の思想と連関する キーワードが共通に盛り込まれている。子ども憲章事例からその典型的な理念・言葉を上げれば 以下のごとくとなる。 (五十音順) ○夢・希望・未来(上尾、荒尾、北本、志木、杉戸、高浜、戸田、八王子、福島、町田、八 潮、八千代) ○思いやり(上尾、荒尾、岡谷、志木、戸田、八潮、八千代、稚内) ○命・健康(上尾、岡谷、北本、福島、町田、八潮、八千代).

(4) 92. ○礼儀・感謝・決まり遵守・責任(岡谷、北本、杉戸、戸田、八王子、福島、八潮) ○自然・環境(上尾、荒尾、北本、戸田、八潮、八千代、稚内) ○郷土愛(岡谷・北本・志木) ○人権(志木・杉戸・戸田) それに対して、仮に虚像ではなく実像としての「子どもが語ったら」どうなるか。子どもの本 来的な欲求である「遊び」 「休息」 「プライバシー」 (おとなの干渉の排除)などは、これらの憲章 群にはほとんど見あたらない。むしろおとな社会にとっては好ましくないもの(4)として避ける傾 向にあったといえる。. B おとな主導の「子どもに語らせる憲章」タイプー真の子ども参加のステップとして 以上の通り、これまで各地でつくられてきた「子ども憲章」は、地域における非行対策など青 少年健全育成を主たる日的とし、おとな側の一方的な子ども観による子どもへのメッセージとい う意味合いが強く、その活用も当該自治体のシンボル的な憲章の一つという範囲にとどまってい た。 ところが、 1994年4月子どもの権利条約の批准にともない、地方自治体にとっては、 「子育ち」 支援(子どもの自分育ちの支援)の展開の中で、新たに子ども側からの「子ども像」の追求、と いう視点の設定をよぎなくされてきた。その結果、形式的には、主語も子どもが約束している形 を取り、 「わたしたちは‑します」という表現形態を取ることが多くなった。 しかし、その制定のプロセスでは、子どもの意見を聴く形はとっているが、実質的な内容は担 当部局やおとな委員中心に決定し、子どもには、事前の報告や承認を得ないままに公表される、 というタイプである。アメリカの環境心理学者ロジャー・ハートは、このような「子ども参加」 を、 「あやつり」 「みせかけ」と分類し、 「真の子ども参加」 (子どもとおとなの意思決定の共有) ではない、と警鐘を鳴らしてきた(5)。 このような「見せかけ」タイプに属すると見られる憲章は、越谷市「越谷市子ども憲章」、志木 市「子ども憲章」、戸田市「戸田市子ども憲章」、八潮市「八潮市子ども憲章」、八千代市「八千代 市子ども憲章」などである。特徴としては、前文や解説に子どもが作った旨の説明を加えている (八千代市「八千代市子ども憲章」)ことであり、とくに「子ども議会」における「制定」 (戸田市 子ども憲章、山梨市子ども憲章など)や「承認」 (八潮市「八潮市子ども憲章」)を表記している ところが注目される。このほか子ども委貞会のような形態での憲章文案作成(越谷市子ども憲章、 町田市子ども憲章など)、子どもからの意見募集をして採用・表彰(ふくしま子ども憲章など)な どの方法を取っているところもある。実際に、子ども議会、子ども委員会など子ども組織が憲章 制定に当たっている場合には、何らかの子どもの意思表明があったことは間違いなく、その自治 性やおとな側の取り上げ方、支え方しだいでは、 "子どもが創るほんものの子ども憲章"になって.

(5) 地方における子ども憲章の形成と「たかはま子ども市民憲章」の意義. 93. いく可能性も秘めていたということができる. C 子どもとおとなの「パートナーシップ憲章」タイプ一子ども参加型まちづくりの指標として ほんものの子ども参加は、しかしそうたやすい道ではあるまい。日本の子どもたちの権利につ いての認識の深まり、鉱がりと参加経験の蓄積が欠かせないといってよい。子どもの権利条約が 日本で批准されて以降、子どもたちの自発的な「子どもの権利学習」も進められてきた。その過 程において、各地の子ども憲章づくりにおける子ども参加も質的に問われていくことになる。 R・ハートにいう「あやつり」 「みせかけ」型の参加では満たされない思いを、子ども側の起草委 員会が抱くようになる。 たとえば、八王子市「八王子市子どもすこやか宣言」 2001年2月4日制定)の場合も、いっ たんは「文案検討委員会」において、子どもたちの意見を反映して「八王子市子どもの権利宣言」 として原案が作成されている時期があった。しかし、最終的には本文から「権利」という表現は おおむね削除されることになり、名称も「子どもすこやか宣言」と改められた(6)。 そのような緊張関係がもっとも典型的に顕れたのが、町田市の憲章づくりの取り組みである。 町田市は、 1996年5月、青少年健全育成都市宣言30周年を記念して、 「町田市子ども憲章」を発 表した。この憲章は、 「おとなと子どもの合作」として作られた、といわわれている。 1995年2月、子ども憲章作りの「子どもスタッフ」が設置されたときは、町田市が子どもに求 めたのは、 「おとなが出した素案の承認」と「その言葉のいれかえ、ならべかえ」であった。しか し、 「子どもスタッフ」は、 「ただ、言葉をいれかえ、ならべかえただけでおとなと合作とされて は、おとなが発表する際の飾りにされてしまう」と反対し、 「わたしたちは、わたしたちの手で、 わたしたちの思う子ども憲章を作り、おとなに提示することに決めた」のである(7)。 「できあがったものは。それは、みんなの本音がぶつかりあってできたものです。いじめられた ことのある人。いじめたことのある人。親が厳しい人。放っておかれている人・‑。それぞれの経 験から、育った環境から、想い、考え、作り上げたものなのです。」 こんな想いをもって、 「子どもスタッフ」による「子ども憲章原案」が完成した。ところが、 1996年5月11日に公表された「町田市子ども憲章」は、おとな委員の手によって修正を受けてい た。 前文の冒頭文については、子ども案は、 「みんなで協力すればできないことはないはず。今の状 態が嫌だと思ったら、まず自分から変える努力をしてみよう。どうしたらいいかわからないとき があるかもしれない。そのための"子ども憲章"なんだ。」と記されていた。これに対し、公表さ れた憲章は、 「みんな自分に素直に生き、そしてお互いを認め合うそんな社会へ‑・それは、みんな がそれぞれの生き方を追うことができるということ。そして、他の誰とも違うがナがいのないわ たしが、まわりのすべてのものとともに、生きるということ。」となっていた。.

(6) 94. このような修正の仕方、それは八王子市の「子どもの権利宣言」を「すこやか宣言」に置き換 えた発想もそうであるが、子ども側の願いとおとな社会の思惑との間に、ある種の緊張関係が発 生していたということができる。そこでは、明らかに「社会の変革」につながる言葉をチェック しようというおとな社会の意思が働いたことは間違いない。人権教育分野で言えば、 D・セル ビーが強調したとおり、おとな社会は、子どもに対して「コンフォーマテイヴな参加」 (‑中立・ 現状維持的で、学校や地域をいかなる意味でも批判しないような参加)は求めるものの、 「トラン スフォーマテイヴな参加」 (‑ある程度批判的要素が含まれていたり、社会変革をうながすような 参加)は好まない、ということであろう(8)また次の子ども案も修正された。 「人権尊重社会の実現」の項の子ども案は「すべての人には平等な権利がある。だから、自分勝 手に行動しているだけではいけない」とあった。この文はおとな委貞側で、 「すべての人には平等 な権利がある。でも、自分勝手に行動するだけではいけない」と修正されて公表された。この文 案修正は、いまのおとな社会の「権利」観が反映されていること、さらに子ども側の「権利」観 とのズレが象徴されていて興味深い。子ども案では、みんな平等に権利があるからこそ、互いの 権利を尊重し、これを侵害しないように、 「だから」という表現を用いて、自分勝手に行動しては いけない、と主張した。このような子どもたちの「権利」観は、無自覚ではあるが、権利は他者 の権利を侵害しない責任を伴うものだ、という「権利」観(「人権の内在的制約」理論)をふまえ ている。これに対して、おとな側の修正では、みんな平等に権利がある、 「でも」、自分勝手に行 動してはいけない、と表現を直した。そのことによって、あたかも「権利とは別のところに義務 がある」、あるいは「権利自体が自分勝手な行動を伴う」という「誤解」を生む要因を作り出して いる。今日、 「子どもの権利バックラッシュ」の中で、 「子どもには権利より義務を与えるべきで ある」という風潮が強まっているが、そのような日本社会の矛盾がこの"修正プロセス"にも象 徴されていたといってよいであろう。 このように、子ども憲章づくりの過程において、子どもの権利と子ども参加の視点からの再構 築が始まり、 「子どものため」の地域づくりから、 「子どもと共に創る」地域づくりへの質的な転 換がなされ始めたと見てよい。そのような機運の盛り上がりの中で、次に述べるとおり愛知県高 浜市では、 2002年夏から2003年度にかけて「子どもと共に創る」という視点での「たかはま子ど も市民憲章」づくりが開始されたのである。. Ⅱ. 高浜市子ども市民憲章の形成と意義. 1 憲章の制定とプロセスの特徴 2002年10月31日、高浜市は、 「高浜市に暮らすすべての子どもが主体的に社会に参画し、子ども の自己実現が図られるよう支援するとともに、子どもの権利擁護を推進すること」 (同委貞会設置 要綱)を目的として「子ども憲章」 (仮称)を策定するために、 「高浜市子ども憲章づくり検討委.

(7) 地方における子ども憲章の形成と「たかはま子ども市民憲章」の意義. 95. 貞会」 (市長の諮問機関、以下、委員会という)を設置した。同委員会は、設置後、 7回にわたる 委員会審議および数度にわたる幹事会(委員長・副委員長・子どもプロジェクト担当委員・事務 局より構成)、子ども憲章づくり子どもプロジェクトの合宿などをへて、 2003年3月26日の第7 回委員会において答申書を作成した。 ところが、同年度内に検討委員会が確定するはずであった「子ども憲章」は、答申する段階に おいても、一部の留保事項についての調整が必要なことなどの理由から、同委員会では同年3月 31日、 2003年度以降遅くない時期に、市長の管理下で改めて「パブリックコメント」を求め、そ こで市民、子どもの声を受けて成案とし公表されることが望ましい、と答申したのである。この ような対応は、子ども・市民参加型の憲章として、より実効性のあるものにしていくために市民 の意見をさらに反映させることにおいて有意味であったと考えられる。 その後、 「子ども市民憲章案」に関する6月のパブリックコメントを受けて、 2003年7月17日、 第1回高浜市子ども市民憲章普及啓発委員会が開催され、前記「検討委員会答申」および同委員 会設置要綱に基づき、逐条的な質疑による原案の一部修正後、 「高浜市子ども市民憲章」が確定さ れたのである。その後市民の意見を集約し、高浜市子ども憲章づくり検討委員会および高浜市子 ども市民憲章普及啓発委員会は、以下の通り、 「たかはま子ども市民憲章」を作成し、 8月29日に、 高浜市長に対して同憲章と解説等を含めて答申した。そして2003年11月1日に、答申どおりの 「たかはま子ども憲章」が制定・公布された。 なお、同委員会審議は、パブリックコメントによる23件の市民の意見およびこれに対する7月 5日の168人委員会子どもグループの子どもの意見等をふまえた同普及啓発委員会事務局作成 「たかはま子ども市民憲章(莱)に関する意見への対応(莱)」をもとにして行われた。このよう な経緯および、幸いにも委貞が任期後、継続して普及啓発にあたる事が確認されたことにより、 憲章づくり検討委員会と普及啓発委員会の連名による答申となったのである。. たかはま子ども市民憲章 2003年11月1日高浜市制定 わたしたちは、国連・児童(子ども)の権利条約の理念をふまえ、人間性豊かで誇りの持 てる高浜を創っていきます。そのためには、子どもとおとなが市民として、互いの意思と力 を尊重し、理解を深め合うことが大切です。そこでわたしたちは、現在及び未来の高浜のま ちを支え合っていくために、ここに「たかはま子ども市民憲章」を定めます。 【子どもから】 1. みんな幸せになる権利がある。だから、自分の心を閉ざさないで。短所も、別の見 方をしたら長所かもしれない。自分のことをもっと好きになって楽しもう!. 2 わたしは世界でただひとり、だから大切。あなたも世界でただひとり、だからやっ.

(8) 96. ぼり大切。お互い大切なんだから、いやがることはしないようにしよう。 3. 学校の勉強だけが学ぶことじゃない。遊びからも友達からもたくさん学ぶことがで きる。だから遊びと友達を大切に。もちろん勉強も大切!。. 4. けんかはほどほどに。けんかもそんなに悪いことじゃない。けんかから学ぶこと だってあるしね。. 5. 怒りたくてもすぐにださない。趣味や夢をみつけて発散しよう!それでもイヤな ことがあったら「ムカつく」の一言で終らせないで、自分の感情をもう少し細かい言 葉で表現してもいい。. 6. ひとりで悩んだりしないで、だれかに助けを求めたっていい。別に恥ずかしいこと じゃないからさ。. 7. なんでも今、自分が「一番」とは限らない。でもそれに近づくようにがんばって上 をめざしていこう。自分らしい、自分なりのがんばりで、コツコツ. コツコツ少しづ. つでいいよ。 8. 何事にも全力投球!でも気楽に行こう。チャンスはいつもそばにある。. 【おとなから】 1. 自分を大切にし、希望をもって生きる姿勢を示していきたい。. 2. どの子どももみんな一人ひとり違います、その違いをその人の豊かさとして受けと めます。. 3. 子どもが自分と周りを変える力をつけるために学び、活動していくことを支援しま す。. 4. 完全さを求めず、子どもが自分を出せるようにゆとりと寛容さをもって接していき ます。. 5. 子どもに愛情を持って接し、干渉しすぎたり、ひとりで背負い込まないで、地域の 人びととともに子どもの自治を支え、楽しく子育てを進めます。. 6. 子どもが安心して集い、交流し、ありのままの自分を出せるような居場所を子ども とともに創っていくよう努めます。. 7. いじめや虐待など権利侵害を受けることなく、子どもが安心して生活できるように、 いつでも相談でき、救済・回復できるようなしくみを整えるよう努めます。. 8. 子どもとともに、民族的、国民的、宗教的な偏見を持つことなく、相互の理解、寛 容の精神のもとで、地球市民として日本と世界の平和を願い、この世界から戦争や争 いがなくなるように努めていきたい。. 上記のような憲章づくりのプロセスとしては、以下のような特徴を持っていた。.

(9) 地方における子ども憲章の形成と「たかはま子ども市民憲章」の意義. 97. (D 高浜の子どもの現実に寄り添うこと 第一に、高浜の子どもの現実に寄り添うことである。 2002年度高浜市子ども憲章づくり検討委員会は、その出発点において、 「この憲章が従来型のシ ンボル的憲章にとどまらず、高浜市民、子どもたちに日常生活の中で実際に活用してもらえるよ うな実効性ある憲章にしていきたいこと、そのためには拙速な憲章の中身づくりに走らず、憲章 "づくり"のプロセスを大切にすること」を確認していた。 その趣旨から、高浜市の子どもの現実および子どもをとりまく環境をふまえることから検討を 始めたのである。具体的に現実を把撞していく際には、幸い2002 (平成12)年7月より、高浜市 内の小学生、保護者を対象にした「168人(ひろば)委員会子どもグループアンケート」が実施さ れており、委員会はこの調査の結果を分析し、今日の高浜の子どもと取りまく現実について把撞 することにつとめたことに注目しておきたい。 ② 子どもの意見表明・参加による憲章づくり 第二には、子どもたちの意見表明・参加による憲章づくりを目指したことである。 同委員会は、国連・子どもの権利条約の理念をふまえて、高浜の子どもの意見を尊重し、可能 な限り子どもからの憲章への提案を取り入れるよう努めた。 たとえば委員会は、子どもたち自身の言葉が憲章になることで大きな励みになることもふまえ て、子ども案に関しては、大きな不具合があるなど修正すべき大きな理由がなければ子ども案を 尊重すべきであることが事前に申し合わされていた。具体的には、上記「168人(ひろば)委員会 子どもグループ」の子どもたちを含めて、 「子ども憲章づくり子どもプロジェクト」の立ち上げの ための「ワークショップ」を2003年1月12日に開催し、 2月10日「子ども憲章をデザインしよう 合宿」などを‑て、 2月14日に高浜市子ども憲章子ども案が提案された。その後、 3月に入り、 10日には同市立高浜中学校における子ども案の説明会が「子どもプロジェクト」の子どもたちに よって開催され、また市内小学校への説明と意見交換が行われた。このような経過を踏まえ、委 員会は、 「ムカつく」文言削除問題(後述)など、子ども案についてのおとな委員の提案に対して、 安易に修正せず、 「パブリックコメント」にかけて、かつ、 「市民論議型憲章」として最後まで 「子ども自身の言葉」にこだわり続けたのである。 ③ 高浜市民の多様な参加による憲章づくり 第三には、高浜市民の多様な参加による憲章づくりを志向してきたことである。 公募による市民委貞、市民関連団体の委員を含めて委員全員の意見を調整し、かつおとな側委 員と子ども側の意見の双方を大切にした憲章にしていくことがめざされた(委員長はその調整役 として位置づけられた)。 2002年12月の委員会では、委員一人ひとりの意見が文書および口頭で 表明され、それらの意見を委員長が調整し、 1月委員会に幹事会案として提案し、それがその以 後の実質審議の出発点となる憲章のたたき台となった。さらに、上記の「検討委員会答申」 (同年.

(10) 98. 3月31日)に基づき、 「たかはま子ども市民憲章案」に関して、高浜市は、 2003年6月に「パブ リックコメント」を求め、市民、子どもの声をさらに反映していくよう努めたことも注目してお きたい。. 2 「たかはま子ども市民憲章」の形成と意味 前節で述べた憲章づくりの3つの特徴とプロセスをふまえつつ、憲章内容の形成を以下の3期 に区分し検討しておくことにしておきたい。 第1期 2002年度高浜市子ども憲章づくり検討委員会の第1回会議 2002年10月30日、以下 第1回検討委員会という。以下同じ) 〜第2回まで、 第2期. 第3回検討委員会(2002年12月20日) 〜第4回まで、. 第3期. 第5回検討委員会(2003年2月14日) 〜第7回検討委員会および2003年度高浜市子 ども市民憲章普及啓発委員会第1回会議(2003年7月17日、第1回啓発委員会とい う)まで. 以上の3つの節目ごとに、憲章規範の形成過程を整理して述べる。 (1)子どもとおとなの意識のズレを埋める憲章を求めて 一第1期‑高浜の子どもと取りまく環境の現状分析から 2002年10月30日、第1回検討委員会での運営方針、委員長報告などを受けて、第2回検討委員 会(2002年11月29日)では、 168人(ひろば)委員会子どもグループのアンケート調査結果と憲章 づくりの進め方について検討された。 調査結果からはとくに以下のことが浮き彫りにされた。 A. いじめや虐待など暴力‑権利侵害によって「生きているのがつらい」と答えた子どもが 15%‑19%いるという現実およびその現実についておとなが深刻に受け止めていない(‑ 数%程度)ことをふまえ、子どもとおとなの意識、実感のズレを埋めていくことが重要で あること。. B. 子どもが安心して自分を出し、相談できるおとなが少ない‑おとなが変わる必要性があ ること. 委員会は、憲章はこのようなおとなと子どもの意識のズレをふまえて、 1)おとなの子どもへ 向けた一方的な憲章にしないこと、 2)子ども側のメッセージ(提言)をできるだけ反映させる こと、そのために高浜市子ども憲章づくり検討委員会設置要綱5条5項にもとづき、子ども側の 意見を聞くシステムを検討すること、などを確認した。なお、実際のシステムとしては、 168(ひ ろば)委員会の子どもグループを中心としつつ、公募制で広く子どもの意見を聞くこと、短期間 に意見をまとめるためには子どもの話し合いを支えていくフアシリテ一夕‑が必要であることも 確認された。.

(11) 地方における子ども憲章の形成と「たかはま子ども市民憲章」の意義. 99. (2)おとなが元気であること、子どものアイデンティティの重視 一第二期‑おとな委員側の憲章内容の調整 第3回検討委員会(2002年12片20日)において、委員長から、事前に提出された各委員の意見 書を元にした「『高浜市子ども憲章』 〔仮称〕について」と題する提案がなされた。 そこでは、 ①時間的制約はあるが、可能な限り子ども側の意見を集約し、憲章案として生かす こと、 ②おとな側の憲章案の基本は、おとなが元気であることのメッセージおよび子どもと向き 合うおとなへのメッセージ、 (∋子どもとおとなとの関係の改善のための憲章(愛、失敗を認める、 親・地域へのメッセージ等) ④子ども同士の関係改善(思いやり、助け合い、優しさ、ふれあい、 分かり合える仲間、自分と周りを変えていく力等) ⑤子どものアイデンティティの確立(自助努 力、誇りをもてる行動、自立‑の喜び、自分で決める、自分らしく生きる、自分を出せる居場所、 違いがあって当たり前等)にあることが確認された。 なお、 ⑥継続審議事項として「虐待・いじめと権利救済」、 「権利」という表現の問題などが残 されていることを確認した。各委貞からは、このほか市民に読みやすいもの、活用できるもの(憲 章は出発点)、プラス思考のもの(命、友情・思いやり等)を優先したいとの意見が出された。 これらの委員の意見を調整して、第4回検討委員会(2003年1月24日)では、幹事会「高浜市 子ども憲章」 (仮称)案について」が提案された。この提案は、A、憲章づくりの視点と性格、 B、憲 章の名称、 C、憲章の構成、 D、委員長案「高浜市子どもとおとなのパートナーシップ憲章」案の 4つの内容から構成された。 A、憲章づくりの視点と性格、については以下のことが再確認された。 ①子どもの意見を取り入れること(子ども参加型憲章作り) ②高浜らしさ‑生活しやすいまちづくりと子ども参加(18歳住民投票条例に連動) ③子どもとおとなの関係改善、認識のズレの是正 ④子どももおとなも元気が出る‑エンパワメントされる憲章(委貞の多数意見) ⑤具体的には子どものアイデンティティ・自己実現、自助努力を反映 ⑥子どもとおとなの現実から出発しつつ、いまの高浜を一歩進ませ、啓発していく ⑦文書の公共性一家庭や学校の自治、主体性の尊重(家庭教育のあり方など踏み込んだ意 見もあったが過剰な介入は避けることにした) (参一方通行の文書にしないこと‑ (おとな⇔子ども)双方通行の文書に B、憲章の名称については、従来型の「子ども憲章」とは一味違う高浜版憲章として位置づ け、これを名称に反映させていくこと。ただし、内容が確定後に、名称について改めて検 討することにした。 (参考案‑第1案「子どもとおとなのパートナーシップ憲章」、第2案 「子ども市民憲章」、第3案「子どもの権利擁護憲章」などがあった) C、憲章の構成については、 「前文・パート1子どもから・パート2おとなから・パート3.

(12) 100. 共同(パートナーシップ)宣言」の四部の構成案が示された。ただし、パート1の子ども からの憲章案次第で、これを含めない場合、含める場合は子どもの案をふまえて、おとな が受けとめるようなスタイル、あるいは応えるという柔軟な対応が求められた。 D、委員長案「子どもとおとなのパートナーシップ憲章」は、委員仝貞の提案をおよそすべ て盛り込んだものであり、内容的には、子ども案が入った場合は、「前文・パート1 4 5項目) ・パート2 (4‑5項目) ・結び文‑共同宣言」の10項目程度が望ましいことが確 認された。 (3)パートナーシップ宣言から子ども市民憲章へ ー第三期‑子ども案の提案とおとな案との調整 ① 子どもプロジェクト案の提案 第5回検討委員会. 2003年2月14日)では、子どもプロジェクトが作成した憲章案が報告され、. 憲章全体のなかで子ども案(3部構成‑ 「子どもへ」 [8箇条]、 「おとなへ」、 「パートナーシッ プ」)をどう位置づけるかが問題の焦点となった。その結果以下のことが確認された。 1)子ども案を委員長案のパート1 (4、 5項目)に絞るのは無理であり、できる限り、子 ども案(特に冒頭8箇条)を生かすこと。 2)子ども案にあわせて、おとな委員側の憲章案を放り込むこと。 3)しかし、委員から「生徒手帳にも盛り込めるくらいのコンパクトな憲章であってほしい」 との強い意見が出されて、子ども案が削れない以上、子ども案とおとな案を各8箇条程度 併記したうえで、これらを総則化したコンパクトな憲章を別に用意すること。 委員長からは、これを受けて「子どもとおとなのパートナーシップ憲章 Ⅰ子どもとおとなの パートナーシップ宣言・ Ⅱ子どもからの宣言・ Ⅲおとなからの宣言」とする再構成案が提示され て確認された。 第6回検討委員会では、子どもプロジェクトの子どもから改めて子ども案の報告を受けて、若 干の質疑を行った。子ども案に対して、 8箇条の内容を可能な限りそのまま生かしたいこと、お とな委員が強く削除が求められた「ムカつく」など一部文言について委員会で見直すこと、読み やすくするために文章上の統一性をはかることなど若干の補正を行うことなどについて了解を求 めた。子ども側は、 「憲章」という枠組みは意識せず内容を重視してきたこと、その内容が変わら ない範囲での補正については同意できること、ただし「ムカつく」の表現を代替する言葉は見つ からずそのままにしてほしい旨の意見が出されていることが確認された。 なお、委員会は「Ⅲ大人からの宣言」について集中審議し、 Ⅰのパートナーシップ宣言案とと もに第7回検討委員会で最終決着をはかることにした。 ② パートナーシップ宣言から子ども市民憲章へ 第7回最終委員会(2003年3月26日)では、委員長から、 1) ⅡとⅢを集約した総則的な憲章.

(13) 地方における子ども憲章の形成と「たかはま子ども市民憲章」の意義. 101. 莱(Ⅰ)を考えてみたが、子ども案とおとな案の異なる部分を調整できず、一つの案にまとめき れなかったこと、 2) ⅠとⅡ、 Ⅲをならべて読むと当然のことながら重複してしまい一貫性に欠 けること、 3) Ⅲには前文がなく、 Ⅲにのみ前文がおかれていることの不自然さがあること、な どから、 Ⅲの前文をIに移し、 Ⅰを全体の前文としたうえでパートナーシップ宣言の内容を持ち 込むことを基本にして、「子どもとおとなのパートナーシップ宣言 Ⅰ前文(パートナーシップ宣 言を含む) ・ Ⅱ子どもからの宣言・ Ⅲ おとなからの宣言」とする再構成案が提示された。 この提案については、異例の午後3時30分〜9時まで長時間集中審議が行なわれた。とくに、 「パートナーシップ」、 「ムカつく」などの文言については合意を得ることができず、 「子どもとお となのパートナーシップ宣言」は「子ども市民憲章」に置き換えること、子ども案の「ムカつく」 等の言葉については、市長の最終調整の際に再度検討すること、などが確認された。また、 「でき るだけコンパクトな憲章」という根強い意見については、子ども案の絞り込みはしない、との合 意のもとで、原案のままとし、以下の条件をつけて、パブリックコメントの結果を待つこととし、 冒頭の「たかはま子ども市民憲章案」が承認された。その後同年3月31日、同検討委員会は、こ の憲章案と経過、憲章案の解説などを付した「たかはま子ども市民憲章の意義と課題‑そのプロ セスと解説」 (「検討委員会答申」という)を市長に答申した。 ③ 「ムカつく」の表現をめぐって‑ 「子ども市民憲章」で市民論議を喚起 「『ムカつく』の一言で終らせないで、自分の感情をもう少し細かい言葉で」 委員会では、 「ムカつく」など子どもプロジェクト案の一部文言について修正を求める意見も出 た。理由としては、表現が憲章としてふさわしくないこと、子どもに悪影響を及ぼす恐れもある ことなどがあげられた。委員会ではこの「ムカつく」問題に関して、 2002年度の検討委員会、 2003年度の啓発委員会で数度にわたり集中審議を行ってきた。そのプロセスの中で、とくに、パ ブリックコメントで子どもプロジェクトの案に肯定的な意見が表明されていたこと、最終的な会 読(第1回啓発委員会)において、委貞の大多数が原案への賛成意見を述べたこともあり、原莱 のままにすることになった。原案‑の賛成理由は、 ①この言葉の発端が168人委員会アンケート調 査で「切れる」子が多いことがわかり、子どもプロジェクトで必要だという意見で考え出された 文章であり、みんなで考えていく機会になること、 (∋「ムカつくの一言で終わらせないで」、別の 言葉で表現できるように子どもたちが考えていく機会になること、 ③ 「ムカつく」という言葉を 否定的に表現していること、 ④他の言葉で置き換えられないこと、きれいに整えようとすると子 どもたちの思いが伝わらないこと、 ⑤子どもの視線で見たら案外完全とも思われること、などで ある。 ただし、委員会には根強い反対意見も一部には見られたことから、今後この普及啓発委員会に おいて、子ども市民憲章の普及啓発の際に、委員会のなかで賛否両論あったこと、子どもとおと なの関係を見直していくという本来の憲章の目的を果たすために、 「市民論議を喚起していく問.

(14) 102. 題提起的な憲章」の性格を併せ持つことなどについて積極的に解説し啓発していくことになった。. 結びにかえて‑ 「たかはま子ども市民憲章」と子ども支援のまちづくり 「たかはま子ども市民憲章」に関しては、その前文により理解できるように、高浜市が、従来の 子ども憲章や健全育成によっては限界があることをふまえて、この憲章により、たかはまの子ど もを「市民として」、尊重し、子どもとおとながパートナーシップ関係のもとで地域を支え合って いくことを宣言したところを注目しておきたい。その意味では、八王子市や町田市での取り組み をさらに発展させた「子どもとおとなのパートナーシップ型子ども憲章」であると評価できる。 このように、子どもの権利条約の批准をうけて展開された「子ども市民憲章」は、 21世紀の子ど も支援のまちづくりの市民行動規範として、かつ、市民的関係性の構築指標として有意味である ということができる。 注 (1)なお詳しくは、喜多ほか編『子どもにやさしいまちづくり』日本評論社、 2004年参照) (2)拙稿「子どもの参加・自己決定的関与権の保障と自治立法」 『法律時報』 75巻9号、 2003年8月、喜多ほか 編『川崎発子どもの権利条例』エイデル研究所、 2002年など参照。 (3)田代不二男・神田修『児童憲章』北樹出版、 1980年など参照。 (4)各地の意識調査、たとえば、中野区『子どもの権利に関する意識調査報告』 1995年など参照。 (5)拙稿「ハートの「子どもの参画」を読み解く」 『子ども・若者の参画‑R・ハートの問題提起に応えて』萌文 社、 2002年。 (6) 『季刊子どもの権利条約』 11号、 2001年2月など参照。 (7)注「子どもスタッフ」を中心として結成された「PureWhite」文書より。なお詳しくは、拙著『活かそう! 子どもの権利条約』ポプラ社、 1997年、 164ページ以下を参照。) (8) 『月刊子ども論』 1995年2月号参照。 (9)高浜市における「たかはま子ども市民憲章」づくりの詳細な経過は以下の通りである。なお詳しくは、高浜 市子ども憲章づくり検討委員会・高浜市子ども市民憲章普及啓発委員会『たかはま子ども市民憲章の制定と意 義一意章制定のプロセスと解説 答申」 2003年8月29日を参照されたい。 2002年 10月12日. 168人(ひろば)委員会子どもグループ調査分析と子どもの参加検討会(子ども憲章づくりについ ての打ち合わせ). 10月31日. 第1回子ども憲章づくり検討委員会. 11月29日. 第2回子ども憲章づくり検討委員会. 12月初〜中旬. 各委員より子ども憲章内容への意見提出(全員). 12月14日. 第1回幹事会 各委員の憲章意見集約. 12月20日. 喜多委員長・市長との懇談(憲章への子どもの意見反映、市の協力などについて確認)第3回子 ども憲章づくり検討委員会。委貞長提案「高浜市子ども憲章(仮称)について」 (憲章作成方法、 憲章内容の骨子案). 12月25日. 子ども憲章づくり検討委員会『子ども・生徒による「高浜市子ども憲章」づくりワークショップ のごあんない』作成、配布(「高浜市子ども憲章づくり子どもプロジェクトの発足をめざして」.

(15) 地方における子ども憲章の形成と「たかはま子ども市民憲章」の意義. 103. 2003年 1月12日. 子ども憲章づくりワークショップの開催。第2回幹事会「高浜市子ども市民憲章」草案の検討。 喜多委員長「高浜市子ども市民憲章」草案(第二次)の作成. 1月19日. 原田副委員長「高浜市子ども市民憲章」草案(二次案)に対する感想」提出. 1月24日. 喜多委員長・教育長との懇談(憲章づくりにおける子どもの参加への理解と学校側の協力‑の支 援の確認)。第4回子ども憲章づくり検討委貞会。委員長提案「高浜市子どもとおとなのパート ナーシップ憲章」. 2月初〜中旬 各委員より委員長原案に対する意見提出(全員)。宮崎・後藤・原田「高浜市子ども憲章」 (仮称)。 憲章案1、憲章案2。佐藤私案「高浜市子ども憲章」 2月10‑11日 子どもプロジェクト「子ども憲章をデザインしようワークショップ」合宿 2月14日. 第5回子ども憲章づくり検討委員会。子どもプロジェクトの憲章案報告委貞長原案に対する各委. 2月28日. 委員長提案(郵送)により各委員の意見を求める。 「高浜市子どもとおとなのパートナーシップ憲. 員の逐条意見の報告・検討 章(莱)」 3月10日〜. 子どもプロジェクトによる学校訪問、憲章の説明会開催. 3月14日. 第6回子ども憲章づくり検討委貞会o子どもプロジェクトによる子ども案の報告、質疑oおとな 側の憲章案の検討。中川・原田・後藤・宮崎「高浜市子ども市民憲章(莱)」提出。. 3月26日. 第7回子ども憲章づくり検討委貞会。委員長提案「高浜市子どもとおとなのパートナーシップ宣 言」。質疑の結果、条件付きで「たかはま子ども市民憲章」を承認。 高浜市、子ども市民憲章案に関するパブリックコメントを実施 高浜市168人委員会子どもグループの子どもに対して、パブリックコメントに対する意見聴取。 第1回高浜市子ども市民憲章普及啓発委員会。パブリックコメントおよび子どもプロジェクトの 意見をふまえて、 「子ども市民憲章」に関し、集中審議の後に「たかはま子ども市民憲章」を確 <Ho.

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参照

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