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自由ヴ アル ドルフ学校 の学校建 築

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自由ヴ アル ドルフ学校 の学校建 築 ( 1)

‑ シ ュ タ イナ ー の ゲ ー テ 自然 科 学研 究 理 解‑

土 屋 文 明

は じめに

自由ヴ ァル ドル フ学校 の校舎 は,衆知 の ように きわめてユニークであ る。

それ は,外部 についていえるだ けで はない。 内部空間 もこれが学校か と思わ れ るような造 りになってい る

こうした外見か ら受 ける不可思議 さを, ヴ ァ ル ドル フ学校 の教育理念 その他 を知 らない者 は取 り除 くことがで きないだ ろ う

教育理念が違 えば学校空間 も違 う

この ような仮説 を立 て る とす るな ら ば, ヴ ァル ドル フ学校 の校舎 の特有 な造 りは, その教育理念 の独 自性 を物語 るものである とい える

この一連 の論稿 で は, ヴ ァル ドル フ学校 の校舎, そしてヴ ァル ドル フ特有 の学校建築 の進 め方 に焦点 を当てて, これ らの意味 を探 ってい くことに した い。 そ うすれ ば, なぜ ヴ ァル ドル フで は, 日本 の一般 的な学校 の校舎 の よう に長 方形 の積 み重 ねの ような造 りに しないのか, なぜ校舎 は無味乾燥 な もの で あってはな らない と考 えるのか,こうした ことが らが明 らか にな るだ ろう

この ような作業 は,校舎 に表わ されてい る教育理念 を明 らか にす る ことで も ある。これ によって,日本 にお ける学校 にたいす る人々の期待 や現状 と,ヴ ァ ル ドル フのそれ との相違が浮 き彫 りにな るだ ろう

本稿 で は, ヴ ァル ドル フ学校 の創始 者 ル ドル フ ・シュタイ ナー ( Rudol f St e i ne r 1 8 6 7 ‑ 1 9 2 5 ) のゲーテ ( ∫ . W. Go e t he 1 7 4 9 ‑ 1 8 3 2 ) 理解 を中心 にみて

い くこととす る。 これ は, シュタイナーがゲーテの 自然科学研究 を どの よう

に とらえ,ゲーテの理論 を どの ように受容 したか とい うことを明 らか にす る

作業 となる。 ヴ ァル ドル フ学校 の校舎 の考察 は, その後 で ある。

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1 シ ュタイナ ーの 「メ タモル フ ォー ゼ」理 解

自由 ヴ ァル ドル フ学校 の教育 実戦 の基礎 に は, い うまで もな くシュタイ ナーの教育思想がある

学校建築 に関 して も例外 で はな く, シュタイナーの 建築 や校舎 に関す る考 え方 を基礎 に学校建設が行 われてい る。 シュタイナー は,周知 の ようにゲーテの 自然科学論 の研究 を通 して, 自 らの哲学,教育論 な どの形成 にあたって多 くの示唆 を受 けた。 そ こで, シュタイナーの建築理 論 を理解す るに必要 な範囲で,ゲーテの 自然科学研究 と,それ をシュタイナー は どの ように受 け とめたか をみてい くことに したい。ゲーテの自然科学研究 の中で取 り上 げるべ きは,特 にその 「メタモル フォーゼ」論 と 「 色彩論」で あろう

シュタイナー は, ウィー ン工科大学 の学生であった とき,恩師 の推薦 を受 け, ヨゼ フ ・キュル シュナ‑監修 「ドイツ国民文学全集」刊行 の仕事 に携わ り,ゲーテの 自然科学論集 の編集,解説 な どを担 当 してい る。 シュタイナー は ここでの解説 の序 の中で, ゲーテの 自然科学研究 の最 も評価 すべ き点 につ いて次 の ように書 いている

‑‑ とくにゲーテの有機体 についての学説 の中 に,他 のすべての発 見 を影 の薄 い ものに して しまうほ ど壮大 な発見,すなわち有機体 その ものの本質 の発見 を兄 いだすべ きである。 ‑‑ゲーテ以前 の 自然科学 は,生命現象 の本質 を知 らなか った。 だか ら有機体 を無機物 と同 じよ うに,単 に部分 の合成,外的 なメル クマール に基づ いて研究 していた。

( Sc hr i f t e n,9 ‑ 1 0 ) ( 括弧内前者 は引用文献 の略,数字 は貢数,以下同 樵 )

シュタイナーは,ゲーテが有機体 に関 して重大 な発見 をした と書 いてい る。

もちろん引用文 にあるように, シュタイナーのゲーテ研究 の大 きな成果 の 1

つは, ゲーテの有機体 に関す る論 の発見 であった。 「 有機体

「 有機的

は,

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自由ヴァル ドル フ学校 の学校建築 ( 1 )

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後 にみ るように, シュタイナーの建築論 にお けるキー ワー ドで ある。 シュタ イナー は, 「 有機体 としての建築」, 「 有機 的建築」とい う表現 を使 い, その よ うな建築 あ るい は校舎 を理想 的 な もの と構想 してい る。 したが って, 引用文 の 「 有機体

「 有機体 の・ ‑‑生命現象 の本 質」が分 か らない と, シュタイナー の 「 有機体 としての建築」 も理解 で きない。

ゲーテ は有機体 に関 して は,植物学 と動物 学 について研 究成果 を著 してい る。ここで は植物学 についてみてい くことに しよう。ゲーテの植物学研究 は, リンネ ( Ca r l vo nLi n ne 1 7 0 7 ‑ 1 9 7 8 ) の著作 を読 む こ とか ら始 まるが, リン ネか ら多 くを学 びなが らも, リンネ研究 方法 にある種 の欠陥 を感 じるよ うに な る

リンネ は, 「自然 の体 系」に よって命名法 を確立 し,今 日の分類学 の基 礎 を築 いた とみな されてい る。 当時 の 自然研 究 において一般 に行 われていた 分析 的研 究 について, ゲーテ は次 の ように書 いてい る

・ ・ ‑・ この ような分析 的 な研 究 をた えずつづ けてい る と,多 くの欠点 も生 じて くる

生命 あ る存在 を分解 して ゆけば,た しか に諸要素 に到 達 はで きる。 だが, この諸 要素 を集 めてみた ところで, もとの生命 あ る存在 を再構成 した り,生 の息吹 を与 える ことはで きないので ある

( 「 形 態学序説 」 , 4 3 )

リンネ は,植物 を概観 しやす く体 系化 しよ うした。 それ は植物 を識別 す る とu う作業 で あった。 そのた めには植物 の 1 つひ とつの器 官 の大 きさ,数, 位置 な どの相違 を特定 しな けれ ばな らない。 シュタイナー は, ゲーテの リン ネ にたいす る見方 を次 の ように代弁 す る

植物 は こうして確 か に 1 つの系列 に分類 されたが, しか しそれ は無

機物 の数 を配列 す るようなや り方 で,外見 は取 り上 げるが植物 の内的

本性 を汲 み取 らない ようなメル クマール に基 づ くもので あった。植物

は内的,必然 的連関 もな く外面 的 に並列 された ようにみ えた。生物 の

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本性 について重要 な概 念 を有 していたゲーテ に とって, この ような観 察方法 は十分 で はあ りえなか った 。 ( Sc hr i f t e n,4 8 )

ゲーテには リンネの研究法 は,固定 的 で静 的 な もの と思 われた。リンネ は, 植物 の生命 を とらえていない と考 えるので あ る

植物 を生命 あ る もの ととら

えるた めには, シュタイナーが引用文 でい ってい るように,植物 を 「内的, 必然 的連 関」 のあ る もの として理解 しな けれ ばな らない。 このた めには どう すれ ば よいか。

植物 を生命 ある もの として とらえるた めには, ゲーテの 自然科学者 として の名 を世 に知 らしめた, 「メタモル フォーゼ」論 を援用 しな けれ ばな らない。

メタモル フォーゼ についてゲーテ は,膨大 な 自然科学論文 の中で様 々 な説明 の仕 方 をしていて, ゲーテ 自身 の論述 か らこの論 を ま とめ る ことは, い ささ か難 しい. シュタイナー は,ゲーテの「メタモル フォーゼ」 論 の特質 を, ダー ウィン ( C. 良. Dar wi n 1 8 0 9 ‑1 8 8 2 ) との相違 とい う視点 か ら説 明 してい る

シュタイナーの 「メタモル フォーゼ」理解 を ま とめてみ よ う 。 ( Sc hr i f t e n , 2 9 ‑ 3 9 )

シュタイナー は, ゲーテ とダー ウ ィン との植物研究 には 2 つの違 いが ある とい う

ゲーテ もダー ウ ィン も植物観察 を通 して,植物 の特徴,外観 な どすべ て変 化 し,同 じ状態 で留 まっていない ことを認識 した。 しか し, 同様 の観察結果 か ら引 き出 された結論 は,両者 で まった く異 な る もの となった。

ダー ウィンは,有機体 の本質 はその特性 の中 に事実汲 み尽 くされて い る とみな し,有機体 が変容 す る こ とか ら,植物 の生命 には恒常 的 な もの は何 もない とい う結論 を出す。 これ に対 してゲーテ は, よ り深 く 洞察 し,植物 の特性 が恒常的で ない とす るな らば,変容 す る外観 の根 底 にあ る,何 か他 の もの に恒常 的 な ものが探究 され な けれ ばな らない

と結論 す る

この よ うな探究が ゲーテの 目標 とな る 。( Sc hr i f t e n,3 0 )

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ダーウ ィンは,環境 の変化 な どによってた えず変化 す る植物 は, その属や 種 の外的形態 は変化 し続 けると考 えるか ら, その中に恒常的性質 を兄 いだ さ ない。 これ に対 してゲーテは,た えず変化す る植物 の中 に,恒常的な 「 何か 他 の もの

を構想 す る。 これ について, ゲーテは 2 つの側面 を考 えてい る。

その 1つ は,「 有機体 と無機物 とのそして有機体 同士 の相互作用 ( 生存 のた め の適応 と闘争)で ある 。 」 ( Sc hr i f t e n , 31 ) シュタイナー にいわせれ ば,ダー ウィンは,ゲーテのい う有機体 の この側面 を完成 させた にす ぎない。ダー ウィ ンは,周知 の ように生存競争 を通 して 自然淘汰 されてい くとい う近代進化論 を確立 した とされている

もう 1 つの側面 は,植物 を植物 た らしめてい る もので, その植物 に現れ る 法則性 である

ゲーテのい う 「 原型 Typus 」 「 原植物 Ur pf l anz e 」で ある

そ れで は 「 原型

「 原植物」とは何 か。「 原型

「 上 京植物」は,現実 に存在 す るわ けで はない。 それ は, いわ ばイデーで ある

現代 自然科学が, ダー ウィンの 科学研究 の流れ を受 けてお り, イデー を追 い求 めるゲーテを退 ける ことはあ る意味で は当然 であるか も知 れ ない。 しか しシュタイナー は,後 ろでみるよ うに, この ようなイデー を追究 しようとす るゲーテ を評価 しているわ けであ る

ダー ウィンとゲーテの もう 1 つの 自然研究 の相違 として シュタイナーが指 摘 しているの は,以下 の点である

ダー ウィンは,機械論 的因果関係 の ような外的影響 は,有機体 の本 性 に作用 し, その影響 に応 じて有機体 を変化 させ る と仮定す る

ゲー テにおいて は,個々の変化 は,様々 な形態 を とる能力 を自らの中に持 ち, ある特定 の場合 に,周 りの外的環境 の状況 に最 も適 した形態 を と る,原有機体 の様 々な表 われであ る。 このような外的状況 は,有機体 の内的形成力が特定 の仕方で現れ るた めの単 なる誘 因 にす ぎない。 こ の内的形成力 こそ本質的 な原理 で あ り, 植物 の中にあ る創造性 であ る

( Sc hr i f t e n , 3 3 ‑ 3 4 )

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シュタイナーの, ダーウィン理解 の適否 は ここで は問題 で はない。 シュタ イナーが,ゲーテを どの ように理解 したか を確認 で きれ ばよい.例 えば物体 の場合,外か らの影響 によって, その影響 の大 きさを正確 に反映 しなが ら変 化す る。 この よ うな無機物 にお ける相互作用 を, ダーウィンの ように有機体 に当て はめ ることはで きない。植物 は 1 つの生命体 である限 り,機械論 的, 因果論 的 にだ け変化 す るもので はない。 シュタイナー は この ようにい うわ け であ る

それで は この有機体 が持 ってい る内的形成力 とは何 か。 それ は,要す るに ゲーテの「メタモル フォーゼ」とい う,植物 が本来的 に持 ってい るエネルギー である

そ して 「メタモル フォーゼ」す る ところの 「 原有機体」,植物 の 「 原 型」が 「 原植物」である。植物 は,時間や空間 を超越 した恒常性, 「 原型

「 原 植物」 を持 ちなが ら,植物 は,生命 を持 つ存在 である限 り自 らが創造性 を有 す る ものである。この ような創造性,内的形成力 を,ゲーテは「メタモル フォー ゼ」 と形象す る

植物 に対 す るこの ような とらえ方が, ダーウィン と決定的

に相違 す る点であ る。

ところで 「メタモル フォーゼ」を構成 す るのは,「 両極性 Pol ar i t 凱 」と 「 高 進性 St e i ge r ung 」である。 シュタイナー は, これ について次の ように書 いて い る

自然 の 2大動輪 の直観,す なわち両極性 と高進性 とい う概念 の重要 性 に思 い至 った とき,ゲーテの世界観 は最高の成熟度 に達 した。両極 性 は,われわれが 自然 を物質的 と考 える限 りにおいて, 自然現象 その ものである。両極性 は,あ らゆる物質が磁石 の N 極 と S 極 の ような 2 つの対極 の状態の中 にあ る ときに存在 す る 。( We l t ans c hauung,7 8 )

「 両極性」は, 自然界 にある対立関係 の中で生 まれ る。植物 を静的な無機物

ととらえるのではな く,有機体 として とらえる ことがで きるの は,植物 の本

性 として 「 両極性」が備 わ ってい る と考 えるか らである

植物 が有機体 であ

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り得 るの は,「 両極性」をその本性 として持 ってい るか らにはか な らない。 と ころで この両極性 は,「 収縮 Zus amme nz i e hung」 と 「 拡張 Aus de hnung」 の 2 つの概念 で構成 され る

植物 の 「 収縮」 と 「 拡張」 をみてみ よう

植物形態 は,種子 の中に最 も強 く収縮 されている

これ に続 いて琴 によって,形成力 の最初 の展開,拡張が行 われ る。種子 の中で一点 に 凝縮 していた ものが葉 の中で空間的 に拡張す る

この形成力 は,琴 に おいてある軸点 で再 び収縮 す る

花冠 は,次 の拡張 によって生 じる。

雄 しべ と雌 しべ は,次の収縮 によって生 まれ る。果実 は最後 の ( 第 3 の)拡張 によって生 じ, その後植物 のすべての生命力 は,再 び最 も高 度 に収縮 した状 態 に身 を聴す。 ( Sc hr i f t e n , 37 )

植物 は, この ように交互 に起 こる 「 収縮」 と 「 拡張」 とい う生命 ある現象 として認識 す ることによって,初 めて有機体 として とらえることがで きる, その ようにゲーテはい う

上 にみた 「 収縮」 と 「 拡張」 のプロセスを一貫 して貫 くのが 「 高進性」で ある

シュタイナーは書 いてい る。

‑‑・ 高進性 は,われわれが 自然 を精神 で思索す る限 りにおいて, 自 然現象 に属す る。高進性 は,発達 のイデーに属す る自然 の事象 に観察 す る ことがで きる

この ような事象 は,発達 の様々 な段階で,外的な 現 象 の 中 に そ の基 礎 に あ る イ デー を多 少 と も はっ き り と示 す。

( We l t ans c hauung , 78)

「 高進性」は,植物形態学 においてはゲーテの中に明確 な概念 としてあった

わ けで はない。 この概念 は,次節 にみ る 「 色彩論」 においてゲーテによって

使 われてい る。 それ はさてお き, Typus ,「 原有機体」, 「 原植物」は,ゲーテ

の 自然科学研究 にお けるイデーである

もっ ともゲーテは,植物研究 の初 め

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においては この「 原植物」なる もの を真剣 に探究 していた。 「 原植物」がイデー としてゲーテの中で位置づ くのは,ゲーテが シラー ( F. Sc hi l l e r 1 7 5 9 ‑1 8 0 5 ) によって指摘 されて以降で ある

この 「 高進性」 もイデーであ る とシュタイ ナー はい う。生物 は内的形成力,創造性 を持 つ とい うゲーテの直観 的確信 を, シュタイナー は評価 し, 自 らの世界観 として受 け入れ るのである

なぜ な ら シュタイナー は,人 間学 Me ns c he nkunde ,精神科学 を明 らか に しようとした ので あ り,人間や人 間の精神 は主体 的原動力 を持 ってい る とい うイデー を, シュタイナー 自身が持 っていたか らである

それ ゆえシュタイナー は,ゲー テの 「自然科学論集」の編集 をした ときに,次 の ような解説 を書 いてい る

例 えば植物変態論 の重要性 は,莱,琴,花冠 な どが同一器官である とい う個別 的事実 の発見 にあるので はない。 そ うで はな く,相互 に作 用 しあ う形成 の諸法則 とい う生命 ある全体 に関す る,壮大 な思想 的構 築 にある

‑‑有機体 は最 も小 さな部分 に至 るまで,生命 を持 ち,坐 命 のない完成 した対象 としてではな く,発展,生成 す る もの,内部的 にた えず 不 安 定 な もの と して 思 い描 か れ て い る こ とに気 づ く。

( Sc hr i f t e n,1 2‑ 1 3 )

シュタイナーは,ゲーテのメタモル フォーゼ論 の重要性 は,植物学的 な個 別 的 な事実 の発見 で はない といってい る。彼 によればゲーテの 自然科学研究 の偉大 な発見 は, ゲーテが植物 や動物 を無機 的 な部分 の総体 として とらえる ので はな く, これ らは生命 を持 って,発達 ・生成 す る もので ある とい う 1つ の理念 に到達 した ことにある とい う。

ゲーテ は例 えば 1つの植物 を リンネの ように静 的な とらえ方 を しない。植 物 の種が根 を張 り,茎が生 じ,菅が出て花が咲 くとい うように,動的 な もの,

プロセス を持 った もの として植物 を とらえる

この ようなプロセスは,植物

が メタモル フォーゼす るプロセスである

すなわちゲーテは,植物 を有機的

な もの,生命 を持 った もの, そ うであるが ゆえに動的な生成発展す る もの と

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い うとらえ方 をす る。動物 について も同様 である

シュタイナー は, ゲーテ の研究 と他 の自然科学研究 との相違 について次 の ように続 ける。

・ ‑‑これ らの極端 な学問が ほ とん ど把握で きなか った概念,すなわ ち生命 とい う概念がゲーテにおいて初 めて生 まれた。生物 は, その外 面 的 な見 か けが観 察 され るな らば,四肢 あ るい は器官 とみ な され る 個 々の部分 の集合体 で ある

・ ‑‑しか しこのや り方で は,無機物 の機 械 的合成 を記述 で きるにす ぎない。有機体 において,外観 は内的な原 理 によってコン トロール され る こと,すべての器 官 には全体 が作用す ることを心 に留 めるべ きことが まった く忘れ られた。 ‑‑・ 生命 を認識 す るために生命 を破壊 す るこの ような観察 に対 して,ゲーテ は,早 い 時期 か らよ り高 い次元 の観 察 の可能性 と必 要性 を対 置 させ てい る

( Sc h r i f t e n , 1 6 )

シュタイナー は この ように述べて,従来 の 自然科学研究が個別 的部分 の集 合 の外的記述,すなわ ちせ いぜ い死せ る精密科学 であった と述べ る。 これ対 して,ゲーテのそれ は, まさに生命 ある有機体科学た りえている と, シュタ イナー は断言す るので ある。

2 ゲ ー テの 「 色 彩 論

さて シュタイナー によれ ば,ゲーテの有機体科学 は,植物 と生物 だ けを対 象 とす る もので はなか った。ゲーテの生命科学 は,無機 的対 象 において も発 揮 され るので ある。 それ は,ゲーテの色彩論 においてで ある。ゲーテの色彩 論 は, シュタイナーの建築学 また色彩教育 な どの構想 に大 きな影響 を与 えて

い る。

ゲーテの色彩論 の特色 は,ニ ュー トンの色彩論 と対照 させ る とその特性 を

とらえやすい。 ゲーテ は,精密科学 としてのニ ュー トンの色彩論 に学 びなが

ら, その論 の問題性 を兄 いだ してい る。 それ は要す るに,ニ ュー トンのそれ

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が無機 的な精密科学 である とい うことで ある

ゲーテは,次の ような色彩研 究 の視点が必要で ある とい う

‑‑われわれの叙述 とわれわれの提案す る命名法 によって色彩 の名 誉 を回復 し,生成 しつつある もの,成長 しつつある もの,躍動 してい るもの,変転 しうるものが人 目を欺 くもので はな く,む しろ自然 の微 妙 きわ ま りない種 々の作用 を啓示す るのに適 してい る とい う確信 をめ

ざましたい と希望 してい る 。 ( 「 色彩論」, 31 7 )

ゲーテの色彩 にたいす る基本的視座 の中に も,彼 のメタモル フォーゼ論が みえる。ゲーテは常 に,生成変転 す る もの を研究対象 に しようとす る。ゲー テ とニ ュー トンの色彩研究 の相違 な どについては,例 えば物理学者ハ イゼ ン ベル ク ( W. K. He i s e nbe r g 1 9 0 1 ‑1 9 7 6 ) が語 ってい る。ハ イゼ ンベル クは, 現代 の物理学者 として精 密科学 としてのニ ュー トンの色 彩論 を肯定 しなが ら, ゲーテの色彩論 は,現代 の自然科学 の次の ような限界性 を指摘 してい る ことに気づ くべ きで ある とい う

自然科学 は, もはや,われわれ に直接提供 され る世界 を論 ず るので はな くして,われわれが実験 によって明 るみに もち出 して くる ところ の, こうした世界 の暗 い背景 を論究す る。だか ら, どうして も, こう した客観 的世界 は, いわ ば,われわれの能動的 な関与,精巧 にされた 観察技術 を通 して, は じめて, もち出 されて くる ものであ り, その限 りにおいてわれわれ は, ここで もまた,人間の認識 のふみ越 え難 い限 界 につ きあた るわ けである 。 ( 「自然科学的世界像」,88)

近代 自然科学 は, 精巧 な実験器具 による測定技術 ととりわ け数学 によって,

ニ ュー トンの色彩論 の ご とく,自然 を実験対象 として切 り取 り,その切 り取 っ

た部分 の理論的 な精密性 をデー タの数量化 によって獲得 した。しか しそれ は,

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あ くまで切 り取 った ものについての限定的精密性 で あ り, しか もゲーテにい わせれ ば生命 を失 った ものである

ハ イゼ ンベル ク も,近代 自然科学が,人 間の持 つ生 き生 きした直観か ら遠 ざか り, 自然 その もので はない抽象性 と概 念 の世界 に閉 じこもる ものになってい ることに, 自覚的であ るべ きだ とい う

ことを,引用文で言お うとしてい る。 シュタイナー は,近代物理学 とゲーテ との違 いを次 の ようにい う。

現代物理学 は, ある特定 の色彩 の性質 を,時間単位 内での周波数 で とらえる

そして赤や董色 に適合す る振動数 に基づいて, この 2つの 色 の物理的な関係 を決定 しようとす る

物理学 の視野か ら,色彩 の質 的な ものが消 える。 すなわち, この ような物理学 は,事象 の時間的空 間性 を観察す る

ゲーテは問 う,時間的空間性か ら眼 を転 じて まさに 色彩 の質 だ けを考察す るな らば,赤 と董色 との間 に どの ような関係 が 生 じるか, と

( We l t a n s c ha u u n g,1 6 9 ‑ 1 7 0 )

シュタイナー は,質 を問わ ない,すなわち無機 的抽象 を研究対象 とす る物 理学 の姿勢 と,質 を間お うとす る,すなわ ち有機体 としての色彩 にアプロー チ しようとす るゲーテ とを明確 に峻別す る。

ニ ュー トンは,光 を分析 し,固有 の屈折率 を持 つ色彩 を測定 し, それぞれ を独立 した色光 とい うもの を想定 している

一方ゲーテ は,色彩が感覚 に対 して どの ような作用 をす るか を明 らか にしようとした。 これが,ゲーテのい う色彩 の質 とい うことである。 ここか ら色彩 を全体性 と可変性 を持 つ もの と して とらえる余地が出て くる

シュタイナー は,さらに述べ る,なぜニ ュー トンで はな くゲーテなのか を。

画家 の芸術作 品への没頭 か ら,ゲーテは,視覚現象が従 う法則 を突

き止 める必要性 にめざめた.すべての絵 は,ゲーテに謎 をか けた.明

暗 は色彩 に対 して どの ように振舞 うのか。個々の色彩 は,互 いに どの

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ような関係 にあるのか。 なぜ黄色 は,明 るい感 じを引 き起 こし,青色 は真面 目な感 じを引 き起 こすのか。ニ ュー トンの色彩論 か ら, この よ うな謎 を明かす ことので きるような視点 を得 る ことはで きなか った。

ニ ュー トンの色彩論 は,すべての色彩 を光 か ら取 り出 し, それ らを段 階的 に並列 に並べ る。 そ して これ らの色彩 と暗闇 との関係や これ らの 色 彩相 互 の生命 の あ る生 き生 き した 関係 につ い て何 も語 らな い。

( We l t a ns c ha u ung,1 8 6 )

この ような問題意識か ら出発 し, 色彩 の研究 を重ねた上 で構想 されたのが, ゲーテの 「 色彩環

で ある。 ここにおいて,色彩論 もまた, メタモル フォー ゼ論 として とらえなおす ことがで きる ことが明 らか になる。ゲーテの色彩論 で は, 「 両極性」は,「 光 と闇 の原初 的な対立」の中に認 め られ,光 は この 「 両 極性」の統一で ある ところの 「 原現象」 ( 植物学 にお ける Typ us , Ur pf l a n z e )

として規定 されてい る。 また 「 両極性」 と 「 高進性」 も,色彩論 において最 も明確 に論 じられ,適用 され る

まず 「 両極性」 は,究極 において は光 と闇,光 と光 りでない もの との対立 にみ られ る。「 色彩が提示す る対立 関係 をわれわれ は分極性 と名づ け,プラス とマイナスによってひ じょうによ く表示す ることがで きる

。」(

「 色彩論」,431) そ してゲーテ は, プラス とマイナス要因 について,例 えば,黄色 と青,作用

と脱作用,光 と陰影,明 と暗,強 と弱,暖 と寒,近 と遠 な どを挙 げてい る

いずれ も最初 がプラスの要因。色彩 は, これ らの要因が対立 す ることによっ て,生命 を持 ち始 める

「 両極性」が生命 を もって生 き生 き と統合 され るプロセスが,「 高進性

ある。「 単純 な対立関係 にある両端 は混合 によって美 しい快適 な現象 を惹 き起

こしたが,高進 した両端 は結合 され るとさ らにいっそ う優美 な色彩 を生ず る

であろう

それ ばか りでな く,色彩現象全体 の頂点が ここにあ る とさえ考 え

られ るので ある

」 ( 「 色彩論」,432)基本 的 な反対色 である黄色 と青が高進す

れ ば赤 とな り,黄色が高進 した樫 と,青が高進 した董色が結合 す る と真紅色

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にな る。「 多種多様 な色彩現象 をその種々異 なる段 階 に固定 し,並列 した まま 眺 め る と全体性 が生 ず る。 この全体性 は眼 に とって調和 その もので あ る。」

( 「 色彩論」 ,4 3 2 ) こうして得 られ るのが,ゲーテの色彩環 であ る。

色相環 はわれわれの眼前 に出現 し,生成変化 の多種 多様 な関係 はい まや明瞭 となる

2 つの純粋 な根源的 に相対立 す るものが全体 の基盤 である。次 に現れ るの は高進性 で, これ によって, これ らの対立す る もの は ともに第三 の ものに近 づ く

それ によって どち らの側 に も最深 最高の もの,最 も単純 かつ最 も多 くの条件 を加 え られた もの,最 も卑 俗 な もの と最 も高貴 な ものが生ず る 。 ( 「 色彩論」 ,4 3 2 ‑ 3 )

すで にみた ようにニ ュー トンの色彩 は, 抽象化 された計量 的数値 であった。

ここには色彩 はない。これ に対 してゲーテは色彩 の質 を問 う。それ によって, 色彩相互 の質的 な関係, それぞれの色彩 の質的意味が生 み出 され る。引用文 でゲーテは,「 最深最高 の」色彩 を想定 し, 「 最 も卑俗 な」色彩 と 「 最 も高貴 な」色彩 をつ くり出 してい る。 シュタイナーがゲーテの色彩論 について高 く 評価す るの は,ゲーテの色彩論 の この ような側面 で ある

したが って,ゲー

テの色彩論 の中の最終章 「 色彩 の感覚 的精神 的作用」は, シュタイナー に とっ て特 に重要である

シュタイナー は,教育 の理念や具体 的 な教授法 に関 して も言及 してい るが,特 に美術 の授業研究 にはゲーテの色彩論 は不可欠 だ と考 えた ようであ る。

シュタイナー は, ヴ ァル ドル フ学校 の教師達 に,ゲーテの色彩論 の 研究 を繰 り返 し推奨 す る。 とい うのは,ゲーテの色彩論 は,純粋 な感 覚知覚 に基づいて構想 され,同時 に芸術的であ るか らであ る

シュタ イナー は,ゲーテの色彩論 は教師 に とって 「 宝庫」で ある といった。

( Er z i e hungs kuns t 1 9 8 2 / 2 ,6 9 )

(14)

シュタイナー は, 自 らの色彩論 を確立 してい る

そのベ ース となってい る のは, もちろんゲーテの色彩論 である。上 で租述 したゲーテの色彩論,及 び シュタイナーの色彩論 の妥 当性有効性 について は, 自由ヴ ァル ドル フ学校 の 美術教育 を分析す る際 に,詳細 に検討す ることにな るだ ろう。ここで は,ゲー テが有機体 としての色彩 を構想 してい る点 を,ゲーテ研究 によって学 び,シュ タイナーが それ を自 らの色彩論 の構築 の基礎 に してい ることを確認 したい。

ゲーテの色彩論 は, ヴァル ドル フ学校 の教員養成 において必修 となってい るが,色彩 の授業 のためのテクニ ックを養成す ることは,二義的 な ことであ る と考 えるべ きである

ゲーテの色彩論 の これ までみた理念 を体得す る こと こそが 目指 されてい る ととらえるべ きで\ あろう

ゲーテのメタモル フォーゼ 請,有機体論 は, この ように して植物学,動物学 そ して芸術 において も通底 す る ものであることが明 らかになる。

3 ゲ ー テの 自然 研 究 の根 本 動機

さて, シュタイナーはゲーテの 自然科学研究 を どの ように評価 してい るの だ ろうか。 これ まで と違 った視点か ら, この点 をみてい こう

シュタイナー は,ゲーテの科学 と当時 の 自然科学 とを比較 して,両者 の根本 的な相違 をそ の 自然 にアプローチ をす る動機 の違 いにみてい る。 シュタイナーは, 当時の 自然科学が 自然 の事象の諸々の発見や発明 をした ことを認 めた上で,次 の よ うに続 ける

‑‑自然 の力 を技術 に奉仕 させ るために自然 の事象 を観察 す る こと と, 自然 の事象 の助 けをか りて 自然科学 の本性 をよ り深 く洞察 しよう とす る こととはまった く別 の ことである

真 の科学 は,精神 が外的 目 的な しに, 自 らの欲求 の満足 を求 め るところにのみ存在 す る

真 の科学 は,理想的 な対象 とだ け関わ り合 う

すなわち, それ は理 想主義 でのみあ りえる。 なぜ な ら真 の科学 は,精神 か ら生 まれ る欲求

にその究極 の動機 を持 つか らであ る 。( Sc hr i f t e n,2 6 0 ‑ 2 6 1 )

(15)

自由ヴ ァル ドル フ学校 の学校建築 ( 1 ) 245

引用文 の 「 真 の科学」は,ゲーテの 自然科学である。ゲーテの 自然科学 は, なぜ 「 真 の科学」た りえるか。 それ は,ゲーテの科学が物質主義 に陥 ってい ないか らである。ゲーテ は, なにかの 目的のために, あるいは手段 として 自 然探究 をしてい るので はない。

それで は,「自らの欲求 の満足 を求 める ところ」 にあ り,「 精神 か ら生 まれ る欲求 にその究極 の動機 を持 つ

「 真 の科学」は,何 を目指 すのだ ろう

換言 すれ ば,引用文 にい う 「自然科学 の本性」 を,ゲーテ はどの ように とらえて い るのだ ろうか。ゲーテは書 いてい る

自然 はつね にエ ホバ である

自然 として今 あ るもの も,以前 あった もの も, これか らもあるであろうもの も 。 ( 「 蔵言 と省察」 ,20 3)

もし眼が太陽の ようでなか った ら,

どうしてわれわれ は光 を見 る ことがで きるだ ろうか。

もしわれわれの内部 に神 みずか らの力がや どっていなけれ ば, どうして神 的 な ものがわれわ れ を歓喜 させ る こ とが で きるだ ろ う か。

( 「 色彩論 」 ,31 3)

自然 はゲーテに とって神 その ものである

したが って, 自然研究 は神 の啓 示す る言葉 を解読す ることにほかな らない。 自然 は,畏敬 の念 を もって語 ら れ るものである。 自然 はさ らに,人間 をも抱 え込 む ものであ る

ゲーテは, 人間の内部 に も 「 神 みずか らの力がや どってい」 る とい う

そ こで 自然研究 は,ゲーテに とって,人間の内部 にある神性 が 自然現象 にある神 の言葉 を解 読す ることになる

ゲーテの 自然研 究 には,絶 えず引用文 の よ うな 自然 イ コール神 とい うイ

デーが あった。それだか らこそ彼 は ,Typus ,根源現象 としての光 を切 り刻 み

計量 し抽象化す るニ ュー トン物理学 を批判せ ざるえなか った。 また何年 もか

(16)

けて Ur pf l a nz e を追 い求 めたの は, この ような直観 的イデーがゲーテの中に あったか らである。

シュタイナーのゲーテ理解 はさ らに先 に進 む。ゲーテの色彩論 の最終章 「 色 彩 の感覚的精神的作用」 の最後 の ところに,次 の ように書かれ てい る。

黄色 と青が分離す る ことをまず よ く理解 し,特 に赤へ と高進 す るこ とによって相対立す る ものが相互 に接近 し,第三 の もの において結合 一致す ることを充分 に考察 したな らば, これ ら二 つの分離 して相対立 す る ものに一 つの精神 的意義 を賦与 で きるので はないか とい う特殊 な 神秘 的思想が きっ と湧 き起 こって くるであろう。 そ して,両者が下方 には緑 を,上方 には赤 を生 み出すの を見 て,下方 にはエ ロ ヒムの地上 の産物,上方 にはエ ロ ヒムの天上 の産物 を思わ ざるをえない。 ( 「 色彩 論 」 ,4 6 5 )

ゲーテの色彩論 において到達で きた最終段階 は,色彩 の 「 神秘 的思想」 を 引用文 の ような表現で暗示す ることがで きた ことである。ここにおいて,ゲー テの色彩論 とニ ュー トンのそれ との異質性 が極 限 に達す る

シュタイナーの 色彩論 の独 自性 は,ゲーテの研究 をベース にしなが ら,引用文 で暗示 されて い る色彩 の 「 神秘 的思想」 を,色彩論 として展開 した ことである。例 えば次 の ように。

いか に人間 は色彩 のなか に生 きられ るか を考 えてみて くだ さい。緑 を生命 の死せ る姿 として,桃 の花 の色,人 間の色,淡紅色 を心魂 の生 きる姿 として, 白を精神 の心魂 的な姿 として,黒 を死者 の霊 的な姿 と して体験 す る と, 世界 を色彩 と光 として体験 で きます 。( 「 色彩 の秘密」,

1 2 )

引用文 か ら,ゲーテの色彩 の 「 神秘 的思想」 なる もの を, シュタイナーが

(17)

自由ヴ ァル ドル フ学校 の学校建築 ( 1 ) 247

色彩論 として展開 してい ることが確認 で きよう。 ここで はシュタイナーの色 彩論 に深入 りしない。 これについては別 の機会 に改 めて取 り上 げる こととす

シュタイナー は, その色彩論 に代表 され るゲーテの無機物 にお ける 「メタ モル フォーゼ」論 の研究 を通 して,ゲーテの 自然研究 の動機 は結局 の ところ 神 の啓示 を読 み取 る作業 に他 な らない と理解 す る。 そ して,ゲーテが踏 み込

めなか った よ り高次の段 階 をさ らに追究 しようとした。

シュタイナー は,ゲーテの上 の ような自然研究 の姿勢 を違 った視点か らも 注 目す る。ゲーテは, 自然現象 にたい して対象 としてアプローチ しようとし ていない。ニ ュー トンに代表 され るような近代 自然科学研究 は, 自然 を研究 対象 として対 象化 してい る。 それだか らこそ物理的客観性 をめざす ことがで き, 自然現象 の抽象化,定量化が可能 にな るので ある。 それ に対 しそゲーテ は, 自然 を直観 し,体験す る

ゲーテはい う。

現象 は観察者か ら切 り離 されていない。 む しろ観察者 の個性 に組 み 込 まれ,巻 き込 まれてい るので ある。

客体 の うちには未知 の法則 的な ものが あ り, それが主体 の うちにあ る未知 の法則 的 な もの に相応 してい る 。 ( 「 蔵言 と省察」 , 27 8‑ 9)

引用文 は, ゲーテの散文 であ るが, いわ ばゲーテは詩人 として自然現象 と 向 き合 う

科学者 は, 自然 を分析 し, その結果数値 や概念 を得 る

ゲーテ は 自然 を体験 し,体験 した ものが詩 となる

シュタイナー は, この ようなゲー テのアプローチの仕方 を自らも選択 す ることにな る。

観察 の対 象への客観的 な没頭 は,精神 と対 象 との完全 な一体化 を引

き起 こす。 そのためわれわれ にはゲーテの諸理論 は,対 象か ら精神 を

抽象 したので はな く,対象 その ものが観察 に自らが我 を忘 れてい る精

神 の中 に形成 したかの ように思われ る

この ような きわめて厳密 な客

(18)

観性 は,ゲーテの仕事 を最 も完成 した もの にす るだ ろう

それ はすべ ての 自然科学者が 目指 して努力すべ き理想 であろう

またそれ は,管 学者 に とって,客観的な世界考察 の法則 を発見す るための典型的な模 範 で あろう 。( Sc h r i f t e n,5 6 ‑ 5 7 )

ニ ュー トンに代表 され る近代以降の 自然科学 において,主客 の分離 は言わ ば自明の前提 となってい る。観察者 の主観 を極力消滅 して,対 象の客観的位 置づ けを確定 しようとい うのが,ニ ュー トン科学である

これ に対 してゲー テの科学 は,主 も客 も自然 の一部 として位置づ け られてい る。有機体 である ところの,生命 ある自然 をあ りの ままに とらえるためには, 「 客」をその まま に受容 で きなけれ ばな らない。す なわち,主客 の境界が な くなればな くなる ほ ど,直観 によって自然が よ くみ えて くる。 自然科学者 は, この ような視点 をた えず持 ち続 けるべ きである とい うのが, シュタイナーの言わん とす る と ころであろう

4 「 有 機 体 」 と しての建 築

シュタイナーの建築 を論ず る上で,スイスの ドルナ ッハ に建 て られた「ゲー テアヌム」 に触 れ ないわ けにはいかない。 シュタイナーの建築 に関す る考察 は, このゲーテアヌム建設 の前後 に集 中 してい る

ゲーテアヌム は, シュタ イナー建築 の代表作 とされてい る

シュタイナー は, 自己の建築観 をゲーテ か ら影響 を受 けた として次の ようにい う

ゲーテの精神 的世界 に精通 す る ことによって, メタモル フォーゼの

直観 を再 び芸術 的 な ものへ と引 き戻 す勇気が与 え られた。 この ことが

ゲーテアヌムの建築思想 に役だ った。 自然 は生 き生 き と生成 し,相互

に生長 す るフォルム として創造行為 を行 ってい る

自然がいか にメタ

モル フォーゼ を生 きてい るか を愛情 と思 いや りを込 めて理解 す る と

き,私たちは芸術 的一彫塑 的な造形力 によって 自然 の創造 に近づ くこ

(19)

自由ヴァル ドル フ学校 の学校建築 ( 1 )

249

とがで きる

ゲーテのメタモル フォーゼ観 に精通す ることによって, フォルム と して これ を実現 させ ようとい う試 みが敢 えてなさえたが ゆえに,建築 術 と彫刻 として生 まれた この ような建築 を ≪ゲーテアヌム≫ と名づ 汁

ることは許 され るで あろう

( 「 建築様式への道」 ,2 5 1 ‑ 2 5 2 )

これ までみて きた ように,ゲーテの 「メタモル フォーゼ」 の思想 は,死 せ る ものを対象 とす る もので はな く,生成発展す る もの を把握す る ことので き る有機体 のための思想 で あった。 しか もゲーテのい う有機体 は,例 えば色彩 論 においては無機物 もまた 「メタモル フォーゼ」 として,すなわち生成発展 す る もの として とらえ直 され る ものであった。シュタイナーが,とりわ けゲー テの色彩論 を自分 な りの視点か ら改 めて追究 しようとした とき,建築 を有機 体 としてみなす ことは彼 自身 の中で はそれほ ど飛躍 で はなか った。

前節 で,ゲーテ は自然科学研究 において Typus を追 い求 めた ことをみた。

ゲーテ は, いわ ばイデー を追 い求 めたのである

シュタイナー は, この よう なゲーテの論 を無機物 に もそ して動物,人間 に も拡大解釈す る。す なわち彼 は,建築 を有機 的な もの として とらえ,先 の引用文 の ように,「 生 き生 き と生 成 し,相互 に成長 す るフォルム として創造行為 を行 っている」 自然 の 「メタ モル フォーゼ」 を,建築 の中に 「フォルム として実現 す る

ことが,新 しい 建築 の課題 である と考 えた。それ ゆえ,シュタイナーが創作 した 2 0 分 の 1 の 原型 のモデル に従 って建設 された建物 を,彼 は 「ゲーテアヌム」 と命名 した のであった。 こうして シュタイナーの建築観 は, きわ めてユニークな もの と

して展開 され ることになる。

建築 思想 は これ まで は静 的 で生命 のない機械 的 な ものの思想 で し た。 しか し今や建築 思想 は語 る思想,内的 に動的 な ものの思想,私た ちを感動 させ る ものの思想 にな り始 めてい ます。 ( 「 建築様式への道」,

1 3 2 )

(20)

ゲーテアヌム は,有機体 的建築 で ある こと,す なわ ち生命 を持 った もので あ る こ とを, シュタイナー は例 えば壁 について次 の ようにい う

‑‑・ このギ リシャのモチー フはそれ 自体 で立 ってい ます。 それ は, 例 えば壁 で あれ ば,垂 直 に降 る閉 ざ され た壁 です。 この もう一 つ の ( ゲーテアヌム)のモチー フは,壁 が生動 的 にな る とき, つ ま り単 な る 壁 で はな く,全体 を自己 の内か ら生成 させ る ときにのみ あ る意味 を持 つ ような壁 です 。壁 は単 な る壁 で はあ りませ ん。 それ は生 きて い るの です 。生 きた有機体 が隆起 と窪 み を分節 的 に自 ら生成 させ るように, ここで は フォル ムが生成 し,壁 が それ に よって生 きた もの に な りま す

」 ( 「 建築様式へ の道」 ,9 7 ‑9 8)

シュタイナー に とって建築 は無機物 で はない。それ は,生命 を もってお り, フォルムが その生命 を表現 す る。 ところで,建築 が有機体 で あ る とい うこと は,各部分 が しか るべ き ところにある とい うことであ る

各部分が あ るべ き ところに収 まって初 めて有機体 で あ りうる

例 えば人 間 の頭,胴体 そ して四 肢 が, あ るいは各 内臓 が それ ぞれ しか るべ き位 置 にあ る と同 じように。 シュ タイナー はい う。「こうして この建築全体 の中で は,結局 なに もそれ 自体 で は 作用 はしてい ませ ん。 な に一 つ それ 自身 で存在 す るようには配置 されていな いのです。 ある もの は他 の もののために努力 し, それ ぞれが他 の もの に対 し て努力 します

」 ( 「 建築様 式へ の道」 ,1 09 ) それ ゆえゲーテアヌム は, シュタ イナー に よる建 物 のオ リジナル模 型 が作 られ る と と もに,細 部 に至 る まで シュタイナー と建築家 との意見調整 が図 られ な けれ ばな らなか った。

さて先 にゲーテのメタモル フォーゼ論 は,人 間 に も拡大解釈 された と書 い たが, シュタイナー は,人間 をメタモル フォーゼす る存在 として とらえてい る

特 にシュタイナーの成長期 の子 どもの発達論 は, メタモル フォーゼ論 そ の もので あ る

彼 に よれ ば,植物が種 か ら根 が 出,茎 が出,花 が咲 くが ご と

く,人 間 は 3 つの殻 をかぶ って誕生 し, その殻 を しか るべ き時期 になった と

(21)

自由ヴァル ドル フ学校 の学校建築( 1 )

251

きに次々 にその殻 を脱皮す る存在 である とい う。

シュタイナーの用語 でい うと,次の ようにな る 。 ( 「 子供 の教育」)

人 間 は,胎児 の時点で 「肉体 Phys i s c he rLe i b 」と「エーテル体 At he r i s c he r Le i b」 と 「アル トラル体 As t r al i s c he rLe i b」 とい う 3 つの包被 に覆 われてお

り,誕生時 に 「肉体」か ら,歯牙交代期 に 「エーテル体」か ら,性 的成熟期 に 「アス トラル体」 とい う包被 か らそれ ぞれ脱皮す る。 シュタイナー は, そ れぞれの時期 にふ さわ しい教育 の在 り方 とい うものを構想 している

ここで 確認 したい ことは, シュタイナーが成長期 にある人 間の子 どもを, メタモル フォーゼの存在 ととらえ, そのプロセスにおいて,変身 を繰 り返 す その時々 にふ さわ しい教育 の在 り方が存在 す る と構想 してい ることである。

この ような考 え方 と, 先 の建築 の主張 は どの ように結 びつ くのであろうか。

シュタイナーによれば,成長期 の子 どものいずれの時期 にも共通 に必要 な も の は,芸術 とい うことになる

子 ども達 は,芸術 的環境 の中で生来持 ってい るメタモル フォーゼの可能性 を果たす ことが で きる

そ して総合芸術 として 建築が位置づ け られ るのであ る

それ は,総合芸術 としての建築, すなわ ち 有機的 な建築 は,生命 を もって子 ども達 に語 りか けるか らである。 シュタイ ナーの言葉 でいえば,建築 の中に漂 う霊性 が,子 ども達 の精神性 に働 きか け るのである。

シュタイナーは,現代 の建築 は機能的ではあるが,芸術 的でない建築 が多 い とい う

そ してその ような建築 は,人間の感覚器 官 にたい して沈黙 す る と い う

シュタイナー は,芸術 にたu して きわめて積極 的な意味 を兄 いだ して い る

例 えば,秩序や,平和,調和 な どが,言葉 によって規定 され る外的制 度,法律,命令 な どによって保 たれ るな らば,人類 は発展性 を持 つ ことがで きない。 シュタイナー に とって理想的 なのは, こうした秩序,平和 な どが芸 術作品,建築 の フォルムな どか ら影響 を受 けて, 自然 の形 で体得す る ことで

ある。 シュタイナー はい う

‑‑外的制度 によって どれ ほ ど犯罪的な もの,不正 な ものが世 の中

(22)

に作 り出 され てい るか を人 々 に十分考 えて もらい ましょう。将来 にお ける人 間の魂 に とっての悪 か ら善 へ の真 の治癒 は,本 当の芸術 が その 精神 的 な影響力 を人 間の魂 と心 に送 り込 む こ とのなか にあ ります。 そ の結果人 間 の魂 と心 は,建築的 な彫刻や他 の フォルム によって囲 まれ る ことにな り,魂 と心が それ らを理解 す る ときは,嘘 つ きの素質 の人 間 も嘘 をつか な くな るで し ょう

平和 を妨 げる素質 の人 間 も同胞 の平 和 を妨 げる ことはな くな るで しょう。建築 は語 り始 め るで しょう

建 築 は今 日の人 間が まだ予感 もしない ようなある言葉 を語 るようになる で し ょう 。 ( 「 建築様式へ の道」, 87)

ここあ る教会 が あ る

あ る人 に とって, この教会 には神 が存在 す る。彼 は その神 に祈 る ことに よって, 日々 の平穏 が保 たれ,幸福感 を増幅 させ,悲嘆 を軽減 す る ことがで きる。彼 は 日々 この教会 で祈 るこ とによって, 自分が生 きる意味,生 き方 の啓示が あ る。もしこの ような こ とが あった とす るな らば, この教会 は, シュタイナーの い う有機 的建築 であ り,人 に語 りか ける芸術性 の高 い建築 であ る

シュタイナー は,「 学校建築 は,芸術 的 に形作 られ る有用 建築 であ る」 とい う ( Di eWal dor f s c hul eBaut , 2 3 ‑ 2 5 )

校舎 が芸術 的 に創 造 され るな らば, それ は生徒 に語 りか け, その精神性 を高 め るか らである。

シュタイナーが構想 してい るの は, この ような学校建築 なので ある

おわ りに

ここで留意 しな けれ ばな らない ことは,芸術 的な建築 が あった として,請

りか けが成立 す るかいなか は,語 りか け られ る人 間 に依存 す る とい うこ とで

あ る。芸術的建築 な る ものがで きれ ば よい とい うことで はない。語 りか ける

刺 ( 校舎 としての学校空 間) と語 りか け られ る側 ( 生徒) とが, どの ような

関係 にあ り,実際 に どの よ うな相互作用が行 われてい るかの吟味が必 要で あ

それ は学校建築 だ けでな く, ヴ ァル ドル フ学校 の教育 内容 や方法 を も併

せ てみ る とい うこ とで あ る

す なわ ち我々が さ らに明 らか に しな けれ ばな ら

(23)

自由ヴァル ドルフ学校の学校建築 ( 1 )

253

ない ことは,学校建築 が どの ように芸術性 た りえているか, その芸術性 が ど の ような教育 内容 によって活 か され, どの ような教師の働 きか けによってそ の芸術性が子 ども達 に作用す る もの となっているか, こうした点であ る

次 の論文 で は, ヴ ァル ドル フ学校 の校舎 の新築や改築 に焦点 を当て, ヴ ァル ド ル フにおいて, シュタイナーの建築思想 やゲーテ理解が どの ように受 け継が れてい るか を, よ り具体 的なレベルでみてい くにす る。 ( 未完)

引用 文献

1 R. St e i ne r , Goe t he s Nat ur wi s s e ns c haf t l i c he Sc hr i f t e n , Dor nac h/

Sc hwe i z,1 9 7 3 「 Sc br i f t e n」 と略す

2 J. W . ゲーテ著,前 田富士男訳 「 形態学序説」, 『 ゲーテ全集 1 4 』所収,潮 出版社 ,1 9 8 0 年

3 R. St ei ne r , Goe t he s We l t ans c hauung , Dor nac h/Sc hwei z , 1 96 3

「 We l t a ns c hauung」 と略す

4 J . W . ゲーテ著, 木村直司訳 『 色彩 論』, 『 ゲー テ全集 1 4 』 所収 ,潮 出版 社 , 1 9 8 0 年

5 W. ハ イゼ ンベル ク著, 田村松平訳 『自然科学的世界 像 』, みすず書房, 1 9 7 9 年

6 Er z i e hungs kuns tHe f t 2,St ut t gar t ,1 9 8 2

7 ゲーテ著,岩崎栄二郎 ・ 関楠生訳 『 茂吉 と省察』, 『 ゲーテ全集 1 3 』所収, 潮 出版社, 1 9 8 0 年

8 R. シュタイナー著,西川隆範訳 『 色彩 の秘密』, イザ ラ書房 ,1 9 9 3 年 9 J. W. ゲーテ著,上松佑二訳 『 新 しい建築様式への道』,相模書房 ,1 9 7 8 年

「 建築様 式への道」 と略す

1 0 R. シュタイナー著,新 田義之監修訳 『 精神科学 の立場 か ら見た子供 の教 育』,人智学 出版社, 1 9 8 5 年 「 子供 の教育」 と略す

l l R. Raab,Di eWal dor f s c hul eBaut ,St ut t gar t , 1 9 8 2

参照

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