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自由ヴ アル ドルフ学校 の学校建築

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247

自由ヴ アル ドルフ学校 の学校建築 ( 2)

‑ 「 有 機 的建 築 」 として のゲ ー テ ア ヌム ‑

土 屋 文 明

1 本稿の課題

先 の論文 「自由ヴ ァル ドル フ学校 の学校建築( 1 ) 」で は, ヴァル ドル フ学校 建築 の理解 のために前提 となる ,R. シュタイナーのゲーテの自然科学研究, とりわ けゲーテの 「メタモル フォーゼ」研究 を取 り上 げた。 それ は,ゲーテ の 「メタモル フォーゼ」論 は, シュタイナー建築 の基礎 にある ものだか らで ある。

ゲーテ は, 自然 を分断す ることによ り, その生命 を奪 う自然科学研究 のあ り方 に疑念 を呈 した。言 い換 える と,無機物 に対す る研究方法 を,有機物 に 適用す ることに対 してゲーテ は批判 した。 そ して生 きた自然,絶 えず変化 し 成長す る自然 その ものを明 らか にす る研究 のあ り方 を模索 した。 その成果 と して得 られたのが,「メタモル フォーゼ」であった とい える。シュタイナー は, このゲーテの発見 を とりわ け重視 した。 シュタイナーの建築論 は, この よう な自然研究 の理念や方法論 を受 け継 ぎ,発展 させた もの ととらえることがで

きる。

本稿 で は, シュタイナーの第 1 ゲーテアヌム ( 以下ゲーテアヌム と記す) についての論述 を検討す ることによって,彼 のい う 「 有機 的建築」の意味す る ところを明 らか にしたい。第 2次大戦後 のヴ ァル ドル フ学校 の建築 は,也 域や環境, さらには学校規模 の条件 な どによ りそれぞれ独 自の建築 を目指 し て はい るものの, いずれの学校 も,ゲーテアヌムによって示 された 「 有機的 建築」 を共通 の範 としているか らである

そ して最後 に,ヴ ァル ドル フ学校 の建築 に携 わ る者が,シュタイナーの「 有

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機的建築」 を どの ように受 け継 いでい るのか に少 し触 れ る ことにしたい。 そ れ によって今後 の論考 の方向性 を示す ことがで きるだろう 。

2 「 主知 主 義 」 に対 抗 す る もの と しての建 築 ( 芸術 活 動 )

シュタイナーがゲーテアヌムの構想 をし, その建築 に携 わった当時,彼 は どの ような問題意識 を持 ち, それ に対 して どのように対処 しようとしたのだ ろうか。彼 は,当時 の自然科学が外的 に現われ る現象 を,科学技術 の道具 を 用いて感覚的観察 によって探究す るや り方が一般的である ことを指摘 し,吹 のように続 ける

認識が問題 にな る とき,現代世界が特 に信頼 をおいているの は,主知主 義です 。・ ‑・ ・ 知的 に正 しい ことを証明で きる ときにのみ有効 であ りうる と 表明 してい る認識論や, その他 の学問的議論 がおそ ら くあるで しょう。論 理一抽象的並びに知的形式 に収 めることので きない もの は,認識 とはみな され ません。 自然科学 において認識上 の限界 である と当然 の ことのように 主張 されている ことに対 して実際 に立 ち向かお う とし, この認識領域 を探 りあて ようとす る精神科学 は,知的な方法が唯一 の伝達法で はあ りえない ことを,次第 に明確 にしなけれ ばな りませんで した 。( Ba u ge da nke ,1 4 )

( 括弧内前 は引用文献,後 ろの数字 は頁数,以下 同様)

シュタイナー は,主知主義が至 るところで万能視 されてい ることに対す る 疑念 を表明 している。ゲーテ は,彼独 自の自然観 に基づいて,ニ ュー トンに 代表 され るような自然科学研究 の手法 に異 を唱 えた ことは既 にみた とお りで ある

シュタイナーが当時一般的 な認識論 に投 げか けてい る視点 は,ゲーテ のそれであった。ゲーテは,彼 の 目には生 きた自然 を分断 し,死せ る事象 を 扱 っているに過 ぎない当時 の自然科学 に疑念 を抱 き,一貫 して生 きた自然 そ の ものにせ まろうと努力 した。 それ は,言い換 えれ ば有機的 自然で あった。

「 有機 的」は,ゲーテの 「メタモル フォーゼ」の概念 に代表 され る もので ある

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自由ヴ ァル ドル フ学校 の学校建築 ( 2 ) 249

が,「 有機的 自然」の要点 は, 自然 は,生命 を持 った,動 的 に変化す る存在 で ある とい うところにある

このような自然 を,科学的実験器具 を使 って抽象 的数字 に置 き換 える自然研究 のあ り方 は,ゲーテの とるべ き道 で はあ りえな か った

シュタイナー は,「 論理一抽象的,知的形式」による認識,引用文 に い う 「 主知主義」 について, この認識形式 に大 きな限界性 を認識 してい る .

とりわ け人間,すなわち生命 を持 ち,成長発展す るものに関す る学問 におい て は,「 主知主義」 との離別か ら出発 しなけれ ばな らない。彼 はい う 。

この世界 が概念 や観念 だ けで は表現 で きない よ うにで きてい る とす るな ら,例 えば人 間発達 の法則 を知 ろうとす る時 な どに,像 によって表現 しな ければな らない ようにで きてい る とす るな ら,理論的表現 を とる言葉 とは 何か別 の表現形式 に足 を踏 み入れなけれ ばな らないで しょう。知 的形式 と

は別 の表現形式 に進 まなければな りませ ん。

こうして私 は, とりわ け人間発達 の中で生命 みな ぎる もの を言葉 を使 っ て理論 的 にのみ表現す るので はな く,舞台の場面 を通 して表現す る必要性 を感 じました 。( Ba uge danke ,1 4 )

引用文 には, シュタイナーのゲーテ研究 か ら得 られた と思われ る視点が含 まれている。シュタイナーに とってゲーテ研究 は,いわば文学者 としてのゲー チ,同時 に自然科学者 としてのゲーテの追体験 の場 で もあった。ゲーテの芸 術論,す なわち芸術 と学問 は,ひ とつの同 じ根源か ら生 じる もので あ り,両 者 は同 じように客観的であ り, ただ形式が異 なってい るに過 ぎない とい う芸 術論 を,シュタイナー は,自 らの理論 とした ( 「 教育芸術論」 ,1 51 ) 。彼 に とっ

て芸術 と学問 との違 い は,同 じ事柄 の追究結果 の,表現形式の違 いで しかな い

そ してその理論 を具体的 な活動 として実践 しようと模索 した。 シュタイ ナー に とって 「 主知主義」 の代案が, 自 らの芸術活動 の試 みであった とい え る

ゲーテアヌム は, シュタイナーがその精神科学 を,引用文 にあるように

「 知的形式 とは別 の表現形式」で,す なわち芸術的形式で明 らか にしようとい

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う意図の もとに建設 された ものであった。

ゲーテアヌム は, もともと彼が創作 した 「 神秘劇」上浜 のために建 て られ た

「 神秘劇」について触れ る ことによ り,ゲーテアヌムの持 つ, とい うよ り 持 つ ことが期待 された特性 について言及で きるだ ろう

シュタイナー は,彼 の提唱す る人智学 について,著書 を著わ した り,数多 くの講演 をしているが, それ とは別 の芸術 的形式 で説明 しようとして創作 さ れ たのが,「 神秘劇」である

すなわち 「 神秘劇」は,理論的,思想的な もの を,文章や講演形式 によらないで,芸術 的 に表現す ることを意 図 して創作 さ れ た ものである。 そ して上 に も書 いた ように, その 「 神秘劇」 を上浜す るた めに建設 されたのが,ゲーテアヌムであ る。「 神秘劇」は,ゲーテアヌムがで きる以前 に幾度 も上演 されたが, シュタイナーの精神科学への無理解 な どが あって,彼 の期待 したような上演結果 は得 られなか った ようである。しか し, 上演が成功 しなかった理 由 は, もう少 し根本的な ところにあった と, シュタ

イナー は考 えた ようである

彼 はゲーテアヌムの必要性 について,次 のよう に述べている

人智学的精神科学が まさに人 間性全体 に基 づ いて創 り出 され る こ とか ら, その建築 のために,任意 の建築様式 を採用す ることはで きませ んで し た。 なぜ な らその場合,建物 のフォルム とその中に向かって語 りか けられ るもの との間 に,矛盾が生 まれただ ろうか らです。 この精神科学 は, まさ に単 な る理論以上 の ものであ り,生命で あ ります。 そ うであるか らにはそ れ は,核心 を提供す るだけでな く,極 めて多様 なフォルムを持つ殻 をも提 供 しなければな りませんで した。語 られ,神秘劇が上演 され,今オイ リュ トミーが上演 され る際 に従 われ るの と同 じ最 も内的な法則 に基づいて,逮 築 も創造 され なけれ ばな りませんで した 。( Ba uge danke ,2 0 ‑ 2 1 )

引用文 には,ゲーテアヌムの重要 な特性 の一つが語 られてい る

す なわち

それ は,中身 ( 理論,理論的活動) と外枠 ( 建築) とが密接 な関連性 を持つ

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自由ヴァル ドルフ学校 の学校建築( 2) 251

ものでなけらばな らない, と考 え られていることである

ゲーテアヌムの場 合 は,シュタイナーの精神科学 の表現手段 である「 神秘劇 」 「オイ リュ トミー」

な どと建築 とが,互 いに共振 す ることが求め られた. シュタイナー は, これ について胡桃 を例 に説明 している。胡桃 の実 と殻 は同 じ法則性 に従 って形威 され る必要が ある

その時初 めて,植物 としての胡桃 が成立 す る。胡桃 の殻 の中に別 の植物 の中身が入 る とす るな らば,植物 としての胡桃,言 い換 えれ ば有機体 としての胡桃 で はな くな る 。 胡桃 を精神科学 と置 き換 えるな らば, この精神科学 を演ず る場 は, どこで もよかったわ けで はな く, この精神科学 が従 う法則 と同 じ法則 に基づいた建築が不可欠であった, シュタイナー はこ の ようにい う。そ うであるな らば,従来 の建築様式 は,いずれ もシュタイナー の満足で きるもので はなか った。

人智学的精神科学が まさに学問で あ り,芸術 であ り,同時 に宗教 であるこ とによって, この精神科学 は,一般 に行 われてい るあ らゆる建築様式か ら 離 れ て, そ の独 自の建 築 様 式 を打 ち立 て な けれ ばな りませ んで した。

( Ba u g e d a n ke ,2 1 )

シュタイナーのい う精神科学が他 の思想 と相容 れない ものであ り, この精 神科学が展開 され るための特別 な空間が必要で ある と考 えられた とき,ゲー テアヌム建築 は,当時 の人智学運動 の高 ま りを背景 に,必要欠 くべか らざる もの として求 め られた。主知主義 に対抗す るもの としてのシュタイナーの芸 術活動 は,ゲーテアヌム建築 によって初 めてその根拠地 を兄 いだ した とい う わ けであった。

3 全 体 と部分 との有 機 的 関連 性 ‑ フ ォル ム と しての有 機 性 ‑

新 しい建築様式 としてゲーテアヌムに要請 された ことは,上 でみたように

内 と外 との密接 な関連性,す なわち建築 の中で行 われ ることと建築 との有機

的関連性 であった。 これ と同時 にゲーテアヌムの特性 として追求 された こと

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は,人 間や植物 な どの有機体 と同 じように,建築 の一切 の構成部分 は,全 て 必然性 を持 ってあ るべ きところに位置 す る とい うことで あった。ゲーテアヌ ム建築 に際 して は, シュタイナー に よる建築全体 の構想 か ら, すなわ ち全体 性 を顧慮 して,個 々 の全 てが位置づ け られ た。周知 の ようにゲーテアヌムの 場合 は,まず シュタイナー製作 による 20 分 の 1 の模型 が製作 され,設計 を含 めた建設上 の技術 的問題 は,それ を大前提 に して解決す るように進 め られ た。

・ ・ ‑・ この建築 に関 して重要 な ことは, あ らゆる ものが その位置 に関 して必 然性 が感 じられ ること,有機体 のあ る部分 が それが存在 す る位 置 に関 して 必然性が感 じられ るの と同・ じように,あ らゆ る ものが知覚 され る ことです。

( Ar c hi t ekt ur ,25‑26)

引用文 にあるよ うに,建築 が有機体 で あ る とす るな らば,人体 の各器 官が あるべ きところに収 まって,全体 か らみて どれ ほ ど価値 の低 い小 さな器 官で ある として も, どれ一 つ として任意 に位置づ くこ とはない と同 じように,逮 築 において もまた 「あ らめる ものが その位置 に関 して必然性が感 じられ る

ように,造形 され なけれ ばな らない。 シュタイナー は例 えば次 の ような例 で 説明す る 。

‑‑・ 皆 さん は,パ イプオルガ ンのモチー フか ら,パ イプオルガ ンが建築 の 中 に完全 に一体化 す るように, この建物 が造形 されてい ることを見 て とる ことがで きます。 その結果 中 に何 か置かれ た もの を感 じるので はな く, ま さにパ イプオルガ ンが建築 か ら生 まれたか の ように感 じます。 これ は基本 原理 として建物全体 に貫 かれ てい ます 。( Ar c hi t e kt ur ,26)

引用文 にある「 パ イプオルガ ンが建物 の中 に完全 に一体化 す るように」 , 「 パ

イプオルガ ンが建築 か ら生 まれ たか の ように感 じ」 るため に,ゲーテアヌム

で は具体 的 に どの ような工夫が な されてい るのだ ろうか。 これ を確認 す るた

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自由ヴァル ドルフ学校 の学校建築( 2) 25 3

めには,少 し回 り道 をしな けれ ばな らない。

シュタイナー建築 でい う 「 有機体」 は,ゲーテの 「メタモル フォーゼ」か ら発展 した もので あ る と考 え られ る . 周知 の よ うに,ゲーテが 「メタモ J I , フォーゼ」を初 めに使 ったの は,植物 に関 してであった。私 は,「 学校建築( 1 ) 」 で,次 の ようなシュタイナーのゲーテ 「自然科学論集」 の解説 を引用 した。

例 えば植物変態論 の重要性 は,莱,琴,花冠 な どが同一器官であ る とい う 個別 的事実 の発見 にあるので はない。 そ うで はな く,相互 に作用 しあ う形 成 の諸法則 とい う生命 ある全体 に関す る,壮大 な思想的構築 にある

( 「 学 校建築( 1 ) 」 ,238)

植物 が有機体 であ るのは,莱,琴,花冠 な どが相互 に無関係 に くっついて いるので はな く,「 相互 の作用 しあ う

「 生命 ある全体」 として存在 す るか ら である. そしてそれ は,ゲーテの言葉 をか りれ ば,各部分が,植物 の原型 で ある葉 か ら, メタモル フォーゼ しなが ら発展 してい くがゆえに,一 つの生命 ある全体 であることがで きる 。 したが って,「メタモル フォーゼ」が,植物 を 有機体 た らしめてい る とい えるが, それ は,有機体 としての建築 において も 貫 く原理 でなけれ ばな らない ことになる。 シュタイナー建築が, このゲーテ の 「メタモル フォーゼ」 を建築 のイ ンパルス としてい る とす るな らば,ゲー テアヌム は, これ を具体 的 に どの ように実現 しようとしてい るのだ ろうか。

それ は, シュタイナー にいわせれば 「 基本原理 として建物全体 に貫かれて い」るものである。 ここで は, 「メタモル フォーゼ」をフォルム として確認 し やすい例 をみ ることにしよう。ゲーテアヌムの外か らの写真 をみた とき,第 一 に注 目され るのは, その大小二 つの半 円形 の ドームの屋根 であろう

小 さ い ドーム は舞台,大 きな ドーム は観客席 になってい る

.

この大小二 つの ドー ムには, シュタイナーが心血 を注 いだ 「メタモル フォーゼ」 のフォルムが具 体化 されていた。

シュタイナー は,ゲーテの植物論 の重要性 を強調 した上で, それ と対照 さ

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せ なが ら,大 ドームの建築構成上 の 「メタモル フォーゼ」 について説明 して い る。とりわ け大 ドーム内の左右対称 に立 っている,総数 1 4本 の柱,その柱 一つひ とつ についてい る柱頭,台座,及 び柱 を繋 いでい るアーキ トレーブに ついて, それ らがいか に 「メタモル フォーゼ」 を具現化 してい るか を説明す る,例 えば次の ように。

まず最初 に ここにある第 1 の柱 のための最 も単純 な柱頭 あるい は最 も単 純 な台座 を形造 ります。 そ して次 に,抽象的思考 で はな く, 内面的 な感覚 を用い ることによって,いわば自然 の創造的エネルギーに身 をゆだね ます。

次 に, 植物 の上 の葉 が よ り複雑で ある と同 じように,しか しメタモル フォー ゼ を表現す るように,最初 の柱 の単純 なモチー フに基づいて,第 2 の柱 の よ り複雑 なモチー フを創 り出 します。ですか ら事実 ここにあ る 7 本 のすべ ての柱 の柱頭 は,葉 の形態が それぞれ植物 の生長 によってメタモル フォー ゼ しなが ら形成 され るの と同 じように, それぞれ前 の柱頭か らそのモチー フが産 み出 されてお り,すべての柱頭 はメタモル フォーゼ しなが ら発展 し てい ます。 それ によって, これ らの柱頭 は, 1 番 目か ら 7 番 目へ と次第 に 発展 してい ます 。( Ba u ge da nke ,2 9 ‑ 3 0 )

シュタイナー は,更 に,一つひ とつの柱頭,台座, アーキ トレーブのフォ ルム について, これ らが それぞれ どの ように 「メタモル フォーゼ」 しなが ら 連続 的 につなが っているか を説明す る

ここで は, シュタイナーが大 ドーム において は,主 に,柱 を中心 とした建築構成 を通 して, フォルム として 「メ タモル フォーゼ」 を具現化 しようとした とい う事実 を確認 す る

ただ,■ 引用 文 にあるように, これ らのフォルム はシュタイナーが 「自然 の創造的エネル ギー に身 をゆだね」 ることによって創造 された, とい うことはお さえてお き たい。すなわち これ らのフォルム は,何かの模倣 で はない とい うことである 。

さてパイプオルガ ンの空間で ある。 これ は,舞台 と反対側 の観客席後 ろ側

か ら始 まる左右 の第 1 柱 の間 に挟 まれた位置 にある 。

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自由ヴァル ドルフ学校の学校建築

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パイプオルガ ンの備 えつ けに際 して は, それが異質 な空 間 に組 み込 まれて い る とい う感情が持 たれ ない ように, この位置 でパ イプオルガ ンの外枠 と オルガ ンそれ 自体 が, フォル ム的 に全体 か ら生 じるように感 じられ るよう 試 み ました。ですか ら,建築様 式 と彫刻 もまた,パ イプオルガ ンの管 な ど

に よってで きる線 に合 わせ られ てい ます 。( Ba ug e d a n ke ,3 6 )

先 にみた ように,観客席後 ろ側 か ら, 左右対称 の柱が それ ぞれ 7 本 ずつ立 っ てお り, これ らは,柱頭, 台座,柱頭 を繋 いでい るアーキ トレー ブの フォル ムの変化 によって,観客席後 ろ側 か ら,舞台 の方 に向か って「メタモル フォー ゼ」す るようにフォルム として構成 されてい る

パ イプオルガ ンのモチー フ は,左右第 1 柱 を繋 いでい るアー キ トレーブの下 にある。 そ して引用文 にあ るように,幾本 ものパイプの管 の縦線 とパ イプオルガ ンの外枠 に施 され た彫 刻 の フォルムが,上 方 にあ るアーキ トレーブ と調和 す るよ うにフォルムの構 成 が な されてい る。これ に よって,パ イプオルガ ンが敷設 されてい る空間が, 周 りの空 間 と調和 す る ように造形 され る こ とに よって, それが 「メ タモ ル

フォーゼ」空 間の一部 で あ りえてい る, とシュタイナー は説 明 してい る.

い ま一 つの例 をみたが,シュタイナー に よれ ばゲーテアヌム は,「メタモル フォーゼ」が 「 基本 原理 として建物全体 に貫 かれてい」 る建築 で ある

そ し てそれ によって,建築 の全体 と各部分 との有機的 な関連性 が実現 されてい る のであ る 。

この ような建築実現 のためにゲーテアヌム において避 けて は通 れ なか った ことは,建築 す る際 にあるい は設計 図作成 の際 に力学 的要素 を どの ように克 服 す るか とい うことであった。 とい うの は, この ような建築 は, まず始 めに

「自然 の創造 的エ ネル ギー に身 をゆだね」る ことによ り得 られ る全体建築 の直 観が あ り, それ に従 って生 まれ る建築 の フォルムが,何 よ りも優先 され るか

らであ る

一般 的な建築構想 において は,幾何学,機械工学,力学 でい う支 え と荷

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重 だ けが感 じられ るに過 ぎませ ん。 ここで は,生命 が存在 す る とい う感覚 の はじま りが建築 の中 にあ る程度含 まれてい る ことが,平面や線 すべ ての 中 に表現 され な けれ ばな りませ ん 。( Ar c h i t e kt u r ,2 4 )

ゲーテアヌムの模型 は, 芸術 的直観 に基 づいて製作 された,とシュタイナー はい う

「メタモル フォーゼ」, すなわ ち 「自然 の創造 的エネルギー」 につい ての直観 を,建築 を通 して フォルム として具現化す る とい うことが, そ もそ もの シュタイナーのゲー テアヌム建築 のテーマであった はずで あ る。 この建 築 の理念 としての「メタモル フォーゼ」の具体物 としてのゲーテアヌムの フォ ルム は,初 めか ら建築 の設計,施行技術 を念頭 に入 れた もので はなか った。

したが って, ゲーテアヌム建築 において,重力 とい う物理 的 自然法則 をいか に処 理 す るか は, シュタイナーや建 築家 に繰 り返 し突 きつ け られ た問題 で あった。

4 体 験 と しての建 築

上 で,ゲーテアヌム は, シュタイナーの芸術 的直観 によって, その全体像 が まず最初 に創造 され た ことをみた。 しか しゲーテアヌム は, あ る理念,例 えば「メタモル フォーゼ」とい う概念 の具体化 で はない。言 い換 える と, ゲー テアヌム は, 「メタモル フォーゼ」を象徴 す る もので はない。 これ は少 し分 か

りに く

い 。

‑‑・ ゲーテアヌムで は, 抽 象的 なイデーが具体化 され るこ とはなか った。

芸術 的 な感覚か らフォルムが引 き出 され る とき, 芸術 的な直観 に基 づいて, 線 か ら線 が,面 か ら面 が取 り出 され る ときには, イデー の具体化 は,全 く 念頭 におかれ なか った 。( Z e hn J a h r e n,1 0 )

ゲー テアヌム は,特定 の世界観 を象徴 す る建築 で はない。 あ るい は,特定

の世界観 を,芸術 的 に表現 す る建築 で はない。ゲー テアヌムの どこに も, い

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自由ヴ ァル ドルフ学校 の学校建築( 2)

かなるアレゴ リー も ドグマ も存在 しない。 シュタイナー はい う 。

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人智学的認識 に基づいて思想 の形 に形成 され るもの は, それ 自体 で存在 す る。 それ を中途半端 な芸術 の形で象徴的 に表現 しようとす る欲求 は決 して 持 たれない。 これ に対 して,人智学が明 らか にす る現実 の体験 によって, フォルムや色彩 の中で生 きたい とい う欲求 は持 たれ る。 そ して この色彩, フォルム は, ここで もそれ 自体生命 を持 つ。 これ らは,いかなるイデー を も表現 しない 。( Z e hn J a hr e n,1 0 ‑ l l )

引用文 は, シュタイナーがゲーテアヌム について説明 している箇所 である か ら, ここでいわれている 「フォルムや色彩 」 は,ゲーテアヌムのそれであ る。ゲーテアヌムのフォルムや色彩 は,人智学 の思想 を芸術 の形で象徴的 に 表現 した もので はない, と書 かれている。 しか し 「フォルムや色彩 の中で生

きたい とい う欲求 は持 たれ」,「この色彩, フォルム は, ここで もそれ 自体生 命 を持 つ」 とある。 これ らの表現 をどの ように理解すれ ばよいのだ ろうか。

有機的 自然 は,外的状況 によって,受動的 に外か ら規定 され るので はな く, 外 か らの影響 の下 に,能動的 に自 らを規定す る 。 ( 「 認識論要綱」 ,1 0 0 ) した が って,外的観察 によって得 られ る因果関係 によって,有機的 自然 を説明す る ことはで きない し,法則 に還元す ることもで きない。 それ は,能動的 に自 らを規定す る限 り, それ を理解す るために外部か らの観察や,証明的方法 を 用 いることは,本質的 に大 きな限界性 を持 つので ある 。 そ して,有機 的な も のに対 す る理解 は,直観以外 にない。 シュタイナー は,直観 についてい う

直観 とは直接 に対象 の内にある ことであ り,真理 に参入す ることで あ り, 直観 はその際考慮 に値す るような ことを全 て私 たちに与 えて くれ る 。 ( 「 認 識論要綱」 ,1 0 8 ‑ 9 )

ここでい う 「 直観」は,既 に取 り上 げている 「 対 象的思惟 」 ( 「 教育芸術論」,

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1 5 1 ) の中で生 まれ るものであ る

有機 的 自然 に関 してゲーテが直観 によって 得 たの は,原型 Typus であった。そ してシュタイナーに とって有機体 として の建築 の原型 は,ゲーテアヌムであ るとい えるか もしれ ない。

ところで原型 は,自然法則 とは異 な り,「自己完結 し凝 固 した概念形態で は な く,流動的であって多種 多様 の形態 を取 ることがで きる

」( 「 認識論要綱」,

1 0 2 ) すなわち, 自然法則 のように一義 的 に表現で きて,解釈で きるもので は ないのである。ゲーテアヌムが, シュタイナーのい うような有機 的建築 であ る とす るな らば, それ は,彼 の 「メタモル フォーゼ」 の直観 をフォルムにし た ものである ととらえることがで きるだろう。 とす るな らば, ゲーテアヌム を因果法則 的 に理解す ることはで きない し, その ような認識 の仕方 は的外れ の もの とな る。 だか らシュタイナー はこうい う

ときどき訪 問者 にゲーテアヌム を個人 的 に案 内 しな けれ ばな らない と き, フォルムや絵 の一切 の 〈 説明〉 は,私 に とって本来的 に気が進 まない と表明 した。 とい うの は,芸術的な もの は,思考 によって うなず けるもの で はな く,直接的な直観や感覚 の中で受 け入れ られ るべ きものだか らであ

( Z e h nJ a h r e n,1 0 )

・ ・ ‑・ ・ 未来 のための創造 的豊 か さは,生成力 それ 自体 をイマジネー シ ョンに よって把握す る ことによってのみ生 じる ことがで きるのです。 しか しこの 力 は, まず最初 に この単純 なフォルムに即 して実際 に内面で直観す ること で とらえ られなければな りません。 自然 の中で創造的 に活動 し,作用す る ものを,この建築 に即 して内面 で把捉 す ることがで きます 。( Ar c hi t e kt u r , 33)

この ように,有機 的建築 としてのゲーテアヌム は,「 直観 や感覚 の中で受 け

入れ られ るべ きもの」, と考 えられている

ゲーテアヌムの建築 は,「メタモ

ル フォーゼ」とい う理念 の具体化 なので はな く,「自然 の中で創造的 に活動 し,

作用す るもの」 の シュタイナーの追体験 その もので ある。 したが って,訪問

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自由 ヴ ァル ドル フ学校 の学校建築 ( 2 ) 259

者 に求 め られ るの は,ゲーテアヌムのフォルムか ら, シュタイナーの自然体 験 そ してその建築成立 のプロセス を追体験す る ことで ある。有機的建築ゲー テアヌム は,生命 その ものであるので, その生命 に身 をゆだね ることによっ て,言 い換 えると直観 によって初 めて理解 され うる。 そ して直観 と結 びつ く の は,概念や法則 で はな く,芸術 その ものであ る。

・ ‑‑近代 に受 け入れ られ た諸形式 に従 えば,法則 ( 自然法則) を概念的 に 創 り出す ときにのみ, 自然物や 自然現象の本質 を表現す る と信 じられてい る。 しか し芸術 的 な ものが 自然 の創造 の根底 にある とす るな ら, どうだろ うか。 その場合 は,理性的な ものによってのみ表現 され る とい う先入観 か ら出発 す る者 は, 自然の豊かな本質 に決 して到達 す ることはないだ ろう 。

活気 に満 ちたや り方でイデー的 な ものを突 き抜 けて 自然 の神秘 に入 り込 ん だ場合 には, 概念 に屈 しない ものが存在す ること,す なわちイデー にかなっ た霊的状態 を芸術 的な直観 に変 えさせ る ときにのみ到達 で きる ものが存在 す る, とい う経験 をす るだ ろう 。 ‑‑‑この ような感覚 に基づいて,ゲーテ アヌム は形造 られている 。( Z e hn J a hr e n,1 3 )

生命 ある有機 的 自然 は,抽象概念 によって とらえようとす ると, その生命 を失 う。 自然 の本質 をその有機性 を保 った ままで体験 で きる方法, そ して体 験 した ものを具体化 で きる方法, それ は芸術 的方法で ある。 そ して同時 に, こうして具体化 された ものの本質 は,芸術 的アプローチによってのみ第三者 に理解可能 である, シュタイナー はその ようにい う

自然 にある「メタモル フォーゼ」の芸術 的体験が具体化 された ものが,ゲー テアヌムである 。 ここにある色彩 や フォルム は, シュタイナーの 「メタモル フォーゼ」 体験 その ものである。それだか らこそ,ゲーテアヌムの色彩,フォ ルム は,「それ 自体 で生命 を持 つ」のである

有機的 自然 にアプローチす る際の芸術 の位置づ けは,彼 に とってか くも重

要 な ものであった。 シュタイナー に とって 自然法則 は,芸術 の形で具現化 さ

(14)

れ る

自然法則 としての芸術 は,生命 を保 った ままで我々 の目の前 に現われ る。 しか も芸術 は学問 と同 じ一 つの源泉か ら生 じるもので あー り,両者 は, そ の表現方法が異 なるに過 ぎない。 したが って, ここでいわれ る芸術 は,個人 的な主観性 か ら生 まれ る もので はない。芸術 品 ( 美) は,文字 どお り 「自然 法則」 の一 つの表 れ と考 えられてい る。 シュタイナー はい う。

ゲーテの芸術が存在 の根源か ら生 まれてい る とい うこと,ゲーテの芸術 そ れ 自体幻影 で も主観的 な もので もな く,詩人ゲーテが, 自然作用の深 みの 中で世界精神 を聴 きとった ものの法則性 の告知者 として現われ る とい うと

ころに,ゲーテの世界史的意義が ある。 この段階での芸術 は,学問 とは別 の意味で,世界 の神秘 の解釈者 とな る。( 傍点部原文 イタ リック体,以下同 樵 ) ( Z e hn J a hr e n,2 4 )

シュタイナー は, この ような芸術論 に立 って,ゲーテアヌム建築 を行 った とい えるだ ろう 。 彼 は, この建築 は 「 理性的な計画 によって」で はな く,「 芸 術 的な衝動 によって成立 した」, とい う ( Z e hn J a hr e n , 2 1 )

とす るな らば,

ゲーテアヌムを訪 れ る者 に要求 され る ことは,建築 のフォルムに或 るシンボ ル を読 み取 った り,抽象的概念 による知性的解釈 をす ることで はない。また,

この建築 を観察や研究 の対 象 として距離 を置 いて見 ることで もない。 そ うで はな く,ゲーテが 「自然作用 の深 みの中で世界精神 を聴 きとった」 と同 じよ うにゲーテアヌムか ら 「 聴 きとる」 ことが要求 され る。すなわちゲーテアヌ ム は,外側 か ら見 て考 えた り批評 した りす る建築で はな く,建物 その ものを 体験す る建築 なのである。

ところで シュタイナーのい うように, ゲーテアヌムの中で 自然 の 「メタモ

ル フォーゼ」が実現 されている とす るな ら, ゲーテアヌム建築 にあたって模

範 とな るの は, まず現実 にある自然 その ものであろう

しか しシュタイナー

は,建築構想 のイ ンパルス はあ くまで 「 芸術的 な衝動」であった とい う。彼

はい う

(15)

自由ヴァル ドル フ学校 の学校建築( 2) 261

ここには自然 の模倣 は何 もあ りませ ん。 このフォルムによってあれ これ 想像す る人 は, この建築 を芸術 的 にで はな く,非芸術 的 に判断 してい るこ

とに他 な りませ ん 。 ( Ar c hi t e kt ur , 1 6 )

「メタモル フォーゼ」を体現す る自然 それ 自体 は,完壁 な ものである

その 点で現実 の自然 は,有機的建築 の模範 である ことは確 かで あ り,シュタイナー の 「 芸術 的な衝動」に影響 を与 えるものであ ろう。 しか し,「自然 の中にある 個々の ものが全 て完全 な形で実現 されているわ けで はな」 く,「したが って,

自然 の中にある個々の ものをその まま模倣 する ことが,必 ず しも理想的な芸 術作品 になる とは限 らない 」 ( 「 教育芸術論」 ,1 5 2) 。 この ことは,ゲーテアヌ ム建築 に もその まま当て はまる。理想的 な芸術 品がそ うであるように,ゲー テアヌム も自然 の模倣 か らは生 まれないのであ る。

自然 の中に有機的 フォルムが ある とい うことはで きません。何 らかの方法 で自然 の有機的 フォルム を模造 した り, いわ ばそれ をシンボル的 に表現 す るような建築 のフォルム を創 り出すので はあ りませ ん。‑‑有機体 として の建築 のフォルム は, 自然 か ら完全 に独立 して発見 され,独 自の フォルム に造形 されなければな りません 。( Ar c hi t e kt ur ,1 5 )

ゲーテアヌム は, 自然や 自然現象 にあるいかなるフォルム を も模倣 してい る もので ない, それ は,有機体 として独 自のフォルム を持 っている, とシュ タイナー はい う

したが って,例 えば この建物 のある部分が何 か 自然 の中 に あるもの と似 ていた り,建物全体が 自然 の何かの象徴 に見 えることが あって ち, その ような見方 は,ゲーテアヌム理解 とは全 く相容 れない ものだ とい う ことである。

また,有機体 としてのゲーテアヌム は,その模範 として人 間が考 えられ る。

シュタイナー は,人間 を建築 の模範 と考 えるよ りも,建築 は人 間その もので

ある と考 えていた。彼 はい う。

(16)

正面入 り口か ら中 に入 る者 に対 して,建物全体 が芸術 的な方法で,( 真 の 人間性 を認識せ よ〉, と語 りか けて くるはずであった 。 ( Z e hnJahr e n,1 4 )

シュタイナー は,ゲーテアヌムの平面 図 を取 り上 げた際 に, この平面図の 形態 と人 間の有機的形態 との比較対照 をしなが ら説明 したが,多 くの聴衆者

は, この建築が人間形態 の象徴的 な模倣で ある と勘違 い した, と指摘 した上 で次の ようにい う。

‑‑・ ゲーテアヌム と人間 との有機 的 フォルムが提示 され るな らば,両者 の 関係性 を兄 いだす ことがで きるで しょう。 しか し,一方が他方 に真似 て作 られてい る とい う ことは全 くあ りませ ん。 ここで は実際 に有機 的建築 の フォルムが, 自然 と宇宙 の作用 それ 自体 の有機 的創造性 に基づいて造形 さ れてい るのです 。( Ar c hi t e kt ur ,2 1 )

シュタイナーがゲーテアヌムの平面図 と人間 とを対照 させて説明 したか っ た ことは,人間 とこの建築 との形態上 の類似 で はない し, この建築が フ

ル ム的 にいかに人 間 と同 じか とい うことで ももち ろんない。彼が示 したか った ことは, まず模範 としての人 間の全体構造,すなわち思考,感情 そ して意志 を持 つ一 方で,頭 と胴体 と四肢 そして中心 に心 のある人 間の全体構造 の真 の 理解が必要であること, そ うす ることで初 めて人 間以外 の有機 的 フォルム を 創造す ることがで きる, とい うことであった。 そ して人 間総体 に対 す る理解

を もとに,「自然 と宇宙 の作用 それ 自体 の有機 的創造性 に基づいて」 造形 され たのが, まさにゲーテアヌムであった。言 い換 える と, この建物全体 の基礎 にある, ある種 の必然性,すなわち人間 にみ られ るの と同 じような生 きた有 機体 的原理で建 て られてい る とい うことを,彼 は示 したかったのである

5 有機 的建 築 と しての ゲ ーテ ア ヌム の もつ 意 義

前節 の シュタイナーの言葉 を もう 1度引用す る。

(17)

自由ヴ ァル ドル フ学校 の学校建築 ( 2 ) 263

正面入 り口か ら中に入 る者 に対 して,建物全体が芸術的な方法で,く 真 の 人間性 を認識せ よ) , と語 りか けて くるはずであった。

この シュタイナーの言葉 は,ゲーテの 自然科学研究か ら得 られた成果 の一 つである,彼 の建築論 の特異性 を表現 している と共 に,ゲーテアヌムの到達 地点 を も表現 してい る 。 つ ま り,外か らこの建物 に入 る者が,思考 によるの で はな く,この建物 の持 つ芸術 的要素や フォルムによって,「 人間 とは何 ぞや」

とい うことを体感 で きることが, この建築 に目指 され た ことであった。 この ような発想 は,極 めてユニー クであるが, この発想 自体 は,ゲーテの自然研 究 か ら得 られた ものであった。

ゲーテが,何 ゆえにあれ ほ ど有機 的 自然 にこだわったのか. それ は,現実 の自然 の生 きたその ままを とらえたかったため とい えるが,更 に掘 り下 げる

と,彼 の 「自然研究 の動機 は結局 の ところ神 の啓示 を読 み取 る作業 にはかな らな」 かったのである 。 ( 「 学校建築( 1 ) 」 ,245 ) ここに,ニ ュー トン物理学 と は別 の 自然研究 の道 を探 らなけれ ばな らなかった本質的な理 由があった こと について は既 に書 いた。ゲーテの信仰 の問題 は別 にして,ゲーテの 自然研究 の根本的動機 をここで再度取 り上 げなけれ ばな らないの は, この動機か ら く る ものであるが,彼 の自然研究が,人間 自身 を も常 に含 んでいることを もう

1 度確認 したいか らである。

・ ‑‑ゲーテの科学 は,主 も客 も自然 の一部 として位置づ けられている

有機体 である ところの,生命 ある自然 をあ りのままに とらえるためには,

「 客」をその ままに受容 で きなければな らない。すなわち,主客 の境界が な くなれ ばな くなるほ ど,直観 によって 自然が よ く見 えて くる 。 ( 「 学校建築

( 1 ) 」 , 248)

引用文 を視点 を変 えて解釈すれ ば,「 主客 の境界がな くな」 る自然研究 は,

研究対象 として 自然 を対象化 しない とい うことで, 自分 も含 まれた 自然 を追

(18)

究 しようとす る もので あ る 。 言 い換 える と, 自然研究 をす る研究者 の,人 間 としての 自分 自身 のあ り方が同時 に問われ るのが, 「ゲーテの 自然科学」なの であ る

この ことには,十分 に注 目され るべ きであ る。科学技術 が進歩 す る と, とか く人 間 と自然 との間 に はっ き りとした境界線 が引かれ, 自然 は人 間 の征服 の対 象 にな る

それ によって,科学 はます ます発展 す るが,科学 と人 間 との乗離 もそれ だけ進 む。例 えば,人 間 を幸福 にす るはずの技術革新 は, 確 か に一方 において人 間生活 に利便性 を提供 してい るが, 同時 に様 々 な環境 問題 を も引 き起 こしてい る。 そ してその幾 つか は,原子 エネルギーの核処理 の問題 やオ ゾン層 の問題 の ように,人 間の将来 に対 して決定 的なダメー ジを 与 えかね ない。 これ らは,科学が 自然 か ら,す なわ ち 自然 に含 まれ る人 間か

ら遊離 す る ことか ら生 まれ る問題 で あ ろう

第 1 節 で,主知 主義 に対抗す る もの としてのシュタイナーの建築 について の主張 をみたが,主知主義 と同列 にあ るのが,機能 主義 で あ り,機械論 的合 理主義 な どであ ろう。彼 の建築論,及 びそれ によって建築 されたゲーテアヌ ム は, これ らの ものか らの人 間解放 の試 み と考 える こともで きる

第 3 節 で ゲーテアヌム建築 に際 しての荷 重 と支持 との格 闘, 自然法則 で あ る重力 との 格 闘 について触 れ た。 これ はまさに,機能主義,機械論 的合理主義 な どか ら の人 間解放 の試 み を意味 してい る。 「ゲーテの 自然科学」 を出発 として い る シュタイナーの有機 的建築 は,絶 えず人 間 に対 して 自分 自身 を見 つめなおす よう促 す のである。

そのための建築 を考 える とき, シュタイナーの念頭 にあったの はゲーテの

「メタモル フォーゼ」で あった。 したが って シュタイナー は,建物全体 を構想 し,実際 の建築過程 において, 自然 の創造性 に対 す る直観 か ら自 らが 「メタ モル フォーゼ」 を追体験 しなけれ ばな らなか った。 こうして完成 されたゲー テアヌム は, シュタイナーの 「メタモル フォーゼ」体験 その もので ある

してそれ は, 「 真 の人 間性」認識へ と通 じる。

そのための建築 は,芸術 的 に造形 され な けれ ばな らない。それ は,「メタモ

ル フォーゼ」 に代表 され るような生命 ある有機 的 自然 は,抽象概念 によって

(19)

自由ヴ ァ ル ドルフ学校 の学校建築( 2) 265

とらえようとす る と生命 を失い, 自然 の有機性 を保 ったままで体験 で きる方 法, そ してそれ を具体化 で きる方法が芸術的方法 だ と, シュタイナー はゲー テ研究 か ら確信 したか らである。 こうして完成 された有機的建築 ゲーテアヌ ム は,総合芸術 品 と呼び変 えることがで きる。総合芸術 品ゲーテアヌム は, 抽象的概念で分析解釈 した り,理性で考 える対象で はない。 シュタイナーが 有機的 自然 の 「メタモル フォーゼ」 に身 をゆだねた と同 じように,ゲーテア ヌムの芸術性 に身 をゆだねなけれ ばな らない。そ うす ることによって初 めて,

「 真 の人間性」 を体感 す ることがで きる

ゲーテアヌム は, この ようにして人間が 自らを知 り,再認識す る役割 を担 うものであった。 それ は,人間 自身 との 自己対話 を促 す とい うことである

これ によって人間 は,「メタモル フォーゼ」 ( 変身) を遂 げることがで きるの である

シュタイナーのい う 「 有機 的建築」とは,「メタモル フォーゼ」を繰 り返 す 現実 の有機的 自然 その ものであろうとす る建築 の ことである。 そのために建 築 に携 わ る者 は,「自然がいか にメタモル フォーゼ を生 きてい るか を愛情 と思 いや りを込 めて理解 す る」こと,ゲーテの表現 をか りれ ば,「 対象的思惟」が まず必要であ る。そ して,「 芸術的一彫塑 的な造形力 によって 自然 の創造 に近 づ く」努力 を しなければな らない 。 ( 「 建築様式への道」 ,2 5 1 ) これ によって 初 めて,現実 の自然 の一部 と化 した有機的建築 が実現 し, その中で人間 は,

自然 の一部 として 「メタモル フォーゼ」 を遂 げることがで きるので ある 。

6 ゲ ーテ ア ヌ ムか ら学校 建 築 ‑

以上 の ように とらえることので きるゲーテアヌム は, ヴ ァル ドル フによっ

て どのように受 けとめ られ,学校建築 として どのように受 け継 がれているだ

ろうか。 これ について は,稿 を改 めなければな らないが,今後 の論考 の方向

を示すために,長年 ヴ ァル ドル フ学校建築 に携 わ り, またその中心的役割 を

果 してい る J. ベー タースの論文 に触 れ る ことに したい。 これ は 1 9 8 3 年 の論

文 で,過去数十年 のヴ ァル ドル フ学校建築 を総括 して書かれた ものである。

(20)

彼 はこの論文 の中で,有機 的建築 としての学校 を, 4 つの観点か ら考察す る ことがで きる と書 いてい る。

第 1の観点 は,「 材料一機能的」 観点であ る

有機的建築 は,建築材料 の選 択 において, あるい は建築 のプロセスにおいて,環境保護 を配慮す るもので ある。ベータースには,科学技術 が 自然か ら,す なわち自然 に含 まれ る人間 か ら遊離 してい るとい う基本認識が ある。彼 はい う

この地球 とい う有機体 か ら生 まれ る素材 と人間 との親和性が問われた り, 技術 や 自然 の素材 と人間生活過程 との親密性 あるい は乗離が研究 され るこ

とか ら,‑‑いわゆる環境 に優 しい建築 とい う問題 は,有機 的建築 に統合 され る構成要素である 。( or gani s c heAr c hi t e kt ur ,61 0 )

シュタイナー によれ ば,就学年齢期 に幾 つかの変身 を遂 げる成長途上 にあ る生徒 ( 「 学校建築 ( 1 ) 」 ,2 5 1 ) に対 して,生命 ある活 きた教育 を提供 す るため には,学校 自体 が有機 的な ものでなけれ ばな らない。 そ して有機的建築 は, 生徒が生活 す る環境 との彩師口性が問われ る 。 有機 的建築 は,周 りの自然 と轟 離す る ものであって はな らないのである

すなわち学校建築 は,環境保護 に 配慮 す る建築 であ り, この ことは,有機的建築 の構成要素である

この観点 での一 つの成果 の例 としてベー タース は,校舎 の塗装 な どの際 に 使 われ る顔料 の素材 の工夫 を挙 げる。 ヴ ァル ドル フで使 われ る顔料 は,合成 物質 を使 った もので はな く,自然 の展色剤が使 われ る。 技術工学 の発達 によっ

て人工素材 にあふれ る現代 において,自然か ら生 まれ る素材 に対す る配慮 は, 有機 的建築 には不可欠 のテーマである

ただ,現実 の学校建築 に関す る報告

を読 む限 りで は,この観点 は努力 目標 とい う意味合 いが強い ようで はあるが。

上で,ゲーテアヌム は,機械論的合理主義や機能主義 な どに対抗す る もので あることを確認 したが, この ような建築 のあ り方 は, この第 1 の観点でお さ え られているといえるだろう。

第 2 は,「フォルム」の観点である。ベ ータース は校舎 のフォルム に関 して,

(21)

自由ヴァル ドルフ学校の学校建築( 2) 267

「 校舎 の模範 は,人間の形態で ある 」( or gani s c heAr c hi t e kt ur ,6 1 0 ) と書 い ている 。 それ は,校舎 は人間の形態 とフォルム的 に類似 していなけれ ばな ら ない, とい う意味 で はもち ろんない。ベータースによれ ば,人間形態 には, 二 つのエネルギーが あるとい う

ひ とつ は,丸 いフォルムになるエネルギー であ り, もう一方 は,真 っ直 ぐな フォルムにな るエネルギーである

彼 によ れ ばこの二つのエネルギー は, メタモル フォーゼ しなが ら校舎全体 を貫 くも のでなければな らない。 そ して このエネルギーの響 きが,建築 のフォルム と

して感 じとれ るものである ことが求 め られ る

「メタモル フォーゼ」が建築 の根本原理 で ある ことは,ゲーテアヌム に も ヴ ァル ドル フ学校建築 に も共通 している。 そのフォルム化 について,ゲーテ アヌムに関 して は大 ホールの柱 を通 して既 に少 しだけ触 れた。今後,学校建 築 において,「メタモル フォーゼ」のフォルムが具体 的 に どの ように実現 され ているか をみてい く必要がある

前述 したが, ヴ ァル ドル フで は,生徒 は幾 度 かのメタモル フォーゼ を遂 げる存在 として とらえ られてい るので,各学年 段階 において建築 のフォルムの違 いがみ られ る。

第 3 は,「 心理学的」 観点である。 この観点 は,建築 における物理的空間 と それ を利 用す る人間の内面 との関係性 に関す る ものである。ベータース は, 空間が人間魂 と無関係 に存在 す るので はない とい うシュタイナーの指摘 を取 り上 げ,建築空間 を,建築 の機能 を追求す る物理的側面 だけで とらえるので はな く,建築空間 をいわば心理的体験空間 として とらえる視点が必要である ことを述 べてい る

そ して, この観点 を持 って学校建築 に携わ ることは,逮 築家が とりわ け以下 の ような点 を考慮 す るこ とであ る とい う 。( o r gani s c he Ar c hi t ekt ur ,61 2)

まず第 1に,建築家 は,建物 とい う外的空間 と人間の内面 との関係, プラ スにもマイナスに も影響 を与 えうる, シュタイナーのい う魂 の関係 を,具象 的 に創造 すべ きである

第 2に,建築家が あま り考慮す ることのない造形手 段 に, よ り自覚的であ るべ きである。 とい うの は,平面 図や建物 の色彩 あ る

い は建築構造 の形態が, そ こに住 む人間の意志,感覚 そ して表象 に対 して影

(22)

響 を与 えるか らで ある。造形手段 の中に こそ, 建築 フォルムの中にダイナ ミッ クな空間体験 を推進す るエネルギーが ある

.

ベータース はこの ようにい う。

先 に,ゲーテアヌムの特性 を説明す る際 にシュタイナーが挙 げた胡桃 の例 をみたが, ヴ ァル ドル フ学校 における 「 心理学的」観点 は,建築 が有機体 で あるための努力,すなわち胡桃 の実 と殻 との関係 に近づ けるための努力 を評 価 す るための観点 になってい る。当然考慮 され るべ きであるに もかかわ らず, 一般 にはあ ま りいか されてい るとはい えない この観点 は, ヴ ァル ドル フ学校 建築 において は,必ず持 たれ る観点である。 なぜ な らヴ ァル ドル フで は,吹 にみ るように学校建築 の大部 分 が学校 関係者 に よって遂行 され るか らで あ る。

第 4 は,「 社会的」 観点である

この観点 は, ヴ ァル ドル フ学校建築 におい て は,学校 内において, また学校 の周辺 との様々 なレベルでの人 間の関わ り が生 まれ る, とい う過去 の実際 の体験 か ら得 られた観点である。ベータース

は次 の ように書 いている

‑‑社会改革運動 によって生 まれた自由ヴ ァル ドル フ学校 に とって,共 同で行 われ る協議,融資, そ して建築 ( 父母,教 師,生徒,建築家 そ して 建 築職人 の協 力) は,建物 の形 態が創造 され るた めの生命 の血 で あ る

( or gani s c heAr c hi t e kt ur ,61 2 ‑ 61 3 )

私立であるヴ ァル ドル フ学校 は,多 くの建築資金 を学校 関係者 で賄 わなけ れ ばな らない。建築費 を節約す るために,学校関係者が 自ら建築設計,施工

に関わ るので,建築期間が長期 になるのが通例 である

しか しこの ことは,

ヴァル ドル フで は何 らマイナスの要因 にはな らない。 ヴ ァル ドル フは,学校

建築 を学校共同体成立 の契機 としてい るか らである

引用文 にあるように,

生徒 を含 めた学校 関係者全員が建築職人 と協力 して行 われ るのが, ヴ ァル ド

ル フ学校建築である

この ことが, もう一方で建築 を生命 ある ものに, いわ

ば有機 的建築 た らしめてい るのである

この点 は,ゲーテアヌム建築 に もま

(23)

自由ヴァル ドルフ学校 の学校建築

(2)

26 9

さにあて はまる こ とで あった。

ヴ ァル ドル フ学校建築 は,ゲーテアヌムの建築構想 を受 け継 いでいる こと が大 まかで はあるが確認 された。学校建築 において は,成長途上 にあ る子 ど も達 の 「メタモル フォーゼ」 に, よ り焦点 を当てた有機 的建築 で あ ろう とし ている。 それ は,次 の よ うな言葉 に も表 れ てい る

ヴ ァル ドル フ学校建築 が求 め られ る ときに問題 にな るの は,教育活動 の ために役立 つ手段 を創造 す る とい うことであ るo ・ ・ ・ ‑・ 重要 な ことは, その フォルム を通 して 1 2 年間の学校生活 の間生徒達 と体験 を共 にす るような, 芸術 的 に創造 され る実用的建築 で あ る とい うことで ある 。( Wa nge n,51 8 )

ヴ ァル ドル フ学校 において は, シュタイナーがゲーテアヌム を建築 した と きと同 じように,初 めに建 築 あ りきで はない。 したが って, ヴ ァル ドル フで は,一般 にはあ ま り問題 に されない こ とが問題 とな り, それ をク リアーす る ために,普通行 われ ない よ うな建築施工 の体制 や手順 が とられ る。 こうした ことを以上 の観点 を手がか りに しなが ら考察す る ことは,稿 を改 めなけれ ば な らない。

く引用 文献〉

1 拙稿 ,「自由ヴ ァル ドル フ学校 の学校建築 ( 1 ) ‑ シュタイナーのゲー テ 自 然科学研究理解 ‑ 」, 『 人文研究』第 8 7 輯所収, 1 9 9 4 年 「 学校建築 ( 1 ) 」

と略 す

2 R. St e i ne r , De rBa uge dankede sGoe t hea num, Do r na c h/ Sc hwe i z ,1 9 8 6

「 Bauge danke 」 と略す

3 拙稿, 「 R. シュタイナーの 『 教育芸術』論 ‑ ヴ ァル ドル フ教育学 の基礎 的考察 ‑ 」, 『 人文研究』第 8 9 輯所収 ,1 9 9 5 年 「 教育芸術論」 と略す 4 R.St e i ne r , Ar c hi t e kt ur ,Pl a s t i kundMal e r e ide sEr s t e nGoe t he anum ,

Do r nac h/ Sc hwe i z ,1 9 8 2 「 Ar c hi t e kt ur

と略す

(24)

5 R.St e i ne r , Das Goe t he anum i n s e i ne n z e hn J a hr e n , Dor nac h/

Sc hwe i z ,1 9 61 「 Z e hnJ a hr e n」 と略す

6 R. シュタイナー著,浅 田豊訳 『 ゲーテ的世界観 の認識論要綱』,筑摩書房, 1 9 91 年 「 認識論要綱」 と略す

7 R. シュタイナー著,上松佑二訳 『 新 しい建築様 式への道』,相模書房 ,1 9 7 8 年 「 建築様式への道」 と略す

8 J. Pe t e r s , M6g li c hke i t e no r gani s c he rAr c hi t e kt ur . I nEr z i e hungs kuns t He f t1 0 ,St ut t ga r t ,1 9 8 3 「 or gani s c heAr c hi t e kt ur 」 と略す

9 W.Re i ndl ,ZurEi nwe i hungde sNe ubaue sde r W ange ne rSc hul e.Ⅰ n

Er z i e hungs kuns tHe f t9,St ut t ga r t ,1 9 8 3 「 Wa nge n」 と略す

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