教科センター方式の学校建築に関する考察
著者
松木 健一
雑誌名
教師教育研究
巻
3
ページ
139-145
発行年
2010-02
URL
http://hdl.handle.net/10098/5466
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教科センター方式の学校建築に関する考察
松木 健一 ここでは2008年から2009年にかけて福井市至民中学校の学校建築にかかわって雑誌に投稿した教科 センター方式に関する3論文(1章二2008.6「建築技術6月号」No.70135−37 (株)建築技術,2章 :2009春号「季刊文教施設」34号 89−90,3章:2009.9「近代建築」V〕163,42−43)を編集し掲載する。 1章 なぜ教科教室型校舎なのか 教科教室型の校舎建築は、特別教室型校舎よりも経費が嵩み、教室移動の労力を必要とする。さらに従 来どおりの生徒指導の方法では、子どもに通じないとも言われる。このような危険を冒してまでも、なぜ 教科教室型の校舎を建築するのか。これに対しr教科の資料提示や機材活用に便利で、片付けの手間が省 ける」といった理由では説得力に乏しい。あるいは「移動することで子どもの自主性や主体性が育つ」で は、あまりにも取って付けたような理由である。 教科教室型の建築が求められているのは、何にもまして21世紀の知識基盤社会に生きる子どもたちに培 いたい学力や学習観と呼応するからである。また教科教室型建築であっても、謹厳を持って学力形成を実 行しようとするならば、運用上かなり大胆な改善が必要である。以後至民中学校での取り組みを紹介した い。なお、図示したように至民中学校の建設に向けてできた連携体制に関しても今回の取組はユニークな 特徴を持っており、これらの連携体制ができたからこそできた取組であろう。 (1)時間設計をした教科教室型校舎 21世紀の知識基盤社会を支える学力は、0ECDがPISAで提案したような内容を含んでいる。例えば、 ある一定の状況と資料をめぐって(実際的文脈的)、それらを読み解き、関係を把握し、複雑な問題を系統 立てて捉え(包括的)、解決に向けて戦略を立てて取り組み(構築的)、それを説明できる(省察的表現的) 力である。このような学力を形成しようと思うと、すでに整理された情報を教科書等を用いて一方向的に 提供するような伝達指導では不可能である。質・量の異なる様々な情報を同時に検索しながら、必要な情 報を取捨選択できる学習環境が重要になる。また、教師から子どもへの一辺倒な情報提供ではなく、教師 にファジリテートされながらも子ども同士が、必要な情報を収集しつつ課題を見出し、協働して取り組め るようなコミュニケーション環境と協働の学習活動を行えるような空間が必要となるであろう。これに関福井大学大学院教育学研究科 教職開発専攻 し、教科教室型の空間設計が有利であることは一目瞭然であるが、もう1つ重要なのは主体性を育てるた めの空間だけでなく時間設計である。 中学校建築に向けて構築できた連携体制 .学校建築にかかわって様々な連携が必 要になるが建築は、現実の二一ズばか りでなく、数10年先 量 を見通した教育設 雌
1欝後
連携者の役割
設計者 行政寺 施政者 (市長・教育長)㌃ 綴繁
公立学校建設の最悪のパターン 行政 利用者 設計者(子ども・教 員・地域) 研究者 建築業 利用者の二一ズを聞き取りながら進めるパターン 政者 教育長) 利用者 (子ども1教 員・地域) 研究者 至民中学校建設で実現できたパターン 50分授業は、子どもが伝達指導に耐えうる心理的時間として意味がある。子どもの行う学習活動を習得 型学習だけでなく、活用型や探求型学習にまで広げようとすると、50分授業では短すぎる。一方、授業時 間を長くし、子どもの発意を生かしたグループ学習等を増やそうと思えば、年間のカリキュラム構成から 見直さなければならない。換言すると、建物が教科教室型になってもカリキュラムと教育方法が変わらな ければ、教科教室型建築は何の効果も示さない。逆に徹底的に習得型授業を展開しようと思えば50分もい らず、むしろ毎日着実に実施できることの方がより肝心である。至民中学校では、70分授業と毎日行われ る20分の習得型の授業(Re−time)によって時程表が構成されている。この時程は、2つの副産物をもた らした。それは、教科教室型の問題点とされる移動回数の削減と、教師の忙しさ感の軽減である。忙しさ 感は、常に活動を中断し、不全状態のままで複数の活動を並行して行うことに一因がある。まとまった時 間は、授業をするにも公務分掌を担当するのにもありがたい。 (2)学校文化を構築する 異学年教科教室型校舎 すでに述べてきているように知識基盤社会を実現していくためには、個人の中に知識を蓄積するよう な学習観から、参加・協働探究する学習観へ転換が必要である。こういった学習活動にとって教科教室型 の学習環境は、それだけで、白ら学ぼうとする意欲が高まるというわけにはいかない。子どもが積極的に 学習活動を展開するのは、自己の努力の成果が集団や社会に認められ、社会を動かす契機となることを実 感したときだからである。自分の学習の成果が、下級生の学習に活かされる。あるいは、自己の学習活動 の展開に際し、上級生の学習成果物が参考になり、それを超える学習活動を展開したいと望むようになる。 同じ学習材に対し、同じ視点で悩み考えた上級生の学習成果物は、教師のアドバイス以トの効果を示すも のである。生徒は、学習活動の成果を利用し、また、利用されることを通して、自らの学習活動が社会参 加していることを実感できるわけである。 つまり、メディアセンダーには毎年繰り広げられる学習活動の成果が掲示されており、生徒は教科教室に足を踏み込むだけで、3年間の学習活動の展開に関して見通しが持てるような空間造りがなされていな ければならない。教科教室型の授業は、学びの痕跡を蓄積する学校文化づくりの活動であり、異学年の子 どもたちが、学校文化を通して世代の継承生成サイクルを展開する学習なのである。 最後に、至民中学校の建築の方針で、これまで述べてきたこと以外には、教師の育っ学校、地域とっく る学校、学習と生徒指導の一体化、協働の学習・自治活動等の視点がある。 2008.6「建築技術6月号」No,701(株)建築技術、archit㏄tura1design「福井市立至民中学校」より35−37
2章教育を変える学校を創る
思想の話である。現代は構造主義ないしはポスト構造主義の時代だと言われる。私たちは自律的かつ 主体的に、自由に思考できると思っている。しかし実のところ、属する社会集団や時代が、私たち自身の 見方、感じ方を強く規定しており、それらが指し示す方向でしか見えず感じず過ごしているのが常である。 構造主義では、常識や白明のことをとことん掘り下げて世界を再構成しようとする。こういった思索が前 提となる時代が、ポスト構造主義の時代なのである。そうは言っても面倒な話は哲学者に任せて、角立て ずに楽に考えればいいのではないかと思われる方も多いだろう。ところが、時代が大きく変貌するときは、 そうも言っていられないのである。 今学校教育は大きく変わろうとしている。「教える」から「学ぶ」への学習観の転換である。この種の 話は教育学が成立したころから再三唱えられてきており目新しいことではないのだが、21世紀になって学 習観の転換が現実味を帯びてきた。 明治になり西欧諸国に一刻でも速く追いっかなければならない近代日本は、富国強兵・殖産興業を目指 し、西欧をモデルとして習得・蓄積型の学習を、しかも効率よく実現することが求められていた。その点、 明治政府が提案した学校は極めて優れたものであった。少ない教師で大量の情報を一斉授業で効率よく提 供し、おまけに、身分を越えて出世できるという動機づけまで成功した。このような教師の一方向的な情 報提供による習得・蓄積型の学習形態は、戦後の復興から高度経済成長を経てバブルが崩壊する頃まで、 教育政策としては機能したのだろう。子どもばかりか教師の指導力向上についても「伝達講習」という言 葉に代表されるように、指導伝達が学校のコミュニケーションの中核であったわけである。福井大学大学院教育学研究科 教職開発専攻 ところが、グローバル化する世界経済の中で中進国の追い上げは目覚ましい。資源が乏しい日本のよう な国は、新たな製品の開発等、新しい価値を創造しなければ、国際競争社会に立ち向かっていけない状態 にあることは、誰もが知るところである。協働して新たな発想を生み出すような教育が希求されている。 しかし、この点日本はすっかり出遅れてしまった。今、OECDのPISAの学力調査結果が、学習観と教育 方法の転換を否応なく迫っている。協働して思考・判断・表現できる参加型の学習観への転換である。 学校建設に話を戻そう。校舎を設計する際に良心的な建築家は、生徒や教師から要望をじっくり聞き とり、その要望の実現に向け、より居心地のよい空間を作り出そうと努めるであろう。ところが建築家が 誠実であればあるほど、ここで構造主義が指摘する陥穽に引っ掛かってしまうことになる。学習観の転換 は時代としての緊急課題ではあるが、タイムラグが存在するのである。教師も生徒も協働を育み社会に参 加する学習形態を未だ経験していない。だから、質問されて思いつくのは黒板に向かって整然と並べられ た教室である。そして、そこで 行われるコミュニケーションの 枠から離れて思考することは極 めて難しいものである。問われ ても、習得・蓄積型の学習を行 うのが学校であるということを 自明のこととして発想すること になろう。 至民中学校の建設にあた って、私たちは学校が抱える21 世紀の課題を真正面に受け止め ようと努めてきた。私たち自身 が学校について持っ固定観念と の戦いである。検討内容につい ては表で例示したので対比させ て見ていただきたい。 さて、21世紀の学校教育が 抱える課題を学校建設に実現し ようとする至民中学校の取組は、 生徒・地域・教師・建築家・教 従来の学校賃 里民中学校がとらえる学校観 知識の 知識は紙面上に表現でき、蓄積 課題を見出し活動を発意し展開するのにか 在り方 でき必要1:応じて引き出すこと かわる協働・判断・表現・自分つくり・記号操 ができるカ 作等のカ (習得・蓄積型学習観〕 (社会参加型学習観〕 習得・蓄積型学習も位置づける(Retim剖 学びの 教科に関して学年を超えた学び 上級生の学びの痕跡が、下学年や同学年 学校文化 や教科を横断する学びは少なく の学びを誘発する学校文化づくり 学年中心・学級中心の学習形態 異学年教科センター方式 コミュニケー 教師から生徒への一方向的コ 教師一生徒一生徒の間の双方向的コミュこ ション ミュニケーション ケーション 授業時間 指導伝達に耐えうる45分授業 主体的な学習活動を盛り込んだ70分授業 (グループや小集団の学習多い) 教師の役割 学習の指導者 学習のファジリデーター・コーディネーター 学年の活動中心で、管理下での 異学年の共同体での生活と白治(経験の異 学年 異字年活動(部活・行事〕 なる者同士のコミュニケーションによる学び 生徒指導1こかかわっては他の 重視) 学年との交流制限あり、 生活を支えるクラスター活動 生活と学習 生活と学習が混然とした教室 生活と学習を分離し融合の中で学びを作る 学校 1つの学校 小さな学校の合衆国 教師教育 教科中心の学校内教員集団 教師が育つ学校(教師の学び合いを促す校 熟練教員の伝達議習 舎設計と時間づくり) 教科を超えた教師の学び合い 生徒に求める学力と教師カが同型写像 地域との 地域との交流を目指す掌校 地域が学校の中へ学校が地域に出向く学 関係 校(地域ボランティアガイドが常駐・学校が 地域交流の場) 育学者・教育行政担当者の一人でも欠けると実現しないプロジェクトでもある。専門の異なる者が協働す る。まさに今求められている学校教育の在り方を、学校建築にかかわっても実現しなければならなかった。 逆に言うならば、協働の重要性と困難さを実感できだからこそ、時代が求める学習形態を滑らかに実現で きる装置を学校建築に盛り込むことができたのかもしれない。至民中学校には四角な空間が乏しい。多面 的で異なる規模のコミュニケーションを実現しやすく、「どこでも黒板」を目指したからである。至民中学 校には壁が少ない。教科の壁を低くし、教師同士の学び合い、生徒同士の学び合いを促したいからである。 至民中学校は生活と学びが分離している。分離することで意識的に融合を図り、私と公の結びつきを企図 することができるからである。 子どもの3年間の学びの成長と、地域との学び合いを中核に空間と時間をデザインした至民中学校を 是非参観していただきたい。見て感じていただくことが、至民中学校の教育の在り方を外部から支えてい くことになるからである。
2009春号「季刊文教施設」34号 施設紹介「異学年型教科センター方式による中学校教育の改革」より 89−90
3章中学校建設の在り方を考える
(1)料理が変われば器も変わる 学校建設は21世紀が求める学力を培うことができるか 明治以来の日本の教育は、効率よく安価に大量の知識を子どもに注入する仕組みとしては、きわめて すぐれたシステムであった。明治期に急速な近代化を実現できたのも教育に因るところが大きい。これは 誰もが認める事実であろう。黒板に向かって机が整然と並べられた教室では、多くの子どもを収容できる。 国定教科書を用い伝達指導形式のコミュニケーションを採ることで、大量の知識を注入することもできた。 また、どこでも一律の教科書と指導形式の採用は、一定水準の教師の質を短期間に確保するためには有利 だったに違いない。さらに、近代産業を支える規律正しい労働者の育成や、数少ない上級学校への進学者 選別機能としても、伝達指導形式の授業は最適の方法であった。知識を蓄積しておけば後で役に立つとい うような日本人の持っ学力観は、こういった教育を背景として形成されてきたのであろう。 ところがメディアが発達し、欲しい情報はインターネットを開けば直ぐに手に入る時代、必要な学習活 動は反復による知識の暗記なのではない。何をなすべきか、どのようにな1すべきか、なしえたことをどの ように表現し、いかに賛同を得るか等。これまでの知識習熟型の学力観から社会参画型の学力観への転換 が、学校教育の成否を握る鍵となっている。21世紀は知識基盤社会であるという(2007)。知識に国境が なくグローバル化が一層進む知識基盤社会では、知識は日進月歩で競争と技術革新が絶え間なく生まれ、 さらに知識の進展はパラダイムの転換を伴い、幅広い知識と柔軟な思考力が一層重要になるという。この ような学力観の転換がはかられた今、当然、管理と伝達指導を中心とした学校教育にマッチした学校建設 でよいわけではない。建物の構造は、そこでの学習活動を制限もすれば促進もする。明日の教育を見通し た学校づくりに期待が寄せられている。 (2)世界標準の学力 キー一コンビチンシー@ 扇轟
知識基盤社会の中では、ますますrい㌶㌘㍗㍍二∵よ 灘\ 穣彌
ンシー(。。。。)とも認識を共有している 1、驚驚劇1
という。このキー・コンビチンシーは、 社会や個人にと一て価値ある結果をもた@大鶉雷手1鶴綾!1チ鷹顎卜鑑
らすこと・様・な状況での重要課題へ対ζ会美鰐口11の権利’る争いを処理 ‘繊。作用的11技術をぎ 応できること、特定の専門家ではなく総 ,ジェクトを設 竺巳饗 し解決する 情報を相互 相互作用 計し実’ 表明 作用的に 的に ての個人にとって重要であることの3条 件からなり、この3条件は基底部分で思 キー・コンビチンシーの構造 慮深さ(反省性)によって結びついており、 さらに、次のような内容を含んでいる。第1は、対話の方法として言語・情報・知識・技能のような相互 作用的な道具の活用であり、いわゆるピサ型の学力である。第2は、多様な社会構造の中で他者とよい関 係を築き、争いを乗り越えて協働できるコンビチンシー。そして第3は、大きな展望の中で活動し、自ら の権利や利害等を表明でき、人生やプロジェクトを設計・実行できる自律的な活動力である。福井大学大学院教育学研究科教職開発専攻 つまり、21世紀に求められる学力は、学習者同士の協働の関係の中で、具体的な教科の学習活動が展開 し、その学習活動によって自己形成がなされる活動によって実現する。言わずもがな、求められる学校建 設もこの学力を実現できる建物であって欲しいものである。 (3)公と私がせめぎ合う学校から、公が私を育み私が公を培う学校への転換 中学校教育の課題と教科センター方式 中学校教育は、社会参加への一歩である。生徒は公としての自分を意識しながら、私としての自分つく りに適進する時期である。ところが、現在の中学校では公と私の関係を自覚できない状態にある。中学校 は私的空間が極めて乏しい空間である。それが保障されているのはロッカーや自分の机ぐらいのものだろ う。おまけに自分の机は、公的空間の一部をなし、授業の時は私的な空間としての利用は許されない。学 校は、膨大で均一な行動を求める公的な時間と、わずかな私的な時間から構成されている。学校では私的 行為である食事さえも、給食指導として「公」に組み入れられている。 だから生徒は私的な時間と空間を求めて、トイレ、体育館裏、部室にたむろし、机を削り、壁を蹴破っ て穴をあけ「私」の痕跡を残す。あるいは、筆箱のような許された私物を可能な限り飾り立て、余計なも のまで詰め込む。さらには同一の制服に差異をうみだそうと努力し、私的自己表現の道具とする。学校は 均一で大半を占めるr公」と、僅かで歪められたr私」とのせめぎ合いの場なのである。 こういった歪んだ公私の関係のままで教科センター方式を導入すると、学校崩壊が起きるのは無理もな い話である。空間の自由度が増した分、歪んだ私を発散 させやすくなるからである。 中学校教育では、r公」とr私」を対立配置して指導す るのではなく、本来の姿である相互補完的で相乗的な関 係構築をすることが急務である。文とともに考え公とし て行動する中で、自己の特徴が認識でき、自分らしさを 育むことができる。また、自己の発言から集団のあるべ き姿が再検討され、公の吟味がなされる。こういった公 私の相互関係を経験することは、生徒にとって社会人と しての基盤になるであろう。要は、中学校で行われるコ ミュニケーションの質である。伝達指導型の一方向のコ ミュニケーションから、主体性を育む双方向的なコミュ ニケーションを基礎として、学習活動や学校生活を構築 することが求められているのである。 前述のキー・コンビチンシーを引きあいに出すまでも なく、学校教育ではr学び合い」という用語が頻繁に取 り上げられている。r学び合い」は、伝達指導の一部にグ ループ学習を挿入して、教師の意図する発言を生徒から 効率よく引き出すような学習ではない。生徒同士が闊達 学校における生活と学習 活動が無分離。伝達指 …簿による一・方向的なコミュ ニケ…ションが中心の公と 歪んだ私 従来と変わらな し、{k言是非旨享薄 従来と変わ らなし・者受業 機能しなかったときの教科センター方式 双方向的な コミュ;ニケー ションによって 生濡及び学習 活一動で公私が 棉構築 教科センター方式を活かした学校教育 な意見交換を通して思考し、判断し、表現すること、そして、その学習活動を通して構成員の所属する社 会をも成長させようとするものである。 教科センター方式は、このような=学習活動に有利な設計である。この特徴を活かした学習活動と学校生 活をデザインしないと宝の持ち腐れになってしまう。そのためには、教科センター方式による空間デザイ ンに加え、年間活動やカリキュラム、あるいは授業の構成等の時間のデザインが実施されることが必要で ある。むしろ、学校建設に際しては、建設のデザインと学校での活動デザインを同時に相互検討し、効果
を最大にする企画を立てること重要である。この教育の一大転換期に際し、設計者・保護者・地域・教員・ 研究者の協働が、明日の教育を創造していくことになろう。 引用 中央教育審議会 (2007.11)「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」 ドミニク・S・ライチェン,ローラ・H・サルガニク編集,立山慶裕監訳,(2006.5)rキー・コンビチ ンシー」明石書店 2009.9「近代建築」“163,「特集学校建築」より42−43 Studie;inandonTea⊂her1三ducation 145
福井大学大学院教育学研究科教職開発専攻