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離島地理学の方法論に関する一試論

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(1)

離島地理学の方法論に関する一試論

河地貫一

二 三

四 五

島 と 離 島 畠喚研究1畠峡発展の三つの時期 島 峡 時 代 離 島 化 時 代 架 橋 時 代 島映発展における自然環境の意義 離島の産業︑社会の前掲性とその資本主義的展開

.一

元来︑島は両税の大小によって﹁大陸﹂に対比される自然地理的概念であることはラッツヱルによって明確に規定

l

され洋いる﹃オーベル・ド・ラ・リウは﹁島﹂・に関する規定は行っていないが︑その成因を自然地理学的に説明して

2

い る

(2)

離 島

地 理

学 の

方 法

論 に

関 す

る 一

詩 論

しかし︑交通機関が何らかの事情で杜絶したようなばあいに︑島はしばしば﹁陸の弧島﹂と表現されているし︑ま

四 四

た昭和二八年に制定された離島振興法が

﹁この法律は︑本土より隠絶せる離島の特殊事府よりくる後進性必徐去する:::(傍点

l

筆者)

d A

吐 と誼っているように︑わが国において︑四つの主島ぞ除いては﹁島﹂{ぱ近年よく﹁離島﹂と表現され︑更に一般的に

孤立性或は後進性の強い特殊な地域として把えられている傾向が強いことは否定出来ない︒このようにみると︑ついど

という概念は︑単に自然地理的概念に止まらず︑むしろ人文地理的 H 歴史的概念として把握されなければならない︒

島︑離島︑更には離島振興法にあげている本土等の概念規定を明確にしないと島拠地理学に関する説明が根木的な

HO

 

誤りをおかすおそれが多分にあると思われる︒この点について筆者はかつて詳論したので乙こではくわしくふれない

が要点だけをのべると︑元来自然地理的概念であった島が歴史的な発展過程のうちに一般的にいって大陸と対比して

相対的に発展がおくれるに至り︑ ﹁島﹂という自然地理的概念が︑孤立的︑後進的地域という人文内容を附与されて

きたものである︒

筆者もかつて誤っていたのであるが今日一般に離島とさきにふれた人文的内容をもっ島と混同して利用され︑また

氏U 大 村 の よ う に ﹁ 昌 巳 ロ ・

2E

ロ島本島に二次的に結びつく関係ぬあるものを離島︺とみるべきでもなく︑離島とは本土

との相対的概念であって︑本土と対比してより後進的︑孤立的であるという前提に立っている人文地理的概念である︒

︑ げ

そして本土とは当該離島にとって何らかの意味で主要な地域であるという人聞の主観︑価値判断︑撰択が加わったや

はり人文地理的概念であって︑一般にいわれているように当該離島より面積の大きい大陸や陸地ではなく︑それは︑大

00 

陸でもまた島でもよく︑また当該離島よりも必ずしも面積の大小という白然的条此川が区別の基準になるものでもない︒

(3)

島は自然地理学的にいえば︑大陸と比較して面積が小さく︑またいわゆる山岳的地形が多く︑また多くの島は海洋

性気候であるという共通的な性格を指摘できるが︑人文的性格になると︑多くの先学が指摘しているように極めて異

質的であるために︑一般地理学としての島興地理学の体系化に関する労作はまれである︒大村は一般理論としての島

n

U 唄地理学に関する数少ない労作を発表している州︑そこで︑彼は一般島興地理学の成立に疑問を提示し︑個々の日本

の離島に関して︑精彩ある説明を展開しているが︑ 一般理論として言及されると多くの誤りが発見されるのは︑

にはかかる島唄の異質性によるものであろう︒

において烏に関する記述に多くの紙数

をさいているが︑そこで彼は四囲と異質の自然環境のなかに孤立する人間の居住地を﹁島﹂とし︑オ l ベル・ド・ラ

・リウのいう﹁人間島﹂の考えを展開し︑その孤立的環境による生活の限界性によって︑地誌学の一般的方法論の体

得のための最良のフィールドとしている︒例えば︑﹁海中の島﹂の例を地中海のパレアル諸島に取り︑地中海地域の

哨 訓

一典型として把ぇ︑その地誌的説明に終始し︑そこに一般論としての島興地理学を樹立しようとする姿勢は全くない︒

またアメリカのアレキサンダ l の労作であるマルガリタ島等に関する説明(一九五八)にも地誌的追求を超えていな

め 山 司

HU  

フランスのブリュンヌはその若人文地理

の ふ o m

円 ω F

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出 口

Bυ

50

(

一 回

一 一 )

向耐引に関する古典的名若を残したオ l ベル・ド・ラ・リウは島艇の異質性を強調し︑多くの島々の文献的或は実態

的訓査による笠宮な資料によって︑それぞれの島のもっている機能的特色から島を分類し説明しているが二般地理と

しての品興地理学を追求するという立場は弱い

D

パウル・ピダル・ド・ラ・ブラ l シュの人文地理学原理司ユロ巳司

g

経 営 と 経 済

(4)

離 島

地 理

学 の

方 法

論 に

関 す

る 一

詩 論

品 ︒ ︒

e m

g

E

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出 口

B

5(

一 ∞

MM )

には島興に関する一般理論の追求は全くみられない︒ 四 六

ラッツヱルは︑人類地理学において自然決定論に立って︑島拠地理に関する一般理論を展開している︒彼もまた個

々の島興の異質性を強調し多くの事例をあげているが︑その理由の説明において︑島の隔絶的自然条件からそのまま

人文的性格である島の孤立性︑閉鈴性︑保護性︑近づきゃすき等を結論し︑それぞれの島の特殊性はそれらの組み合

わされ方の相違によるものであるとする︒従って彼の島興分類は︑オ i ベルの好き機能的分類でなく︑さきにあげた

性格の強弱から行っている︒それらの論理で説明がつかない場合には歴史的条件ではなく︑

に異った結果にみちびく﹂として別の自然要素としての人種の差異をあげている︒ ﹁島の人極的要素が非常

ラッツヱルを祖述し︑更に一一周豊富な事例を用いて︑島興に関する一般地理学的な労作を残したセンプル女史も島

の小面積と孤立性(自然条件としての四面環海の隔絶的条件と︑人文的性格である弧立性との区別が彼女のばあい殆

んどみられない)とが前提的条件となって︑島の孤立性がラッツエル以上に強く前面に押し出されている︒要するに

彼女のぱあいも島の隔絶性と面積の狭小性という条件から島の特殊性とみられる人文的性格が結論づけられでいる︒

かくして一般地理学としての島興地理学を体系化するためには︑島興の異質性に注目しながらラッツヱル︑センプ

ルらの自然決定論を否定し︑かっ︑ォ l ベルやブリェンヌの立場を克服しなければならない︒

筆者もうッツヱルらが決定論的に島の自然環境から直接的に結論ずけた島の﹁孤立性﹂を追求する乙とを中心とし

て一般島興地理学の体系を樹立しようとする立場を取った︒しかし︑その﹁孤立性﹂の原因をラッツヱルらの取った

自然決定論的立場を否定して︑いうところの島の孤立性とはなにか︑またそれは歴史的にいかに形成され︑またいか

なる変遷をたどったかを解明しようとする立場を取った︒

そのために︑人口︑商品︑資本の交流を介して島と他地域との交流を歴史的に追求する作業が必要となった︒そし

(5)

て︑その結果︑島の生産株式の発展段階に応じて孤立性の内容が構造的に相異することが明かとなり︑それらの差異

から丞商主義後期以降の島興発展の過程を﹁島興時代(ほぼ重商主義後期︑わが国では徳川中期以降明治初頭までの

時期)︑離島化時代(ほぼ自由資本主義段階︑ただしわが国では戦後の離島振興法の制定期までの時期)および架橋

時計(ほぼ独占資本主義段階︑わが国では離島振興法制定以降今日までの時期)の三つの時期に区分することが出来

島興時代は主として世界の植民地は商業資本に支配されていた時期であり︑帆船という輸送手段を背景として︑そ た ︒

の自然環境の故に熱帯の島々にまず植民地開発が進められていた︒甘庶がその指標作物といってよい

D E

・ オ

l

ベ ル

によると︑﹁砂糖生産は長らく島独自の産業となり︑多くの熱帯島興は一七世紀以降の驚くべき繁栄をこれに丸川ノて﹂

品 川 明 ハ 山 可

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向 い

おり︑その中心はヨーロッパ市場からの位置条件と︑帆船輸送の風の条件および降雨の条件等主に自然条件によって︑

bv

w 

西インド諸島であり︑﹁特にハイチ島の経済はひとり砂糖に依存し﹂︑﹁一八世紀における主たる栽植地域として予

側 聞

想外の繁栄を示した﹂︒ E

・ オ

l ベルは世界植民史上一八世紀を﹁島興時代﹂とよんどのも主にこのことによってい

D

これら栽植農の労働力は主としてアフリカの黒人奴隷に依存していた︒アフリカ大陸はその自然条件も加わって

内陸進出がおくれ︑ラッツヱルのいう保護性︑近づきゃすさという島の自然条件から大陸沿岸の島に︑例えばザンジ

バル︑町村ンパサ︑マッサワ(東海岸)︑ゴレ l ︑トンボ︑ラゴス︑サン・卜 i メ(西海岸)等の島々に﹁島市﹂がひ

的 μ らかれて重要な貿易港(特に奴隷輸出港)となり︑特にザンジバル島の如︑きは﹁数世紀閉世界最大の貿易地の一つで

経 営 と 経 済

(6)

離 島

地 理

学 の

万 法

論 に

関 す

る 一

説 諭

あった﹂︒アジアの熱帯島興もまた香料についで砂川

向 い

V 束インド会社とオランダ本国に巨富をもたらしていた︒

/i

コーヒー︑藍などの栽培による京商主義的開発が進められ︑

わが国では陸上交通の未発達によって幕滞体制の中期以降海上沿岸航路が整備され︑沿岸の小島興は多く風待ち︑

AU  

湖︑まち港として栄え︑また大漁業(主に捕鯨業と大型網漁業)が特に西海の'品々に基地をおきその加工業が栄えた口

宮木によると︑近世の木綿帆船の往米で栄えた瀬一円内の寄港島として周防上ノ関(直島

i

乙れは宮船時代から繁栄

していた)地家室(周防大島)︑安芸鹿老渡(倉一栴島)︑ゴプ瀬(苅刈ぬ)︑瀬戸田(生口島)︑伊予安居品︑岩城

島︑弓削島︑備中白石島︑備前大多府島等をあげ︑(また﹁離島﹂によると︑西回航路の整備によって発達した寄港島

を︑宮本のあげた諸港のほかに浦刈島向浦︑伊予津和地島をあげ︑日木海側では飛鳥(山形県)︑粟島(新潟県)︑

(島根県)を︑更に束回航路にそって︑寒風沢島(宮城県)︑上方航路にそう大島

州)︑西海航路では加部島(佐賀県)︑平戸島平戸︑田助︑的山大島︑樺島(以上長崎県)︑および天草下島の津崎︑

牛深をあげている︒特に瀬戸内の沖乗り航路の発達によって大崎下島の御手洗浴は北同米︑西国物資の集散地として︑

﹁中国無双の良港﹂であった︒

(佐渡島)︑隠岐島

大阪︑兵庫︑下関︑尾ノ道にならぷ商港であり︑

﹁大漁業﹂(主として大型網漁業と捕鯨業)が特に西海の島々に栄えた︒瀬戸内の網漁業は西海域︑朝鮮︑琉球に

M W M W  

まで出漁し︑西海の島々ことに五島列島への漁業移住者がかなり多かった︒また︑捕鯨業は幕滞体制の中期以降栄え

南 り

るが︑乙とに綱取法に入って大型化し︑士宮岐︑生月︑五島有川の捕鯨組は大規模で︑例えば兎政一一(一七九九)年

の資料では一組の総船数五二隻六四

O

人の乗組員が壱岐土岐組にみら刊文久元(一八六二年には七二三人︑納民

的 もの一三五人計八五八人に及んでいる︒西海捕鯨基地の著名なものは壱岐島(勝木︑前目︑印通寺)︑対応(廻︑伊

奈)︑生月︑的山大島︑小値賀島︑平戸島津吉︑五島平島︑榎品︑宇久︑有川︑柏島︑黄島︑佐賀県小川島等であ乱が

(7)

瀬戸内の島々には工場制手工業の織物業か少くとも幕落体制の後期にはかなり栄えていた︒

当時の白と他地域との交流をみると︑商品では︑商業資本の手工業品←奴隷←砂糖その他熱帯作物︑地域的には︑

ヨーロッパ←アフリカ沿岸の島々←熱帯島興←ヨーロッパほいう三角貿易が行われ︑またわが国でも地方市場の発達

が充分でなく︑むしろ島と中央市場との直接交易が行われ︑また労働力の移動にしても︑それぞれの島によってかな

り異質的であるが︑島と他の烏相互︑或は島と本土農村への出稼ぎが主要な型態であっ灯︑今日のように︑本土の特

定地点における資本の吸引力は全くなく︑島自身の必要からの労働力移動が主であった︒

結局︑重商主義段階の島興は本土の農山村より少くとも︑より孤立的︑或は後進的であったとはみられなく︑島唄

時代は実は重商主義段階の歴史的産物であった︒

前代には︑主としてその自然環境の故に栄えた島が︑資本主義経済の段階に入って︑同じ理由からかえってその孤

立性を強めてくる︒従ってかかる歴史的変遷の原因をその自然環境に求めるべきでなく︑資本主義経済の構造と運動

と に

求 め

︑ ざ

る を

得 な

い で

あ ろ

う ︒

海外の植民地経営は従来の熱帯島艇から大陸にうつり︑羊毛︑棉花をその指標作物とする乙とが出来よう︒西ヨ!

ロッパの資本主義化に伴って主として軽工業原料と食料との生産が次第に海外に移植されるにつれて︑従来の晴好品

の供給源としての植民地は︑次第にこれら生産物の供給地としての役割を担ってくる︒

従来の熱帯という気候から︑広大な空間が植民地に要求されてくることになった︒しかし一般的にいって自由主義段 つまり︑自然地理的にいえば︑

経 営 と 経 済

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階では植民地の開発は遅々たるものであったといえる︒

離 島

地 理

学 の

方 法

論 に

関 す

る 一

説 諭

従来その自然条件の故に栄えた島唄はかえってその故に停滞は甚々しく︑永く重商主義段階に止まってきたといえ

よう︒乙とに奴隷労働力に依存して栄えていた西インド諸島はその廃止による﹁一九世紀における衰退は甚々しかっ

た ﹂ インド諸島で

4J

咲く産業資本が近ずかず東インド会社の解散を﹁さしたる資本の持なしに強制労働と土

地との強制収奪による﹂ぜ制栽培制度に代表されるように重商主義的な生産が支配的であった勺熱帯アジアの資本主

義的開発は︑スエズ運河の開通(一八六九)以降であり︑それはジャワ島の強制栽培制度の廃止される前年にあたり︑

同時に帝国主義段階の閉幕時であった︒

西インド︑東インド諸島の変化にもまして大きい変動が起ったのはアフリカ沿岸の品々で︑奴隷廃止と内陸の開発

によってこれらの島々は前代の機能を喪失し弧立的様相を強めてくる︒ザンジパル︑ゴレ i ︑コモロの島々はその好

例 で

あ る

わが国では明治に入って四大工業地帯その他特定の地点にのみ集中的な投資開発が行われ︑また陸上交通(道路で

はなく鉄道交通)が整備されるが︑他の地万の開発は全く放棄される口しかし本土の鹿山漁村にはそれでもなおこれ

らの閃発に伴う波及効果もみられるばあいもあるが(例えば僻地の鉄道沿線など)︑島唄にはそれすらもなく︑帆船

時代の終需と︑本土の鉄道発達に伴って︑従来の寄港島も対岸の本土鉄道の主要点から航路によって結ばれるいわば

奥小路の奥にその位置をかえ︑それに伴って前代の中央市場との直接交易の型態から︑木土対岸の主要点との集中的

刑判川 関係が生じてく広出或は︑全く衰退して︑田助︑鹿老渡のように今日化石村化したものもある︒従って島は木土の一

般農山漁村よりもむしろ孤立的様相を強めることになる︒

前代特に島唄に栄えた大漁業は︑本土の大消費地漁業すなわち資本制漁業の担い手となり得ずに︑かえってその発

(9)

達によって衰退︑消滅する︒例えば明治二 0 年代には西海に栄えた捕鯨の基地は小規模な小川島(佐賀県)その他を

残すのみであったペかくして漁業からみると島々は零細な沿岸漁業の卓越する地域となり︑五島玉ノ浦の如く︑位置

的条件にめぐまれた極小数の島には外来漁船の基地化によって繁栄を維持し得たものがあるにすぎない︒乙れも漁船

の高述皮化によってその機能を喪失した例が多い︒

しかもその上︑これら島の沿岸漁業には︑生産者と消費者とを︑まに生産者相互とを分断する前期的な商人資本の

支配が強く存続してきた︒そのために︑元来商品生産を目的とする漁業社会にあっても孤立的様相を持続してきた︒

乙のば J のい島の四面環海の自然条件が輸送手段を独占するこれら商人資本の支配を温寄せるしめる一要因であったこ

とは否定出来ない︒言葉をかえると︑かかる商人資本の支配する段階にあっては︑島の自然条件は資本主義経済段階

にあるばあいよりは︑相対的にその地域の孤立性を強める役割を果すことになる︒前代の﹁大漁業﹂と系譜的にはか

かわりがないが︑自然資源にめぐまれた西海の島々には︑共同経営から出発した地方資本による資本制漁業が形成さ

AMM 

れる︒非独占であるこれら中小資本制漁業は﹁大戦末期には壊滅する﹂︒島の農業についてみると︑元来島は土地生

産性が劣り︑耕桓農業の自然条件が不利な上に︑市場条件にめぐまれない品々では孤立性の強い前近代的な自給農業

をつやつけてきた︒市場条件にめぐまれた島では︑この時期に商品農業の萌芽がみられるが︑これらに対する商人資本

の支配を排除するのにかなりの期聞を要している瀬戸内みかんの島唄の例がある︒

鉱工業についてみると︑乙の時期には石炭資源をもっ島のみは財問資本によって資本主義的開発が早くから進めら

れるが︑石炭生産が本土(この時期にはなお︑明確に島に対する本土という発想はなかったと考えるが︑乙の現在一

般につかわれている用語によって概会が明かになると思われる)にみられるように近代工業の立地因子とはならず︑

生産物は島外に移出されるいわば植民地的な経済構造を島は形成していく︒そしてこのばあい︑島の四面環海の自然

経 営 と 経 済

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離 島

地 理

学 の

方 法

論 に

関 す

る 一

詩 論

条件は輸送上有利な条件を提供してきたといえる︒前代からひきつづき瀬戸内の島々に寄続してきた工場制手工業も

大正の不況で殆んど倒産い v また主として市場条件によって立地してきた地方資本はよる島の造船業も大正︑昭和の

恐慌で倒産する例が多く︑また財関資本を残して︑地方資本による鉱業も衰退する︒鉱工業立地からみると少くとも

戦前の独占段階に入っては島は小数の例を除くと︑島内自給を目的とする極く零細ないわゆる﹁近在必要工業﹂

Z

RZ

E

5 H

ユ引のみの存在する地域と化していたといえよう︒

かくしてこの時期の島は極めて自給的性格従って孤立性が強く︑基幹産業である農水産物の移出量も微々たるもの

で︑移入品に至っては米を除くと︑酒︑たばこなど政府専売品を中心とし︑また当時のゆが国の唯一の世界商品であ

った綿織物と日本市場を独占していた台湾の砂糖などの極小室の消費財にすぎなかった︒

人口移動をみると︑今日のように本土の主要工業地域からの資本の吸引による一様的な︑かつ特定地域への集中的

流出関係はなく︑島自身の必要からくる家計補助的な一時的出稼と︑都市への女中︑庖員などの口べらし的無賃労働

力の給源でしかなかった︒ただ︑戦前独占段階に入ると︑日本資本主義の大陸進出に伴って︑西海の島々にはいわば

資本の要請による︑大陸への移動がみられる︒かくして︑島はその自給的性格と相まって︑まさに﹁離島化﹂すると

ともに日本資本主義のアフリカ型植民地であった︒

戦後の日本経済は昭和二 0 年代の敗戦復興期と同三 0 年代以降の高度成長期とに分ちうると思われるが︑二 0 年代

前半の大企業救済期には︑戦前独占段階に軍関と結びついて拾頭してきたいわば新興財闘である︑香焼島(長崎外港)の

造船業をも崩壊せしめた︒二

O

年後半の資源開発期には園内(特に水資源︑石炭資源)資源の開発と増産︑自給に重点が

おかれたために︑特定の資源に必ずしもめぐまれていない島の開発は極めて微々たるものに止まら︑ざるを得なかった︒

島はこうして島唄時代の島から孤立的な﹁離島﹂化の途を進めつつあった︒戦後︑資本と国家権力との癒者の制度

(11)

化した国家独占資本主義段階に入ったわが国では行政︑経済の中枢機能をもっ地域すなわち本土と対比して︑島は相

対的におくれているという階層的意識が生じ︑より進んだ本土(後者)とおくれた﹁離島﹂という相対的概念が生れ

てくることになる︒従って日本の附属諸小島に取って︑対岸の四つの主島はもはや対陸︑或は地方ではなく本土であ

る︒そして︑以上述べ来った通り鉱工業では大正︑昭和の恐慌を経て︑島における地方資本による生産体の消滅︑整

理が進み︑極く小数の独占或は大企業体による例外的立地がみられる程度となるから︑独占段階以前から用意されて

きた島峡の孤立性と後進性すなわち島唄の離島化は戦前の独占段階に入って明確化してくる︒従って︑離島という概

A

念は少くとも独占段階に入ってからのものと考えられるペ

わが国のばあいは戦前独占段階において一一回離島化を明白にするが︑世界経済が独占の段階に入ると︑従来︑重商

主義的段階に停滞していた海外の島唄植民地に対して︑本国資本による資本主義的プランテ l ション開発が急速に進

められ︑また西インド諸島に対しても︑アメリカ資本は﹁怒詩の如く進出する﹂︒イギリス領の島々には︑かつての奴

隷移住にも比すべきインド人労働者が移住した︒熱帯アジアのプランテ川ション開発も独占の時期から進み︑農民の

﹁アフリカ奴隷の大陸間移動と同じような民族移動が南アジアに起った﹂︒熱帯アジアの開発の直接契機になったもの

は︑スエズ運河の開発(一八六九)であった﹁シンガポールはイギリスの極東政策の中核的地胞が与えられ︑東南ア

ジア地域のゴム︑錫の精製工場が集中し︑また壮大な軍港が立地して特異な繁栄を保ってきた︒現在ではホンコンに

むしろ繁栄をうばわれつつあるが︑ゴム︑錫の生産では古い地位をなお保ちつづけている︒大陸内部の発展と奴隷貿

経 営 と 経 済

(12)

離島地理学の万法論に関する一詩論

五 四

易の衰退によってその機能を喪失していたアフリカ沿岸の島々にもプランテ l ション開発が進めら胤て生産地と化し︑

或は対岸から架橋されて内陸の外港としての性格をもつに至ってようやくその衰退から脱してきた︒中国︑或はドイ

ツの統治時代︑商人資本の支配下にあったタイワン︑(南洋掛百の日本資本による資本主義的開発もこの例外ではない︒

わが国沿岸離島で︑前代からひきつづいて資本主義的開発が進められてきたのは石炭資源をもっ島に限られるとい

っ て

よ く

一般の島唄開発は国家独占の段階に入ったと考えられる戦後の離島振興法の制定(昭和二八年)以降であ

唱 ︒ ︒

わが国経済の高度成長期(昭和三

0

年代以降)の前半は太平洋ベルトの集中的開発が進み︑その結果生じた資木の

過度の集中と集積とによる諸矛盾の解決策として︑昭和三六年以降の﹁地域開発﹂政策が拾頭してくる︒新産業部市

指定もそのあらわれである︒地域開発政策の具体的的内容は従来開発が放棄されてきた地万に対して大工業のための

社会的立地条件としての﹁産業基盤﹂の整備である︒従って︑この政策は大工場の地万分散政策であり︑当然資木に

よる矛盾の地方分散という性格を強くもつことになる︒

大工業の立地条件を必ずしも具えていない離島においても︑かかる地域開発政策に便乗して︑昭和三

O

年の後半か

ら離島振興法その他の公共投資によって︑島の﹁産業基盤﹂主に道路︑港湾︑漁港の造成が進められてくる︒その結

果島は従来の自給性と孤立性とを弱め︑資本主義化を進めてくる︒もちろん島の資本主義化とは必ずしも近代企業の

立地を意味するものではない︒たしかに従来︑殆んど石炭生産に限って開発されてきた島の地下資源は︑それ以外の

生産のための資本投下を示してきた︒しかし︑これらの地下資源の生産は前代と同様に近代工業に結びついていない︒

またその特異な市場条件にめぐまれて立地してきた瀬戸内島興部の木造機帆船工業も︑その市場条件の喪失のために

大型造船業への集中・整理が進められ︑かえって従来の造船業を失ってきている︒

の鉱工業生産の面からいえば︑ ' M

(13)

工業原料品の本土移出は増大したが︑工業ではむしろ本土工業の市場化を進めてきているという点に意義がある︒本

土の道路発展に照応して︑島を本土からの道路の延長として把えるための架橋︑航送船施設が進められている所以で

あろう︒と同時に本土工業製品の消費能力 l つまり自給性を脱して市場性をもつために︑本土からの﹁産業基盤﹂造

成は本土資本にとって大きい経済的意義を見出しうるわけである︒つまり離島振興法をさきに述べたように工業立地

からみれば便乗法として把え得たわけであるが︑かかる観点からすれば︑必ずしも便乗法のみではないはずである︒

島の漁業をみると︑漁港の整備︑大型漁港の建設が進められて︑沿岸漁業の動力化︑大型化従って高速度化と生産

性の上昇を伴うとともに︑漁民眉の分解を進め︑近代資本制漁業生産も進んできている︒道路建設その他通信機関の

整備︑構造改善事業等によって︑従来極めて強力であった商人資本の排除を進めてきた

D

従って単に島は工業原料と

しての地下資源の移出塁の培大ばかりでなく︑漁獲物の移出量が増大し︑しかも従来の塩干物より鮮魚移出に主点が

う つ

っ て

き た

農業からみるとかなり事情が異ってくる︒畜産物生産では︑構造改善事業による融資によって︑かなり大規税な養

鶏︑養豚業が形成されてきているが︑和牛の生産に至るとなお前近代的な性格が強く︑生産単位も極めて零細であり︑

従って当然前近代的な家畜商の支配力が大きい︒ぱた若干の島には山林の分収林︑信託林万式による開発も進められ︑

林産物移出も従来の木炭から木材にうつってきている︒耕種農業では果樹生産︑工業原料(例えばアルコール.出料と

しての甘藷)生産に専門化しつつある'局のある反面︑耕種農業上劣悪な自然条件にあり︑また市場にめぐまれない島

にあっては︑基幹労働力を殆んど周年にわたる島外出稼ぎ者として送り出し︑また島内に残留する農業労働力の農閑

期における日雇い労働力化による貨幣獲得手段としている︒つまり︑従来の自給農を捨てた点に変りはないが︑前者

は専業農化と一一胞の集約良化を進めているが︑後者にあっては︑留居を守る農家主婦の農業の家庭内職化と耕作放棄

経 営 と 経 済

五 五

(14)

離島地理学の万法論に関する一詩論

五 六

ー粗放化とを進捗が一般化し︑それによって貨幣経済化に適応しているわけである

D

大量の生鮮水産物と工業原料との移出があらわれてきた結果︑島は前代のように本土対岸の主要港との交易パター

ンのみならず︑直接大消費地との結びつきがあらわれてきている

D

単に移出商品ばかりでなく︑移入商品にしても従

来の軽量の酒︑たばこの市場から︑今や建設財︑生産財︑食品その他の消費財の移入も増大して︑自給性の喪失と本

土資本の市場化を強く示してきでいるのであるから︑重量の建設財︑生産財は多くそれらの生産地との直接の交易が

行われ︑この点交易のパターンは移出のばあいと異ならない︒従って︑島は前代のように必ずしも本土対岸主要港と

の集中的関係を示さなくなってきてい勺更に注目すべき現象は︑島の本土資本の市場性が大きいばあいは自給性の

強い時期にはみられない現象であるが︑いわば本土の中心地点の出先機関的機槌をもっ地域例えば五島列島の福江︑

対馬の厳原の如︑きものが当該の島において形成されてくる︒

人口移動をみても前代と型態も数も質も大きい変化が起ってきている︒島机ハ︐時代では︑本土の農業地域への一時的

出稼ぎ︑或は漁業出稼ぎが多く︑移住も島から島へ︑本土の僻地へ︑或は本土の迫害からのがれた逃避的移動が主で

あったし︑その数も限られていた︒離島化の時代にあっては︑家計補助のための基幹労働力の一時的出稼ぎ(漁業出

稼ぎが最も多かった)或は二︑三男︑女子の都市への口べらし的出稼ぎが主要型態で︑工場労働者としてよりは無償

に近い女中︑活員が多かった︒つまり︑島自身の理由から押し出されたものであったから︑それぞれの島によって移

住の相手地域もかなり異質的であった︒しかし︑離島化時代でも独占の段階に入ると︑むしろ資本の吸引による移動

もあらわれてくる︒西海の壱岐︑対馬などの大陸移住はその一つの例であろう︒戦後独占の時期に入ると︑むしろ資

本の吸引力が小単位の島唄社会を破壊するほどに暴力的にはたらき︑あととりと否とをとわず低年令胞の工場労働力

としての永久移住︑高年令眉の殆んど周年にわたる出稼ぎ移動が﹁地とり﹂的に起ってくるとともに︑挙家離村もか

(15)

なり進んできている︒そして︑乙の移動の理由が主として島自身のそれよりも資本の吸引力によるから︑移住の相手

υ 地域もまた資本の充填する特定地域に集中し︑それぞれの島による差異はなくなってくるとともに︑当然流出人口数

が帰還人口数をはるかに超え︑島は急速に人口の減少を招来してきでいる︒

‑‑L. 

ノ、

以上の如くに島の変遷を考えると︑それを規定したものは島の自然条件ではなく︑その生産様式と島を包摂する社

会の経済機構とのあり万である乙とが明かとなる︒然らばラッツヱルらによれば︑島の人文性を規定するものとされ

た自然環境は島の変遷︑発展にいかなる意義をもら︑役割を果すものであろうか︒

島が自給的段階に止まり︑或は例えば漁業のように商品生産にあっても︑輸送機関を独出する商人資本の支配が強

いばあいは生産者と市場︑生産者相互を分断し︑島の四面環海或は山島的地形等の自然条件は︑島の孤立性を強め︑

或は温存する役割を果すであろう︒しかし︑大量生産と大量輸送とを前提とする資本制生産株式︑或は零細な生産単

位でも協業組織のもとにあっては︑島の四面環海という自然条件はむしろ輸送条件を有利にすることが多いであろう︒

また自給時代や商人資本の分断によって島内社会が相互に孤立している時期には必要とされなかった道路も︑資本主

誌化が進み︑島内社会相互の協業が進めば︑山島的地形条件を克服する道路その他の社会施設の整備が当然要求され

てくる︒山林が雑木林︑採草源にすぎないばあいには必ずしも必要とされなかった林道も︑山林の資本主義的︑或は

農民的開発が行われるにつれて︑林道開発のための資本投下は当然必要となってくる︒ 一般にいわれているように島

の山島的地形条件が'局内社会相互を孤立せしめる第一の原因ではなく︑また大村のいうように島内社会のそれぞれの

経 営 と 経 済

五 七

(16)

離 島

地 理

学 の

方 法

論 に

関 す

る 一

詩 論

機龍の重複が原因でもなく︑島の生産様式のあり万がその自然環境の意義と役割をむしろ決定するものである︒

五 八

結局︑自然環境が島の発展を規定するのではなく︑また︑図面環海という自然条件が︑輸送に有利或は不利という

相矛盾した可能性をもち︑その可能性の撰択は人聞社会にまかされているとみる︑いわば可能論的立場に立つのでも

なく︑くりかえし述べるが︑島の生産様式のあり万がその自然環境の意義︑役割を決定するものである︒

架橋時代に入った今日でも︑冒頭にふれたように島がなお離島とよばれ孤立性の強い地域であるとされるならば︑

それはその自然環境から結果したものではなく︑島自体の生産様式に或はそれに照応する社会の構造になお前近代的

要素が強く残在しているからと考えるほかはない︒この点を明かにするために︑更にわれわれに現在における応の生

産様式のあり方︑社会構造のあり万を明かにすることが要請される︒

島の貨幣経済化に伴って︑従来の労賃採算を無視した自給農業は当然崩壊してきでいる︒そして一部の市場条件に

めぐまれた島では︑生産単位は零細であるが商業農業化を進めつつある︒また山林の開発を進めている島もあるが︑

これらの生産物は原料︑食料としてそのまま島外に移出され島内では極く低次の加工業としか結びついていない︒多

くの島々は耕作放棄と粗放化とが進み︑島の農業は家庭内職的性格をかえって強めてきている︒そして必要な現金は

基幹労働力の兼業化或は周年に近い島外出稼ぎによって得ており︑しかもこの型態が固定化してきでいる︒後者のば

あいは特に若年労働力の島外流出がはなはだしく︑農業従事者は質的に年々低下して生産性は極めてひくい︒

漁業は島によって︑また同一島内でもそれぞれの漁業部落によってかなり異質的である︒資源条件にめぐまれて地

(17)

元資本による中小資本制生産体が立地して近代的漁業の成立しているものもあるが︑一般に生産単位の零細な沿岸漁

業が卓越し︑古い村網型式の残存するもの︑自家労働力による自営漁業︑数人の一雇傭労働力を入れる船主漁業等があ

り︑何れも兼業型態が多く︑またなお前期的な商人資本の強い島が多い︒また漁場条件によっては島外大資本︑或は

島内の零細資本による養殖業が立地し島内の内職的な低賃金労働力を入れている︒これら生産物の移出は前代より大

量に増加しことに生鮮品の増加が大きく︑農林業のばあいと同じように大部分が移出され島ではわずかの量が極く低

次の加工業と結びついているにすぎない︒

特殊な市場条件や地下資源の賦存条件から島に立地した鉱工業の資本制生産体も︑独占の強化によって地万資本に

よる中小資本制生産体が多く整理され︑消滅して︑しかも資本畜積の弱い島にあっては︑それらの再起する例はまれ

で︑多くは大資本による企業体の残存に限られてきている︒そして鉱業生産のばあいは他の農林︑水産と同じように

島の工業生産と結びつくことなく︑原料のままで島外に移出される︒結局︑今日島に立地する鉱工業は特殊な条件を

もっ島を除くと︑自給的な﹁近在必要工業﹂と第一次産業に包摂されるその生産物の極く低次の加工業が立地するの

みで︑それらは大部分それ自体のみでは自立し難い生産性の低い零細な企業体によって行われている︒

島は資本主義化を進め︑その孤立性を喪失しつつあることは事実であるが︑国民経済的にみれば本土工場製品の移

入︑水産業と工業原料品との移出︑低賃金労働の供給といういわば植民地的ベタ l ンを強めてきている乙とになる︒

しかもその基幹産業は多く零細な生産体によって担われ︑各産業自体のみでは自立し難く︑多く兼業型態を取ってお

り︑かつなお︑商人資本の支配がかなり強力に残在している︒要するに島にはなおその生産力や生産関係に前近代的

性格が卓越した地域が多いことは否定出来ない︒

経 営 と 経 済

(18)

離 島 地 理 学 の 方 法 論 に 関 す る 一 詩 論 六

O

島のかかる産業構造に照応して︑その社会構造にもなお前近代的な要素の強いものが温存されているであろう口対

馬には今日本戸制度とよばれる前期的な社会構造が残在している︒この制度は土地生産性の極度にひくい対馬におい

て︑明治以降も幕藩体制期の自給農業を混在し︑本戸(藩政期の農民と在郷武士

H

給人とよばれるものの家系)の手

に農業を独占する目的で形成されたものといえる︒従って本戸のみが耕地を私有し︑かつ自給農に必要なものとして

山林︑磯場をも本戸群が共有的に独占してきた︒本戸から分れた分家や︑島外からの移住者である寄留は磯場をふく

めて一切の土地所有は認められず︑しかも本戸群の営む村落共同体生活に参加する資格はないが本戸群の決定には規

制をうける︒従って分家︑寄留は早くから非農民として貨幣経済に接してきたが︑地元商人資本の強い支配をうけて

零細生産者は相互に分断され︑かつ消費市場からも遮断されて︑長く弧立的状態を保つことを余儀されてきた︒

土地生産性の低い島には一般に寄生地主制の発達は弱く︑戦後の農地解放は乙の古い嘩体制を変革する力にはな

り得なかった︒しかしその後の漁業制度の改革によって︑本戸群の磯場独占権が否定され︑また従来単に本一戸(農民)

の採草地か︑せいぜい商人資本の掠奪的生産による木炭産地にすぎなかった山林に信托林︑分収林万式によ同

0

ラ ン

H H テ l ション的或は農民的開発が進められるに従って︑その共有型態は法制的にも大きい問題を提起してきた︒しかも︑

対馬の貨幣経済化が︑自給農業を崩壊せしめ︑その前近代的自給農散会の在続を目的としてきたこの古い社会体制自

体をも崩壊に導いてきた︒そして今や本一戸制は形骸化してきでいる可とはいえ︑なおかかる古い社会体制の存続が︑

対馬の社会︑経済の近代化にかなりの障害になっていることを見逃すわけにはいかない︒前近代的嘩は元来閉鎖的

であり︑かかる社会にあっては近代的な合理的精神が旧来の伝統︑権威によって軽視されがちであるロ

以上の知く考えてくると︑冒頭に述べたように島を架橋時代の今日なお離島とよぴ︑弧立性と後進性の強い地域と

(19)

みられる理由は︑島において本土と対比して前近代的要素が強く残存していることにあると思われ︑島のもつ自然条 件から説明するのは誤りであろう︒

註 ( 1 )  

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戸 口

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υ ラ ッ ヅ ヱ ル ﹁ 海 洋 論 ﹂

三六六︑五五 O 平方キロの海面のなかに一四︑四五 O 平万キロの陸地が大陸と島慎の形をなして横たわっている﹂として

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( 六 頁 ) に よ る と ﹁

( 2 )  

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ω 印)山口貞夫訳ぃ島と人(昭和二八年)九 O 頁

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飯塚浩二訳

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人文地理原理上巻一五一頁

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IF ルは日本群島の主島として九州︑四国および本州をあげて︑なお北海道を主島としていない︒ ω ﹁離島﹂という表現もそれほど古いものではない︒島外の資本がそれを市場として把えようとするとき︑或は島内資本が

島外と結びつく必要を強く要請した時︑換言すると島を自給経済のままで止めおき得ない時に始めて離島という意識が起っ

てくるはずである︒従って一般用語として︑敗戦の結果︑日本資本主義が国内市場の拡大を必要とした時︑始めて離島とい

う用語が一般佑してきにと思われる︒古くには︑その島が資本主義的に発展の方向を打ち出してきた時に︑そのような島で

のみ使用されたものと思われる︒例えば長崎外港の香焼島に資本主義的生産が起りつつあった明治三 O 年に申請した分村建

議案のなかに﹁離島﹂という言葉が出ている︒

﹁ ッ ノ 地 勢 絶 海 ノ 離 島 ニ シ テ : : : 不 便 浅 少 ナ 一 フ ズ 就 中 時 運 ノ 進 歩 ト 共 ニ 石 炭 坑 其 他 顕 著 ノ 事 業 等 頻 々 激 興 シ : : : ﹂

( 明

三 O 年五月

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香焼町役場所蔵資料)

同拙稲川一離島地理学の方法と対象(昭和四 0

・ 一

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経 営

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済 一

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三 号

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附大村準日島地理(昭和三四年)四八頁

経 営 と 経 済

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(20)

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Brunhes Jean:Geographie Humaine (91

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I.C.LeCompte:Human Geograhy p.p.350‑514

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Brunhes Jean:ibid. p.pA99‑500 30. 

Brunhes Jean:ibid. p.p.500‑514 

告)

Charles S. Alexander:The Geography of Margarita and Adjacent islands

, 

Venezuela (1958) 

主主

E.Aubert de la Rue:ibid. 

思*平ミ長 i 叫

.... ‑‑, 苧ー... 

Fr. Ratzel:Anthropogeographie

Grundzugeder Anwendung der Erdkunde auf die Geschichite I(1882)s.s. 253 

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Fr. Ratzel:ebeuda s.251 でごとヨ

Fr. Ratzel:ebeuda s.252 

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Anthropogeograhie (191

1) 

p.p.429‑444 

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(21)

離島の人口移動(承前 )l 経営と経済一 O

五 号

臨白の商品︑資本移動

Il

島岐時代(経営と経済一 O 七号)

離島の商品︑資本移動

El

離島佑時代(経営と経済一 O 八号)

離島の商品︑資本移動 El 架橋時代(経営と経済一 O 九号)

位 1 )

司 円

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に述べている島はその自然環境の的に外敵に対する保護性と近づきゃすいという考え方を E‑

オ 1 ベルは援用して︑﹁島はその故に近︑ずきやすく︑植民や防票が容易であり︑かつ衛生的であった﹂(開・﹀ロ Z2 含 Z

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仏 E

・ 訳 本 二 三 ニ

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二三三頁)とし︑まに

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仏三江田与え高 S

8 m g u z o ( 一

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伊藤兆

司訳日農業地理学の諸問題三 O 五

l

三 O 八頁にほぼ同じ考えを述べ︑一フッツヱルの思想はかなり大きい影響を与えている︒

開 ・ ﹀ ロ

Z2εzgoH55 ・訳本二一四頁

(23) 

~~

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巧 巳

σ o r o

g 合によると︑﹁ブラジルの栽植民業が空間によって指向され︑西インドのそれが交通により指向され

ていると同様に南アジアのそれは労働によって指向されている﹂(訳本三四 O

頁 ) また貿易風がアフリカから西インドに奴隷労働力の輸送を極めて有利にした(訳本三三四頁)としている

o

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司 巳

g r o Z E ω

に古くからの大西洋沿岸島唄の庶困に必要であった﹁人工准概の必要もなかった﹂ ( 訳 本 六 七 頁 )

位 品

と 述 べ て い る ︒

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巧 巳

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旨訳本ニ七七頁

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訳本ニ七六頁

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訳 本

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訳 本

二 三

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二三八頁および︑同二五一

i

二五五頁

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) 8

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2 9 )  

開 ・

﹀ ロ

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訳二三五頁

経 営 と 経 済

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(22)

離島地理学の方法論に関する一説諭 六 回

''30) 

関嘉彦

u

商領印東印度農業政策史(昭和二ハ年)二 Ol 五四頁

。 1 )

拙稿 υ 離島の商品︑資本移動

Il

島唄時代

ω 

宮本常一口瀬戸内の研究

I

( 一 九 六 五 年 ) 二 O 頁

( お )

離島実態調査委員会

υ

離島(一九六五)一九頁

( 3 { )  

後藤陽一一瀬戸内御手洗潜の歴史(昭和三七)一一三頁︒なお文政八(一八二五)年の芸落通志をみると︑既に御手洗決

は﹁内外二湊あり︑内演は延褒五町に一一町︑外湊は六町に一二町あり︑風破の時うしをの進退によらず数百般の船を繋泊

す中国第一の浜にして︑西国諸候のとぎふねをはじめ︑すべての官船私船の往来多くここにつなぐ﹂

( 同

巻 二

第 八

九 )

︒ 帥

大野盛雄日沖家室の漁業(東洋文佑研究所紀要 l 昭和三二・三)

宮本常一一五島列島の産業と社会の歴史的発展(五島列島

i

九十九島

i

平戸島学術調査書

i

一 九

五 二

)

突取の時期には例えば寛文二(一六六二)年一組には一九隻︑一九五人の従事者であった(小英国淳一西海捕鯨業につい

て i

一 九

O )

のが︑文久元(一八六一)年には納屋従事者を入れると︑五八隻八五八人に及んでいる(一岐名勝凶誌)︒

( 3 6 )   ( 幼 側

土佐浮津組大津義三郎日九州鯨組左之次第(土佐室戸津浮津組捕鯨史料七

i

一 三

l

)l

土佐捕鯨史上巻一八六

一 八

七 頁

に よ

る ︒

例えば宮本常一日日本の離島(一九六

O )

一 五

今の山口県大島郡が主ーでは宝.胎年間( 四

i

一五五頁によると﹁周防国 l

一 七

五 一

l 六三)の頃二 O 万反の木錦を大阪に出している︒ほか︑河野通博

υ

漁業用益格の研究︑大野盛堆:前掲論文或は

松岡進一芸予議島史(昭和三三年)︑大島郡郷土誌(昭和三八年)等にかなりくわしく述べている︒

拙稿

υ

離島の人口移動(承前)に詳論している︒

( 3 9 )  

臼 0 )

)  4 E E l   a n U A   (  一九世紀初頭よりアメリカ南部の綿花地帯が栄え︑南北戦争の結果エジプトその他に綿花地帯が広がった︒なお拙稲川白

濠主義(史林二八の四)参照︒

(23)

( 4 2 )  

かかる植民地の変遷を典型的に示すものは︑イギリスの産業資本主義に入る初期に植民された(一七八八)オーストラリ

アであろう︒この点については筆者の一連の研究がある︒

拙稿

υ

技術の進歩と地域の展開(修造短大論集五の一 l

一 九

五 六

O

)

// 

日オーストラリアの人口分布とその動態(人文地理二の四昭和二五︑

O )

日オーストラリアの農業的土地利用(長崎大学東南アジア研究究所年報第一巻

i

一 九

五 九

)

1; 

日オーストラリア牧畜業の地域構造(同右第二巻

l

一 九

O )

日新大陸における農業革命

l

オーストラリアにおける一九世紀の小麦産業の発展を通して(同右第三巻 i 一九六一)︒な

お外国書として︑特に次のものがすぐれていた︒

当 ω 仏

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( 4 3 )  

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訳本二七六

i

二七七頁

A

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川 玄 別技篤彦山東南アジア諸島の居住と開発史(一九六

O )

二三九頁

F g

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含訳本二三九頁 ( 4 5 )   位

開 ・

﹀ ロ

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2

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回 転

日 目

玄 門

戸 訳

本 二

六 七

頁 ( 4 7 )  

拙稿 υ 離島の商品︑資本移動 l 離島化時代

大 日 本 水 産 会 日 捕 鯨 士 山 ( 明 治 二 九 ) 一 一 一 五

i

一 二

八 頁

例えば青塚繁志日対馬漁業の経済分析(長崎大学対馬調査団

l

対馬の経済と社会)において対馬について︑乙の点を詳論

し︑なお五島︑壱岐の仲買資本の強力な支配についてもふれている︒

例えば生月島では捕鯨業の衰退から一時沿岸小漁民のイカ釣時代を経て(長崎大学水産学部日漁業経済資料

l

一 九

五 七

l

( 4 8 )  

担 日 ( 5 0 )   経 営 と 経 済

ハ 五

(24)

離島地理学の方法論に関する一詩論

六 六

三三頁)︑明治三 0 年代には持株平等の和船巾着網が生れ(農林漁業金融公庫

υ

旋操網漁業経営調査

i

昭 和

三 三

年 ︑

頁)︑後加工過程をも収奪し得た主として古い網主屑に株が集中されて資本制企業に移行する︒昭和恐慌を経て漁船の大型

一 四

佑とともに実質的にも資本制生産体を確立する(漁業金融公庫口前掲吉一五 O

頁 )

則長崎水産新聞円相阻揚操網漁業大鑑(昭和二四年)によると︑生月の揚操網漁法が伝婚して長崎県西海域に全盛期をもたら

すが︑戦時中の軍統制によって﹁潰滅状態となる(同一七 l

一 八

頁 )

﹂ ︒

昼田栄日広島県農業発達史(四四頁)に商人資本の支配をあげている︒

( 5 2 )  

昼田栄日前掲によると︑大正︑昭和の恐慌を経て︑商人資本排除の運動が展開されている(四五二

l

四 九

O 頁

) ︒

倒西海の高島︑端島︑松島︑崎戸島など何れも石炭資源によって早くから資本制生産体が立地するし︑まに香焼島では地元

小資本による石炭生産が明治三 0 年代に起っている(拙稿日離島産業の前期性とその資本主義的展開発 l 経 営 と 経 済 一 一 0

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(  例えば河野口前掲によ.ると︑瀬戸内田島における手織木綿の大正バニツグにおける消滅をあげられ︑まに松岡は大三島に

おける商業資本のマニユ企業が大正バ‑一ッグで完全に姿をけしたことを述べている(苔予護島史二八二頁)︒

例えば香焼島に立地した長崎県の地場資本のかなり大規模な松尾造船所も世界不況で倒産した(同石)︒

( 5 日

呑焼島の石炭︑対馬の亜鉛︑鉛鉱は何れも恐慌で衰退し︑また今日の東邦亜鉛の前身による経営も戦時的中の資材難で閉鈎

( 5 7 )  

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訳本二四二頁

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訳本二三六頁

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(  別技はジャワのプランテ 1 シヨン開発は一八六 O 年に始まるとし(同氏一前掲計二三九頁)︑ま一ブンネフトはジャワでは

参照

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