Title
貨幣経済的動態理論の研究 −その一−
Author(s)
松沼, 勇
Citation
沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 2(1): 1-62
Issue Date
1962-03-01
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/10706
貨
幣
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動
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理
論
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研
りb プuーその
松沼
勇 目 次 はしがき 一、クィクセル的累積過程の理論 二、ハイエクの貨幣的景気理論 三、ケイシズの貨幣経済的動態理論 はしがき 周知の如く、近代の貨幣理論は、 つつ、経済理論との結合を図り、実態的分析に基づく 経済 動態現象の解明に 寄 与して今日に至 っ ている。俗に 貨 幣 的 経済理論 ( 或 い は 貨 幣 的 景 気理論)とも称せられており、クィクセルを端緒として、ミl
ゼズ、ハイエ ク 、ν
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グル、ハ ァ パーラ ー、ケイシズ等によって発展せしめられた ζ とは多言を要しない。本稿は経済の動態現象としての循環的な経 済 変 動 ( 物 価 現 象を含めての豪 気 変動)を貨幣的要因ないし側面と関連せしめて内部的に分析しようとするものであり、その手掛りとして特 一般物価現象を主要な対象とすると ζ ろの古典的な貨幣 理 論 としての貨幣数 量 説を超克し ハ J 司エク及びケイシズの学説を取り上げて吟味し、且つ基本的な理論の導出 或 いはその方向づけを 意 図したも のである。これらの代表的学説に関する著書・論文は 多 数にのぼり、今更乙れに付加すべき理由はないであろ うが 、ケイシズ の場合は別としても、クィクセル及びハイエクの著作そのもの並びにこれに関する研究文献は 今 日では殆ど 書 底 に おいては見 に ヲ ィ ク セ ル 、当らず、また貨幣金融論の講座を担当している関係上、 いささかでも学生への参考に寄与せんとの意図のもとに、蛇足なが ら、敢えて本稿を上梓した次第である。そのため、一般的な論文の行会方ないし形式とは多少趣を異にする ζ ととなったかと 思う。上梓するに当って伍促たるものがないではない。けれども、単なる学説的な吟味に停まる乙どなく、 ζ れを土台として 新たな理論(経済の発展的変動の分野をも包摂せる)の発展を期しているのであり、 その展開は後の機会に譲らなければなら ない。また今回は、身辺の事情と時間的な制約か=りして未熟を余儀なくされたことを断らなければならない。大方の叱正を得れ ば 幸 で あ る 。
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ウ ィ ク セ ル 的 累 積 過 程 の 理 論 ウィクセルをして最も強く関心を喚起せしめた問題は物価変動の現象であり、それに関する基本的な要因を究明することに 彼の主要な目標がおかれたのである。彼の理論は不朽の労作とされている﹁金利と物価﹂(の巳骨宮田g
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・ ) においてもその要約的な展開がなされている。ワィクセルは、貨幣理論と経済理論 の 結 合 に 努 め 、 そして近代の貨幣理論としてのいわゆる貨幣的経済理論(ないし貨幣的景気理論)に対し先鞭をつけた ζ と は 周知の如くである。 ウィクセルによれば、個々の商品価格の変動は、生産条件の変化や技術の発展に伴って必然的に惹き起されるが、 これに対 する理解ないし解明は容易である。またこのような変動は、個々の生産者や消費者に何らかの弊害を及ぼすにしても、需要の 変化、或いは資本・労働・土地利用等の移動に伴う生産の変化によって、多少とも緩和される傾向がある。と乙ろが全体の或 いは殆ど大部分の商品価格の騰落、い h 換えれば一般物価水準の変動は、乙れとは事情が異なり、その経済社会に及ぼす影響 は広範囲に及び且つ深刻である。じかも需要の変化や或る程度の生産の変化だけでは、物価変動のもたらす弊害は緩和も平準化も困難であり、従って社会的な不均衡を生ぜしめる ζ とになる。即ち一般物価水準の変動は、とれと利害関係のある種々の 社会階層ごとに利益や不利益を与える ζ とになるが、結局は不利益の方が大きい。そとで大多数の者が一致して希 望 し且つ理 ︿ 注 一 ) 想とするのは、財貨の相対的価格の変化を措き、疑いもなく一般物価水準の不変の状態である。 またクィクセルによれば、商品の相対的価格ないし 交 換価値と貨幣価格ないし貨幣価値(一般物価水準)とは区別され、前 者は商品側の内部的事情によって規制されるのであるが、後者はとれとは異なり商品側に対する貨幣側の事情に依存する。即 ち彼は次のように強調する。 ﹁財貨の交換そのもの及び財貨の生産及び消費に関する前提条件は、た Y 単に商品の交換価値或 いは相対的価格のみを支配し、貨幣価格の絶対的高さに対してはいささかも直接の影響を及ぼし得ないという、 事実 がそれで あ る 。 個々の商品或いは商品群の相対的価格が市場において誤って評価せられると、との商品或いは商品群の需要供給即ち生産消 費聞の関係はそのために不均衡化し、その結果また早晩必ず評価の是正が起ってくる。とれに反し、何らかの他の動機から全 体の商品価格或いは平均的価格水準が上昇或いは下降するとする、その場合との上下変動に反作用を及ぼし得るような契機は 確かに商品市場の事情のうちに何ら存在しない。 一般的価格が余りに高いか或いは余りに低く決定される場合、 ζ の種の騰落に対する反作用は、 従 っ て 、 一 般 の 場 合には或 る意味における商品市場の外部のど ζ からか起るに相違ない。貨幣価格の規制者は
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相対的価格の規制者とは違ってl
商品市 場(或いは財貨の生産)自体の関係からは決して起り得るものではなく、むしろ商品市場の最広義の貨幣市場に対する関係の ( 注 ニ ﹀ うちに探索せられるべきものであとする乙とは常に妥当な考え方である﹂と。またか h る見解は次のような論点からも裏付 けされる。即ち、技術の進歩による或る特定の商品ないし商品群の生産費の低下に伴いその価格が下落し、 ζ れに基づいて全 体或いは大部分の商品価格(従って一般物価水準)が下落するものとしたり、また収種の不良、需要の増大、関税及び間接税 等によって一般物価水準の上昇がもた胃りされるとする解釈が一般に行われているが、或る特定の商品ないし商品群の価格が下四 落しても、他の商品ないし商品群の価格騰貴によって相殺され、 ( 注 三 ﹀ 一般物価水準は必ずしも変動するとは限らないという点であ る
。
ま た 彼 は 、 一般物価水準の変動は通常、商品の需要供給の時間的順序に依存し、 ζ の需要の時間的順序は貨幣市 場 の事情に 依存すると主張する。 以上の如き論点からして、彼は貨幣数量説を高く評価する。即ちヲィクセルによれば﹁一般的価格水準の変動について、 ζ れ迄に打ち立てられた総ての説明方法のうちでは、何といっても貨幣数 量説 が相対的に最も正確な見解、いな問題となる対象 ハ 注 問 ﹀ を可成り合理的方法で説明しようとする唯一の見解である。﹂ しかしながら、彼はこの伝統的な貨幣理論としての貨幣数量説に決して満足したわけではなく、 するに至った根本思惣を論理的により一一層発展せしめ、できるならば、それによってそれ自身矛盾のないまた 事 実と完全に一 ( 注 五 ﹀ 致するような一つの学説を作り上げることが当面の問題として残るのである﹂という点に彼の基本的な立場があったといえよ う。かくして彼は、物価の変動を械機的、皮相的に説明するところの貨幣数量説から離れ、物価現象の示現に関 連 する経済構 造の内部の分析に傾倒したのである 。 乙の場合、ワィタセルは一貫して 需 要供給の関係を 重 要視する。即ち、個々の商品価格であっても或いはあらゆる商品価格 その変動は需要供給の関係に少なからず依存するからである。しかもとの関係は、既に ﹁かつて貨幣数 量 説を建説 (従ってまた一般物価)であっても、 実現されている場合と或いは単に予想される場合との何れも重要である。 ζ h で問題になるのは、商品に対する貨幣的需要と 貨幣に対する商品供給との関連である。ワィクセルによれば、すべての貨幣価値理論は、如何にしてまた何如なる理由から商 ハ 注 六 ) 品に対する貨幣的需要が所与の事情の下において商品供給を超過しまたはそれを下回るかを説明し得るものでなければならな い。
と ζ ろで、ウィクセルのいうあらゆる商品とは消鐙財を意味するから、.一般物価水準は消費財価格水準に該当する ζ とになる。乙の一般物価水準(消費財価格水準)の変動に関すクィクセルの理論を以下ミルダ
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ルに依存しつ h 時味する乙とにし ょ う 。 消費財需要についてみると、 ζ れは貨幣によって表示された総国民所得のうち貯蓄されない部分に相当し、総消費財の供給 は社会の総生産物にストックの増減を加減し且つ耐久実物資本への投資(新投資)を控除したものに一致する。そ乙で﹁総 ( 注 七 ﹀ 国民所得のうち貯蓄されない部分除、常に売却された消費財の量にその価格水準を乗じたものに等しい﹂という論理が成立す る。乙﹄において物価水準の把握に関し新局面が聞かれる。ミルダl
ルによれば、所得は貯蓄と消費需要とに、生産は実物資 本への投資と消費財生産とにそれぞれ分割され、そして ζ れら四つの量的給合せのうちにヲィクセルにとっての新たな貨幣理 論上の問題が横っているのである。 静的均衡の状態以外においては、消費財に対する需要と供給との一致は常態的ではない。というのは、商品の購買者と販売 者とが全く別入によって行われるからである。同様にして、資本の需要(投資)と資本の供給(貯蓄)との恒常的一致も保証 し得るものではない。従って、需要と供給とが特定の条件に基づいて一致する場合は別として、恒常的に一致すると見倣す ζ とは現実から遊離する ζ とになり不当である。 そ ζ で消費財の需要供給め関係、或いは貯蓄と投資、投資と消費財生産の関係の変化を明らかにする乙とが必要であるが、 クィクセルは、利子概念乙そとの場合の説明原理の中核をなすものと考え、自然利子率と貨幣利子率とのカイ離に求めたこと は周知の如くである。 自然利子率と貨幣利子率(貸付利子率)とが一致する場合には、貨幣的均衡の状態が維持され、生産拡張への何らの刺激も なく、物価は不変のま h に停まる。従って貨幣的諸要因は物価に対して中立的であると考えられている。 と ζ ろが、両者がカイ離した場合は、乙れとは事情が異なり、いわゆるヲィクセル的累積運動現象が生ずるのである。いま自然 利子率の主昇或いは貨幣利子率の刑引き下げによって、前者が後者を上回った場合を想定しょラ。向、クィクセルによれば、 ζ 五六 のようなカイ離は銀行機関の信用による貨幣利子率の引き下げか、或いは賃金、地代その他の賃料の低下や技術の進歩による労 ︿ 注 八 ︾ 働の生産力の増大等に起因するものと考えられている。 ζ の場合には、企業の特別利潤が存在し、企業はこの特別利潤の獲得機 会の利用を目指して、生産の拡張を促進し、銀行からの借入資本を増加せしめる。また生産過程の迂固化が有利になる ζ と か らして、消費財生産より資本財(生産側)生産への拡大転化の傾向が見られる。 ζ のような事態発生は、原材料、労働、土地 用役等の生産諸要素に対する需要の増加を招き、従ってまた ζ れらの価格を騰貴せしめ、更には原材料所有者、労働者、地主 等の所得を増加せしめて社会全体の所得の増加を結果することになる。と ζ ろが所得が増加しても、消費財の生産供給は ζ れ に即座に対応し得ないから、・消費財の価格騰貴は免れない。かくして原材料、賃金、土地用役等の価格騰貴に加え、消費財の 価格が騰貴するのであるから、一般物価水準も上昇することになる。尚、クィクセルによれば、銀行を通じて貨幣利子率が自 然利子率よりも可成り低く引き下げられるならば、節約活動が抑制され(即ち貯蓄が減退し﹀、}このことだけか旨りしても消費 財に対する需要を高め、従ってまたその価格を騰貴せしめるのである。以上とは反対に、自然利子率が貨幣利子率以下に低下 した場合、い h 換えれば貨幣利子率が自然利子率よりも上昇した場合には、逆の現象が生じ、物価は累積的に下落するととに なる。乙の類推は容易であろう。かくして自然利子寧と貨幣利子率とのカイ離が存続する限り、物価の変動は累積的に進行し、 ︿ 注 九 ﹀ しかも停止する ζ と が な い 。 それ故ワィグセルは、物価変動を限し貨幣価値を安定化せしめるためには、自然利子率と貨幣利子率とを一致させなければ ならず、物価が騰貴すれば金利を引き上げ、物価が下落すれば金利を引き下げるというような金利の操作が必要であると強調 ︿ 注 一 O ﹀ し た の で あ る 。 以上の如きワィクセル的累積過程の理論において、自然利子率の存在がその重要な拠り所となっているととは明らかであ る。そとで ζ の自然利子率の内容について吟味することにしよう。 クィクセルによる自然利子(率﹀の概念規定は、遺憾ながら多義性を有し
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つ架空的、観念的ですらある。以下は彼の自然利子(率)に対する概念規定である。 ﹁自然的資本利子と呼ぶととろのものは、企業自体の実物利子に接近するものである 場 が 合“、 、 よ 需 り 要 詳 供 し 給 く t ζ い よ え つ ば て 、 l 決 乙 定 れ せ は ら 可 れ 成 る・り 利 拍 子 象 率 的 'とで し は て あ 示 る さ が れ 、 る 貨 も 幣 の(の で注媒 あプ介 る乙な 。く 」 従
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て 自 然 形 態 I乙 お て 貸 付 け ら れ る と 考 え り れ る ﹁貸付利子が物価に対して全く中和的であり、財貨の価格を高めたり、或いは低下せしめたりする傾向をもっていない場合 一般にいささかも貨幣取引を利用する ζ とのない、従って自然の形態における実物資本が貸付けられる場合、需 要供給によって決定せられる利子率と丁度同一である。或いは例えば同一の事に帰するが、その時の自然的資本の形態をいう ( 注 一 二 ) のである。﹂ の 利 子 率 は 、 ﹁如何なる時にも、また国民経済的関係の如何なる状態においても、よって以って物価が上にも下にもこれ以上運動する傾 向を有しないという平均的利子率の高さがあるであろう。我々はこれを平常利子率と呼ぶ。その額は自然的資本利子の同時的 ハ 注 一 三 ﹀ 状態によって決定せられ、またとの資本利子と共に騰濯するに枠連ない。﹂ s e e t ﹁貨幣を利子と引き換えに借入れる者は、通例その貨幣を支払う意志を有しない。むしろ最初の機会においてそれを商品や用 役 と 交 換 し 、 ζ れらを生産目的に使用する ζ とによってた Y にそれら自身の価根に対する等価のみならずそれ以上に或る剰余 価値を獲得せんと欲する。との剰余価値は正に実物的資本利子を形成する。そして彼自身が支払わなければならない貸付利子 はそれに多かれ少かれ相応する。:::・: かくして実物的資本利子率の直接的表現をなすと乙ろの貸付利子を正常と呼ぶ。しかしとの概念そ実際に厳密に盟解し規定 とれにおいては、建物、船舶、械機、 するためには本来の実物資本なる概念を明瞭に説明しておかければならない。勿論、 等々の如き、既に生産に結びついている多少とも固定的な資本は、問題にならない 0 ・ 何 故 な 百 ぽ 、 ζ れの収益は、それが人々 事誘って生産に新資本を使用せしめまたはそれを止めさせ得るという限りにおいて、利子率に間接的影響を及ぼすに過ぎない か ら で あ る 。 ζ の後者、即ち可動的な、自由な、そして不拘束の形態における資本が、 正にここで問題になるところのもので 七八 あ る
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-司さて、貸付資本の需要と貯蓄財産の貯蔵がT
度相一致す忍ような利子率、従って新形式資本の予想的収益に多かれ少なか れ 相 応 す る と ζ ろ の 利 子 率 は 、E
常志たは自然(実物)利子である。それ信、それの本質上、可変的である。もし資本使用 についての見込が以前よりも良好でああならば、貸付資本の需要が増加し、そして最初心瞬間ほ供給宇佐趨過す答。かくして貸 付利子が主騰し、貯蓄の増加を促す。それと同時に企業者の需要が少し抑制される。従って以前よりも少し高い利子率で貸付 ( 注 一 四 ) 市場に再び均衡が成立する。 L ﹁自然的資本利子、即ち生産における資本の実物収益は、他の総のてもののように諸々の変化しかも著しい変化を蒙る。そ ( 注 一 五 ) れは資本そのものが他の事情に等しい場合に節約の続行により増加するならば低下する(その織果として労賃と地代は騰貴す る 。 ) ﹂ 以上の如︿自然利子なる用語に代り自然的資本利子、実物利予、実物的資本利子、正常利子等の様々な呼称が付せられてい る が 、 ζ の自然利子︹率)の概念は結局、 r 貨幣の介在を排除して実物資本の貸借が行われる場合その需要供給によって決定 せられる利子率、川貯蓄と投資の一致に関連する利子率、同物価を変動せL
めずして不変に維持する利子率、同実物資本の収 益に対応する利子率の四つにまとめる ζ とができよう。そ ζ で先ずμ
の場合から検討を加えて行くととにしよう。 貨幣の介在を排除した実物経済を想定すると、企業家が他から実物資本を借入れて生産を行う場合には、その実物資本の貸 付け人に対し代価として一定の実物利予を支払わなければならない。そして ζ の実物資本の借入れ入たる企業家が、 ζ の実物 利子の支払いが可能なのは、投下した実物資本以上に生産物が生産きれるからにほかならない。従って、自然利子(率﹀を実 物利子または実物的資本利子の意味に解せば、根底には実物資本の物理的生産力なる概念が横っている ζ とになる。乙の場 合、限界原理(概念)を適用すれば、自然利子率の成立及び決定は実物資本の物理的限界生産力(ないし限界生産物﹀に依存 す る ζ とになろう。またとれに需要供給の要因を加味しなければならないととからして、との実物資本の物理的限界生産力(ないし限界生産物)は自然利子率の最高限度を示す乙とになろう。ととろで当然問題となるのは、との物理的限界生産力(な いし生産物限界)を如何にして具体的に把握し測定するかという点である。結論からいえば、とれは極めて困難であり不可能 である。もしもそれが可能となるためには、ミルダ
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ルの指摘する如く、実物資本とその生産物とは同種同質の財である ζ と が必要であろう。例えば種子とそれから収穫される生産物としての穀物の如くに。従ってこのような立場からする利子概念 は、現実的には殆んど意義を失うととになろう。それはあくまでも実践性を有し、現実分析に役立つものでなければならな い。また実際の貨幣経済において成立する貨幣利子率即ち金利との比較が可能でなければならない、それには、統一的、共通 的な計算単位ないし価値単位の存在が必要である。 ζ れは結局、貨幣単位即ち価格(単位)にほかならない。従ってミルダl
( 注 一 六 ) ルが、物理的生産力の概念に代えて交換価値生産力の概念を以つでした ζ とは意味なしとしない。けれども、実物資本並びに 生産物と、その貨幣単位としての価格との関係は一定不変のものではなく、貨幣価値の変化、生産過程或いはまた交換過程の 一歩前進せしめて実物資本の収益力ないし限界収益力を以って自然 利子の概念に対応させることがより正当性を有するであろう。従って先の内の概念規定はこのような意味に解せられるであろ 内部の事情如何によって、変化を免れないのであるから、 ぅ。ミルダl
ルが自然利子の概念に対し﹁クィクセルの物理的生産力の代りに、貨幣単位によって計算せられ価格関係を以つ ( 注 一 七 ﹀ 乙れを実物資本の収益率と呼ぶととにしたい。﹂と強調しているのは て表わされると乙ろの生産力の割合というものを用い、 意 義 深 い 。 また貨幣経済下においては次のように組換えして推断する ζ とも重要であろう。 一般に資本の貸借は貨幣資本の媒介を通じ て行われ、そとには一定の貨幣利子率即ち金利が成立するわけであるが、 ζ の金利が成立するためには、 い h かえれば貨幣資 本を借入れた企業家がその金利の支払が可能であるのは、貨幣資本によって調達された実物資本が生産のために投下されて、 その価値以上の生産物を生産し得る点にあると想定せられる。ところが先にもふれた如く、実物資本の物理的生産力或いは限界 生産物なるものはその具体的な把捉の困難性に遭遇する ζ とになり、また実物資本の内容が多種類に分かれ複雑であることか 北。
らして、共通の計算尺度としての貨幣単位即ち価格概念を以ってしでも容易に解決し得るものではない。また更に実物資本の みでは生産はもとより不可能であって、土地、労働力等の他の生産諸要素の存在・結合が必要である乙とも看過し得ない。企 業家が先ず貨幣資本を獲得し、次にとの貨幣資本の投下により土地、労働力、生産された生産手段たる実物資本宇佐調達し、 ζ れら生産諸要素の結合としての生産活動を通じて生産物を生産し、とれを販売するととによって一定の収入を取得するという 過程を経て初めて金利の支払が可能になる。従って金利の成立根拠として、生産諸要素の生産力の関連性が重要であると同時 に、他方では販売実現過程も無視することはできない。か h る意味合いか・りして、自然利子(率)の概念に対し、実物資本の 物理的生産力(ないし限界生産物)或いは限界収益力を以ってするよりも、より広く貨幣資本の限界収益力(ないし限界収益 率)或いは利潤率を以ってする方がより正当であり有用であろう。尚、との場合の限界収益率或いは利潤率は事前的なものと 事後的なものとに区分し得るが、企業活動においては予想ないし期待の要因が重要な役割を果す ζ と か 3りして、前者の方に重 点をおく ζ とがより重要であろう。またか h る点において、後にもふれる如く、ヲィクセルの自然利子率の概念は、ケイシズ のいわゆる資本の限界効率なる概念に発展せしめられる趨勢にあったとも解せられ得るのであるが、との場合の資本は資本資 産(投資財)のみを意味し、労働力とは関連せしめられていない点を看過してはならない。 ところで、以上の如き意味に解せられる自然利子率と貨幣利子率とのカイ離が、基本的には動態現象としての物価の変動を惹 き起すとしても、これに対する対策手段を ζ の両者の一致に求める ζ とは、経済社会の実情からすれば無意義化するものとい わなければならない。即ち、利潤の獲得 ζ そは企業活動の基本的な目様であり帰者点であると同時に、利潤ゼロという状態は 一般的ではあり得ないからである。そして、予想収益率ないし利潤率を変化せしめる経済の内部構造を分析し、乙れとの関連 から物価の変動を明らかにすることが重要であろう。乙の点、ワィクセルの分析は不完全である。 次 V いはの意味における自然利子率について検討しよう。いま何らかの事情で企業における予想収益ないし利潤が増大するも のとすれば、生産活動は刺激され、資本に対する需要即ち投資が増加するから、やがては貨幣利子率の一上昇を招く ζ とになる。乙の貨幣利子率の上昇は、或る程度投資の増加を抑制し、他方では貯蓄の増加従ってまた資本の増加をもたらし、結局、 多少高水準の費幣利子率において、貯蓄と投資を均等化せしめる。そしてとの場合、投資増加は土地・労働力及び資本財等 ζ れらの価格を騰貴せしめ忍から、予想収益率ないし利潤率の低下を招くと共に、結局にお に対する需要の増加をもたらし、 ζ 、みにおいて生産拡強、投資増加に対する刺 激が消滅する。ワィクセルによれば、かくして成立する貨幣利子率は正常利子率としての性格を有し、貨幣的均衡をもたらす いてとれと上昇しつつあった貨幣利子率とを一致せしめる結果になるのである。 の で あ る 。 だが、投資の増加は貨幣利子率を上昇せしめるにしても、貯蓄が ζ れと比例的に増加すると見倣すことは一般的にいって妥当 するものではない。いうまでもなく今日では、貨幣利子率即ち金利の騰落と貯蓄の減増は、直接的な関係を有し且つ貯蓄は金 利の増加函数であるとは見倣されていない。ケイシズが、貯蓄と投資を直接的に関連せしめると ζ ろの古典的な利子論を排斥 し て 、 いわゆる流動性選好説を展開した ζ とは周知の如くである。との点に関しては、後にふれる機会があろう。尚、 i の意味 における利子率は(、け及び同に関連せしめるととができよう。 以上に一旦ってクィクセル理論の骨子を吟味したわけであるが、物価水準の変動を貨幣数量の変化から機械的、皮相的に説明 する古典的な貨幣理論としての貨幣数量説より一歩前進して、経済の実態に立ち入り、貨幣理論と経済理論との結合を企図 し、いわゆる貨幣的経済理論(ないし貨幣的景気理論)の開拓、発展に寄与した ζ とは注目に値しよう。けれども、貨幣的動 態現象を物価水準(消費財価格水準)の変動に吸収し、 ζ れにのみ問題の中心或いは貨幣理論の目標をおき、 (構成)が特殊化し且つ偏狭化した結果に陥っている点を顧なければならない。 そのために理論 また相対的貨幣価格(ないし一般物価水準)とを区別し、前者は単なる価値理論の領域に属し、後者とは係わりのないもの として、それを排斥した ζ とも看過し得ない。ヲィクセルによれば、相対的価格は、吊り下げられた振子或いは皿の上におか その均衡が安定的であって、元の均衡の位置から離れてもやがては必然的にそれに復帰するが、乙れに対し れ た 球 の よ う に 、
て後者は、平面上の球のように、何らかの事情ないしカによって動く場合、無差別的な新しい均衡の位置に停まるのみで、元の ( 注 一 八 ) 均衡の位置に復帰する乙とはあり得ないとされている。従って、相対的価格或いは個別的価格の変化が閑却されている乙とは いうまでもなく、貨幣理論と経済理論の絶合の試みは不成功に終り、また貨幣数量説からも脱却してはいない。 更にクィクセルによれば、先にも述べた如く、自然利子率が貨幣利子率を上回った場合、投資活動を刺激し生産拡張が起 り、労働力、原材料、土地用役等の生産諸要素に対する需要の増加を招き、従ってまたそれらの価格も騰貴して行くと共に、 生産過程が迂固化され、或る程度、消費財生産段階から高次の生産段階へ生産力が移行するものとされている。 そ ζ には、完 全雇用が前提されている乙とは明瞭であろう。またクィクセル自身、完全雇用の状態が存在するかどうかは第二次的なもので ( 注 一 九 ) あり、完全雇用の状態を仮定して分析する ζ とは何ら差支えるものではないと強調しているのである。 ζ の点にも問題があろ ぅ。即ちか h る立場に立脚した理論は、 それだけ特殊化し、
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つ現実から遊離するととになるからである。 関 ロ ロ 件 当 時n
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∞ ・ 血 旦 崎 稔 訳 ﹁ 金 利 と 物 価 ﹂ 高 陽 書 院 版 、 昭 和 一 二 年 、 一 1 主 頁 由 民 崎 稔 訳 、 前 掲 替 、 二 七l
二 九 頁 豊 崎 稔 訳 、 前 掲 書 、 三Ol
三 一 頁 農 崎 稔 訳 、 前 掲 香 、 五 九 頁 最 崎 稔 訳 、 前 掲 書 、 三 頁 関 口E 4
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血 管 ロ 包 O W O S S W -H ω 一 M M ・ 堀 経 夫 ・ 三 谷 反 士 ロ 共 訳 ﹁ 国 民 経 済 学 講 義 ﹂ 第 二 券 ( 貨 幣 ・ 信 用 ) 高 陽 書 院 版 、 昭 和 一 四 年 、 一 八 八l
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遺・傍島省三訳﹁ミルダセ貨幣的均衡﹂実業日本之佐版、昭和一八年、二六l
二 七 頁 ︿ 注 八 ) 農 崎 稔 訳 、 前 掲 書 、 一 六 七 頁 ︿ 注 九 ) 豊 崎 稔 訳 、 前 掲 替 、 一 一 三 、 一 七O!
一 七 一 頁 ︿ 注 一O
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島 崎 稔 訳 、 前 掲 書 、 二 一 七l
-二九頁 ︿ 注 一 一 ν 襲 崎 稔 訳 、 前 掲 書 、 三 頁 ( 注 ご ( 注 ニ ) ( 注 = 一 ) ( 注 四 ) ( 注 五 ) ︿ 注 六 ) ︿ 注 七 ) 堀 ・ 三 谷 共 訳 、 前 掲 書 、 二 三 O │ 一 三 二 頁 傍 島 訳 、 前 掲 書 、 二 七 1 三 二 頁︹ 注 = 一 ) ( 注 = -一 ) ( 注 一 四 ) ( 注 一 五 ) ( 注 二 八 ) ( 注 一 七 ﹀ ︿ 注 一 八 ) ( 注 一 九 )
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島 島 崎 稔 訳 、 前 掲 書 、 一 二 二 頁 嬰崎稔訳、前掲書、一四三頁 堀・三谷拭訳、前掲書、二二六l
二 二 九 頁 堀・三谷共訳、前掲書、二四三頁 傍島訳、前掲書、六一│六三頁 傍島訳、前掲書、六七頁 農崎稔訳、前掲書、一二のl
一一二頁、堀・三谷共訳、前掲番、二三三l
二 三 四 頁 堀・三谷共訳、前掲喬二一三頁 ハ イ エ ク の 貸 幣 的 景 気 理 論 ウィクセルの理論を吸収しつつ、ミーゼスの示唆を媒介とし、貨幣浬論と経済理論とを結合して景気変動理論にまで発展せ ハイエクの理論は貨幣的要因を重要視すると ζ ろの貨幣的景気理論として しめた代表的な学者としてハイエクがあげられる。 の性格を有するものであり、周知の如く﹁貨幣理論と景気理論﹂(の0
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ゼスにおいても、貨幣価値の変化を以って問題の主要な対象とし、不均衡現象に関しては、単に貨幣価値変化の結果と して見倣される場合においてのみ、 ζ れを論じているに過ぎない。けれどもミl
ゼスは、貨幣価値の変化という概念を拡張し て解釈しており、そして貨幣的影響として変化せしめられる利子歩合の及ぼす作用を分析し、諸種の生産部門聞の不均衡的発 展及びこれに基づく所得構成の変化までも論及している点を看過してはならない。 以上述べた関係からして、 ハ イ エ ク に よ れ ば 、 一般物価水準ないし貨幣価値の変化は貨幣的景気理論の本来の特質・対象を なすものではなく、また景気理論とは殆ど関連性をもたないのであって、景気理論の重要点は、貨幣的要因殊に貨幣数量の変 化並びに自然利子率と貨幣利子率との乗離が個別的価格もしくは相対的価格を変化せしめ、そして経済の均衡状態の撹乱、即 ち生産機構の変化または生産財と消費財との生産関係の不均衡を惹起する事実に存在するのである。それ故ハイエクは次の如 ﹁ ミl
ゼス及びクィクセル理論の、一般貨幣価値の変化を説明する部分を放棄し、市して自然利子率と貨幣利子 率 ( 貸 出 利 子 率 ) と のr
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離が、資本財(生産財)と消費財の生産の相対的展開に及ぼす影響ハとれは既にミi
ゼス教授によっ く 強 調 す る 。︿ 注 二 ) て著しく研究が進められたが)に関する部分を十分に発展させるべきである﹂と。 景気変動を惹起する根本的原因であり、 ところで、貨幣的要因としての貨幣数量(銀行信用を含む)の変化或いはまた自然利子率と貨幣利子率とのカイ離は、循環的 それに対する必要にして且つ十分な条件であると共に、現下の貨幣信用制度にベおいて は必然的に生ずると ζ ろの固有なものである。殊に貨幣利子率(貸出利子率)の自然利子率一以下への低下は、必ずしも銀行の 恐意性ないし取りきめによるとは限らず、子想収益の好転、或いは貯蓄に対する需要と供給との関連か冒りする自然利子率の上 ( 注 三 ) 昇に基づく場合もある。かかる意味合いからして、貨幣的景理気論は内生的景気理論としての性格を有するのである。 貨幣数量の変化に関しては、発券銀行たる中央銀行は、とれを自由裁量に規制し得るわけではなく、且つその唯一の機関でも ないのであって、却って他の要因に受動的に依存せざるを得い場合が多く、そしてただ単に、或る程度まで、それに影響を与 え或いは補整し得るのみである。 一固において貨幣の数量を調節せしめる三つの要素が存在する。即ち
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金の流出入によって 生ずる正貨流通量、 い中央銀行の銀行券流通高の増減、口一般銀行(商業銀行)による預金創造(信用創造)が ζ れ で あ る 。 刊に関しては貿易に影響されて正貨流通量が増減しても、貨幣利子率(貸出利子率)の動きを通じて生産機構を変化せしめる 程のものではなく、またハにおいても、銀行券発行高と正貨準備保有高との密接な関係を維持すべき制約条件により、通貨膨 眼の原動力としては取るに足りない。最も重要なのはわの商業銀行による信用創造である。銀行組織全体としてみた場令、或 る銀行における新預金としての現金の受入れは、 一定の支払準備率の確保、小切手の授受及び取引銀行への振込みを通じて、 その何倍かの貸出増加即ち信用創造を行う ζ とが可能なのである。また新預金としての現金の付加的増加がなくしても、信用 需要が増加した場合に、銀行組織全体からして信用創造が行われ得る。 ζ れは預金に対する支払準備(現金準備)率の引き下 げを通じてであるが、他方必ずしも金利の引き上げを誘発しない。即ち銀行聞に競争が存在するからであり、もしもそれを行 えば他の銀行に顧客漣辱われるからである。 っ て 現 金 準 備 が 隷 品 ζ れをそのまま手許に保有する ζ とは不利であるから、信用の拡張を行うことになろう。そして信用 一銀行或いは数銀行が信用を拡張するならば、 その他の銀行は現金受取の増加従 五一 六 の拡張が一般的に行われるようになると、各銀行は信用需要の増加に応ずぺく、仮りに永続的でないにせよ、支払準備(現金 準備)率をあえて引き下げようとする。というのは、 一銀行のみが信用を拡張するならば、 その銀行はたちまち手形交換尻に おいて現金の不足に遭遇するが、すべての銀行が同一程度に信用を拡張する場合には、相殺されて現金流出は比較的少額に停 まるからである。また歩調を合わせようとしない特定の銀行があるにしても、手形交換尻を通じて現金受取が継続的に増加す ることか冒りして、やがてはその銀行は信用拡張を行うようになる。かくして信用需要の増加に応じて全般的に信用拡張が行わ れ る の で あ る が 、 これは無限に行われ得るものではない。即ち現金準備の擁護、各銀行に先立つ中央銀行の割引率の引き上 げ、或いは小切手払いに対する現金払いの割合の相対的増加従って現金引出等に直面し、銀行は貸出を抑制するか或いは回収 によって従来の貸出を縮減せざるを得ないという事態に陥るからである。 ζ とにおいて恐慌が誘発されるのであるが、かかる 事態は必ずしもその必要条件ではない。単に貸出増加を停止さえすれば、恐慌発生の十分条件となり得るのである。 貨幣数量の増加によって自然利子率以下の水準に維持されて来た貸出利子率は、右の如き事態において、その数量増加が一 ( 注 四 ﹀ 日一停止すると前者の水準にまで上昇するのである。以上の論点を基礎にして、ハイエクは次のように強調する。﹁循環的変動 の決定的原因は貨幣数量の可変性のために、銀行の要求する利子率が常に均衡利子率(自然利子率に相当する﹀と等しくな ( 注 五 ) く、却って暫くは銀行自身の資産流動性の考慮によって決定されるという事実に帰する﹂と。 である点に留意しなければならない。 以上に亘って述べた如く、景気変動は貨幣的要因に基づいて発生するのである。しかしこの場合、生産構造の変化を通じて ﹁諸価格と生産﹂第二講﹁消費財生産と生産財生産との均衡条件﹂に と れ ら の 関 係 は 、 おいて説明されている。そ乙で、 ハイエクによる説明を極く要約的に吟味する ζ と に し よ う 。 ハイエクは、先ず生産構造の分析から出発する。第一図は生産構造を単純化して示したものであり、 との図において、生産 物は一つの生産段階から次の生産段階へと等しい間隔を以って不断に移転するものとされ、生産段階は四つに分けられ、
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つ 平均生産段階は二つになっている。第一段階においては、本源的生産手段(土地と労働を意味する)八を投下し、中間生産物本=庭的注定手段
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に等しい。そ ζ で 消 費財に対する貨幣支出額と中間生産物に対す 答それとの比は、消費財に対する総需要と中 間生産物に対する総需要との比、並びに消費 財産出量と中間生産物産出量との比に相等 即 し ち 、 一 回 対O
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デ守・ 八 と ζ ろでハイエクは、生産構造の変化を生 産財に対する需要と消費財に対する需要との 相対的変化に関連させて把握しようしてい る 0 . もしも生産財に対する総需要が消費財に 対する総需要と比較して相対的に増加するな らば、生産構造はより高度の資本制的生産方 法(本源的生産手段が生産に投下されてから 消費財に完成する迄の平均生産期聞を長期化 しようとする方法)へ推移する。 ζ れに反し て相対的に減少するならば、生産構造はより 低度の資本制的生産方法へ推移することにな る。何故ならば、生産財に対する需要が消費 財に対する需要と比較して相対的に増加する 場合には、生産財の価格は消費財の価格より も相対的に騰貴し、従って利潤率もより高く なり、生産財生産の方が有利となるからであ る。
一般的にいって、景気上昇期において は、生産財生産は消費財生産と比較して優越 的な不均等発展をし、その生産過程が迂固化自
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-される傾向があるという実情からすれば、 ハイエクのかかる理き肖脅助走出量
論は一応首肯され得るであろう。 それでは一体如何なる原因によって、生産財に対する需要と 消費財に対する需要との相対的変化が生ずるであろうか。とれ に関し、ハイエクは自発的貯蓄が増加した場合と信用創造によ って貨幣数量が増加した場合との二つの原因をあげている。そ とで先ず前者による生産構造の変化から考察するととにしよ- つ 。
ハイエクはとの場合第一図の状態から出発するのであ忍が、 乙れは遊休諸資源の存在しない静的均衡状態即ち完全雇用の均 衡状態を意味してい忍。いま消費者が一期間の所得額のうちの 四分の一を貯蓄し、且つ ζ れを投資するものとする。即ち所得四O
の う ち 一O
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つ投資されるわけである。そうす 忍と結局、消費財に対する需要と中間生産物に対する需要との比は、四O
対八O
から三O
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、即ち一対こから一対三べs z u
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と変化するととになる。 ζ の状態を示せば第二図のようになる。 ζ の図は第一図に対して生産段階数が四から六に、平均生産 期聞はニから三に変化している。かくして自発的貯蓄が増加するならば、生産財に対する需要は消費財に対する需要と比較し て相対的に増加し、生産構造は長期化して新たな安定的均衡状態が成立する。第一図の状態と第二図の状態とを対照すると、 両者とも全体の貨幣数量は一定不変であって、たとえ生産構造が変化しても貨幣はその均衡状態の成立を阻止すあ何らの作用 を 有 し な い 。 それでは貨幣数量が変化した場合には、生産構造に如何なる変化を及ぼすであろうか。ハイエクは、 ζ の場合を生産者に対 九o
しで信用創造が行われた場合と、消費者に対して信用創造が行われた場合とに区分して考察している ι 先ず生産者に対して信 用創造が仔われた場合から出発しよう。 第一図の均衡状態において、いま生産者ヘ四O
の信用が新たに供与されたものとしよう。そうすると、それから結果する生 ︿ 注 八 ) 産構造の変化は第三図のようになる。第三図においては、消費財に対する需要と中間生産物に対する需要との比は四O
対一二O
即ち一対三となり、且つ平均生産期聞は第二図の場合と同様に三となる。第二図に対して第三図は、各生霞物の貨幣価格が 三分のてだけ増加したに過ぎないように思われるのであるが、他のはるかに重要な相違が時の経過と共に現われててるのであ る。上述じたように、自発的貯蓄の増加によって生産構造が長期化され迂固化される場合には、安定的均衡状態が永続する。 何故ならば、自発的貯蓄の場合には、個々人はそれぞれ自発的意志に基づいて、増加する貨幣所得のうち消費支出する部分を 減らし、他の部分を貯蓄し、且つ投資する ζ とからして、消費財に対する需要が生産財に対する需要と比較して相対的に減少 するからである。或いは両者の比率は大して変化しないからである。と ζ ろが生産者へ新たに信用が創造された場合には、全 く事態が異なってくる。即ちハイエクによれば、生産者へ新たな信用創造がなされた場合には、自発的貯蓄の場合と異なり、 消費者は貨幣所得からの消費支出を削減する ζ とが殆どあり得ず、貨幣所得が増加すれば消費財に対する需要は増加するから である。もしも消費財に対する需要と中間生産物に対する需要との比率が旧比率の一対二に戻ったとするならば、生産構造は ︿ 注 九 ) 第四図の如く再び平均生産二期聞に短縮化する。との生産構造の短縮化は恐慌を伴うのである(この経過については後述する )。第四図の場合において、諸財の貨幣価値の総量は一六O(H
四O+
一 二O
)
であり、とれが一対二に八プ制されるのである から、消費財の総貨幣価値は五三・三、生産財の総貨幣価値は一O
六 ・ 六 と な る 。 次に、消費者に対して信用が供与された場合にはどうなるであろうか。第二図の均衡状態において、いま消費者へ一五の新 たな貨幣が供与され、それが消費財購入に支出されたものとする。その結果は、消費財に対する総需要と中間生世間物に対する ( 注 一 O ) 総需要との比が四五対九O
即ち一対二となり、従って平均生産期間はこに縮減する。即ち第五図の状態となる。上述の如く、消費財に対する需要と生産財に対する需要との相対的変化に基づいて生産構造が変化するのであるが、 ク は ζ の相対的変化からする生産構造の変化を﹁価格差﹂(耳目
82
括宮)の概念に係わらしめている。価格差と ζ の相対的 変化並びに生産構造との関連については﹁諸価格と生産﹂第三講﹁信用循環過程における価格機構の作用﹂において論述され ている。価格差の概念について、ハイエクは必ずしも明確な説明をしていないのであるが、価格差は、或る生産段階における ハ イ エ 生産物か=りする貨幣取得額とそ乙において使用されたすべての財及び用役に対して支払われた貨幣額(生霞費﹀との差、即ち 利潤(利子を除く)を意味するものと解せられる。との価格差は、生産過程が迂固化され長期化されるにつれて小さくなり、 ζ れと反対の場合には逆になるのであり、また一つの均衡状態から他の均衡状態ヘ推移する期聞においては、各段階において それぞれ相異し、利子とも一致しないのであるが、均衡状態が達成されるならば、各生産段階において同一となり且つ利子と ハ 注 一 一 v も一致するのである。更にハイエクによれば、価格差は消賓財に対する需要と生産財に対する需要との相対的変化に基づいて 変化するのである。そしてハイエクは、 ζ の価絡差の変化を自発的貯蓄に基づく場合と信用創造に基づく場合とに区分して考 察 し て い る 。 いま自発的貯蓄の増加によって、消費財に対する需要は相対的に減少した場合、逆にいえば生産財に対する需要は相対的に 増加した場合を考えてみよう。消費者が所得の多くの部分を自発的意志に基づいて貯蓄し且つ投資したために、生産財に対す る需要は相対的に増加し、消費財に対する需要は相対的に誠少するならば、その結果は生産財の価格が相対的に騰貴し、消費 財の価格は相対的に低溶するであろう。しかしながら、各種の生産財は同じ割合で騰貴するのではなく、また例外なしにすべて が騰貴するのでもない。何故ならば、消費財生産段階に最も近い生産段階においては、消費財価格低落の影響の方が生産財に 対する需要の・一般的増加の影響よりも強く作用し、従って乙の種の生産段階における生産価格は低落するからである。而して 資 金 を よ り 後 九 の ( 低 次 の V 段階で使用するととは、より初めの(高次の V 段階で使用する場合よりも不利となる。そ ζ でより 後百段階で使用されていた資金はより初めの段階へ移動する。 .•ζ の場合には、より初めの段階における価格差の方がより後の段階における価格差よりも大である。このことは、より初め の段階においてより大なる利潤が得られるととを意味するわけである。そとで、種々の生産段階において使用され得ると ζ ろ の﹁非特殊財﹂官
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安己的)がより初めの段階へひきつけられ移転する。 ζ の結果は一般に非特殊財の価格が騰貴 し、より初めの段階で使用され忍 ζ れらの非特殊財は以前よりも増加するととになる。そしてより後の生産段階における価格 差の相対的低下は、 ζ れまで有利でなかったより初めの生産段階における生産を有利にし、従ってその生蒔活動を活発化させ 迂回生産過程を益々延長化させて、各生産段階における利潤の差がなくなるまで継続させて行くのである。ハイエクはとられ の関連を次のように説明している。﹁ ζ の相対的価格の変化は不可避的に種々の段階における利潤の期待に影響する傾向があ るに相違ないし、またとれは、順次に利用し得る生産財の使用における変化を惹起する傾向があるであろう。種々の生産段階 において使用され得る生産財l
非特殊財ーのより大きな割合は、貯蓄の変化から相対的に高い価格が得られるととろのより初 めの段階にいまやひきつけられるであろう。そしてとのタイプの財や用役の移行は、 ζ れらの殴階における収益の減少があら ゆる段階で得られる利潤ぞ均等化して了うまで継続するであろう。結局、種々の生産段階におけるとれらの財に対して得られた 収益と価格とは一般的により高くなり、そしてとれらの財のうちのより大きな割合は以前よりもより初めの段階に使用される のである。より後の生産段階聞の価格差の狭小化は以前に利益がなかったより遠方の段階における生産存開始することさえも 可能にするであろうし、更にまたかくして、本源的生産手段の最初の一単位使用と最終生産物の完成との聞にまで継続する平 ︿ 注 一 二 ) 均生産期間だけでなく、また生産過程の絶対的長さもl
生産段階数l
は増大されるであろう。﹂ かくして自発的貯蓄に基づいて消費財に対する需要が相対的に滅少す忍ならば、価格差は一般的に減少し、生産期聞は長期 化して新たな安定的均衡状態が達成されるのである。更に上述した如く、もとの均衡状態から新たな均衡状態べ推移する過程に おいては、各生産段階における価格差はそれぞれ相違し、利子率とも一致しない。しかしながら新たな均衡状態においては、 価格差は各生産段階において均等になり、且つ利子率に一致する。 ζ のような利子率(並びに価格差)をハイエクは均衡利子率
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ロ 忌 耳 目 ロS580
片 山 口 同 冊 目 白 件 ) と 呼 ん で い る 。 次に生産者に対して信用創造が行われた場合にはどうなるであろうか。との場合には生産財に対する需要が消費財に対する 需要と比較して相対的に増加し、当初のうちは、先の自発的貯蓄増加による場合と同様に、生産過程は迂固化し生産期聞は長 期化するのである。即ち低い利子率で信用の供与ぞ受けた企業家は、より高度の資本制的生産方法を採用する ζ とが有利とな り、従って生産財に対する需要が増加しその価格は騰貴するからである。 ζ のように迂固化され長期化された生産構造は、やがて間もなく、相対的な消費財需要の増 と ζ ろがハイエクによれば、 加従ってその価格の騰貴によって、反転が起り、短期化される至るのである。生産者への信用創造によって生産構造が迂回化 され長期化される場合には、 一方では消費支出は減少せず、他方ではやがて消費財生産の減退化がみられるからである。生産 財はより高次の生産段階へ移転し、生産過程が迂固化しても、何れ増加すべき筈の消費財はいまだに市場に出廻って来ない。, 従って消費財の供給は需要に対して過少となり、その価格は生産財のそれと比較して相対的に騰貴する ζ と に な る 。 しかも 生産過程の迂固化において、 費の非自発的縮小即ち強制貯蓄を余儀なくされるに至る。 一般的に貸幣所得が増加するのであるから、 ζ の 傾 向 は 一 一 層 顕 現 化 し 、 と ζ において消費者は消 しかしながら ζ の場合、生産者への信用創造が継続されて、消費財に対する需要の増加が相殺されるならば、その価格は相 対的に騰貴せず、生産構造の短縮化をもたらさないのであるが、銀行は信用を無限に拡張し続けるととは末可能であるから、 やがてはそれを停止せざるを得なくなり、 ζ とにおいて消費財価格の相対的騰貴そ招舎、生産構造の嬬縮化帯耕果するのであ る。かかる生産者への信用創造の停止は、消費者への信用創造が行われた場合と同一色結果をもたらすのである。 消費財に対する需要の相対的増加、従ってその価格の相対的騰貴は、消積財生産段階並びにそれに近い段階における何格差 をより高次の段階におけるそれよりも大ならしめ、非特殊財、移動し易い中間生産物をより高次の段階からより低次の段階べ 移転せしめると共にそれらの価格を騰貴させる。 ζ のため特殊財、非移動性の中間生産物ば過剰となって、 これらの価格が下ヱ 四 落し、生産も不利となる。との価格下落は累積的であるから、生産過程の迂固化、長期化は不利となって生産構造が短縮化さ ( 注 一 三 ﹀ れるのであり、しかも忠
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高次の段階における生産活動は可成り突然に停止する。 ζ とにおいて恐慌が発生するのである。 ハイエクは第三講において以上の如き理論を展開して後、結論的に次のように述べている。 らば、不況に対する救済策として最近非常に強く擁護怠れてきたと ζ ろの消費者への信用の供与が事実上全く反対の効果を有 ﹁もしも上述の分折が正しいな する jであろうととは可成り明白となるであろう、即ち消費財に対する需要の相対的増加はたて事態を一一周悪化させ得るだけで ある。生産土の官的に対して供与された信用の効果に関する限勿事態は全くそれほど単純ではない。理論上、資本制生産構造 は、究極において必要であると判明するよりも縮小する傾向にある恐慌の深刻な段階の時期に、生時者への信用膨脹は健全な 効果を有するかも知れないというととは少なくともあり得るのである。 吏に、もしも我々が実際の恐慌の瞬間からそれに続く不況の状態へと経過するならば、どんな永続する良好な効果が信用膨 緩から生じ得るかを知る ζ とはより一一層困難でおる。健全な状態ぞ確保するために必要とするものは、自発的貯警と支出とに ふって決定さ'れる消費財に対する需要と生産財に対する需要との閣の比率への生産構造の可能にして最も迅速な且つ完全な適 応である。個々人の自発的決意によって決定されるその両者の比率が人為的需要の創造によって奈曲されるならば、利用し得 る諸資源の一部分は再び誤った方向へ導かれそして永続的調整が再び延期されるというととを意味しているに相違ない。更 に、不稼動な諸資源の吸収がこのように迅速化されたとしても、新しい撹乱と恐慌のために既に靖子が蒔かれているという ζ ︿ 注 一 四 ) とのみを意味しているものと恩われるのである。﹂ 以土に一旦って述べた理論か=りして、貨幣数量の増加しない自発的貯蓄により生産構造が迂固化され長期佑されるならば、新 たな安定的均衡状態が成立する切であるが崎貨幣数量の増加によって生産構造が迂固化され長期化され或いは変化するなら ば‘新たな安定的均衡状態の達成は不可能であり恐慌をも誘発し兼ねないのである。従って貨幣数量を不変に維持する ζ と が 望ましく、との場合、貨幣的要因は生産構造に対し積極的、撹乱的作用を及ぼさず中立的であると考えられるととになる。 ζれがいわゆるハイエクの﹁中立貨幣論﹂(或いは中立貨幣政策)の立場である。クィクセルにおいては、物価水準を不変に保 ち貨幣価値を安定せしめるととろに中立貨幣論の意義があるのであるが、とれに対しハイエクにおいては、物価水準を不変に 維持する ζ とは必ずしも経済を撹乱させず且つ安定せしめるものではないのであって、貨幣数量の不変性を通じての相対的価 格の安定、生産構造の安定的衡状態、恐慌の防止という点にその特色が求められ忍のである。 ハイエクはとの・中立貨幣論を﹁ 諸価格と生産﹂の第四講において詳細に敷街しているのであるが、 ζ れが妥当するためには特殊な諸前提が必要であり、しか も彼自身 ζ の実際的な適応・施行が困難であり不可能であるとしているととからして、 と﹄ではとれにはふれず割愛しよう。 後ほど、以上に亘って述べたハイエク景気理論の誤謬ないし弱点を指摘している点もとの大きな理由の一つである。 かつてハシセシ(﹀守山口出回目ロ自﹀とタクト(出向 V03 叶 C ロ 件 ) が 、 エコノメト H ノ カ 誌 、 一九三三年四月、第一券第一号に と で ζ の命題にふれる ζ と に よ り 、 ハイエク景気理論(﹁諸価格と生産﹂における)の全体系をあらゆる角度から検討して一
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命題に要約している。そ ハ 注 一 五 ) ハイエク景気理論の吟味をより一一層完全なものにしたい。その一O
命題は次の通りであ お い て 、 る 命題一。不況は生産構造の収縮(即ちその資本制過程の短縮)によってもた=りされるというとと。 ハ イ エ ク の 見 解 で は 、 一 小 況の現象は生産構造の収縮である。動態的諸勢力は経済生活上の種々の結果をもたらすであろうが、もしもそれらが生産過程 を短縮するという特別の結果をもたらさないならば、不況はかつて生産構造の収縮以外の形式をとった ζ とはない。要する に、不況は資本制的生産構造の短縮であると定義きれるであろう。 命題ニ。直接或いは間接、生産過程の短縮をもたらす主要な原因は(しかしながら、他にも原因はあるが)、強制貯蓄( 同 080 色 白 釦4
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ぬ ) の 現 象 で あ る 。 命題一ニ。自発的貯蓄によって惹き起された生産過程の延長は依然としてその俸に留まる傾向があり、或いは少なくとも、 ζ のような延長は生産構造の収縮を必然的に随伴しなければならないという固有の理由は存在しない。 二 五一 一 占 ハ 自発的貯蓄の増加は消費財と比較して生産財に対する需要の増加を惹起するであろうし、またこれはより低次の生産段階に おける財の価格と比較してより高次の生産段階における財の価格を騰貴させるであろう、かくして、その結果としての価格差 の狭小は、或いはい h か え れ ば 、 より低い利子率は、生産過程の恒久的な延長を可能ならしめるであろう。 命題四。強制貯蓄によって惹き起された生産過程の延長(貨幣供給が中立的に保たれなかったが故に)は恐らく恒久的には 維持され得ず、生産過程の短縮を必然的に随伴するに相違ない。 企業家の利用し得る貨幣供給(銀行信用﹀の増加は消費財と比較して生産財に対する需要を増大させるであろうし、より低 次の段階における財の価格と比較してより高次の段階における財の価格を騰貴させるであろう。しかしながら、 その結果とし て生ずる生産過程の延長は維持され得ないであろう、何故ならば消費と貯蓄の習慣は変らないという事実のために貨幣供給が 増加することを停止するや否やより高次の段階とより低次の段階との財の価格関係の蹴倒が現われるであろうから。かくし て、人為的に延長された生産過程の収縮は不可避的に生ずるであろう。 命題五。貨幣供給の増加(貨幣の中立を保持するに必要な程度を越えて﹀によって惹き起された消費者の需要の増加は不可 避的に生産過程の短縮をもたらし、 そして ζ h において不況を招来するのである。直接に消費者に利用される貨幣の供給は生 産財と比較して消費財に対する需要の増加を来すであろうし、 そ し て ζ れは不可避的に生産過程の短縮をもたらすであろう。 命題六。過度の公共支出及び課税は、貯蓄に対する消費の比率を高めるととによって、生産過程の短縮を余儀なくさせそし て 乙 h において長引いた不況或いは景気滞停を招来するであろう。 消費の増加は生産財と比較して消費財に対する需要の増加を来すであろうし、 そしてとれはより高次の段階における財の価 格と比較してより低次の段階における財の価格を騰貴させるであろう。その結果によるより高次の段階とより低次の段階との 閣の価格差の拡大は、或いはい h かえれば、より高い利子率は、 それ故に、生産過程の短縮をもたらすであろう。 命題七。貨幣供給は、川流通速度の変化を相殺するために、門企業の合同等によって惹き起されるような貨幣取引係数の変
化を妨げるために、同発生し得る帳簿信用のような非貨幣的支払手段の何らかの変化に備えるために必要と思われる増減を除 いては、不変に維持されなければならないというとと。(かくして不変の貸幣供給と中立的貸幣供給との区別がなされるのであ る。) 命題八。貸幣供給の何らかの変化(貸幣を中立的に保持するために必要である場合は別である﹀、結局、生産過程の短縮を 必然的にもたらすが故に有害である。 ( a ) もしも増加せる貸幣供給が企業家の手に帰するならば、生産過程は、先ず最初は 延長されるが、しかし、 その結果として、必然的に短縮されて、もとの状態に戻るか、或いはもっと短い過程に民るのである の で あ る 。 ( b ) 増加せる貸幣が先ず最初に消費者の手に帰するならば、生産過程の短縮は直ちに起り、 そしてその過程は永続 的に短縮した俸に留まるのである。 命題九。生産と取引との増加は銀行信用の増加を正当化するものではない。 命 題 一