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J・S・ ミルの公債論に関する一試論: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

J・S・ ミルの公債論に関する一試論

Author(s)

平良, 恵三

Citation

沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 10(1): 1-18

Issue Date

1970-09-28

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/11025

(2)

1

s

・ミルの公債論に関する一試論

J

.

S

・ミ

J

レの公債論に関する一試論

平 良 恵

はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・…・・・…-……・・・・・…………・・・・・・・・・…・・・・・・…1 ー ミノレの分配政策の概要...・H・-………...・H・..…...・H・...・H・H・H・...3 ー ミノレの公債選択の条件・……・-…...・H・-…H・H・...・H・...・H・...…6 四 ミ1レの公債償還・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11 1 即時償還方法...・H・...・H・...・H・...・H・....・H・..…...・H・..11 2 財政余剰による償還方法・…....・H・...・H・...・H・...・H・...13 玉むすび………...………・………

1

7

はじめに

古典学派の経済政策論は生産偏重の自由論と分配に重点をおく平等論に 区別することができる。スミスが、国富増大のための理論と政策論を以っ て公債排撃論を展開したのは、衆知の通りである。又分配を左右する諸法 則を決定することが経済学の主要課題とするリカードは、公債に対し寛大 (1) な態度をとった。しかし、スミスやりカードは、自由放任政策をもって国 民の物質的福祉の増大をはかることを目的とした生産政策論であった。 ところがミノレは、生産の法則と分配の法則を区別する理論を展開しなが ら、分配政策に重点をおく経済政策論を展開したのである。彼は、富に関 する条件は物理的真理の性質を帯びているものであって、意のままに左右 されることは全くない。およそ人間の生産する全てのものは、外物の素質 (2) と身心の天性の定めに従って生産しなければならないとし、生産法則の人 為的変更の不可能を主張する。他方、富の分配については、専ら人為の制 - 1ー

(3)

1

s

・ミルの公債論に関する一試論 度である。物が存在すれば、個人又は団体にせよ自分の欲するままに処分 することができる。その処分を如何なる人にも任すことができるし、これ を与える条件も自由に定めることができる。したがって分配は、社会の法 律、習慣によって定まる。その規律は社会の支毘階級の意見、感性のまま に形づくられ、しかも時代文は国を異にすることによって大いに異るので (3) あるの ・このように生産の法則と分配の法則を区別したミルは、公債に関しては 分配政策に重点をおきながら考察している。生産の増加が必要であるのは 未開国のみであり、最も進歩した国においては、より良き分配こそ必要で (4) あるとしたのがこれである。 このようなミルの公債論は、古典学派のそれを修正したものであろう。 このことを分配政策との関連において考察しようとするのが拙稿の課題で ある。 尚、本稿は沖縄大学研究助成によってできたものである。 〔註

J

1 沖大論議第6巻第2号 拙 論

2

J

.

S. Mi11 Principles of political Economy

with some of their applications to social phi1osophy, edited with an intro -duction by Sir W.

J

.

Ashley

M.A

M. Com.

pH. D

Longmans

Green and co

L TD.

1929 p. 199. 戸田正雄訳 ミル経済学原理 (2)P 5 3

J

.

S. Mi11 : ibid

p200 戸岡正雄訳前揚書(~). P 6-7 4 ].S. Mi11:ibid p 179 戸田正雄訳前揚書 (4) P 92 - 2ー

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1

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・ミルの公債論に関する一試論

ミルの分配政策の概要

ミルは既述の如く生産の法則は人為によって左右されないが、分配の法 則は人為・制度によって左右されるとなした。したがって、ミルの経済政 策論は平等の分配に重点をおく分臨論を支柱としている。けだし経済政策 が人為的制度に大きく依存していることは多言を要さないであろう。彼は 後述するように公債の考察に当っては、分配に重点をおいて展開している のである。 ところで、彼が生産の法則と分配の法則を区別したことは矛盾といわね ばならないだろう。彼は生産要素の一つに資本を挙げるのである。この資 本が貯蓄を源資とすることは論を要しない。即ち所得→消費の節約による 貯蓄→資本である。換言すれば、分配制度→所得→貯蓄→資本である。故 に生産の法則も分配の法則と同様結局は人為的法則ということができょ う。したがって、ミルが生産の法則は人為的に左右することができないと し、分配の法則と区別したととは矛盾といわねばならない。 ミルは、このように生産・分配の区別論を展開しながら、これを貫くこ とはできなかったのである。この証明のために例証を挙げることは容易で ある。彼は不生産的な物を消費すれば、社会はそれだけ貧しくなり、生産 (1) 的支出のみが社会を富ますであろうとした。又彼は、資本家や地主が著修 品支出を中止し、貯蓄へ振り向け資本を増加すれば、賃金増加か、若しく は雇用増加され、労働者階級への分配が糟加する。分配が増加された労働 者は資本家に変って著イ多品の消費を行うから雇用の減少には結びつかな い。したがって、富を増加するものは、決して消費者の不足でなく生産者 及び生産力の不足である。およそ資本が増加すれば、雇用量も増加し、生 産総高益々増加する。若し雇用量の増加がなくても、分配が増加すれば、 労働者階級は分配の増加による刺激により一層努力し生産物の増加をする (2) とミルは主張する。これは、彼が生産・分配の区別をしながら無意識的に - 3ー

(5)

J • S・ミJレの公債論に関する一試論 (3) 生産の制度的要因に及び、生産政策論を展開している証左であろう。 ところで、ミルの分配優先論は彼の公債論の中にー還として流れてい る。換言すれば、彼の公債論は分配政策の立場から論じられているという ことである。彼は公債は租税を以って償還することを認め、その償還方法 として、即時償還と財政余剰による方法を検討し後者による方法を選択す るのである。即時償還は後述するように、平等犠牲の原則に背反するとし て認めない。これに比べ財政余剰による方法は、資本の場加→生産的雇用 の増加であるとして、生産政策の立場から一応認める。けだし、ミJレによ れば、消費の節約によって納税されたものが、公債償還に支弁されるが、 公債所有者は償還された公債をば資本(投下資本〉として機能せしめる。 彼は償還された公債が遊休資本となるか否かについては問題にしない。そ れは、既に指摘したように富を制限するものは消費者の不足でなく生産及 び生産力の不足のみとミルはするからである。しかし、ミルは財政余剰に よる公債償還を無条件に採用しない。即ちこれが認められるのは、悪税の 廃止及び減税後において、尚自然増収が生ずる限りにおいてのみとする。 後者が分配政策に立却していることは多言を要さないであろう。 このようにミルは、公債を論ずる場合基本的には分配政策に重点をおい ていたということができょう。しかし、このことが生産政策をないがしろ にしたということではない。ミルはこのことについて次のように述べてい る。政府が所得又は支出に課税し、それを公債償還に充当すれば、公債の 償還を受取った者は、その財産から所得を得るために、大抵はこれを生産 (4) の用に供するとしたのミノレもリカードと同様償還された公債は常に資本と して機能するという古典学派特有の理論を展開したのである。彼とてセイ の法則を踏襲した者の一人であったであろう。従って、彼が分配政策に重 点をおいた公債論であったとしても、決して生産政策を軽視した者ではな かったということができょうの そこで次に課題となるのはミルがスミスやリカード同様生産政策的立場 - 4一

(6)

J •

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・ミルの公債論に関する一試論 に重点をおかず、分配論に重点をおいた理由である。このスミスやリカー ドとミJレとの相違は、イギリスの資本主義経済社会の時代的相違であろ う。即ちミノレの時代におけるイギリスの経済社会は、富の不平な分配状態 が相当深刻化し露呈しつつあった。この状態は種々の問題が生じたのであ る。例えば1837年から 1847年まで激しさを極めたチャーテスト運動、 1847 年における資本に対抗するトーリ一党の力による 10時労働法の議会通過、 1848年の共産党宣言等は、当時の社会が極めて深刻な状態であったことを 有弁に語っている。 このような経済社会の矛盾が深刻となり、露呈しつつある状態におい て、従来の生産政策論に重点を置く政策論が修正されなければならなかっ たのは、けだし当然であったといえよう。そこで、富の不平等な分配の是 正の要請に答えるために、分配に重点を置く政策論が登場したであろう。 ミJレの分配論がそれであるのは言うまでもない。即ちミノレの政策論は古典 学派のそれを修正したものであるということができょう。 しかし、ミノレの分配政策の主張は、基本的にはより生産政策的であっ た。即ち、ミノレの分配政策の主張は、富の分配の不平等を是正することに よって資本主義経済社会の病根を絶ち、資本主義経済社会の順調な発展を はかるためであった。換言すれば、資本主義的拡大生産の維持、促進をは かるためであった。したがって、ミルが生産政策そのものとして主張する よりも、分配政策として主張した方が基本的にはより生産政策的であっ (5) た。けだし、ミ/レは資本主義を否定するものでなく英国の資本主義的生産 力の増強を主張するものであったからである。 (討:) 1

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S.mi1l:ibid p 199 邦訳前揚香(~) p 5 2

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S.mi11:ibid. pp 67-68 邦 訳 前 揚 書 (1) pp 118-119 3 堀経夫編 ミル研究 p 52 4

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S.mi1l: ibid.p 66 邦訳前揚書(1) p 115 5 井手文雄著古典学派の財政論 p598 - 5ー

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・ミノレの公債論に関する一試論

ミルの公債選択の条何ニ

ミルの公債論は「経済学原理」の第一編第五章、第五編第七寧におい て、重に分配政策との関係から起債の条件と、その償還方法を展開してい る。ミノレによれば、公債は戦争その他の不生産的経費の調達手段として考 (1) 察され、その許容される条件を求めるのである。ミノレは公債はスミスやリ カードと同様資本から応募されるが、その資本の性質若しくは種類によっ て経済的、社会的影響が異ることを論証する。 ミルは、資本を投下資本、外国資本及び遊休資本に区別し、これ等の資 本から公債に応募された場合の作用を検討している。 先ず公債が投下資本によって応募される場合の資本は、固定資本でなく 流動資本の内の雇用に投下される資本(賃金基金〕であるとする。この賃 金基金を起債条とする場合によるミノレの見解はこうである。公債が賃金基 金より応募された場合は、一年次において公債と同額の資本が減少する。 しかし、公債として抽去られた額が莫大でない限り、資本が翌年復興でき ない理由はない。けだし、公債は資本のうち固定資本から取り出すことは できない。したがって、労働者の賃金が上記の減額に耐えられるならば、 彼等の次年度の労働資産が前年より少い理由はない。即ち、公債による資 本の破壊は、直に回復される。只この回復は労働者階級の蒙る困難によっ (2) て行われるのである。反面、企業家は何等の損害を蒙ることはない。むし ろ利益を得るのである。 このような公債は、労働者階級に二重の犠牲を強いる。即ち資本回復の ための労働者の犠牲である。今一つは、公債は債務関係の発生であるから 少くとも一年以上の元利負担が租税の形で義務づけられるものである。 従ってミルは、このような労働者の犠牲を強要するが知き起債は、財政手 段として最悪のものであるとして認めない。 ここにミJレが分配政策を基本的支柱としていることが理解できょう。即 6

(8)

-Jι5."ミルの公債論tζ関する一試論 ち、彼は分配政策の立場から、斯る公債を反対するのである。けだし、生 産政策的立場のみに立却すれば、!資本は回収されるからである。分配政策 に立却するミJレが、賃金基金による起債方式に断じて反対するのは至極当 然であるといわねばならない。 斯る公債に反対するミルは、外国資本及び遊休資本によって応募される 公債を吟味する。彼によれば、政府の借入れられる資本が、世界の蓄積の 余分たる外国資本及びこの種の投資口なければ貯蓄されないか、或は貯蓄 され不生産的事業に費されるか、国際投資に振り向けられる資本ある場合 (4) は、これを許容し選択する。けだし、これ等の余剰資本を起債の源資とし ても、内外国の労働者階級の職業を制限し縮少することはないであろう。 更に労働賃金にも悪影響を及ぼさないであろう。換言すれば、公債は労働 者階級の職業及び賃金に損害を及ぼさない限りにおいて認めるべきとミル (5) は考える。 以上のように分配政策に重点をおくミルは外国資本及び遊休資本による 公債応募方式を認めるが、ここに課題が生ずる。それは、公債が生産に使 用されている資本か或は遊休資本から応募されたか否かの判定である。こ れに対しミルは、若し蓄積されない資本、或は蓄積されても圏内で使用さ れない遊休資本を公債として調達しでも、市場利子率の低下を防止するこ (6) とはあっても利子率の騰貴をもたらすものではないとする。換言すれば、 利子率が公債応募によって騰貴することは、遊休資本に留まらず現に生産 活動している資本に及んでいるということになる。従って、ミルの起債の 条件は、労働者階級の職業の縮少、賃金引き下げ等による労働者の犠牲を もたらさず、しかも市場利子率の勝貴を生じせしめないものでなければな らない。これがミルの起債の条件である。 ミJレが公債をスミスやリカードの如く否定せず認めたことは、古典学派 には見られない特徴であり特筆すべきことであろう。スミスは公債は産業 資本及び企業資本から応募される。しかし、国家は不生産的存在であるた - 7 -

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-1

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・ミJレの公債論に関する一試論 め、資本は不生産的に使用される。他方、土地及び資本的資財が収入の源 泉であるため、公債利子支払のための租税は、この所有者や使用者の収入 (7) を減少せしめる。他方、資本財の使用者及び所有者は、租税負担回避のた め資本の国外逃避を行う。ここに農業及び製造等の衰退が生ずる。更に公 債利子は土地及び資本財に関心をもたない債権者に移行する。従って、公 債は富の生産力の減退をもたらすものとして、徹頭徹尾排撃し、租税国家 の確立を主張した。リカードは、彼自身貸付資本家である為、スミスと同 様、国家経費を不生産的とし、租税国家を主張したのであるが、公債につ いては、返還された公債は資本蓄積を増加するとして寛大な態度をとった (8) のである。しかし、ミノレも租税国家を主張したことは、スミスやリカード と何等変りはない。彼は公債は戦争及び臨時費に限定し、しかも起債後は 多大の費用を払っても償還すべきとする。これは、基本的には財政収入は 租税収入に依るべきであるとの考え方である。即ちミlレも安価な政府の主 (9) 張者であったのである。 しかし、租税国家を主張するミルは、公債に関しては、スミスやリカー ドより積極的な立場をとっているようである。彼はいう。一時の困難を忍 ぶと長期の困難を忍ぶといずれを採用するかという問題である。この件に ついて言えば、一国も個人の行為と同様な行為をとるべきであろう。即ち、 一国は可能な限り即時の欠乏を忍び、最早耐えられない;場合は、その部分 だけ一国の将来の所得を抵当として充足すべきである。現在の入用を充た すには現在の資力を以って充足すべきであり、将来に充たすべき入用自ら 存在するという絶好の格言がある。又考慮に入れるべき事項は、富の増加 しつつあるに国おいては、政府の必要経費は資本又は人口の増加と閉じ割 合で増加するものではない。故に国民の負担感は漸次うすれる。したがっ て、適当な臨時費は次代においても利益を与えるのであるからその一部を (¥0) 後代に負担せしめてもよい、としたことこれである。ここにミルの公債容 認を知ることができる。即ち、ミノレは平等犠牲の原則に背反する租税収入 - 8 ー

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・ミルの公債論に関する一試論 による財政収入を採用しないの 更にミfレは、官業を容認し公債に生産性を認める。ミルによれば、政府 が自身生産に携はらない利子生活者が応募した公債を戦争に使用するなら ば資本の破壊であるが、鉄道敷設に使用するならば、この使用は生産的で (11) あるとする。これスミスはもとより、リカードにおいても見ることのでき ない国家経費(しかも公債による)生産性を認めたミルの主張である。 ここにおいて、 ミノレがリカードより公債に関し積極的立場に立っている ことが確認できょう。換言すればミルの公債論は、古典学派からの乗離で あるということができょう。しかしミlレが公債に対し積極的傾向にあると しても、公債を財政収入として積極的に認めようとすることにはならな い。井手教授が指摘される如く、 ミルは財政収入として官業、租税、公 債、官有地収入を一応考えていたが、官業及び官有地収入は殆んど無視し 間 ており、税税収入を以って財政収入の大要となすべきと考えた。しかし、 ミ1レが租税国家をスミス同様かたくなに主張したということはできないで あろう。彼は公債に生産性を認めたことがその証左であろう。即ちスミス 倒 は官業及び公債を徹頭徹尾認めなかったのである。従ってミ/レの租税国家 の主張は、スミス程強い主張であるということはできないであろう。 いずれにせよミルは遊休資本の存在を認め、それによる起債を認めた。 他方官業を認め、公債が官業に充当されることにより、公債の生産性を認 めたのである。更に特筆すべきことは、スミスやリカードが富の増大の生 産政策的関点から公債論を展開したのに対し、ミfレは分配面に重点を置く 公債論を展開したということである。ここに相当長期間にわたってパイプ ル的存在として存命してきたスミスの公債論は、ミノレによって部分的であ るにせよ互解し解体され大修正をなされたということができょう。 しかし、そうだからとて、ミノレを近代公債論者の仲間に組み入れること はできないであろう。けだし、近代財政の特徴の一つに、景気変動の振巾 を緩和する役目がある。即ち財政が国民経済のバランスング・ファクター 9

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-1・

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・ミルの公債論に関するー試論 として機能することである。公債がこの面から考察されることは衆知の通 りである。即ち景気変動と公債論は密接な関係を有しているのである。彼 はこのことに関しては等問視していると言っても過言ではないであろう。 起債と利子率との関係においてとらえる場合、公債が遊休資本を吸収する 限度のみに論が終っているのは、その証左であろう。彼もやはり古典学派 の一人であったということができょう。換言すれば、ミIレも程度の差はあ れ、中立財政主義の主張者であったということができょう。このことは、 彼の公債償還方法を考察した場合、強調できるようである。 〔註) 1 J.S. mi11 : ibid. p 76 邦訳前掲書(1) P 133 2 J.S. mil1 : ibid. pp 76-7 邦訳前掲書(1) pp 133-4 3

J

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S. mi11 : ibid. p 873 邦 訳 前 掲 書 P135 4 J.S. mil1 : ibid. p 874 邦 訳 前 掲 書 (5) P 136 (5) J.S. mil1 : ibid. p 874 邦 訳 前 掲 番 P136 (6) J.S. mi11:ibid. p 874 邦 訳 前 掲 書 P136 7 国富論大内兵術訳 P54 8 拙者は沖大論議第6巻第2号において「リカードの公債観」を発表し た。 9 古典学派の財政論井手文雄著 P529 10 J.S. mil1 : ibid. p 876 邦 訳 前 掲 書 (5) pp 138-9 11

J

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S. mill : ibid. pp61-2 邦訳 (1) 前掲書 pp 108-9 12井手文雄著前掲書 P527

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3

スミスも戦争における公債論は否定しなかった。 -10ー

(12)

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・ミJレの公債論に関する一試論

ミ ル の 公 債 償 還

既述の如くミノレは、財政収入として官業収入と官有地収は殆んど無視し た。更に公債が遊休資本より応募されることを認めたミノレは、財政収入と しての積極的考え方はなかった。彼が、起債は多大の犠牲を払ってでも避 (1) けるべきであるが、起債後は多大の犠牲を払ってでも消却すべきであると することこれである。 従って、ミルは租税収入を以って財政収入を構成することこそ望しいも のであると考えたであろう。即ち租税国家の主張者であり中立財政の支持 者であった。租税国家の主張者が辿る道は公債償還論に全力投球をするの が普通であり、ミノレも例外ではない。公債は多大の犠牲を払っても償還す べきとするのがこれである。 ミノレは、他の古典学派と同様起債による公債償還方法を否定し、租税に よる償還方法を検討する。彼によれば租税による公債償還方法として、(1) 租税による即時償還 (2) 財政余剰による漸次償還方法が考えられる。第 一の方法は財産に課税することによる償還方法と財産税のみならず一般大 衆に課税することによる償還方法に細分する。 1 公債の即時償還方法について ミ/レは公債の即時償還方法における財産税と一般大衆課税に分け、それ ぞれの経済的社会的影響を考察する。先ず財産税で以って公債を償還する (2) ことであるが、 ミノレによれば実行できれば無比の良策である。しかし、そ れは妥当性を欠くものとして反対するのである。ミノレの反対する理由はこ うである。財産のみが公債利子支払の負担を負うものでなく又要求すべき 筋合のものでもない。当代の人々が公債を支払う義務があるのは、祖先か ら受継いだ遺産のうちから支払う義務のみがあるのであって、勤労の所産 から支払う義務はない。故に財産が公債利子を負担すべきだと言うかも知 1 1

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-J

s

・ミルの公債論に関する一試論 れない。しかし祖先から受継ぐものは遺産のみであろうか。今日の清潔な 土地、道路、運河、都会、工場の差異は地主にのみ利益となるものであろ うか。一体祖先の労働及び制欲の蓄積した資本は、その一部を法律上受け ついだ人にのみ有益であろうか。我々は前人の賢明、勤勉の賜として、科 学上並に経験上の既得知識を移しく相続しているが、その思恵は万人共同 (3) の富というべきである。即ち、ミyレは万民共同の利益を享受しているので あるから、一人財産にのみ公債負担を背負されることは良策でないとし、 これに反対する。 そこで、財産家は共同利益の享受と相続財産の取得者であるから、これ 等の財産家に対する課税は、平等犠牲の原則に支配されることで充分とす る。つまりミルは財産から政府に支払うべきもの及び政府が財産に負うべ きものは、直裁明白に決定し、これに従って国家の制度を規定すべきであ る。従って財産から一国の一般経費に支払れる高は幾許を以って適当とす るとしても、この適当の割合において、公債元利償還に充当すべきであっ (4) てこの割合を越えてはならないとした。分配に重点を置く政策に立却し、 平等犠牲の原則の実現を主張するミJレは、一人財産税のみに公債償還を負 担せしめることは平等犠牲の原則に背反し、分配政策をゆがめるとして、 これを認めない。 次に租税による公債の即時返還の財政手段として一般大衆に対する課税 の方法である。しかし、この方法も勤労者階級に一方的に損害をもたらす ものとして認めない。ミルが認めない理由はこうである。若し平等犠牲の 原則に支配される課税で、しかも適当な割合を公債元利償還に充当するこ とを妥当と認める限り、社会一般に課税し一挙に公債償還を行わんとする 考えは認められない。けだし、財産家は財産の犠牲において負担するが、 純所得は以前と変らない。しかし、蓄積のない勤労所得者に公債償還のた めの租税を一時に負担させるならば、これらは公債のうち自己負担相当の 私債を求める。ところが、斯る人々は担保能力不十分なため、彼等に支払 -12ー

(14)

J • S・ミルの公債論に関する一試論 っている利子より高い私債利子となる。又租税をもって支払われる共同債 務は、同じ負債を個人聞に割当でることに比べ利益である。けだし、納税 者の財産が減少すれば租税も減少する。破産すれば納税失格者となり租税 負担も消滅する。そこで、公債のうちその負担分は負担力のある他の成員 に移る。しかし公債の負担分が私債で支払れる場合は文無しになっても負 (5) 担を免れることはできないであろう。 かようにミノレは公債の償還を一挙に行うことは不適当であるとする。即 ち公債償還を一挙に行うとすれば、それに充当される租税も巨額となる。 そこで財産所有者はその一部を売却し納税する。しかし財産所有者は損失 をもたらさない。けだし、売却財産の年々の収入と公債利子支払の租税額 が等しいため相殺されるとミルは考える。他方、勤労所得者は担税力がな く高い利子率の私債により納税する。したがって大衆課税による公債償還 方法は勤労所得者に租税負担の過重を強要することになる。今や勤労所得 者は、公債償還によって、そうでない場合と比べ大きな不利益を蒙る。こ の不平等はミルの好むものではない。従って、平等犠牲説の主張者である ミノレが、既述の如き公債償還方法を認める理由はないであろう。 以上ミノレの公債即時償還方法を考察してきたが、彼は平等犠牲説の立場 からこの方法を採用しない。即ち財産税による公債償還は財産家に負担過 重をもたらす。他方大衆課税による方法は、勤労所得者に租税負担過重を もたらすばかりでなく債務を強要する結果をもたらすからである。斯る方 法を採用しないのは分配政策を基本的支柱とし、公債を考察するミノレの必 然的帰結といわなければならないだろう。 そこで、 ミノレに残された公債償還方法は、財政余剰による方法である。 これが次の課題である。 2 財政余剰による公債償還方法 ミルは、公債の完全償還又は縮小する方法として正当なものに官有財産 -13ー

(15)

1

s

・ミルの公債論lこ関する一試論 の処分による方法と財政余剰を挙げる。彼によれば前者の方法は偶然の利 (6) 得或は天与の利得の如きものとして賞讃する。けだし、ミノレは返還された 公債は資本となるとするから公有財産による公債償還は資本の蓄積とな る。他方負担過重の問題も生じないからである。 次に歳入余剰を以って公債償還とすべしとするミノレは H民衆の懐にて実 を生やすために放置すべきである"との説を吟味する形で公債償還方法を 展開する。彼によれば"民衆の懐にて実を生やす"との説の意味は、不必 要な租税を不生産的支出のために課すことに反対し、公債償還を認める限 りにおいて意義を有する。その理由はこうである。税源は消費の節約か貯 蓄の減少である。故に課税されず民衆の懐に残されても、その全額が貯蓄 され資本に転化されるという保証はない。その一部は消費支出に振り向け られるかも知れない。したがって、課税による財政余剰を認めない(民衆 の懐にて実を生やす〉とする考え方はミノレによれば根拠のないものばかり (7) でなく見当違いである。 しかし、これを租税で以って徴収し、公債償還に充当すれば、その全額 は貯蓄され生産的となる。けだし、公債所有者は、公債が償還された以後 も収入を得るために返還された公債を資本として機能せしめるであろう。 したがって、民衆の懐に残して置くよりも、租税で以って徴収し、公債償 (8) 還に充当した方が遥かに確実に肥大するとミ/レは断言する。 ミルはここに人為的制度によって左右される分配の法則を依り処とする 分配政策の立場からでなく、生産政策的立場に立却しているが、ミノレの分 配と生産の区別論からすれば矛盾であるのけだし、彼は生産の法則は人為 的制度によって左右されない法則であるとなした。したがってミルの論法 からすれば生産の法則を支柱とする生産政策で以って人為的制度による公 債政策の考察は不可能であろう。今一の彼の矛盾は、何等の障時なく償還 された公債は資本として機能するであろうとすることである。返還された 公債が全て資本として機能するか否かは、その時の経済状態によるといわ - 14一

(16)

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・ミルの公償責舎に関する一試論 ねばならないのインフレにおける公債返還は決して有益ではないだろう。 又不況における公債返還の場合、その返還資金を租税に求めるとすればそ こには資本に転化される可能性は存在しないかも知れない。ミルは租税は 収入を源資とするが、それは消費の節約によって可能であろう。消費の節 約は、有効需要の減退→生産の縮小という悪循環を招.くかも知れない。若 しそうだとすれば、返還された公債が遊休資本としてでなく、常に資本と して機能するという保証はどこにもない。ミfレが返還された公債が全て資 (9) 本として機能するが如き主張は、リカード同様早計のそしりを免れないで あろう。 拐て、ミルは財政余剰による公債償還を生産政策的立場から考察し、そ れを認めた。しかし、今度は角度を変えて、分配政策的立場から考察する ことにより条件付き容認にまわ

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のである。 このことについてミルは云 う。歳入の余剰を廃止すれば、ーの租税を無くすことができる場合は、悪 税の廃除を公債償還より優先すべきである。従って、英国の今日の状態 (1848年〉においては、政府が永久的性質の財政余剰を有するときは悪税 を廃除することを良策と信ずる。その租税が永久的制度の一部として適当 であっても、同様な政策をもって減税し、納税者に負担の最も少い点を見い 出すようにすべきである。その後による税収増による財政余剰が生じた場 合に、これを公債償還に充当すべきであろう。最も相続税の如きは公債償 還に充当することが適当である。けだし、相続税は資本から支払れる為に (10) 経常費に支弁するより資本に充当することがよいであろう。 ここにおいてミルが、分配政策を全面的に打ち出し、公債返還について の方法論を展開していることは容易に理解することができる。他面、彼の 公債償還論の中に大きな疑点が存在することも認められよう。公債返還基 金を租税で以ってすることは、一般大衆の所得が政府を媒介役として資本 家へ移転するのである。したがって、ここに所得の不平等分配の問題が生 ずるかも知れない。公債償還額が巨額であれば尚のことである。このこと -15ー

(17)

J • S・ミルの公債論に関する一試論 が分配政策的見地から如何に意義ずけられるかということに対しては、ミ ノレは全く問題にしておらない。分配政策的見地から公債償還を考察する場 合、所得移転による分配問題は最大の関心事でなければならない筈であ る。このことを不問に伏したミ1レは批判されてよいであろう。 次にミノレは、貯蓄の奨励及び投資の安全性の面から公債の全額償還か否 かの点を考察する。彼は比較的貧乏且つ未経験な階級の貯蓄・投資口とし て公債が好都合であることを一応認めるが、それは強制租税を免れないも のとして退ける。発展しつつある大企業の株式又は社債は、公債に劣らず (11) 安全である。銀行への預金又然りである。とするのがこれである。これは 彼が公債の全面返還を主張した証左であろう。 だが、このことはミノレが公債について明白な理解がなかったということ ができょう。彼の公債の全面返還支持がそれである。公債の存在はそれに 件う政府銀行間の債権債務関係が企融当局に種々の形の流動資産を保持す る必要性のあることを利用して、信用統制を行う手段を与える。故に原則 的には公債は経済をコントロールし安定的な影響をもたらす一面があろ う。このことについては彼は何も触れていないからである。 〔詮) 1 J.S. Mil1 : ibid.p 876 邦 訳 前 掲 書 (5) P 139 2 J.S. Mill : ibid.pp 876-7 邦 訳 前 掲 書 (5) P 140 3 J.S. Mill : ibid.p 877 邦 訳 前 掲 書 (5) pp 140-1 4 J.S. Mill : ibid p 877 邦 訳 前 掲 書 (5) P 141 5

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S. mill : ibid.pp 877-8 邦 訳 前 掲 書 (5) pp 141-2 6 J.S. mill : ibid.p 878 邦 訳 前 掲 書 (5) P 142 7 J.S. mill : ibid.pp 877-8 邦 訳 前 掲 書 (5) P 143 - 16ー

(18)

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S. Mill: ibid. p 878 邦 訳 前 掲 書 (5) P 143 9 沖 大 論 議 第6巻 第2号 拙 論 10

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S. Mill : ibid. p 879 邦 訳 前 掲 書 (5) P 144

五 む す び

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・ミルの公債総に関する一試論 掠て、以上で述べてきたミルの公債論は、公債の発行及びその償還方法 について、スミスやリカードと異り、基本的には分配政策をより処として いる点に特徴を認めることができる。スミスやリカードは、生産政策的関 点から公債排撃論を導き出した。最もリカードは、公債返還は資本を増加 するものとして、公債に寛大な態度をとったが、常に生産政策的関点から の展開であった。しかしミルは公債に対し一方的に不生産的としない。公 債が投下資本から応募される場合、スミスやリカードは富の減退を揺3くも のとして拒否した。これに対しミノレは資本は労働者の犠牲において回復さ れるとして、生産力に焦点を求めずむしろ労働者に犠牲を強要し損害を蒙 らすとして、投下資本からの公債応募を拒否する。 更に公債に対するミルとリカードの相違は遊休資本から応募される公債 をミノレは認めた。これはスミスはもとよりリカードにも全くみられない点 である。今ーは、ミノレは官業を認め、その支弁に充当される公債は生産的 であるとした。これは官業を認めないスミスやリカードと全く対象的であ ろう。 ミノレとリカードの公債論に対する相違は、公債償還方法においても見る ことができる。公債償還方法について、リカードは生産政策的立場から即 時償還を主張したのに対し、ミJレは租税負担の公平に背反するとして、こ れを拒否し財政余剰による漸次償還方法を主張する。しかもミルは、財政 余剰を無条件に減債基金に組み入れる方法を是としない。分配に重点を置 -17ー

(19)

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・ミゾレの公債論に関する一試論 く彼は財政余剰は減税政策を優先し、その後において自然増収が生じた場 合これを減債基金に振り向けるべきとした。 斯るミノレの公債論は、リカードより積極的傾向にある。従ってミルの公 債論は古典学派からの乗離であるということができょう。換言すれば彼の 公債論は古典学派の公債論の解体であろう。しかし、彼が古典学派の公債 論からの完全な脱出を意味するものではない。彼が公債に対し積極的姿勢 をもったのは分配政策からの考察によるが、彼の分配政策の主張は既述の 如く富の分配の不平等が深刻な迄露呈しつつあった状況で、資本主義的拡 大再生産の維持・促進をはかるためであった。故に彼の分配政策は基本的 にはより生産政策であった。従ってミノレの公債論は、古典学派のそれを解 体し修正することに留ったといえよう。 極論すぎるかも知れないが、ミノレの公債論はリカードのそれより驚く程 迄進歩したということはできないであろう。彼が償還された公債は凡て生 産資本Iとして機能すると主張したのは、リカードと共通共有の財産であ る。他方、彼が公債償還によって発生する所得分配の聞を不問に伏したの は恐らく古典学派のみに予想されるものであり、批判されてしかるべきで あろう。 - 18ー

参照

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