• 検索結果がありません。

支 那 産 業 革 命 の 停 滞 性

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "支 那 産 業 革 命 の 停 滞 性"

Copied!
46
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

支那産業革命の停滞性

( Ra ti on al is ie ru ng )

到達したるヨーロッパ文化が中世的基督致統一文明の佳銃的樺格をかなぐり捨て︑文些復興・宗教改革を通じて

(R at i na li si er un gd es Le be ns )

呼ばれるもの之である︒かゝる思想傾向は啓蒙思想を通じて最高潮に達し︑近代科挙にせよ︑近代合理的囲家に

せよ︑勝又近代資本主義にせよ何れも等しく近代合理的精細の沓露に外ならぬ︒近代貸本主義の端緒をなす産業

革命もかゝる思想的背景を外にしては︑その眞面目を把握し能はぬ︒合理主義的傾向は古くより西洋滞日の事象

なりと言ひ得べく︑科箪・垂術・教育・経済等あらゆる文化側面に於てこの事は観られ得るところである︒我々

が歓洲文化との闊聯に於て東洋殊に支邦文化の聞越を取り上けんとする場合︑その方法論的用意としてか︑る孝

へガを要請されざるを得ない︒

支部の如く現代に至るまで高度の倖統主義・非合理性・魔術性に支配されつゝある団に於ては︑西欧的意味に

支那産業革命の停滞性一三九

(2)

O

於ける近代資本主義若くは産業革命は起り得なかったのである︒もとより資本主義的企業はその歴史新しいもの

ではなく古くより東方諸国パピロン・アッシリア乃至は支那等に於ても・存在したことは古代史家によって論詮さ

れるところである︒この事は古代束方諸闘に於ける金融業︑小アジア地方と東洋諸問との同際交易︑古代ベケン

iヤ・ギリシア・小アジア地方に於ける貨併経演︑奴隷&使役する吋与ユwの存在中世に於ける地中海沿岸諸岡の

海上冒険貸付︑或は支那春秋・戦闘時代に於ける攻治的資本主義と呼ばれるところの諸伎に針する金融業の存在等

に見られる︒しかしこれ等のものは凡て非合理的・投機的性質のものか或は掠奪的性質のものであって︑近代資

本主義に於て見らるλ如き合理的性質のものではない︒高度の理性的原則に支配さるλ工業技術並に経営︑西欧

?とグリシ風の資本形成(支那資本は近代に於ても主として官官僚及び諸侯への高利貸付業者により蓄積された高利貸付資

本)︑合理的経営方法︑商業的通信勤務の合理的組織︑合理的貨併制度︑合祉法︑

本計算を可能ならしむる簿記制度等は欧洲近代に於ける特有の事象であ出o

合理的資

近年支那に於ける産業革命の勃興は西欧に見らる﹄如く︑その内面的精神的基礎在有する自律的のものではな

く︑前世紀の四十年以降欧洲諸閣の帝閥主義的攻勢に基く全く他律的のものであった﹄めに︑その愛展過程は︑支

那枇舎に内在する古来の倖統主義・非合理性・魔術性の影響を受け︑著しき歪曲在示し︑多くの非合理性の問題・

高度の停滞性身現してゐる︒もとよりこれ等の問題をその全面に亘って取り上ぐることは常而の問題するところ

ではなく︑その停滞性に就て若干の考察を試みることがこの論文の趣旨である︒先づ一に於て支那産業革命勃興

(Gesammeite  At巾託tzeZUl 

Vgl. Eduard Meyer, Die wirtschaftIiche Entwicklung des  Altcrtums S.  90,  9I, 98, I06, I08. 

Max ¥Veber, Taoismus  und  Konfuzianismus  Religionssoziologie 1. S.  529) 

2) 

(3)

の特殊事情並に停滞性の現欣に就て述べ︑失にニ︑三︑四に於てその停滞性の原因守一は支那国民の宗教意識の

方面より他は制度の方面より考へて見たい︒ky行論の伎宜上原因を分割する次第で本来は相互に密接な内的関

聯を有するものである︒何れも支那枇九百といふ不可分の非合理性的存在の愛露に他ならぬ︒

庭菜革命令邑gE

Jd一三一︒ロ)とは何ぞや?之は経済上の革命たるに止ら宇その影響は法律・思想其他社

合生活のあらゆる側面に沙る一の枇九百革命・文化革命とも稲すべきもので複雑なるな味内容︑多くの問題を合ん

今︑これ等の問題在総ての側面に渉って観察することは限られた紙数では不可能すあるが︑その特徴の一は工

業化

( H E 5 E P Z m

2

5問)といふことである︒換

Jf一目すれば封建的手工業・家内工業(問屋制度)印ち︑個人の経験的

H一誠に基いて簡誌な道具を使用して作業する生崖方法から︑近代的工場制工業即ち︑近世自然科撃的智識に基き

且その所産である複雑・精巧な機械在使用する生産方法への蒋換を意味する︒

か﹄る翻貼に立っとき邸ち問題を工業化に限定して見るとき支那では何時頃から産業革命の時期に入つにか?

支那産業革命は先づ重工業方面に於て勃興した︒﹁一八六二年(文久二年﹀李鴻卒が上海に兵器工場を建設したの

が支那近代工業の聡矢在匁す︒それより五年後︑官同諸が同じく上海に江市治焔廠そ関︑与え

一 司 ︑ . ︑

a︑ ド ド

wAA

一寸/﹂ノ﹂‑ 2 .

/d ll zt

支那産業革命の停滞性

(4)

業が一拍洲に一拍洲航攻局在建設した︒﹂日本の産業革命も略々同時代に始ったのであって︑支那より一年早

く﹁一八六一年(文久元年)長崎奉行岡部段河守が繭人ハルデス守顧問とし主として之に工事をや川らせ長

o d  

崎飽之浦に長崎製餓所を創設しムム︒﹂之我固に於ける近代工業の最も十日きもの込一である︒

次に軽工業方面に於ては少しその後達遮れ︑﹁一八七八年(明治十一年)左宗栄が廿粛省の蘭洲に甘粛緑

紗織工場を開いたのがその端緒在なし︑その後一八九O()

4した︒後者は支那近代紡績工業の先駆在なすものであるOL我図軽工業に於ける近代工業化は重工業と同

じく支那より一年早く﹃明治十年三八七七年)前後に至り二誠一の間に﹁官室.ノ仕組‑一阿倍ノ工事ヲ震ス﹂

ところの踏車打綿機及手操紡機行はれ︑後︑間もなく︑明治十四五年頃以降︑﹁ガラガラ﹂機械と稀する

MO

 

四十五鍾立の小機械が水車利用で普及し六︒﹂

日本と支那とでは略々同時代に近代工業が勃興した︒而も何れも市一工業に於て先づ所

業革命が行はれにことは︑西欧に於ける産業革命が軽工業大る紡績工業に於てその端緒冶なしに事情に

鑑みるとき︑東洋・産業革命の著るしき特徴身震す︒か﹄る相蓮在来す所以は彼我歴史的諸傑件の相違に

因るものである︒西欧の産業革命は近世合理主義精神の発露大る企業家の自由なる創造的精神に基くも

ρのであったλめに︑同家自ら之に関血︿せ宇私的資本の活動に委ねられ・K︒この事は比較的少額の資本を

以て足る軽工業に於ける近代工業化に針して右利に作用し亡︒日・支雨岡に於てはかhる事情は見られ

D. K. Li2U, Thc (Irowth :111<1  Industrialization  of Shanhai. p. I 三 菱 長 崎 遺 舵 所 史 (p.6') 

山 田 盛 太 郎 , 工 場 工 業 の 設 逮 (pJ

D. K. Lieu, ibid.  p.  20, 32. 

山田鹿太郎,工業に於ける資本主義の端初的諸形態,マユュプァグチュア.家 内工業 (p.r6‑7) 

Hsien‑Dil1 FOl1gDie Industrialisierung China's uutcr Berucksichtignng dcr  landlichcn Indl rien.(¥V el twirtschaftlichesムrchiv.45 Bd. S.  233)却i稿 支那松涛に於ける工業化の問題(ー).研究館悲報部if'五巻第五披参照.

¥ ¥ }

1 0

3

4 5

¥i

(5)

す︑前枇紀の六十年代西欧資本主義諸岡家の帝岡主義的攻勢に封して白岡守防衛する必要から︑光づ図家資本の

活動となり︑経法目的からム一一日へば非合理なる軍事・同防目的より工業化が行はれたのである︒

日本は其後半枇紀の間に長足の進歩を匁し︑急激に工業化行はれ︑高度資本主義図家'として世界一流の工業図

たるの武松や備ふるに至つ亡︒然るに支那は日本とは略々同時代に近代工業の端緒身見たるに拘はら中苔態依然

として相幾ら中封建的なる生産方法に依存し︑前資本主義的様相が強く各方面に見受けられる︒近代工業化せる

地方は前作の械めて限られに少数の都合に池ぎ宇︑一歩内地に入るや昔乍らの農業闘である︒

この間の事的は︑支那貿易尚日間の椛諸に就て之府観ることが出来る︒園内の縦波護股欣態がその闘の貿易構活

1

Jぇ: ~q r::r 24.67 18.11% 

問 料 及 午 製 品 58.gS%  31.45 ζ 1 13l1  16.35%  55..11

100.00  100.00 

支部訳業革命の停滞性 に如貨に反映するからである︒

支那事竣勃畿の前年印ち一九三六年度に於ける向日間部鋲別支那輸出入貿易構造

¥i4は共の如くであった︒

印ち︑輸出される尚日間は食料品・原料及半製品が八割以上を占め同・門工業化が

不充分なることを示してゐる︒川入︑輸入部門に於て全製品が五五・四一%在占め

てゐることは︑支部は高度資本主義岡より機械其他の工業製品を輸入し︑

り以料品・食料品在それらの闘に輸出することに依って︑その困民経済を賄って

ゐることを物語るもので︑

‑ m ・殖民地的設業同家としての此ハ別的様相在示すc

'

IJLf 

The  :;¥f<tilll Customs: Thc Tra of China, 1936.  Vo1.  1.  (Part  1), 

Shanghai.  (p. 62, 7i)上海草創立務司署,海開中外貿易統計年刊,巻ー,上加,

民国二十五年.

(6)

輸 入 の 部 輪 出 の 部

l

(1936年) (1936年)

穀小塁手物粉年類 um山% 動動物物製書山 9.74%  Iff:i 

V

2.18 4.34% 

1食 料 品i鯛 且 海 産 物1 穀穀物物製及品 3.5]ム 戸 u

13.14%錐詰及雑貨類1.00% 1 . 食 料 品 果 野 菜究 及 I iJi 果究,種子等 0.G2% 24.67)l 類 山 芦 之 の

共. 0.s7%

I品% u

3.84 豆 類 1.17%

( OGリ% 他 1 .73%

動 物 製 品 9.GG

2.原 料 品 薬 品 原 料 0.73% 5.20% 

10.54% 石 炭 0.G8 種子(落7j¥ 

木 材 , 竹 類 O.GO 花 ,1.00

1..11%  2.原 料 品 ~~ 2.8

7.97 35.80% 鏡 石 2.32

()' 1.94%  5.07

3.宇 製 品 3.s3

落 花 生 1.55%

薬 品 原 料 1 .23% 1t  2.83%

1.54 /ー¥

1.02 4 iUI  10..10 %   ノ 卒ノ、J

金 風 類 5.24%

金 島 製 品 8..15

C.ffd1L織除維ク) nυ3%

t 鎖 物 ? 白 7.82 3.宇 製 品

機 械 及 器 具 G.37 23.18% 利i 1.76%

草 鞠 等 5.58

4. 全製品~*氏及紙製‑品 5.30%  3..15%

55.41% 化及苧←薬袋 口日 4.全 製 品s織 物 実!1 9.30% 

1.30% 

16.36%共 他 7.05% 織 物 実 f { ,1.29% 

13.30%

(7)

t r ι

mh

一 泊

T M

E

d

爪 同

一 一

w

U/

LE

  d n z

αukd

.UMJ

ゴ・)

‑ u d

主昭川叩db

凶本参

5噌ぬ出資競F

‑ m (

として米)︑小委粉が大部分を占むることは法日に位︑する事柄である︒農業凶としての支那がその岡民の主要食料

MH

mI

支第民四加'巻設日川の一部を総入に仰ぐことは一見奇具に感ぜらるミ︒支那は食料品の自給自足み品川し得る花けの農業生産力生何一点附一い門知

A

貿

しないのであるとする見解もあるが︑必宇しも然ら・?と考へられる︒米・小委一粉其他の農業生産物の総入在必要

4M mn

刊とJ

t3 h現

とする事情は交通機関の未護法に基くものであるo﹁支那現在に於ける交通航態は農業生産物に充分なる販路を血︿刊誌比一唯

p a l l i

MMMι

(

)

NH包宮山)は極めて小である︒::::・文胡内部地方の交延不便なる事作﹂

w h

yinEZd¥}

: . .   E4

のために起る内地に於ける不足分は輸入によって補はれる︒同様に海岸地方にある大都市への供給も総入に倹

W U M

)

1

沿 9 H J 1

っ︒近年に於ける食料品輸入は凶内交通欣悠開設によって防沿し得べき性質のものである︒﹂UfHmhW E E

!

1t

HU

ψ

H M J

阿国お菱

I P H

τi  

右の去によって明かなる如く︑輸出商品は大般に於て農業生産品であってその他少数の牧畜生産品を加味して

ゐる︒この事は支那同民経波が専ら農業経済に依存せること守如資に示してゐる︒輪出梨品中に在って︑全輸出

O%

業革命が縫に仰惑の限られたる少数の部九百ハ上向・天津・青島等﹀に浸潤し得たに過ぎやノ︑λ

1

'

QU て農業を主とする琵秩序に依存してゐることか}物語る0・次に︑輸入商品の央以上な占むる全製品が主として重工

業及び精密工業に局する生一斥一日間であることは支那工業化の未設達也ぜ裏書するものであり叉輪入食料品中穀類(主

i試みに昭和九年ハ一九三同年)皮の向日川部類別総入貿易構造を見るに弐の如しJ

a HP

克伏まHf

ν

4 41 yf

kH

I1 .

日本では総入品中最も大なる割合

Jf

占むるものは原料及半製品の八

ov

h

同じく輪出品に於ては全製品

支那産業革命の停滞位

J

9) 

(8)

│輪出│較よ

8.0 79.8% 

12.1% 

の六二・九%である︒皐覚︑日本は他

の高度資本主義固と同様に後進同から

原料品半製品在職入し︑之や加工・精

製して輸出し以てその閥民終演在維持

し行くといふ建前をとってゐることが

容易に者取し得られる︒

然るに我図も世界大戦前までは略々

進展が未亡低皮の欣態にあったのであって︑その産業革命が飛躍 現在の支那に於けると同︐様︑工業化の

口同

Z

原料及午製品

的護M成在溶け六のは世界大戦中であった︒・次に我同商品部類別賞

*f 

易構造の推移身大戦前(大正一一年﹀より大戦後の頂拙にる大正十四

i

i年を経て昭和九年に至る間の統計に依り眺めて見ゃう︒

上拐の表に依って明かなる如く︑右の期間在通じて︑全製品の

輪出が大正二年(大戦前)の二九%の低位より︑大正十四年(大戦

後の頂貼)の問0.%となり以後逐年増加の傾向沿辿り︑他方原料

商 品 部 類 別 貿 易 の 推 移

ITg 

pq  /.JE f ji

Ji

11  11. (j.G  7.7  9. 9.1  7.G  8.G  8.0 

' 原 料 及 宇 製 品 60.2  56.4  16.2  41. .n.7  39.3  33.5  27.8  t 1 rt 29.4  39.5  .1.1.5  48.2  47.5  51.3  5G.3  62.9 

d

/

{ 4 ¥ ;f~t ロ口 16.G  15.3  12.2  13.5  12.9  11.3  9.0  8.0 

原料及牛製品 65.8  70.9  71.4  69.1  70.2  72.9  79.0  79.8  τzI1  17.0  13.6  15.6  16.5  16.1  1;3.4  11.5  12.1 

三菱終済研究所.同上書.

11') 

(9)

及半製品の輸入が同じく六六%より七一がに唯一み以後逐年増加の趨勢を示しつよめることは︑我同工業化の欧洲

大戦以後に於ける飛躍的後展在立設するものである︒

日本の間同に先立つこと十数年前の一八四二年の南京傑約に依る開園以来甚に遅々たる

¥ そこに著るしき停滞性が示されるのである0・次にこの事守一八六八年より一九三五年に至る聞の尚品部

︒ ︼

Ti  

支那工業化の迩民は︑

支那商品輪出貿易構造(百分比〉

(1868‑1935) 

年 度

i F i j i :

18138  55.13  w3 1l..1  0.7  1878  51. 4..1  41. 2.4  1888  39.0  9.7  14.5  G.8  1898  30.0  Hi.1  16.0  7.9  1908  2.1. 31.0  11.5  3..1  1913  213.4  35.2  35.13  2.8  1918  19.13  13.1  1. 1923  35..1  313.13  313.1  1. 1928  3.1. 20.7  3.1.0  0.7  1929  35.7  30.3  33.~ 0.8  1930  δn δ3.5  34.0  31. 0.9  19:'31  35.1  32.7  白円可~.叫 0.9  1932  37.G  29.3  31. 1. 1933  2G.1  28.7  14.1  1. 1934  28.G  31. 38.7  1. 1935  27.5  38.0  33.7  0.8 

支那全輸出貿易中に占むる全製品の比率

が︑右の期間在通じて略々一定せることは

工業化進展の著るしき停滞牲の詮左であ

る︒原料並に半製品輪出の全製品輸出に封

する比率は﹄‑十世紀の二一分の一以上も経過

せるにも拘はら中尚一定せる比卒に立って

ゐる︒食料品及び原料品の合計の全輸出額

に封する比率が六

O P

% 以上在占むることは

ないじ之等の部門の占むる割合は︑若し・庄糸

l

l

ll

l 及び其他の手工業製品が全製品松山中に引き 農業凶としての支那にあっては不思議では

支那産業平命の仔滞性

12)  P. \\~. Kuo, Die SteellnII deω5  Au55臼削cωn]

s

icrtlngprozess.(\\rdt\yirts~haftliches Archiv. 45  Bd. S.  397). 

(10)

込まれてゐなかったならば︑

共に︑職入部門に就ては右の輪出部門に針縫守べき遁蛍なる貿易構造統計を快くが︑左の表により略々輪入貿

内 ︑

d

i易構造に愛化なき事与推知し得られるであらう︒

総 入 品 類 別 統 計 (1900‑1935)(百分比〉

1

小山川

19251930 

1. 38.8  32.9  32.0  23.9  5.4  2.穀 物 , 砂 糖 9.4  11.4  6.<<J  17.7  17.7  3.銭?白,薬品,染料類 6.6  7.4  8.6  11.1  1.1. .1.  類鏡石, 機 械 4.4  6.1  13.9  7.1  20.0  5.木 村 , 祇 類 0.6  2.2  2.6  3.3  8.0  6.  tril  3.2  1.4  1. 7.3  4.5  7. 37.0  38.6  33.8  30.2  30.2  100.0  100.0  100.0  100.0  100.0 

蕊で著るしいことは支那稔入貿易構治が一九

O

O年から一九二

九年に至る問に於て殆ん︐E何等の竣化守港けてゐない事であるが

之はその期間の工業化の停滞在物語るものである︒支那は﹁母同﹄

或は寧ろ一聯の諸列強に依りその関税政策が支配されてゐる植民

地的乃至は半植民地的関家の如くであり︑印度と幾分似通ってゐ

る︒その後大戦中及び戦後密通じて欧洲経波間乱の直接的結果と

して東洋に於ける工業化は日本に於て著るしく︑支那に於て幾分

かの進展沿見せに︒支那工業化は外岡資本による紡績工業の披張

hやうになった︒この事は一九三O年支那

保護関税施行以来殊に詑口さるべきものとなったのである︒それ

以来︑棉花及び其製品とは反卦に綿製品総入に顕著な減少が起り

港には一九三五年に至り金属・鍍石︑機械類︑車楠を包括する.

13)  F. Otte, Strnctural  Chaesin  Chinasimport tradc since  1919. statis tical  rescarch into facts, causes, errors  and  mistakes.  (Chinese  Economic  Journal  and  Bulletin), Shan

f

4六杏第十二披「円H1l9jp以降の支那輪入貿易ff帯母の箆イ七tJ(p.206

(11)

税は↑九

OO

%

六 ・

O

Mと比校して︑全輸入額中二00

%

ゐることに依って知らるf如く他の総ての群身凌駕するに至つ亡︒この数字こそ少くとも出く限られた有利な地

4t  

i  

方に於ける支那工業化迩反身俗資に殻明すろ顕著な事資の一で甚だ注目に慣することである︒

以上︑支那版業革命の停滞性そその貿易桃活在通じて確認し来った誇で︑めるが︑次に何故にかミろ停滞性在来

?

' rζ  

一に闘する部分は本校直納豆研究ム官接行﹁亜細亜研究﹂第七放に払載したものであるが︑所論の都合上採録せざるを符な

かった︒読者の御諒

z討を附ふ︒

支那・産業革命の準炭︑工業化のテンポが級没なる所以は如何に理解さるべきであらうか?この問題在解く仁

めには文化綴象のあらゆる側面にHって観察する必要がある︒殊に支那文化の特殊性に引掛けて解務せねば透徹

しに理解在得ることは困難である︒この事は支那問題解蒋に蛍って根本に絞る難問題である︒そのにめには我々

}

(

E

件 ︒

N G

止︒らされ俸捕し行くもので六合に沿ねかるべき普遍的性格ぞ有す

る︒内容上から特殊文化は考へ符中文化の質的相違はあり得ない︒文化の特殊性在問題にする場合には文化内容

支那産業革命の停滞性

l古銭調査月報,同上主.

14') 

参照

Outline

関連したドキュメント

[r]

[r]

鉱石は, 木炭, 薪, 石炭などを燃料として露天で少くとも3日間燐焼されたのち,

Mini, Federico and Edgard Rodriguez (2000) &#34;Technical EfrlCiency Indicators in a Philipplne Manufacturing Sector,&#34; International Review of

それとの関連において行われたのであった︒しかるにその後︑

   88 89   資 料 側面が含まれる。

[r]

[r]